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法三章

百朝集74章

沛公諸県の父老豪傑を召して曰く、父老、秦苛法に苦しむこと久し。誹謗する者は族せられ、偶語する者は棄市せらる。吾、諸侯と約す、先づ関に入る者は之王たらんと。吾、、当に関中に王たるべし。父老と約す、法三章のみ。人を殺すものは死し、人を傷つけ及び盗せば罪に抵さん。余は悉く秦の法を除去せん。諸吏人皆安堵することを故の如くせよ。凡そ吾来る所以は父老の為に害を除き、侵暴する処に非ず。恐 るる事莫れ。且吾軍を覇上に還す所以は諸侯の至るを待って約束を定めんとするのみと。乃ち人をして秦の吏と県の郷邑の行て之を告諭せしむ秦人大いに喜び、争うて牛羊酒食を持ちて軍士献饗す。沛公 また譲りて受けずして曰く、倉粟多く乏しきに非ず。人に費やすを欲せずと。人亦益々歓び、沛公の秦王にならざるを恐る。 史記「高祖本紀第八」

安岡正篤解

革命と政治の要訣はこの一文に尽きると思う。此れの判らぬ者は政治を語る資格のない者である。政治は如何に民情を掴み且簡易化するかである。

この百朝集の巻頭の言葉に安岡正篤師は「易経」も言葉を引用している。

曰く「易簡而天下之理得矣」ー易簡にして天下の理を得たりー

また官庁に省という字を使うのは物事は省いていって簡略化するという意味が込められているともおっしゃっている。はてさて現代の日本は如何なものか。何事も複雑化していっているよう見えますね。
複雑化した 社会・国際関係の現代では仕方がないということかもしれませんが、素人目には、逆転の発想で簡素化することでより住みやすい社会が実現できるのでは、などと思ったりもします。複雑化したことでそれを利用する輩も出てきているのではなどと思ったりもします。現代の日本国際社会の政治行政体制は安岡正篤師の目から見れば、いわば天下の理には程遠い体制ということになるようですね。