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猫を読んだ句

日本の歳時記(小学館刊)に収録された句 から紹介いたします(=^・^=)

ヒャクダイノ カカクシンガリニ ネコノコモ        春1/8      ネコノコ   

百代の過客しんがりに猫の子も      加藤楸邨  

ウララカヤ ネコニモノイフ ツマノコヘ         春1/10     ウララカ

うららかや猫にものいふ妻の声      日野草城

チラチラト カゲロフタチヌ ネコノツカ         春3/7     カゲロウ

ちらちらとかげろふ立ちぬ猫の塚     夏目漱石

ウラヤマシ オモヒキリドキ ネコノコヒ         春4/31     ネコノコイ

うらやましおもひ切時猫の恋       越智越人

バクシュウヤ ヘビトタタカフ テラノネコ        夏7/8     バクシュウ

麦秋や蛇と戦ふ寺の猫          村上鬼城

ネコノメノ ウゴメクヤミヤ チンチョウゲ        春9/33    チンチョウゲ

    猫の目の蠢く闇や沈丁花         畑賢吉

イエジュウガ ヒルネシテヲリ ネコマデモ        夏12/2     ヒルネ

    家中が昼寝してをり猫までも       五十嵐播水

ツユアケヌ ネコガマヅキニ カケノボル        夏12/10    ツユアケ

    梅雨明けぬ猫が先づ木に駆け登る     相生垣加瓜人

イヌネコト オナジスガタヤ フユザシキ        冬19/15    フユザシキ

    犬猫と同じ姿や冬座敷          富田木歩

オオデラニ ショウジハルヒノ ネココネコ        秋21/15    ショウジハル

    大寺に障子はる日の猫子猫                       三好達二

ネコジヤラシ モテバジヤラサズ ニハヲレズ      秋22/23    ネコジャラシ

    猫じやらし持てばじやらさずにはをれず   西宮舞

ウソザムヤ ショウジノアナヲ ノゾクネコ       秋26/10    ウソザム

    うそ寒や障子の穴を覗く猫              富田木歩

ネコノメニ ウミノイロアル コハルカナ         冬29/11     コハル

    猫の目に海の色ある小春かな      久保より江

コギノノラ ジョジョニヨラシム ヒナガカナ      春32/32    ヒナガ

    孤疑の野良猫徐々に寄らしむ日永かな    亀丸公俊

クロネコヲ クミフセアイス ヒナタカナ         冬34/33    ヒナタ

     黒猫を組み伏せ愛す日向かな       正木ゆう子

ハカイシニ ネコネルヒルヤ ナツコダチ          夏34/33    ナツコダチ     墓石に猫寝る昼や夏木立          車谷長吉       

 

ナイシンハ シュラノチマタヤ ネコジャラシ       秋35/32    ネコジャラシ

    内心は修羅の巷や猫じやらし       小林貴子

ハツゴエノ ホウヘウゴイテ ネコノミミ        新36/28    ハツゴエ

    はつごゑの方へ動いて猫の耳       高尾真琴

ウスメアケ ヒトキラヒナリ コタツネコ         冬36/29    コタツネコ

    薄目あけ人嫌ひなり炬燵猫        松本たかし

ナニモカモ シツテヲルナリ カマドネコ         冬36/29    カマドネコ

    何もかも知ってをるなり竈猫       富田風  

カマドネコ ウタレテヲリシ ハイボコリ         冬36/29    カマドネコ

    竈猫打たれて居りし灰ぼこり      中村汀女

カンキョトハ ヘツツヒネコノ オルバカリ        冬36/29    ヘッツイネコ

    閑居とはへつつひ猫の居るばかり    阿波野青畝

モチバナヲ イマドノネコニ ササゲバヤ       新38/6    モチバナ

   餅花を今戸の猫にささげばや           芥川龍之介

シャムネコノ メニハルノウミ 二タカケラ        春38/324  ハルノウミ

   シャム猫の目に春の海二かけら          鈴木貞雄

シカラレテ メヲツブルネコ ハルドナリ         冬40/3    ハルドナリ

   叱られて目をつぶる猫春隣        久保田万太郎

オノミチニ ネコノホソミチ オキナノキ         冬41/24   オキナノキ

   尾道に猫のほそみち翁の忌         鷹羽狩行

コウバイニ ホシテオクナリ アラヒネコ         春44/8    コウバイ

   紅梅にほしておく也洗ひ猫        小林一茶

ハブタエノ ヒザニアキテヤ ネコノコイ         春46/8    ネコノコイ

   羽二重の膝に飽きてや猫の恋         支考

ナノハナニ マブレテキタリ ネコノコイ         春46/8    ネコノコイ

   菜の花にまぶれて来たり猫の恋       小林一茶

コイネコヤ カラクレナイノ ヒモヲヒキ          春46/8    コイネコ

   恋猫やからくれなゐ の紐をひき      松本たかし

リョウホウニ ヒゲガアルナリ ネコノツマ         春46/12   ネコノツマ

   両方に鬚があるなり猫の妻                     来山

ネコハロニ カモハツバキニ ネハンニシ         春47/10   ネハンニシ

   猫は炉に鴨は椿に涅槃西風         西島麦南

ネコノコノ クンヅホグレツ コチョウカナ        春49/3    チョウ

   猫の子のくんづほぐれつ胡蝶かな       其角

松下幸之助のにことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「大成功や大失敗だけが人生における体験ではない。平穏な日々の中でも、心の持ち様如何では、大いに体験を積むことができる。」―人生心得帖よりー

【九月の言葉】

*一日 苦難も又善し

わが国では毎年台風や集中豪雨で大きな水害を受ける処が少なくない。然し此れ迄の例から見ると大雨が降って川が溢れ街が流されてもうだめかと云えば必ずしもそうではない。数年も経てば被害を受けなかった街よりも却って綺麗に成り繁栄していることが屡々ある。勿論災難や厄難は無いに越したことは無いが思わ牟時に思わぬ事が起こってくる。だから苦難が其れも佳と云う心づもりを常に持ち安易に流されず凡に堕さず人一倍の知恵を絞り人一倍の働きを積み重ねてゆく事が大切だと思う。

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

*五日 優しい心

あの人は何処となく豊かな感じのいい人であると云う場合、其れはその人の心がその人の動作に滲み出ているからだと思います。殊に私は女性の尊さと云うものは、矢張り親切な心の顕れている処にこそ本当の尊さと云うものがあるのではと云う感じがします。唯強いばかりではいけません。賢いばかりでもいけません。賢い強いと云う事も勿論大切ですがそれ以上に大事な事は、心の優しさなのです。此れは総てのものを溶かすとでも云う程の力があるのではないでしょうか。その力を失ってはならないと思うのです。

*六日 自然を生かす

自然はそれ自体の為に存在しているという見方がある。併しもっと大きな観点に立って考えてみると自然は人間の共同生活に役立つために存在しているのだと考える事も出来るのではなかろうか。そう考えてみれば自然を人間の共同生活の上に正しく活用して行く事は人間にとって当然為すべき事だとも云える。無論単に意欲を逞しくして自然を破壊する事はあってはならない。自然を十破壊して其処から八の価値しか生み出さないと云うのではいけないが、十二の価値を生むならば寧ろ積極的に自然を活用して要ったらいいと思うのである。

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

*十日 不健康また結構

私は不健康が必ずその人を不幸にするとは思いません。世の中には不健康で幸福になる場合もありますし又逆に健康な爲に却って行き過ぎて不幸になる場合もあるのです。肝心な事は不健康又結構なりと云う気分に成る事です。不健康は不幸な事だ悲しい事だと考えて心を乱してはいけないと思うのです。小さい頃から病弱だった私がそう云う心境に為れたのは、今日考えるとやはり前途に強い希望を持っていた為だと思います。不健康の為に希望を失うと云う事では失敗の上に失敗を重ね不幸の上に又不幸を重ねる事に為ってしまうのではないでしょうか。

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

*十四日 慈しむ

昔仁徳天皇は国中に炊事の煙の乏しいのを見て人民の困窮を知り三年間課役を中止し、三年後国中に煙が満ちて初めて国富めりと再び租税を課された。その感は皇居も荒れ雨が漏る程で在っても修理されなかったと云う。是は伝説かも知れないが然し大事な事はその様に人民を慈しむ仁慈の心を持つ事が昔から指導者のあるべき姿とされてきた事である。そこに日本の一つの良き伝統がありそう云う処から封建時代でさえ数々の名君が生まれたのであろう。其事が栄える基だったのである。民主主義の今日でも指導者は先ず人々の幸せを願い仁慈の心を持たねばならないと思う。

*十五日 精神的大家族

核家族の風潮と云うのはいい悪いは別にして天下の大勢です。大きな流れです。けれども其れは形の上でそうなのであって精神の上では核家族に為ってはいけないと思ういます。恰も大家族の如く年老いた老人には家族の人達が絶えず心を通わせる様にしなければなりません。例えば三日に一遍電話は電話で声をかけて挙げるとかそう云う繋がりが無ければいけないと思います。世の中が進歩したら其々活動する場所が増えますから、どうしても離れ離れになって大家族と云う形は執れません。だから一方でそれを集約する精神的な繋がりが一層必要だと思うのです。

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

*十九日 仕事を味わう

私はどんな仕事で在れ本当に其れが自分に適したものかどうかを見極めるのはそれほど容易な事では無い。租事と云うものはもっともっと深いと云うか味わい深いものだと思います。最初は詰らないと思えた仕事でも何年間か之に取り組んでいる内に段々と興味が湧いてくる」。そして今迄知らなかった自分の適性と云うものが開発されてくる。そう云う事も仕事を進めていく過程で起こってくるものです。詰り仕事と云うものはやればやる程味の出てくるもので、辛抱して取り組んでいる内に段々と仕事の味喜びと云ったものを見出して行く事が出来るのだと思います。

*二一日 中小企業は社会の基盤

私は中小企業というものは日本経済の基盤であり根幹であると思う。其れが健在であってこそ大企業も持ち味を生かす事が出来るし経済全体の繁栄も可能となる。と共に中小企業は単に経済に於いてだけでなく謂わば社会生活の基盤にもなるものだと思う。詰り色々な適性を持った人が其々に色とりどりの花を咲かす。そう云った社会の姿がより望ましいのであり其処に人間生活の喜びと云うものがあるのではないだろうか。その意味に於いて沢山の中小企業が其々に所を得て盛んな活動をしていると云う様な社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。

*二二日 平和の為の前提条件

平和が大切だと云う事は何千年も前から唱えられているにも拘らずその一方では戦争をしている。甚だ如きは平和の爲の闘争とか戦争と云ったことが、口にされ行われていると云うのが過去現在における人間の姿だと云えましょう。それではその様な状態を脱却し平和を実現する前提として何が必要かと云うと人間としての意識革命ではないかと思います。詰り真の平和と云うものをはっきり見極め心からそれを切望すると云う様な、一人一人の意識革命が一国の政治の上にも教育の上にも醸成されていくならば求めずして平和は生まれてくると思います。

*二五日 信賞必罰

信賞必罰即ち罰すべき罪過ある者は必ず罰し賞すべき功ある者は必ず賞せよということ。是は人間が存在する限り程度の差はあっても絶対に必要な事であろう。此れが行われない国家社会は次第に人心が倦みやがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない会社集団家庭何処に於いても是は決して蔑ろにされてはいけない事だと思う。唯ここで大事な事は信賞必罰と云っても常に適時適切でなければならないと云う事である。是は微妙にして非常に難しい事で之が当を得なかったならば却ってことを誤ってしまう。

*二八日 組織や地位に捉われない

今日企業界各企業の間に於ける競争と云うものは非常に激烈なものがある。此の激しい競争に於いて瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に何としても先ず直接の上司に云わねばならないんだとか矢張り組織を通じて処理しなければ叱られるだとか言っていたのでは競争に負けて仕舞うような事もあろう。事の順序としては勿論直接の上司の人に先ず云うべきではあるけれども、どうしても急を要する場合は組織や地位に捉われず即刻処理してゆくことが大切だと思う。何か事ある時には全員が打てば響く様な素早さで活動しなければいけない。

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってくる。

どうなるのでしょうね(=^・^=)


NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞら2025年8月6日 07:30

目次

  1. 41.8℃❓❓❓❓❓(=^・^=)
  2. 雨降るかな(=^・^=)
  3. どうぶつ基金さん&宮崎県取り組み報告
  4. 宮崎県山間部TNR地域集中プロジェクト7月ご報告
  5. 【五ヶ瀬町・担当者より】

41.8℃❓❓❓❓❓(=^・^=)

昨日はとうとう群馬、伊勢崎で41.8℃という日本気象史上最高の温度が記録されたようですね~😿
そこだけが飛びぬけてと云う事ではなく、全体的に気温が
上がっている現状❣❣❢

昼は連続猛暑日・夜は熱帯夜😿日本列島この先どうなるのでしょうか。
家の中では猫たちもクーラーのある部屋で、ダレダレ(=^・^=)

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クーラーのない2Fは窓を開け、風通しを良くして、扇風機全開の状態ですが、2Fで寝起きをしている子達は、わりとその環境気に入っているよう😽

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雨降るかな(=^・^=)

外猫達は長年の外暮しの智慧からなのでしょう。
早朝に行動を起こして、昼間は、風の通日陰でゆっくりと過ごしている
ようです。

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予報によれば今週後半は、どうやら雨模様になるらしいとの事❣❣
少しは気温のダウンにもつながるかもしれませんね~❣❣
期待しましょう(=^・^=)

どうぶつ基金さん&宮崎県取り組み報告

こんな気象状況の中でも、長崎県壱岐市や宮崎県でのTNRプロジェクトは継続されているようです❣❣
先日、動物基金さんのSNSにその状況が報告されていましたのでお知らせいたします。今回は宮崎山間部での取り組みでした。

私共、小さな力ですが愛護活動に携わっているものとして、基金さん等々の大々的活動をお知らせする事も、動物愛護の現状を知って頂く啓蒙活動の一環として、大切な事と考えています。少しでも環境が改善されることを願いつつ今後も、引き続き折に触れて、この様な活動もご紹介して参りたいと考えています。

宮崎県山間部TNR地域集中プロジェクト7月ご報告

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どうぶつ基金さんSNSより拝借

7月23日~7月26日の4日間

どうぶつ基金は宮崎県山間部TNR地域集中プロジェクト第4回目の実施を行いました。

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宮崎県山間部TNR地域集中プロジェクト

【実施日程】
・2025年7月23日(水)~7月26日(木)
【会場】
・どうぶつ基金病院西臼杵(大人歌舞伎の館)
執刀医 : 長井
行政職員
7/23:5名  7/24:5名  7/25:4名  7/26:3名
ボランティア
7/23:6名  7/24:7名  7/25:6名  7/26:3名
手術数
オス :60頭  メス :77頭  メス(妊娠) :7頭
耳カットのみ :0頭

※耳カットのみとは:麻酔後、ワクチン投与・ノミダニ駆除・耳カットをしたが、手術前に不妊手術済であったことが獣医により確認されたため手術を行わなかった猫のことです。

総数:144頭

7月は、144頭のさくらねこが誕生しました。

連日の猛暑が続く中、活動に参加された皆様の熱中症対策、そして猫たちへの配慮も万全に整え、無事に活動を実施することができました。
人も猫も安全に4日間の活動を終えることができました。

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どうぶつ基金さんSNSより拝借

【五ヶ瀬町・担当者より】

今月は春ごろに産まれた子猫が多く、全体の3分の1ぐらいは子猫でした。
この子猫がまた子どもを産んでと考えると、事業を継続することが大事だと改めて思いました。

今月は夏休みに入ったこともあり、学生がボランティアスタッフで参加してくれました。
いろんな人に協力をしてもらい、西臼杵のTNR事業ができていることに感謝します。

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NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

古事記人名検索(Ⅳ)

=あいうえお順=

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人として特定できるものは表記している

(再録かも??)

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。尚、神名は参考にしている新潮社古典文学54年版「古事記」の末尾附録として掲載されてます。ご興味ある方は、そちらもご覧ください。

因みに 岩波古典文学大系「古事記」の付録は、今に伝わる祝詞のすべてが、また小学館版の「古事記」には上代歌謡のすべてが収録されています。

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タ行

高倉下          タカクラジ      中   111   20   熊野豪族 高天原ヨリ神武救護の刀を授かる

多芸志美美命       タギシミミノミコト    中   119   37  
アヒラヒメ・ジンムの子 後に庶子弟により殺害(当芸志美美命

建沼河耳命        タケヌナカワミミノミコト   中   123   46 ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの三男タケヌナカワ同 第二代綏靖天皇スイゼイ 葛城高岡宮(奈良御所ゴゼ市森脇)崩御45歳 御陵:衝田ツキタ岡(橿原市四条町田井坪)

多芸志泥命        タギシヒコノミコト    中   125   62  イトク・フトマワカヒメ次男血沼別チヌノワケ/多遅麻之竹別/葦井稲置ノ祖

建波邇夜須毘古命     タケハニヤスビコニモコト   中   128   93
コウゲンテンノウ・ハニヤスビメ長子→崇神記謀反企誅殺

建沼河別命        タケヌナカワワケノミコト   中   129   94
オホビコ長子→阿部臣等ノ祖・崇神記:四道将軍‐東海地方


高千那毘売        タカチナビメ      中   129   97
 オホナビ妹-ヒコフツオシノマコト妻

建内宿禰         タケウチノスクネ     中   129   101
ヒコフツオシノマコト・ヤマシタカゲヒメ長子→イワノヒメ(ニントクテンノウ后)ノ祖父 セイム~ニントク朝に仕える長寿家臣ジングウコウゴウ朝鮮出兵時霊媒者

竹野比売         タカノヒメ       中   130   112
 ユゴリ娘-カイカテンノウ妃

建豊波豆羅和気王     タケトヨハヅラワケノミコ   中   130   121
カイカテンノウ・ワシヒメ長子→道守チモリ臣・忍海部オシヌミベ造・御名部ミナベ造 稲羽ノ忍海部・丹波ノ竹野別・依網ノ阿毘古等ノ祖

建国勝戸売        タケクニカツトメ     中   131   129
春日豪蔟 サホノオホクラミトメ親

丹波比古多多須美知能宇斯王 タニハノヒコタタスミチノウシノミコ 中   131   138
ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ長子 娘エヒメ・オトヒメ→スイニンテンノウ朝サホビコ謀反記事  書紀崇神紀:丹波道四道将軍

丹波遠津臣        タニハノトホツオミ     中   132   157
丹波豪族主 タカヒメ(カニメイカヅチ妻)親 

高材比売         タカキヒメ       中   132   158
 タニハノトホツオミ娘-カニメイカヅチオオキミ妻

建甕槌命         タケミカヅチノミコト    中   135   187
イイカタシミノミコト子ーオオタタネコノ父-オオモノヌシ系

多遅摩毛理        タジマモリ      中   153   224
三宅連ノ祖・アメノヒボコ系譜子孫→スイニン朝常世ノ国ヨリトキジクノ木ノ実(橘)を持ち帰る

高木比売命        タカキヒメノミコト     中   155   243
ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

帯中日子命        タラシナカツヒコノミコト   中   171   267
ヤマトタケル・フタジノイリビメ(スイニンテンノウ娘)長子→第十四代仲哀天皇チュウアイ 穴戸豊浦アナトノトユラ宮-山口豊浦郡下関 筑紫訶志比宮-福岡香椎 (壬戌年6月11日)崩御-西暦362年比定?)52歳崩御天皇在位9年 御陵:河内恵我長野西エガノナガノノニシ陵(大阪藤井寺市)

建貝児王         タケカヒコノオオキミ    中   172   274
ヤマトタケル・オオキビタケヒメ長子→讃岐綾君・伊勢別・登美別・麻佐首・宮首ミヤヂ別等の祖

建忍山垂根        タケオシヤマタリネ     中   173   291
穂積臣の祖 オトタカライラツメ(セイムテンノウ妃)ノ親

高木之入日売命      タカギノイリヒメノミコト   中   183   300
ホムダマワカ娘長女-オウジンテンノウ妃

建伊那陀宿禰       タケイナダノスクネ    中   183   303
尾張連ノ祖 シリツキトメ(イホキノイリヒコノ妻)ノ親

玉郎女          タマノイラツメ      中   184   334
オウジンテンノウ・カグロヒメ次女

卓素           タクソ        中   192   347
百済国照古王献上 手人韓鍛テヒトカラカメチ-鍛冶技術者 応神朝

多遅摩之㑨尾       タジマノマタヲ     中   199   356
 但馬 (丹波) 国豪族首長か  サキツミ(アメノヒボコ妻)ノ親

多遅摩母呂湏玖      タジマモロスク     中   199   358
アメノヒボコ・サキツミ長子

多遅摩斐泥        タジマヒネ      中   199   359
タジマモトスク長子

多遅摩比那良岐      タジマヒナラキ     中   199   360
タジマヒネ長子→タジマモリノ父

多遅摩比多訶       タジマヒタカ      中   199   361
 タジマヒラナキ次男(長子―タジマモリ)

当摩之咩斐        タギマノメヒ      中   199   363
奈良葛城地帯氏族一族か-スガヒコ妻

田井之中比売       タイノナカツヒメ     中   199   375
ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)次女-インギョウテンノウ皇后ノ妹

蝮之水歯別命       タヂヒノミヅハワケノミコト  下   204   386
ニントクテンノウ・イワノヒメ三男→第十八代反正天皇ハンゼイ多治比柴垣宮-大阪羽曳野市郡戸コオズ 丁丑年7月60歳崩御 御陵:毛受野モズノ(大阪堺市田出井町)

財王           タカラノオホキミ     下   225   416
ハンゼイテンノウ・オトヒメ長男

多訶弁郎女        タカベノイラツメ     下   225   417
ハンゼイテンノウ・オトヒメ次女

橘大郎女         タチバナノオホイラツメ   下   225   427
インギョウテンノウ・オオナカツヒメ三女

高木郎女         タカギノイラツメ     下   263   472
 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ長女

財郎女          タカラノイラツメ     下   263   473
ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ次女

手白髪郎女        タシラカノイラツメ     下   264   475
ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ四女-ケイタイテンノウ大后

建小広国押楯命      タケヲヒロクニオシタテノミコト  下   265   488
ケイタイテンノウ・メノコノイラツメ次子→第二十八代ノ宣化天皇センカ・センゲ 檜垌ヒノクマ廬入野イホイリノ宮  -奈良高市郡明日香檜前ヒノクマ 在位4年 書記:73歳崩御 御陵:身狭桃花鳥ムサノツキ坂上(奈良橿原市鳥屋)

橘中比売         タチバナノナカツヒメ    下   266   517
ニンケンテンノウ御子?ーセンカ(センゲ)テンノウ妃

橘豊日命         タチバナノトヨヒノミコト   下   267   535
キンメイテンノウ・キタシヒメ長子→第三十一代用明天皇ヨウメイ
池辺宮イケノベノミヤ三年在位 丁未ヒノトノヒツジ587年4月15日崩御 御陵:石寸イハレ掖上ワキガミ(桜井市倉橋)→後科長中陵シナガノナカノミササギへ

橘本若子王     タチバナモトノワクゴノオホキミ  下   268   546
キンメイテンノウ・キタシヒメ九男

竹田王          タケダノオホキミ     下   268   559
ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長子

多米王          タメノオホキミ      下   269   565
ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)六男

宝王           タカラノオホキミ     下   269   570
ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・タムラノオホキミ同

田村王          タムラノオホキミ     下   269   583
ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・ヌカデヒメ同

多良王          タラノオホキミ      下   269   585
ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ三男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

多米王          タメノオホキミ      下   270   593
ヨウメイテンノウ・オホギタシヒメ長子

当麻倉首比呂       タギマノクラノオビトヒロ  下   270   598
当麻地方豪族首長 イヒメノコ(ヨウメイテンノウ妃)親

当麻王          タギマノオホキミ     下   270   600
ヨウメイテンノウ・イイメノコ長子

チ行

千千速真若比売      チチハヤマワカヒメ     中   127   73
春日豪族 コウレイテンノウ妻

千千速比売命       チチハヤヒメノミコト    中   127   74
コウレイテンノウ・チチハヤマワカヒメ長女

近淡海御上祝       チカツアフミノミカミノハフリ  中   131   136
(滋賀県)御上神社神官

千千都久和比売命     チチツウワヒメノミコト    中   134   179
スジンテンノウ・ミマツヒメ次女

知奴王          チヌノオホキミ      下   269   588
ヒコヒトヒツギノミコ・オオマタオホキミ長女

ツ行

土雲八十建        ツチグモヤソタケル    中   116   28
大和忍坂土着生尾蔟 神武敵対

都怒郎女         ツノノイラツメ      下   225   412
ワニノコゴト娘→ハンゼイテンノウ妃

都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   225   414
ハンゼイテンノウ・ツノノイラツメ次女 

都夫良意富美       ツブラオホミ      下   235   436
タケノウチスクネ曾孫豪族葛城氏皇室外戚 カツラギノツブラノオホオミ同 カラヒメ(ユウリャク妃)親-アンコウテンノウ刺殺のマヨワオオキミが逃込む :ユウリャクテンノウに攻められマヨワオオキミと共に死す

都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   265   512
ケイコウテンノウ・アヘノハエヒメ次女

竺紫国石井        ツクシノクニオノイハイ    下   266   514
 ケイタイ朝筑紫にて反乱

ト行(テ行ナシ)

登美能那賀須泥毘古 トミノナガスネヒコ    中   110   19
長髄彦 登見毘古―大和登美豪族 神武東征阻む勢力

登美毘古         トミビコ       中   117   29
大和豪族→長脛彦ナガスネヒコ トミノナガスネヒコ同 神武東征阻む勢力

登美夜毘売  (田+比)   トミヤビメ      中   119   33
トミビコ妹ニ゙ハヤヒ妻(妹登美夜毘売

常根津日子伊呂泥命    トコネツヒコイロネノミコト   中   125   51
アクトヒメ・アンネイ長子

遠津年魚目目微比売    トホツアユメマグハシヒメ   中   133   167
アラカワトベ娘ースジンテンノウ妃

豊木入日子命       トヨキイリヒコノミコト    中   133   168
スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長子→上毛野カミツケノ/下毛野君等ノ祖

豊鉏入日売命       トヨスキイリヒメノミコト   中   133   169
スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長女→伊勢神宮祭祀拝斎初代斎宮

十市之入日売命      トヲチノイリヒメノミコト   中   133   174
スジンテンノウ・オオアマヒメ次女

豊戸別王         トヨトワケノオホキミ    中   154   237
ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇子

豊国別王         トヨクニワケノオホキミ    中   155   246
ケイコウテンノウ・ミハカシビメ長子→日向国造ノ祖

登富志郎女        トホシノイラツメ     中   184   336
オウジンテンノウ・カグロヒメ四女

取売王          トリメノオホオキミ     中   203   377
ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)四女

鳥山           トリヤマ       下   211   397
ニントクテンノウ舎人

豊御気炊屋比売命     トヨミケカシキヤヒメノミコト  下   267   538
キンメイテンノウ・キタシヒメ次女-ビタツテンノウ妃→第三十三代推古天皇スイコ 小治田宮三十七年在位 戊子ツチノエネー628年3月15日癸丑ミズノトノウシノヒ 崩御 御陵:大野ノ岡ノ上(奈良宇陀郡室生町大野・橿原市和田か)後ニ科長大陵(大阪南河内郡太子町)

ナ行

七拳脛          ナナツカハギ      中   171   266
久米直ノ祖ーヤマトタケルノ東西国討伐軍従軍→膳夫

難波根子建振熊      ナニハネコタケフルク    中   179   298
丸邇ワニ臣の祖-神功皇后-太子軍ノ将 反逆軍を斃す

中日売命         ナカツヒメノミコト     中   183   301
ホムダマワカ娘次女-オウジンテンノウ妃

中日子王         ナカツヒコノオホキミ    中   203   380
ネトリノオオキミ・ミハラノイラツメ長子

長目比売命        ナガメヒメ      下   204   391
ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ハタビノワカイラツメ・ワカクサカベノミコト同→ユウリャクテンノウ求婚

長田大郎女        ナガタノオホイラツメ    下   234   434
元オホクサカノオオキミ妻-インギョウテンノウ皇女(アンコウテンノウ同母姉ヲサダノオホイラツメ)?或はリチュウテンノウ皇女 中帯姫ナカシヒメか→アンコウテンノウ皇后

難波王          ナニハノオホキミ     下   259   579
ケンソウテンオウ妃イハキオホキミ娘

長目比売         ナガメヒメ      下   265   503
ケイタイテンノウ・セキヒメ三女 ノノイラツメ同

難波王          ナニハノオホキミ     下   269   579
 ビタツテンノウ・オミナコイラツメ長子

中津王          ナカツノオホキミ     下   269   584
ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ次男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

ニ行

贄持之子         ニエモツノコ      中   113   21
神武東征援 阿陀の鵜養ウカイの祖(神名)

邇芸速日之命       ニギハヤヒノミコト    中   119   32
登美毘古軍将軍後神武帰順 ニニギ以前高天原より飛来か 物部氏ノ祖 (神名)

仁番           ニホ        中   192   351
百済ヨリ帰化人酒造技術者 ススコリ同 応神朝

ヌ行

沼名木之入日売命     ヌナキノイリヒメニミコト   中   133   173
スジンテンノウ・オオアマヒメ長女

沼羽田之入毘売      ヌバタノイリビメ    中   141   198
ヒバスヒメ(ヒコタタスミチノウシ娘)妹→スイニンテンノウ妃

沼帯別命         ヌタラシワケノミコト    中   141   199
 スイニンテンノウ・ヌバタノイリビメ長子

沼代郎女         ヌノシロノイラツメ     中   154   238
ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇女

沼木郎女         ヌナキノイラツメ     中   154   239
ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

額田大中日子命      ヌカタノオホナカツヒコノミコト  中   183   305
オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ長子

奴理能美         ヌリノミ       下   210   396
箇木ツツキの韓人((現京都綴喜郡)百済帰化人統率者 奴理使主ヌリノミ同か 養蚕

糠若子郎女        ヌカノワクゴノイラツメ   下   264   479
 ワニノヒツマノオミ娘-ニンケンテンノウ妃

沼倉太玉敷命       ヌナクラフトタマシキノミコト  下   267   525
キンメイテンノウ・イシヒメ長子→第三十代敏達天皇ビタツ他田ヲサダ宮-現奈良桜井市戒重十四年在位 甲辰キノエタツ584年4月6日崩御 御陵:川内ノ科長(大阪南河内郡太子町)

糠子郎女         ヌカゴノイラツメ     下   267   529
ヒツマノオミ娘ーキンメイテンノウ妃

糠代比売王        ヌカデヒメノオホキミ    下   269   571
ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母(庶妹)☞タカラオホキミ・タムラノオホキミ同

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家庭内野良😿

NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞら2025年7月14日 07:11

雨ですネ(=^・^=)


外暮しの子達が朝食を終えて其々の居場所へ戻った後、今、雨が降り出しました(=^・^=)
何日ぶりでしょうか?
福岡市などは、結構強い雨が短時間降っていたようですが、ここ門司港は、梅雨明けから今日まで、全く雨の気配なかったですね~(=^・^=)

この暑さの中、短い時間のお湿り程度かも知れませんが、慈雨といえるのでしょうか。
漸くの雨に街路樹も一息入れているかもしれません。

保護猫なんですが・・・


この雨、少し気温さげるのに役立つかも、街路樹だけではなく、外暮しの子達も喜んでいるかな。

さて、家の中には、20匹弱の保護猫達が暮らしていますが、その中でも
極めつけの人間嫌いな子が1匹❣❣ 名前は「ふて」❣❣
ふてくされいる雰囲気からの命名😽

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保護される時の状況があまり宜しくなかったようで、トラウマとなっているのか、まるで人を受け付けませんでした。
この子は、門司港、家の近くで保護された子なんですが、同じころに、八幡東区で保護されてやってきた「はち」とは、現在、全く真逆の暮らしぶり❣❣

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保護当時の「はち」(左)と「ふて」(右側)

来た時は、同じ様な体型だったのですが、ヒトを避け、隠れながら暮らしていた「ふて」やはり食ベ方が足りなかったのかも・・・
体質もあるのでしょうが、現在、「はち」は其れなりに大きくなり、整った体つき❣❣
生まれつき少し目に難がありましたが、其れでも元気にどちらかと云うと
わがまま一杯に育ってます🙀
ヒトの側に居るのが大好きで、食べたいときに食べる暮らしぶり=^_^=

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一方の「ふて」は、外で暮らしている子達よりも野良みたいな感じで、殆ど隠れて姿を見せな様な、暮らしが続いていましたが、漸く近頃、お腹が空いたと、自己主張して食べ物ねだる様になりました😽
現在は、朝晩しっかりと食べれる様に・・・(=^・^=)

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でも、小さい時の食が細かったのが祟っているのか、細胞がしぼんでしまっている様な体型❣❣
とは言え、元気に、気の合う子達と一緒にくっ付いて暮らしてます。
一番面倒見てくれるのは、戸畑からやってきている「おと」❣❣

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しっかり可愛がってね~(=^・^=)

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松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「人の心は理屈では割り切れない。微妙に動く人情の機微を知り、之に即した言動を心がけ、豊かな人間関係を築きたい。」―人生心得帖よりー

【八月の言葉】

*一日 身を持って範を示す

指導者と云うものは色々な形で自ら信じる処思う処を人々に絶えず訴えねばならない。同時に大切なのは其事を自分自身が身を以て実践し範を示す様に努めて行く事であろう。百日の説法屁一つと云う諺の有る様にどんなに良い事を説いても、その成す処が其れに反していたのでは十分な説得力は持ち得ない。勿論力及ばずして百%実行は出来ないと云う事も有ろう。と云うよりそれが人間としての常かも知れない。併し身を以て範を示すと云う気概の無い指導者には人々は決して心からは従わないものである。

*二日 人間は初めから人間である

人間は其の歴史に於いて様々な知識を養い道具を創り出し生活を向上させてきました。然し私は人間の本質そのものは初めから変わっていないと思います。人間は元々人間であって人間そのものとして向上してきたと思うのです。私は人間が猿から進歩したと云う様な考え方に対しては疑問を持っています。猿は矢張り最初から猿であり虎は最初から虎であり人間は最初から人間であると思うのです。人間は初めから人間として素質特性を与えられ自らの努力によって知識を深め道具を拵えて自らの生活を高めて来たそれが人間の歴史だと思うのです。

*三日 強固な精神力を

その昔日蓮上人は唯一人の聴衆の姿も見えないと云う時でも巷に立って我が信念を説いたと云います。何をほざくかと馬糞を投げられ石を投げられ散々な侮辱を蒙っても、彼はびくともせず日本の安泰の為に民衆の幸福の為に我が信念を傾けました。日蓮上人のそういう態度と比べてみると我々と同じ人間でありながら大変な相違があるなと云う感じがします。今我々に必要なのは日蓮上人のあの強固な精神力です。日蓮上人と迄は行かなくてもせめて自分の仕事に一つの使命感を感じこれに情熱を傾けて精進する積極的な自主独立の精神を養いたいものです。

*六日 自分を褒める心境

私は今二十代の夏の日の事を懐かしく思い出します。日のある内に一杯仕事をし晩に盥に湯を入れて行水をするのです。仕事を終えた後の行水は非常に爽やかで自分ながら今日一日良く働いたなぁという満足感を味わったものです。自分ながら今日はよくやったと云って自分を褒める自分を労ると云う心境、そう云う処に私はなんだか生甲斐と云うものを感じていたように思うのです。お互い毎日の仕事の中で自分で自分を褒めて挙げたいと云う心境になる日を一日でも多く持ちたいそういう日を積み重ねたいものだと思います。

*八日 素直に有難さを認める

今日皆さんがこの会社に入社する事が出来たのは一つには皆さんの努力に拠るものでしょう。然し決して自分一人の力でこうなったと自惚れてはなりません。会社にしましても世間からご贔屓を頂いているからこそ今日こうして成り立っているのです。ですから個人にしても会社にしても或は国の場合でもやはり謙虚にものを考えその物事の成り立っている背景也人々の恩恵というものを正しく認識しなければなりません。そして協力してくださる相手に対しては素直に喜びと感謝を表し自分達も是の相応した働きをして行く事が大切だと思います。

*十日 欲望は生命力の発現

欲の深い人はというと普通は善くない人の代名詞として使われている様陀。所謂欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件が余りにも多い為であろう。しかし人間の欲望と云うものは決して悪の根源ではなく人間の生命力の表れであると思う。例えて云えば船を動かす蒸気力の様なものであろう。だから是を悪としてその絶滅を計ろうとすると船を止めてしまうのと同じく人間の生命をも絶ってしまわねばならぬことに為る。つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく生其の物であり力だと言って良い。だからその欲望を如何に善に用いるかと云う事こそ大事だと思う。

*十一日 小便が赤くなる迄

商売は非常に難しく厳しい。謂わば真剣勝負だ。商売の事を彼是思い巡らして眠れない夜を幾晩も明かす。それ程心労を重ねなければならない。心労の余り等々小便に血が混じって赤くなる。其処迄苦しんで初めてどうすべき可と云う道が開けてくる。だから一人前の商人になる迄には二度や三度は小便が赤くなる経験をするものだ。是は私が小僧時代に御主人に聞かされた話ですが今にして思えば是は決して商人だけに当て填る事では無いと思います。何をするにしても是だけの苦しみを経ずして成功しようとするのは矢張り虫が良すぎるのではないでしょうか。

*十三日 投資をしているか

書物によると太閤秀吉と云う人は馬の世話をる係になった時、主人である織田信長が乗る馬を立派にする為に、自分の僅かな給料を割いて人参を買って食べさせてやったと云う事です。是は一つの誠意ある投資だと思うのです。そこで皆さんは投資をしているかと云う事です。その様に一旦貰った給料を会社へ又献金する必要はありませんが、然し自分夫の知恵で投資するか或は時間で投資するか、何らかの形で投資すると云う面が自分の成長の為にも必要だと思うのです。又其れ位の事を考えてこそ一人前の社員と云えるのではないでしょうか。

*十五日 平和の価値を見直す

最近平和と云うものが何か言わば空気や水の様に極当然に存在するものと云った感じが強くなってきたのではないだろうか。平和の貴重さ有難さが段々忘れられつつあるように感じられる。其れは危険な事だと思う。平和は天然現象ではない。人為と云うか人間の自覚と努力によって初めて実現され維持されるのである。だからこの際お互いにもう一度平和の価値と云うものを見直してみたい。そしてこの価値を知ったうえで国民として何を為すべきかを考え合いたい。差もないと折角続いたこの貴重な平和を遠からずして失う事にも成ってしまうのではないだろうか。

*十六日 道徳は実利に結びつく

社会全体の道徳意識が高まれば、先ずお互いの精神生活が豊かに成り少なくとも人に迷惑を舁けない様になります。それが更に進んで互いの立場を尊重し合う様に成れば人間関係も良くなり、日常活動が非常にスムーズに行く様になるでしょう。又自分の仕事に対しても誠心誠意之に当ると云う態度が養われれば、仕事も能率的に成り自然により多くのものが生み出される様になる。つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると云えるのではないでしょうか。そう考えるならば私達が道徳に従って全ての活動を行うと云う事は、社会人としての大切な義務だと云う事にも成ると思います。

*十九日 自由と秩序と繁栄

自由と云う姿は人間の本性に適った好もしい姿で自由の程度が高ければ髙い程生活の向上が生み出されると云えましょう。併し自由の半面には必ず秩序が無ければならない。秩序の無い自由は単なる放恣に過ぎず社会生活の真の向上は望めないでしょう。民主主義の下に在ってはこの自由と秩序が必ず求められしかも両者が日を追って高まっていく処に進歩発展と云うものがあるのだと思います。そしてこの自由と秩序と云う一見相反するような姿は実は各人の自主性に於いて統一されるもので、自主的な態度が自由を放恣から守り、無秩序を秩序に換える根本的な力になるのだと思います。

*二一日 カンを養う

カンと云うと一見非科学的なものの様に思われる。併し勘が働く事は極めて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断の出来るカンを養わなくてはいけない。其れではそうしたカンはどうしたら持つ事が出来るのか。是は矢張り経験を重ね修練を積む過程で養われていくものだと思う。昔の剣術の名人は相手の動きを勘で察知し切っ先三寸で身を躱したと云うが其れは其れこそ血の滲む様な修行を続けた結果であろう。その様に指導者としても経験を積む中で厳しい自己鍛錬に拠って真実を直感的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。

*二四日 我執

一人一人の人が其々に自分の考え自分の主張を持つと云う事は民主主義の下では究めて大事な事である。が同時に相手の言い分もよく聞いて是を是とし非を非としながら話し合いの裡に他と調和して事を進めて往くという事も、民主主義を成り立たせる不可欠の要件であると思う。若しも此の調和の精神が失われ其々の人が自分の主張のみに捉われたら其処には個人的我執だけが残って争いが起こり平和を乱すことに為る。今日の我が国の現状世界の情勢を見るとき、今少し話し合いと調和の精神が欲しいと思うのだが如何なものであろう。

*二五日 為すべき事を為す

治に居て乱を忘れずと云う事がある。太平の時でも乱に備えて物心共の準備を怠ってはならないと云う事で指導者として極めて大切な心構えである。とは言え人間と云うものは兎角周囲の情勢に流され易い。治にあれば治に溺れ乱に遇えば乱に巻き込まれて自分を見失って仕舞勝ちである。そう云う事無しに常に信念を持って主体的に生きる為にはやはり心静かに吾何を為すべきかを考えその為すべき事を只管成して行く事が大切である。指導者の要諦とは見方によってはこの為すべき事を為すと云う事に尽きるとも言えよう。

*二七日 職責の自覚

お互いに欠点と云うものは沢山あり何もかも満点と云う訳には往かない。だから自分の足りないところは他の人に補って貰わなければならないが、其の為には自分自身が自分の職責を強く自覚しその職責に対して懸命に打ち込むと云う姿勢が大切である。仕事に熱心であれば自ずから自覚が高まるし職責の自覚があれば人は亦常に熱心である。そうした自覚奏した熱意は多くの人の感応を呼び協力も得られ易くなる。そう云う事から自らの職責を自覚し全身全霊を打ち込むと云う心掛けだけはお互いに疎かにしたくないと思うのである。

*三一日 辛抱が感謝になる

我々が一生懸命に仕事をしても世間が其れを認めてくれなかったら非常に悲しい。そんな時その悲しさが不平となり出てくるのも一面無理のない事だと思う。然し認めてくれないのは世間が悪いという解釈もできるがまあ一寸辛抱しよう。今認めてくれなくてもいつか認めてくれるだろう。とじっと耐え忍びいい仕事を続けていくと云うのも一つの方法である。そして認めて貰ったら是は非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。より多く我々を認めてくれた社会に対して働かなくてはいけないと云う感謝の心になってくる。そういう心が無ければいけないと思う。

古事記人名検索(Ⅳ)

=あいうえお順=

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は上記版における 名前 読み方 巻 ページ 登場順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人として特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。尚、神名は参考にしている新潮社古典文学54年版「古事記」の末尾附録として掲載されてます。ご興味ある方は、そちらもご覧ください。

因みに 岩波古典文学大系「古事記」の付録は、今に伝わる祝詞のすべてが、また小学館版の「古事記」には上代歌謡のすべてが収録されています。

タ行

高倉下          タカクラジ      中   111   20

 熊野豪族 高天原ヨリ神武救護の刀を授かる

多芸志美美命       タギシミミノミコト    中   119   37

 アヒラヒメ・ジンムの子 後に庶子弟により殺害(当芸志美美命

建沼河耳命        タケヌナカワミミノミコト   中   123   46

 ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの三男タケヌナカワ同 第二代綏靖天皇スイゼイ 葛城高岡宮(奈良御所ゴゼ市森脇)崩御45歳 御陵:衝田ツキタ岡(橿原市四条町田井坪)

多芸志泥命        タギシヒコノミコト    中   125   62

 イトク・フトマワカヒメ次男血沼別チヌノワケ/多遅麻之竹別/葦井稲置ノ祖

建波邇夜須毘古命     タケハニヤスビコニモコト   中   128   93

 コウゲンテンノウ・ハニヤスビメ長子→崇神記謀反企誅殺

建沼河別命        タケヌナカワワケノミコト   中   129   94

 オホビコ長子→阿部臣等ノ祖・崇神記:四道将軍‐東海地方

高千那毘売        タカチナビメ      中   129   97

 オホナビ妹-ヒコフツオシノマコト妻

建内宿禰         タケウチノスクネ     中   129   101

 ヒコフツオシノマコト・ヤマシタカゲヒメ長子→イワノヒメ(ニントクテンノウ后)ノ祖父 セイム~ニントク朝に仕える長寿家臣ジングウコウゴウ朝鮮出兵時霊媒者

竹野比売         タカノヒメ       中   130   112

 ユゴリ娘-カイカテンノウ妃

建豊波豆羅和気王     タケトヨハヅラワケノミコ   中   130   121

 カイカテンノウ・ワシヒメ長子→道守チモリ臣・忍海部オシヌミベ造・御名部ミナベ造 稲羽ノ忍海部・丹波ノ竹野別・依網ノ阿毘古等ノ祖

建国勝戸売        タケクニカツトメ     中   131   129

 春日豪蔟 サホノオホクラミトメ親

丹波比古多多須美知能宇斯王 タニハノヒコタタスミチノウシノミコ 中   131   138

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ長子 娘エヒメ・オトヒメ→スイニンテンノウ朝サホビコ謀反記事  書紀崇神紀:丹波道四道将軍

丹波遠津臣        タニハノトホツオミ     中   132   157

 丹波豪族主 タカヒメ(カニメイカヅチ妻)親 

高材比売         タカキヒメ       中   132   158

 タニハノトホツオミ娘-カニメイカヅチオオキミ妻

建甕槌命         タケミカヅチノミコト    中   135   187

 イイカタシミノミコト子ーオオタタネコノ父-オオモノヌシ系

多遅摩毛理        タジマモリ      中   153   224

 三宅連ノ祖・アメノヒボコ系譜子孫→スイニン朝常世ノ国ヨリトキジクノ木ノ実(橘)を持ち帰る

高木比売命        タカキヒメノミコト     中   155   243

 ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

帯中日子命        タラシナカツヒコノミコト   中   171   267

 ヤマトタケル・フタジノイリビメ(スイニンテンノウ娘)長子→第十四代仲哀天皇チュウアイ 穴戸豊浦アナトノトユラ宮-山口豊浦郡下関 筑紫訶志比宮-福岡香椎 (壬戌年6月11日)崩御-西暦362年比定?)52歳崩御天皇在位9年 御陵:河内恵我長野西エガノナガノノニシ陵(大阪藤井寺市)

建貝児王         タケカヒコノオオキミ    中   172   274

 ヤマトタケル・オオキビタケヒメ長子→讃岐綾君・伊勢別・登美別・麻佐首・宮首ミヤヂ別等の祖

建忍山垂根        タケオシヤマタリネ     中   173   291

 穂積臣の祖 オトタカライラツメ(セイムテンノウ妃)ノ親

高木之入日売命      タカギノイリヒメノミコト   中   183   300

 ホムダマワカ娘長女-オウジンテンノウ妃

建伊那陀宿禰       タケイナダノスクネ    中   183   303

 尾張連ノ祖 シリツキトメ(イホキノイリヒコノ妻)ノ親

玉郎女          タマノイラツメ      中   184   334

 オウジンテンノウ・カグロヒメ次女

卓素           タクソ        中   192   347

 百済国照古王献上 手人韓鍛テヒトカラカメチ-鍛冶技術者 応神朝

多遅摩之㑨尾       タジマノマタヲ     中   199   356

 但馬 (丹波) 国豪族首長か  サキツミ(アメノヒボコ妻)ノ親

多遅摩母呂湏玖      タジマモロスク     中   199   358

 アメノヒボコ・サキツミ長子

多遅摩斐泥        タジマヒネ      中   199   359

 タジマモトスク長子

多遅摩比那良岐      タジマヒナラキ     中   199   360

 タジマヒネ長子→タジマモリノ父

多遅摩比多訶       タジマヒタカ      中   199   361

 タジマヒラナキ次男(長子―タジマモリ)

当摩之咩斐        タギマノメヒ      中   199   363

 奈良葛城地帯氏族一族か-スガヒコ妻

田井之中比売       タイノナカツヒメ     中   199   375

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)次女-インギョウテンノウ皇后ノ妹

蝮之水歯別命       タヂヒノミヅハワケノミコト  下   204   386

 ニントクテンノウ・イワノヒメ三男→第十八代反正天皇ハンゼイ多治比柴垣宮-大阪羽曳野市郡戸コオズ 丁丑年7月60歳崩御 御陵:毛受野モズノ(大阪堺市田出井町)

財王           タカラノオホキミ     下   225   416

 ハンゼイテンノウ・オトヒメ長男

多訶弁郎女        タカベノイラツメ     下   225   417

 ハンゼイテンノウ・オトヒメ次女

橘大郎女         タチバナノオホイラツメ   下   225   427

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ三女

高木郎女         タカギノイラツメ     下   263   472

 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ長女

財郎女          タカラノイラツメ     下   263   473

 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ次女

手白髪郎女        タシラカノイラツメ     下   264   475

 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ四女-ケイタイテンノウ大后

建小広国押楯命      タケヲヒロクニオシタテノミコト  下   265   488

 ケイタイテンノウ・メノコノイラツメ次子→第二十八代ノ宣化天皇センカ・センゲ 檜垌ヒノクマ廬入野イホイリノ宮  -奈良高市郡明日香檜前ヒノクマ 在位4年 書記:73歳崩御 御陵:身狭桃花鳥ムサノツキ坂上(奈良橿原市鳥屋)

橘中比売         タチバナノナカツヒメ    下   266   517

 ニンケンテンノウ御子?ーセンカ(センゲ)テンノウ妃

橘豊日命         タチバナノトヨヒノミコト   下   267   535

 キンメイテンノウ・キタシヒメ長子→第三十一代用明天皇ヨウメイ

池辺宮イケノベノミヤ三年在位 丁未ヒノトノヒツジ587年4月15日崩御 御陵:石寸イハレ掖上ワキガミ(桜井市倉橋)→後科長中陵シナガノナカノミササギへ

橘本若子王       タチバナモトノワクゴノオホキミ  下   268   546

 キンメイテンノウ・キタシヒメ九男

竹田王          タケダノオホキミ     下   268   559

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長子

多米王          タメノオホキミ      下   269   565

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)六男

宝王           タカラノオホキミ     下   269   570

 ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・タムラノオホキミ同

田村王          タムラノオホキミ     下   269   583

 ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・ヌカデヒメ同

多良王          タラノオホキミ      下   269   585

 ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ三男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

多米王          タメノオホキミ      下   270   593

 ヨウメイテンノウ・オホギタシヒメ長子

当麻倉首比呂       タギマノクラノオビトヒロ  下   270   598

 当麻地方豪族首長 イヒメノコ(ヨウメイテンノウ妃)親

当麻王          タギマノオホキミ     下   270   600

 ヨウメイテンノウ・イイメノコ長子

チ行

千千速真若比売      チチハヤマワカヒメ     中   127   73

 春日豪族 コウレイテンノウ妻

千千速比売命       チチハヤヒメノミコト    中   127   74

 コウレイテンノウ・チチハヤマワカヒメ長女

近淡海御上祝       チカツアフミノミカミノハフリ  中   131   136

 (滋賀県)御上神社神官

千千都久和比売命     チチツウワヒメノミコト    中   134   179

 スジンテンノウ・ミマツヒメ次女

知奴王          チヌノオホキミ      下   269   588

 ヒコヒトヒツギノミコ・オオマタオホキミ長女

ツ行

土雲八十建        ツチグモヤソタケル    中   116   28

 大和忍坂土着生尾蔟 神武敵対

都怒郎女         ツノノイラツメ      下   225   412

ワニノコゴト娘→ハンゼイテンノウ妃

都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   225   414

 ハンゼイテンノウ・ツノノイラツメ侍女 

都夫良意富美       ツブラオホミ      下   235   436

 ケノウチスクネ曾孫豪族葛城氏皇室外戚 カツラギノツブラノオホオミ同 カラヒメ(ユウリャク妃)親-アンコウテンノウ刺殺のマヨワオオキミが逃込む :ユウリャクテンノウに攻めるによりマヨワオオキミと共に死す

都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   265   512

 ケイコウテンノウ・アヘノハエヒメ次女

竺紫国石井        ツクシノクニオノイハイ    下   266   514

 ケイタイ朝筑紫にて反乱

ト行(テ行ナシ)

登美能那賀須泥毘古    トミノナガスネヒコ    中   110   19

 長髄彦 登見毘古―大和登美豪族 神武東征阻む勢力

登美毘古         トミビコ       中   117   29

 大和豪族→長脛彦ナガスネヒコ トミノナガスネヒコ同 神武東征阻む勢力

登美夜毘売  (田+比)   トミヤビメ      中   119   33

 トミビコ妹ニ゙ハヤヒ妻(妹登美夜毘売

常根津日子伊呂泥命    トコネツヒコイロネノミコト   中   125   51

 アクトヒメ・アンネイ長子

遠津年魚目目微比売    トホツアユメマグハシヒメ   中   133   167

 アラカワトベ娘ースジンテンノウ妃

豊木入日子命       トヨキイリヒコノミコト    中   133   168

 スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長子→上毛野カミツケノ/下毛野君等ノ祖

豊鉏入日売命       トヨスキイリヒメノミコト   中   133   169

 スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長女→伊勢神宮祭祀拝斎初代斎宮

十市之入日売命      トヲチノイリヒメノミコト   中   133   174

 スジンテンノウ・オオアマヒメ次女

豊戸別王         トヨトワケノオホキミ    中   154   237

 ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇子

豊国別王         トヨクニワケノオホキミ    中   155   246

 ケイコウテンノウ・ミハカシビメ長子→日向国造ノ祖

登富志郎女        トホシノイラツメ     中   184   336

 オウジンテンノウ・カグロヒメ四女

取売王          トリメノオホオキミ     中   203   377

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)四女

鳥山           トリヤマ       下   211   397

 ニントクテンノウ舎人

豊御気炊屋比売命     トヨミケカシキヤヒメノミコト  下   267   538

 キンメイテンノウ・キタシヒメ次女-ビタツテンノウ妃→第三十三代推古天皇スイコ 小治田宮三十七年在位 戊子ツチノエネー628年3月15日癸丑ミズノトノウシノヒ 崩御 御陵:大野ノ岡ノ上(奈良宇陀郡室生町大野・橿原市和田か)後ニ科長大陵(大阪南河内郡太子町)

ナ行

七拳脛          ナナツカハギ      中   171   266

 久米直ノ祖ーヤマトタケルノ東西国討伐軍従軍→膳夫

難波根子建振熊      ナニハネコタケフルク    中   179   298

 丸邇ワニ臣の祖-神功皇后-太子軍ノ将 反逆軍を斃す

中日売命         ナカツヒメノミコト     中   183   301

 ホムダマワカ娘次女-オウジンテンノウ妃

中日子王         ナカツヒコノオホキミ    中   203   380

 ネトリノオオキミ・ミハラノイラツメ長子

長目比売命        ナガメヒメ      下   204   391

 ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ハタビノワカイラツメ・ワカクサカベノミコト同→ユウリャクテンノウ求婚

長田大郎女        ナガタノオホイラツメ    下   234   434

 元オホクサカノオオキミ妻-インギョウテンノウ皇女(アンコウテンノウ同母姉ヲサダノオホイラツメ)?或はリチュウテンノウ皇女 中帯姫ナカシヒメか→アンコウテンノウ皇后

難波王          ナニハノオホキミ     下   259   579

 ケンソウテンオウ妃イハキオホキミ娘

長目比売         ナガメヒメ      下   265   503

 ケイタイテンノウ・セキヒメ三女 ノノイラツメ同

難波王          ナニハノオホキミ     下   269   579

 ビタツテンノウ・オミナコイラツメ長子

中津王          ナカツノオホキミ     下   269   584

 ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ次男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

ニ行

贄持之子         ニエモツノコ      中   113   21

 神武東征援 阿陀の鵜養ウカイの祖(神名)

邇芸速日之命       ニギハヤヒノミコト    中   119   32

 登美毘古軍将軍後神武帰順 ニニギ以前高天原より飛来か 物部氏ノ祖 (神名)

仁番           ニホ        中   192   351

 百済ヨリ帰化人酒造技術者 ススコリ同 応神朝

ヌ行

沼名木之入日売命     ヌナキノイリヒメニミコト   中   133   173

 スジンテンノウ・オオアマヒメ長女

沼羽田之入毘売      ヌバタノイリビメ    中   141   198

 ヒバスヒメ(ヒコタタスミチノウシ娘)妹→スイニンテンノウ妃

沼帯別命         ヌタラシワケノミコト    中   141   199

 スイニンテンノウ・ヌバタノイリビメ長子

沼代郎女         ヌノシロノイラツメ     中   154   238

 ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇女

沼木郎女         ヌナキノイラツメ     中   154   239

 ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

額田大中日子命      ヌカタノオホナカツヒコノミコト  中   183   305

 オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ長子

奴理能美         ヌリノミ       下   210   396

 箇木ツツキの韓人((現京都綴喜郡)百済帰化人統率者 奴理使主ヌリノミ同か 養蚕

糠若子郎女        ヌカノワクゴノイラツメ   下   264   479

 ワニノヒツマノオミ娘-ニンケンテンノウ妃

沼倉太玉敷命       ヌナクラフトタマシキノミコト  下   267   525

 キンメイテンノウ・イシヒメ長子→第三十代敏達天皇ビタツ他田ヲサダ宮-現奈良桜井市戒重十四年在位 甲辰キノエタツ584年4月6日崩御 御陵:川内ノ科長(大阪南河内郡太子町)

糠子郎女         ヌカゴノイラツメ     下   267   529

 ヒツマノオミ娘ーキンメイテンノウ妃

糠代比売王        ヌカデヒメノオホキミ    下   269   571

 ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母(庶妹)☞タカラオホキミ・タムラノオホキミ同

現状は厳しいようですね~😿

NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞら2025年6月23日 07:17

奄美大島のノネコ管理計画(どうぶつ基金さん)

先日、日本の動物に対する環境状況は世界でも最低ランクと云う事をご紹介しましたが、その事を裏付けする様などうぶつ基金さんの活動記事が出ていましたのでご紹介します。

奄美大島では、他の動物を守るため、其れを捕獲していると推測されるノネコ達の管理を強化しようという計画が進んでいるとの事。
どうぶつ基金さんに拠るとこの推測は誤解に基づくものとして改善を環境省へ申し込んでいるようです。
命の大切さにはノネコも保護動物も変わりないと思うのですが・・・😿

以下どうぶつ基金さんSNSより内容抜粋してご紹介します☟

2025年4月22日、どうぶつ基金は、環境省が進める「奄美大島におけるノネコ管理計画」に関して、環境大臣宛てに科学的根拠の正当性を問う公開質問状を提出していました。

画像
どうぶつ基金さんより拝借

この「奄美大島におけるノネコ管理計画」では、数千匹規模のノネコを捕獲・殺処分する方針がとられており、その科学的根拠が政策決定においていかに重要かは言うまでもありません。
だからこそ、どうぶつ基金は計画の土台となる研究に対し、丁寧かつ具体的な疑問を投げかけました。


※詳しくはこちら
4/22、アースデイに環境大臣へ公開質問状提出。
どうぶつ基金「ちきゅう部」が奄美大島ノネコ駆除政策の科学的根拠を問う

PRタイムスのニュースリリースで詳細がご覧いただけます。
あまりに内容のない “ゼロ回答” !どうぶつ基金 ちきゅう部の公開質問状に対する環境省の回答について公益財団法人どうぶつ基金のプレスリリース(2025年6月17日 10時00分)あまりに内容のない “ゼロ回答” !どうぶつprtimes.jp

 ・・・・一部抜粋・・・・・・・

2025年4月22日、公益財団法人どうぶつ基金は、環境省が進める「奄美大島におけるノネコ管理計画」に関して、環境大臣宛てに科学的根拠の正当性を問う公開質問状を提出していました。
これは感情的に意見をぶつけるものではなく、明確な科学的整合性を問う正当な質問です。
しかし、返ってきたのは、あまりにも内容のない “ゼロ回答” でした。

回答書全文はPRTIMESでご覧ください。

環境省は「対象論文は査読を経た学術論文であり、同省からは回答を控える」として、研究の妥当性についての指摘には一切答えず、計画全体の説明も「複数の論文を参考にした」とするのみ。
具体的にどの研究を、どのように評価・活用したのかという説明は皆無でした。

私たちは失望を禁じ得ません。
国費を投入し、命を左右する政策を進めているにもかかわらず、その根拠を問う声には耳を貸さない。
国民からの科学的な質問に正面から答えることは、開かれた民主主義社会における最低限の責務ではないでしょうか。
 
「順応的に管理を進める」とのことですが、それはそもそもの根拠が正確であるという前提に立って初めて意味を持つものです。
根拠に重大な欠陥があると指摘された以上、まず行うべきは、その疑問に正面から向き合うことではないでしょうか。
この姿勢は、科学を軽視するものであり、ひいては行政への信頼を損なうものです。

環境行政は、本当にこのままでよいのでしょうか――。
どうぶつ基金は、今後も必要に応じて追及を続けていく構えです。
今一度、国民一人ひとりが、科学と誠実さに基づく政策決定のあり方について考える機会にしていただければと願っております。

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私共、小さな力ですが愛護活動に携わっているものとして、基金さん等々の大々的活動をお知らせする事も、動物愛護の現状を知って頂く啓蒙活動の一環として、大切な事と考えています。
少しでも環境が改善の方向へ向かえばと願いつつ今後も、引き続き折に触れて、この様な活動もご紹介して参りたいと考えています。

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NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「感謝の心をわすれてはならない。感謝の心があってはじめてものを大切にする気持ちも人に対する謙虚さも生きる喜びも生まれてくる。」―人生心得帖よりー

【七月の言葉】

*一日 素直な心の初段

聞く処によると碁を習っている人は大体一万回ぐらい碁を打てば初段に為れると云う事です。素直な心の場合も其れと同じ様な事が言えるのではないかと思います。先ず素直な心になりたいと朝夕心に思い浮かべ、そうして絶えず日常の行いに捉われた態度がなかったかを反省する。そういう姿を一年二年と続けて一万回約三十年を経たならば、やがては素直の初段とも云うべき段階に到達する事も出来るのではないかと思うのです。素直の初段にもなったならば先ず一人前な心と云えるでしょう。だから大体に於いて過ち無き判断や行動が出来るようになってくると思います。

*三日 是を是とし非を非とする

兎角人間と云うものは物事を数の大小や力の強弱と云った事で判断しがちである。そういう事を中心に考えた方がいいと云う場合もあるだろう。然しそれは日常の事と云うか謂わば小事について云える事では無いだろうか。大事に決するに当たってはそうした利害損得と云ったものを超越し何が正しいかと云う観点に立って判断しなくては事を誤ってしまう。其れが出来ると云う事が指導者としての見識だと思うのである。兎角長い物には巻かれろ的な風潮の強い昨今だけに指導者には斯うした是を是とし非を非とする見識が強く望まれる。

*五日 責任を生甲斐に

人は成長するに連れて段々その責任が重くなってきます。そして成人に達すると法律的にもはっきり少年の頃とは違った責任を問われます。又次第に高い地位に就くようになると其れだけ責任が重くなります。併し人は元々責任を問われる処に人としての価値があるのだと思います。責任を問われることが大きければ大きい程其れだけ価値が高いと云う事が言えましょう。ですから責任を問われる処に生甲斐も有ろうと云うものです。責任を背負いその事に生甲斐を覚えないとしたら年齢は20歳をどれだけ過ぎようと一人前の人ではありません。

*七日 信ずる事と理解する事

繁栄平和幸福をより早くより大きく生む爲には信ずる事と理解する事-この二つを全うしてゆかねばなりません。と云うのは信を誤らない為には理解を正しく働さなければなりません。

理解を捨てると迷信に陥り易く復理解だけで信ずる心が無ければ信念に弱さを生じてしまうからです。では信斗解を全うしてゆくにどうすればよいか。其れには先ず素直な心に為る事です。正しい理解も素直な心から生まれてきますし信ずる事も素直な心から高まってくると思います。心が素直であって信と解が共に高まればあらゆる場合に適切な働きが出来るようになると思います。

*十日 大人の責任

現代の青年は夢がないとか生甲斐を見失っているとかいうけれども、其れは青年自身の問題ばかりでなく社会の問題大人の問題とも云えるのではないだろうか。つまり大人と云うか其國その政治が青年達に生甲斐を持たすようにしていない。夢を与えていない。使命感を与えていないのである。例えば同じ仕事をするにしても其事の意義とか価値と云うものを、はっきりと自覚させられ教えられていないから迷ったり不平を持って、やがては現代の社会を呪う様にもなる訳であろう。其処に今日の日本の根本の問題があるのではないかと思う

*十一日 礼儀作法は潤滑油

私は礼儀作法と云うものは決して堅苦しい物でも単なる形式でもないと思います。其れは云わば社会生活における潤滑油の様なものと云えるのではないでしょうか。職場では性格や年齢物の考え方等色々な面で異なる人々が相寄って仕事をしています。そのお互いの間を滑らかに動かす役割を果たすのが礼儀作法だと思うのです。ですから礼儀作法と云うものは当然心の籠ったものでなければなりませんが、心に思っているだけでは潤滑油とはなりません。やはり形に表し相手に伝わり易くし心と形の両面が相俟った適切な礼儀作法であってこそ初めて生きてくると思うのです。

*十二日 自らを掴かむ

人其々顔形が違う様に人間には誰しも一人一人違った素養才能を持っている。唯其れは顔を鏡に映す如くには表面に出にくい。併しそう云う自分の素質とか才能と云うものを自分ではっきりと掴み、そして日々の活動に牽いては人生に活かす事が出来たらどれだけ人間としての喜びに満ちた生活が営まれ、人生の妙味と云うものを味わう事が出来るだろうか。一人一人が他と違ったものを持ちそして日々新たに発展していく。其処には苦しみもあろうが何ものにも代えがたい喜びもある筈である。

*十三日 世論を超える

一般に指導者と云うものは世論と云うか多数の意見を大切にしなくてはいけない。世論に耳を傾けず自分一個の範dんで事を進めて行けば往々にして独断に陥り過ちを犯す事に為ってしまう。けれども其れは飽く迄平常の事である。非常の場合には其れだけでは処し切れない面も出てくる。そういう場合には指導者は世論を超えてより高い知恵を生み出さなくてはいけない。常は世論を大切にし世論を尊重しつつも非常の場合には敢えて其れに反してもより正しい事を行う。其れが出来ない指導者ではいけないと思う。

*十六日 仕事は無限にある

この頃不景気で仕事がないと云うけれども今後百年の日本というものを考えてみると、その間に日本の建物と云う建物は殆ど作り直さなければならなくなるだろう。橋や道路も同じである。そう云う事を考えてみただけでも仕事は云わば無限困る程にあるのである。処がそう云う見方をせずに自ら仕事が無い様にし不景気にしているのが今の日本の実情ではないだろうか。是は物の見方を変えないといけない発想の転換をしなければいけないと云う事である。そうしてこそ初めて我が国に無限の仕事がある事が判るのである。

*十七日 自他相愛の精神

個人と個人との争い国と国との争いは、相手を傷つけ更には社会全体世界全体を混乱させる。そういう争いの大きな原因は自他相愛の精神と云うか、自分を愛するように他人を愛し自国を愛するように他国を愛する精神の欠如によるものであろう。そういう精神の大切さは昔から色々な教えに拠って説かれてい乍ら未だに争いが絶えないのは人々が此の事をの大切さを真に悟っておらずその精神に徹していないからだと思う。争いは自らをも傷つけると云う事を身を持って師利人類に平和を齎す為に力を合わせて行く事が肝要である。

*二一日 世間は神の如きもの

事業が大きくなってくると仕事も段々と複雑になって其処に色々な問題が起こってくる。私はこの問題をどう考えどう解釈すべきかと日々の必要に迫られて、その解決策の根本を求めていくうちに世間は神の如きも、の自分のした事が当を得ていると世間は必ず是を受け入れてくれるに違いないとう考えに行きついた。正しい仕事をしていれば悩みは起こらない。悩みがあれば自分のやり方を変えればよい。世間の見方は正しい。だからこの正しい世間と共に懸命に仕事をしていこう、こう考えているのである。

*二二日 河豚の毒でも

今日の我が国では折角いいものが発明されても其れに万に一つでも欠陥があれば、もうそれで其の物は全て駄目としてしまうような傾向が強い様に思われます。其れは云ってみればフグの毒を発見してフグを食べるのを一切やめてしまう様なものだと思います。科学技術が非常に進歩した今日に生きる私達は河豚の安全な調理に成功した昔の人に笑われない様、物事を前向きに考え折角の科学技術の成果を十分に活用できるだけの知恵を更に養い高めて行く事が必要ではないかと思います。其処に人間としての一つの大きな使命があるのではないかと思うのです。

*二四日 利害を超える

ある日私の処に自分の会社で造る製品の販売を引き受けて貰えないかと云う話を持ってこられた人がいた。私は色々と其の人の話を聞いてみてこの人は偉い人だなと思った。普通であれば自分に出来るだけ有利に為る様交渉する。其れが謂わば当たり前である。ところがその人は全てを任せるという自分の利害を超越した態度を取られた。私はその態度に感激し心を打たれた。我々はともすれば自分の利害を中心にものを考える。是は当然の姿かもしれない。然しそれだけに其れを超越した様な姿に対しては心を動かされる。是もまた人間としての一つの姿ではないか。

*二六日 経営にも素直な心が

成功する経営者と失敗する経営者の間にある大きな違いは、私心に捉われず公の心でどの程度ものを見る事が出来るかと云う事にあると思います。私心つまり私的欲望によって経営を行う経営者は必ず失敗します。私的欲望に打ち勝つ経営者であってこそ事業に隆々たる繁栄発展を齎す事が出来ると思うのです。私の欲望に捉われず公の欲望を優先させると云う事は、言葉を替えれば素直な心に為ると云う事です。その様に私心に捉われず素直な心で物事を見る事が出来るように、自らを常に顧み戒める事が大切だと思います。

*二七日 人間の幸せの為の政治

私達が決して忘れてならない事は政治は結局お互い人間の幸せを高める為にあると云う事です。過去に於いては多くの人々が政治に拠って苦しめられお互いの血を血を洗うと云う事もありました。併しそうした好ましくない姿は政治の本来の姿ではない。政治は本来お互い人間の其々の活動をスムーズに進める事が出来るようにするものです。それらの調整調和を図り共同生活の向上を計って、一人一人の幸せを生み高める事こそをその使命としているのです。此の政治は本来人間の幸せの為にあると云う事を私達は先ず正しく認識し合う必要があると思います。

*二九日 力の限度にあった仕事を

二・三人の人を使っての個人企業の経営者としては立派に成績を上げたけれども十人・二十人と人が増えてはもう遣っていけないと云う人も有ろう。此の事は一人経営者についてだけでなく部とか課の責任者、更には一人一人の社員が仕事と取り組む上での心構えと云った点で大事な教訓を含んでいると思う。其れは一言でいえばお互いが自分の能力を知り其の上に立って、自己の適性と云うか力の限度にあった仕事をしていかねばならないと云う事である。自分の能力を常に検討し適性に合った仕事をしていくという事に為ってこそ、自分自身惹いては会社や世の中にも貢献する事が出来ると思うのである。

*三一日 自分自身への説得

説得と云うものは他人に対するものばかりとは限らない。自分自身に対して説得する事が必要な場合もある。自分の心を励まし勇気を奮い起こさねばならない場合もあろうし、又自分の心を抑えて辛抱しなければならない場合もあろう。そうした際には自分自身への説得が必要になってくる譯である。私が此れ迄自分自身への説得を色々してきた中で今でも大雪ではないかと思う事の一つは自分は運が強いと自分に言い聞かせる事である。本当は弱いかわからない。併し自分自身を説得して強いと信じさせるのである。そう云う事が私は非常に大事ではないかと思う。