論語と算盤  渋沢栄一

常識と習慣

常識とは如何なるものか

事に当りて奇矯に馳せず頑固に陥らず是非善悪を見分け利害得失を識別し言語挙動すべて中庸に叶うものがそれである 之を学理的解釈すれば知・情・意の三者が各々権衡を保ち平等に発達したものが常識だろうと考える 更に換言すれば普通一般の人情に通じよく通俗の時理を解し適宜に採り得る能力が即ちそれである

偉き人と完き人

偉い人は人間の具有すべき一切の性格に仮令欠陥があるとしてもそれを補って余りあるだけ他に超絶した点のある人 完き人とは智情意の三者が円満に具足した者即ち常識の人である

私たちは反復行動の産物だ 優秀な行動は単なる行動ではなく一つの習慣となる アリストテレス

何をか真才真智という

我が境遇位地をこれ誤らぬだけのことが出来るならば少なくとも通常人以上になり得ることは難くないだろう 然るに世間は此の反対に走るもので一寸調子が宜いと直に我が境遇を忘れて分不相応の考えも出す 又ある困難の事に遭遇するとわが位地を失して打ちひしがれてしまう 即ち幸いに驕り災いに哀しむのが凡庸人の常である

安岡正篤の著「百朝集」に六然という言葉があります。

自ら処すること超然、人に処すること藹然(アイゼン)、有事斬然(ザンゼン)、無事澄然(チョウゼン)、得意澹然(タンゼン)、失意泰然            (明)崔後渠

これが実践できれば真に常識人として世に出ていかなる状況にあっても、恥をかくということは、ないでしょうね

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