百朝集94章
法然上人曰く、一丈の堀を越えんと思はん人は一丈五尺を越えんと
励むべきなり。
往生を期せん人は決定の信をとりて、しかもあひ励むべき也。
一言芳談より
※一言芳談➡浄土教の始祖たちの法語・片言隻句を収録した鎌倉
末期に表されたと思われる著書。作者は不明。
解題)
決定の信とは、例えば法然上人に対する親鸞上人を見るが良い。
「歎異抄」にいう。
「親鸞聖人門徒に向ひて曰ふ。各々十餘箇国の境を越えて、命
を省みずして尋ねきたらしめたまふ御こころざし、偏に往生極
楽の道を問ひきかんがためなり。然るに念仏よりほかの往生の
道をも存知しまた法文等をも知りたらんと、心憎くおぼしめし
おはしましてはんべらんは、大きななるあやまりなり。もし然
らば、南都北嶺にも由々しき学匠たちおほくおはせられさふら
ふなれば、かのひとにもあひ奉りて、往生の要よくよく聞かる
べきなり。親鸞におきてはただ念仏して彌陀に救けられまゐら
すべしと、よき人のおほせをかうぶりて信ずるほかに別の仔細
無きなり。念佛はまことに浄土に生るるたねにてやはんべるら
ん。また地獄に落つる業にてやはんべるらん。総じてもて存知
せざるなり。たとひ法然上人にすかされまゐらせて念仏して地
獄に落ちたりともさらに後悔すべからずさふらふ。そのゆゑは
自余の行もはげみて佛になるべかり身が、念仏をまをして地獄
に落ちてさふらはばこそ、すかされまつりてといふ後悔もさふ
らはめ、いづれの行もおよび難き身なれば、とても地獄は一定
すみかぞかし。
安岡正篤解題
この文書は歎異抄第二章の言葉で次の第三章悪人正機説とともに
歎異抄の中でも最も有名な言葉ですね。御存じの方も多い事と思
います。
安岡正篤師は宗教に関しても広く深い知識と理解を持たれていますが
仏教に関していえばなかでも地蔵菩薩と共に中国三階教の創始者信行
を敬愛している様にも思います。この教えが日本にあまり伝わってい
ない事を嘆いてもおられたようです。
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