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松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「迷った時には人に意見を求めてみる。自分をしっかりつかみ、素直な心で、耳を傾けて訊く。そこから、確かな人生の歩みが始まる。」―人生心得帖よりー

【十一月の言葉】

*三日 日本人としての自覚と誇り

国破れて山河在りと云う言葉が有ります。例え国が滅んでも自然の山河は変わらないと云う意味ですが、山河は亦我々の心の故郷と共言えましょう。歴史に幾変転はあっても人の故郷を想う心には変わりはありません。此の国の祖先が培ってきた伝統の精神、国民精神も又変わることなくお互い人間の基本的な心構えであると思います。我々は日本と云う尊い故郷を持っています。此れを自覚し誇りとして活動する其処にはじめてお互いに納得の行く動きが起こるのではないでしょうか。日本人としての自覚や誇りの無い処には日本の政治も経済もないと思うのです。

*五日 大器晩成と云う事

能く世間ではあの人は大器晩成型だ等と云いますが、その場合どちらかと云えばあまり褒めた様には使わない事が多いようです。詰り今はまあまあだけれどもその内に何とか一人前になるだろうと云った調子です。併し私は此の大器晩成と云うのはもっと大事な意味を持っているのではないかと思うのです。真の大器晩成と云うものは人生は終生勉強であると云う考えを持って、菟と亀の昔話の様に一歩一歩急がず慌てず日々精進し進歩向上して行く姿ではないかと思います。其う云う姿を目指す事がお互いに大切だと思うのです。

*七日 見る前に察する

不当な競争は断じていけませんが正常な競争には進んで乗り出さなければ進歩が有りません。又其の競争には勝たねばなりません。その場合問題は相手の差し手を其れが形に顕れない内に感じる事が出来るか如何かに有ります。相手の企画が商品として市場に出て来てから、あれはいいなあうちでもやろうかでは遅いのです。まだ目に見えないものを何となく感じる。難しいが其れを遣るのが競争に勝つ経営と云うものです。況してや相手の商品を見て直に手を打つなら未だしも其れが売れ出してやっと御輿を挙げる様では後手に回るも甚だしいと云うべきです。

*八日 振子の如く

時計の振子は右に振れ左に振れる。そして休みなく時間が刻まれる。其れが原則であり時計が生きている証拠であると云って好い。世の中も亦人生も斯くの如し。右に揺れ左に揺れる。揺れてこそ世の中は生きているのである。然し此処で大事な事は右に揺れ左に揺れると云っても、その揺れ方が中庸を得なければならぬと云う事である。右に揺れ左に揺れるその振幅が適切適正であってこそ其処から繁栄が生み出されてくる。小さく振れてもいけないし大きく振れてもいけない。中庸を得た適切な触れ方揺れ方が大事なのである。

*九日 利害得失に捉われない

利害得失を考える事はある程度止むを得ないけれども、余り其れに囚われ過ぎと自分の歩む道を誤る事にも成りかねない。学校を撰ぶにしても卒業して仕事を選ぶ場合でもそうである。誰もが給与とか待遇の事を先に考える傾向があるが、矢張り自分には何が一番適しているだろうかと云う事を能く考えるべきだと思う。

必ずしも大会社へ入ったから幸せかと云うとそうとばかりは言えない。人によっては中小企業へ勤めて却って用いられ人生の味と云うか綾を知る尊い体験が出来て、人間としても成長すると云う事が往々にしてあるからである。

*十一日 企業は儲ける可

企業と云うものは終始一貫如何すれば合理化できるか如何すれば無駄な経費が省けるかと、一生懸命汗を流し工夫をしそして苦心惨憺してやっと一定の利益を上げているのです。そして利益の大半を税金として納めています。気魚も国民も皆が働いてプラスを生んで税金を納めているから国の財源が出来る訳です。何処も儲けなければ税金も納められない、とすれば国の財源は何処から集め得るのでしょうか。企業は儲けてはいけないと云うのであるなら経営は簡単です。努力もいらなければ創意工夫もしなくていいのですからそれで国が成り立って行くのであれば何も苦労要りません。

*十二日 立場を交換する

例えば経営者と労働組合、与党と野党の関係等社会では対立して相争うと云う姿が各所に見られる。その結果精神的にいがみ合いがあるばかりでなく、物事の円滑な妨げ其処から大きなロスが生まれている。そういう傾向に成りがちなのは矢張り夫々が自分の立場中心にものを見るからではなかろうか。自分中心に考えれば如何しても自分と云うものに捉われてものの見方が狭くなり全体が見え難くなってしまう。だから時に相手の立場に我身を置く気持ちでお互いの立場を交換して考えてみては如何か。そうする事に拠って相互の理解も深まり合意点も見いだせるのではないだろうか。

*十四日 自分を戒める為に

松下電器では昭和八年に遵奉すべき五大精神を定め発表して以来毎日の朝会で唱和している。(十二年に二精神を加え七精神)是は勿論社員としての心構えを説いたものであるが、それと同時に私自身を鞭撻する爲のものである。皆で確認し合った使命であっても何もなければ遂遂忘れて行勝ちになる。だから毎日の仕事のスタート時に噛締める。言ってみれば自分への戒めである。人間は頼りないものである。如何に強い決意をしても時間が経てばやがてそれが弱まってくる。だからそれを防ぐ為には常に自分自身に言い聞かせる。自分に対する説得誡めを続けなければならない。

*十六日 成功するまで続ける

何事に拠らず志を建て始めたら少々上手くいかないとか失敗したと云う様な事で、簡単に諦めてしまってはいけないと思う。一度や二度の失敗で挫けたり諦める様な心弱い事では本当に物事を為し遂げて往く事は出来ない。世の中は常に変化し流動しているものである。一度は失敗し志を得なくても其れにめげず辛抱強く地道な努力を重ねて行く内に周囲の情勢が有利に転換して新たな道が開けてくると云う事もあろう。世に云う失敗の多くは成功する迄に諦めてしまう処に原因が有る様に思われる。竿後の最後迄諦めてはいけないのである。

*十八日 民主主義と勝手主義

民主主義と云うものは自分が善ければ人はどうでもいいと云うような勝手なものでは決してないと思うのです。今日の日本の民主主義は我儘勝手主義である。勝手主義を民主主義の如く解釈している人が随分あるのではないかと云う様な感じがします。民主主義と云うものは自分の権利も主張する事は認められるが、それと同時に他人の権利也福祉也と云うものを認めて往かなければならない。そういう事をしなかったならば法律によってぴしっと遣られると云う様な非常に戒律の厳しいものだと思います。其れがあって初めて民主主義と云うものが保ち得るのだと思うのです。

*二十日 寛容の心で包含

世の中には好い人ばかりではない。相当良い人もいるが相当悪い人もいる訳です。ですからきれいな人、心の清らかな人そう言う人ばかりを世の中に望んでも実際には中々その通りにはなりません。十人居たら其の中に必ず尾ならざる者正ならざる者も入ってくる。そういう状態で活動を進めているのがこの広い世の中の姿ではないでしょうか。其処に寛容と云う事が必要になってきます。力弱き者力強き者があるならば両者が互いに包含し合って其処に総合した共同の力が生み出されてゆく。そう云う処に我々人間の生き方があるのではないかと私は思うのです。

*二一日 心を解き放つ

自由な発想の転換が出来ると云う事は指導者にとって極めて大事な事である。然し発想の転換と云う事は盛んに言われるが実際は中々難しい。自ら自分の心を縛ったり狭めている場合が多いのである。だから大事な事は自分の心を解き放ち拡げて行く事である。そして例えば今迄表から見ていたものを裏から見、又裏を見ていたものを表も見てみる。そう云った事をあらゆる機会に繰り返していく事であろう。そうした心の訓練によって随所に発想の転換が出来る様にしたいものである。

*二二日 弁解より反省

仕事でも何でも物事が上手くいかない場合必ず其処に原因がある筈である。だから上手くいかなかった時にその原因を考える事は同じ失敗を重ねない為にも極めて大切である。そのことは誰もが承知しているのであるが、人間と云うものは往々にして上手くいかない原因を究明し反省するよりも、斯う云う状況だから上手くいかなかったのだ。あんな思いがけない事が起こって其れで失敗したのだと云う様に弁解し自分を納得させてしまう。原因は自分が招いた事であると云う思いに徹してこそ、失敗も経験も生かされてくるのではないだろうか。

*二四日 不可能を可能にする

ある製品の価格を一年程の間に三割も引き下げて注文を取っている会社の事が新聞の記事に載っていました。以前は非常に儲け過ぎていたのだと云えば其れ迄。です。然し以前と雖もある程度の利益以外は取っていなかっただろうと思うし、今度と雖も赤字ではやっていけないだろうと思います。草すると其処には何らかの工夫があったと考えられます。経営の考え方とか仕方に工夫を凝らして価格を引き下げても引き合うと云う方法を見出しているのです。そうした成果は、不可能を可能にする道は必ずあると自ら考え努力していく処から生まれてくるものではないでしょうか。

*二五日 人間としての務め

命を懸けるー其れは偉大な事です。命を懸ける思いがあるならばものに取り組む態度と云うものが自ずと真剣に成る。従ってものの考え方が一新し創意工夫と云う事も次々に生まれてきます。お互いの命が生きて働くからです。そうすると其処から私たち人間が繁栄していく方法と云うものが無限に湧き出てくると云えるのではないでしょうか。この無限に潜んでいるものを一つ一つ探し求めていくのが人間の姿であり、私達お互いの人間としての務めであると思います。もうこれで云い決してそう考えてはならない。其れは人間としての務めを怠る人だと私は思います。

*二七日 人間としての成功

人には各各皆異なった天分特質と云うものが与えられています。言い換えれば万人万様皆異なった生き方をし、皆異なった仕事をする様に運命づけられているとも考えられると思うのです。私は成功と云うのは此の自分に与えられた天分を其の儘完全に生かし切る事ではないかと思います。それが人間として正しい生き方であり自分も満足すると同時に、働きの成果も高まって周囲の人々をも喜ばすことに為るのではないでしょうか。そういう意味からすればこれこそ人間としての成功と呼ぶべきではないかと考えるのです。

*三十日 精神大国を目指して

今日我が国は経済大国と云われる迄に成りましたが、人々の心の面精神面を高めると云う事に就いては、兎角等閑にされ勝ちだった様に思います。此れからは経済面の充実と合わせてお互い国民の道義道徳心良識を高め、明るく生き生きと日々の仕事に励みつつ自他共に活かし合う共同生活を造り上げていく。合わせて日本だけでなく海外の人々牽いては人類相互の為の、奉仕貢献が出来る豊かな精神に根差した国家国民の姿を築き上げていく。その様な精神大国道徳大国とでも呼べる方向を目指して進む事が、今日国内的にも海外的にも極めて寛容ではないかと思うのです。

余談ですが・・・(=^・^=)

NPO法人あおぞら
Blognoteより

NPO法人あおぞら2025年10月

『何程国家に勲労が有るとも、その職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。』

目次

  1. お断り(=^・^=)
  2. 政治の裏側
  3. 序でにもう一言(=^・^=)
  4. まとめとして

お断り(=^・^=)

本筋から外れますが、今日は昨日の続きとしてもう一言だけ、無責任な
言い分を付け加えさせていただきます。
福岡県の「ワンヘルス」や外猫トラブルの話ではなく、自民党総裁に
関してのお話です。

国家運営が正常化すればおのずとその恩恵は下々の暮らし延いては
弱者・動物たちの暮らしにも好影響をもたらしてくれるものと信じて
いますので・・・・。

政治の裏側

いよいよ新しい体制で日本再出発ということになるのでしょうか。
否、為れるのでしょうか?????
政治のことはよく判りませんが古い言葉のなかにも現代の指導者達
が心に留めてほしいと思う様な言葉が、多々あります。冒頭の言葉は西郷隆盛遺訓第一章からの一節です。

臨時国会が始まれば、首班指名があり、組閣と云う流れになる訳ですが、
新しい総理には、しっかりと肝に銘じて頂き、実行してもらいたい
言葉ですね❣❣ 

ここを誤ると国家の存亡にもかかわると、かの、一万円札肖像ともなって
いる、渋沢栄一翁も仰ってますヨ。
くれぐれも、人事が党利党略による論功行賞にならないことを願ってます。

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序でにもう一言(=^・^=)

南洲手抄言志録より

七十五:爲政者 宜権衡人情事理軽重處 以用其中於民
    政を為す者は 宜しく人情事理軽重の處を権衡して 
    以てその中を民に用ふべし。

これはご存じの方も多いと思いますが、西郷隆盛が、江戸末期の儒学者
佐藤一斎の「言志録」から自ら手本とすべき言葉を抜き書きしたもの
からの一節です。

何だか彼の田中角栄氏を思い出させるような言葉❣❣❢(=^・^=)❣❣❢

新しい体制となった暁には、まあそんなことはないと思いますが、くれぐれも平均値によって人々の暮らしを計らないでほしいですね~😹

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まとめとして

あかあかや あかあかあかや あかあかや
あかあかあかや あかあかやつき      明恵上人

今日は仲秋の名月 天下の名僧 明恵上人の月を読んだ短歌です。

明恵上人は、時の権力者北条泰時が承久の乱に際し、天皇方の人々をかくまったという罪で一度は捕えたのですが、その後、その精神に感動した泰時が師事して教えを請うた方でもあります。

かの有名な「貞永式目」は
明恵上人のアドバイスに拠るとも言われてますね~~~~❣❣❢
この様な、是を是とし非を非とする何ものにもとらわれない
高邁な精神のお方が、現代日本にも出現してくれれば嬉しい
のですが・・・(=^・^=)

                  以上余談でした・・・・(=^・^=)

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 ( ※ 画は撮りおきのものを使用しました(=^・^=) )

松下幸之助の言葉

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

自分の長所に自惚れてはならない。自分の短所に劣等感を持つ必要もない。長所も短所も天与の個性、持ち味の一面である。」―人生心得帖よりー

【十月の言葉】

*一日 法治国家は中進國

今日法治国家というのは大体先進国と云う事に為っていますが、私は法治国家は真お先進国とは言えないのではないかと云う気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は謂わば中進国であって真の先進国文明国とは法律が極めて少なく所謂法三章で治まっていく国と云う事では無いかと思うのです。とすれば真の先進国に成る為にはやはり国民の良識の涵養と云うものを大いに図っていかなければ成りません。其事に成功しない限りは先進国にはなれないのではなかと思うのです。

*三日 千差万別の人間

人間は千差万別の姿と心に生まれついています。従って其々の持つ使命も天分も全部異なっているのではないかと考えられます。然し現実の社会では総てを一つの型に嵌め様規制しよう同じ道を歩ませ様とする嫌いが多分にある様に思われます。勿論こうした考え方は一面に於いては必要なのですが世の中を全部そういう考え方ものの見方で通そうとする事は決して社会の進歩には繋がらないでしょう。ですから人間が夫々持っている特性と云うものを能く認識しその特性を生かしていける共同生活を考え出さなければならないと思うのです。

*四日 心を磨く

人間の心と云うものは本当に自由なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても心の働きに由って如何様にでも考えられると思うのです。もう辛抱出来ない明日にでも自殺したいと云う場合でも考え方を変えるならば。一転して恰も広々とした大海を往くが如き悠々とした心境に転向する事さえできるのです。其れが人間の心の働きと云うものでしょう。ですから我々は是から仕事をするに当って先ず心を磨くと云うかものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに今迄得た知識を加えてやっていけば必ず大きな成果が生まれると思います。

*七日 体力と気力と経験

人間の体力と云うものは三十才前後が頂上であろう。一方気力と云う事に成ると私の常識的な体験から言えば四十歳位が最高になり之を過ぎると次第に衰えて来るのではなかろうか。勿論気力は落ちても立派に仕事は出来る。と云うのは其れ迄のその人の経験と云うものが其の気力の衰えを支えるからである。それともう一つは先輩として尊ばれ後輩達の後押しによって少々困難な事でも立派に遂行できるようになる。斯うした力が加わるからこそ歳を取って気力体力共に若い人達にとても適わない様になっても支障なく仕事が進められるのではないか。

*八日 進歩への貢献者

商品を創る方は勿論今日現在は其れが最善だと思って出すのですが、日進月歩の世の中ですから日と共に新しいアイデアが生まれてきます。ですからお客さんの中には後から買った人は非常にいいものが手に入るから先に買った人は損だと云われる方も在ります。然し商品と云うものは最初に買う人がいなければ進歩しません。先に買う人は私が金を投じて買ったから多くの人に行渡る事に為った。私は貢献者なんだ。同時に自分は一番早くその便益を得たから寧ろ得をしたんだとこう考える事に拠って世の中は発展すると思うのです。

*十日 大事に立てば起つ程

困難期混乱期に際して大事な事は根本的な心の迷いを取り除いて確りと心を確立してゆく事です。志を堅く堅持してそして事に立ち向かう事が出来るなら、その時に応じて最善と考えられる具体的な方策は適切に出てくるものだと思います。その志を確固として持つ事無しに混乱期に直面すれば彼是と心が迷い事に為って事が失敗に終る場合が少なくないと思うのです。将に貧すれば鈍すです。大事に立てば起つ程如何生きるかについての確りした信念を持つ。そうして事に当ればある程度の処置を過たずして出来るものだと思います。

*十二日 経営は総合芸術

経営者の仕事は画家等の芸術家の創造活動と軌を一にするものだと考える。一つの事業の構想を考え計画を立てる。其れに基づいて資金を求め工場その他の施設を造り人を得製品を開発し其れを生産し人々の様に立てる。その過程と云うものは画家が絵を描く如く是総て創造の連続だと云えよう。成程形だけ見れば単にモノを作っていると見えるかもしれないがその過程には到る処に経営者の精神が生き生きと躍動しているのである。その意味に於いて経営は極めて価値の高い云わば総合芸術とも言う べきものだと思います。

*十五日 紙一枚の差

社会に対する責任と云う事を同じ様に考えてやっていてもその徹し方には差がある。一方は是で十分だと考えるがもう一方はまだ足りないかも知れないと考える。そうした謂わば紙一枚の差が大きな成果の違いを生む。もう十分だと考えると苦情があってもああいうが家も十分やっているのだからと云う事になって遂反論する。けれどもまだ足りないと思えばそうした苦情に対しても敏感に受け入れ対処していく事に為る。其う云う事が商品技術販売の上に更に経営全般に行われれば年月を重ねるにつれて立派な業績を上げる殊に為る訳である。

*十六日 諸行無常の教え

その昔お釈迦さまは諸行無常と云う事を説かれました。この教えは一般には世は儚いものだと云う意味に解釈されているようですが、私は寧ろ諸行とは万物と考え諸行無常とは即ち万物流転であり生成発展と云う事であると解釈したら如何かと思うのです。言い換えますとお釈迦様は日に新たでなければならないぞと云う事を教えられたのだと云う事です。是は単に仏教だけの問題でなくお互いの日々の仕事を初め慧お互いの人生社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。

*十八日 独断は失敗に繋がる

仕事でお互いが注意すべき事は会社の伝統方針を無視した自分一人の考えで行動しないと云う事です。人一人の知恵は如何に優れていても伝統も顧みず方針を等閑視して狭い自分の主観から生まれてくる判断で行動すれば却って会社をマイナスに導きます。私達は兎角ものの一面に捉われて自己の考え已を主張しているとその背後に流れる大きな力を見忘れてしまうものです。其処から大きな失敗が表れてきます。常に自己の背後にある流れ繋がりを見通す目、心を培いその中で自己を生かすよう訓練して行かなければなりません。

*十九日 良識を養う

この世の中ではお互いが様々な言説を唱えています。然し自由の下に自説を主張する場合は自説に捉われて対立にのみ終始すると云う事ではいけません。対立しつつも調和して往かなければなら荷と思います。其の為にはお互いが其々に自らの良識を養い高めて行く事が大切です。公共の福祉に反してはならないと云う事は勿論法律にも定められていますが、矢張り法律だけでは律し切れないものがある訳です。そう云うものについては個々の人々が自らの良識で事を判断する事に拠って自由を真の自由たらしめていかなければならないと思うのです。

*二十日 小異を捨て大同につく

明治維新の立役者は勝海舟と西郷隆盛である。当時官軍にも幕府側にも戦いを主張する人は少なからずあり複雑な情勢であった。然し勝海舟も西郷隆盛も戦う事を決して軽視はしなかったけれども、それ以上に日本の将来と云う事を深く考えた譯である。そう云う両者の一致した思いが江戸城無血開城を可能にしたのだと思う。結局指導者が目先の事枝葉末節に捉われず大所高所からものを見、大局的に判断する事が如何に大切かと云う事である。何が一番大事であり何が真に正しいか絶えず小異を捨て大同につく、それが指導者として極めて大切な心構えだと思う。

*二二日 成功のコツ

良い会社だと思って入った会社でも一から十迄何もかもいいとは限りません。時には欠点もあるでしょう。然しそれを初めからこんな会社はあかんと決めてかかるか、それとも如何もこの点だけは善いとは思わないがこれは自分の問題として改善向上させていこう、と云う熱意を持って当たるかに由って対応の仕方が全く変わってくるでしょう。善し自分の会社を今よりももっと良い会社にしてやるぞ、と云う意欲を持ち全ての事を前向きに捉える姿勢を持つ人は、信頼もされ頼もしい社員として嘱望もされるでしょう。成功のコツはそのような処に在ると思うのです。

*二三日 原因は自分にある

人間と云うものは他人の欠点は目に付き易いものだ。往々にして何か問題が起こると其れは総て他人の所為で自分はに関係がないと考えがちである。実際に他人の所為であって自分は無関係なものもある。併し其れをそう判定するのは飽く迄も人間である。他人の所為ではあるけれども実は自分の所為でもある。と云う様に自分は全く関係がないとは言い切れない場合も少なくないのではなかろうか。少なくとも問題が起こった際には他人の所為だと考える前に、先ず自分の所為ではないかと云う事を一度考え直してみる事が非常に大切ではないかと思うのである。

*二五日 人の話に耳を傾ける

日頃部下の云う事をよく聞く人の処では比較的人が育っている。其れに対して余り耳を傾けない人の下では人が育ち難い。そういう傾向が有る様に思われる。何故そうなるかと云うと矢張り部下の言葉に耳を傾ける事に拠って、部下が自主的にものを考えるようになり其の事がその人を成長させるのだと思う。けれども自分の云う事に上司が耳を傾けてくれないと云うのでは、唯惰性で仕事をすると云う事になって成長も止まってしまう。上司としてどんな場合でも大事なのは耳を傾けるという基本的な心構えを何時も持っていると云う事であろう。

*二七日 インテリの弱さ

今日能く耳にする言葉にインテリの弱さと云う事がある。是はインテリには生じっかな知識が在る為に其れに囚われて仕舞、其れは出来ないとか其れは如何考えても無理だと思い込んでしまって、中々実行に移さないという一面を言った言葉だと思う。実際嗚呼其れは今迄何度も遣ってみたんだが出来ないんだと、決め込んでいる事が我々の身の回りには意外に多いのではなかろうか。時には自分の考え復自分を捉えている常識や既存の知識から解放され、純粋な疑問純粋な思い付きと云うものを大切にしてみてはどうだろうか。

*二八日 怖さを知る

人は其々怖いものを持っています。子供が親を怖いと感じたり、社員が社長を恐いと思ったり世間が怖いと思ったりします。然し其れと共に自分自身が怖いと云う場合が有ります。共すれば怠け心が起るのが怖い、傲慢になりがちなのが怖いと云う様なものです。私は此の怖さを持つと云う事が大切だと思います。怖さを常に心に懐き恐れを感じつつ日々の努力を重ねていく。其処に慎み深さが生まれ自分の行動に反省をする余裕が生まれてくると思うのです。そして其処から自分の正しい道を選ぶ的確な判断もより出来る様になると思います。

*三一日 先ず与えよう

持ちつ持たれつと云う言葉もあるがこの世の中はお互いに与え合い与えられ合う事に拠って成り立っている。其れはお金とか品物と云った物質的な面もあれば思い遣りと言った様な心の面もある。聖書の中にも与うるは受浮くるよりも幸いなりと云う言葉があると云うが人間とは他から貰う事も嬉しい方が他に与え他を喜ばす事により大きな喜びを感じると云う処があると思う。そういう喜びを自ら味わいつつしかも自分を含めた社会全体をより豊かにして行く事が出来るのである。先ず与えよう此れをお互いの合言葉にしたいと思うのだがどうであろうか。

松下幸之助のにことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「大成功や大失敗だけが人生における体験ではない。平穏な日々の中でも、心の持ち様如何では、大いに体験を積むことができる。」―人生心得帖よりー

【九月の言葉】

*一日 苦難も又善し

わが国では毎年台風や集中豪雨で大きな水害を受ける処が少なくない。然し此れ迄の例から見ると大雨が降って川が溢れ街が流されてもうだめかと云えば必ずしもそうではない。数年も経てば被害を受けなかった街よりも却って綺麗に成り繁栄していることが屡々ある。勿論災難や厄難は無いに越したことは無いが思わ牟時に思わぬ事が起こってくる。だから苦難が其れも佳と云う心づもりを常に持ち安易に流されず凡に堕さず人一倍の知恵を絞り人一倍の働きを積み重ねてゆく事が大切だと思う。

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

*五日 優しい心

あの人は何処となく豊かな感じのいい人であると云う場合、其れはその人の心がその人の動作に滲み出ているからだと思います。殊に私は女性の尊さと云うものは、矢張り親切な心の顕れている処にこそ本当の尊さと云うものがあるのではと云う感じがします。唯強いばかりではいけません。賢いばかりでもいけません。賢い強いと云う事も勿論大切ですがそれ以上に大事な事は、心の優しさなのです。此れは総てのものを溶かすとでも云う程の力があるのではないでしょうか。その力を失ってはならないと思うのです。

*六日 自然を生かす

自然はそれ自体の為に存在しているという見方がある。併しもっと大きな観点に立って考えてみると自然は人間の共同生活に役立つために存在しているのだと考える事も出来るのではなかろうか。そう考えてみれば自然を人間の共同生活の上に正しく活用して行く事は人間にとって当然為すべき事だとも云える。無論単に意欲を逞しくして自然を破壊する事はあってはならない。自然を十破壊して其処から八の価値しか生み出さないと云うのではいけないが、十二の価値を生むならば寧ろ積極的に自然を活用して要ったらいいと思うのである。

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

*十日 不健康また結構

私は不健康が必ずその人を不幸にするとは思いません。世の中には不健康で幸福になる場合もありますし又逆に健康な爲に却って行き過ぎて不幸になる場合もあるのです。肝心な事は不健康又結構なりと云う気分に成る事です。不健康は不幸な事だ悲しい事だと考えて心を乱してはいけないと思うのです。小さい頃から病弱だった私がそう云う心境に為れたのは、今日考えるとやはり前途に強い希望を持っていた為だと思います。不健康の為に希望を失うと云う事では失敗の上に失敗を重ね不幸の上に又不幸を重ねる事に為ってしまうのではないでしょうか。

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

*十四日 慈しむ

昔仁徳天皇は国中に炊事の煙の乏しいのを見て人民の困窮を知り三年間課役を中止し、三年後国中に煙が満ちて初めて国富めりと再び租税を課された。その感は皇居も荒れ雨が漏る程で在っても修理されなかったと云う。是は伝説かも知れないが然し大事な事はその様に人民を慈しむ仁慈の心を持つ事が昔から指導者のあるべき姿とされてきた事である。そこに日本の一つの良き伝統がありそう云う処から封建時代でさえ数々の名君が生まれたのであろう。其事が栄える基だったのである。民主主義の今日でも指導者は先ず人々の幸せを願い仁慈の心を持たねばならないと思う。

*十五日 精神的大家族

核家族の風潮と云うのはいい悪いは別にして天下の大勢です。大きな流れです。けれども其れは形の上でそうなのであって精神の上では核家族に為ってはいけないと思ういます。恰も大家族の如く年老いた老人には家族の人達が絶えず心を通わせる様にしなければなりません。例えば三日に一遍電話は電話で声をかけて挙げるとかそう云う繋がりが無ければいけないと思います。世の中が進歩したら其々活動する場所が増えますから、どうしても離れ離れになって大家族と云う形は執れません。だから一方でそれを集約する精神的な繋がりが一層必要だと思うのです。

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

*十九日 仕事を味わう

私はどんな仕事で在れ本当に其れが自分に適したものかどうかを見極めるのはそれほど容易な事では無い。租事と云うものはもっともっと深いと云うか味わい深いものだと思います。最初は詰らないと思えた仕事でも何年間か之に取り組んでいる内に段々と興味が湧いてくる」。そして今迄知らなかった自分の適性と云うものが開発されてくる。そう云う事も仕事を進めていく過程で起こってくるものです。詰り仕事と云うものはやればやる程味の出てくるもので、辛抱して取り組んでいる内に段々と仕事の味喜びと云ったものを見出して行く事が出来るのだと思います。

*二一日 中小企業は社会の基盤

私は中小企業というものは日本経済の基盤であり根幹であると思う。其れが健在であってこそ大企業も持ち味を生かす事が出来るし経済全体の繁栄も可能となる。と共に中小企業は単に経済に於いてだけでなく謂わば社会生活の基盤にもなるものだと思う。詰り色々な適性を持った人が其々に色とりどりの花を咲かす。そう云った社会の姿がより望ましいのであり其処に人間生活の喜びと云うものがあるのではないだろうか。その意味に於いて沢山の中小企業が其々に所を得て盛んな活動をしていると云う様な社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。

*二二日 平和の為の前提条件

平和が大切だと云う事は何千年も前から唱えられているにも拘らずその一方では戦争をしている。甚だ如きは平和の爲の闘争とか戦争と云ったことが、口にされ行われていると云うのが過去現在における人間の姿だと云えましょう。それではその様な状態を脱却し平和を実現する前提として何が必要かと云うと人間としての意識革命ではないかと思います。詰り真の平和と云うものをはっきり見極め心からそれを切望すると云う様な、一人一人の意識革命が一国の政治の上にも教育の上にも醸成されていくならば求めずして平和は生まれてくると思います。

*二五日 信賞必罰

信賞必罰即ち罰すべき罪過ある者は必ず罰し賞すべき功ある者は必ず賞せよということ。是は人間が存在する限り程度の差はあっても絶対に必要な事であろう。此れが行われない国家社会は次第に人心が倦みやがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない会社集団家庭何処に於いても是は決して蔑ろにされてはいけない事だと思う。唯ここで大事な事は信賞必罰と云っても常に適時適切でなければならないと云う事である。是は微妙にして非常に難しい事で之が当を得なかったならば却ってことを誤ってしまう。

*二八日 組織や地位に捉われない

今日企業界各企業の間に於ける競争と云うものは非常に激烈なものがある。此の激しい競争に於いて瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に何としても先ず直接の上司に云わねばならないんだとか矢張り組織を通じて処理しなければ叱られるだとか言っていたのでは競争に負けて仕舞うような事もあろう。事の順序としては勿論直接の上司の人に先ず云うべきではあるけれども、どうしても急を要する場合は組織や地位に捉われず即刻処理してゆくことが大切だと思う。何か事ある時には全員が打てば響く様な素早さで活動しなければいけない。

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってくる。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「感謝の心をわすれてはならない。感謝の心があってはじめてものを大切にする気持ちも人に対する謙虚さも生きる喜びも生まれてくる。」―人生心得帖よりー

【七月の言葉】

*一日 素直な心の初段

聞く処によると碁を習っている人は大体一万回ぐらい碁を打てば初段に為れると云う事です。素直な心の場合も其れと同じ様な事が言えるのではないかと思います。先ず素直な心になりたいと朝夕心に思い浮かべ、そうして絶えず日常の行いに捉われた態度がなかったかを反省する。そういう姿を一年二年と続けて一万回約三十年を経たならば、やがては素直の初段とも云うべき段階に到達する事も出来るのではないかと思うのです。素直の初段にもなったならば先ず一人前な心と云えるでしょう。だから大体に於いて過ち無き判断や行動が出来るようになってくると思います。

*三日 是を是とし非を非とする

兎角人間と云うものは物事を数の大小や力の強弱と云った事で判断しがちである。そういう事を中心に考えた方がいいと云う場合もあるだろう。然しそれは日常の事と云うか謂わば小事について云える事では無いだろうか。大事に決するに当たってはそうした利害損得と云ったものを超越し何が正しいかと云う観点に立って判断しなくては事を誤ってしまう。其れが出来ると云う事が指導者としての見識だと思うのである。兎角長い物には巻かれろ的な風潮の強い昨今だけに指導者には斯うした是を是とし非を非とする見識が強く望まれる。

*五日 責任を生甲斐に

人は成長するに連れて段々その責任が重くなってきます。そして成人に達すると法律的にもはっきり少年の頃とは違った責任を問われます。又次第に高い地位に就くようになると其れだけ責任が重くなります。併し人は元々責任を問われる処に人としての価値があるのだと思います。責任を問われることが大きければ大きい程其れだけ価値が高いと云う事が言えましょう。ですから責任を問われる処に生甲斐も有ろうと云うものです。責任を背負いその事に生甲斐を覚えないとしたら年齢は20歳をどれだけ過ぎようと一人前の人ではありません。

*七日 信ずる事と理解する事

繁栄平和幸福をより早くより大きく生む爲には信ずる事と理解する事-この二つを全うしてゆかねばなりません。と云うのは信を誤らない為には理解を正しく働さなければなりません。

理解を捨てると迷信に陥り易く復理解だけで信ずる心が無ければ信念に弱さを生じてしまうからです。では信斗解を全うしてゆくにどうすればよいか。其れには先ず素直な心に為る事です。正しい理解も素直な心から生まれてきますし信ずる事も素直な心から高まってくると思います。心が素直であって信と解が共に高まればあらゆる場合に適切な働きが出来るようになると思います。

*十日 大人の責任

現代の青年は夢がないとか生甲斐を見失っているとかいうけれども、其れは青年自身の問題ばかりでなく社会の問題大人の問題とも云えるのではないだろうか。つまり大人と云うか其國その政治が青年達に生甲斐を持たすようにしていない。夢を与えていない。使命感を与えていないのである。例えば同じ仕事をするにしても其事の意義とか価値と云うものを、はっきりと自覚させられ教えられていないから迷ったり不平を持って、やがては現代の社会を呪う様にもなる訳であろう。其処に今日の日本の根本の問題があるのではないかと思う

*十一日 礼儀作法は潤滑油

私は礼儀作法と云うものは決して堅苦しい物でも単なる形式でもないと思います。其れは云わば社会生活における潤滑油の様なものと云えるのではないでしょうか。職場では性格や年齢物の考え方等色々な面で異なる人々が相寄って仕事をしています。そのお互いの間を滑らかに動かす役割を果たすのが礼儀作法だと思うのです。ですから礼儀作法と云うものは当然心の籠ったものでなければなりませんが、心に思っているだけでは潤滑油とはなりません。やはり形に表し相手に伝わり易くし心と形の両面が相俟った適切な礼儀作法であってこそ初めて生きてくると思うのです。

*十二日 自らを掴かむ

人其々顔形が違う様に人間には誰しも一人一人違った素養才能を持っている。唯其れは顔を鏡に映す如くには表面に出にくい。併しそう云う自分の素質とか才能と云うものを自分ではっきりと掴み、そして日々の活動に牽いては人生に活かす事が出来たらどれだけ人間としての喜びに満ちた生活が営まれ、人生の妙味と云うものを味わう事が出来るだろうか。一人一人が他と違ったものを持ちそして日々新たに発展していく。其処には苦しみもあろうが何ものにも代えがたい喜びもある筈である。

*十三日 世論を超える

一般に指導者と云うものは世論と云うか多数の意見を大切にしなくてはいけない。世論に耳を傾けず自分一個の範dんで事を進めて行けば往々にして独断に陥り過ちを犯す事に為ってしまう。けれども其れは飽く迄平常の事である。非常の場合には其れだけでは処し切れない面も出てくる。そういう場合には指導者は世論を超えてより高い知恵を生み出さなくてはいけない。常は世論を大切にし世論を尊重しつつも非常の場合には敢えて其れに反してもより正しい事を行う。其れが出来ない指導者ではいけないと思う。

*十六日 仕事は無限にある

この頃不景気で仕事がないと云うけれども今後百年の日本というものを考えてみると、その間に日本の建物と云う建物は殆ど作り直さなければならなくなるだろう。橋や道路も同じである。そう云う事を考えてみただけでも仕事は云わば無限困る程にあるのである。処がそう云う見方をせずに自ら仕事が無い様にし不景気にしているのが今の日本の実情ではないだろうか。是は物の見方を変えないといけない発想の転換をしなければいけないと云う事である。そうしてこそ初めて我が国に無限の仕事がある事が判るのである。

*十七日 自他相愛の精神

個人と個人との争い国と国との争いは、相手を傷つけ更には社会全体世界全体を混乱させる。そういう争いの大きな原因は自他相愛の精神と云うか、自分を愛するように他人を愛し自国を愛するように他国を愛する精神の欠如によるものであろう。そういう精神の大切さは昔から色々な教えに拠って説かれてい乍ら未だに争いが絶えないのは人々が此の事をの大切さを真に悟っておらずその精神に徹していないからだと思う。争いは自らをも傷つけると云う事を身を持って師利人類に平和を齎す為に力を合わせて行く事が肝要である。

*二一日 世間は神の如きもの

事業が大きくなってくると仕事も段々と複雑になって其処に色々な問題が起こってくる。私はこの問題をどう考えどう解釈すべきかと日々の必要に迫られて、その解決策の根本を求めていくうちに世間は神の如きも、の自分のした事が当を得ていると世間は必ず是を受け入れてくれるに違いないとう考えに行きついた。正しい仕事をしていれば悩みは起こらない。悩みがあれば自分のやり方を変えればよい。世間の見方は正しい。だからこの正しい世間と共に懸命に仕事をしていこう、こう考えているのである。

*二二日 河豚の毒でも

今日の我が国では折角いいものが発明されても其れに万に一つでも欠陥があれば、もうそれで其の物は全て駄目としてしまうような傾向が強い様に思われます。其れは云ってみればフグの毒を発見してフグを食べるのを一切やめてしまう様なものだと思います。科学技術が非常に進歩した今日に生きる私達は河豚の安全な調理に成功した昔の人に笑われない様、物事を前向きに考え折角の科学技術の成果を十分に活用できるだけの知恵を更に養い高めて行く事が必要ではないかと思います。其処に人間としての一つの大きな使命があるのではないかと思うのです。

*二四日 利害を超える

ある日私の処に自分の会社で造る製品の販売を引き受けて貰えないかと云う話を持ってこられた人がいた。私は色々と其の人の話を聞いてみてこの人は偉い人だなと思った。普通であれば自分に出来るだけ有利に為る様交渉する。其れが謂わば当たり前である。ところがその人は全てを任せるという自分の利害を超越した態度を取られた。私はその態度に感激し心を打たれた。我々はともすれば自分の利害を中心にものを考える。是は当然の姿かもしれない。然しそれだけに其れを超越した様な姿に対しては心を動かされる。是もまた人間としての一つの姿ではないか。

*二六日 経営にも素直な心が

成功する経営者と失敗する経営者の間にある大きな違いは、私心に捉われず公の心でどの程度ものを見る事が出来るかと云う事にあると思います。私心つまり私的欲望によって経営を行う経営者は必ず失敗します。私的欲望に打ち勝つ経営者であってこそ事業に隆々たる繁栄発展を齎す事が出来ると思うのです。私の欲望に捉われず公の欲望を優先させると云う事は、言葉を替えれば素直な心に為ると云う事です。その様に私心に捉われず素直な心で物事を見る事が出来るように、自らを常に顧み戒める事が大切だと思います。

*二七日 人間の幸せの為の政治

私達が決して忘れてならない事は政治は結局お互い人間の幸せを高める為にあると云う事です。過去に於いては多くの人々が政治に拠って苦しめられお互いの血を血を洗うと云う事もありました。併しそうした好ましくない姿は政治の本来の姿ではない。政治は本来お互い人間の其々の活動をスムーズに進める事が出来るようにするものです。それらの調整調和を図り共同生活の向上を計って、一人一人の幸せを生み高める事こそをその使命としているのです。此の政治は本来人間の幸せの為にあると云う事を私達は先ず正しく認識し合う必要があると思います。

*二九日 力の限度にあった仕事を

二・三人の人を使っての個人企業の経営者としては立派に成績を上げたけれども十人・二十人と人が増えてはもう遣っていけないと云う人も有ろう。此の事は一人経営者についてだけでなく部とか課の責任者、更には一人一人の社員が仕事と取り組む上での心構えと云った点で大事な教訓を含んでいると思う。其れは一言でいえばお互いが自分の能力を知り其の上に立って、自己の適性と云うか力の限度にあった仕事をしていかねばならないと云う事である。自分の能力を常に検討し適性に合った仕事をしていくという事に為ってこそ、自分自身惹いては会社や世の中にも貢献する事が出来ると思うのである。

*三一日 自分自身への説得

説得と云うものは他人に対するものばかりとは限らない。自分自身に対して説得する事が必要な場合もある。自分の心を励まし勇気を奮い起こさねばならない場合もあろうし、又自分の心を抑えて辛抱しなければならない場合もあろう。そうした際には自分自身への説得が必要になってくる譯である。私が此れ迄自分自身への説得を色々してきた中で今でも大雪ではないかと思う事の一つは自分は運が強いと自分に言い聞かせる事である。本当は弱いかわからない。併し自分自身を説得して強いと信じさせるのである。そう云う事が私は非常に大事ではないかと思う。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「宇宙根源の力は萬物を存在せしめそれら.が生成発展する源泉となるものでその力は自然の理法として我々お互いの体内にも脈々として働き一木一草の中までも生き生きと溢れている。」―運を開く言葉よりー

【六月の言葉】

*二日 主座を保つ

指導者と云うものはどんな時でも、自分自らこの様にしよう・こうしたいと云うものは持っていなくてはならない。そういうものを持った上で他人の意見を参考として取り入れる事が大事なのであって、自分の考えを持たずして只他人の意見に随うと云うだけなら、指導者としての意味はなくなってしまう。要は指導者としての主体性というか主座と云うものを確り持たなくてはいけないという事である。主座を保ちつつ他人の意見を聞きある種の権威を活用していく。そういう指導者であって初めてそれらを真に活かす事が出来るのだと思う。

*三日 自然に学ぶ

自然の営みには私心も無ければ捉われもないと思います。言ってみれば文字通り素直に物事が運び素直な形で一切が推移していると思うのです。一輪の草花にしても私心無く自然に花を咲かせているのです。そういった花の姿を見て勿論何も感じない人もいるでしょう。併し素直な心になりたいという強い願いを持っている人の場合には或は其処に何らかのヒントを見出すかもしれません。そういうことを考えてみるとお互いが素直な心を養っていく爲の一つの実践として大自然の営み自然の姿と云うものに触れてその素直さに学んでいくという事も大切だと思います。

*五日 商道徳とは

商道徳とは何かという事については難しい理屈もあるかもしれませんが極通俗的に考えれば、商売人としての心構えとでもいうべきものであろう。其れは昔も今も同じであり永遠に変わらないものの様な気がする。つまり商売人には商売人としての使命がある。だからその使命に誠実に従い只管此れを果たして行くという事である。私がやってきた電気屋であれば人々の役に立つものを開発する。しかも合理化を図り適正な利益を取りつつも尚安くなるよう努める。又配給も出来るだけ無駄をなくす。其れが商道徳と云うものでそれは他のどんな商売にも言えるのではないかと思う。

*六日 何事も結構

私は運命と云うものは不思議なものだと思います。人は皆夫々志を立てるのですが中々思い通りに行かないし実現しにくい。希望とは逆の道が自分にぴったり合って成功する場合もあるのです。だから私は余り一つの事をくよくよ気にしない方がいいのではないかと思います。世の中で自分が判っているのは一%程で後は暗中模索。始めから何もわからないと思えば気も楽でしょう。兎に角人間には様々な姿があっていいと思うのです。恵まれた生活も結構だし恵まれない暮らしも結構と云う気持ちが大切だと思います。

*八日 富の本質

時代によってと身に着いての考え方も変わってきます。これ迄は単に蓄積された物がと富と考えてきましたが経済の進歩した今日では。その物を生産し得る能力生産力こそが真の富とも考えられます。それでは生産力だけを増やせばいいかと云うと決してそうではありません。生産は必ず消費に相応じなければなりません。幾ら生産してもそれが消費されなければ何の値打ちも持ちません。即ち消費力があればこそ生産力があるのです。従って生産力と消費力のバランスをとりつつ増大させて行く事が富の増大で有り、繁栄の道も其処から生まれてくると云えるのではないでしょうか。

*九日 苦労を希望に還る

仕事のコツを体得するということは決して楽な業ではないと思います。相当精魂を込めてやらなければならないと思うのです。其れは矢張り一つの苦労だと考えられます。然し苦労であっても其れを遣らなければ一人前に成れないのだという事を青少年の間から、常に先輩に聞かされていますと其れは苦痛ではなくなってくるのです。其れは希望に変わるのです。ですからそのコツを体得する事に対して精魂を傾けるという事が出来てくると思います。その様に色々難しい問題にも心を励まして取り組んでいく処に自己の完成と云うか自己の鍛えがあると私は思います。

*十一日 小田原評定では

多くの会社では決起大会をやり反省すべき点や今後の目標を確認し合います。然しそれも斯うしなければならないという事がわかったと云うだけではいけない。実行が無ければいけません。実行が出来ない限りは百の決起大会を行っても其れは費用を使うだけ時間を使うだけに終わって仕舞います。昔の話に小田原評定という事があります。大群が攻めてくるという事に対して小田原城の人は評定に明け表情の暮れて遂に負けてしまったと云う話です。其れではいけない。評定は一回でよい後は実行だ。そうしてこそ初めて成果が挙げられるのです。一にも実行に二も実行です。

*十三日 寛厳宜しきを得る

指導者は所謂寛厳宜しきを得る事が出来る様心掛ける事が大事だと思う。優しいばかりでは人々は安易に成り成長しない。厳しさ一方でも畏縮してしまい伸び伸びと自主性を持ってやると云う姿が生まれてこない。だから寛厳宜しきを得る事が大切な訳であるが只これは厳しさと寛容さを半々に表すと云う事ではない。厳しさと云うものは為るべく少ない方がいい。二十%の厳しさと八十%の寛容さを持つとか更には十%は厳しいが後の九十%は緩やかである然しそれで十分人が使えると云う様な事が一番望ましいのではないだろうか。

*十五日 批判は後でよい

賢い人は伴すれば批判が先に立って目前の仕事に没入しきれない事が多い。此の為折角優れた頭脳と知恵を持ちながら批判ばかりして結局は簡単な仕事も満足に出来ない事がある。処が逆に人が見れば詰らないと思われるような仕事にもバカの一つ覚えと云われるぐらいに全身全霊を打ち込む人がいる。此の姿は全く尊く見ていても頭が下がる。仕事に成功するかしないかは第二の事、要は没入する事である。批判は後でよい。兎に角一心不乱に成る事だ。斯うした努力は必ず実を結ぶと思う。其処からものが生まれずして一体どこから生まれよう。

*十六日常識を破る

私達を取り囲んでいる常識と云うものは想像を遥かに越す根強さを持っています。併し私達はその常識を尊ぶと共に時には常識から自分を解放する事が必要だと思います。そして其の為にはやはり強い熱意が要請されます。熱意の滾って居る処、人は必ず新しい道を開きます。常識では考えられない事を遣ってのけ運命を切り開き新しい発明発見をします。常識を破るのです。常識は大事でありやぶるが為に常識外れた事をするのは、世の中を乱し周囲に迷惑を及ぼすだけです。そうではなくて熱意の発する処には次々と新しい着想が生まれ必然的に常識が破られていくのです

*十九日 美と醜

私の自宅の近くに水のきれいな池がある。水面に周囲の樹々の姿を映し誠に風情がある。処がこの池が一頃雨が降らなくて底の大半を露出してしまう迄になった。移すべき何物も無く醜い底を露呈するばかりである。美の半面には醜があるーそんな思いである。お互い人間も是と同じ事ではなかろうか。美と醜とが相表裏している処に人間の真実がある。とすれば美の面の巳に捉われてその反面の醜を責めるに急なのは人間の真実と云うものを知らないものである。温かい寛容の心を持って接し合う事がお互いに明るく暮らす為の一番大事な事ではなかろうか。

*二十日 言うべき事を言う

部下を持つ人は自分一人だけの職務を全うすればいいのではなく、部下とともに仕事の成果全体を高めていかなくてはなりません。其の為には矢張り部下に対して誠意を持っていうべきことを言い導くべきことは導いていくことが大切です。注意すべき時に注意したら文句を言ってうるさいからと云う様な事を考えて云わずに放っておくと云う様な事ではいけません。部下が為すべき事は矢張り毅然として要求し、そしてそれを推進していくと云う事に対しては断固としてやらなければならない。そういうことをしない上司は部下は却って頼りなさを感じるものです。

*二二日 知識はあっても

先般あるお店で金庫の扉がガス溶接機で焼き切られて中から金を盗まれたと云う事件がありました。ガス溶接の知識を利用して扉を溶かした訳です。そういう泥棒がいるのです。都筑は幾ら持っていても人間の心即ち良心が養われなければ、そういう悪い方面に心が働き知識は却って仇を為すと云う様な感じがします。今日新しい知識が無ければ生活に事欠くと云う位知識は大事なものです。其れだけに知識に相応しい人間人心と云うものを育てる事が非常に必要な事ではないかと思うのです。

*二四日 歴史の見方

私は最近お互いの歴史に対する態度の中に何か人間の醜さとかそういった裏の面を強調し過ぎる面があるのではないかと云う事が気に為っている。今日の姿を作っているのは歴史である。そして今後の歴史と云うものは我々が祖先が営々と努力を積み重ね前進してきた姿なり、子孫に残した遺産なりをどの様に受け取り生かすかによって変わってくるのである。そういう意味から歴史の長所短所其の儘を認識しいい面はどんどん伸ばしていかなくてはならない。興味本位にこれを扱うことなくもっと美しい面も同時に見るようにしたいと思うのである。

*二六日 冷静な態度

人間と云うものは誰しも困難に直面すると恐れたり動揺したりするものである。指導者としても人間だから時に不安を感じ思案に余るのは当然であろう。併し内心で感じても其れを軽々に態度に出してはいけない。指導者の態度に人は敏感なものである。其れはすぐ全員に伝わり全体の士気を低下させる事に為ってしまう。だから指導者たるものは日頃から事に当たって冷静さを失わない様自ら心を鍛えなければならない。そしてどんな難局に直面した場合でも落ち着いた態度で、それに対処するよう心掛ける事が究めて大切だと思うのである。

*二八日 身も心もそして財産も

人間将来の事は判らないけれども少なくとも今現在の貴方は入社した動機はどうであるにせよ、一応生涯をこの会社に託そうと決心して身も心も会社に打ち込んでいると思う。そこで更に一歩進んで自分の財産迄も打ち込めないものかどうか。例えば極端に言うと全財産を叩いて貴方の会社の株に換える様な心構えとしては会社と心中する位の気持ちであって欲しいと思うのである。そういう心構えで有れば必ずや仕事の成果と云うものは非常に上がるであろうし又そういう姿は会社からも高く評価されると思うのである。

*二九日 諫言を聞く

指導者が物事を進めていくに当って皆から色々な意見や情報を聞くのは当然の姿である。そしてその場合大事なのは自分にとって都合のいい事よりも寧ろ悪い事を多く聞く事である。つまり賞賛の言葉順調に進んでいる事柄についての情報よりも、ここはこうしなくてはいけないと云った諫言なり悪い点を指摘する情報を努めて聞くようにしなければならない。処がそうした情報は中々指導者の耳に入ってきにくいものだ。だから指導者は出来るだけそうした諫言なり悪い情報を求め皆が其れを伝え易い様な雰囲気を創る事が大切なのである。

松下幸之助のことば9月

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「宇宙根源の力は萬物を存在せしめそれら.が生成発展する源泉となるものでその力は自然の理法として我々お互いの体内にも脈々として働き一木一草の中までも生き生きと溢れている。」―運を開く言葉より

【九月の言葉】

*一日 苦難も又善し

わが国では毎年台風や集中豪雨で大きな水害を受ける処が少なくない。然し此れ迄の例から見ると大雨が降って川が溢れ街が流されてもうだめかと云えば必ずしもそうではない。数年も経てば被害を受けなかった街よりも却って綺麗に成り繁栄していることが屡々ある。勿論災難や厄難は無いに越したことは無いが思わ牟時に思わぬ事が起こってくる。だから苦難が其れも佳と云う心づもりを常に持ち安易に流されず凡に堕さず人一倍の知恵を絞り人一倍の働きを積み重ねてゆく事が大切だと思う

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

*五日 優しい心

あの人は何処となく豊かな感じのいい人であると云う場合、其れはその人の心がその人の動作に滲み出ているからだと思います。殊に私は女性の尊さと云うものは、矢張り親切な心の顕れている処にこそ本当の尊さと云うものがあるのではと云う感じがします。唯強いばかりではいけません。賢いばかりでもいけません。賢い強いと云う事も勿論大切ですがそれ以上に大事な事は、心の優しさなのです。此れは総てのものを溶かすとでも云う程の力があるのではないでしょうか。その力を失ってはならないと思うのです。

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

*十三日 商売と誠意

誠意に溢れ真剣な想いに満ちた行動は必ず人々の心を捉えずにはおきません。誠意を持って熱心に仕事に取り組んでいる人は常にこうしてはどうだろうかとかこの次にはこんな方法でお客さんに話してみようと云う様に工夫を凝らし色々効果的な方法を考えます。又同じことを説明するにしてもその話し方に自然に熱が籠り気迫が溢れます。そうするとお客さんの方でもその熱心さに打たれどうせ買うならこの人からと云う事に為ってくるわけです。そう云う日々の仕事の態度と云うものが、やがては大きな差となって表れてくるのではないでしょうか。

*十六日 一人の責任

会社が発展するのも失敗するのも結局は総て社長一人の責任ではないだろうか。と云うのは若し社長が東へ行けと云えば、いや私は西へ行きますと云って反対の方向へ行く社員はまずいないからである。殆どの社員は社長が東へ行こうと云えば皆東へ行く。だから東へ行けと云って若し間違ったとしたらそれは社長一人の責任に他ならない訳である。同じ様に一つの部一つの課が発展するかしないかは総て部長一人課長一人の責任である。私は今迄如何なる場合でもそう考えて自問自答しながら事を進める様努めて来た。

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

*二一日 中小企業は社会の基盤

私は中小企業というものは日本経済の基盤であり根幹であると思う。其れが健在であってこそ大企業も持ち味を生かす事が出来るし経済全体の繁栄も可能となる。と共に中小企業は単に経済に於いてだけでなく謂わば社会生活の基盤にもなるものだと思う。詰り色々な適性を持った人が其々に色とりどりの花を咲かす。そう云った社会の姿がより望ましいのであり其処に人間生活の喜びと云うものがあるのではないだろうか。その意味に於いて沢山の中小企業が其々に所を得て盛んな活動をしていると云う様な社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。

*二三日 永遠に消えないもの

高野山には沢山の墓があります。その中で一段と目立つ立派な墓は概ね大名の墓だそうですが、その大名の墓も今日では無縁仏に為っているものもあると云う事です。昔は相当の一家眷属を養い而も明治に為って更に華族として財産を保護されると云う状態が長く続いたにも拘らずそう云う変化があったと云う事を考えてみますと人間の儚さと云うものを身に滲みて感じます。矢張り世の中と云うのは形ではない。幾ら地位が有り財産が有っても其れは何時迄も続くものでは無い。結局永遠に消えないものはその人の心であり思想でありこの世で果たした業績である。そう思うのです。

*二六日 真剣に取り組む

大相撲は相変わらずの人気である。私はその勝負が一瞬の間に決まると云う処が好きである。力士の人達は其の一瞬の勝負の為に毎日朝早くから夜遅くまで、文字通り血の滲む様な鍛錬をし稽古に励んでいる。そしてその成果を土俵の上で一瞬の間に出し尽そうと云う訳だ。我々も今自分の担当している仕事を本業としてこれに打ち込んでいるだろうか。大相撲の人気と云うものの裏には日や稽古に励む力士の姿がある事を思って我々も亦自分の人生自分の本業と云うものに対して日々真剣に取り組んでゆきたいものである。

*二八日 組織や地位に捉われない

今日企業界各企業の間に於ける競争と云うものは非常に激烈なものがある。此の激しい競争に於いて瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に何としても先ず直接の上司に云わねばならないんだとか矢張り組織を通じて処理しなければ叱られるだとか言っていたのでは競争に負けて仕舞うような事もあろう。事の順序としては勿論直接の上司の人に先ず云うべきではあるけれども、どうしても急を要する場合は組織や地位に捉われず即刻処理してゆくことが大切だと思う。何か事ある時には全員が打てば響く様な素早さで活動しなければいけない。

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってく る。

ー飽く迄、個人としてのー

現在の政治家の皆様、素晴らしい頭の持ち主が揃っているのでしょうが、如何も一般庶民の目から見ると何となく、机上の空論的な施策が多いように感じます。飽く迄、個人の感想ですが・・・・
現 岸田首相も安岡正篤師の著作を勉強していますと堂々と述べていらっしゃいますが、一体何を学ばれたのでしょうか。と、首をかしげたくなるようなところも多々ある様に思います。飽く迄個人的な意見ですが・・・         

今回は、政治・公務を執り行うものにとって、忘れてはならない大切な事ではと思う文章を2,3、抜き書きしてみました。其れ位の事は心得ているという政治家の皆様も知識としてではなくもう一度、肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。飽く迄個人の意見ですが・・・

西郷隆盛遺訓より

一 廟堂に立ちて大政を爲すは天道を行ふものなれば、些とも私を挾みては濟まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈み、廣く賢人を選擧し、能く其職に任ふる人を擧げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆゑ眞に賢人と認る以上は、直に我が職を讓る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程國家に勳勞有る共、其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸祿を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるゝに付、然らば尚書(○書經)仲之誥(チュウキコウ)に「徳懋(サカ)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相配し、功と賞と相對するは此の義にて候ひしやと請問せしに、翁欣然として、其通りぞと申されき。

山本七平「人間集団における人望の研究」より

祥伝社1991.2.20初版  2015.6.20記

民を貴しとなし社稷は之に次ぎ君を軽しとなす この故に丘民(キュウミン-衆)に得られて天子となる 孟子-尽心章句下 

「天下の事を公にすと雖も若し私意を用いてこれを為さば便ちこれ私なり」      近思録 

人望の条件-九徳     書経より  

① 寛にして栗-カンニシテリツ‐寛大だがしまりがある

② 柔にして立‐ジュウニシテリツ‐柔和だが事が処理できる

③ 愿にして恭‐ゲンニシテキョウ‐慎みがあり丁寧

④ 乱にして敬‐ランニシテケイ‐事を治める能力があり敬虔

⑤ 擾にして毅‐ジョウニシテキ‐外柔内剛→易学 地天泰

⑥ 直にして温‐チョクニシテオン‐正直率直で温和

⑦ 簡にして廉‐カンニシテレン‐事に簡易だがしっかりしている

⑧ 剛にして塞‐ゴウニシテソク‐剛健にして裡は充実

⑨ 彊にして義‐キョウニシテギ‐剛勇だが義に正しい

百朝集―安岡正篤著 より

七二章 人心の正否

 郡夷競ひ来る。国家の大事とはいへども、深憂とするに足らず。深憂とすべきは人心の正しからざるなり。苟も人心だに正しければ、百死以て国を守る。其の間勝敗利鈍ありといへども、未だ遽(ニワ)かに国家を失ふに至らず。苟も人心先づ不正ならば、一戦を待たずして国家を挙げて夷に従ふに至るべし。然れば今日最も憂ふべきものは、人心の不正なるに非ずや。 吉田松陰「講孟余話」

本文は「孟子」滕文(トウブン)公章の「我亦正二人心息二邪説」云々の箇所を講ぜし所に在る。総じて策士俗人の目のつき易いところは形の上の事である。しかし真の志士先覚者は、其の精神如何をみる。機械兵制は末であり、人心が本である。本立たずして、どうして末の全きものがあろうか。根本たる人心が不正のままにいたならば、如何に法を厳にし、制度を整え、為政者が声を涸らして叱呼(シッコ)するも、効果の見るべきものはなかろう。おそるべく憂うべきは外敵ではない。ただ我等人々の心の正しからざるこそ深き憂であるのだ。されば松陰も「獄舎問答」中に「今の務むべきものは、民生を厚うし、民心を正しうし民をして生を養ひ死に喪して憾(ウラ)みなく、上を親しみ長に死して背くことなからしめんより先なるは無し。是を務めずして砲と云ひ艦と云ふ。砲艦未だ成らずして、疲弊之に随ひ、民心是に背く。策是れより失なるは無し」と云う所以である。再軍備論者もこれに注意せねばならぬ。

参考に昭和時代の首相の言葉から

次の言葉は、第64代・65代の首相を務めた田中角栄が大蔵大臣に就任した時の大蔵官僚への訓示の一説、此れだけの事を堂々と話せる大臣が果たして今の日本にいるのでしょうか。

「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室にきてほしい。何でも言ってくれ。上司の許可を得る必要はない。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。 」

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 発行所 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【二月の言葉】

*一日 苦しみを微笑みに変えて

悲しい事や辛い事があった時すぐ悲しんで辛がってちゃいけないんだよ。そう云う事があった時すぐに心に思わ占めねばならない事があるんだ。其れは何だと云うと総ての消極的な出来事は我々の心の状態が積極的に成るともう人間に敵対する力が無くなってくるものだと云う事。だからどんな場合にも心を明朗に一切の苦しみを微笑みに変えて往く様にしてご覧そうすると悲しい事辛い事の方から逃げていくから。

*四日 生命の強度を保つ

複雑多端なる人生に於いて常に多種多様の病的刺激や健康生活を破壊する障害が文化が進程色々と形を変えて増殖してくるのは必然である。唯漫然と我意の赴く儘に生活していれば刺激や障害に抵抗できず病弱になる。まして人間の生命は発育期間を過ぎれば年と共に衰退していくのは当然である。然しその衰退の速度を幾分でも緩和防止して活きてこそ聡明な人生態度だと云えるのだ。常に肉体生命の強度を積極化すべく訓練的の方法を持って生活する事である。

*六日 言葉を選択しよう

人間が人生に生きる場合に使う言葉を選択しなきゃ駄目なんですよ。一言一言に注意してもいい位いくら注意しても貴方方はヒョイと気付かずに消極的なことを言ってますぜ。兎に角習いは性でありますから人と口を聞く時でも参ったへこたれた助けてくれ困っちゃった何て事は云わない事。飽く迄も自分の心と云うものを颯爽溌溂たる状態にしておく為には今言った様な消極的な否定的な言葉は断然用いない事。

*七日 天風式クンバカハ法

腹が立つ事心配な事怖ろしい事、何かにつけて感情の刺激衝動を心に感じたらすぐ肛門を締めちまう。そしてお腹に力を込めると同時に肩を落としちまうんだ。この三か所がそうした状態にされた時に初めて感情や感覚の刺激衝動が、心には感じても神経系統に影響を与えないと云う所謂影響を減ずる効果がある。

*九日 考え方が人生を分かつ

心が積極か或は消極かで人生に対する考え方が全然両極端に相違してきてしまう。心が積極的であれば人生はどんな場合も明朗颯爽溌溂、勢いの満ち満ちたものになりますけれども反対に消極的だと、人生の総てがずっと勢いを失くしてしまいます。人生を考える自分の心が消極的だと総てが哀れ惨憺光の無い惨めなものに終わりゃしませんか。人生がたった一回である以上たった今からでも出来得る限り完全な状態で生化さなければいけません。

*十二日 生命の力

人生設計に絶対的に必要とする声明の力とはどんなものかと云うと次の六つに分類する事が出来る①体力②胆力③精力④能力⑤判断力➅断行力である。此の六つの力の何れかひとつでも欠乏しまた不完全であると、人生の根本理想は根底から覆される事になるのは必至であるのを見逃すことは出来ない。

*十四日 認識力の養成と自己統御

認識力の養成と云う事と自己統御と云う事は一体どんな関係があるのだろうか。是を簡単に説明すれば認識力を適当に涵養しないと心の固有する知覚作用が正確さを失い、その当然の帰結として正しい自覚とか或は悟りとか亦は第六感と云う様な、所謂高級意識に属する精神作用が低調に成り、牽いては完全な自己統御と云う事が充分よく行えなくなると云う人生に対する重大な事実があるのである。

*十八日 清濁併せ呑む寛容さ

例え自分自身の心が積極心になり得たとしても、自己の心の状態を基準にして他人の心を推し量る事が在っては絶対にいけない。より分かり易く言うと自分に対しては常に厳しくあらねばならないが、是を他人に押し付けてはいけないのである。即ち他人に対しては清濁併せ呑むと云う寛容さを持つ事である。若しもこれを失うと他人との勝ち負けに拘る心が瞬時に顕れて来て積極心の保持を妨害するからである。

*十九日 睡眠について

睡眠を真に催した時に睡眠し然らざる時には睡眠するべく無駄な努力を為さぬのが最も聡明である。色々の方法や手段を講じて無理にも眠ろうと彼是と種々の努力をしても中々思うように眠れないものである。其れは何とか眠ろうと焦れば焦る程神経が興奮する爲で、その上に懸る無駄な努力をすると勢力の二重疲労を将来する結果に陥るのである。

*二二日 悟りについて

悟りと云うのは自分の心が真理を感じたときの状態を言うのである。従って真理を自分の努力で自分の心で感じるのも人の悟りを耳から聞いて自分の心に受け入れるのも、受け入れ方に相違があるだけである。受け取って仕舞えばその結果は同じである。真理を受け入れる時の心の状態が悟りを開く上に密接な関係であるからこそ安定打坐で心を綺麗にさせているのである。

*二四日 私心無き言行

人と人との世界に活きるお互い人間はどんな場合にもお互いの間柄を天風教義のディクラレーション(宣言)にも宣言してある通り、常に如何なる場合にも偏りのない公平な美しい愛情と真の誠実さを心として、貴い思い遣りで助け合うと云う所謂文字通り親切本意で共に生きる事が最高の理想で有らねばならない。しかも其れを真に実現化するには要するに私心の無い言行が何を於いても必要とされる。

*二七日 内省検討

日常の人生を生きる際にどんな些細な人事世事に対しても、今現在の自分の心は積極的かしらん消極的かしらんと云う事を厳格に第三者の心になって、常に検討することが必要なのであります。そして少しでも自分の心の中に消極的なものを感じたならば断然それを心の中から追い出してしまわなければいけない。己の心の中にあるものは己の心を明るく朗らかにするもの已と云う心掛けが必要なんです。

*二八日 不平不満を口にしない

どんな場合があっても不平不満を口にしない事。此の不平不満がここの中にあるとどうしてもその言葉が積極的に成りません。不平不満のある人は始終上ばかり見て舌を見ないでいる。傍は皆幸福で自分だけがこの世の中で一番不幸な人間のように考えている。この考え方から出てくる言葉は必ず未練で有愚痴でありもう価値のない世迷言だけである。

一日一話 松下幸之助

四月の言葉

高砂の尾上の桜咲きにけり
外山のかすみ立たずもあらなむ         権中納言匡房

二日 人間はダイヤモンドの原石

私はお互い人間はダイヤモンドの原石の如きものだと考えている。ダイヤモンドの原石は磨くことに拠って光を放つ。しかも其れは磨き方如何カットの仕方如何で、様々に異なる燦然とした輝きを放つのである。同様に人間は誰もが夫々に光る様々な素晴らしい素質を持っている。だか       ら人を育て活かすに中っても先ずそういう人間の本質と云うものを能く認識し其々の人が持っている優れた素質が活きる様な配慮をしていく。それが矢張り基本ではないか。もしそういう認   識が無ければ幾ら良き人材があってもその人を活かすことは難しいと思う。

  • 今日は週刊誌の日
  • memo-素質の発見

*八日 魂を入れた教育(事業は人なりと云われるように人材の育成という事は非常に大切だと思います。最近ではどこの会社でも商店でも従業員教育の制度や組織を設けたりして教育に力を入れているようですが、やはり何よりも大切なのはその教育に云わば魂を入れることだと思うのです。つまり経営者也店主の人格の反映と云うものが其処になくてはならないと云うことです其れは言い換えれば経営者なり店主が働きに於いて模範的であること熱心であるという事です。経営者店主にそうしたものがあれば自然に従業員にも反映して、従業員の模範的な働きが生まれ人が育ってくると思うのです。

  • 今日は花祭りの日(釈迦誕生)
  •  Memo-模範・率先垂範の心

*九日 国民の良識を高める

民主主義の国家として一番大事なものは矢張りその民主主義を支えてゆくに相応しい良識が国民に養われているという事でしょう。さもなければその社会は所謂勝手主義に陥って収拾のつかない混乱も起こりかねないと思います。ですから国民お互いが夫々に社会の在り方人間の在り方について高度な良識を養っていかなければなりません。国民の良識の高まりと云う裏付けがあって初めて民主主義は花を咲かせるのです。民主主義の国にもし良識と云う水をやらなかったならば立派な花は咲かず却って変な花醜い姿のものになってしまうでしょう。

  • 今日は大仏の日 
  • Memoー政治家の責任

*十四日 知識は道具知恵は人

知識と知恵如何にも同じもののように考えられる可もしれない。けれどもよく考えてみるとこの二つは別物ではないかと云う気がする。つまり知識というのはある物事について知っているという事であるが、知恵と云うのは何が正しいかを知ると云うか所謂是非を判断するものではないかと思う。言い換えれば仮に知識を道具に譬えるならば知恵は其れを使う人そのものだと云えよう。お互い知識を高めると同時に其れを活用する知恵をより一層磨き高めてゆきたい。そうして始めて真に快適な共同生活を営む道も開けてくるのではないかと思うのである。

  • 1912年タイタニック事故(14日氷山激突・15日沈没) 
  • 2016年(H28)熊本大地震
  • 今日はオレンジデー
  • Memo―般若波羅蜜多

*十七日 人を惹きつける魅力を持つ

指導者にとって極めて望ましい事は人を惹きつける魅力を持つという事だと思う。指導者にこの人の爲なら・・と感じさせるような魅力があれば期せずして人が集まりまたその下で懸命に働くという事にもなろう。もっともそうは云ってもそうした魅力的な人柄と云うものはある程度先天的な面もあって、誰もが身につける事は難しいかも知れない。併し人情の機微に通じるとか人を大事にするとか云ったことも努力次第で一つの魅力ともなろう。何れにしても指導者は惹きつける魅力の大切さを知りそう云うものを養い高めていくことが望ましいと思う。

  • 2016年(H28)熊本地震発生M7.3被害甚大
  • 今日は恐竜の日
  • Memo-人情に通じる

*二十日 信頼すれば・・・

人を使うコツは色々あるだろうが先ず大事な事は人を信頼し思い切って仕事を任せる事である。信頼され任されればん瓶嚴は嬉しいしそれだけ責任も感じる。だから自分なりに色々工夫もし努力もしてその責任を全うしていこうとする。言ってみれば信頼されることによってその人の力がフルに発揮されてくる譯である。実際には100%人を信頼してする事は難しいもので其処に任せて果たして大丈夫かと云う不安も起こってこよう。併し例えその信頼を裏切られても本望だと云うぐらいの気持ちがあれば案外に人は信頼に背かないものである。

  • 2017年(H29)福岡駅前白昼強盗3億8千万強奪事件  
  • 今日は郵政記念日
  • memo-信頼力

*二一日 しつける

日本人は頭もよく素質も決して劣っていない。だから何がいいか悪いかぐらいは百も承知して要る筈であるが、さてそれが行動になって表れたりすると忽ち電車に乗るのに列を乱したり公園や名所旧跡を汚したりしてしまう。やはりこれはお互いに躾が足りないからではないかと思う。幾ら頭で知っていてもそれが子供の時から躾られていないと何時まで経っても人間らしい振舞が自然に出てこない。つまり折角の知識も躾に拠って身に着いていないとその人の身だしなみも好くならず結局社会人として共に暮らす事が出来なくなってくるのである。

  • 1975年(S50)大分地震M6.4
  • 今日は民放の日 
  • Memo-徳育の重要性を認識する

*二三日 目標を与える

指導者にとって必要なことは目標を与える事である。指導者自身は特別な知識とか技能は持っていなくてもよい。其れは専門家を使えばいいのである。併し目標を与えるのは指導者の仕事である。其れは他の誰がやってくれるものでもない。勿論その目標自体適切なものでなければならないのは当然である。だからその爲には指導者はそう言う目標を生むような哲学見識と云うものを日頃から養わなくてはならない。自分の哲学なり体験に基づいてその時々に応じた適切な目標を次々と与える。指導者はそのことを的確にやれば後は寝ていてもいい程である。

  • 今日は著作権デー
  • Memo-2010年3/12NHKラジオ監督の仕事➡
  • (日本女子バレーチーム)目標設定・キャスティング・リズム・タイミング

*二六日 知識を活用する訓練

松下政経塾には優秀な先生方の講師として来て貰う訳ですが普通の学校の様な授業はやらない。先ず学生が質問をして其れを先生に答えて貰う形式をとる。質問するものがなかったなら先生は何も言ってくれないと云うようにしたいんです。質問をする為には疑問を持たなければならない。疑問を持つに至る迄の勉強は自分で遣らなければ為らないと云う訳です。つまり知識を与えるのではなく持っている知識を活用する能力を育てていく訓練を重ねて自分の考えを堂々と主張できるような人間になってもらいたいという願いを持っているのです。

  • 1896年(S61)ロシアチェルノブイリ原発事故
  • 今日は世界知的所有権の日
  • memo―質問力=理解力

*二七日 賢人ばかりでは

世の中は賢人が揃っておれば万事上手くいくと云うものでは決してありません。賢人は一人いればそれで十分なんです。更に準賢人が三人準準賢人が四人くらい。そんな具合に人が集まれば上々でしょう。賢人ばかりですと議論倒れで一向に仕事が捗らないと云ったようなことに為りがちです。一つの実例を挙げればある会社で三人の立派な人物がお互いに協力し合って居た筈なのにどうも上手くいかない。そこで一人を抜いてみた。すると残る二人の仲がピタッとあって非常に上手く行きぬかれた人物も他の分野で成功した。そこなことがよくあるものなのです。

  • 今日は哲学の日
  • 2010年(H22)凶悪犯罪の時効撤廃

*三一日 道は無限にある

お互い人間と云うものは常に自ら新しいものを呼び起こしつつ為すべきことを成していくと云う態度を忘れてはならないと思います。

お互いが日々の生活、仕事の上に於いてそういう心構えを持ち続ける限り、一年前と今日の姿には自ずと其処に変化が生まれてくるでしょうし、又一年先五年先には更に新たな姿、仕事の進め方が生まれ個人にしろ事業にしろ其処に大きな進歩向上が見られるでしょう。大切なことはそう言うことを強く感じて熱意を持って事に当ると云う姿勢だと思います。そうすれば当に道は無限にあると云う感じがします。

  • 今日はオーケストラの日
  • Memo‐姿勢の在り方 融通無碍

*三十日 困難から力が生まれる

人間と云うものは恵まれた順境が続けばどうしても知らず識らずの裡に其れに馴れて安易に成り易い。昔から治にいて乱を忘れずという事が言われ其れを究めて大切な心構えであるけれどもそういう事が本当に100%出来る人は恐らくいない。やはりどんな立派なな人でも無事泰平な状態が続けば遂安易になる。安心感が生じ進歩が止まってしまう。それが困難に出会い逆境に陥ると其処で目覚める。気持ちを引き締めて事に当たる。其処から順調な時に出なかった様な知恵が湧き考えつかなかった事を考え着く。画期的な進歩革新も初めて生まれてくる。

  • 今日は図書館記念日 
  • 2019年(H31)平成天皇退位
  • 百朝集39真の幸不幸➡逆境の捉え方

今月で丁度、[一日一話」は丸一年を経過致しました。引き続き松下幸之助翁のことばを、著書の中から選んでアップしてい行く予定にしています。