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緊急!里親希望者探してます。

目次

  1. 孤軍奮闘
  2. ご協力をお願いします
  3. 里親さん募集💛
  4. mail

孤軍奮闘

先日、福岡県水巻在住のS・Yさんより悲痛な電話、庭に来るノラたちを何とか助けたいと、今も頑張っているが、親猫が2匹仔猫が12匹となって、今後が不安、どうしたらいいか悩んでいるとのこと。

動物病院にも相談し、避妊・去勢できる子たちは順々に手術を施しながら、病院に預かってもらったり、知人に預かってもらったりしながらなんとか面倒を見ているとのこと。もちろん、病院や知人の方、預かり賃等は有料、それらの費用、すべて個人で賄っている由。

一人で抱え込むことで若干疲れが出てきてる様子、将来が見えないことで、精神的にも不安がいっぱいな感じ!何とかしてあげたいと、親猫の不妊手術を優先して行うことやその後、里親がむつかしい子たちは地域猫としてなるべく、目の届くような状態面倒をみてあげること、里親へ行けそうな子は早急に里親さんを探すこと等々で少しでも負担を軽減できるよう「あおぞら」もサポートしますとお話ししてます。

ご協力をお願いします

以下S・Yさんのmail一部を引用いたします。

2021.8.25
◎特定非営利活動法人 あおぞら
杉原 英子様

本日、保護猫の件で、電話相談をさせて頂いたS・Yと申します。
突然、お電話をしたにも関わらす、親身に相談にのって頂き、ありがとうございました。
泣いても仔猫12匹と母猫2匹が幸せになるわけではないので、心を強く持ち、出来ることから一つずつ行っていきたいと思います。

里親さん募集💛

昨日、去勢、避妊手術をして帰ってきた猫3匹の写真を送信させて頂きます。よろしくお願いいたします。

画像1

仮名 メアリー、三毛猫、メス、
生後5ケ月位。避妊済、ノミ、ダニ駆除済。
兄弟猫5 匹が血液検査、陰性のため、この子も
陰性の可能性が高いと獣医に言われています。
性格は、とても人懐っこく、さするとすり寄って来て、
もっともっととおねだりをし、ゴロンと転がります。
おもちゃで遊ぶのも得意です。
明るく、元気で健康なチャーミングな猫ちゃんです。

ショーン1

仮名 ショーン、ハチワレ、オス、
生後5ケ月位。去勢済、ノミ、ダニ駆除済。
兄弟猫5 匹が血液検査、陰性のため、この子
も陰性の可能性が高いと獣医に言われています。
性格は穏やかで、無駄鳴きをせず、シャイな男の子です。
動じす、どんとした感じですが、話しかけると鳴いて
くるかわいい子です。
見た目は、ハチワレもどき?で、スッとしたハンサム猫です。
ドライフードもしっかり食べて元気で健康です。

とら1

3匹目は、仮名 とら、キジ猫、オス、
生後5ケ月位。去勢済、ノミ、ダニ駆除済。
兄弟猫5 匹が血液検査、陰性のため、この子も
陰性の可能性が高いと獣医に言われています。
性格は、話しかけたり、さすると喜んで甘えた声
で鳴いて寄ってきます。
よくゴロン、ゴロンと転がり、甘えん坊で、色々な人にすぐに懐いて、人見知りをしません。
遊び盛りでおもちゃで遊ぶのも大好きな元気いっぱい、健康な子です。
見た目もとても可愛らしく、イケメン君です。

簡単な紹介ですが、よろしくお願いいたします。

 以上

ご自分でなくても、どなたかお知り合いの方でも、お声掛けして里親さん探しにご協力をお願いいたします。無理は言いませんが、できれば北九州近辺在住の方々であれば、うれしいですね。

よろしくお願いいたします。

WEBサイト「ペットのおうち」にも掲載いたします。

mail

mefamily@khc.biglobe.ne.jp

blognote「NPO法人あおぞら」より抜粋 https://note.com/2019dobutu


安心脱生死大丈夫

仙英禅師と井伊直弼

古い雑誌ー1991年年7月号のプレジデントの特集記事「仏典のこころ」を読むのなかにあった作家新井栄生執筆「井伊直弼と正法眼蔵ー受身捨身ともに布施が支えた開国の決断」の中にある言葉です。

井伊直弼といえば「安政の大獄」や「桜田門外の変」などでよく知られている幕末、歴史を動かした重要人物の一人。舟橋聖一の小説「花の生涯」や今、放映中のNHK大河ドラマ「晴天を衝く」にも登場しているので好き嫌いはあるでしょうが歴史上の人物としてよく知られている存在ですね。

直弼は第11代彦根藩主直中の15番目の子として1814年生、幼少は非常に恵まれた状況で教育修練もしっかりと薫育されて育ちます。が、直中がなくなってから暫く続くいわゆる埋木舎の時代と言われる不遇の時代を経て、運命の悪戯かあるいは天の配剤なのか、直弼は1850年思いもかけず彦根藩主の座につき、ペリー来航に揺れる江戸幕府の重責をも担うこととなった訳ですね。

開国を迫るペリーに対しいかに対処すべきか迷っていた直弼は、彼の禅の師父である彦根清澄寺の住職仙英禅師に密かに手紙を出し、黒船退散の祈祷を依頼するとともにいかに対処すべきか尋ねています。その返答の手紙で仙英禅師は「安心脱生死大丈夫」と云う言葉で直弼を叱咤するわけです。本文にも引用されているその手紙の内容の一部はー異国船降伏祈願は承知したという後に以下の文言が記されていたそうです。

「抑佛道之秘術密法之降伏一切大魔最勝 成就ト申候ハ 御前、先年御修終被遊 三関六転語之外別無御坐候。凡王道佛道武道儒道惣萬億之秘術密法修行ト申所ハ悉皆極中極ニ至候ニハ安心脱生死大丈夫ヨリ外更無之事奉存候・・・」

直弼は仙英禅師の元、既に禅曹洞宗悟道允許を得、迷いを断ち切ってはいたもののこの国家の一大事にやはりいささかの揺らぎが生じていたのでしょう。しかしこの手紙を得て即座に決断、攘夷に傾いていた世論を廃し開国の献策を決意断行することに、なるわけです。「安心脱生死大丈夫」とは物事にとらわれない自然な心で生とか死とかも超越し仏の道を行うもの(解著者)ということとのこと。

その後直弼は、正法眼蔵にいう「受身捨身ともに布施なり」の言葉通り生きることも死ぬこともみな布施であるという境地で、当時においては、強権ともいえる政策を断行しいわば近代日本の基礎を築いたともいえるのではないでしょうか。

こういう話を聞いたり読んだりしますと、つくづく覚悟を決めた人間・達観した人間の力のもの凄さというものを痛感いたします。現代、命を懸けて事に当たっているといえる政治家がいかほどいるのでしょうか?甚だ疑問❕

EPSON MFP image

論語と算盤  渋沢栄一

常識と習慣

常識とは如何なるものか

事に当りて奇矯に馳せず頑固に陥らず是非善悪を見分け利害得失を識別し言語挙動すべて中庸に叶うものがそれである 之を学理的解釈すれば知・情・意の三者が各々権衡を保ち平等に発達したものが常識だろうと考える 更に換言すれば普通一般の人情に通じよく通俗の時理を解し適宜に採り得る能力が即ちそれである

偉き人と完き人

偉い人は人間の具有すべき一切の性格に仮令欠陥があるとしてもそれを補って余りあるだけ他に超絶した点のある人 完き人とは智情意の三者が円満に具足した者即ち常識の人である

私たちは反復行動の産物だ 優秀な行動は単なる行動ではなく一つの習慣となる アリストテレス

何をか真才真智という

我が境遇位地をこれ誤らぬだけのことが出来るならば少なくとも通常人以上になり得ることは難くないだろう 然るに世間は此の反対に走るもので一寸調子が宜いと直に我が境遇を忘れて分不相応の考えも出す 又ある困難の事に遭遇するとわが位地を失して打ちひしがれてしまう 即ち幸いに驕り災いに哀しむのが凡庸人の常である

安岡正篤の著「百朝集」に六然という言葉があります。

自ら処すること超然、人に処すること藹然(アイゼン)、有事斬然(ザンゼン)、無事澄然(チョウゼン)、得意澹然(タンゼン)、失意泰然            (明)崔後渠

これが実践できれば真に常識人として世に出ていかなる状況にあっても、恥をかくということは、ないでしょうね

一日一話 松下幸之助

七月

夕去ればひぐらし来啼く生駒山 越えてそ吾が来る妹が目を欲り

五日 責任を生甲斐に

人は成長するに連れて段々その責任が重くなってきます。そして成人に達すると法律的にもはっきり少年の頃とは違った責任を問われます。又次第に高い地位に就くようになると其れだけ責任が重くなります。併し人は元々責任を問われる処に人としての価値があるのだと思います。責任を問われることが大きければ大きい程其れだけ価値が高いと云う事が言えましょう。ですから責任を問われる処に生甲斐も有ろうと云うものです。責任を背負いその事に生甲斐を覚えないとしたら年齢は20歳をどれだけ過ぎようと一人前の人ではありません。

  • 1949年(S24)下山国鉄総裁事件 ・ 
  • 今日は穴子の日

Memo-責任の取り方➡令和の政府政治家は如何?

*十一日 礼儀作法は潤滑油

私は礼儀作法と云うものは決して堅苦しい物でも単なる形式でもないと思います。其れは云わば社会生活における潤滑油の様なものと云えるのではないでしょうか。職場では性格や年齢物の考え方等色々な面で異なる人々が相寄って仕事をしています。そのお互いの間を滑らかに動かす役割を果たすのが礼儀作法だと思うのです。ですから礼儀作法と云うものは当然心の籠ったものでなければなりませんが、心に思っているだけでは潤滑油とはなりません。やはり形に表し相手に伝わり易くし心と形の両面が相俟った適切な礼儀作法であってこそ初めて生きてくると思うのです。

  • 今日は世界人口デー

*二十日 仕事の上手に

日本古来の武道に一つに弓道があるが此の道の達人の域に達すると、例え目隠しをして矢を放ってもピシャリと的を射るという。併しこう云った名人の域に達するには一朝一夕ではとても覚束ない。一矢射る度に検討を加え工夫を重ねて行って一歩一歩上達していくのである。私は仕事にしても是と同じことが言えると思う。日々自らの仕事の成果を検討する事に努めれば、必ずや仕事の名人と迄は往かなくとも仕事の上手には成れると思う。百本の矢を射れば少なくとも八十本は的に当たると云う上手の域に迄各各の仕事を高めたい。

  • 1969年(S44)米アポロ11号月面着陸成功

今日は勤労青少年の日

Memo-映画燃えよドラゴン➡ブルース・リー(Dont Thinks Feel) 河合隼雄著「影の現象学」影との対決

*二七日 人間の幸せの為の政治

私達が決して忘れてならない事は政治は結局お互い人間の幸せを高める為にあると云う事です。過去に於いては多くの人々が政治に拠って苦しめられお互いの血を血を洗うと云う事もありました。併しそうした好ましくない姿は政治の本来の姿ではない。政治は本来お互い人間の其々の活動をスムーズに進める事が出来るようにするものです。それらの調整調和を図り共同生活の向上を計って、一人一人の幸せを生み高める事こそをその使命としているのです。此の政治は本来人間の幸せの為にあると云う事を私達は先ず正しく認識し合う必要があると思います。

  • 今日はスイカの日

Memo-政治施政者の責任➡現状はどうか

今、まさしく東京オリンピックのドタバタ劇を見ていると、いかに松下幸之助翁の考えている政治の在り方とかけ離れた形になっているかがうかがい知れるというもの。果たして、地に堕ちた日本の倫理観は再生できるのでしょか。

どうぶつ基金の考え方と活動「さくら猫」

私たち「NPO法人あおぞら」はどうぶつ基金の活動を支持いたします。ここに、どうぶつ基金の基本的な考え方をご紹介いたします。

こんにちは、どうぶつ基金です。

いつもノラ猫に餌をやってくださっていて、ありがとうございます。みなさんがノラちゃんたちにごはんをやってくださるので、ネコが元気に暮らすことができ、周りの人たちも、ネコの可愛い姿を見ることができ、癒されたり、元気づけられたりしています。

でもなかには時間に余裕のない方もいて、ちょっとの時間でパッと餌を置いてきて後片づけをはしょっちゃう場合、ネコたちは「自分でお片づけ」ができないので、食べた後の容器がそのままになってしまいます。

特にネコが好きなカリカリは虫たちも大好物とあって(カリカリだけではなくネコが好きな食べ物のほとんどが虫たちの大好物。) ネコの次に虫たちがたかっていることもあります。こうなってしまうと、周りの人たちは、虫が寄ってくる恐怖から、ネコを可愛がる余裕がなくなってしまいます。

これは本当に残念なことです。よく「無責任なエサやりはやめよう」などと
書かれたポスターを見ますが、この「無責任」という言葉、 いつも「紋切り型で雑で嫌な表現だなあ」と思ってしまいます。


「自分が家のなかで飼っているのではないネコにエサをやること」
イコール「無責任」ではないのです。おなかをすかせたノラ猫がかわいそうだからとエサをやるのは、 ひとの優しさの現れです。

その優しい気持ちは、地域の人間関係や暮らしやすさを 豊かにする方向へも活かせるはずです。「エサやるなら不妊手術して。そこまでできないならエサやらないで。」 という人もいます。

エサをやるから、

・ノラ猫が集まってきて子ども産んでどんどん増えて街が汚くなる。

・不妊手術にお金がかかる。

・あるいは殺処分しなくちゃならなくなる。

だからエサやらないで。というわけです。そのため、どうぶつ基金はTNR活動を進めています。どうぶつ好きな人から寄付をいただき資金を集めて、地域行政とも連携し、「さくらみみは愛され猫のしるし」という合言葉で、不妊手術を進めています。
この不妊手術が終わって 耳にV字カットを入れた猫は「さくらねこ」と呼ばれます。迷惑、(お世話をする人は)無責任、と呼ばれるノラ猫が、
一代限りの愛され猫になるのです。

本来ネコはきれい好きな美しい動物です。 でも、もらった餌の食べ残しを片づけたり、寄ってくる虫を追い払ったり、とまではいきません。ですから、ネコの食べた後のお片づけもきれいにしてください。そしてできれば不妊手術をしてあげてください。
ぜひよろしくお願いいたします。

渋沢栄一100の訓言

渋澤健 著 日経新聞社

【夢七訓】

夢無キ者ハ理想ナシ 理想無キ者ハ信念ナシ 信念無キ者ハ計画ナシ

計画無キ者ハ実行ナシ 実行無キ者ハ成果ナシ 成果無き者ハ幸福ナシ

故ニ幸福ヲ求メル者ハ夢ナルベカラズ

欲がない人はダメ(4)

無欲は怠慢の基である      渋沢栄一訓言集 〈一言集〉

残酷な人になるな(5)

悲観的の人は残酷である       渋沢栄一訓言集 〈一言集〉

細かくこだわりすぎる心は元気をすり減らす(12)

あまりに堅苦しく物事に拘泥し 細事に没頭する時は自然に溌溂たる気力を銷磨し進取の勇気を挫くことになる(中略) 溌溂たる活動を為し初めて大事業を完成し得るものであるるから近来の傾向に就いては大いに警戒せねばらぬな         論語と算盤  〈成敗と運命〉

わがままを元気と誤解するな(22)

人と争って自分が間違っておっても強情を張り通す これが元気が良いと思ったら大間違いである        論語と算盤 〈人格と修養〉

※ 安岡正篤著「百朝集」の中にも「六錯」55章によな辞ようなことを戒めた言葉がありますね。

順境も逆境も自分が作りだすもの(30)

世人は 一も二もなく彼を順境の人思うであろうが 実は順境でも逆境でもなく その人自らの力でそういう境遇を作りだしたに過ぎない                     論語と算盤 〈成敗と運命〉

形だけの礼は礼をしないより悪い(62)  

人に対して敬礼を欠いてはならない されど唯形式だけの敬礼は往々相手の感情を害し却って礼せざるに劣るものである
渋沢栄一訓言集〈処事と接物〉

※ 空海が著した本に「三教指帰」というのがあります。解説の本もたくさん出ていますが梅原猛さんなどの本がわかりやすく面白くお勧めですね。それはさておき空海は、その中で、人の道を教えるのに、儒教・道教⁻老荘ー・仏教があって一番高度な教えが仏教だというようなことを言っています。儒教はどちらかというと人の道の基本の基本を教えているともいえるわけですね。だから、渋沢栄一翁も安岡正篤師も、儒教特に論語をしっかりと身に就ければ、社会生活において大方、失敗なく過ごすことができるといっているわけです。

一度真剣に論語読み直してみましょうか。

論語と算盤  

【格言五則】

言行君子之枢機 枢機之発 栄辱之主    易経繫辞上伝

言行は君子の枢機なり 枢機の発するや栄辱の首たり

言行は君子‐教養人・指導者‐にとって枢機‐石弓の引き金。要となるーのように重要。此の引き金を引く一瞬が栄誉か恥辱かを決めるもととなる

発言盈庭 誰敢執其咎       詩経小雅節南山小旻篇

言を発して庭に盈つ 誰か敢て其の咎を執らん

皆が意見を述べ立てて庭一杯に広がっているしかし誰もその責任をとろうとはしない

言不務多 而務審其所謂      大載礼記哀公問五義篇

言は多きに務めず 其の言う所を審らかにするに務む

言葉は多ければよいと云うものではない その趣旨を明らかにすることが大切

故声無小而不聞 行無隠不形    荀子勧学篇

故に声は小にしても聞えざる無く 行は隠してもあらわれざるはなし

優れた人の声‐意見‐は小さくても必ず聞え行いは隠していても必ず世に現れる 原文 声無細而不聞 行無隠而不明  説宛 とある誤写か?

志意修 則驕富貴 道義重 則軽王公    荀子修身篇

志意修まればすなわ富貴あなどり 道義重ければ則ち王公を軽しとす

志がきちんとしていれば富や地位など問題としない 人間としての在り方が‐徳・人格‐出来ていれば権力に媚びることもない

渋沢栄一著「論語とそろばん」の冒頭部分。近代日本の基礎を築いた人物として今、注目されている人の著作を読み返すのも、混沌の現代を原点に返つて考えるという意味からもいいことかもしれません。今度の新一万円札の肖像に決定、大河ドラマでも取り上げられている、歴史的人物の中で一番旬の人物かも知れません。

でも、なぜ今渋沢栄一なのでしょうか? どなたが光を当てたのでしょうか?光が当たるようにしたのはもしかしたら、日本を守っている神々かも知れませんね

渋沢栄一の著作関係では「論語講義」が有名ですね。文庫本も出版されていますし、一度じっくり読んでみてはいかがでしょう。

お手頃なのは 「渋沢栄一100の訓言 渋澤健 著 日経新聞社

棄て犬の句を見て

51NPO法人あおぞら2021/02/07 06:55

「野良犬となりても生きよ月に棄つ」

目次

  1. 雑誌の記事
  2. 祈り
  3. おもうこと・・
  4. おわりに

雑誌の記事

古い本を整理していた時、見つけた雑誌「太陽」―昭和59年9月号―に掲載されていた俳句です。
この号は俳句の特集号で多くは蕪村・一茶・山頭火の生涯と作句を特集していました。コラムとして短い文章ですが俳人加藤楸邨が俳句について語っている記事があり、その中に例として挙げてある句のひとつが上記の句です。
かつて楸邨が選者となって選んだ一般公募の句の一つだそうですが、この句を掲載した時の反響と楸邨自身のこの句に対する思いが綴られていました。

祈り

一節を引用しますと

「・・・ところが犬を棄てるとは何事か、動物愛護の精神を知らぬにもほどがあるという投書が殺到した。私はこの句を読んだ時、犬の子を棄てる事の善悪については決して人々の批難に反対する気はない。しかしここに一人の、どうしても棄てるほかなくなった人の切ない祈りを読みとった。すてたくはないがどうしようもなくなった。犬の子よ何とか生き抜いてくれ、たとえノラ犬となったとしても何とか生きて行ってくれという祈りの中に、犬の子から放す手は浩々たる月を浴びるのだ。月が明るければ明るいほど作者の気持ちはやり切れないのである。・・」


(この句はおそらく昭和40年後半から50年初期ころに読まれた句ではないでしょうか。現代の豊かな状況ではあまり考えられない心情の句だと思います。)

画像1

おもうこと・・

私たちは動物愛護のNPO団体です。どちらかというと批難の側に立つのかもしれません。しかし、豊かになった現代でもやはり身勝手にではなく、いろんな事情により棄てざるを得ない状況というものは存在するのではないでしょうか。私たちはただ批難するだけではなくその痛みというかその状況に共感し共有できる団体でもありたいと思います。


私たちは破棄された犬猫の里親を探すことによって少しでも幸せになれる犬猫が増えればと願っています。と同時に微力ですが破棄せざるを得なくなった悲しい状況が改善されていく環境作りを目指し、ともに豊かに共生できる社会を実現できればとも願っています。

おわりに

みなさまと共に明るい社会づくりができることを願っています。よろしくサポートお願いいたします。

メールアドレス

mefamily@khc.biglobe.ne.jp

 何事も結構

私は運命と云うものは不思議なものだと思います。人は皆夫々志を立てるのですが中々思い通りに行かないし実現しにくい。希望とは逆の道が自分にぴったり合って成功する場合もあるのです。だから私は余り一つの事をくよくよ気にしない方がいいのではないかと思います。世の中で自分が判っているのは一%程で後は暗中模索。始めから何もわからないと思えば気も楽でしょう。兎に角人間には様々な姿があっていいと思うのです。恵まれた生活も結構だし恵まれない暮らしも結構と云う気持ちが大切だと思います 。                                          松下幸之助「一日一話」6月6日

自分には何でも分かっていると思うより、わかっていない事の方が多いというところに軸足を置いていた方が、何かあっても痛手が少ないということになるのかも・・・ 

石原慎太郎著「法華経を生きる」のなかには

「人間の知恵でしかないインテリジェンスのもたらす不幸」という言葉があります。自分が認識しているものしか信じないということが、結局人間を不幸にしているということにもなるかもしれません。もっと大きな力を信じることも大切。自分の無知を知るということは形而上的なことだけではなく現実生活を生きていく上にも大切なことなのでしょうね。

南洲翁のことば

廟堂に立ちて大政を爲すは天道を行ふものなれば、些とも私を挾みては濟まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈み、廣く賢人を選擧し、能く其職に任ふる人を擧げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆゑ眞に賢人と認る以上は、直に我が職を讓る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程國家に勳勞有る共、其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸祿を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるゝに付、然らば尚書(○書經)仲之誥(チュウキコウ)に「徳懋(サカ)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相配し、功と賞と相對するは此の義にて候ひしやと請問せしに、翁欣然として、其通りぞと申されき。         西郷隆盛    遺訓

今まで安岡正篤師の百朝集を中心に倫理観や生き方・考え方の参考になるような言葉を選んでそれに感想など加えてきましたが、これからも基本的には変わりません。が、ちょっと幅を広げて、今話題の渋沢栄一翁の言葉や、松下幸之助、中村天風といった先人たちの言葉の中から、其の時節時節に応じて選らんでいきたいと思っています。

今回は、西郷隆盛の遺訓その第一節、よく引用される言葉を挙げました。現今の政治家の皆様、特にその中枢に入る方々は必須の書簡だと思いますが、今どきの政治家で知っているような人いるのかなと思うような、昨今の政治家の在り様に思えてなりません。早くこのような志高い人が現れることを願ってやみません。