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保護猫近況(=^・^=)💖

NPO法人あおぞら

特定非営利活動法人「あおぞら」のブログ投稿記事より転記したものです。

内も外も・・


昨日は雨模様❣❣ 大雨となった地域もあるようですが、ここ門司港は其処迄ひどいという降り方ではなかったようです。
気温も一時期に比べると、雨模様でも極端に冷えると云う事も無く、いわば「催花雨」・「木の芽起しの雨」ということになるようですね~💖
家の中の猫達も外の猫達も、其々のお好みの場所で、ゆっくり過ごす時間が増えてきた様です。

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家出中の親子猫「てん」と「にゃんにゃん」も大分、過し易くはなってきた様で、近頃は、雨・風よけの物置の中で過ごす時間も短くなってきた様。

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子供の「てん」の方は、既に外暮しが2年目になって、最早、地域猫の風貌になってきていますが母親の「にゃんにゃん」は少し前までは家の中で過ごしていたんですがね~(=^・^=)

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家の中に保護していた当時の「にゃんにゃん」横のキジは夫猫の「ふー」


家の中、恋しくないのでしょうか。
大人しい😻だったので、大勢の保護猫の中で夫猫「ふー」と過ごすよりも、子供の「てん」とのんびり外暮らしの方がいいと判断したのかもしれませんね~。
食べるのも寝る場所も仲良く殆ど一緒に過ごしているようです。

今は無理をせず、外が嫌になったらそのうち戻って来るかもと云う感じで、気長に待つことにしています💖

家の中では、毎朝、ひと暴れしないと落ち着かない「しま吉」や、2Fのベッドから殆ど動かない「ちょろ」「とび」「ちび」等過ごし方さまざまですが、春っぽいこの時期ともなると、昼間は、やはりのんびりと寝ている時間の方が増えてきている感じです。

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少し、問題なのが、普段は2Fにいる「くろ」が時々下に降りて来て「しまきち」にちょっかいを掛ける事❣❢ 今迄はそんな事なかったのですが、如何した心境の変化なのでしょうか。

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一番若い「もふ」も随分、落ち着いてきた様で、お気に入りの段ボールの中でのんびりしている時間も増えてきた様子(=^・^=)夜もゲージから出てみんなと一緒に寝ていても大丈夫。

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預り中の「ふく」と「まろん」も段々と環境に馴染んできてくれている様子。時々、ゲージの外と内とで、家の中の保護猫達と見合っている事もありますが、両方とも威嚇する様な事も無いようです。

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其々のお好みの場所で、それぞれにトラブルなく過ごしてくれれば、其れが一番ですね~❣❢

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中村天風のことば

中村天風一日一話

気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫2006年12月1日第一版第18刷発行 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【四月の言葉】

*一日 聖賢というものは

優れし人言い換えると蘂手の真理を知っている聖賢と云うものは、心が只単に積極的であるばかりでなく本当の心の強さの中に気高さを持っている人の事なんだ。心の中の気高い強さと云うのは結局要するに卑屈に痩せ我慢で強さを造ろうとするのでなくて淡々として少しも気張らずに強く成り得ていることを言う。だから優れし人には絶対に不運と云うものは来ない。

*二日 真の健康と食物

地上の動物はその食物の種類で凡そ次の三種に分類される。肉食動物・草食動物・果食動物である。元来動物は生きていく為に新陳代謝を行うが、その作用で大なり小なりの毒素は絶えず発生し血液やその他全身の組織の中に存在している。然るに動物を食すれば其の毒素は無条件に食した人の体内に入ることに為る。菜食は肉食よりも遥かに優れているがあらゆる点から見て理想的な食物は果物である。現実的には植物性を七割以上動物性を三割。以下としつつ極力果物を多く摂る様にすべきである。

*四日 積極的態度

何でもない時は矢でも鉄砲でももってこいと云う気に為るけども、健康上に故障が有ったり運命上に少しでも儘為らない事があると、そういう場合こそより一層心の態度が積極的で有らなきゃならないのにすぐ青菜に塩みたいになってしまう。こう云うのを積極的態度と云うんじゃないんですよ。どんな場合があっても積極的と云うのは心の尊さと強さと正しさと清らかさが失われていない状態を言うんです

*六日 外界印象の取捨選別

精神生命に外界の印象を受け入れる時には、その印象を受け入れて良いものか悪いものかを吟味しなければいけない。然しこの時の半分の半分も注意しないで受け入れてる人が多かない?それが結局貴方方を気の弱い神経過敏にしちゃった。神経過敏な人と云うのは五か十ぐらいの僅かな刺激ショックも其れを心に知覚せしめる時には百二百に誇張して感じさせてしまう。斯う云う人は精神生命に外界の印象を受け入れる時此れからは特別入念に吟味して取捨分(選)別を完全にしなきゃいけない。

*八日 人生と心の法則

我々の生命の中にある肉体は勿論精神生命も一切の広い意味における人生の事柄は、心の運用如何に拠って決定する事が出来るという真理を私は覚り得たのである。人間の心で行う思考は人生の一切を創る。この法則を巖として自覚して常にこの法則を乱さないように活きるならば人生は期せずして大きな調和の元に満たされる。そして無限の強さと生命の無限の自由と云うものは自然的に出てくる。

*十日 自分自身と云う存在

自分の心や肉体の存在を意識的に自覚したのは多分生後三年か餘年たってかれであろうと推定する。そこで自分で自分に聞いてみる。自分自身が心や肉体の存在を意識的に自覚しなかった当時自分と云うものが存在していなかったか如何か?言い換えれば自分夫の生命は存在していなかったかどうかである。私の生命は自分自身心や肉体の存在を意識的に自覚するかどうかに関係なく、既にその以前から立派に存在していたのである。

*十三日 理智に依存しない人生

理性や感情と云うものはその人の心身に享受した教養や又は経験から培養された理智を根源とすると云う忽諸に附す可からざる大きい事実関係がある。然し理智なるものは常に間斷無き発育的情勢を以て推移していると云う相対的なものである。然るに斯くの如く多分に変移性を持つものに人生生活を依存すると屡、其処に図らざる蹉跌が生ずるのは必然で煎じ詰めれば人生の悲劇も地獄も不平も不満もそうした無自覚を基点として発生するのである。

*十五日 無駄な精神消耗

神経系統と云うものは人間の命を活かす生活機能の中で一番大切なもの言い換えれば神経系統の生活機能のお蔭で我々の生命は斯うして生き永らえているのであるが、やたら気取ったりぶったりしている人は勿論自分では結果にそう云う良くない事実が生じてくる事に気付かないで、否気付かないと云うよりも無知であるが為に考えること無しにと云って好い程無頓着で矢鱈と価値の無い無駄な神経消耗を殊更に行っているのである。

*十八日 苦行より自覚

真理と云うものを知らなかった時代の私は、何か苦行をするとか或は特別苦心の研究と云う様な事をしない、完全に理解する事が出来ない様に思っていた。然しそうじゃない。現にインドに行って耐えられない難行苦行は余りしなかった。しないでも真理を掴めた。苦しい修業をしてからでないと自分は強くなれないと考えていると、強く生きられないのが自分の無自覚からきていると云う事に聞か付きません。

*二十日 悟れば幸来る

悟れば一瞬にして幸来る此の真理が心の中に輝くと健康も運命も共に求めずとも完全に成る様に出来ているのが人間なのである。其れは心と神経との関係を考えればすぐ実証される。そしてこの宇宙の生命エネルギーを自分の生命に受け入れるのも復そのエネルギーを全身に分配するのも神経系統が行っていて、その神経系統が直接または間接に心の支配を受けている爲であると分かれば、どんな人間でもこの厳粛な事実の上から自分の心の立派な論定が出来るに違いない。

*二二日 不平不満の悪影響

知る識らざるを問う事無く不平不満を口にすると云う心持をその心に持たせると、人間それ自身を不幸にする場合が多く招来されて、決してその心的態度から幸福と云うものは発生しないのである。と云うのは直接的には判断力断行力更に精神力と云うものがどんどん委縮減退し、間接的には体力や胆力果ては精力まで其の良くない影響が波及されて、結論的に言うと生命力の一切が劣弱になってしまうのである。

*二四日 内省検討と暗示分析

病難に際し又は運命難に直面した場合には平素充分心身統一法の理解に透徹していると思っても、そう云う場合修養未完成の人はその事柄に引きずられて知らず知らず心の平安を失いその結果独立自尊と云う尊厳な立場から他力依存と云う勝階級の極めて低劣な方面へと自己の心的態度を転移して、無益な焦燥と混迷を敢えて為すと云う愚行を行う恐れがない訳では無いから、そういう場合に更にさらに入念周到に内省検討と暗示分析とを実行して心境の浄化清純に努力されるよう心より付言する。

*二七日 運命について

運命には二種類ある。天命と宿命である。店名は絶対で宿命は相対的である。如何にも仕様の無い運命を天命と云い人間の力で打ち開く事の出来るものを宿命と云う。女が女に生れ男が男に生れたのは天命である。りどうする事も出来ない。処が今の人は打ち開く事の出来る宿命にぶつかった時でも其れを天命と云う。自分の努力が足らない事は棚に挙げて如何にも仕様 がないと云う。

*二九日 世の爲人の為

富や地位を造って自分の人生欲望だけを十二分に満たす事已を想像すると云う事は断然排斥すべき向下的想像だ。宜しく健康想像と同様に金を造って、人の世の爲に尽す仕事を仕様と斯うなりゃ本物だ。又そうしなかったらその人にどんなに金が出来てもその金はその人に本当に安定した幸福を感じさせないんだよ。モデルが完全であってこそ作品も完全だ。想像は詰る所人生形成のモデルなんだ。

努力は報われることも・・🙀

NPO法人あおぞら

外猫・街猫との付き合い方は

何処でも、いつでも起こるトラブルとして、外猫・街猫へのえさやりの問題があります。
その点、ここ北九州の門司港は割と住民の皆様、外猫・街猫・地域猫に対しては鷹揚な対応をしてくれているようです。
一つは、住民の方々が、自ら避妊去勢手術等々の活動を個人的にまた、地域として取り組んでいることもあるのでしょう。

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それでも、矢張り無責任なえさやりさんのことが時々聞こえてくることもあります。折角の命を守ってあげようという善意の行い❣❢
出来ればマナーを守って行って頂ければ、お互い気持ちよく環境も守れるのではと思います。


先日、沖縄県議のえさやり禁止条例について、反対の声をあげられ署名活動を展開された「どうぶつ基金」さんからその後の経過の事がアップされていました。
唯、餌ヤリ禁止するのは悪いというだけではなく、外猫・街猫たちへのえさのやり方等々を提案して改善案を求めていると云う事です。

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ここでも、やはりポイントとなるのは「えさやりさんのマナー向上」は勿論のこと、飼い猫・地域猫・外猫等々に拘わらず、猫達に関わる方々の意識向上が重要と云う事のようですね。
猫達に責任があるというのではなく、関わるヒトに責任があるという自覚が大切な様です。

もうひとつ、云えば、現状では、外猫・街猫達の状況をある程度コントロールしてあげ、住みやすくしていく為にも避妊去勢も必要なこと。
行政による、相談窓口や資金的援助等々、積極的なバックアップ体制が出来上がれば完璧❣❢

こういった努力が報われて、猫達の命が守られれば嬉しいですね~(=^・^=)

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北九州 アニマイル動物診療所
公益財団法人 日本動物愛護協会 (jspca.or.jp)

公益財団法人 どうぶつ基金の報告内容


「沖縄県動物の愛護及び管理に関する条例(案)」
に関する意見交換会議事録


2 月 14 日沖縄県環境部自然保護課課長と主任技師が兵庫県芦屋市のどうぶつ基金事務局を訪れ「沖縄県動物の愛護及び管理に関する条例(案)」に関する意見交換会議が行われました。
まず最初に沖縄県からはパブリックコメントや署名、要望を受けたうえで以下の改定案が示されました。
沖縄県が示した改定された現行案 (2024 年 1 月 31 日)

第 10 条  所有者又は占有者を確知することができない猫に給餌及び給水(以下「給餌等」という。)を行う者は、生殖を不能にする手術を施した又は施すことを予定している猫その他規則で定める猫を対象として、容器を用いて給餌等を行うものとし、給餌等を行った後は速やかに飼料等を回収するものとするほか、周辺住民の生活環境に支障を生じさせることがないようにこれを行わなけれはならない。

どうぶつ基金からの提案
 猫が増える原因を作った犯人は餌やりさんではなく「無責任な飼い主」である。県は「無責任な餌やりさん」という言葉を多用しているが、そもそもお腹が減って可哀想なノラ猫に餌を与える行為は動愛法に基づいた行為である。そこには何の責任も伴わない。
ノラ猫が増える原因は、飼い猫を捨てたり、外を徘徊させ繁殖させた「無責任な飼い主」に、あるのは明らかである。

以上を踏まえて、どうぶつ基金から以下を沖縄県に提案した。
上記の現行案では「餌やりさん」の自己負担で不妊手術を求める内容となっており、住民同士の対立や「餌やりさん」へのいじめを招く懸念がある。そこで、以下のような内容を盛り込むことを提案。

1.     現行案の訂正案
第 10 条 所有者又は占有者を確知することができない猫に給餌及び給水(以下「給餌等」という。)を行う者は、容器を用いて給餌等を行うものとし、給餌等を行った後は速やかに飼料等を回収するものとするほか、周辺住民の生活環境に支障を生じさせることがないようにこれを行わなけれはならない。

2.     上記訂正案とは別に以下のような内容の条項を定める提案をしました。

o   市民は未手術の猫を見かけたら行政に報告し、県の動物愛護センターやどうぶつ基金さくらねこ無料不妊手術事業の制度を利用すれば、無料で不妊手術が受けられるので、猫ボランティアと協力してTNRを進める。

o   無責任な飼い主に対して厳しく対応する。ただし、屋内飼養の徹底は、沖縄という風土や県民性から実現不可能であるので、努力目標程度にとどめる。飼い主による飼い猫のマイクロチップ登録と不妊手術の義務化を徹底し、繁殖を望むものは登録許可制にするような仕組みづくりを要望する。

o   不妊手術予定のノラ猫と不妊手術の予定がないノラ猫の区別をすることは不可能である。また、どちらの猫も愛護動物であり保護される存在である。そのため、A、不妊手術済みまたは予定の猫と、B、不妊手術予定のない猫を区別して、餌やりの可否を付けるべきではない。

2時間にわたる会議では非常に有意義な意見交換ができたと思います。沖縄県もどうぶつ基金も「野良猫に関連して起きる問題を解決したい。」という同じ目標を持っており、今後もより良い制度設計ができるように話し合いを続けていきたいと思います。

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議事録はこちらから
 

法華経の世界

(凡人が思う法華経の世界つづきですー法華経memo)

日蓮上人のことば☞二十八品は正しき事は僅か也誉むる言こそ多く候へ 此經一部二十八品六萬九千三百八十四字一々に皆妙の一字を備えて、三十二相八十種好の佛陀也     (読誦妙法蓮華経)

(以下解及各品大意:読誦妙法蓮華経―S60年4月11日初版発行 良時會発行より)

【迹門分大意】

法華一部二十八品を二分して前十四品を迹門、後十四品を本門と称す。

本門とは無始塵點劫の以前始めて宇宙の真相に触れ釈迦牟尼仏が大悟徹底されたという一大事実が法華経の根本中堅をなしており、これを述べた部分が十四品、本門分である。而してこの一大事実がまだ社會に顕れざるに先立って其の理論的半面を説明せるものを迹門分と云う。即ち方便品に説ける諸法実相=十如是という大哲案である・・

此の事実を根本とする依り其の顕現せるものを本門といい、その反面を画けるものを迹門と称するのである。

迹門それ自身においては実に宇宙の大疑問を見事解決した一大哲学書である。

【序品一】

日蓮上人曰く、「瑞相と申す事は内典外典に附て必ず有るべき事先に現ずるを云ふ事也,蜘蛛かかって喜事来り烏鵲鳴いて客人来ると申して、小事すら験(シルシ)先に現ず如何に況や大事をや。されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞也」と

全體佛は法を説く前に必ず神変不思議な瑞相を示現せらるるが常である。

① 結跏趺坐 ② 無量義處三昧 ③ 身心動ぜず ④ 天より曼殊沙華等を雨し ⑤ 普佛世界六種震動 ⑥ 如来眉間白毫相より光を放つ

【方便品二】

日蓮上人に依り尤も多く用いられた語、意義は「便宜なる方法」と譯すべきか。

佛知見に相手を引き入れんとする方法、この方法手段は終極の目的と一致するものとそうでないものがあり、此処に日蓮上人のいう方便とは後者の意味である

曰く「以方便力四十餘年未顕眞實(無量義経)正直捨方便但惜無上道(法華経方便品)」☞日蓮上人は法華経以前の経々は方便仮説であるとした

少智楽小法自不可信作佛☞少智小法を楽ネガい自ら作佛せんことを信ぜず

  • 三止三請五千退座:「是の如き増上慢の人は退くも亦佳し矣

 ★ 開三顕一:菩薩・声聞・縁覚の三種の法を説くは所謂応病与薬の手段で知識に応じての方便、眞實の一佛乗(目的―悟りの極致)「に誘わんがため

  • 開・示・悟・入:仏が顕れるは自分自身にある所の佛知見を開き、示して、悟らし
  • め、その道に入らしめるため

【譬喩品三】

譬喩は法華経の生命。開三顕一の正説に次いで火宅三車の譬説をあげる。

火宅(娑婆)より救う為与えると約束した羊車・鹿車・牛車(声聞・縁覚-辟支佛・菩薩)の三車に対し大白牛車(一佛乗-佛道)を賜う譬喩

諸苦所因貪欲為本若滅貪欲無所依止☞諸苦の所因は貪欲為コレ本なり若し貪欲滅すれば依止する所無し

※(辟支はpratyeka の略音写、buddha の音訳) 仏語。仏の教えによらないで、自分で真理を悟り、その悟りの内容を人に説くことをしない聖者。ひとり悟りをひらいてそれを楽しむ仏で、独覚と意訳する。また、十二因の理法を悟るところから、縁覚ともいう。

信解品四】

法華経は信ずれば解自ずから生ずる妙為る法。信解と題する亦法華修行のの次第を示す品

舎利弗既に成仏の証言を得、須菩提他弟子たちも歓喜合掌し、無量の珍法を得たるを譬喩を以て佛に謝す 長者窮子の譬喩

【藥草諭品五】

衆は佛となるべき種性を具え、佛はこれを生長せしめておるところから薬草・藥樹に喩える

人天界の諸王は小草の如、三明六通の羅漢は中草、当に作佛を得べき菩薩は大草のごとし亦、菩薩においては専心に佛道を修し常に慈悲を懐けるは小薬樹、神通自在にして無上法を説き無量百千の衆生を教化するは大薬樹である。三草二木相異なるは各自の機根同じからざるに依る

【授記品六】

授記とは記別を授けるの意、「汝未来世に於いて当に成佛すべし」という佛の証言

劫・國・名号の三種の具体的内容を述べる:劫は時間を指し佛の寿命及び法の流布の期間 國とは成佛する国の名 名号は成佛する佛の名

第1回授記:法説周(方便品によるー法を聞いて悟りを開く) 

第2回授記:譬説周(譬喩品によるー譬を聞いて法を解するに至る)

第3回授記:因縁説周(化城喩品による-因縁を以て漸く法に至ることが出来る)

名号:佛陀の十號☞十種の殊徳を具する:如来―真理の人格化したもの ①應具―一切の人々の供養に応じて能く施主の功徳となる ②正徧知―正しく徧く知る乃ち正しき悟り ③明行足-修行が全て具備している ④善逝―妙往で悟りを開き佛となる(人間は地獄に行けば悪往・悪逝)  ⑤世間解―世間のことを如何なる事でも解する事が出来る ⑥無上事-すべての社会において佛以上の士無き事 ⑦調御丈夫―一切を能く調え御する丈夫 ⑧天人師-天も人も皆師をする ⑨―覚ったもの ⑩世尊-世間に於いて最も尊貴なるもの 之意

【化城諭品七】

方便品の法説☞上智 譬喩品の譬説☞中位の弟子 化城品因縁説☞低級知識の開発

三千塵點劫以前、大通智證佛が出世され十六王子のために法華経を説かれたという事実談。それを了解し易からんと城閣化現の譬を述べる。

十二因縁の法:無明は行に縁たり 行は識に縁たり 識は名色に縁たり 名色は六入に縁たり 六入は觸に縁たり 觸は受に縁たり 受は愛に縁たり 愛は取に縁たり 取は有に縁たり 有は生に縁たり 生は老死憂悲苦悩に縁たり 無明滅すれば則ち行滅す 行滅すれば則ち識滅す 識滅すれば則ち名色滅す 名色滅すれば則ち六入滅す 六入滅すれば則ち觸滅す 觸滅すれば則ち受滅す 受滅すれば則ち愛滅す 愛滅すれば則ち取滅す 取滅すれば則ち有滅す 有滅すれば則ち生滅す 生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す

【五百弟子授記品八】

授記を得たる五百の弟子阿羅漢等が衣裏(エリ)の寶珠の譬を述べる☞佛よ我等は酔人の様なものであった三千墨點の以前賜った寶珠の在るをも知らず聲聞の小果の満足していたのであるが然し、今、實因縁を聞いて始めて佛という珠の在りしを悟ることが出来た

【學無學人記品九】

學とは有學にて未だ學すべき余地ありという人、無學は最早学ぶべきもの更に無しという極位の羅漢を指す。この品は因縁説に基づく授記の第二段目となる

方便品より當品に至る八品を迹門分の本論とする。その中でも方便品を正中の正と立つ、是開三顕一が迹門の生命であるが故である☞迹門本論は聲聞の小果に執するを破するを要とするから本論は聲聞で満たされ菩薩の名は現れない。

【法師品十】

此の品より安樂品迄を迹門分の結論(通論)―佛教ににては流通分と称すー

末代に如何に法華経を弘めんとするかというに佛は五種の方法があるべきを説かれる。

  • 授持 : 有難いと信じ身に體して行う
  • 讀  : 法華経を看て讀み奉る
  • 誦  : 經文を看ず暗んじて読む
  • 解説 : 義を解し他の為に説く
  • 書冩 : 經を書寫して文書傳導を為す

是を五種の法師と名づく。何故法師というかは法を他に教え弘める故にそう呼ぶ

經典は数多くあれどこの經が尤も勝れたるものである。此の經の中には如来の全身が籠って居るから、此の經を外にして妙来の生命はないのである。此の經を持つ人は尤も如来に近接せるものといわねばならない。

【見寶塔品十一】

末代の法華経弘通の方法を説きその普及を可能なら〆んとするのが流通分-通論の役目

法師品にその受持の功徳を説き及び説法者の価値を論じた、次に一層力有ら〆んとする為に、更なる證明を加えなくてはならない。茲に於いて多寶塔の出現、分身の来集が説かれる。

  • 三變土田:分身の佛を十方の世界より娑婆世界に迎えるために清浄瑠璃の地へ變ぜしめる事三度に及びすべての佛を一緒に集める一佛國土と為した☞三乗を一佛乗に會したことを具体的に現したこと
    • 虚空會☞霊山會:神通力により大衆を虚空に住せしめ説法を行った
    • 三箇之勅宣:如来滅後の法華経弘通を誰が担うか受法者に向け三度誓約を迫られた
    • 六難九易の説法:法華経弘通のむつかしさの譬

【提婆達多品十二】 

提婆達多及び龍女の成佛譚

  • 二箇の諫暁:畜種女人の向上得果を説く☞二者ともに末代法華経を弘むる場合、悪人と問わず女人と論ぜず何れも妙經力の前に同一の證を得べきことを諭されたことを称して二箇の諫暁という

佛の従弟、提婆達多は非常な学者であった為に却って佛に変わろうとする野心を抱き阿闍世太子を語ろうて、彼に父の頻婆沙羅王を弑せしめ、新王とならしめ、自らは佛を殺またんとして、僅かに佛足より血をい出したに過ぎなかった。此れが後仏教に於いて尤も重科とされる五逆罪の一つ出佛身血の大罪。此れが為に提婆達多は大地割れ現身に無間地獄へと堕ちたとある。その大悪人の過去因縁を明かし之に天王如来の記別を授ける。次いで八歳の龍女が變成男子となり成佛を南方に示す。

【勧持品十三】

最後の二十行偈:日蓮上人☞悪口罵詈等及び刀杖を加うる者、又我身命を愛せず但無上道を惜しむ或いは屡々擯出せられん等全く日蓮が為に佛が記し置かれた

この品に於いて注目すべきは二大比丘尼の授記が提婆達多品の龍女成佛の次に許された事

日蓮上人☞龍女成佛を評して「末代の女人の往生成佛の道を踏み開けたる也」といわれた

【安樂行品十四】

末法に於いて法華経を弘通の為の修業:身・口・意・誓願の四行を説く

安楽行とは此の四法を行事たならば身も意も安穏快楽、便り尊崇せらるるを以ての故

  • 身安楽行☞行處、親言處の別有

 行處とは心の行く處出常に心柔和に辱めを忍び真理を達観すること

 親言處☞第一親言處 常に坐禅を好み閑静なる處に親言して心を修養する

       第二親言處 天地宇宙の真相を観じ、此の眞實相に常に親言する

  • 口安楽行☞非難を口にするな、難問を受けたときは大乗の善法をもって之に答える
  • 意安楽行☞嫉み・諂い・誑く心無く佛に対し如く菩薩に対し恩師の想いを生ぜよ
  • 誓願安楽行☞總ての人を悉く皆救い助けんと誓願を立てよ
    • 以上智と學を主とした迹門分である

【本門分大意】

日蓮上人☞法華経ニ亦二經有、所謂迹門ト本門ト也 本迹ノ相違ハ水火天地ノ違目也

本門とは根本の法門の意にて生死の煩悩世界から寂静の極楽世界へ通ずべき唯一の通路ということ 娑婆世界廣と雖も生死の苦界を免れ出でんとすれば、佛教中法華経の一門より全く有る事無し 故に此の法華経を根本法門と名付け略して本門という

其の本を時間的に言えば久遠本時、空間的には本地の娑婆、人に約すれば本師釈迦尊、法についていえば本法妙經である 而して其の眞體は本佛妙法蓮華經尊である

此の妙法蓮華經尊が壽量品で教主釈迦牟尼佛に即して顕現 依って其の釈尊を本佛釈迦如来と申す 故に、本佛顕現して説き給うた本門の八品-自従地誦出品至屬累品-とそれ以外とは全く天地の相違生ずるのである

日蓮上人☞一切經ノ中ニ此壽量品マシマサバ天ニ日月ナク國ニ大王ナク山海ニ玉ナク人ニ魂魄無キガ如  されば法華經は生命は壽量品に依りて存する

【従地誦出品十五】

本門分の序・本・通の三論段

 ★序論☞従地誦出品始めより中段「當に精進して一心なる可 我此の事を説かんと欲す 乃至是の如きを今當に説く可 汝等一心に聴け」迄の五字偈四行

娑婆三千大千世界の地震裂し其の中より無数の大菩薩出現 中に上行菩薩・無邊行菩薩・安立行菩薩・安立行菩薩という四人の上首あり

 ★本論☞従地誦出品中段五字偈四行の後「爾時世尊是の偈を説き已りて彌勒菩薩に告給ふより、壽量品十六、分別功徳品十七の授記終了迄が本論

 ★通論☞分別品授記終了よりは後来の事に及ぶは末代の弘通である此れより嘱累品二十二(?)迄が通論となるか

【如来壽量品十六】

迹門分の中堅方便品は三止三請、本門の一大事本品壽量品は三誡三の上に重請重誡を加えられはじめて説かれる。

彼の彌陀の無量壽は實は無量壽ではない有量である。然し凡夫人の神心力及ばぬ程の過去を有して居るに依って之を無量壽と云うた。今佛釋尊は否らず、實に無始の古佛常住不滅の壽命を有して居る。彼は観經に於いて十劫正覺を説き、是は五百千萬億那由陀阿僧祇と明かす。彼の三部經に常住不滅の文義無く此經に文義朗然とある即ち、彼は有始有終の權佛、常住の粧ひを為せる無上の水月に過ぎず、此れは無始無終の實佛、常住不滅の天月である。

此の常住不滅は獨り釋尊の常住不滅ではなく霊魂の不滅とみることが出来る。

釋尊ト我等、苦樂明暗の差は有るが靈魂其ノ者の断然することなきは等しい。此れを以て當品を靈魂不滅論と見做すことが出来る。

【分別功徳品十七】

本論佛壽長遠を聞き大衆は眞理を直観するに至る。その巨益を佛は彌勒に十二部に分かち説く

本論部)迹門の授記は理論上之を許し本門は事実上之を證するという差がある。

通論部)四信五品☞佛の壽命長遠なるを聞いて親授する者の功徳

現在の四信:①一念信解 ②略解言趣 ③廣為他説 ④深信觀成

  • 布施・持戒・忍辱・精進・禅定の修行をする者よりも百千萬億倍以上の功徳がある
  • 若し進んで其の義趣を解せる者は如来の智慧を起こせる人
  • 廣く人の為に其の義を説く者は一切種智を生じる
  • 深心に信解する者は當に佛を見奉り娑婆世界の即寂光浄土なるを感知す

滅後の五品:①初随喜品 ②讀誦品 ③説法品 ④兼行六度品 ⑤正行六度品

  • 如来ノ滅後此ノ經ヲ聞キ毀訾セズシテ随喜ノ心ヲ起サン
  • 何ニ況ヤ之ヲ讀誦受持セン者
  • 若シ自ラ書キ若シハ人ヲシテ書カシム
  • 能ク是ノ經ヲ持チ兼ネテ布施等ヲ行ゼバ云々
  • 若シ人是ノ經ヲ讀誦シ受持シ他人ノ為ニ説キ云々

六度とは一般に六波羅蜜というので知られる:波羅蜜とは「到彼岸」の意 菩薩が生死の此岸より寂静の彼岸に到達せんとする方法

【随喜功徳品十八】

迹門分通論法師品に於いて五種法師を説き末代弘通の方法を示した 本門分、分別功徳品にて法華信仰の功徳を四信五品の階梯を仮りて説かれた。今更に一歩進めて詳細を説明せんとする☞一念信解の随喜の功徳を述べる

法華随喜の一行は根本的修行であり布施等の修業は枝末の細行であるを説く

【法師功徳品十九】

法華受持の功徳の詳説を随喜功徳品より始め當品に至る☞五種法師の名の下に功徳を説く

此の法華經を受持読誦解説書冩するものは眼耳鼻舌身意、皆清浄となるを詳しく説く

【常不經菩薩品二十】

前段にて法華受持の功徳を詳説六根清浄の果報を得ることを述べた。茲に其の先證を挙げ眞實なるを信じせしめる為に釋迦佛の過去譚を披露する

總て宗教の事は哲学と異なり、畢竟實際上に具体化するを以て目的をする者であるから事實ということに尤も重きを置くものである。

日蓮上人曰く:如何ニ人申ストモ即身成佛ノ人無クバ用ユベカラズ乃至大日經金剛頂經等ノ眞言經ニハ其人ナシ

如何に巧妙なる議論でも宗教に於いては先ず其の先證を示し後、其の經の力用を信ぜしむるが本當である 即ち、迹門分の觀持品二十行偈の法難の事実談及び本門分常不經菩薩品の釋尊経歴談にて法師功徳品の六根清浄の實果を示した

常不經とは釋迦牟尼、其時謗りしものは大會中の跋陀婆羅等のこと

【如來神力品二十一】

法華經末代弘通の任命☞如来十種の神力を顕す その後、従地誦出の上行菩薩に任を下す

  • 釋迦佛の廣き長き御舌が高く中天に懸かる
  • 一切の毛孔より無数の色光を放つ 
  • 一時に咳ばらいをされ
  • 指を鳴らされる
  • 此の二音聲徧く十方世界へ響き地皆六種に振動する
  • 十方の衆生皆佛の神力を以てこの有様を拝す
  • この時諸々の天人が虚空より高聲に釋迦牟尼佛が娑婆世界にて法華経を説く事を告ぐ
  • 人々は皆娑婆世界の向かって南無釋迦牟尼佛と唱える
  • 而して種々の珍寶を娑婆世界に捧げそれが聚まって寶の帳となる
  • 十方世界は一大佛國土と化し通達するに何の妨げも無いようになった

【嘱累品二十二】

嘱は授の義、累は受の義☞汝末代に於いて此の法を弘めよというが嘱、仰せに従い必ず布教致しますとお受けするのが累

神力品に於ける付属は上行菩薩に対し妙法蓮華經の屬累:塔中別付といわれる

屬累品に於いての付属は他の經々の總體の付属となる:總付属といわれる

  • 法華経の弘まる以前に他の經々は先駆を承り或いは其輔弼として任を果たす故に其の任命を總體に授けるので總付属といわれる

ここ迄が本門分通論可(❓)

【藥王菩薩本事品二十三】

此れより、所謂捃捨付属(クンジュフゾク)☞本門八品の大収終わりたりと雖も茲に個々物々の間に法華の功徳を賛じ其の妙用を示し末代修行に資する

藥王菩薩の過去談:本事とは菩薩の過去談の意、佛の過去談を本生というに対す

本文中の阿弥陀如来とは観無量壽經の彌十劫正覺の陀とは異なり、今は、五百塵點劫の久遠實成の釋迦如來の分身佛を指す

【妙音菩薩品二十四】 

此の品の主要成るは、如何に姿は卑しくとも佛菩薩を軽しめてはならぬ此の菩薩は三十四身に身を現ずる況や他の佛菩薩をやということ。さらに一歩進めて、末代法華弘通のものは如何程下劣なるも決して賤しんではならぬ。此れ即ち佛菩薩の變化の人であるから

【観世音菩薩普門品二十五】

妙音は三十四身東方の大士、観世音は三十三身西方彌陀の脇士。俱に他方來の菩薩。先に受けたる余深法中、示教利喜の妙文を東西相対して茲に其奉行をせんとするのである。

此の2菩薩共に妙法蓮華經の五字を頭に冠せるを以て知ることが出来るが、換言すれば妙法蓮華經の弘通の養護者たるを誓約するの一段と見ることができる。

観世音菩薩(法華經)=観自在菩薩(般若心経)

普門☞普門示現の意:如何なる所にても其身を顕し法を守り行者を救うという心の意

【陀羅尼品二十六】

陀羅尼とは總持と譯する語にて総べての義が漏らさず含まれているいう意味

印度語支那語に譯するに当たり到底多含多義の語を冩す適当の語無きを以て、また、秘密の義有、翻訳すればその効力を失するものと信ぜられ言語の音をそのまま寫したもの

神の約束語又は戦場に於いての合言葉のようなものともいわれ、」此の語を唱える者は諸仏諸神の守護を受けることが出来ると称されている。即ち呪言ともいわれる

日蓮宗に於いては五番の善神と呼ばれ尤も祈祷に大切な神と言われれている。就中、最後に顕れる鬼子母神及び其子と十羅刹女は法華の行者援護の総大将といわれている。

【妙荘厳王本事品二十七】 

前品は咒を以て法を守護する旨を明かし、今品では身を以て直接人間を守護する一例を示す。是は此れ妙音観音の三十三・四身の一班を顕すものと見ることが出来る。即ち即現婦女身、即現童男童女身の利益にて、悪王の為に后妃および王子と變現し佛教信者と為す一個の家庭訓ともいえる。

【普賢菩薩觀發品二十八】

觀發とは戀法の辞とあり法を戀い慕うて發起せしむるの意 

此の段は所謂再演法華なる一段

寶威徳上王佛の許より娑婆世界釋迦佛の説く法華經を聴聞せんと飛來した普賢菩薩の乞いに答え、法華經を滅後に於いて得るの4つの道を説いた

❶ 諸佛ニ護念セラル

❷ 諸々ノ徳本ヲ植エル

❸ 正定聚ニ入ル

❹ 一切衆生ヲ救ウ心ヲ發ス

此の四法は法華一部の廣説を約言したものである

普賢菩薩は法華弘通の行者を守護せんと守護陀羅尼を説く されば、末代法華經の義趣を得たるものあればそれは普賢菩薩の力に依ったといえる。この人は命終の時千佛來たりて手を授け悪道に至らしめぬ故に、必ず守護し此の法の弘布を断たしむる事無し


  • 五種法師法華経の所説によって分けられた五種類の法師。受持法師、読経法師、
  • 誦経法師、解説法師、書写法師をいう。ごしゅほうし。〔梁塵秘抄

〔法華経文句‐八・上〕☞「法華経」法師品に説く、修行者の五つのあり方。   受持・読経・誦経・解説・書写

  • 跋陀婆羅:跋陀婆羅菩薩はインドの言葉ではバドラパーラと呼ばれます。中国に入
  • り漢字に音訳され跋陀婆羅菩薩となりました。この跋陀婆羅菩薩は『首
  • 楞厳経』(しゅりょうごんきょう)に記されている菩薩で、十六人の菩薩
  • が風呂の供養を受けた際、跋陀婆羅菩薩をはじめ菩薩達が忽然として自
  • 己と水が一如であることを悟ったことが記されています。その因縁から
  • 浴室の守り本尊として、お祀りするようになりました。
  • 十大弟子:経典によって誰が十大弟子に入るかは異なるが、維摩経弟子品で
  • は出家順に]以下の通りである]
  1. 舎利弗(しゃりほつ)

パーリ語でサーリプッタ (Sāriputta、सारिपुत्त)。サンスクリット語でシャーリプトラ(Śāriputra)。舎利子とも書く。智慧第一。般若心経では仏の力を承けた観音菩薩の説法の相手として登場。また、阿弥陀経では仏の説法相手として登場するなど、多くの経典に登場する。

  • 摩訶目犍連(まかもっけんれん)

パーリ語でマハーモッガラーナ (Mahāmoggallāna、महामोग्गळान)。サンスクリット語でマハーマウドガリヤーヤナ (Mahāmaudgalyāyana)。 一般に目連(もくれん)と略称される。神通第一(じんずう・だいいち)。舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが、ともに仏弟子となった。中国仏教では目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が『盂蘭盆会』(うらぼんえ)の起源だとしている。

  • 摩訶迦葉(まかかしょう)

パーリ語でマハーカッサパ(Mahākassapa、महाकस्सप)、サンスクリット語でマハーカーシャパ(Mahākāśyapa)。大迦葉とも呼ばれる、頭陀(ずだ) 第一

釈迦の死後、その教団を統率し、第1結集では500 人の仲間とともに釈迦の教法を編集する座長を務めた。禅宗は付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の第2祖とする。

  • 須菩提(しゅぼだい)

パーリ語でもサンスクリット語でもスブーティ(Subhūti、सुभूति)。解空第一(げくう・だいいち)。金剛般若経等、を説く大乗経典にしばしば登場する[2]

  • 富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)

パーリ語でプンナ・マンターニープッタ(Puṇṇa Mantānīputta)、サンスクリット語でプールナ・マイトラーヤニープトラ(Pūrṇa Maitrāyanīputra、पूर्णमैत्रायनीपुत्र)。

略称として「富楼那」。他の弟子より説法が優れていた。説法第一

  • 摩訶迦旃延(まかかせんねん)

パーリ語でマハーカッチャーナ(Mahākaccāna、महाकच्चान)、サンスクリット語でマハーカートゥヤーヤナ(Mahākātyāyana)。論議第一。辺地では5人の師しかいなくても授戒する許可を仏から得た。

  • 阿那律(あなりつ)

パーリ語でアヌルッダ(Anuruddha)、サンスクリット語でアニルッダ(Aniruddha、अनिरुद्ध)。天眼第一(てんげん・だいいち)。釈迦の従弟。阿難とともに出家した。仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼をえた。

  • 優波離(うぱり)

パーリ語でも、サンスクリット語でもウパーリ(Upāli、उपालि)。持律第一

もと理髪師で、階級制度を否定する釈迦により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた。

  • 羅睺羅(らごら)

パーリ語でも、サンスクリット語でもラーフラ(Rāhula、राहुल)。羅雲とも書かれる。密行第一(みつぎょう・だいいち)。釈迦の長男。釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧) となる。そこから、日本では寺院の子弟のことを仏教用語で羅子(らご)と言う。

  1. 阿難陀(あなんだ)

パーリ語でも、サンスクリット語でもアーナンダ(Ānanda、आनन्द)。阿難とも書く。多聞第一(たもん・だいいち)。釈迦の従弟。nandaは歓喜(かんぎ)という意味がある。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の付き人をした。第一結集のときアーナンダの記憶に基づいて経が編纂された。120歳まで生きたという。無量寿経等に仏の説法相手として登場する。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 発行所 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【三月の言葉】

*二日 完全を願う意欲観念

人間には不完全を嫌い完全を喜ぶと云う気持ちがあるでしょう。壊れた時計と壊をれていないと時計と両方見せられて好きな方を持って行きなって言われたら、誰だって壊れていない時計を貰って行く筈です。だから自己の健康や運命も誰もが完全である事を願うんです。たまには患ってみたいとかニッチもさっちも行かない運命の中に陥って

*五日 自分の分を知る

自分の分を知らなきゃ卑しい希望や汚れた宿望を炎と燃やしても、ろくな仕事は出来ないし不渡りを食う結果が来るのだ。五貫目の力しかないのに十貫目のものを持ち上げるとどんな結果に成るか、と云う事を考える事だ。自己認証とと云う事は自分の分を知ると云う事これが本当の自己認証である。

*六日 吾在る処

古聖の教えにも吾在る処に常に光あらしめん・我往く処に又光明を点ぜんと云うのがあるが、誠と愛の心を持って万物の接する時、期せずして其れは光明となるのが必至である。是こそ真に最も近くして最も遠く最も新しくで最も古き乃ち久遠より永劫への昭(証)として一貫する不易の人生哲学と人生科学の真髄である。

*八日 刹那心機の転換

常に心掛けねばならない事は刹那心機の転換と云う事である。刹那心機の転換と云うのは言い換えれば如何なる事でも即座に心を積極的に切り替えることを言うので、禅の方では熱殺寒殺と云う言葉があるのも要するにこれと同義諦なのである。この言葉は即ち暑さに対しても寒さに対しても其れを思わぬ事、其れに心を懸り合わせぬ事さすれば寒暑何ものぞ否一切の人事世事皆是と相等しと云う、所謂心機転換の妙を説示した偈語なのである。

*十一日 真心を持った行為

人間の行為に真心の籠って為されるものとその否との場合はその結果の事実の如何に拘りなく、その行為の尊さと云うものに頗る格段の相違がある。例えば他人の危難を救うと云う様な場合報償を目当てにして人を救ったのと、断然報償等を念頭に置かずに救ったのとは、例え敢然として難を冒して救ったというその行為と事実とは同様であろうとも、その行為の尊さには全然大きな隔たりがある。

*十四日 真理は事情に同情しない

自分の仕事や又は為す事等が思い通り上手くいかないと、とてもがっかりしたりへこたれて憐れな程意気を消沈する人が有るが、何れにしても人生斯うした心構えでは幾ら学識が有ろうと金持ちであろうと更に社会的の地位を持っておろうと、真理と云うものは事情に同情しないのであるから只徒に不幸な状態に自分を心ならずも導入して、結局は往生の時を早めるだけのこと以外何も値打ちのある事は人生に招来されない。

*十六日 睡眠は精力復活の恵み

特に就寝前には心痛憤怒煩悶悲観と云う様な仮初にも心を暗くするが如き、消極的の思考は断然心に抱か〆ぬ様努めて習慣付けなければならない。要するに睡眠と云う自然の与えてくれた精力復活の恵まれた時に本当に親しむのには、落ち着いた楽々とのんびりした気分が最も肝要なのである。

*十八日 臨機応変

世の中を見てみるにその日々の生活を行う際「力」の使い方を考えない為、力を働かさずに力のみ入れると云う力の無駄遣いをしている傾向がある。県の極意は変機に処する以外には徒に力を入れぬ事である。此れが臨機応変の要訣である。人生生活を完成する命の力の使い方も亦これ以外にない

*二一日 大定心

大定心と云うのはどんな時どんな事にも些かも動揺せぬ心、言い換えると如何なる場合に怯じず怖れず急がず焦らず何時も淡々として極めて落ち着いている心である。此れをもっと適切な状態で云えば何事も無い時の心と同様の心の状態である。あの古い句で有名な「湯上りの気持ちを欲しや常日頃」というのが此の心持を最も真実に形容表現している。要するに何事も無い時の平静の心こそ大定之心也と云う事である。

*二四日 心や肉体が自己ではない

心や肉体が人間=自己に対してどんな関係にあるかについて説明しよう。心や肉体は人間そのもののように見えるが実はそうではなく、人間がこの世に活きるのに必要な色々な方便を行うための道具と云う関係である。哲学的に言えば心や肉体は人間の個体生命の生存と生活を確保存続させるに必要な不可分的生命付属物なのである。故に心や肉体は人=自己ではなく益してそれが人=自己の本体ではないのである。

*二七日 思考の客観的批判

兎に角お互いに真理に則って正しい向上への人生を建設し様と云う者は、自己の心の行う思考状態の客観的批判を刹那刹那実行する位の余裕を心にもたして活きるのが、本当に生活を味わい得る貴重な人生真理だと悟らなければならない。そしてその余裕を現実に心に創る事を常住の心掛けとすべきである。

*二九日 人間の死と云うもの

たった一つの宇宙の根本が産出したものが森羅万象である。従って一切の森羅万象と称するものは宇宙根本のエネルギーの分派によって創られている。形がつまり目の前にあると云うのは宇宙根本の力がまだ籠っているからである。その力が抜けてしまえば形を現象界から消して根源要素に還元しなければならない。人間死と云うのもそう云う事なのである。

*三一日 つまらない考え方

心の弱い卑怯な人に為ると何か自分には運命が向いていないだとか、世間がまだ本当に認めてくれないだとか、最呆れた奴に為ると整備が整っていないだとか誰々が手伝ってくれないとか、何か上手くいかない時に自分以外のものの所為にする人がいますがとんでもない了見違いですよ。やれ運命が詰まらないの人生が詰まらないのって人はその考え方が詰まらないんです。いいですか幸福も健康も成功も他にあるんじゃないんですぜ。貴方方自身の中にあるんだぜ。

凡人が思う法華経の世界

再録です(若干訂正をくわえました)

法華経の世界とはいったいどんな世界なのでしょうか?

法華経には法華経それ自体の経文は書かれていないという方がいらっしゃいます。いわば法華経の宣伝パンフレット。法華経の中では肝心の中味は語られていず素晴らしい教えだとだけ伝えるいわば偉大なる予告編だということです。(井沢元彦-逆説の日本史)

経文の字面だけをおっていけば確かにそう思えないこともありません。

左脳で思考を重ねる頭脳明晰なインテリジェンスが多く陥り易い考えなのかもしれません。

これは現代に限ったことではなく、江戸時代の明晰な頭脳の持ち主、名僧白隠禅師も、若いころは法華経をあまり重要視はしていなかったようです。しかし、伝記によると40歳を過ぎたころのある秋の日暮れ、弟子に法華経譬喩品を看経させていた折、聞こえてくる螽斯(蛬⁻コオロギ)のすだく声に触発さたかのように、突然に法華経の世界が目の前に広がり忽ち開悟したといわれています。

その時、白隠禅師は豁然として現れた法華経王の世界を目の当たりに、感極まって声を上げ大泣きに泣いたと記されています。(紀野一義法華経を読む))

なぜ聖徳太子の時代から現代まで千数百年にわたって、仏教界だけでなく広く文学界にもいろいろな形で影響を与え、一般の人々の間にも読み継がれてきているのでしょう。

法華経には日本人の感性を刺激し、心の奥底に眠っている何ものかを揺さぶり起こすような何かが経文の行間に潜んでいるのでしょうか?

そういう法華経をただ只管に読誦していると時として、凡人でも法華経の世界が垣間見えることがあるらしい。

石原慎太郎氏は決して凡人ではないが、彼もその奥深い深淵にちょっと触れることができた経験があると、彼の著書「法華経を生きる」の中は、その時の経験が書かれています。

凡人もほんとうに切羽詰まったとき、窮地に堕ちいったときなどには、思いもかけない能力を発揮することがあります。そのような状況になったとき常日頃、法華経に親しんでいるとちょっと、その世界を垣間見ることが出来るのかもしれません。また、そこまではっきりではないにしろ知らず知らずに、方向を過たず進むことが出来るのかもしれません。

石原慎太郎氏は東京都知事選に出馬した時にその経験をされた様です。本の内容によりますと出馬を決めた後、いろんなことに思い悩んでいたある日、日課の法華経を開きその比喩品を読誦中、「諸苦の所因は貪欲これ本なり、若し貪欲を滅すれば依止することなし」という経文に至った時、突然のひらめきに襲われ進むべき方向性の決意が固まったというようなことが書かれています。

私は、その後の石原慎太郎氏が長年の都知事の重責を全うされ、逆に後を引き継がれた猪俣氏が途中、金銭スキャンダルで辞めざるを得なくなったという経緯の中に、この法華経の存在がある様な気がしています。

法華経の経文の一字一字のことばの奥に、江戸時代の白隠禅師が感応したような本当の法華経の世界が広がっているのでしょう。それは経文を頭で理解しようとしても見ることは勿論感じる事さえ出来ず、いわば無の心・無の境地に至ったときに屹度忽然としてあらわれてくる世界なのでしょう。

妙法蓮華経普賢菩薩勧發品第二十八

  • 諸仏に御念せらるること
  • 諸々の徳本を植えること
  • 正定聚に入ること
  • 一切衆生を救う心を起こすこと
  • 徳本:仏となる為のあらゆる善を徳といいその根本となる智慧を本という(岩波文庫法華経注より結果としてすぐれた果をもたらす善根功徳のこと。また、功徳の本となる善法のこと。真宗では特に阿彌陀仏の名号をいう。善本。〔伝教大師消息(824‐831頃)〕 〔無量寿経‐上〕
    • 正定聚:必ずさとりを開いて仏になることが 正 (まさ)しく 定 まっているともがら ( 聚 )のこと。 一般には 菩薩五十二位の修道階位の「十信」「十住」「十行」「十回向」「十地」のうちの 十地 の初地である 歓喜地 を正定聚という。 正定聚 とは、 聖道門 仏教では上述のように 菩薩 の修道の階位を表していた。 この 正定聚 、 邪定聚 、 不定聚 の三定聚説を示す語を、御開山は、真仮分判の 名目 として転用して用いられた。人々が悟りを得る可能性を3種類に分けるなかの一つ。必ず仏陀になると決定しているもの。浄土真宗では,阿弥陀仏の救いを信じて歓喜し,疑わない心によって現身に如来に等しい正定聚になりうるとする。

これらの修業を実行すればおのずと法華経の世界へ入ることが出来るということらしいですが、どこかに欲の皮の突っ張った現世利益を待ち望んでいる心が見え隠れしているようでは、到底本当の法華経の世界に入ることなどはできないでしょう。しかし、此れも「凡人の性」、致し方ありません。

凡人にはとても遠い世界のように思えてきますが、それでも法華経は読み続けて行こうと思っています。いつしか、その世界の片鱗にだけでも触れることが出来ることを願って・・・

等覚一転名字妙覚 なることを信じて❕❕

担当:野尻研究員

法華経陀羅尼

陀羅尼品第26

【薬王菩薩 陀羅尼呪】

安爾 曼爾 摩祢 摩摩祢 旨隷 遮梨第 賖咩 賖履多瑋 羶帝 目帝 目多履 娑履 阿瑋娑履 桑履娑履 叉裔 阿叉裔 阿耆膩 羶帝娑履 陀羅尼 阿盧伽婆娑簸 蔗毘叉膩 祢毘剃 阿便哆邏 祢履剃 阿亶哆波隷輸地 欧究隷 牟究隷 阿羅隷 波羅隷首迦差 阿三磨三履 仏駄毘吉利袟帝 達磨波利差帝 僧伽涅瞿沙祢 婆舎婆舎輸地 曼哆邏曼哆邏 叉夜多 郵楼哆 郵楼哆憍舎略 悪叉邏 悪叉冶多冶 阿婆盧 阿摩若那多夜

【勇施菩薩 陀羅尼呪】

痤隷 摩訶痤隷 郁枳 目枳 阿隷 阿羅婆第 涅隷第 涅隷多婆第 伊緻柅 韋緻柅旨緻柅 涅隷墀柅 涅犂墀婆底

【毘沙門天王 陀羅尼呪

阿梨 那梨 菟那梨阿那盧那履 拘那履

【持国天王 陀羅尼呪】

阿伽祢 伽祢瞿利 乾陀利 旃陀利摩蹬耆 常求利 浮楼莎柅 頞底 

【‘十羅刹女・鬼子母 陀羅尼呪】

伊提履 伊提泯 伊提履 阿提履 伊提履 泥履 泥履 泥履 泥履 泥履 楼醯 楼醯 楼醯 楼醯 多醯 多醯 多醯 兜醯 莬醯

さくらみみ(=^・^=)💞

NPO法人あおぞら blogupより転記

「どうぶつ基金mail」で熊本愛護センターの取り組みが紹介されていた。年間1500匹のTNRさくら猫を目標として無料手術を実施するらしい。TNRだけが問題解決ではないでしょうが、やはり環境保全の為にも大きな取り組み、北九州市は如何いう取り組みをしているのでしょうか。ボランティア任せなのかな。
特に北九州の場合は高齢化が顕著となってきている昨今、TNR問題だけでなく高齢者の飼えなくなったペットの行先や、一時預かりの必要性も喫緊の事案だと思いますが・・
さてさてこれもボランティア任せなのでしょうか。

同じ九州でも熊本や宮崎の様な積極的な取り組みの行政の在り方と大分違うようですね。
はっきり言えば一歩も二歩も愛護活動に関して後れを取っているということの様に見えます。何か前向きに取り組めない障害となる理由でもあるのでしょうか? 不思議ですね~(=^・^=)

どうぶつ基金さん提供

どうぶつ基金さんの活動

さて、本日は熊本市の新たな取り組みをご紹介します。
「さくらねこ」を知っている人も知らない人もぜひ読んでほしい、
そして多くの方に教えてあげてほしい取り組みです!

耳先を桜の花びらのようにV字型にカットされた猫を見たことがありますか?
V字型のカットは「この猫は不妊手術済です」というしるし。
彼らは「さくら耳」を持つ「さくらねこ」たちです。

「さくらねこ」は「TNR(ティーエヌアール)」という活動から誕生します。
野良猫がこれ以上増えて地域の人たちに迷惑をかけないよう、

つかまえて(TRAP)
不妊去勢手術をして(NEUTER)
元いた場所に戻す(RETURN)

この3つの英語の頭文字を並べて「TNR(ティーエヌアール)」と呼んでいます。 手術で麻酔が効いている間に耳先をVカットするので痛みはありません。

私たち「どうぶつ基金」は、これまでに全国の行政やボランティアと協働して
約30万頭の「さくらねこTNR」を行ってきました。
元の場所に戻された「さくらねこ」は、夜中のさかり声やケンカが減り、 マーキング(縄張りを誇示するための行動)によるオシッコの臭いも ほぼなくなるので地域の方にも喜ばれます。

耳をカットされるなんて「かわいそう」と思うかもしれませんが、 V字カットの「さくら耳」がなければ、 もう一度つかまって麻酔や手術をされるリスクがあります。 「さくらねこ」にとっては “大切なしるし” なのです。

どうぶつ基金さん提供

猫を嫌がる人のほとんどは猫被害が嫌なだけ。
猫が大嫌いな訳ではありません。
穏やかな性格になった「さくらねこ」は地域の愛され 猫になっていきます。

そんなTNRの効果に着目した熊本市。
どうぶつ基金が公募していた「TNR地域集中プロジェクト」に 熊本市自ら手を挙げて参加が決定、どうぶつ基金との協働のもと 熊本市動物愛護センター内に「どうぶつ基金病院・熊本」を設立。
2022年4月から一年間にわたって、毎月3日間、無料で不妊手術を行ってきました。

期間中は、どうぶつ基金の山口武雄獣医師が 熊本市動物愛護センターの獣医師さんにマンツーマンで技術指導します。
これは、どうぶつ基金とのプロジェクトが終わっても、 行政が独自に不妊手術を続けられるようにするプログラムです。

この技術指導のプログラムによって、 これまで手術の経験がほとんどなかった熊本市動物愛護センターの獣医師さんは、 1人で1日25頭もの不妊手術がこなせるエキスパートになりました!
1年間の技術指導を経て、熊本市動物愛護センターは今年度から自走し、週2、年間1,500頭を目標として無料不妊手術がスタートしています。
熊本市のお住まいの皆さん。
近くにまだ「さくらねこ」になっていない野良猫がいたら、 熊本市動物愛護センターに相談してください!

「さくらねこ」は一代限りの命。
もし見かけたら、やさしく見守ってください。
みんなで「日本一猫にやさしい熊本」にしましょう!

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 発行所 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【二月の言葉】

*一日 苦しみを微笑みに変えて

悲しい事や辛い事があった時すぐ悲しんで辛がってちゃいけないんだよ。そう云う事があった時すぐに心に思わ占めねばならない事があるんだ。其れは何だと云うと総ての消極的な出来事は我々の心の状態が積極的に成るともう人間に敵対する力が無くなってくるものだと云う事。だからどんな場合にも心を明朗に一切の苦しみを微笑みに変えて往く様にしてご覧そうすると悲しい事辛い事の方から逃げていくから。

*四日 生命の強度を保つ

複雑多端なる人生に於いて常に多種多様の病的刺激や健康生活を破壊する障害が文化が進程色々と形を変えて増殖してくるのは必然である。唯漫然と我意の赴く儘に生活していれば刺激や障害に抵抗できず病弱になる。まして人間の生命は発育期間を過ぎれば年と共に衰退していくのは当然である。然しその衰退の速度を幾分でも緩和防止して活きてこそ聡明な人生態度だと云えるのだ。常に肉体生命の強度を積極化すべく訓練的の方法を持って生活する事である。

*六日 言葉を選択しよう

人間が人生に生きる場合に使う言葉を選択しなきゃ駄目なんですよ。一言一言に注意してもいい位いくら注意しても貴方方はヒョイと気付かずに消極的なことを言ってますぜ。兎に角習いは性でありますから人と口を聞く時でも参ったへこたれた助けてくれ困っちゃった何て事は云わない事。飽く迄も自分の心と云うものを颯爽溌溂たる状態にしておく為には今言った様な消極的な否定的な言葉は断然用いない事。

*七日 天風式クンバカハ法

腹が立つ事心配な事怖ろしい事、何かにつけて感情の刺激衝動を心に感じたらすぐ肛門を締めちまう。そしてお腹に力を込めると同時に肩を落としちまうんだ。この三か所がそうした状態にされた時に初めて感情や感覚の刺激衝動が、心には感じても神経系統に影響を与えないと云う所謂影響を減ずる効果がある。

*九日 考え方が人生を分かつ

心が積極か或は消極かで人生に対する考え方が全然両極端に相違してきてしまう。心が積極的であれば人生はどんな場合も明朗颯爽溌溂、勢いの満ち満ちたものになりますけれども反対に消極的だと、人生の総てがずっと勢いを失くしてしまいます。人生を考える自分の心が消極的だと総てが哀れ惨憺光の無い惨めなものに終わりゃしませんか。人生がたった一回である以上たった今からでも出来得る限り完全な状態で生化さなければいけません。

*十二日 生命の力

人生設計に絶対的に必要とする声明の力とはどんなものかと云うと次の六つに分類する事が出来る①体力②胆力③精力④能力⑤判断力➅断行力である。此の六つの力の何れかひとつでも欠乏しまた不完全であると、人生の根本理想は根底から覆される事になるのは必至であるのを見逃すことは出来ない。

*十四日 認識力の養成と自己統御

認識力の養成と云う事と自己統御と云う事は一体どんな関係があるのだろうか。是を簡単に説明すれば認識力を適当に涵養しないと心の固有する知覚作用が正確さを失い、その当然の帰結として正しい自覚とか或は悟りとか亦は第六感と云う様な、所謂高級意識に属する精神作用が低調に成り、牽いては完全な自己統御と云う事が充分よく行えなくなると云う人生に対する重大な事実があるのである。

*十八日 清濁併せ呑む寛容さ

例え自分自身の心が積極心になり得たとしても、自己の心の状態を基準にして他人の心を推し量る事が在っては絶対にいけない。より分かり易く言うと自分に対しては常に厳しくあらねばならないが、是を他人に押し付けてはいけないのである。即ち他人に対しては清濁併せ呑むと云う寛容さを持つ事である。若しもこれを失うと他人との勝ち負けに拘る心が瞬時に顕れて来て積極心の保持を妨害するからである。

*十九日 睡眠について

睡眠を真に催した時に睡眠し然らざる時には睡眠するべく無駄な努力を為さぬのが最も聡明である。色々の方法や手段を講じて無理にも眠ろうと彼是と種々の努力をしても中々思うように眠れないものである。其れは何とか眠ろうと焦れば焦る程神経が興奮する爲で、その上に懸る無駄な努力をすると勢力の二重疲労を将来する結果に陥るのである。

*二二日 悟りについて

悟りと云うのは自分の心が真理を感じたときの状態を言うのである。従って真理を自分の努力で自分の心で感じるのも人の悟りを耳から聞いて自分の心に受け入れるのも、受け入れ方に相違があるだけである。受け取って仕舞えばその結果は同じである。真理を受け入れる時の心の状態が悟りを開く上に密接な関係であるからこそ安定打坐で心を綺麗にさせているのである。

*二四日 私心無き言行

人と人との世界に活きるお互い人間はどんな場合にもお互いの間柄を天風教義のディクラレーション(宣言)にも宣言してある通り、常に如何なる場合にも偏りのない公平な美しい愛情と真の誠実さを心として、貴い思い遣りで助け合うと云う所謂文字通り親切本意で共に生きる事が最高の理想で有らねばならない。しかも其れを真に実現化するには要するに私心の無い言行が何を於いても必要とされる。

*二七日 内省検討

日常の人生を生きる際にどんな些細な人事世事に対しても、今現在の自分の心は積極的かしらん消極的かしらんと云う事を厳格に第三者の心になって、常に検討することが必要なのであります。そして少しでも自分の心の中に消極的なものを感じたならば断然それを心の中から追い出してしまわなければいけない。己の心の中にあるものは己の心を明るく朗らかにするもの已と云う心掛けが必要なんです。

*二八日 不平不満を口にしない

どんな場合があっても不平不満を口にしない事。此の不平不満がここの中にあるとどうしてもその言葉が積極的に成りません。不平不満のある人は始終上ばかり見て舌を見ないでいる。傍は皆幸福で自分だけがこの世の中で一番不幸な人間のように考えている。この考え方から出てくる言葉は必ず未練で有愚痴でありもう価値のない世迷言だけである。

安心脱生死大丈夫

「好きな言葉―年の初めに」

安心脱生死大丈夫

ー物事に捉われない自然な心で、生とか死とかも超越して佛の道を行うー

作家新井英生解より

意味はともかくこのような境地に到達できるのはやはり仏道と云うか禅の神髄を極めたものでなければいきつくことができないもの、私どもには到底計り知れない世界、唯、何となく感じるだけと云う事になりますが、この言葉の持つ力強さ、言葉の響き・迫力が何とも心地いい感じで好きな言葉のひとつです。

この言葉どういう状況で使われたのかと云う事は、プレジデント社出版の経済経営雑誌「プレジデント」の古い号の特集記事「仏典のこころを読む」(1991年7月号)の中で作家新井英生が「井伊直弼と正法眼蔵―受身捨身ともに布施―が支えた開国の決断」と云う小文で、紹介しています。

幕末近い江戸末期、彦根藩菩提寺、曹洞宗清涼寺、住職仙英禅師が当時不遇時代を経て彦根藩主となり幕府の要職に就いていた、仏門の弟子でもある井伊直弼より第一回ペリー来航(1853年嘉永5)の問題に関して書状が届いた。

その書状に対し仙英禅師が与えた返信書状の中に説かれていた詞。

直弼は不遇時代、文武両道に励み仏道においては仙英禅師の薫陶を受け三関六転語という禅の公案の難問をすべて解き、印可を受ける程の精神的高みにまで達していたとのこと。

禅師より印可を頂けるほどの域に達していたはずの直弼もやはり国家の一大事、ペリー来航開国要請に際しては判断に些かの迷いが生じたのでしょう。

書状を以て師である仙英禅師に、二度と来航しない様、祈祷してくれないかと懇願しています。

この書状に対する仙英禅師の答えが、「異国船降伏祈願のことは承知しました。が、今まで禅の修業を積んで難問の三関六転語の真理を悟っているはずの、御前(直弼)であれば究極の秘法を収めていると同じ事、「安心脱生死大丈夫」の境地で乗り切れるのでは」と直弼へのエールを送っています。

この言葉を戴いた直弼は一瞬にして気づく処があったようで、迷いを絶ち数ケ月前までの攘夷論を覆し、開国を奏上し国家未曾有の外交的窮状を救い、日本の未来を切り開く結果となったのはその後の歴史で周知のとおり。

その後、直弼はご存じの様に桜田門外で水戸浪士の襲撃を受け(安政7年3月3日・1860年3月24日)一命を落とす事となりましたが、其れは勿論、開国論に踏み切った当時から覚悟の上のことだったようです。

開国奏上を行った2年後一時彦根藩へ戻った直弼は「戒号宗観院暁覚翁大居士」と認めた自筆の書を他の書状と共に側役の三浦何某に預けたとの事、此れは現在も井伊家に桐箱に収められて厳重に封印され保管されているそうです。

其れが所謂、禅の奥義を極め、道元禅師の「正法眼蔵」を熟読していた直弼の最終的な選択。此の小文の副題に掲げられている「受身捨身ともに布施」と云う覚悟、国家安寧の為に一命を賭すと云う想いだったのでしょう。

書状のそのやり取りの部分を引用しますと

(ペリー再来航を苦慮している最中の手紙のやり取りの一部分です)

直弼、仙英禅師への書状「・・・以後異船之渡来無之様祈念致外無之・・大和尚之御了簡以竊御祈祷希上度候云々

・・イゴ、イセンノトライ コレナキヨウ、キネンイタスホカコレナク・・・ダイオショウノゴリョウケンヲモッテ、ヒソカニ、ゴキトウネガイアゲタクソウロウ・・

仙英禅師返状「・・・抑仏道之秘術密法之降伏一切大魔最勝成就申候御前先年御修終被遊三関六転語之外別無御座候凡王道神道佛道武道儒道惣萬億之秘術密法修業申悉皆極中極至候安心脱生死大丈夫外更無之事存候云々

・・ソモソモ、ブツドウ、コレヒジュツミッポウノ、イッサイダイマサイショウ ジョウジュ、トモウシソウロウハ、ゴゼンセンネン、ゴシュウシュウコウムリアソバサレシ、サンセキロクテンゴ ノホカ、ベツニナクゴザソウロウ オホヨソ、オウドウ・シントウ・ブツドウ・ブドウ・ジュドウ、ソウジテ、マンオクノ、ヒジュツミッポウシュギョウトモウスハ、コトゴトク ミナ、ゴクチュウゴクニ、イタリソウロウハ、アンシンダツショウジダイジョウブ ノホカ、サラニ コレナキコトト ゾンジソウロウ・・

私は、この言葉をメモとして使っている日記帳、3冊目の5年ダイアリー(2019―2023)の表紙の内側に書いていましたが、今年からの新しいダイアリー(2024-2028)にも記しておく事といたしました。好きな言葉ですが、その境地に至ることなど端から到底無理な話かもしれません。が然し、この言葉を事あるごとに眺める事で少しは気持ちの整理もつくのではと密かに思い描いています。

NETから

因みに大丈夫とは、間違いない、あぶなげない、非常にしっかりしている様子を意味しています

もともと、大丈夫は人のことを指しています。丈夫、つまり、ますらお、男子をほめていう言葉ですから、偉大な人、りっぱな人、しっかりした人のことをいいました。この言葉が仏教に取り入れられました。

仏法的には 

「仏」を意味する十種の呼び名(仏の十号)の中に、「調御丈夫(じょうごじょうぶ)」―法華経にもよく出てくる言葉ですーというのがあり、また、『華厳経』に、「もし諸の菩薩この法に安住すれば即ち大丈夫の名号を得ん」とあります。

このような人は、たよりがいがあり、間違いもないところから、いまのように用いられるようになったのですね。しかし、ほんとうの意味で大丈夫なのは、やっぱり仏さまと云う事になりますか。

感じる事

華厳経と云えば、鎌倉時代の華厳宗の高僧明恵上人の言葉「あるべきやう」と云う言葉があります。

また、江戸時代中期の良寛禅師には「災難に逢う時節は災難に逢うが能く、死ぬ時節には死ぬが能く候是は此れ災難を逃るる妙法にて候」と云う言葉があるそうです。

何れも物事に捉われず自然に生きる生き方を示唆した言葉で、此の「安心脱生死大丈夫」と究極として通ずる言葉だと思います。その境地に到達するのは至難の業ではありますが・・・

言葉の意味は

三関六転語

仙英禅師が直弼に与えた禅の公案の六つの問題―「南泉三不是」と「高峰六転語」を授けたもの

中国唐代の高僧南泉が「仏とは心であり、又宇宙に存在するあらゆる物でもある。然し、仏とか心とか物に執着すれば却って言葉に捉われ道を誤る」即ち「不是心・不是佛・不是物」であると説いたのが三不是

高峰六転語とは同じく唐代禅僧高峰禅師が弟子を試すのに「三関」と云われる公案を与えた。転語とは禅師が学人の低迷を打破し修業に飛躍(転機)を促すために与える語のこと、で直弼が禅師から与えられた六転語の前半が三関と云われる公案

内容は

 大撤人元脱生死 依何命根不断

(ダイテツノヒトハ、モトショウジヲダッス ナンニヨツテ、ミョウコンヲタタズ)

☞ 生死を超越したものが何故命を惜しむのか

仏祖公案元一箇道理 依何在明輿不明

(ブッソノコウアンハモトイツコノドウリ ナンニヨリテメイトフメイトアリ)

 ☞ 心理は一つなのにどうしてあれこれ言うのか

 大修業人元可遵佛行 依何不守毘尼

(ダイシュギョウノヒトモトブツギョウニシタガウベシニ ナンニヨツテカダニヲマモラズ) ☞ 仏の道を修めたものが何故色香に迷うのか

 杲日当空無所不照 依何被遮却片雲

(コウジツソラニアレバマサニテラサヌトコロナシ ナニニヨツテカヘンウンニサエギラル ☞ 晴天白日が何故一片の雲に遮られるのか

 人々有箇影子 依何蹈不着

(ヒトビトニコノエイシアリ ナニニヨツテカフミツカズ)

 ☞ 人はどうして自分の影を踏むことが出来ないのか

 尽大地這箇火坑 得什什麼三昧不被焼却

(コトゴトクダイチシャコカコウジュウマザンマイヲエテショウキャクサレズ

 ☞火の海の中で如何すれば焼かれずに済むか

※訳は作家新井英生解

因みに直弼の解答は残っていないそうですが其れに添えられた道歌が残っているとの事です。其れは、

大撤人 ☞ わたつみの底には淵も瀬もなくて水のみなかみ常に絶えせず

仏祖公案☞ 池の面におもはず映る影なれば澄むも濁るも月の咎かは 

大修業人☞ 峰の花見つつぞ登る一道は枝折のあとも何にかはせん

杲日当空☞ あやにくに猶むら雲のかかれるはあきらけき日のあればなりけり

人々有 ☞ はかなくも身にそふものと思ふ哉おもひすつればかげもとまらず

尽大地 ☞ 天地も身もはやともに燃えぬるをいまさら何かやかれしもする

と云うものだそうです。

解説には「どの歌も直弼の思考は全く自由無碍、心も又道元が教えるように、何物にもとらわれることなく、在るが儘の当に無我の境地であることが肯ける」とあります。

常人にはやはり計り知れない世界に思え、ただその輪郭がなんとなくぼんやりと見えるかなとおもうくらいですね。

   歴代天皇御製

始めに、明治・大正・昭和のそれぞれの天皇が御詠みになられら和歌を数首づつあげています。出典は其々の最初に記載いたしました。

次に、初代より歴代天皇の御製と、関連の御製をこちらで把握できた分のみ列記しています。当然不完全なものとなっていますが、ご容赦ください。

宇佐神宮

【天皇御製-明治・大正・昭和

皇居二重橋(江戸城)

122代 明治天皇御製  「神ながらの道」 筧克彦教授進講録より (T14版)      在位:慶応3年(1867年)1月9日- 明治45年(1912年)7月30大正元年

  • さだめたる國のおきてはいにしへの聖の君のみ聲なりけり
  • あしはらの國のさかえを祇るかな神代ながらのとしをむかへて
  • 千早振る神の力によりてこそわれをたすくる人も出でけれ
  • 神代よりうけし寶をまもりにて治め來にけり日ノ本つ國
  • 呉竹の世々に傳へて仰ぐかな遠き御祖のみことのりぶみ
  • さくすずの五十鈴の宮の神風の吹きそはる世ぞうれしかりける
  • 葦原のみづほの國のよろづ代もみだれぬ道は神ぞひらきし

123代  大正天皇御製       NET大正天皇御製考 より
在位:大正元年(1912年)7月30日- 大正15年(1926年)12月25 昭和元年

  • みるかぎり波もさわがず大ふねに 心ものりて進む今日かな
  • 軍人力尽くして鳥船の 大空かける時となりにき
  • 鳴神のおと近づきぬ山のはに 一村雲の立つとみしまに
  • あたたけき沼津の野辺を辿りつつ 霞みの奥の 富士を見るかな
  • よさの海の霞みの奥になりにけり さみやかに見えし天の橋立
  • かきくらし雨降り出ぬ人心 くだち行く世をなげくゆふべに
  • 神まつるわが白妙の袖の上に かつうすれ行くみあかしのかげ

124代 昭和天皇御製      短歌-天皇陛下と昭和  (1989年版)
在位:昭和元年(1926年)12月25日[ 昭和64年(1989年)1月7日平成元年

  • あらたまの年を迎へていやますは民をあはれむ心なりけり
  • ふる雪にこころきよめて安らけき世をこそ祈れ神のひろまへ
  • あめつちの神にぞ祈る朝なぎの海の如くに波立たぬ世を
  • 静かなる神のみそのの朝ぼらけ世のありさまもかかれとぞ思ふ
  • 戦のわざわひうけし国民をおもふ心にいでたちて来ぬ
  • ああ広島平和の鐘も鳴りはじめたちなほる見えてうれしかりけり
  • 雨にけぶる神島を見て紀伊の國の生みし南方熊楠をおもふ
  • わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり
  • さまざまの草木をみつつ歩みきて牧野の銅像の前に立ちたり
  • 長崎のあがたの山と海の辺にわかうどきそふ秋ふかみつつ

【歴代天皇御製&関連】

日本の神話(1):大和王権が語る“歴史の起源” | nippon.com
古事記上中下

初代 神武天皇    (含久米歌)⇒古事記 
在位:神武天皇元年1月1日ー- 同76年3月11日 (日本書紀)

  • 宇陀の 高城に 鴫罠張る 我が待つや 鴫は障らず いすくはし 鯨障る 前妻が 菜乞はさば 立そばの 実の無けくを こきしひゑね 後妻が 菜乞はさば いちさかき 実の大けくを こきだひゑね ええ しやこしや こはいのごふぞ ああ しやこしや こはあざわらふぞ
  • みつみつし 久米の子等が 粟生には 臭韮一茎 そ根が茎 そ根芽繋ぎて 撃ちてしやまむ
  • 神風の伊勢の海の 大石には 這ひもとほろふ 細螺の い這ひもとほり 撃ちてしやまむ
  • 楯並めて 伊那佐の山の 樹の間よも い行きまもらひ 戦へば 我はや飢ぬ 島つ鳥 鵜飼が徒トモ 今助けに来ね
  • 葦原のしけしき小屋に菅畳 いやさや敷きてわが二人寝し

10代 崇神天皇     日本書記
在位:崇神天皇元年1月13日ー同68年12月5日(『日本書紀』)

  • 味酒三輪の社殿の朝戸にも押し開かね三輪の社殿戸を

12代 景行天皇     日本書記
在位:景行天皇元年7月11日ー 同60年11月7日(『日本書紀』)

  • 愛しきよし吾ぎ家の方ゆ雲ゐ立ち来も倭は国のまほらば立たなづく青垣山籠れる倭し麗し命の全けむ人は畳薦平群の山の白がしが枝を髻華に挿せ此の子

*  倭健命后弟橘姫 古事記

  • さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君かも

* 日本武尊命  古事記

  • 倭は国のまほろば青垣山隠れる倭しうるわし
  • 命のまたけむ人は たたみこも平群の山の 熊白檮が葉を髻華ウズに挿せその子

* 神功皇后  古事記

  • この御酒はわが御酒ならず酒の司常世に居ます石立たす少名御神 寿き 寿きくるほし豊寿き寿きもとほしまつりこし 御酒ぞあさずをせ ささ

15代 応神天皇 古事記 
在位:応神天皇元年1月1日ー 同41年2月15日(『日本書紀』)

  • 千葉の葛野を見れば百千足る家庭ヤニワも見ゆ国のほも見ゆ

16代 仁徳天皇 古事記
在位:仁徳天皇元年1月3日- 同87年1月16日(『日本書紀』)

  • 沖へには小船連ららくくろざやのまさづこ我妹国へ下らず

17代 履中天皇 古事記
在位:履中天皇元年2月1日- 同6年3月15日(『日本書紀』)

  • 多遅比野に寝むと知りせば立薦も持ちて来ましもの寝むと知りせば

19代 允恭天皇 日本書紀
在位:允恭天皇元年12月- 同42年1月14日(『日本書紀』)

  • 細紋影ササラガタ錦の紐を解きさけて数多は寝ずにただ一夜のみ
  • 花ぐはし桜の愛で此と愛でば早くは愛でず我が愛でる子ら

21代 雄略天皇 万葉集
在位:安康天皇3年11月13日- 雄略天皇23年8月7日(『日本書紀』)

  • 籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも

23代 顕宗天皇 日本書記
在位:顕宗天皇元年1月1日- 同3年4月25日(『日本書紀』)

  • 石上振るの神椙本伐り末截ひ市辺宮に天下治しし天万国万押磐尊の御裔僕ら イソノカミフルノカミスギモトキリスエオシハライ イチノヘノミヤニアメノシタシロシシ アマノノヨロズクニヨロズオシイワノミコトノ ミアナスエヤツコラ

25代 武烈天皇 日本書記
在位:仁賢天皇11年12月- 武烈天皇8年12月8日(『日本書紀』)

  • 琴かみに来ヰる影媛玉ならば 我がる玉の鮑白玉
三輪の大鳥居

33代 推古天皇 日本書記
在位:崇峻天皇5年(592年)12月8日- 推古天皇36年(628年)3月7日

  • 真蘇我よ 蘇我の子らは 馬ならば 日向の駒 太刀ならば 呉の真刀マサヒ 諾ウベしかも
  • 蘇我の子らを 大君の 使はすらしき

*  聖徳太子 日本書記

  • しなてる 片岡山に 飯イヒに餓エて 臥コヤせる その旅人あはれ 親無しに 汝生ナレナりけめや さす竹の 君はや無き 飯に餓て 臥せる その旅人あはれ

34代 舒明天皇 万葉集
在位:舒明天皇元年(629年)1月4日- 舒明天皇13年(641年)10月9日

  • 大和には群山あれどとりよろふ天の香久山登り立ち
  • 国見をすれば国原は煙立ち立つ海原は鷗立ち立つうまし国ぞ蜻蛉嶋大和の国は

37代 斉明天皇(⇒額田王) 万葉集
在位:斉明天皇元年(655年)1月3日- 同7年(661年)7月24日

  • 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎいでな

38代 天智天皇 万葉集⇒後撰集(※百人一首)
在位:天智天皇7年(668年)1月3日- 同10年(671年)12月3日

  • 秋の田の仮庵の庵のとまをあらみ わが衣手は露にぬれつつ
  • 高(香久)山は畝傍雄男しと耳梨と相争ひき神代よりかくなるらし
  • 古へも然なれこそうつせみも嬬を争ふらしき(-万葉集三山歌)

40代 天武天皇 万葉集
在位:天武天皇2年(673年)2月27日- 朱鳥元年(686年)9月9日

  • み吉野の耳我の嶺に時無くぞ雪はふりけるまなくぞ雨はふりける その雪の時なきがごと
  • その雨のまなきがごと隈クマもおちず思ひつつぞ来しその山道を
  • 淑きひとの良しと吉く見て好しと云ひし芳野吉く見よ良き人よくみ

41代 持統天皇 万葉集(※百人一首)
在位:持統天皇4年(690年)1月1日- 持統天皇11年(697年)8月1日

  • 春過ぎて夏来るらし白妙の 衣干したり天の香来山
  • いなと言へど強ふる志斐シヒのが強語シヒカタリこのごろ聞かずて我恋ひにけり(万3-236)
  • 北山にたなびく雲の青雲の星離サカり行き月も離りて(万2-161)
  • 燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずや面智男雲(万2-160)

42代 文武天皇 万葉集1-74
在位:文武天皇元年(697年)8月1日- 慶雲4年(707年)6月15日

  • み吉野の山の下風アラシの寒けくにはたや今夜コヨヒも我が独り寝む
  • 龍田河もみぢみだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ(古今283)

43代 元明天皇 万葉集
在位:慶雲4年(707年)7月17日- 和銅8年(715年)9月2日

  • ますらをの鞆の音すなりもののふの 大まへつぎみ楯立つらしも

44代 元正天皇 万葉集8ー1637
在位:霊亀元年(715年)9月2日- 養老8年(724年)2月4日

  • 幡ハタすすき尾花逆葺サカフき黒木もち造れる屋戸は万代までに

45代 聖武天皇 万葉集
在位:神亀元年(724年)2月4日- 天平感宝元年(749年)7月2日

  • 妹に恋ひあ吾の松原見渡せば潮干の潟に鶴鳴き渡る(万9-1030)
  • 橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木(万6-1009)
日本が誇る世界遺産 東大寺の大仏 - Tripa(トリパ)|旅のプロがお届けする旅行に役立つ情報
奈良東大寺大仏

51代 平城天皇 古今和歌集90
在位:延暦25年(806年)3月17日- 大同4年(809年)4月1日

  • ふるさととなりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり

57代 陽成天皇 後撰集(※百人一首)
在位:貞観18年(876年)11月29日- 元慶8年(884年)2月4日

  • 筑波嶺のみねより落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる

58代 光孝天皇 古今和歌集(※百人一首)
在位:元慶8年(884年)2月5日- 仁和3年(887年)8月26日

  • 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ

59代 宇多天皇 万代集
在位:仁和3年(887年)8月26日- 寛平9年(897年)7月3日

  • 春風の吹かぬ世にだにあらませば心のどかに花は見てまし

60代 醍醐天皇 新古今和歌集 163
在位:寛平9年(897年)7月3日- 延長8年(930年)9月22日

  • かくてこそ見まくほしけれ万代をかけてにほへる藤浪の花

62代 村上天皇 新古今和歌集 1256
在位:天慶9年(946年)4月20日- 康保4年(967年)5月25日

  • 逢ふことははつかにみえし月影のおぼろけにやはあはれとも思ふ

64代 円融天皇 新古今和歌集 381
在位:安和2年(969年)8月13日- 永観2年(984年)8月27日

  • 月かげの初秋風とふけゆけば心づくしに物をこそ思へ(円融院)

65代 花山天皇 風雅集 202
在位:永観2年(984年)8月27日- 寛和2年(986年)6月23日

  • あしひきの山に入り日の時しもぞあまたの花は照りまさりける(花山院)

67代 三条天皇 後拾遺集(※百人一首)
在位:寛弘8年(1011年)6月13日- 長和5年(1016年)1月29日

  • 心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな

69代 後朱雀天皇 後拾遺 604
在位:長元9年(1036年)4月17日- 寛徳2年(1045年)1月16日

  • ほのかにもしらせてしがな春霞かすみのうちにおもふ心を(後朱雀院)

71代  後三条天皇
在位:治暦4年(1068年)4月19日- 延久4年(1072年)12月8日

  • 思ひ出でば同じ空とは月を見よ ほどは雲居にめぐりあふまで
厳島神社(宮島@広島)の料金(拝観料)と参拝時間。初詣の時は注意 | Japan News Degital
安芸厳島神社

72代 白河天皇 後拾遺 379
在位:延久4年(1072年)12月8日- 応徳3年(1086年)11月26日

  • 大井川ふるき流れをたづねきて嵐の山のもみぢをぞ見る(白河院)

73代 堀川天皇 千載集 611
在位:応徳3年(1086年)11月26日- 嘉承2年(1107年)7月19日

  • 千歳まで折りて見るべき桜花梢はるかに咲きそめにけり

74代 鳥羽天皇 千載集 1052
在位:嘉承2年(1107年)7月19日- 保安4年(1123年)1月28日

  • 心あらば匂ひを添へよ桜花のちの春をばいつか見るべき(鳥羽院)

75代 崇徳天皇 詞花集(※百人一首)
在位:保安4年(1123年)1月28日- 永治元年(1141年)12月7日

  • 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ

77代 後白河天皇 千載集 797
在位:久寿2年(1155年)7月24日- 保元3年(1158年)8月11日

  • よろづ代をちぎりそめつるしるしにはかつがつけふの暮ぞ久しき                 (後白河院)

82代 後鳥羽天皇 続後撰集(※百人一首)
在位:寿永2年(1183年)8月20日- 建久9年(1198年)1月11日

  • 人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑに物思ふ身は

83代 土御門天皇 続古今和歌集
在位:建久9年(1198年)1月11日- 承元4年(1210年)11月25日

  • 朝あけの霞の衣ほしそめて春たちなるる天のかぐ山 
  • 百敷の庭の橘おもひ出でてさらに昔をしのぶ袖かな(御集)

84代 順徳天皇 続後撰集(※百人一首)
在位:承元4年(1210年)11月25日- 承久3年(1221年)4月20日

  • ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり

88代 後嵯峨天皇 続拾遺集 44
在位:仁治3年(1242年)1月20日- 寛元4年(1246年)1月29日

  • 袖ふれば色までうつれ紅の初花染めに咲ける梅が枝

89代  後深草天皇 
在位:寛元4年(1246年)1月29日- 正元元年(1259年)11月26日

  • 石清水ながれの末のさかゆるは こころの底のすめるゆゑかも

90代 亀山天皇 新続古今和歌集 
在位:正元元年(1259年)11月26日- 文永11年(1274年)1月26日

  • かざし折る三輪の檜原の杉の葉や年ふる色のしるしなるらむ (亀山院)
  • あまつかぜ空にたちつつあらかねの土の色にぞ秋もみえける(嘉元百首)

91代 後宇多天皇 新千載和歌集 534 
在位:文永11年(1274年)1月26日- 弘安10年(1287年)10月21日

  • 長月や雲ゐの秋のこととはん昔にめぐれ菊のさかづき

92代 伏見天皇 玉葉集 
在位:弘安10年(1287年)10月21日- 永仁6年(1298年)7月22日

  • 春きぬと思ひなしぬる朝けより空も霞の色になりゆく

93代 後伏見天皇 玉葉集 
在位:永仁6年(1298年)7月22日- 正安3年(1301年)1月22日

  • あらち山夕こえくれてやたの野の浅茅かりしき今宵かもねむ (後伏見院)
  • 花鳥のなさけまでをぞ思ひこむる夕山ふかき春のかすみに(風雅集44)

94代 後二条天皇 続千載和歌集 1639 
在位:正安3年(1301年)1月22日- 徳治3年(1308年)8月25日

  • しぐるらし紅葉の錦しきしまの山どりのをのなが月の空 (後二条院)
  • 難波潟あしべはるかに晴るる日は声ものどかにたづぞ鳴くなる

95代 花園天皇 風雅集
在位:延慶元年(1308年)8月26日- 文保2年(1318年)2月26日

  • 龍田川もみぢ葉ながるみよしのの吉野の山に桜花咲く (花園院)
  • 羽音してわたるからすのひと声に軒ばの空は雲あけぬなり

96代 後醍醐天皇 (南朝1代) 続千載和歌集 14
在位:文保2年(1318年)2月26日(元弘元年(1331年)9月20日南北朝分裂)
– 延元4年(1339年)8月15日

  • おしなべて空にしらるる春の色をおのがねのみと鶯ぞなく
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吉野山全景

97代 後村上天皇(南朝2代) 新葉和歌集 612
在位:延元4年(1339年)8月15日- 正平23年(1368年)3月11日

  • 行末を思ふもひさし天つ社くにつ社のあらんかぎりは

99代 後亀山天皇(南朝4代) 宗良親王千首奥書
在位:弘和3年(1383年)10月- 元中9年(1392年)閏10月5日

  • みよし野の滝のしら玉数そひてかつちる花にはる風ぞふく

* 北朝1代 光厳天皇 風雅集 129
在位:元徳3年(1331年)9月20日- 正慶2年(1333年)5月25日

  • つばくらめ簾の外にあまたみえて春日のどけみ人影もせず

* 北朝2代 光明天皇 風雅集 762
在位:建武3年(1336年)8月15日- 貞和4年(1348年)10月27日

  • 霜こほる竹の葉わけに月さえて庭しづかなる冬のさ夜中

* 北朝3代 崇光院 菊葉集
在位:貞和4年(1348年)10月27日- 観応2年(1351年)11月7日

  • 紫の袖をつらねし面影のかすみもいくへ今日の初春

* 北朝4代 後光厳天皇 新後拾遺集 209
在位:観応3年(1352年)8月17日- 応安4年(1371年)3月23日

  • 五月雨はあやめの草のしづくより猶おちまさる軒の玉水

* 北朝5代 後円融天皇 新後拾遺集 78
在位:応安4年(1371年)3月23日- 永徳2年(1382年)4月11日

  • 桜花いまや咲くらむみ吉野の山も霞みて春雨ぞふる

100代 後小松天皇 御百首
在位:永徳2年(弘和2年)(1382年)4月11日(明徳3年(元中9年)(1392年)閏10月5日 南北朝統一)- 応永19年(1412年)8月29日

  • 夢にみえ寢覺(ねざめ)に殘りいくたびか 曉たのむ代代のいにしへ
  • しぐれつつくれてきのふの秋篠やと山の雲のうつりやすさよ

101代 称光天皇 砂玉集?
在位:応永19年(1412年)8月29日- 正長元年(1428年)7月20日

  • 思ひそめしあけぼのよりも桜花心うつろふ夕ばえの色

102代 後花園天皇 御集
在位:正長元年(1428年)7月28日- 寛正5年(1464年)7月19日

  • 松ばらの嵐やよわるほの見てし尾上の緑またかすむなり

103代 後土御門天皇 紅塵灰集
在位:寛正5年(1464年)7月19日- 明応9年(1500年)9月28日

  • 朝まだき春のものとて天の原ふりさけみれば霞みそめつつ

104代 後柏原天皇
在位:明応9年(1500年)10月25日- 大永6年(1526年)4月7日

  • から錦もみぢみだれてうづむらんわたらぬ橋の中はたえけり

105代 後奈良天皇
在位:大永6年(1526年)4月29日-弘治3年 (1557年)9月5日

  • 愚なる身も今さらにそのかみの かしこき世世の跡をしぞ思ふ
  • いそのかみふるき茅萱の宮柱 たてかふる世に逢はざらめやは

106代 正親町天皇 御百首
在位:弘治3年(1557年)10月27日- 天正14年(1586年)11月7日

  • 鳴神のただ一とほり一里の風も涼しき夕立のあと
『安土城郭資料館』近江八幡・安土(滋賀県)の旅行記・ブログ by 吉備津彦さん【フォートラベル】
安土城

108代 後水尾天皇 後水尾院御集
在位:慶長16年(1611年)3月27日- 寛永6年(1629年)11月8日

  • 世に絶えし道踏み分けていにしへのためしにもひけ望月の駒

116代  桃園天皇
在位:延享4年(1747年)5月2日- 宝暦12年(1762年)7月12日

  • 身の恥も忘れて人になにくれと 問ひ聞く事ぞさらにうれしき

117代  後桜町天皇  (女帝)
在位:宝暦12年(1762年)7月27日- 明和7年(1770年)11月24日

  • おろかなる心ながらに國民の なほやすかれとおもふあけくれ

118代  後桃園天皇
在位:明和7年(1770年)11月24日- 安永8年(1779年)11月9日

  • のどかなる春を迎へてさまざまの 道榮えゆく御代ぞにぎはふ

119代  光格天皇
在位:明和7年(1770年)11月24日- 安永8年(1779年)11月9日

  • 民草につゆのなさけをかけよかし 世をもまもりの國のつかさは

120代  仁孝天皇
在位:文化14年(1817年)3月22日-弘化3年 (1846年)2月6日

  • 天照らすかみのめぐみに幾代々も 我があしはらの國はうごかじ

121 孝明天皇 
在位:弘化3年(1846年)2月13日- 慶応2年(1866年)12月25日

  • 和らくも たけき心も相生の まつの落葉のあらす栄へむ
  • 武士と こゝろあはしていはほをも つらぬきてまし世々のおもひて
京都御所
※写真はすべてネットより拝借いたしました。