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松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「感謝の心をわすれてはならない。感謝の心があってはじめてものを大切にする気持ちも人に対する謙虚さも生きる喜びも生まれてくる。」―人生心得帖よりー

【七月の言葉】

*一日 素直な心の初段

聞く処によると碁を習っている人は大体一万回ぐらい碁を打てば初段に為れると云う事です。素直な心の場合も其れと同じ様な事が言えるのではないかと思います。先ず素直な心になりたいと朝夕心に思い浮かべ、そうして絶えず日常の行いに捉われた態度がなかったかを反省する。そういう姿を一年二年と続けて一万回約三十年を経たならば、やがては素直の初段とも云うべき段階に到達する事も出来るのではないかと思うのです。素直の初段にもなったならば先ず一人前な心と云えるでしょう。だから大体に於いて過ち無き判断や行動が出来るようになってくると思います。

*三日 是を是とし非を非とする

兎角人間と云うものは物事を数の大小や力の強弱と云った事で判断しがちである。そういう事を中心に考えた方がいいと云う場合もあるだろう。然しそれは日常の事と云うか謂わば小事について云える事では無いだろうか。大事に決するに当たってはそうした利害損得と云ったものを超越し何が正しいかと云う観点に立って判断しなくては事を誤ってしまう。其れが出来ると云う事が指導者としての見識だと思うのである。兎角長い物には巻かれろ的な風潮の強い昨今だけに指導者には斯うした是を是とし非を非とする見識が強く望まれる。

*五日 責任を生甲斐に

人は成長するに連れて段々その責任が重くなってきます。そして成人に達すると法律的にもはっきり少年の頃とは違った責任を問われます。又次第に高い地位に就くようになると其れだけ責任が重くなります。併し人は元々責任を問われる処に人としての価値があるのだと思います。責任を問われることが大きければ大きい程其れだけ価値が高いと云う事が言えましょう。ですから責任を問われる処に生甲斐も有ろうと云うものです。責任を背負いその事に生甲斐を覚えないとしたら年齢は20歳をどれだけ過ぎようと一人前の人ではありません。

*七日 信ずる事と理解する事

繁栄平和幸福をより早くより大きく生む爲には信ずる事と理解する事-この二つを全うしてゆかねばなりません。と云うのは信を誤らない為には理解を正しく働さなければなりません。

理解を捨てると迷信に陥り易く復理解だけで信ずる心が無ければ信念に弱さを生じてしまうからです。では信斗解を全うしてゆくにどうすればよいか。其れには先ず素直な心に為る事です。正しい理解も素直な心から生まれてきますし信ずる事も素直な心から高まってくると思います。心が素直であって信と解が共に高まればあらゆる場合に適切な働きが出来るようになると思います。

*十日 大人の責任

現代の青年は夢がないとか生甲斐を見失っているとかいうけれども、其れは青年自身の問題ばかりでなく社会の問題大人の問題とも云えるのではないだろうか。つまり大人と云うか其國その政治が青年達に生甲斐を持たすようにしていない。夢を与えていない。使命感を与えていないのである。例えば同じ仕事をするにしても其事の意義とか価値と云うものを、はっきりと自覚させられ教えられていないから迷ったり不平を持って、やがては現代の社会を呪う様にもなる訳であろう。其処に今日の日本の根本の問題があるのではないかと思う

*十一日 礼儀作法は潤滑油

私は礼儀作法と云うものは決して堅苦しい物でも単なる形式でもないと思います。其れは云わば社会生活における潤滑油の様なものと云えるのではないでしょうか。職場では性格や年齢物の考え方等色々な面で異なる人々が相寄って仕事をしています。そのお互いの間を滑らかに動かす役割を果たすのが礼儀作法だと思うのです。ですから礼儀作法と云うものは当然心の籠ったものでなければなりませんが、心に思っているだけでは潤滑油とはなりません。やはり形に表し相手に伝わり易くし心と形の両面が相俟った適切な礼儀作法であってこそ初めて生きてくると思うのです。

*十二日 自らを掴かむ

人其々顔形が違う様に人間には誰しも一人一人違った素養才能を持っている。唯其れは顔を鏡に映す如くには表面に出にくい。併しそう云う自分の素質とか才能と云うものを自分ではっきりと掴み、そして日々の活動に牽いては人生に活かす事が出来たらどれだけ人間としての喜びに満ちた生活が営まれ、人生の妙味と云うものを味わう事が出来るだろうか。一人一人が他と違ったものを持ちそして日々新たに発展していく。其処には苦しみもあろうが何ものにも代えがたい喜びもある筈である。

*十三日 世論を超える

一般に指導者と云うものは世論と云うか多数の意見を大切にしなくてはいけない。世論に耳を傾けず自分一個の範dんで事を進めて行けば往々にして独断に陥り過ちを犯す事に為ってしまう。けれども其れは飽く迄平常の事である。非常の場合には其れだけでは処し切れない面も出てくる。そういう場合には指導者は世論を超えてより高い知恵を生み出さなくてはいけない。常は世論を大切にし世論を尊重しつつも非常の場合には敢えて其れに反してもより正しい事を行う。其れが出来ない指導者ではいけないと思う。

*十六日 仕事は無限にある

この頃不景気で仕事がないと云うけれども今後百年の日本というものを考えてみると、その間に日本の建物と云う建物は殆ど作り直さなければならなくなるだろう。橋や道路も同じである。そう云う事を考えてみただけでも仕事は云わば無限困る程にあるのである。処がそう云う見方をせずに自ら仕事が無い様にし不景気にしているのが今の日本の実情ではないだろうか。是は物の見方を変えないといけない発想の転換をしなければいけないと云う事である。そうしてこそ初めて我が国に無限の仕事がある事が判るのである。

*十七日 自他相愛の精神

個人と個人との争い国と国との争いは、相手を傷つけ更には社会全体世界全体を混乱させる。そういう争いの大きな原因は自他相愛の精神と云うか、自分を愛するように他人を愛し自国を愛するように他国を愛する精神の欠如によるものであろう。そういう精神の大切さは昔から色々な教えに拠って説かれてい乍ら未だに争いが絶えないのは人々が此の事をの大切さを真に悟っておらずその精神に徹していないからだと思う。争いは自らをも傷つけると云う事を身を持って師利人類に平和を齎す為に力を合わせて行く事が肝要である。

*二一日 世間は神の如きもの

事業が大きくなってくると仕事も段々と複雑になって其処に色々な問題が起こってくる。私はこの問題をどう考えどう解釈すべきかと日々の必要に迫られて、その解決策の根本を求めていくうちに世間は神の如きも、の自分のした事が当を得ていると世間は必ず是を受け入れてくれるに違いないとう考えに行きついた。正しい仕事をしていれば悩みは起こらない。悩みがあれば自分のやり方を変えればよい。世間の見方は正しい。だからこの正しい世間と共に懸命に仕事をしていこう、こう考えているのである。

*二二日 河豚の毒でも

今日の我が国では折角いいものが発明されても其れに万に一つでも欠陥があれば、もうそれで其の物は全て駄目としてしまうような傾向が強い様に思われます。其れは云ってみればフグの毒を発見してフグを食べるのを一切やめてしまう様なものだと思います。科学技術が非常に進歩した今日に生きる私達は河豚の安全な調理に成功した昔の人に笑われない様、物事を前向きに考え折角の科学技術の成果を十分に活用できるだけの知恵を更に養い高めて行く事が必要ではないかと思います。其処に人間としての一つの大きな使命があるのではないかと思うのです。

*二四日 利害を超える

ある日私の処に自分の会社で造る製品の販売を引き受けて貰えないかと云う話を持ってこられた人がいた。私は色々と其の人の話を聞いてみてこの人は偉い人だなと思った。普通であれば自分に出来るだけ有利に為る様交渉する。其れが謂わば当たり前である。ところがその人は全てを任せるという自分の利害を超越した態度を取られた。私はその態度に感激し心を打たれた。我々はともすれば自分の利害を中心にものを考える。是は当然の姿かもしれない。然しそれだけに其れを超越した様な姿に対しては心を動かされる。是もまた人間としての一つの姿ではないか。

*二六日 経営にも素直な心が

成功する経営者と失敗する経営者の間にある大きな違いは、私心に捉われず公の心でどの程度ものを見る事が出来るかと云う事にあると思います。私心つまり私的欲望によって経営を行う経営者は必ず失敗します。私的欲望に打ち勝つ経営者であってこそ事業に隆々たる繁栄発展を齎す事が出来ると思うのです。私の欲望に捉われず公の欲望を優先させると云う事は、言葉を替えれば素直な心に為ると云う事です。その様に私心に捉われず素直な心で物事を見る事が出来るように、自らを常に顧み戒める事が大切だと思います。

*二七日 人間の幸せの為の政治

私達が決して忘れてならない事は政治は結局お互い人間の幸せを高める為にあると云う事です。過去に於いては多くの人々が政治に拠って苦しめられお互いの血を血を洗うと云う事もありました。併しそうした好ましくない姿は政治の本来の姿ではない。政治は本来お互い人間の其々の活動をスムーズに進める事が出来るようにするものです。それらの調整調和を図り共同生活の向上を計って、一人一人の幸せを生み高める事こそをその使命としているのです。此の政治は本来人間の幸せの為にあると云う事を私達は先ず正しく認識し合う必要があると思います。

*二九日 力の限度にあった仕事を

二・三人の人を使っての個人企業の経営者としては立派に成績を上げたけれども十人・二十人と人が増えてはもう遣っていけないと云う人も有ろう。此の事は一人経営者についてだけでなく部とか課の責任者、更には一人一人の社員が仕事と取り組む上での心構えと云った点で大事な教訓を含んでいると思う。其れは一言でいえばお互いが自分の能力を知り其の上に立って、自己の適性と云うか力の限度にあった仕事をしていかねばならないと云う事である。自分の能力を常に検討し適性に合った仕事をしていくという事に為ってこそ、自分自身惹いては会社や世の中にも貢献する事が出来ると思うのである。

*三一日 自分自身への説得

説得と云うものは他人に対するものばかりとは限らない。自分自身に対して説得する事が必要な場合もある。自分の心を励まし勇気を奮い起こさねばならない場合もあろうし、又自分の心を抑えて辛抱しなければならない場合もあろう。そうした際には自分自身への説得が必要になってくる譯である。私が此れ迄自分自身への説得を色々してきた中で今でも大雪ではないかと思う事の一つは自分は運が強いと自分に言い聞かせる事である。本当は弱いかわからない。併し自分自身を説得して強いと信じさせるのである。そう云う事が私は非常に大事ではないかと思う。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「宇宙根源の力は萬物を存在せしめそれら.が生成発展する源泉となるものでその力は自然の理法として我々お互いの体内にも脈々として働き一木一草の中までも生き生きと溢れている。」―運を開く言葉よりー

【六月の言葉】

*二日 主座を保つ

指導者と云うものはどんな時でも、自分自らこの様にしよう・こうしたいと云うものは持っていなくてはならない。そういうものを持った上で他人の意見を参考として取り入れる事が大事なのであって、自分の考えを持たずして只他人の意見に随うと云うだけなら、指導者としての意味はなくなってしまう。要は指導者としての主体性というか主座と云うものを確り持たなくてはいけないという事である。主座を保ちつつ他人の意見を聞きある種の権威を活用していく。そういう指導者であって初めてそれらを真に活かす事が出来るのだと思う。

*三日 自然に学ぶ

自然の営みには私心も無ければ捉われもないと思います。言ってみれば文字通り素直に物事が運び素直な形で一切が推移していると思うのです。一輪の草花にしても私心無く自然に花を咲かせているのです。そういった花の姿を見て勿論何も感じない人もいるでしょう。併し素直な心になりたいという強い願いを持っている人の場合には或は其処に何らかのヒントを見出すかもしれません。そういうことを考えてみるとお互いが素直な心を養っていく爲の一つの実践として大自然の営み自然の姿と云うものに触れてその素直さに学んでいくという事も大切だと思います。

*五日 商道徳とは

商道徳とは何かという事については難しい理屈もあるかもしれませんが極通俗的に考えれば、商売人としての心構えとでもいうべきものであろう。其れは昔も今も同じであり永遠に変わらないものの様な気がする。つまり商売人には商売人としての使命がある。だからその使命に誠実に従い只管此れを果たして行くという事である。私がやってきた電気屋であれば人々の役に立つものを開発する。しかも合理化を図り適正な利益を取りつつも尚安くなるよう努める。又配給も出来るだけ無駄をなくす。其れが商道徳と云うものでそれは他のどんな商売にも言えるのではないかと思う。

*六日 何事も結構

私は運命と云うものは不思議なものだと思います。人は皆夫々志を立てるのですが中々思い通りに行かないし実現しにくい。希望とは逆の道が自分にぴったり合って成功する場合もあるのです。だから私は余り一つの事をくよくよ気にしない方がいいのではないかと思います。世の中で自分が判っているのは一%程で後は暗中模索。始めから何もわからないと思えば気も楽でしょう。兎に角人間には様々な姿があっていいと思うのです。恵まれた生活も結構だし恵まれない暮らしも結構と云う気持ちが大切だと思います。

*八日 富の本質

時代によってと身に着いての考え方も変わってきます。これ迄は単に蓄積された物がと富と考えてきましたが経済の進歩した今日では。その物を生産し得る能力生産力こそが真の富とも考えられます。それでは生産力だけを増やせばいいかと云うと決してそうではありません。生産は必ず消費に相応じなければなりません。幾ら生産してもそれが消費されなければ何の値打ちも持ちません。即ち消費力があればこそ生産力があるのです。従って生産力と消費力のバランスをとりつつ増大させて行く事が富の増大で有り、繁栄の道も其処から生まれてくると云えるのではないでしょうか。

*九日 苦労を希望に還る

仕事のコツを体得するということは決して楽な業ではないと思います。相当精魂を込めてやらなければならないと思うのです。其れは矢張り一つの苦労だと考えられます。然し苦労であっても其れを遣らなければ一人前に成れないのだという事を青少年の間から、常に先輩に聞かされていますと其れは苦痛ではなくなってくるのです。其れは希望に変わるのです。ですからそのコツを体得する事に対して精魂を傾けるという事が出来てくると思います。その様に色々難しい問題にも心を励まして取り組んでいく処に自己の完成と云うか自己の鍛えがあると私は思います。

*十一日 小田原評定では

多くの会社では決起大会をやり反省すべき点や今後の目標を確認し合います。然しそれも斯うしなければならないという事がわかったと云うだけではいけない。実行が無ければいけません。実行が出来ない限りは百の決起大会を行っても其れは費用を使うだけ時間を使うだけに終わって仕舞います。昔の話に小田原評定という事があります。大群が攻めてくるという事に対して小田原城の人は評定に明け表情の暮れて遂に負けてしまったと云う話です。其れではいけない。評定は一回でよい後は実行だ。そうしてこそ初めて成果が挙げられるのです。一にも実行に二も実行です。

*十三日 寛厳宜しきを得る

指導者は所謂寛厳宜しきを得る事が出来る様心掛ける事が大事だと思う。優しいばかりでは人々は安易に成り成長しない。厳しさ一方でも畏縮してしまい伸び伸びと自主性を持ってやると云う姿が生まれてこない。だから寛厳宜しきを得る事が大切な訳であるが只これは厳しさと寛容さを半々に表すと云う事ではない。厳しさと云うものは為るべく少ない方がいい。二十%の厳しさと八十%の寛容さを持つとか更には十%は厳しいが後の九十%は緩やかである然しそれで十分人が使えると云う様な事が一番望ましいのではないだろうか。

*十五日 批判は後でよい

賢い人は伴すれば批判が先に立って目前の仕事に没入しきれない事が多い。此の為折角優れた頭脳と知恵を持ちながら批判ばかりして結局は簡単な仕事も満足に出来ない事がある。処が逆に人が見れば詰らないと思われるような仕事にもバカの一つ覚えと云われるぐらいに全身全霊を打ち込む人がいる。此の姿は全く尊く見ていても頭が下がる。仕事に成功するかしないかは第二の事、要は没入する事である。批判は後でよい。兎に角一心不乱に成る事だ。斯うした努力は必ず実を結ぶと思う。其処からものが生まれずして一体どこから生まれよう。

*十六日常識を破る

私達を取り囲んでいる常識と云うものは想像を遥かに越す根強さを持っています。併し私達はその常識を尊ぶと共に時には常識から自分を解放する事が必要だと思います。そして其の為にはやはり強い熱意が要請されます。熱意の滾って居る処、人は必ず新しい道を開きます。常識では考えられない事を遣ってのけ運命を切り開き新しい発明発見をします。常識を破るのです。常識は大事でありやぶるが為に常識外れた事をするのは、世の中を乱し周囲に迷惑を及ぼすだけです。そうではなくて熱意の発する処には次々と新しい着想が生まれ必然的に常識が破られていくのです

*十九日 美と醜

私の自宅の近くに水のきれいな池がある。水面に周囲の樹々の姿を映し誠に風情がある。処がこの池が一頃雨が降らなくて底の大半を露出してしまう迄になった。移すべき何物も無く醜い底を露呈するばかりである。美の半面には醜があるーそんな思いである。お互い人間も是と同じ事ではなかろうか。美と醜とが相表裏している処に人間の真実がある。とすれば美の面の巳に捉われてその反面の醜を責めるに急なのは人間の真実と云うものを知らないものである。温かい寛容の心を持って接し合う事がお互いに明るく暮らす為の一番大事な事ではなかろうか。

*二十日 言うべき事を言う

部下を持つ人は自分一人だけの職務を全うすればいいのではなく、部下とともに仕事の成果全体を高めていかなくてはなりません。其の為には矢張り部下に対して誠意を持っていうべきことを言い導くべきことは導いていくことが大切です。注意すべき時に注意したら文句を言ってうるさいからと云う様な事を考えて云わずに放っておくと云う様な事ではいけません。部下が為すべき事は矢張り毅然として要求し、そしてそれを推進していくと云う事に対しては断固としてやらなければならない。そういうことをしない上司は部下は却って頼りなさを感じるものです。

*二二日 知識はあっても

先般あるお店で金庫の扉がガス溶接機で焼き切られて中から金を盗まれたと云う事件がありました。ガス溶接の知識を利用して扉を溶かした訳です。そういう泥棒がいるのです。都筑は幾ら持っていても人間の心即ち良心が養われなければ、そういう悪い方面に心が働き知識は却って仇を為すと云う様な感じがします。今日新しい知識が無ければ生活に事欠くと云う位知識は大事なものです。其れだけに知識に相応しい人間人心と云うものを育てる事が非常に必要な事ではないかと思うのです。

*二四日 歴史の見方

私は最近お互いの歴史に対する態度の中に何か人間の醜さとかそういった裏の面を強調し過ぎる面があるのではないかと云う事が気に為っている。今日の姿を作っているのは歴史である。そして今後の歴史と云うものは我々が祖先が営々と努力を積み重ね前進してきた姿なり、子孫に残した遺産なりをどの様に受け取り生かすかによって変わってくるのである。そういう意味から歴史の長所短所其の儘を認識しいい面はどんどん伸ばしていかなくてはならない。興味本位にこれを扱うことなくもっと美しい面も同時に見るようにしたいと思うのである。

*二六日 冷静な態度

人間と云うものは誰しも困難に直面すると恐れたり動揺したりするものである。指導者としても人間だから時に不安を感じ思案に余るのは当然であろう。併し内心で感じても其れを軽々に態度に出してはいけない。指導者の態度に人は敏感なものである。其れはすぐ全員に伝わり全体の士気を低下させる事に為ってしまう。だから指導者たるものは日頃から事に当たって冷静さを失わない様自ら心を鍛えなければならない。そしてどんな難局に直面した場合でも落ち着いた態度で、それに対処するよう心掛ける事が究めて大切だと思うのである。

*二八日 身も心もそして財産も

人間将来の事は判らないけれども少なくとも今現在の貴方は入社した動機はどうであるにせよ、一応生涯をこの会社に託そうと決心して身も心も会社に打ち込んでいると思う。そこで更に一歩進んで自分の財産迄も打ち込めないものかどうか。例えば極端に言うと全財産を叩いて貴方の会社の株に換える様な心構えとしては会社と心中する位の気持ちであって欲しいと思うのである。そういう心構えで有れば必ずや仕事の成果と云うものは非常に上がるであろうし又そういう姿は会社からも高く評価されると思うのである。

*二九日 諫言を聞く

指導者が物事を進めていくに当って皆から色々な意見や情報を聞くのは当然の姿である。そしてその場合大事なのは自分にとって都合のいい事よりも寧ろ悪い事を多く聞く事である。つまり賞賛の言葉順調に進んでいる事柄についての情報よりも、ここはこうしなくてはいけないと云った諫言なり悪い点を指摘する情報を努めて聞くようにしなければならない。処がそうした情報は中々指導者の耳に入ってきにくいものだ。だから指導者は出来るだけそうした諫言なり悪い情報を求め皆が其れを伝え易い様な雰囲気を創る事が大切なのである。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「運に対して一定の信念を持っていなければならない、それが自分に対する自信に繋がっていく。運は創るというか育てていくもの。運というものは人間にとって大変必要なものですよ。謂わば自己形成の大きな原料です。」―運を開く言葉よりー

【五月の言葉】

*二日 カメの歩みの如く

亀の歩みと云うのは一見鈍間の様だが私は結局はこの焦らず騒がず自分のペースで着実に歩むと云うのが一番良いのではないかと思う。手堅く歩むから力が培養されてゆく。逆にパッとやればどうしても手堅さに欠けるから欠陥も出てくる後で後戻りをしなければならない事も起こってくる。兎の駆け足では息が切れる。と云って速足でもまだ早い。一番いいのは矢張り並足でカメの如く一歩一歩着実に歩む事ではないかと思う。人生航路だけではない事業経営の上でも大きくは国家経営の上に於いても同様であろう。

*三日 法律は国民自身の為に

民主主義の政治の元に於ける法律は国民お互いの暮らしを守り、夫々の活動の成果を得易くし一人一人の幸せを生み高めていく処に究極の目的なり存在意義があるのだと思います。言ってみれば国民が国民自身の幸せを実現して行く為に自ら法律を制定すると云う仕組みになって要る訳です。従って国民お互いがこういう法律を軽視し無視するような姿が仮にあるとするならば、それは云わば自分自身を軽んじ自分の尊厳を失う事にも通じると思います。其事をお互い国民は正しく認識し合い法律を常に正しく守りあってゆく事が肝要だと思います。

*五日 断絶はない

最近の若い人たちの考え方が変わってきていると云えば変わってきている。そしてそこから断絶と云う受け止め方も出てくるけれども大人と若い人の間には何時の時代でもある程度の隔たりはあった訳である。併し其れは考え方の違いであり断然とは考えられない。それを何か断絶と云う言葉に踊らされて大人が言うべき事も言わないと云うのは非常に良くない事だと思う。断絶と云う言葉で自ら離れてしまってはいけない。断絶はない。併し青年と中年老人とでは自ずと考え方が違う。永遠にそうなんだと考え其れを調和して行く処に双方の努力と義務があると思う。

*七日 自らを教育する

人間の教育には勿論立派な校舎も必要で有環境も必要でしょうが其れ已に頼っていてはならないと思うのです。行政の充実により成程環境は段々良くなってくるでしょう。併しそういう環境が作られたとしましてもその中で其々の人が自らを処して自らを教育してゆく。自問自答しつつより高きものに為って往く事を怠っては決して立派な人間は生まれてこないと思うのです。今日より明日、明日より明後日と自らを高めてゆく処に人間の成長があり復其処から立派な人間が生まれてくるのではないでしょうか。

*九日 衆知を集める経営

会社の経営は矢張り衆知に拠らなければいけません。何といっても全員が経営に思いを致さなければ決してその会社は上手く行かないと思うのです。社長が如何に鋭い卓抜な手腕力量社長一人でかずして自分独りだけの裁断で事を決することは会社の経営を過つものだと思います。世間一般では非常に優れた一人のワンマンで経営すれば事が上手く行くという事をよく言いますが、社長一人で事を遂行する事は出来ませんし例え出来ても其れは失敗に終わるだろうと思います。やはり全員の総意に拠って如何に為すべきかを考えねばならないと思うのです。

*十日 熱意あれば

人の上に立つ指導者管理者としての要諦というものは色々考えられるけれども、その中でも最も大事なものの一つは熱意ではないかと思う。非常に知恵才覚に於いて人に優れた首脳者であってもこの会社を経営しようという事に熱意が無ければその下にいる人も。この人の下では大いに働こうという気分に成り難いのではないだろうか。そうなっては折角の知恵才覚も無きに等しいものに為ってしまう。自らは他に何も持っていなくても熱意さえ保持していれば知恵ある人は知恵を力ある人は力を才覚ある人は才覚をだしてそれぞれに協力してくれるだろう。

*十一日 気分の波を掴まえる

人間と云うものは気分が大事です。気分が腐っていると立派な知恵才覚を持っている人でも其れを十分に生かせません。又別に悲観するようなことで無くても悲観し益々気分が縮んでいきます。併し気分が非常にいいと今迄気付かなかった事を考え就き段々と活動力が増して来ます。私は人間の心程妙なるものはないと思います。非常に変化性があるのです。此れが付け目と云うか考えなければならない点だと思います。そういう変化性があるから努力すれば努力するだけの甲斐がある訳です。そういう人間の心の動きの意外性と云うものをお互い掴むことが大事だと思うのです。

*十五日 業界の信用を高める

どんな商売もそうでしょうが自分ぽ店が発展繁栄していくには、そのお店の属している業界全体が常に健全で世間の人々から信用されていることが非常に大事だと思います。もしそうではなく業界の中に不健全な店が多ければあの業界はダメだ信用できないと云うことに為って、その業界に属する個々の店も同じ様な評価を世間から受け商売は成り立っていきにくくなるでしょう。ですからお互い商売を進めていく上で自分の店の繁栄を図る事は元より大事ですがそれと同時に他の店とも上手く協調して業界全体の共通の信用を高める事を配慮する事が究めて大事だと思うのです。

*十六日 人間観を持つ

人間の幸せを高めていく為には先ず人間が人間を知る事が大切だと思う。言い換えれば人間とはどういうものでありどう云う歩み方をすべきであるかと云う正しい人間観を持つという事である。そうした人間に対する正しい認識を欠いたならば如何に努力を重ねても其れは往々にして実りの無いものに為ってしまい時には却って人間自身を苦しめる事にもなりかねない。そういう意味に於いてが先ず正しい人間観社会観と云ったものを生み出し、それに基づく指導理念を打ち立てていくならばそれは極めて力強いものに為ってくると思うのである。

*十七日 悩んでも悩まない

我々人間は絶えずと云っていい程悩みに付き纏われる。併し私は悩みがあるという事は人間にとって大事な事ではないかと考えている。何故かと云うと常に何か気に懸る事があれば其れがある為に大きな過ちが無くなる。心が何時も注意深く活動しているからである。だから悩みを持つ事は寧ろプラスに繋がる場合が多い。従って悩みに負けてしまわず自分なりの新しい見方解釈を見出してその悩みを乗り越えて行く事が大切である。悩んでも悩まな、いそういうように感じる事が出来れば人生は決して心配する事はない。

*二十日 公平な態度

国に於ける法律の適用には万が一にも不公平があってはならないが、会社や団体に於ける規律や規則についても是と復同じ事が言える。会社の規則と云うものは一新入社員であろうと社長であろうと等しく此れを守り其れに反した時には等しく罰せらるという事で初めて社内の秩序も保たれ士気も上がるのである。だから指導者は常に公平という事を考えなくてはならない。利害とか得失、相手の地位強弱に拘りなく何が正しいかと云う所から公平に賞すべきものは賞し罰すべきものは罰すると云う姿勢を遵守しなければならない。

*二二日 感心する

同じ様に人の話を聞いても中々良い事を言うなぁと感心する人もあればなんだ詰らないと思う人もいる。どちらが好ましいかと云うと勿論話の内容にも依るだろうがいいなぁと感じる人の方に、より多くその話の内容から仕事に役立つような何かヒントを得て、新しい発想をすると云ったプラスの価値が生まれてくるだろう。一寸した事だけれども人生とか事業の成否のカギは案外こうした処に在るのではないかと思う。人の意見を聞いて其れに流されてはいけませんが、お互い先ず誰の意見にも感心し学び合うという柔軟な心を養い高めていきたいものである。

*ニ四日 世間に聞く

誰しも日々の仕事の中生きていく中で迷いは生じるもの。幾ら仕事に生甲斐を感じていても其れを進めていくにつれて迷いが生じます。ではその迷いをどう解決するのか。私は広く衆知を集めればいいと思います。広く世間に其れを求めればいい。世間は道場人間練達の場です。大きくは社会に小さくは同僚友だちに尋ねればいい。そうして行く事に拠って其処に自分の具体的な活動の形が求められてくる。尋ねて答えが返ってくる場合もあるでしょうし返ってこない場合もあるでしょう。併しある程度は返って来る。素直な心で求める事だと思います。

*二六日 不要なものはない

皆さんは色々な立場にお立ちになっておられると思いますが、私はどんな立場でもこの立場はいけないこの仕事は拙いという事はないと思います。どの仕事が必要でなくてどの仕事が必要であるという事はないのです。この世に存在するものは全て必要であると云う様に考えて頂きたいと思うのです。そしてそういう考えに立って要は自分に何が適しているか何が向いているか、自分にはどういう所に自分の使命を見出しそこに打ち込むべきであるかという事を、自ら考えそしてそこに信念を持つ事が大切だと思います。

*二七日 誠意が基本

経営を進めていく上で最も困難があろうと思われるのは販売です。製造には新しい発見や発明が善く考えられますが販売とりわけの妙案が生まれる事は中々難しいでしょう。其れではそのように妙案奇策の余り無い販売の世界で特色を発揮し販売を成功させる爲には何が基本に為るかと云うと、結局はお互いの誠心誠意ではないでしょうか。どうすればお得意様に喜んで頂けどういう接し方をすればご満足ねがえるかを常に考える事が何より大切で、そういう誠意が根底にあってこそその人の言葉態度に深い味わいも生まれ販売力も亦高まっていくと思うのです。

*二八日 失敗を素直に認める

例えどんな偉大な仕事に成功したと云う人でも何の失敗もしたことがないと云う人はいないと思います。事に当って色々失敗してその都度其処に何かを発見しそう言うことを幾度となく体験しつつ段々成長していき遂には立派な信念を自分の心に植えつけ偉大な業績を為し遂げるに至ったのではないでしょうか。大切な事は何等かの失敗があって困難な事態に陥った時に其れを素直に自分の失敗と認めていくという事です。失敗の原因を素直に認識し是は非常に好い体験だった尊い教訓になったと云う処迄心を開く人は後日進歩し成長する人だと思います。

*三一日 ゼロ以上の人間に

人間の生活は総ての事が自分一人では出来ない。着物にしても食べ物にしても他の人の労作に拠って出来たものだ。その替り自分も何等かの労作を他人に与えて生活が成り立っている。つまり労作の交換である。此の労作を交換しない貰うばかりで与えるものがないと云うのでは役に立たない。是はマイナスである。プラスとマイナスがゼロ以上でなければ役に立つ人間とは言えない。例えば反物を三反貰ったらそれを四反にして提供する人になるという事だ。精神面でもこれは同じである。人に対してより高い考え方を与える此れが人と生まれて社会に役立つ人間の姿であろう。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「運に対して一定の信念を持っていなければならない、それが自分に対する自信に繋がっていく。運は創るというか育てていくもの。運というものは人間にとって大変必要なものですよ。謂わば自己形成の大きな原料です。」―運を開く言葉よりー

【四月の言葉】

**一日 縁あって

袖振り合うも他生の縁―と云う古い諺があるが人と人との繋がりほど不思議なものはない。其の人がその会社に入らなかったならばその人とはこの世で永遠に知り合う事もなかっただろう。考えてみれば人々は大きな運命の中で縁の糸で操られているとも思える。こうしたことを思うと人と人との繋がりと云うものは、個人の意志や考えで簡単に切れるものではなくもっともっと次元の高いものに左右されている様である。であるとすればお互いにこの世の中における人間関係をも少し大事にしたいしもう少し有難いものと考えたい。

*二日 人間はダイヤモンドの原石

私はお互い人間はダイヤモンドの原石の如きものだと考えている。ダイヤモンドの原石は磨くことに拠って光を放つ。しかも其れは磨き方如何カットの仕方如何で、様々に異なる燦然とした輝きを放つのである。同様に人間は誰もが夫々に光る様々な素晴らしい素質を持っている。だから人を育て活かすに中っても先ずそういう人間の本質と云うものを能く認識し其々の人が持っている優れた素質が活きる様な配慮をしていく。それが矢張り基本ではないか。もしそういう認識が無ければ幾ら良き人材があってもその人を活かすことは難しいと思う。

*三日 まず人の養成を

最近ではサービスの大切さという事が盛んに言われ、どういう商売でもそれなりの制度なり体制と云うものを逐次充実させつつあると思います。其事は大いに結構であり必要なことでしょうが、その任に当たるサービス員の養成が十分でないと折角の体制も所謂画龍点睛を欠くという事になって魂の入らないものとなってしまう恐れがあります。本当にお客様に喜んで頂けるサービスをしていくには、やはり会社を代表して適切にものを言い適切に処置が出来ると云う人の養成訓練を第一に大切なことと考え、その労を惜しまないという事だと思います。

*五日 学ぶ心

人とは教わらず又学ばずして何一つとして考えられるものでは無い。幼児の時は親から、学校では先生から、就職すれば先輩からと云うように教わり学んで後初めて自分の考えが出るものである。学ぶと云う心掛けさえあれば宇宙の万物はみな先生となる。物言わぬ木石から秋の夜空に輝く星屑などの自然現象、また先輩の厳しい叱責、後輩の純粋なアドバイス一つとして師ならざるものはない。どんな事からもどんな人からも、謙虚に素直に学びたい。学ぶ心が旺盛な人程新しい考えを創り出し独創性を発揮する人であると云っても過言ではない。

*九日 国民の良識を高める

民主主義の国家として一番大事なものは矢張りその民主主義を支えてゆくに相応しい良識が国民に養われているという事でしょう。さもなければその社会は所謂勝手主義に陥って収拾のつかない混乱も起こりかねないと思います。ですから国民お互いが夫々に社会の在り方人間の在り方について高度な良識を養っていかなければなりません。国民の良識の高まりと云う裏付けがあって初めて民主主義は花を咲かせるのです。民主主義の国にもし良識と云う水をやらなかったならば立派な花は咲かず却って変な花醜い姿のものになってしまうでしょう。

*十一日 夢中の動き

此の観音様は鑿が作ってくれた自分は何も覚えていない。と云うのは版画家棟方志功さんの言葉である。私は偶々この棟方さんが観音様を彫っておられる姿をテレビで拝見し、その仕事に魂と云うか全てをつぎ込んでおられる姿に深く心を打たれた。一つ一つの身体の動きが意識したものでなく当に夢中の動きとでも云うかそんな印象を受けたのである。その姿から人間が体を動かしてする作業と云うものの大切さをつくづくと感じさせられた。機械化に懸命な今日だからこそ魂の入った作業と云うものの大切さをお互いに再認識する必要があるのではないだろうか。

*十二日 使命感を持つ

人間は時に迷ったり怖れたり心配したりと云う弱い心を一面に持っている。だから事を為すに当って、ただ何となくやると云うのではそういう弱い心が働いて力強い行動が生まれてきにくい。けれども其処に一つの使命を見出し使命感を持って事に当っていけばそうした弱い心の持ち主雖も非常に力強いものが生じてくる。だから指導者は常に事に当って何の為に此れをするのかと云う使命感を持たねばならない。そしてそれを自ら持つと共に人々に訴えていくことが大事である。そこ二千万人と雖も我往かんの力強い姿が生まれるのである。

*十三日 運命を生かす為に

サラリーマンの人々が其々の会社に入られた動機には色々あると思う。中には何となく入社したと云う人もあるかも知れない。併し一旦就職しその会社の一員となったならば、これは唯何となくでは済まされない。入社したことがいわば運命で有り縁で有るとしても今度はその上に立って自ら志を立て自主的にその運命を生かしていかなくてはならないと思う。其の為にはやはり例え会社から与えられた仕事であっても進んで創意工夫を凝らし自ら其処に興味を見出しゆき遂には夢見る程に仕事に惚れると云う心境になる事が大切だと思う。

*十四日 知識は道具知恵は人

知識と知恵如何にも同じもののように考えられる可もしれない。けれどもよく考えてみるとこの二つは別物ではないかと云う気がする。つまり知識というのはある物事について知っているという事であるが、知恵と云うのは何が正しいかを知ると云うか所謂是非を判断するものではないかと思う。言い換えれば仮に知識を道具に譬えるならば知恵は其れを使う人そのものだと云えよう。お互い知識を高めると同時に其れを活用する知恵をより一層磨き高めてゆきたい。そうして始めて真に快適な共同生活を営む道も開けてくるのではないかと思うのである。

*十七日 人を惹きつける魅力を持つ

指導者にとって極めて望ましい事は人を惹きつける魅力を持つという事だと思う。指導者にこの人の爲なら・・と感じさせるような魅力があれば期せずして人が集まりまたその下で懸命に働くという事にもなろう。もっともそうは云ってもそうした魅力的な人柄と云うものはある程度先天的な面もあって、誰もが身につける事は難しいかも知れない。併し人情の機微に通じるとか人を大事にするとか云ったことも努力次第で一つの魅力ともなろう。何れにしても指導者は惹きつける魅力の大切さを知りそう云うものを養い高めていくことが望ましいと思う。

*二十日 信頼すれば・・・

人を使うコツは色々あるだろうが先ず大事な事は人を信頼し思い切って仕事を任せる事である。信頼され任されればん瓶嚴は嬉しいしそれだけ責任も感じる。だから自分なりに色々工夫もし努力もしてその責任を全うしていこうとする。言ってみれば信頼されることによってその人の力がフルに発揮されてくる譯である。実際には100%人を信頼してする事は難しいもので其処に任せて果たして大丈夫かと云う不安も起こってこよう。併し例えその信頼を裏切られても本望だと云うぐらいの気持ちがあれば案外に人は信頼に背かないものである。

*二一日 しつける

日本人は頭もよく素質も決して劣っていない。だから何がいいか悪いかぐらいは百も承知して要る筈であるが、さてそれが行動になって表れたりすると忽ち電車に乗るのに列を乱したり公園や名所旧跡を汚したりしてしまう。やはりこれはお互いに躾が足りないからではないかと思う。幾ら頭で知っていてもそれが子供の時から躾られていないと何時まで経っても人間らしい振舞が自然に出てこない。つまり折角の知識も躾に拠って身に着いていないとその人の身だしなみも好くならず結局社会人として共に暮らす事が出来なくなってくるのである。

*二六日 知識を活用する訓練

松下政経塾には優秀な先生方の講師として来て貰う訳ですが普通の学校の様な授業はやらない。先ず学生が質問をして其れを先生に答えて貰う形式をとる。質問するものがなかったなら先生は何も言ってくれないと云うようにしたいんです。質問をする為には疑問を持たなければならない。疑問を持つに至る迄の勉強は自分で遣らなければ為らないと云う訳です。つまり知識を与えるのではなく持っている知識を活用する能力を育てていく訓練を重ねて自分の考えを堂々と主張できるような人間になってもらいたいという願いを持っているのです。

*二七日 賢人ばかりでは

世の中は賢人が揃っておれば万事上手くいく

と云うものでは決してありません。賢人は一人いればそれで十分なんです。更に準賢人が三人準準賢人が四人くらい。そんな具合に人が集まれば上々でしょう。賢人ばかりですと議論倒れで一向に仕事が捗らないと云ったようなことに為りがちです。一つの実例を挙げればある会社で三人の立派な人物がお互いに協力し合って居た筈なのにどうも上手くいかない。そこで一人を抜いてみた。すると残る二人の仲がピタッとあって非常に上手く行きぬかれた人物も他の分野で成功した。そこなことがよくあるものなのです。

*二八日 会社は道場

仕事と云うものは矢張り自分でそれに取り組んで体得していかなければならないものだと思う。併し自得していくには其の為の場所と云うか道場とでもいうものが必要であろう。処が幸いな事にその道場は既に与えられている。即ち自分の職場自分の会社である。後はその道場で進んで修行しよう仕事を自得して行こうと云う気に為るどうかという事である。しかも会社と云う道場で月謝を払うどころか逆に給料までくれるのだからこんな具合の好い話はない。この様な認識に立てば仕事に取り組む姿も謙虚にしかも力強いものに為る筈である。

*三十日 困難から力が生まれる

人間と云うものは恵まれた順境が続けばどうしても知らず識らずの裡に其れに馴れて安易に成り易い。昔から治にいて乱を忘れずという事が言われ其れを究めて大切な心構えであるけれどもそういう事が本当に100%出来る人は恐らくいない。やはりどんな立派なな人でも無事泰平な状態が続けば遂安易になる。安心感が生じ進歩が止まってしまう。それが困難に出会い逆境に陥ると其処で目覚める。気持ちを引き締めて事に当たる。其処から順調な時に出なかった様な知恵が湧き考えつかなかった事を考え着く。画期的な進歩革新も初めて生まれてくる。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「十人の人がいればそのうち、二人は自分と志を同じくしてくれる六人はそこまでないまぁ。普通である。あとの二人は自分の志に反する。此れだけの人数がいればなかには自分と気が合わない人がいるのが当たり前。」―運を開く言葉よりー

【二月の言葉】

*一日 天は一物を与える

この世に百パーセントの不幸と云うものはない。五十パーセントの不幸はあるけれども半面其処に五十パーセントの幸せがある訳だ。人間は其れに気付かなければいけない。兎角人間の感情というものは上手くいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。是は人間の一つの弱い面だが其れをなるべく少なくして、いつの場合でも淡々とやる。信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。天は二物を与えずと云うが、逆になるほど天は二物は与えないがしかし一物は与えてくれるということが言えると思う。其の与えられた一つのものを大事にして育て上げることである。

*三日 人間道に立つ

我々人間は相寄って共同生活を送っています。其の共同生活をうまく運ぶにはどうすればよいか。皆が活かされる道を探さねばなりません。お釈迦さまは縁なき衆生は度し難しと云っておられます。併しなろう事ならそうした諦観を超えお互いを有縁の輪で結び合わせることが出来ないものかと思います。其の為にはお互い在るがままの姿を認めつつ、ぜんたいとしてちょうわ、きょうえいしていくことをかんがえていかなければなりません。それがにんげんとしてのみちすなわちにんげんどうと云うものです。お互いに人間道に立って生成発展の大道を衆知を集めて力強く歩みたいものです。

*四日 企業は社会の公器

一般に企業の目的は利益の追求にあると云われる。確かに利益は健全な事業経営を行う上で欠かすことが出来ない。併しそれ自体が究極の目的かと云うとそうではない。根本はその事業を通じて共同生活の向上を計ることであって、その根本の使命を遂行していく上で利益が大切になってくるのである。そういう意味で事業経営は本質的には私の事ではなく公事であり、企業は社会の公器なのである。だから例え個人の企業であろうと私の立場で考えるのではなく、常に共同生活にプラスになるかマイナスにと云う観点からものを考え判断しなければならないと思うのである。

*六日 正しい国家意識

昨今の国際情勢は一方で世界は一つと云いつつも、その一方で各国が過度の国家意識に立ち自国の利害を優先して仕舞う為、対立や紛争が一向に絶えない。それでは日本はどうかと云うと、反対に国家意識が極めて薄い為却って問題が起こっている様である。個人でも正しい自己認識、人生観を生み出し自主性を持って生きていってこそそこに初めて他の人々に対しても奢らず、諂わず仲良く付き合っていける譯である。国でも同じことである。国民が正しい国家意識を持ち、他の国々と交流していくことが大切であろう。過ぎたるもいけないが及ばざるもいけない。

*七日 平穏無事な日の体験

体験と云うものは失敗なり成功為り何か事があった時だけに得られる、と云うものでしょうか。決してそうではないと思います。平穏無事な一日が終わった時、自分が今日やったことは果たして成功だったか失敗だったかを心して考えてみると、あれは一寸失敗だったな、もっといい方法があったのではないか。と云うようなことが必ずあると思います。それについて思いを巡らせば、これはもう立派な体験と云えるのではないでしょうか。形の上での体験だけでなく日々お互いが繰り返しいる目に見えない些細なことも、自らの体験として刻々に積み重ねていく姿勢が大切だと思うのです。

*九日 一歩一歩の尊さ

仕事はいくらでもある。あれも作りたい是も拵えたい、こんなものがあれば便利だ、あんなものも出来るだろうと次から次へと考える。その爲には人が欲しい資金が欲しいと願うことには際限がないが、一歩一歩進むより他に到達する道があろうか。それは絶対にない。やはり一歩一歩の繋がり以外に道はない。坦々たる大道を一歩一歩歩んでゆけばそれでよい。策略も政略もいらない。一を二とし、二を三として一歩一歩進んでゆけば遂には彼岸に達するだろう。欲しいと願う人も一人増えまた一人増えて遂には万と数えられよう。一歩一歩の尊さをしみじみと味わわねばならぬ。

*十一日 国を愛する

我が国は戦後相当立派な成長を遂げてきましたが、不思議に愛国心と云う言葉がお互いの口から出ません。時たま出てもあまり歓迎されない状態です。愛国心と云うものは国を愛する餘に他の国と戦いをすることに為ると云う人もあります。併し決してそうではないと思います。国を愛すれば愛する程、隣人と仲良くしていこう友好を結んでゆこうという事になるだろうと思うのです。お互いが自分を愛するように国を愛し、隣人を愛す。そうする事によって其処に自分の幸せも築かれていくと思うのです。疎の様な姿をお互いに盛り上げていくことが国民としての大きな使命ではないでしょうか。

*十三日 一人の力が伸びずして

自分は一年にどれだけ伸びているか、技術の上に或は社会に対する物の考え方の上に、どれだけの成長があったか、その成長の度合いを測る機械があれば是は簡単に判ります。併し一人一人の活動能力と云うか知恵才覚と云うか、そういう総合の力が伸びているかどうかを図る機械はありません。けれども私は5%なり10%或は15%伸びたと自分で云えるようでないといけないと思います。やはり一人一人が自分の力でどれだけの事をしているかという事を反省してみることが大切です。一人一人の力が伸びずに社会全体の力が伸びると云う事はないと思うのです。

*十五日 自己観照

自省の強い人は自分と云うものをよく知っている。つまり自分で自分を善く見つめているのである。私は是を自己観照とよんでいるけれども、自分の心を一遍自分の身体から取出して外からもう一度自分と云うものを見直してみる。これが出来る人には自分と云うものが素直に私心無く理解できるわけであるこういう人には過ちが非常に少ない。自分にどれ程の力があるか自分はどれ程の事が出来るか、自分の適性は何か自分の欠点はどうした処に在るか、と云うようなことがごく自然に何物にも捉われることなく見出されてくると思うからである。

*十七日 死も生成発展

私は人生とは生成発展つまり日々新たの姿であると考えています。人間が生まれ死んでいくと云う一つの事実は人間の生成発展の姿なのです。生も発展なら死も発展です。人間は今迄ただ本能的に死を恐れ忌み嫌い之に耐え難い恐怖心を抱いてきました。人情としては無理もない事です。しかし我々は生成発展の原理に目覚め、死は恐るべきことでも悲しむべき事でもつらい事でもなく寧ろ生成発展の一過程に過ぎない事、万事が成長する一つの姿であることを知って死にも厳粛な喜びを見出したいと思います。

*二一日 人事を尽して天命を待つ

人事を尽して天命を待つと云う諺がある。是は全く至言で私は今も自分に時々その言葉を言い聞かせる。日常色々な面倒な問題が起きる。だから迷いも起きるし悲観もする、仕事に力が入らないことがある。是は人間である以上避けられない。しかしその時私は自分は是と信じてやっているのだから後は天命を待とう、成果は人に決めてもらおう・・こういう考え方でやている。小さな人間の知恵でいくら考えてみても、どうにもならぬ問題が沢山有り過ぎる。だから迷うのは当たり前である。そこに私は一つの諦観が必要だと思うのである。

*二三日 道徳は水と同じ

戦後の我が国では道徳教育というと何か偏った風に思われることが多いが、私は道徳教育はいわば水と同じではないかと思う。人間は活きる為にどうしても水が必要である。処がこの水に何か不純物が混じっていてそれを飲んだ人が病気になった。だからと云って水を飲むことを一切否定してしまったらどうなるか。大切なことは水そのものの価値効用を否定してしまうことではない。水の中の不純物を取り除くことである。嘗て道徳教育の中に誤った処があったからといって道徳教育そのものを否定してしまう事は其れこそ真実を知らぬことではないか。

*二五日 七十点以上の人間に

完全無欠な人間などあり得ないと思う。だからお互い人間として一つの事に成功することもあろうし、時には過ちもあるだろう。それは人間としてやむを得ないと云うかいわば当たり前の姿だと思う。併し過ちと正しい事を通算して正しい事の方が多くなる様な働き為り生活を持たなければやはり人間として、望ましい姿とは言えないのではなかろうか。仮に自分を点数で表すとどうなるだろう。三十点のマイナス面はあるが少なくともプラスの面が七十店あると云う様な処迄には到達するようお互い努力したいものである。

*二七日 誠意あればこそ

先般部品の一つに不良のある商品をお得意さんにお送りしてしまった時に、その方が厳重に注意しなければという事で会社に出向いてこられたことがあった。しかし実際に会社に来てみると、社員の人々が一心に仕事に打ち込んでいる姿を見て憤慨もせず却って信用を深めて帰られたと云う話を聞いた。この事から私は誠実且熱心に日々の仕事に力強く取り組むとという事が如何に大きなと唐を持っているかという事をつくづく感じさせられた。そういう態度と云うものは、見る人の心に何物かを与えるばかりでなく仕事とそのものの成果をより高める原動力にもなると思うのである。

*二八日 感謝の心は幸福の安全弁

感謝の念という事は是は人間にとって非常に大切なものです。見方によれば総ての人間の幸福なり喜びの根源とも云えるでしょう。従って感謝の心の無い処からは決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は人間不幸になると思います。感謝の心が高まれば高まる程それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり幸福の安全弁とも言えるものが感謝の心とも言える訳です。その安全弁を失ってしまったら幸福の姿は瞬時のうちに壊れ去ってしまうと云ってもいいほど人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのです。

*二九日 健康管理も仕事の内

会社生活をしていく上で何といっても大切なのは健康それも心身共の健康です。いかに優れた才能が有っても健康を損ねてしまっては充分な仕事も出来ず、その才能も生かされないまま終わってしまいます。出羽建工の為に必要なことは何かと云うと栄養であるとか、休養とか色々あるでしょう。しかし特に大切なのは心の持ち方です。命を懸けると云う程の熱意を以て仕事に打ち込んでいる人は少々忙しくてもそう疲れもせず病気もしない、ものです。お互い自分の健康管理も仕事の内という事を考え人夫々のやり方で心身ともの健康を大切にしたいものです。

松下幸之助の言葉

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「基本的にはやはり、明るい面に重点を置いて見ておく方が好ましい。暗い面を悲観的に見ていますと心が委縮して出るべき知恵も出なくなってしまいます。一見マイナスに見える事にも其れなりのプラスがあるというのが世の常。楽観に楽観を以て暮らしていけば必ず楽観の通り世界が開けてくる」―運を開く言葉よりー

【一月の言葉】

*一日 心あらたまる正月(イ)

竹に節がなければズンベラボーでとりとめがなくて風雪に耐えるあの強さもうまれてこないであろう。竹にはやはり節がいるのである。同様に流れる歳月にもやはり節がいる。ともすればとりとめもなく過ぎていきがちな日々である。せめて年に一回は節を作って身辺を整理長い人生に耐える力を養いたい。

そういう意味ではお正月は意義深くて、おめでたくて心もあらたまる。常日頃考えられないことも考えたい。無沙汰のお詫びもしてみたい。そして新たな勇気と希望も生み出したい。清々しくて爽やかでお正月はいいものである。

*二日 信念は偉大なことを為し遂げる(イ)

私達は弘法大師の開かれた高野山に登って非常に教えられたことがあります。今でこそ自動車道路も電車もケーブルもできていて便利と云えば便利ですが、お山を開かれた千百数十年前にあれだけ辺鄙な処を開拓しそこに道場を建てるという弘法大師の御執念というか信念というものは想像も出来ないほど強いものがあったと思うのです。我々は中々弘法大師さんの境地に触れることはできません。けれども私はその時やはり人の心、信念と云うものは偉大なことを為し遂げるものだということを痛切に感じて、私も自分の分に応じた一念信念を持たなければいけないなと感じたのです。

*三日 不確実な時代はない(ム)

不確実性の時代と人はよく言います。事実思わぬことが次々と起こって混乱することがよくありますが、私は不確実性ということは肯定しません。何故なら不確実な現象は全部人間自身の活動の所産であり、人間自身が不確実な行動をする所に起ってくるものだと思うからです。だから不確実な考えや行動をやめたら、確実になってくる。そういう自覚で仕事をすることが大切だと思います。未来は確実性の時代だという発想の転換、未来に対処する基本的姿勢の転換こそ今日私たちがお互いの緊急重要事ではないかと思うのです。

*六日 素直な心とは(ニ)

素直な心とはどういう心であるかと云いますとそれは単に人に逆らわなず、従順で有るというようなことだけではありません。寧ろ本当の意味の素直さというものは、力強く積極的な内容を持つものだと思います。つまり素直な心とは、私心無く曇りのない心というか一つの事に捉われずに、物事を在るが儘に見ようとする心と云えるでしょう。そういう心からは、物事の実相を掴む力も生まれてくるのではないかと思うのです。だから素直な心というものは真理を掴む働きのある心だと思います。物事の真実を見極めてそれに適応していく心だと思うのです。

*七日 熱意は磁石(リ)

如何に才能が有っても知識があっても、熱意の乏しい人は画ける餅に等しいのです。反対に少々知識が乏しく才能に乏しい点があっても、一生懸命というか強い熱意があれば、そこから次々とものが生まれてきます。その人自身が生まなくても、その姿を見て思わぬ援助、目に見えない加勢と云うものが自然に生まれてきます。それが才能の乏しさを補い知識の乏しさを補ってその人をして仕事を進行せしめる、全うさせるということに為るわけです。恰も磁石が周囲の鉄粉を引き付けるように+熱心さは周囲の人を引き付け周囲の情勢も大きく動かしていくと思うのです

九日 雨が降れば傘をさす(タ)

経営者たるものは全て天地自然の理法に基づいて行動しなければならない。これは何も難しいことを言っているのではない。例えば雨が降ったら傘をさすということである。つまり集金をせねばならぬ所には集金に行く、売れない時には無理に売ろうとせず休む、又売れるようになれば作るというように大勢に順応するとい

うことである。集金すべきところから集金もせずに新たに資金を借りようとする人があるようだが、金を借りるのならばまず集金に全力を尽くす。其れでも尚資金がいる時に初めて借りるという至極簡単な当たり前のことをどれだけ的確に行うかが非常に大事なのである。

*十六日 武士道と信頼感(ル)

昔、武士は庶民の上に置かれ尊敬されていた。これは一つには武士が武力を持っていたからとも考えられるが、それだけではない。やはり武士は道義に篤く武士としての精神を忘れず所謂武士道に徹することにより庶民の信頼と尊敬を勝ち得ていたものと思う。これは会社の中でも言える。経営者には経営者道、従業員には謂わば従業員道とも云うべきものがあると思う。其々当然やるべきことがある。之をお互いに責任を以て貫いてゆくというところに信頼関係の基礎があり、その信頼関係を高めていく推進力があるのではないだろうか。先ずお互いの立場で其々の道に徹したい。

*十七日 決意を持ち続ける(ワ)

指導者にとって大事なことの一つは志を持つということである。何等かの志、決意というものがあって始て事は成るのである。だから志を立てて決意をするということが必要なわけだが、それは一度志を立て決心すればそれでいいということではない。寧ろ大事なのはそうした志也決意を持ち続けることであろう。其の為にはやはり、絶えず自らを刺激し思いを新たにするようにしなくてはならない。一度志を立て決意することによって、非常に偉大なことを成し遂げられるのも人間であるが、その志・決心を中々貫き通せない弱さを合わせて持っているのもこれまた人間である。

*十九日 人情の機微を知る(ハ)

人間の心と云うものは中々理屈では割り切れない。理論的にはこうしたらいいと考えられても、人心は寧ろその反対に動くということもあろう。一面、誠に厄介と云えば厄介だがしかしやはりある種の方向というか、法則的なものがあるとも考えられる。そうしたものをある程度体得できるということが、人情の機微を知るということに為るのだと思う。では、人情の機微を知るにはどうしたらいいか。それは矢張り色々な体験を通じて多くの人々と触れ合うことである。そうした体験に立ちつつ常に素直な目で人間というものを見、その心の動きを知ると言うことが大切だと思う。

*二十一日 当たって砕ける(チ)

ある時会社で社員が集まって盛んに議論している。どうしたのかと尋ねるとこの製品を新しく発売するのですが、これが売れるかどうか検討しているのですと云う。そこで私はそれは探るより仕方がないのではないか。売れるか売れないかをある程度議論することは必要だが、ある程度以上は議論しみても始まらない。後は当って砕けろだ。それを買ってくれる人に尋ねるより仕方がないのではないかと云ったのである。ある程度考えた後は勇気をもってやる。そういうことが商売だけでなく政治にもその他あらゆる日常生活の分野に於いても時に必要だと思う。

*二十三日 物を作る前に人を創る(レ

私はずっと以前でしたか当時の若き社員に、松下電器は何を作るところかと尋ねられたらならば松下電器は人を創る處で御座います。併せて電器商品を作っております。とこういう事を申せと云ったことがあります。その当時、私は事業は人に有り人を先ず養成しなければならない、人間として成長しない人を持つ事業は成功するものでない。ということを感じており遂そういう言葉が出た譯ですが、そういう空気は当時の社員に浸透しそれが技術・資力・信用の貧弱にも拘らず、どこよりも会社を力強く進展させる大きな原動力となったと思うのです。

*二十五日 融通無碍の信念(ト)

融通無碍と云う言葉がある。これは別に難しい理屈でも何でもない。至って平凡なことと思う。若し道を歩いていてその前に大きな石が落ちてきて向こうへ行けない場合はどうするか。勿論石に攀じ登っても真直ぐ行くということも一つの方法である。併し其処に無理が生じるのであれば石を避けて回り道をして行くそれが融通無碍だと思う。勿論時には回り道の無い場合もある。しかしそういう時にはまた別の方法を考える。素直に自分の感情に捉われないでこの融通無碍ということを絶えず心掛けていくところに世に処していく一つの道があると思うのである。

*二十六日 短所四分長所六分(レ)

人間と云うものは誰でも長所と短所を持っている。だから大勢の人々を擁して仕事をしているのであれば、其々に多種多様な長所と短所が見られる。その場合部下の短所ばかりを見ていたのでは中々思い切って使えないし部下にしても面白くない。その点長所を見ると、その長所に随って生かし方が考えられある程度大胆に使える。部下も自分の長所が認めて貰えれば嬉しいし知らず識らず一生懸命に働く。併し勿論長所ばかりを見て短所を全く見ないということではいけない。私は短所四分、長所六分ぐらいに見るのが善いのではないかと思うのである。

*二十八日 衣食足りて礼節を知る(ヘ)

衣食足りて礼節を知るという言葉がある。これは今から二千年以上も昔の中国で云われたものだというが、今日尚広く使われていると云うことはそこに人間としての一つの真理があるからの様に思える。ところが今日の我が国については衣食足りて礼節を知るどころが衣食足りて礼節益々乱れると云わざるを得ないことが多い。是は当に異常な姿である。我々は今この世の中を正常な姿に戻して社会の繁栄、人々の幸福を生み出してゆく必要がある。其の為には、先ず自己中心のものの考え方行動を自ら反省し、誡めあっていくことが肝要だと思う。

*三十日 自分を飾らず(ニ)

私は毎日の生活を営んでいく上に於いて、自分を良く見せようとお上手を言ってみたり、言動に色々と粉飾をすることは大いに慎みたいと思います。これは一見簡単なことのようですが、口で言うほど容易いことではありません。殊に出世欲に駆られる人は自分を他人以上に見せようとする傾向が強いようです。併し人は各各その素質が違うのですから、いくら知恵を絞って自分を粉飾してみたところで自分の生地は誤魔化すことは出来ず、必ず剥げてきます。そしてそうなれば一片に信用を落とすことに為ってしまうのです。私は正直にすることが処世の一番安全な道だと思います。

*三十一日 千の悩みも(ソ)

経営者には一度にいくつもの問題に直面して、彼是思い悩むという場面が少なくありません。併し私は今迄の経験で、人間と云うものはそう幾つもの悩みを同時に悩めるものでは無いとぴう事に気づきました。結局一番大きな悩みに取り組むことによって、他の悩みは第二、第三のものになってしまうのです。だから百の悩み千の悩みがあっても結局一つだけ悩めばよい。一つだけどうしても払うことが出来ないが、それと取り組んでいくところに人生の生甲斐があるのではないか。そう考えて勇気をもって取り組めばそこに生きる道が洋々と開けて来ると思うのです。

松下幸之助の言葉

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「幾ら塩の辛さ砂糖の甘さを考えられても、本当の所は判らない。幾ら水泳の講義を聞き畳の上で練習に励んでも決して泳げるようになるものではない。実際に水に浸り手足を動かし時には不覚の水を飲んで練習しているうちに水泳のコツが掴める。自ら体験して得たものは唯単なる知識や理論として覚えたものではないので、いつまでも自分の身についてくれる。そして如何様にでも応用できる。」―運を開く言葉よりー

【十二月の言葉】

*一日 自分の最善を尽くす

太閤秀吉と云う人は草履取りに為れば日本一の草履取りになったし炭番に為れば最高の炭番になった。そして馬回り役に成ったら自分の給料を割いて人参を買い馬にやったと云う。此の為嫁さんが逃げてしまったと云う事だがそこに秀吉の偉大さがある。馬番になったが俺はこんな仕事は嫌だなどと云わずに日本一の馬番に成ろうと努力した。詰りいかなるかんきょうにあっても自分の最善を尽くし一日一日を充実させ其れを積み重ねていく。其れが役に立つ人間でありその様な事が人を成功に導いていく道だと思うのである。

*四日 事ある度に

私は世の中と云うものは、刻々と変化していき進歩発展していくものだと云う見方を、根本的に持っています。何か事ある度にこの世の中は段々良くなっていくと思っています。あの誤った戦争をしてあれ程の痛手を被ったにも拘らず、今日の様に繁栄の姿になっているのは如何云う問題が起ころうとも世の中は、一刻一刻進歩発展していくものだと云う事を表している一例ではないでしょうか。あの戦争があってよかったとは決して思いませんが、然し如何云う事があった場合でもお互いの在り方次第でそれが進展に結びつく一つの素因に成るのではないかと思います。

*九日 世界に誇れる国民性

同じ日本人でも細かく見れば考え方や性格など実に色々な人がいる訳ですが、然し復一面には日本人には日本人としての共通の特性と云うか日本人の民族性国民性と云うものが矢張り有る様に思います。日本独特の気候や風土の中で長い間過ごしている内に、例えば日本人特有の繊細な情感と云うものが次第に養われてきたと云えるでしょう。日本人の国民性の中にも反省すべき点は少なくありませんが、特に勤勉さとか器用さとか恵まれた気候風土と長い歴史伝統によって養われてきた斯う云う特性には、世界にも大いに誇り得るものが有る様に思うのです。

*十日 限度を超えない

社会には所謂常識と云うものが有ります。そしてその常識に従ってある一定の限度と云うものがある筈で、例えばお金を貯める事も結構なら使うのも結構ですが、その限度を超えて吝嗇であったりまた金遣いが荒く借金だらけであると云う事では世間が承知しません。矢張り

*十一日 持ち味を生かす

家康は日本の歴史上最も優れた指導者の一人であり、その考え方なり業績に学ぶべきものは多々ある。併しだからと言って他の人が家康の通りにやったら上手く往くかと云うとそうではない。寧ろ失敗する場合が多いと思う。と云うのは家康のやり方は家康と云う人にして初めて成功するのであって、家康とは色々な意味で持ち味の違う別の人がやっても其れは上手く往かないものである。人には皆夫々に違った持ち味がある。一人として全く同じと云う事は無い。だから偉人のやり方を其の儘真似ると云うのでなく、それにヒントを得て自分の持ち味に合わせた在り方を生み出さねばならないと思う。

*十四日 人生の妙味

雨が降ったり雷が鳴ったりと云う自然現象は、ある程度の予測は出来る者の正確には掴み得えない。我々の人生の姿も此の自然現象とよく似たものでは無いだろうか其処には天災地変に匹敵する予期でき無多くの障害がある。我々は其等の障害の中に在り乍ら常に自分の道を求め仕事を進めて往かねばならない。其処に一寸先は闇とよく言われる人生の難しさがあるのであるが、そういう障害を乗り越え道を切り開いてゆく処に復人生の妙味があるのだと思う。予期できるものであれば味わいも半減してしまうであろう。

*十六日 大義名分

古来名将と云われる様な人は合戦に当っては必ず此の戦いは決して私的な意欲の為にやるのではない。世の爲人の為にこういう大きな目的でやるのだ。と云う様な大義名分を明らかにしたと云われる。如何に大軍を擁しても正義なき戦いは人々の支持を得られず長きにわたる成果は得られないからであろう。是は決して戦の場合だけではない。事業の経営に於いても諸々の施策にしても何を目指し何の為にやるのかと云う事を、自らハッキリ持ってそれを人々に明らかにしていかなくてはならない。其れが指導者としての大切な務めだと思う。

*十八日 利害を一にしよう

おとなと青年或は子供との間に断絶があるとすれば、それは我々の云う商売的な利害を共にしていない更にもっと高い意味の利害を一にしていないからだと思います。親は子の為に子は親の為に本当に何を考え何を為すべきかと云う事に徹しているか如何か、又先生は生徒の為を本当に考えているか如何か生徒は先生に対して如何言う考え方を持っているか。そう云う意識が極めて薄い為に、其処に溝が出来其れが断絶となり大いなる紛争になってくるのではないでしょうか。時代が時代だから断絶があるのが当然だと考える処に根本の錯覚過ちがあると思うのです。

*十九日 寿命を知る

人間に寿命が有る様に我々の仕事にも其れが何時の事か判らないにしても、矢張り一つの寿命があると云えるのではないかと思う。併しだからと云って努力しても詰らないと放棄してしまう様では人間で云う処の天寿を全うせしめることは出来ない。是は謂わば人間はやがて死ぬのだからと不摂生不養生の限りと尽すのと同じであろう。其れよりも寧ろ一切のものには寿命があると知った上で、寿命に達するその瞬間迄はお互いに其処に全精神を打ち込んでゆく。そう言う姿から大きな安心感と云うか大らかな人生が開けるのではないかと思う。

*二一日 信用は得難く失い易い

我々が何か事を成してい場合信用と云うものは極めて大事である。謂わば無形の力無形の富と云う事が出来よう。けれども其れは一朝一夕で得られるものでは無い。長年に渡る誤りのない誠実な行いの積み重ねがあって初めて次第次第に養われていくものであろう。併しそうして得られた信用も失う時は早いものである。昔であれば少々の過ちが在っても過去に培われた信用に拠って直ちに信用の失墜とはならなかったかも知れない。然し一寸した失敗でも致命的に成りかねないのが、情報が一瞬にして世界の隅々まで届く今日と云う時代である。

*二二日 小事を大切に

普通大きな失敗は厳しく𠮟り小さな失敗は軽く注意する。併し考えてみると大きな失敗と云うものは対外本人も十分考え一生懸命やった上でするものである。だからそう言う場合には寧ろ君そんな事で心配したらあかんと一面励ましつつ、失敗の原因を共々研究し今後に活かして行く事が大事ではないかと思う。一方小さな失敗や過ちは概ね本人の不注意や気の緩みから起こり、本人も其れに気が付かない場合が多い。小事に捉われる餘大二を忘れてはならないが小事を大切にし小さな失敗に対して厳しく𠮟ると云う事も一面必要ではないか。

*二四日 時を尊ぶ心

以前或る床屋さんに行ったときサービスだと云う事で、いつもなら一時間で終わる散髪をその日は一時間十分かけてやってくれた。詰り床屋さんはサービスだと云う事で十分間も多く手間を懸けてくれたと云う訳である。其処で私は散髪が仕上がってから冗談交じりに斯う云った。君サービスしようと云う気持ちは非常に結構うだと思う。然し念入りにやるから十分間余分に罹るという事であっては忙しい人にとっては困る様な事に為りはしないか。もし君が念入りにしかも時間も五十分でやると云う事であれば是こそ本当の立派なサービスだと思うが・・・。

*二六日 旨くて早くて親切

私が丁稚奉公をしていた頃楽しみの一つはうどんを食べる事だった。その当時は子供心にもあのお店のうどんは美味しいし素うどん一杯のお客でも大切にしてくれると感じある一軒の店ばかりに通ったものである。其のうどん屋は旨くて親切でそして早く作ってくれた。現代に於ける商売企業のコツも此のうどん屋さんのやっていたことと何一つ変わらない。立派な商品を早くお届けし親切丁寧に使用法を説明する―斯うした心掛けで商売をするならば私は必ずそのお店は成功すると思う。又そういうお店が成功しなかったら不思議である。

*二八日 ケジメをつける

お互い人間にとって責任を明らかにすると云うかケジメをつける事の大切さは、昔からよく言われてきている事だが之は今日でも変わらないと思う。勿論其々に会社の社風や仕事の内容が違うからその会社の独自のやり方が在るであろう。然しお互いに自分自身の成長の為にも又自分の会社が更に飛躍し社会に貢献してゆく為にもけじめをつけると云う断乎としたものを一面に於いて持たなければならないと思う。今一度其々の立場で我が身を振り返り事を曖昧に過ごしていないか如何か、改めて確かめてみる事が大事ではないだろうか。

*二九日 理想ある政治を

政治には理想が大事です。日本をこうするんだと云う一本筋が十たものが無ければいけない。そう云うものが今は見られません。その場を適当に納めてやっているそういう状態です。未だ日本が世界で二・三十番目と云う事であるなら追いつけ追い越せと云う事でも目標も出来てきますが、すでに世界一・二位を争う様になっている以上其処により高い目標理想を打ち出す必要があると思います。例え世界で一番と云う事になったとしても日本にはもっと大きな役割があるんだからと云う事で、より高い理想を持ち力強い政治を行って行く事が必要だと思うのです。

*三一日 総決算

十二月は総決算の月。この時に当り一年の歩みを振り返りお互いの心のけじめをつけたいものです。此の一年良かったことは善かった悪かったことは悪かったと、素直に自分で採点しなければなりません。そしてこの一年は決して自分一人の力で歩んだものではありません。自分で気付かない処で人々の協力を得又思わぬ処で迷惑を懸けている事もあると思うのです。そんな周囲の人々の協力に対しては有難く感謝し迷惑を懸けたことに対しては謙虚に謝罪したいと思います。そうした素直な自己反省こそ次の新しい年の時分の成長にプラスする何かを必ず与えてくれると思うのです。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「受け身の人生から自発的積極的な人生への転換です。ダラダラと続いていると思うのは其の連なりの中の節を見過ごしているからで、だから心も改まらなければ姿勢も改まらない。大事なことは此の節を見分け自覚しその節々で思いを新たにすることである」―「運を開く言葉」より

【十一月の言葉】

*一日 人の世は雲の流れの如し

青い空にゆったりと白い雲が流れていく。常日頃慌ただしさの儘に意識もしなかった雲の流れである。速く遅く大きく小さく白く淡く高く低く一時も同じ姿を保っていない。。崩れるが如く崩れざるが如く一瞬一瞬その形を変えて青い空の中程を様々に流れていく。之は将に人の心人の定め運命に似ている。人の心は日に日に変わっていく。そして人の境遇も復昨日と今日は同じではないのである。喜びも佳悲しみも又吉し人の世は雲の流れの如し。そう思い定めれば其処に復人生の妙味も味わえるのではないだろうか。

*三日 日本人としての自覚と誇り

国破れて山河在りと云う言葉が有ります。例え国が滅んでも自然の山河は変わらないと云う意味ですが、山河は亦我々の心の故郷と共言えましょう。歴史に幾変転はあっても人の故郷を想う心には変わりはありません。此の国の祖先が培ってきた伝統の精神、国民精神も又変わることなくお互い人間の基本的な心構えであると思います。我々は日本と云う尊い故郷を持っています。此れを自覚し誇りとして活動する其処にはじめてお互いに納得の行く動きが起こるのではないでしょうか。日本人としての自覚や誇りの無い処には日本の政治も経済もないと思うのです。

*五日 大器晩成と云う事

能く世間ではあの人は大器晩成型だ等と云いますが、その場合どちらかと云えばあまり褒めた様には使わない事が多いようです。詰り今はまあまあだけれどもその内に何とか一人前になるだろうと云った調子です。併し私は此の大器晩成と云うのはもっと大事な意味を持っているのではないかと思うのです。真の大器晩成と云うものは人生は終生勉強であると云う考えを持って、菟と亀の昔話の様に一歩一歩急がず慌てず日々精進し進歩向上して行く姿ではないかと思います。其う云う姿を目指す事がお互いに大切だと思うのです。

*六日 部下の為に死ぬ

経営者に求められるものは色々ありましょうが、自分は部下の為に死ぬ覚悟があるか如何かが一番の問題だと思います。そう云う覚悟が出来ていない大将であれば部下も心から敬服して本当にその人の為に働こうと云う事にはならないでしょう。経営者の方もそう云うものを持たないと妙に遠慮したり怖れたりして社員を叱る事も出来なくなります。其れでは社内に混乱が起こる事にも成ってしまいます。

ですから矢張り経営者たる者はいざと云う時には部下の為に死ぬと云う程の思いで日々経営に当たるのでなければ力強い発展は期し得ないと思うのです。

*八日 振子の如く

時計の振子は右に振れ左に振れる。そして休みなく時間が刻まれる。其れが原則であり時計が生きている証拠であると云って好い。世の中も亦人生も斯くの如し。右に揺れ左に揺れる。揺れてこそ世の中は生きているのである。然し此処で大事な事は右に揺れ左に揺れると云っても、その揺れ方が中庸を得なければならぬと云う事である。右に揺れ左に揺れるその振幅が適切適正であってこそ其処から繁栄が生み出されてくる。小さく振れてもいけないし大きく振れてもいけない。中庸を得た適切な触れ方揺れ方が大事なのである。

*九日 利害得失に捉われない

利害得失を考える事はある程度止むを得ないけれども、余り其れに囚われ過ぎと自分の歩む道を誤る事にも成りかねない。学校を撰ぶにしても卒業して仕事を選ぶ場合でもそうである。誰もが給与とか待遇の事を先に考える傾向があるが、矢張り自分には何が一番適しているだろうかと云う事を能く考えるべきだと思う。

必ずしも大会社へ入ったから幸せかと云うとそうとばかりは言えない。人によっては中小企業へ勤めて却って用いられ人生の味と云うか綾を知る尊い体験が出来て、人間としても成長すると云う事が往々にしてあるからである。

*十四日 自分を戒める為に

松下電器では昭和八年に遵奉すべき五大精神を定め発表して以来毎日の朝会で唱和している。(十二年に二精神を加え七精神)是は勿論社員としての心構えを説いたものであるが、それと同時に私自身を鞭撻する爲のものである。皆で確認し合った使命であっても何もなければ遂遂忘れて行勝ちになる。だから毎日の仕事のスタート時に噛締める。言ってみれば自分への戒めである。人間は頼りないものである。如何に強い決意をしても時間が経てばやがてそれが弱まってくる。だからそれを防ぐ為には常に自分自身に言い聞かせる。自分に対する説得誡めを続けなければならない。

*十六日 成功するまで続ける

何事に拠らず志を建て始めたら少々上手くいかないとか失敗したと云う様な事で、簡単に諦めてしまってはいけないと思う。一度や二度の失敗で挫けたり諦める様な心弱い事では本当に物事を為し遂げて往く事は出来ない。世の中は常に変化し流動しているものである。一度は失敗し志を得なくても其れにめげず辛抱強く地道な努力を重ねて行く内に周囲の情勢が有利に転換して新たな道が開けてくると云う事もあろう。世に云う失敗の多くは成功する迄に諦めてしまう処に原因が有る様に思われる。竿後の最後迄諦めてはいけないのである。

*十八日 民主主義と勝手主義

民主主義と云うものは自分が善ければ人はどうでもいいと云うような勝手なものでは決してないと思うのです。今日の日本の民主主義は我儘勝手主義である。勝手主義を民主主義の如く解釈している人が随分あるのではないかと云う様な感じがします。民主主義と云うものは自分の権利も主張する事は認められるが、それと同時に他人の権利也福祉也と云うものを認めて往かなければならない。そういう事をしなかったならば法律によってぴしっと遣られると云う様な非常に戒律の厳しいものだと思います。其れがあって初めて民主主義と云うものが保ち得るのだと思うのです。

*二十日 寛容の心で包含

世の中には好い人ばかりではない。相当良い人もいるが相当悪い人もいる訳です。ですからきれいな人、心の清らかな人そう言う人ばかりを世の中に望んでも実際には中々その通りにはなりません。十人居たら其の中に必ず尾ならざる者正ならざる者も入ってくる。そういう状態で活動を進めているのがこの広い世の中の姿ではないでしょうか。其処に寛容と云う事が必要になってきます。力弱き者力強き者があるならば両者が互いに包含し合って其処に総合した共同の力が生み出されてゆく。そう云う処に我々人間の生き方があるのではないかと私は思うのです。

*二一日 心を解き放つ

自由な発想の転換が出来ると云う事は指導者にとって極めて大事な事である。然し発想の転換と云う事は盛んに言われるが実際は中々難しい。自ら自分の心を縛ったり狭めている場合が多いのである。だから大事な事は自分の心を解き放ち拡げて行く事である。そして例えば今迄表から見ていたものを裏から見、又裏を見ていたものを表も見てみる。そう云った事をあらゆる機会に繰り返していく事であろう。そうした心の訓練によって随所に発想の転換が出来る様にしたいものである。

*二二日 弁解より反省

仕事でも何でも物事が上手くいかない場合必ず其処に原因がある筈である。だから上手くいかなかった時にその原因を考える事は同じ失敗を重ねない為にも極めて大切である。そのことは誰もが承知しているのであるが、人間と云うものは往々にして上手くいかない原因を究明し反省するよりも、斯う云う状況だから上手くいかなかったのだ。あんな思いがけない事が起こって其れで失敗したのだと云う様に弁解し自分を納得させてしまう。原因は自分が招いた事であると云う思いに徹してこそ、失敗も経験も生かされてくるのではないだろうか。

*二五日 人間としての務め

命を懸けるー其れは偉大な事です。命を懸ける思いがあるならばものに取り組む態度と云うものが自ずと真剣に成る。従ってものの考え方が一新し創意工夫と云う事も次々に生まれてきます。お互いの命が生きて働くからです。そうすると其処から私たち人間が繁栄していく方法と云うものが無限に湧き出てくると云えるのではないでしょうか。この無限に潜んでいるものを一つ一つ探し求めていくのが人間の姿であり、私達お互いの人間としての務めであると思います。もうこれで云い決してそう考えてはならない。其れは人間としての務めを怠る人だと私は思います。

*二七日 人間としての成功

人には各各皆異なった天分特質と云うものが与えられています。言い換えれば万人万様皆異なった生き方をし、皆異なった仕事をする様に運命づけられているとも考えられると思うのです。私は成功と云うのは此の自分に与えられた天分を其の儘完全に生かし切る事ではないかと思います。それが人間として正しい生き方であり自分も満足すると同時に、働きの成果も高まって周囲の人々をも喜ばすことに為るのではないでしょうか。そういう意味からすればこれこそ人間としての成功と呼ぶべきではないかと考えるのです。

*三十日 精神大国を目指して

今日我が国は経済大国と云われる迄に成りましたが、人々の心の面精神面を高めると云う事に就いては、兎角等閑にされ勝ちだった様に思います。此れからは経済面の充実と合わせてお互い国民の道義道徳心良識を高め、明るく生き生きと日々の仕事に励みつつ自他共に活かし合う共同生活を造り上げていく。合わせて日本だけでなく海外の人々牽いては人類相互の為の、奉仕貢献が出来る豊かな精神に根差した国家国民の姿を築き上げていく。その様な精神大国道徳大国とでも呼べる方向を目指して進む事が、今日国内的にも海外的にも極めて寛容ではないかと思うのです。

松下幸之助のことば9月

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「宇宙根源の力は萬物を存在せしめそれら.が生成発展する源泉となるものでその力は自然の理法として我々お互いの体内にも脈々として働き一木一草の中までも生き生きと溢れている。」―運を開く言葉より

【九月の言葉】

*一日 苦難も又善し

わが国では毎年台風や集中豪雨で大きな水害を受ける処が少なくない。然し此れ迄の例から見ると大雨が降って川が溢れ街が流されてもうだめかと云えば必ずしもそうではない。数年も経てば被害を受けなかった街よりも却って綺麗に成り繁栄していることが屡々ある。勿論災難や厄難は無いに越したことは無いが思わ牟時に思わぬ事が起こってくる。だから苦難が其れも佳と云う心づもりを常に持ち安易に流されず凡に堕さず人一倍の知恵を絞り人一倍の働きを積み重ねてゆく事が大切だと思う

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

*五日 優しい心

あの人は何処となく豊かな感じのいい人であると云う場合、其れはその人の心がその人の動作に滲み出ているからだと思います。殊に私は女性の尊さと云うものは、矢張り親切な心の顕れている処にこそ本当の尊さと云うものがあるのではと云う感じがします。唯強いばかりではいけません。賢いばかりでもいけません。賢い強いと云う事も勿論大切ですがそれ以上に大事な事は、心の優しさなのです。此れは総てのものを溶かすとでも云う程の力があるのではないでしょうか。その力を失ってはならないと思うのです。

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

*十三日 商売と誠意

誠意に溢れ真剣な想いに満ちた行動は必ず人々の心を捉えずにはおきません。誠意を持って熱心に仕事に取り組んでいる人は常にこうしてはどうだろうかとかこの次にはこんな方法でお客さんに話してみようと云う様に工夫を凝らし色々効果的な方法を考えます。又同じことを説明するにしてもその話し方に自然に熱が籠り気迫が溢れます。そうするとお客さんの方でもその熱心さに打たれどうせ買うならこの人からと云う事に為ってくるわけです。そう云う日々の仕事の態度と云うものが、やがては大きな差となって表れてくるのではないでしょうか。

*十六日 一人の責任

会社が発展するのも失敗するのも結局は総て社長一人の責任ではないだろうか。と云うのは若し社長が東へ行けと云えば、いや私は西へ行きますと云って反対の方向へ行く社員はまずいないからである。殆どの社員は社長が東へ行こうと云えば皆東へ行く。だから東へ行けと云って若し間違ったとしたらそれは社長一人の責任に他ならない訳である。同じ様に一つの部一つの課が発展するかしないかは総て部長一人課長一人の責任である。私は今迄如何なる場合でもそう考えて自問自答しながら事を進める様努めて来た。

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

*二一日 中小企業は社会の基盤

私は中小企業というものは日本経済の基盤であり根幹であると思う。其れが健在であってこそ大企業も持ち味を生かす事が出来るし経済全体の繁栄も可能となる。と共に中小企業は単に経済に於いてだけでなく謂わば社会生活の基盤にもなるものだと思う。詰り色々な適性を持った人が其々に色とりどりの花を咲かす。そう云った社会の姿がより望ましいのであり其処に人間生活の喜びと云うものがあるのではないだろうか。その意味に於いて沢山の中小企業が其々に所を得て盛んな活動をしていると云う様な社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。

*二三日 永遠に消えないもの

高野山には沢山の墓があります。その中で一段と目立つ立派な墓は概ね大名の墓だそうですが、その大名の墓も今日では無縁仏に為っているものもあると云う事です。昔は相当の一家眷属を養い而も明治に為って更に華族として財産を保護されると云う状態が長く続いたにも拘らずそう云う変化があったと云う事を考えてみますと人間の儚さと云うものを身に滲みて感じます。矢張り世の中と云うのは形ではない。幾ら地位が有り財産が有っても其れは何時迄も続くものでは無い。結局永遠に消えないものはその人の心であり思想でありこの世で果たした業績である。そう思うのです。

*二六日 真剣に取り組む

大相撲は相変わらずの人気である。私はその勝負が一瞬の間に決まると云う処が好きである。力士の人達は其の一瞬の勝負の為に毎日朝早くから夜遅くまで、文字通り血の滲む様な鍛錬をし稽古に励んでいる。そしてその成果を土俵の上で一瞬の間に出し尽そうと云う訳だ。我々も今自分の担当している仕事を本業としてこれに打ち込んでいるだろうか。大相撲の人気と云うものの裏には日や稽古に励む力士の姿がある事を思って我々も亦自分の人生自分の本業と云うものに対して日々真剣に取り組んでゆきたいものである。

*二八日 組織や地位に捉われない

今日企業界各企業の間に於ける競争と云うものは非常に激烈なものがある。此の激しい競争に於いて瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に何としても先ず直接の上司に云わねばならないんだとか矢張り組織を通じて処理しなければ叱られるだとか言っていたのでは競争に負けて仕舞うような事もあろう。事の順序としては勿論直接の上司の人に先ず云うべきではあるけれども、どうしても急を要する場合は組織や地位に捉われず即刻処理してゆくことが大切だと思う。何か事ある時には全員が打てば響く様な素早さで活動しなければいけない。

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってく る。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 雨が降れば傘をさす。其の平凡な事をごく普通にやる。私心に捉われれば天然自然の理―何が正しいかが見えなくなる。」―運を開く言葉より

【八月の言葉】

*二日 人間は初めから人間である

人間は其の歴史に於いて様々な知識を養い道具を創り出し生活を向上させてきました。然し私は人間の本質そのものは初めから変わっていないと思います。人間は元々人間であって人間そのものとして向上してきたと思うのです。私は人間が猿から進歩したと云う様な考え方に対しては疑問を持っています。猿は矢張り最初から猿であり虎は最初から虎であり人間は最初から人間であると思うのです。人間は初めから人間として素質特性を与えられ自らの努力によって知識を深め道具を拵えて自らの生活を高めて来たそれが人間の歴史だと思うのです。

*四日 もっと厳しく

昔の武士は朝早くから道場に出て血の滲む様な稽古に励んだと云う。そして師範や先輩達の木刀を身に浴び乍ら何くそと立ち向かう裡に自ずと腕も上達していった。又商人であれば丁稚奉公から勤め始め主人や番頭に横っ面の一つも張られ乍らお辞儀の仕方からものの言い方迄一つ一つ教えられつつ商人としてのものの見方考え方を養っていった訳である。勿論その様な修行の過程には好ましくない面もあったであろう。併し少なくともそうした厳しい修行が人を鍛えその真価を発展させる上に役立ったと思う。其れは今日にも適用する事であろう

八日 素直に有難さを認める

今日皆さんがこの会社に入社する事が出来たのは一つには皆さんの努力に拠るものでしょう。然し決して自分一人の力でこうなったと自惚れてはなりません。会社にしましても世間からご贔屓を頂いているからこそ今日こうして成り立っているのです。ですから個人にしても会社にしても或は国の場合でもやはり謙虚にものを考えその物事の成り立っている背景也人々の恩恵というものを正しく認識しなければなりません。そして協力してくださる相手に対しては素直に喜びと感謝を表し自分達も是の相応した働きをして行く事が大切だと思います。

*十日 欲望は生命力の発現

欲の深い人はというと普通は善くない人の代名詞として使われている様陀。所謂欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件が余りにも多い為であろう。しかし人間の欲望と云うものは決して悪の根源ではなく人間の生命力の表れであると思う。例えて云えば船を動かす蒸気力の様なものであろう。だから是を悪としてその絶滅を計ろうとすると船を止めてしまうのと同じく人間の生命をも絶ってしまわねばならぬことに為る。つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく生其の物であり力だと言って良い。だからその欲望を如何に善に用いるかと云う事こそ大事だと思う。

*十三日 投資をしているか

書物によると太閤秀吉と云う人は馬の世話をる係になった時、主人である織田信長が乗る馬を立派にする為に、自分の僅かな給料を割いて人参を買って食べさせてやったと云う事です。是は一つの誠意ある投資だと思うのです。そこで皆さんは投資をしているかと云う事です。その様に一旦貰った給料を会社へ又献金する必要はありませんが、然し自分夫の知恵で投資するか或は時間で投資するか、何らかの形で投資すると云う面が自分の成長の為にも必要だと思うのです。又其れ位の事を考えてこそ一人前の社員と云えるのではないでしょうか。

*十五日 平和の価値を見直す

最近平和と云うものが何か言わば空気や水の様に極当然に存在するものと云った感じが強くなってきたのではないだろうか。平和の貴重さ有難さが段々忘れられつつあるように感じられる。其れは危険な事だと思う。平和は天然現象ではない。人為と云うか人間の自覚と努力によって初めて実現され維持されるのである。だからこの際お互いにもう一度平和の価値と云うものを見直してみたい。そしてこの価値を知ったうえで国民として何を為すべきかを考え合いたい。差もないと折角続いたこの貴重な平和を遠からずして失う事にも成ってしまうのではないだろうか。

*十六日 道徳は実利に結びつく

社会全体の道徳意識が高まれば、先ずお互いの精神生活が豊かに成り少なくとも人に迷惑を舁けない様になります。それが更に進んで互いの立場を尊重し合う様に成れば人間関係も良くなり、日常活動が非常にスムーズに行く様になるでしょう。又自分の仕事に対しても誠心誠意之に当ると云う態度が養われれば、仕事も能率的に成り自然により多くのものが生み出される様になる。つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると云えるのではないでしょうか。そう考えるならば私達が道徳に従って全ての活動を行うと云う事は、社会人としての大切な義務だと云う事にも成ると思います。

*十九日 自由と秩序と繁栄

自由と云う姿は人間の本性に適った好もしい姿で自由の程度が高ければ髙い程生活の向上が生み出されると云えましょう。併し自由の半面には必ず秩序が無ければならない。秩序の無い自由は単なる放恣に過ぎず社会生活の真の向上は望めないでしょう。民主主義の下に在ってはこの自由と秩序が必ず求められしかも両者が火を追って高まっていく処に進歩発展と云うものがあるのだと思います。そしてこの自由と秩序と云う一見相反するような姿は実は各人の自主性に於いて統一されるもので、自主的な態度が自由を放恣から守り、無秩序を秩序に換える根本的な力になるのだと思います。

*二一日 カンを養う

カンと云うと一見非科学的なものの様に思われる。併し勘が働く事は極めて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断の出来るカンを養わなくてはいけない。其れではそうしたカンはどうしたら持つ事が出来るのか。是は矢張り経験を重ね修練を積む過程で養われていくものだと思う。昔の剣術の名人は相手の動きを勘で察知し切っ先三寸で身を躱したと云うが其れは其れこそ血の滲む様な修行を続けた結果であろう。その様に指導者としても経験を積む中で厳しい自己鍛錬に拠って真実を直感的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。

*二四日 我執

一人一人の人が其々に自分の考え自分の主張を持つと云う事は民主主義の下では究めて大事な事である。が同時に相手の言い分もよく聞いて是を是とし非を非としながら話し合いの裡に他と調和して事を進めて往くという事も、民主主義を成り立たせる不可欠の要件であると思う。若しも此の調和の精神が失われ其々の人が自分の主張のみに捉われたら其処には個人的我執だけが残って争いが起こり平和を乱すことに為る。今日の我が国の現状世界の情勢を見るとき、今少し話し合いと調和の精神が欲しいと思うのだが如何なものであろう。

*二五日 為すべき事を為す

治に居て乱を忘れずと云う事がある。太平の時でも乱に備えて物心共の準備を怠ってはならないと云う事で指導者として極めて大切な心構えである。とは言え人間と云うものは兎角周囲の情勢に流され易い。治にあれば治に溺れ乱に遇えば乱に巻き込まれて自分を見失って仕舞勝ちである。そう云う事無しに常に信念を持って主体的に生きる為にはやはり心静かに吾何を為すべきかを考えその為すべき事を只管成して行く事が大切である。指導者の要諦とは見方によってはこの為すべき事を為すと云う事に尽きるとも言えよう。

*二七日 職責の自覚

お互いに欠点と云うものは沢山あり何もかも満点と云う訳には往かない。だから自分の足りないところは他の人に補って貰わなければならないが、其の為には自分自身が自分の職責を強く自覚しその職責に対して懸命に打ち込むと云う姿勢が大切である。仕事に熱心であれば自ずから自覚が高まるし職責の自覚があれば人は亦常に熱心である。そうした自覚奏した熱意は多くの人の感応を呼び協力も得られ易くなる。そう云う事から自らの職責を自覚し全身全霊を打ち込むと云う心掛けだけはお互いに疎かにしたくないと思うのである。

*三一日 辛抱が感謝になる

我々が一生懸命に仕事をしても世間が其れを認めてくれなかったら非常に悲しい。そんな時その悲しさが不平となり出てくるのも一面無理のない事だと思う。然し認めてくれないのは世間が悪いという解釈もできるがまあ一寸辛抱しよう。今認めてくれなくてもいつか認めてくれるだろう。とじっと耐え忍びいい仕事を続けていくと云うのも一つの方法である。そして認めて貰ったら是は非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。より多く我々を認めてくれた社会に対して働かなくてはいけないと云う感謝の心になってくる。そういう心が無ければいけないと思う。