松下幸之助一日一話
仕事の知恵・人生の知恵
1999年4月15日初版発行PHP文庫
松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。
「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。
尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました
「大成功や大失敗だけが人生における体験ではない。平穏な日々の中でも、心の持ち様如何では、大いに体験を積むことができる。」―人生心得帖よりー
【九月の言葉】
*一日 苦難も又善し
わが国では毎年台風や集中豪雨で大きな水害を受ける処が少なくない。然し此れ迄の例から見ると大雨が降って川が溢れ街が流されてもうだめかと云えば必ずしもそうではない。数年も経てば被害を受けなかった街よりも却って綺麗に成り繁栄していることが屡々ある。勿論災難や厄難は無いに越したことは無いが思わ牟時に思わぬ事が起こってくる。だから苦難が其れも佳と云う心づもりを常に持ち安易に流されず凡に堕さず人一倍の知恵を絞り人一倍の働きを積み重ねてゆく事が大切だと思う。
*二日 経営のコツを掴む
多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。
*五日 優しい心
あの人は何処となく豊かな感じのいい人であると云う場合、其れはその人の心がその人の動作に滲み出ているからだと思います。殊に私は女性の尊さと云うものは、矢張り親切な心の顕れている処にこそ本当の尊さと云うものがあるのではと云う感じがします。唯強いばかりではいけません。賢いばかりでもいけません。賢い強いと云う事も勿論大切ですがそれ以上に大事な事は、心の優しさなのです。此れは総てのものを溶かすとでも云う程の力があるのではないでしょうか。その力を失ってはならないと思うのです。
*六日 自然を生かす
自然はそれ自体の為に存在しているという見方がある。併しもっと大きな観点に立って考えてみると自然は人間の共同生活に役立つために存在しているのだと考える事も出来るのではなかろうか。そう考えてみれば自然を人間の共同生活の上に正しく活用して行く事は人間にとって当然為すべき事だとも云える。無論単に意欲を逞しくして自然を破壊する事はあってはならない。自然を十破壊して其処から八の価値しか生み出さないと云うのではいけないが、十二の価値を生むならば寧ろ積極的に自然を活用して要ったらいいと思うのである。
*七日 徳性養う
人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。
*九日 師は無数に存在する
手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。
*十日 不健康また結構
私は不健康が必ずその人を不幸にするとは思いません。世の中には不健康で幸福になる場合もありますし又逆に健康な爲に却って行き過ぎて不幸になる場合もあるのです。肝心な事は不健康又結構なりと云う気分に成る事です。不健康は不幸な事だ悲しい事だと考えて心を乱してはいけないと思うのです。小さい頃から病弱だった私がそう云う心境に為れたのは、今日考えるとやはり前途に強い希望を持っていた為だと思います。不健康の為に希望を失うと云う事では失敗の上に失敗を重ね不幸の上に又不幸を重ねる事に為ってしまうのではないでしょうか。
*十一日 個人主義と利己主義
今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。
*十四日 慈しむ
昔仁徳天皇は国中に炊事の煙の乏しいのを見て人民の困窮を知り三年間課役を中止し、三年後国中に煙が満ちて初めて国富めりと再び租税を課された。その感は皇居も荒れ雨が漏る程で在っても修理されなかったと云う。是は伝説かも知れないが然し大事な事はその様に人民を慈しむ仁慈の心を持つ事が昔から指導者のあるべき姿とされてきた事である。そこに日本の一つの良き伝統がありそう云う処から封建時代でさえ数々の名君が生まれたのであろう。其事が栄える基だったのである。民主主義の今日でも指導者は先ず人々の幸せを願い仁慈の心を持たねばならないと思う。
*十五日 精神的大家族
核家族の風潮と云うのはいい悪いは別にして天下の大勢です。大きな流れです。けれども其れは形の上でそうなのであって精神の上では核家族に為ってはいけないと思ういます。恰も大家族の如く年老いた老人には家族の人達が絶えず心を通わせる様にしなければなりません。例えば三日に一遍電話は電話で声をかけて挙げるとかそう云う繋がりが無ければいけないと思います。世の中が進歩したら其々活動する場所が増えますから、どうしても離れ離れになって大家族と云う形は執れません。だから一方でそれを集約する精神的な繋がりが一層必要だと思うのです。
*十八日 豊かさに見合った厳しさ
暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。
*十九日 仕事を味わう
私はどんな仕事で在れ本当に其れが自分に適したものかどうかを見極めるのはそれほど容易な事では無い。租事と云うものはもっともっと深いと云うか味わい深いものだと思います。最初は詰らないと思えた仕事でも何年間か之に取り組んでいる内に段々と興味が湧いてくる」。そして今迄知らなかった自分の適性と云うものが開発されてくる。そう云う事も仕事を進めていく過程で起こってくるものです。詰り仕事と云うものはやればやる程味の出てくるもので、辛抱して取り組んでいる内に段々と仕事の味喜びと云ったものを見出して行く事が出来るのだと思います。
*二一日 中小企業は社会の基盤
私は中小企業というものは日本経済の基盤であり根幹であると思う。其れが健在であってこそ大企業も持ち味を生かす事が出来るし経済全体の繁栄も可能となる。と共に中小企業は単に経済に於いてだけでなく謂わば社会生活の基盤にもなるものだと思う。詰り色々な適性を持った人が其々に色とりどりの花を咲かす。そう云った社会の姿がより望ましいのであり其処に人間生活の喜びと云うものがあるのではないだろうか。その意味に於いて沢山の中小企業が其々に所を得て盛んな活動をしていると云う様な社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。
*二二日 平和の為の前提条件
平和が大切だと云う事は何千年も前から唱えられているにも拘らずその一方では戦争をしている。甚だ如きは平和の爲の闘争とか戦争と云ったことが、口にされ行われていると云うのが過去現在における人間の姿だと云えましょう。それではその様な状態を脱却し平和を実現する前提として何が必要かと云うと人間としての意識革命ではないかと思います。詰り真の平和と云うものをはっきり見極め心からそれを切望すると云う様な、一人一人の意識革命が一国の政治の上にも教育の上にも醸成されていくならば求めずして平和は生まれてくると思います。
*二五日 信賞必罰
信賞必罰即ち罰すべき罪過ある者は必ず罰し賞すべき功ある者は必ず賞せよということ。是は人間が存在する限り程度の差はあっても絶対に必要な事であろう。此れが行われない国家社会は次第に人心が倦みやがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない会社集団家庭何処に於いても是は決して蔑ろにされてはいけない事だと思う。唯ここで大事な事は信賞必罰と云っても常に適時適切でなければならないと云う事である。是は微妙にして非常に難しい事で之が当を得なかったならば却ってことを誤ってしまう。
*二八日 組織や地位に捉われない
今日企業界各企業の間に於ける競争と云うものは非常に激烈なものがある。此の激しい競争に於いて瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に何としても先ず直接の上司に云わねばならないんだとか矢張り組織を通じて処理しなければ叱られるだとか言っていたのでは競争に負けて仕舞うような事もあろう。事の順序としては勿論直接の上司の人に先ず云うべきではあるけれども、どうしても急を要する場合は組織や地位に捉われず即刻処理してゆくことが大切だと思う。何か事ある時には全員が打てば響く様な素早さで活動しなければいけない。
*三十日 感謝する心
今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってくる。
