カテゴリー別アーカイブ: 変わりたい貴女へ

凡人が思う法華経の世界

法華経の世界とはいったいどんな世界なんでしょうか?

法華経には法華経それ自体の経文は書かれていないという方がいらっしゃいます。いわば法華経の宣伝パンフレット。法華経の中では肝心の中味は語られていず素晴らしい教えだとだけ伝えるいわば偉大なる予告編だということです。

経文の字面だけをおっていけば確かにそう思えないこともありません。    左脳で思考を重ねる頭脳明晰なインテリジェンスが多く陥りやすい考えなのかもしれませんね。

白隠禅師

これは現代に限ったことではなく、江戸時代の明晰な頭脳の持ち主、名僧白隠禅師も、若いころは法華経を比喩ばかりだとあまり重要視はしていなかったようです。しかし、伝記によると40歳を過ぎたころのある秋の日暮れ、弟子に法華経譬喩品を看経させていた折、螽斯(蛬⁻コオロギ)の声に触発たかのように、突然に法華経の世界が目の前に広がり忽ちに悔悟したといわれています。

その時、白隠禅師は豁然として現れた法華経王の世界を目の当たりに、感極まって声を上げ大泣きに泣いたと記されています。(紀野一義⁻法華経を読むから)

石原慎太郎氏の体験

なぜ聖徳太子の時代から現代まで千数百年にわたって、仏教界だけでなく広く文学にもいろいろな形で影響を与え、一般の人々の間にも読み継がれてきているのでしょう。

法華経には日本人の感性を刺激し心の奥底に眠っている何ものかを揺さぶり起こすようなものが経文の底に潜んでいるのでしょうか?

そういう法華経をただひたすらに読誦していると時として凡人でも法華経の世界が垣間見えることがあるらしい。石原慎太郎氏は決して凡人ではないが彼もその奥深い深淵にちょっと触れることができた経験があると、彼の著書「法華経を生きる」の中は、その時の経験が書かれています。

凡人もほんとうに切羽詰まったとき、窮地に落ちいったときなどには思いもかけない能力を発揮することがあります。そのような状況になったとき常日頃、法華経に親しんでいるとちょっと、その世界を垣間見ることが出来るのかもしれません。また、そこまではっきりではないにしろ知らず知らずに、方向を過たず進むことが出来るのかもしれません。

石原慎太郎氏は東京都知事選に出馬した時にその経験をされた様です。本の内容によりますと出馬を決めた後、いろんなことに思い悩んでいたある日、日課の法華経を開きその比喩品をよんでいる時に、突然のひらめきに襲われ進むべき方向性、決意が固まったというようなことが書かれています。

凡人の願い

法華経の経文の一字一字のことばの奥に本当の法華経の世界が広がっているのでしょう。それは経文を頭で理解しようとしても見ることは出来ず、いわば無心に読誦する中で無の心・無の境地に至ったときに屹度、忽然としてあらわれてくる世界なのでしょう。

法華経最後の「妙法蓮華経普賢菩薩勧發品第二十八」には法華経を得るための四つの方法が書かれています。 

  • 諸仏に御念せらるること
  • 諸々の徳本を植えること
  • 正定聚に入ること
  • 一切衆生を救う心を起こすこと

これらの修業を実行すればおのずと法華経の世界へ入ることが出来るということらしいですが、どこかに欲の皮の突っ張った現世利益を待ち望んでいる心が見え隠れしているようでは、到底本当の法華経の世界に入ることなどはできないでしょうが・・・・

しかし、此れも「凡人の性」、致し方ありません。

因みに徳本とは 仏となる為のあらゆる善のことを徳といい、その根本となる智慧を本という(岩波文庫法華経注より) とのことまた、正定聚とは 必ずさとりを開いて仏になることが 正 (まさ)しく 定 まっているともがら ( 聚 )のこと。  一般には 菩薩五十二位の修道階位の「十信」「十住」「十行」「十回向」「十地」のうちの 十地 の初地である 歓喜地 を正定聚ということらしいです。

凡人には、とてもとても遠い世界のように思えてきますが、それでも法華経は読み続ることにしています。いつかその世界の片鱗でも垣間見ることが出来ることを願って・・・

等覚一転名字妙覚 なることを信じて❕❕

担当:野尻研究員

十羅刹女・鬼子母 陀羅尼呪

伊提履 伊提泯 伊提履 阿提履 伊提履 泥履 泥履 泥履 泥履 泥履 楼醯 楼醯 楼醯 楼醯 多醯 多醯 多醯 兜醯 莬醯

一日一話 十二月のことばから

                   松下幸之助

山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば   源宗宇朝臣

二日 忍ぶべきを忍ぶ

誠心誠意良いものを進めたけれども用いてくれないと云うので憤慨し、是は相手が暗愚だから仕様が無いと自棄になって結局打ち壊しになってしまうと云う事が儘有る様です。併しそう云う事では私は大した事は出来ないだろうと思います。用いてくれなければ時を待とう。是だけ説明して駄目だと云うのは是は時節が来ていないのだ―そう考えてじっと忍耐していく処から無言の裡に知らしめると云う様な強い大きな誠意が生まれてきます。そして其の内に相手が自ら悟る事にもなって其れが非常な成功に結び付く事にも成りましょう。

  • 今日は原子炉の日 

Memo-終戦詔書➡義を貫く至誠・安岡正篤:原文☞「義命の存する所堪え難きを耐え」☞「時運の赴く所堪え難きを耐え」に訂正される

五日 恩を知る

恩を知ると云う事は人の心を豊かにする無形の富だと思います。猫に小判と云う事が有りますが折角の小判も猫にとっては全く価値の無いものに過ぎません。恩を知る事は謂わばその逆で鉄を貰って其れを金程に感じる。詰り鉄を金に換える程のものだと思うのです。ですから今度は金に相応しいものを返そうと考える。皆がそう考えれば世の中は物心共に非常に豊かなものに成っていくでしょう。最もこの恩とか恩返しと云う事は決して要求されたり強制されるものでなく、自由な姿でお互いの間に理解され浸透する事が望ましいと思います。

  • 今日はバーミューダートライアングルの日

十六日 大義名分

古来名将と云われる様な人は合戦に当っては必ず此の戦いは決して私的な意欲の為にやるのではない。世の爲人の為にこういう大きな目的でやるのだ。と云う様な大義名分を明らかにしたと云われる。如何に大軍を擁しても正義なき戦いは人々の支持を得られず長きにわたる成果は得られないからであろう。是は決して戦の場合だけではない。事業の経営に於いても諸々の施策にしても何を目指し何の為にやるのかと云う事を、自らハッキリ持ってそれを人々に明らかにしていかなくてはならない。其れが指導者としての大切な務めだと思う。

  • 2012年(H24)衆院選自民党圧勝

今日は電話の日  Memo―山本七平「人望の研究」➡近思録

二二日 小事を大切に

普通大きな失敗は厳しく𠮟り小さな失敗は軽く注意する。併し考えてみると大きな失敗と云うものは対外本人も十分考え一生懸命やった上でするものである。だからそう言う場合には寧ろ君そんな事で心配したらあかんと一面励ましつつ、失敗の原因を共々研究し今後に活かして行く事が大事ではないかと思う。一方小さな失敗や過ちは概ね本人の不注意や気の緩みから起こり、本人も其れに気が付かない場合が多い。小事に捉われる餘大事を忘れてはならないが小事を大切にし小さな失敗に対して厳しく𠮟ると云う事も一面必要ではないか。

  • 今日は労働組合法制定記念日

Memo-𠮟り方のポイント

二十九日 理想ある政治を

政治には理想が大事です。日本をこうするんだと云う一本筋が十たものが無ければいけない。そう云うものが今は見られません。その場を適当に納めてやっているそういう状態です。未だ日本が世界で二・三十番目と云う事であるなら追いつけ追い越せと云う事でも目標も出来てきますが、すでに世界一・二位を争う様になっている以上其処により高い目標理想を打ち出す必要があると思います。例え世界で一番と云う事になったとしても日本にはもっと大きな役割があるんだからと云う事で、より高い理想を持ち力強い政治を行って行く事が必要だと思うのです。

  • 今日は仕事納め

Memo―現代日本の政治安倍政権/菅政権/岸田政権は如何

山本七平人望の研究―近思録➡天下の事を公にすと雖も若し私意を用いてこれを為さば便ちこれ私なり」

荀子のことばⅡ

勧学篇より

積土成山 風雨興焉 積水成淵 蛟竜生焉 積善成徳 而神明自得 聖心備焉 故不積蹞歩 無以至千里 不積小流 無以成江海

積土の山を成さば風雨興り 積水の淵を成さば蛟竜生ず  積善の徳を成さば 神明自ずから得て聖心備はる 故に蹞歩(キホ)を積まずば 以て千里に至る無く  小流を積まずば 以て江海を成す無し 

勧学篇より

君子之學也 入乎耳箸乎心 布乎四体 形乎動静 端而言  蝡而動 一可以為法則 小人之學也 入乎耳出乎口 口耳之間

君子の学は耳より入りて心に著き四体に布して動静に形る端(ササヤ)きて言ふも蝡(ミユルギ)て動くも 一以て法則を為すべし 小人の学は耳より入りて口より出ず 口耳の間四寸のみ 曷(カツ‐ナンゾ)以て七尺の軀を美るに足らんや

王政篇より

伝曰 君者舟也 庶人者水也 水則載舟 水則覆舟

故君人者欲安 則莫若平政愛民矣 欲榮 則莫若隆礼敬士矣 欲立功名 則莫若尚賢使能矣 是君人者之大節也

伝に曰く 君は舟なり庶人は水なり 水は則ち舟を載せ 水は則ち舟を覆す   故に人に君たる者安きを欲せば 則ち政を平にし民を愛するにしくわなし 榮を欲せば 則ち礼を隆(タット)び士を敬ふに しくわなく 功名を立てんと欲せば 則ち賢を尚(タット)び能く使ふにしくわなし 是人に君たつ者の大節なり

積土成山之言葉は大志を抱いて努力するのは小さなことの積み重ねをこつこつと続けることが大切ということでしょうね。

君者舟也のことば、今の政治家の皆さんにもう一度よく味わって頂きたい言葉ですね。

 下記は周易の原型太陰陽から天・沢・火・雷・風・水・山・地が発生しさらにその気がお互いに作用しあって64卦がうまれ物事の流れの象を表すということ。易占ではさらにそこから発展して384種類の様々な形が発生しその形を読むことで事の流れを判断するということらしいですね。

易のことばは一つの形にもいろんな意味が含まれているということで、なかなか素人では判断しにくく、見方を誤れば間違った方向へ行きかねない事にもなりますが、真摯に易に書かれている言葉を汲取っていけば生き方の指針となることは間違いないようです。                           

易学小成八卦図

乾ー天/父・兌ー沢/小女・離⁻火/中女・震⁻雷/長男・巽ー風/長女・坎ー水/中男・艮ー山/小男・坤⁻地/母 

荀 子 のことば 1

臣道篇より

事人而不順者 不疾者也 疾而不順者 不敬者也 敬而不順者  不忠者也  忠而不順者 無功者也 有功而不順者 無徳者也

人に事へて不順なるは不疾なればなり 疾にして不順なるは不敬なればなり 敬にして不順なるは 不忠なればなり 忠にして不順なるは無功の者なり 功有りて不順なるは 徳無き者なり

儒効篇より

無師無法而知則必為盗 勇則必為賊 能則必為乱 察則必為怪 弁則必為誕 人有師有法而知則速通 勇速速威 云能則速成  察則速尽 弁即速論 故有師法者人之大宝也 無師法者 人之大殃也

師無く法無くして知ならば則ち必ず盗を為し 勇ならば則ち必ず賊を為し 能あらば則ち必ず乱を為し 察ならば測地必ず怪を為し 弁ならば則ち必ず誕を為す 人師有り法有りて則ち知ならば速やかに通じ 勇ならば則ち速やかに威あり 能あらば則ち速やかに成り 察ならば則ち速やかに尽し 弁ならば則ち速やかに論ず 故に師法有る者は人の大宝也 師法無き者は人の大殃也 

(礼記より)

凡人之所以為人者礼義也 礼義之始 在於正容体 斉顔色 順辞令 

凡そ人の人たる所以は礼義也 礼義の始めは 容体を正し 顔色を斉(トト)のへ 辞令を順にするに在り

礼儀の基本

容体をただす:姿勢・態度・歩き方等及び服装をきちんとする

顔色を斉のへ:変な顔つき・いやな顔つき等不快感を与える顔つきをしない

辞令を順にす:言葉遣い・挨拶の仕方に気を配る

礼儀がコミュニケーション・社会生活の基本❕💛 礼儀の基本は相手を思いやる心と謙虚さを保つところからはじまるのかもしれませんね。その基本を忘れてしまったら、運もにげてしまうかも・ ・・・・               要注意ですね❕❕

安岡正篤著「百朝集」より

運・時・命・数(文中子) の 図解

治乱ハ運ナリ之ニ乗ル者アリ之ヲ革ムル者アリ 窮達ハ時ナリ之ヲ行ク者アリ之ニ遇フ者アリ 吉凶ハ命ナリ之ヲ作ス者アリ之ニ偶フ者アリ 一往一來各〃数ヲ以テ至ル 豈ニ徒ニ言ハンヤ

一日一話 十一月のことばから

                    松下幸之助

東の野に炎の立つみえて かへり見すれば月傾きぬ                                                                 柿本人麻呂

三日 日本人としての自覚と誇り

国破れて山河在りと云う言葉が有ります。例え国が滅んでも自然の山河は変わらないと云う意味ですが、山河は亦我々の心の故郷と共言えましょう。歴史に幾変転はあっても人の故郷を想う心には変わりはありません。此の国の祖先が培ってきた伝統の精神、国民精神も又変わることなくお互い人間の基本的な心構えであると思います。我々は日本と云う尊い故郷を持っています。此れを自覚し誇りとして活動する其処にはじめてお互いに納得の行く動きが起こるのではないでしょうか。日本人としての自覚や誇りの無い処には日本の政治も経済もないと思うのです。

  • 文化の日 
  • Memo―恒常性・遵守事項

八日 振子の如く

時計の振子は右に振れ左に振れる。そして休みなく時間が刻まれる。其れが原則であり時計が生きている証拠であると云って好い。世の中も亦人生も斯くの如し。右に揺れ左に揺れる。揺れてこそ世の中は生きているのである。然し此処で大事な事は右に揺れ左に揺れると云っても、その揺れ方が中庸を得なければならぬと云う事である。右に揺れ左に揺れるその振幅が適切適正であってこそ其処から繁栄が生み出されてくる。小さく振れてもいけないし大きく振れてもいけない。中庸を得た適切な触れ方揺れ方が大事なのである。

  • 今日はレントゲンの日 Memo―中庸とは

十六日 成功するまで続ける

何事に拠らず志を建て始めたら少々上手くいかないとか失敗したと云う様な事で、簡単に諦めてしまってはいけないと思う。一度や二度の失敗で挫けたり諦める様な心弱い事では本当に物事を為し遂げて往く事は出来ない。世の中は常に変化し流動しているものである。一度は失敗し志を得なくても其れにめげず辛抱強く地道な努力を重ねて行く内に周囲の情勢が有利に転換して新たな道が開けてくると云う事もあろう。世に云う失敗の多くは成功する迄に諦めてしまう処に原因が有る様に思われる。最後の最後迄諦めてはいけないのである。

  • 今日は幼稚園記念日 Memo-初志貫徹精神

二四日 不可能を可能にする

ある製品の価格を一年程の間に三割も引き下げて注文を取っている会社の事が新聞の記事に載っていました。以前は非常に儲け過ぎていたのだと云えば其れ迄。です。然し以前と雖もある程度の利益以外は取っていなかっただろうと思うし、今度と雖も赤字ではやっていけないだろうと思います。草すると其処には何らかの工夫があったと考えられます。経営の考え方とか仕方に工夫を凝らして価格を引き下げても引き合うと云う方法を見出しているのです。そうした成果は、不可能を可能にする道は必ずあると自ら考え努力していく処から生まれてくるものではないでしょうか。

  • 今日は鰹節の日 Memo―易不易➡化成(易と人生哲学・安岡正篤)

三十日 精神大国を目指して

今日我が国は経済大国と云われる迄に成りましたが、人々の心の面精神面を高めると云う事に就いては、兎角等閑にされ勝ちだった様に思います。此れからは経済面の充実と合わせてお互い国民の道義道徳心良識を高め、明るく生き生きと日々の仕事に励みつつ自他共に活かし合う共同生活を造り上げていく。合わせて日本だけでなく海外の人々牽いては人類相互の為の、奉仕貢献が出来る豊かな精神に根差した国家国民の姿を築き上げていく。その様な精神大国道徳大国とでも呼べる方向を目指して進む事が、今日国内的にも海外的にも極めて寛容ではないかと思うのです。

  • 今日は鏡の日 

関連項目=10/24・11/9 Memo-超法治国家

安岡正篤師も行ってますが、個人の意識を高めていくこともまた国家の精神を高めていくことも、強いて言うならば政治の在り方と教育の方針によって決まるのではないのでしょうか?さて日本の現状は如何❕❕

#松下幸之助 #倫理観 #生き方 #人生 #成功 #成功者の言葉 #社会活動の規範

時代相

                      安岡正篤著「百朝集」第78章

 朝に純徳の士寡(スクナ)く、鄕に不貮(フジ)の老①乏し。風俗淫僻(インペキ)②、恥尚(チショウ)③所を失ふ。学者は老荘を以て宗となし而して六経を黜(シリゾ)く。談者④は虚薄(キョハク)⑤を以て辯となし而て名検(メイケン)⑥を賤しむ。身を行ふ者は方濁⑦を以て通と為し而て節信⑧を狭しとす。進んで仕ふる者は苟得(コウトク)⑨を以て貴しと為し而して居正(キョセイ)⑩を鄙(イヤシ)む。官に当る者は望空(ボウクウ)⑪以て高しとなし而して勤恪(キンカク)を笑ふ。

             文選「晋紀総諭」

 ①夭寿不貮の意。長生しようがしまいがそんな打算はせずに終始誠を尽くす長老の意  ②みだりがましく、偏ったこと。  ③恥づべきことと尚(貴)ぶべきことが逆になっていること。  ④所謂評論家。  ⑤内容の空疏。  ⑥名分と規律。  ⑦出鱈目、やりっ放しで不徳義なこと。  ⑧節操信義。  ⑨何でも取れるものは取ること。  ⑩正義に居ること。  ⑪虚位を擁すること。則ちロボットとなること。

 解) これは独り晋代の悪風に限ったわけではない。形こそ変れ、今日の日本も同じような時弊の堪え難いものがあるではないか。この「風を移し俗を易へる」にはどうすればよいであろうか。結局政治家に偉い人物を出すことと、教学をを改めることが一番早道であろう。 安岡正篤

老荘を宗となし云々の下りは、老荘思想は所謂形而上学に属し学問として深く思惟することが肝心。表面だけの言葉に踊らされるととんでもない詭弁を弄する輩になってしまうという警告でもあるようですね。六経とは「易経・書経・詩経・礼記・春秋・楽経」のこと、因みに 三玄「老子・荘子・周易」 四書「論語・中庸・大学・孟子」五経は六経から楽経を外した五書 武経七書「孫子・呉子・司馬法・蔚(糸+寮)子・六韜・三略・李衛公問対」合わせて中国東洋の根本思想書。昔の日本人にとっては必読書となっていたようですが・・・

安岡正篤師の解「今日の日本」とは昭和の時代のコメントなんですが、日本の現状は平成にも令和にも通用する 言葉ですね。要するに政治家の資質と教育の在り方が変わらなければ、世の中は善くなり様がないということのようですね❕❕

#政治 #倫理観 #安岡正篤 #現代日本 #教育刷新

さくら猫活動

TNR

「さくら猫」とはTNR(捕獲保護・避妊手術・地域へ返還)の猫のこと。不幸な仔猫たちを増やさないために、又地域の環境を守るために大切な活動。現在全国でも多くの任意団体や個人のボランティアの方々が取り組んでいますが、これを組織的に行っているのが「公益財団法人どうぶつ基金」です。

個人でやる場合やNPOでやるときでも当然、手術費用など大きな負担がかかりますが、「どうぶつ基金」さんは、その負担を少しでも軽減させるよう、無料チケットを毎月発行し、協力動物病院で施術を行って言います。

また、組織的に行政・任意団体・ボランティア・協力獣医さんと連携して各地域で集中的にTNPを実施されています。

今回その活動の公募が発表されていますのでご紹介します。ただ、大々的な組織活動になりますので、ある程度地域の行政、一般団体、個人ボランティアの連携ができていない地域では無理かもしれません。

私どものいる北九州も、まだまだ環境がそこまで至っていない状態ですので今のところは、各個人で動くという活動にとどまっています。早くプロジェクトが導入できるような環境作りができるよう努力したいと思っています。

公募内容

(どうぶつ基金おしらせより)

大阪・福岡・宮崎で2021年4月からスタートした「TNR地域集中プロジェクト」。 予想を上回る成果を上げていることから、 2022年度も「地域集中プロジェクト」を継続すること、 そして、実施地域を公募することが決定いたしました!

本日は、2022年度「TNR地域集中プロジェクト」候補地の公募について
お知らせいたします。

1.「TNR地域集中プロジェクト」とは
TNRが必要な猫がいてTNRを行うボランティアの方も大勢いる。
だけど協力病院が不足していて、不妊手術の需要を満たすことができていない…
「どうぶつ基金として、もっと何かできることがあるのではないか」
そんな想いから始まったのが「TNR地域集中プロジェクト」です。
どうぶつ基金自らが病院を開設し、その地域のTNRを集中的に行うというものです。

  1. 2021年度の実施状況および実績について
    「TNR地域集中プロジェクト」は、大阪・福岡・宮崎の3地域で2021年4月からスタート。
    3地域で毎月600頭✕12か月=7,200頭を目標に、
    不妊手術、ワクチン、ノミ除けおよびこれらに伴う獣医療を無償で提供しています。
    2021年8月終了時点の実施頭数は3地域合計3,403頭。
    目標の7,200頭を大きく上回るペースで順調に進んでおり、
    福岡では福岡県・山口県の12行政が当プロジェクトに参加するなど、
    これまで動物愛護活動の方針や対策を巡って対立しがちだった
    官民協力の貴重な土台となりつつあります。
  1. 候補地の公募について
    実施1年目で大きな成果が予想されることから、
    どうぶつ基金では2022年度も「地域集中プロジェクト」を継続することを決定し、
    2022年度の候補地を公募するものといたします。
    応募資格、応募条件については応募要領をご覧ください。
    【募集期間】
     2021年10月15日(金)~11月30日(火)

【応募方法】
 専用の応募フォームより必要事項を入力のうえご応募ください。
 https://business.form-mailer.jp/fms/bb4ddcfb155687

#保護活動 #里親募集 #愛護活動 #さくら猫活動 #地域猫

法治国家は中進國

このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに   管家

松下幸之助「一日一話」10月のことばから

1日 法治国家は中進国

今日法治国家というのは大体先進国と云う事に為っていますが、私は法治国家は真お先進国とは言えないのではないかと云う気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は謂わば中進国であって真の先進国文明国とは法律が極めて少なく所謂法三章で治まっていく国と云う事では無いかと思うのです。とすれば真の先進国に成る為にはやはり国民の良識の涵養と云うものを大いに図っていかなければ成りません。其事に成功しない限りは先進国にはなれないのではなかと思うのです。

  • 2019年(R1)消費税10%に

今日は印章の日 

4日 心を磨く心を磨く

人間の心と云うものは本当に自由なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても心の働きに由って如何様にでも考えられると思うのです。もう辛抱出来ない明日にでも自殺したいと云う場合でも考え方を変えるならば。一転して恰も広々とした大海を往くが如き悠々とした心境に転向する事さえできるのです。其れが人間の心の働きと云うものでしょう。ですから我々は是から仕事をするに当って先ず心を磨くと云うかものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに今迄得た知識を加えてやっていけば必ず大きな成果が生まれると思います。

  • 世界動物の日

Memo―フランクル著「夜と霧」➡希望

16日 諸行無常の教え

その昔お釈迦さまは諸行無常と云う事を説かれました。この教えは一般には世は儚いものだと云う意味に解釈されているようですが、私は寧ろ諸行とは万物と考え諸行無常とは即ち万物流転であり生成発展と云う事であると解釈したら如何かと思うのです。言い換えますとお釈迦様は日に新たでなければならないぞと云う事を教えられたのだと云う事です。是は単に仏教だけの問題でなくお互いの日々の仕事を初めお互いの人生社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。

  • 今日はボスの日

Memo―石原慎太郎「法華経を生きる」松原泰道「発句教入門」➡諸行無常は現在進行形 紀野一義「法華経を読む」

23日 原因は自分にある

人間と云うものは他人の欠点は目に付き易いものだ。往々にして何か問題が起こると其れは総て他人の所為で自分はに関係がないと考えがちである。実際に他人の所為であって自分は無関係なものもある。併し其れをそう判定するのは飽く迄も人間である。他人の所為ではあるけれども実は自分の所為でもある。と云う様に自分は全く関係がないとは言い切れない場合も少なくないのではなかろうか。少なくとも問題が起こった際には他人の所為だと考える前に、先ず自分の所為ではないかと云う事を一度考え直してみる事が非常に大切ではないかと思うのである。

  • 今日は電信電話記念日

Memo―自己観照・内観・洞察力

言うは易し行うは難しとはよく言ったもの。一見、平易な言葉で綴られているので、実行するのも簡単そうに見えるが、なかなか、そう簡単にはいかないのではないか。その一つの原因が、松下幸之助翁がいう「素直な心」にかけているということだろう。まずは、素直な心を常日頃いかなる状況でも保てるよう鍛錬するのが根本か!

#実践哲学 #成功者のことば #日々行なうこと

苦難も又善し

松下幸之助 一日一話

九月

一日

わが国では毎年台風や集中豪雨で大きな水害を受ける処が少なくない。然し此れ迄の例から見ると大雨が降って川が溢れ街が流されてもうだめかと云えば必ずしもそうではない。数年も経てば被害を受けなかった街よりも却って綺麗に成り繁栄していることが屡々ある。勿論災難や厄難は無いに越したことは無いが思わ牟時に思わぬ事が起こってくる。だから苦難が其れも佳と云う心づもりを常に持ち安易に流されず凡に堕さず人一倍の知恵を絞り人一倍の働きを積み重ねてゆく事が大切だと思う。

  • 1923年(T12)関東大震災 

1939年(S14)独ナチス・ポーランド侵攻第二次世界大戦始まる

今日は防災の日 関連項=6/6・6/9・8/11

Memo―希望・計画 プラス思考

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

  • 1939年(S14)泉鏡花逝-泉鏡花忌

Memo―山本七平「人間集団における人望の研究」近視録 易➡元享利貞

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

  • 1931年(S6)満州事変勃発

今日はカイワレ大根の日

短い言葉でわかりやすく、世事哲学の真理を解き明かしてくれる。第一線で活躍し続けた方だけに発することが出来る、言葉がちりばめられている「一日一話」本気で読めば、人生変えられるかも・・・・

君子豹変

大人虎変 君子豹変 小人革面

易の卦49番「澤火革ー離下兌上」に出てくる言葉

◎大人は虎変す

◎君子は豹変し小人は革面す

49 革カク(澤上火下-離下兌上)澤火革  

革、已日乃孚。元亨。利貞。悔亡。(かくは、つちのとのひすなわちまことあり。おおいにとおる、ただしきによろし。くいほろぶ)

爻辞

<九五>大人虎変未占有孚ダイジンハコヘンスイマダウラナワズシテマコトアリ

<上六>君子豹変小人革面征凶居貞吉クンシハヒョウヘンスショウニンメンヲアラタムユケバキョウテイニオレバキチ

解)
鮮やかにくるっと転身することを豹変という。これは易の「革」の卦に基づいている。此の卦は物事の改革を説くものでその文中にある言葉が「大人虎変」「君子豹変」「小人革変」とある。

方針を定め、態度を変えるがよいと思えば、大人君子たる者は、すっぱりと潔く一新する。しかし、小人は神妙そうに顔つきだけを改め、心中まではなかなか改めることがない」というような意味か。ちなみに虎や豹のように変わるとは旧説によると、虎や豹の全身の毛には縞や斑が鮮麗についており、目立ってはっきりしていることから、はっきりと態度を変えることを虎変・豹変というとある。また別の説には虎や豹、特に豹はその身を翻すことの際立って素早く敏捷な動物であるから、そこから「転身・転向の鮮やかさ」の例えとして使われたともある。

易の言葉の中には、それとは知らず今も生活の中で使われている言葉が結構あるようです。 観光とか、同人、苦節、口実などという言葉もすべて易の言葉からできてきているようです。最も今使われている意味合いとはずいぶん異なる言葉もあるようですが・・・