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松下幸之助の言葉

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

自分の長所に自惚れてはならない。自分の短所に劣等感を持つ必要もない。長所も短所も天与の個性、持ち味の一面である。」―人生心得帖よりー

【十月の言葉】

*一日 法治国家は中進國

今日法治国家というのは大体先進国と云う事に為っていますが、私は法治国家は真お先進国とは言えないのではないかと云う気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は謂わば中進国であって真の先進国文明国とは法律が極めて少なく所謂法三章で治まっていく国と云う事では無いかと思うのです。とすれば真の先進国に成る為にはやはり国民の良識の涵養と云うものを大いに図っていかなければ成りません。其事に成功しない限りは先進国にはなれないのではなかと思うのです。

*三日 千差万別の人間

人間は千差万別の姿と心に生まれついています。従って其々の持つ使命も天分も全部異なっているのではないかと考えられます。然し現実の社会では総てを一つの型に嵌め様規制しよう同じ道を歩ませ様とする嫌いが多分にある様に思われます。勿論こうした考え方は一面に於いては必要なのですが世の中を全部そういう考え方ものの見方で通そうとする事は決して社会の進歩には繋がらないでしょう。ですから人間が夫々持っている特性と云うものを能く認識しその特性を生かしていける共同生活を考え出さなければならないと思うのです。

*四日 心を磨く

人間の心と云うものは本当に自由なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても心の働きに由って如何様にでも考えられると思うのです。もう辛抱出来ない明日にでも自殺したいと云う場合でも考え方を変えるならば。一転して恰も広々とした大海を往くが如き悠々とした心境に転向する事さえできるのです。其れが人間の心の働きと云うものでしょう。ですから我々は是から仕事をするに当って先ず心を磨くと云うかものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに今迄得た知識を加えてやっていけば必ず大きな成果が生まれると思います。

*七日 体力と気力と経験

人間の体力と云うものは三十才前後が頂上であろう。一方気力と云う事に成ると私の常識的な体験から言えば四十歳位が最高になり之を過ぎると次第に衰えて来るのではなかろうか。勿論気力は落ちても立派に仕事は出来る。と云うのは其れ迄のその人の経験と云うものが其の気力の衰えを支えるからである。それともう一つは先輩として尊ばれ後輩達の後押しによって少々困難な事でも立派に遂行できるようになる。斯うした力が加わるからこそ歳を取って気力体力共に若い人達にとても適わない様になっても支障なく仕事が進められるのではないか。

*八日 進歩への貢献者

商品を創る方は勿論今日現在は其れが最善だと思って出すのですが、日進月歩の世の中ですから日と共に新しいアイデアが生まれてきます。ですからお客さんの中には後から買った人は非常にいいものが手に入るから先に買った人は損だと云われる方も在ります。然し商品と云うものは最初に買う人がいなければ進歩しません。先に買う人は私が金を投じて買ったから多くの人に行渡る事に為った。私は貢献者なんだ。同時に自分は一番早くその便益を得たから寧ろ得をしたんだとこう考える事に拠って世の中は発展すると思うのです。

*十日 大事に立てば起つ程

困難期混乱期に際して大事な事は根本的な心の迷いを取り除いて確りと心を確立してゆく事です。志を堅く堅持してそして事に立ち向かう事が出来るなら、その時に応じて最善と考えられる具体的な方策は適切に出てくるものだと思います。その志を確固として持つ事無しに混乱期に直面すれば彼是と心が迷い事に為って事が失敗に終る場合が少なくないと思うのです。将に貧すれば鈍すです。大事に立てば起つ程如何生きるかについての確りした信念を持つ。そうして事に当ればある程度の処置を過たずして出来るものだと思います。

*十二日 経営は総合芸術

経営者の仕事は画家等の芸術家の創造活動と軌を一にするものだと考える。一つの事業の構想を考え計画を立てる。其れに基づいて資金を求め工場その他の施設を造り人を得製品を開発し其れを生産し人々の様に立てる。その過程と云うものは画家が絵を描く如く是総て創造の連続だと云えよう。成程形だけ見れば単にモノを作っていると見えるかもしれないがその過程には到る処に経営者の精神が生き生きと躍動しているのである。その意味に於いて経営は極めて価値の高い云わば総合芸術とも言う べきものだと思います。

*十五日 紙一枚の差

社会に対する責任と云う事を同じ様に考えてやっていてもその徹し方には差がある。一方は是で十分だと考えるがもう一方はまだ足りないかも知れないと考える。そうした謂わば紙一枚の差が大きな成果の違いを生む。もう十分だと考えると苦情があってもああいうが家も十分やっているのだからと云う事になって遂反論する。けれどもまだ足りないと思えばそうした苦情に対しても敏感に受け入れ対処していく事に為る。其う云う事が商品技術販売の上に更に経営全般に行われれば年月を重ねるにつれて立派な業績を上げる殊に為る訳である。

*十六日 諸行無常の教え

その昔お釈迦さまは諸行無常と云う事を説かれました。この教えは一般には世は儚いものだと云う意味に解釈されているようですが、私は寧ろ諸行とは万物と考え諸行無常とは即ち万物流転であり生成発展と云う事であると解釈したら如何かと思うのです。言い換えますとお釈迦様は日に新たでなければならないぞと云う事を教えられたのだと云う事です。是は単に仏教だけの問題でなくお互いの日々の仕事を初め慧お互いの人生社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。

*十八日 独断は失敗に繋がる

仕事でお互いが注意すべき事は会社の伝統方針を無視した自分一人の考えで行動しないと云う事です。人一人の知恵は如何に優れていても伝統も顧みず方針を等閑視して狭い自分の主観から生まれてくる判断で行動すれば却って会社をマイナスに導きます。私達は兎角ものの一面に捉われて自己の考え已を主張しているとその背後に流れる大きな力を見忘れてしまうものです。其処から大きな失敗が表れてきます。常に自己の背後にある流れ繋がりを見通す目、心を培いその中で自己を生かすよう訓練して行かなければなりません。

*十九日 良識を養う

この世の中ではお互いが様々な言説を唱えています。然し自由の下に自説を主張する場合は自説に捉われて対立にのみ終始すると云う事ではいけません。対立しつつも調和して往かなければなら荷と思います。其の為にはお互いが其々に自らの良識を養い高めて行く事が大切です。公共の福祉に反してはならないと云う事は勿論法律にも定められていますが、矢張り法律だけでは律し切れないものがある訳です。そう云うものについては個々の人々が自らの良識で事を判断する事に拠って自由を真の自由たらしめていかなければならないと思うのです。

*二十日 小異を捨て大同につく

明治維新の立役者は勝海舟と西郷隆盛である。当時官軍にも幕府側にも戦いを主張する人は少なからずあり複雑な情勢であった。然し勝海舟も西郷隆盛も戦う事を決して軽視はしなかったけれども、それ以上に日本の将来と云う事を深く考えた譯である。そう云う両者の一致した思いが江戸城無血開城を可能にしたのだと思う。結局指導者が目先の事枝葉末節に捉われず大所高所からものを見、大局的に判断する事が如何に大切かと云う事である。何が一番大事であり何が真に正しいか絶えず小異を捨て大同につく、それが指導者として極めて大切な心構えだと思う。

*二二日 成功のコツ

良い会社だと思って入った会社でも一から十迄何もかもいいとは限りません。時には欠点もあるでしょう。然しそれを初めからこんな会社はあかんと決めてかかるか、それとも如何もこの点だけは善いとは思わないがこれは自分の問題として改善向上させていこう、と云う熱意を持って当たるかに由って対応の仕方が全く変わってくるでしょう。善し自分の会社を今よりももっと良い会社にしてやるぞ、と云う意欲を持ち全ての事を前向きに捉える姿勢を持つ人は、信頼もされ頼もしい社員として嘱望もされるでしょう。成功のコツはそのような処に在ると思うのです。

*二三日 原因は自分にある

人間と云うものは他人の欠点は目に付き易いものだ。往々にして何か問題が起こると其れは総て他人の所為で自分はに関係がないと考えがちである。実際に他人の所為であって自分は無関係なものもある。併し其れをそう判定するのは飽く迄も人間である。他人の所為ではあるけれども実は自分の所為でもある。と云う様に自分は全く関係がないとは言い切れない場合も少なくないのではなかろうか。少なくとも問題が起こった際には他人の所為だと考える前に、先ず自分の所為ではないかと云う事を一度考え直してみる事が非常に大切ではないかと思うのである。

*二五日 人の話に耳を傾ける

日頃部下の云う事をよく聞く人の処では比較的人が育っている。其れに対して余り耳を傾けない人の下では人が育ち難い。そういう傾向が有る様に思われる。何故そうなるかと云うと矢張り部下の言葉に耳を傾ける事に拠って、部下が自主的にものを考えるようになり其の事がその人を成長させるのだと思う。けれども自分の云う事に上司が耳を傾けてくれないと云うのでは、唯惰性で仕事をすると云う事になって成長も止まってしまう。上司としてどんな場合でも大事なのは耳を傾けるという基本的な心構えを何時も持っていると云う事であろう。

*二七日 インテリの弱さ

今日能く耳にする言葉にインテリの弱さと云う事がある。是はインテリには生じっかな知識が在る為に其れに囚われて仕舞、其れは出来ないとか其れは如何考えても無理だと思い込んでしまって、中々実行に移さないという一面を言った言葉だと思う。実際嗚呼其れは今迄何度も遣ってみたんだが出来ないんだと、決め込んでいる事が我々の身の回りには意外に多いのではなかろうか。時には自分の考え復自分を捉えている常識や既存の知識から解放され、純粋な疑問純粋な思い付きと云うものを大切にしてみてはどうだろうか。

*二八日 怖さを知る

人は其々怖いものを持っています。子供が親を怖いと感じたり、社員が社長を恐いと思ったり世間が怖いと思ったりします。然し其れと共に自分自身が怖いと云う場合が有ります。共すれば怠け心が起るのが怖い、傲慢になりがちなのが怖いと云う様なものです。私は此の怖さを持つと云う事が大切だと思います。怖さを常に心に懐き恐れを感じつつ日々の努力を重ねていく。其処に慎み深さが生まれ自分の行動に反省をする余裕が生まれてくると思うのです。そして其処から自分の正しい道を選ぶ的確な判断もより出来る様になると思います。

*三一日 先ず与えよう

持ちつ持たれつと云う言葉もあるがこの世の中はお互いに与え合い与えられ合う事に拠って成り立っている。其れはお金とか品物と云った物質的な面もあれば思い遣りと言った様な心の面もある。聖書の中にも与うるは受浮くるよりも幸いなりと云う言葉があると云うが人間とは他から貰う事も嬉しい方が他に与え他を喜ばす事により大きな喜びを感じると云う処があると思う。そういう喜びを自ら味わいつつしかも自分を含めた社会全体をより豊かにして行く事が出来るのである。先ず与えよう此れをお互いの合言葉にしたいと思うのだがどうであろうか。

松下幸之助のにことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「大成功や大失敗だけが人生における体験ではない。平穏な日々の中でも、心の持ち様如何では、大いに体験を積むことができる。」―人生心得帖よりー

【九月の言葉】

*一日 苦難も又善し

わが国では毎年台風や集中豪雨で大きな水害を受ける処が少なくない。然し此れ迄の例から見ると大雨が降って川が溢れ街が流されてもうだめかと云えば必ずしもそうではない。数年も経てば被害を受けなかった街よりも却って綺麗に成り繁栄していることが屡々ある。勿論災難や厄難は無いに越したことは無いが思わ牟時に思わぬ事が起こってくる。だから苦難が其れも佳と云う心づもりを常に持ち安易に流されず凡に堕さず人一倍の知恵を絞り人一倍の働きを積み重ねてゆく事が大切だと思う。

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

*五日 優しい心

あの人は何処となく豊かな感じのいい人であると云う場合、其れはその人の心がその人の動作に滲み出ているからだと思います。殊に私は女性の尊さと云うものは、矢張り親切な心の顕れている処にこそ本当の尊さと云うものがあるのではと云う感じがします。唯強いばかりではいけません。賢いばかりでもいけません。賢い強いと云う事も勿論大切ですがそれ以上に大事な事は、心の優しさなのです。此れは総てのものを溶かすとでも云う程の力があるのではないでしょうか。その力を失ってはならないと思うのです。

*六日 自然を生かす

自然はそれ自体の為に存在しているという見方がある。併しもっと大きな観点に立って考えてみると自然は人間の共同生活に役立つために存在しているのだと考える事も出来るのではなかろうか。そう考えてみれば自然を人間の共同生活の上に正しく活用して行く事は人間にとって当然為すべき事だとも云える。無論単に意欲を逞しくして自然を破壊する事はあってはならない。自然を十破壊して其処から八の価値しか生み出さないと云うのではいけないが、十二の価値を生むならば寧ろ積極的に自然を活用して要ったらいいと思うのである。

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

*十日 不健康また結構

私は不健康が必ずその人を不幸にするとは思いません。世の中には不健康で幸福になる場合もありますし又逆に健康な爲に却って行き過ぎて不幸になる場合もあるのです。肝心な事は不健康又結構なりと云う気分に成る事です。不健康は不幸な事だ悲しい事だと考えて心を乱してはいけないと思うのです。小さい頃から病弱だった私がそう云う心境に為れたのは、今日考えるとやはり前途に強い希望を持っていた為だと思います。不健康の為に希望を失うと云う事では失敗の上に失敗を重ね不幸の上に又不幸を重ねる事に為ってしまうのではないでしょうか。

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

*十四日 慈しむ

昔仁徳天皇は国中に炊事の煙の乏しいのを見て人民の困窮を知り三年間課役を中止し、三年後国中に煙が満ちて初めて国富めりと再び租税を課された。その感は皇居も荒れ雨が漏る程で在っても修理されなかったと云う。是は伝説かも知れないが然し大事な事はその様に人民を慈しむ仁慈の心を持つ事が昔から指導者のあるべき姿とされてきた事である。そこに日本の一つの良き伝統がありそう云う処から封建時代でさえ数々の名君が生まれたのであろう。其事が栄える基だったのである。民主主義の今日でも指導者は先ず人々の幸せを願い仁慈の心を持たねばならないと思う。

*十五日 精神的大家族

核家族の風潮と云うのはいい悪いは別にして天下の大勢です。大きな流れです。けれども其れは形の上でそうなのであって精神の上では核家族に為ってはいけないと思ういます。恰も大家族の如く年老いた老人には家族の人達が絶えず心を通わせる様にしなければなりません。例えば三日に一遍電話は電話で声をかけて挙げるとかそう云う繋がりが無ければいけないと思います。世の中が進歩したら其々活動する場所が増えますから、どうしても離れ離れになって大家族と云う形は執れません。だから一方でそれを集約する精神的な繋がりが一層必要だと思うのです。

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

*十九日 仕事を味わう

私はどんな仕事で在れ本当に其れが自分に適したものかどうかを見極めるのはそれほど容易な事では無い。租事と云うものはもっともっと深いと云うか味わい深いものだと思います。最初は詰らないと思えた仕事でも何年間か之に取り組んでいる内に段々と興味が湧いてくる」。そして今迄知らなかった自分の適性と云うものが開発されてくる。そう云う事も仕事を進めていく過程で起こってくるものです。詰り仕事と云うものはやればやる程味の出てくるもので、辛抱して取り組んでいる内に段々と仕事の味喜びと云ったものを見出して行く事が出来るのだと思います。

*二一日 中小企業は社会の基盤

私は中小企業というものは日本経済の基盤であり根幹であると思う。其れが健在であってこそ大企業も持ち味を生かす事が出来るし経済全体の繁栄も可能となる。と共に中小企業は単に経済に於いてだけでなく謂わば社会生活の基盤にもなるものだと思う。詰り色々な適性を持った人が其々に色とりどりの花を咲かす。そう云った社会の姿がより望ましいのであり其処に人間生活の喜びと云うものがあるのではないだろうか。その意味に於いて沢山の中小企業が其々に所を得て盛んな活動をしていると云う様な社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。

*二二日 平和の為の前提条件

平和が大切だと云う事は何千年も前から唱えられているにも拘らずその一方では戦争をしている。甚だ如きは平和の爲の闘争とか戦争と云ったことが、口にされ行われていると云うのが過去現在における人間の姿だと云えましょう。それではその様な状態を脱却し平和を実現する前提として何が必要かと云うと人間としての意識革命ではないかと思います。詰り真の平和と云うものをはっきり見極め心からそれを切望すると云う様な、一人一人の意識革命が一国の政治の上にも教育の上にも醸成されていくならば求めずして平和は生まれてくると思います。

*二五日 信賞必罰

信賞必罰即ち罰すべき罪過ある者は必ず罰し賞すべき功ある者は必ず賞せよということ。是は人間が存在する限り程度の差はあっても絶対に必要な事であろう。此れが行われない国家社会は次第に人心が倦みやがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない会社集団家庭何処に於いても是は決して蔑ろにされてはいけない事だと思う。唯ここで大事な事は信賞必罰と云っても常に適時適切でなければならないと云う事である。是は微妙にして非常に難しい事で之が当を得なかったならば却ってことを誤ってしまう。

*二八日 組織や地位に捉われない

今日企業界各企業の間に於ける競争と云うものは非常に激烈なものがある。此の激しい競争に於いて瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に何としても先ず直接の上司に云わねばならないんだとか矢張り組織を通じて処理しなければ叱られるだとか言っていたのでは競争に負けて仕舞うような事もあろう。事の順序としては勿論直接の上司の人に先ず云うべきではあるけれども、どうしても急を要する場合は組織や地位に捉われず即刻処理してゆくことが大切だと思う。何か事ある時には全員が打てば響く様な素早さで活動しなければいけない。

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってくる。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「運に対して一定の信念を持っていなければならない、それが自分に対する自信に繋がっていく。運は創るというか育てていくもの。運というものは人間にとって大変必要なものですよ。謂わば自己形成の大きな原料です。」―運を開く言葉よりー

【四月の言葉】

**一日 縁あって

袖振り合うも他生の縁―と云う古い諺があるが人と人との繋がりほど不思議なものはない。其の人がその会社に入らなかったならばその人とはこの世で永遠に知り合う事もなかっただろう。考えてみれば人々は大きな運命の中で縁の糸で操られているとも思える。こうしたことを思うと人と人との繋がりと云うものは、個人の意志や考えで簡単に切れるものではなくもっともっと次元の高いものに左右されている様である。であるとすればお互いにこの世の中における人間関係をも少し大事にしたいしもう少し有難いものと考えたい。

*二日 人間はダイヤモンドの原石

私はお互い人間はダイヤモンドの原石の如きものだと考えている。ダイヤモンドの原石は磨くことに拠って光を放つ。しかも其れは磨き方如何カットの仕方如何で、様々に異なる燦然とした輝きを放つのである。同様に人間は誰もが夫々に光る様々な素晴らしい素質を持っている。だから人を育て活かすに中っても先ずそういう人間の本質と云うものを能く認識し其々の人が持っている優れた素質が活きる様な配慮をしていく。それが矢張り基本ではないか。もしそういう認識が無ければ幾ら良き人材があってもその人を活かすことは難しいと思う。

*三日 まず人の養成を

最近ではサービスの大切さという事が盛んに言われ、どういう商売でもそれなりの制度なり体制と云うものを逐次充実させつつあると思います。其事は大いに結構であり必要なことでしょうが、その任に当たるサービス員の養成が十分でないと折角の体制も所謂画龍点睛を欠くという事になって魂の入らないものとなってしまう恐れがあります。本当にお客様に喜んで頂けるサービスをしていくには、やはり会社を代表して適切にものを言い適切に処置が出来ると云う人の養成訓練を第一に大切なことと考え、その労を惜しまないという事だと思います。

*五日 学ぶ心

人とは教わらず又学ばずして何一つとして考えられるものでは無い。幼児の時は親から、学校では先生から、就職すれば先輩からと云うように教わり学んで後初めて自分の考えが出るものである。学ぶと云う心掛けさえあれば宇宙の万物はみな先生となる。物言わぬ木石から秋の夜空に輝く星屑などの自然現象、また先輩の厳しい叱責、後輩の純粋なアドバイス一つとして師ならざるものはない。どんな事からもどんな人からも、謙虚に素直に学びたい。学ぶ心が旺盛な人程新しい考えを創り出し独創性を発揮する人であると云っても過言ではない。

*九日 国民の良識を高める

民主主義の国家として一番大事なものは矢張りその民主主義を支えてゆくに相応しい良識が国民に養われているという事でしょう。さもなければその社会は所謂勝手主義に陥って収拾のつかない混乱も起こりかねないと思います。ですから国民お互いが夫々に社会の在り方人間の在り方について高度な良識を養っていかなければなりません。国民の良識の高まりと云う裏付けがあって初めて民主主義は花を咲かせるのです。民主主義の国にもし良識と云う水をやらなかったならば立派な花は咲かず却って変な花醜い姿のものになってしまうでしょう。

*十一日 夢中の動き

此の観音様は鑿が作ってくれた自分は何も覚えていない。と云うのは版画家棟方志功さんの言葉である。私は偶々この棟方さんが観音様を彫っておられる姿をテレビで拝見し、その仕事に魂と云うか全てをつぎ込んでおられる姿に深く心を打たれた。一つ一つの身体の動きが意識したものでなく当に夢中の動きとでも云うかそんな印象を受けたのである。その姿から人間が体を動かしてする作業と云うものの大切さをつくづくと感じさせられた。機械化に懸命な今日だからこそ魂の入った作業と云うものの大切さをお互いに再認識する必要があるのではないだろうか。

*十二日 使命感を持つ

人間は時に迷ったり怖れたり心配したりと云う弱い心を一面に持っている。だから事を為すに当って、ただ何となくやると云うのではそういう弱い心が働いて力強い行動が生まれてきにくい。けれども其処に一つの使命を見出し使命感を持って事に当っていけばそうした弱い心の持ち主雖も非常に力強いものが生じてくる。だから指導者は常に事に当って何の為に此れをするのかと云う使命感を持たねばならない。そしてそれを自ら持つと共に人々に訴えていくことが大事である。そこ二千万人と雖も我往かんの力強い姿が生まれるのである。

*十三日 運命を生かす為に

サラリーマンの人々が其々の会社に入られた動機には色々あると思う。中には何となく入社したと云う人もあるかも知れない。併し一旦就職しその会社の一員となったならば、これは唯何となくでは済まされない。入社したことがいわば運命で有り縁で有るとしても今度はその上に立って自ら志を立て自主的にその運命を生かしていかなくてはならないと思う。其の為にはやはり例え会社から与えられた仕事であっても進んで創意工夫を凝らし自ら其処に興味を見出しゆき遂には夢見る程に仕事に惚れると云う心境になる事が大切だと思う。

*十四日 知識は道具知恵は人

知識と知恵如何にも同じもののように考えられる可もしれない。けれどもよく考えてみるとこの二つは別物ではないかと云う気がする。つまり知識というのはある物事について知っているという事であるが、知恵と云うのは何が正しいかを知ると云うか所謂是非を判断するものではないかと思う。言い換えれば仮に知識を道具に譬えるならば知恵は其れを使う人そのものだと云えよう。お互い知識を高めると同時に其れを活用する知恵をより一層磨き高めてゆきたい。そうして始めて真に快適な共同生活を営む道も開けてくるのではないかと思うのである。

*十七日 人を惹きつける魅力を持つ

指導者にとって極めて望ましい事は人を惹きつける魅力を持つという事だと思う。指導者にこの人の爲なら・・と感じさせるような魅力があれば期せずして人が集まりまたその下で懸命に働くという事にもなろう。もっともそうは云ってもそうした魅力的な人柄と云うものはある程度先天的な面もあって、誰もが身につける事は難しいかも知れない。併し人情の機微に通じるとか人を大事にするとか云ったことも努力次第で一つの魅力ともなろう。何れにしても指導者は惹きつける魅力の大切さを知りそう云うものを養い高めていくことが望ましいと思う。

*二十日 信頼すれば・・・

人を使うコツは色々あるだろうが先ず大事な事は人を信頼し思い切って仕事を任せる事である。信頼され任されればん瓶嚴は嬉しいしそれだけ責任も感じる。だから自分なりに色々工夫もし努力もしてその責任を全うしていこうとする。言ってみれば信頼されることによってその人の力がフルに発揮されてくる譯である。実際には100%人を信頼してする事は難しいもので其処に任せて果たして大丈夫かと云う不安も起こってこよう。併し例えその信頼を裏切られても本望だと云うぐらいの気持ちがあれば案外に人は信頼に背かないものである。

*二一日 しつける

日本人は頭もよく素質も決して劣っていない。だから何がいいか悪いかぐらいは百も承知して要る筈であるが、さてそれが行動になって表れたりすると忽ち電車に乗るのに列を乱したり公園や名所旧跡を汚したりしてしまう。やはりこれはお互いに躾が足りないからではないかと思う。幾ら頭で知っていてもそれが子供の時から躾られていないと何時まで経っても人間らしい振舞が自然に出てこない。つまり折角の知識も躾に拠って身に着いていないとその人の身だしなみも好くならず結局社会人として共に暮らす事が出来なくなってくるのである。

*二六日 知識を活用する訓練

松下政経塾には優秀な先生方の講師として来て貰う訳ですが普通の学校の様な授業はやらない。先ず学生が質問をして其れを先生に答えて貰う形式をとる。質問するものがなかったなら先生は何も言ってくれないと云うようにしたいんです。質問をする為には疑問を持たなければならない。疑問を持つに至る迄の勉強は自分で遣らなければ為らないと云う訳です。つまり知識を与えるのではなく持っている知識を活用する能力を育てていく訓練を重ねて自分の考えを堂々と主張できるような人間になってもらいたいという願いを持っているのです。

*二七日 賢人ばかりでは

世の中は賢人が揃っておれば万事上手くいく

と云うものでは決してありません。賢人は一人いればそれで十分なんです。更に準賢人が三人準準賢人が四人くらい。そんな具合に人が集まれば上々でしょう。賢人ばかりですと議論倒れで一向に仕事が捗らないと云ったようなことに為りがちです。一つの実例を挙げればある会社で三人の立派な人物がお互いに協力し合って居た筈なのにどうも上手くいかない。そこで一人を抜いてみた。すると残る二人の仲がピタッとあって非常に上手く行きぬかれた人物も他の分野で成功した。そこなことがよくあるものなのです。

*二八日 会社は道場

仕事と云うものは矢張り自分でそれに取り組んで体得していかなければならないものだと思う。併し自得していくには其の為の場所と云うか道場とでもいうものが必要であろう。処が幸いな事にその道場は既に与えられている。即ち自分の職場自分の会社である。後はその道場で進んで修行しよう仕事を自得して行こうと云う気に為るどうかという事である。しかも会社と云う道場で月謝を払うどころか逆に給料までくれるのだからこんな具合の好い話はない。この様な認識に立てば仕事に取り組む姿も謙虚にしかも力強いものに為る筈である。

*三十日 困難から力が生まれる

人間と云うものは恵まれた順境が続けばどうしても知らず識らずの裡に其れに馴れて安易に成り易い。昔から治にいて乱を忘れずという事が言われ其れを究めて大切な心構えであるけれどもそういう事が本当に100%出来る人は恐らくいない。やはりどんな立派なな人でも無事泰平な状態が続けば遂安易になる。安心感が生じ進歩が止まってしまう。それが困難に出会い逆境に陥ると其処で目覚める。気持ちを引き締めて事に当たる。其処から順調な時に出なかった様な知恵が湧き考えつかなかった事を考え着く。画期的な進歩革新も初めて生まれてくる。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「十人の人がいればそのうち、二人は自分と志を同じくしてくれる六人はそこまでないまぁ。普通である。あとの二人は自分の志に反する。此れだけの人数がいればなかには自分と気が合わない人がいるのが当たり前。」―運を開く言葉よりー

【二月の言葉】

*一日 天は一物を与える

この世に百パーセントの不幸と云うものはない。五十パーセントの不幸はあるけれども半面其処に五十パーセントの幸せがある訳だ。人間は其れに気付かなければいけない。兎角人間の感情というものは上手くいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。是は人間の一つの弱い面だが其れをなるべく少なくして、いつの場合でも淡々とやる。信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。天は二物を与えずと云うが、逆になるほど天は二物は与えないがしかし一物は与えてくれるということが言えると思う。其の与えられた一つのものを大事にして育て上げることである。

*三日 人間道に立つ

我々人間は相寄って共同生活を送っています。其の共同生活をうまく運ぶにはどうすればよいか。皆が活かされる道を探さねばなりません。お釈迦さまは縁なき衆生は度し難しと云っておられます。併しなろう事ならそうした諦観を超えお互いを有縁の輪で結び合わせることが出来ないものかと思います。其の為にはお互い在るがままの姿を認めつつ、ぜんたいとしてちょうわ、きょうえいしていくことをかんがえていかなければなりません。それがにんげんとしてのみちすなわちにんげんどうと云うものです。お互いに人間道に立って生成発展の大道を衆知を集めて力強く歩みたいものです。

*四日 企業は社会の公器

一般に企業の目的は利益の追求にあると云われる。確かに利益は健全な事業経営を行う上で欠かすことが出来ない。併しそれ自体が究極の目的かと云うとそうではない。根本はその事業を通じて共同生活の向上を計ることであって、その根本の使命を遂行していく上で利益が大切になってくるのである。そういう意味で事業経営は本質的には私の事ではなく公事であり、企業は社会の公器なのである。だから例え個人の企業であろうと私の立場で考えるのではなく、常に共同生活にプラスになるかマイナスにと云う観点からものを考え判断しなければならないと思うのである。

*六日 正しい国家意識

昨今の国際情勢は一方で世界は一つと云いつつも、その一方で各国が過度の国家意識に立ち自国の利害を優先して仕舞う為、対立や紛争が一向に絶えない。それでは日本はどうかと云うと、反対に国家意識が極めて薄い為却って問題が起こっている様である。個人でも正しい自己認識、人生観を生み出し自主性を持って生きていってこそそこに初めて他の人々に対しても奢らず、諂わず仲良く付き合っていける譯である。国でも同じことである。国民が正しい国家意識を持ち、他の国々と交流していくことが大切であろう。過ぎたるもいけないが及ばざるもいけない。

*七日 平穏無事な日の体験

体験と云うものは失敗なり成功為り何か事があった時だけに得られる、と云うものでしょうか。決してそうではないと思います。平穏無事な一日が終わった時、自分が今日やったことは果たして成功だったか失敗だったかを心して考えてみると、あれは一寸失敗だったな、もっといい方法があったのではないか。と云うようなことが必ずあると思います。それについて思いを巡らせば、これはもう立派な体験と云えるのではないでしょうか。形の上での体験だけでなく日々お互いが繰り返しいる目に見えない些細なことも、自らの体験として刻々に積み重ねていく姿勢が大切だと思うのです。

*九日 一歩一歩の尊さ

仕事はいくらでもある。あれも作りたい是も拵えたい、こんなものがあれば便利だ、あんなものも出来るだろうと次から次へと考える。その爲には人が欲しい資金が欲しいと願うことには際限がないが、一歩一歩進むより他に到達する道があろうか。それは絶対にない。やはり一歩一歩の繋がり以外に道はない。坦々たる大道を一歩一歩歩んでゆけばそれでよい。策略も政略もいらない。一を二とし、二を三として一歩一歩進んでゆけば遂には彼岸に達するだろう。欲しいと願う人も一人増えまた一人増えて遂には万と数えられよう。一歩一歩の尊さをしみじみと味わわねばならぬ。

*十一日 国を愛する

我が国は戦後相当立派な成長を遂げてきましたが、不思議に愛国心と云う言葉がお互いの口から出ません。時たま出てもあまり歓迎されない状態です。愛国心と云うものは国を愛する餘に他の国と戦いをすることに為ると云う人もあります。併し決してそうではないと思います。国を愛すれば愛する程、隣人と仲良くしていこう友好を結んでゆこうという事になるだろうと思うのです。お互いが自分を愛するように国を愛し、隣人を愛す。そうする事によって其処に自分の幸せも築かれていくと思うのです。疎の様な姿をお互いに盛り上げていくことが国民としての大きな使命ではないでしょうか。

*十三日 一人の力が伸びずして

自分は一年にどれだけ伸びているか、技術の上に或は社会に対する物の考え方の上に、どれだけの成長があったか、その成長の度合いを測る機械があれば是は簡単に判ります。併し一人一人の活動能力と云うか知恵才覚と云うか、そういう総合の力が伸びているかどうかを図る機械はありません。けれども私は5%なり10%或は15%伸びたと自分で云えるようでないといけないと思います。やはり一人一人が自分の力でどれだけの事をしているかという事を反省してみることが大切です。一人一人の力が伸びずに社会全体の力が伸びると云う事はないと思うのです。

*十五日 自己観照

自省の強い人は自分と云うものをよく知っている。つまり自分で自分を善く見つめているのである。私は是を自己観照とよんでいるけれども、自分の心を一遍自分の身体から取出して外からもう一度自分と云うものを見直してみる。これが出来る人には自分と云うものが素直に私心無く理解できるわけであるこういう人には過ちが非常に少ない。自分にどれ程の力があるか自分はどれ程の事が出来るか、自分の適性は何か自分の欠点はどうした処に在るか、と云うようなことがごく自然に何物にも捉われることなく見出されてくると思うからである。

*十七日 死も生成発展

私は人生とは生成発展つまり日々新たの姿であると考えています。人間が生まれ死んでいくと云う一つの事実は人間の生成発展の姿なのです。生も発展なら死も発展です。人間は今迄ただ本能的に死を恐れ忌み嫌い之に耐え難い恐怖心を抱いてきました。人情としては無理もない事です。しかし我々は生成発展の原理に目覚め、死は恐るべきことでも悲しむべき事でもつらい事でもなく寧ろ生成発展の一過程に過ぎない事、万事が成長する一つの姿であることを知って死にも厳粛な喜びを見出したいと思います。

*二一日 人事を尽して天命を待つ

人事を尽して天命を待つと云う諺がある。是は全く至言で私は今も自分に時々その言葉を言い聞かせる。日常色々な面倒な問題が起きる。だから迷いも起きるし悲観もする、仕事に力が入らないことがある。是は人間である以上避けられない。しかしその時私は自分は是と信じてやっているのだから後は天命を待とう、成果は人に決めてもらおう・・こういう考え方でやている。小さな人間の知恵でいくら考えてみても、どうにもならぬ問題が沢山有り過ぎる。だから迷うのは当たり前である。そこに私は一つの諦観が必要だと思うのである。

*二三日 道徳は水と同じ

戦後の我が国では道徳教育というと何か偏った風に思われることが多いが、私は道徳教育はいわば水と同じではないかと思う。人間は活きる為にどうしても水が必要である。処がこの水に何か不純物が混じっていてそれを飲んだ人が病気になった。だからと云って水を飲むことを一切否定してしまったらどうなるか。大切なことは水そのものの価値効用を否定してしまうことではない。水の中の不純物を取り除くことである。嘗て道徳教育の中に誤った処があったからといって道徳教育そのものを否定してしまう事は其れこそ真実を知らぬことではないか。

*二五日 七十点以上の人間に

完全無欠な人間などあり得ないと思う。だからお互い人間として一つの事に成功することもあろうし、時には過ちもあるだろう。それは人間としてやむを得ないと云うかいわば当たり前の姿だと思う。併し過ちと正しい事を通算して正しい事の方が多くなる様な働き為り生活を持たなければやはり人間として、望ましい姿とは言えないのではなかろうか。仮に自分を点数で表すとどうなるだろう。三十点のマイナス面はあるが少なくともプラスの面が七十店あると云う様な処迄には到達するようお互い努力したいものである。

*二七日 誠意あればこそ

先般部品の一つに不良のある商品をお得意さんにお送りしてしまった時に、その方が厳重に注意しなければという事で会社に出向いてこられたことがあった。しかし実際に会社に来てみると、社員の人々が一心に仕事に打ち込んでいる姿を見て憤慨もせず却って信用を深めて帰られたと云う話を聞いた。この事から私は誠実且熱心に日々の仕事に力強く取り組むとという事が如何に大きなと唐を持っているかという事をつくづく感じさせられた。そういう態度と云うものは、見る人の心に何物かを与えるばかりでなく仕事とそのものの成果をより高める原動力にもなると思うのである。

*二八日 感謝の心は幸福の安全弁

感謝の念という事は是は人間にとって非常に大切なものです。見方によれば総ての人間の幸福なり喜びの根源とも云えるでしょう。従って感謝の心の無い処からは決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は人間不幸になると思います。感謝の心が高まれば高まる程それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり幸福の安全弁とも言えるものが感謝の心とも言える訳です。その安全弁を失ってしまったら幸福の姿は瞬時のうちに壊れ去ってしまうと云ってもいいほど人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのです。

*二九日 健康管理も仕事の内

会社生活をしていく上で何といっても大切なのは健康それも心身共の健康です。いかに優れた才能が有っても健康を損ねてしまっては充分な仕事も出来ず、その才能も生かされないまま終わってしまいます。出羽建工の為に必要なことは何かと云うと栄養であるとか、休養とか色々あるでしょう。しかし特に大切なのは心の持ち方です。命を懸けると云う程の熱意を以て仕事に打ち込んでいる人は少々忙しくてもそう疲れもせず病気もしない、ものです。お互い自分の健康管理も仕事の内という事を考え人夫々のやり方で心身ともの健康を大切にしたいものです。

松下幸之助のことば9月

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「宇宙根源の力は萬物を存在せしめそれら.が生成発展する源泉となるものでその力は自然の理法として我々お互いの体内にも脈々として働き一木一草の中までも生き生きと溢れている。」―運を開く言葉より

【九月の言葉】

*一日 苦難も又善し

わが国では毎年台風や集中豪雨で大きな水害を受ける処が少なくない。然し此れ迄の例から見ると大雨が降って川が溢れ街が流されてもうだめかと云えば必ずしもそうではない。数年も経てば被害を受けなかった街よりも却って綺麗に成り繁栄していることが屡々ある。勿論災難や厄難は無いに越したことは無いが思わ牟時に思わぬ事が起こってくる。だから苦難が其れも佳と云う心づもりを常に持ち安易に流されず凡に堕さず人一倍の知恵を絞り人一倍の働きを積み重ねてゆく事が大切だと思う

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

*五日 優しい心

あの人は何処となく豊かな感じのいい人であると云う場合、其れはその人の心がその人の動作に滲み出ているからだと思います。殊に私は女性の尊さと云うものは、矢張り親切な心の顕れている処にこそ本当の尊さと云うものがあるのではと云う感じがします。唯強いばかりではいけません。賢いばかりでもいけません。賢い強いと云う事も勿論大切ですがそれ以上に大事な事は、心の優しさなのです。此れは総てのものを溶かすとでも云う程の力があるのではないでしょうか。その力を失ってはならないと思うのです。

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

*十三日 商売と誠意

誠意に溢れ真剣な想いに満ちた行動は必ず人々の心を捉えずにはおきません。誠意を持って熱心に仕事に取り組んでいる人は常にこうしてはどうだろうかとかこの次にはこんな方法でお客さんに話してみようと云う様に工夫を凝らし色々効果的な方法を考えます。又同じことを説明するにしてもその話し方に自然に熱が籠り気迫が溢れます。そうするとお客さんの方でもその熱心さに打たれどうせ買うならこの人からと云う事に為ってくるわけです。そう云う日々の仕事の態度と云うものが、やがては大きな差となって表れてくるのではないでしょうか。

*十六日 一人の責任

会社が発展するのも失敗するのも結局は総て社長一人の責任ではないだろうか。と云うのは若し社長が東へ行けと云えば、いや私は西へ行きますと云って反対の方向へ行く社員はまずいないからである。殆どの社員は社長が東へ行こうと云えば皆東へ行く。だから東へ行けと云って若し間違ったとしたらそれは社長一人の責任に他ならない訳である。同じ様に一つの部一つの課が発展するかしないかは総て部長一人課長一人の責任である。私は今迄如何なる場合でもそう考えて自問自答しながら事を進める様努めて来た。

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

*二一日 中小企業は社会の基盤

私は中小企業というものは日本経済の基盤であり根幹であると思う。其れが健在であってこそ大企業も持ち味を生かす事が出来るし経済全体の繁栄も可能となる。と共に中小企業は単に経済に於いてだけでなく謂わば社会生活の基盤にもなるものだと思う。詰り色々な適性を持った人が其々に色とりどりの花を咲かす。そう云った社会の姿がより望ましいのであり其処に人間生活の喜びと云うものがあるのではないだろうか。その意味に於いて沢山の中小企業が其々に所を得て盛んな活動をしていると云う様な社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。

*二三日 永遠に消えないもの

高野山には沢山の墓があります。その中で一段と目立つ立派な墓は概ね大名の墓だそうですが、その大名の墓も今日では無縁仏に為っているものもあると云う事です。昔は相当の一家眷属を養い而も明治に為って更に華族として財産を保護されると云う状態が長く続いたにも拘らずそう云う変化があったと云う事を考えてみますと人間の儚さと云うものを身に滲みて感じます。矢張り世の中と云うのは形ではない。幾ら地位が有り財産が有っても其れは何時迄も続くものでは無い。結局永遠に消えないものはその人の心であり思想でありこの世で果たした業績である。そう思うのです。

*二六日 真剣に取り組む

大相撲は相変わらずの人気である。私はその勝負が一瞬の間に決まると云う処が好きである。力士の人達は其の一瞬の勝負の為に毎日朝早くから夜遅くまで、文字通り血の滲む様な鍛錬をし稽古に励んでいる。そしてその成果を土俵の上で一瞬の間に出し尽そうと云う訳だ。我々も今自分の担当している仕事を本業としてこれに打ち込んでいるだろうか。大相撲の人気と云うものの裏には日や稽古に励む力士の姿がある事を思って我々も亦自分の人生自分の本業と云うものに対して日々真剣に取り組んでゆきたいものである。

*二八日 組織や地位に捉われない

今日企業界各企業の間に於ける競争と云うものは非常に激烈なものがある。此の激しい競争に於いて瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に何としても先ず直接の上司に云わねばならないんだとか矢張り組織を通じて処理しなければ叱られるだとか言っていたのでは競争に負けて仕舞うような事もあろう。事の順序としては勿論直接の上司の人に先ず云うべきではあるけれども、どうしても急を要する場合は組織や地位に捉われず即刻処理してゆくことが大切だと思う。何か事ある時には全員が打てば響く様な素早さで活動しなければいけない。

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってく る。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 雨が降れば傘をさす。其の平凡な事をごく普通にやる。私心に捉われれば天然自然の理―何が正しいかが見えなくなる。」―運を開く言葉より

【八月の言葉】

*二日 人間は初めから人間である

人間は其の歴史に於いて様々な知識を養い道具を創り出し生活を向上させてきました。然し私は人間の本質そのものは初めから変わっていないと思います。人間は元々人間であって人間そのものとして向上してきたと思うのです。私は人間が猿から進歩したと云う様な考え方に対しては疑問を持っています。猿は矢張り最初から猿であり虎は最初から虎であり人間は最初から人間であると思うのです。人間は初めから人間として素質特性を与えられ自らの努力によって知識を深め道具を拵えて自らの生活を高めて来たそれが人間の歴史だと思うのです。

*四日 もっと厳しく

昔の武士は朝早くから道場に出て血の滲む様な稽古に励んだと云う。そして師範や先輩達の木刀を身に浴び乍ら何くそと立ち向かう裡に自ずと腕も上達していった。又商人であれば丁稚奉公から勤め始め主人や番頭に横っ面の一つも張られ乍らお辞儀の仕方からものの言い方迄一つ一つ教えられつつ商人としてのものの見方考え方を養っていった訳である。勿論その様な修行の過程には好ましくない面もあったであろう。併し少なくともそうした厳しい修行が人を鍛えその真価を発展させる上に役立ったと思う。其れは今日にも適用する事であろう

八日 素直に有難さを認める

今日皆さんがこの会社に入社する事が出来たのは一つには皆さんの努力に拠るものでしょう。然し決して自分一人の力でこうなったと自惚れてはなりません。会社にしましても世間からご贔屓を頂いているからこそ今日こうして成り立っているのです。ですから個人にしても会社にしても或は国の場合でもやはり謙虚にものを考えその物事の成り立っている背景也人々の恩恵というものを正しく認識しなければなりません。そして協力してくださる相手に対しては素直に喜びと感謝を表し自分達も是の相応した働きをして行く事が大切だと思います。

*十日 欲望は生命力の発現

欲の深い人はというと普通は善くない人の代名詞として使われている様陀。所謂欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件が余りにも多い為であろう。しかし人間の欲望と云うものは決して悪の根源ではなく人間の生命力の表れであると思う。例えて云えば船を動かす蒸気力の様なものであろう。だから是を悪としてその絶滅を計ろうとすると船を止めてしまうのと同じく人間の生命をも絶ってしまわねばならぬことに為る。つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく生其の物であり力だと言って良い。だからその欲望を如何に善に用いるかと云う事こそ大事だと思う。

*十三日 投資をしているか

書物によると太閤秀吉と云う人は馬の世話をる係になった時、主人である織田信長が乗る馬を立派にする為に、自分の僅かな給料を割いて人参を買って食べさせてやったと云う事です。是は一つの誠意ある投資だと思うのです。そこで皆さんは投資をしているかと云う事です。その様に一旦貰った給料を会社へ又献金する必要はありませんが、然し自分夫の知恵で投資するか或は時間で投資するか、何らかの形で投資すると云う面が自分の成長の為にも必要だと思うのです。又其れ位の事を考えてこそ一人前の社員と云えるのではないでしょうか。

*十五日 平和の価値を見直す

最近平和と云うものが何か言わば空気や水の様に極当然に存在するものと云った感じが強くなってきたのではないだろうか。平和の貴重さ有難さが段々忘れられつつあるように感じられる。其れは危険な事だと思う。平和は天然現象ではない。人為と云うか人間の自覚と努力によって初めて実現され維持されるのである。だからこの際お互いにもう一度平和の価値と云うものを見直してみたい。そしてこの価値を知ったうえで国民として何を為すべきかを考え合いたい。差もないと折角続いたこの貴重な平和を遠からずして失う事にも成ってしまうのではないだろうか。

*十六日 道徳は実利に結びつく

社会全体の道徳意識が高まれば、先ずお互いの精神生活が豊かに成り少なくとも人に迷惑を舁けない様になります。それが更に進んで互いの立場を尊重し合う様に成れば人間関係も良くなり、日常活動が非常にスムーズに行く様になるでしょう。又自分の仕事に対しても誠心誠意之に当ると云う態度が養われれば、仕事も能率的に成り自然により多くのものが生み出される様になる。つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると云えるのではないでしょうか。そう考えるならば私達が道徳に従って全ての活動を行うと云う事は、社会人としての大切な義務だと云う事にも成ると思います。

*十九日 自由と秩序と繁栄

自由と云う姿は人間の本性に適った好もしい姿で自由の程度が高ければ髙い程生活の向上が生み出されると云えましょう。併し自由の半面には必ず秩序が無ければならない。秩序の無い自由は単なる放恣に過ぎず社会生活の真の向上は望めないでしょう。民主主義の下に在ってはこの自由と秩序が必ず求められしかも両者が火を追って高まっていく処に進歩発展と云うものがあるのだと思います。そしてこの自由と秩序と云う一見相反するような姿は実は各人の自主性に於いて統一されるもので、自主的な態度が自由を放恣から守り、無秩序を秩序に換える根本的な力になるのだと思います。

*二一日 カンを養う

カンと云うと一見非科学的なものの様に思われる。併し勘が働く事は極めて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断の出来るカンを養わなくてはいけない。其れではそうしたカンはどうしたら持つ事が出来るのか。是は矢張り経験を重ね修練を積む過程で養われていくものだと思う。昔の剣術の名人は相手の動きを勘で察知し切っ先三寸で身を躱したと云うが其れは其れこそ血の滲む様な修行を続けた結果であろう。その様に指導者としても経験を積む中で厳しい自己鍛錬に拠って真実を直感的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。

*二四日 我執

一人一人の人が其々に自分の考え自分の主張を持つと云う事は民主主義の下では究めて大事な事である。が同時に相手の言い分もよく聞いて是を是とし非を非としながら話し合いの裡に他と調和して事を進めて往くという事も、民主主義を成り立たせる不可欠の要件であると思う。若しも此の調和の精神が失われ其々の人が自分の主張のみに捉われたら其処には個人的我執だけが残って争いが起こり平和を乱すことに為る。今日の我が国の現状世界の情勢を見るとき、今少し話し合いと調和の精神が欲しいと思うのだが如何なものであろう。

*二五日 為すべき事を為す

治に居て乱を忘れずと云う事がある。太平の時でも乱に備えて物心共の準備を怠ってはならないと云う事で指導者として極めて大切な心構えである。とは言え人間と云うものは兎角周囲の情勢に流され易い。治にあれば治に溺れ乱に遇えば乱に巻き込まれて自分を見失って仕舞勝ちである。そう云う事無しに常に信念を持って主体的に生きる為にはやはり心静かに吾何を為すべきかを考えその為すべき事を只管成して行く事が大切である。指導者の要諦とは見方によってはこの為すべき事を為すと云う事に尽きるとも言えよう。

*二七日 職責の自覚

お互いに欠点と云うものは沢山あり何もかも満点と云う訳には往かない。だから自分の足りないところは他の人に補って貰わなければならないが、其の為には自分自身が自分の職責を強く自覚しその職責に対して懸命に打ち込むと云う姿勢が大切である。仕事に熱心であれば自ずから自覚が高まるし職責の自覚があれば人は亦常に熱心である。そうした自覚奏した熱意は多くの人の感応を呼び協力も得られ易くなる。そう云う事から自らの職責を自覚し全身全霊を打ち込むと云う心掛けだけはお互いに疎かにしたくないと思うのである。

*三一日 辛抱が感謝になる

我々が一生懸命に仕事をしても世間が其れを認めてくれなかったら非常に悲しい。そんな時その悲しさが不平となり出てくるのも一面無理のない事だと思う。然し認めてくれないのは世間が悪いという解釈もできるがまあ一寸辛抱しよう。今認めてくれなくてもいつか認めてくれるだろう。とじっと耐え忍びいい仕事を続けていくと云うのも一つの方法である。そして認めて貰ったら是は非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。より多く我々を認めてくれた社会に対して働かなくてはいけないと云う感謝の心になってくる。そういう心が無ければいけないと思う。

松下幸之助のことば

前回6月までの、哲人「中村天風の言葉」に変わり、今回から、経営の神様と謳われた松下幸之助翁の言葉を月1回、掲載いたします。

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、難しいとかまた、高価な書物とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「一のものは一と見るようにしてきた」この物事の本質実相を見抜いた心こそ松下幸之助が終生大事にし、求め続けた「素直な心」              「運を開く言葉」より

松下幸之助一日一話    

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫 発行所 PHP総合研究所05年8月22日初版 発行PHP文庫  

【七月の言葉】

*一日 素直な心の初段

聞く処によると碁を習っている人は大体一万回ぐらい碁を打てば初段に為れると云う事です。素直な心の場合も其れと同じ様な事が言えるのではないかと思います。先ず素直な心になりたいと朝夕心に思い浮かべ、そうして絶えず日常の行いに捉われた態度がなかったかを反省する。そういう姿を一年二年と続けて一万回約三十年を経たならば、やがては素直の初段とも云うべき段階に到達する事も出来るのではないかと思うのです。素直の初段にもなったならば先ず一人前な心と云えるでしょう。だから大体に於いて過ち無き判断や行動が出来るようになってくると思います。

*五日 責任を生甲斐に

人は成長するに連れて段々その責任が重くなってきます。そして成人に達すると法律的にもはっきり少年の頃とは違った責任を問われます。又次第に高い地位に就くようになると其れだけ責任が重くなります。併し人は元々責任を問われる処に人としての価値があるのだと思います。責任を問われることが大きければ大きい程其れだけ価値が高いと云う事が言えましょう。ですから責任を問われる処に生甲斐も有ろうと云うものです。責任を背負いその事に生甲斐を覚えないとしたら年齢は20歳をどれだけ過ぎようと一人前の人ではありません。

*七日 信ずる事と理解する事

繁栄平和幸福をより早くより大きく生む爲には信ずる事と理解する事-この二つを全うしてゆかねばなりません。と云うのは信を誤らない為には理解を正しく働さなければなりません。

理解を捨てると迷信に陥り易く復理解だけで信ずる心が無ければ信念に弱さを生じてしまうからです。では信斗解を全うしてゆくにどうすればよいか。其れには先ず素直な心に為る事です。正しい理解も素直な心から生まれてきますし信ずる事も素直な心から高まってくると思います。心が素直であって信と解が共に高まればあらゆる場合に適切な働きが出来るようになると思います。

*十一日 礼儀作法は潤滑油

私は礼儀作法と云うものは決して堅苦しい物でも単なる形式でもないと思います。其れは云わば社会生活における潤滑油の様なものと云えるのではないでしょうか。職場では性格や年齢物の考え方等色々な面で異なる人々が相寄って仕事をしています。そのお互いの間を滑らかに動かす役割を果たすのが礼儀作法だと思うのです。ですから礼儀作法と云うものは当然心の籠ったものでなければなりませんが、心に思っているだけでは潤滑油とはなりません。やはり形に表し相手に伝わり易くし心と形の両面が相俟った適切な礼儀作法であってこそ初めて生きてくると思うのです。

*十三日 世論を超える

一般に指導者と云うものは世論と云うか多数の意見を大切にしなくてはいけない。世論に耳を傾けず自分一個の範dんで事を進めて行けば往々にして独断に陥り過ちを犯す事に為ってしまう。けれども其れは飽く迄平常の事である。非常の場合には其れだけでは処し切れない面も出てくる。そういう場合には指導者は世論を超えてより高い知恵を生み出さなくてはいけない。常は世論を大切にし世論を尊重しつつも非常の場合には敢えて其れに反してもより正しい事を行う。其れが出来ない指導者ではいけないと思う。

*十七日 自他相愛の精神

個人と個人との争い国と国との争いは、相手を傷つけ更には社会全体世界全体を混乱させる。そういう争いの大きな原因は自他相愛の精神と云うか、自分を愛するように他人を愛し自国を愛するように他国を愛する精神の欠如によるものであろう。そういう精神の大切さは昔から色々な教えに拠って説かれてい乍ら未だに争いが絶えないのは人々が此の事をの大切さを真に悟っておらずその精神に徹していないからだと思う。争いは自らをも傷つけると云う事を身を持って師利人類に平和を齎す為に力を合わせて行く事が肝要である。

*十八日 公事の為に人を使う

沢山の人が働いている企業の中には色々様々な職種がある。けれども其のどれをとっても一つとして私の仕事は無い。皆その企業が事業を通じて社会に貢献して行く為に必要なものである。その必要な仕事をやってもらうために人を雇い人を使っている訳である。形の上では使う立場使われる立場はあるけれども飽く迄私の為ではなく公の為に人を使うのである。だから単に私的な感情や利害で人を使ったり処遇する事は許されない。常に社会の公器としての企業の使命と云うものに照らして何が正しいかを考えつつ人を使う様に心掛けなくてはならない。

*二一日 世間は神の如きもの

事業が大きくなってくると仕事も段々と複雑になって其処に色々な問題が起こってくる。私はこの問題をどう考えどう解釈すべきかと日々の必要に迫られて、その解決策の根本を求めていくうちに世間は神の如きも、の自分のした事が当を得ていると世間は必ず是を受け入れてくれるに違いないとう考えに行きついた。正しい仕事をしていれば悩みは起こらない。悩みがあれば自分のやり方を変えればよい。世間の見方は正しい。だからこの正しい世間と共に懸命に仕事をしていこう、こう考えているのである。

*二三日 末座の人の声を聞く

皆さんが長と云う立場に立って会議をする場合、一番若輩とと云われるような人からも意見が出ると云う事が非常に大切だと思います。そして其の為には意見が出る様な空気と云うか雰囲気を創っているかどうかが先ず問題に成ります。だから末座に坐っている人でも遠慮なく発言できるような空気を創る事が長たる者の心得だと思うのです。そして末座に坐っている人から意見が出たなら葬って終う様な事をせず喜んでそれを聞く素直さが諒と云うものを持つ事が非常に大事だと思います。其れを持っていないとそのグループなり会社は上手くいかなくなってしまうでしょう。

*二六日 経営にも素直な心が(カ)

成功する経営者と失敗する経営者の間にある大きな違いは、私心に捉われず公の心でどの程度ものを見る事が出来るかと云う事にあると思います。私心つまり私的欲望によって経営を行う経営者は必ず失敗します。私的欲望に打ち勝つ経営者であってこそ事業に隆々たる繁栄発展を齎す事が出来ると思うのです。私の欲望に捉われず公の欲望を優先させると云う事は、言葉を替えれば素直な心に為ると云う事です。その様に私心に捉われず素直な心で物事を見る事が出来るように、自らを常に顧み戒める事が大切だと思います。

*二七日 人間の幸せの為の政治

私達が決して忘れてならない事は政治は結局お互い人間の幸せを高める為にあると云う事です。過去に於いては多くの人々が政治に拠って苦しめられお互いの血を血を洗うと云う事もありました。併しそうした好ましくない姿は政治の本来の姿ではない。政治は本来お互い人間の其々の活動をスムーズに進める事が出来るようにするものです。それらの調整調和を図り共同生活の向上を計って、一人一人の幸せを生み高める事こそをその使命としているのです。此の政治は本来人間の幸せの為にあると云う事を私達は先ず正しく認識し合う必要があると思います。

*三一日 自分自身への説得

説得と云うものは他人に対するものばかりとは限らない。自分自身に対して説得する事が必要な場合もある。自分の心を励まし勇気を奮い起こさねばならない場合もあろうし、又自分の心を抑えて辛抱しなければならない場合もあろう。そうした際には自分自身への説得が必要になってくる譯である。私が此れ迄自分自身への説得を色々してきた中で今でも大雪ではないかと思う事の一つは自分は運が強いと自分に言い聞かせる事である。本当は弱いかわからない。併し自分自身を説得して強いと信じさせるのである。そう云う事が私は非常に大事ではないかと思う。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 HP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【六月の言葉】

*三日 思っただけじゃダメ

幾ら心の持ち方を積極的にする事が理想だと云っても、其の理想を妨げる様な所謂日常生活を克服する事が出来なければだめなんだ。其の為には克服出来る様にする方法を実践しないでただ克服したい信念の人間に成りたいと思っただけじゃ成れやしない。 考えてご覧お風呂の脇に立っていて沸いているお湯を見ているだけでもって身体が綺麗になるか綺麗に成らないか。お風呂に入って洗い清めなければだめだろう。其れと同じ事だ。

*五日 人間は力の結晶である

命の力を豊富に受け入れられる活き方とは如何なる場合にも心の態度を積極的に保つ事であって、どんな場合にも最高度に引き上げられた自己認証を揺るがせにしない事である。どんな場合にも人間と云うものの生命は一切の生命を凌いでいる力の結晶だと正しく思い込んでしまう事である。そして之を如何なる場合にも心に確りと堅持する事である。

*六日 心大らかに

人各各運命に活きる人世なれば心大らかに過ごさんものを

之を自分で歌に作っているだけに自分で是を実行している。是は本の瞬間の自分の心の持ち方だ。瞬間消極的な事は心の中に入れないことだ。然し入れない様に頑張ると心の中で戦争しなきゃならないからふっといなしてしまえばいいんだよ。

*八日 不運から心を離す

病也運命から心が離れた時は病が在っても其の人は病人じゃない。運命が悪くても其の人は運命の悪い人じゃない。ようく寝ている人間は何も知らない。何も知らない人間に病があるか。目が覚めて嗚呼病があると思うんじゃないか。運命が良くってもいいか運命が悪い時の事を考えてりゃその人は運命が悪いのと同じだ。その位の事あ羅貯めて私から聞かなくたってもう判ってる筈だ。

*十一日 傑出した人物

実際古今共に所謂傑出した人物と云うのは何れも皆有意注意力が完全な人々の事を言うんだ。何事に対しても周到にその観念が統合され従って精神も統一され、その結果全ての能力が同輩を凌ぐ為に嫌でも自然と傑出しちゃう。だから何時も何事でも自分の好む事を行う時と同様に気を込めておやりなさい。

*十二日 真理は厳しいもの

自然界の存在する人間への掟は真に厳しい。然も是は千古変わらず久遠のその昔から永遠の将来迄証と実存している。真理はお前はそういう場合だから特別に見よう。まあ兎に角今度は機嫌の良い時に教わった様におしよと云う事は云いやしません。真理は峻厳にして侵すべからず。間違った生き方に対する正しい心構えが万一にも用意されないと忽ち事実が貴方方に反省を促します。その反省を促す事実とは如何にと云えば病なり不運なりです。

*十五日 原因結果の法則

凡そ人生には人生を厳格に支配している一つの法則がある。其れは原因結果の法則である。そして人生と云うものは其の人が自覚するしかないかを問わず、この法則を応用する度合いに比例する。即ち蒔いた種の通り花が咲くと云う法則である。俗に言う善因善果悪因悪果の法則である。人間の運命の中に地獄を作り又極楽を創るのもこの法則があるからである。

*十八日 不幸は幸福を招く原動力

不幸に直面したら先ずその不幸に際しても尚且つ生命を失わずに現実に活きていられる事を感謝する事に心を振り向けるべきである。するとそうした心掛け其れ自体が幸福を招いてくる原動力となるのである。

*二一日 人間の大使命

人間は此の世に病む為に生れて来たのでもなければ又煩悶や苦労をする為に生れて来たのでもない。否もっと重大な使命を遂行する爲に生れて来たのである。其の大使命とは何かと云うと宇宙原則に即応して、此の世の中の進化と向上とを実現化する事に努力すると云う事である。即ち人間は斯う云う尊い大使命を遂行する爲に現象界に生れて来たものである。

*二二日 心身統一の効果

あらゆる力と云うものは気と云うモノから生まれる。人間が人間の生命の有りの儘の姿である心身一女如を現実にする爲、心身を統一した活き方を行えば当然生命存在の根源を為す処の気と云うモノの収受量が増大する。そして命の力の内容量も亦当然豊富となりそれが精神方面に表現すれば心の力となり、肉体方面に表現すれば体の力となる。人生建設の根源要素となる体力胆力判断力断行力精力能力の六つの力も之に応じて優秀化してくるのである。

*二三日 和について

和とは不可分の統合即ちYOGAの事である。人間の人間らしい活き方とは心身の統一即ち心と肉体が輪になった活き方である。是以外の活き方では本当の人間としての真の価値を発揮できない。生命の和が乱されれば肉体も精神も其の健康味を発揮する事が出来ない。特に精神の不健康は社会をも濁らす事となる。何故ならば人間としての道義性が著しく欠如してどんな場合にもその振舞いが自己本位に堕するからである。

*二六日 悩みと縁を切る為に

凡そ悩み程人生を暗くするバカげた真理現象は無い。処が大抵の人は悩みを持たない人間など居る筈が無いと云う誤った考えを持っている。是こそが取り越し苦労或は消極的な思考を常とする証拠であろうが、人間の心には其の統御が完全でありさえすれば即ち心理に合致して積極的でありさえすれば悩み等と言う真理現象は絶対に起らないのである。依ってその消息を確と認識すべきである。

*二七日 見えなくてもある

科学的教育を受けた者は、感じないもの見えないものは無いものだと思っている。直に証拠はと聞きます。第一我々の生きている現在の大気の中には、酸素窒素その他の我々の生命性活動を力づけるに必要な要素が存在している、と云う事は誰にも見えやしない。其れでも見えなくたって在ると信じますよ。証拠はとは云いませんよ。人間の住む地球上には電波が縦横無尽に交錯していると云う事は形が見えなくても疑わないでしょう。

*二九日 行とは何か

行なるものは決して特殊の方法や手段を特定に時間や場所で、特別に行う事ではなくその方法やその手段其の物が其の儘自己の生命を活かす方法になって要る事で、是を客観的に言えばその方法や手段でその人はその生命を生活せしめてその生命を確保していると、云う事になるのであります。

*三十日 人間の能力

人間の本来の面目は創造的なものである。それ故に人間が万物の霊長として一切の生物を遼河して優秀なる能力を生れ乍らに賦与されているのは是が在る爲である。しかも特に疎かに出来ない事は、其の賦与量は些かも差別の無い公平なものである。この一言を考慮されても自己の現在使用している能力に対する反省が厳格に行われて、その是正が確実に施されるなら一切の総ては悉く可能に転換され収握される事も亦必然自明の事と感得される。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 発行所 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【三月の言葉】

*二日 完全を願う意欲観念

人間には不完全を嫌い完全を喜ぶと云う気持ちがあるでしょう。壊れた時計と壊をれていないと時計と両方見せられて好きな方を持って行きなって言われたら、誰だって壊れていない時計を貰って行く筈です。だから自己の健康や運命も誰もが完全である事を願うんです。たまには患ってみたいとかニッチもさっちも行かない運命の中に陥って

*五日 自分の分を知る

自分の分を知らなきゃ卑しい希望や汚れた宿望を炎と燃やしても、ろくな仕事は出来ないし不渡りを食う結果が来るのだ。五貫目の力しかないのに十貫目のものを持ち上げるとどんな結果に成るか、と云う事を考える事だ。自己認証とと云う事は自分の分を知ると云う事これが本当の自己認証である。

*六日 吾在る処

古聖の教えにも吾在る処に常に光あらしめん・我往く処に又光明を点ぜんと云うのがあるが、誠と愛の心を持って万物の接する時、期せずして其れは光明となるのが必至である。是こそ真に最も近くして最も遠く最も新しくで最も古き乃ち久遠より永劫への昭(証)として一貫する不易の人生哲学と人生科学の真髄である。

*八日 刹那心機の転換

常に心掛けねばならない事は刹那心機の転換と云う事である。刹那心機の転換と云うのは言い換えれば如何なる事でも即座に心を積極的に切り替えることを言うので、禅の方では熱殺寒殺と云う言葉があるのも要するにこれと同義諦なのである。この言葉は即ち暑さに対しても寒さに対しても其れを思わぬ事、其れに心を懸り合わせぬ事さすれば寒暑何ものぞ否一切の人事世事皆是と相等しと云う、所謂心機転換の妙を説示した偈語なのである。

*十一日 真心を持った行為

人間の行為に真心の籠って為されるものとその否との場合はその結果の事実の如何に拘りなく、その行為の尊さと云うものに頗る格段の相違がある。例えば他人の危難を救うと云う様な場合報償を目当てにして人を救ったのと、断然報償等を念頭に置かずに救ったのとは、例え敢然として難を冒して救ったというその行為と事実とは同様であろうとも、その行為の尊さには全然大きな隔たりがある。

*十四日 真理は事情に同情しない

自分の仕事や又は為す事等が思い通り上手くいかないと、とてもがっかりしたりへこたれて憐れな程意気を消沈する人が有るが、何れにしても人生斯うした心構えでは幾ら学識が有ろうと金持ちであろうと更に社会的の地位を持っておろうと、真理と云うものは事情に同情しないのであるから只徒に不幸な状態に自分を心ならずも導入して、結局は往生の時を早めるだけのこと以外何も値打ちのある事は人生に招来されない。

*十六日 睡眠は精力復活の恵み

特に就寝前には心痛憤怒煩悶悲観と云う様な仮初にも心を暗くするが如き、消極的の思考は断然心に抱か〆ぬ様努めて習慣付けなければならない。要するに睡眠と云う自然の与えてくれた精力復活の恵まれた時に本当に親しむのには、落ち着いた楽々とのんびりした気分が最も肝要なのである。

*十八日 臨機応変

世の中を見てみるにその日々の生活を行う際「力」の使い方を考えない為、力を働かさずに力のみ入れると云う力の無駄遣いをしている傾向がある。県の極意は変機に処する以外には徒に力を入れぬ事である。此れが臨機応変の要訣である。人生生活を完成する命の力の使い方も亦これ以外にない

*二一日 大定心

大定心と云うのはどんな時どんな事にも些かも動揺せぬ心、言い換えると如何なる場合に怯じず怖れず急がず焦らず何時も淡々として極めて落ち着いている心である。此れをもっと適切な状態で云えば何事も無い時の心と同様の心の状態である。あの古い句で有名な「湯上りの気持ちを欲しや常日頃」というのが此の心持を最も真実に形容表現している。要するに何事も無い時の平静の心こそ大定之心也と云う事である。

*二四日 心や肉体が自己ではない

心や肉体が人間=自己に対してどんな関係にあるかについて説明しよう。心や肉体は人間そのもののように見えるが実はそうではなく、人間がこの世に活きるのに必要な色々な方便を行うための道具と云う関係である。哲学的に言えば心や肉体は人間の個体生命の生存と生活を確保存続させるに必要な不可分的生命付属物なのである。故に心や肉体は人=自己ではなく益してそれが人=自己の本体ではないのである。

*二七日 思考の客観的批判

兎に角お互いに真理に則って正しい向上への人生を建設し様と云う者は、自己の心の行う思考状態の客観的批判を刹那刹那実行する位の余裕を心にもたして活きるのが、本当に生活を味わい得る貴重な人生真理だと悟らなければならない。そしてその余裕を現実に心に創る事を常住の心掛けとすべきである。

*二九日 人間の死と云うもの

たった一つの宇宙の根本が産出したものが森羅万象である。従って一切の森羅万象と称するものは宇宙根本のエネルギーの分派によって創られている。形がつまり目の前にあると云うのは宇宙根本の力がまだ籠っているからである。その力が抜けてしまえば形を現象界から消して根源要素に還元しなければならない。人間死と云うのもそう云う事なのである。

*三一日 つまらない考え方

心の弱い卑怯な人に為ると何か自分には運命が向いていないだとか、世間がまだ本当に認めてくれないだとか、最呆れた奴に為ると整備が整っていないだとか誰々が手伝ってくれないとか、何か上手くいかない時に自分以外のものの所為にする人がいますがとんでもない了見違いですよ。やれ運命が詰まらないの人生が詰まらないのって人はその考え方が詰まらないんです。いいですか幸福も健康も成功も他にあるんじゃないんですぜ。貴方方自身の中にあるんだぜ。

中村天風の言葉 1月

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 発行所 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【一月の言葉】

*一日 生きる力

凡そ人間としてこの世に生まれ人間として人生に活きる為に第一に知らねばならぬ事は、人間のいのちに生まれながらにして与えられた生きる力に対する法則である。真自分の命の中に与えられた力の法則と云うものを正しく理解して人生に活きる人は、真に限りなき強さと歓喜と沈着と平和とを作ろうと思わなくても出来上がってくるようにできてくるのである。其れを一番先に我々は知らねばならない。

*二日 変転極まり無きが人生

事無き世界に生きている時の自分を幾ら明瞭に認識したからと云って、人生が事無き世界でもって一生を終わって仕舞うなら兎も角変転極まりなきが人生の常。何か事のあった時に慌てやしないか。思いがけない事件に出くわした時に狼狽えやしないか。冷静な考え方がめちゃめちゃになって仕舞わないかと云う様な自分の欠点や短所を有事の際にどうな風という事を深く掘り下げて考えなきゃ駄目なんだ。そうすると自然と自分と本当の姿と云うものが自分の心に映ってくる

*四日 人生を考えるという事

現代人の考え方は唯生活の当面の事だけを考えてそれで人生を考えているように思っている。もっとはっきり言えばこうやって生きている毎日その日の生命の生活の事だけを考えるのが、何か人生の先決問題のように考えている。喰うこと着る事儲ける事遊ぶこと、勿論それも必要な事だから考えるべきものではあるかもしれない。併しだからと云って其れだけを考えていれば人生すべてが解決すると思う考えはどうかと思わないか?

*六日 自然法則に従って生きる

人間は自然物の一つであるからこそ当然自然の法則に従って生きるべきである。自然界にはその種を問わず自然の法則に背反している者は絶対に存在しないのが事実である。それ故人間は真の健康を確立し無病で且長寿でその生涯を全うするには何を於いても自然法則に順促して生活する事が鉄則である。

*九日 自分で蒔いた種

総ての人生の出来事は偶然に生じたものじゃありません。アクシデント(事故)と云うものは自己が知る知らないを問わず必ず自分が蒔いた種に花が咲き実がなったんです。活きる心構えと云うものに正しい自覚がそして反省が常に油断なく行われていないで生きると全然自分が気の付かないような悪い種を健康的にも運命的な方面にも蒔いてしまうんです。

*十一日 欲を捨てることは出来ない

天風哲学は断固としてこう断言します。人間の欲望と云うものは絶対に捨てることは出来ないのであります。其れを捨てる事の出来るように説いてる釈迦もキリストもマホメットも多くの人々に私から言わせましたら偽りを言っているんだと遠慮なく言いたい。私は欲なんて棄てません。私と同様真理の中で生きる立派な人間をこの地上にできるだけ増やしたいと云う欲望で一生懸命この仕事をやっているんだもん。

*十四日 思考そのものが人生

厳格に考定すれば人生とは実は思考そのものなのである。否極言すれば人生即思考とも云えるのである。これをもっと釋言すれば思考の量と質の両者の総合現象が人生なのである。而してこの厳粛な事実を考慮すると仮に思考と生命との関係が大して問題にする程重大でないと仮定しても叙上の如く思考そのものが人生である以上は凡そ思考程人としてこの世に活きる場合これ以上重大なものはないと厳格に考えるべきだと云わねばならない。

*十七日 毎朝心から感謝する

先ず第一に毎朝寝覚めたら今日も亦生きていた事を心から感謝するという事を今日一日の生命への出発の第一歩とする事。大抵の人は毎朝目覚める事を何か当然の事であるかの様に考えている。処がいつ何時どんな事で自己の命が失われるかも知れない。又実際に於いて何時かは絶対に目覚めぬ永久の眠りに入ってしまう時が来る。と云う一大事を考えると毎朝目覚めた時自分の活きていることを直感して刹那限りない感謝を感じないではいられないと思う。

*二十日 呼吸法

呼吸法は単に肉体生命の生きる力に対してばかりでなく、更に進んで高級な精神生命機能の方面迄その効果を及ぼす事を目的として創造している。即ち呼吸作用は酸素を吸って二酸化炭素を出すと言う様な単一的な生理現象に対してだけでなくよりもっと重大な人間の根源的な方面に迄密接な関係がある。

*二十三日 求道とは実行である

幾ら素晴らしい教えであっても是を実行しなければ其れは絵に描いた餅に過ぎない。例えば積極心を身につけるに能って感謝の念が重要である事はよく知って要る筈だがいざとなると不平不満が先行して中々実行が伴わない。その点傑出した先達に見られる求道の精神は文字通り絶対不断であった。積極心を本当に絶対的にしたければその手始めに一切の不平不満を感謝に置き換える努力を怠らない事である。

*二十六日 心の思考が人生を創る

可能な限り消極的な気持ちで肉体を考えないようにすることが何よりも大切である。特に病の時は病を忘れる努力をすべきである。一言で言うならば人間の健康も運命も心一つの置き所。心が積極的方向に動くのと消極的方向に動くのとでは天地の相異がある。ヨガ哲学ではこれを心の思考が人生を創ると云う言葉で表現している。

*二十九日 初一念貫徹による成功

東洋の豊臣秀吉西洋のナポレオンは僅かな年月の間に立派な兵馬の権を手にして天下に君臨しております。又フランクリンやエジソンの如き偉大な発明や発見を敢えてした人々何れも心の態度が積極的でありました。ですからどんな艱難辛苦に遭遇して不僥不屈その強い心で何事にも脅かされずに能く此れを乗り越えてそして初一念を貫徹する強い心があの人達を成功させたのであります。

*三十日 自消極的言葉の厳禁

絶対に消極的な言葉は使わない事、否定的な言葉は口から出さない事、悲観的な言葉なんか断然もう自分の言葉の中にはないんだと考える位な厳格さを持っていなければだめなんです。