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小倉百人一首・下

前回に引き続き、田辺聖子さんの「小倉百人一首」より今回は、後半の51番の歌より収録しています。

百人一首の歌は太字、その下の歌は、その章に収録されている歌です。

かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを 藤原実方

(桜狩雨は降りきぬ同じくは濡るとも花の陰に宿らむ       藤原実方

明ぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな  藤原道信

(限りあればけふぬぎすてつ藤衣はてなきものは涙なりけり    藤原道信

(うれしきはいかばかりかは思ふらぬ憂きは身にしむ心地こそすれ 藤原道信

嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る 道綱の母

(げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり 藤原兼家

わすれじの行末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな   儀同三司母

滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ  藤原公任

(あせにけるいまだに懸かる滝つせの早くぞ人は見るべかりける  赤染衛門

(山桜さきそめしより久方の雲居に見ゆる滝の白糸        源俊頼

(小倉山嵐の風の寒ければもみじの錦着ぬ人ぞなき        藤原公任

あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな 和泉式部

(すてはてむと思ふさへこそ悲しけれ君に馴れにし我ぞと思へば   和泉式部

(黒髪の乱れも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞこひしき    和泉式部

(白露も夢もこの世もまぼろしもたとへていへば久しかりけり    和泉式部

(もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る  和泉式部

(暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月      和泉式部

めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲がくれにし夜半の月かな 紫式部

(鳴き弱るまがきの虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらむ     紫式部

有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする       大弐三位

やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな 赤染衛門

(あはれともいふ人はなしあぶりこの身は焼飯に胸ぞこがるる    赤染衛門

大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立       小式部内侍

(とどめおきて誰を哀れと思ふらむ子はまさりけり子はまさるらむ  和泉式部

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほいむるかな      伊勢大輔

夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ     清少納言

(逢坂は人越えやすき関なれば鶏鳴かぬにもあけてまつとか     藤原行成

今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな 左京大夫道雅

(さかき葉のゆふしでかげのそのかみに押し返しても似たる頃かな  道雅

(陸奥の緒絶えの橋やこれならむ踏みみ踏まずみ心惑わす      道雅

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにわらはれわたる瀬瀬の網代木   藤原定頼

(もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ浪のゆくへ知らずも   柿本人麿

恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそ惜しけれ  相模

(風にまひたる菅笠のなにかは路に落ちざらむ
わが名はいかで惜しむべき惜しむは君が名のみとよ       芥川龍之介

もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし   前大僧正行尊

(大峰行ふ聖こそあはれに尊きものはあれ
法華経誦する声はして確かの正体まだ見えず         詠み人知らず

春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ  周防内侍

(契りありて春の夜ふかき手枕をいかがかひなき夢になすべき  藤原忠家

心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな  三条院

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり      能因法師

(竜田川もみぢ葉ながる神奈備の三室の山にしぐれ降るらし   詠み人知らず

(神無月ねざめに聞けば山里のあらしの声は子の葉なりけり   能因法師

(都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白川の関       能因法師

(思ふ人ありとなけれどふるさとはしかすがにこそ恋しかりける 能因法師 

(かねてより思ひしことよ伏柴のこるばかりなる歌きせむとは  加賀

さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮れ 良選法師

(白菊のうつろひ行くぞあはれなるかくしつつこそ人も離れしか 良選法師

(ませの内なる白菊もうつろふみるこそあはれなり
我らがかよひてみし人もかくしつつこそ離れにしか       刑部卿敦兼

(渡辺や大江の岸にやどりして雲居にみゆる生駒山かな     良選法師

(ほととぎすなが鳴く里のあまたあればなほ疎まれぬ思ふものから 詠み人知

(宿ちかくしばしながなけほととぎす今日のあやめの根にもくらべむ 良選法師

夕去れば門田の稲葉おとづれて蘆のまろ屋に秋風ぞふく    源経信

(秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる   藤原敏行

音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ   紀伊

(人知れぬ思ひありその浦風に波の寄るこそいはまほしけれ   藤原俊定

高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ     大江匡房

(吹く風を勿来の関と思へども道も狭に散る山桜かな      源義家

(逢坂の関のこなたもまだ見ねばあづまのことも知られざりけり 大江匡房

憂かりける人をはつせの山おろしよはげしかれとは祈らぬものを 源俊頼

(鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波よる秋の夕暮れ        源俊頼

契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり    藤原基俊

(ただ頼めしめぢが原のさせも草われ世の中にあらぬかぎりは   清水観音

(昔見し人は夢路に入り果てて月とわれとになりにけるかな    藤原俊頼

わたの原漕ぎ出でてみればひさかたの雲居にまがふ沖つ白波   法性寺入道前

(御狩すと鳥立の原をあさりつつ交野の野辺に今日もくらしつ   藤原忠通

(さざなみや志賀の唐崎風冴えて比良の高嶺に霰降るなり     藤原忠通

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ   崇徳院

淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守      源兼昌

(旅人はたもと涼しくなりにける関吹き越ゆる須磨の浦風     在原行平

(友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝ざめの床もたのもし      源氏物語

(旅寝する夢路はたえぬ須磨の関通ふ千鳥の暁の声        藤原定家

(ぬばたまの夜のふけゆけば久木生ふる清き河原に千鳥しば鳴く  山辺赤人

秋風にたなびく雲の絶えまよりもれ出づる月のかげのさやけき 左京大夫顕輔

(むらむらに咲ける垣根の卯の花は木の間の月心地こそすれ   藤原顕輔

(さらぬだに寝ざめがちなる冬の夜をならの枯葉に霰ふるなり  藤原顕輔

(庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなく澄める月かな   源頼政

(風吹けば玉散る萩の下露にはかなく宿る野辺のつきかな    藤原忠通

長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ    堀川

(この世にて語らひ置かむ時鳥死出の山路のしるべともなれ   堀川

(ほととぎすなくなくこそは語らはめ死出の山路に君しかからば 西行

(いふかたもなくこそ物は悲しけれこは何事を語るなるらむ   堀川

ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣

(ほととぎす鳴きつる方にあきれたる後徳大寺の有明の顔    大田蜀山人

(古き都を来て見れば浅茅が原とぞ荒れにける
月の光は隈なくて秋風のみぞ身にはしむ【今様】       藤原實定

(いざさらば涙くらべむほととぎすわれも憂き世に音をのみぞなく 建礼門院

(いにしへは月にたとへし君なれどその光りなき深山辺の里  藤原實定

思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり   道因法師

(世の中は憂き身に添える影なれや思ひ捨つれど離れざりけり  源俊頼

(聞くだびに珍しければほととぎすいつも初音の心地1こそすれ 永縁法師

聞くだびに珍しければほととぎすいつも初音の心地1こそすれ 大夫俊成 

(夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里     藤原俊成

ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞいまは恋しき 藤原清輔

(をりをりに物思ふ事はありしかどこのたびばかり悲しきはなし   藤原清輔

夜もすがらもの思ふころは明やらで閨のひまさへつれなかりけり  俊恵法師

(冬の夜にいくたびばかりねざめして物思ふ宿ひま白むらむ     増基法師

(津の国のこやとも人を言うべきにひまこそなけれ芦の八重ぶき   和泉式部

(暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月     和泉式部

なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな    西行法師

(道の辺に清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ   西行法師

(津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり      西行法師

(吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづむね   西行法師

(庵にもる月の影こそさびしけれ山田は引板の道ばかりして    西行法師

(よしや君昔の玉のゆかとてもかからむ後は何かはせむ      西行法師

(願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ       西行法師

むらさめの露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋の夕ぐれ   寂連法師

 (さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ   寂漣法師

(心なき身のみあはれは知られけれ鴫立つ沢の秋の夕暮れ     西行法師

(見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ     藤原定家

難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき 皇嘉門院別

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする  式子内親王

(はかなしや枕さだめぬうたたねにほのかにかよふ夢の通ひ路   式子内親王

(我が恋は知る人もなしせく床の涙もらすな黄楊の小枕      式子内親王

(したしむは定家が撰りし歌の御代式子の内親王は古りし御姉   与謝野晶子

見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色はかはらず  殷富門院大輔

(松島や雄島の磯にあさりせし海士の袖こそかくはぬれしか    源重之

(なにかいとふよも長らへじさのみやは憂きにたへたる命なるべき 殷富門院

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかも寝む   後京極摂政前

(空はなほかすみもやらず風寒えて雪げにくもる春の夜の月    藤原良経

(さむしろに衣かたしき今宵もやわれを待つらむ宇治の橋姫   詠み人知らず

(吾が恋ふる妹は逢はずて玉の浦に衣かたしきひとりかも寝む  詠み人知らず

わが袖は潮干にみえぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし    二条院讃岐

(登るべき頼りもなければ木のもとに椎を拾ひて世を渡るかな   源頼政  

(うもれ木の花咲くこともなかりしにみのなるはてぞ悲しかりける 源頼政

(山たかみ峯のあらしに散る花の月にあまぎる明け方の空     二条院讃岐

(鳴く蝉の声も涼しき夕暮れに秋をかけたる杜のしたつゆ     二条院讃岐

(世にふるは苦しきものを真木の屋に安くも過ぐる初しぐれかな  二条院讃岐

(わすれじな難波の秋の夜半の月こと浦にすむ月はみるとも    丹後

(待つ宵にふけゆく鐘の声聞けば帰るあしたの鳥もものかは    大宮小侍従

世の中は常にもがもな渚こぐあまの小船の綱手かなしも     鎌倉右大臣

(もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原     源実朝

(箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ   源実朝

(大海の磯もとどろに寄する波われてくだけて裂けて散るかも   源実朝

み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり      参議雅経

(み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり    坂上是則

(長安一片ノ月 万戸衣ヲ打ツノ声
秋風吹イテ尽キズ 総テコレ玉関ノ情
何日カ胡慮ヲ平ラゲテ 良人遠征ヲ罷メン 【漢詩】       李白

(移りゆく雲に嵐の声すなり散るか正木の葛城の山        藤原雅経

(なれなれて見しは名残りの春ぞともなどしら川の花の下かげ   藤正雅経

おほけなく憂き世の民におほふかなわが立つ杣に墨染の袖    慈円

(阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわが立つ杣に冥加あらせたまへ   最澄

(みな人の一つの癖はあるぞとよ我には許せ敷島の道       慈円

(わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐなり     慈円

(有明の月のゆくへをながめてぞ野寺の鐘は聞くべかりける    慈円

花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり   入道前太政大臣

(山ざくら峯にも尾にも植ゑをかむみぬ世の春を人や忍ぶと    藤原公任

(風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせむ    浅野内匠頭

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ   藤原定家

(名寸隅の舟瀬ゆ見ゆる淡路島松帆の浦に朝凪に玉藻刈りつつ
夕凪に藻塩焼きつつ海木通女有りとは聞けど見にゆかむ
よしの無ければますらをの心はなしにたわやめの念ひたわみて
たもとほり吾はぞ恋ふる舟梶をなみ 【長歌】          笠金村

(春の夜の夢の浮橋とだえして峯に別るる横雲の空        藤原定家       

(大空は梅のにほひにかすみつつ曇りも果てぬ春の夜の月     藤原定家

(見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ     藤原定家

(我こそは新島守よおきの海のあらき波風心して吹け       後鳥羽院

風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける   従二位家隆

(契りあれば難波の里にやどりきて波の入り日を拝みつるかな   藤原家隆

人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は   後鳥羽院

(ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく     後鳥羽院

(見渡せば山もと霞むみ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ     後鳥羽院

(み吉野の高嶺の桜散りにけり嵐も白き春のあけぼの       後鳥羽院

(寂しさは深山の秋の朝曇り霧にしをるる槙のした露       後鳥羽院

(奥山のおどろが下も踏み分けて道ある世ぞと人に知らせむ    後鳥羽院

(人ごころうつりはてぬる花の色に昔ながらの山の名も憂し    後鳥羽院

(我こそは新島守よおきの海のあらき波風心して吹け       後鳥羽院

ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり   順徳院

絶大な勢力を誇り光り輝く時代の天皇家の親子の歌に始まり 武士の台頭により抵抗するも権勢をそがれて最終的には島流しと凋落を余儀なくされた天皇家の親子の歌で締めくくり・・・

矢張り小倉百人一首には強い政治的メッセージが隠かくされているのでしょうか。

     次の投稿は年明けです。一年間ありがとうございました(#^.^#)

命、守られたようですね‥💖

NPO法人あおぞら2024年11月23日  blognote投稿記事の転記

どうぶつ基金さんが中心となって、ず~っと続けていた沖縄県県議会、外猫に対するエサやり禁止条例の廃止運動がどうやら実を結んだようですヨ😾
先日、どうぶつ基金さんからのニュースが流れてきました。

如何いう形であれ、動物愛護に関して理解が少しづつでも前進していることは嬉しい事です。

特に外猫達に関しては守ろうとする方も、ルールを徹底し地域に迷惑が掛からないようにすることは勿論、其の上で地域の方々の御理解が深まっていき共生できる環境が整っていければと思います。

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動物との共生と云う事で言えば
昨日は、NHKのローカルニュースで「セラピー犬・セラピー猫」として活躍する子達の話題が取り上げられていました。

高齢者施設を訪問したワンちゃん・(=^・^=)ちゃんたちと触れ合って楽しんでいるみなさんの光景が紹介されていました。
その子達も、もとはと云えばいろんな理由から、保護された子達❣❣

こういう活動が少しづつでも一般に紹介され、広がっていけば、愛護活動に関する考え方、捉え方も少しづつ変わってくるかもしれません。

何はともあれ、いろんな活動・情報発信を通じ動物愛護の考え方がいい方向へ進んで行けばと願っています。

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以下本文です
「沖縄県動物の愛護及び管理に関する条例(案)」
公益財団法人 どうぶつ基金
  

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皆様、どうぶつ基金理事長の佐上です。
今日はとてもうれしいお知らせです。私たちの署名が成功し沖縄の餌やり禁止条例案が廃案になりました。
沖縄県、“動物愛護条例”提案へ 多頭飼育に届け出義務 「餌やり」への記述も 沖縄県議会 以下、記事より抜粋当初案では「県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない」としていた。県が昨年11~12月に条例案について聞いたパブリックコメントで「餌やり禁止条例になる」といった懸念が多く寄せられたため、片付けなどルールを守って餌やりをする趣旨の文言に修正する。
抜粋、ここまで 
(詳しくは☞)

沖縄県、“動物愛護条例”提案へ 多頭飼育に届け出義務 「餌やり」への記述も 沖縄県議会(琉球新報) – Yahoo!ニュース

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2023年12月24日から開始した署名は、今日現在38,120筆を集めています。賛同をいただき連名、署名をしていただいた皆様に感謝申し上げます。
どうぶつ基金では殺処分ゼロをめざして引き続きロビーイングを継続します。皆様のさらなるご協力をお願いいたします。

  沖縄県議会(琉球新報) – Yahoo!ニュース    

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NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

防災とペットは・・(=^・^=)

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https://note.com/2019dobutu/n/nfe587d5b50c6



小倉百人一首・上

お正月も段々と近づいて来ています。早いものですね。つい先日まではやれ猛暑日だ、猛暑の新記録だと暑さに辟易していたような感じですが・・

お正月と云えば「かるたとり」・・今はこの様な遊びをするご家族も少なくなってきてい小倉百人一首上るようですが、日本の伝統の一つ❣❢大事に残していきたいものです。

と云う事で、今回は、田辺聖子さんの「小倉百人一首上・下」に収録されている短歌・長歌を百人一首を中心に全部拾ってみました。

歌だけを拾い上げ、面白い軽妙なタッチの解説本文、歌人に関わるエピソードは省いています。興味ある方は原本をご覧いただければと思います。

ではでは・・・

秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ  天智天皇

(秋田かる仮庵を作りわが居れば衣手寒く露ぞおきける     詠み人知らず

(ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく     後鳥羽院

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山      持統天皇

(春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山       持統天皇

あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む 柿本人麻呂 

(思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を   詠み人知らず

(ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく船をしぞ思ふ    柿本人麻呂

(ほのぼのとまこと明石の神ならば我にも見せよ人丸の塚    詠み人知らず

田子の浦に打ち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人

(田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける 山辺赤人

(天地の分れし時ゆ神さびて高く貴き駿河なる富士の高嶺を
天の原ふりさけ見れば渡る日の影も隠らひてる月の光も見えず
白雲もい行きはばかり時じくぞ雪は降りける語り継ぎ言い継ぎ
ゆかむ富士の高嶺は 【長歌】                  山辺赤人

(日本の大和の国の鎮めともいます神かも宝ともなれる山かも   高橋虫麻呂

奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき     猿丸太夫

かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける   中納言家持

天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも     安倍仲麻呂

わが庵は都のたつみ鹿ぞすむ世をうぢ山とひとはいふなり    喜撰法師

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町

(うたたねに恋しき人をみてしより夢てふものは頼み初めてき   小野小町

(思いつつ寝ればや人のみえつらむ夢としりせばさめざらましを  小野小町

(今はとてわが身しぐれにふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり 小野小町

(人を思ふこころ木の葉にあらばこそ風のまにまに散りも乱れめ  小野貞樹

(あはれなりわが身の果てや浅緑つひには野辺のかすみと思へば  小野小町

これやこの行くも帰るも分かれては知るも知らぬも逢坂の関   蝉丸

(世の中はとてもかくても過ごしてむ宮もわら屋も果てしなければ 蝉丸

(逢坂の関の嵐のはげしきに盲ひてぞゐたる世を過ごすとて    蝉丸

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人のつり舟  参議篁

天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ    僧正遍照

(世をそむく苔の衣はただひとへかさねばうとしいざ二人寝む   僧正遍照

筑波嶺のみねより落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる   陽成院

陸奥のしのぶもぢずりたれゆゑに乱れそめにしわれならなくに 河原左大臣

(早苗とる手もとや昔しのぶずり               松尾芭蕉

(春日野の若むらさきのすりごろもしのぶの乱れかぎり知られず 読み人知らず

君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ   光孝天皇

たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰り来む 中納言行平

(わくらばに問う人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ侘ぶと答へよ 在原行平

(腰蓑の上からみつめる中納言                読み人知らず

ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは  在原業平

住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ    藤原敏行

難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世をすぐしてよとや 伊勢

わびぬれば今はたおなじ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ 元良親王

(ふもとさへあつくぞありける富士の山嶺の思ひのもゆる時には  元良親王

(初春の初子の今日の玉箒手に取るからにゆらぐ玉の緒    読み人知らず

(極楽の玉の台のはちす葉にわれを誘えゆらぐ玉の緒     京極御息所

今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな  文屋康秀

(雪ふれば木毎に花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし  紀友則

(秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる   藤原敏行

(わびぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ 小野小町

月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にあらねど  大江千里

(燕子楼中霜月ノ色秋来タッテ只一人ノ為ニ長シ        李白

(おほかたの秋来るからに我が身こそ悲しき物と思ひしみぬれ  大江千里

(照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜ぞめでたかりける   大江千里

(あやなくも年の緒長く独りしてあくがれわたる身とやなりけむ 大江千里

このたびは 幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに   菅原道真

(去年ノ今夜 清涼ニ侍ス 秋思ノ詩篇 独リ断腸
恩賜ノ御衣 今ココニアリ 捧ゲ持チテ毎日 余香ヲ拝ス    菅家

名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな 藤原定方 

(大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる    読み人知らず

小倉山峰の紅葉葉こころあらば今ひとたびの御幸待たなむ   貞信公

みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ  藤原兼輔

山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば   源宗于朝臣

心あてに折らばや折らむはつ霜の置きまどはせる白菊の花   凡河内躬恒

(月夜にはそれとも見えず梅の花香をたづねてぞしるべかりける 凡河内躬恒

(照る月を弓張としもいふことは山の端さしていればなりけり  凡河内躬恒

(白雲のこのかたにしもおりゐるは天つ風こそ吹きてきぬらし  凡河内躬恒

(ふたつ文字牛の角文字直ぐなもじゆがみ文字とぞ君はおぼゆる 延政門院  

有明のつれなくみえし別れより暁ばかり憂きものはなし    壬生忠岑

(風吹けば峰にわかるる白雲の絶えてつれなき君が心か     壬生忠岑

(春の日の雪間をわけておひいでくる草のはつかに見えし君かも 壬生忠岑

朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪     坂上是則

(み吉野の象山の際の木ぬれにはここだもさわぐ鳥の声かも   山辺赤人

(み吉野の山の白雪ふみ分けて入りにし人のおとづれもせぬ   壬生忠岑

(み吉野の山の白雪ふみ分けて入りにし人の跡ぞ悲しき     静御前

(しづやしづ賤のをだまき繰りかへし昔を今になすよしもがな  静御前

(み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり   坂上是則

山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり   春道列樹

(流れゆくわれは水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ 菅原道真

(あづさ弓春の山辺を越えくれば道もさりあへず花ぞ散りける  紀貫之

(昨日といひ今日とくらしてあすか川流れてはやき月日なりけり 春道列樹

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ      紀友則

たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに     藤原興風

(かくしつつ世をや尽くさむ高砂の尾の上にたてる松ならなくに 詠み人知らず

(われみても久しくなりぬ住之江の岸の姫松幾世経ぬらむ    詠み人知らず

(世の中に古りぬるものは津の国の長柄の橋とわれとなりけり  詠み人知らず

(今こそあれわれも昔はをとこ山さかゆく時もあり来しものを  詠み人知らず

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける    紀貫之

(夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ   清原深養父

(夏の夜の臥すかとすれば時鳥鳴くひと声にあくるしののめ   紀貫之

(冬ながら空より花の散り来るは雲のあなたは春にやあらむ   清原深養父

(その人ののちといはれぬ身なりせば今宵の歌をなづぞ詠ままし 清少納言

白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける   文屋朝康

(秋の野におく白露は玉なれやつらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ   文屋朝康

(蓮葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく    僧正遍照

(萩の露玉に貫かむととれば消ぬよし見む人は枝ながらみよ   詠み人知らず

(あさみどり糸よりかけて白露を玉にも貫ける春の柳か     僧正遍照

(置くと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露  源氏物語

(秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草場の土とのみ見む   源氏物語

忘らるる身をば思はず誓ひてし人のいのちの惜しくもあるかな 右近

(我を頼めて来ぬ男角二つ生いたる鬼となれさて人に疎まれよ
霜雪あられ降る水田の鳥となれさて足冷たかれ・・・ (梁塵秘抄) 詠み人知らず

浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき   参議源等

(戯奴(ワケ)がため吾手もすまに春の野に抜ける茅花ぞ食して肥えませ 紀女郎

(吾が君に戯奴は恋ふらし給ひたる茅花を喫めどいや痩せに痩す 大伴家持

忍ぶれど色にいでにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで  平兼盛

恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見

契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは    清原元輔

(君をおきてあだし心をわが待たば末の松山浪も越えなむ    詠み人知らず

(いかばかり思ふらむかと思ふらむ老いて別るる遠き道をば   清原元輔

(波こゆるころとも知らず末の松待つらむとのみ思ひけるかな  源氏物語

あひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざるけり   藤原敦忠

逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし 藤原朝忠

(君恋ふとかつは消えつつ経るものをかくても生ける身とやみるらむ 清原元真

(たぐへやるわがたましひをいかにして儚き空にもてはなるらむ  藤原朝忠

(ふりすてて今日はゆくとも鈴鹿川八十瀬の波に袖はぬれじや   源氏物語

あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな 謙徳公

由良の戸を渡る舟人かぢを絶え行方も知らぬ恋のみちかな    曾禰好忠

(日暮るれば下はをぐらき木のもとのもの恐ろしき夏の夕暮れ    曾禰好忠  

(うとまねど誰も汗こき夏なれば間ええ遠に寝とや心へだつる    曾禰好忠

八重むぐらしげれる宿のさびしきに人こそみえね秋は来にけり  恵慶法師

(塩竈にいつか来にけむ朝なぎに釣する舟はここによらなむ    在原業平

風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふころかな   源重之

(人の世は露なりけりとしりぬれば親子の道に心おかなむ     源重之

(さもこそは人におとれる我絵ならめおのが子にさへ後れとるかな 源重之

(旅人のわびしきことは草枕雪降る時の氷なりけり        源重之

(昔みし関守もみな老いにけり年のゆくをばえやはとどむる    源重之

(みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか    平兼盛

みかきもり衛士の焚く火の夜は燃え昼は消えつつものこそ思へ  大中臣能宣

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな    藤原義孝

 

松下幸之助の言葉

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「幾ら塩の辛さ砂糖の甘さを考えられても、本当の所は判らない。幾ら水泳の講義を聞き畳の上で練習に励んでも決して泳げるようになるものではない。実際に水に浸り手足を動かし時には不覚の水を飲んで練習しているうちに水泳のコツが掴める。自ら体験して得たものは唯単なる知識や理論として覚えたものではないので、いつまでも自分の身についてくれる。そして如何様にでも応用できる。」―運を開く言葉よりー

【十二月の言葉】

*一日 自分の最善を尽くす

太閤秀吉と云う人は草履取りに為れば日本一の草履取りになったし炭番に為れば最高の炭番になった。そして馬回り役に成ったら自分の給料を割いて人参を買い馬にやったと云う。此の為嫁さんが逃げてしまったと云う事だがそこに秀吉の偉大さがある。馬番になったが俺はこんな仕事は嫌だなどと云わずに日本一の馬番に成ろうと努力した。詰りいかなるかんきょうにあっても自分の最善を尽くし一日一日を充実させ其れを積み重ねていく。其れが役に立つ人間でありその様な事が人を成功に導いていく道だと思うのである。

*四日 事ある度に

私は世の中と云うものは、刻々と変化していき進歩発展していくものだと云う見方を、根本的に持っています。何か事ある度にこの世の中は段々良くなっていくと思っています。あの誤った戦争をしてあれ程の痛手を被ったにも拘らず、今日の様に繁栄の姿になっているのは如何云う問題が起ころうとも世の中は、一刻一刻進歩発展していくものだと云う事を表している一例ではないでしょうか。あの戦争があってよかったとは決して思いませんが、然し如何云う事があった場合でもお互いの在り方次第でそれが進展に結びつく一つの素因に成るのではないかと思います。

*九日 世界に誇れる国民性

同じ日本人でも細かく見れば考え方や性格など実に色々な人がいる訳ですが、然し復一面には日本人には日本人としての共通の特性と云うか日本人の民族性国民性と云うものが矢張り有る様に思います。日本独特の気候や風土の中で長い間過ごしている内に、例えば日本人特有の繊細な情感と云うものが次第に養われてきたと云えるでしょう。日本人の国民性の中にも反省すべき点は少なくありませんが、特に勤勉さとか器用さとか恵まれた気候風土と長い歴史伝統によって養われてきた斯う云う特性には、世界にも大いに誇り得るものが有る様に思うのです。

*十日 限度を超えない

社会には所謂常識と云うものが有ります。そしてその常識に従ってある一定の限度と云うものがある筈で、例えばお金を貯める事も結構なら使うのも結構ですが、その限度を超えて吝嗇であったりまた金遣いが荒く借金だらけであると云う事では世間が承知しません。矢張り

*十一日 持ち味を生かす

家康は日本の歴史上最も優れた指導者の一人であり、その考え方なり業績に学ぶべきものは多々ある。併しだからと言って他の人が家康の通りにやったら上手く往くかと云うとそうではない。寧ろ失敗する場合が多いと思う。と云うのは家康のやり方は家康と云う人にして初めて成功するのであって、家康とは色々な意味で持ち味の違う別の人がやっても其れは上手く往かないものである。人には皆夫々に違った持ち味がある。一人として全く同じと云う事は無い。だから偉人のやり方を其の儘真似ると云うのでなく、それにヒントを得て自分の持ち味に合わせた在り方を生み出さねばならないと思う。

*十四日 人生の妙味

雨が降ったり雷が鳴ったりと云う自然現象は、ある程度の予測は出来る者の正確には掴み得えない。我々の人生の姿も此の自然現象とよく似たものでは無いだろうか其処には天災地変に匹敵する予期でき無多くの障害がある。我々は其等の障害の中に在り乍ら常に自分の道を求め仕事を進めて往かねばならない。其処に一寸先は闇とよく言われる人生の難しさがあるのであるが、そういう障害を乗り越え道を切り開いてゆく処に復人生の妙味があるのだと思う。予期できるものであれば味わいも半減してしまうであろう。

*十六日 大義名分

古来名将と云われる様な人は合戦に当っては必ず此の戦いは決して私的な意欲の為にやるのではない。世の爲人の為にこういう大きな目的でやるのだ。と云う様な大義名分を明らかにしたと云われる。如何に大軍を擁しても正義なき戦いは人々の支持を得られず長きにわたる成果は得られないからであろう。是は決して戦の場合だけではない。事業の経営に於いても諸々の施策にしても何を目指し何の為にやるのかと云う事を、自らハッキリ持ってそれを人々に明らかにしていかなくてはならない。其れが指導者としての大切な務めだと思う。

*十八日 利害を一にしよう

おとなと青年或は子供との間に断絶があるとすれば、それは我々の云う商売的な利害を共にしていない更にもっと高い意味の利害を一にしていないからだと思います。親は子の為に子は親の為に本当に何を考え何を為すべきかと云う事に徹しているか如何か、又先生は生徒の為を本当に考えているか如何か生徒は先生に対して如何言う考え方を持っているか。そう云う意識が極めて薄い為に、其処に溝が出来其れが断絶となり大いなる紛争になってくるのではないでしょうか。時代が時代だから断絶があるのが当然だと考える処に根本の錯覚過ちがあると思うのです。

*十九日 寿命を知る

人間に寿命が有る様に我々の仕事にも其れが何時の事か判らないにしても、矢張り一つの寿命があると云えるのではないかと思う。併しだからと云って努力しても詰らないと放棄してしまう様では人間で云う処の天寿を全うせしめることは出来ない。是は謂わば人間はやがて死ぬのだからと不摂生不養生の限りと尽すのと同じであろう。其れよりも寧ろ一切のものには寿命があると知った上で、寿命に達するその瞬間迄はお互いに其処に全精神を打ち込んでゆく。そう言う姿から大きな安心感と云うか大らかな人生が開けるのではないかと思う。

*二一日 信用は得難く失い易い

我々が何か事を成してい場合信用と云うものは極めて大事である。謂わば無形の力無形の富と云う事が出来よう。けれども其れは一朝一夕で得られるものでは無い。長年に渡る誤りのない誠実な行いの積み重ねがあって初めて次第次第に養われていくものであろう。併しそうして得られた信用も失う時は早いものである。昔であれば少々の過ちが在っても過去に培われた信用に拠って直ちに信用の失墜とはならなかったかも知れない。然し一寸した失敗でも致命的に成りかねないのが、情報が一瞬にして世界の隅々まで届く今日と云う時代である。

*二二日 小事を大切に

普通大きな失敗は厳しく𠮟り小さな失敗は軽く注意する。併し考えてみると大きな失敗と云うものは対外本人も十分考え一生懸命やった上でするものである。だからそう言う場合には寧ろ君そんな事で心配したらあかんと一面励ましつつ、失敗の原因を共々研究し今後に活かして行く事が大事ではないかと思う。一方小さな失敗や過ちは概ね本人の不注意や気の緩みから起こり、本人も其れに気が付かない場合が多い。小事に捉われる餘大二を忘れてはならないが小事を大切にし小さな失敗に対して厳しく𠮟ると云う事も一面必要ではないか。

*二四日 時を尊ぶ心

以前或る床屋さんに行ったときサービスだと云う事で、いつもなら一時間で終わる散髪をその日は一時間十分かけてやってくれた。詰り床屋さんはサービスだと云う事で十分間も多く手間を懸けてくれたと云う訳である。其処で私は散髪が仕上がってから冗談交じりに斯う云った。君サービスしようと云う気持ちは非常に結構うだと思う。然し念入りにやるから十分間余分に罹るという事であっては忙しい人にとっては困る様な事に為りはしないか。もし君が念入りにしかも時間も五十分でやると云う事であれば是こそ本当の立派なサービスだと思うが・・・。

*二六日 旨くて早くて親切

私が丁稚奉公をしていた頃楽しみの一つはうどんを食べる事だった。その当時は子供心にもあのお店のうどんは美味しいし素うどん一杯のお客でも大切にしてくれると感じある一軒の店ばかりに通ったものである。其のうどん屋は旨くて親切でそして早く作ってくれた。現代に於ける商売企業のコツも此のうどん屋さんのやっていたことと何一つ変わらない。立派な商品を早くお届けし親切丁寧に使用法を説明する―斯うした心掛けで商売をするならば私は必ずそのお店は成功すると思う。又そういうお店が成功しなかったら不思議である。

*二八日 ケジメをつける

お互い人間にとって責任を明らかにすると云うかケジメをつける事の大切さは、昔からよく言われてきている事だが之は今日でも変わらないと思う。勿論其々に会社の社風や仕事の内容が違うからその会社の独自のやり方が在るであろう。然しお互いに自分自身の成長の為にも又自分の会社が更に飛躍し社会に貢献してゆく為にもけじめをつけると云う断乎としたものを一面に於いて持たなければならないと思う。今一度其々の立場で我が身を振り返り事を曖昧に過ごしていないか如何か、改めて確かめてみる事が大事ではないだろうか。

*二九日 理想ある政治を

政治には理想が大事です。日本をこうするんだと云う一本筋が十たものが無ければいけない。そう云うものが今は見られません。その場を適当に納めてやっているそういう状態です。未だ日本が世界で二・三十番目と云う事であるなら追いつけ追い越せと云う事でも目標も出来てきますが、すでに世界一・二位を争う様になっている以上其処により高い目標理想を打ち出す必要があると思います。例え世界で一番と云う事になったとしても日本にはもっと大きな役割があるんだからと云う事で、より高い理想を持ち力強い政治を行って行く事が必要だと思うのです。

*三一日 総決算

十二月は総決算の月。この時に当り一年の歩みを振り返りお互いの心のけじめをつけたいものです。此の一年良かったことは善かった悪かったことは悪かったと、素直に自分で採点しなければなりません。そしてこの一年は決して自分一人の力で歩んだものではありません。自分で気付かない処で人々の協力を得又思わぬ処で迷惑を懸けている事もあると思うのです。そんな周囲の人々の協力に対しては有難く感謝し迷惑を懸けたことに対しては謙虚に謝罪したいと思います。そうした素直な自己反省こそ次の新しい年の時分の成長にプラスする何かを必ず与えてくれると思うのです。

立冬間近・・(=^・^=)💖

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205NPO法人あおぞら2024年11月5日 note投稿より転記

      墨を磨る心しづかに冬に入る  林信子

      立冬の十時の影を落とす端  奥田節子

目次

  1. 黄葉紅葉楽しめるかな
  2. 猫だんご
  3. TNRに関するお知らせ
  4. 北九州では

黄葉紅葉楽しめるかな


今年の24節季立冬は、11月7日❣❣
もうすぐ、暦では季節は冬と云う事に。
旧暦と新暦の違いでひと月ほどのタイムラグはあるものの、気配はどうやら追いついてきている感もあります。
北の方では其れなりに黄葉・紅葉も、楽しめているようです。
こちらも山など、高いところでは始まっているようですネ。
が、平地では短い秋と云われる今年、あまり紅葉見れないまま、冬へ突入ということもあるかもですね。
そうならないことを願ってます(=^・^=)

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数年前の門司港老松公園公孫樹黄葉

猫だんご

家の中の保護猫たち、そろそろ、暖を採るのに団子状態になって寝る事も段々と増えて来ている様(=^・^=)

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もうすぐ朝晩は、ストーブ等々用意しなければならないかもしれませんね~
ヒト様の食料は勿論、猫達の食料やトイレ砂も値上がりしている中、燃料等の高騰が追い打ちかけるようで、一足先に懐具合は冬へ突入かな😿

新政府何とか改善策急いでくれればと思いますが・・

保護猫達は、暖房の前や布団に丸まってと云う事で寒さ凌いで冬過す事になりますが、外猫達は、どうするのでしょう。

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避妊手術をすると、脂肪がつきやすくなると、よく言われますが、外で暮らす猫達❣❣TNRを実施する事で、寒さをしのぐのに役立つかもしれませんね。
何はともあれ、野生の知恵で健やかに冬場を乗り切ってくれればと願ってま~す❣(=^・^=)💖

   立冬や野良猫にはノラの暮らしあり (=^・^=)駄句

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TNRに関するお知らせ

\どうぶつ基金さん・11月分無料不妊手術チケット/

チケットの配分は以下の通りになります。

一般枠 :2,383枚
団体枠 : 165枚
行政枠 :3,518枚

総合計 :6,066枚

今月も多くの無料不妊手術チケットをお届けできること、
ご支援いただいております皆様に深く感謝いたします。

当メールは全読者へのお知らせとなり、残念ながら、今回チケットが発行されなかった方にもお届けしております。チケットをご申請いただいたボランティアの皆様は、ご自身のマイページよりチケット発行状況をご確認いただきますようお願い申し上げます。
マイページはこちら
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\9月の新規協力病院/
新たな登録病院はありませんでした。

北九州では

北九州にはどうぶつ基金さんの協力病院はまだありませんが、
独自にTNR活動等へご尽力くださっている病院は多々あります。
また、少ないですが、助成の制度等もあります。
下記の外、北九州獣医師会等のホームページも参考にされてみてください。

北九州 アニマイル動物診療所北九州 アニマイル動物診療所 | 非営利活動法人 アニマイル手術費用雌猫8000円(妊婦さんの場合+1000円)・雄猫5000円エイズ白血病検査 2500円 3種混合ワクチン1700animile.org

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手術会場:福岡県北九州市小倉南区葛原2-16-18

公益財団法人 日本動物愛護協会 (jspca.or.jp)

205NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

空気替るかな(=^・^=)💖

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保護猫いろいろ(=^・^=)

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防災とペットは・・(=^・^=)

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冬場に備えて(=^・^=)

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236NPO法人あおぞら2024年10月23日 (Blognoteより転記)

二十四節季:霜降


暦では二十四節季の霜降
霜が降り始める侯と云う事ですが、昨日は関東の方では真夏日の処も、こちら九州では雨模様で宮崎などは、線状降水帯が発生しての危険な大雨に・・

     霜降や雄牛に似たる千年家  野澤鱶

     掌の温み移れば捨てて烏瓜  岡本眸

まだまだ、現実の気配は句に詠まれるような「霜降」とはいかないようですね~(=^・^=)

そう云えば、予報では11月も例年に比べ気温は高めで、12月に入ると
平年並みか、其れよりも低い気温と云う事になるらしいですね。
本当に秋が無くなりそう❣❣

此方での黄葉・紅葉どうなるのでしょう。
平地ではなかなか色づきが、むつかしいかもですね。

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数年前に撮った門司港老松公園の景

猫達の暮らしぶりは


秋、無くなりそうとはいうものの、保護猫達も外猫も夏場の一時期に
比べると、明らかに食欲増してきている感じ❣❣
夏場体調を崩していた子達もここにきて少しづつ
元気回復してきている様子😾

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食欲の秋は、健在というところでしょうか💖(=^・^=)
どちら様も来る冬場に備えて、しっかりと脂肪蓄えている感じ🙀

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お陰様で夏場に比べると食事の準備等々なかなか手間のかかる事、多大。
食欲旺盛な分、トイレの始末も大変だ~❣

とは言うものの外猫も保護猫も健康であれば、其れが一番かも❣❣
ですね~(#^.^#)

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       霜降の日路地の猫ハ顔洗ふ 駄句=^_^=

すべてのタグを表示236NPO法人あおぞらNPO法人あおぞらの代表、杉原英子です。福岡県北九州市門司区を中心に活動しています。私どもは保護を必要とする犬や 猫の救済を通じて地域の環境保全を考えるとともに人と動物が共生できるやさしい社会環境づくりを目指して活動をしてい ます。

疑問は尽きないですね~(=^・^=)

虫の声(=^・^=)

優しい国に・・(=^・^=)💖

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「受け身の人生から自発的積極的な人生への転換です。ダラダラと続いていると思うのは其の連なりの中の節を見過ごしているからで、だから心も改まらなければ姿勢も改まらない。大事なことは此の節を見分け自覚しその節々で思いを新たにすることである」―「運を開く言葉」より

【十一月の言葉】

*一日 人の世は雲の流れの如し

青い空にゆったりと白い雲が流れていく。常日頃慌ただしさの儘に意識もしなかった雲の流れである。速く遅く大きく小さく白く淡く高く低く一時も同じ姿を保っていない。。崩れるが如く崩れざるが如く一瞬一瞬その形を変えて青い空の中程を様々に流れていく。之は将に人の心人の定め運命に似ている。人の心は日に日に変わっていく。そして人の境遇も復昨日と今日は同じではないのである。喜びも佳悲しみも又吉し人の世は雲の流れの如し。そう思い定めれば其処に復人生の妙味も味わえるのではないだろうか。

*三日 日本人としての自覚と誇り

国破れて山河在りと云う言葉が有ります。例え国が滅んでも自然の山河は変わらないと云う意味ですが、山河は亦我々の心の故郷と共言えましょう。歴史に幾変転はあっても人の故郷を想う心には変わりはありません。此の国の祖先が培ってきた伝統の精神、国民精神も又変わることなくお互い人間の基本的な心構えであると思います。我々は日本と云う尊い故郷を持っています。此れを自覚し誇りとして活動する其処にはじめてお互いに納得の行く動きが起こるのではないでしょうか。日本人としての自覚や誇りの無い処には日本の政治も経済もないと思うのです。

*五日 大器晩成と云う事

能く世間ではあの人は大器晩成型だ等と云いますが、その場合どちらかと云えばあまり褒めた様には使わない事が多いようです。詰り今はまあまあだけれどもその内に何とか一人前になるだろうと云った調子です。併し私は此の大器晩成と云うのはもっと大事な意味を持っているのではないかと思うのです。真の大器晩成と云うものは人生は終生勉強であると云う考えを持って、菟と亀の昔話の様に一歩一歩急がず慌てず日々精進し進歩向上して行く姿ではないかと思います。其う云う姿を目指す事がお互いに大切だと思うのです。

*六日 部下の為に死ぬ

経営者に求められるものは色々ありましょうが、自分は部下の為に死ぬ覚悟があるか如何かが一番の問題だと思います。そう云う覚悟が出来ていない大将であれば部下も心から敬服して本当にその人の為に働こうと云う事にはならないでしょう。経営者の方もそう云うものを持たないと妙に遠慮したり怖れたりして社員を叱る事も出来なくなります。其れでは社内に混乱が起こる事にも成ってしまいます。

ですから矢張り経営者たる者はいざと云う時には部下の為に死ぬと云う程の思いで日々経営に当たるのでなければ力強い発展は期し得ないと思うのです。

*八日 振子の如く

時計の振子は右に振れ左に振れる。そして休みなく時間が刻まれる。其れが原則であり時計が生きている証拠であると云って好い。世の中も亦人生も斯くの如し。右に揺れ左に揺れる。揺れてこそ世の中は生きているのである。然し此処で大事な事は右に揺れ左に揺れると云っても、その揺れ方が中庸を得なければならぬと云う事である。右に揺れ左に揺れるその振幅が適切適正であってこそ其処から繁栄が生み出されてくる。小さく振れてもいけないし大きく振れてもいけない。中庸を得た適切な触れ方揺れ方が大事なのである。

*九日 利害得失に捉われない

利害得失を考える事はある程度止むを得ないけれども、余り其れに囚われ過ぎと自分の歩む道を誤る事にも成りかねない。学校を撰ぶにしても卒業して仕事を選ぶ場合でもそうである。誰もが給与とか待遇の事を先に考える傾向があるが、矢張り自分には何が一番適しているだろうかと云う事を能く考えるべきだと思う。

必ずしも大会社へ入ったから幸せかと云うとそうとばかりは言えない。人によっては中小企業へ勤めて却って用いられ人生の味と云うか綾を知る尊い体験が出来て、人間としても成長すると云う事が往々にしてあるからである。

*十四日 自分を戒める為に

松下電器では昭和八年に遵奉すべき五大精神を定め発表して以来毎日の朝会で唱和している。(十二年に二精神を加え七精神)是は勿論社員としての心構えを説いたものであるが、それと同時に私自身を鞭撻する爲のものである。皆で確認し合った使命であっても何もなければ遂遂忘れて行勝ちになる。だから毎日の仕事のスタート時に噛締める。言ってみれば自分への戒めである。人間は頼りないものである。如何に強い決意をしても時間が経てばやがてそれが弱まってくる。だからそれを防ぐ為には常に自分自身に言い聞かせる。自分に対する説得誡めを続けなければならない。

*十六日 成功するまで続ける

何事に拠らず志を建て始めたら少々上手くいかないとか失敗したと云う様な事で、簡単に諦めてしまってはいけないと思う。一度や二度の失敗で挫けたり諦める様な心弱い事では本当に物事を為し遂げて往く事は出来ない。世の中は常に変化し流動しているものである。一度は失敗し志を得なくても其れにめげず辛抱強く地道な努力を重ねて行く内に周囲の情勢が有利に転換して新たな道が開けてくると云う事もあろう。世に云う失敗の多くは成功する迄に諦めてしまう処に原因が有る様に思われる。竿後の最後迄諦めてはいけないのである。

*十八日 民主主義と勝手主義

民主主義と云うものは自分が善ければ人はどうでもいいと云うような勝手なものでは決してないと思うのです。今日の日本の民主主義は我儘勝手主義である。勝手主義を民主主義の如く解釈している人が随分あるのではないかと云う様な感じがします。民主主義と云うものは自分の権利も主張する事は認められるが、それと同時に他人の権利也福祉也と云うものを認めて往かなければならない。そういう事をしなかったならば法律によってぴしっと遣られると云う様な非常に戒律の厳しいものだと思います。其れがあって初めて民主主義と云うものが保ち得るのだと思うのです。

*二十日 寛容の心で包含

世の中には好い人ばかりではない。相当良い人もいるが相当悪い人もいる訳です。ですからきれいな人、心の清らかな人そう言う人ばかりを世の中に望んでも実際には中々その通りにはなりません。十人居たら其の中に必ず尾ならざる者正ならざる者も入ってくる。そういう状態で活動を進めているのがこの広い世の中の姿ではないでしょうか。其処に寛容と云う事が必要になってきます。力弱き者力強き者があるならば両者が互いに包含し合って其処に総合した共同の力が生み出されてゆく。そう云う処に我々人間の生き方があるのではないかと私は思うのです。

*二一日 心を解き放つ

自由な発想の転換が出来ると云う事は指導者にとって極めて大事な事である。然し発想の転換と云う事は盛んに言われるが実際は中々難しい。自ら自分の心を縛ったり狭めている場合が多いのである。だから大事な事は自分の心を解き放ち拡げて行く事である。そして例えば今迄表から見ていたものを裏から見、又裏を見ていたものを表も見てみる。そう云った事をあらゆる機会に繰り返していく事であろう。そうした心の訓練によって随所に発想の転換が出来る様にしたいものである。

*二二日 弁解より反省

仕事でも何でも物事が上手くいかない場合必ず其処に原因がある筈である。だから上手くいかなかった時にその原因を考える事は同じ失敗を重ねない為にも極めて大切である。そのことは誰もが承知しているのであるが、人間と云うものは往々にして上手くいかない原因を究明し反省するよりも、斯う云う状況だから上手くいかなかったのだ。あんな思いがけない事が起こって其れで失敗したのだと云う様に弁解し自分を納得させてしまう。原因は自分が招いた事であると云う思いに徹してこそ、失敗も経験も生かされてくるのではないだろうか。

*二五日 人間としての務め

命を懸けるー其れは偉大な事です。命を懸ける思いがあるならばものに取り組む態度と云うものが自ずと真剣に成る。従ってものの考え方が一新し創意工夫と云う事も次々に生まれてきます。お互いの命が生きて働くからです。そうすると其処から私たち人間が繁栄していく方法と云うものが無限に湧き出てくると云えるのではないでしょうか。この無限に潜んでいるものを一つ一つ探し求めていくのが人間の姿であり、私達お互いの人間としての務めであると思います。もうこれで云い決してそう考えてはならない。其れは人間としての務めを怠る人だと私は思います。

*二七日 人間としての成功

人には各各皆異なった天分特質と云うものが与えられています。言い換えれば万人万様皆異なった生き方をし、皆異なった仕事をする様に運命づけられているとも考えられると思うのです。私は成功と云うのは此の自分に与えられた天分を其の儘完全に生かし切る事ではないかと思います。それが人間として正しい生き方であり自分も満足すると同時に、働きの成果も高まって周囲の人々をも喜ばすことに為るのではないでしょうか。そういう意味からすればこれこそ人間としての成功と呼ぶべきではないかと考えるのです。

*三十日 精神大国を目指して

今日我が国は経済大国と云われる迄に成りましたが、人々の心の面精神面を高めると云う事に就いては、兎角等閑にされ勝ちだった様に思います。此れからは経済面の充実と合わせてお互い国民の道義道徳心良識を高め、明るく生き生きと日々の仕事に励みつつ自他共に活かし合う共同生活を造り上げていく。合わせて日本だけでなく海外の人々牽いては人類相互の為の、奉仕貢献が出来る豊かな精神に根差した国家国民の姿を築き上げていく。その様な精神大国道徳大国とでも呼べる方向を目指して進む事が、今日国内的にも海外的にも極めて寛容ではないかと思うのです。

疑問は尽きないですね~=^_^=

NPO法人あおぞら2024年9月15日 投稿より

目次

  1. ご紹介します。
  2. 提案内容
  3. 思う事

ご紹介します。

NETの署名活動支援サイトにアップされていました。
動物愛護に関わる個人・団体の皆様が、感じている疑問を代表しているように感じましたのでご紹介いたします。
北九州の、動物愛護に関わる行政の方々の目にも止まり、一考の賛助となればと願っています(=^・^=)💖

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(以下本文の引用です)

提案内容

発信者 一般財団法人コロコロワンニャ  橋本 磨季
この度、私たちは来年の動物愛護管理法の改正の際に、37条ノ二・愛護センター業務の中に「飼い主のいない犬・猫の繁殖制限・不妊去勢手術の実施」の加筆を要望するためこの署名を立ち上げます。

◇◇問題提起◇◇
国の行政機関は犬猫の数をコントロールするために殺処分にお金をかけています。
一方、犬猫の数をコントロールする最良の方法は不妊去勢手術であることは、周知の事実です。
しかし、ノラ猫のTNRなどはほとんどが民間によるものです。そして、そのボランティアさんたちはみな疲弊しているのです。
なぜ、行政機関の動物愛護センターで、国の費用によって不妊去勢手術が行えないのでしょうか?
センターに手術室があるのになぜでしょう?
センター職員の殆どが獣医師なのになぜでしょう?

かのマハトマ・ガンジーが言いました「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る」

動物愛護センターにその機能がありながら、不妊去勢手術をおこなわないのは怠慢ではないでしょうか。
国(行政機関・動物愛護センター)にはプライドを持って対処して頂けるように求めます。

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◇◇提案◇◇
新たな動物愛護管理法の改正を通じて、動物愛護センターが「飼い主のいない犬・猫の繁殖制限・不妊去勢手術の実施」の責任をもつことで、殺処分ではなく、命を大切にすることにシフトし「すべての命が尊重されるべき」というメッセージを広めることにもつながります。

また、この改正が実行されれば、各自治体がより効果的に犬猫の繁殖を制限する仕組みをつくることを住民が求めていくための強い根拠となります。
私たちは20年に及ぶ様々な動物愛護活動の中で、犬猫の繁殖の問題を目の当たりにしてきました。

財団法人としてこれらの問題に支援を続けておりますが、いつまでも続けるのには限界がある上に、あまり良い前例ではないと思っています。
なぜならば、民間が主導する事で行政機関の動きが鈍くなるからです。
私たちは思いを同じくする皆様と手をつなぎ、動物に優しい社会、人間にも優しい社会に向けて進んでいきたいと考えています。
                                                                                                    以上

オンライン署名 · 全国の動物愛護センターで、殺処分ではなく不妊去勢手術を – 日本 · Change.org

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思う事

地方行政の中では、noteの中でも何度かご紹介したように、九州の宮崎や熊本の様に、既に制限付きとは言え、無償での不妊不妊手術を実施している自治体もあります。が、まだまだそのような自治体は少数派❣❢
出来れば、国家の主導でこの様な取り組みが、各自治体のスタンダードな姿となる事を願っています。

今、国の政治の世界では各党での代表者選びがクローズアップされていますが、まあ、この様な事を施策に盛り込む様な候補者はいませんね。
命を大切にするのは福祉の原点だと思うのですが、どうやら日本ではそのあたりがつながっていないように感じます・・

でも、本文でも紹介されているように、動物の扱い方でその国の水準が判ると云う事になれば、動物愛護に真摯に取り組む姿勢こそが、国家としても真の意味の先進国家になったと云えるのではないのでしょうか。

(と、思うのですが、現実は・・・❓(=^・^=)❣❢)

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○○の秋となり・・(=^・^=)💖

NPO法人あおぞら2024年 blognoteより転写

目次

  1. 《食欲》
  2. 《鑑賞》
  3. 《読書》

《食欲》

      「夕空の土星に 秋刀魚 焼く匂ひ 」  川端茅舍

朝夕めっきりと秋らしい気配が感じられるように・・
外猫も保護猫達も其れに連れて食欲増進❣❢ 
外猫達は、朝夕の過し易さも手伝ってか、食事はゆっくりと楽しみながら、と云う感じ❣❢その分、用意する手間は二倍三倍かかっています😿
勿論、家の中でも同じ事❣❢17匹もいると、掃除からトイレの始末、食事の
準備等々・・早朝の喧騒は、息つく暇もなし❣❢ですね・・・(=^・^=)
人様の食事は、猫族の世話が一段落してからと云う事に・・・❣❢

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《鑑賞》

     「にせものときまりし壺の夜長かな」 木下夕爾

秋と云えば芸術鑑賞を楽しみにされている方々も多い事でしょう。
芸術とはほぼ無縁と云える、私ども❣❢ 若い頃の血気で、40数年前あるデパートの絵画展示会に出かけた時、一目で気に入った花の絵を数十万円で即決キャッシュ購入した事があります❣❢
年齢も年齢となってきた今日この頃、少し身辺の整理をと、思い立って、よくTVでも宣伝されている、あの買取の業者さんへ連絡し、いろんなものを見てもらいました。
この絵もその時に査定して頂いたのですが、結果は、何と何と購入時の1/100程度の金額❣❢これには唖然とさせられましたが、そんなものなんでしょうね∻世の中は😿
その絵は未だに手元に置いたままです・・・(=^・^=)
まあ気に入って買った絵画❣❢ ゆっくり眺めて楽しみましょう。

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《読書》

    「秋灯かくも短き詩を愛し」    寺井谷子

昼間の暑さはまだ、夏日が続いているということで、なかなか秋らしいという感じにはなりませんが、夕方から陽が沈んだ後は其の暑さも一段落❣❢
虫の音なども聞こえて来て、雰囲気は秋の夜長と云う感じになってきた様😾
そうなれば、読書などをと云う気になっても、おかしくないはずですが、如何も近頃は、読書を楽しむという体力も気力も衰えてきた様😹
先ずは猫様のお世話が一番と云うところです❣❢

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読書と云えば、此れも若い頃からの趣味で、新刊の購入は勿論、馴染みの古書店にも通い結構な古本も購入していました。

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「神ながらの道」
紀元二千五百八十六年ー大正十五年一月二十五日刊
皇后宮職御蔵版
皇室沼津御用邸にて東京帝國大学教授筧克彦法学博士による講演の速記録
(大正十三年二月二十六日~五月六日講演)

さて、此の書籍類を如何、始末するか❣❢ 売っても二束三文❣❢ ならばと少しづつ分散してですが、近くの図書館へ持ち込んでいます。
処分は図書館の判断に任せると云う一筆を入れて、新刊・古書関係なく引き取って頂けます。
まあ、二束三文よりは皆様のお役に少しでも立てれば嬉しいですね~❣❢

さて、読書の秋❣❢ 昔を思い出して、少し気を入れて長篇でも読んでみましょうか・・とは思うものの猫の世話で疲れはてて無理でしょうネ=^・^=💖

     「秋灯にひろげし儘の罪と罰」駄句(=^・^=)

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百朝集見開きのことば

★ 易簡而天下之理得矣   (易簡ニシテ天下ノ理得タリ)  易経繋辞上伝

★ 簡潔は智慧の妙諦なり           シェークスピア「ハムレット」より

★ 冗長になることは何時でも容易であるが簡潔にするには容易ならぬ努力が要る圧縮しそして最後はきりっと緊めることである   仏・アラン

参照:

中国思想史教授丸山松幸氏-関西大学-易の原理解説に拠れば易経の言葉「易簡」とは乾坤を表す言葉で乾は平易なやり方(易)で始動を行い坤は簡約な形(簡)で其れを受入れる従って一方は平易であるから指導が遅滞なく行われ坤に対する親和力を持つ他方は簡約であるから相手の働きを抵抗なく受け入れ完成に向かって大きな力を発揮することが出来る… 人は易簡であることによって宇宙の根本原理を体得することが出来それによって天地と並ぶ地位を獲得するとなっている

Memo:

易簡とは単なる簡易ではなく正に易学の根本に当たる原理という訳だ     この言葉を「百朝集」のトップに持ってくるのはやはり東西哲学思想究め行動の規範とする 大家安岡正篤にしてはじめて可能ならしめる意義深い選択の言葉だと思う

易とは尽きることのない活動原理の方法論でもある 

安岡正篤の書に

「人の生涯何事によらずもうお終いと思う勿れ 未だ嘗て始めらしき始を持たざるを思うべし 志業はその行き詰まりを見せずして一生を終るを真実の心得と爲す 成功は一分の霊感と九分の流汗に由る退屈は死の豫告と知るべし」        とある