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元気をお願いしに(=^・^=)

NPO法人あおぞら2025年1月26日

Blognote「NPO法人あおぞら」より転記

目次

  1. 外暮しは・・(=^・^=)
  2. 相変わらずの様相・・😻
  3. お隣迄お出かけしました😾

外暮しは・・(=^・^=)

明日からまた、この時期相応の寒さが戻ってくるようです。
今の処、家出猫の親子も、地域猫長老「ふく」も元気に、変わりなく早朝通ってきています(=^・^=)

少し寒がゆるんでいたので昼間は特に過し易かったのではないでしょうか。
明日からまたしばらく、我慢の日々が続くかもしれませんね。
2月は、平年並みか平年よりも低い気温の日々が続くかも、と云う事らしいですが、其れを過ぎれば、暖かい日々が待っているとか・・

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外猫たちももう暫くは辛抱して頑張って貰うしかないようです。
特に長老「ふく」は10年を超えたベテラン❣❣
しっかりと体力を温存し、この2月を元気に乗り切ってもらいたいですね❣❣

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相変わらずの様相・・😻

一方、家の中は、訳あって避妊をしてない子たちが数匹居るのですが、其の子達、早くも「春の目覚め」の時期となった様(=^・^=)

♂猫たちは、全員、去勢済みなので心配はありません。また、出入口等もしっかりと戸締り、外に出る気配もない様なので、あとは暫く、鳴き声が収まる迄、すこし我慢すると云う事に❣❣
その子達を除けば他の子もあまり気にする事も無く、至ってのんびりと過ごしている感じ。

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お隣迄お出かけしました😾


       長閑さに無沙汰の神社周りけり  太祇 

(今日の投稿は連続777日目(=^・^=)数字が揃ったところで、 験を担ぐわけではありませんが縁起よく神社参拝のお話などを・・・)

昨日は、気候も良かったので少し足を伸ばして、お隣の下関迄、出かけし
てみました。
久し振りに長門一之宮「住吉神社」へ参拝させて頂きました。
初詣は勿論、産土さんである甲宗八幡神社へお参りさせていただいてます。

数十年前に一度、産土様へのお参りをする前に、他の神社をお訪ねした事がありましたが、気のせいかもしれませんが、その年は一年間を通じであまり芳しい一年とはなりませんでしたので、其れ以来、産土様へのお参りは、怠りなくさせて頂いてます😻

今迄は気付きませんでしたがここの「住吉神社」の正式名は
「住吉荒魂本宮」と云う事のようです。

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住吉さんの荒魂をお祭りしているお宮さんと云う事になるのでしょうね。
時期的には、初詣も一段落し落ち着いているかなとおもっていましたが、それでもやはり他県ナンバーの車が多く駐車場へは止まっていました。
参拝は、この一年何事もなく猫達ともども健康にと、ありきたりのお願いとなりましたが・・・(=^・^=)
穏やかな気候の所為もあるのでしょうか、気分的にはスッキリとさせて頂きました。
ありがとうございました。感謝感謝です。

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甲宗八幡神社

余分なことかもしれませんが、「荒魂」とは 神靈の一つの魂(神霊)の形を顕す言葉で、ほかに「和魂・奇魂・幸魂」 があるとの事。
因みに、「荒魂」は勇気、「和魂」は親しみ、「奇魂」は智慧をそして
「幸魂」は愛情を顕すとか。
之を神道では「一霊四魂」というそうですヨ。(=^・^=)

【後記】

産土さんである甲宗八幡宮と長門一之宮「住吉」さんへ詣でた後、2月3日の立春には、門司大里奥田の「淡島」さんへお参りさせていただきました。

その日は立春とあって、境内付近は駐車場に警備の方が出る程の大にぎわい❣❣ 

これで今年は久しぶりの「三社詣で」を済ます事が出来ました

NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

💞雨の夜明け(=^・^=)ニャ~

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「十人の人がいればそのうち、二人は自分と志を同じくしてくれる六人はそこまでないまぁ。普通である。あとの二人は自分の志に反する。此れだけの人数がいればなかには自分と気が合わない人がいるのが当たり前。」―運を開く言葉よりー

【二月の言葉】

*一日 天は一物を与える

この世に百パーセントの不幸と云うものはない。五十パーセントの不幸はあるけれども半面其処に五十パーセントの幸せがある訳だ。人間は其れに気付かなければいけない。兎角人間の感情というものは上手くいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。是は人間の一つの弱い面だが其れをなるべく少なくして、いつの場合でも淡々とやる。信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。天は二物を与えずと云うが、逆になるほど天は二物は与えないがしかし一物は与えてくれるということが言えると思う。其の与えられた一つのものを大事にして育て上げることである。

*三日 人間道に立つ

我々人間は相寄って共同生活を送っています。其の共同生活をうまく運ぶにはどうすればよいか。皆が活かされる道を探さねばなりません。お釈迦さまは縁なき衆生は度し難しと云っておられます。併しなろう事ならそうした諦観を超えお互いを有縁の輪で結び合わせることが出来ないものかと思います。其の為にはお互い在るがままの姿を認めつつ、ぜんたいとしてちょうわ、きょうえいしていくことをかんがえていかなければなりません。それがにんげんとしてのみちすなわちにんげんどうと云うものです。お互いに人間道に立って生成発展の大道を衆知を集めて力強く歩みたいものです。

*四日 企業は社会の公器

一般に企業の目的は利益の追求にあると云われる。確かに利益は健全な事業経営を行う上で欠かすことが出来ない。併しそれ自体が究極の目的かと云うとそうではない。根本はその事業を通じて共同生活の向上を計ることであって、その根本の使命を遂行していく上で利益が大切になってくるのである。そういう意味で事業経営は本質的には私の事ではなく公事であり、企業は社会の公器なのである。だから例え個人の企業であろうと私の立場で考えるのではなく、常に共同生活にプラスになるかマイナスにと云う観点からものを考え判断しなければならないと思うのである。

*六日 正しい国家意識

昨今の国際情勢は一方で世界は一つと云いつつも、その一方で各国が過度の国家意識に立ち自国の利害を優先して仕舞う為、対立や紛争が一向に絶えない。それでは日本はどうかと云うと、反対に国家意識が極めて薄い為却って問題が起こっている様である。個人でも正しい自己認識、人生観を生み出し自主性を持って生きていってこそそこに初めて他の人々に対しても奢らず、諂わず仲良く付き合っていける譯である。国でも同じことである。国民が正しい国家意識を持ち、他の国々と交流していくことが大切であろう。過ぎたるもいけないが及ばざるもいけない。

*七日 平穏無事な日の体験

体験と云うものは失敗なり成功為り何か事があった時だけに得られる、と云うものでしょうか。決してそうではないと思います。平穏無事な一日が終わった時、自分が今日やったことは果たして成功だったか失敗だったかを心して考えてみると、あれは一寸失敗だったな、もっといい方法があったのではないか。と云うようなことが必ずあると思います。それについて思いを巡らせば、これはもう立派な体験と云えるのではないでしょうか。形の上での体験だけでなく日々お互いが繰り返しいる目に見えない些細なことも、自らの体験として刻々に積み重ねていく姿勢が大切だと思うのです。

*九日 一歩一歩の尊さ

仕事はいくらでもある。あれも作りたい是も拵えたい、こんなものがあれば便利だ、あんなものも出来るだろうと次から次へと考える。その爲には人が欲しい資金が欲しいと願うことには際限がないが、一歩一歩進むより他に到達する道があろうか。それは絶対にない。やはり一歩一歩の繋がり以外に道はない。坦々たる大道を一歩一歩歩んでゆけばそれでよい。策略も政略もいらない。一を二とし、二を三として一歩一歩進んでゆけば遂には彼岸に達するだろう。欲しいと願う人も一人増えまた一人増えて遂には万と数えられよう。一歩一歩の尊さをしみじみと味わわねばならぬ。

*十一日 国を愛する

我が国は戦後相当立派な成長を遂げてきましたが、不思議に愛国心と云う言葉がお互いの口から出ません。時たま出てもあまり歓迎されない状態です。愛国心と云うものは国を愛する餘に他の国と戦いをすることに為ると云う人もあります。併し決してそうではないと思います。国を愛すれば愛する程、隣人と仲良くしていこう友好を結んでゆこうという事になるだろうと思うのです。お互いが自分を愛するように国を愛し、隣人を愛す。そうする事によって其処に自分の幸せも築かれていくと思うのです。疎の様な姿をお互いに盛り上げていくことが国民としての大きな使命ではないでしょうか。

*十三日 一人の力が伸びずして

自分は一年にどれだけ伸びているか、技術の上に或は社会に対する物の考え方の上に、どれだけの成長があったか、その成長の度合いを測る機械があれば是は簡単に判ります。併し一人一人の活動能力と云うか知恵才覚と云うか、そういう総合の力が伸びているかどうかを図る機械はありません。けれども私は5%なり10%或は15%伸びたと自分で云えるようでないといけないと思います。やはり一人一人が自分の力でどれだけの事をしているかという事を反省してみることが大切です。一人一人の力が伸びずに社会全体の力が伸びると云う事はないと思うのです。

*十五日 自己観照

自省の強い人は自分と云うものをよく知っている。つまり自分で自分を善く見つめているのである。私は是を自己観照とよんでいるけれども、自分の心を一遍自分の身体から取出して外からもう一度自分と云うものを見直してみる。これが出来る人には自分と云うものが素直に私心無く理解できるわけであるこういう人には過ちが非常に少ない。自分にどれ程の力があるか自分はどれ程の事が出来るか、自分の適性は何か自分の欠点はどうした処に在るか、と云うようなことがごく自然に何物にも捉われることなく見出されてくると思うからである。

*十七日 死も生成発展

私は人生とは生成発展つまり日々新たの姿であると考えています。人間が生まれ死んでいくと云う一つの事実は人間の生成発展の姿なのです。生も発展なら死も発展です。人間は今迄ただ本能的に死を恐れ忌み嫌い之に耐え難い恐怖心を抱いてきました。人情としては無理もない事です。しかし我々は生成発展の原理に目覚め、死は恐るべきことでも悲しむべき事でもつらい事でもなく寧ろ生成発展の一過程に過ぎない事、万事が成長する一つの姿であることを知って死にも厳粛な喜びを見出したいと思います。

*二一日 人事を尽して天命を待つ

人事を尽して天命を待つと云う諺がある。是は全く至言で私は今も自分に時々その言葉を言い聞かせる。日常色々な面倒な問題が起きる。だから迷いも起きるし悲観もする、仕事に力が入らないことがある。是は人間である以上避けられない。しかしその時私は自分は是と信じてやっているのだから後は天命を待とう、成果は人に決めてもらおう・・こういう考え方でやている。小さな人間の知恵でいくら考えてみても、どうにもならぬ問題が沢山有り過ぎる。だから迷うのは当たり前である。そこに私は一つの諦観が必要だと思うのである。

*二三日 道徳は水と同じ

戦後の我が国では道徳教育というと何か偏った風に思われることが多いが、私は道徳教育はいわば水と同じではないかと思う。人間は活きる為にどうしても水が必要である。処がこの水に何か不純物が混じっていてそれを飲んだ人が病気になった。だからと云って水を飲むことを一切否定してしまったらどうなるか。大切なことは水そのものの価値効用を否定してしまうことではない。水の中の不純物を取り除くことである。嘗て道徳教育の中に誤った処があったからといって道徳教育そのものを否定してしまう事は其れこそ真実を知らぬことではないか。

*二五日 七十点以上の人間に

完全無欠な人間などあり得ないと思う。だからお互い人間として一つの事に成功することもあろうし、時には過ちもあるだろう。それは人間としてやむを得ないと云うかいわば当たり前の姿だと思う。併し過ちと正しい事を通算して正しい事の方が多くなる様な働き為り生活を持たなければやはり人間として、望ましい姿とは言えないのではなかろうか。仮に自分を点数で表すとどうなるだろう。三十点のマイナス面はあるが少なくともプラスの面が七十店あると云う様な処迄には到達するようお互い努力したいものである。

*二七日 誠意あればこそ

先般部品の一つに不良のある商品をお得意さんにお送りしてしまった時に、その方が厳重に注意しなければという事で会社に出向いてこられたことがあった。しかし実際に会社に来てみると、社員の人々が一心に仕事に打ち込んでいる姿を見て憤慨もせず却って信用を深めて帰られたと云う話を聞いた。この事から私は誠実且熱心に日々の仕事に力強く取り組むとという事が如何に大きなと唐を持っているかという事をつくづく感じさせられた。そういう態度と云うものは、見る人の心に何物かを与えるばかりでなく仕事とそのものの成果をより高める原動力にもなると思うのである。

*二八日 感謝の心は幸福の安全弁

感謝の念という事は是は人間にとって非常に大切なものです。見方によれば総ての人間の幸福なり喜びの根源とも云えるでしょう。従って感謝の心の無い処からは決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は人間不幸になると思います。感謝の心が高まれば高まる程それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり幸福の安全弁とも言えるものが感謝の心とも言える訳です。その安全弁を失ってしまったら幸福の姿は瞬時のうちに壊れ去ってしまうと云ってもいいほど人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのです。

*二九日 健康管理も仕事の内

会社生活をしていく上で何といっても大切なのは健康それも心身共の健康です。いかに優れた才能が有っても健康を損ねてしまっては充分な仕事も出来ず、その才能も生かされないまま終わってしまいます。出羽建工の為に必要なことは何かと云うと栄養であるとか、休養とか色々あるでしょう。しかし特に大切なのは心の持ち方です。命を懸けると云う程の熱意を以て仕事に打ち込んでいる人は少々忙しくてもそう疲れもせず病気もしない、ものです。お互い自分の健康管理も仕事の内という事を考え人夫々のやり方で心身ともの健康を大切にしたいものです。

素晴らしい❣😽羨ましい~😿

NPO法人あおぞら

Blognoteにアップした投稿です

目次

  1. TNRの一斉実施状況
  2. 【どうぶつ基金&壱岐行政タイアップ】
  3. 1.壱岐島の現状
  4. 2.壱岐島での一斉TNR実施
  5. 終りに愚痴を・・

TNRの一斉実施状況

今回の動物基金さんからのお知らせは、神の島❣長崎県壱岐で行われることとなったビッグプロジェクトのおしらせです(=^・^=)
以下報告内容抜粋しました。

【どうぶつ基金&壱岐行政タイアップ】

今年も残すところわずか1か月となりました。
季節外れの暖かさが続いていましたが、やっと冬らしい寒さがやってきました。冬場は妊娠猫が少ない季節。

春の出産シーズンに向けて、この時期に1頭でも多くの猫を手術することができれば、「生まれてすぐに殺される」そんな不幸な命を減らすことに大きく繋がります。どうぶつ基金も気を抜かずに頑張ってまいります!

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どうぶつ基金さん転記

そして、本日は2024年12月~2025年3月に長崎県の離島・壱岐島で実施される新しいプロジェクトについてお知らせいたします。

<壱岐島TNR地域集中プロジェクト「イキイキさくらねこTNR」概要>

【協働行政】
 長崎県壱岐市

【目的】
 壱岐市全域で増え続けている猫のTNRを集中的に全頭やり遂げ、
 野良猫及び市の認めた猫を救済をすること

【実施日程(予定)】
 ・2024年12月18日(水)~12月21日(土)
 ・2025年1月26日(日)~1月29日(水)
 ・2025年2月19日(水)~2月22日(土)
 ・2025年3月8日(土)~3月11日(火)

【実施場所】
 長崎県壱岐市(壱岐島)
【手術予定数】
 400~500頭

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どうぶつ基金さんより転記

1.壱岐島の現状

壱岐市は2022年7月にどうぶつ基金の「さくらねこ無料不妊手術事業」に参加し、無料不妊手術チケットを使用して野良猫のTNRに取り組んできました。

しかし、約2万4千人が住む島に動物病院はたった2件しかありません。
2件の動物病院は、毎日犬・猫等の動物の対応に追われているため、
無料不妊手術チケットを受け入れることは難しく、船を利用して福岡県の動物病院に猫を運ぶしかありません。
TNRが猫の繁殖スピードに追い付かず、野良猫の数は増加する一方です。

野良猫が増えている地区は野良犬も多く、子猫が襲われて命を落とすこともあります。
トンビやカラスなどに子猫が襲われることもあります。
「自然の摂理」という言葉では片づけられない、悲しい現実があります。

そして、問題は飼い主のいない猫だけではありません。
多頭飼育崩壊や高齢者の複数頭飼育も多く、そのほとんどが未手術であることから今後さらに頭数が増えていくことが予想されます。

2.壱岐島での一斉TNR実施

そんな現状を憂慮した壱岐市からのSOSを受けて、どうぶつ基金は2024年9月26日~29日の4日間にわたる一斉TNRを実施。
飼い主のいない猫・多頭飼育崩壊の猫、合わせて119頭に無料で不妊手術を行いました。
一定の成果をあげることはできたものの、この1回で対応できたのはわずか一地域のみ。
島内を見渡せば手術を必要とする猫はまだまだ多く、壱岐市には島民から不妊手術に関する問い合わせが相次いでいました。

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※壱岐市・篠原一生市長を表敬訪問 どうぶつ基金さん転記

そこで、どうぶつ基金は壱岐市と協力して、壱岐島全域でTNRを集中的に行い、野良猫や壱岐市が必要と認めた猫を救済をすることを目的として、
新プロジェクト「イキイキさくらねこTNR」の実施を決定しました。
                           ・・・・以下略

終りに愚痴を・・


本文はもう少し続きますが、要点は上記引用部分で、十分お伝え出来たと思います。
素晴らしい取り組みですね~❣❣
そして羨ましい対応ですネ❣❣

あちらこちらから、クレーム・相談が頻繁に起こっている、北九州市では、何故このような取り組みが出来ないのでしょう。
不思議ですね~😿

民間のボラティア活動によるTNRや、新しく生まれた外猫たちの里親さん探しだけでは、中々、根本問題解決までには、たどり着けないと思うのですが・・

難しいとは思いますが、北九州行政の方々も少し取り組みの目先を変えて、地域猫・多頭飼い防止の為にも、壱岐市のように危機感を持って、積極的なTNR活動に取り組んでいる各地域の行政のやり方を聞いてみてはいかがでしょう(=^・^=)

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NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

トラブルは尽きません😿

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https://note.com/2019dobutu/n/n66214ecb49c4


国旗が原因かも?

韓国の国旗

最初にお断りしておきます。「易」六十四卦の図を眺めていながら、ふっと浮かんだ妄想です。此れはあくまでも個人的な妄想の世界のことです。悪しからず❣

韓国の内政が、安定しないのは国旗の所為かもしれないということ❣❣

ご存じのように、韓国の国旗は真ん中に陰陽のシンボルを置き、四隅に、易の 八卦 天・沢・火・雷・風・水・山・地からそのうちの四つの卦図を対角線上に配している旗ですね❣ ☞  「天ー乾」⇔「地ー坤」・「水ー坎」⇔「火ー離」

八卦でみれば、「天と地」・「水と火」で自然神羅万象の形象を網羅して融合する世界を表していると見る事も出来ます。

が、易ではこの八卦を組み合わせて作る六十四卦というのが天然自然・人事一般・天下国家国政の在り方などあらゆる出来事を予見する為の重要な形象とされ、今でも「易占」として広く用いられています。

明治の一大事件

この易占でよく引き合いに出されるのが、易聖と云われた高島嘉右衛門が縁ある伊藤博文首相の外遊地における暗殺を予見した占いの逸話ですね。

雑誌「太陽―占いほんとと嘘」S54年12月号 作家高木彬光「易占について」より引用いたしますと・・

・・・・・明治四十二年十月十二日、伊藤博文はハルピンでロシアの蔵相ココツフェフと会見する為に満州旅行を志し、一切の公式行事を終えた後で、横浜高島台に嘉右衛門を訪ねている。彼(嘉右衛門)は此の頃腰を痛めて寝たきりの状態だったのだが、必死にこの満州旅行を引き止めた。前に述べた(外遊の話を聞いた折占筮で占っていた)「艮為山」の三爻変が出たから暗殺の恐れさえあると云うのである。嘉右衛門の占いを信じる事では人語に落ちなかった博文も之だけは承知しなかった。政治家としてこの年まで生き続けた以上、暗殺の危険は前からできていると云うのだ。

「刺客はおそらく山とか艮とかいう名前の人物です。そういう人物には呉々もご注意をーお側へは絶対近づけなさいますな」其れが嘉右衛門の最後の忠告だった。

ネットより拝借ー暗殺直前の画か

十月二十六日午前九時、ハルピン駅に到着した博文は出迎えの人々に挨拶しながらホームを歩いていたうちに、突然その一人から射撃された。七連発のピストルから、六発が発射され、その三発が博文に命中したのだが、どの一発も致命傷と云う状態で如何する事も出来なかった。最後の言葉は「犯人は何と云う男だ・・・馬鹿な奴だ・・・」と云う二言だったと云うが、その名前は韓人、安重根、嘉右衛門の予言は完全に的中したと云える。・・・云々

と言うもの。また他の本では、此の易占を得た後、外遊に出る前に、博文は 嘉右衛門の持つ、北海道石狩の農場に宿泊 し、その時に 「石狩客次」 という漢詩を詠んだとのこと。

「蹇蹇匪躬奚ぞ帰るを念わん 満天の風露 征衣を湿おす 秋宵石狩山頭の夢 尚 黒龍江に向かって飛ぶ」―ケンケンヒキュウナンゾカエルヲオモワン マンテンノフウロ セイイヲウルオス シュウショウ イシカリサントウノユメ ナヲ コクリュウコウニムカッテトブ―

というもの、これは易六十四卦中39番「水 山 蹇」の中の文言、「王臣、蹇蹇躬のゆえにあらず」と云う言葉をふまえてこの詩を作ったとのこと。

君主を助け国難に身をもってあたるは、自分自身の吉凶を顧みない、危険とは知りつつも、国の困難な使命のためには出発しなくてはならない、こう云う彼の心境を述べたものだと、「易入門」と云う本の中で著者の黄小娥氏は述べています。

見るべき人が見ればと云うか読み解くべき人が、と云ううべきか、当に易占恐るべし❣❣

これぞ正しく国家国勢の行く末の為には身命を賭して事に当たると云う政治家としての覚悟と云えるのではないでしょうか。現在の選挙結果に汲々としている政治家は如何に❣ と問うてみたいですね。

国旗の卦辞は如何なるものか

さて、本題の韓国の国旗❣ 描かれている卦の図を対角線に結んで六四卦にあてはめますと、其々「天地否」「水火既済」と云う卦になります。

其々の卦辞はと云いますと (現代のエスプリ・「易」の中の丸山松幸氏による)

12番 「天地否」卦辞 【否之匪人 不利君子貞 大往小来】

(否は之人にあらず 君子の貞によろしからず 大は往き小は来る)

解:「否」はこれ人に非ず、「否」はヒトの常道に反した状態。君子が正道を守ろうとしても、妨げられて上手く行かない。陽の気が昇り陰の気は降る。         となっています。

つまり、簡単に言うと陰陽の気がお互い反発し合って何事も上手く行かないと云う事。是を国政にあてはめれば、施政者の意向が国民に伝わらず国民は施政者の意を踏まえず、お互いが歩み寄ることなくお互いを慮る事もしないと云う事で内政・外交ともに安寧が得られない状態の時と云えるようです。この状態の形象を見方によれば、国旗に張り付けたという事にもなります。大韓民国の政治の歴史を振り返りまた、現状の在り方を見ますと成程と頷けない事も無いですね。

もう一方の対角線上の卦図は

63番「水火既済」卦辞 【既済 亨小 利貞 初吉終乱】

(既済は通ること小なり 正しきによろし 初めは吉にして終りは乱る)

解:「既済」は思う事通る。正道を守ってゆけば万事順調。初めは吉であるが終りには衰乱に転ずる。  となっています。

既済とは、完成したもの、陰陽のバランスが見事に整っている形。一見良さそうですが、完成と云う事はそれ以上の発展も望めないと云う事にもつながりますね卦辞にも初めは良いが終りは乱れてしまう、となっています。つまり国政においても出発点は素晴らしいが、段々と悪い方向へ向かっていつて、国内の乱れにつながると云う事。こういう点も大韓民国の内政外交の実際を見ていますと、何となくそう見えてきますね。

総じて、韓国は方向として宜しくない方向へ向かう易学上の卦図の形象を国旗に張り付けていると云えないこともありません。

では、此の八卦の位置を反転させるとどうなるか。

12番「天地否」は11番「地天泰」、63番「水火既済」は64番「火水未済」となります。

11番「地天泰」卦辞 【泰 小往大来 吉亨】

(泰は小往きて大来る 吉にして亨る)

解:泰は陰の気が降り陽の気が昇る形 吉 思うところ通るであろう

形として易学で陰とされる地が上にあり、陽とされる天がしたにある卦図で不安定に思えるかもしれませんが、此れは逆に陰の気は下に降ろうとし、陽の気は上に揚ろうとするところからお互いに引き合って和合し遇う形とされます。国政で云えば施政者は国民の安寧を第一に考え、国民は施政者の為に協力を惜しまないと云う形。易学上からも六十四卦の中でも最も安定した状態を表す卦の一つとされています。(と云う事で、現在も易占の占い師の看板にはこの卦図を用いているところが多いようですヨ)

64番 「火水未済」卦辞【未済亨 小狐 汔済 濡其尾 无攸利】

(未済は亨る 小狐ほとんど渡らんとして その尾を濡らす 利ろしき攸なし)

解:未済は思うところ通る 子狐が河を渡ろうとして今一歩のところで尾を濡らしてしまい渡り切れない 挫折して万事順調にはいかない

64番「火水未済」は陰陽のバランスはとれていますが、陰と陽の位置が全部反対になっている形。卦辞からも、余り良いイメージは持たれません。が、見方を変えれば、全てが整っていない状態からの出発でお互い力を合わせしっかりと努力を重ねていく事で明るい未来が見えてくる。将来に向けての可能性は、無限に広がっているとも解釈できるようです。

「易」では、完成した完全な形の「既済」を63番に置き、まだ、未完の形である「未済」を最後の64番に配している処に、此の「易」に於ける深い深い哲学がある様ですね。

これ等の事を踏まえて見れば、韓国のいつもあるお家騒動と今後の方向性を考えて、国旗の卦図の対角線上の位置を其々入れ替えてみてはどうだろうか。           などと、妄想したりもするわけです・・・・

松下幸之助の言葉

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「基本的にはやはり、明るい面に重点を置いて見ておく方が好ましい。暗い面を悲観的に見ていますと心が委縮して出るべき知恵も出なくなってしまいます。一見マイナスに見える事にも其れなりのプラスがあるというのが世の常。楽観に楽観を以て暮らしていけば必ず楽観の通り世界が開けてくる」―運を開く言葉よりー

【一月の言葉】

*一日 心あらたまる正月(イ)

竹に節がなければズンベラボーでとりとめがなくて風雪に耐えるあの強さもうまれてこないであろう。竹にはやはり節がいるのである。同様に流れる歳月にもやはり節がいる。ともすればとりとめもなく過ぎていきがちな日々である。せめて年に一回は節を作って身辺を整理長い人生に耐える力を養いたい。

そういう意味ではお正月は意義深くて、おめでたくて心もあらたまる。常日頃考えられないことも考えたい。無沙汰のお詫びもしてみたい。そして新たな勇気と希望も生み出したい。清々しくて爽やかでお正月はいいものである。

*二日 信念は偉大なことを為し遂げる(イ)

私達は弘法大師の開かれた高野山に登って非常に教えられたことがあります。今でこそ自動車道路も電車もケーブルもできていて便利と云えば便利ですが、お山を開かれた千百数十年前にあれだけ辺鄙な処を開拓しそこに道場を建てるという弘法大師の御執念というか信念というものは想像も出来ないほど強いものがあったと思うのです。我々は中々弘法大師さんの境地に触れることはできません。けれども私はその時やはり人の心、信念と云うものは偉大なことを為し遂げるものだということを痛切に感じて、私も自分の分に応じた一念信念を持たなければいけないなと感じたのです。

*三日 不確実な時代はない(ム)

不確実性の時代と人はよく言います。事実思わぬことが次々と起こって混乱することがよくありますが、私は不確実性ということは肯定しません。何故なら不確実な現象は全部人間自身の活動の所産であり、人間自身が不確実な行動をする所に起ってくるものだと思うからです。だから不確実な考えや行動をやめたら、確実になってくる。そういう自覚で仕事をすることが大切だと思います。未来は確実性の時代だという発想の転換、未来に対処する基本的姿勢の転換こそ今日私たちがお互いの緊急重要事ではないかと思うのです。

*六日 素直な心とは(ニ)

素直な心とはどういう心であるかと云いますとそれは単に人に逆らわなず、従順で有るというようなことだけではありません。寧ろ本当の意味の素直さというものは、力強く積極的な内容を持つものだと思います。つまり素直な心とは、私心無く曇りのない心というか一つの事に捉われずに、物事を在るが儘に見ようとする心と云えるでしょう。そういう心からは、物事の実相を掴む力も生まれてくるのではないかと思うのです。だから素直な心というものは真理を掴む働きのある心だと思います。物事の真実を見極めてそれに適応していく心だと思うのです。

*七日 熱意は磁石(リ)

如何に才能が有っても知識があっても、熱意の乏しい人は画ける餅に等しいのです。反対に少々知識が乏しく才能に乏しい点があっても、一生懸命というか強い熱意があれば、そこから次々とものが生まれてきます。その人自身が生まなくても、その姿を見て思わぬ援助、目に見えない加勢と云うものが自然に生まれてきます。それが才能の乏しさを補い知識の乏しさを補ってその人をして仕事を進行せしめる、全うさせるということに為るわけです。恰も磁石が周囲の鉄粉を引き付けるように+熱心さは周囲の人を引き付け周囲の情勢も大きく動かしていくと思うのです

九日 雨が降れば傘をさす(タ)

経営者たるものは全て天地自然の理法に基づいて行動しなければならない。これは何も難しいことを言っているのではない。例えば雨が降ったら傘をさすということである。つまり集金をせねばならぬ所には集金に行く、売れない時には無理に売ろうとせず休む、又売れるようになれば作るというように大勢に順応するとい

うことである。集金すべきところから集金もせずに新たに資金を借りようとする人があるようだが、金を借りるのならばまず集金に全力を尽くす。其れでも尚資金がいる時に初めて借りるという至極簡単な当たり前のことをどれだけ的確に行うかが非常に大事なのである。

*十六日 武士道と信頼感(ル)

昔、武士は庶民の上に置かれ尊敬されていた。これは一つには武士が武力を持っていたからとも考えられるが、それだけではない。やはり武士は道義に篤く武士としての精神を忘れず所謂武士道に徹することにより庶民の信頼と尊敬を勝ち得ていたものと思う。これは会社の中でも言える。経営者には経営者道、従業員には謂わば従業員道とも云うべきものがあると思う。其々当然やるべきことがある。之をお互いに責任を以て貫いてゆくというところに信頼関係の基礎があり、その信頼関係を高めていく推進力があるのではないだろうか。先ずお互いの立場で其々の道に徹したい。

*十七日 決意を持ち続ける(ワ)

指導者にとって大事なことの一つは志を持つということである。何等かの志、決意というものがあって始て事は成るのである。だから志を立てて決意をするということが必要なわけだが、それは一度志を立て決心すればそれでいいということではない。寧ろ大事なのはそうした志也決意を持ち続けることであろう。其の為にはやはり、絶えず自らを刺激し思いを新たにするようにしなくてはならない。一度志を立て決意することによって、非常に偉大なことを成し遂げられるのも人間であるが、その志・決心を中々貫き通せない弱さを合わせて持っているのもこれまた人間である。

*十九日 人情の機微を知る(ハ)

人間の心と云うものは中々理屈では割り切れない。理論的にはこうしたらいいと考えられても、人心は寧ろその反対に動くということもあろう。一面、誠に厄介と云えば厄介だがしかしやはりある種の方向というか、法則的なものがあるとも考えられる。そうしたものをある程度体得できるということが、人情の機微を知るということに為るのだと思う。では、人情の機微を知るにはどうしたらいいか。それは矢張り色々な体験を通じて多くの人々と触れ合うことである。そうした体験に立ちつつ常に素直な目で人間というものを見、その心の動きを知ると言うことが大切だと思う。

*二十一日 当たって砕ける(チ)

ある時会社で社員が集まって盛んに議論している。どうしたのかと尋ねるとこの製品を新しく発売するのですが、これが売れるかどうか検討しているのですと云う。そこで私はそれは探るより仕方がないのではないか。売れるか売れないかをある程度議論することは必要だが、ある程度以上は議論しみても始まらない。後は当って砕けろだ。それを買ってくれる人に尋ねるより仕方がないのではないかと云ったのである。ある程度考えた後は勇気をもってやる。そういうことが商売だけでなく政治にもその他あらゆる日常生活の分野に於いても時に必要だと思う。

*二十三日 物を作る前に人を創る(レ

私はずっと以前でしたか当時の若き社員に、松下電器は何を作るところかと尋ねられたらならば松下電器は人を創る處で御座います。併せて電器商品を作っております。とこういう事を申せと云ったことがあります。その当時、私は事業は人に有り人を先ず養成しなければならない、人間として成長しない人を持つ事業は成功するものでない。ということを感じており遂そういう言葉が出た譯ですが、そういう空気は当時の社員に浸透しそれが技術・資力・信用の貧弱にも拘らず、どこよりも会社を力強く進展させる大きな原動力となったと思うのです。

*二十五日 融通無碍の信念(ト)

融通無碍と云う言葉がある。これは別に難しい理屈でも何でもない。至って平凡なことと思う。若し道を歩いていてその前に大きな石が落ちてきて向こうへ行けない場合はどうするか。勿論石に攀じ登っても真直ぐ行くということも一つの方法である。併し其処に無理が生じるのであれば石を避けて回り道をして行くそれが融通無碍だと思う。勿論時には回り道の無い場合もある。しかしそういう時にはまた別の方法を考える。素直に自分の感情に捉われないでこの融通無碍ということを絶えず心掛けていくところに世に処していく一つの道があると思うのである。

*二十六日 短所四分長所六分(レ)

人間と云うものは誰でも長所と短所を持っている。だから大勢の人々を擁して仕事をしているのであれば、其々に多種多様な長所と短所が見られる。その場合部下の短所ばかりを見ていたのでは中々思い切って使えないし部下にしても面白くない。その点長所を見ると、その長所に随って生かし方が考えられある程度大胆に使える。部下も自分の長所が認めて貰えれば嬉しいし知らず識らず一生懸命に働く。併し勿論長所ばかりを見て短所を全く見ないということではいけない。私は短所四分、長所六分ぐらいに見るのが善いのではないかと思うのである。

*二十八日 衣食足りて礼節を知る(ヘ)

衣食足りて礼節を知るという言葉がある。これは今から二千年以上も昔の中国で云われたものだというが、今日尚広く使われていると云うことはそこに人間としての一つの真理があるからの様に思える。ところが今日の我が国については衣食足りて礼節を知るどころが衣食足りて礼節益々乱れると云わざるを得ないことが多い。是は当に異常な姿である。我々は今この世の中を正常な姿に戻して社会の繁栄、人々の幸福を生み出してゆく必要がある。其の為には、先ず自己中心のものの考え方行動を自ら反省し、誡めあっていくことが肝要だと思う。

*三十日 自分を飾らず(ニ)

私は毎日の生活を営んでいく上に於いて、自分を良く見せようとお上手を言ってみたり、言動に色々と粉飾をすることは大いに慎みたいと思います。これは一見簡単なことのようですが、口で言うほど容易いことではありません。殊に出世欲に駆られる人は自分を他人以上に見せようとする傾向が強いようです。併し人は各各その素質が違うのですから、いくら知恵を絞って自分を粉飾してみたところで自分の生地は誤魔化すことは出来ず、必ず剥げてきます。そしてそうなれば一片に信用を落とすことに為ってしまうのです。私は正直にすることが処世の一番安全な道だと思います。

*三十一日 千の悩みも(ソ)

経営者には一度にいくつもの問題に直面して、彼是思い悩むという場面が少なくありません。併し私は今迄の経験で、人間と云うものはそう幾つもの悩みを同時に悩めるものでは無いとぴう事に気づきました。結局一番大きな悩みに取り組むことによって、他の悩みは第二、第三のものになってしまうのです。だから百の悩み千の悩みがあっても結局一つだけ悩めばよい。一つだけどうしても払うことが出来ないが、それと取り組んでいくところに人生の生甲斐があるのではないか。そう考えて勇気をもって取り組めばそこに生きる道が洋々と開けて来ると思うのです。

  おめでとうございます            (^_-)-☆2025年巳年元旦

明けましておめでとうございます。                    本年も宜しくお願い申し上げます。

今年も佳い一年となりますよう。心より祈念いたします。

東文忌寸部 献横刀時之呪

皇天上帝 三極大君 日月星辰 八方諸神   司令司籍 左東王父 右西王母 五方五帝 四時四気 捧以銀人 請除禍災 捧以金刀  請延帝祚 咒曰 東至扶桑 西至虞淵 南至炎光 北至弱水 千城百国 精治万歳 万歳万歳

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宝船日本からもひとり乗り  柳多留

小倉百人一首・下

前回に引き続き、田辺聖子さんの「小倉百人一首」より今回は、後半の51番の歌より収録しています。

百人一首の歌は太字、その下の歌は、その章に収録されている歌です。

かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを 藤原実方

(桜狩雨は降りきぬ同じくは濡るとも花の陰に宿らむ       藤原実方

明ぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな  藤原道信

(限りあればけふぬぎすてつ藤衣はてなきものは涙なりけり    藤原道信

(うれしきはいかばかりかは思ふらぬ憂きは身にしむ心地こそすれ 藤原道信

嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る 道綱の母

(げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり 藤原兼家

わすれじの行末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな   儀同三司母

滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ  藤原公任

(あせにけるいまだに懸かる滝つせの早くぞ人は見るべかりける  赤染衛門

(山桜さきそめしより久方の雲居に見ゆる滝の白糸        源俊頼

(小倉山嵐の風の寒ければもみじの錦着ぬ人ぞなき        藤原公任

あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな 和泉式部

(すてはてむと思ふさへこそ悲しけれ君に馴れにし我ぞと思へば   和泉式部

(黒髪の乱れも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞこひしき    和泉式部

(白露も夢もこの世もまぼろしもたとへていへば久しかりけり    和泉式部

(もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る  和泉式部

(暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月      和泉式部

めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲がくれにし夜半の月かな 紫式部

(鳴き弱るまがきの虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらむ     紫式部

有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする       大弐三位

やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな 赤染衛門

(あはれともいふ人はなしあぶりこの身は焼飯に胸ぞこがるる    赤染衛門

大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立       小式部内侍

(とどめおきて誰を哀れと思ふらむ子はまさりけり子はまさるらむ  和泉式部

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほいむるかな      伊勢大輔

夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ     清少納言

(逢坂は人越えやすき関なれば鶏鳴かぬにもあけてまつとか     藤原行成

今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな 左京大夫道雅

(さかき葉のゆふしでかげのそのかみに押し返しても似たる頃かな  道雅

(陸奥の緒絶えの橋やこれならむ踏みみ踏まずみ心惑わす      道雅

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにわらはれわたる瀬瀬の網代木   藤原定頼

(もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ浪のゆくへ知らずも   柿本人麿

恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそ惜しけれ  相模

(風にまひたる菅笠のなにかは路に落ちざらむ
わが名はいかで惜しむべき惜しむは君が名のみとよ       芥川龍之介

もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし   前大僧正行尊

(大峰行ふ聖こそあはれに尊きものはあれ
法華経誦する声はして確かの正体まだ見えず         詠み人知らず

春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ  周防内侍

(契りありて春の夜ふかき手枕をいかがかひなき夢になすべき  藤原忠家

心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな  三条院

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり      能因法師

(竜田川もみぢ葉ながる神奈備の三室の山にしぐれ降るらし   詠み人知らず

(神無月ねざめに聞けば山里のあらしの声は子の葉なりけり   能因法師

(都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白川の関       能因法師

(思ふ人ありとなけれどふるさとはしかすがにこそ恋しかりける 能因法師 

(かねてより思ひしことよ伏柴のこるばかりなる歌きせむとは  加賀

さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮れ 良選法師

(白菊のうつろひ行くぞあはれなるかくしつつこそ人も離れしか 良選法師

(ませの内なる白菊もうつろふみるこそあはれなり
我らがかよひてみし人もかくしつつこそ離れにしか       刑部卿敦兼

(渡辺や大江の岸にやどりして雲居にみゆる生駒山かな     良選法師

(ほととぎすなが鳴く里のあまたあればなほ疎まれぬ思ふものから 詠み人知

(宿ちかくしばしながなけほととぎす今日のあやめの根にもくらべむ 良選法師

夕去れば門田の稲葉おとづれて蘆のまろ屋に秋風ぞふく    源経信

(秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる   藤原敏行

音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ   紀伊

(人知れぬ思ひありその浦風に波の寄るこそいはまほしけれ   藤原俊定

高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ     大江匡房

(吹く風を勿来の関と思へども道も狭に散る山桜かな      源義家

(逢坂の関のこなたもまだ見ねばあづまのことも知られざりけり 大江匡房

憂かりける人をはつせの山おろしよはげしかれとは祈らぬものを 源俊頼

(鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波よる秋の夕暮れ        源俊頼

契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり    藤原基俊

(ただ頼めしめぢが原のさせも草われ世の中にあらぬかぎりは   清水観音

(昔見し人は夢路に入り果てて月とわれとになりにけるかな    藤原俊頼

わたの原漕ぎ出でてみればひさかたの雲居にまがふ沖つ白波   法性寺入道前

(御狩すと鳥立の原をあさりつつ交野の野辺に今日もくらしつ   藤原忠通

(さざなみや志賀の唐崎風冴えて比良の高嶺に霰降るなり     藤原忠通

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ   崇徳院

淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守      源兼昌

(旅人はたもと涼しくなりにける関吹き越ゆる須磨の浦風     在原行平

(友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝ざめの床もたのもし      源氏物語

(旅寝する夢路はたえぬ須磨の関通ふ千鳥の暁の声        藤原定家

(ぬばたまの夜のふけゆけば久木生ふる清き河原に千鳥しば鳴く  山辺赤人

秋風にたなびく雲の絶えまよりもれ出づる月のかげのさやけき 左京大夫顕輔

(むらむらに咲ける垣根の卯の花は木の間の月心地こそすれ   藤原顕輔

(さらぬだに寝ざめがちなる冬の夜をならの枯葉に霰ふるなり  藤原顕輔

(庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなく澄める月かな   源頼政

(風吹けば玉散る萩の下露にはかなく宿る野辺のつきかな    藤原忠通

長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ    堀川

(この世にて語らひ置かむ時鳥死出の山路のしるべともなれ   堀川

(ほととぎすなくなくこそは語らはめ死出の山路に君しかからば 西行

(いふかたもなくこそ物は悲しけれこは何事を語るなるらむ   堀川

ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣

(ほととぎす鳴きつる方にあきれたる後徳大寺の有明の顔    大田蜀山人

(古き都を来て見れば浅茅が原とぞ荒れにける
月の光は隈なくて秋風のみぞ身にはしむ【今様】       藤原實定

(いざさらば涙くらべむほととぎすわれも憂き世に音をのみぞなく 建礼門院

(いにしへは月にたとへし君なれどその光りなき深山辺の里  藤原實定

思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり   道因法師

(世の中は憂き身に添える影なれや思ひ捨つれど離れざりけり  源俊頼

(聞くだびに珍しければほととぎすいつも初音の心地1こそすれ 永縁法師

聞くだびに珍しければほととぎすいつも初音の心地1こそすれ 大夫俊成 

(夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里     藤原俊成

ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞいまは恋しき 藤原清輔

(をりをりに物思ふ事はありしかどこのたびばかり悲しきはなし   藤原清輔

夜もすがらもの思ふころは明やらで閨のひまさへつれなかりけり  俊恵法師

(冬の夜にいくたびばかりねざめして物思ふ宿ひま白むらむ     増基法師

(津の国のこやとも人を言うべきにひまこそなけれ芦の八重ぶき   和泉式部

(暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月     和泉式部

なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな    西行法師

(道の辺に清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ   西行法師

(津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり      西行法師

(吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづむね   西行法師

(庵にもる月の影こそさびしけれ山田は引板の道ばかりして    西行法師

(よしや君昔の玉のゆかとてもかからむ後は何かはせむ      西行法師

(願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ       西行法師

むらさめの露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋の夕ぐれ   寂連法師

 (さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ   寂漣法師

(心なき身のみあはれは知られけれ鴫立つ沢の秋の夕暮れ     西行法師

(見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ     藤原定家

難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき 皇嘉門院別

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする  式子内親王

(はかなしや枕さだめぬうたたねにほのかにかよふ夢の通ひ路   式子内親王

(我が恋は知る人もなしせく床の涙もらすな黄楊の小枕      式子内親王

(したしむは定家が撰りし歌の御代式子の内親王は古りし御姉   与謝野晶子

見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色はかはらず  殷富門院大輔

(松島や雄島の磯にあさりせし海士の袖こそかくはぬれしか    源重之

(なにかいとふよも長らへじさのみやは憂きにたへたる命なるべき 殷富門院

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかも寝む   後京極摂政前

(空はなほかすみもやらず風寒えて雪げにくもる春の夜の月    藤原良経

(さむしろに衣かたしき今宵もやわれを待つらむ宇治の橋姫   詠み人知らず

(吾が恋ふる妹は逢はずて玉の浦に衣かたしきひとりかも寝む  詠み人知らず

わが袖は潮干にみえぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし    二条院讃岐

(登るべき頼りもなければ木のもとに椎を拾ひて世を渡るかな   源頼政  

(うもれ木の花咲くこともなかりしにみのなるはてぞ悲しかりける 源頼政

(山たかみ峯のあらしに散る花の月にあまぎる明け方の空     二条院讃岐

(鳴く蝉の声も涼しき夕暮れに秋をかけたる杜のしたつゆ     二条院讃岐

(世にふるは苦しきものを真木の屋に安くも過ぐる初しぐれかな  二条院讃岐

(わすれじな難波の秋の夜半の月こと浦にすむ月はみるとも    丹後

(待つ宵にふけゆく鐘の声聞けば帰るあしたの鳥もものかは    大宮小侍従

世の中は常にもがもな渚こぐあまの小船の綱手かなしも     鎌倉右大臣

(もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原     源実朝

(箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ   源実朝

(大海の磯もとどろに寄する波われてくだけて裂けて散るかも   源実朝

み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり      参議雅経

(み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり    坂上是則

(長安一片ノ月 万戸衣ヲ打ツノ声
秋風吹イテ尽キズ 総テコレ玉関ノ情
何日カ胡慮ヲ平ラゲテ 良人遠征ヲ罷メン 【漢詩】       李白

(移りゆく雲に嵐の声すなり散るか正木の葛城の山        藤原雅経

(なれなれて見しは名残りの春ぞともなどしら川の花の下かげ   藤正雅経

おほけなく憂き世の民におほふかなわが立つ杣に墨染の袖    慈円

(阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわが立つ杣に冥加あらせたまへ   最澄

(みな人の一つの癖はあるぞとよ我には許せ敷島の道       慈円

(わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐなり     慈円

(有明の月のゆくへをながめてぞ野寺の鐘は聞くべかりける    慈円

花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり   入道前太政大臣

(山ざくら峯にも尾にも植ゑをかむみぬ世の春を人や忍ぶと    藤原公任

(風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせむ    浅野内匠頭

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ   藤原定家

(名寸隅の舟瀬ゆ見ゆる淡路島松帆の浦に朝凪に玉藻刈りつつ
夕凪に藻塩焼きつつ海木通女有りとは聞けど見にゆかむ
よしの無ければますらをの心はなしにたわやめの念ひたわみて
たもとほり吾はぞ恋ふる舟梶をなみ 【長歌】          笠金村

(春の夜の夢の浮橋とだえして峯に別るる横雲の空        藤原定家       

(大空は梅のにほひにかすみつつ曇りも果てぬ春の夜の月     藤原定家

(見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ     藤原定家

(我こそは新島守よおきの海のあらき波風心して吹け       後鳥羽院

風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける   従二位家隆

(契りあれば難波の里にやどりきて波の入り日を拝みつるかな   藤原家隆

人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は   後鳥羽院

(ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく     後鳥羽院

(見渡せば山もと霞むみ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ     後鳥羽院

(み吉野の高嶺の桜散りにけり嵐も白き春のあけぼの       後鳥羽院

(寂しさは深山の秋の朝曇り霧にしをるる槙のした露       後鳥羽院

(奥山のおどろが下も踏み分けて道ある世ぞと人に知らせむ    後鳥羽院

(人ごころうつりはてぬる花の色に昔ながらの山の名も憂し    後鳥羽院

(我こそは新島守よおきの海のあらき波風心して吹け       後鳥羽院

ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり   順徳院

絶大な勢力を誇り光り輝く時代の天皇家の親子の歌に始まり 武士の台頭により抵抗するも権勢をそがれて最終的には島流しと凋落を余儀なくされた天皇家の親子の歌で締めくくり・・・

矢張り小倉百人一首には強い政治的メッセージが隠かくされているのでしょうか。

     次の投稿は年明けです。一年間ありがとうございました(#^.^#)

命、守られたようですね‥💖

NPO法人あおぞら2024年11月23日  blognote投稿記事の転記

どうぶつ基金さんが中心となって、ず~っと続けていた沖縄県県議会、外猫に対するエサやり禁止条例の廃止運動がどうやら実を結んだようですヨ😾
先日、どうぶつ基金さんからのニュースが流れてきました。

如何いう形であれ、動物愛護に関して理解が少しづつでも前進していることは嬉しい事です。

特に外猫達に関しては守ろうとする方も、ルールを徹底し地域に迷惑が掛からないようにすることは勿論、其の上で地域の方々の御理解が深まっていき共生できる環境が整っていければと思います。

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動物との共生と云う事で言えば
昨日は、NHKのローカルニュースで「セラピー犬・セラピー猫」として活躍する子達の話題が取り上げられていました。

高齢者施設を訪問したワンちゃん・(=^・^=)ちゃんたちと触れ合って楽しんでいるみなさんの光景が紹介されていました。
その子達も、もとはと云えばいろんな理由から、保護された子達❣❣

こういう活動が少しづつでも一般に紹介され、広がっていけば、愛護活動に関する考え方、捉え方も少しづつ変わってくるかもしれません。

何はともあれ、いろんな活動・情報発信を通じ動物愛護の考え方がいい方向へ進んで行けばと願っています。

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以下本文です
「沖縄県動物の愛護及び管理に関する条例(案)」
公益財団法人 どうぶつ基金
  

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皆様、どうぶつ基金理事長の佐上です。
今日はとてもうれしいお知らせです。私たちの署名が成功し沖縄の餌やり禁止条例案が廃案になりました。
沖縄県、“動物愛護条例”提案へ 多頭飼育に届け出義務 「餌やり」への記述も 沖縄県議会 以下、記事より抜粋当初案では「県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない」としていた。県が昨年11~12月に条例案について聞いたパブリックコメントで「餌やり禁止条例になる」といった懸念が多く寄せられたため、片付けなどルールを守って餌やりをする趣旨の文言に修正する。
抜粋、ここまで 
(詳しくは☞)

沖縄県、“動物愛護条例”提案へ 多頭飼育に届け出義務 「餌やり」への記述も 沖縄県議会(琉球新報) – Yahoo!ニュース

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2023年12月24日から開始した署名は、今日現在38,120筆を集めています。賛同をいただき連名、署名をしていただいた皆様に感謝申し上げます。
どうぶつ基金では殺処分ゼロをめざして引き続きロビーイングを継続します。皆様のさらなるご協力をお願いいたします。

  沖縄県議会(琉球新報) – Yahoo!ニュース    

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NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

防災とペットは・・(=^・^=)

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小倉百人一首・上

お正月も段々と近づいて来ています。早いものですね。つい先日まではやれ猛暑日だ、猛暑の新記録だと暑さに辟易していたような感じですが・・

お正月と云えば「かるたとり」・・今はこの様な遊びをするご家族も少なくなってきてい小倉百人一首上るようですが、日本の伝統の一つ❣❢大事に残していきたいものです。

と云う事で、今回は、田辺聖子さんの「小倉百人一首上・下」に収録されている短歌・長歌を百人一首を中心に全部拾ってみました。

歌だけを拾い上げ、面白い軽妙なタッチの解説本文、歌人に関わるエピソードは省いています。興味ある方は原本をご覧いただければと思います。

ではでは・・・

秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ  天智天皇

(秋田かる仮庵を作りわが居れば衣手寒く露ぞおきける     詠み人知らず

(ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく     後鳥羽院

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山      持統天皇

(春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山       持統天皇

あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む 柿本人麻呂 

(思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を   詠み人知らず

(ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく船をしぞ思ふ    柿本人麻呂

(ほのぼのとまこと明石の神ならば我にも見せよ人丸の塚    詠み人知らず

田子の浦に打ち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人

(田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける 山辺赤人

(天地の分れし時ゆ神さびて高く貴き駿河なる富士の高嶺を
天の原ふりさけ見れば渡る日の影も隠らひてる月の光も見えず
白雲もい行きはばかり時じくぞ雪は降りける語り継ぎ言い継ぎ
ゆかむ富士の高嶺は 【長歌】                  山辺赤人

(日本の大和の国の鎮めともいます神かも宝ともなれる山かも   高橋虫麻呂

奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき     猿丸太夫

かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける   中納言家持

天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも     安倍仲麻呂

わが庵は都のたつみ鹿ぞすむ世をうぢ山とひとはいふなり    喜撰法師

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町

(うたたねに恋しき人をみてしより夢てふものは頼み初めてき   小野小町

(思いつつ寝ればや人のみえつらむ夢としりせばさめざらましを  小野小町

(今はとてわが身しぐれにふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり 小野小町

(人を思ふこころ木の葉にあらばこそ風のまにまに散りも乱れめ  小野貞樹

(あはれなりわが身の果てや浅緑つひには野辺のかすみと思へば  小野小町

これやこの行くも帰るも分かれては知るも知らぬも逢坂の関   蝉丸

(世の中はとてもかくても過ごしてむ宮もわら屋も果てしなければ 蝉丸

(逢坂の関の嵐のはげしきに盲ひてぞゐたる世を過ごすとて    蝉丸

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人のつり舟  参議篁

天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ    僧正遍照

(世をそむく苔の衣はただひとへかさねばうとしいざ二人寝む   僧正遍照

筑波嶺のみねより落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる   陽成院

陸奥のしのぶもぢずりたれゆゑに乱れそめにしわれならなくに 河原左大臣

(早苗とる手もとや昔しのぶずり               松尾芭蕉

(春日野の若むらさきのすりごろもしのぶの乱れかぎり知られず 読み人知らず

君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ   光孝天皇

たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰り来む 中納言行平

(わくらばに問う人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ侘ぶと答へよ 在原行平

(腰蓑の上からみつめる中納言                読み人知らず

ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは  在原業平

住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ    藤原敏行

難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世をすぐしてよとや 伊勢

わびぬれば今はたおなじ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ 元良親王

(ふもとさへあつくぞありける富士の山嶺の思ひのもゆる時には  元良親王

(初春の初子の今日の玉箒手に取るからにゆらぐ玉の緒    読み人知らず

(極楽の玉の台のはちす葉にわれを誘えゆらぐ玉の緒     京極御息所

今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな  文屋康秀

(雪ふれば木毎に花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし  紀友則

(秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる   藤原敏行

(わびぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ 小野小町

月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にあらねど  大江千里

(燕子楼中霜月ノ色秋来タッテ只一人ノ為ニ長シ        李白

(おほかたの秋来るからに我が身こそ悲しき物と思ひしみぬれ  大江千里

(照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜ぞめでたかりける   大江千里

(あやなくも年の緒長く独りしてあくがれわたる身とやなりけむ 大江千里

このたびは 幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに   菅原道真

(去年ノ今夜 清涼ニ侍ス 秋思ノ詩篇 独リ断腸
恩賜ノ御衣 今ココニアリ 捧ゲ持チテ毎日 余香ヲ拝ス    菅家

名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな 藤原定方 

(大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる    読み人知らず

小倉山峰の紅葉葉こころあらば今ひとたびの御幸待たなむ   貞信公

みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ  藤原兼輔

山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば   源宗于朝臣

心あてに折らばや折らむはつ霜の置きまどはせる白菊の花   凡河内躬恒

(月夜にはそれとも見えず梅の花香をたづねてぞしるべかりける 凡河内躬恒

(照る月を弓張としもいふことは山の端さしていればなりけり  凡河内躬恒

(白雲のこのかたにしもおりゐるは天つ風こそ吹きてきぬらし  凡河内躬恒

(ふたつ文字牛の角文字直ぐなもじゆがみ文字とぞ君はおぼゆる 延政門院  

有明のつれなくみえし別れより暁ばかり憂きものはなし    壬生忠岑

(風吹けば峰にわかるる白雲の絶えてつれなき君が心か     壬生忠岑

(春の日の雪間をわけておひいでくる草のはつかに見えし君かも 壬生忠岑

朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪     坂上是則

(み吉野の象山の際の木ぬれにはここだもさわぐ鳥の声かも   山辺赤人

(み吉野の山の白雪ふみ分けて入りにし人のおとづれもせぬ   壬生忠岑

(み吉野の山の白雪ふみ分けて入りにし人の跡ぞ悲しき     静御前

(しづやしづ賤のをだまき繰りかへし昔を今になすよしもがな  静御前

(み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり   坂上是則

山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり   春道列樹

(流れゆくわれは水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ 菅原道真

(あづさ弓春の山辺を越えくれば道もさりあへず花ぞ散りける  紀貫之

(昨日といひ今日とくらしてあすか川流れてはやき月日なりけり 春道列樹

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ      紀友則

たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに     藤原興風

(かくしつつ世をや尽くさむ高砂の尾の上にたてる松ならなくに 詠み人知らず

(われみても久しくなりぬ住之江の岸の姫松幾世経ぬらむ    詠み人知らず

(世の中に古りぬるものは津の国の長柄の橋とわれとなりけり  詠み人知らず

(今こそあれわれも昔はをとこ山さかゆく時もあり来しものを  詠み人知らず

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける    紀貫之

(夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ   清原深養父

(夏の夜の臥すかとすれば時鳥鳴くひと声にあくるしののめ   紀貫之

(冬ながら空より花の散り来るは雲のあなたは春にやあらむ   清原深養父

(その人ののちといはれぬ身なりせば今宵の歌をなづぞ詠ままし 清少納言

白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける   文屋朝康

(秋の野におく白露は玉なれやつらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ   文屋朝康

(蓮葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく    僧正遍照

(萩の露玉に貫かむととれば消ぬよし見む人は枝ながらみよ   詠み人知らず

(あさみどり糸よりかけて白露を玉にも貫ける春の柳か     僧正遍照

(置くと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露  源氏物語

(秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草場の土とのみ見む   源氏物語

忘らるる身をば思はず誓ひてし人のいのちの惜しくもあるかな 右近

(我を頼めて来ぬ男角二つ生いたる鬼となれさて人に疎まれよ
霜雪あられ降る水田の鳥となれさて足冷たかれ・・・ (梁塵秘抄) 詠み人知らず

浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき   参議源等

(戯奴(ワケ)がため吾手もすまに春の野に抜ける茅花ぞ食して肥えませ 紀女郎

(吾が君に戯奴は恋ふらし給ひたる茅花を喫めどいや痩せに痩す 大伴家持

忍ぶれど色にいでにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで  平兼盛

恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見

契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは    清原元輔

(君をおきてあだし心をわが待たば末の松山浪も越えなむ    詠み人知らず

(いかばかり思ふらむかと思ふらむ老いて別るる遠き道をば   清原元輔

(波こゆるころとも知らず末の松待つらむとのみ思ひけるかな  源氏物語

あひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざるけり   藤原敦忠

逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし 藤原朝忠

(君恋ふとかつは消えつつ経るものをかくても生ける身とやみるらむ 清原元真

(たぐへやるわがたましひをいかにして儚き空にもてはなるらむ  藤原朝忠

(ふりすてて今日はゆくとも鈴鹿川八十瀬の波に袖はぬれじや   源氏物語

あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな 謙徳公

由良の戸を渡る舟人かぢを絶え行方も知らぬ恋のみちかな    曾禰好忠

(日暮るれば下はをぐらき木のもとのもの恐ろしき夏の夕暮れ    曾禰好忠  

(うとまねど誰も汗こき夏なれば間ええ遠に寝とや心へだつる    曾禰好忠

八重むぐらしげれる宿のさびしきに人こそみえね秋は来にけり  恵慶法師

(塩竈にいつか来にけむ朝なぎに釣する舟はここによらなむ    在原業平

風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふころかな   源重之

(人の世は露なりけりとしりぬれば親子の道に心おかなむ     源重之

(さもこそは人におとれる我絵ならめおのが子にさへ後れとるかな 源重之

(旅人のわびしきことは草枕雪降る時の氷なりけり        源重之

(昔みし関守もみな老いにけり年のゆくをばえやはとどむる    源重之

(みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか    平兼盛

みかきもり衛士の焚く火の夜は燃え昼は消えつつものこそ思へ  大中臣能宣

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな    藤原義孝

 

松下幸之助の言葉

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「幾ら塩の辛さ砂糖の甘さを考えられても、本当の所は判らない。幾ら水泳の講義を聞き畳の上で練習に励んでも決して泳げるようになるものではない。実際に水に浸り手足を動かし時には不覚の水を飲んで練習しているうちに水泳のコツが掴める。自ら体験して得たものは唯単なる知識や理論として覚えたものではないので、いつまでも自分の身についてくれる。そして如何様にでも応用できる。」―運を開く言葉よりー

【十二月の言葉】

*一日 自分の最善を尽くす

太閤秀吉と云う人は草履取りに為れば日本一の草履取りになったし炭番に為れば最高の炭番になった。そして馬回り役に成ったら自分の給料を割いて人参を買い馬にやったと云う。此の為嫁さんが逃げてしまったと云う事だがそこに秀吉の偉大さがある。馬番になったが俺はこんな仕事は嫌だなどと云わずに日本一の馬番に成ろうと努力した。詰りいかなるかんきょうにあっても自分の最善を尽くし一日一日を充実させ其れを積み重ねていく。其れが役に立つ人間でありその様な事が人を成功に導いていく道だと思うのである。

*四日 事ある度に

私は世の中と云うものは、刻々と変化していき進歩発展していくものだと云う見方を、根本的に持っています。何か事ある度にこの世の中は段々良くなっていくと思っています。あの誤った戦争をしてあれ程の痛手を被ったにも拘らず、今日の様に繁栄の姿になっているのは如何云う問題が起ころうとも世の中は、一刻一刻進歩発展していくものだと云う事を表している一例ではないでしょうか。あの戦争があってよかったとは決して思いませんが、然し如何云う事があった場合でもお互いの在り方次第でそれが進展に結びつく一つの素因に成るのではないかと思います。

*九日 世界に誇れる国民性

同じ日本人でも細かく見れば考え方や性格など実に色々な人がいる訳ですが、然し復一面には日本人には日本人としての共通の特性と云うか日本人の民族性国民性と云うものが矢張り有る様に思います。日本独特の気候や風土の中で長い間過ごしている内に、例えば日本人特有の繊細な情感と云うものが次第に養われてきたと云えるでしょう。日本人の国民性の中にも反省すべき点は少なくありませんが、特に勤勉さとか器用さとか恵まれた気候風土と長い歴史伝統によって養われてきた斯う云う特性には、世界にも大いに誇り得るものが有る様に思うのです。

*十日 限度を超えない

社会には所謂常識と云うものが有ります。そしてその常識に従ってある一定の限度と云うものがある筈で、例えばお金を貯める事も結構なら使うのも結構ですが、その限度を超えて吝嗇であったりまた金遣いが荒く借金だらけであると云う事では世間が承知しません。矢張り

*十一日 持ち味を生かす

家康は日本の歴史上最も優れた指導者の一人であり、その考え方なり業績に学ぶべきものは多々ある。併しだからと言って他の人が家康の通りにやったら上手く往くかと云うとそうではない。寧ろ失敗する場合が多いと思う。と云うのは家康のやり方は家康と云う人にして初めて成功するのであって、家康とは色々な意味で持ち味の違う別の人がやっても其れは上手く往かないものである。人には皆夫々に違った持ち味がある。一人として全く同じと云う事は無い。だから偉人のやり方を其の儘真似ると云うのでなく、それにヒントを得て自分の持ち味に合わせた在り方を生み出さねばならないと思う。

*十四日 人生の妙味

雨が降ったり雷が鳴ったりと云う自然現象は、ある程度の予測は出来る者の正確には掴み得えない。我々の人生の姿も此の自然現象とよく似たものでは無いだろうか其処には天災地変に匹敵する予期でき無多くの障害がある。我々は其等の障害の中に在り乍ら常に自分の道を求め仕事を進めて往かねばならない。其処に一寸先は闇とよく言われる人生の難しさがあるのであるが、そういう障害を乗り越え道を切り開いてゆく処に復人生の妙味があるのだと思う。予期できるものであれば味わいも半減してしまうであろう。

*十六日 大義名分

古来名将と云われる様な人は合戦に当っては必ず此の戦いは決して私的な意欲の為にやるのではない。世の爲人の為にこういう大きな目的でやるのだ。と云う様な大義名分を明らかにしたと云われる。如何に大軍を擁しても正義なき戦いは人々の支持を得られず長きにわたる成果は得られないからであろう。是は決して戦の場合だけではない。事業の経営に於いても諸々の施策にしても何を目指し何の為にやるのかと云う事を、自らハッキリ持ってそれを人々に明らかにしていかなくてはならない。其れが指導者としての大切な務めだと思う。

*十八日 利害を一にしよう

おとなと青年或は子供との間に断絶があるとすれば、それは我々の云う商売的な利害を共にしていない更にもっと高い意味の利害を一にしていないからだと思います。親は子の為に子は親の為に本当に何を考え何を為すべきかと云う事に徹しているか如何か、又先生は生徒の為を本当に考えているか如何か生徒は先生に対して如何言う考え方を持っているか。そう云う意識が極めて薄い為に、其処に溝が出来其れが断絶となり大いなる紛争になってくるのではないでしょうか。時代が時代だから断絶があるのが当然だと考える処に根本の錯覚過ちがあると思うのです。

*十九日 寿命を知る

人間に寿命が有る様に我々の仕事にも其れが何時の事か判らないにしても、矢張り一つの寿命があると云えるのではないかと思う。併しだからと云って努力しても詰らないと放棄してしまう様では人間で云う処の天寿を全うせしめることは出来ない。是は謂わば人間はやがて死ぬのだからと不摂生不養生の限りと尽すのと同じであろう。其れよりも寧ろ一切のものには寿命があると知った上で、寿命に達するその瞬間迄はお互いに其処に全精神を打ち込んでゆく。そう言う姿から大きな安心感と云うか大らかな人生が開けるのではないかと思う。

*二一日 信用は得難く失い易い

我々が何か事を成してい場合信用と云うものは極めて大事である。謂わば無形の力無形の富と云う事が出来よう。けれども其れは一朝一夕で得られるものでは無い。長年に渡る誤りのない誠実な行いの積み重ねがあって初めて次第次第に養われていくものであろう。併しそうして得られた信用も失う時は早いものである。昔であれば少々の過ちが在っても過去に培われた信用に拠って直ちに信用の失墜とはならなかったかも知れない。然し一寸した失敗でも致命的に成りかねないのが、情報が一瞬にして世界の隅々まで届く今日と云う時代である。

*二二日 小事を大切に

普通大きな失敗は厳しく𠮟り小さな失敗は軽く注意する。併し考えてみると大きな失敗と云うものは対外本人も十分考え一生懸命やった上でするものである。だからそう言う場合には寧ろ君そんな事で心配したらあかんと一面励ましつつ、失敗の原因を共々研究し今後に活かして行く事が大事ではないかと思う。一方小さな失敗や過ちは概ね本人の不注意や気の緩みから起こり、本人も其れに気が付かない場合が多い。小事に捉われる餘大二を忘れてはならないが小事を大切にし小さな失敗に対して厳しく𠮟ると云う事も一面必要ではないか。

*二四日 時を尊ぶ心

以前或る床屋さんに行ったときサービスだと云う事で、いつもなら一時間で終わる散髪をその日は一時間十分かけてやってくれた。詰り床屋さんはサービスだと云う事で十分間も多く手間を懸けてくれたと云う訳である。其処で私は散髪が仕上がってから冗談交じりに斯う云った。君サービスしようと云う気持ちは非常に結構うだと思う。然し念入りにやるから十分間余分に罹るという事であっては忙しい人にとっては困る様な事に為りはしないか。もし君が念入りにしかも時間も五十分でやると云う事であれば是こそ本当の立派なサービスだと思うが・・・。

*二六日 旨くて早くて親切

私が丁稚奉公をしていた頃楽しみの一つはうどんを食べる事だった。その当時は子供心にもあのお店のうどんは美味しいし素うどん一杯のお客でも大切にしてくれると感じある一軒の店ばかりに通ったものである。其のうどん屋は旨くて親切でそして早く作ってくれた。現代に於ける商売企業のコツも此のうどん屋さんのやっていたことと何一つ変わらない。立派な商品を早くお届けし親切丁寧に使用法を説明する―斯うした心掛けで商売をするならば私は必ずそのお店は成功すると思う。又そういうお店が成功しなかったら不思議である。

*二八日 ケジメをつける

お互い人間にとって責任を明らかにすると云うかケジメをつける事の大切さは、昔からよく言われてきている事だが之は今日でも変わらないと思う。勿論其々に会社の社風や仕事の内容が違うからその会社の独自のやり方が在るであろう。然しお互いに自分自身の成長の為にも又自分の会社が更に飛躍し社会に貢献してゆく為にもけじめをつけると云う断乎としたものを一面に於いて持たなければならないと思う。今一度其々の立場で我が身を振り返り事を曖昧に過ごしていないか如何か、改めて確かめてみる事が大事ではないだろうか。

*二九日 理想ある政治を

政治には理想が大事です。日本をこうするんだと云う一本筋が十たものが無ければいけない。そう云うものが今は見られません。その場を適当に納めてやっているそういう状態です。未だ日本が世界で二・三十番目と云う事であるなら追いつけ追い越せと云う事でも目標も出来てきますが、すでに世界一・二位を争う様になっている以上其処により高い目標理想を打ち出す必要があると思います。例え世界で一番と云う事になったとしても日本にはもっと大きな役割があるんだからと云う事で、より高い理想を持ち力強い政治を行って行く事が必要だと思うのです。

*三一日 総決算

十二月は総決算の月。この時に当り一年の歩みを振り返りお互いの心のけじめをつけたいものです。此の一年良かったことは善かった悪かったことは悪かったと、素直に自分で採点しなければなりません。そしてこの一年は決して自分一人の力で歩んだものではありません。自分で気付かない処で人々の協力を得又思わぬ処で迷惑を懸けている事もあると思うのです。そんな周囲の人々の協力に対しては有難く感謝し迷惑を懸けたことに対しては謙虚に謝罪したいと思います。そうした素直な自己反省こそ次の新しい年の時分の成長にプラスする何かを必ず与えてくれると思うのです。