一日一話 松下幸之助

八月の言葉

天の原ふりさけみれば春日なる 
三笠の山に出でし月かも      安倍仲麻呂              

三日 強固な精神力を

その昔日蓮上人は唯一人の聴衆の姿も見えないと云う時でも巷に立って我が信念を説いたと云います。何をほざくかと馬糞を投げられ石を投げられ散々な侮辱を蒙っても、彼はびくともせず日本の安泰の為に民衆の幸福の為に我が信念を傾けました。日蓮上人のそういう態度と比べてみると我々と同じ人間でありながら大変な相違があるなと云う感じがします。今我々に必要なのは日蓮上人のあの強固な精神力です。日蓮上人と迄は行かなくてもせめて自分の仕事に一つの使命感を感じこれに情熱を傾けて精進する積極的な自主独立の精神を養いたいものです。

  • 今日は蜂蜜の日
  • Memo-松下幸之助は弘法大師・日蓮等偉大な宗教家の行動力実行力に注目➡信念

*十日 欲望は生命力の発現

欲の深い人はというと普通は善くない人の代名詞として使われている様陀。所謂欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件が余りにも多い為であろう。しかし人間の欲望と云うものは決して悪の根源ではなく人間の生命力の表れであると思う。例えて云えば船を動かす蒸気力の様なものであろう。だから是を悪としてその絶滅を計ろうとすると船を止めてしまうのと同じく人間の生命をも絶ってしまわねばならぬことに為る。つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく生其の物であり力だと言って良い。だからその欲望を如何に善に用いるかと云う事こそ大事だと思う。

  • 今日は道の日 
  • Memo―行動の原動力・コントロール要 

*十五日 平和の価値を見直す

最近平和と云うものが何か言わば空気や水の様に極当然に存在するものと云った感じが強くなってきたのではないだろうか。平和の貴重さ有難さが段々忘れられつつあるように感じられる。其れは危険な事だと思う。平和は天然現象ではない。人為と云うか人間の自覚と努力によって初めて実現され維持されるのである。だからこの際お互いにもう一度平和の価値と云うものを見直してみたい。そしてこの価値を知ったうえで国民として何を為すべきかを考え合いたい。差もないと折角続いたこの貴重な平和を遠からずして失う事にも成ってしまうのではないだろうか。

  • 今日は終戦記念日

*十六日 道徳は実利に結びつく

社会全体の道徳意識が高まれば、先ずお互いの精神生活が豊かに成り少なくとも人に迷惑を舁けない様になります。それが更に進んで互いの立場を尊重し合う様に成れば人間関係も良くなり、日常活動が非常にスムーズに行く様になるでしょう。又自分の仕事に対しても誠心誠意之に当ると云う態度が養われれば、仕事も能率的に成り自然により多くのものが生み出される様になる。つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると云えるのではないでしょうか。そう考えるならば私達が道徳に従って全ての活動を行うと云う事は、社会人としての大切な義務だと云う事にも成ると思います。

  • 今日は女子大生の日
  • 参考=渋沢栄一「論語講義」「論語と算盤」安岡正篤「百朝集」

*二一日 カンを養う

カンと云うと一見非科学的なものの様に思われる。併し勘が働く事は極めて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断の出来るカンを養わなくてはいけない。其れではそうしたカンはどうしたら持つ事が出来るのか。是は矢張り経験を重ね修練を積む過程で養われていくものだと思う。昔の剣術の名人は相手の動きを勘で察知し切っ先三寸で身を躱したと云うが其れは其れこそ血の滲む様な修行を続けた結果であろう。その様に指導者としても経験を積む中で厳しい自己鍛錬に拠って真実を直感的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。

  • 今日は献血記念日
  • Memo-安岡正篤「百朝集」87章。運時命数
  • 阿羅耶識―潜在意識の活性化

*二六日 矢面に立つ精神

人間が大事に際して其の難局の矢面に立つと云う事は人生としては怖ろしい事であり大変に勇気のいる事である。スリルがあるとか或はこれは面白いなと云う人も今日の青年の中には居るかもしれないが、本当に腹を割った処あまり愉快ではないと思う。併しこういう場合に敢然としてその矢面に立つ事も男子の本懐と喜んで事に当る事も大切である。そしてそういう人こそ大事に於いて狼狽えずものを決断する事が出来る人であり人多くして人無き社会に於いて本当の人物として立って行く事の出来る人であると云う想いがする。

  • 今日はマザーテレサの日
  • Memo^人物と云うは如何なる様な人か

*三一日 辛抱が感謝になる

我々が一生懸命に仕事をしても世間が其れを認めてくれなかったら非常に悲しい。そんな時その悲しさが不平となり出てくるのも一面無理のない事だと思う。然し認めてくれないのは世間が悪いという解釈もできるがまあ一寸辛抱しよう。今認めてくれなくてもいつか認めてくれるだろう。とじっと耐え忍びいい仕事を続けていくと云うのも一つの方法である。そして認めて貰ったら是は非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。より多く我々を認めてくれた社会に対して働かなくてはいけないと云う感謝の心になってくる。そういう心が無ければいけないと思う。

  • 今日は野菜の日 Memo―謙虚

26日の「矢面に立つ」は今、現在進行形で、日本のリーダー・政治家・官僚・各省庁責任者たちが尤も肝に銘じてもらいたいと思う言葉だが、残念なことには、事あるごとにその真反対な対応が目立つように感じる。                     日本全国、上へ倣えで下々迄如何言い逃れるかに汲々としているように感じるが・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です