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松下幸之助の言葉

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

自分の長所に自惚れてはならない。自分の短所に劣等感を持つ必要もない。長所も短所も天与の個性、持ち味の一面である。」―人生心得帖よりー

【十月の言葉】

*一日 法治国家は中進國

今日法治国家というのは大体先進国と云う事に為っていますが、私は法治国家は真お先進国とは言えないのではないかと云う気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は謂わば中進国であって真の先進国文明国とは法律が極めて少なく所謂法三章で治まっていく国と云う事では無いかと思うのです。とすれば真の先進国に成る為にはやはり国民の良識の涵養と云うものを大いに図っていかなければ成りません。其事に成功しない限りは先進国にはなれないのではなかと思うのです。

*三日 千差万別の人間

人間は千差万別の姿と心に生まれついています。従って其々の持つ使命も天分も全部異なっているのではないかと考えられます。然し現実の社会では総てを一つの型に嵌め様規制しよう同じ道を歩ませ様とする嫌いが多分にある様に思われます。勿論こうした考え方は一面に於いては必要なのですが世の中を全部そういう考え方ものの見方で通そうとする事は決して社会の進歩には繋がらないでしょう。ですから人間が夫々持っている特性と云うものを能く認識しその特性を生かしていける共同生活を考え出さなければならないと思うのです。

*四日 心を磨く

人間の心と云うものは本当に自由なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても心の働きに由って如何様にでも考えられると思うのです。もう辛抱出来ない明日にでも自殺したいと云う場合でも考え方を変えるならば。一転して恰も広々とした大海を往くが如き悠々とした心境に転向する事さえできるのです。其れが人間の心の働きと云うものでしょう。ですから我々は是から仕事をするに当って先ず心を磨くと云うかものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに今迄得た知識を加えてやっていけば必ず大きな成果が生まれると思います。

*七日 体力と気力と経験

人間の体力と云うものは三十才前後が頂上であろう。一方気力と云う事に成ると私の常識的な体験から言えば四十歳位が最高になり之を過ぎると次第に衰えて来るのではなかろうか。勿論気力は落ちても立派に仕事は出来る。と云うのは其れ迄のその人の経験と云うものが其の気力の衰えを支えるからである。それともう一つは先輩として尊ばれ後輩達の後押しによって少々困難な事でも立派に遂行できるようになる。斯うした力が加わるからこそ歳を取って気力体力共に若い人達にとても適わない様になっても支障なく仕事が進められるのではないか。

*八日 進歩への貢献者

商品を創る方は勿論今日現在は其れが最善だと思って出すのですが、日進月歩の世の中ですから日と共に新しいアイデアが生まれてきます。ですからお客さんの中には後から買った人は非常にいいものが手に入るから先に買った人は損だと云われる方も在ります。然し商品と云うものは最初に買う人がいなければ進歩しません。先に買う人は私が金を投じて買ったから多くの人に行渡る事に為った。私は貢献者なんだ。同時に自分は一番早くその便益を得たから寧ろ得をしたんだとこう考える事に拠って世の中は発展すると思うのです。

*十日 大事に立てば起つ程

困難期混乱期に際して大事な事は根本的な心の迷いを取り除いて確りと心を確立してゆく事です。志を堅く堅持してそして事に立ち向かう事が出来るなら、その時に応じて最善と考えられる具体的な方策は適切に出てくるものだと思います。その志を確固として持つ事無しに混乱期に直面すれば彼是と心が迷い事に為って事が失敗に終る場合が少なくないと思うのです。将に貧すれば鈍すです。大事に立てば起つ程如何生きるかについての確りした信念を持つ。そうして事に当ればある程度の処置を過たずして出来るものだと思います。

*十二日 経営は総合芸術

経営者の仕事は画家等の芸術家の創造活動と軌を一にするものだと考える。一つの事業の構想を考え計画を立てる。其れに基づいて資金を求め工場その他の施設を造り人を得製品を開発し其れを生産し人々の様に立てる。その過程と云うものは画家が絵を描く如く是総て創造の連続だと云えよう。成程形だけ見れば単にモノを作っていると見えるかもしれないがその過程には到る処に経営者の精神が生き生きと躍動しているのである。その意味に於いて経営は極めて価値の高い云わば総合芸術とも言う べきものだと思います。

*十五日 紙一枚の差

社会に対する責任と云う事を同じ様に考えてやっていてもその徹し方には差がある。一方は是で十分だと考えるがもう一方はまだ足りないかも知れないと考える。そうした謂わば紙一枚の差が大きな成果の違いを生む。もう十分だと考えると苦情があってもああいうが家も十分やっているのだからと云う事になって遂反論する。けれどもまだ足りないと思えばそうした苦情に対しても敏感に受け入れ対処していく事に為る。其う云う事が商品技術販売の上に更に経営全般に行われれば年月を重ねるにつれて立派な業績を上げる殊に為る訳である。

*十六日 諸行無常の教え

その昔お釈迦さまは諸行無常と云う事を説かれました。この教えは一般には世は儚いものだと云う意味に解釈されているようですが、私は寧ろ諸行とは万物と考え諸行無常とは即ち万物流転であり生成発展と云う事であると解釈したら如何かと思うのです。言い換えますとお釈迦様は日に新たでなければならないぞと云う事を教えられたのだと云う事です。是は単に仏教だけの問題でなくお互いの日々の仕事を初め慧お互いの人生社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。

*十八日 独断は失敗に繋がる

仕事でお互いが注意すべき事は会社の伝統方針を無視した自分一人の考えで行動しないと云う事です。人一人の知恵は如何に優れていても伝統も顧みず方針を等閑視して狭い自分の主観から生まれてくる判断で行動すれば却って会社をマイナスに導きます。私達は兎角ものの一面に捉われて自己の考え已を主張しているとその背後に流れる大きな力を見忘れてしまうものです。其処から大きな失敗が表れてきます。常に自己の背後にある流れ繋がりを見通す目、心を培いその中で自己を生かすよう訓練して行かなければなりません。

*十九日 良識を養う

この世の中ではお互いが様々な言説を唱えています。然し自由の下に自説を主張する場合は自説に捉われて対立にのみ終始すると云う事ではいけません。対立しつつも調和して往かなければなら荷と思います。其の為にはお互いが其々に自らの良識を養い高めて行く事が大切です。公共の福祉に反してはならないと云う事は勿論法律にも定められていますが、矢張り法律だけでは律し切れないものがある訳です。そう云うものについては個々の人々が自らの良識で事を判断する事に拠って自由を真の自由たらしめていかなければならないと思うのです。

*二十日 小異を捨て大同につく

明治維新の立役者は勝海舟と西郷隆盛である。当時官軍にも幕府側にも戦いを主張する人は少なからずあり複雑な情勢であった。然し勝海舟も西郷隆盛も戦う事を決して軽視はしなかったけれども、それ以上に日本の将来と云う事を深く考えた譯である。そう云う両者の一致した思いが江戸城無血開城を可能にしたのだと思う。結局指導者が目先の事枝葉末節に捉われず大所高所からものを見、大局的に判断する事が如何に大切かと云う事である。何が一番大事であり何が真に正しいか絶えず小異を捨て大同につく、それが指導者として極めて大切な心構えだと思う。

*二二日 成功のコツ

良い会社だと思って入った会社でも一から十迄何もかもいいとは限りません。時には欠点もあるでしょう。然しそれを初めからこんな会社はあかんと決めてかかるか、それとも如何もこの点だけは善いとは思わないがこれは自分の問題として改善向上させていこう、と云う熱意を持って当たるかに由って対応の仕方が全く変わってくるでしょう。善し自分の会社を今よりももっと良い会社にしてやるぞ、と云う意欲を持ち全ての事を前向きに捉える姿勢を持つ人は、信頼もされ頼もしい社員として嘱望もされるでしょう。成功のコツはそのような処に在ると思うのです。

*二三日 原因は自分にある

人間と云うものは他人の欠点は目に付き易いものだ。往々にして何か問題が起こると其れは総て他人の所為で自分はに関係がないと考えがちである。実際に他人の所為であって自分は無関係なものもある。併し其れをそう判定するのは飽く迄も人間である。他人の所為ではあるけれども実は自分の所為でもある。と云う様に自分は全く関係がないとは言い切れない場合も少なくないのではなかろうか。少なくとも問題が起こった際には他人の所為だと考える前に、先ず自分の所為ではないかと云う事を一度考え直してみる事が非常に大切ではないかと思うのである。

*二五日 人の話に耳を傾ける

日頃部下の云う事をよく聞く人の処では比較的人が育っている。其れに対して余り耳を傾けない人の下では人が育ち難い。そういう傾向が有る様に思われる。何故そうなるかと云うと矢張り部下の言葉に耳を傾ける事に拠って、部下が自主的にものを考えるようになり其の事がその人を成長させるのだと思う。けれども自分の云う事に上司が耳を傾けてくれないと云うのでは、唯惰性で仕事をすると云う事になって成長も止まってしまう。上司としてどんな場合でも大事なのは耳を傾けるという基本的な心構えを何時も持っていると云う事であろう。

*二七日 インテリの弱さ

今日能く耳にする言葉にインテリの弱さと云う事がある。是はインテリには生じっかな知識が在る為に其れに囚われて仕舞、其れは出来ないとか其れは如何考えても無理だと思い込んでしまって、中々実行に移さないという一面を言った言葉だと思う。実際嗚呼其れは今迄何度も遣ってみたんだが出来ないんだと、決め込んでいる事が我々の身の回りには意外に多いのではなかろうか。時には自分の考え復自分を捉えている常識や既存の知識から解放され、純粋な疑問純粋な思い付きと云うものを大切にしてみてはどうだろうか。

*二八日 怖さを知る

人は其々怖いものを持っています。子供が親を怖いと感じたり、社員が社長を恐いと思ったり世間が怖いと思ったりします。然し其れと共に自分自身が怖いと云う場合が有ります。共すれば怠け心が起るのが怖い、傲慢になりがちなのが怖いと云う様なものです。私は此の怖さを持つと云う事が大切だと思います。怖さを常に心に懐き恐れを感じつつ日々の努力を重ねていく。其処に慎み深さが生まれ自分の行動に反省をする余裕が生まれてくると思うのです。そして其処から自分の正しい道を選ぶ的確な判断もより出来る様になると思います。

*三一日 先ず与えよう

持ちつ持たれつと云う言葉もあるがこの世の中はお互いに与え合い与えられ合う事に拠って成り立っている。其れはお金とか品物と云った物質的な面もあれば思い遣りと言った様な心の面もある。聖書の中にも与うるは受浮くるよりも幸いなりと云う言葉があると云うが人間とは他から貰う事も嬉しい方が他に与え他を喜ばす事により大きな喜びを感じると云う処があると思う。そういう喜びを自ら味わいつつしかも自分を含めた社会全体をより豊かにして行く事が出来るのである。先ず与えよう此れをお互いの合言葉にしたいと思うのだがどうであろうか。

古事記人名検索(Ⅴ)

=あいうえお順=

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は上記版における 名前 読み方 巻 ページ 登場順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人として特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。尚、神名は参考にしている新潮社古典文学54年版「古事記」の末尾附録として掲載されてます。ご興味ある方は、そちらもご覧ください。

因みに 岩波古典文学大系「古事記」の付録は、今に伝わる祝詞のすべてが、また小学館版の「古事記」には上代歌謡のすべてが収録されています。

ヌ行

沼名木之入日売命     ヌナキノイリヒメニミコト   中   133   173

 スジンテンノウ・オオアマヒメ長女

沼羽田之入毘売      ヌバタノイリビメ    中   141   198

 ヒバスヒメ(ヒコタタスミチノウシ娘)妹→スイニンテンノウ妃

沼帯別命         ヌタラシワケノミコト    中   141   199

 スイニンテンノウ・ヌバタノイリビメ長子

沼代郎女         ヌノシロノイラツメ     中   154   238

 ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇女

沼木郎女         ヌナキノイラツメ     中   154   239

 ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

額田大中日子命      ヌカタノオホナカツヒコノミコト  中   183   305

 オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ長子

奴理能美         ヌリノミ       下   210   396

 箇木ツツキの韓人((現京都綴喜郡)百済帰化人統率者 奴理使主ヌリノミ同か 養蚕

糠若子郎女        ヌカノワクゴノイラツメ   下   264   479

 ワニノヒツマノオミ娘-ニンケンテンノウ妃

沼倉太玉敷命       ヌナクラフトタマシキノミコト  下   267   525

 キンメイテンノウ・イシヒメ長子→第三十代敏達天皇ビタツ他田ヲサダ宮-現奈良桜井市戒重 十四年在位 甲辰キノエタツ584年4月6日崩御 御陵:川内ノ科長(大阪南河内郡太子町)

糠子郎女         ヌカゴノイラツメ     下   267   529

 ヒツマノオミ娘ーキンメイテンノウ妃

糠代比売王        ヌカデヒメノオホキミ    下   269   571

 ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母(庶妹)☞タカラオホキミ・タムラノオホキミ同

ネ行

根鳥命          ネトリノミコト      中   184   312

 オウジンテンノウ・ナカツヒメ次男 ミハラノイラツメ(庶妹)ノ夫 ナカツヒコ親

根之臣          ネノオミ       下   232   433

 坂本臣の祖-タケノウチスクネの子キノツヌノスクネ末裔

泥杼王          ネドノオホキミ     下   268   547

 キンメイテンノウ・キタシヒメ十男

ノ行

怒能伊呂比売       ノノヒロヒメ      中   129   108

 タケノウチスクネ次女

野之郎女         ノノイラツメ      下   265   502

 ケイタイテンノウ・セキヒメ三女 ナガヒメ同

ハ行

蠅伊呂泥         ハエイロネ       中   125   56

 ワチツミノミコト長女 オホヤマトクアレヒメ同

蠅伊呂杼         ハエイロド      中   125   58

 ワチツミノミコト次女 コウレイテン妃

波邇夜須毘売       ハニヤスビメ      中   128   92

 カワチノアオダマ娘-コウゲンテンノウ妃

波多八代宿禰       ハタノヤシロノスクネ    中   129   102

 タケノウチスクネの長子→波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君の祖

針間之伊那毘能大郎女   ハリマノイナビノオホイラツメ  中   154   225

 ワカタケキビツヒコ娘→ケイコウテンノウ妃

速総別命         ハヤブサワケノミコト   中   184   327

 オウジンテンノウ・イトイヒメ長子→メトリノオオキミ悲恋仁徳朝謀反

幡日之若郎女       ハタヒノワカイラツメ    中   184   331

 オウジンテンノウ・ナガヒメ長女

春山之霞壮夫       ハルヤマノカスミヲトコ   中   200   369

 春山の擬人化→妻問伝承(古伝承集約化か)→大国主八上比売神話類型・ウミサチヤマサチ神話類型(神名)

波多毘能大郎子      ハタビノオホイラツコ   下   204   388

 ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘⁻応神朝)長子 オホクサカ同 →アンコウテンノウニ殺サレル

波多毘能若郎女      ハタビノワカイラツメ   下   204   390

 ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ナガメヒメ・ワカクサカベノミコト同 →ユウリャクテンノウ求婚

間人穴太部王       ハシヒトノアナホベノオホキミ 下   268   551

 キンメイテンノウ・オエヒメ(ソガノイナメ妹・キタシヒメ姨)長女ーヨウメイテンノウ皇后・ショウトクタイシ母

長谷部若雀命       ハツセベノワカサザキノミコト 下   268   554

 キンメイテンノウ・オエヒメ三男-第三十二代崇峻天皇スシュン 倉橋柴垣宮クラハシノシバガキノミヤ四年在位 壬子ニズノエネ-592年11月13日崩御 御陵:倉橋の岡(桜井市倉橋)

ヒ行 

稗田阿禮         ヒエダノアレ     序   22    7

 舎人古事記編纂藤原不比等?

比売多多良伊湏気余理比売 ヒメタタライスケヨリヒメ   中   120   42

 セヤダタラヒメ・オオモノヌシの子ホトタタライススキヒメ同 ジンムテンノウ大后

日子八井命        ヒコヤイノミコト     中   122   43

 ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの長子→茨田連・手嶋連ノ祖

孫            ヒコ        中   125   54

 シキツヒコ長子 伊賀湏知スチ稲置・那婆理ノ稲置・三野ノ稲置ノ祖

日子刺肩別命       ヒコサシカタワケノミコト   中   127   77

 コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ長子→高志利波コシトナミ臣 豊国国前クニサキ臣・五百原イホハラ君・角鹿済ツニガノワタリ直ノ祖

比古伊佐勢理毘古命    ヒコイサセリビコノミコト   中   127   78

 コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ次男→吉備上ツ道臣ニ祖 紀:崇神記四道将軍吉備地方-吉備津神社祭神

日子寤間命        ヒコサメマノミコト    中   127   81

 コウレイテンノウ・ハエイロド(オホヤマトクニアレヒメ姉妹58)長子→針間牛鹿ウジカ臣ノ祖

比古布都押之信命     ヒコフツオシノマコトノミコト  中   128   90

 コウゲンテンノウ・イカガシコメ長子 ウマシウチノスクネの親

比古伊那許士別命     ヒコイナコジワケノミコト    中   129   95

 オホビコ次男→膳カシワデ臣ノ祖

比古由牟須美王      ヒコユムスミノミノミコ    中   130   113

 カイカテンノウ・タカノヒメ長子

比古国意祁都       ヒコクニオケツ      中   130   116

 丸邇臣ノ祖 オケツヒメ兄

日子坐王         ヒコイマスオホキミ     中   131   118

 カイカテンノウ・オケツヒメ長子-呪的霊能者の祖 崇神天皇四道将軍-丹波(旦波)国派遣

比古意湏王        ホコオスノオホキミ     中   131   146

 ヒコイマスオオキミ・ヲケツヒメ次男

比婆湏比売命・兄比売   ヒバスヒメノミコトーエヒメ  中   132   151

 ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ長女-スイニンテンノウ后ーホムチワケ育児係

日子国夫玖命       ヒコクニブクノミコト    中   139   190

 丸邇臣ノ祖ースジンテンノウ四道将軍オオビコ軍副将:謀反タケハニヤスオオキミ討伐

冰羽州比売        ヒバスヒメ      中   141   192

 ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ長女-スイニンテンノウ后  比婆湏比売命同ーホムチワケ育児係

肥長比売         ヒナガヒメ      中   151   220

 肥河ノ女神蛇神→ホムツワケ一夜妻 (神名)

日向美波迦斯毘売     ヒムカノミハカシビメ    中   155   245

 日向豪族一族-ケイコウテンノウ妃

日子人大兄王       ヒコヒトオホエノオホキミ   中   155   249

 ケイコウテンノウ・イナビノワカイラツメ次男

日向之泉之長売      ヒムカノイズミノナガヒメ  中   184   328

 日向豪族一族か?-オウジンテンノウ妃

日向諸県之牛諸      ヒムカノモロガタノウシモロ  中   189   341

 日向豪族首長諸県ノ君ーカミナガヒメ父

比売陀君         ヒメダノキミ      下   224   410

 スイニン朝ホムチワケ育児→白鳥捕役ノウナカミノオオキミ一族末裔

引田部赤猪子       ヒキタベノアカイコ    下   243   450

 引田(現桜井市白河)ノ部民ノ女-ユウリャクテンノウ求婚-忘却

広国押建金日命      ヒロクニオシタケカナヒノミコト  下   264   487

 ケイタイテンノウ・メノコノイラツメ長子→第二十七代安閑天皇アンカン勾金箸マガリノカネハシ宮(現奈良橿原市曲川)乙卯キノトノウ535年3月13日崩御 御陵:河内古市高屋-大阪羽曳野市古市

比呂比売命        ヒロヒメノミコト     下   269   572

 オキナガノマテ娘-ビタツテンノウ妃

フ行

賦登麻和訶比売命     フトマワカヒメノミコト    中   125   59

 シキノアガタヌシの祖  イヒヒヒメノミコト同 イトクテンノウ妃

布多遅能伊理毘売     フタヂノイリビメ    中   141   214

 スイニンテンノウ・オトカリハタトベ長女→倭建命妃

布多遅比売        フタヂヒメ      中   172   270

 オホタムワケ娘-ヤマトタケル妃

藤原之琴節郎女      フヂハラノコトフシノイラツメ  中   202   376

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)‣モモシキイロベ(オトヒメマワカ)三女→本居宣長説ーインギョウテンノウ皇女ソトオリノオホキミ

布斗比売命        フトヒメノミコト     下   269   569

 ビタツテンノウ・オグマコイラツメ長女

ヘ行

平群都久宿禰       ヘグリノツクノスクネ    中   129   105

 タケノウチスクネ四男→平群臣・佐和良臣・馬御樴ウマノミクヒ連等の祖

ホ行

品陀           ホムダ       序   25    10

 序に曰く第十五代天皇-応神天皇を指す

富登多多良伊湏湏岐比売  ホトタタライススキヒメ    中   120   41

 セヤダタラヒメ・オオモノヌシの子 ヒメタタライスケヨリヒメ同 ジンムテンノウ大后

品牟都和気命       ホムツワケノミコト     中   141   191

 スイニンテンノウ・サハヂヒメ(サホビメーサホビコ妹)長子サホビコ謀叛籠城の城にて生真事とわず( 唖) 本牟智ホムチ

品陀和気命        ホムダワケノミコト    中   174   296

 チュウアイテンノウ・ジングウコウゴウ次男→オホトモワケ同 第十五代応神天皇(胎中天皇)軽嶋明アルノシマアキラ宮-奈良橿原市大軽町畝傍山東南甲午9月9日131歳崩御 御陵:川内恵賀裳伏岡エガノモフシノオカ(大阪羽曳野市誉田コンダ)

品陀真若王        ホムダノマワカノオオキミ   中   183   299

 イホキノイリヒコ・シリツキトメの子 オウジンテンノウ3妃ノ親

火穂王          ホノホノオホキミ     下   267   522

 センカ(センゲテンノウ・ワクゴヒメ長子→志比陀シヒダ君ノ祖

品夜和気命        ホムヤワケノミコト     中   174   294

 チュウアイテンノウ・オキナガタラシヒメ長子

マ行

真砥野比売命       マトノヒメノミコト     中   132   152

 ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ次女

円野比売         マトノヒメノミコト     中   152   223

 タニハ(旦波―丹波)ミチノウシオオキミ娘ーホムチワケ育児係実家へ還

真若王          マワカノオホキミ     中   155   248

 ケイコウテンノウ・イナビノワカイラツメ長子

目弱王          マヨワノオホキミ     下   234   435

 オホクサカノオオキミ・ナガタノオオイラツメ長子→アンコウテンノウ刺殺す

真若王          マワカノオホキミ     下   264   477

 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ次男

麻組郎女         マクミノイラツメ     下   265   491

 オキナガマテの娘-ケイタイテンノウ妃

茨田郎女         マムタノムラジヲモチ    下   265   498 

 地方豪族首長か セキヒメ(ケイタイテンノウ妃)親

茨田大郎女        マムタノオホイラツメ    下   265   500

 ケイタイテンノウ・セキヒメ長女

丸高王          マロコノオホキミ     下   265   507

 ケイタイテンノウ・ヤマトヒメ長子

麻呂子王         マロコノオホキミ     下   267   531

 キンメイテンノウ・ニカゴノイラツメ長子

麻呂古王         マロコノオホキミ     下   267   539

 キンメイテンノウ・キタシヒメ三男

麻怒王          マノノオホキミ      下   268   545

 キンメイテンノウ・キタシヒメ八男

麻呂古王         マロコノオホキミ     下   269   574

 ビタツテンノウ・ヒロヒメミコト長子オサカノホコヒト同-第35代舒明天皇ジョメイ父

茨田王          マムタノオホキミ     下   270   597

 ヨウメイテンノウ・ハシヒトアナホベオホキミ四男

ミ行

道臣命          ミチノオミノミコト    中   115   26

 神武東征軍将軍 大伴連ノ祖

三嶋湟咋         ミシマノミゾクイ    中   120   39

 大阪地方豪族 茨木溝咋神社

御真津日子訶恵志泥命   ミマツヒコカエシネノミコト  中   125   61

 イトク・フトマワカヒメ長子→第五代孝昭天皇コウショウ 葛城掖上宮(奈良御所市池之内附近) 崩御93歳 御陵:掖上博多山ノ上(御所市三室)

御真木入日子印恵     ミマキイリヒコイニエ    中   130   114

 カイカテンノウ・イカガシメ(コウゲンテンノウ妃・カイカテンノウ継母)長子 →第十代崇神天皇スジン・ハツクニシラシメシシミマキノスメラミコト 師木水垣宮-奈良桜井市金屋志貴御県坐シキノミアガタイマス神社附近 168歳崩御戊寅年12月 御陵:山ノ辺道ノ勾岡ノ上(天理市柳本付近)

御真津比売        ミマツヒメ       中   130   115

 カイカテンノウ・イカガシメ長女

水穂之真若王      ミヅホノマワカノキミ- ミズホ   中   131   139

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ次男→近ツ淡海安直ノ祖

水穂五百依比売      ミヅホノイホヨリヒメーミズホ 中   131   142

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ長女

御井津比売        ミイツヒメ       中   131   143

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ次女

朝廷別王         ミカドワケノオホキミ    中   132   154

 ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ長男→三川ノ穂別ノ祖

御真津比売命       ミマツヒメノミコト     中   133   175

 オオビコ(コウゲンテンノウミコ北陸指導将軍)娘-スジンテンノウ妃

御鉏友耳建日子      ミスキトモミミタケヒコ    中   161   262

 吉備臣等ノ祖ーヤマトタケル東国征伐の副将 オオキビタケヒメ(ヤマトタケル妃)ノ兄

美夜受比売        ミヤズヒメ      中   162   263

 尾張国造ノ祖・熱田神宮巫女か-ヤマトタケル妃

御火焼ノ老人       ミヒタキノオキマ     中   165   265

 夜警篝火を焚き守る老人-賤者 ヤマトタケルにより東ノ国ノ造

三野郎女         ミノノイラツメ      中   184   316

 オウジンテンノウ・オトヒメ四女

宮主矢河枝比売      ミヤヌシヤガハエヒメ    中   184   318

 ヒフレノオオミ娘丸邇氏族祭祀巫女-オウジンテンノウ妃

三腹郎女         ミハラノイラツメ     中   203   379

 ネトリノオオキミ(オウジンテンノウ・ナカツヒメ次男)妻 →庶妹

御馬王          ミマノオホキミ      下   219   404

 リチュウテンノウ・クロヒメ次男→ユウリャクテンオウにより殺害さる

三重婇          ミヘノウネメ      下   250   456

 伊勢三重の豪族よりユウリャクテンノウへ献上ノ子女巫女か

三尾君加多夫       ミオノキミカタブ     下   265   504

 三尾ミオ氏一族(祖イワツクワケオオキミ-スイニンテンノウ子)首長か

耳王           ミミノオホキミ      下   265   508

 ケイタイテンノウ・ヤマトヒメ次男

ム行

室毘古王         ムロビコノミコ     中   131   135

ヒコイマスオオキミ・サホノオホクラミトメ三男→若狭ノ耳ノ別ノ祖

メ行

女鳥王          メトリノオホキミ     中   184   321

 オイジンテンノウ・ミヤヌシヤガワエヒメ次女→ハヤブサワケ悲恋 ニントクテンノウ求婚ハヤブサワケ共ニ謀反

目子郎女         メノコノイラツメ     下   264   486

 オオシミラジ妹-ケイタイテンノウ妃

モ行

百師木伊呂弁       モモシキイロベ     中   202   370

 オキナガマワカナカツヒメ妹 オトヒメマワカヒメ同 ワカノケフタマタノオオキミ(オウジンテンノウ・オキナガマワカナカツヒメ長子)妻

物部大前宿禰※      モノノベノオオマエノスクネ  下   228   431

 物部氏首長大臣→軽太子・穴穂命戦-軽太子を助けるも後に敗れて引き渡す (書紀:安康前)紀 オホマヘヲマヘスクネーオオマエオマエ同

物部荒甲         モノノベノアラカヒ    下   266   515

 物部氏大連―磐井イワイの乱鎮圧将軍

ヤ行

安萬侶          ヤスマロ       序   17    1

 正五位上勲五等古事記編纂奏上 太朝臣安萬侶

夜麻登登母母曾毘売    ヤマトトモモソビメ    中   127   76

 コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ長女・(大物主妻-紀:崇神紀)

倭飛羽矢若屋比売     ヤマトトビハヤワカヤヒメ  中   127   80

 コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ次女

山下影日売        ヤマシタカゲヒメ    中   129   100

 ウヅヒコ妹-ヒコフツオシノマコト妻 タケノウチノスクネ親

山代荏名津比売      ヤマシロノエナツヒメ    中   131   124

 山代豪族女カリハタトベ同 ヒコイマスオオキミ(カイカテンノウ・オケツヒメ長子)妻

八瓜入日子王       ヤツリノイリヒコノミコ   中   131   141

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ三男→三野國本巣国造・長幡部連ノ祖

山代大箇木真若王    ヤマシロノオオツツキノマワカノキミ  中   131   145

 ヒコイマスオオキミ・ヲケツヒメ長子

八坂之入日子命     ヤサカノイリヒコノミコト    中   133   172

 スジンテンノウ・オオアマヒメ次男 ヤサカノイリヒメ(ケイコウテンノウ妃)父

倭日子命        ヤマトヒコノミコト     中   134   181

 スジンテンノウ・ミマツヒメ三男-殉死制度始まる →スイニンテンノウ紀28年野見宿禰埴輪献策

倭比売命        ヤマトヒメノミコト     中   141   196

 スイニンテンノウ・ヒバスヒメ長女→伊勢神宮斎宮-2代目・倭建命ノ姨オバ ヤマトタケル東征の折草薙剣を賜

山代大国之淵      ヤマシロのオホクニノフチ    中   141   206

 山代国豪族首長か カリバタトベ女

山辺大タカ-(帝+鳥)  ヤマノベノオオタカ     中   149   218

 スイニン朝ホムチワケ育児→白鳥捕役

倭男具那命       ヤマトヲグナノミコト     中   154   229

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ三男(太子)ヲウス同 ヤマトヒメ甥 →東西反政権部族平定 ヤマトタケルノミコト同

倭根子命        ヤマトネコノミコト      中   154   230

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ四男

八坂之入日売      ヤサカノイリヒメ      中   154   232

 ヤサカノイリヒコ(スジンテンノウ皇子)娘―ケイコウテンノウ妃

倭建命         ヤマトタケルノミコト     中   155   250

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ三男 ヲウス・ヤマトオグナ同

山代之玖玖麻毛理比売  ヤマシロノククマモリヒメ    中   172   275

 山代(京都南部)国豪族首長一族か ヤマトタケル妃

妹)八田若郎女     ヤタノワキイラツメ      中   184   320

 オウジンテンノウ・ミヤヌシヤガワエヒメ長女→ニントクテンノウ求婚-イワノヒメ(オウジンテンノウ后)嫉妬

山部大楯連       ヤマベノオホタテノムラシ    下   216   400

 ニントクテンノウ将軍-ハヤブサワケメ・トリノオオキミ討伐軍将→戦ノ後メトリの手首より勾玉盗む-イワノヒメにより死刑(人道非礼ニヨル)

八瓜白日子王      ヤツリノシロヒコノオホキミ    下   225   425

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ四男→ユウリャクテンノウにより殺害

山代猪甘        ヤマシロノイカヒ      下   239   443

朝廷の豚を飼う仕人-オケノミコ・ヲケノミコの逃亡妨害-後年罰さる 

山辺連小楯       ヤマベノムラジヲダテ    下   255   461

 針間国宰官

倭比売         ヤマトヒメ        下   265   505

 ミオノキミカタブ妹-ケイタイテンノウ妃

八田王         ヤタノオホキミ       下   267   524

 キンメイテンノウ・イシヒメ(センゲテンオウ娘)長女

山代王         ヤマシロノオホキミ      下   267   542

 キンメイテンノウ・キタシヒメ六男

山代王         ヤマシロノオホキミ      下   269   590

 ヒコヒトヒツギノミコ・サクライノユミハリオホキミ長子

倭ハ師木ノ鳥見ノ豊朝倉ノ曙立王 ヤマトハシキノトミノトヨアサクラノアケタツノオホキミ 中 150 602

 アケタツノオホキミ同 地名を冠して其持てる呪力を賛美した

ユ行

由碁理         ユゴリ        中   130   111

 旦波タノハ(後ノ丹波・丹後)ノ大県主 娘タカノヒメ

弓月君 ※       ユヅキノキミ       中   192   349

 秦ノ造ノ祖 応神朝帰化人秦氏の統率者(百済)

由良度美        ユラドミ        中   199   366

 タジマヒタカ(タジマヒネ次男)ノ姪→タジマヒタカ妻

ヨ行

余曾多本毘売      ヨソタホビメノミコト     中   126   64

 オキツヨソ妹・コウショウテンノウ妃

吉野国主        ヨシノノクニス       中   191   343

 吉野郡吉野国栖クズ土着豪族-イワオシワク系譜:朝廷節会参上御贄献上

吉野童女        ヨシノノヲトメ       下   245   452

 ユウリャクテンノウ吉野行幸時求婚-仙境吉野川ノ巫女カ

ワ行

若木入日子命      ワカキイリヒコノミコト     中   141   197

 スイニンテンノウ・ヒバスヒメ四男

若帯日子命成務天皇   ワカタラシヒコノミコト     中   154   233

 ケイコウテンノウ・ヤサカノイリヒメ長子(太子)-第十三代成務天皇セイム 近ツ淡海志賀ノ高穴穂宮ー滋賀大津市坂本穴太町 95歳崩御 乙卯キノトノウ3月15日 御陵:沙紀多他那美(奈良市山陵町

若木入日子王      ワカキノイリヒコノオホキミ    中   154   241

 ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇子

若建王         ワカタケルノオホキミ     中   172   268

 ヤマトタケル・オトタチバナヒメ長子

和訶奴気王       ワカヌケノオホキミ      中   173   293

 セイムテンノウ・オトタカライラツメ長子

丸邇之比布礼能意富美  ワニノヒフレノオホミ     中   184   317

 丸邇氏一族首長か難波山代地方 ミヤヌシヤガハエヒメ(オウジンテンノウ妃)ノ親

若沼毛二俣王      ワカヌケフタマタノオホキミ    中   184   324

 オウジンテンノウ・オキナガマワカナカツヒメ(クイマタナガヒコ次女)長子(若野毛)

和邇吉師        ワニキシ        中   192   346

 照古王ノ命により応神朝来朝-論語・千文字一巻等献上 →史首フミノオビト等の祖

若日下部命       ワカクサカベノミコト     下   204   392

 ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ハタビノワカイラツメ・ナガメヒメ同→ユウリャクテンノウ求婚

丸邇臣口子        ワニノオミクチコ      下   211   398

 山代木津川支配氏族→ニントクテンノウ使者口上伝 クチヒメ(イワヒメ侍女)親

若桜部臣         ワカサクラベノオミ    下   224   409

 膳臣一族より独立した新氏族→非時トキジク桜花献上による

丸邇許碁登臣       ワニノコゴトノオミ    下   225   411

 難波山代地ノ氏族 ツノノイラツメ(ハンゼイテンノウ妃)オトヒメ(妃)ノ親

若日下部王        ワカクサカベノオオキミ   下   239   445

 オオクサカノオオキミ妹-ユウリャクテンノウ大后

若帯比売命        ワカタラシヒメノミコト    下   240   447

 ユウリャクテンノウ・カラヒメ長女

丸邇佐都紀臣       ワニノサツキガオミ    下   249   454

 丸邇(現奈良天理市)ノ豪族-幻ノ氏族トサレル ヲドヒメ(ユウリャク妃)親

丸邇日爪臣        ワニノヒツマノオミ     下   264   478

 丸邇(現奈良天理市)ノ豪族 ヌカノワクゴノイラツメ(ニンケンテンノウ妃)親

若比売          ワカヒメ       下   264   482

 三尾君一族(祖イワツクワケオオキミ-スイニンテンノウ子)-ケイタイテンノウ妃

若屋郎女         ワカヤノイラツメ     下   265   511

 ケイコウテンノウ・アヘノハエヒメ長女

和知都美命        ワチツミノミコト     中   125   55

 シキツヒコ次男 淡道ノ御井宮ニ坐ス ハエイロネ・ハエイロドの親

若日子建吉備津日子命   ワカヒコタケキビツヒコノミコト 中   127   82

 ワカタケキビツ同 コウレイテンノウ・イロド次男→吉備下ツ道臣・笠臣ノ祖

若建吉備津日子      ワカタケキビツヒコ     中   127   83

 ワカヒコタケキビツヒコノミコト同 コウレイテンノウ・イロド次男 吉備下ツ道臣・笠臣ノ祖

若倭根子日子大毘毘命   ワカヤマトネコオホビビノミコト 中   128   88

 コウゲンテンノウ・ウツシコメ三男子→第九代開化天皇カイカ 春日伊耶河イザカワ宮-奈良本子守町率川 イザガワ付近 63歳崩御 御陵:伊耶河坂ノ上(奈良市油坂町)

若子宿禰         ワクゴノスクネ     中   130   110

 タケノウチスクネ七男→江野間臣等の祖

鸇比売          ワシヒメ       中   130   120

 カツラギタルミスクネ娘-カイカテンノウ妃

ヲ行

小㑨王          ヲマタノキミ      中   131   127

 ヒコイマスオホキミ・エナツヒメ次男→当麻勾君タギマノマガリノ祖

袁耶本王         ヲアザホノキミ     中   131   132

 ヒコイマスオオキミ・サホノオホクラミトメ次男→葛野別・近ツ淡海蚊野別ノ祖

遠祁都比売        ヲケツヒメ       中   131    144

 意祁都比売オケツヒメ(ヒコイマスオオキミ母)妹-ヒコイマスオオキミ妻

袁耶弁王         ヲザベノオホキミ    中   141    205

 スイニンテンノウ・カグヤヒメ長子

小碓命          ヲウスノミコト      中   154    228

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ三男(太子)ヤマトヲグナ・ヤマトタケルノミコト同 ヤマトヒメ甥

ケイコウテンノウの命を誤解し兄オホウスノミコトを殺害→東西反政権部族平定・帰途途中病に斃れる

袁那弁郎女        ヲナベノイラツメ     中   184    322

 ミヤヌシヤガワエヒメ妹(ヒフレノオオミ娘)-オウジンテンノウ妃

小羽江王         ヲハエノオオキミ     中   184    330

 オウジンテンノウ・ナガヒメ長子

男浅津間若子宿禰命    ヲアサツマワクゴノスクネノミコト 下   204    387

 ニントクテンノウ・イワノヒメ三男→第十九代允恭天皇インギョウ遠ツ飛鳥宮-奈良(大和)飛鳥に都した 最初の天皇氏姓を正す甲午年正月15日78歳崩御御陵:河内恵賀長枝(大阪藤井市国府)

長田大郎女        ヲサダノオホイラツメ    下   225    420

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ長女同母弟アンコウテンノウ大后と同か?

袁祁王          ヲケノミコ       下   239    442

 イチノヘオシハノオオキミ次男ヲケノイハスワケノミコト同→ユウリャクテンノウを避け身を隠す 後の第二十三代顕宗天皇ケンソウ 近ツ飛鳥宮-大阪羽曳野市飛島在位8年 38歳崩御 御陵:片岡の石坏イワツキ岡ノ上(奈良北葛城郡香芝)

袁杼比売         ヲドヒメ       下   249    455

 ワニノサツキ娘-ユウリャクテンノウ妃

袁祁之石巣別命      ヲケノイハスワケノミコト   下   259    465

 ヲケノミコ同イチノヘオシハノオオキミ次男→ユウリャクテンノウを避け身を隠す 第二十三代顕宗天皇ケンソウ 近ツ飛鳥宮-大阪羽曳野市飛島 在位8年 38歳崩御 御陵:片岡の石坏イワツキ岡ノ上 (奈良北葛城郡香芝)

意富祁王         ヲケノオホキミ      下    263   470

 ヲケ同イチノヘオシハノオオキミ長子→ユウリャクテンノウを避け身を隠す 後の第二十四代仁賢天皇ニンケン  石上広高宮-奈良天理市田辺 書記在位11年 御陵:埴生坂本(大阪藤井寺市青山)

小長谷若雀命       ヲハツセノワカサザキノミコト  下    264   476

 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ長子-第二十五代武烈天皇ブレツ長谷ハツセ列木ナミキ宮-奈良桜井市出雲 在位8年御陵:片岡石坏岡(奈良北葛城郡香芝)

袁本杼命         ヲホドノミコト      下    264   481

 オウジンテンノウ5世孫ータシラカノイラツメ(ニンケンテンノウ皇女)婚第二十六代継体天皇ケイタイ 伊波礼玉穂宮-奈良桜井市池之内 丁未年527年4月9日43歳崩御 御陵:三島ノ藍(大阪茨木市太田茶臼山) 

小石比売命        ヲイシヒメノミコト     下   267   519

 センカ(センゲ)テンノウ・タチバナノナカツヒメ次女→キンメイテンノウ妃

小兄比売         ヲエヒメ       下   268   548

 ソガノイナメ妹・キタシヒメ姨―キンンメイテンノウ妃

小貝王          ヲカヒノオホキミ     下   268   560

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長子

小治田王         ヲハリダノオホキミ    下   268   561

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)次男

小張王          ヲハリノオホキミ     下   269   564

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)五男

小熊子郎女        ヲグマコノイラツメ    下   269   568

 イセエノオオカ娘-ビタツテンノウ妃 

                              以上

猫を読んだ句

日本の歳時記(小学館刊)に収録された句 から紹介いたします(=^・^=)

ヒャクダイノ カカクシンガリニ ネコノコモ        春1/8      ネコノコ   

百代の過客しんがりに猫の子も      加藤楸邨  

ウララカヤ ネコニモノイフ ツマノコヘ         春1/10     ウララカ

うららかや猫にものいふ妻の声      日野草城

チラチラト カゲロフタチヌ ネコノツカ         春3/7     カゲロウ

ちらちらとかげろふ立ちぬ猫の塚     夏目漱石

ウラヤマシ オモヒキリドキ ネコノコヒ         春4/31     ネコノコイ

うらやましおもひ切時猫の恋       越智越人

バクシュウヤ ヘビトタタカフ テラノネコ        夏7/8     バクシュウ

麦秋や蛇と戦ふ寺の猫          村上鬼城

ネコノメノ ウゴメクヤミヤ チンチョウゲ        春9/33    チンチョウゲ

    猫の目の蠢く闇や沈丁花         畑賢吉

イエジュウガ ヒルネシテヲリ ネコマデモ        夏12/2     ヒルネ

    家中が昼寝してをり猫までも       五十嵐播水

ツユアケヌ ネコガマヅキニ カケノボル        夏12/10    ツユアケ

    梅雨明けぬ猫が先づ木に駆け登る     相生垣加瓜人

イヌネコト オナジスガタヤ フユザシキ        冬19/15    フユザシキ

    犬猫と同じ姿や冬座敷          富田木歩

オオデラニ ショウジハルヒノ ネココネコ        秋21/15    ショウジハル

    大寺に障子はる日の猫子猫                       三好達二

ネコジヤラシ モテバジヤラサズ ニハヲレズ      秋22/23    ネコジャラシ

    猫じやらし持てばじやらさずにはをれず   西宮舞

ウソザムヤ ショウジノアナヲ ノゾクネコ       秋26/10    ウソザム

    うそ寒や障子の穴を覗く猫              富田木歩

ネコノメニ ウミノイロアル コハルカナ         冬29/11     コハル

    猫の目に海の色ある小春かな      久保より江

コギノノラ ジョジョニヨラシム ヒナガカナ      春32/32    ヒナガ

    孤疑の野良猫徐々に寄らしむ日永かな    亀丸公俊

クロネコヲ クミフセアイス ヒナタカナ         冬34/33    ヒナタ

     黒猫を組み伏せ愛す日向かな       正木ゆう子

ハカイシニ ネコネルヒルヤ ナツコダチ          夏34/33    ナツコダチ     墓石に猫寝る昼や夏木立          車谷長吉       

 

ナイシンハ シュラノチマタヤ ネコジャラシ       秋35/32    ネコジャラシ

    内心は修羅の巷や猫じやらし       小林貴子

ハツゴエノ ホウヘウゴイテ ネコノミミ        新36/28    ハツゴエ

    はつごゑの方へ動いて猫の耳       高尾真琴

ウスメアケ ヒトキラヒナリ コタツネコ         冬36/29    コタツネコ

    薄目あけ人嫌ひなり炬燵猫        松本たかし

ナニモカモ シツテヲルナリ カマドネコ         冬36/29    カマドネコ

    何もかも知ってをるなり竈猫       富田風  

カマドネコ ウタレテヲリシ ハイボコリ         冬36/29    カマドネコ

    竈猫打たれて居りし灰ぼこり      中村汀女

カンキョトハ ヘツツヒネコノ オルバカリ        冬36/29    ヘッツイネコ

    閑居とはへつつひ猫の居るばかり    阿波野青畝

モチバナヲ イマドノネコニ ササゲバヤ       新38/6    モチバナ

   餅花を今戸の猫にささげばや           芥川龍之介

シャムネコノ メニハルノウミ 二タカケラ        春38/324  ハルノウミ

   シャム猫の目に春の海二かけら          鈴木貞雄

シカラレテ メヲツブルネコ ハルドナリ         冬40/3    ハルドナリ

   叱られて目をつぶる猫春隣        久保田万太郎

オノミチニ ネコノホソミチ オキナノキ         冬41/24   オキナノキ

   尾道に猫のほそみち翁の忌         鷹羽狩行

コウバイニ ホシテオクナリ アラヒネコ         春44/8    コウバイ

   紅梅にほしておく也洗ひ猫        小林一茶

ハブタエノ ヒザニアキテヤ ネコノコイ         春46/8    ネコノコイ

   羽二重の膝に飽きてや猫の恋         支考

ナノハナニ マブレテキタリ ネコノコイ         春46/8    ネコノコイ

   菜の花にまぶれて来たり猫の恋       小林一茶

コイネコヤ カラクレナイノ ヒモヲヒキ          春46/8    コイネコ

   恋猫やからくれなゐ の紐をひき      松本たかし

リョウホウニ ヒゲガアルナリ ネコノツマ         春46/12   ネコノツマ

   両方に鬚があるなり猫の妻                     来山

ネコハロニ カモハツバキニ ネハンニシ         春47/10   ネハンニシ

   猫は炉に鴨は椿に涅槃西風         西島麦南

ネコノコノ クンヅホグレツ コチョウカナ        春49/3    チョウ

   猫の子のくんづほぐれつ胡蝶かな       其角

松下幸之助のにことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「大成功や大失敗だけが人生における体験ではない。平穏な日々の中でも、心の持ち様如何では、大いに体験を積むことができる。」―人生心得帖よりー

【九月の言葉】

*一日 苦難も又善し

わが国では毎年台風や集中豪雨で大きな水害を受ける処が少なくない。然し此れ迄の例から見ると大雨が降って川が溢れ街が流されてもうだめかと云えば必ずしもそうではない。数年も経てば被害を受けなかった街よりも却って綺麗に成り繁栄していることが屡々ある。勿論災難や厄難は無いに越したことは無いが思わ牟時に思わぬ事が起こってくる。だから苦難が其れも佳と云う心づもりを常に持ち安易に流されず凡に堕さず人一倍の知恵を絞り人一倍の働きを積み重ねてゆく事が大切だと思う。

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

*五日 優しい心

あの人は何処となく豊かな感じのいい人であると云う場合、其れはその人の心がその人の動作に滲み出ているからだと思います。殊に私は女性の尊さと云うものは、矢張り親切な心の顕れている処にこそ本当の尊さと云うものがあるのではと云う感じがします。唯強いばかりではいけません。賢いばかりでもいけません。賢い強いと云う事も勿論大切ですがそれ以上に大事な事は、心の優しさなのです。此れは総てのものを溶かすとでも云う程の力があるのではないでしょうか。その力を失ってはならないと思うのです。

*六日 自然を生かす

自然はそれ自体の為に存在しているという見方がある。併しもっと大きな観点に立って考えてみると自然は人間の共同生活に役立つために存在しているのだと考える事も出来るのではなかろうか。そう考えてみれば自然を人間の共同生活の上に正しく活用して行く事は人間にとって当然為すべき事だとも云える。無論単に意欲を逞しくして自然を破壊する事はあってはならない。自然を十破壊して其処から八の価値しか生み出さないと云うのではいけないが、十二の価値を生むならば寧ろ積極的に自然を活用して要ったらいいと思うのである。

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

*十日 不健康また結構

私は不健康が必ずその人を不幸にするとは思いません。世の中には不健康で幸福になる場合もありますし又逆に健康な爲に却って行き過ぎて不幸になる場合もあるのです。肝心な事は不健康又結構なりと云う気分に成る事です。不健康は不幸な事だ悲しい事だと考えて心を乱してはいけないと思うのです。小さい頃から病弱だった私がそう云う心境に為れたのは、今日考えるとやはり前途に強い希望を持っていた為だと思います。不健康の為に希望を失うと云う事では失敗の上に失敗を重ね不幸の上に又不幸を重ねる事に為ってしまうのではないでしょうか。

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

*十四日 慈しむ

昔仁徳天皇は国中に炊事の煙の乏しいのを見て人民の困窮を知り三年間課役を中止し、三年後国中に煙が満ちて初めて国富めりと再び租税を課された。その感は皇居も荒れ雨が漏る程で在っても修理されなかったと云う。是は伝説かも知れないが然し大事な事はその様に人民を慈しむ仁慈の心を持つ事が昔から指導者のあるべき姿とされてきた事である。そこに日本の一つの良き伝統がありそう云う処から封建時代でさえ数々の名君が生まれたのであろう。其事が栄える基だったのである。民主主義の今日でも指導者は先ず人々の幸せを願い仁慈の心を持たねばならないと思う。

*十五日 精神的大家族

核家族の風潮と云うのはいい悪いは別にして天下の大勢です。大きな流れです。けれども其れは形の上でそうなのであって精神の上では核家族に為ってはいけないと思ういます。恰も大家族の如く年老いた老人には家族の人達が絶えず心を通わせる様にしなければなりません。例えば三日に一遍電話は電話で声をかけて挙げるとかそう云う繋がりが無ければいけないと思います。世の中が進歩したら其々活動する場所が増えますから、どうしても離れ離れになって大家族と云う形は執れません。だから一方でそれを集約する精神的な繋がりが一層必要だと思うのです。

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

*十九日 仕事を味わう

私はどんな仕事で在れ本当に其れが自分に適したものかどうかを見極めるのはそれほど容易な事では無い。租事と云うものはもっともっと深いと云うか味わい深いものだと思います。最初は詰らないと思えた仕事でも何年間か之に取り組んでいる内に段々と興味が湧いてくる」。そして今迄知らなかった自分の適性と云うものが開発されてくる。そう云う事も仕事を進めていく過程で起こってくるものです。詰り仕事と云うものはやればやる程味の出てくるもので、辛抱して取り組んでいる内に段々と仕事の味喜びと云ったものを見出して行く事が出来るのだと思います。

*二一日 中小企業は社会の基盤

私は中小企業というものは日本経済の基盤であり根幹であると思う。其れが健在であってこそ大企業も持ち味を生かす事が出来るし経済全体の繁栄も可能となる。と共に中小企業は単に経済に於いてだけでなく謂わば社会生活の基盤にもなるものだと思う。詰り色々な適性を持った人が其々に色とりどりの花を咲かす。そう云った社会の姿がより望ましいのであり其処に人間生活の喜びと云うものがあるのではないだろうか。その意味に於いて沢山の中小企業が其々に所を得て盛んな活動をしていると云う様な社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。

*二二日 平和の為の前提条件

平和が大切だと云う事は何千年も前から唱えられているにも拘らずその一方では戦争をしている。甚だ如きは平和の爲の闘争とか戦争と云ったことが、口にされ行われていると云うのが過去現在における人間の姿だと云えましょう。それではその様な状態を脱却し平和を実現する前提として何が必要かと云うと人間としての意識革命ではないかと思います。詰り真の平和と云うものをはっきり見極め心からそれを切望すると云う様な、一人一人の意識革命が一国の政治の上にも教育の上にも醸成されていくならば求めずして平和は生まれてくると思います。

*二五日 信賞必罰

信賞必罰即ち罰すべき罪過ある者は必ず罰し賞すべき功ある者は必ず賞せよということ。是は人間が存在する限り程度の差はあっても絶対に必要な事であろう。此れが行われない国家社会は次第に人心が倦みやがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない会社集団家庭何処に於いても是は決して蔑ろにされてはいけない事だと思う。唯ここで大事な事は信賞必罰と云っても常に適時適切でなければならないと云う事である。是は微妙にして非常に難しい事で之が当を得なかったならば却ってことを誤ってしまう。

*二八日 組織や地位に捉われない

今日企業界各企業の間に於ける競争と云うものは非常に激烈なものがある。此の激しい競争に於いて瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に何としても先ず直接の上司に云わねばならないんだとか矢張り組織を通じて処理しなければ叱られるだとか言っていたのでは競争に負けて仕舞うような事もあろう。事の順序としては勿論直接の上司の人に先ず云うべきではあるけれども、どうしても急を要する場合は組織や地位に捉われず即刻処理してゆくことが大切だと思う。何か事ある時には全員が打てば響く様な素早さで活動しなければいけない。

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってくる。

どうなるのでしょうね(=^・^=)


NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞら2025年8月6日 07:30

目次

  1. 41.8℃❓❓❓❓❓(=^・^=)
  2. 雨降るかな(=^・^=)
  3. どうぶつ基金さん&宮崎県取り組み報告
  4. 宮崎県山間部TNR地域集中プロジェクト7月ご報告
  5. 【五ヶ瀬町・担当者より】

41.8℃❓❓❓❓❓(=^・^=)

昨日はとうとう群馬、伊勢崎で41.8℃という日本気象史上最高の温度が記録されたようですね~😿
そこだけが飛びぬけてと云う事ではなく、全体的に気温が
上がっている現状❣❣❢

昼は連続猛暑日・夜は熱帯夜😿日本列島この先どうなるのでしょうか。
家の中では猫たちもクーラーのある部屋で、ダレダレ(=^・^=)

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クーラーのない2Fは窓を開け、風通しを良くして、扇風機全開の状態ですが、2Fで寝起きをしている子達は、わりとその環境気に入っているよう😽

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雨降るかな(=^・^=)

外猫達は長年の外暮しの智慧からなのでしょう。
早朝に行動を起こして、昼間は、風の通日陰でゆっくりと過ごしている
ようです。

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予報によれば今週後半は、どうやら雨模様になるらしいとの事❣❣
少しは気温のダウンにもつながるかもしれませんね~❣❣
期待しましょう(=^・^=)

どうぶつ基金さん&宮崎県取り組み報告

こんな気象状況の中でも、長崎県壱岐市や宮崎県でのTNRプロジェクトは継続されているようです❣❣
先日、動物基金さんのSNSにその状況が報告されていましたのでお知らせいたします。今回は宮崎山間部での取り組みでした。

私共、小さな力ですが愛護活動に携わっているものとして、基金さん等々の大々的活動をお知らせする事も、動物愛護の現状を知って頂く啓蒙活動の一環として、大切な事と考えています。少しでも環境が改善されることを願いつつ今後も、引き続き折に触れて、この様な活動もご紹介して参りたいと考えています。

宮崎県山間部TNR地域集中プロジェクト7月ご報告

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どうぶつ基金さんSNSより拝借

7月23日~7月26日の4日間

どうぶつ基金は宮崎県山間部TNR地域集中プロジェクト第4回目の実施を行いました。

*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*

宮崎県山間部TNR地域集中プロジェクト

【実施日程】
・2025年7月23日(水)~7月26日(木)
【会場】
・どうぶつ基金病院西臼杵(大人歌舞伎の館)
執刀医 : 長井
行政職員
7/23:5名  7/24:5名  7/25:4名  7/26:3名
ボランティア
7/23:6名  7/24:7名  7/25:6名  7/26:3名
手術数
オス :60頭  メス :77頭  メス(妊娠) :7頭
耳カットのみ :0頭

※耳カットのみとは:麻酔後、ワクチン投与・ノミダニ駆除・耳カットをしたが、手術前に不妊手術済であったことが獣医により確認されたため手術を行わなかった猫のことです。

総数:144頭

7月は、144頭のさくらねこが誕生しました。

連日の猛暑が続く中、活動に参加された皆様の熱中症対策、そして猫たちへの配慮も万全に整え、無事に活動を実施することができました。
人も猫も安全に4日間の活動を終えることができました。

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どうぶつ基金さんSNSより拝借

【五ヶ瀬町・担当者より】

今月は春ごろに産まれた子猫が多く、全体の3分の1ぐらいは子猫でした。
この子猫がまた子どもを産んでと考えると、事業を継続することが大事だと改めて思いました。

今月は夏休みに入ったこともあり、学生がボランティアスタッフで参加してくれました。
いろんな人に協力をしてもらい、西臼杵のTNR事業ができていることに感謝します。

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NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

古事記人名検索(Ⅳ)

=あいうえお順=

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人として特定できるものは表記している

(再録かも??)

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。尚、神名は参考にしている新潮社古典文学54年版「古事記」の末尾附録として掲載されてます。ご興味ある方は、そちらもご覧ください。

因みに 岩波古典文学大系「古事記」の付録は、今に伝わる祝詞のすべてが、また小学館版の「古事記」には上代歌謡のすべてが収録されています。

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タ行

高倉下          タカクラジ      中   111   20   熊野豪族 高天原ヨリ神武救護の刀を授かる

多芸志美美命       タギシミミノミコト    中   119   37  
アヒラヒメ・ジンムの子 後に庶子弟により殺害(当芸志美美命

建沼河耳命        タケヌナカワミミノミコト   中   123   46 ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの三男タケヌナカワ同 第二代綏靖天皇スイゼイ 葛城高岡宮(奈良御所ゴゼ市森脇)崩御45歳 御陵:衝田ツキタ岡(橿原市四条町田井坪)

多芸志泥命        タギシヒコノミコト    中   125   62  イトク・フトマワカヒメ次男血沼別チヌノワケ/多遅麻之竹別/葦井稲置ノ祖

建波邇夜須毘古命     タケハニヤスビコニモコト   中   128   93
コウゲンテンノウ・ハニヤスビメ長子→崇神記謀反企誅殺

建沼河別命        タケヌナカワワケノミコト   中   129   94
オホビコ長子→阿部臣等ノ祖・崇神記:四道将軍‐東海地方


高千那毘売        タカチナビメ      中   129   97
 オホナビ妹-ヒコフツオシノマコト妻

建内宿禰         タケウチノスクネ     中   129   101
ヒコフツオシノマコト・ヤマシタカゲヒメ長子→イワノヒメ(ニントクテンノウ后)ノ祖父 セイム~ニントク朝に仕える長寿家臣ジングウコウゴウ朝鮮出兵時霊媒者

竹野比売         タカノヒメ       中   130   112
 ユゴリ娘-カイカテンノウ妃

建豊波豆羅和気王     タケトヨハヅラワケノミコ   中   130   121
カイカテンノウ・ワシヒメ長子→道守チモリ臣・忍海部オシヌミベ造・御名部ミナベ造 稲羽ノ忍海部・丹波ノ竹野別・依網ノ阿毘古等ノ祖

建国勝戸売        タケクニカツトメ     中   131   129
春日豪蔟 サホノオホクラミトメ親

丹波比古多多須美知能宇斯王 タニハノヒコタタスミチノウシノミコ 中   131   138
ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ長子 娘エヒメ・オトヒメ→スイニンテンノウ朝サホビコ謀反記事  書紀崇神紀:丹波道四道将軍

丹波遠津臣        タニハノトホツオミ     中   132   157
丹波豪族主 タカヒメ(カニメイカヅチ妻)親 

高材比売         タカキヒメ       中   132   158
 タニハノトホツオミ娘-カニメイカヅチオオキミ妻

建甕槌命         タケミカヅチノミコト    中   135   187
イイカタシミノミコト子ーオオタタネコノ父-オオモノヌシ系

多遅摩毛理        タジマモリ      中   153   224
三宅連ノ祖・アメノヒボコ系譜子孫→スイニン朝常世ノ国ヨリトキジクノ木ノ実(橘)を持ち帰る

高木比売命        タカキヒメノミコト     中   155   243
ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

帯中日子命        タラシナカツヒコノミコト   中   171   267
ヤマトタケル・フタジノイリビメ(スイニンテンノウ娘)長子→第十四代仲哀天皇チュウアイ 穴戸豊浦アナトノトユラ宮-山口豊浦郡下関 筑紫訶志比宮-福岡香椎 (壬戌年6月11日)崩御-西暦362年比定?)52歳崩御天皇在位9年 御陵:河内恵我長野西エガノナガノノニシ陵(大阪藤井寺市)

建貝児王         タケカヒコノオオキミ    中   172   274
ヤマトタケル・オオキビタケヒメ長子→讃岐綾君・伊勢別・登美別・麻佐首・宮首ミヤヂ別等の祖

建忍山垂根        タケオシヤマタリネ     中   173   291
穂積臣の祖 オトタカライラツメ(セイムテンノウ妃)ノ親

高木之入日売命      タカギノイリヒメノミコト   中   183   300
ホムダマワカ娘長女-オウジンテンノウ妃

建伊那陀宿禰       タケイナダノスクネ    中   183   303
尾張連ノ祖 シリツキトメ(イホキノイリヒコノ妻)ノ親

玉郎女          タマノイラツメ      中   184   334
オウジンテンノウ・カグロヒメ次女

卓素           タクソ        中   192   347
百済国照古王献上 手人韓鍛テヒトカラカメチ-鍛冶技術者 応神朝

多遅摩之㑨尾       タジマノマタヲ     中   199   356
 但馬 (丹波) 国豪族首長か  サキツミ(アメノヒボコ妻)ノ親

多遅摩母呂湏玖      タジマモロスク     中   199   358
アメノヒボコ・サキツミ長子

多遅摩斐泥        タジマヒネ      中   199   359
タジマモトスク長子

多遅摩比那良岐      タジマヒナラキ     中   199   360
タジマヒネ長子→タジマモリノ父

多遅摩比多訶       タジマヒタカ      中   199   361
 タジマヒラナキ次男(長子―タジマモリ)

当摩之咩斐        タギマノメヒ      中   199   363
奈良葛城地帯氏族一族か-スガヒコ妻

田井之中比売       タイノナカツヒメ     中   199   375
ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)次女-インギョウテンノウ皇后ノ妹

蝮之水歯別命       タヂヒノミヅハワケノミコト  下   204   386
ニントクテンノウ・イワノヒメ三男→第十八代反正天皇ハンゼイ多治比柴垣宮-大阪羽曳野市郡戸コオズ 丁丑年7月60歳崩御 御陵:毛受野モズノ(大阪堺市田出井町)

財王           タカラノオホキミ     下   225   416
ハンゼイテンノウ・オトヒメ長男

多訶弁郎女        タカベノイラツメ     下   225   417
ハンゼイテンノウ・オトヒメ次女

橘大郎女         タチバナノオホイラツメ   下   225   427
インギョウテンノウ・オオナカツヒメ三女

高木郎女         タカギノイラツメ     下   263   472
 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ長女

財郎女          タカラノイラツメ     下   263   473
ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ次女

手白髪郎女        タシラカノイラツメ     下   264   475
ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ四女-ケイタイテンノウ大后

建小広国押楯命      タケヲヒロクニオシタテノミコト  下   265   488
ケイタイテンノウ・メノコノイラツメ次子→第二十八代ノ宣化天皇センカ・センゲ 檜垌ヒノクマ廬入野イホイリノ宮  -奈良高市郡明日香檜前ヒノクマ 在位4年 書記:73歳崩御 御陵:身狭桃花鳥ムサノツキ坂上(奈良橿原市鳥屋)

橘中比売         タチバナノナカツヒメ    下   266   517
ニンケンテンノウ御子?ーセンカ(センゲ)テンノウ妃

橘豊日命         タチバナノトヨヒノミコト   下   267   535
キンメイテンノウ・キタシヒメ長子→第三十一代用明天皇ヨウメイ
池辺宮イケノベノミヤ三年在位 丁未ヒノトノヒツジ587年4月15日崩御 御陵:石寸イハレ掖上ワキガミ(桜井市倉橋)→後科長中陵シナガノナカノミササギへ

橘本若子王     タチバナモトノワクゴノオホキミ  下   268   546
キンメイテンノウ・キタシヒメ九男

竹田王          タケダノオホキミ     下   268   559
ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長子

多米王          タメノオホキミ      下   269   565
ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)六男

宝王           タカラノオホキミ     下   269   570
ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・タムラノオホキミ同

田村王          タムラノオホキミ     下   269   583
ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・ヌカデヒメ同

多良王          タラノオホキミ      下   269   585
ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ三男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

多米王          タメノオホキミ      下   270   593
ヨウメイテンノウ・オホギタシヒメ長子

当麻倉首比呂       タギマノクラノオビトヒロ  下   270   598
当麻地方豪族首長 イヒメノコ(ヨウメイテンノウ妃)親

当麻王          タギマノオホキミ     下   270   600
ヨウメイテンノウ・イイメノコ長子

チ行

千千速真若比売      チチハヤマワカヒメ     中   127   73
春日豪族 コウレイテンノウ妻

千千速比売命       チチハヤヒメノミコト    中   127   74
コウレイテンノウ・チチハヤマワカヒメ長女

近淡海御上祝       チカツアフミノミカミノハフリ  中   131   136
(滋賀県)御上神社神官

千千都久和比売命     チチツウワヒメノミコト    中   134   179
スジンテンノウ・ミマツヒメ次女

知奴王          チヌノオホキミ      下   269   588
ヒコヒトヒツギノミコ・オオマタオホキミ長女

ツ行

土雲八十建        ツチグモヤソタケル    中   116   28
大和忍坂土着生尾蔟 神武敵対

都怒郎女         ツノノイラツメ      下   225   412
ワニノコゴト娘→ハンゼイテンノウ妃

都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   225   414
ハンゼイテンノウ・ツノノイラツメ次女 

都夫良意富美       ツブラオホミ      下   235   436
タケノウチスクネ曾孫豪族葛城氏皇室外戚 カツラギノツブラノオホオミ同 カラヒメ(ユウリャク妃)親-アンコウテンノウ刺殺のマヨワオオキミが逃込む :ユウリャクテンノウに攻められマヨワオオキミと共に死す

都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   265   512
ケイコウテンノウ・アヘノハエヒメ次女

竺紫国石井        ツクシノクニオノイハイ    下   266   514
 ケイタイ朝筑紫にて反乱

ト行(テ行ナシ)

登美能那賀須泥毘古 トミノナガスネヒコ    中   110   19
長髄彦 登見毘古―大和登美豪族 神武東征阻む勢力

登美毘古         トミビコ       中   117   29
大和豪族→長脛彦ナガスネヒコ トミノナガスネヒコ同 神武東征阻む勢力

登美夜毘売  (田+比)   トミヤビメ      中   119   33
トミビコ妹ニ゙ハヤヒ妻(妹登美夜毘売

常根津日子伊呂泥命    トコネツヒコイロネノミコト   中   125   51
アクトヒメ・アンネイ長子

遠津年魚目目微比売    トホツアユメマグハシヒメ   中   133   167
アラカワトベ娘ースジンテンノウ妃

豊木入日子命       トヨキイリヒコノミコト    中   133   168
スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長子→上毛野カミツケノ/下毛野君等ノ祖

豊鉏入日売命       トヨスキイリヒメノミコト   中   133   169
スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長女→伊勢神宮祭祀拝斎初代斎宮

十市之入日売命      トヲチノイリヒメノミコト   中   133   174
スジンテンノウ・オオアマヒメ次女

豊戸別王         トヨトワケノオホキミ    中   154   237
ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇子

豊国別王         トヨクニワケノオホキミ    中   155   246
ケイコウテンノウ・ミハカシビメ長子→日向国造ノ祖

登富志郎女        トホシノイラツメ     中   184   336
オウジンテンノウ・カグロヒメ四女

取売王          トリメノオホオキミ     中   203   377
ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)四女

鳥山           トリヤマ       下   211   397
ニントクテンノウ舎人

豊御気炊屋比売命     トヨミケカシキヤヒメノミコト  下   267   538
キンメイテンノウ・キタシヒメ次女-ビタツテンノウ妃→第三十三代推古天皇スイコ 小治田宮三十七年在位 戊子ツチノエネー628年3月15日癸丑ミズノトノウシノヒ 崩御 御陵:大野ノ岡ノ上(奈良宇陀郡室生町大野・橿原市和田か)後ニ科長大陵(大阪南河内郡太子町)

ナ行

七拳脛          ナナツカハギ      中   171   266
久米直ノ祖ーヤマトタケルノ東西国討伐軍従軍→膳夫

難波根子建振熊      ナニハネコタケフルク    中   179   298
丸邇ワニ臣の祖-神功皇后-太子軍ノ将 反逆軍を斃す

中日売命         ナカツヒメノミコト     中   183   301
ホムダマワカ娘次女-オウジンテンノウ妃

中日子王         ナカツヒコノオホキミ    中   203   380
ネトリノオオキミ・ミハラノイラツメ長子

長目比売命        ナガメヒメ      下   204   391
ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ハタビノワカイラツメ・ワカクサカベノミコト同→ユウリャクテンノウ求婚

長田大郎女        ナガタノオホイラツメ    下   234   434
元オホクサカノオオキミ妻-インギョウテンノウ皇女(アンコウテンノウ同母姉ヲサダノオホイラツメ)?或はリチュウテンノウ皇女 中帯姫ナカシヒメか→アンコウテンノウ皇后

難波王          ナニハノオホキミ     下   259   579
ケンソウテンオウ妃イハキオホキミ娘

長目比売         ナガメヒメ      下   265   503
ケイタイテンノウ・セキヒメ三女 ノノイラツメ同

難波王          ナニハノオホキミ     下   269   579
 ビタツテンノウ・オミナコイラツメ長子

中津王          ナカツノオホキミ     下   269   584
ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ次男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

ニ行

贄持之子         ニエモツノコ      中   113   21
神武東征援 阿陀の鵜養ウカイの祖(神名)

邇芸速日之命       ニギハヤヒノミコト    中   119   32
登美毘古軍将軍後神武帰順 ニニギ以前高天原より飛来か 物部氏ノ祖 (神名)

仁番           ニホ        中   192   351
百済ヨリ帰化人酒造技術者 ススコリ同 応神朝

ヌ行

沼名木之入日売命     ヌナキノイリヒメニミコト   中   133   173
スジンテンノウ・オオアマヒメ長女

沼羽田之入毘売      ヌバタノイリビメ    中   141   198
ヒバスヒメ(ヒコタタスミチノウシ娘)妹→スイニンテンノウ妃

沼帯別命         ヌタラシワケノミコト    中   141   199
 スイニンテンノウ・ヌバタノイリビメ長子

沼代郎女         ヌノシロノイラツメ     中   154   238
ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇女

沼木郎女         ヌナキノイラツメ     中   154   239
ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

額田大中日子命      ヌカタノオホナカツヒコノミコト  中   183   305
オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ長子

奴理能美         ヌリノミ       下   210   396
箇木ツツキの韓人((現京都綴喜郡)百済帰化人統率者 奴理使主ヌリノミ同か 養蚕

糠若子郎女        ヌカノワクゴノイラツメ   下   264   479
 ワニノヒツマノオミ娘-ニンケンテンノウ妃

沼倉太玉敷命       ヌナクラフトタマシキノミコト  下   267   525
キンメイテンノウ・イシヒメ長子→第三十代敏達天皇ビタツ他田ヲサダ宮-現奈良桜井市戒重十四年在位 甲辰キノエタツ584年4月6日崩御 御陵:川内ノ科長(大阪南河内郡太子町)

糠子郎女         ヌカゴノイラツメ     下   267   529
ヒツマノオミ娘ーキンメイテンノウ妃

糠代比売王        ヌカデヒメノオホキミ    下   269   571
ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母(庶妹)☞タカラオホキミ・タムラノオホキミ同

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家庭内野良😿

NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞら2025年7月14日 07:11

雨ですネ(=^・^=)


外暮しの子達が朝食を終えて其々の居場所へ戻った後、今、雨が降り出しました(=^・^=)
何日ぶりでしょうか?
福岡市などは、結構強い雨が短時間降っていたようですが、ここ門司港は、梅雨明けから今日まで、全く雨の気配なかったですね~(=^・^=)

この暑さの中、短い時間のお湿り程度かも知れませんが、慈雨といえるのでしょうか。
漸くの雨に街路樹も一息入れているかもしれません。

保護猫なんですが・・・


この雨、少し気温さげるのに役立つかも、街路樹だけではなく、外暮しの子達も喜んでいるかな。

さて、家の中には、20匹弱の保護猫達が暮らしていますが、その中でも
極めつけの人間嫌いな子が1匹❣❣ 名前は「ふて」❣❣
ふてくされいる雰囲気からの命名😽

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保護される時の状況があまり宜しくなかったようで、トラウマとなっているのか、まるで人を受け付けませんでした。
この子は、門司港、家の近くで保護された子なんですが、同じころに、八幡東区で保護されてやってきた「はち」とは、現在、全く真逆の暮らしぶり❣❣

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保護当時の「はち」(左)と「ふて」(右側)

来た時は、同じ様な体型だったのですが、ヒトを避け、隠れながら暮らしていた「ふて」やはり食ベ方が足りなかったのかも・・・
体質もあるのでしょうが、現在、「はち」は其れなりに大きくなり、整った体つき❣❣
生まれつき少し目に難がありましたが、其れでも元気にどちらかと云うと
わがまま一杯に育ってます🙀
ヒトの側に居るのが大好きで、食べたいときに食べる暮らしぶり=^_^=

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一方の「ふて」は、外で暮らしている子達よりも野良みたいな感じで、殆ど隠れて姿を見せな様な、暮らしが続いていましたが、漸く近頃、お腹が空いたと、自己主張して食べ物ねだる様になりました😽
現在は、朝晩しっかりと食べれる様に・・・(=^・^=)

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でも、小さい時の食が細かったのが祟っているのか、細胞がしぼんでしまっている様な体型❣❣
とは言え、元気に、気の合う子達と一緒にくっ付いて暮らしてます。
一番面倒見てくれるのは、戸畑からやってきている「おと」❣❣

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しっかり可愛がってね~(=^・^=)

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松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「人の心は理屈では割り切れない。微妙に動く人情の機微を知り、之に即した言動を心がけ、豊かな人間関係を築きたい。」―人生心得帖よりー

【八月の言葉】

*一日 身を持って範を示す

指導者と云うものは色々な形で自ら信じる処思う処を人々に絶えず訴えねばならない。同時に大切なのは其事を自分自身が身を以て実践し範を示す様に努めて行く事であろう。百日の説法屁一つと云う諺の有る様にどんなに良い事を説いても、その成す処が其れに反していたのでは十分な説得力は持ち得ない。勿論力及ばずして百%実行は出来ないと云う事も有ろう。と云うよりそれが人間としての常かも知れない。併し身を以て範を示すと云う気概の無い指導者には人々は決して心からは従わないものである。

*二日 人間は初めから人間である

人間は其の歴史に於いて様々な知識を養い道具を創り出し生活を向上させてきました。然し私は人間の本質そのものは初めから変わっていないと思います。人間は元々人間であって人間そのものとして向上してきたと思うのです。私は人間が猿から進歩したと云う様な考え方に対しては疑問を持っています。猿は矢張り最初から猿であり虎は最初から虎であり人間は最初から人間であると思うのです。人間は初めから人間として素質特性を与えられ自らの努力によって知識を深め道具を拵えて自らの生活を高めて来たそれが人間の歴史だと思うのです。

*三日 強固な精神力を

その昔日蓮上人は唯一人の聴衆の姿も見えないと云う時でも巷に立って我が信念を説いたと云います。何をほざくかと馬糞を投げられ石を投げられ散々な侮辱を蒙っても、彼はびくともせず日本の安泰の為に民衆の幸福の為に我が信念を傾けました。日蓮上人のそういう態度と比べてみると我々と同じ人間でありながら大変な相違があるなと云う感じがします。今我々に必要なのは日蓮上人のあの強固な精神力です。日蓮上人と迄は行かなくてもせめて自分の仕事に一つの使命感を感じこれに情熱を傾けて精進する積極的な自主独立の精神を養いたいものです。

*六日 自分を褒める心境

私は今二十代の夏の日の事を懐かしく思い出します。日のある内に一杯仕事をし晩に盥に湯を入れて行水をするのです。仕事を終えた後の行水は非常に爽やかで自分ながら今日一日良く働いたなぁという満足感を味わったものです。自分ながら今日はよくやったと云って自分を褒める自分を労ると云う心境、そう云う処に私はなんだか生甲斐と云うものを感じていたように思うのです。お互い毎日の仕事の中で自分で自分を褒めて挙げたいと云う心境になる日を一日でも多く持ちたいそういう日を積み重ねたいものだと思います。

*八日 素直に有難さを認める

今日皆さんがこの会社に入社する事が出来たのは一つには皆さんの努力に拠るものでしょう。然し決して自分一人の力でこうなったと自惚れてはなりません。会社にしましても世間からご贔屓を頂いているからこそ今日こうして成り立っているのです。ですから個人にしても会社にしても或は国の場合でもやはり謙虚にものを考えその物事の成り立っている背景也人々の恩恵というものを正しく認識しなければなりません。そして協力してくださる相手に対しては素直に喜びと感謝を表し自分達も是の相応した働きをして行く事が大切だと思います。

*十日 欲望は生命力の発現

欲の深い人はというと普通は善くない人の代名詞として使われている様陀。所謂欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件が余りにも多い為であろう。しかし人間の欲望と云うものは決して悪の根源ではなく人間の生命力の表れであると思う。例えて云えば船を動かす蒸気力の様なものであろう。だから是を悪としてその絶滅を計ろうとすると船を止めてしまうのと同じく人間の生命をも絶ってしまわねばならぬことに為る。つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく生其の物であり力だと言って良い。だからその欲望を如何に善に用いるかと云う事こそ大事だと思う。

*十一日 小便が赤くなる迄

商売は非常に難しく厳しい。謂わば真剣勝負だ。商売の事を彼是思い巡らして眠れない夜を幾晩も明かす。それ程心労を重ねなければならない。心労の余り等々小便に血が混じって赤くなる。其処迄苦しんで初めてどうすべき可と云う道が開けてくる。だから一人前の商人になる迄には二度や三度は小便が赤くなる経験をするものだ。是は私が小僧時代に御主人に聞かされた話ですが今にして思えば是は決して商人だけに当て填る事では無いと思います。何をするにしても是だけの苦しみを経ずして成功しようとするのは矢張り虫が良すぎるのではないでしょうか。

*十三日 投資をしているか

書物によると太閤秀吉と云う人は馬の世話をる係になった時、主人である織田信長が乗る馬を立派にする為に、自分の僅かな給料を割いて人参を買って食べさせてやったと云う事です。是は一つの誠意ある投資だと思うのです。そこで皆さんは投資をしているかと云う事です。その様に一旦貰った給料を会社へ又献金する必要はありませんが、然し自分夫の知恵で投資するか或は時間で投資するか、何らかの形で投資すると云う面が自分の成長の為にも必要だと思うのです。又其れ位の事を考えてこそ一人前の社員と云えるのではないでしょうか。

*十五日 平和の価値を見直す

最近平和と云うものが何か言わば空気や水の様に極当然に存在するものと云った感じが強くなってきたのではないだろうか。平和の貴重さ有難さが段々忘れられつつあるように感じられる。其れは危険な事だと思う。平和は天然現象ではない。人為と云うか人間の自覚と努力によって初めて実現され維持されるのである。だからこの際お互いにもう一度平和の価値と云うものを見直してみたい。そしてこの価値を知ったうえで国民として何を為すべきかを考え合いたい。差もないと折角続いたこの貴重な平和を遠からずして失う事にも成ってしまうのではないだろうか。

*十六日 道徳は実利に結びつく

社会全体の道徳意識が高まれば、先ずお互いの精神生活が豊かに成り少なくとも人に迷惑を舁けない様になります。それが更に進んで互いの立場を尊重し合う様に成れば人間関係も良くなり、日常活動が非常にスムーズに行く様になるでしょう。又自分の仕事に対しても誠心誠意之に当ると云う態度が養われれば、仕事も能率的に成り自然により多くのものが生み出される様になる。つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると云えるのではないでしょうか。そう考えるならば私達が道徳に従って全ての活動を行うと云う事は、社会人としての大切な義務だと云う事にも成ると思います。

*十九日 自由と秩序と繁栄

自由と云う姿は人間の本性に適った好もしい姿で自由の程度が高ければ髙い程生活の向上が生み出されると云えましょう。併し自由の半面には必ず秩序が無ければならない。秩序の無い自由は単なる放恣に過ぎず社会生活の真の向上は望めないでしょう。民主主義の下に在ってはこの自由と秩序が必ず求められしかも両者が日を追って高まっていく処に進歩発展と云うものがあるのだと思います。そしてこの自由と秩序と云う一見相反するような姿は実は各人の自主性に於いて統一されるもので、自主的な態度が自由を放恣から守り、無秩序を秩序に換える根本的な力になるのだと思います。

*二一日 カンを養う

カンと云うと一見非科学的なものの様に思われる。併し勘が働く事は極めて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断の出来るカンを養わなくてはいけない。其れではそうしたカンはどうしたら持つ事が出来るのか。是は矢張り経験を重ね修練を積む過程で養われていくものだと思う。昔の剣術の名人は相手の動きを勘で察知し切っ先三寸で身を躱したと云うが其れは其れこそ血の滲む様な修行を続けた結果であろう。その様に指導者としても経験を積む中で厳しい自己鍛錬に拠って真実を直感的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。

*二四日 我執

一人一人の人が其々に自分の考え自分の主張を持つと云う事は民主主義の下では究めて大事な事である。が同時に相手の言い分もよく聞いて是を是とし非を非としながら話し合いの裡に他と調和して事を進めて往くという事も、民主主義を成り立たせる不可欠の要件であると思う。若しも此の調和の精神が失われ其々の人が自分の主張のみに捉われたら其処には個人的我執だけが残って争いが起こり平和を乱すことに為る。今日の我が国の現状世界の情勢を見るとき、今少し話し合いと調和の精神が欲しいと思うのだが如何なものであろう。

*二五日 為すべき事を為す

治に居て乱を忘れずと云う事がある。太平の時でも乱に備えて物心共の準備を怠ってはならないと云う事で指導者として極めて大切な心構えである。とは言え人間と云うものは兎角周囲の情勢に流され易い。治にあれば治に溺れ乱に遇えば乱に巻き込まれて自分を見失って仕舞勝ちである。そう云う事無しに常に信念を持って主体的に生きる為にはやはり心静かに吾何を為すべきかを考えその為すべき事を只管成して行く事が大切である。指導者の要諦とは見方によってはこの為すべき事を為すと云う事に尽きるとも言えよう。

*二七日 職責の自覚

お互いに欠点と云うものは沢山あり何もかも満点と云う訳には往かない。だから自分の足りないところは他の人に補って貰わなければならないが、其の為には自分自身が自分の職責を強く自覚しその職責に対して懸命に打ち込むと云う姿勢が大切である。仕事に熱心であれば自ずから自覚が高まるし職責の自覚があれば人は亦常に熱心である。そうした自覚奏した熱意は多くの人の感応を呼び協力も得られ易くなる。そう云う事から自らの職責を自覚し全身全霊を打ち込むと云う心掛けだけはお互いに疎かにしたくないと思うのである。

*三一日 辛抱が感謝になる

我々が一生懸命に仕事をしても世間が其れを認めてくれなかったら非常に悲しい。そんな時その悲しさが不平となり出てくるのも一面無理のない事だと思う。然し認めてくれないのは世間が悪いという解釈もできるがまあ一寸辛抱しよう。今認めてくれなくてもいつか認めてくれるだろう。とじっと耐え忍びいい仕事を続けていくと云うのも一つの方法である。そして認めて貰ったら是は非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。より多く我々を認めてくれた社会に対して働かなくてはいけないと云う感謝の心になってくる。そういう心が無ければいけないと思う。

古事記人名検索(Ⅳ)

=あいうえお順=

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は上記版における 名前 読み方 巻 ページ 登場順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人として特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。尚、神名は参考にしている新潮社古典文学54年版「古事記」の末尾附録として掲載されてます。ご興味ある方は、そちらもご覧ください。

因みに 岩波古典文学大系「古事記」の付録は、今に伝わる祝詞のすべてが、また小学館版の「古事記」には上代歌謡のすべてが収録されています。

タ行

高倉下          タカクラジ      中   111   20

 熊野豪族 高天原ヨリ神武救護の刀を授かる

多芸志美美命       タギシミミノミコト    中   119   37

 アヒラヒメ・ジンムの子 後に庶子弟により殺害(当芸志美美命

建沼河耳命        タケヌナカワミミノミコト   中   123   46

 ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの三男タケヌナカワ同 第二代綏靖天皇スイゼイ 葛城高岡宮(奈良御所ゴゼ市森脇)崩御45歳 御陵:衝田ツキタ岡(橿原市四条町田井坪)

多芸志泥命        タギシヒコノミコト    中   125   62

 イトク・フトマワカヒメ次男血沼別チヌノワケ/多遅麻之竹別/葦井稲置ノ祖

建波邇夜須毘古命     タケハニヤスビコニモコト   中   128   93

 コウゲンテンノウ・ハニヤスビメ長子→崇神記謀反企誅殺

建沼河別命        タケヌナカワワケノミコト   中   129   94

 オホビコ長子→阿部臣等ノ祖・崇神記:四道将軍‐東海地方

高千那毘売        タカチナビメ      中   129   97

 オホナビ妹-ヒコフツオシノマコト妻

建内宿禰         タケウチノスクネ     中   129   101

 ヒコフツオシノマコト・ヤマシタカゲヒメ長子→イワノヒメ(ニントクテンノウ后)ノ祖父 セイム~ニントク朝に仕える長寿家臣ジングウコウゴウ朝鮮出兵時霊媒者

竹野比売         タカノヒメ       中   130   112

 ユゴリ娘-カイカテンノウ妃

建豊波豆羅和気王     タケトヨハヅラワケノミコ   中   130   121

 カイカテンノウ・ワシヒメ長子→道守チモリ臣・忍海部オシヌミベ造・御名部ミナベ造 稲羽ノ忍海部・丹波ノ竹野別・依網ノ阿毘古等ノ祖

建国勝戸売        タケクニカツトメ     中   131   129

 春日豪蔟 サホノオホクラミトメ親

丹波比古多多須美知能宇斯王 タニハノヒコタタスミチノウシノミコ 中   131   138

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ長子 娘エヒメ・オトヒメ→スイニンテンノウ朝サホビコ謀反記事  書紀崇神紀:丹波道四道将軍

丹波遠津臣        タニハノトホツオミ     中   132   157

 丹波豪族主 タカヒメ(カニメイカヅチ妻)親 

高材比売         タカキヒメ       中   132   158

 タニハノトホツオミ娘-カニメイカヅチオオキミ妻

建甕槌命         タケミカヅチノミコト    中   135   187

 イイカタシミノミコト子ーオオタタネコノ父-オオモノヌシ系

多遅摩毛理        タジマモリ      中   153   224

 三宅連ノ祖・アメノヒボコ系譜子孫→スイニン朝常世ノ国ヨリトキジクノ木ノ実(橘)を持ち帰る

高木比売命        タカキヒメノミコト     中   155   243

 ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

帯中日子命        タラシナカツヒコノミコト   中   171   267

 ヤマトタケル・フタジノイリビメ(スイニンテンノウ娘)長子→第十四代仲哀天皇チュウアイ 穴戸豊浦アナトノトユラ宮-山口豊浦郡下関 筑紫訶志比宮-福岡香椎 (壬戌年6月11日)崩御-西暦362年比定?)52歳崩御天皇在位9年 御陵:河内恵我長野西エガノナガノノニシ陵(大阪藤井寺市)

建貝児王         タケカヒコノオオキミ    中   172   274

 ヤマトタケル・オオキビタケヒメ長子→讃岐綾君・伊勢別・登美別・麻佐首・宮首ミヤヂ別等の祖

建忍山垂根        タケオシヤマタリネ     中   173   291

 穂積臣の祖 オトタカライラツメ(セイムテンノウ妃)ノ親

高木之入日売命      タカギノイリヒメノミコト   中   183   300

 ホムダマワカ娘長女-オウジンテンノウ妃

建伊那陀宿禰       タケイナダノスクネ    中   183   303

 尾張連ノ祖 シリツキトメ(イホキノイリヒコノ妻)ノ親

玉郎女          タマノイラツメ      中   184   334

 オウジンテンノウ・カグロヒメ次女

卓素           タクソ        中   192   347

 百済国照古王献上 手人韓鍛テヒトカラカメチ-鍛冶技術者 応神朝

多遅摩之㑨尾       タジマノマタヲ     中   199   356

 但馬 (丹波) 国豪族首長か  サキツミ(アメノヒボコ妻)ノ親

多遅摩母呂湏玖      タジマモロスク     中   199   358

 アメノヒボコ・サキツミ長子

多遅摩斐泥        タジマヒネ      中   199   359

 タジマモトスク長子

多遅摩比那良岐      タジマヒナラキ     中   199   360

 タジマヒネ長子→タジマモリノ父

多遅摩比多訶       タジマヒタカ      中   199   361

 タジマヒラナキ次男(長子―タジマモリ)

当摩之咩斐        タギマノメヒ      中   199   363

 奈良葛城地帯氏族一族か-スガヒコ妻

田井之中比売       タイノナカツヒメ     中   199   375

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)次女-インギョウテンノウ皇后ノ妹

蝮之水歯別命       タヂヒノミヅハワケノミコト  下   204   386

 ニントクテンノウ・イワノヒメ三男→第十八代反正天皇ハンゼイ多治比柴垣宮-大阪羽曳野市郡戸コオズ 丁丑年7月60歳崩御 御陵:毛受野モズノ(大阪堺市田出井町)

財王           タカラノオホキミ     下   225   416

 ハンゼイテンノウ・オトヒメ長男

多訶弁郎女        タカベノイラツメ     下   225   417

 ハンゼイテンノウ・オトヒメ次女

橘大郎女         タチバナノオホイラツメ   下   225   427

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ三女

高木郎女         タカギノイラツメ     下   263   472

 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ長女

財郎女          タカラノイラツメ     下   263   473

 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ次女

手白髪郎女        タシラカノイラツメ     下   264   475

 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ四女-ケイタイテンノウ大后

建小広国押楯命      タケヲヒロクニオシタテノミコト  下   265   488

 ケイタイテンノウ・メノコノイラツメ次子→第二十八代ノ宣化天皇センカ・センゲ 檜垌ヒノクマ廬入野イホイリノ宮  -奈良高市郡明日香檜前ヒノクマ 在位4年 書記:73歳崩御 御陵:身狭桃花鳥ムサノツキ坂上(奈良橿原市鳥屋)

橘中比売         タチバナノナカツヒメ    下   266   517

 ニンケンテンノウ御子?ーセンカ(センゲ)テンノウ妃

橘豊日命         タチバナノトヨヒノミコト   下   267   535

 キンメイテンノウ・キタシヒメ長子→第三十一代用明天皇ヨウメイ

池辺宮イケノベノミヤ三年在位 丁未ヒノトノヒツジ587年4月15日崩御 御陵:石寸イハレ掖上ワキガミ(桜井市倉橋)→後科長中陵シナガノナカノミササギへ

橘本若子王       タチバナモトノワクゴノオホキミ  下   268   546

 キンメイテンノウ・キタシヒメ九男

竹田王          タケダノオホキミ     下   268   559

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長子

多米王          タメノオホキミ      下   269   565

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)六男

宝王           タカラノオホキミ     下   269   570

 ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・タムラノオホキミ同

田村王          タムラノオホキミ     下   269   583

 ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・ヌカデヒメ同

多良王          タラノオホキミ      下   269   585

 ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ三男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

多米王          タメノオホキミ      下   270   593

 ヨウメイテンノウ・オホギタシヒメ長子

当麻倉首比呂       タギマノクラノオビトヒロ  下   270   598

 当麻地方豪族首長 イヒメノコ(ヨウメイテンノウ妃)親

当麻王          タギマノオホキミ     下   270   600

 ヨウメイテンノウ・イイメノコ長子

チ行

千千速真若比売      チチハヤマワカヒメ     中   127   73

 春日豪族 コウレイテンノウ妻

千千速比売命       チチハヤヒメノミコト    中   127   74

 コウレイテンノウ・チチハヤマワカヒメ長女

近淡海御上祝       チカツアフミノミカミノハフリ  中   131   136

 (滋賀県)御上神社神官

千千都久和比売命     チチツウワヒメノミコト    中   134   179

 スジンテンノウ・ミマツヒメ次女

知奴王          チヌノオホキミ      下   269   588

 ヒコヒトヒツギノミコ・オオマタオホキミ長女

ツ行

土雲八十建        ツチグモヤソタケル    中   116   28

 大和忍坂土着生尾蔟 神武敵対

都怒郎女         ツノノイラツメ      下   225   412

ワニノコゴト娘→ハンゼイテンノウ妃

都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   225   414

 ハンゼイテンノウ・ツノノイラツメ侍女 

都夫良意富美       ツブラオホミ      下   235   436

 ケノウチスクネ曾孫豪族葛城氏皇室外戚 カツラギノツブラノオホオミ同 カラヒメ(ユウリャク妃)親-アンコウテンノウ刺殺のマヨワオオキミが逃込む :ユウリャクテンノウに攻めるによりマヨワオオキミと共に死す

都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   265   512

 ケイコウテンノウ・アヘノハエヒメ次女

竺紫国石井        ツクシノクニオノイハイ    下   266   514

 ケイタイ朝筑紫にて反乱

ト行(テ行ナシ)

登美能那賀須泥毘古    トミノナガスネヒコ    中   110   19

 長髄彦 登見毘古―大和登美豪族 神武東征阻む勢力

登美毘古         トミビコ       中   117   29

 大和豪族→長脛彦ナガスネヒコ トミノナガスネヒコ同 神武東征阻む勢力

登美夜毘売  (田+比)   トミヤビメ      中   119   33

 トミビコ妹ニ゙ハヤヒ妻(妹登美夜毘売

常根津日子伊呂泥命    トコネツヒコイロネノミコト   中   125   51

 アクトヒメ・アンネイ長子

遠津年魚目目微比売    トホツアユメマグハシヒメ   中   133   167

 アラカワトベ娘ースジンテンノウ妃

豊木入日子命       トヨキイリヒコノミコト    中   133   168

 スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長子→上毛野カミツケノ/下毛野君等ノ祖

豊鉏入日売命       トヨスキイリヒメノミコト   中   133   169

 スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長女→伊勢神宮祭祀拝斎初代斎宮

十市之入日売命      トヲチノイリヒメノミコト   中   133   174

 スジンテンノウ・オオアマヒメ次女

豊戸別王         トヨトワケノオホキミ    中   154   237

 ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇子

豊国別王         トヨクニワケノオホキミ    中   155   246

 ケイコウテンノウ・ミハカシビメ長子→日向国造ノ祖

登富志郎女        トホシノイラツメ     中   184   336

 オウジンテンノウ・カグロヒメ四女

取売王          トリメノオホオキミ     中   203   377

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)四女

鳥山           トリヤマ       下   211   397

 ニントクテンノウ舎人

豊御気炊屋比売命     トヨミケカシキヤヒメノミコト  下   267   538

 キンメイテンノウ・キタシヒメ次女-ビタツテンノウ妃→第三十三代推古天皇スイコ 小治田宮三十七年在位 戊子ツチノエネー628年3月15日癸丑ミズノトノウシノヒ 崩御 御陵:大野ノ岡ノ上(奈良宇陀郡室生町大野・橿原市和田か)後ニ科長大陵(大阪南河内郡太子町)

ナ行

七拳脛          ナナツカハギ      中   171   266

 久米直ノ祖ーヤマトタケルノ東西国討伐軍従軍→膳夫

難波根子建振熊      ナニハネコタケフルク    中   179   298

 丸邇ワニ臣の祖-神功皇后-太子軍ノ将 反逆軍を斃す

中日売命         ナカツヒメノミコト     中   183   301

 ホムダマワカ娘次女-オウジンテンノウ妃

中日子王         ナカツヒコノオホキミ    中   203   380

 ネトリノオオキミ・ミハラノイラツメ長子

長目比売命        ナガメヒメ      下   204   391

 ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ハタビノワカイラツメ・ワカクサカベノミコト同→ユウリャクテンノウ求婚

長田大郎女        ナガタノオホイラツメ    下   234   434

 元オホクサカノオオキミ妻-インギョウテンノウ皇女(アンコウテンノウ同母姉ヲサダノオホイラツメ)?或はリチュウテンノウ皇女 中帯姫ナカシヒメか→アンコウテンノウ皇后

難波王          ナニハノオホキミ     下   259   579

 ケンソウテンオウ妃イハキオホキミ娘

長目比売         ナガメヒメ      下   265   503

 ケイタイテンノウ・セキヒメ三女 ノノイラツメ同

難波王          ナニハノオホキミ     下   269   579

 ビタツテンノウ・オミナコイラツメ長子

中津王          ナカツノオホキミ     下   269   584

 ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ次男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

ニ行

贄持之子         ニエモツノコ      中   113   21

 神武東征援 阿陀の鵜養ウカイの祖(神名)

邇芸速日之命       ニギハヤヒノミコト    中   119   32

 登美毘古軍将軍後神武帰順 ニニギ以前高天原より飛来か 物部氏ノ祖 (神名)

仁番           ニホ        中   192   351

 百済ヨリ帰化人酒造技術者 ススコリ同 応神朝

ヌ行

沼名木之入日売命     ヌナキノイリヒメニミコト   中   133   173

 スジンテンノウ・オオアマヒメ長女

沼羽田之入毘売      ヌバタノイリビメ    中   141   198

 ヒバスヒメ(ヒコタタスミチノウシ娘)妹→スイニンテンノウ妃

沼帯別命         ヌタラシワケノミコト    中   141   199

 スイニンテンノウ・ヌバタノイリビメ長子

沼代郎女         ヌノシロノイラツメ     中   154   238

 ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇女

沼木郎女         ヌナキノイラツメ     中   154   239

 ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

額田大中日子命      ヌカタノオホナカツヒコノミコト  中   183   305

 オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ長子

奴理能美         ヌリノミ       下   210   396

 箇木ツツキの韓人((現京都綴喜郡)百済帰化人統率者 奴理使主ヌリノミ同か 養蚕

糠若子郎女        ヌカノワクゴノイラツメ   下   264   479

 ワニノヒツマノオミ娘-ニンケンテンノウ妃

沼倉太玉敷命       ヌナクラフトタマシキノミコト  下   267   525

 キンメイテンノウ・イシヒメ長子→第三十代敏達天皇ビタツ他田ヲサダ宮-現奈良桜井市戒重十四年在位 甲辰キノエタツ584年4月6日崩御 御陵:川内ノ科長(大阪南河内郡太子町)

糠子郎女         ヌカゴノイラツメ     下   267   529

 ヒツマノオミ娘ーキンメイテンノウ妃

糠代比売王        ヌカデヒメノオホキミ    下   269   571

 ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母(庶妹)☞タカラオホキミ・タムラノオホキミ同