松下幸之助一日一話
仕事の知恵・人生の知恵
1999年4月15日初版発行PHP文庫
松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。
「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。
尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました
「感謝の心をわすれてはならない。感謝の心があってはじめてものを大切にする気持ちも人に対する謙虚さも生きる喜びも生まれてくる。」―人生心得帖よりー
【七月の言葉】
*一日 素直な心の初段
聞く処によると碁を習っている人は大体一万回ぐらい碁を打てば初段に為れると云う事です。素直な心の場合も其れと同じ様な事が言えるのではないかと思います。先ず素直な心になりたいと朝夕心に思い浮かべ、そうして絶えず日常の行いに捉われた態度がなかったかを反省する。そういう姿を一年二年と続けて一万回約三十年を経たならば、やがては素直の初段とも云うべき段階に到達する事も出来るのではないかと思うのです。素直の初段にもなったならば先ず一人前な心と云えるでしょう。だから大体に於いて過ち無き判断や行動が出来るようになってくると思います。
*三日 是を是とし非を非とする
兎角人間と云うものは物事を数の大小や力の強弱と云った事で判断しがちである。そういう事を中心に考えた方がいいと云う場合もあるだろう。然しそれは日常の事と云うか謂わば小事について云える事では無いだろうか。大事に決するに当たってはそうした利害損得と云ったものを超越し何が正しいかと云う観点に立って判断しなくては事を誤ってしまう。其れが出来ると云う事が指導者としての見識だと思うのである。兎角長い物には巻かれろ的な風潮の強い昨今だけに指導者には斯うした是を是とし非を非とする見識が強く望まれる。
*五日 責任を生甲斐に
人は成長するに連れて段々その責任が重くなってきます。そして成人に達すると法律的にもはっきり少年の頃とは違った責任を問われます。又次第に高い地位に就くようになると其れだけ責任が重くなります。併し人は元々責任を問われる処に人としての価値があるのだと思います。責任を問われることが大きければ大きい程其れだけ価値が高いと云う事が言えましょう。ですから責任を問われる処に生甲斐も有ろうと云うものです。責任を背負いその事に生甲斐を覚えないとしたら年齢は20歳をどれだけ過ぎようと一人前の人ではありません。
*七日 信ずる事と理解する事
繁栄平和幸福をより早くより大きく生む爲には信ずる事と理解する事-この二つを全うしてゆかねばなりません。と云うのは信を誤らない為には理解を正しく働さなければなりません。
理解を捨てると迷信に陥り易く復理解だけで信ずる心が無ければ信念に弱さを生じてしまうからです。では信斗解を全うしてゆくにどうすればよいか。其れには先ず素直な心に為る事です。正しい理解も素直な心から生まれてきますし信ずる事も素直な心から高まってくると思います。心が素直であって信と解が共に高まればあらゆる場合に適切な働きが出来るようになると思います。
*十日 大人の責任
現代の青年は夢がないとか生甲斐を見失っているとかいうけれども、其れは青年自身の問題ばかりでなく社会の問題大人の問題とも云えるのではないだろうか。つまり大人と云うか其國その政治が青年達に生甲斐を持たすようにしていない。夢を与えていない。使命感を与えていないのである。例えば同じ仕事をするにしても其事の意義とか価値と云うものを、はっきりと自覚させられ教えられていないから迷ったり不平を持って、やがては現代の社会を呪う様にもなる訳であろう。其処に今日の日本の根本の問題があるのではないかと思う
*十一日 礼儀作法は潤滑油
私は礼儀作法と云うものは決して堅苦しい物でも単なる形式でもないと思います。其れは云わば社会生活における潤滑油の様なものと云えるのではないでしょうか。職場では性格や年齢物の考え方等色々な面で異なる人々が相寄って仕事をしています。そのお互いの間を滑らかに動かす役割を果たすのが礼儀作法だと思うのです。ですから礼儀作法と云うものは当然心の籠ったものでなければなりませんが、心に思っているだけでは潤滑油とはなりません。やはり形に表し相手に伝わり易くし心と形の両面が相俟った適切な礼儀作法であってこそ初めて生きてくると思うのです。
*十二日 自らを掴かむ
人其々顔形が違う様に人間には誰しも一人一人違った素養才能を持っている。唯其れは顔を鏡に映す如くには表面に出にくい。併しそう云う自分の素質とか才能と云うものを自分ではっきりと掴み、そして日々の活動に牽いては人生に活かす事が出来たらどれだけ人間としての喜びに満ちた生活が営まれ、人生の妙味と云うものを味わう事が出来るだろうか。一人一人が他と違ったものを持ちそして日々新たに発展していく。其処には苦しみもあろうが何ものにも代えがたい喜びもある筈である。
*十三日 世論を超える
一般に指導者と云うものは世論と云うか多数の意見を大切にしなくてはいけない。世論に耳を傾けず自分一個の範dんで事を進めて行けば往々にして独断に陥り過ちを犯す事に為ってしまう。けれども其れは飽く迄平常の事である。非常の場合には其れだけでは処し切れない面も出てくる。そういう場合には指導者は世論を超えてより高い知恵を生み出さなくてはいけない。常は世論を大切にし世論を尊重しつつも非常の場合には敢えて其れに反してもより正しい事を行う。其れが出来ない指導者ではいけないと思う。
*十六日 仕事は無限にある
この頃不景気で仕事がないと云うけれども今後百年の日本というものを考えてみると、その間に日本の建物と云う建物は殆ど作り直さなければならなくなるだろう。橋や道路も同じである。そう云う事を考えてみただけでも仕事は云わば無限困る程にあるのである。処がそう云う見方をせずに自ら仕事が無い様にし不景気にしているのが今の日本の実情ではないだろうか。是は物の見方を変えないといけない発想の転換をしなければいけないと云う事である。そうしてこそ初めて我が国に無限の仕事がある事が判るのである。
*十七日 自他相愛の精神
個人と個人との争い国と国との争いは、相手を傷つけ更には社会全体世界全体を混乱させる。そういう争いの大きな原因は自他相愛の精神と云うか、自分を愛するように他人を愛し自国を愛するように他国を愛する精神の欠如によるものであろう。そういう精神の大切さは昔から色々な教えに拠って説かれてい乍ら未だに争いが絶えないのは人々が此の事をの大切さを真に悟っておらずその精神に徹していないからだと思う。争いは自らをも傷つけると云う事を身を持って師利人類に平和を齎す為に力を合わせて行く事が肝要である。
*二一日 世間は神の如きもの
事業が大きくなってくると仕事も段々と複雑になって其処に色々な問題が起こってくる。私はこの問題をどう考えどう解釈すべきかと日々の必要に迫られて、その解決策の根本を求めていくうちに世間は神の如きも、の自分のした事が当を得ていると世間は必ず是を受け入れてくれるに違いないとう考えに行きついた。正しい仕事をしていれば悩みは起こらない。悩みがあれば自分のやり方を変えればよい。世間の見方は正しい。だからこの正しい世間と共に懸命に仕事をしていこう、こう考えているのである。
*二二日 河豚の毒でも
今日の我が国では折角いいものが発明されても其れに万に一つでも欠陥があれば、もうそれで其の物は全て駄目としてしまうような傾向が強い様に思われます。其れは云ってみればフグの毒を発見してフグを食べるのを一切やめてしまう様なものだと思います。科学技術が非常に進歩した今日に生きる私達は河豚の安全な調理に成功した昔の人に笑われない様、物事を前向きに考え折角の科学技術の成果を十分に活用できるだけの知恵を更に養い高めて行く事が必要ではないかと思います。其処に人間としての一つの大きな使命があるのではないかと思うのです。
*二四日 利害を超える
ある日私の処に自分の会社で造る製品の販売を引き受けて貰えないかと云う話を持ってこられた人がいた。私は色々と其の人の話を聞いてみてこの人は偉い人だなと思った。普通であれば自分に出来るだけ有利に為る様交渉する。其れが謂わば当たり前である。ところがその人は全てを任せるという自分の利害を超越した態度を取られた。私はその態度に感激し心を打たれた。我々はともすれば自分の利害を中心にものを考える。是は当然の姿かもしれない。然しそれだけに其れを超越した様な姿に対しては心を動かされる。是もまた人間としての一つの姿ではないか。
*二六日 経営にも素直な心が
成功する経営者と失敗する経営者の間にある大きな違いは、私心に捉われず公の心でどの程度ものを見る事が出来るかと云う事にあると思います。私心つまり私的欲望によって経営を行う経営者は必ず失敗します。私的欲望に打ち勝つ経営者であってこそ事業に隆々たる繁栄発展を齎す事が出来ると思うのです。私の欲望に捉われず公の欲望を優先させると云う事は、言葉を替えれば素直な心に為ると云う事です。その様に私心に捉われず素直な心で物事を見る事が出来るように、自らを常に顧み戒める事が大切だと思います。
*二七日 人間の幸せの為の政治
私達が決して忘れてならない事は政治は結局お互い人間の幸せを高める為にあると云う事です。過去に於いては多くの人々が政治に拠って苦しめられお互いの血を血を洗うと云う事もありました。併しそうした好ましくない姿は政治の本来の姿ではない。政治は本来お互い人間の其々の活動をスムーズに進める事が出来るようにするものです。それらの調整調和を図り共同生活の向上を計って、一人一人の幸せを生み高める事こそをその使命としているのです。此の政治は本来人間の幸せの為にあると云う事を私達は先ず正しく認識し合う必要があると思います。
*二九日 力の限度にあった仕事を
二・三人の人を使っての個人企業の経営者としては立派に成績を上げたけれども十人・二十人と人が増えてはもう遣っていけないと云う人も有ろう。此の事は一人経営者についてだけでなく部とか課の責任者、更には一人一人の社員が仕事と取り組む上での心構えと云った点で大事な教訓を含んでいると思う。其れは一言でいえばお互いが自分の能力を知り其の上に立って、自己の適性と云うか力の限度にあった仕事をしていかねばならないと云う事である。自分の能力を常に検討し適性に合った仕事をしていくという事に為ってこそ、自分自身惹いては会社や世の中にも貢献する事が出来ると思うのである。
*三一日 自分自身への説得
説得と云うものは他人に対するものばかりとは限らない。自分自身に対して説得する事が必要な場合もある。自分の心を励まし勇気を奮い起こさねばならない場合もあろうし、又自分の心を抑えて辛抱しなければならない場合もあろう。そうした際には自分自身への説得が必要になってくる譯である。私が此れ迄自分自身への説得を色々してきた中で今でも大雪ではないかと思う事の一つは自分は運が強いと自分に言い聞かせる事である。本当は弱いかわからない。併し自分自身を説得して強いと信じさせるのである。そう云う事が私は非常に大事ではないかと思う。
