カテゴリー別アーカイブ: 道徳倫理

地域猫事情(=^・^=)

Blognoteから抜粋して紹介します。

地域猫活動は、まだまだ全国的にみると、それほど、定着しているとは思えない現状ですが、地域によっては、どうぶつ基金さん等とタイアップしたりまた、処によってはしっかりと行政自治体が主体となって推進している地域もあります。

今回の投稿は、動物基金さんの報告によるもので、積極的に地域猫活動に取り組んでいる地域のご紹介です。

この様な地域が全国的にスタンダードなスタイルとして定着してくれれば嬉しいですね❣❣

TNR取り組み成果(=^・^=)

NPO法人あおぞら2025年5月19日 07:17

今日は、どうぶつ基金さんと、行政自治体とのタイアップにより実施されているTNR活動プロジェクトの続報をご紹介します。
現在プロジェクトとして継続中の自治体は九州長崎県壱岐市及び宮崎県となっています。
今回ご紹介する壱岐市は、今後も計画を一年間延長して継続されることとなったようです。行政自治体も本気で環境整備・動物救済に取り組んでいるようですね~(=^・^=)

私共、小さな力ですが愛護活動に携わっているものとして、基金さん等々の大々的活動をお知らせする事も、動物愛護の現状を知って頂く啓蒙活動の一環として、大切な事と考えています。今後も、引き続き折に触れて、この様な活動もご紹介して参りたいと考えています。

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ではどうぶつ基金さんからの発表内容、抜粋してお届けします。

壱岐島TNR地域集中プロジェクト

「イキイキ!さくらねこTNR大作戦」4月ご報告

4月27日~5月2日の6日間
どうぶつ基金は壱岐島TNR地域集中プロジェクト「イキイキ!さくらねこTNR大作戦」第二弾を開始し、第1回目の実施を行いました。
2024年12月~2025年3月にかけて実施した一斉TNRに続き、どうぶつ基金と壱岐市の協働プロジェクトとして1年間の延長が決定。
2026年3月までのプロジェクトが新たにスタートしています!
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どうぶつ基金さんより拝借

【実施日程】
・2025年4月27日(木)~5月2日(金)
執刀医 : 長井  行政職員 4/27 : 1名
シルバー人材(費用負担壱岐市)
各日 : 3名
有償ボランティア(費用負担壱岐市)
各日 : 2名
無償ボランティア
4/27:3名 4/28:3名 4/29:5名 4/30:4名 5/1:4名 5/2:3名
手術数
オス : 88頭  メス : 79頭  メス(妊娠) : 33頭
耳カットのみ : 0頭
※耳カットのみとは:麻酔後、ワクチン投与・ノミダニ駆除・耳カットをしたが、手術前に不妊手術済であったことが獣医により確認されたため手術を行わなかった猫のことです。
総数:200頭

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どうぶつ基金さんより拝借(無事終了😸)

4月は200頭のさくらねこが誕生しました。

【壱岐市・担当者より】
今月は手術会場で子猫が生まれるなど、想定外の出来事もありましたが、
無事に200頭のさくらねこを誕生させることができました。
このような活動が実現できたのは、支援してくださる皆さまのおかげです。
今後も継続して頑張りたいと思います。

古事記人名索引(Ⅱ)

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は上記版における 名前 読み方 巻 ページ 登場順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人として特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。尚、神名は参考にしている新潮社古典文学54年版「古事記」の末尾附録として掲載されてます。ご興味ある方は、そちらもご覧ください

因みに 岩波古典文学大系「古事記」の付録は、今に伝わる祝詞のすべてが、また小学館版の「古事記」には上代歌謡のすべてが収録されています。

エ行

兄宇迦斯        エウカシ        中   114   24

 宇陀豪族兄弟 神武東征軍敵対

兄師木         エシキ        中   118   30

 大和豪族兄弟 神武東征敵対軍

兄比売         エヒメ        中   148   216

 ヒコタタスミチノウシノオオホキミ娘 スイニンテンノウ妃(サホビメノ姪)-ホムツワケ乳母役か

兄比売         エヒメ        中   156   255

 オオネノキミ娘-ケイコウテンノウ召喚―大碓命妻

恵波王         エハノオホキミ      下   267   523

 センカ(センゲテンノウ・ワクゴヒメ次男→韋那君・多治比君ノ祖

植栗王         エクリノオホキミ      下   270   596

 ヨウメイテンノウ・ハシヒトアナホベオホキミ三男

オ行

大㑨王         オホマタノオホキミ     下   267   587

 アヤノオホキミ妹→ヒコヒトヒツギニノミコ妃

息長宿禰王       オキナガノスクネノオホキミ   中   132   159

 カニメイカヅチオオキミ・タカキヒメ長子

息長帯比売命      オキナガタラシヒメノミコト   中   133   161

 オキナガスクネ・カツラギタカヌカヒメ長女→チュウアイテンノウ大后ー神功皇后ジングウ

オウジンテンノウ母 神意により朝鮮出兵☞三韓征伐

息長日子王       オキナガヒコノオオキミ    中   133   163

 オキナガスクネ・カツラギタカヌカヒメ長子→吉備品遅君・針間阿宗君ノ祖

大多牟坂王       オホタムサカノオオキミ    中   133   165

 オキナガスクネ・カワマタノイナヨリビメ長子→多遅摩国造ノ祖

意富阿麻比売      オホアマヒメ       中   133   170

 尾張連ノ祖 スジンテンノウ妃

大入杵命        オホイリキノミコト     中   133   171

 スジンテンノウ・オオアマヒメ長子→能登臣ノ祖

意富多多泥古      オホタタネコ       中   134   182

 大物主大神末裔→御諸山意富美和オオミワ大神祭祀拝斎 神君(三輪君)ノ祖-大神神社神主 鴨ノ君祖

大帯日子淤斯呂和気命  オホタラシヒコオシロワケノミコト  中   141   194

 スイニンテンノウ・ヒバスヒメ次男→第十二代景行天皇ケイコウ 纏向日代宮-奈良桜井市穴師ノ北  137歳崩御 御陵:山辺ノ道ノ上(奈良天理市渋谷町向山附近)

大中津日子命      オホナカツヒコミコト     中   141   195

 スイニンテンノウ・ヒバスヒメ三男→山辺別・三枝サキクサ別・稲木別・阿太別 尾張国ノ三野別・吉備ノ

石无イワナシ別・許呂母コロモ別・高巣鹿別 飛鳥君・牟礼別等ノ祖

落別王         オチワケノオオキミ     中   141   208

 スイニンテンノウ・カリハタトベ長子→小月ノ山君・三川ノ衣君ノ祖

弟刈羽田刀弁      オトカリハタトベ     中   141   211

 カリハタトベ妹(オオクニノフチ娘)-スイニンテンノウ妃

弟比売命        オトヒメ        中   132   153

 ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ三女→スイニンテンノウ妃ーホムチワケ育児係

弟比売         オトヒメ        中   148   217

 ヒコタタスミチノウシノオオホキミ娘 スイニンテンノウ妃(サホビメノ姪)-ホムツワケ乳母役か

弟比売         オトヒメ        中   152   221

 タニハ(旦波―丹波)ミチノウシオオキミ娘ーヒバスヒメ妹ホムツワケ育児(重複)

大碓命         オホウスノミコト      中   154   227

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ次男 弟小碓命(ヤマトタケル)により弑殺さる→守君・大田君・

嶋田君の祖

押別命         オシワケノミコト      中   154   235

 ケイコウテンノウ・ヤサカノイリヒメ三男

弟比売命        オトヒメノミコト      中   155   244

 ケイコウテンノウ・妾妻(二蕃目)ノ 皇女

大枝王         オホエノオホキミ      中   155   253

 ケイコウテンノウ・カグロヒメ長子ヤマトタケル条再録 (大江王)

大根王         オホネノキミ       中   156   254

 三野(美濃)国造 エヒメ・オトヒメノ(ケイコウテンノウ召上要請)親

弟比売         オトヒメ        中   156   256

 オオネノキミ娘-ケイコウテンノウ召喚―大碓命妻

押黒之兄日子王     オシグロノエヒコノオホキミ   中   156   257

 オホウス・エヒメ長子→三野宇泥湏和気ノ祖

押黒之弟日子王     オシグロノオトヒコノオホキミ  中   156   258

 オホウス・オトヒメ長子→牟宣都君等ノ祖

弟橘比売命       オトタチバナヒメノミコト   中   163   264

 ヤマトタケル后-走水ノ海ヘ荒海鎮メ祓イノ為入水

意富多牟和気      オホタムワケ       中   172   269

 近ツ淡海安国造ノ祖-フタヂヒメ(ヤマトタケル妃)ノ父

大吉備建比売      オホキビタケヒメ     中   172   273

 ミスキトモミミタケヒコ妹-ヤマトタケル妃 タケカヒコノ母

息長田別王       オキナガタワケノオオキミ   中   172   277

 ヤマトタケル・妻(名不詳-息長一族か)長子

息長真若中比売       オキナガノマワカナカツヒメ 中   172   280

 クヒマタナガヒコ(オキナガタワケ子)ノ次女ーオウジンテンノウ妃

弟比売           オトヒメ      中   172   281

 クヒマタナガヒコ(オキナガタワケ子)ノ三女

大名方王          オホナガタノオオキミ   中   173   287

 オホエノオオキミ(ケイコウテンノウ皇子)・シロガネノオホキミ長子

大中比売命         オホナカツイメノミコト   中   173   288

 オホエノオオキミ(ケイコウテンノウ皇子)・シロガネノオオキミ長女-チュウアイテンノウ妃 (大中津)

忍熊王           オシクマノオホキミ    中   173   290

 チュウアイテンノウ・オオナカツヒメ次男→神功皇后・応神天皇ヘ反逆謀反

弟財郎女          オトタカラノイラツメ   中   173   292

 タケオシヤマタリネ娘-セイムテンノウ妃

大鞆和気命         オホトモワケノミコト   中   174   295

 チュウアイテンノウ・ジングウコウゴウ次男→ホムダワケ同 第十五代応神天皇オウジンテンノウ(胎中天王) 軽嶋明アルノシマアキラ宮-奈良橿原市大軽町畝傍山東南 甲午9月9日130歳崩御 御陵:川内恵賀裳伏岡エガノモフシノオカ(大阪羽曳野市誉田コンダ)

弟日売命          オトヒメノミコト    中   183   302

 ホムダマワカ娘三女-オウジンテンノウ妃

大山守命          オホヤマモリノミコト   中   183   306

 オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ次男ー謀反反逆 →土形ヒジカタ君・幣岐ヘキ君・榛原ハリハラ君等の祖

(妹)大原郎女        オホハラノイラツメ    中   184   308

 オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ長女

大雀命           オホサザキノミコト    中   184   311

 オウジンテンノウ・ナカツヒメ長子→第十六代仁徳天皇ニントク 難波高津宮-大阪市東区法円坂町附近丁卯8月15日西暦427年83歳崩御 御陵:毛受耳原(堺市大仙町)最大の前方後円墳

大羽江王          オホハエノオオキミ    中   184   329

 オウジンテンノウ・ナガヒメ長子

忍坂大中比売        オサカノオホナカツヒメ   中   184   335

 オウジンテンノウ・カグロヒメ三女

弟日売真若比売       オトヒメマワカヒメ    中   202   371

 オキナガマワカナカツヒメ妹 モモシキイロベ同

ワカノケフタマタノオオキミ(オウジンテンノウ・オキナガマワカナカツヒメ長子)妻

大郎子           オホイラツコ     中   202   372

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)長子 オホホド同 

→(ケイタイテンノウ曾祖父)三国君・波多君・息長坂君・酒人君・山道君 筑紫米太多ヌタ君・布勢君等ノ祖

意富富杼          オホホト      中   202   373

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)長子 オホイラツコ同 →(ケイタイテンノウ曾祖父)オサカノオホナカツヒメ(インギョウテンノウ妃)の兄 三国君・波多君・息長坂君・酒人君・山道君・筑紫米太多ヌタ君・布勢君等ノ祖

忍坂之大中津比売命     オサカノオホナカツヒメノミコト 中   202   374

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)長女→インギョウテンノウ皇后アンコウ・ユウリャク母

大江伊耶本和気命      オホエノイザホワケノミコト 下   204   384

 ニントクテンノウ・イワノヒメ長子→第十七代履中天皇リチュウ 伊波礼若桜宮ー奈良桜井市池之内

壬申年正月3日64歳崩御 御陵:毛受モズ(大阪堺市石津ケ丘町)

大日下王          オホクサカノオオキミ   下   204   389

 ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘⁻応神朝)長子 ハタビノオホイラツコ同→讒言ニヨリ アンコウテンノウニ殺サル

弟比売           オトヒメ      下   225   415

 ワニノコゴト娘ツブライラツメノ妹→ハンゼイテンノウ妃

忍坂之大中津比売      オサカノオホナカツヒメ   下   225   418

 オホホドノオオキミ(オウジンテンノウ孫)妹-インギョウテンノウ妃

大長谷命          オホハツセノミコト    下   225   426

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ五男→第二十一代雄略天皇ユウリャク 長谷ハツセ朝倉宮-奈良桜井市初瀬 己巳年8月9日124歳崩御 御陵:河内多治比高鸇タカワシ(大阪羽曳野市島泉

大前小前宿禰        オホマヘヲマヘスクネ   下   228   430

 物部氏首長大臣→軽太子・穴穂命戦-軽太子を助けるも後に敗れて引き渡す モノノベノオオマエノスクネ

意祁王           オケノミコ      下   239   441

 イチノヘオシハノオオキミ長子→ユウリャクテンノウを避け身を隠す後の第二十四代仁賢天皇ニンケン 石上広高宮-奈良天理市田辺 書記在位11年 御陵:埴生坂本(大阪藤井寺市青山)

忍海郎女          オシヌミノイラツメ    下   255   459

 リチュウテンノウ・クロヒメ長女→ユウリャクテンノウ崩御後政為すか アヲミノイラツメ・イヒトヨノイラツメ・イヒトヨノオホキミ同

大魚            オフヲ       下   256   464

 菟田(宇陀)首ノ娘ーヲケノミコ(後のケンソウテンノウ)求婚

置目之老媼         オキメノオミナ     下   260   469

 アフミノオミナ同 ケンソウテンノウ功を賞でて宮殿に召す

大郎子           オホイラツコ     下   264   483

 ケイタイテンノウ・ワカヒメ長子

凡連            オホシノムラジ    下   264   485

 豪族尾張連等の祖 メノコノイラツメ(ケイタイテンノウ妃)兄

息長真手王         オキナガマテノオホキミ  下   265   490

 息長氏一族首長か マクミノイラツメ(ケイタイテンノウ妃)ヒロヒメ(ビタツテンオウ妃)親

大郎女           オホイラツメ     下   265   506

 ケイタイテンノウ・ヤマトヒメ長女

大伴金村          オホトモノカナムラ    下   266   516

 大伴氏連ー磐井イワイの乱鎮圧将軍

大宅王           オホヤケノオホキミ    下   267   540

 キンメイテンノウ・キタシヒメ四男

大伴王           オホトモノオホキミ    下   267   543

 キンメイテンノウ・キタシヒメ三女

忍坂日子人太子       オサカノヒコヒトノヒツギミコ 下   269   573

 ビタツテンノウ・ヒロヒメミコト長子マロコノオホキミ同-第34代舒明天皇ジョメイ父

老女子郎女         オミナコノイラツメ    下   269   578

 カスガノナカツワクゴ娘ービタツテンノウ妃

大㑨王           オホマタノオホキミ    下   269   582

 ビタツテンノウ・オミナコイラツメ四男

意富芸多志比売       オホギタシヒメ    下   270   592

 ソガノイナメノスクネ娘ーヨウメイテンノウ妃

大雀皇帝          オオサザキノミカド   序   25    11

 第十六代天皇-仁徳天皇

太朝臣安萬侶        オホノアソンヤスマロ   序   25    12

 正五位上勲五等古事記編纂太朝臣安萬侶 古事記編輯奏上

弟宇迦斯          オトウカシ      中   114   25

 宇陀豪族兄弟 神武軍帰順 水取等祖

大久米命          オホクメノミコト    中   115   27

 神武東征軍将軍 久米直ノ祖

弟師木           オトシキ      中   118   31

 大和豪族兄弟 神武敵対軍

大倭日子鉏友命       オオヤマトヒコスキトモノミコト 中   125   52

 アクトヒメ・アンネイ二子→第四代懿徳天皇イトク 軽ノ境岡宮(橿原市大軽附近)崩御45歳御陵:畝傍山真名子谷(橿原市西池尻附近)

意富夜麻登久邇阿礼比売命  オホヤマトクニアレヒメノミコト 中   125   57

 ワチツミノミコト長女 ハエイロロネ同

奧津余曾          オキツヨソ      中   126   63

 尾張連ノ祖・ヨソタホビメ兄

大倭帯日子国押人命 オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト  中   126   66

 コウショウテンノウ・ヨソタホビメ次男→第六代孝安天皇コウアン 葛城室秋津嶋宮-御所市室ノ宮山東麓 123歳崩御 御陵:玉手ノ岡ノ上(御所市玉手)

忍鹿比売命         オシカヒメノミコト    中   126   67

 コウショウテンノウ妃・ アメノオシタラシヒコ娘・コウショウテンノウ姪

大吉備諸進命        オホキビモロススミノミコト 中   126   68

 コウアンテンノウ・オシカヒメ長子

大倭根子日子賦斗邇命    オホヤマトネコヒコフトニノミコト 中   126   69

 コウアンテンノウ・オシカヒメ次男→第七代孝霊天皇コウレイ黒田廬戸イホト宮-奈良磯城郡田原本町黒田 106歳崩御 御陵:片岡馬坂ノ上(奈良北葛城郡王寺町)

大目            オホメ       中   127   70

 クハシヒメ親 十市(桜井市・磯城郡一帯)県主の祖

大倭根子日子国玖琉命   オホヤマトネコヒコクニクルノミコト  中   127   72

 コウレイテンノウ・クワシヒメ長子→第八代孝元天皇コウゲン軽ノ境原宮-橿原市大軽町附近 57歳崩御 御陵:釼池ノ中ノ岡ノ上(橿原市石川町剣池上の地)

意富夜麻登玖邇阿礼比売   オホヤマトクニアレヒメ   中   127   75

 アンネイテンノウ曾孫→別名ハエイロネ・コウレイテンノウ妃

大吉備津彦命        オホキビツヒコノミコト   中   127   79

 コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ次男→吉備上ツ道臣ニ祖 紀:崇神記四道将軍吉備地方-吉備津神社祭神

大毘古命          オホビコノミコト    中   128   86

 コウゲンテンノウ・ウツシコメ長子 紀:崇神記四道将軍高志(北陸)地方

意富那毘(田+比)      オホナビ      中   129   96

 葛城豪族主 尾張連等の祖 タカチナビメノ兄

意祁都比売         オケツヒメ      中   130   117

 ヒコクニオケツ妹-カイカテンノウ妃

大箇木垂根王        オホツツキタリネノミコ   中   130   122

 ヒコユムスミノミオオキミ(カイカッテンノウ子)長子ーカイカテンノウ孫 娘カグヤヒメ(スイニン妃)

大㑨王           オホマタノキミ     中   131   126

 ヒコイマスオオキミ・エナツヒメ長子

息長水依比売        オキナガノミヅヨリヒメ  中   131   137

 アメノミカゲノカミノウムメ 御上神社巫女-ヒコイマスオオキミ妻

カ行 

神倭天皇          カムヤマトスメラミコト   序   18    2

  初代天皇神武天皇神倭伊濤禮毘古天皇

神倭伊波礼毘古       カムヤマトイハレビコノミコ  序   25    9

 初代天皇-神武天皇

神倭伊濤禮毘古命      カムヤマトイワレビコノミコト 中   108   14

 カヤフキアエズミコト・タマヨリヒメ四男→初代天皇神武天皇ジンム畝傍白檮原ウネビノカシハラ宮(奈良橿原市)137歳崩御 御陵:畝傍山北ノ方白檮ノ尾上(奈良橿原畝傍町)

神八井耳命         カムヤイミミノミコト    中   122   44

 ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの次男→意富オホ臣・小子部チイサコベ連・坂合部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫三家サンケ連・雀部サザキベ臣・雀部造・小長谷造・都祁ツケ直・伊予國造・科野國造・道奧國造・常陸國造・長狭ナガサ國造・伊勢舟木直・尾張丹波臣・嶋田臣等の祖

神沼河命耳         カムヌナカワミミノミコト   中   122   45

 ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの三男カムヌナカワ同 第二代綏靖天皇スイゼイ 葛城高岡宮(奈良御所ゴゼ市森脇)崩御45歳 御陵:衝田ツキタ岡(橿原市四条町田井坪)

河㑨毘売          カワマタビメ     中   124   47

 スイゼイ妃 師木県主祖

河内青玉          カワチノアオダマ    中   128   91

 河内地方豪族 ハニヤスビメ親

葛木長江曾都毘古      カツラギノナガエノソツビコ 中   129   109

 タケノウチスクネ六男 ニントクテンノウ大后イハノヒメノ親 玉手臣・的イクハ臣・生江イクエ臣 

阿芸那アギナ臣等の祖

葛木垂水宿禰        カツラギノタルミノスクネ  中   130   119

 葛木氏豪族 ワシヒメ親

刈幡戸弁          カリハタトベ     中   131   125

 ヤマシロノエナヤマシロノエナツヒメ同 ヒコイマスオオキミ(カイカテンノウ・オケツヒメ長子)妻

神大根王          カムオホネノミコ     中   131   140

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ三男ヤツリノイリヒコ同→三野國本巣ノ国ノ造‣長幡部ノ連ノ祖

河上摩湏郎女        カワカミノマスノイラツメ   中   132   150

 丹波氏一族の女→ミチノウシノオオキミ(ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ長子)妻

迦邇米雷王         カニメイカヅチノオホキミ  中   132   156

 オホツツキマワカオホキミ・アヂサハビメ長子

葛木高額比売        カツラギノタカヌカヒメ   中   133   160

 タジマヒタカ(→タジマモリノ子)・ユラドミ長女(アメノヒボコ系譜)→オキナガノスクネノオオキミ妻-オキナガタラシヒメ(神功皇后)母

河俣稲依毘売        カワマタノイナヨリビメ   中   133   164

 河俣-河内国若江郡(現東大阪川㑨)豪族一族-オキナガスクネ妻

迦具夜比売         カグヤヒメ      中   141   204

 オホツツキタリネノミコ(カイカテンノウ孫)娘→スイニンテンノウ妃

刈羽田刀弁         カリハタトベ     中   141   207

 ヤマシリオオクニフチ娘-スイニンテンノウ妃

神櫛命           カムクシノミコト     中   154   231

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ五男→木ノ国酒部ノ阿比古・宇陀ノ酒部ノ祖

香余理比売         カゴヨリヒメ     中   154   240

 ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

訶具漏比売         カグロヒメ      中   155   252

 スメイロノオオナカツヒコ娘(ヤマトタケル玄孫誤伝か)-ケイコウテンノウ妃(-系譜誤伝?)

迦具漏比売         カグロヒメ      中   173   285

 スメイロノオオナカツヒコ・シバノヒメ娘(ヤマトタケル曾孫)-ケイコウテンノウ妃→系譜誤伝か?訶具漏

香坂王           カゴサカノオホキミ    中   173   289

 チュウアイテンノウ・オオナカツヒメ長子→神功皇后・応神天皇へ反逆謀反

迦具漏比売         カグロヒメ      中   184   332

 ヤマトタケル系譜曾孫記載有り誤伝OR別人?-オウジンテンノウ妃 訶具漏比売

川原田郎女         カハラダノイラツメ    中   184   333

 オウジンテンノウ・カグロヒメ長女

迦多遅王          カタヂノオホキミ    中   185   337

 オウジンテンノウ・カグロヒメ長子

葛城之野之伊呂売     カツラギノノノイロメ    中   185   338

 葛城豪族一族か-オウジンテンノウ妃

髪長比売         カミナガヒメ      中   189   342

 ウシモロ娘ー太子オオサザキ=オウジンテンノウに召されニントクテンノウ妃となる

執檝者          カジトリ       中   194   352

 オオヤマモリノミコト叛乱の時 ウヂノワキイラツコ変装

甲斐郎女         カヒノイラツメ      下   225   413

 ハンゼイテンノウ・ツノノイラツメ長女

軽大郎女         カルノオホイラツメ     下   225   423

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ次女ソトホリノイラツメ・カルノオトメ同→兄カルノミコ悲恋-後追い自殺

軽之嬢子         カルノオトメ       下   229   432

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ次女ソトホリノイラツメ・カルノオホイラツメ同→兄カルノミコ悲恋-後追い自殺

葛城円大臣        カツラギノツブラノオホオミ  下   235   437

 タケノウチスクネ曾孫豪族葛城氏皇室外戚 ツブラオホミ同 (書記:雄略紀元年条)-アンコウテンノウ刺殺のマヨワオオキミが逃込む :ユウリャクテンノウ攻めるによりマヨワオオキミと共に死す

訶良比売         カラヒメ        下   236   439

 ツブラオホミ娘-ユウリャクテンノウ妃 セイネイテンノウノ母 韓比売

韓袋           カラブクロ       下   237   440

 淡海( 近江)佐々紀ノ山の君ノ祖→帰化人か子孫は陵墓守役

白檮童女         カシハラヲトメ      下   244   451

 元来三輪の社の樫原乙女(巫女) 茲ではヒキタベノアカイコの事(ユウリャクテンオウ条)

葛城一言主        カツラギノヒトコトヌシ    下   248   453

 葛城山ノ言離ノ神-葛城坐一言主神社(神名)

春日袁杼比売       カスガノオドヒメ     下   253   457

 ヲドヒメ(ワニノサツキ娘-ユウリャクテンノウ妃)同

春日大郎女        カズガノオホイラツメ    下   263   471

 ユウリャクテンノウ娘-ニンケンテンノウ妃

春日山田郎女       カスガノヤマダノイラツメ   下   264   480

 ニンケンテンノウ・ヌカノワクゴ長女

神前郎女         カムサキノイラツメ     下   265   495

 ケイタイテンオウ・クロヒメ長女

川内若子比売       カワチノワクゴヒメ     下   267   521

 大坂河内地方豪族一族か

笠縫王          カサヌヒノオホキミ     下   267   526

 キンメイテンノウ・イシヒメ三男

上王           カミノオホキミ      下   267   527

 キンメイテンノウ・ヲイシヒメ(センゲ娘イシヒメ妹)長子

春日日爪臣        カスガノヒツマノオミ    下   267   528

 日地方-現奈良豪族首長か ヌカゴノイラツメ(キンメイテンノウ妃)親

春日山田郎女       カスガノヤマダノイラツメ   下   267   530

 キンメイテンノウ・ヌカゴノイラツメ長女

葛城王          カツラギノオホキミ     下   268   550

 キンメイテンノウ・オエヒメ(ソガノイナメ妹・キタシヒメ姨)次男

貝蛸王          カヒタコノオホキ      下   268   556

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ長女ーショウトクタイシ妃 シヅカヒノオホキミ・ウヂノカヒタコノヒメミコ・ウヂノシヅカヒ同

葛城王          カツラギノオホキミ         下   268   562

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)三男

春日中若子        カスガノナカツワクゴ    下   269   577

 春日地方豪族か オミナコノイラツメ(ビタツテンノウ妃)親

春日王          カスガノオホキミ     下   269   581

 ビタツテンノウ・オミナコイラツメ三男 

笠縫王          カサヌヒノオホキミ     下   269   591

 ヒコヒトヒツギノミコ・サクライノユミハリオホキミ次子

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「宇宙根源の力は萬物を存在せしめそれら.が生成発展する源泉となるものでその力は自然の理法として我々お互いの体内にも脈々として働き一木一草の中までも生き生きと溢れている。」―運を開く言葉よりー

【六月の言葉】

*二日 主座を保つ

指導者と云うものはどんな時でも、自分自らこの様にしよう・こうしたいと云うものは持っていなくてはならない。そういうものを持った上で他人の意見を参考として取り入れる事が大事なのであって、自分の考えを持たずして只他人の意見に随うと云うだけなら、指導者としての意味はなくなってしまう。要は指導者としての主体性というか主座と云うものを確り持たなくてはいけないという事である。主座を保ちつつ他人の意見を聞きある種の権威を活用していく。そういう指導者であって初めてそれらを真に活かす事が出来るのだと思う。

*三日 自然に学ぶ

自然の営みには私心も無ければ捉われもないと思います。言ってみれば文字通り素直に物事が運び素直な形で一切が推移していると思うのです。一輪の草花にしても私心無く自然に花を咲かせているのです。そういった花の姿を見て勿論何も感じない人もいるでしょう。併し素直な心になりたいという強い願いを持っている人の場合には或は其処に何らかのヒントを見出すかもしれません。そういうことを考えてみるとお互いが素直な心を養っていく爲の一つの実践として大自然の営み自然の姿と云うものに触れてその素直さに学んでいくという事も大切だと思います。

*五日 商道徳とは

商道徳とは何かという事については難しい理屈もあるかもしれませんが極通俗的に考えれば、商売人としての心構えとでもいうべきものであろう。其れは昔も今も同じであり永遠に変わらないものの様な気がする。つまり商売人には商売人としての使命がある。だからその使命に誠実に従い只管此れを果たして行くという事である。私がやってきた電気屋であれば人々の役に立つものを開発する。しかも合理化を図り適正な利益を取りつつも尚安くなるよう努める。又配給も出来るだけ無駄をなくす。其れが商道徳と云うものでそれは他のどんな商売にも言えるのではないかと思う。

*六日 何事も結構

私は運命と云うものは不思議なものだと思います。人は皆夫々志を立てるのですが中々思い通りに行かないし実現しにくい。希望とは逆の道が自分にぴったり合って成功する場合もあるのです。だから私は余り一つの事をくよくよ気にしない方がいいのではないかと思います。世の中で自分が判っているのは一%程で後は暗中模索。始めから何もわからないと思えば気も楽でしょう。兎に角人間には様々な姿があっていいと思うのです。恵まれた生活も結構だし恵まれない暮らしも結構と云う気持ちが大切だと思います。

*八日 富の本質

時代によってと身に着いての考え方も変わってきます。これ迄は単に蓄積された物がと富と考えてきましたが経済の進歩した今日では。その物を生産し得る能力生産力こそが真の富とも考えられます。それでは生産力だけを増やせばいいかと云うと決してそうではありません。生産は必ず消費に相応じなければなりません。幾ら生産してもそれが消費されなければ何の値打ちも持ちません。即ち消費力があればこそ生産力があるのです。従って生産力と消費力のバランスをとりつつ増大させて行く事が富の増大で有り、繁栄の道も其処から生まれてくると云えるのではないでしょうか。

*九日 苦労を希望に還る

仕事のコツを体得するということは決して楽な業ではないと思います。相当精魂を込めてやらなければならないと思うのです。其れは矢張り一つの苦労だと考えられます。然し苦労であっても其れを遣らなければ一人前に成れないのだという事を青少年の間から、常に先輩に聞かされていますと其れは苦痛ではなくなってくるのです。其れは希望に変わるのです。ですからそのコツを体得する事に対して精魂を傾けるという事が出来てくると思います。その様に色々難しい問題にも心を励まして取り組んでいく処に自己の完成と云うか自己の鍛えがあると私は思います。

*十一日 小田原評定では

多くの会社では決起大会をやり反省すべき点や今後の目標を確認し合います。然しそれも斯うしなければならないという事がわかったと云うだけではいけない。実行が無ければいけません。実行が出来ない限りは百の決起大会を行っても其れは費用を使うだけ時間を使うだけに終わって仕舞います。昔の話に小田原評定という事があります。大群が攻めてくるという事に対して小田原城の人は評定に明け表情の暮れて遂に負けてしまったと云う話です。其れではいけない。評定は一回でよい後は実行だ。そうしてこそ初めて成果が挙げられるのです。一にも実行に二も実行です。

*十三日 寛厳宜しきを得る

指導者は所謂寛厳宜しきを得る事が出来る様心掛ける事が大事だと思う。優しいばかりでは人々は安易に成り成長しない。厳しさ一方でも畏縮してしまい伸び伸びと自主性を持ってやると云う姿が生まれてこない。だから寛厳宜しきを得る事が大切な訳であるが只これは厳しさと寛容さを半々に表すと云う事ではない。厳しさと云うものは為るべく少ない方がいい。二十%の厳しさと八十%の寛容さを持つとか更には十%は厳しいが後の九十%は緩やかである然しそれで十分人が使えると云う様な事が一番望ましいのではないだろうか。

*十五日 批判は後でよい

賢い人は伴すれば批判が先に立って目前の仕事に没入しきれない事が多い。此の為折角優れた頭脳と知恵を持ちながら批判ばかりして結局は簡単な仕事も満足に出来ない事がある。処が逆に人が見れば詰らないと思われるような仕事にもバカの一つ覚えと云われるぐらいに全身全霊を打ち込む人がいる。此の姿は全く尊く見ていても頭が下がる。仕事に成功するかしないかは第二の事、要は没入する事である。批判は後でよい。兎に角一心不乱に成る事だ。斯うした努力は必ず実を結ぶと思う。其処からものが生まれずして一体どこから生まれよう。

*十六日常識を破る

私達を取り囲んでいる常識と云うものは想像を遥かに越す根強さを持っています。併し私達はその常識を尊ぶと共に時には常識から自分を解放する事が必要だと思います。そして其の為にはやはり強い熱意が要請されます。熱意の滾って居る処、人は必ず新しい道を開きます。常識では考えられない事を遣ってのけ運命を切り開き新しい発明発見をします。常識を破るのです。常識は大事でありやぶるが為に常識外れた事をするのは、世の中を乱し周囲に迷惑を及ぼすだけです。そうではなくて熱意の発する処には次々と新しい着想が生まれ必然的に常識が破られていくのです

*十九日 美と醜

私の自宅の近くに水のきれいな池がある。水面に周囲の樹々の姿を映し誠に風情がある。処がこの池が一頃雨が降らなくて底の大半を露出してしまう迄になった。移すべき何物も無く醜い底を露呈するばかりである。美の半面には醜があるーそんな思いである。お互い人間も是と同じ事ではなかろうか。美と醜とが相表裏している処に人間の真実がある。とすれば美の面の巳に捉われてその反面の醜を責めるに急なのは人間の真実と云うものを知らないものである。温かい寛容の心を持って接し合う事がお互いに明るく暮らす為の一番大事な事ではなかろうか。

*二十日 言うべき事を言う

部下を持つ人は自分一人だけの職務を全うすればいいのではなく、部下とともに仕事の成果全体を高めていかなくてはなりません。其の為には矢張り部下に対して誠意を持っていうべきことを言い導くべきことは導いていくことが大切です。注意すべき時に注意したら文句を言ってうるさいからと云う様な事を考えて云わずに放っておくと云う様な事ではいけません。部下が為すべき事は矢張り毅然として要求し、そしてそれを推進していくと云う事に対しては断固としてやらなければならない。そういうことをしない上司は部下は却って頼りなさを感じるものです。

*二二日 知識はあっても

先般あるお店で金庫の扉がガス溶接機で焼き切られて中から金を盗まれたと云う事件がありました。ガス溶接の知識を利用して扉を溶かした訳です。そういう泥棒がいるのです。都筑は幾ら持っていても人間の心即ち良心が養われなければ、そういう悪い方面に心が働き知識は却って仇を為すと云う様な感じがします。今日新しい知識が無ければ生活に事欠くと云う位知識は大事なものです。其れだけに知識に相応しい人間人心と云うものを育てる事が非常に必要な事ではないかと思うのです。

*二四日 歴史の見方

私は最近お互いの歴史に対する態度の中に何か人間の醜さとかそういった裏の面を強調し過ぎる面があるのではないかと云う事が気に為っている。今日の姿を作っているのは歴史である。そして今後の歴史と云うものは我々が祖先が営々と努力を積み重ね前進してきた姿なり、子孫に残した遺産なりをどの様に受け取り生かすかによって変わってくるのである。そういう意味から歴史の長所短所其の儘を認識しいい面はどんどん伸ばしていかなくてはならない。興味本位にこれを扱うことなくもっと美しい面も同時に見るようにしたいと思うのである。

*二六日 冷静な態度

人間と云うものは誰しも困難に直面すると恐れたり動揺したりするものである。指導者としても人間だから時に不安を感じ思案に余るのは当然であろう。併し内心で感じても其れを軽々に態度に出してはいけない。指導者の態度に人は敏感なものである。其れはすぐ全員に伝わり全体の士気を低下させる事に為ってしまう。だから指導者たるものは日頃から事に当たって冷静さを失わない様自ら心を鍛えなければならない。そしてどんな難局に直面した場合でも落ち着いた態度で、それに対処するよう心掛ける事が究めて大切だと思うのである。

*二八日 身も心もそして財産も

人間将来の事は判らないけれども少なくとも今現在の貴方は入社した動機はどうであるにせよ、一応生涯をこの会社に託そうと決心して身も心も会社に打ち込んでいると思う。そこで更に一歩進んで自分の財産迄も打ち込めないものかどうか。例えば極端に言うと全財産を叩いて貴方の会社の株に換える様な心構えとしては会社と心中する位の気持ちであって欲しいと思うのである。そういう心構えで有れば必ずや仕事の成果と云うものは非常に上がるであろうし又そういう姿は会社からも高く評価されると思うのである。

*二九日 諫言を聞く

指導者が物事を進めていくに当って皆から色々な意見や情報を聞くのは当然の姿である。そしてその場合大事なのは自分にとって都合のいい事よりも寧ろ悪い事を多く聞く事である。つまり賞賛の言葉順調に進んでいる事柄についての情報よりも、ここはこうしなくてはいけないと云った諫言なり悪い点を指摘する情報を努めて聞くようにしなければならない。処がそうした情報は中々指導者の耳に入ってきにくいものだ。だから指導者は出来るだけそうした諫言なり悪い情報を求め皆が其れを伝え易い様な雰囲気を創る事が大切なのである。

古事記人名索引 (Ⅰ)

=あいうえお順=

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は 名前 読み方 巻 ページ 登場順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人として特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。尚、神名は参考にしている新潮社古典文学54年版「古事記」の末尾附録として掲載されてます。ご興味ある方は、そちらもご覧ください。

因みに 岩波古典文学大系「古事記」の付録は、今に伝わる祝詞のすべてが、また小学館版の「古事記」には上代歌謡のすべてが収録されています。

ア行

阿多小椅君      アタノオバシノキミ     中   119   35

鹿児島阿多地方豪族首長 アヒラヒメノ兄

阿比良比売      アヒラヒメ        中   119   36

アタノキミノ妹ジンムテンノウの妃 タギシミミ・キスミミノ母

県主波延       アガタヌシハエ      中   125   49

カワマタビメ兄 アクトヒメ(アンネイテンノウ妃)親

阿久斗比売      アクトヒメ        中   125   50

アガタヌシハエ娘・アンネイ妃

天押帯日子命     アメオシタラシヒコノミコト   中   126   65

コウショウテンノウ・ヨソタホビメ長子→春日臣・粟田臣・小野臣・柿本臣・壱比韋臣イチヒイ・大坂臣・阿那臣・多紀臣・羽栗臣・知多臣・牟耶ムギ臣・都怒山ツノヤマ臣・伊勢飯高臣・壱師臣・近ツ淡海國未造ノ祖

曙立王        アケタツノオホキミ     中   132   148

オホマタノオオキミ・エナツヒメ長子→伊勢品遅部君・伊勢佐那造ノ祖  スイニン朝ホムチワケ出雲大神詣副派遣 ヤマトハシキノトミノトヨアサクラノアケタツノオオキミ同

阿治佐波毘売(丹波)  アヂサハビメ      中   132   155

 イリネノオオキミ娘-オホツツキマワカノオオキミ妻 

荒河刀弁       アラカハトベ      中   133       166

 木ノ国造 トホツアユメマグハシヒメ(スジンテンノウ妃)親

阿耶美能伊理毘売   アザミノイリビメ     中   141   201

 ヤマトタケル・ククマモリヒメ長子→鎌倉別・小津石代別・漁田イザリタ別の祖

阿耶美都比売命    アザミツヒメノミコト    中   141   203

スイニンテンノウ・アザミノイリビメ長女→イナセビコノオオキミ妻

足鏡別王        アシカガミワケノオオキミ   中   172   276

ヤマトタケル・ククマモリヒメ長子→鎌倉別・小津石代別・漁田イザリタ別の祖

淡海柴入杵       アウミノシバノイリキ    中   173   283

 オウジンテンノウ・オトヒメ長女

阿倍郎女        アヘノイラツメ      中   184   313

 オウジンテンノウ・オトヒメ長女

阿貝知能三腹郎女    アハチノミハラノイラツメ    中   184   314

 オウジンテンノウ・オトヒメ次女

阿知吉師        アチシキ        中   192   345

百済照古王ノ命により応神朝来朝-横刀(七枝刀か-石上神宮)・大鏡献上→阿直史アチキノフビト等ノ祖

阿知使主        アチノオミ       中   192   350

 漢直祖アヤノアタイノオヤ 応神朝帰化人漢人の統率者 (百済)

天之日矛        アメノヒボコ      中   197   354

 新羅国皇子-来朝伝承→スイニン朝タジマモリの祖

阿加流比売神      アカルヒメノカミ      中   199   355

 アメノヒボコ妻新羅より逃れて来朝難波比売碁曾神社祭神

秋山之下氷壮夫     アキヤマノシタヒヲトコ    中   200   368

 秋山の擬人化→妻問伝承(古伝承集約化か)→大国主八上比売神話類型

ウミサチヤマサチ神話類型

葦田宿禰        アシダノスクネ      下   219   401

 カツラギノソツヒコ(タケノウチスクメ六男)ノ子→クロヒメ(リチュウテンノウ妃)ノ父

青海郎女        アヲミノイラツメ      下   219   405

 リチュウテンノウ・クロヒメ長女→ユウリャクテンノウ崩御後政為すか 

イヒトヨノイラツメ・オシヌミノイラツメ・イヒドヨノオホキミ同 -臨朝秉政ミカドマツリゴトシタマヒ(顕宗天皇前紀)意祇王・袁祇王ノ姨オバ

阿知直         アチノアタイ       下   220   407

 倭ノ漢ノ直アタイノ祖(オウジン朝帰化アチノオミ一族)

-スミノエナカツオオキミ謀反時リチュウテンノウ救出-後朝廷出納預かる→蔵ノ官

穴穂命         アナホノミコト      下   225   422

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ三男→第二十代安康天皇アンコウ 石上穴穂宮-奈良天理市田町 56歳崩御 御陵:菅原伏見岡(奈良宝来町古城)

淡海之老媼       アフミノオミナ      下   259   468

 淡海(近江)国の住人ーケンソウテンノウへ父オシハワケの遺骨の在処を教える功ニヨリ オキメノオミナの名を賜

天国押波流岐広庭命   アマクニオシハルキヒロニハノミコト 下   265   489

 ケイタイテンノウ・タシラカミコト(ニンケンテンノウ女)長子-第二十九代欽明天皇キンメイ 師木島宮-奈良桜井市金屋初瀬川付近 書記:在位32年?御陵:檜隈坂合(奈良明日香村)

赤比売郎女       アカヒメノイラツメ     下   206   509

 ケイタイテンノウ・ヤマトヒメ次女

阿倍波延比売      アヘノハエヒメ      下   265   510

 地方豪族首長娘かまたは一族巫女か

阿都王         アツノオホキミ       下   265   513

 ケイコウテンノウ・アヘノハエヒメ三女 

足取王         アトリノオホキミ      下   267   537

 キンメイテンノウ・キタシヒメ次男

漢王          アヤノオホキミ      下   269   586

 帰化人氏族首長か オホマタノオホキミ(ホコヒトヒツギノミコ妃)兄

イ行

稲幡之八上比売     イナバノヤカミヒメ     上   58    13

 因幡巫女 大国主妻  木俣神(御井之神)親

五瀬命         イツセノミコト       中   108   15

 神武天皇異母兄 東征の折トミビコの矢を受て戦死

井氷鹿         イヒカ         中   113   22

 神武東征援 土人吉野首ノ祖(神名)

石押分之子       イワオシワク       中   114   23  

 神武東征援 吉野豪族生尾族 吉野ノ國巣ノ祖(神名)

飯日比売命       イヒヒヒメノミコト      中   125   60

 シキノアガタヌシの祖  フトマワカヒメノミコト同 イトクテンノウ妃

伊迦賀色許売命     イカガシコメノミコト     中   128   89

 ウツシコヲ娘-コウゲンテンノウ妃・カイカテンノウ庶母後カイカテンノウ妃

伊理泥王        イリネノキミ(オオキミ)    中   131   147

 ヒコイマスオオキミ・ヲケツヒメ三男 アヂサハビメ(オホツツキノマワカ妻)ノ母

伊玖米入日子伊沙知命  イクメイリヒコイサチノミコト   中   133   178

 スジンテンノウ・ミマツヒメ長子→第十一代垂仁天皇スイニン 師木玉垣宮-奈良桜井市穴師 

153歳崩御 御陵:菅原御立野ミタタシノ中(奈良市尼辻附近)

伊耶能真若命      イザノマワカノミコト    中   134   177

 スジンテンノウ・ミマツヒメ次男

伊賀比売命       イガヒメノミコト      中   134   180

 スジンテンノウ・ミマツヒメ三女

活玉依毘売       イクタマヨリビメ     中   135   184

 スエツミミ娘(茅淳県陶邑チヌノアガタスエムラ―現大阪堺市ノ豪族か)大物主大神妻

飯肩巣見命       イヒカタスミノミコト     中   135   186

 クシカタノミコト子-オオモノヌシ系

伊迦賀色許男命     イカガシコヲノミコト     中   135   188

 スジンテンノウ命により大神神社神事準備

印色之入日子命     イニシキノイリヒコノミコト    中   141   193

 スイニンテンノウ・ヒバスヒメ長子→灌漑事業・横刀壱千口石上神社奉納 河上部制定

伊賀帯日子命      イガタラシヒコノミコト    中   141   200

 スイニンテンノウ・ヌバタノイリビメ次男

伊許婆夜和気命     イコバヤワケノミコト     中   141   202

 スイニンテンノウ・アザミノイリビメ長子→沙本ノ穴太部アナホベ別ノ祖

五十日帯日子王     イカタラシヒコノオオキミ    中   141   209

 スイニンテンノウ・カリハタトベ次男→春日ノ山君・高志ノ池君・春日部君ノ祖

伊登志別王       イトシワケノオホキミ     中   141   210

 スイニンテンノウ・カリハタトベ三男→伊登志部-部曲カキベ制定

石衝別王        イハツクワケノオホキミ     中   141   212

 オスイニンテンノウ・オトカリハタトベ長子→羽咋君・三尾君ノ祖

石衝毘売        イハツクビメ       中   141   213

 オスイニンテンノウ・オトカリハタトベ長女→倭建命妃

稲瀬毘古王       イナセビコノオオキミ     中   142   215

 スイニンテンノウ娘アザミツヒメノ夫

五百木入日子命     イホキノイリヒコノミコト    中   154   234

 ケイコウテンノウ・ヤサカノイリヒメ次男(太子) シリツキトメ妻☞ホムダノマワカノ親 中日売(オウジンテンノウ皇后・仁徳天皇生母)祖父

五百木入日売命     イホキイリヒメノミコト     中   154   236

 ケイコウテンノウ・ヤサカノイリヒメ長女

伊那毘能若郎女     イナビノワカイラツメ     中   155   247

 イナビノオオイラツメ(ワカタケキビツヒコ娘・ケイコウテンノウ妃)妹-ケイコウテンノウ妃

磐鹿六雁※       イワカムツカリ       中   157   259

 ※膳臣ノ祖―ケイコウテンノウ朝白蛤ウムギ献上→膳ノ大伴部―宮廷料理部族、後の高橋氏一族

出雲建         イヅモタケル       中   160   261

 雲国豪族勇者→ヤマトタケルノ智謀ニヨリ征伐サル

稲依別王        イナヨリワケノオホキミ     中   172   271

 ヤマトタケル・フタジヒメ長子→犬上君・建部君等の祖

飯野真黒比売命     イヒノノマグロヒメノミコト   中   172   279

 クヒマタナガヒコ(オキナガタワケ子)ノ長女-ワカタケル妻  

伊佐比宿禰       イサヒノスクネ       中   179   297

 難波吉師部キシベ臣の祖-反逆軍忍坂王軍の将

伊奢之真若命      イザノマワカノミコト     中   183   307

 オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ三男

糸井比売        イトイヒメ        中   184   326

 シマタリネ娘-オウジンテンノウ妃

伊奢能麻和迦王     イザノマワカノオホキミ    中   185   339

 オウジンテンノウ・カツラギノノノイロメ長子

伊豆志袁登売      イヅシヲトメ       中   200   367

 アメノヒボコ系譜帰化人かー伊豆志大神娘(巫女)ハルヤマノカスミヲトコノ7妻

伊和島王        イワジマノオホキミ     中   203   381

 ネトリノオオキミ・ミハラノイラツメ次男

石之日売命       イハノヒメノミコト      下   204   383

 カツラギノソツヒコ(タケノウチスクネ六男)娘 →ニントクテンノウ后

市辺忍歯王       イチノヘオシハノオオキミ    下   219   403

 押歯王 リチュウテンノウ・クロヒメ長子-ケンソウ・ニンケンテンノウ父→ユウリャクテンノウにより弑

飯豊郎女        イヒトヨノイラツメ      下   219   406

 リチュウテンノウ・クロヒメ長女→ユウリャクテンノウ崩御後政為すか アヲミノイラツメ・オシヌミノイラツメ・イヒドヨノオホキミ同 -臨朝秉政ミカドマツリゴトシタマヒ(顕宗天皇前紀)意祇王・袁祇王ノ姨オバ

飯豊王         イヒトヨノオホキミ      下   255   460

 リチュウテンノウ・クロヒメ長女→ユウリャクテンノウ崩御後政為すか アヲミノイラツメ・イヒトヨノイラツメ・オシヌミノイラツメ同

石木王         イハキノオホキミ      下   256   466

 不詳 地方豪族か

出雲郎女        イヅモノイラツメ      下   264   484

 ケイタイテンノウ・ワカヒメ長女

石比売命        イシヒメノミコト      下   266   518

 センカ(センゲ)テンノウ・タチバナノナカツヒメ長女→キンメイテンノウ妃

石垌王         イハクマノオホキミ      下   267   536

 キンメイテンノウ・キタシヒメ長女

伊美賀古王       イミガコノオホキミ     下   267   541

 キンメイテンノウ・キタシヒ五男

伊勢大鹿首       イセノオホカノオビト     下   269   567

 伊勢地方豪族首長か ヲグマコノイラツメ(ビタツテンノウ妃)親

飯女之子        イヒメノコ        下   270   599

 タギマノクラノオビトノヒロ娘-ヨウメイテンノウ妃

ウ行

宇佐津比古       ウサツヒコ       中   108   16

 土人クニビト大分宇佐豪族

宇佐津比賣       ウサツヒメ       中   108   17

 土人クニビト大分宇佐豪族

宇麻志麻遅命      ウマシマジノミコト     中   119   34

 ニギハヤヒ・トミビメの子-物部連・穂積臣・婇臣ノ祖

内色許男命       ウツシコヲノミコト     中   128   84

 穂積臣等祖 妹ウチシコメノミコト(コウゲン妃) ウマシマジノミコト末裔物部氏同祖

内色許女命       ウツシコメノミコト     中   128   85

 ウツシコヲ妹-コウゲンテンノウ妻

味師内宿禰       ウマシウチノスクネ     中   129   98

 ヒコフツオシノマコトノミコト・タカチナビメ(オホナビ妹)長子 山代ノ内ノ臣ノ祖

宇豆比古        ウヅヒコ       中   129   99

 木ノ国造ノ祖 妹ヤマシタカゲヒメ(ヒコフツオシノマモトノミコト妻)

菟上王         ウナカミノオホキミ     中   132   149

 オホマタノオオキミ次男→比売陀君野祖 スイニン朝オムチワケ出雲大神詣副派遣

歌凝比売        ウタゴリヒメ      中   152   222

 タニハ(旦波―丹波)ミチノウシオオキミ娘ーホムチワケ育児係実家へ還

宇遅能和紀郎子     ウヂノワキイラツコ     中   184   319

 オウジンテンノウ・ミヤヌシヤガワエヒメ長子(長女)→太子詔勅 オホサザキと皇位を譲り合い早逝する

宇遅之若郎女      ウヂノワカイラツメ     中   184   323

 オウジンテンノウ・ヲナベイラツメ長女 ニントクテンノウ后(庶妹)

菟田首         ウダノオビト      下   256   463

 オフヲ(ヲケノミコ妻)親

馬来田郎女       ウマグタノイラツメ     下   265   497

 ケイタイテンオウ・クロヒメ三女

馬木王         ウマキノオホキミ      下   268   549

 キンメイテンノウ・オエヒメ(ソガノイナメ妹・キタシヒメ長子

菟道貝蛸皇女      ウヂノカヒタコノヒメミコ   下   268   557

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長女ーショウトクタイシ妃

シヅカヒノオホキミ・カヒタコノオホキミ・ウヂノシヅカヒ同

菟道静貝皇女      ウヂノシヅカヒ     下   268   558

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長女ーショウトクタイシ妃  シヅカヒノオホキミ・カヒタコノオホキミ・ウヂノカヒタコノヒメミコ同

宇毛理王        ウモリノオホキミ      下   268   563

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(のちのスイコテンノウ)四男

宇遅王         ウヂノオホキミ      下    269   576

 ビタツテンノウ・ヒロヒメミコト三男

上宮厩戸豊聡耳命  ウエノミヤノウマヤドノトヨトミミノミコト 下   270   594

 ヨウメイテンノウ・ハシヒトアナホベオホキミ長子-スイコテンノウ摂政→聖徳太子ショウトク

個人的に思う事

(少し手を入れてますが再録です)

現在の政治家の皆様、素晴らしい頭の持ち主が揃っているのでしょうが、如何も一般庶民の目から見ると何となく、机上の空論的な施策が多いように感じます。飽く迄、個人の感想ですが・・

岸田元首相をはじめ多くの政治家の皆様が安岡正篤師の著作を勉強していますと堂々と述べていらっしゃいますが、一体何を学ばれたのでしょうか。と、首をかしげたくなるようなところも多々ある様に思います。これも飽く迄個人的な想いですが・・・

今回は、政治・公務を行うにものにとって、忘れてはならない大切な事ではと思う文書を抜き書きしてみました。これも飽く迄個人の見解です・・・

西郷隆盛遺訓

一 廟堂に立ちて大政を爲すは天道を行ふものなれば、些とも私を挾みては濟まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈み、廣く賢人を選擧し、能く其職に任ふる人を擧げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆゑ眞に賢人と認る以上は、直に我が職を讓る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程國家に勳勞有る共、其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸祿を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるゝに付、然らば尚書(○書經)仲之誥(チュウキコウ)に「徳懋(サカ)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相配し、功と賞と相對するは此の義にて候ひしやと請問せしに、翁欣然として、其通りぞと申されき。

山本七平「人間集団における人望の研究」より

祥伝社1991.2.20初版  2015.6.20記

民を貴しとなし社稷は之に次ぎ君を軽しとなす この故に丘民(キュウミン-衆)に得られて天子となる 孟子-尽心章句下 

「天下の事を公にすと雖も若し私意を用いてこれを為さば便ちこれ私なり」      近思録 

人望の条件-九徳     書経  

① 寛にして栗-カンニシテリツ‐寛大だがしまりがある

② 柔にして立‐ジュウニシテリツ‐柔和だが事が処理できる

③ 愿にして恭‐ゲンニシテキョウ‐慎みがあり丁寧

④ 乱にして敬‐ランニシテケイ‐事を治める能力があり敬虔

⑤ 擾にして毅‐ジョウニシテキ‐外柔内剛→易学 地天泰

⑥ 直にして温‐チョクニシテオン‐正直率直で温和

⑦ 簡にして廉‐カンニシテレン‐事に簡易だがしっかりしている

⑧ 剛にして塞‐ゴウニシテソク‐剛健にして裡は充実

⑨ 彊にして義‐キョウニシテギ‐剛勇だが義に正しい

【百朝集―安岡正篤著】 より

七二章 人心の正否

 郡夷(グンイ)競ひ来る。国家の大事とはいへども、深憂(シンユウ)とするに足らず。深憂とすべきは人心の正しからざるなり。苟(イヤシク)も人心だに正しければ、百死以て国を守る。其の間勝敗利鈍(リドン)ありといへども、未だ遽(ニワ)かに国家を失ふに至らず。苟も人心先づ不正ならば、一戦を待たずして国家を挙げて夷に従ふに至るべし。然れば今日最も憂ふべきものは、人心の不正なるに非ずや。    吉田松陰「講孟余話」

{安岡正篤解説文)

本文は「孟子」滕文(トウブン)公章の「我亦正二人心1息二邪説1」云々の箇所を講ぜし所に在る。総じて策士俗人の目のつき易いところは形の上の事である。しかし真の志士先覚者は、其の精神如何をみる。機械兵制は末であり、人心が本である。本立たずして、どうして末の全きものがあろうか。根本たる人心が不正のままにいたならば、如何に法を厳にし、制度を整え、為政者が声を涸らして叱呼(シkッコ)するも、効果の見るべきものはなかろう。おそるべく憂うべきは外敵ではない。ただ我等人々の心の正しからざるこそ深き憂であるのだ。されば松陰も「獄舎問答」中に「今の務むべきものは、民生を厚うし、民心を正しうし民をして生を養ひ死に喪して憾(ウラ)みなく、上を親しみ長に死して背くことなからしめんより先なるは無し。是を務めずして砲と云ひ艦と云ふ。砲艦未だ成らずして、疲弊之に随ひ、民心是に背く。策是れより失なるは無し」と云う所以である。再軍備論者もこれに注意せねばならぬ。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「運に対して一定の信念を持っていなければならない、それが自分に対する自信に繋がっていく。運は創るというか育てていくもの。運というものは人間にとって大変必要なものですよ。謂わば自己形成の大きな原料です。」―運を開く言葉よりー

【五月の言葉】

*二日 カメの歩みの如く

亀の歩みと云うのは一見鈍間の様だが私は結局はこの焦らず騒がず自分のペースで着実に歩むと云うのが一番良いのではないかと思う。手堅く歩むから力が培養されてゆく。逆にパッとやればどうしても手堅さに欠けるから欠陥も出てくる後で後戻りをしなければならない事も起こってくる。兎の駆け足では息が切れる。と云って速足でもまだ早い。一番いいのは矢張り並足でカメの如く一歩一歩着実に歩む事ではないかと思う。人生航路だけではない事業経営の上でも大きくは国家経営の上に於いても同様であろう。

*三日 法律は国民自身の為に

民主主義の政治の元に於ける法律は国民お互いの暮らしを守り、夫々の活動の成果を得易くし一人一人の幸せを生み高めていく処に究極の目的なり存在意義があるのだと思います。言ってみれば国民が国民自身の幸せを実現して行く為に自ら法律を制定すると云う仕組みになって要る訳です。従って国民お互いがこういう法律を軽視し無視するような姿が仮にあるとするならば、それは云わば自分自身を軽んじ自分の尊厳を失う事にも通じると思います。其事をお互い国民は正しく認識し合い法律を常に正しく守りあってゆく事が肝要だと思います。

*五日 断絶はない

最近の若い人たちの考え方が変わってきていると云えば変わってきている。そしてそこから断絶と云う受け止め方も出てくるけれども大人と若い人の間には何時の時代でもある程度の隔たりはあった訳である。併し其れは考え方の違いであり断然とは考えられない。それを何か断絶と云う言葉に踊らされて大人が言うべき事も言わないと云うのは非常に良くない事だと思う。断絶と云う言葉で自ら離れてしまってはいけない。断絶はない。併し青年と中年老人とでは自ずと考え方が違う。永遠にそうなんだと考え其れを調和して行く処に双方の努力と義務があると思う。

*七日 自らを教育する

人間の教育には勿論立派な校舎も必要で有環境も必要でしょうが其れ已に頼っていてはならないと思うのです。行政の充実により成程環境は段々良くなってくるでしょう。併しそういう環境が作られたとしましてもその中で其々の人が自らを処して自らを教育してゆく。自問自答しつつより高きものに為って往く事を怠っては決して立派な人間は生まれてこないと思うのです。今日より明日、明日より明後日と自らを高めてゆく処に人間の成長があり復其処から立派な人間が生まれてくるのではないでしょうか。

*九日 衆知を集める経営

会社の経営は矢張り衆知に拠らなければいけません。何といっても全員が経営に思いを致さなければ決してその会社は上手く行かないと思うのです。社長が如何に鋭い卓抜な手腕力量社長一人でかずして自分独りだけの裁断で事を決することは会社の経営を過つものだと思います。世間一般では非常に優れた一人のワンマンで経営すれば事が上手く行くという事をよく言いますが、社長一人で事を遂行する事は出来ませんし例え出来ても其れは失敗に終わるだろうと思います。やはり全員の総意に拠って如何に為すべきかを考えねばならないと思うのです。

*十日 熱意あれば

人の上に立つ指導者管理者としての要諦というものは色々考えられるけれども、その中でも最も大事なものの一つは熱意ではないかと思う。非常に知恵才覚に於いて人に優れた首脳者であってもこの会社を経営しようという事に熱意が無ければその下にいる人も。この人の下では大いに働こうという気分に成り難いのではないだろうか。そうなっては折角の知恵才覚も無きに等しいものに為ってしまう。自らは他に何も持っていなくても熱意さえ保持していれば知恵ある人は知恵を力ある人は力を才覚ある人は才覚をだしてそれぞれに協力してくれるだろう。

*十一日 気分の波を掴まえる

人間と云うものは気分が大事です。気分が腐っていると立派な知恵才覚を持っている人でも其れを十分に生かせません。又別に悲観するようなことで無くても悲観し益々気分が縮んでいきます。併し気分が非常にいいと今迄気付かなかった事を考え就き段々と活動力が増して来ます。私は人間の心程妙なるものはないと思います。非常に変化性があるのです。此れが付け目と云うか考えなければならない点だと思います。そういう変化性があるから努力すれば努力するだけの甲斐がある訳です。そういう人間の心の動きの意外性と云うものをお互い掴むことが大事だと思うのです。

*十五日 業界の信用を高める

どんな商売もそうでしょうが自分ぽ店が発展繁栄していくには、そのお店の属している業界全体が常に健全で世間の人々から信用されていることが非常に大事だと思います。もしそうではなく業界の中に不健全な店が多ければあの業界はダメだ信用できないと云うことに為って、その業界に属する個々の店も同じ様な評価を世間から受け商売は成り立っていきにくくなるでしょう。ですからお互い商売を進めていく上で自分の店の繁栄を図る事は元より大事ですがそれと同時に他の店とも上手く協調して業界全体の共通の信用を高める事を配慮する事が究めて大事だと思うのです。

*十六日 人間観を持つ

人間の幸せを高めていく為には先ず人間が人間を知る事が大切だと思う。言い換えれば人間とはどういうものでありどう云う歩み方をすべきであるかと云う正しい人間観を持つという事である。そうした人間に対する正しい認識を欠いたならば如何に努力を重ねても其れは往々にして実りの無いものに為ってしまい時には却って人間自身を苦しめる事にもなりかねない。そういう意味に於いてが先ず正しい人間観社会観と云ったものを生み出し、それに基づく指導理念を打ち立てていくならばそれは極めて力強いものに為ってくると思うのである。

*十七日 悩んでも悩まない

我々人間は絶えずと云っていい程悩みに付き纏われる。併し私は悩みがあるという事は人間にとって大事な事ではないかと考えている。何故かと云うと常に何か気に懸る事があれば其れがある為に大きな過ちが無くなる。心が何時も注意深く活動しているからである。だから悩みを持つ事は寧ろプラスに繋がる場合が多い。従って悩みに負けてしまわず自分なりの新しい見方解釈を見出してその悩みを乗り越えて行く事が大切である。悩んでも悩まな、いそういうように感じる事が出来れば人生は決して心配する事はない。

*二十日 公平な態度

国に於ける法律の適用には万が一にも不公平があってはならないが、会社や団体に於ける規律や規則についても是と復同じ事が言える。会社の規則と云うものは一新入社員であろうと社長であろうと等しく此れを守り其れに反した時には等しく罰せらるという事で初めて社内の秩序も保たれ士気も上がるのである。だから指導者は常に公平という事を考えなくてはならない。利害とか得失、相手の地位強弱に拘りなく何が正しいかと云う所から公平に賞すべきものは賞し罰すべきものは罰すると云う姿勢を遵守しなければならない。

*二二日 感心する

同じ様に人の話を聞いても中々良い事を言うなぁと感心する人もあればなんだ詰らないと思う人もいる。どちらが好ましいかと云うと勿論話の内容にも依るだろうがいいなぁと感じる人の方に、より多くその話の内容から仕事に役立つような何かヒントを得て、新しい発想をすると云ったプラスの価値が生まれてくるだろう。一寸した事だけれども人生とか事業の成否のカギは案外こうした処に在るのではないかと思う。人の意見を聞いて其れに流されてはいけませんが、お互い先ず誰の意見にも感心し学び合うという柔軟な心を養い高めていきたいものである。

*ニ四日 世間に聞く

誰しも日々の仕事の中生きていく中で迷いは生じるもの。幾ら仕事に生甲斐を感じていても其れを進めていくにつれて迷いが生じます。ではその迷いをどう解決するのか。私は広く衆知を集めればいいと思います。広く世間に其れを求めればいい。世間は道場人間練達の場です。大きくは社会に小さくは同僚友だちに尋ねればいい。そうして行く事に拠って其処に自分の具体的な活動の形が求められてくる。尋ねて答えが返ってくる場合もあるでしょうし返ってこない場合もあるでしょう。併しある程度は返って来る。素直な心で求める事だと思います。

*二六日 不要なものはない

皆さんは色々な立場にお立ちになっておられると思いますが、私はどんな立場でもこの立場はいけないこの仕事は拙いという事はないと思います。どの仕事が必要でなくてどの仕事が必要であるという事はないのです。この世に存在するものは全て必要であると云う様に考えて頂きたいと思うのです。そしてそういう考えに立って要は自分に何が適しているか何が向いているか、自分にはどういう所に自分の使命を見出しそこに打ち込むべきであるかという事を、自ら考えそしてそこに信念を持つ事が大切だと思います。

*二七日 誠意が基本

経営を進めていく上で最も困難があろうと思われるのは販売です。製造には新しい発見や発明が善く考えられますが販売とりわけの妙案が生まれる事は中々難しいでしょう。其れではそのように妙案奇策の余り無い販売の世界で特色を発揮し販売を成功させる爲には何が基本に為るかと云うと、結局はお互いの誠心誠意ではないでしょうか。どうすればお得意様に喜んで頂けどういう接し方をすればご満足ねがえるかを常に考える事が何より大切で、そういう誠意が根底にあってこそその人の言葉態度に深い味わいも生まれ販売力も亦高まっていくと思うのです。

*二八日 失敗を素直に認める

例えどんな偉大な仕事に成功したと云う人でも何の失敗もしたことがないと云う人はいないと思います。事に当って色々失敗してその都度其処に何かを発見しそう言うことを幾度となく体験しつつ段々成長していき遂には立派な信念を自分の心に植えつけ偉大な業績を為し遂げるに至ったのではないでしょうか。大切な事は何等かの失敗があって困難な事態に陥った時に其れを素直に自分の失敗と認めていくという事です。失敗の原因を素直に認識し是は非常に好い体験だった尊い教訓になったと云う処迄心を開く人は後日進歩し成長する人だと思います。

*三一日 ゼロ以上の人間に

人間の生活は総ての事が自分一人では出来ない。着物にしても食べ物にしても他の人の労作に拠って出来たものだ。その替り自分も何等かの労作を他人に与えて生活が成り立っている。つまり労作の交換である。此の労作を交換しない貰うばかりで与えるものがないと云うのでは役に立たない。是はマイナスである。プラスとマイナスがゼロ以上でなければ役に立つ人間とは言えない。例えば反物を三反貰ったらそれを四反にして提供する人になるという事だ。精神面でもこれは同じである。人に対してより高い考え方を与える此れが人と生まれて社会に役立つ人間の姿であろう。

哲学者と物理学者のみる俳句

哲学者にとっての俳句とは・・・

河合隼雄 「全対話」Ⅱ ―ユング心理学と東洋思想―

 第三文明者発刊 初版1989年(H元年)6月16日初版発刊

ユング深層心理学の日本における第一人者、河合隼雄先生の対談集

各分野の第一人者が、ユング心理学をどうとらえているかを、対談を通して語る面白い著書・・・・

対談:河合隼雄―梅原猛

「日本人は仏をどううけとめてきたか」

そのなかの一節に、梅原日本学とも言われるジャンルを確立した、哲学者梅原猛が俳句について語る部分がある。

哲学者の捉えた俳句とはいかなるものか。

「ぼくはね、俳句というほどつまらん芸術はないと思っていた。ぼくの学生時代に、桑原先生は第二芸術って言ったけど、ぼくは第二芸術でもよすぎて、あれは第四芸術だと思っていたんですよ。何故かと言うと、十七字で人生の真実を述べられるはずはない。而もその中に、なんで季節の言葉を入れなくちゃならないか。季節の言葉なんて不自由なものが僅か十七字の中には入っているのは困ったものだというふうに思ってたんですよ。だけど、今は考えが違ってきた。やっぱり俳句というのは日本の文学の終局の完成体だと。それはただ季節の文学と云うんじゃなくて、人生そのものが大きな循環の中にある。すべての生きとし生けるものはそういう循環の中にいる。そう云う哲学が俳句の背後にある。そう云う宇宙の大循環の中にある生きとし生けるものを十七字で象徴的に表現するんだと思う様になった。どうもこのごろは、第四芸術どころか、第一芸術だと、ぼくは考えをあらためるようになったんですけどね。(笑)」

※ 第二芸術論 とは

岩波書店の雑誌『世界』1946年11月号に掲載された桑原武夫の論文

俳句という形式は現代の人生を表しえないなどとして、俳句を「第二芸術」として他の芸術と区別するべきと論じたものであり、当時の俳壇に大きな論争を引き起こした 近代化している現実の人生はもはや俳句という形式には盛り込みえず、「老人や病人が余技とし、消閑の具とするにふさわしい」ものとして、強いて芸術の名を使うのであれば「第二芸術」として区別し、学校教育からは締め出すべきだという結論を導き出している

一方、1976年の講談社学術文庫版において、桑原は「第二芸術」発表当時、西欧中心主義への反省が欠如していたと回想している

※ 桑原 武夫(くわばら たけお、1904年〈明治37年〉5月10日 – 1988年〈昭和63年〉4月10日)は、日本のフランス文学・文化研究者、評論家。京都大学名誉教授。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階・勲等は従三位・勲一等。人文科学における共同研究の先駆的指導者でもあった。芸術・思想・社会・教育など文化全般に通じ、共同研究を推進。その成果は『ルソー研究』(1951年)などの著作に結実した。『第二芸術ー現代俳句について』(1946年)での俳句批判は物議を醸した。 (以上 ネットウィキペディアより)

私見:桑原先生の、俳句第二芸術論は、敗戦という日本の状況から、ある意味、国内での価値の反転現象が起こり日本の伝統的文化思想は何でもかんでも有害無価値なものという様な意識が、特に先進的知識人の中に芽生えていたのかも。其の有識者たちの西欧へのあこがれが先行し過ぎた結果生まれたものとも云えなくもないと思う。

次に科学者物理学者の捉えた俳句とは・・

寺田寅彦「俳句と地球物理」からの一文

Ⅲ章 俳句と宇宙―天文と俳句より

芭蕉の句を例にとり科学者の目で鑑賞した面白い一文・・

・・・・・

 「あかあかと日はつれなくも秋の風 」 松尾芭蕉

と言う句がある。秋も稍更けて北西の季節風が次第に卓越して来ると本州中部は常に高気圧に蔽われて空気は次第に乾燥して来る。すると気層は其の乾燥度を増して、特に雨の後など一層そうである。それで大気を透して来る紫外線に富んだ日光の、乾燥した皮膚に対する感触には、一種名状し難いものがある。

そうしてそれに習々たる秋風の感触の加わった場合に此等のあらゆる実感の複合系⁻コンプレキスを唯十七字で云い尽くせと云われたとして巧みに此れを仕遂げ得る人は稀であろう。それをすらすらと言いおおせたのが此句であると思う。それだから、凡ての佳い句がそうである様に、此句も亦一方では科学的な真実を捕えて居る上に、更に散文的な言葉で現し難い感覚的な心理を如実に描写して居るのである。此句の「あかあか」は決して「赤々」ではなくて、からからと明るく乾き切り澄み切って「つれない」のである。而も「つれない」のは日光だけでもなく又秋風だけでもなく、此処に描出された世界全体がつれないのである。

斯う云う複雑なものを唯十七字に「頭よりすらすらと云ひ下し来」て正に「黄金を打のべたやう」である。ところが正岡子規は句解大成と言う書に此句に対して引用された「須磨は暮れ明石の方はあかあかと日はつれなくも秋風ぞ吹く」と云う古歌があるからと云って、芭蕉の句を剽窃であるに過ぎずと評し、一文の価値もなしと云い、又仮に剽窃でなく創意であっても猶平々凡々であり、「つれなくも」の一語は無用で此句のたるみであると云い、寧ろ「あかあかと日の入る山の秋の風」とする方が或いは可ならんかと云って居る。

併し自分の考は大分違うやうである。此の通りの古歌が本当にあったとして、これを芭蕉の句と並べて見ると「須磨」や「明石」や「吹く」の字が無駄な蛇足であるのみか、此等がある為に却って芭蕉の句から感じる様な「さび」も「しおり」も悉く抜けてしまって残るのは平凡な概念的の趣向だけである。

この一例は、俳句と云うものが映画で所謂カッティングと同様な芸術的才能を要するという事の適例であろう。平凡なニュース映画の中の幾呎かを適当に切取ることによって、それは立派な芸術映画の一つのショットになり得る。一枝の野梅でも此れを切取って活ける活け方によって、其れが見事な活花になるのと一般である。・・・・

  • 私見 : つれなくも:季節の移り変わりの無常観をあらわすと同時に、知人である俳人(小杉一笑)の死を悼む心情をも含む語か
  • しほりーしをり : 
  • 〈萎(しを)る〉の連用形というのが通説であるが,近年〈湿(しほ)る〉の意に解すべきだという説がある。蕉門俳論では〈しほり〉と表記するのが一般的。去来は〈しほり〉は〈一句の句がら〉〈一句の姿〉〈一句の余情〉にあるという。また《俳諧問答》では〈しほりと憐れなる句は別なり。ただ内に根ざして外にあらはるゝものなり〉とも言っている。これらによれば〈しほり〉ある句は,憐れなる句と句がら,姿,余情において近似したところがあるとみられる。早く中世の能楽,連歌で,わが身を愚鈍と思い侘(わ)ぶ心から発した〈しをれたる風体〉というのがあるが,そのような心理から,すべての物にあわれを感じ,それをさらりと余情に反映させた場合の句を〈しほりある句〉というのである。芭蕉は許六の句〈十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風〉を〈此句しほりあり〉と評したという。これは〈秋の風〉のあわれを〈小粒になりぬ〉という言葉で,句の姿,余情にさらりと表現した手腕を褒めたものであろう。 執筆者:堀 信夫 ウィキペディアより

松尾芭蕉が、俳聖と云われる存在ならば、正岡子規は近代俳諧の父とも云うべき存在であろうか。その正岡子規の、論評を、科学者の目で捉えた解釈で真っ向から反論しているのは、同時代を生きた物理学者者として又文学者としての気概が感じられて面白い。とは言え、子規を完全に否定しているのではなくおなじこの章の他の個所では、敬意を表している部分もある。認める処は認めているわけですね~

また、一般的には、この句と比較される短歌としては、古今和歌集で藤原敏行朝臣が詠んだ「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」があげられることが多いようです。

正岡子規(1867―1902)寺田寅彦(1878-1935)



因みに、寅彦の言う蛇足にはなりますが、私にとって「あかあか」と詠んだ短歌で秀逸と思う歌は鎌倉時代華厳宗僧侶・明恵上人の歌

「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」                                (=^・^=)



簡易易占文言 下經

易入門(黄小娥著―2004/4/15改訂初版)より

※占法参考:易入門&易占入門(高木彬光)太陽創刊200号記念版S59/12         爻変1~6 (仕事・愛情・金・一般☞6爻×4 4種大吉◎吉〇小吉△凶×

因みに人間社会を表す爻のの意味合いは簡潔に言えば              初爻の位が一番 低く位であり、上爻が一番高く尊い位でと云う事で現代社会においては 初爻が平社員・・段々と昇進して五爻が社長代表者・上爻は会長と云う事になります。年齢でいいますと 初爻→10台 二爻→20代 三爻→30代    四爻→40代 五爻→50代 上爻→60代以上と云うくらいの目安でしょうか。

31. :物事を敏感に感じる感受性が重要 理屈・相談ではなく直観による行動 即決断行動が大事な時                               :咸→感 人の心の動き

沢山咸☞艮下兌上(全般△△△△△△全24爻計☞◎0〇5△12×7)

仕‐△〇△〇◎× 愛‐×△〇〇〇× 金‐××××△×

32. :恒常・恒産・恒信(心)いつも同じ状態を保つ現状維持 妄りに方針を変えるのは非 着実に進めば吉                         :お茶漬けの味

雷風恆☞巽下震上 (全般△〇△△〇△全24爻計☞◎1〇4△11×8)

仕‐×〇△△△× 愛‐×△×△◎△ 金‐×△××〇×

33. :遁に同じか逃れるの意 衰運の時立場に恵まれていない場合は何事も非 一時撤退次を待つ 功成り名を遂げた者には吉                遯:寂びれゆく町 三十六計逃げずにしかず

天山遯☞艮下乾上(全般△△△〇〇◎全24爻計☞◎3〇7△9×5)

仕‐△△△〇〇〇 愛‐××〇××△ 金‐△×△〇◎◎

34 大壮:全てが時の勢いにつれ盛んとなる時期進みすぎの傾向も有 壮麗壮挙壮図等々華やかで大掛かりなこと 動いて吉                    大壮:勇み立つ馬 全てが大掛かりな意

雷天大壮☞乾下震上(全般△△△〇〇△全24爻計☞◎1〇6△10×7)

仕‐×〇△◎〇△ 愛‐×△×〇△× 金‐×△×〇×△

35. 晋:全ての活動の始まるとき気を引き締め前進で目的に向かうべしすべて明るい方向へ前進する卦                                  :進に同じ 希望に燃える明るい朝(太陽が地平の上に)

火地晋☞坤下離上(全般△〇△×〇△全24爻計☞◎2〇9△10×3)

仕‐〇〇△△◎〇 愛‐△◎〇△〇△ 金‐×〇△×〇△

36. 明夷:何事にも明がない時足元不安定行動するは危険 時間に余裕を心のが必充実が要嫉妬の対象となり易い時を待つ覚悟                      明夷:明るさを破る意 地下に没した太陽

地火明夷☞離下坤上(全般×△〇△××全24爻計☞◎0〇2△6×16)

仕‐×△〇△×× 愛‐××△××× 金‐××△×××

37. 家人女性的家庭的 急速な事業の発展等は望めない問題解決には有識者の意見に従って吉                                 家人:火を守る女 

風火家人☞離下巽上(全般△△×〇〇〇全24爻計☞◎4〇9△10×1)

仕‐△△△〇◎△ 愛‐〇〇△◎◎△ 金‐△〇△◎〇〇

38.:火と沢の組み合わせ表面上は正反対だが内面的には一致協力のできる関係小事に吉日常生活問題なし新規事業は要注意                           : 異なるの意 相そむく二人

火沢睽☞兌下離上(全般〇〇△〇〇〇全24爻計☞◎0〇8△9×7)

仕‐△〇×△〇〇 愛‐×××××△ 金‐△△×△△△

39.:動きが取れないとき足が止まった状態穏忍自重すべき時力強い人の助けが必要時期を待てば希望が見えてくる 四大難卦                        蹇:足なやむの意 寒さに凍える足

水山蹇☞艮下坎上  (全般△△×△〇〇全24卦計☞◎1〇7△10×6)

仕‐△〇△〇〇◎ 愛‐△×△△〇〇 金‐△××××△

40.:長い試練から解放されるときか即時即決スピード感を以て事に当たるは吉 一人走るのではなく協調性も大切にする時                    :「分かつ」→よくわかる 春とける水

雷水解☞坎下震上(全般△〇×〇△◎全24爻計☞◎2〇8△8×6)

仕‐△〇×〇△◎ 愛‐×××△〇〇 金‐×〇△△△〇

41. :他人のために自分のものを与える喜捨の精神が必要後に大きくプラス出費は多大の時となるが投資となるお金                        :「喜捨」愛の籠った贈り物

山沢損☞兌下艮上(全般〇△△〇◎◎全24爻計☞◎5〇8△6×5)

仕‐△△〇〇◎◎ 愛‐××△〇〇〇 金‐×××△〇◎

42. :公益優先の時 積極的に困難を克服し前進できる みんなのために活動すれば精神面物質面ともに豊かにつながる                        :豊かさ活力増加 公の為の事業

風雷益☞震下巽上(全般〇◎〇△〇×全24爻計☞◎5〇10△6×3)

仕‐◎〇△〇◎× 愛‐〇〇△△◎△ 金‐◎〇〇△〇×

 

43. :人の意(民意)を大切に疎かにするは非(疎かに成りがちな時)物事は一思いに片付ける正義を断行、孤立化の可能性有                   :決議・決断・決定 月にうそぶく虎

沢天夬☞乾下兌上(全般△×××〇×全24爻計☞◎0〇3△9×12)

仕‐△△×△〇× 愛‐××△△△△ 金‐×××〇△×

44. :突発的事件偶然の出来事に巻き込まれ易い男性は要注意女性の関係する仕事は吉→女壮んなり                                :偶然の出会い・出来事

天風姤☞巽下乾上(全般×△×△△×24爻計☞◎0〇2△9×13)

仕‐〇△△△〇× 愛‐×××××× 金‐△×××△△

45. :人が集まる―物・人が集まりにぎわう秀才が競いあう(登竜門) 先祖を敬い祭る時 全体として吉                                 :集まる・集める 賑やかなお祭り

沢地萃☞坤下兌上(全般△△△〇〇△全24爻計☞◎3〇10△10×1)

仕―△△〇◎〇△ 愛―△△〇〇◎△ 金―×〇〇◎〇〇

46. 地下にまかれた種の意あり これから昇り進むとき上升―上昇 相手の立場に左右されやすい時要注意                            :一歩づつ昇る 

地風升☞巽下坤上(全般◎〇〇〇◎△全24爻計☞◎7〇11△5×1)

仕―◎〇△〇◎△ 愛―◎〇△〇◎× 金―〇〇〇◎〇×

47. :苦しみ悩みの真只中 自身の節操を守り貫きあくまで信念を守り通す心掛けが必要 穏忍自重ジリ貧青息吐息偲ぶべし 四大難卦                   :囲こわれた樹 困窮・困厄・困苦・困難 ひび割れたコップ

沢水困☞坎下兌上: (全般×△△△〇△全24爻計☞◎0〇2△12×10)

仕―×△×△〇△ 愛―××××△△ 金―×××△△△

48. :井戸を意味する くみ上げる努力が必要自分だけが潤うことなく奉仕する精神が必要 汲めば汲むほど尽きることなし                    井:旅人を潤す井戸

水風井☞巽下坎上(全般△△△〇〇◎全24爻計☞◎4〇6△7×7)

仕―×△△〇◎◎ 愛―×××△〇〇 金―×××△〇◎

49. :全てが革まるとき新しい形態に変化する時 君子豹変語源正しい言動を発することにより民衆が付き従う 己を改める                       :改革・革新 町ゆく革命の声

沢火革☞離下兌上(全般×××△〇〇全24爻計☞◎1〇7△7×9)

仕―△△×△〇〇 愛―×△×〇◎〇 金―×××△〇△

50. 力を合わせれば大きな仕事が成功することが可、安定・充実感あるとき 全てが整い、地盤財力知力等揃うとき                    :三人の円卓会議

火風鼎☞巽下離上(全般△△△×〇◎全24爻計☞◎5〇5△8×6)

仕―△△△×◎◎ 愛―〇〇×△〇◎ 金―×××△〇◎

51. :全てに驚かされるようなことがあっても実害は小、掛け声だけで実績が上がらないことあり野心倒れに注意沈着冷静に                    :繰り返す雷声

震為雷☞震下震上(全般〇△×△××全24爻計☞◎0〇2△9×13)

仕―〇△××△× 愛―×××△×× 金―△×△×△△

52. 山のような孤高高尚な精神と不動の信念を持つとき 自分の立場を弁え身を守るべき時 地道な努力は報われる                       :連なる山々 不要意に動かない

艮為山☞艮下艮上(全般△△×△△△全24爻計☞◎0〇3△16×5)

仕―△△△△〇〇 愛―△××△△△ 金―△××△△〇

53. :手順を踏んで正しくゆけば事は成る順序を以て進は吉 山の上を風が吹きわたり全てを変えてゆく。                                  :行き進む 飛び立つ渡り鳥

風山漸☞艮下巽上(全般△△×〇〇〇全24爻計☞◎1〇10△7×6)

仕―△〇×〇〇◎ 愛―×〇×△△〇 金―××△△〇〇

54. 帰妹:不正な私欲・中途挫折に要注意 正式の手続きを踏まない一時的なものが多い時 感情に流されるは危険                          帰妹:王に仕えるハレムの女性

雷沢帰妹☞兌下震上(全般△××△〇×全24爻計☞◎1〇6△9×8)

仕―△△△△〇△ 愛―〇〇×△◎× 金―△××〇〇× 

55. :豊満・豊麗・豊潤等 現在満ち溢れた状態維持するを心掛ける 後に来る事態に備え準備が必要                                :最高点に達した状態 哀愁の太陽

雷火豊☞離下震上(全般△△×△〇×全24爻計☞◎1〇6△8×9)

仕―〇△△〇◎× 愛―〇××△〇× 金―×△×△〇×

56. :放浪の旅の如く何事も安定が得難い時 不安苦労が絶えないとき積極的は控え受け身の体制で柔軟に対処すれば吉                     :不安に満ちた旅人

火山旅☞艮下離上(全般△〇×△◎×全24爻計☞◎2〇7△5×10)

仕―×〇×△〇× 愛―×△×〇〇× 金―×〇△〇◎×

57. :植物が風に乗り繁殖するように周囲のものの活用により運気が広がる可能性有従うことにより立場を得るがまた迷い有                       :風に吹かれるたんぽぽ

巽為風☞巽下巽上(全般△〇×〇〇×全24爻計☞◎4〇9△5×6)

仕―〇△×◎〇× 愛―〇△×◎〇〇 金―△〇△◎◎×

58. 沢=兌、兌は悦びを表す 穏和に誠実に自分を正しく律して人に接すれば吉 軽率な口は厳に慎むべし                               :喜悦・悦楽 笑い転げる少女

兌為沢☞兌下兌上(全般〇△×△△△全24爻計☞◎1〇8△8×7)

仕―〇〇×△△〇 愛―◎〇×××〇 金―〇△〇××△

59. :渙散・渙発など内部の鬱血状態を散ずる時 困難はあっても希望を求め船出、強運、小から大へ切替わる心引き締め前進                         :散らすの意 波止場をでる船

風水渙☞坎下巽上(全般〇△〇◎〇△全24爻計☞◎2〇9△11×2)

仕―〇△〇◎〇× 愛―〇△△△〇〇 金―△△×△×△

60. :節度・節操・節制、節を大切にして竹の如く伸びる程を弁えることが大切 停滞は禁物 誘惑多い情けは仇に                      :ふし・竹が延びる時

水沢節☞兌下坎上(全般△×△〇◎△全24爻計☞◎2〇6△9×7)

仕―×〇△〇◎△ 愛―△△×〇〇× 金―△××△〇×

61. 中孚:まこと(孚)を尽くす性格性質の違う者同士が協力し合って吉誠実と努力が実るとき願望は真実一路を求めて吉                       中孚:まことに意 卵を抱く親鳥

風沢中孚☞兌下巽上(全般〇〇×◎〇×全24爻計☞◎4〇11△3×6)

仕―〇◎×〇〇× 愛―〇◎〇×◎× 金―△〇△〇〇△

62. 小過謙遜の徳が必要何事も控え目に度を越した行動は否 実力の範囲内で動くとき「門前に兵あり」要注意                        小過:少し過ぎるの意 背を向ける二人 

雷山小過☞艮下震上(全般×△××△×全24爻計☞◎0〇0△8×16)

仕―×△△×△× 愛―××××△× 金―△△××××

63. 既済:全てが整った形現状を固く守りこれより以上の大事を企てない全力を尽くして現状の維持に努めるとき一番整った形                  既済:既に成るの意 功なり名を遂げる

水火既済☞離下坎上(全般△△××△×全24爻計☞◎02△10×12)

仕―△△×△〇△ 愛―×△××〇× 金―×△××△×

64. 未済:時運に恵まれないとき 時は巡る研鑽して時を待つ準備を整え事を運べばやがて開花の時を迎えることができる                       未済:未だ整わず 海上の朝日

火水未済☞坎下離上(全般△〇△〇◎△全24爻計☞◎4〇10△7×3)

仕―△〇〇◎◎〇 愛―△〇×◎〇× 金―×△〇〇〇△

簡易易占文言 上經

易入門(黄小娥著―2004/4/15改訂初版)より

※占法参考:易入門&易占入門(高木彬光)太陽創刊200号記念版S59/12         爻変1~6 (仕事・愛情・金・全般☞6爻×4  4種大吉◎吉〇小吉△凶×

因みに人間社会を表す爻のの意味合いは簡潔に言えば              初爻の位が一番 低く位(庶民)であり、上爻が一番高く尊い位(聖人)でと云う事で現代社会においては 初爻が平社員・・段々と昇進して五爻が社長代表者・上爻は会長と云う事になります。年齢でいいますと 初爻→10台 二爻→20代 三爻→30代 四爻→40代 五爻→50代 上爻→60代以上と云うくらいの目安でしょうか

1. :竜を表す 地の底から天まで登りつめてゆく姿              昇り過ぎた竜(上九)は下がるしかない➡万事に焦りは禁物                        :天をあらわす 力にあふれた竜(男) 全て陽

乾為天☞乾下乾上 初爻→上爻 (全般△〇△〇◎×24爻計☞◎3〇8△8×5)

仕‐△〇△〇◎× 愛‐×〇×〇◎△ 金‐△△△〇〇×

2. :女性の象徴牝馬の如くあれ 自分の道を守りつづければ道は開ける    ➡出過ぎた行為は慎む危険                        :地を表す   おとなしい牝馬(女) 全て陰

坤為地☞坤下坤上(全般△〇△△〇×24爻計☞◎3〇6△9×6)

仕‐△〇△〇◎× 愛‐×〇〇△◎× 金‐×△△△◎×

3. ;たむろの意有り 物事全て伸び悩む時 四大難卦の一つ 希望を以て時を待つ事で周囲の環境が整ってくる                                               :たむろの意  ものが伸び悩でいる状態

水雷屯☞震下坎上; (全般△△△△△×全24卦系☞◎0〇2△12×10)

仕‐△△×△〇× 愛‐△××〇△× 金‐×××△△×

4. ;時期尚早見定めがつかない 啓発-道を開く・未熟なる者を育てる☞童蒙の我に求                                      蒙 :若すぎる意  見定めがたい状態

山水蒙☞坎下艮上 (全般△〇×△△×24爻計☞◎1〇5△8×10)

仕‐△〇△×○× 愛‐×◎×△○× 金‐△〇××××

5. :ゆったりと時を待つ心が必要 実力は充実chance到来の機を待つ 早急な判断決断は危険 英気を養い次に備える吉                                      ;待つ意  時を得るのを待つ・チャンスを待つ            

水天需☞乾下坎上 (全般△△××〇△全24爻計☞2〇4△11×7)

仕‐×△×△◎○ 愛‐△△××◎○ 金‐△△×△〇△

6. :争いの卦・自我自説は正でも通らない時強行な態度は不利益となる 相手を窮地に追い込むのは凶→協調の精神吉                     :訴える・争う意  和は求めがたい

天水訟☞坎下乾上 (全般△△△〇◎△全24爻計☞◎2〇4△9×9)

仕‐×××〇◎× 愛‐××△△〇△ 金‐××△△〇×

7. :戦いにおいて決断を下す立場 戦略が重要 有能な参謀が必要 人を導く立場としての苦労有                                  :戦争の意  優秀な参謀

地水師☞坎下坤上 (全般×〇×△△△全24爻計☞◎1〇6△7×10)

仕‐×◎×△△○ 愛‐×〇×△×〇 金‐×○×△×○

8. :平和な状態共存共栄の時ではあるが比には比べるの意あり→同じ目標に向かっての競争 親しむ(親和・親善)                        :親しむ意  親和・親善

水地比☞坤下坎上 (全般〇〇×〇◎×全24爻計☞◎3〇10△3×8)

仕‐〇○×〇◎× 愛‐◎△×○○× 金‐△△×○○×

9. 小畜:少し蓄える-とどめるの意有物質的にな余裕有 雨が降りきらないモヤモヤの状態少し留まれば解消計画は先送り                         小畜:蓄える意  少し蓄える・少し留める

風天小畜☞乾下巽上(全般△〇×△〇△全24爻計☞◎1〇8△9×6)

仕‐〇○×△〇△ 愛‐〇○××〇× 金‐△△×△〇△

10. :危険(虎の尾)を踏む可能性 先人先哲の意見に従うとき先陣は危険有後を行けば大成功可能性 礼節を重んじ慎重に                        履 :踏むの意  虎雄を踏む危険

天沢履☞兌下乾上 (全般△△×△〇〇全24爻計☞◎2〇6△9×7)

仕‐△△×△〇◎ 愛‐△×××〇◎ 金‐△××△〇〇

11. :全てが整い安泰の状態 泰運・泰安・泰然 理想的形 上方の地は下方へ、下方の天は上方へ向かう→和合の形                            :安らかの意  安泰・泰運・泰然の状態 

地天泰☞乾下坤上 (全般◎〇△△◎×全24爻計☞◎5〇12△2×4)

仕‐〇◎〇〇〇× 愛‐◎〇〇〇◎× 金‐〇〇△〇〇×

12. :口に蓋開くことができない 否運・悲運・不運・否認・否定→溶け合わない状態 穏忍自重の時                                   否 :否む・塞ぐの意 否運・悲運・不運 開かない状態

天地否☞坤下乾上 (全般△××〇△〇全24爻計☞◎0〇6△7×11)

仕‐△××〇〇〇 愛‐×△×△△〇 金‐×××××△

13. 同人:同じ志の人・友人仲間と協力して成功へただし和して同ぜずの心構え 付和雷同は禁物 公的になればなるほど吉                     同人:志を同じくする意 友人仲間 同業・同意・同行

天火同人☞離下乾上(一般〇△×△〇△全24爻計☞◎1〇7△10×6)

仕‐△〇△〇◎× 愛‐×〇×〇◎△ 金‐△△△〇〇×

14. 大有:時と所を得て満足の状態大いに保つ 盛運の時 積極的行動時期も早いほど有利 努力は怠りなく                                   大有:大いに保つの意 時と場所を得て満足の状態

火天大有☞乾下離上(一般△△△〇〇◎全24爻計☞◎3〇8△10×3)

仕‐△〇△〇〇◎ 愛‐×△△△〇◎ 金‐×〇×△△〇

15. :稔る程頭を垂れる稲穂かな 力量が必要謙虚なの心態度を保つ 謙遜・謙譲 分け与えて吉☞ものも才能も                       謙 :へりくだるの意 謙遜・謙譲・謙虚 分け与える

地山謙☞艮下坤上(一般△〇〇〇△〇全全24爻計☞◎1〇13△9×1)

仕‐〇〇〇△〇〇 愛‐〇◎〇△△△ 金‐△〇〇△×△

16. :春気発動の時 準備が整い新しいことに乗り出すとき 指導者の正しい予見が必要とされる                                    :あらかじめの意 準備が整った状態

雷地豫☞坤下震上 (一般×△△〇△×全24爻計☞◎0〇6△9×9

仕‐△〇△〇〇△ 愛‐×△△〇×× 金‐×××△〇×

17. :時の流れに従い・人に従い立場に従うとき 万事に従って吉 実力があっても一応他に従うとき 新しい事態の変化有                        :従うの意  時に従い・人に従い立場に従う

沢雷随☞震下兌上(一般〇△〇△〇〇全24爻計☞◎2〇10△10×2)

仕‐〇△〇△◎△ 愛‐〇×◎△〇△ 金‐〇△〇△〇〇×

18. 蠱:破れ・破綻 周囲の状況が混乱を極めている時 臭いものに蓋をしている状態→根本的な修理を必要としている                      蠱 :破れ破綻の意 内部混乱 臭いものに蓋状態

山風蠱☞巽下艮上 (一般△△××〇〇全24爻計☞◎1〇6△6×11)

仕‐〇△△×◎〇 愛‐×××△〇△ 金‐××××〇×

19. :時勢に従って自分自身をうまく適応させる―臨機応変 頭の切替が大切 強い卦だが流れを見逃さない様機敏性が肝要                :移り行く四季

地沢臨☞兌下坤上 (一般〇〇△〇〇△全24爻計☞◎4〇11△8×1)

仕‐〇◎△〇〇△ 愛‐◎〇〇◎△△ 金‐△〇△〇◎×

20. :空しい又動揺するの時期止まって動かぬ方が吉 思索反省の時 行動より精神面に重点を置いて利  学問・研究・信仰は吉               :大地を吹き抜ける風 

風地観☞坤下巽上 (一般×△△〇〇〇全24爻計☞◎1〇10△8×5)

仕‐△△〇〇◎〇 愛‐××△〇〇〇 金‐××△△〇△

21. 噬嗑:嚙砕く 生活力生命力旺盛 強運の時 難局に直面しても積極的に 努力熱意を忘れずにあたれば吉                           噬嗑 :かみ砕かれた食物

火雷噬嗑☞震下離上(全般△△△△〇×全24爻計☞◎0〇4△9×11)

仕‐×△×〇〇× 愛‐×××△△× 金‐×××△〇×

22. :成熟期 最後の輝きが増している時 見込み違いに要注意目先のことは吉 何事にも慎重さが必要積極性は裏目か                    賁:装飾の意 夕日に映えるルビー

山火賁☞離下艮上 (全般△〇△〇〇〇全24爻計☞◎1〇10△9×4)

仕‐△〇△〇〇〇 愛‐×△△〇◎△ 金‐×××△△〇

23. 浸食作用により次第に崩れていくイメージ 剥ぎ取る削る剥奪・剥離・追剥 衰運の時自重すべし進は危険                       剥:崩れゆく山 

山地剥☞坤下艮上 (全般△△△×××全24爻計☞◎0〇0△9×15)

仕‐△×△△△△ 愛‐×××××△ 金‐××××××

24. :元に戻る 徐々に生成発展し一歩ずつ前進する時期 一陽来復大計を立てるとき                                      :すべての陰が陽へと変わっていく 春立ち返る

地雷復☞震下坤上 (全般〇〇△〇〇×全24爻計☞◎0〇11△8×5

仕‐〇〇△〇〇× 愛‐△〇××〇△ 金‐△△△△〇×

25. 无妄自然の成り行きに任せる ありのままで自然の理法に叶い吉 従順に時を過ごしてゆけば最悪の状態も改善してゆく                    无妄:自然のままの働き 天の運行

天雷无妄☞震下乾上(全般〇〇△〇◎×全24爻計☞◎2〇11△7×4) 

仕‐〇〇△〇〇△ 愛‐△〇×△〇△ 金‐△〇△◎〇×

26. 大畜充実した力を何時でも奮える 時期を待っていくとき 知識人徳物質的にも十分に準備して行動開始                          大畜:米でいっぱいの倉 大いに蓄える

山天大畜☞乾下艮上(全般△△△〇〇〇全24爻計☞◎2〇10△9×3)

仕‐△△〇◎〇〇 愛‐××△〇〇△ 金‐×△△〇〇◎

27. 知識・思想を採り入れ精神を養うとき 悪食は禁物 口は災いの本でもある発する言葉には要中止 病胃腸に注意 
:養う 上あごと下あご

山雷頤☞震下艮上(全般×××〇〇〇全24爻計☞◎2〇9△5×8)

仕‐×××〇〇◎ 愛‐×△△△〇〇 金‐△△×〇◎〇

28. 大過責任荷重の時 危険に直面しているか強い意志力で克服できる 形は絡み合った蛇の状態 恋愛問題には要注意                     大過:背負った重み

沢風大過☞巽下兌上(全般△〇×〇〇×全24爻計☞◎2〇8△7×7)

仕‐△〇×〇〇× 愛‐△◎△△◎× 金‐〇△×△〇△×

29. :人生流転の時か悩み多の卦 四苦八苦の状態にある 強い覚悟と信念をもって真実に生きる以外道はなし 忍従の時 四大難卦            :不吉な黒い流れ

坎為水☞坎下坎上: (全般×△×△〇×全24卦計☞◎0〇4△10×10)

 仕‐×△×△〇× 愛‐△△△〇△× 金‐×△×△〇×

30. 自分の能力をフルな発揮できるときただし火を取り扱う慎重さも必要 気分の変化が激しい移り気に要注意の時期                     :明るい 降り注ぐ太陽

離為火☞離下離上(全般△〇×△〇〇全24爻計☞◎2〇7△10×5)

仕‐〇〇△×〇◎ 愛‐△◎△×〇△ 金‐×△△×△△

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「運に対して一定の信念を持っていなければならない、それが自分に対する自信に繋がっていく。運は創るというか育てていくもの。運というものは人間にとって大変必要なものですよ。謂わば自己形成の大きな原料です。」―運を開く言葉よりー

【四月の言葉】

**一日 縁あって

袖振り合うも他生の縁―と云う古い諺があるが人と人との繋がりほど不思議なものはない。其の人がその会社に入らなかったならばその人とはこの世で永遠に知り合う事もなかっただろう。考えてみれば人々は大きな運命の中で縁の糸で操られているとも思える。こうしたことを思うと人と人との繋がりと云うものは、個人の意志や考えで簡単に切れるものではなくもっともっと次元の高いものに左右されている様である。であるとすればお互いにこの世の中における人間関係をも少し大事にしたいしもう少し有難いものと考えたい。

*二日 人間はダイヤモンドの原石

私はお互い人間はダイヤモンドの原石の如きものだと考えている。ダイヤモンドの原石は磨くことに拠って光を放つ。しかも其れは磨き方如何カットの仕方如何で、様々に異なる燦然とした輝きを放つのである。同様に人間は誰もが夫々に光る様々な素晴らしい素質を持っている。だから人を育て活かすに中っても先ずそういう人間の本質と云うものを能く認識し其々の人が持っている優れた素質が活きる様な配慮をしていく。それが矢張り基本ではないか。もしそういう認識が無ければ幾ら良き人材があってもその人を活かすことは難しいと思う。

*三日 まず人の養成を

最近ではサービスの大切さという事が盛んに言われ、どういう商売でもそれなりの制度なり体制と云うものを逐次充実させつつあると思います。其事は大いに結構であり必要なことでしょうが、その任に当たるサービス員の養成が十分でないと折角の体制も所謂画龍点睛を欠くという事になって魂の入らないものとなってしまう恐れがあります。本当にお客様に喜んで頂けるサービスをしていくには、やはり会社を代表して適切にものを言い適切に処置が出来ると云う人の養成訓練を第一に大切なことと考え、その労を惜しまないという事だと思います。

*五日 学ぶ心

人とは教わらず又学ばずして何一つとして考えられるものでは無い。幼児の時は親から、学校では先生から、就職すれば先輩からと云うように教わり学んで後初めて自分の考えが出るものである。学ぶと云う心掛けさえあれば宇宙の万物はみな先生となる。物言わぬ木石から秋の夜空に輝く星屑などの自然現象、また先輩の厳しい叱責、後輩の純粋なアドバイス一つとして師ならざるものはない。どんな事からもどんな人からも、謙虚に素直に学びたい。学ぶ心が旺盛な人程新しい考えを創り出し独創性を発揮する人であると云っても過言ではない。

*九日 国民の良識を高める

民主主義の国家として一番大事なものは矢張りその民主主義を支えてゆくに相応しい良識が国民に養われているという事でしょう。さもなければその社会は所謂勝手主義に陥って収拾のつかない混乱も起こりかねないと思います。ですから国民お互いが夫々に社会の在り方人間の在り方について高度な良識を養っていかなければなりません。国民の良識の高まりと云う裏付けがあって初めて民主主義は花を咲かせるのです。民主主義の国にもし良識と云う水をやらなかったならば立派な花は咲かず却って変な花醜い姿のものになってしまうでしょう。

*十一日 夢中の動き

此の観音様は鑿が作ってくれた自分は何も覚えていない。と云うのは版画家棟方志功さんの言葉である。私は偶々この棟方さんが観音様を彫っておられる姿をテレビで拝見し、その仕事に魂と云うか全てをつぎ込んでおられる姿に深く心を打たれた。一つ一つの身体の動きが意識したものでなく当に夢中の動きとでも云うかそんな印象を受けたのである。その姿から人間が体を動かしてする作業と云うものの大切さをつくづくと感じさせられた。機械化に懸命な今日だからこそ魂の入った作業と云うものの大切さをお互いに再認識する必要があるのではないだろうか。

*十二日 使命感を持つ

人間は時に迷ったり怖れたり心配したりと云う弱い心を一面に持っている。だから事を為すに当って、ただ何となくやると云うのではそういう弱い心が働いて力強い行動が生まれてきにくい。けれども其処に一つの使命を見出し使命感を持って事に当っていけばそうした弱い心の持ち主雖も非常に力強いものが生じてくる。だから指導者は常に事に当って何の為に此れをするのかと云う使命感を持たねばならない。そしてそれを自ら持つと共に人々に訴えていくことが大事である。そこ二千万人と雖も我往かんの力強い姿が生まれるのである。

*十三日 運命を生かす為に

サラリーマンの人々が其々の会社に入られた動機には色々あると思う。中には何となく入社したと云う人もあるかも知れない。併し一旦就職しその会社の一員となったならば、これは唯何となくでは済まされない。入社したことがいわば運命で有り縁で有るとしても今度はその上に立って自ら志を立て自主的にその運命を生かしていかなくてはならないと思う。其の為にはやはり例え会社から与えられた仕事であっても進んで創意工夫を凝らし自ら其処に興味を見出しゆき遂には夢見る程に仕事に惚れると云う心境になる事が大切だと思う。

*十四日 知識は道具知恵は人

知識と知恵如何にも同じもののように考えられる可もしれない。けれどもよく考えてみるとこの二つは別物ではないかと云う気がする。つまり知識というのはある物事について知っているという事であるが、知恵と云うのは何が正しいかを知ると云うか所謂是非を判断するものではないかと思う。言い換えれば仮に知識を道具に譬えるならば知恵は其れを使う人そのものだと云えよう。お互い知識を高めると同時に其れを活用する知恵をより一層磨き高めてゆきたい。そうして始めて真に快適な共同生活を営む道も開けてくるのではないかと思うのである。

*十七日 人を惹きつける魅力を持つ

指導者にとって極めて望ましい事は人を惹きつける魅力を持つという事だと思う。指導者にこの人の爲なら・・と感じさせるような魅力があれば期せずして人が集まりまたその下で懸命に働くという事にもなろう。もっともそうは云ってもそうした魅力的な人柄と云うものはある程度先天的な面もあって、誰もが身につける事は難しいかも知れない。併し人情の機微に通じるとか人を大事にするとか云ったことも努力次第で一つの魅力ともなろう。何れにしても指導者は惹きつける魅力の大切さを知りそう云うものを養い高めていくことが望ましいと思う。

*二十日 信頼すれば・・・

人を使うコツは色々あるだろうが先ず大事な事は人を信頼し思い切って仕事を任せる事である。信頼され任されればん瓶嚴は嬉しいしそれだけ責任も感じる。だから自分なりに色々工夫もし努力もしてその責任を全うしていこうとする。言ってみれば信頼されることによってその人の力がフルに発揮されてくる譯である。実際には100%人を信頼してする事は難しいもので其処に任せて果たして大丈夫かと云う不安も起こってこよう。併し例えその信頼を裏切られても本望だと云うぐらいの気持ちがあれば案外に人は信頼に背かないものである。

*二一日 しつける

日本人は頭もよく素質も決して劣っていない。だから何がいいか悪いかぐらいは百も承知して要る筈であるが、さてそれが行動になって表れたりすると忽ち電車に乗るのに列を乱したり公園や名所旧跡を汚したりしてしまう。やはりこれはお互いに躾が足りないからではないかと思う。幾ら頭で知っていてもそれが子供の時から躾られていないと何時まで経っても人間らしい振舞が自然に出てこない。つまり折角の知識も躾に拠って身に着いていないとその人の身だしなみも好くならず結局社会人として共に暮らす事が出来なくなってくるのである。

*二六日 知識を活用する訓練

松下政経塾には優秀な先生方の講師として来て貰う訳ですが普通の学校の様な授業はやらない。先ず学生が質問をして其れを先生に答えて貰う形式をとる。質問するものがなかったなら先生は何も言ってくれないと云うようにしたいんです。質問をする為には疑問を持たなければならない。疑問を持つに至る迄の勉強は自分で遣らなければ為らないと云う訳です。つまり知識を与えるのではなく持っている知識を活用する能力を育てていく訓練を重ねて自分の考えを堂々と主張できるような人間になってもらいたいという願いを持っているのです。

*二七日 賢人ばかりでは

世の中は賢人が揃っておれば万事上手くいく

と云うものでは決してありません。賢人は一人いればそれで十分なんです。更に準賢人が三人準準賢人が四人くらい。そんな具合に人が集まれば上々でしょう。賢人ばかりですと議論倒れで一向に仕事が捗らないと云ったようなことに為りがちです。一つの実例を挙げればある会社で三人の立派な人物がお互いに協力し合って居た筈なのにどうも上手くいかない。そこで一人を抜いてみた。すると残る二人の仲がピタッとあって非常に上手く行きぬかれた人物も他の分野で成功した。そこなことがよくあるものなのです。

*二八日 会社は道場

仕事と云うものは矢張り自分でそれに取り組んで体得していかなければならないものだと思う。併し自得していくには其の為の場所と云うか道場とでもいうものが必要であろう。処が幸いな事にその道場は既に与えられている。即ち自分の職場自分の会社である。後はその道場で進んで修行しよう仕事を自得して行こうと云う気に為るどうかという事である。しかも会社と云う道場で月謝を払うどころか逆に給料までくれるのだからこんな具合の好い話はない。この様な認識に立てば仕事に取り組む姿も謙虚にしかも力強いものに為る筈である。

*三十日 困難から力が生まれる

人間と云うものは恵まれた順境が続けばどうしても知らず識らずの裡に其れに馴れて安易に成り易い。昔から治にいて乱を忘れずという事が言われ其れを究めて大切な心構えであるけれどもそういう事が本当に100%出来る人は恐らくいない。やはりどんな立派なな人でも無事泰平な状態が続けば遂安易になる。安心感が生じ進歩が止まってしまう。それが困難に出会い逆境に陥ると其処で目覚める。気持ちを引き締めて事に当たる。其処から順調な時に出なかった様な知恵が湧き考えつかなかった事を考え着く。画期的な進歩革新も初めて生まれてくる。