カテゴリー別アーカイブ: 変わりたい貴女へ

さくら猫活動

TNR

「さくら猫」とはTNR(捕獲保護・避妊手術・地域へ返還)の猫のこと。不幸な仔猫たちを増やさないために、又地域の環境を守るために大切な活動。現在全国でも多くの任意団体や個人のボランティアの方々が取り組んでいますが、これを組織的に行っているのが「公益財団法人どうぶつ基金」です。

個人でやる場合やNPOでやるときでも当然、手術費用など大きな負担がかかりますが、「どうぶつ基金」さんは、その負担を少しでも軽減させるよう、無料チケットを毎月発行し、協力動物病院で施術を行って言います。

また、組織的に行政・任意団体・ボランティア・協力獣医さんと連携して各地域で集中的にTNPを実施されています。

今回その活動の公募が発表されていますのでご紹介します。ただ、大々的な組織活動になりますので、ある程度地域の行政、一般団体、個人ボランティアの連携ができていない地域では無理かもしれません。

私どものいる北九州も、まだまだ環境がそこまで至っていない状態ですので今のところは、各個人で動くという活動にとどまっています。早くプロジェクトが導入できるような環境作りができるよう努力したいと思っています。

公募内容

(どうぶつ基金おしらせより)

大阪・福岡・宮崎で2021年4月からスタートした「TNR地域集中プロジェクト」。 予想を上回る成果を上げていることから、 2022年度も「地域集中プロジェクト」を継続すること、 そして、実施地域を公募することが決定いたしました!

本日は、2022年度「TNR地域集中プロジェクト」候補地の公募について
お知らせいたします。

1.「TNR地域集中プロジェクト」とは
TNRが必要な猫がいてTNRを行うボランティアの方も大勢いる。
だけど協力病院が不足していて、不妊手術の需要を満たすことができていない…
「どうぶつ基金として、もっと何かできることがあるのではないか」
そんな想いから始まったのが「TNR地域集中プロジェクト」です。
どうぶつ基金自らが病院を開設し、その地域のTNRを集中的に行うというものです。

  1. 2021年度の実施状況および実績について
    「TNR地域集中プロジェクト」は、大阪・福岡・宮崎の3地域で2021年4月からスタート。
    3地域で毎月600頭✕12か月=7,200頭を目標に、
    不妊手術、ワクチン、ノミ除けおよびこれらに伴う獣医療を無償で提供しています。
    2021年8月終了時点の実施頭数は3地域合計3,403頭。
    目標の7,200頭を大きく上回るペースで順調に進んでおり、
    福岡では福岡県・山口県の12行政が当プロジェクトに参加するなど、
    これまで動物愛護活動の方針や対策を巡って対立しがちだった
    官民協力の貴重な土台となりつつあります。
  1. 候補地の公募について
    実施1年目で大きな成果が予想されることから、
    どうぶつ基金では2022年度も「地域集中プロジェクト」を継続することを決定し、
    2022年度の候補地を公募するものといたします。
    応募資格、応募条件については応募要領をご覧ください。
    【募集期間】
     2021年10月15日(金)~11月30日(火)

【応募方法】
 専用の応募フォームより必要事項を入力のうえご応募ください。
 https://business.form-mailer.jp/fms/bb4ddcfb155687

法治国家は中進國

このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに   管家

松下幸之助「一日一話」10月のことばから

1日 法治国家は中進国

今日法治国家というのは大体先進国と云う事に為っていますが、私は法治国家は真お先進国とは言えないのではないかと云う気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は謂わば中進国であって真の先進国文明国とは法律が極めて少なく所謂法三章で治まっていく国と云う事では無いかと思うのです。とすれば真の先進国に成る為にはやはり国民の良識の涵養と云うものを大いに図っていかなければ成りません。其事に成功しない限りは先進国にはなれないのではなかと思うのです。

  • 2019年(R1)消費税10%に

今日は印章の日 

4日 心を磨く心を磨く

人間の心と云うものは本当に自由なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても心の働きに由って如何様にでも考えられると思うのです。もう辛抱出来ない明日にでも自殺したいと云う場合でも考え方を変えるならば。一転して恰も広々とした大海を往くが如き悠々とした心境に転向する事さえできるのです。其れが人間の心の働きと云うものでしょう。ですから我々は是から仕事をするに当って先ず心を磨くと云うかものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに今迄得た知識を加えてやっていけば必ず大きな成果が生まれると思います。

  • 世界動物の日

Memo―フランクル著「夜と霧」➡希望

16日 諸行無常の教え

その昔お釈迦さまは諸行無常と云う事を説かれました。この教えは一般には世は儚いものだと云う意味に解釈されているようですが、私は寧ろ諸行とは万物と考え諸行無常とは即ち万物流転であり生成発展と云う事であると解釈したら如何かと思うのです。言い換えますとお釈迦様は日に新たでなければならないぞと云う事を教えられたのだと云う事です。是は単に仏教だけの問題でなくお互いの日々の仕事を初め慧お互いの人生社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。

  • 今日はボスの日

Memo―石原慎太郎「法華経を生きる」松原泰道「発句教入門」➡諸行無常は現在進行形 紀野一義「法華経を読む」

23日 原因は自分にある

人間と云うものは他人の欠点は目に付き易いものだ。往々にして何か問題が起こると其れは総て他人の所為で自分はに関係がないと考えがちである。実際に他人の所為であって自分は無関係なものもある。併し其れをそう判定するのは飽く迄も人間である。他人の所為ではあるけれども実は自分の所為でもある。と云う様に自分は全く関係がないとは言い切れない場合も少なくないのではなかろうか。少なくとも問題が起こった際には他人の所為だと考える前に、先ず自分の所為ではないかと云う事を一度考え直してみる事が非常に大切ではないかと思うのである。

  • 今日は電信電話記念日

Memo―自己観照・内観・洞察力

言うは易し行うは難しとはよく言ったもの。一見、平易な言葉で綴られているので、実行するのも簡単そうに見えるが、なかなか、そう簡単にはいかないのではないか。その一つの原因が、松下幸之助翁がいう「素直な心」にかけているということだろう。まずは、素直な心を常日頃いかなる状況でも保てるよう鍛錬するのが根本か!

苦難も又善し

松下幸之助 一日一話

九月

一日

わが国では毎年台風や集中豪雨で大きな水害を受ける処が少なくない。然し此れ迄の例から見ると大雨が降って川が溢れ街が流されてもうだめかと云えば必ずしもそうではない。数年も経てば被害を受けなかった街よりも却って綺麗に成り繁栄していることが屡々ある。勿論災難や厄難は無いに越したことは無いが思わ牟時に思わぬ事が起こってくる。だから苦難が其れも佳と云う心づもりを常に持ち安易に流されず凡に堕さず人一倍の知恵を絞り人一倍の働きを積み重ねてゆく事が大切だと思う。

  • 1923年(T12)関東大震災 

1939年(S14)独ナチス・ポーランド侵攻第二次世界大戦始まる

今日は防災の日 関連項=6/6・6/9・8/11

Memo―希望・計画 プラス思考

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

  • 1939年(S14)泉鏡花逝-泉鏡花忌

Memo―山本七平「人間集団における人望の研究」近視録 易➡元享利貞

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

  • 1931年(S6)満州事変勃発

今日はカイワレ大根の日

短い言葉でわかりやすく、世事哲学の真理を解き明かしてくれる。第一線で活躍し続けた方だけに発することが出来る、言葉がちりばめられている「一日一話」本気で読めば、人生変えられるかも・・・・

君子豹変

大人虎変 君子豹変 小人革面

易の卦49番「澤火革ー離下兌上」に出てくる言葉

◎大人は虎変す

◎君子は豹変し小人は革面す

49 革カク(澤上火下-離下兌上)澤火革  

革、已日乃孚。元亨。利貞。悔亡。(かくは、つちのとのひすなわちまことあり。おおいにとおる、ただしきによろし。くいほろぶ)

爻辞

<九五>大人虎変未占有孚ダイジンハコヘンスイマダウラナワズシテマコトアリ

<上六>君子豹変小人革面征凶居貞吉クンシハヒョウヘンスショウニンメンヲアラタムユケバキョウテイニオレバキチ

解)
鮮やかにくるっと転身することを豹変という。これは易の「革」の卦に基づいている。此の卦は物事の改革を説くものでその文中にある言葉が「大人虎変」「君子豹変」「小人革変」とある。

方針を定め、態度を変えるがよいと思えば、大人君子たる者は、すっぱりと潔く一新する。しかし、小人は神妙そうに顔つきだけを改め、心中まではなかなか改めることがない」というような意味か。ちなみに虎や豹のように変わるとは旧説によると、虎や豹の全身の毛には縞や斑が鮮麗についており、目立ってはっきりしていることから、はっきりと態度を変えることを虎変・豹変というとある。また別の説には虎や豹、特に豹はその身を翻すことの際立って素早く敏捷な動物であるから、そこから「転身・転向の鮮やかさ」の例えとして使われたともある。

易の言葉の中には、それとは知らず今も生活の中で使われている言葉が結構あるようです。 観光とか、同人、苦節、口実などという言葉もすべて易の言葉からできてきているようです。最も今使われている意味合いとはずいぶん異なる言葉もあるようですが・・・

  

禅語百選 松原泰道著より

◎水到渠成(スイトウキョセイ)  禅林類聚19

水到ればみぞ成る

学問の根深うして方に道固し 功名の水到って自ずから渠成る    

水深ければ波浪静かに 学広うして語声低し

水は「ほとけのこころ」象徴 

道歌: 雨あられ雪や氷とへだつれど 溶くれば同じ谷川の水

黒田如水ノ水五則 

①自ら活動して他を動かしむるは水 ②常に己の道を求めて已まざるは水 ③障害にあいて激しくその勢い百倍し得るは水 ④自ら潔うして他の汚濁を洗い清濁併せ容るる量あるは水 ⑤洋々として大海を満たし発して雲となり雨雪の変じ霧と化す凝っては玲瓏たる鏡となり而もその性を失わず → 指導とは自ら行ずること

老子78章

天下に水より柔軟なるは無し而も堅強を攻ること
是に善く勝るもの無し

◎ 随処作主 立処皆真(ズイショサシュ リッショカイシン)  臨済録

随処に主となれば 立つ処皆真なり

意:自分の置かれた立場で隙のないよう精一杯やるなら どこに在っても真実のいのちにめぐり遭える  ※ 参照:六然(百朝集→安岡正篤)

随人観美 全人皆神 (人に随って美を観る 全人みな神なり)

◎ 山河並大地全露法王身   普灯録

山河並びに大地全く法王身をあらわす

自然宇宙すべて法身(真理)の全容の現れである自分に執われていると自信過剰のため真理に会いながら真理の語りがきこえない

争如著衣喫飯此外更無仏祖(イカデカジャクエキッパンニシカン コノホカサラニブッソナシ)→僧宝録

松樹千年翠不入時人意(ショウジュ千年ノミドリ 時ノ人ココロニイラズ) 松樹千年の不断の説法もそちらに心を向けぬ人には聞こえない

◎ 心配   山本玄峰

心を配る

心痛はしてならぬが心配は多いにせよ 山本玄峰:昭和ノ高僧 →智慧と慈悲とが一つに解けた行為の実行

人には親切、自分には辛切、法には深切であれ;山本禅師 

春風ヲ以テ人ニ接シ己ヲ律スルハ秋霜ヲ以テ自ラ慎ム 佐藤一斎 

後藤清一氏(三洋電機);経営者というのは細かい配慮が必要 是が無かったら人間関係がスムーズにいかない・・単に給料を払ったり厚生施設を立派にするだけでは片付かぬ問題がある人間は喜怒哀楽を持つ動物その集団を結合するは人間的愛情が必要である

古代より現代まで、未だ人の心を図るにこれだという答えは見つかっていないと思う。その中で先人たちは自分の体験経験修練のなかからこうすればという教えを説いてくれている。私は、現代のはやりの読み物よりも古来から読み継がれている本を読んでいる方が安心できる。

安心脱生死大丈夫

仙英禅師と井伊直弼

古い雑誌ー1991年年7月号のプレジデントの特集記事「仏典のこころ」を読むのなかにあった作家新井栄生執筆「井伊直弼と正法眼蔵ー受身捨身ともに布施が支えた開国の決断」の中にある言葉です。

井伊直弼といえば「安政の大獄」や「桜田門外の変」などでよく知られている幕末、歴史を動かした重要人物の一人。舟橋聖一の小説「花の生涯」や今、放映中のNHK大河ドラマ「晴天を衝く」にも登場しているので好き嫌いはあるでしょうが歴史上の人物としてよく知られている存在ですね。

直弼は第11代彦根藩主直中の15番目の子として1814年生、幼少は非常に恵まれた状況で教育修練もしっかりと薫育されて育ちます。が、直中がなくなってから暫く続くいわゆる埋木舎の時代と言われる不遇の時代を経て、運命の悪戯かあるいは天の配剤なのか、直弼は1850年思いもかけず彦根藩主の座につき、ペリー来航に揺れる江戸幕府の重責をも担うこととなった訳ですね。

開国を迫るペリーに対しいかに対処すべきか迷っていた直弼は、彼の禅の師父である彦根清澄寺の住職仙英禅師に密かに手紙を出し、黒船退散の祈祷を依頼するとともにいかに対処すべきか尋ねています。その返答の手紙で仙英禅師は「安心脱生死大丈夫」と云う言葉で直弼を叱咤するわけです。本文にも引用されているその手紙の内容の一部はー異国船降伏祈願は承知したという後に以下の文言が記されていたそうです。

「抑佛道之秘術密法之降伏一切大魔最勝 成就ト申候ハ 御前、先年御修終被遊 三関六転語之外別無御坐候。凡王道佛道武道儒道惣萬億之秘術密法修行ト申所ハ悉皆極中極ニ至候ニハ安心脱生死大丈夫ヨリ外更無之事奉存候・・・」

直弼は仙英禅師の元、既に禅曹洞宗悟道允許を得、迷いを断ち切ってはいたもののこの国家の一大事にやはりいささかの揺らぎが生じていたのでしょう。しかしこの手紙を得て即座に決断、攘夷に傾いていた世論を廃し開国の献策を決意断行することに、なるわけです。「安心脱生死大丈夫」とは物事にとらわれない自然な心で生とか死とかも超越し仏の道を行うもの(解著者)ということとのこと。

その後直弼は、正法眼蔵にいう「受身捨身ともに布施なり」の言葉通り生きることも死ぬこともみな布施であるという境地で、当時においては、強権ともいえる政策を断行しいわば近代日本の基礎を築いたともいえるのではないでしょうか。

こういう話を聞いたり読んだりしますと、つくづく覚悟を決めた人間・達観した人間の力のもの凄さというものを痛感いたします。現代、命を懸けて事に当たっているといえる政治家がいかほどいるのでしょうか?甚だ疑問❕

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論語と算盤  渋沢栄一

常識と習慣

常識とは如何なるものか

事に当りて奇矯に馳せず頑固に陥らず是非善悪を見分け利害得失を識別し言語挙動すべて中庸に叶うものがそれである 之を学理的解釈すれば知・情・意の三者が各々権衡を保ち平等に発達したものが常識だろうと考える 更に換言すれば普通一般の人情に通じよく通俗の時理を解し適宜に採り得る能力が即ちそれである

偉き人と完き人

偉い人は人間の具有すべき一切の性格に仮令欠陥があるとしてもそれを補って余りあるだけ他に超絶した点のある人 完き人とは智情意の三者が円満に具足した者即ち常識の人である

私たちは反復行動の産物だ 優秀な行動は単なる行動ではなく一つの習慣となる アリストテレス

何をか真才真智という

我が境遇位地をこれ誤らぬだけのことが出来るならば少なくとも通常人以上になり得ることは難くないだろう 然るに世間は此の反対に走るもので一寸調子が宜いと直に我が境遇を忘れて分不相応の考えも出す 又ある困難の事に遭遇するとわが位地を失して打ちひしがれてしまう 即ち幸いに驕り災いに哀しむのが凡庸人の常である

安岡正篤の著「百朝集」に六然という言葉があります。

自ら処すること超然、人に処すること藹然(アイゼン)、有事斬然(ザンゼン)、無事澄然(チョウゼン)、得意澹然(タンゼン)、失意泰然            (明)崔後渠

これが実践できれば真に常識人として世に出ていかなる状況にあっても、恥をかくということは、ないでしょうね

一日一話 松下幸之助

七月

夕去ればひぐらし来啼く生駒山 越えてそ吾が来る妹が目を欲り

五日 責任を生甲斐に

人は成長するに連れて段々その責任が重くなってきます。そして成人に達すると法律的にもはっきり少年の頃とは違った責任を問われます。又次第に高い地位に就くようになると其れだけ責任が重くなります。併し人は元々責任を問われる処に人としての価値があるのだと思います。責任を問われることが大きければ大きい程其れだけ価値が高いと云う事が言えましょう。ですから責任を問われる処に生甲斐も有ろうと云うものです。責任を背負いその事に生甲斐を覚えないとしたら年齢は20歳をどれだけ過ぎようと一人前の人ではありません。

  • 1949年(S24)下山国鉄総裁事件 ・ 
  • 今日は穴子の日

Memo-責任の取り方➡令和の政府政治家は如何?

*十一日 礼儀作法は潤滑油

私は礼儀作法と云うものは決して堅苦しい物でも単なる形式でもないと思います。其れは云わば社会生活における潤滑油の様なものと云えるのではないでしょうか。職場では性格や年齢物の考え方等色々な面で異なる人々が相寄って仕事をしています。そのお互いの間を滑らかに動かす役割を果たすのが礼儀作法だと思うのです。ですから礼儀作法と云うものは当然心の籠ったものでなければなりませんが、心に思っているだけでは潤滑油とはなりません。やはり形に表し相手に伝わり易くし心と形の両面が相俟った適切な礼儀作法であってこそ初めて生きてくると思うのです。

  • 今日は世界人口デー

*二十日 仕事の上手に

日本古来の武道に一つに弓道があるが此の道の達人の域に達すると、例え目隠しをして矢を放ってもピシャリと的を射るという。併しこう云った名人の域に達するには一朝一夕ではとても覚束ない。一矢射る度に検討を加え工夫を重ねて行って一歩一歩上達していくのである。私は仕事にしても是と同じことが言えると思う。日々自らの仕事の成果を検討する事に努めれば、必ずや仕事の名人と迄は往かなくとも仕事の上手には成れると思う。百本の矢を射れば少なくとも八十本は的に当たると云う上手の域に迄各各の仕事を高めたい。

  • 1969年(S44)米アポロ11号月面着陸成功

今日は勤労青少年の日

Memo-映画燃えよドラゴン➡ブルース・リー(Dont Thinks Feel) 河合隼雄著「影の現象学」影との対決

*二七日 人間の幸せの為の政治

私達が決して忘れてならない事は政治は結局お互い人間の幸せを高める為にあると云う事です。過去に於いては多くの人々が政治に拠って苦しめられお互いの血を血を洗うと云う事もありました。併しそうした好ましくない姿は政治の本来の姿ではない。政治は本来お互い人間の其々の活動をスムーズに進める事が出来るようにするものです。それらの調整調和を図り共同生活の向上を計って、一人一人の幸せを生み高める事こそをその使命としているのです。此の政治は本来人間の幸せの為にあると云う事を私達は先ず正しく認識し合う必要があると思います。

  • 今日はスイカの日

Memo-政治施政者の責任➡現状はどうか

今、まさしく東京オリンピックのドタバタ劇を見ていると、いかに松下幸之助翁の考えている政治の在り方とかけ離れた形になっているかがうかがい知れるというもの。果たして、地に堕ちた日本の倫理観は再生できるのでしょか。

渋沢栄一100の訓言

渋澤健 著 日経新聞社

【夢七訓】

夢無キ者ハ理想ナシ 理想無キ者ハ信念ナシ 信念無キ者ハ計画ナシ

計画無キ者ハ実行ナシ 実行無キ者ハ成果ナシ 成果無き者ハ幸福ナシ

故ニ幸福ヲ求メル者ハ夢ナルベカラズ

欲がない人はダメ(4)

無欲は怠慢の基である      渋沢栄一訓言集 〈一言集〉

残酷な人になるな(5)

悲観的の人は残酷である       渋沢栄一訓言集 〈一言集〉

細かくこだわりすぎる心は元気をすり減らす(12)

あまりに堅苦しく物事に拘泥し 細事に没頭する時は自然に溌溂たる気力を銷磨し進取の勇気を挫くことになる(中略) 溌溂たる活動を為し初めて大事業を完成し得るものであるるから近来の傾向に就いては大いに警戒せねばらぬな         論語と算盤  〈成敗と運命〉

わがままを元気と誤解するな(22)

人と争って自分が間違っておっても強情を張り通す これが元気が良いと思ったら大間違いである        論語と算盤 〈人格と修養〉

※ 安岡正篤著「百朝集」の中にも「六錯」55章によな辞ようなことを戒めた言葉がありますね。

順境も逆境も自分が作りだすもの(30)

世人は 一も二もなく彼を順境の人思うであろうが 実は順境でも逆境でもなく その人自らの力でそういう境遇を作りだしたに過ぎない                     論語と算盤 〈成敗と運命〉

形だけの礼は礼をしないより悪い(62)  

人に対して敬礼を欠いてはならない されど唯形式だけの敬礼は往々相手の感情を害し却って礼せざるに劣るものである
渋沢栄一訓言集〈処事と接物〉

※ 空海が著した本に「三教指帰」というのがあります。解説の本もたくさん出ていますが梅原猛さんなどの本がわかりやすく面白くお勧めですね。それはさておき空海は、その中で、人の道を教えるのに、儒教・道教⁻老荘ー・仏教があって一番高度な教えが仏教だというようなことを言っています。儒教はどちらかというと人の道の基本の基本を教えているともいえるわけですね。だから、渋沢栄一翁も安岡正篤師も、儒教特に論語をしっかりと身に就ければ、社会生活において大方、失敗なく過ごすことができるといっているわけです。

一度真剣に論語読み直してみましょうか。

論語と算盤  

【格言五則】

言行君子之枢機 枢機之発 栄辱之主    易経繫辞上伝

言行は君子の枢機なり 枢機の発するや栄辱の首たり

言行は君子‐教養人・指導者‐にとって枢機‐石弓の引き金。要となるーのように重要。此の引き金を引く一瞬が栄誉か恥辱かを決めるもととなる

発言盈庭 誰敢執其咎       詩経小雅節南山小旻篇

言を発して庭に盈つ 誰か敢て其の咎を執らん

皆が意見を述べ立てて庭一杯に広がっているしかし誰もその責任をとろうとはしない

言不務多 而務審其所謂      大載礼記哀公問五義篇

言は多きに務めず 其の言う所を審らかにするに務む

言葉は多ければよいと云うものではない その趣旨を明らかにすることが大切

故声無小而不聞 行無隠不形    荀子勧学篇

故に声は小にしても聞えざる無く 行は隠してもあらわれざるはなし

優れた人の声‐意見‐は小さくても必ず聞え行いは隠していても必ず世に現れる 原文 声無細而不聞 行無隠而不明  説宛 とある誤写か?

志意修 則驕富貴 道義重 則軽王公    荀子修身篇

志意修まればすなわ富貴あなどり 道義重ければ則ち王公を軽しとす

志がきちんとしていれば富や地位など問題としない 人間としての在り方が‐徳・人格‐出来ていれば権力に媚びることもない

渋沢栄一著「論語とそろばん」の冒頭部分。近代日本の基礎を築いた人物として今、注目されている人の著作を読み返すのも、混沌の現代を原点に返つて考えるという意味からもいいことかもしれません。今度の新一万円札の肖像に決定、大河ドラマでも取り上げられている、歴史的人物の中で一番旬の人物かも知れません。

でも、なぜ今渋沢栄一なのでしょうか? どなたが光を当てたのでしょうか?光が当たるようにしたのはもしかしたら、日本を守っている神々かも知れませんね

渋沢栄一の著作関係では「論語講義」が有名ですね。文庫本も出版されていますし、一度じっくり読んでみてはいかがでしょう。

お手頃なのは 「渋沢栄一100の訓言 渋澤健 著 日経新聞社