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松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「知識も大事、知恵も大事、才能も大事然し何よりも大事なのは熱意と誠意である。この二つがあれば、何事も成し遂げられる」―人生心得帖よりー

【二月の言葉】

*一日 天は一物を与える

この世に百パーセントの不幸と云うものはない。五十パーセントの不幸はあるけれども半面其処に五十パーセントの幸せがある訳だ。人間は其れに気付かなければいけない。兎角人間の感情というものは上手くいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。是は人間の一つの弱い面だが其れをなるべく少なくして、いつの場合でも淡々とやる。信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。天は二物を与えずと云うが、逆になるほど天は二物は与えないがしかし一物は与えてくれるということが言えると思う。其の与えられた一つのものを大事にして育て上げることである。

*二日 先ず好きになる

好きこそものの上手なれと云う言葉がありますがこれは商売についても当てはまります。商売を繁栄させたいと思えばまず自ら興味を持ち好きになることです。好きになれば努力することが苦にならない。寧ろ楽しくなる。そして唯お義理や飯の種にする為に事を運ぶと云うのではなく、誠心誠意其れに打ち込む。そこにこそ繁栄への一つの道があると思います。適材適所ということが言われますが、私は適材適所とはそういた商売の好きな人が商売に当るということであって、そうなれば千人が千人とも望みを達することも難事ではないと思うのです。

*六日 正しい国家意識

昨今の国際情勢は一方で世界は一つと云いつつも、その一方で各国が過度の国家意識に立ち自国の利害を優先して仕舞う為、対立や紛争が一向に絶えない。それでは日本はどうかと云うと、反対に国家意識が極めて薄い為却って問題が起こっている様である。個人でも正しい自己認識、人生観を生み出し自主性を持って生きていってこそそこに初めて他の人々に対しても奢らず、諂わず仲良く付き合っていける譯である。国でも同じことである。国民が正しい国家意識を持ち、他の国々と交流していくことが大切であろう。過ぎたるもいけないが及ばざるもいけない。

*七日 平穏無事な日の体験

体験と云うものは失敗なり成功為り何か事があった時だけに得られる、と云うものでしょうか。決してそうではないと思います。平穏無事な一日が終わった時、自分が今日やったことは果たして成功だったか失敗だったかを心して考えてみると、あれは一寸失敗だったな、もっといい方法があったのではないか。と云うようなことが必ずあると思います。それについて思いを巡らせば、これはもう立派な体験と云えるのではないでしょうか。形の上での体験だけでなく日々お互いが繰り返しいる目に見えない些細なことも、自らの体験として刻々に積み重ねていく姿勢が大切だと思うのです。

*九日 一歩一歩の尊さ

仕事はいくらでもある。あれも作りたい是も拵えたい、こんなものがあれば便利だ、あんなものも出来るだろうと次から次へと考える。その爲には人が欲しい資金が欲しいと願うことには際限がないが、一歩一歩進むより他に到達する道があろうか。それは絶対にない。やはり一歩一歩の繋がり以外に道はない。坦々たる大道を一歩一歩歩んでゆけばそれでよい。策略も政略もいらない。一を二とし、二を三として一歩一歩進んでゆけば遂には彼岸に達するだろう。欲しいと願う人も一人増えまた一人増えて遂には万と数えられよう。一歩一歩の尊さをしみじみと味わわねばならぬ。

*十日 同行二人

弘法大師さんが開かれた高野山にある霊場に詣でる人々の菅笠には皆一様に同行二人と書いてある。何処にいようと何処に行こうと自分は一人ぼっちではない。何時も御大師様と二人と云う意味である。つまりこれらの信仰三昧の人々の心の中には、今も御大師は生き生きと存在しておられるのである。勿論大師の生身の身体が其の儘ここにあると云う訳ではない。しかし大師は今も猶ここにおわすと感じることまた感じようと努める処に大師の教えが永遠に生きてくることに為る。真理は永遠に生きるということはこんな姿を言うのであろうか。

*十三日 一人の力が伸びずして

自分は一年にどれだけ伸びているか、技術の上に或は社会に対する物の考え方の上に、どれだけの成長があったか、その成長の度合いを測る機械があれば是は簡単に判ります。併し一人一人の活動能力と云うか知恵才覚と云うか、そういう総合の力が伸びているかどうかを図る機械はありません。けれども私は5%なり10%或は15%伸びたと自分で云えるようでないといけないと思います。やはり一人一人が自分の力でどれだけの事をしているかという事を反省してみることが大切です。一人一人の力が伸びずに社会全体の力が伸びると云う事はないと思うのです。

*十五日 自己観照

自省の強い人は自分と云うものをよく知っている。つまり自分で自分を善く見つめているのである。私は是を自己観照とよんでいるけれども、自分の心を一遍自分の身体から取出して外からもう一度自分と云うものを見直してみる。これが出来る人には自分と云うものが素直に私心無く理解できるわけであるこういう人には過ちが非常に少ない。自分にどれ程の力があるか自分はどれ程の事が出来るか、自分の適性は何か自分の欠点はどうした処に在るか、と云うようなことがごく自然に何物にも捉われることなく見出されてくると思うからである

*十十六日 最高責任者の孤独

組織のさお好責任者の立場に立つと部下は勿論、それまで同僚として一緒に働いてきた人々の自分に対する見方が変わってきます。自分は変わらなくとも周りでは見方が変わり、本当のことを言ってくれる親友と云うものは地位が上になればなるほど少なくなると云うのが現実ではないでしょうか。そういう意味で最高責任者は好むと好まざるとに拘らず心の上に色々な淋しさが出てきて、謂わば孤独な立場になるという事が言えます。だからこど所謂声なき声と云うものに耳を傾ける謙虚さと云うものがトップに立つ者にとって究めて大切だと思うのです。

*十七日 死も生成発展

私は人生とは生成発展つまり日々新たの姿であると考えています。人間が生まれ死んでいくと云う一つの事実は人間の生成発展の姿なのです。生も発展なら死も発展です。人間は今迄ただ本能的に死を恐れ忌み嫌い之に耐え難い恐怖心を抱いてきました。人情としては無理もない事です。しかし我々は生成発展の原理に目覚め、死は恐るべきことでも悲しむべき事でもつらい事でもなく寧ろ生成発展の一過程に過ぎない事、万事が成長する一つの姿であることを知って死にも厳粛な喜びを見出したいと思います。

*十八日 日本式民主主義を

民主主義の基本理念というものは真に好ましいものであり、これを取り入れ国家国民の調和ある発展繁栄を計っていくことは極めて重要なことだと云えます。けれどもそれは日本の伝統国民性と云うものに立って行わなくてはなりません。基本の理念は同じでも具体的な形態は其々の国民性に従って様々でなくてはなら・ない。謂わばアメリカにはアメリカ式民主主義フランスにはフランス式民主主義、日本には日本式民主主義がなくてはならないと思うのです。それを日本自らの伝統を忘れて、アメリカやフランスのようにやろうとしても、根無し草の民主主義に終わってしまうでしょう。

*二一日 人事を尽して天命を待つ

人事を尽して天命を待つと云う諺がある。是は全く至言で私は今も自分に時々その言葉を言い聞かせる。日常色々な面倒な問題が起きる。だから迷いも起きるし悲観もする、仕事に力が入らないことがある。是は人間である以上避けられない。しかしその時私は自分は是と信じてやっているのだから後は天命を待とう、成果は人に決めてもらおう・・こういう考え方でやている。小さな人間の知恵でいくら考えてみても、どうにもならぬ問題が沢山有り過ぎる。だから迷うのは当たり前である。そこに私は一つの諦観が必要だと思うのである。

*二三日 道徳は水と同じ

戦後の我が国では道徳教育というと何か偏った風に思われることが多いが、私は道徳教育はいわば水と同じではないかと思う。人間は活きる為にどうしても水が必要である。処がこの水に何か不純物が混じっていてそれを飲んだ人が病気になった。だからと云って水を飲むことを一切否定してしまったらどうなるか。大切なことは水そのものの価値効用を否定してしまうことではない。水の中の不純物を取り除くことである。嘗て道徳教育の中に誤った処があったからといって道徳教育そのものを否定してしまう事は其れこそ真実を知らぬことではないか。

*二五日 七十点以上の人間に

完全無欠な人間などあり得ないと思う。だからお互い人間として一つの事に成功することもあろうし、時には過ちもあるだろう。それは人間としてやむを得ないと云うかいわば当たり前の姿だと思う。併し過ちと正しい事を通算して正しい事の方が多くなる様な働き為り生活を持たなければやはり人間として、望ましい姿とは言えないのではなかろうか。仮に自分を点数で表すとどうなるだろう。三十点のマイナス面はあるが少なくともプラスの面が七十店あると云う様な処迄には到達するようお互い努力したいものである。

*二六日 時を待つ心

行き詰る会社を見てみますと大抵は仕事が暇に成ったら無理をしてでも注文を取ろうとしています。その結果却って大きな損をして会社の破綻を招く事になってしまうのです。反対に暇は閑で仕方ない。是は一時的な現象なのだからこの機会に日頃怠りがちだったお得意さんに対するサービスをしておこうとか、機械の手入れをすべきものはしておこうと云う様な態度をとっている会社は却って時を得て発展する。そういう場合が多い様に思います。中々難しい事ですが時を得なければ休養して時を待つ。そう云う心境も亦大事だと思います。

二七日 誠意あればこそ

先般部品の一つに不良のある商品をお得意さんにお送りしてしまった時に、その方が厳重に注意しなければという事で会社に出向いてこられたことがあった。しかし実際に会社に来てみると、社員の人々が一心に仕事に打ち込んでいる姿を見て憤慨もせず却って信用を深めて帰られたと云う話を聞いた。この事から私は誠実且熱心に日々の仕事に力強く取り組むとという事が如何に大きなと唐を持っているかという事をつくづく感じさせられた。そういう態度と云うものは、見る人の心に何物かを与えるばかりでなく仕事とそのものの成果をより高める原動力にもなると思うのである。

*二八日 感謝の心は幸福の安全弁

感謝の念という事は是は人間にとって非常に大切なものです。見方によれば総ての人間の幸福なり喜びの根源とも云えるでしょう。従って感謝の心の無い処からは決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は人間不幸になると思います。感謝の心が高まれば高まる程それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり幸福の安全弁とも言えるものが感謝の心とも言える訳です。疎の安全弁を失ってしまったら幸福の姿は瞬時のうちに壊れ去ってしまうと云ってもいいほど人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのです。

礼義・礼節

昨年は一年間お付き合いありがとうございました。

本年のご挨拶に代えて四書五経の「礼記」から・・・

凡人之所以為人者礼義也 礼義之始 在於正容体  斉顔色 順辞令

およそ人の人たる所以は礼義なり 礼義の始めは 容体を正し            顔色をととのへ 辞令を順するにあり

プレジデント1993年(H5)3月号

特集・四書五経名言集―礼記―より

現代社会人としての礼儀の基本

☆彡 容体を正す:姿勢・態度・歩き方をきちんとする。               (歪んだ姿勢やだらしない歩き方は健康にも良くない。周りの印象も宜しくなく、不快な気持ちにさせる。

☆彡 顔色を斉へる:変な顔つきはしない。                       (不平・不満・不足顔をみせない、笑顔で接する。)

☆彡 辞令を順す:言葉使いに気をつける。                (挨拶はしっかりとする。)

動物愛護とは・・

TNR活動など動物愛護運動に尽力されている「どうぶつ基金」さんのSNSから全文をご紹介いたします.(=^・^=)

以下本文より☟

アルゼンチンの街を歩いていて、私は少し戸惑いました。
犬が、あまりにも自然に、大切にされているのです。

散歩中の犬たちは落ち着いて歩き、飼い主は当たり前のようにフンを片付ける。

特別に厳しい規則があるようにも見えませんし、誰かが監視している様子もありません。それでも、街に犬のフンはほとんど落ちていない。

これは「清潔な街」という話ではなく、命とどう向き合うかが、生活の所作にまで染み込んでいる社会なのだと感じました。

アルゼンチンは、オランウータンに「物ではない存在としての権利」を認めた国としても知られています。その象徴となったのが、ブエノスアイレス動物園で飼育されていたオランウータンのサンドラでした。

サンドラは1986年、旧東ドイツで、人の管理下にあるオランウータンとして生まれました。野生ではなく、生まれた瞬間から人間の都合の中で生きることを定められた命です。

その後、彼女はアルゼンチンに移され、動物園の檻の中で長い年月を過ごすことになります。餌は与えられていました。命の危険もありませんでした。それでも、彼女はほぼ単独で飼育され、狭く、刺激の乏しい空間で、自分では何も選べない時間を生きていました。

この状況に疑問を抱いた動物愛護団体と弁護士たちは、非常に異例の行動に出ます。

本来は人間が不当に拘束されたときに使われる人身保護請求(ハベアス・コーパス)を、 オランウータンであるサンドラに適用できるか、司法に問いかけたのです。争点は、「動物に人権を与えるかどうか」ではありませんでした。

問われたのは、もっと根源的な問いです。知性と感情をもつ存在を、完全に“物”として扱ってよいのか。

2014年、アルゼンチンの裁判所は判断します。サンドラは
「非人間的人格(non-human person)」であり、単なる所有物ではない。

これは、人間と同じ権利を与えるという意味ではありません。しかし同時に、

「どんな扱いをしてもよい存在ではない」という一線を、社会として引いた瞬間でした。

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この裁判は、サンドラ一頭の問題で終わりませんでした。

彼女が暮らしていたブエノスアイレス動物園そのものが、社会全体から問い直されることになります。

19世紀に造られたこの動物園は、狭い檻、人工的な展示、動物の心理的福祉を十分に考慮しない構造を多く残していました。改修では限界がある。

展示するために命を囲うという仕組みそのものが、もはや現代の価値観に耐えられない。

2016年、ブエノスアイレス市は動物園の閉鎖を決断します。                                 これは過激な運動の結果ではありません。
社会の価値観が、施設のあり方を追い越してしまった
その結果でした。動物たちは展示の場から、より自然に近い環境をもつサンクチュアリ(保護区)へと移されていきました。

サンドラもまた、動物園ではない場所で、より自由度の高い環境へと移されました。

そして現在。アルゼンチンでは、多くの動物園や関連施設が、「見せる場所」から「守る場所」へとその役割を変えつつあります。

より自然に近い環境を提供すること。
傷ついた野生動物の保護やリハビリテーションに関わること。
生息地の保全や、教育・啓発活動に参加すること。

そうした取り組みを通して、動物福祉の向上を目指す動きが広がっています。

一方で、従来型の展示を中心とした動物園のあり方は、社会の価値観の変化とともに
見直しを迫られています。

閉鎖や再編を選択する施設も出てきました。それは「動物園が悪い」という単純な話ではなく、私たちが動物とどう関わるべきかを、社会全体が問い直し始めているということなのだと思います。

これらの動きは、アルゼンチンが国際的な動物愛護・動物権の潮流の中で、

動物と人間は、どのような関係を結ぶべきなのか。「見る存在」から「共に生きる存在」へ、どう向き合い直すのか。

その問いの只中にあることを示しています。

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では、
動物園は本当に必要なのでしょうか。この問いに、簡単な答えはありません。動物園は長く、「教育の場」「学びの場」とされてきました。私たちは檻の中の命を見ることで、動物を知ったつもりになってきました。

けれど、見ることと、理解することは同じではありません。

餌が与えられ、命がつながっていれば幸せなのか。自由を奪われたままの人生を、 「守られている」と呼んでよいのか。サンドラの裁判が私たちに突きつけたのは、 知識ではなく、想像力でした。

どうぶつ基金が活動の中で大切にしているのは、単に「殺さないこと」ではありません。生き物が、生き物として自由で、幸せに近い状態で生きられているか。

TNRも、多頭飼育崩壊への対応も、すべては命が苦しみを再生産し続けないため、そしてその命が、少しでも穏やかに生きられる時間を守るための手段です。

生かすだけでは足りない。管理することが目的でもない。どう生きてもらうか

サンドラの物語と、どうぶつ基金の理念は、この一点で重なっています。

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今、私たちは大きな転換点に立っています。見る学びから、守る学びへ。
命を眺める時代から、命の側に立って考える時代へ。

問いをやめた瞬間に、命は再び「展示物」になってしまう。

だからこそ、問い続けることが必要なのだと思います。

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透明性に関する最終明示

最後に、どうぶつ基金の活動について、皆さまに明確にお伝えしておきたいことがあります。どうぶつ基金では、理事および役員は一切の報酬を受け取らず、すべて無報酬・ボランティアとして活動しています。また、理事が行う出張手術に伴う移動や、海外での動物福祉に関する視察・調査活動にかかる交通費・宿泊費等は、すべて理事個人の自己負担により実施しています。

皆さまからお預かりしている寄付金は、不妊手術や医療支援などの現場活動に加え、広報活動や理念を社会に広げるための取り組みにも使用されています。

一方で、理事個人の報酬や移動・滞在等の費用として、寄付金が使用されることは一切ありません。この方針は、組織運営と個人の経済的利益を切り離し、寄付がまっすぐ命のために使われることを守るための、どうぶつ基金の基本姿勢です。

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生き物が、ただ生き延びるのではなく、生き物として生きられる社会へ。

どうぶつ基金は、これからもその問いを抱え続け、行動に変えていきます。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「人間はダイヤモンドの原石のように光り輝く本質を持っている。しかし此の優れた本質も磨くことなしには発揮されない。」―人生心得帖よりー

【一月の言葉】

*一日 心あらたまる正月

竹に節がなければズンベラボーでとりとめがなくて風雪に耐えるあの強さもうまれてこないであろう。竹にはやはり節がいるのである。同様に流れる歳月にもやはり節がいる。ともすればとりとめもなく過ぎていきがちな日々である。せめて年に一回は節を作って身辺を整理長い人生に耐える力を養いたい。

そういう意味ではお正月は意義深くて、おめでたくて心もあらたまる。常日頃考えられないことも考えたい。無沙汰のお詫びもしてみたい。そして新たな勇気と希望も生み出したい。清々しくて爽やかでお正月はいいものである。

*二日 信念は偉大なことを為し遂げる

私達は弘法大師の開かれた高野山に登って非常に教えられたことがあります。今でこそ自動車道路も電車もケーブルもできていて便利と云えば便利ですが、お山を開かれた千百数十年前にあれだけ辺鄙な処を開拓しそこに道場を建てるという弘法大師の御執念というか信念というものは想像も出来ないほど強いものがあったと思うのです。我々は中々弘法大師さんの境地に触れることはできません。けれども私はその時やはり人の心、信念と云うものは偉大なことを為し遂げるものだということを痛切に感じて、私も自分の分に応じた一念信念を持たなければいけないなと感じたのです。

*三日 不確実な時代はない

不確実性の時代と人はよく言います。事実思わぬことが次々と起こって混乱することがよくありますが、私は不確実性ということは肯定しません。何故なら不確実な現象は全部人間自身の活動の所産であり、人間自身が不確実な行動をする所に起ってくるものだと思うからです。だから不確実な考えや行動をやめたら、確実になってくる。そういう自覚で仕事をすることが大切だと思います。未来は確実性の時代だという発想の転換、未来に対処する基本的姿勢の転換こそ今日私たちがお互いの緊急重要事ではないかと思うのです。

*四日 はじめに言葉ありき

はじめに言葉ありという言葉がある。聖書のなかにあるそうで私はその深い意味はよく知らないが、これは経営にも当てはまることではないかと思う。つまり経営者、指導者はまずはじめに言葉を持たなくてはならない。言い換えれば一つの発想をし目標を皆に示すということである。後の具体的な事は其々担当の部署なり社員也に考えてもらえばいい。しかし最初に発想しそれを言葉にすることは、経営者が自らやらなくてはいけないと思う。そしてそれは企業経営だけでなく、日本の国全体として望まれることであろう。

*五日 先見性を養う

先見性を持つことは指導者にとって極めて大切なことだ。先見性を持てない人は指導者としての資格がないと云っていいほどである。時代というものは刻々と移り変わっていく。昨日是とされたことも今日は時代遅れだということも少なくない。だからその時代の移り行く方向を見極め変わっていく姿を予見しつつ、それに対応する手を打っていくことによって、元て国家の安泰もあり企業の発展もある。一つの事態に直面して慌ててそれに対する方策を考えるというようなことでは、物事は決して上手くいかない。心して先見性を養いたいものである

*六日 素直な心とは

素直な心とはどういう心であるかと云いますとそれは単に人に逆らわなず、従順で有るというようなことだけではありません。寧ろ本当の意味の素直さというものは、力強く積極的な内容を持つものだと思います。つまり素直な心とは、私心無く曇りのない心というか一つの事に捉われずに、物事を在るが儘に見ようとする心と云えるでしょう。そういう心からは、物事の実相を掴む力も生まれてくるのではないかと思うのです。だから素直な心というものは真理を掴む働きのある心だと思います。物事の真実を見極めてそれに適応していく心だと思うのです。

*七日 熱意は磁石

如何に才能が有っても知識があっても、熱意の乏しい人は画ける餅に等しいのです。反対に少々知識が乏しく才能に乏しい点があっても、一生懸命というか強い熱意があれば、そこから次々とものが生まれてきます。その人自身が生まなくても、その姿を見て思わぬ援助、目に見えない加勢と云うものが自然に生まれてきます。それが才能の乏しさを補い知識の乏しさを補ってその人をして仕事を進行せしめる、全うさせるということに為るわけです。恰も磁石が周囲の鉄粉を引き付けるように+熱心さは周囲の人を引き付け周囲の情勢も大きく動かしていくと思うのです。

*十三日 枠に囚われず

私達は仕事進めていく際に、ともすれば自分で自分の枠を決めてしまってはないか。例えばラジオのデザインにしても元来デザインは固定したものでないのだから、三角でも円でもよい筈なのに殆ど箱型である。このことに限らず、不思議なことに人間は自ら枠を作りその中に入ってしまうという悪い傾向がある。これも自己を保身する一つの生き方かも知れないが、窮屈な枠の中で窮屈なものの考え方をしていては、心の働きも鈍くなり自由自在な好い知恵が出てくるものではない。ものには色々な見方がある。時と場合に応じて自在に変えねばならない。そこにこそ発展が生まれるのである。

*十六日 武士道と信頼感

昔、武士は庶民の上に置かれ尊敬されていた。これは一つには武士が武力を持っていたからとも考えられるが、それだけではない。やはり武士は道義に篤く武士としての精神を忘れず所謂武士道に徹することにより庶民の信頼と尊敬を勝ち得ていたものと思う。これは会社の中でも言える。経営者には経営者道、従業員には謂わば従業員道とも云うべきものがあると思う。其々当然やるべきことがある。之をお互いに責任を以て貫いてゆくというところに信頼関係の基礎があり、その信頼関係を高めていく推進力があるのではないだろうか。先ずお互いの立場で其々の道に徹したい。

*十七日 決意を持ち続ける

指導者にとって大事なことの一つは志を持つということである。何等かの志、決意というものがあって始て事は成るのである。だから志を立てて決意をするということが必要なわけだが、それは一度志を立て決心すればそれでいいということではない。寧ろ大事なのはそうした志也決意を持ち続けることであろう。其の為にはやはり、絶えず自らを刺激し思いを新たにするようにしなくてはならない。一度志を立て決意することによって、非常に偉大なことを成し遂げられるのも人間であるが、その志・決心を中々貫き通せない弱さを合わせて持っているのもこれまた人間である。

*二十一日 当たって砕ける

ある時会社で社員が集まって盛んに議論している。どうしたのかと尋ねるとこの製品を新しく発売するのですが、これが売れるかどうか検討しているのですと云う。そこで私はそれは探るより仕方がないのではないか。売れるか売れないかをある程度議論することは必要だが、ある程度以上は議論しみても始まらない。後は当って砕けろだ。それを買ってくれる人に尋ねるより仕方がないのではないかと云ったのである。ある程度考えた後は勇気をもってやる。そういうことが商売だけでなく政治にもその他あらゆる日常生活の分野に於いても時に必要だと思う。

*二十三日 物を作る前に人を創る

私はずっと以前でしたか当時の若き社員に、松下電器は何を作るところかと尋ねられたらならば松下電器は人を創る處で御座います。併せて電器商品を作っております。とこういう事を申せと云ったことがあります。その当時、私は事業は人に有り人を先ず養成しなければならない、人間として成長しない人を持つ事業は成功するものでない。ということを感じており遂そういう言葉が出た譯ですが、そういう空気は当時の社員に浸透しそれが技術・資力・信用の貧弱にも拘らず、どこよりも会社を力強く進展させる大きな原動力となったと思うのです。

*二十五日 融通無碍の信念

融通無碍と云う言葉がある。これは別に難しい理屈でも何でもない。至って平凡なことと思う。若し道を歩いていてその前に大きな石が落ちてきて向こうへ行けない場合はどうするか。勿論石に攀じ登っても真直ぐ行くということも一つの方法である。併し其処に無理が生じるのであれば石を避けて回り道をして行くそれが融通無碍だと思う。勿論時には回り道の無い場合もある。しかしそういう時にはまた別の方法を考える。素直に自分の感情に捉われないでこの融通無碍ということを絶えず心掛けていくところに世に処していく一つの道があると思うのである。

*二十六日 短所四分長所六分

人間と云うものは誰でも長所と短所を持っている。だから大勢の人々を擁して仕事をしているのであれば、其々に多種多様な長所と短所が見られる。その場合部下の短所ばかりを見ていたのでは中々思い切って使えないし部下にしても面白くない。その点長所を見ると、その長所に随って生かし方が考えられある程度大胆に使える。部下も自分の長所が認めて貰えれば嬉しいし知らず識らず一生懸命に働く。併し勿論長所ばかりを見て短所を全く見ないということではいけない。私は短所四分、長所六分ぐらいに見るのが善いのではないかと思うのである。

*二十八日 衣食足りて礼節を知る

衣食足りて礼節を知るという言葉がある。これは今から二千年以上も昔の中国で云われたものだというが、今日尚広く使われていると云うことはそこに人間としての一つの真理があるからの様に思える。ところが今日の我が国については衣食足りて礼節を知るどころが衣食足りて礼節益々乱れると云わざるを得ないことが多い。是は当に異常な姿である。我々は今この世の中を正常な姿に戻して社会の繁栄、人々の幸福を生み出してゆく必要がある。其の為には、先ず自己中心のものの考え方行動を自ら反省し、誡めあっていくことが肝要だと思う。

*三十日 自分を飾らず

私は毎日の生活を営んでいく上に於いて、自分を良く見せようとお上手を言ってみたり、言動に色々と粉飾をすることは大いに慎みたいと思います。これは一見簡単なことのようですが、口で言うほど容易いことではありません。殊に出世欲に駆られる人は自分を他人以上に見せようとする傾向が強いようです。併し人は各各その素質が違うのですから、いくら知恵を絞って自分を粉飾してみたところで自分の生地は誤魔化すことは出来ず、必ず剥げてきます。そしてそうなれば一片に信用を落とすことに為ってしまうのです。私は正直にすることが処世の一番安全な道だと思います。

まだまだですね😹

NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞら

(アーカイブ)

近頃、いろんな、地域での愛護活動の皆様の活動内容がSNSに発信されています。小さな命を守ろうという活動は、単に動物愛護というだけではなく、突き詰めていけば、教育問題にも、福祉問題にもつながる事と思っています。各地域の自治体での取り組みが、バラバラなのはおかしな話だなとも感じます。
こういう面では動物愛護取り組みの先進国から見ると、矢張り、日本はまだまだ遅れているなあという感じですね。

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紹介するのは、今、当に知事選で、マスコミにも注目されている東京都のお話です。
署名協力のmailが来ていました。
動物愛護に対しての意識の低さが覗える内容❣❢

自治体の愛護活動に関しての取り組みでは、北九州も大きな事は言えない感じがしますがそれでも、啓蒙活動の為のポスターぐらいは用意されていますよね~❣❢

mail内容一部紹介

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【6月末まで!】北区保健所に動物虐待防止のための効果的なポスター作成を求めます

私たちの地元である東京都北区・田端で悲劇が起きました。
地域猫のエサに強酸性洗剤サンポールが撒かれ、猫が大怪我する事件がおきたのです。2匹はエサを食べることができなくなってしまいました。※
犯人はこれみよがしに、使用したサンポールの容器を現場に置き去っていったといいます。
もちろん警察に通報されましたが、いまだ犯人の特定には至っていません。
事件を知った地域猫活動ボランティアは、「動物虐待は犯罪」というポスターを貼ってほしいと保健所に要請。
ところが、保健所はこの要望を「どんなポスターを作ろうが保健所の勝手だ」「予算がない」という理由で断りました。

田端に隣接する文京区や豊島区では何年も前から各自治体独自のポスターがあり、警察署・保健所への通報先も明記されているのにも関わらず、です。
北区保健所はこうした抑止力あるポスターを作成していません。

ポスターなんかで何か変わるの?とお思いの方もいるかもしれません。しかし、犯罪を未然に防ぐためには、すみやかな情報提供や通報が必要です。そのためには、保健所と警察署への連絡先が明記された効果的なポスターが必要不可欠なのです。

山田区長は政策で「ペットは家族と同じ。「動物愛護の北区」を目指して、終生飼育の啓発と環境整備、区内殺処分ゼロ、保護ねこ・保護いぬの里親制度を充実」とうたっています。保健所のずさんな対応をどう捉えているのでしゃうか。一刻も早い動物虐待防止への行動を求めます。

みなさまには署名活動・SNSでの拡散にご協力いただきたく存じます。
小さな命がないがしろにされているこの町を変えたいという、私たちの切なる望みをどうか一緒に届けてください。

1日でも早い請願のため、期日を2024年6月30日までとします。
※2024年5月15日現在、怪我を負った2匹は無事に保護され、ボランティアの自宅で安静に過ごしています。

ワンクリックで賛同!

(署名活動は終了しています。)

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ポスター作るくらいそんなに費用掛かるものでもないでしょうに、矢張り意識の問題なんでしょうか😹

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💖火の用心(=^・^=)

NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞら2025年 blognoteより

大火が続きましたね😿

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netより拝借


11月、大分佐賀関の大火は一週間以上たって漸く鎮火ということになってきたようですね❣❣
被災された皆様年末に向けて、途方に暮れている方々もいらっしゃることでしょう。これからの生活再建が大変だとお察しいたします。
何もできませんが、心より御見舞い申し上げます。

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netより拝借

国内ではありませんが、11月の香港の密集高層マンションの火事はなんだか現実の出来事の様には思えないほどのショッキングな映像でしたね❣❣

此方は死者行方不明の方々も多数出ているという事。
一瞬で全てを無に帰してしまう火事は本当に怖いですね・・・・😿

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気を付けてますが・・(=^・^=)

是から益々、暖房などを含めて火を使う機会が多くなりますネ。
ここでも、寒がりの猫達❣❣暖房なしでは可哀そうなので電気ストーブ・石油ストーブ等々、利用している時間が長くなってきてます。

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何か衝撃があった時などは、自動的に火が消えるようにはなっているとは
いえ、油断大敵❣❣要注意、要注意❣❣❣

勿論、目が届かない時には、必ず火を消して、暖房器は使わない様にはしています。猫達には可哀そうですが、・・・・
猫達の安全の爲にも、仕方ありませんね~~~(=^・^=)

     これからしばらくの間、更に、寒さが増していきます。
        皆様も、どうぞお気をつけて・・・・❣❣
           ⚠⚠⚠・・・・⚠⚠⚠

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NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

😸ボス猫「もも」(=^・^=)

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ロサンゼルスの山火事とペットの同行避難 | Dr. Yuko Nishiyama

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「この世に存在するものは、総て人間の生活に必要、役立つものである。此の基本認識に立って、一つひとつのものを、活かすように努めたい。」―人生心得帖よりー

【十二月の言葉】

*一日 自分の最善を尽くす

太閤秀吉と云う人は草履取りに為れば日本一の草履取りになったし炭番に為れば最高の炭番になった。そして馬回り役に成ったら自分の給料を割いて人参を買い馬にやったと云う。此の為嫁さんが逃げてしまったと云う事だがそこに秀吉の偉大さがある。馬番になったが俺はこんな仕事は嫌だなどと云わずに日本一の馬番に成ろうと努力した。詰りいかなるかんきょうにあっても自分の最善を尽くし一日一日を充実させ其れを積み重ねていく。其れが役に立つ人間でありその様な事が人を成功に導いていく道だと思うのである。

*二日 忍ぶべきを忍ぶ

誠心誠意良いものを進めたけれども用いてくれないと云うので憤慨し、是は相手が暗愚だから仕様が無いと自棄になって結局打ち壊しになってしまうと云う事が儘有る様です。併しそう云う事では私は大した事は出来ないだろうと思います。用いてくれなければ時を待とう。是だけ説明して駄目だと云うのは是は時節が来ていないのだ―そう考えてじっと忍耐していく処から無言の裡に知らしめると云う様な強い大きな誠意が生まれてきます。そして其の内に相手が自ら悟る事にもなって其れが非常な成功に結び付く事にも成りましょう。

*三日 廣い視野

今日では世界の一隅に起った事でも、其れが瞬時に全世界に伝わり様々な影響を及ぼす。その様な中で自国の範囲だけ自分の会社団体の範囲だけの狭い視野で、事を考え行動していたのでは往々にして過ちを犯す事になってしまうと思う。今視野の広さと云うのは指導者にとって欠く事の出来ないものであろう。指導者は自ら世界全体日本全体と云ったように広い範囲でものを見るよう常に心掛けつつ、一国の運営会社や団体の経営を考えなくてはならないし又人々にそうした広い視野を持つ事の大切さを訴えていかなくてはならないと思う。

*五日 恩を知る

恩を知ると云う事は人の心を豊かにする無形の富だと思います。猫に小判と云う事が有りますが折角の小判も猫にとっては全く価値の無いものに過ぎません。恩を知る事は謂わばその逆で鉄を貰って其れを金程に感じる。詰り鉄を金に換える程のものだと思うのです。ですから今度は金に相応しいものを返そうと考える。皆がそう考えれば世の中は物心共に非常に豊かなものに成っていくでしょう。最もこの恩とか恩返しと云う事は決して要求されたり強制されるものでなく、自由な姿でお互いの間に理解され浸透する事が望ましいと思います。

*九日 世界に誇れる国民性

同じ日本人でも細かく見れば考え方や性格など実に色々な人がいる訳ですが、然し復一面には日本人には日本人としての共通の特性と云うか日本人の民族性国民性と云うものが矢張り有る様に思います。日本独特の気候や風土の中で長い間過ごしている内に、例えば日本人特有の繊細な情感と云うものが次第に養われてきたと云えるでしょう。日本人の国民性の中にも反省すべき点は少なくありませんが、特に勤勉さとか器用さとか恵まれた気候風土と長い歴史伝統によって養われてきた斯う云う特性には、世界にも大いに誇り得るものが有る様に思うのです。

*十一日 持ち味を生かす

家康は日本の歴史上最も優れた指導者の一人であり、その考え方なり業績に学ぶべきものは多々ある。併しだからと言って他の人が家康の通りにやったら上手く往くかと云うとそうではない。寧ろ失敗する場合が多いと思う。と云うのは家康のやり方は家康と云う人にして初めて成功するのであって、家康とは色々な意味で持ち味の違う別の人がやっても其れは上手く往かないものである。人には皆夫々に違った持ち味がある。一人として全く同じと云う事は無い。だから偉人のやり方を其の儘真似ると云うのでなく、それにヒントを得て自分の持ち味に合わせた在り方を生み出さねばならないと思う。

*十四日 人生の妙味

雨が降ったり雷が鳴ったりと云う自然現象は、ある程度の予測は出来る者の正確には掴み得えない。我々の人生の姿も此の自然現象とよく似たものでは無いだろうか其処には天災地変に匹敵する予期でき無多くの障害がある。我々は其等の障害の中に在り乍ら常に自分の道を求め仕事を進めて往かねばならない。其処に一寸先は闇とよく言われる人生の難しさがあるのであるが、そういう障害を乗り越え道を切り開いてゆく処に復人生の妙味があるのだと思う。予期できるものであれば味わいも半減してしまうであろう。

*十六日 大義名分

古来名将と云われる様な人は合戦に当っては必ず此の戦いは決して私的な意欲の為にやるのではない。世の爲人の為にこういう大きな目的でやるのだ。と云う様な大義名分を明らかにしたと云われる。如何に大軍を擁しても正義なき戦いは人々の支持を得られず長きにわたる成果は得られないからであろう。是は決して戦の場合だけではない。事業の経営に於いても諸々の施策にしても何を目指し何の為にやるのかと云う事を、自らハッキリ持ってそれを人々に明らかにしていかなくてはならない。其れが指導者としての大切な務めだと思う。

*十八日 利害を一にしよう

おとなと青年或は子供との間に断絶があるとすれば、それは我々の云う商売的な利害を共にしていない更にもっと高い意味の利害を一にしていないからだと思います。親は子の為に子は親の為に本当に何を考え何を為すべきかと云う事に徹しているか如何か、又先生は生徒の為を本当に考えているか如何か生徒は先生に対して如何言う考え方を持っているか。そう云う意識が極めて薄い為に、其処に溝が出来其れが断絶となり大いなる紛争になってくるのではないでしょうか。時代が時代だから断絶があるのが当然だと考える処に根本の錯覚過ちがあると思うのです。

*二十日 日に十転す

古人は君子は日に三転すと云ったと云う。

君子は時勢の進展と云うものを刻々と見て其れに能く処しているから、一日に三回も意見が変わっても不思議ではないと云うのであろう。

今日は怖ろしくテンポの速い時代である。そうした時代に十年一日の如き通念でものを見たり考えておれば判断を誤る事も多いだろう。昔ですら君子たるものは一日に三転しなければならなかった。テンポの速い今日では日に十転も二十転もする程の識見と判断の素早さを持たねばなるまい。人間の本能は変わらぬものだがその上に立って変わりゆく時勢の進展に刻々と処していく事が大事だと思う。

*二一日 信用は得難く失い易い

我々が何か事を成してい場合信用と云うものは極めて大事である。謂わば無形の力無形の富と云う事が出来よう。けれども其れは一朝一夕で得られるものでは無い。長年に渡る誤りのない誠実な行いの積み重ねがあって初めて次第次第に養われていくものであろう。併しそうして得られた信用も失う時は早いものである。昔であれば少々の過ちが在っても過去に培われた信用に拠って直ちに信用の失墜とはならなかったかも知れない。然し一寸した失敗でも致命的に成りかねないのが、情報が一瞬にして世界の隅々まで届く今日と云う時代である。

*二二日 小事を大切に

普通大きな失敗は厳しく𠮟り小さな失敗は軽く注意する。併し考えてみると大きな失敗と云うものは対外本人も十分考え一生懸命やった上でするものである。だからそう言う場合には寧ろ君そんな事で心配したらあかんと一面励ましつつ、失敗の原因を共々研究し今後に活かして行く事が大事ではないかと思う。一方小さな失敗や過ちは概ね本人の不注意や気の緩みから起こり、本人も其れに気が付かない場合が多い。小事に捉われる餘大二を忘れてはならないが小事を大切にし小さな失敗に対して厳しく𠮟ると云う事も一面必要ではないか。

*二三日 運命に従う

人には人に与えられた道が有ります。其れを運命と呼ぶか如何かは別にして、自分に与えられた特質也境遇の多くが自分の意思や力を超えたものである事は認めざるを得ないでしょう。そういう運命的なものをどのように受け止め活かしていくかと云う事です。自分はこの様な運命に生れて来たのだだから之に素直に従って行こうと云う様に、自分の運命を言わば積極的に考え其れを前向きに生かしてこそ一つの道が開けてくるのではないでしょうか。其処に喜びと安心が得られ次に本当の意味の生甲斐と云うものも湧いて来るのではないかと思うのです。

*二七日 投げやらない

成功する会社と成功しない会社の差と云うものは私は紙一重だと思います。例えば今後価格の競争が激しくなって来れば、我々の製品のコストを10%引き下げると云う事を当然やらなければなりません。若し下がらなければ何故下がらないかと云う事に対して内外の衆知を集めなければならないのです。其れを自分の知恵の範囲で会社の知恵の範囲で色々考えて、之は無理だ出来ないと云って投げやりになってしまえばこれは絶対に出来ないわけです。如何してもやっていくんだと云う処に一つの成功の糸口が段々と解けて来て必ずその成果が上がると思うのです。

*二九日 理想ある政治を

政治には理想が大事です。日本をこうするんだと云う一本筋が十たものが無ければいけない。そう云うものが今は見られません。その場を適当に納めてやっているそういう状態です。未だ日本が世界で二・三十番目と云う事であるなら追いつけ追い越せと云う事でも目標も出来てきますが、すでに世界一・二位を争う様になっている以上其処により高い目標理想を打ち出す必要があると思います。例え世界で一番と云う事になったとしても日本にはもっと大きな役割があるんだからと云う事で、より高い理想を持ち力強い政治を行って行く事が必要だと思うのです。

*三十日 靜思の時

何事も合理的でスピーディなものが尊ばれる昨今、其れがスピーディであればあるほど一方で静思の時と云うかゆったりしたものが欲しくなる、此れが人情と云うか人間の本能的ともいえる一つに姿でしょう。だから之を抑える事は人間の身体や生活をとんでもなく歪んだものにし兼ねないと思います。ですから夜休む前床の上に坐って静かに一日を反省する。やり方は如何であれ其う言う時を持って一日のけじめをきちんとつけてこそ、初めて其処に安らぎが生まれ明日への新たな意欲が湧いて来るのではないか。世の中が騒々しく成程そう云う靜思の時が必要になると思うのです。

*三一日 総決算

十二月は総決算の月。この時に当り一年の歩みを振り返りお互いの心のけじめをつけたいものです。此の一年良かったことは善かった悪かったことは悪かったと、素直に自分で採点しなければなりません。そしてこの一年は決して自分一人の力で歩んだものではありません。自分で気付かない処で人々の協力を得又思わぬ処で迷惑を懸けている事もあると思うのです。そんな周囲の人々の協力に対しては有難く感謝し迷惑を懸けたことに対しては謙虚に謝罪したいと思います。そうした素直な自己反省こそ次の新しい年の時分の成長にプラスする何かを必ず与えてくれると思うのです。

神道のこころ

神道は現代の言葉を仮りて言えば、常に永遠の今に生きる 今と云う永遠の時点に立つ 故に神世は今に在り 今はまた神世に在る 天地開闢万物造化は機であり 機前を元とし本とする その元本を離れ違背して 天地人間の純粋な自律的統一体たることを無視し 己私を恣ままにするところに 後世のあらゆる迷い・罪・汚れを生じる 元来人は万物の霊長であるから神物である その人の心と云うものは神明である 万事は一心より起る 元に元し、本に本づき 本心に任じて正直清浄なれば神人合一して自由自在である

           安岡正篤-百朝集第91番(大神宮参詣-坂士仏)解より

伊耶那岐神様 伊耶那美神様は宇宙の生命として人間総ての内、否、萬物の内に活きていらせらるる神様でございますから、人間の一擧一動は伊耶那岐 伊耶那美の神様の現はれでございます。我々人間は萬物と共に此の二柱の神様の天地創造事業を今日も未来も永久に行ふものであります。伊耶那岐神様 伊耶那美神様の申傳へは昔のことではございませぬ、今日の事であり、又未来永久いつも最新なる事を申上る譯でございます。

筧克彦東京帝国大学法学博士 ―神ながらの道(大正13年皇室講演録)    第四章第一節天地創造の言傳の性質 から

【礼拝】

掛けまくもかしこき天照大御神の御前を慎み敬ひをろがみ祭る

天晴れ あな面白 あな手伸し あな明け おけ
(二拍手一拝)

阿波礼 阿那於茂志呂 阿那多能志 阿那佐夜憩 飫憩                                           (古語捨遣)

生命ㇵ清明ー魂  精神ㇵ神明ー心  実相ㇵ清浄ー身魂

【神道雑記】

日本には古来から八百万の神々がおられるという。又日本人の信仰は自然崇拝で山や木や石や諸々の自然物を拝んだともいう。しかし私には日本人が自然そのものを崇拝したとは思えない。自然が神だと信じたなどとは何としても思えない。物を神などと云うグロテスクな信仰なら当の昔に滅んでいたはずである。確かに日本の自然は豊かで美しい。しかし、美しいものを愛でる心から信仰が生まれるだろうか。私は信仰とはもっと堂々とした心から出て来るものだと思う。自然は神そのものではないが神々の宿り給う依代である。

        神道民俗芸能の源流   鈴鹿千代乃著  国書刊行会より

須佐之男命は疫病をその手中に握る神であるからこそ荒ぶる神であり、恐ろしい神なのである。そして同時に人々が罹って苦しむはずの疫病を身代わりに引き受けて苦しんでくださる有難い神でもある。・・・・ この疫病神須佐之男命がインドから来たやはり疫病神である牛頭天王の信仰と結びついた。牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神で、忿怒相をした鬼神と謂われる。これが中国の陰陽道の除疫神として取り入れられ日本に伝わって八坂神社の祭神となったのである。牛頭天王と須佐之男命とは、本地垂迹の関係で一体の神仏信じられるようになった。祇園御霊会を天王祭と云うのもここに由来する。

         神道民俗芸能の源流   鈴鹿千代乃著  国書刊行会より