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覚悟(=^・^=)

春を迎えるにあたり 好きな言葉を

         =安心脱生死大丈夫

ー物事に捉われない自然な心で、生とか死とかも超越して物事にあたるー

(作家新井英生解より)

意味はともかくこのような境地に到達できるのはやはり仏道と云うか禅の神髄を極めたものでなければいきつくことができないもの、私どもには到底計り知れない世界、唯、何となく感じるだけと云う事になりますが、この言葉の持つ力強さ、言葉の響き・迫力が何とも心地いい感じで好きな言葉のひとつです。

この言葉どういう状況で使われたのかと云う事は、プレジデント社出版の経済経営雑誌「プレジデント」の古い特集記事「仏典のこころを読む」(1991年7月号)の中で作家新井英生が「井伊直弼と正法眼蔵―受身捨身ともに布施―が支えた開国の決断」と云う小文で、紹介しています。その中から少しご紹介します。

幕末近い江戸末期、彦根藩菩提寺、曹洞宗清涼寺、住職仙英禅師に当時不遇時代を経て彦根藩主となり幕府の要職に就いていた、仏門の弟子でもある井伊直弼より第一回ペリー来航(1853年嘉永5)の問題に関して書状が届いた。

その書状に対し仙英禅師が与えた返信書状の中に説かれている詞。

直弼は不遇時代、文武両道に励み仏道においては仙英禅師の薫陶を受け印可を受ける程の精神的高みにまで達していたとのこと。

禅師より印可を頂けるほどの域に達していたはずの直弼もやはり国家の一大事、ペリー来航開国要請に際しては判断に些かの迷いが生じたのでしょう。

書状を以て師である仙英禅師に、二度と来航しない様、祈祷してくれないかと懇願しています。

この書状に対する仙英禅師の答えが、「異国船降伏祈願のことは承知しました。が、今まで禅の修業を積んで難問の三関六転語の真理を悟っているはずの、御前(直弼)であれば究極の秘法を収めていると同じ事、「安心脱生死大丈夫」の境地で乗り切れるのでは」と直弼へのエールを送っています。

この言葉を戴いた直弼は一瞬にして気づく処があったようで、迷いを絶ち数ケ月前までの攘夷論を覆し、開国を奏上し国家未曾有の外交的窮状を救い、日本の未来を切り開く結果となったのは後々の歴史で周知のとおり。

その後、直弼はご存じの様に桜田門外で水戸浪士の襲撃を受け(安政7年3月3日・1860年3月24日)一命を落とす事となりましたが、其れは勿論、開国論に踏み切った当時から覚悟の上のことだったようです。開国の奏上を行った2年後一時彦根藩へ戻った直弼は「戒号宗観院暁覚翁大居士」と認めた自筆の書を他の書状と共に側役の三浦何某に預けたとの事、此れは現在も井伊家に桐箱に収められて厳重に封印され保管されているそうです。

其れが所謂、禅の奥義を極め、道元禅師の「正法眼蔵」を熟読していた直弼の最終的な選択。此の小文の副題に掲げられている「受身捨身ともに布施」と云う覚悟、国家安寧の為に一命を賭す想いだったのでしょう。

書状のそのやり取りの部分を引用しますと

(ペリー再来航を苦慮している最中の手紙のやり取りの一部分です)

直弼、仙英禅師への書状「・・・以後異船之渡来無之様祈念致外無之・・大和尚之御了簡以竊御祈祷希上度候云々」

・・イゴ、イセンノトライ コレナキヨウ、キネンイタスホカコレナク・・・ダイオショウノゴリョウケンヲモッテ、ヒソカニ、ゴキトウネガイアゲタクソウロウ・・

仙英禅師返状「・・・抑仏道之秘術密法之降伏一切大魔最勝成就申候御前先年御修終被遊三関六転語之外別無御座候凡王道神道佛道武道儒道惣萬億之秘術密法修業申悉皆極中極至候安心脱生死大丈夫外更無之事存候云々」

・・ソモソモ、ブツドウ、コレヒジュツミッポウノ、イッサイダイマサイショウジョウジュ、トモウシソウロウハ、ゴゼンセンネン、ゴシュウシュウコウムリアソバサレシ、サンセキロクテンゴノホカ、ベツニナクゴザソウロウ オホヨソ、オウドウ・シントウ・ブツドウ・ブドウ・ジュドウ、ソウジテ、マンオクノ、ヒジュツミッポウシュギョウトモウスハ、コトゴトクミナ、ゴクチュウゴクニ、イタリソウロウハ、アンシンダツショウジダイジョウブノホカ、サラニコレナキコトトゾンジソウロウ・・

(私は、この言葉をメモとして使っている日記帳、3冊目の5年ダイアリー(2019―2023)の表紙の内側に書いていましたが、今年からの新しいダイアリー(2024-2028)にも記しておく事といたしました。好きな言葉ですが、その境地に至ることなど端から到底無理な話かもしれません。が然し、この言葉を事あるごとに眺める事で少しは気持ちの整理もつくのではと密かに思い描いています。)

(NETから)

因みに大丈夫とは、間違いない、あぶなげない、非常にしっかりしている様子を意味しています

もともと、大丈夫は人のことを指しています。丈夫、つまり、ますらお、男子をほめていう言葉ですから、偉大な人、りっぱな人、しっかりした人のことをいいました。この言葉が仏教に取り入れられました。

仏法的には 

「仏」を意味する十種の呼び名(仏の十号)の中に、「調御丈夫(じょうごじょうぶ)」―法華経にもよく出てくる言葉ですーというのがあり、また、『華厳経』に、

「もし諸の菩薩この法に安住すれば即ち大丈夫の名号を得ん」とあります。

このような人は、たよりがいがあり、間違いもないところから、いまのように用いられるようになったのですね。しかし、ほんとうの意味で大丈夫なのは、やっぱり仏さまと云う事になりますか。

華厳経と云えば、鎌倉時代の華厳宗の高僧明恵上人の言葉に「あるべきやうわ」と云う言葉があります。

また、江戸時代中期の良寛禅師には「災難に逢う時節は災難に逢うが能く、死ぬ時節には死ぬが能く候是は此れ災難を逃るる妙法にて候」と云う言葉があるそうです。

何れも物事に捉われず自然に生きる生き方を示唆した言葉で、此の「安心脱生死大丈夫」と究極として通ずる言葉だと思います。その境地に到達するのは至難の業ではありますが・・・

三関六転語

仙英禅師が直弼に与えた禅の公案の六つの問題―「南泉三不是」と「高峰六転語」を授けたもの

中国唐代の高僧南泉が「仏とは心であり、又宇宙に存在するあらゆる物でもある。然し、仏とか心とか物に執着すれば却って言葉に捉われ道を誤る」即ち

「不是心・不是佛・不是物」であると説いたのが三不是。

高峰六転語とは同じく唐代禅僧高峰禅師が弟子を試すのに「三関」と云われる公案を

与えた。転語とは禅師が学人の低迷を打破し修業に飛躍(転機)を促すために与える語のこと、で直弼が禅師から与えられた六転語の前半が三関と云われる公案。

内容は

 大撤人元脱生死 依何命根不断

(ダイテツノヒトハ、モトショウジヲダッス ナンニヨツテ、ミョウコンヲタタズ)

☞ 生死を超越したものが何故命を惜しむのか

仏祖公案元一箇道理 依何在明輿不明

(ブッソノコウアンハモトイツコノドウリ ナンニヨリテメイトフメイトアリ)

 ☞ 心理は一つなのにどうしてあれこれ言うのか

 大修業人元可遵佛行 依何不守毘尼

(ダイシュギョウノヒトモトブツギョウニシタガウベシニ ナンニヨツテカダニヲマモラズ) ☞ 仏の道を修めたものが何故色香に迷うのか

 杲日当空無所不照 依何被遮却片雲

(コウジツソラニアレバマサニテラサヌトコロナシ ナニニヨツテカヘンウンニサエギラル ☞ 晴天白日が何故一片の雲に遮られるのか

 人々有箇影子 依何蹈不着

(ヒトビトニコノエイシアリ ナニニヨツテカフミツカズ)

 ☞ 人はどうして自分の影を踏むことが出来ないのか

 尽大地這箇火坑 得什什麼三昧不被焼却

(コトゴトクダイチシャコカコウジュウマザンマイヲエテショウキャクサレズ

 ☞火の海の中で如何すれば焼かれずに済むか

※訳は作家新井英生解

因みに直弼の解答は残っていないそうですが其れに添えられた道歌が残っているとの事です。其れは、

大撤人 ☞ わたつみの底には淵も瀬もなくて水のみなかみ常に絶えせず

仏祖公案☞ 池の面におもはず映る影なれば澄むも濁るも月の咎かは 

大修業人☞ 峰の花見つつぞ登る一道は枝折のあとも何にかはせん

杲日当空☞ あやにくに猶むら雲のかかれるはあきらけき日のあればなりけり

人々有 ☞ はかなくも身にそふものと思ふ哉おもひすつればかげもとまらず

尽大地 ☞ 天地も身もはやともに燃えぬるをいまさら何かやかれしもする

と云うものだそうです。

解説には「どの歌も直弼の思考は全く自由無碍、心も又道元が教えるように、何物にもとらわれることなく、在るが儘の当に無我の境地である子tが肯ける」とあります。

常人にはやはり計り知れない世界に思え、ただその輪郭がなんとなくぼんやりと見えるかなと言うぐらいですね。

一月の季節は冬❓春❓

Blognote(2026.1.28投稿記事)から転記しました

NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞら2026年1月28日 07:41

【今日は余談デス】

目次

  1. 外猫たちの暮らしぶり(=^・^=)
  2. Netで見つけました
  3. 現代のくらし感覚としては
  4. 法華経・第十二
  5. 余談の余談デス=^_^=

外猫たちの暮らしぶり(=^・^=)

今日も滞りなく、外猫たちの朝食は終了(=^・^=)
「ふく」は今日は食べ終わった後も暫くシャッター内に滞在❣❣
其の後は何時もの様に軽やかに車道を渡って何処かへと・・・

猫族の感覚では、今は冬の真只中、多分、あれやこれやと寒さをしのぐ対策を、猫知恵を絞って、寒さと闘っているのでしょうね。。。。😸

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ヒトの世界では、年が明けると、「新春・初春」等と云う表現が使われますが、これは「春が来た」という事になるのでしょうか。。。。
俳句などでは、新年の季語は、新年と云うカテゴリーでくくられているようですね。
「一月」と云う月で見るときは、矢張り「冬の季語」を使うのが普通なのでしょう。

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暦の上、暮らしの上、気象的には色々な区分の仕方があるようです。
一月は、いわば、春とも冬ともどちらとも表現できるというのが正解になるのかも・・・

そんな煩わしい、区分などより、外で暮らすねこ達にとっては、ヒト族が決めた冬とか春とか、夏・秋など関係なく、暖かく温暖で過し易い気候になることを心待ちにしている、というところでしょう。。。(=^・^=)。。。

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Netで見つけました

(日本や中国の太陰太陽暦 (伝統的季節)☞ネットから拝借)

分類  気象学的季節  天文学的季節  暦月区切り   節月区切り
春   3月~5月   
春分~夏至   正月~三月 立春~立夏
夏   6月~8月   夏至~秋分   四月~六月   立夏~立秋
秋   9月~11月  秋分~冬至   七月~九月   立秋~立冬
冬   12月~2月  冬至~春分   十月~十二月  立冬~立春

「太陰太陽暦と太陽暦では平均的に1か月ほどのずれがありますので、ざっくり言えば現代の2月~4月が春、5月~7月が夏、8月~10月が秋、11月~1月が冬とされていたことになります。」

という様な区分が出来るとの事❣❣

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現代のくらし感覚としては

現実の生活では気象学的季節分類が、ピッタリとくる感じ。
俳句の世界では、節月区切りが一般的なのでしょうか。
(年明けは特別に新春・初春、と云う事にはなりますネ・・・)

唯、温暖化の進んだ現状では、
(2・)3月☞春
4・5・6・7・8・9月☞夏
10・11月☞秋
12・1月(・2月)☞冬
というのが生活の感覚としてピッタリくる感じですね。
この儘、温暖化が進んでいくと俳句の季語の使い方も変わってくる
のでしょうか❓❓❓

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法華経・第十二

話は飛びますが、余談ついでに・・・・・
フジテレビ系のー月九ドラマーは橋本環奈さん主演の「ヤンドク」❣♬❣
楽しく見させていただいてますが、今週のお話を見ていて
ふっと頭に浮かんだのは、何と❣❣ 法華経の「提婆達多品第十二」

この章の後半に出てくる、八歳の竜王女が、馬鹿にする舎利弗など仏弟子等の目前で忽然として衆生を助ける御姿へと変身するというお話を彷彿とさせる内容だなあ~~~などと思いながら楽しんでいました( ´艸`)
罰当たりでしょうか、、、、((+_+))

余談の余談デス=^_^=

因みに、「鬼滅の刃」が実写化される様な事があれば、ねず子の役は
橋本環奈さんが適役だ、などと云うお話もどこかで聞いたような・・・・
彼女の雰囲気、好き嫌いは別として、何となく、そのようなただならぬものを感じさせる処もある様に感じますね~~(=^・^=)
               ・・・・・・本当に余談でした( ´艸`)

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わが家にいる「ねず♀」です(=^・^=)

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NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「知識も大事、知恵も大事、才能も大事然し何よりも大事なのは熱意と誠意である。この二つがあれば、何事も成し遂げられる」―人生心得帖よりー

【二月の言葉】

*一日 天は一物を与える

この世に百パーセントの不幸と云うものはない。五十パーセントの不幸はあるけれども半面其処に五十パーセントの幸せがある訳だ。人間は其れに気付かなければいけない。兎角人間の感情というものは上手くいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。是は人間の一つの弱い面だが其れをなるべく少なくして、いつの場合でも淡々とやる。信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。天は二物を与えずと云うが、逆になるほど天は二物は与えないがしかし一物は与えてくれるということが言えると思う。其の与えられた一つのものを大事にして育て上げることである。

*二日 先ず好きになる

好きこそものの上手なれと云う言葉がありますがこれは商売についても当てはまります。商売を繁栄させたいと思えばまず自ら興味を持ち好きになることです。好きになれば努力することが苦にならない。寧ろ楽しくなる。そして唯お義理や飯の種にする為に事を運ぶと云うのではなく、誠心誠意其れに打ち込む。そこにこそ繁栄への一つの道があると思います。適材適所ということが言われますが、私は適材適所とはそういた商売の好きな人が商売に当るということであって、そうなれば千人が千人とも望みを達することも難事ではないと思うのです。

*六日 正しい国家意識

昨今の国際情勢は一方で世界は一つと云いつつも、その一方で各国が過度の国家意識に立ち自国の利害を優先して仕舞う為、対立や紛争が一向に絶えない。それでは日本はどうかと云うと、反対に国家意識が極めて薄い為却って問題が起こっている様である。個人でも正しい自己認識、人生観を生み出し自主性を持って生きていってこそそこに初めて他の人々に対しても奢らず、諂わず仲良く付き合っていける譯である。国でも同じことである。国民が正しい国家意識を持ち、他の国々と交流していくことが大切であろう。過ぎたるもいけないが及ばざるもいけない。

*七日 平穏無事な日の体験

体験と云うものは失敗なり成功為り何か事があった時だけに得られる、と云うものでしょうか。決してそうではないと思います。平穏無事な一日が終わった時、自分が今日やったことは果たして成功だったか失敗だったかを心して考えてみると、あれは一寸失敗だったな、もっといい方法があったのではないか。と云うようなことが必ずあると思います。それについて思いを巡らせば、これはもう立派な体験と云えるのではないでしょうか。形の上での体験だけでなく日々お互いが繰り返しいる目に見えない些細なことも、自らの体験として刻々に積み重ねていく姿勢が大切だと思うのです。

*九日 一歩一歩の尊さ

仕事はいくらでもある。あれも作りたい是も拵えたい、こんなものがあれば便利だ、あんなものも出来るだろうと次から次へと考える。その爲には人が欲しい資金が欲しいと願うことには際限がないが、一歩一歩進むより他に到達する道があろうか。それは絶対にない。やはり一歩一歩の繋がり以外に道はない。坦々たる大道を一歩一歩歩んでゆけばそれでよい。策略も政略もいらない。一を二とし、二を三として一歩一歩進んでゆけば遂には彼岸に達するだろう。欲しいと願う人も一人増えまた一人増えて遂には万と数えられよう。一歩一歩の尊さをしみじみと味わわねばならぬ。

*十日 同行二人

弘法大師さんが開かれた高野山にある霊場に詣でる人々の菅笠には皆一様に同行二人と書いてある。何処にいようと何処に行こうと自分は一人ぼっちではない。何時も御大師様と二人と云う意味である。つまりこれらの信仰三昧の人々の心の中には、今も御大師は生き生きと存在しておられるのである。勿論大師の生身の身体が其の儘ここにあると云う訳ではない。しかし大師は今も猶ここにおわすと感じることまた感じようと努める処に大師の教えが永遠に生きてくることに為る。真理は永遠に生きるということはこんな姿を言うのであろうか。

*十三日 一人の力が伸びずして

自分は一年にどれだけ伸びているか、技術の上に或は社会に対する物の考え方の上に、どれだけの成長があったか、その成長の度合いを測る機械があれば是は簡単に判ります。併し一人一人の活動能力と云うか知恵才覚と云うか、そういう総合の力が伸びているかどうかを図る機械はありません。けれども私は5%なり10%或は15%伸びたと自分で云えるようでないといけないと思います。やはり一人一人が自分の力でどれだけの事をしているかという事を反省してみることが大切です。一人一人の力が伸びずに社会全体の力が伸びると云う事はないと思うのです。

*十五日 自己観照

自省の強い人は自分と云うものをよく知っている。つまり自分で自分を善く見つめているのである。私は是を自己観照とよんでいるけれども、自分の心を一遍自分の身体から取出して外からもう一度自分と云うものを見直してみる。これが出来る人には自分と云うものが素直に私心無く理解できるわけであるこういう人には過ちが非常に少ない。自分にどれ程の力があるか自分はどれ程の事が出来るか、自分の適性は何か自分の欠点はどうした処に在るか、と云うようなことがごく自然に何物にも捉われることなく見出されてくると思うからである

*十十六日 最高責任者の孤独

組織のさお好責任者の立場に立つと部下は勿論、それまで同僚として一緒に働いてきた人々の自分に対する見方が変わってきます。自分は変わらなくとも周りでは見方が変わり、本当のことを言ってくれる親友と云うものは地位が上になればなるほど少なくなると云うのが現実ではないでしょうか。そういう意味で最高責任者は好むと好まざるとに拘らず心の上に色々な淋しさが出てきて、謂わば孤独な立場になるという事が言えます。だからこど所謂声なき声と云うものに耳を傾ける謙虚さと云うものがトップに立つ者にとって究めて大切だと思うのです。

*十七日 死も生成発展

私は人生とは生成発展つまり日々新たの姿であると考えています。人間が生まれ死んでいくと云う一つの事実は人間の生成発展の姿なのです。生も発展なら死も発展です。人間は今迄ただ本能的に死を恐れ忌み嫌い之に耐え難い恐怖心を抱いてきました。人情としては無理もない事です。しかし我々は生成発展の原理に目覚め、死は恐るべきことでも悲しむべき事でもつらい事でもなく寧ろ生成発展の一過程に過ぎない事、万事が成長する一つの姿であることを知って死にも厳粛な喜びを見出したいと思います。

*十八日 日本式民主主義を

民主主義の基本理念というものは真に好ましいものであり、これを取り入れ国家国民の調和ある発展繁栄を計っていくことは極めて重要なことだと云えます。けれどもそれは日本の伝統国民性と云うものに立って行わなくてはなりません。基本の理念は同じでも具体的な形態は其々の国民性に従って様々でなくてはなら・ない。謂わばアメリカにはアメリカ式民主主義フランスにはフランス式民主主義、日本には日本式民主主義がなくてはならないと思うのです。それを日本自らの伝統を忘れて、アメリカやフランスのようにやろうとしても、根無し草の民主主義に終わってしまうでしょう。

*二一日 人事を尽して天命を待つ

人事を尽して天命を待つと云う諺がある。是は全く至言で私は今も自分に時々その言葉を言い聞かせる。日常色々な面倒な問題が起きる。だから迷いも起きるし悲観もする、仕事に力が入らないことがある。是は人間である以上避けられない。しかしその時私は自分は是と信じてやっているのだから後は天命を待とう、成果は人に決めてもらおう・・こういう考え方でやている。小さな人間の知恵でいくら考えてみても、どうにもならぬ問題が沢山有り過ぎる。だから迷うのは当たり前である。そこに私は一つの諦観が必要だと思うのである。

*二三日 道徳は水と同じ

戦後の我が国では道徳教育というと何か偏った風に思われることが多いが、私は道徳教育はいわば水と同じではないかと思う。人間は活きる為にどうしても水が必要である。処がこの水に何か不純物が混じっていてそれを飲んだ人が病気になった。だからと云って水を飲むことを一切否定してしまったらどうなるか。大切なことは水そのものの価値効用を否定してしまうことではない。水の中の不純物を取り除くことである。嘗て道徳教育の中に誤った処があったからといって道徳教育そのものを否定してしまう事は其れこそ真実を知らぬことではないか。

*二五日 七十点以上の人間に

完全無欠な人間などあり得ないと思う。だからお互い人間として一つの事に成功することもあろうし、時には過ちもあるだろう。それは人間としてやむを得ないと云うかいわば当たり前の姿だと思う。併し過ちと正しい事を通算して正しい事の方が多くなる様な働き為り生活を持たなければやはり人間として、望ましい姿とは言えないのではなかろうか。仮に自分を点数で表すとどうなるだろう。三十点のマイナス面はあるが少なくともプラスの面が七十店あると云う様な処迄には到達するようお互い努力したいものである。

*二六日 時を待つ心

行き詰る会社を見てみますと大抵は仕事が暇に成ったら無理をしてでも注文を取ろうとしています。その結果却って大きな損をして会社の破綻を招く事になってしまうのです。反対に暇は閑で仕方ない。是は一時的な現象なのだからこの機会に日頃怠りがちだったお得意さんに対するサービスをしておこうとか、機械の手入れをすべきものはしておこうと云う様な態度をとっている会社は却って時を得て発展する。そういう場合が多い様に思います。中々難しい事ですが時を得なければ休養して時を待つ。そう云う心境も亦大事だと思います。

二七日 誠意あればこそ

先般部品の一つに不良のある商品をお得意さんにお送りしてしまった時に、その方が厳重に注意しなければという事で会社に出向いてこられたことがあった。しかし実際に会社に来てみると、社員の人々が一心に仕事に打ち込んでいる姿を見て憤慨もせず却って信用を深めて帰られたと云う話を聞いた。この事から私は誠実且熱心に日々の仕事に力強く取り組むとという事が如何に大きなと唐を持っているかという事をつくづく感じさせられた。そういう態度と云うものは、見る人の心に何物かを与えるばかりでなく仕事とそのものの成果をより高める原動力にもなると思うのである。

*二八日 感謝の心は幸福の安全弁

感謝の念という事は是は人間にとって非常に大切なものです。見方によれば総ての人間の幸福なり喜びの根源とも云えるでしょう。従って感謝の心の無い処からは決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は人間不幸になると思います。感謝の心が高まれば高まる程それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり幸福の安全弁とも言えるものが感謝の心とも言える訳です。疎の安全弁を失ってしまったら幸福の姿は瞬時のうちに壊れ去ってしまうと云ってもいいほど人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのです。

礼義・礼節

昨年は一年間お付き合いありがとうございました。

本年のご挨拶に代えて四書五経の「礼記」から・・・

凡人之所以為人者礼義也 礼義之始 在於正容体  斉顔色 順辞令

およそ人の人たる所以は礼義なり 礼義の始めは 容体を正し            顔色をととのへ 辞令を順するにあり

プレジデント1993年(H5)3月号

特集・四書五経名言集―礼記―より

現代社会人としての礼儀の基本

☆彡 容体を正す:姿勢・態度・歩き方をきちんとする。               (歪んだ姿勢やだらしない歩き方は健康にも良くない。周りの印象も宜しくなく、不快な気持ちにさせる。

☆彡 顔色を斉へる:変な顔つきはしない。                       (不平・不満・不足顔をみせない、笑顔で接する。)

☆彡 辞令を順す:言葉使いに気をつける。                (挨拶はしっかりとする。)

動物愛護とは・・

TNR活動など動物愛護運動に尽力されている「どうぶつ基金」さんのSNSから全文をご紹介いたします.(=^・^=)

以下本文より☟

アルゼンチンの街を歩いていて、私は少し戸惑いました。
犬が、あまりにも自然に、大切にされているのです。

散歩中の犬たちは落ち着いて歩き、飼い主は当たり前のようにフンを片付ける。

特別に厳しい規則があるようにも見えませんし、誰かが監視している様子もありません。それでも、街に犬のフンはほとんど落ちていない。

これは「清潔な街」という話ではなく、命とどう向き合うかが、生活の所作にまで染み込んでいる社会なのだと感じました。

アルゼンチンは、オランウータンに「物ではない存在としての権利」を認めた国としても知られています。その象徴となったのが、ブエノスアイレス動物園で飼育されていたオランウータンのサンドラでした。

サンドラは1986年、旧東ドイツで、人の管理下にあるオランウータンとして生まれました。野生ではなく、生まれた瞬間から人間の都合の中で生きることを定められた命です。

その後、彼女はアルゼンチンに移され、動物園の檻の中で長い年月を過ごすことになります。餌は与えられていました。命の危険もありませんでした。それでも、彼女はほぼ単独で飼育され、狭く、刺激の乏しい空間で、自分では何も選べない時間を生きていました。

この状況に疑問を抱いた動物愛護団体と弁護士たちは、非常に異例の行動に出ます。

本来は人間が不当に拘束されたときに使われる人身保護請求(ハベアス・コーパス)を、 オランウータンであるサンドラに適用できるか、司法に問いかけたのです。争点は、「動物に人権を与えるかどうか」ではありませんでした。

問われたのは、もっと根源的な問いです。知性と感情をもつ存在を、完全に“物”として扱ってよいのか。

2014年、アルゼンチンの裁判所は判断します。サンドラは
「非人間的人格(non-human person)」であり、単なる所有物ではない。

これは、人間と同じ権利を与えるという意味ではありません。しかし同時に、

「どんな扱いをしてもよい存在ではない」という一線を、社会として引いた瞬間でした。

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この裁判は、サンドラ一頭の問題で終わりませんでした。

彼女が暮らしていたブエノスアイレス動物園そのものが、社会全体から問い直されることになります。

19世紀に造られたこの動物園は、狭い檻、人工的な展示、動物の心理的福祉を十分に考慮しない構造を多く残していました。改修では限界がある。

展示するために命を囲うという仕組みそのものが、もはや現代の価値観に耐えられない。

2016年、ブエノスアイレス市は動物園の閉鎖を決断します。                                 これは過激な運動の結果ではありません。
社会の価値観が、施設のあり方を追い越してしまった
その結果でした。動物たちは展示の場から、より自然に近い環境をもつサンクチュアリ(保護区)へと移されていきました。

サンドラもまた、動物園ではない場所で、より自由度の高い環境へと移されました。

そして現在。アルゼンチンでは、多くの動物園や関連施設が、「見せる場所」から「守る場所」へとその役割を変えつつあります。

より自然に近い環境を提供すること。
傷ついた野生動物の保護やリハビリテーションに関わること。
生息地の保全や、教育・啓発活動に参加すること。

そうした取り組みを通して、動物福祉の向上を目指す動きが広がっています。

一方で、従来型の展示を中心とした動物園のあり方は、社会の価値観の変化とともに
見直しを迫られています。

閉鎖や再編を選択する施設も出てきました。それは「動物園が悪い」という単純な話ではなく、私たちが動物とどう関わるべきかを、社会全体が問い直し始めているということなのだと思います。

これらの動きは、アルゼンチンが国際的な動物愛護・動物権の潮流の中で、

動物と人間は、どのような関係を結ぶべきなのか。「見る存在」から「共に生きる存在」へ、どう向き合い直すのか。

その問いの只中にあることを示しています。

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では、
動物園は本当に必要なのでしょうか。この問いに、簡単な答えはありません。動物園は長く、「教育の場」「学びの場」とされてきました。私たちは檻の中の命を見ることで、動物を知ったつもりになってきました。

けれど、見ることと、理解することは同じではありません。

餌が与えられ、命がつながっていれば幸せなのか。自由を奪われたままの人生を、 「守られている」と呼んでよいのか。サンドラの裁判が私たちに突きつけたのは、 知識ではなく、想像力でした。

どうぶつ基金が活動の中で大切にしているのは、単に「殺さないこと」ではありません。生き物が、生き物として自由で、幸せに近い状態で生きられているか。

TNRも、多頭飼育崩壊への対応も、すべては命が苦しみを再生産し続けないため、そしてその命が、少しでも穏やかに生きられる時間を守るための手段です。

生かすだけでは足りない。管理することが目的でもない。どう生きてもらうか

サンドラの物語と、どうぶつ基金の理念は、この一点で重なっています。

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今、私たちは大きな転換点に立っています。見る学びから、守る学びへ。
命を眺める時代から、命の側に立って考える時代へ。

問いをやめた瞬間に、命は再び「展示物」になってしまう。

だからこそ、問い続けることが必要なのだと思います。

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透明性に関する最終明示

最後に、どうぶつ基金の活動について、皆さまに明確にお伝えしておきたいことがあります。どうぶつ基金では、理事および役員は一切の報酬を受け取らず、すべて無報酬・ボランティアとして活動しています。また、理事が行う出張手術に伴う移動や、海外での動物福祉に関する視察・調査活動にかかる交通費・宿泊費等は、すべて理事個人の自己負担により実施しています。

皆さまからお預かりしている寄付金は、不妊手術や医療支援などの現場活動に加え、広報活動や理念を社会に広げるための取り組みにも使用されています。

一方で、理事個人の報酬や移動・滞在等の費用として、寄付金が使用されることは一切ありません。この方針は、組織運営と個人の経済的利益を切り離し、寄付がまっすぐ命のために使われることを守るための、どうぶつ基金の基本姿勢です。

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生き物が、ただ生き延びるのではなく、生き物として生きられる社会へ。

どうぶつ基金は、これからもその問いを抱え続け、行動に変えていきます。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「人間はダイヤモンドの原石のように光り輝く本質を持っている。しかし此の優れた本質も磨くことなしには発揮されない。」―人生心得帖よりー

【一月の言葉】

*一日 心あらたまる正月

竹に節がなければズンベラボーでとりとめがなくて風雪に耐えるあの強さもうまれてこないであろう。竹にはやはり節がいるのである。同様に流れる歳月にもやはり節がいる。ともすればとりとめもなく過ぎていきがちな日々である。せめて年に一回は節を作って身辺を整理長い人生に耐える力を養いたい。

そういう意味ではお正月は意義深くて、おめでたくて心もあらたまる。常日頃考えられないことも考えたい。無沙汰のお詫びもしてみたい。そして新たな勇気と希望も生み出したい。清々しくて爽やかでお正月はいいものである。

*二日 信念は偉大なことを為し遂げる

私達は弘法大師の開かれた高野山に登って非常に教えられたことがあります。今でこそ自動車道路も電車もケーブルもできていて便利と云えば便利ですが、お山を開かれた千百数十年前にあれだけ辺鄙な処を開拓しそこに道場を建てるという弘法大師の御執念というか信念というものは想像も出来ないほど強いものがあったと思うのです。我々は中々弘法大師さんの境地に触れることはできません。けれども私はその時やはり人の心、信念と云うものは偉大なことを為し遂げるものだということを痛切に感じて、私も自分の分に応じた一念信念を持たなければいけないなと感じたのです。

*三日 不確実な時代はない

不確実性の時代と人はよく言います。事実思わぬことが次々と起こって混乱することがよくありますが、私は不確実性ということは肯定しません。何故なら不確実な現象は全部人間自身の活動の所産であり、人間自身が不確実な行動をする所に起ってくるものだと思うからです。だから不確実な考えや行動をやめたら、確実になってくる。そういう自覚で仕事をすることが大切だと思います。未来は確実性の時代だという発想の転換、未来に対処する基本的姿勢の転換こそ今日私たちがお互いの緊急重要事ではないかと思うのです。

*四日 はじめに言葉ありき

はじめに言葉ありという言葉がある。聖書のなかにあるそうで私はその深い意味はよく知らないが、これは経営にも当てはまることではないかと思う。つまり経営者、指導者はまずはじめに言葉を持たなくてはならない。言い換えれば一つの発想をし目標を皆に示すということである。後の具体的な事は其々担当の部署なり社員也に考えてもらえばいい。しかし最初に発想しそれを言葉にすることは、経営者が自らやらなくてはいけないと思う。そしてそれは企業経営だけでなく、日本の国全体として望まれることであろう。

*五日 先見性を養う

先見性を持つことは指導者にとって極めて大切なことだ。先見性を持てない人は指導者としての資格がないと云っていいほどである。時代というものは刻々と移り変わっていく。昨日是とされたことも今日は時代遅れだということも少なくない。だからその時代の移り行く方向を見極め変わっていく姿を予見しつつ、それに対応する手を打っていくことによって、元て国家の安泰もあり企業の発展もある。一つの事態に直面して慌ててそれに対する方策を考えるというようなことでは、物事は決して上手くいかない。心して先見性を養いたいものである

*六日 素直な心とは

素直な心とはどういう心であるかと云いますとそれは単に人に逆らわなず、従順で有るというようなことだけではありません。寧ろ本当の意味の素直さというものは、力強く積極的な内容を持つものだと思います。つまり素直な心とは、私心無く曇りのない心というか一つの事に捉われずに、物事を在るが儘に見ようとする心と云えるでしょう。そういう心からは、物事の実相を掴む力も生まれてくるのではないかと思うのです。だから素直な心というものは真理を掴む働きのある心だと思います。物事の真実を見極めてそれに適応していく心だと思うのです。

*七日 熱意は磁石

如何に才能が有っても知識があっても、熱意の乏しい人は画ける餅に等しいのです。反対に少々知識が乏しく才能に乏しい点があっても、一生懸命というか強い熱意があれば、そこから次々とものが生まれてきます。その人自身が生まなくても、その姿を見て思わぬ援助、目に見えない加勢と云うものが自然に生まれてきます。それが才能の乏しさを補い知識の乏しさを補ってその人をして仕事を進行せしめる、全うさせるということに為るわけです。恰も磁石が周囲の鉄粉を引き付けるように+熱心さは周囲の人を引き付け周囲の情勢も大きく動かしていくと思うのです。

*十三日 枠に囚われず

私達は仕事進めていく際に、ともすれば自分で自分の枠を決めてしまってはないか。例えばラジオのデザインにしても元来デザインは固定したものでないのだから、三角でも円でもよい筈なのに殆ど箱型である。このことに限らず、不思議なことに人間は自ら枠を作りその中に入ってしまうという悪い傾向がある。これも自己を保身する一つの生き方かも知れないが、窮屈な枠の中で窮屈なものの考え方をしていては、心の働きも鈍くなり自由自在な好い知恵が出てくるものではない。ものには色々な見方がある。時と場合に応じて自在に変えねばならない。そこにこそ発展が生まれるのである。

*十六日 武士道と信頼感

昔、武士は庶民の上に置かれ尊敬されていた。これは一つには武士が武力を持っていたからとも考えられるが、それだけではない。やはり武士は道義に篤く武士としての精神を忘れず所謂武士道に徹することにより庶民の信頼と尊敬を勝ち得ていたものと思う。これは会社の中でも言える。経営者には経営者道、従業員には謂わば従業員道とも云うべきものがあると思う。其々当然やるべきことがある。之をお互いに責任を以て貫いてゆくというところに信頼関係の基礎があり、その信頼関係を高めていく推進力があるのではないだろうか。先ずお互いの立場で其々の道に徹したい。

*十七日 決意を持ち続ける

指導者にとって大事なことの一つは志を持つということである。何等かの志、決意というものがあって始て事は成るのである。だから志を立てて決意をするということが必要なわけだが、それは一度志を立て決心すればそれでいいということではない。寧ろ大事なのはそうした志也決意を持ち続けることであろう。其の為にはやはり、絶えず自らを刺激し思いを新たにするようにしなくてはならない。一度志を立て決意することによって、非常に偉大なことを成し遂げられるのも人間であるが、その志・決心を中々貫き通せない弱さを合わせて持っているのもこれまた人間である。

*二十一日 当たって砕ける

ある時会社で社員が集まって盛んに議論している。どうしたのかと尋ねるとこの製品を新しく発売するのですが、これが売れるかどうか検討しているのですと云う。そこで私はそれは探るより仕方がないのではないか。売れるか売れないかをある程度議論することは必要だが、ある程度以上は議論しみても始まらない。後は当って砕けろだ。それを買ってくれる人に尋ねるより仕方がないのではないかと云ったのである。ある程度考えた後は勇気をもってやる。そういうことが商売だけでなく政治にもその他あらゆる日常生活の分野に於いても時に必要だと思う。

*二十三日 物を作る前に人を創る

私はずっと以前でしたか当時の若き社員に、松下電器は何を作るところかと尋ねられたらならば松下電器は人を創る處で御座います。併せて電器商品を作っております。とこういう事を申せと云ったことがあります。その当時、私は事業は人に有り人を先ず養成しなければならない、人間として成長しない人を持つ事業は成功するものでない。ということを感じており遂そういう言葉が出た譯ですが、そういう空気は当時の社員に浸透しそれが技術・資力・信用の貧弱にも拘らず、どこよりも会社を力強く進展させる大きな原動力となったと思うのです。

*二十五日 融通無碍の信念

融通無碍と云う言葉がある。これは別に難しい理屈でも何でもない。至って平凡なことと思う。若し道を歩いていてその前に大きな石が落ちてきて向こうへ行けない場合はどうするか。勿論石に攀じ登っても真直ぐ行くということも一つの方法である。併し其処に無理が生じるのであれば石を避けて回り道をして行くそれが融通無碍だと思う。勿論時には回り道の無い場合もある。しかしそういう時にはまた別の方法を考える。素直に自分の感情に捉われないでこの融通無碍ということを絶えず心掛けていくところに世に処していく一つの道があると思うのである。

*二十六日 短所四分長所六分

人間と云うものは誰でも長所と短所を持っている。だから大勢の人々を擁して仕事をしているのであれば、其々に多種多様な長所と短所が見られる。その場合部下の短所ばかりを見ていたのでは中々思い切って使えないし部下にしても面白くない。その点長所を見ると、その長所に随って生かし方が考えられある程度大胆に使える。部下も自分の長所が認めて貰えれば嬉しいし知らず識らず一生懸命に働く。併し勿論長所ばかりを見て短所を全く見ないということではいけない。私は短所四分、長所六分ぐらいに見るのが善いのではないかと思うのである。

*二十八日 衣食足りて礼節を知る

衣食足りて礼節を知るという言葉がある。これは今から二千年以上も昔の中国で云われたものだというが、今日尚広く使われていると云うことはそこに人間としての一つの真理があるからの様に思える。ところが今日の我が国については衣食足りて礼節を知るどころが衣食足りて礼節益々乱れると云わざるを得ないことが多い。是は当に異常な姿である。我々は今この世の中を正常な姿に戻して社会の繁栄、人々の幸福を生み出してゆく必要がある。其の為には、先ず自己中心のものの考え方行動を自ら反省し、誡めあっていくことが肝要だと思う。

*三十日 自分を飾らず

私は毎日の生活を営んでいく上に於いて、自分を良く見せようとお上手を言ってみたり、言動に色々と粉飾をすることは大いに慎みたいと思います。これは一見簡単なことのようですが、口で言うほど容易いことではありません。殊に出世欲に駆られる人は自分を他人以上に見せようとする傾向が強いようです。併し人は各各その素質が違うのですから、いくら知恵を絞って自分を粉飾してみたところで自分の生地は誤魔化すことは出来ず、必ず剥げてきます。そしてそうなれば一片に信用を落とすことに為ってしまうのです。私は正直にすることが処世の一番安全な道だと思います。

まだまだですね😹

NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞら

(アーカイブ)

近頃、いろんな、地域での愛護活動の皆様の活動内容がSNSに発信されています。小さな命を守ろうという活動は、単に動物愛護というだけではなく、突き詰めていけば、教育問題にも、福祉問題にもつながる事と思っています。各地域の自治体での取り組みが、バラバラなのはおかしな話だなとも感じます。
こういう面では動物愛護取り組みの先進国から見ると、矢張り、日本はまだまだ遅れているなあという感じですね。

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紹介するのは、今、当に知事選で、マスコミにも注目されている東京都のお話です。
署名協力のmailが来ていました。
動物愛護に対しての意識の低さが覗える内容❣❢

自治体の愛護活動に関しての取り組みでは、北九州も大きな事は言えない感じがしますがそれでも、啓蒙活動の為のポスターぐらいは用意されていますよね~❣❢

mail内容一部紹介

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【6月末まで!】北区保健所に動物虐待防止のための効果的なポスター作成を求めます

私たちの地元である東京都北区・田端で悲劇が起きました。
地域猫のエサに強酸性洗剤サンポールが撒かれ、猫が大怪我する事件がおきたのです。2匹はエサを食べることができなくなってしまいました。※
犯人はこれみよがしに、使用したサンポールの容器を現場に置き去っていったといいます。
もちろん警察に通報されましたが、いまだ犯人の特定には至っていません。
事件を知った地域猫活動ボランティアは、「動物虐待は犯罪」というポスターを貼ってほしいと保健所に要請。
ところが、保健所はこの要望を「どんなポスターを作ろうが保健所の勝手だ」「予算がない」という理由で断りました。

田端に隣接する文京区や豊島区では何年も前から各自治体独自のポスターがあり、警察署・保健所への通報先も明記されているのにも関わらず、です。
北区保健所はこうした抑止力あるポスターを作成していません。

ポスターなんかで何か変わるの?とお思いの方もいるかもしれません。しかし、犯罪を未然に防ぐためには、すみやかな情報提供や通報が必要です。そのためには、保健所と警察署への連絡先が明記された効果的なポスターが必要不可欠なのです。

山田区長は政策で「ペットは家族と同じ。「動物愛護の北区」を目指して、終生飼育の啓発と環境整備、区内殺処分ゼロ、保護ねこ・保護いぬの里親制度を充実」とうたっています。保健所のずさんな対応をどう捉えているのでしゃうか。一刻も早い動物虐待防止への行動を求めます。

みなさまには署名活動・SNSでの拡散にご協力いただきたく存じます。
小さな命がないがしろにされているこの町を変えたいという、私たちの切なる望みをどうか一緒に届けてください。

1日でも早い請願のため、期日を2024年6月30日までとします。
※2024年5月15日現在、怪我を負った2匹は無事に保護され、ボランティアの自宅で安静に過ごしています。

ワンクリックで賛同!

(署名活動は終了しています。)

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ポスター作るくらいそんなに費用掛かるものでもないでしょうに、矢張り意識の問題なんでしょうか😹

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💖火の用心(=^・^=)

NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞら2025年 blognoteより

大火が続きましたね😿

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netより拝借


11月、大分佐賀関の大火は一週間以上たって漸く鎮火ということになってきたようですね❣❣
被災された皆様年末に向けて、途方に暮れている方々もいらっしゃることでしょう。これからの生活再建が大変だとお察しいたします。
何もできませんが、心より御見舞い申し上げます。

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netより拝借

国内ではありませんが、11月の香港の密集高層マンションの火事はなんだか現実の出来事の様には思えないほどのショッキングな映像でしたね❣❣

此方は死者行方不明の方々も多数出ているという事。
一瞬で全てを無に帰してしまう火事は本当に怖いですね・・・・😿

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気を付けてますが・・(=^・^=)

是から益々、暖房などを含めて火を使う機会が多くなりますネ。
ここでも、寒がりの猫達❣❣暖房なしでは可哀そうなので電気ストーブ・石油ストーブ等々、利用している時間が長くなってきてます。

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何か衝撃があった時などは、自動的に火が消えるようにはなっているとは
いえ、油断大敵❣❣要注意、要注意❣❣❣

勿論、目が届かない時には、必ず火を消して、暖房器は使わない様にはしています。猫達には可哀そうですが、・・・・
猫達の安全の爲にも、仕方ありませんね~~~(=^・^=)

     これからしばらくの間、更に、寒さが増していきます。
        皆様も、どうぞお気をつけて・・・・❣❣
           ⚠⚠⚠・・・・⚠⚠⚠

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NPO法人あおぞら

NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

😸ボス猫「もも」(=^・^=)

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ロサンゼルスの山火事とペットの同行避難 | Dr. Yuko Nishiyama