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松下幸之助の言葉

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

自分の長所に自惚れてはならない。自分の短所に劣等感を持つ必要もない。長所も短所も天与の個性、持ち味の一面である。」―人生心得帖よりー

【十月の言葉】

*一日 法治国家は中進國

今日法治国家というのは大体先進国と云う事に為っていますが、私は法治国家は真お先進国とは言えないのではないかと云う気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は謂わば中進国であって真の先進国文明国とは法律が極めて少なく所謂法三章で治まっていく国と云う事では無いかと思うのです。とすれば真の先進国に成る為にはやはり国民の良識の涵養と云うものを大いに図っていかなければ成りません。其事に成功しない限りは先進国にはなれないのではなかと思うのです。

*三日 千差万別の人間

人間は千差万別の姿と心に生まれついています。従って其々の持つ使命も天分も全部異なっているのではないかと考えられます。然し現実の社会では総てを一つの型に嵌め様規制しよう同じ道を歩ませ様とする嫌いが多分にある様に思われます。勿論こうした考え方は一面に於いては必要なのですが世の中を全部そういう考え方ものの見方で通そうとする事は決して社会の進歩には繋がらないでしょう。ですから人間が夫々持っている特性と云うものを能く認識しその特性を生かしていける共同生活を考え出さなければならないと思うのです。

*四日 心を磨く

人間の心と云うものは本当に自由なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても心の働きに由って如何様にでも考えられると思うのです。もう辛抱出来ない明日にでも自殺したいと云う場合でも考え方を変えるならば。一転して恰も広々とした大海を往くが如き悠々とした心境に転向する事さえできるのです。其れが人間の心の働きと云うものでしょう。ですから我々は是から仕事をするに当って先ず心を磨くと云うかものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに今迄得た知識を加えてやっていけば必ず大きな成果が生まれると思います。

*七日 体力と気力と経験

人間の体力と云うものは三十才前後が頂上であろう。一方気力と云う事に成ると私の常識的な体験から言えば四十歳位が最高になり之を過ぎると次第に衰えて来るのではなかろうか。勿論気力は落ちても立派に仕事は出来る。と云うのは其れ迄のその人の経験と云うものが其の気力の衰えを支えるからである。それともう一つは先輩として尊ばれ後輩達の後押しによって少々困難な事でも立派に遂行できるようになる。斯うした力が加わるからこそ歳を取って気力体力共に若い人達にとても適わない様になっても支障なく仕事が進められるのではないか。

*八日 進歩への貢献者

商品を創る方は勿論今日現在は其れが最善だと思って出すのですが、日進月歩の世の中ですから日と共に新しいアイデアが生まれてきます。ですからお客さんの中には後から買った人は非常にいいものが手に入るから先に買った人は損だと云われる方も在ります。然し商品と云うものは最初に買う人がいなければ進歩しません。先に買う人は私が金を投じて買ったから多くの人に行渡る事に為った。私は貢献者なんだ。同時に自分は一番早くその便益を得たから寧ろ得をしたんだとこう考える事に拠って世の中は発展すると思うのです。

*十日 大事に立てば起つ程

困難期混乱期に際して大事な事は根本的な心の迷いを取り除いて確りと心を確立してゆく事です。志を堅く堅持してそして事に立ち向かう事が出来るなら、その時に応じて最善と考えられる具体的な方策は適切に出てくるものだと思います。その志を確固として持つ事無しに混乱期に直面すれば彼是と心が迷い事に為って事が失敗に終る場合が少なくないと思うのです。将に貧すれば鈍すです。大事に立てば起つ程如何生きるかについての確りした信念を持つ。そうして事に当ればある程度の処置を過たずして出来るものだと思います。

*十二日 経営は総合芸術

経営者の仕事は画家等の芸術家の創造活動と軌を一にするものだと考える。一つの事業の構想を考え計画を立てる。其れに基づいて資金を求め工場その他の施設を造り人を得製品を開発し其れを生産し人々の様に立てる。その過程と云うものは画家が絵を描く如く是総て創造の連続だと云えよう。成程形だけ見れば単にモノを作っていると見えるかもしれないがその過程には到る処に経営者の精神が生き生きと躍動しているのである。その意味に於いて経営は極めて価値の高い云わば総合芸術とも言う べきものだと思います。

*十五日 紙一枚の差

社会に対する責任と云う事を同じ様に考えてやっていてもその徹し方には差がある。一方は是で十分だと考えるがもう一方はまだ足りないかも知れないと考える。そうした謂わば紙一枚の差が大きな成果の違いを生む。もう十分だと考えると苦情があってもああいうが家も十分やっているのだからと云う事になって遂反論する。けれどもまだ足りないと思えばそうした苦情に対しても敏感に受け入れ対処していく事に為る。其う云う事が商品技術販売の上に更に経営全般に行われれば年月を重ねるにつれて立派な業績を上げる殊に為る訳である。

*十六日 諸行無常の教え

その昔お釈迦さまは諸行無常と云う事を説かれました。この教えは一般には世は儚いものだと云う意味に解釈されているようですが、私は寧ろ諸行とは万物と考え諸行無常とは即ち万物流転であり生成発展と云う事であると解釈したら如何かと思うのです。言い換えますとお釈迦様は日に新たでなければならないぞと云う事を教えられたのだと云う事です。是は単に仏教だけの問題でなくお互いの日々の仕事を初め慧お互いの人生社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。

*十八日 独断は失敗に繋がる

仕事でお互いが注意すべき事は会社の伝統方針を無視した自分一人の考えで行動しないと云う事です。人一人の知恵は如何に優れていても伝統も顧みず方針を等閑視して狭い自分の主観から生まれてくる判断で行動すれば却って会社をマイナスに導きます。私達は兎角ものの一面に捉われて自己の考え已を主張しているとその背後に流れる大きな力を見忘れてしまうものです。其処から大きな失敗が表れてきます。常に自己の背後にある流れ繋がりを見通す目、心を培いその中で自己を生かすよう訓練して行かなければなりません。

*十九日 良識を養う

この世の中ではお互いが様々な言説を唱えています。然し自由の下に自説を主張する場合は自説に捉われて対立にのみ終始すると云う事ではいけません。対立しつつも調和して往かなければなら荷と思います。其の為にはお互いが其々に自らの良識を養い高めて行く事が大切です。公共の福祉に反してはならないと云う事は勿論法律にも定められていますが、矢張り法律だけでは律し切れないものがある訳です。そう云うものについては個々の人々が自らの良識で事を判断する事に拠って自由を真の自由たらしめていかなければならないと思うのです。

*二十日 小異を捨て大同につく

明治維新の立役者は勝海舟と西郷隆盛である。当時官軍にも幕府側にも戦いを主張する人は少なからずあり複雑な情勢であった。然し勝海舟も西郷隆盛も戦う事を決して軽視はしなかったけれども、それ以上に日本の将来と云う事を深く考えた譯である。そう云う両者の一致した思いが江戸城無血開城を可能にしたのだと思う。結局指導者が目先の事枝葉末節に捉われず大所高所からものを見、大局的に判断する事が如何に大切かと云う事である。何が一番大事であり何が真に正しいか絶えず小異を捨て大同につく、それが指導者として極めて大切な心構えだと思う。

*二二日 成功のコツ

良い会社だと思って入った会社でも一から十迄何もかもいいとは限りません。時には欠点もあるでしょう。然しそれを初めからこんな会社はあかんと決めてかかるか、それとも如何もこの点だけは善いとは思わないがこれは自分の問題として改善向上させていこう、と云う熱意を持って当たるかに由って対応の仕方が全く変わってくるでしょう。善し自分の会社を今よりももっと良い会社にしてやるぞ、と云う意欲を持ち全ての事を前向きに捉える姿勢を持つ人は、信頼もされ頼もしい社員として嘱望もされるでしょう。成功のコツはそのような処に在ると思うのです。

*二三日 原因は自分にある

人間と云うものは他人の欠点は目に付き易いものだ。往々にして何か問題が起こると其れは総て他人の所為で自分はに関係がないと考えがちである。実際に他人の所為であって自分は無関係なものもある。併し其れをそう判定するのは飽く迄も人間である。他人の所為ではあるけれども実は自分の所為でもある。と云う様に自分は全く関係がないとは言い切れない場合も少なくないのではなかろうか。少なくとも問題が起こった際には他人の所為だと考える前に、先ず自分の所為ではないかと云う事を一度考え直してみる事が非常に大切ではないかと思うのである。

*二五日 人の話に耳を傾ける

日頃部下の云う事をよく聞く人の処では比較的人が育っている。其れに対して余り耳を傾けない人の下では人が育ち難い。そういう傾向が有る様に思われる。何故そうなるかと云うと矢張り部下の言葉に耳を傾ける事に拠って、部下が自主的にものを考えるようになり其の事がその人を成長させるのだと思う。けれども自分の云う事に上司が耳を傾けてくれないと云うのでは、唯惰性で仕事をすると云う事になって成長も止まってしまう。上司としてどんな場合でも大事なのは耳を傾けるという基本的な心構えを何時も持っていると云う事であろう。

*二七日 インテリの弱さ

今日能く耳にする言葉にインテリの弱さと云う事がある。是はインテリには生じっかな知識が在る為に其れに囚われて仕舞、其れは出来ないとか其れは如何考えても無理だと思い込んでしまって、中々実行に移さないという一面を言った言葉だと思う。実際嗚呼其れは今迄何度も遣ってみたんだが出来ないんだと、決め込んでいる事が我々の身の回りには意外に多いのではなかろうか。時には自分の考え復自分を捉えている常識や既存の知識から解放され、純粋な疑問純粋な思い付きと云うものを大切にしてみてはどうだろうか。

*二八日 怖さを知る

人は其々怖いものを持っています。子供が親を怖いと感じたり、社員が社長を恐いと思ったり世間が怖いと思ったりします。然し其れと共に自分自身が怖いと云う場合が有ります。共すれば怠け心が起るのが怖い、傲慢になりがちなのが怖いと云う様なものです。私は此の怖さを持つと云う事が大切だと思います。怖さを常に心に懐き恐れを感じつつ日々の努力を重ねていく。其処に慎み深さが生まれ自分の行動に反省をする余裕が生まれてくると思うのです。そして其処から自分の正しい道を選ぶ的確な判断もより出来る様になると思います。

*三一日 先ず与えよう

持ちつ持たれつと云う言葉もあるがこの世の中はお互いに与え合い与えられ合う事に拠って成り立っている。其れはお金とか品物と云った物質的な面もあれば思い遣りと言った様な心の面もある。聖書の中にも与うるは受浮くるよりも幸いなりと云う言葉があると云うが人間とは他から貰う事も嬉しい方が他に与え他を喜ばす事により大きな喜びを感じると云う処があると思う。そういう喜びを自ら味わいつつしかも自分を含めた社会全体をより豊かにして行く事が出来るのである。先ず与えよう此れをお互いの合言葉にしたいと思うのだがどうであろうか。

猫を読んだ句

日本の歳時記(小学館刊)に収録された句 から紹介いたします(=^・^=)

ヒャクダイノ カカクシンガリニ ネコノコモ        春1/8      ネコノコ   

百代の過客しんがりに猫の子も      加藤楸邨  

ウララカヤ ネコニモノイフ ツマノコヘ         春1/10     ウララカ

うららかや猫にものいふ妻の声      日野草城

チラチラト カゲロフタチヌ ネコノツカ         春3/7     カゲロウ

ちらちらとかげろふ立ちぬ猫の塚     夏目漱石

ウラヤマシ オモヒキリドキ ネコノコヒ         春4/31     ネコノコイ

うらやましおもひ切時猫の恋       越智越人

バクシュウヤ ヘビトタタカフ テラノネコ        夏7/8     バクシュウ

麦秋や蛇と戦ふ寺の猫          村上鬼城

ネコノメノ ウゴメクヤミヤ チンチョウゲ        春9/33    チンチョウゲ

    猫の目の蠢く闇や沈丁花         畑賢吉

イエジュウガ ヒルネシテヲリ ネコマデモ        夏12/2     ヒルネ

    家中が昼寝してをり猫までも       五十嵐播水

ツユアケヌ ネコガマヅキニ カケノボル        夏12/10    ツユアケ

    梅雨明けぬ猫が先づ木に駆け登る     相生垣加瓜人

イヌネコト オナジスガタヤ フユザシキ        冬19/15    フユザシキ

    犬猫と同じ姿や冬座敷          富田木歩

オオデラニ ショウジハルヒノ ネココネコ        秋21/15    ショウジハル

    大寺に障子はる日の猫子猫                       三好達二

ネコジヤラシ モテバジヤラサズ ニハヲレズ      秋22/23    ネコジャラシ

    猫じやらし持てばじやらさずにはをれず   西宮舞

ウソザムヤ ショウジノアナヲ ノゾクネコ       秋26/10    ウソザム

    うそ寒や障子の穴を覗く猫              富田木歩

ネコノメニ ウミノイロアル コハルカナ         冬29/11     コハル

    猫の目に海の色ある小春かな      久保より江

コギノノラ ジョジョニヨラシム ヒナガカナ      春32/32    ヒナガ

    孤疑の野良猫徐々に寄らしむ日永かな    亀丸公俊

クロネコヲ クミフセアイス ヒナタカナ         冬34/33    ヒナタ

     黒猫を組み伏せ愛す日向かな       正木ゆう子

ハカイシニ ネコネルヒルヤ ナツコダチ          夏34/33    ナツコダチ     墓石に猫寝る昼や夏木立          車谷長吉       

 

ナイシンハ シュラノチマタヤ ネコジャラシ       秋35/32    ネコジャラシ

    内心は修羅の巷や猫じやらし       小林貴子

ハツゴエノ ホウヘウゴイテ ネコノミミ        新36/28    ハツゴエ

    はつごゑの方へ動いて猫の耳       高尾真琴

ウスメアケ ヒトキラヒナリ コタツネコ         冬36/29    コタツネコ

    薄目あけ人嫌ひなり炬燵猫        松本たかし

ナニモカモ シツテヲルナリ カマドネコ         冬36/29    カマドネコ

    何もかも知ってをるなり竈猫       富田風  

カマドネコ ウタレテヲリシ ハイボコリ         冬36/29    カマドネコ

    竈猫打たれて居りし灰ぼこり      中村汀女

カンキョトハ ヘツツヒネコノ オルバカリ        冬36/29    ヘッツイネコ

    閑居とはへつつひ猫の居るばかり    阿波野青畝

モチバナヲ イマドノネコニ ササゲバヤ       新38/6    モチバナ

   餅花を今戸の猫にささげばや           芥川龍之介

シャムネコノ メニハルノウミ 二タカケラ        春38/324  ハルノウミ

   シャム猫の目に春の海二かけら          鈴木貞雄

シカラレテ メヲツブルネコ ハルドナリ         冬40/3    ハルドナリ

   叱られて目をつぶる猫春隣        久保田万太郎

オノミチニ ネコノホソミチ オキナノキ         冬41/24   オキナノキ

   尾道に猫のほそみち翁の忌         鷹羽狩行

コウバイニ ホシテオクナリ アラヒネコ         春44/8    コウバイ

   紅梅にほしておく也洗ひ猫        小林一茶

ハブタエノ ヒザニアキテヤ ネコノコイ         春46/8    ネコノコイ

   羽二重の膝に飽きてや猫の恋         支考

ナノハナニ マブレテキタリ ネコノコイ         春46/8    ネコノコイ

   菜の花にまぶれて来たり猫の恋       小林一茶

コイネコヤ カラクレナイノ ヒモヲヒキ          春46/8    コイネコ

   恋猫やからくれなゐ の紐をひき      松本たかし

リョウホウニ ヒゲガアルナリ ネコノツマ         春46/12   ネコノツマ

   両方に鬚があるなり猫の妻                     来山

ネコハロニ カモハツバキニ ネハンニシ         春47/10   ネハンニシ

   猫は炉に鴨は椿に涅槃西風         西島麦南

ネコノコノ クンヅホグレツ コチョウカナ        春49/3    チョウ

   猫の子のくんづほぐれつ胡蝶かな       其角

古事記人名検索(Ⅳ)

=あいうえお順=

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人として特定できるものは表記している

(再録かも??)

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。尚、神名は参考にしている新潮社古典文学54年版「古事記」の末尾附録として掲載されてます。ご興味ある方は、そちらもご覧ください。

因みに 岩波古典文学大系「古事記」の付録は、今に伝わる祝詞のすべてが、また小学館版の「古事記」には上代歌謡のすべてが収録されています。

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タ行

高倉下          タカクラジ      中   111   20   熊野豪族 高天原ヨリ神武救護の刀を授かる

多芸志美美命       タギシミミノミコト    中   119   37  
アヒラヒメ・ジンムの子 後に庶子弟により殺害(当芸志美美命

建沼河耳命        タケヌナカワミミノミコト   中   123   46 ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの三男タケヌナカワ同 第二代綏靖天皇スイゼイ 葛城高岡宮(奈良御所ゴゼ市森脇)崩御45歳 御陵:衝田ツキタ岡(橿原市四条町田井坪)

多芸志泥命        タギシヒコノミコト    中   125   62  イトク・フトマワカヒメ次男血沼別チヌノワケ/多遅麻之竹別/葦井稲置ノ祖

建波邇夜須毘古命     タケハニヤスビコニモコト   中   128   93
コウゲンテンノウ・ハニヤスビメ長子→崇神記謀反企誅殺

建沼河別命        タケヌナカワワケノミコト   中   129   94
オホビコ長子→阿部臣等ノ祖・崇神記:四道将軍‐東海地方


高千那毘売        タカチナビメ      中   129   97
 オホナビ妹-ヒコフツオシノマコト妻

建内宿禰         タケウチノスクネ     中   129   101
ヒコフツオシノマコト・ヤマシタカゲヒメ長子→イワノヒメ(ニントクテンノウ后)ノ祖父 セイム~ニントク朝に仕える長寿家臣ジングウコウゴウ朝鮮出兵時霊媒者

竹野比売         タカノヒメ       中   130   112
 ユゴリ娘-カイカテンノウ妃

建豊波豆羅和気王     タケトヨハヅラワケノミコ   中   130   121
カイカテンノウ・ワシヒメ長子→道守チモリ臣・忍海部オシヌミベ造・御名部ミナベ造 稲羽ノ忍海部・丹波ノ竹野別・依網ノ阿毘古等ノ祖

建国勝戸売        タケクニカツトメ     中   131   129
春日豪蔟 サホノオホクラミトメ親

丹波比古多多須美知能宇斯王 タニハノヒコタタスミチノウシノミコ 中   131   138
ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ長子 娘エヒメ・オトヒメ→スイニンテンノウ朝サホビコ謀反記事  書紀崇神紀:丹波道四道将軍

丹波遠津臣        タニハノトホツオミ     中   132   157
丹波豪族主 タカヒメ(カニメイカヅチ妻)親 

高材比売         タカキヒメ       中   132   158
 タニハノトホツオミ娘-カニメイカヅチオオキミ妻

建甕槌命         タケミカヅチノミコト    中   135   187
イイカタシミノミコト子ーオオタタネコノ父-オオモノヌシ系

多遅摩毛理        タジマモリ      中   153   224
三宅連ノ祖・アメノヒボコ系譜子孫→スイニン朝常世ノ国ヨリトキジクノ木ノ実(橘)を持ち帰る

高木比売命        タカキヒメノミコト     中   155   243
ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

帯中日子命        タラシナカツヒコノミコト   中   171   267
ヤマトタケル・フタジノイリビメ(スイニンテンノウ娘)長子→第十四代仲哀天皇チュウアイ 穴戸豊浦アナトノトユラ宮-山口豊浦郡下関 筑紫訶志比宮-福岡香椎 (壬戌年6月11日)崩御-西暦362年比定?)52歳崩御天皇在位9年 御陵:河内恵我長野西エガノナガノノニシ陵(大阪藤井寺市)

建貝児王         タケカヒコノオオキミ    中   172   274
ヤマトタケル・オオキビタケヒメ長子→讃岐綾君・伊勢別・登美別・麻佐首・宮首ミヤヂ別等の祖

建忍山垂根        タケオシヤマタリネ     中   173   291
穂積臣の祖 オトタカライラツメ(セイムテンノウ妃)ノ親

高木之入日売命      タカギノイリヒメノミコト   中   183   300
ホムダマワカ娘長女-オウジンテンノウ妃

建伊那陀宿禰       タケイナダノスクネ    中   183   303
尾張連ノ祖 シリツキトメ(イホキノイリヒコノ妻)ノ親

玉郎女          タマノイラツメ      中   184   334
オウジンテンノウ・カグロヒメ次女

卓素           タクソ        中   192   347
百済国照古王献上 手人韓鍛テヒトカラカメチ-鍛冶技術者 応神朝

多遅摩之㑨尾       タジマノマタヲ     中   199   356
 但馬 (丹波) 国豪族首長か  サキツミ(アメノヒボコ妻)ノ親

多遅摩母呂湏玖      タジマモロスク     中   199   358
アメノヒボコ・サキツミ長子

多遅摩斐泥        タジマヒネ      中   199   359
タジマモトスク長子

多遅摩比那良岐      タジマヒナラキ     中   199   360
タジマヒネ長子→タジマモリノ父

多遅摩比多訶       タジマヒタカ      中   199   361
 タジマヒラナキ次男(長子―タジマモリ)

当摩之咩斐        タギマノメヒ      中   199   363
奈良葛城地帯氏族一族か-スガヒコ妻

田井之中比売       タイノナカツヒメ     中   199   375
ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)次女-インギョウテンノウ皇后ノ妹

蝮之水歯別命       タヂヒノミヅハワケノミコト  下   204   386
ニントクテンノウ・イワノヒメ三男→第十八代反正天皇ハンゼイ多治比柴垣宮-大阪羽曳野市郡戸コオズ 丁丑年7月60歳崩御 御陵:毛受野モズノ(大阪堺市田出井町)

財王           タカラノオホキミ     下   225   416
ハンゼイテンノウ・オトヒメ長男

多訶弁郎女        タカベノイラツメ     下   225   417
ハンゼイテンノウ・オトヒメ次女

橘大郎女         タチバナノオホイラツメ   下   225   427
インギョウテンノウ・オオナカツヒメ三女

高木郎女         タカギノイラツメ     下   263   472
 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ長女

財郎女          タカラノイラツメ     下   263   473
ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ次女

手白髪郎女        タシラカノイラツメ     下   264   475
ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ四女-ケイタイテンノウ大后

建小広国押楯命      タケヲヒロクニオシタテノミコト  下   265   488
ケイタイテンノウ・メノコノイラツメ次子→第二十八代ノ宣化天皇センカ・センゲ 檜垌ヒノクマ廬入野イホイリノ宮  -奈良高市郡明日香檜前ヒノクマ 在位4年 書記:73歳崩御 御陵:身狭桃花鳥ムサノツキ坂上(奈良橿原市鳥屋)

橘中比売         タチバナノナカツヒメ    下   266   517
ニンケンテンノウ御子?ーセンカ(センゲ)テンノウ妃

橘豊日命         タチバナノトヨヒノミコト   下   267   535
キンメイテンノウ・キタシヒメ長子→第三十一代用明天皇ヨウメイ
池辺宮イケノベノミヤ三年在位 丁未ヒノトノヒツジ587年4月15日崩御 御陵:石寸イハレ掖上ワキガミ(桜井市倉橋)→後科長中陵シナガノナカノミササギへ

橘本若子王     タチバナモトノワクゴノオホキミ  下   268   546
キンメイテンノウ・キタシヒメ九男

竹田王          タケダノオホキミ     下   268   559
ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長子

多米王          タメノオホキミ      下   269   565
ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)六男

宝王           タカラノオホキミ     下   269   570
ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・タムラノオホキミ同

田村王          タムラノオホキミ     下   269   583
ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・ヌカデヒメ同

多良王          タラノオホキミ      下   269   585
ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ三男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

多米王          タメノオホキミ      下   270   593
ヨウメイテンノウ・オホギタシヒメ長子

当麻倉首比呂       タギマノクラノオビトヒロ  下   270   598
当麻地方豪族首長 イヒメノコ(ヨウメイテンノウ妃)親

当麻王          タギマノオホキミ     下   270   600
ヨウメイテンノウ・イイメノコ長子

チ行

千千速真若比売      チチハヤマワカヒメ     中   127   73
春日豪族 コウレイテンノウ妻

千千速比売命       チチハヤヒメノミコト    中   127   74
コウレイテンノウ・チチハヤマワカヒメ長女

近淡海御上祝       チカツアフミノミカミノハフリ  中   131   136
(滋賀県)御上神社神官

千千都久和比売命     チチツウワヒメノミコト    中   134   179
スジンテンノウ・ミマツヒメ次女

知奴王          チヌノオホキミ      下   269   588
ヒコヒトヒツギノミコ・オオマタオホキミ長女

ツ行

土雲八十建        ツチグモヤソタケル    中   116   28
大和忍坂土着生尾蔟 神武敵対

都怒郎女         ツノノイラツメ      下   225   412
ワニノコゴト娘→ハンゼイテンノウ妃

都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   225   414
ハンゼイテンノウ・ツノノイラツメ次女 

都夫良意富美       ツブラオホミ      下   235   436
タケノウチスクネ曾孫豪族葛城氏皇室外戚 カツラギノツブラノオホオミ同 カラヒメ(ユウリャク妃)親-アンコウテンノウ刺殺のマヨワオオキミが逃込む :ユウリャクテンノウに攻められマヨワオオキミと共に死す

都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   265   512
ケイコウテンノウ・アヘノハエヒメ次女

竺紫国石井        ツクシノクニオノイハイ    下   266   514
 ケイタイ朝筑紫にて反乱

ト行(テ行ナシ)

登美能那賀須泥毘古 トミノナガスネヒコ    中   110   19
長髄彦 登見毘古―大和登美豪族 神武東征阻む勢力

登美毘古         トミビコ       中   117   29
大和豪族→長脛彦ナガスネヒコ トミノナガスネヒコ同 神武東征阻む勢力

登美夜毘売  (田+比)   トミヤビメ      中   119   33
トミビコ妹ニ゙ハヤヒ妻(妹登美夜毘売

常根津日子伊呂泥命    トコネツヒコイロネノミコト   中   125   51
アクトヒメ・アンネイ長子

遠津年魚目目微比売    トホツアユメマグハシヒメ   中   133   167
アラカワトベ娘ースジンテンノウ妃

豊木入日子命       トヨキイリヒコノミコト    中   133   168
スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長子→上毛野カミツケノ/下毛野君等ノ祖

豊鉏入日売命       トヨスキイリヒメノミコト   中   133   169
スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長女→伊勢神宮祭祀拝斎初代斎宮

十市之入日売命      トヲチノイリヒメノミコト   中   133   174
スジンテンノウ・オオアマヒメ次女

豊戸別王         トヨトワケノオホキミ    中   154   237
ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇子

豊国別王         トヨクニワケノオホキミ    中   155   246
ケイコウテンノウ・ミハカシビメ長子→日向国造ノ祖

登富志郎女        トホシノイラツメ     中   184   336
オウジンテンノウ・カグロヒメ四女

取売王          トリメノオホオキミ     中   203   377
ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)四女

鳥山           トリヤマ       下   211   397
ニントクテンノウ舎人

豊御気炊屋比売命     トヨミケカシキヤヒメノミコト  下   267   538
キンメイテンノウ・キタシヒメ次女-ビタツテンノウ妃→第三十三代推古天皇スイコ 小治田宮三十七年在位 戊子ツチノエネー628年3月15日癸丑ミズノトノウシノヒ 崩御 御陵:大野ノ岡ノ上(奈良宇陀郡室生町大野・橿原市和田か)後ニ科長大陵(大阪南河内郡太子町)

ナ行

七拳脛          ナナツカハギ      中   171   266
久米直ノ祖ーヤマトタケルノ東西国討伐軍従軍→膳夫

難波根子建振熊      ナニハネコタケフルク    中   179   298
丸邇ワニ臣の祖-神功皇后-太子軍ノ将 反逆軍を斃す

中日売命         ナカツヒメノミコト     中   183   301
ホムダマワカ娘次女-オウジンテンノウ妃

中日子王         ナカツヒコノオホキミ    中   203   380
ネトリノオオキミ・ミハラノイラツメ長子

長目比売命        ナガメヒメ      下   204   391
ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ハタビノワカイラツメ・ワカクサカベノミコト同→ユウリャクテンノウ求婚

長田大郎女        ナガタノオホイラツメ    下   234   434
元オホクサカノオオキミ妻-インギョウテンノウ皇女(アンコウテンノウ同母姉ヲサダノオホイラツメ)?或はリチュウテンノウ皇女 中帯姫ナカシヒメか→アンコウテンノウ皇后

難波王          ナニハノオホキミ     下   259   579
ケンソウテンオウ妃イハキオホキミ娘

長目比売         ナガメヒメ      下   265   503
ケイタイテンノウ・セキヒメ三女 ノノイラツメ同

難波王          ナニハノオホキミ     下   269   579
 ビタツテンノウ・オミナコイラツメ長子

中津王          ナカツノオホキミ     下   269   584
ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ次男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

ニ行

贄持之子         ニエモツノコ      中   113   21
神武東征援 阿陀の鵜養ウカイの祖(神名)

邇芸速日之命       ニギハヤヒノミコト    中   119   32
登美毘古軍将軍後神武帰順 ニニギ以前高天原より飛来か 物部氏ノ祖 (神名)

仁番           ニホ        中   192   351
百済ヨリ帰化人酒造技術者 ススコリ同 応神朝

ヌ行

沼名木之入日売命     ヌナキノイリヒメニミコト   中   133   173
スジンテンノウ・オオアマヒメ長女

沼羽田之入毘売      ヌバタノイリビメ    中   141   198
ヒバスヒメ(ヒコタタスミチノウシ娘)妹→スイニンテンノウ妃

沼帯別命         ヌタラシワケノミコト    中   141   199
 スイニンテンノウ・ヌバタノイリビメ長子

沼代郎女         ヌノシロノイラツメ     中   154   238
ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇女

沼木郎女         ヌナキノイラツメ     中   154   239
ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

額田大中日子命      ヌカタノオホナカツヒコノミコト  中   183   305
オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ長子

奴理能美         ヌリノミ       下   210   396
箇木ツツキの韓人((現京都綴喜郡)百済帰化人統率者 奴理使主ヌリノミ同か 養蚕

糠若子郎女        ヌカノワクゴノイラツメ   下   264   479
 ワニノヒツマノオミ娘-ニンケンテンノウ妃

沼倉太玉敷命       ヌナクラフトタマシキノミコト  下   267   525
キンメイテンノウ・イシヒメ長子→第三十代敏達天皇ビタツ他田ヲサダ宮-現奈良桜井市戒重十四年在位 甲辰キノエタツ584年4月6日崩御 御陵:川内ノ科長(大阪南河内郡太子町)

糠子郎女         ヌカゴノイラツメ     下   267   529
ヒツマノオミ娘ーキンメイテンノウ妃

糠代比売王        ヌカデヒメノオホキミ    下   269   571
ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母(庶妹)☞タカラオホキミ・タムラノオホキミ同

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