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古事記人名検索(Ⅴ)

=あいうえお順=

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は上記版における 名前 読み方 巻 ページ 登場順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人として特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。尚、神名は参考にしている新潮社古典文学54年版「古事記」の末尾附録として掲載されてます。ご興味ある方は、そちらもご覧ください。

因みに 岩波古典文学大系「古事記」の付録は、今に伝わる祝詞のすべてが、また小学館版の「古事記」には上代歌謡のすべてが収録されています。

ヌ行

沼名木之入日売命     ヌナキノイリヒメニミコト   中   133   173

 スジンテンノウ・オオアマヒメ長女

沼羽田之入毘売      ヌバタノイリビメ    中   141   198

 ヒバスヒメ(ヒコタタスミチノウシ娘)妹→スイニンテンノウ妃

沼帯別命         ヌタラシワケノミコト    中   141   199

 スイニンテンノウ・ヌバタノイリビメ長子

沼代郎女         ヌノシロノイラツメ     中   154   238

 ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇女

沼木郎女         ヌナキノイラツメ     中   154   239

 ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

額田大中日子命      ヌカタノオホナカツヒコノミコト  中   183   305

 オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ長子

奴理能美         ヌリノミ       下   210   396

 箇木ツツキの韓人((現京都綴喜郡)百済帰化人統率者 奴理使主ヌリノミ同か 養蚕

糠若子郎女        ヌカノワクゴノイラツメ   下   264   479

 ワニノヒツマノオミ娘-ニンケンテンノウ妃

沼倉太玉敷命       ヌナクラフトタマシキノミコト  下   267   525

 キンメイテンノウ・イシヒメ長子→第三十代敏達天皇ビタツ他田ヲサダ宮-現奈良桜井市戒重 十四年在位 甲辰キノエタツ584年4月6日崩御 御陵:川内ノ科長(大阪南河内郡太子町)

糠子郎女         ヌカゴノイラツメ     下   267   529

 ヒツマノオミ娘ーキンメイテンノウ妃

糠代比売王        ヌカデヒメノオホキミ    下   269   571

 ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母(庶妹)☞タカラオホキミ・タムラノオホキミ同

ネ行

根鳥命          ネトリノミコト      中   184   312

 オウジンテンノウ・ナカツヒメ次男 ミハラノイラツメ(庶妹)ノ夫 ナカツヒコ親

根之臣          ネノオミ       下   232   433

 坂本臣の祖-タケノウチスクネの子キノツヌノスクネ末裔

泥杼王          ネドノオホキミ     下   268   547

 キンメイテンノウ・キタシヒメ十男

ノ行

怒能伊呂比売       ノノヒロヒメ      中   129   108

 タケノウチスクネ次女

野之郎女         ノノイラツメ      下   265   502

 ケイタイテンノウ・セキヒメ三女 ナガヒメ同

ハ行

蠅伊呂泥         ハエイロネ       中   125   56

 ワチツミノミコト長女 オホヤマトクアレヒメ同

蠅伊呂杼         ハエイロド      中   125   58

 ワチツミノミコト次女 コウレイテン妃

波邇夜須毘売       ハニヤスビメ      中   128   92

 カワチノアオダマ娘-コウゲンテンノウ妃

波多八代宿禰       ハタノヤシロノスクネ    中   129   102

 タケノウチスクネの長子→波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君の祖

針間之伊那毘能大郎女   ハリマノイナビノオホイラツメ  中   154   225

 ワカタケキビツヒコ娘→ケイコウテンノウ妃

速総別命         ハヤブサワケノミコト   中   184   327

 オウジンテンノウ・イトイヒメ長子→メトリノオオキミ悲恋仁徳朝謀反

幡日之若郎女       ハタヒノワカイラツメ    中   184   331

 オウジンテンノウ・ナガヒメ長女

春山之霞壮夫       ハルヤマノカスミヲトコ   中   200   369

 春山の擬人化→妻問伝承(古伝承集約化か)→大国主八上比売神話類型・ウミサチヤマサチ神話類型(神名)

波多毘能大郎子      ハタビノオホイラツコ   下   204   388

 ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘⁻応神朝)長子 オホクサカ同 →アンコウテンノウニ殺サレル

波多毘能若郎女      ハタビノワカイラツメ   下   204   390

 ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ナガメヒメ・ワカクサカベノミコト同 →ユウリャクテンノウ求婚

間人穴太部王       ハシヒトノアナホベノオホキミ 下   268   551

 キンメイテンノウ・オエヒメ(ソガノイナメ妹・キタシヒメ姨)長女ーヨウメイテンノウ皇后・ショウトクタイシ母

長谷部若雀命       ハツセベノワカサザキノミコト 下   268   554

 キンメイテンノウ・オエヒメ三男-第三十二代崇峻天皇スシュン 倉橋柴垣宮クラハシノシバガキノミヤ四年在位 壬子ニズノエネ-592年11月13日崩御 御陵:倉橋の岡(桜井市倉橋)

ヒ行 

稗田阿禮         ヒエダノアレ     序   22    7

 舎人古事記編纂藤原不比等?

比売多多良伊湏気余理比売 ヒメタタライスケヨリヒメ   中   120   42

 セヤダタラヒメ・オオモノヌシの子ホトタタライススキヒメ同 ジンムテンノウ大后

日子八井命        ヒコヤイノミコト     中   122   43

 ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの長子→茨田連・手嶋連ノ祖

孫            ヒコ        中   125   54

 シキツヒコ長子 伊賀湏知スチ稲置・那婆理ノ稲置・三野ノ稲置ノ祖

日子刺肩別命       ヒコサシカタワケノミコト   中   127   77

 コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ長子→高志利波コシトナミ臣 豊国国前クニサキ臣・五百原イホハラ君・角鹿済ツニガノワタリ直ノ祖

比古伊佐勢理毘古命    ヒコイサセリビコノミコト   中   127   78

 コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ次男→吉備上ツ道臣ニ祖 紀:崇神記四道将軍吉備地方-吉備津神社祭神

日子寤間命        ヒコサメマノミコト    中   127   81

 コウレイテンノウ・ハエイロド(オホヤマトクニアレヒメ姉妹58)長子→針間牛鹿ウジカ臣ノ祖

比古布都押之信命     ヒコフツオシノマコトノミコト  中   128   90

 コウゲンテンノウ・イカガシコメ長子 ウマシウチノスクネの親

比古伊那許士別命     ヒコイナコジワケノミコト    中   129   95

 オホビコ次男→膳カシワデ臣ノ祖

比古由牟須美王      ヒコユムスミノミノミコ    中   130   113

 カイカテンノウ・タカノヒメ長子

比古国意祁都       ヒコクニオケツ      中   130   116

 丸邇臣ノ祖 オケツヒメ兄

日子坐王         ヒコイマスオホキミ     中   131   118

 カイカテンノウ・オケツヒメ長子-呪的霊能者の祖 崇神天皇四道将軍-丹波(旦波)国派遣

比古意湏王        ホコオスノオホキミ     中   131   146

 ヒコイマスオオキミ・ヲケツヒメ次男

比婆湏比売命・兄比売   ヒバスヒメノミコトーエヒメ  中   132   151

 ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ長女-スイニンテンノウ后ーホムチワケ育児係

日子国夫玖命       ヒコクニブクノミコト    中   139   190

 丸邇臣ノ祖ースジンテンノウ四道将軍オオビコ軍副将:謀反タケハニヤスオオキミ討伐

冰羽州比売        ヒバスヒメ      中   141   192

 ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ長女-スイニンテンノウ后  比婆湏比売命同ーホムチワケ育児係

肥長比売         ヒナガヒメ      中   151   220

 肥河ノ女神蛇神→ホムツワケ一夜妻 (神名)

日向美波迦斯毘売     ヒムカノミハカシビメ    中   155   245

 日向豪族一族-ケイコウテンノウ妃

日子人大兄王       ヒコヒトオホエノオホキミ   中   155   249

 ケイコウテンノウ・イナビノワカイラツメ次男

日向之泉之長売      ヒムカノイズミノナガヒメ  中   184   328

 日向豪族一族か?-オウジンテンノウ妃

日向諸県之牛諸      ヒムカノモロガタノウシモロ  中   189   341

 日向豪族首長諸県ノ君ーカミナガヒメ父

比売陀君         ヒメダノキミ      下   224   410

 スイニン朝ホムチワケ育児→白鳥捕役ノウナカミノオオキミ一族末裔

引田部赤猪子       ヒキタベノアカイコ    下   243   450

 引田(現桜井市白河)ノ部民ノ女-ユウリャクテンノウ求婚-忘却

広国押建金日命      ヒロクニオシタケカナヒノミコト  下   264   487

 ケイタイテンノウ・メノコノイラツメ長子→第二十七代安閑天皇アンカン勾金箸マガリノカネハシ宮(現奈良橿原市曲川)乙卯キノトノウ535年3月13日崩御 御陵:河内古市高屋-大阪羽曳野市古市

比呂比売命        ヒロヒメノミコト     下   269   572

 オキナガノマテ娘-ビタツテンノウ妃

フ行

賦登麻和訶比売命     フトマワカヒメノミコト    中   125   59

 シキノアガタヌシの祖  イヒヒヒメノミコト同 イトクテンノウ妃

布多遅能伊理毘売     フタヂノイリビメ    中   141   214

 スイニンテンノウ・オトカリハタトベ長女→倭建命妃

布多遅比売        フタヂヒメ      中   172   270

 オホタムワケ娘-ヤマトタケル妃

藤原之琴節郎女      フヂハラノコトフシノイラツメ  中   202   376

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)‣モモシキイロベ(オトヒメマワカ)三女→本居宣長説ーインギョウテンノウ皇女ソトオリノオホキミ

布斗比売命        フトヒメノミコト     下   269   569

 ビタツテンノウ・オグマコイラツメ長女

ヘ行

平群都久宿禰       ヘグリノツクノスクネ    中   129   105

 タケノウチスクネ四男→平群臣・佐和良臣・馬御樴ウマノミクヒ連等の祖

ホ行

品陀           ホムダ       序   25    10

 序に曰く第十五代天皇-応神天皇を指す

富登多多良伊湏湏岐比売  ホトタタライススキヒメ    中   120   41

 セヤダタラヒメ・オオモノヌシの子 ヒメタタライスケヨリヒメ同 ジンムテンノウ大后

品牟都和気命       ホムツワケノミコト     中   141   191

 スイニンテンノウ・サハヂヒメ(サホビメーサホビコ妹)長子サホビコ謀叛籠城の城にて生真事とわず( 唖) 本牟智ホムチ

品陀和気命        ホムダワケノミコト    中   174   296

 チュウアイテンノウ・ジングウコウゴウ次男→オホトモワケ同 第十五代応神天皇(胎中天皇)軽嶋明アルノシマアキラ宮-奈良橿原市大軽町畝傍山東南甲午9月9日131歳崩御 御陵:川内恵賀裳伏岡エガノモフシノオカ(大阪羽曳野市誉田コンダ)

品陀真若王        ホムダノマワカノオオキミ   中   183   299

 イホキノイリヒコ・シリツキトメの子 オウジンテンノウ3妃ノ親

火穂王          ホノホノオホキミ     下   267   522

 センカ(センゲテンノウ・ワクゴヒメ長子→志比陀シヒダ君ノ祖

品夜和気命        ホムヤワケノミコト     中   174   294

 チュウアイテンノウ・オキナガタラシヒメ長子

マ行

真砥野比売命       マトノヒメノミコト     中   132   152

 ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ次女

円野比売         マトノヒメノミコト     中   152   223

 タニハ(旦波―丹波)ミチノウシオオキミ娘ーホムチワケ育児係実家へ還

真若王          マワカノオホキミ     中   155   248

 ケイコウテンノウ・イナビノワカイラツメ長子

目弱王          マヨワノオホキミ     下   234   435

 オホクサカノオオキミ・ナガタノオオイラツメ長子→アンコウテンノウ刺殺す

真若王          マワカノオホキミ     下   264   477

 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ次男

麻組郎女         マクミノイラツメ     下   265   491

 オキナガマテの娘-ケイタイテンノウ妃

茨田郎女         マムタノムラジヲモチ    下   265   498 

 地方豪族首長か セキヒメ(ケイタイテンノウ妃)親

茨田大郎女        マムタノオホイラツメ    下   265   500

 ケイタイテンノウ・セキヒメ長女

丸高王          マロコノオホキミ     下   265   507

 ケイタイテンノウ・ヤマトヒメ長子

麻呂子王         マロコノオホキミ     下   267   531

 キンメイテンノウ・ニカゴノイラツメ長子

麻呂古王         マロコノオホキミ     下   267   539

 キンメイテンノウ・キタシヒメ三男

麻怒王          マノノオホキミ      下   268   545

 キンメイテンノウ・キタシヒメ八男

麻呂古王         マロコノオホキミ     下   269   574

 ビタツテンノウ・ヒロヒメミコト長子オサカノホコヒト同-第35代舒明天皇ジョメイ父

茨田王          マムタノオホキミ     下   270   597

 ヨウメイテンノウ・ハシヒトアナホベオホキミ四男

ミ行

道臣命          ミチノオミノミコト    中   115   26

 神武東征軍将軍 大伴連ノ祖

三嶋湟咋         ミシマノミゾクイ    中   120   39

 大阪地方豪族 茨木溝咋神社

御真津日子訶恵志泥命   ミマツヒコカエシネノミコト  中   125   61

 イトク・フトマワカヒメ長子→第五代孝昭天皇コウショウ 葛城掖上宮(奈良御所市池之内附近) 崩御93歳 御陵:掖上博多山ノ上(御所市三室)

御真木入日子印恵     ミマキイリヒコイニエ    中   130   114

 カイカテンノウ・イカガシメ(コウゲンテンノウ妃・カイカテンノウ継母)長子 →第十代崇神天皇スジン・ハツクニシラシメシシミマキノスメラミコト 師木水垣宮-奈良桜井市金屋志貴御県坐シキノミアガタイマス神社附近 168歳崩御戊寅年12月 御陵:山ノ辺道ノ勾岡ノ上(天理市柳本付近)

御真津比売        ミマツヒメ       中   130   115

 カイカテンノウ・イカガシメ長女

水穂之真若王      ミヅホノマワカノキミ- ミズホ   中   131   139

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ次男→近ツ淡海安直ノ祖

水穂五百依比売      ミヅホノイホヨリヒメーミズホ 中   131   142

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ長女

御井津比売        ミイツヒメ       中   131   143

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ次女

朝廷別王         ミカドワケノオホキミ    中   132   154

 ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ長男→三川ノ穂別ノ祖

御真津比売命       ミマツヒメノミコト     中   133   175

 オオビコ(コウゲンテンノウミコ北陸指導将軍)娘-スジンテンノウ妃

御鉏友耳建日子      ミスキトモミミタケヒコ    中   161   262

 吉備臣等ノ祖ーヤマトタケル東国征伐の副将 オオキビタケヒメ(ヤマトタケル妃)ノ兄

美夜受比売        ミヤズヒメ      中   162   263

 尾張国造ノ祖・熱田神宮巫女か-ヤマトタケル妃

御火焼ノ老人       ミヒタキノオキマ     中   165   265

 夜警篝火を焚き守る老人-賤者 ヤマトタケルにより東ノ国ノ造

三野郎女         ミノノイラツメ      中   184   316

 オウジンテンノウ・オトヒメ四女

宮主矢河枝比売      ミヤヌシヤガハエヒメ    中   184   318

 ヒフレノオオミ娘丸邇氏族祭祀巫女-オウジンテンノウ妃

三腹郎女         ミハラノイラツメ     中   203   379

 ネトリノオオキミ(オウジンテンノウ・ナカツヒメ次男)妻 →庶妹

御馬王          ミマノオホキミ      下   219   404

 リチュウテンノウ・クロヒメ次男→ユウリャクテンオウにより殺害さる

三重婇          ミヘノウネメ      下   250   456

 伊勢三重の豪族よりユウリャクテンノウへ献上ノ子女巫女か

三尾君加多夫       ミオノキミカタブ     下   265   504

 三尾ミオ氏一族(祖イワツクワケオオキミ-スイニンテンノウ子)首長か

耳王           ミミノオホキミ      下   265   508

 ケイタイテンノウ・ヤマトヒメ次男

ム行

室毘古王         ムロビコノミコ     中   131   135

ヒコイマスオオキミ・サホノオホクラミトメ三男→若狭ノ耳ノ別ノ祖

メ行

女鳥王          メトリノオホキミ     中   184   321

 オイジンテンノウ・ミヤヌシヤガワエヒメ次女→ハヤブサワケ悲恋 ニントクテンノウ求婚ハヤブサワケ共ニ謀反

目子郎女         メノコノイラツメ     下   264   486

 オオシミラジ妹-ケイタイテンノウ妃

モ行

百師木伊呂弁       モモシキイロベ     中   202   370

 オキナガマワカナカツヒメ妹 オトヒメマワカヒメ同 ワカノケフタマタノオオキミ(オウジンテンノウ・オキナガマワカナカツヒメ長子)妻

物部大前宿禰※      モノノベノオオマエノスクネ  下   228   431

 物部氏首長大臣→軽太子・穴穂命戦-軽太子を助けるも後に敗れて引き渡す (書紀:安康前)紀 オホマヘヲマヘスクネーオオマエオマエ同

物部荒甲         モノノベノアラカヒ    下   266   515

 物部氏大連―磐井イワイの乱鎮圧将軍

ヤ行

安萬侶          ヤスマロ       序   17    1

 正五位上勲五等古事記編纂奏上 太朝臣安萬侶

夜麻登登母母曾毘売    ヤマトトモモソビメ    中   127   76

 コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ長女・(大物主妻-紀:崇神紀)

倭飛羽矢若屋比売     ヤマトトビハヤワカヤヒメ  中   127   80

 コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ次女

山下影日売        ヤマシタカゲヒメ    中   129   100

 ウヅヒコ妹-ヒコフツオシノマコト妻 タケノウチノスクネ親

山代荏名津比売      ヤマシロノエナツヒメ    中   131   124

 山代豪族女カリハタトベ同 ヒコイマスオオキミ(カイカテンノウ・オケツヒメ長子)妻

八瓜入日子王       ヤツリノイリヒコノミコ   中   131   141

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ三男→三野國本巣国造・長幡部連ノ祖

山代大箇木真若王    ヤマシロノオオツツキノマワカノキミ  中   131   145

 ヒコイマスオオキミ・ヲケツヒメ長子

八坂之入日子命     ヤサカノイリヒコノミコト    中   133   172

 スジンテンノウ・オオアマヒメ次男 ヤサカノイリヒメ(ケイコウテンノウ妃)父

倭日子命        ヤマトヒコノミコト     中   134   181

 スジンテンノウ・ミマツヒメ三男-殉死制度始まる →スイニンテンノウ紀28年野見宿禰埴輪献策

倭比売命        ヤマトヒメノミコト     中   141   196

 スイニンテンノウ・ヒバスヒメ長女→伊勢神宮斎宮-2代目・倭建命ノ姨オバ ヤマトタケル東征の折草薙剣を賜

山代大国之淵      ヤマシロのオホクニノフチ    中   141   206

 山代国豪族首長か カリバタトベ女

山辺大タカ-(帝+鳥)  ヤマノベノオオタカ     中   149   218

 スイニン朝ホムチワケ育児→白鳥捕役

倭男具那命       ヤマトヲグナノミコト     中   154   229

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ三男(太子)ヲウス同 ヤマトヒメ甥 →東西反政権部族平定 ヤマトタケルノミコト同

倭根子命        ヤマトネコノミコト      中   154   230

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ四男

八坂之入日売      ヤサカノイリヒメ      中   154   232

 ヤサカノイリヒコ(スジンテンノウ皇子)娘―ケイコウテンノウ妃

倭建命         ヤマトタケルノミコト     中   155   250

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ三男 ヲウス・ヤマトオグナ同

山代之玖玖麻毛理比売  ヤマシロノククマモリヒメ    中   172   275

 山代(京都南部)国豪族首長一族か ヤマトタケル妃

妹)八田若郎女     ヤタノワキイラツメ      中   184   320

 オウジンテンノウ・ミヤヌシヤガワエヒメ長女→ニントクテンノウ求婚-イワノヒメ(オウジンテンノウ后)嫉妬

山部大楯連       ヤマベノオホタテノムラシ    下   216   400

 ニントクテンノウ将軍-ハヤブサワケメ・トリノオオキミ討伐軍将→戦ノ後メトリの手首より勾玉盗む-イワノヒメにより死刑(人道非礼ニヨル)

八瓜白日子王      ヤツリノシロヒコノオホキミ    下   225   425

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ四男→ユウリャクテンノウにより殺害

山代猪甘        ヤマシロノイカヒ      下   239   443

朝廷の豚を飼う仕人-オケノミコ・ヲケノミコの逃亡妨害-後年罰さる 

山辺連小楯       ヤマベノムラジヲダテ    下   255   461

 針間国宰官

倭比売         ヤマトヒメ        下   265   505

 ミオノキミカタブ妹-ケイタイテンノウ妃

八田王         ヤタノオホキミ       下   267   524

 キンメイテンノウ・イシヒメ(センゲテンオウ娘)長女

山代王         ヤマシロノオホキミ      下   267   542

 キンメイテンノウ・キタシヒメ六男

山代王         ヤマシロノオホキミ      下   269   590

 ヒコヒトヒツギノミコ・サクライノユミハリオホキミ長子

倭ハ師木ノ鳥見ノ豊朝倉ノ曙立王 ヤマトハシキノトミノトヨアサクラノアケタツノオホキミ 中 150 602

 アケタツノオホキミ同 地名を冠して其持てる呪力を賛美した

ユ行

由碁理         ユゴリ        中   130   111

 旦波タノハ(後ノ丹波・丹後)ノ大県主 娘タカノヒメ

弓月君 ※       ユヅキノキミ       中   192   349

 秦ノ造ノ祖 応神朝帰化人秦氏の統率者(百済)

由良度美        ユラドミ        中   199   366

 タジマヒタカ(タジマヒネ次男)ノ姪→タジマヒタカ妻

ヨ行

余曾多本毘売      ヨソタホビメノミコト     中   126   64

 オキツヨソ妹・コウショウテンノウ妃

吉野国主        ヨシノノクニス       中   191   343

 吉野郡吉野国栖クズ土着豪族-イワオシワク系譜:朝廷節会参上御贄献上

吉野童女        ヨシノノヲトメ       下   245   452

 ユウリャクテンノウ吉野行幸時求婚-仙境吉野川ノ巫女カ

ワ行

若木入日子命      ワカキイリヒコノミコト     中   141   197

 スイニンテンノウ・ヒバスヒメ四男

若帯日子命成務天皇   ワカタラシヒコノミコト     中   154   233

 ケイコウテンノウ・ヤサカノイリヒメ長子(太子)-第十三代成務天皇セイム 近ツ淡海志賀ノ高穴穂宮ー滋賀大津市坂本穴太町 95歳崩御 乙卯キノトノウ3月15日 御陵:沙紀多他那美(奈良市山陵町

若木入日子王      ワカキノイリヒコノオホキミ    中   154   241

 ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇子

若建王         ワカタケルノオホキミ     中   172   268

 ヤマトタケル・オトタチバナヒメ長子

和訶奴気王       ワカヌケノオホキミ      中   173   293

 セイムテンノウ・オトタカライラツメ長子

丸邇之比布礼能意富美  ワニノヒフレノオホミ     中   184   317

 丸邇氏一族首長か難波山代地方 ミヤヌシヤガハエヒメ(オウジンテンノウ妃)ノ親

若沼毛二俣王      ワカヌケフタマタノオホキミ    中   184   324

 オウジンテンノウ・オキナガマワカナカツヒメ(クイマタナガヒコ次女)長子(若野毛)

和邇吉師        ワニキシ        中   192   346

 照古王ノ命により応神朝来朝-論語・千文字一巻等献上 →史首フミノオビト等の祖

若日下部命       ワカクサカベノミコト     下   204   392

 ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ハタビノワカイラツメ・ナガメヒメ同→ユウリャクテンノウ求婚

丸邇臣口子        ワニノオミクチコ      下   211   398

 山代木津川支配氏族→ニントクテンノウ使者口上伝 クチヒメ(イワヒメ侍女)親

若桜部臣         ワカサクラベノオミ    下   224   409

 膳臣一族より独立した新氏族→非時トキジク桜花献上による

丸邇許碁登臣       ワニノコゴトノオミ    下   225   411

 難波山代地ノ氏族 ツノノイラツメ(ハンゼイテンノウ妃)オトヒメ(妃)ノ親

若日下部王        ワカクサカベノオオキミ   下   239   445

 オオクサカノオオキミ妹-ユウリャクテンノウ大后

若帯比売命        ワカタラシヒメノミコト    下   240   447

 ユウリャクテンノウ・カラヒメ長女

丸邇佐都紀臣       ワニノサツキガオミ    下   249   454

 丸邇(現奈良天理市)ノ豪族-幻ノ氏族トサレル ヲドヒメ(ユウリャク妃)親

丸邇日爪臣        ワニノヒツマノオミ     下   264   478

 丸邇(現奈良天理市)ノ豪族 ヌカノワクゴノイラツメ(ニンケンテンノウ妃)親

若比売          ワカヒメ       下   264   482

 三尾君一族(祖イワツクワケオオキミ-スイニンテンノウ子)-ケイタイテンノウ妃

若屋郎女         ワカヤノイラツメ     下   265   511

 ケイコウテンノウ・アヘノハエヒメ長女

和知都美命        ワチツミノミコト     中   125   55

 シキツヒコ次男 淡道ノ御井宮ニ坐ス ハエイロネ・ハエイロドの親

若日子建吉備津日子命   ワカヒコタケキビツヒコノミコト 中   127   82

 ワカタケキビツ同 コウレイテンノウ・イロド次男→吉備下ツ道臣・笠臣ノ祖

若建吉備津日子      ワカタケキビツヒコ     中   127   83

 ワカヒコタケキビツヒコノミコト同 コウレイテンノウ・イロド次男 吉備下ツ道臣・笠臣ノ祖

若倭根子日子大毘毘命   ワカヤマトネコオホビビノミコト 中   128   88

 コウゲンテンノウ・ウツシコメ三男子→第九代開化天皇カイカ 春日伊耶河イザカワ宮-奈良本子守町率川 イザガワ付近 63歳崩御 御陵:伊耶河坂ノ上(奈良市油坂町)

若子宿禰         ワクゴノスクネ     中   130   110

 タケノウチスクネ七男→江野間臣等の祖

鸇比売          ワシヒメ       中   130   120

 カツラギタルミスクネ娘-カイカテンノウ妃

ヲ行

小㑨王          ヲマタノキミ      中   131   127

 ヒコイマスオホキミ・エナツヒメ次男→当麻勾君タギマノマガリノ祖

袁耶本王         ヲアザホノキミ     中   131   132

 ヒコイマスオオキミ・サホノオホクラミトメ次男→葛野別・近ツ淡海蚊野別ノ祖

遠祁都比売        ヲケツヒメ       中   131    144

 意祁都比売オケツヒメ(ヒコイマスオオキミ母)妹-ヒコイマスオオキミ妻

袁耶弁王         ヲザベノオホキミ    中   141    205

 スイニンテンノウ・カグヤヒメ長子

小碓命          ヲウスノミコト      中   154    228

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ三男(太子)ヤマトヲグナ・ヤマトタケルノミコト同 ヤマトヒメ甥

ケイコウテンノウの命を誤解し兄オホウスノミコトを殺害→東西反政権部族平定・帰途途中病に斃れる

袁那弁郎女        ヲナベノイラツメ     中   184    322

 ミヤヌシヤガワエヒメ妹(ヒフレノオオミ娘)-オウジンテンノウ妃

小羽江王         ヲハエノオオキミ     中   184    330

 オウジンテンノウ・ナガヒメ長子

男浅津間若子宿禰命    ヲアサツマワクゴノスクネノミコト 下   204    387

 ニントクテンノウ・イワノヒメ三男→第十九代允恭天皇インギョウ遠ツ飛鳥宮-奈良(大和)飛鳥に都した 最初の天皇氏姓を正す甲午年正月15日78歳崩御御陵:河内恵賀長枝(大阪藤井市国府)

長田大郎女        ヲサダノオホイラツメ    下   225    420

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ長女同母弟アンコウテンノウ大后と同か?

袁祁王          ヲケノミコ       下   239    442

 イチノヘオシハノオオキミ次男ヲケノイハスワケノミコト同→ユウリャクテンノウを避け身を隠す 後の第二十三代顕宗天皇ケンソウ 近ツ飛鳥宮-大阪羽曳野市飛島在位8年 38歳崩御 御陵:片岡の石坏イワツキ岡ノ上(奈良北葛城郡香芝)

袁杼比売         ヲドヒメ       下   249    455

 ワニノサツキ娘-ユウリャクテンノウ妃

袁祁之石巣別命      ヲケノイハスワケノミコト   下   259    465

 ヲケノミコ同イチノヘオシハノオオキミ次男→ユウリャクテンノウを避け身を隠す 第二十三代顕宗天皇ケンソウ 近ツ飛鳥宮-大阪羽曳野市飛島 在位8年 38歳崩御 御陵:片岡の石坏イワツキ岡ノ上 (奈良北葛城郡香芝)

意富祁王         ヲケノオホキミ      下    263   470

 ヲケ同イチノヘオシハノオオキミ長子→ユウリャクテンノウを避け身を隠す 後の第二十四代仁賢天皇ニンケン  石上広高宮-奈良天理市田辺 書記在位11年 御陵:埴生坂本(大阪藤井寺市青山)

小長谷若雀命       ヲハツセノワカサザキノミコト  下    264   476

 ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ長子-第二十五代武烈天皇ブレツ長谷ハツセ列木ナミキ宮-奈良桜井市出雲 在位8年御陵:片岡石坏岡(奈良北葛城郡香芝)

袁本杼命         ヲホドノミコト      下    264   481

 オウジンテンノウ5世孫ータシラカノイラツメ(ニンケンテンノウ皇女)婚第二十六代継体天皇ケイタイ 伊波礼玉穂宮-奈良桜井市池之内 丁未年527年4月9日43歳崩御 御陵:三島ノ藍(大阪茨木市太田茶臼山) 

小石比売命        ヲイシヒメノミコト     下   267   519

 センカ(センゲ)テンノウ・タチバナノナカツヒメ次女→キンメイテンノウ妃

小兄比売         ヲエヒメ       下   268   548

 ソガノイナメ妹・キタシヒメ姨―キンンメイテンノウ妃

小貝王          ヲカヒノオホキミ     下   268   560

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長子

小治田王         ヲハリダノオホキミ    下   268   561

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)次男

小張王          ヲハリノオホキミ     下   269   564

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)五男

小熊子郎女        ヲグマコノイラツメ    下   269   568

 イセエノオオカ娘-ビタツテンノウ妃 

                              以上

古事記人名検索(Ⅲ)

=あいうえお順=

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は上記版における 名前 読み方 巻 ページ 登場順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人として特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。尚、神名は参考にしている新潮社古典文学54年版「古事記」の末尾附録として掲載されてます。ご興味ある方は、そちらもご覧ください。

因みに 岩波古典文学大系「古事記」の付録は、今に伝わる祝詞のすべてが、また小学館版の「古事記」には上代歌謡のすべてが収録されています。

キ行

岐湏美美         キスミミ       中   119   38

 アヒラヒメ・ジンムの子

木角宿禰         キノツヌノスクネ     中   129   106

 タケノウチスクネ五男→木臣・都奴臣・坂本臣の祖

岐比佐都美        キヒサツミ       中   151   219

 出雲国造ノ祖 出雲大社にて大国主奉斎主

吉備兄日子王       キビノエヒコノオホキミ   中   155   242

 ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇子

吉備之臣建日子      キビノオミタケヒコ    中   172   272

 オホキビタケヒメ(ヤマトタケル妃)ノ兄 ミスキトモミミタケヒコ(ヤマトタケル副将)同か

木之荒田郎女       キノアラタノイラツメ    中   184   310

 オウジンテンノウ・ナカツヒメ長女

木之菟野郎女       キノウノノイラツメ     中   184   315

 オウジンテンノウ・オトヒメ三女

吉備海部直        キビノアマベノアタイ   中   206   393

 吉備児嶋(ゲン岡山)海人蔟 クロヒメ(ニントクテンノウ后)親

木梨軽王         キナシノカルノミコ     中   225   419

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ長子 カルノミコ同→妹ソトオリノイラツメ悲恋伊余配流死

岐多斯比売        キタシヒメ       中   267   534

 ソガノイナメノスクネ娘-キンメイテンノウ妃

ク行

細比売          クハシヒメ       中   127   71

 オホメ娘 コウレイテンノウ妃

久米能摩伊刀比売     クメノマイトヒメ     中   129   107

 タケノウチスクネ長女

国片比売命        クニカタヒメノミコト    中   134   178

 スジンテンノウ・ミマツヒメ長女

櫛御方命         クシミナカタノミコト    中   135   185

 オオモノヌシ・イクタマヨリビメ子-オオモノヌシ系

玖賀耳之御笠       クガミミノミカサ     中   137   189

 丹波-旦波国豪族ースジンテンノウ四道将軍ヒコイマスオオキミ討伐

櫛角別王         クシミカタノミコト     中   154   226

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ長子→茨田マムタ下ノ連等ノ祖

熊曾建-兄弟       クマソタケル―ハラカラ   中   158   260

 熊本球磨郡・鹿児島囎唹ソオ郡豪族首長兄弟-弟熊曾建ハ倭建の名を献上

杙㑨長日子王       クヒマタマナガヒコノオオキミ  中   172   278

 オキナガタワケノ子 オキナガマワカナカツヒメ(オウジンテンノウ妃)ノ親 〈咋㑨〉

久米王          クメノオホキミ      中   203   382

 カタシワノオオキミ(オウジンテンノウ・カグロヒメ長子)ノ長子

黒比売          クロヒメ       下   206   394

 キビノアマベノアタイ娘→ニントクテンノウ召喚-イワノヒメ嫉妬対象

倉人女          クラヒトメ       下   209   395

 後宮役所の一つ蔵司仕様の女 イハノヒメにニントクテンノウの動向報告

口比売          クチヒメ       下   212   399

 ワニノオミクチコ妹-ニントクテンノウ后イワノヒメ侍女

黒比売          クロヒメ       下   219   402

 カツラギソツヒコ娘-リチュウテンノウ妃

久湏毘郎女        クスビノイラツメ     下   263   474

 ニンケンテンノ・ウカスガノオオイラツメ三女

黒比売          クロヒメ       下   265   494

 サカタノオオマタ娘 ケイタイテンノウ妃

倉之若江王        クラノワカエノオオキミ    下   267   520

 センカ(センゲ)テンノウ・タチバナノナカツヒメ長子

桑田王          クワタノオホキミ     下   269   589

 ビタツテンノウ・オミナコイラツメ次男

久米王          クメノオホキミ      下   270   595

 ヨウメイテンノウ・ハシヒトアナホベオホキミ次男

ケ行

賢后           ケンコウ       序   19    3

 序に曰く 第十代崇神天皇を指す

軒后           ケンコウ       序   21    5

 序に曰く 中国古代五帝の一人黄帝を指す

コ行

皇帝陛下         コウテイヘイカ      序   22    8

 序に曰く 第四十三代元明天皇を指す

許勢小柄宿禰       コセノヲカラノスクネ    中   129   103

 タケノウチスクネ次男→許勢臣・雀部サザキベ臣・軽部臣の祖

高目郎女         コムクノイラツメ     中   184   309

 オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ次女

金波鎮漢紀武       コンハチンカンキム     下   226   429

 新羅国王御調(貢物献上)大使→インギョウテンノウ病い治療投薬

腰佩           コシハキ       下   241   449

 シキノオホアガタヌシ一族ユウリャクテンオヌヘ謝罪ノ為献上物届ケル

サ行

槁根津日子        サヲネツヒコ      中   110   18

 海人族倭國造ノ祖-神武東征案内(神名)

讃岐垂根王        サヌキノタリネノミコ    中   130   123

 ヒコユムスミノミオオキミ(カイカテンノウ子)次男

沙本ノ大闇見戸売      サホノオホクラミトメ    中   131   130

 タケクニカツトメ娘-ヒコイマスオオキミ妻

沙本毘古王        サホビコノキミ(オホキミ)  中   131   131

 ヒコイマスオオキミ・サホノオホクラミトメ長子→日下部連・甲斐国造ノ祖 スイニンテンオウ朝謀反敗

沙本毘売         サホビメ       中   131   133

 ヒコイマスオオキミ・サホノオホクラミトメ長女-サハヂヒメ同スイニンテンノウ后 兄謀叛に殉じ

佐波遅比売        サハヂヒメ      中   131   134

 ヒコイマスオオキミ・サホノオホクラミトメ長女-サホビメ同スイニンテンノウ后 兄謀叛に殉じ

佐耶岐          サザキ       中   185   340

 オオサザキノミコトーニントクテンノウ同 

西素           サイソ        中   192   348

 百済国照古王献上 呉服クレハトリ-織物技術者 応神朝

前津見          サキツミ       中   199   357

 タジマノマタオ娘-天之比矛妻

沙禰王          サネノオオキミ      中   203   378

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)次男

境墨日子王        サカヒノクロヒコノオホキミサカイ 下   225   421

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ次男→ユウリャクテンノウにより殺害さる(黒日子)

酒見郎女         サカミノイラツメ     下   225   428

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ四女

佐々宣郎女        ササゲノイラツメ     下   265   492

 ケイタイテンノウ・マクミノイラツメ長女→伊勢神宮斎宮

坂田大㑨王        サカタノオホマタノオホキミ   下   265   493

 地方豪族首長か クロヒメ(ケイタイテンノウ妃)親

桜井之玄王        サクライノユミハリノオホキミ  下   268   544

 キンメイテンノウ・キタシヒメ七男(ビタツテンノウ皇女同名有)

三枝部穴太部王      サキクサベノアナホベノオホキミ 下   268   552

 キンメイテンノウ・オエヒメ(ソガノイナメ妹・キタシヒメ姨)次女 スメイロド同

桜井之玄王        サクライノユミハリノオホキミ  下   269   566

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長女 (キンメイテンノウ皇子同名あり)ヒコヒトヒツギノミコ妃

坂騰王          サカノボリノオホキミ    下   269   575

 ビタツテンノウ・ヒロヒメミコト次男

シ行

周王           シュウオウ       序   21    6

中国古代王朝 周の文王・武王 

師木津日子玉手見命    シキツヒコマタデミノミコト  中   124   48

 スイゼイ・カワマタビメ子 第三代安寧天皇片塩ノ浮穴ノ宮(奈良大和高田三倉堂)崩御49歳 御陵:畝火山ミホト(橿原市吉田町)

師木津日子命       シキツヒコノミコト     中   125   53

 アクトヒメ・アンネイ三子

志夫美宿禰王       シブミノスクネノキミ    中   131   128

 ヒコイマスオオキミ・エナツヒメ三男→佐々ノ君ノ祖

柴野比売         シバノヒメ      中   173   284

 シバイリキ娘-スメイロオオナカツヒコ(ワカタケル・イヒノノマグロヒメ子)妻

銀王           ソロガネノオホキミ    中   173   286

 オホエノオオキミ(ケイコウテンノウ皇子)庶妹-オホエノオオキミ妻

志理都紀斗売命      シリツキトメノミコト    中   183   304

 タケイナダスクネ娘-イホキノイリヒコ(ケイコウテンノウ次男)妻☞ホムダノマワカノ親

島垂根          シマタリネ       中   184   325

 桜井(現東大阪地帯)田部連ノ祖 イトイヒメ(オイジンテンノウ妃)ノ親

照古王          ショウコオウ      中   192   344

 百済国主コニキシ オウジン朝時朝見使派遣

白日子          シロヒコ       下   235   438

 ヤツリノシロヒコノオホキミ同 ユウリャクテンノウノ兄でユウリャクニ弑さる

志自牟          シジム       下   239   444

 針間(播磨)国住人-オケノミコ・ヲケノミコ逃亡援けかくまう

白髪王          シラカノオホキミ     下   239   446

 ユウリャクテンノウ・カラヒメ長子-第二十二代清寧天皇セイネイ 伊波礼甕栗ミカクリ宮-大阪羽曳野市島泉 書記:在位5年 御陵:河内坂門原サカトノハラ(大阪羽曳野市西浦)

磯城大県主        シキノオホアガタヌシ    下   240   448

 磯城(現大阪柏原付近)の豪族首長ユウリャクテンノウニヨリ不遜トシテ家ヲ焼カレル

白髪大倭根子王      シラカノオホヤマトネコ    下   254   456

 ユウリャクテンノウ・カラヒメ長子シラカノオホキミ同-第二十二代清寧天皇セイネイ 伊波礼甕栗ミカクリ宮-大阪羽曳野市島泉 書記:在位5年 御陵:河内坂門原サカトノハラ(大阪羽曳野市西浦)

志毘臣          シビノオミ      下   256   462

 平群ヘグリ臣ノ祖 ヲケノミコとオフヲを争う後殺される

白坂活日郎女       シラサカノイクヒノイラツメ   下   265   501

 ケイタイテンノウ・セキヒメ次女

静貝王          シヅカヒノオホキミ    下   268   555

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ長女ーショウトクタイシ妃 カヒタコノオホキミ・ウヂノカヒタコノヒメミコ・ウヂノシヅカヒ同

ス行

清日子          スガヒコ       中   199   362

 タジマヒラナキ三男

少名日子建猪心命     スクナホコタケイゴコロノミコト 中   128   87

 コウゲンテンノウ・ウツシコメ次男子

陶津耳命         スエツミミノミコト     中   135   183

 三輪地方豪族主 イクタマヨリヒメ(オオモノヌシノカミ妻)親

湏売伊呂大中日子王    スメイロノオホナカツヒコノオホキミ 中   155   251

 倭建曾孫(誤伝孫か?-ワカタケル・マグロヒメ長子)

湏売伊呂大中日子王    スメイロノオホナカツヒコノオホキミ 中   172   282       

 ワカタケル(ヤマトタケル・オトタチバナヒメノ子)・イイノノマグロヒメ長子→(ケイコウテンノウ条出)

湏湏許理         ススコリ       中   193   352

 百済ヨリ帰化人酒造技術者 ニホ同 応神朝

酢鹿之諸男        スガノモロヲ      中   199   364

 スガヒコ・タギマノメイ長子ーアメノヒボコ系譜

菅竈由良度美       スガクドユラドミ    中   199   365

 スガヒコ・タギマノメイ長女(スガノモロオ妹)ーアメノヒボコ系譜

墨江中津王        スミノエノナカツオホキミ   下   204   385

 ニントクテンノウ・イワノヒメ次男→リチュウテンノウ朝反逆後味方将ソバカリに誅さる

湏売伊呂杼        スメイロド      下   268   553

 キンメイテンノウ・オエヒメ次女(ソガノイナメ妹・キタシヒメ姨)サキクサベノアナホベノオホキミ同

湏加志呂古郎女      スカシロコノイラツメ    下   270   601

 ヨウメイテンノウ・イイメノコ長女

セ行

聖帝           セイテイ       序   19    4

 序に記載第十六代仁徳天皇を指す

勢夜陀多良比売      セヤダタラヒメ      中   120   40

 ミゾクイ娘・三輪大物主神ノ妻

関比売          セキヒメ       下   265   499

 マムタノムラジオモチ娘-ケイタイテンノウ妃

ソ行

蘇我石河宿禰       ソガノイシカワノスクネ   中   129   104

 タケノウチスクネ三男→蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣等の祖

虚空津比売命       ソラツヒメノミコト     中   133   162

 オキナガスクネ・カツラギタカヌカヒメ次女

曾婆加理         ソバカリ       下   222   408

 スミノエナカツオオキミに仕える隼人の将側近→テンノウ軍へ寝返り後殺さる

衣通郎女         ソトホリノイラツメ     下   225   424

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ次女カルノオホイラツメ同→兄カルノミコ悲恋-後追い自殺

宗賀之倉王        ソガノクラノオホキミ    下   267   532

 キンメイテンノウ・ニカゴノイラツメ次男

宗賀之稲目宿禰大臣    ソガノイナメスクネノオホオミ  下   267   533

 豪族宗賀(蘇我)氏一族首長 キタシヒメ(キンメイテンノウ妃)親 タケノウチスクネ子ソガイシカワスクネの裔  -蘇我稲目

古事記人名索引(Ⅱ)

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は上記版における 名前 読み方 巻 ページ 登場順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人として特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。尚、神名は参考にしている新潮社古典文学54年版「古事記」の末尾附録として掲載されてます。ご興味ある方は、そちらもご覧ください

因みに 岩波古典文学大系「古事記」の付録は、今に伝わる祝詞のすべてが、また小学館版の「古事記」には上代歌謡のすべてが収録されています。

エ行

兄宇迦斯        エウカシ        中   114   24

 宇陀豪族兄弟 神武東征軍敵対

兄師木         エシキ        中   118   30

 大和豪族兄弟 神武東征敵対軍

兄比売         エヒメ        中   148   216

 ヒコタタスミチノウシノオオホキミ娘 スイニンテンノウ妃(サホビメノ姪)-ホムツワケ乳母役か

兄比売         エヒメ        中   156   255

 オオネノキミ娘-ケイコウテンノウ召喚―大碓命妻

恵波王         エハノオホキミ      下   267   523

 センカ(センゲテンノウ・ワクゴヒメ次男→韋那君・多治比君ノ祖

植栗王         エクリノオホキミ      下   270   596

 ヨウメイテンノウ・ハシヒトアナホベオホキミ三男

オ行

大㑨王         オホマタノオホキミ     下   267   587

 アヤノオホキミ妹→ヒコヒトヒツギニノミコ妃

息長宿禰王       オキナガノスクネノオホキミ   中   132   159

 カニメイカヅチオオキミ・タカキヒメ長子

息長帯比売命      オキナガタラシヒメノミコト   中   133   161

 オキナガスクネ・カツラギタカヌカヒメ長女→チュウアイテンノウ大后ー神功皇后ジングウ

オウジンテンノウ母 神意により朝鮮出兵☞三韓征伐

息長日子王       オキナガヒコノオオキミ    中   133   163

 オキナガスクネ・カツラギタカヌカヒメ長子→吉備品遅君・針間阿宗君ノ祖

大多牟坂王       オホタムサカノオオキミ    中   133   165

 オキナガスクネ・カワマタノイナヨリビメ長子→多遅摩国造ノ祖

意富阿麻比売      オホアマヒメ       中   133   170

 尾張連ノ祖 スジンテンノウ妃

大入杵命        オホイリキノミコト     中   133   171

 スジンテンノウ・オオアマヒメ長子→能登臣ノ祖

意富多多泥古      オホタタネコ       中   134   182

 大物主大神末裔→御諸山意富美和オオミワ大神祭祀拝斎 神君(三輪君)ノ祖-大神神社神主 鴨ノ君祖

大帯日子淤斯呂和気命  オホタラシヒコオシロワケノミコト  中   141   194

 スイニンテンノウ・ヒバスヒメ次男→第十二代景行天皇ケイコウ 纏向日代宮-奈良桜井市穴師ノ北  137歳崩御 御陵:山辺ノ道ノ上(奈良天理市渋谷町向山附近)

大中津日子命      オホナカツヒコミコト     中   141   195

 スイニンテンノウ・ヒバスヒメ三男→山辺別・三枝サキクサ別・稲木別・阿太別 尾張国ノ三野別・吉備ノ

石无イワナシ別・許呂母コロモ別・高巣鹿別 飛鳥君・牟礼別等ノ祖

落別王         オチワケノオオキミ     中   141   208

 スイニンテンノウ・カリハタトベ長子→小月ノ山君・三川ノ衣君ノ祖

弟刈羽田刀弁      オトカリハタトベ     中   141   211

 カリハタトベ妹(オオクニノフチ娘)-スイニンテンノウ妃

弟比売命        オトヒメ        中   132   153

 ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ三女→スイニンテンノウ妃ーホムチワケ育児係

弟比売         オトヒメ        中   148   217

 ヒコタタスミチノウシノオオホキミ娘 スイニンテンノウ妃(サホビメノ姪)-ホムツワケ乳母役か

弟比売         オトヒメ        中   152   221

 タニハ(旦波―丹波)ミチノウシオオキミ娘ーヒバスヒメ妹ホムツワケ育児(重複)

大碓命         オホウスノミコト      中   154   227

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ次男 弟小碓命(ヤマトタケル)により弑殺さる→守君・大田君・

嶋田君の祖

押別命         オシワケノミコト      中   154   235

 ケイコウテンノウ・ヤサカノイリヒメ三男

弟比売命        オトヒメノミコト      中   155   244

 ケイコウテンノウ・妾妻(二蕃目)ノ 皇女

大枝王         オホエノオホキミ      中   155   253

 ケイコウテンノウ・カグロヒメ長子ヤマトタケル条再録 (大江王)

大根王         オホネノキミ       中   156   254

 三野(美濃)国造 エヒメ・オトヒメノ(ケイコウテンノウ召上要請)親

弟比売         オトヒメ        中   156   256

 オオネノキミ娘-ケイコウテンノウ召喚―大碓命妻

押黒之兄日子王     オシグロノエヒコノオホキミ   中   156   257

 オホウス・エヒメ長子→三野宇泥湏和気ノ祖

押黒之弟日子王     オシグロノオトヒコノオホキミ  中   156   258

 オホウス・オトヒメ長子→牟宣都君等ノ祖

弟橘比売命       オトタチバナヒメノミコト   中   163   264

 ヤマトタケル后-走水ノ海ヘ荒海鎮メ祓イノ為入水

意富多牟和気      オホタムワケ       中   172   269

 近ツ淡海安国造ノ祖-フタヂヒメ(ヤマトタケル妃)ノ父

大吉備建比売      オホキビタケヒメ     中   172   273

 ミスキトモミミタケヒコ妹-ヤマトタケル妃 タケカヒコノ母

息長田別王       オキナガタワケノオオキミ   中   172   277

 ヤマトタケル・妻(名不詳-息長一族か)長子

息長真若中比売       オキナガノマワカナカツヒメ 中   172   280

 クヒマタナガヒコ(オキナガタワケ子)ノ次女ーオウジンテンノウ妃

弟比売           オトヒメ      中   172   281

 クヒマタナガヒコ(オキナガタワケ子)ノ三女

大名方王          オホナガタノオオキミ   中   173   287

 オホエノオオキミ(ケイコウテンノウ皇子)・シロガネノオホキミ長子

大中比売命         オホナカツイメノミコト   中   173   288

 オホエノオオキミ(ケイコウテンノウ皇子)・シロガネノオオキミ長女-チュウアイテンノウ妃 (大中津)

忍熊王           オシクマノオホキミ    中   173   290

 チュウアイテンノウ・オオナカツヒメ次男→神功皇后・応神天皇ヘ反逆謀反

弟財郎女          オトタカラノイラツメ   中   173   292

 タケオシヤマタリネ娘-セイムテンノウ妃

大鞆和気命         オホトモワケノミコト   中   174   295

 チュウアイテンノウ・ジングウコウゴウ次男→ホムダワケ同 第十五代応神天皇オウジンテンノウ(胎中天王) 軽嶋明アルノシマアキラ宮-奈良橿原市大軽町畝傍山東南 甲午9月9日130歳崩御 御陵:川内恵賀裳伏岡エガノモフシノオカ(大阪羽曳野市誉田コンダ)

弟日売命          オトヒメノミコト    中   183   302

 ホムダマワカ娘三女-オウジンテンノウ妃

大山守命          オホヤマモリノミコト   中   183   306

 オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ次男ー謀反反逆 →土形ヒジカタ君・幣岐ヘキ君・榛原ハリハラ君等の祖

(妹)大原郎女        オホハラノイラツメ    中   184   308

 オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ長女

大雀命           オホサザキノミコト    中   184   311

 オウジンテンノウ・ナカツヒメ長子→第十六代仁徳天皇ニントク 難波高津宮-大阪市東区法円坂町附近丁卯8月15日西暦427年83歳崩御 御陵:毛受耳原(堺市大仙町)最大の前方後円墳

大羽江王          オホハエノオオキミ    中   184   329

 オウジンテンノウ・ナガヒメ長子

忍坂大中比売        オサカノオホナカツヒメ   中   184   335

 オウジンテンノウ・カグロヒメ三女

弟日売真若比売       オトヒメマワカヒメ    中   202   371

 オキナガマワカナカツヒメ妹 モモシキイロベ同

ワカノケフタマタノオオキミ(オウジンテンノウ・オキナガマワカナカツヒメ長子)妻

大郎子           オホイラツコ     中   202   372

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)長子 オホホド同 

→(ケイタイテンノウ曾祖父)三国君・波多君・息長坂君・酒人君・山道君 筑紫米太多ヌタ君・布勢君等ノ祖

意富富杼          オホホト      中   202   373

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)長子 オホイラツコ同 →(ケイタイテンノウ曾祖父)オサカノオホナカツヒメ(インギョウテンノウ妃)の兄 三国君・波多君・息長坂君・酒人君・山道君・筑紫米太多ヌタ君・布勢君等ノ祖

忍坂之大中津比売命     オサカノオホナカツヒメノミコト 中   202   374

 ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)長女→インギョウテンノウ皇后アンコウ・ユウリャク母

大江伊耶本和気命      オホエノイザホワケノミコト 下   204   384

 ニントクテンノウ・イワノヒメ長子→第十七代履中天皇リチュウ 伊波礼若桜宮ー奈良桜井市池之内

壬申年正月3日64歳崩御 御陵:毛受モズ(大阪堺市石津ケ丘町)

大日下王          オホクサカノオオキミ   下   204   389

 ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘⁻応神朝)長子 ハタビノオホイラツコ同→讒言ニヨリ アンコウテンノウニ殺サル

弟比売           オトヒメ      下   225   415

 ワニノコゴト娘ツブライラツメノ妹→ハンゼイテンノウ妃

忍坂之大中津比売      オサカノオホナカツヒメ   下   225   418

 オホホドノオオキミ(オウジンテンノウ孫)妹-インギョウテンノウ妃

大長谷命          オホハツセノミコト    下   225   426

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ五男→第二十一代雄略天皇ユウリャク 長谷ハツセ朝倉宮-奈良桜井市初瀬 己巳年8月9日124歳崩御 御陵:河内多治比高鸇タカワシ(大阪羽曳野市島泉

大前小前宿禰        オホマヘヲマヘスクネ   下   228   430

 物部氏首長大臣→軽太子・穴穂命戦-軽太子を助けるも後に敗れて引き渡す モノノベノオオマエノスクネ

意祁王           オケノミコ      下   239   441

 イチノヘオシハノオオキミ長子→ユウリャクテンノウを避け身を隠す後の第二十四代仁賢天皇ニンケン 石上広高宮-奈良天理市田辺 書記在位11年 御陵:埴生坂本(大阪藤井寺市青山)

忍海郎女          オシヌミノイラツメ    下   255   459

 リチュウテンノウ・クロヒメ長女→ユウリャクテンノウ崩御後政為すか アヲミノイラツメ・イヒトヨノイラツメ・イヒトヨノオホキミ同

大魚            オフヲ       下   256   464

 菟田(宇陀)首ノ娘ーヲケノミコ(後のケンソウテンノウ)求婚

置目之老媼         オキメノオミナ     下   260   469

 アフミノオミナ同 ケンソウテンノウ功を賞でて宮殿に召す

大郎子           オホイラツコ     下   264   483

 ケイタイテンノウ・ワカヒメ長子

凡連            オホシノムラジ    下   264   485

 豪族尾張連等の祖 メノコノイラツメ(ケイタイテンノウ妃)兄

息長真手王         オキナガマテノオホキミ  下   265   490

 息長氏一族首長か マクミノイラツメ(ケイタイテンノウ妃)ヒロヒメ(ビタツテンオウ妃)親

大郎女           オホイラツメ     下   265   506

 ケイタイテンノウ・ヤマトヒメ長女

大伴金村          オホトモノカナムラ    下   266   516

 大伴氏連ー磐井イワイの乱鎮圧将軍

大宅王           オホヤケノオホキミ    下   267   540

 キンメイテンノウ・キタシヒメ四男

大伴王           オホトモノオホキミ    下   267   543

 キンメイテンノウ・キタシヒメ三女

忍坂日子人太子       オサカノヒコヒトノヒツギミコ 下   269   573

 ビタツテンノウ・ヒロヒメミコト長子マロコノオホキミ同-第34代舒明天皇ジョメイ父

老女子郎女         オミナコノイラツメ    下   269   578

 カスガノナカツワクゴ娘ービタツテンノウ妃

大㑨王           オホマタノオホキミ    下   269   582

 ビタツテンノウ・オミナコイラツメ四男

意富芸多志比売       オホギタシヒメ    下   270   592

 ソガノイナメノスクネ娘ーヨウメイテンノウ妃

大雀皇帝          オオサザキノミカド   序   25    11

 第十六代天皇-仁徳天皇

太朝臣安萬侶        オホノアソンヤスマロ   序   25    12

 正五位上勲五等古事記編纂太朝臣安萬侶 古事記編輯奏上

弟宇迦斯          オトウカシ      中   114   25

 宇陀豪族兄弟 神武軍帰順 水取等祖

大久米命          オホクメノミコト    中   115   27

 神武東征軍将軍 久米直ノ祖

弟師木           オトシキ      中   118   31

 大和豪族兄弟 神武敵対軍

大倭日子鉏友命       オオヤマトヒコスキトモノミコト 中   125   52

 アクトヒメ・アンネイ二子→第四代懿徳天皇イトク 軽ノ境岡宮(橿原市大軽附近)崩御45歳御陵:畝傍山真名子谷(橿原市西池尻附近)

意富夜麻登久邇阿礼比売命  オホヤマトクニアレヒメノミコト 中   125   57

 ワチツミノミコト長女 ハエイロロネ同

奧津余曾          オキツヨソ      中   126   63

 尾張連ノ祖・ヨソタホビメ兄

大倭帯日子国押人命 オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト  中   126   66

 コウショウテンノウ・ヨソタホビメ次男→第六代孝安天皇コウアン 葛城室秋津嶋宮-御所市室ノ宮山東麓 123歳崩御 御陵:玉手ノ岡ノ上(御所市玉手)

忍鹿比売命         オシカヒメノミコト    中   126   67

 コウショウテンノウ妃・ アメノオシタラシヒコ娘・コウショウテンノウ姪

大吉備諸進命        オホキビモロススミノミコト 中   126   68

 コウアンテンノウ・オシカヒメ長子

大倭根子日子賦斗邇命    オホヤマトネコヒコフトニノミコト 中   126   69

 コウアンテンノウ・オシカヒメ次男→第七代孝霊天皇コウレイ黒田廬戸イホト宮-奈良磯城郡田原本町黒田 106歳崩御 御陵:片岡馬坂ノ上(奈良北葛城郡王寺町)

大目            オホメ       中   127   70

 クハシヒメ親 十市(桜井市・磯城郡一帯)県主の祖

大倭根子日子国玖琉命   オホヤマトネコヒコクニクルノミコト  中   127   72

 コウレイテンノウ・クワシヒメ長子→第八代孝元天皇コウゲン軽ノ境原宮-橿原市大軽町附近 57歳崩御 御陵:釼池ノ中ノ岡ノ上(橿原市石川町剣池上の地)

意富夜麻登玖邇阿礼比売   オホヤマトクニアレヒメ   中   127   75

 アンネイテンノウ曾孫→別名ハエイロネ・コウレイテンノウ妃

大吉備津彦命        オホキビツヒコノミコト   中   127   79

 コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ次男→吉備上ツ道臣ニ祖 紀:崇神記四道将軍吉備地方-吉備津神社祭神

大毘古命          オホビコノミコト    中   128   86

 コウゲンテンノウ・ウツシコメ長子 紀:崇神記四道将軍高志(北陸)地方

意富那毘(田+比)      オホナビ      中   129   96

 葛城豪族主 尾張連等の祖 タカチナビメノ兄

意祁都比売         オケツヒメ      中   130   117

 ヒコクニオケツ妹-カイカテンノウ妃

大箇木垂根王        オホツツキタリネノミコ   中   130   122

 ヒコユムスミノミオオキミ(カイカッテンノウ子)長子ーカイカテンノウ孫 娘カグヤヒメ(スイニン妃)

大㑨王           オホマタノキミ     中   131   126

 ヒコイマスオオキミ・エナツヒメ長子

息長水依比売        オキナガノミヅヨリヒメ  中   131   137

 アメノミカゲノカミノウムメ 御上神社巫女-ヒコイマスオオキミ妻

カ行 

神倭天皇          カムヤマトスメラミコト   序   18    2

  初代天皇神武天皇神倭伊濤禮毘古天皇

神倭伊波礼毘古       カムヤマトイハレビコノミコ  序   25    9

 初代天皇-神武天皇

神倭伊濤禮毘古命      カムヤマトイワレビコノミコト 中   108   14

 カヤフキアエズミコト・タマヨリヒメ四男→初代天皇神武天皇ジンム畝傍白檮原ウネビノカシハラ宮(奈良橿原市)137歳崩御 御陵:畝傍山北ノ方白檮ノ尾上(奈良橿原畝傍町)

神八井耳命         カムヤイミミノミコト    中   122   44

 ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの次男→意富オホ臣・小子部チイサコベ連・坂合部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫三家サンケ連・雀部サザキベ臣・雀部造・小長谷造・都祁ツケ直・伊予國造・科野國造・道奧國造・常陸國造・長狭ナガサ國造・伊勢舟木直・尾張丹波臣・嶋田臣等の祖

神沼河命耳         カムヌナカワミミノミコト   中   122   45

 ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの三男カムヌナカワ同 第二代綏靖天皇スイゼイ 葛城高岡宮(奈良御所ゴゼ市森脇)崩御45歳 御陵:衝田ツキタ岡(橿原市四条町田井坪)

河㑨毘売          カワマタビメ     中   124   47

 スイゼイ妃 師木県主祖

河内青玉          カワチノアオダマ    中   128   91

 河内地方豪族 ハニヤスビメ親

葛木長江曾都毘古      カツラギノナガエノソツビコ 中   129   109

 タケノウチスクネ六男 ニントクテンノウ大后イハノヒメノ親 玉手臣・的イクハ臣・生江イクエ臣 

阿芸那アギナ臣等の祖

葛木垂水宿禰        カツラギノタルミノスクネ  中   130   119

 葛木氏豪族 ワシヒメ親

刈幡戸弁          カリハタトベ     中   131   125

 ヤマシロノエナヤマシロノエナツヒメ同 ヒコイマスオオキミ(カイカテンノウ・オケツヒメ長子)妻

神大根王          カムオホネノミコ     中   131   140

 ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ三男ヤツリノイリヒコ同→三野國本巣ノ国ノ造‣長幡部ノ連ノ祖

河上摩湏郎女        カワカミノマスノイラツメ   中   132   150

 丹波氏一族の女→ミチノウシノオオキミ(ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ長子)妻

迦邇米雷王         カニメイカヅチノオホキミ  中   132   156

 オホツツキマワカオホキミ・アヂサハビメ長子

葛木高額比売        カツラギノタカヌカヒメ   中   133   160

 タジマヒタカ(→タジマモリノ子)・ユラドミ長女(アメノヒボコ系譜)→オキナガノスクネノオオキミ妻-オキナガタラシヒメ(神功皇后)母

河俣稲依毘売        カワマタノイナヨリビメ   中   133   164

 河俣-河内国若江郡(現東大阪川㑨)豪族一族-オキナガスクネ妻

迦具夜比売         カグヤヒメ      中   141   204

 オホツツキタリネノミコ(カイカテンノウ孫)娘→スイニンテンノウ妃

刈羽田刀弁         カリハタトベ     中   141   207

 ヤマシリオオクニフチ娘-スイニンテンノウ妃

神櫛命           カムクシノミコト     中   154   231

 ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ五男→木ノ国酒部ノ阿比古・宇陀ノ酒部ノ祖

香余理比売         カゴヨリヒメ     中   154   240

 ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

訶具漏比売         カグロヒメ      中   155   252

 スメイロノオオナカツヒコ娘(ヤマトタケル玄孫誤伝か)-ケイコウテンノウ妃(-系譜誤伝?)

迦具漏比売         カグロヒメ      中   173   285

 スメイロノオオナカツヒコ・シバノヒメ娘(ヤマトタケル曾孫)-ケイコウテンノウ妃→系譜誤伝か?訶具漏

香坂王           カゴサカノオホキミ    中   173   289

 チュウアイテンノウ・オオナカツヒメ長子→神功皇后・応神天皇へ反逆謀反

迦具漏比売         カグロヒメ      中   184   332

 ヤマトタケル系譜曾孫記載有り誤伝OR別人?-オウジンテンノウ妃 訶具漏比売

川原田郎女         カハラダノイラツメ    中   184   333

 オウジンテンノウ・カグロヒメ長女

迦多遅王          カタヂノオホキミ    中   185   337

 オウジンテンノウ・カグロヒメ長子

葛城之野之伊呂売     カツラギノノノイロメ    中   185   338

 葛城豪族一族か-オウジンテンノウ妃

髪長比売         カミナガヒメ      中   189   342

 ウシモロ娘ー太子オオサザキ=オウジンテンノウに召されニントクテンノウ妃となる

執檝者          カジトリ       中   194   352

 オオヤマモリノミコト叛乱の時 ウヂノワキイラツコ変装

甲斐郎女         カヒノイラツメ      下   225   413

 ハンゼイテンノウ・ツノノイラツメ長女

軽大郎女         カルノオホイラツメ     下   225   423

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ次女ソトホリノイラツメ・カルノオトメ同→兄カルノミコ悲恋-後追い自殺

軽之嬢子         カルノオトメ       下   229   432

 インギョウテンノウ・オオナカツヒメ次女ソトホリノイラツメ・カルノオホイラツメ同→兄カルノミコ悲恋-後追い自殺

葛城円大臣        カツラギノツブラノオホオミ  下   235   437

 タケノウチスクネ曾孫豪族葛城氏皇室外戚 ツブラオホミ同 (書記:雄略紀元年条)-アンコウテンノウ刺殺のマヨワオオキミが逃込む :ユウリャクテンノウ攻めるによりマヨワオオキミと共に死す

訶良比売         カラヒメ        下   236   439

 ツブラオホミ娘-ユウリャクテンノウ妃 セイネイテンノウノ母 韓比売

韓袋           カラブクロ       下   237   440

 淡海( 近江)佐々紀ノ山の君ノ祖→帰化人か子孫は陵墓守役

白檮童女         カシハラヲトメ      下   244   451

 元来三輪の社の樫原乙女(巫女) 茲ではヒキタベノアカイコの事(ユウリャクテンオウ条)

葛城一言主        カツラギノヒトコトヌシ    下   248   453

 葛城山ノ言離ノ神-葛城坐一言主神社(神名)

春日袁杼比売       カスガノオドヒメ     下   253   457

 ヲドヒメ(ワニノサツキ娘-ユウリャクテンノウ妃)同

春日大郎女        カズガノオホイラツメ    下   263   471

 ユウリャクテンノウ娘-ニンケンテンノウ妃

春日山田郎女       カスガノヤマダノイラツメ   下   264   480

 ニンケンテンノウ・ヌカノワクゴ長女

神前郎女         カムサキノイラツメ     下   265   495

 ケイタイテンオウ・クロヒメ長女

川内若子比売       カワチノワクゴヒメ     下   267   521

 大坂河内地方豪族一族か

笠縫王          カサヌヒノオホキミ     下   267   526

 キンメイテンノウ・イシヒメ三男

上王           カミノオホキミ      下   267   527

 キンメイテンノウ・ヲイシヒメ(センゲ娘イシヒメ妹)長子

春日日爪臣        カスガノヒツマノオミ    下   267   528

 日地方-現奈良豪族首長か ヌカゴノイラツメ(キンメイテンノウ妃)親

春日山田郎女       カスガノヤマダノイラツメ   下   267   530

 キンメイテンノウ・ヌカゴノイラツメ長女

葛城王          カツラギノオホキミ     下   268   550

 キンメイテンノウ・オエヒメ(ソガノイナメ妹・キタシヒメ姨)次男

貝蛸王          カヒタコノオホキ      下   268   556

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ長女ーショウトクタイシ妃 シヅカヒノオホキミ・ウヂノカヒタコノヒメミコ・ウヂノシヅカヒ同

葛城王          カツラギノオホキミ         下   268   562

 ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)三男

春日中若子        カスガノナカツワクゴ    下   269   577

 春日地方豪族か オミナコノイラツメ(ビタツテンノウ妃)親

春日王          カスガノオホキミ     下   269   581

 ビタツテンノウ・オミナコイラツメ三男 

笠縫王          カサヌヒノオホキミ     下   269   591

 ヒコヒトヒツギノミコ・サクライノユミハリオホキミ次子

追記 百人一首

百人一首に使われている 主な 語彙を拾ってみました。                    簡単に分類をしています。

分類は 季節・天文気象・地形・地名・造物・植物・生き物・時間軸・感情・数・色調 としました。専門的・学術的なものとは関係ありません。飽く迄個人の見解としての分類でランダムに並べていますのでご了承ください。

最初にその語彙が出てくる歌の番号 次に上の句か下の句かを表示しています。最後に総数をつけています。

一首の中に重複して出てくる語彙もそれぞれ別々のものとしてあげています。 尚、表示違いカウント違いがあるかもしれませんがご容赦ください。

【季節4】 ☞ 20

★   2上・15上・33上・67上 ☞ 4

★   2上・36上・98下 ☞ 3

★ 秋  1上・5下・22下・23下・37上・47下・70下・71下・75下・79上・        87下・94上 ☞ 12

★   28上 ☞ 1

【天文気象12】☞ 54

★   7下・21下・23上・31上・36下・57下・59下・68下・79下・81下・86上 ☞ 11

★   12上・36下・57下・76下・79上 ☞ 5

★   12下・22下・32上・37上・48上・58上・71下・79上・94上・95上 ☞ 10

★ 露  1下・37上・75上・87上 ☞ 4

★ 雪  4下・15下・31下・96下 ☞ 4

★   22下・69上・96上 ☞ 3

★   6上・29上・91上 ☞ 3

★   64上・87下 ☞ 2

★   18上・42下・48上・72上・76下 ☞ 5

★ 潮  92上 ☞ 1

★   2下・7上・12上・60下 ☞ 4

★   31下・96下 ☞ 2  

【地形22】 ☞ 77

★   7上・11上・27上・39上・58上・76上 ☞ 6

★   28上・31下・35上・94下 ☞ 4

★   11下・93下 ☞ 2 (含あま)

★   93上 ☞ 1

★   76下・92上 ☞ 2

★   4上・97上 ☞ 2

★   18上 ☞ 1

★   11上・78上・90上 ☞ 3

★   72上 ☞ 1

★   2下・3上・5上・7下・8下・16下・22下・24上・25上・26上・28上32上・ 42下・58上・60上・66上・69上・73下・74上・83下・94上  ☞ 21

★   4下・13上・16上・26上 ☞ 4

★   13上・17上・ 27上・32上・64上・69下・77上・98上 ☞ 8

★ 滝  55上・77上 ☞ 2

★   64下・77上 ☞ 2

★   15上・31下・37上・39上・60上・94上 ☞ 6

★   1上・71上 ☞ 2

★ 石  92上 ☞ 1

★ 岩  48上・77上 ☞ 2

★   10下・25上・62下 ☞ 3

★   19上 ☞ 1

 江  18上・88上 ☞ 2

★ 淵  13下 ☞ 1

【地名32】 ☞ 40

★ 雄島  90上 ☞ 1

★ 香具  2下 ☞ 1

★ 逢坂  10下・25上・62下 ☞ 3

★ 吉野  31下・94上 ☞ 2

★ 難波  19上・20上・88上 ☞ 3

★ 高師  72上 ☞ 1

★ 住之江 18上 ☞ 1

★ 須磨  78上 ☞ 1

★ 淡路  78上 ☞ 1

★ 奈良  61上・98上 ☞ 2

★ 田子  4上 ☞ 1

★ 三笠  7下 ☞ 1

★ 三室  69上 ☞ 1

★ 春日  7上 ☞ 1

★ 高砂  34上・73上 ☞ 2

★ 由良  46上 ☞ 1

★ 竜田  17上・69下 ☞ 2

★ 陸奥  14上 ☞ 1

★ いなば 16上 ☞ 1

★ 手向  24上 ☞ 1

★ 小倉  26上 ☞ 1

★ 筑波  13上 ☞ 1

★ 富士  4下 ☞ 1

★ 篠原  39上 ☞ 1

★ 大江  60上 ☞ 1

★ 有馬  58上 ☞ 1

★ 猪名  58上 ☞ 1

★ 宇治  64上 ☞ 1

★ みかの原 27上 ☞ 1

★ 天橋立  60下 ☞ 1

★ はつせ 74上 ☞ 1

★ まつほ  97上 ☞ 1

【造物9】 ☞ 28

★   8上・61上 ☞ 2

★   97 ☞ 1

★   11下・46上・93下 ☞ 3(船)

★   1下・2下・15下・91下・94下 ☞ 5

★   42上・65上・72下・90上・92上・95下 ☞ 6

★ 宿  47上・70上 ☞ 2

★   12上・18下・60上・83上 ☞ 4(路)

★   6上・60下 ☞ 2

 関  10下・62下・78下 ☞ 3

【植物15】 ☞ 38 

★   16下・34下・42下 ☞ 3

★   9上・29下・33下・35下・66下・96上 ☞ 6

★   61上・66上・73上 ☞ 3

★   29下 ☞ 1

★ 紅葉 5上・24下・26上・32下・69上 ☞ 5

★   22上・64下・87上 ☞ 3 (樹)

 蘆  19上・71下・88上 ☞ 3 (芦)

★   41上 ☞ 1

★ 菜  15上 ☞ 1

★ 茅  1上・39上 ☞ 2 (含苫)

 笹  39上・58上 ☞ 2 (篠)

 藻  97下 ☞ 1

★   87上 ☞ 1

★   26上・69上・71上・87上 ☞ 4

★   1上・71上 ☞ 2 (含穂)

【生き物6】 ☞ 10 

★ 鹿  5上・8上・83下 ☞ 3

★   6上 ☞ 1

★   3上・62上・78上 ☞ 3

★ 千鳥 78上 ☞ 1

★ 時鳥 81上 ☞ 1

★ 螽斯 91上 ☞ 1

【時間軸18】 ☞ 72

★   70下・71上・87下・97上・98上 ☞ 5

★   52上・70下・87下・98上 ☞ 4

★   33上 ☞ 1

★   31上・52下・64上・80下 ☞ 4 (含今朝)

★   21下・30上・31上・36上・52上・53上・81下・85上 ☞ 8(含有明

★   30上 ☞ 1

★   49下 ☞ 1

★ 宵  36上 ☞ 1

★   3下・6下・36上・49上・53上・57下・59上・62上・68下・85上・    88上・ 91上・94上 ☞ 13

★   8下・9下・17上・19下・56上・83上・84下・93上・95上・99下   ☞ 10 (含代)

★   38下・50上・54下・75下・82上 ☞ 5

★   20上・21上・26下・56下・63上・84下 ☞ 6

★   34下・35下・43下・100下 ☞ 4

★   35上・94下・100上 ☞ 3

★ 若  15上 ☞ 1

★ 今日 54下・61下 ☞ 2

★ 今年 95下 ☞ 1

 久方 33上・76上 ☞ 2

【感情22】 ☞ 147    

★   17上・24下 ☞ 2

★   1下・8上・9下・14下・15下・23下・40上・41上・86下・92上・ 95下・96下 ☞ 12 (含われ)

★ 己  48上 ☞ 1

★   8下・11下・18下・25下・28下・34上・35上・38下・39下・40下・41下・44下・ 45上・46上・47下・58下・63下・66下・74上・92下・97上・ 99上 ☞ 22

★   9下・20下・23下・38上・44下・45下・88下・96下・97下・99下 ☞ 10 (含掛詞ー澪標)

★ 君  15上・50上 ☞ 2

★   34下 ☞ 1

★   26上・29上・33下・35上・43下・68上・80上 ☞ 7

★   13下・27下・39下・40上・41上・46下・65下・68下・84下・88下  ☞ 10

★   19下・20下・44上・56下・57上・77下 ☞ 6

★   20下・28下・38上・40下・41下・43下・45上・48下・49下・50下・51下・ 56上・63上・66上・77下・80下・82上・83上・85上・86上・99下  ☞ 21

★   14上・39上・40上・84上・89下・100上 ☞ 6

★ 恨  44下・52下・65上・99上 ☞ 4

★ 嘆  53上・86上 ☞ 2

★   30下・68上・74上・82下・84下・95上 ☞ 6

★   5下・23上・93下 ☞ 3

★   38下・50上・99上 ☞ 3

★   82下・86下 ☞ 2

★ 夢  18下・67上 ☞ 2

★ もの 23上・30下・40下・43下・48下・49下・52上・53下・59上・65上・74下・ 80下・82上・85上・86上・96下・99下 ☞ 17

★   9上・40上・90下 ☞ 3

★   16下・21下・26下・97上 ☞ 4

【数5】 ☞ 10 

★ 八重 47上・61上 ☞ 2

★ 九重 61上 ☞ 1

★   3下・23下・53上・88上・91下 ☞ 5(含ひとり)

★ 八十 11上 ☞ 1

★   100上 ☞ 1

【色調6】 ☞ 14

★   2上・4上・6下・29下・31下・37上・76下 ☞ 7

★   17下 ☞ 1

★   80上 ☞ 1

★   24下・69下 ☞ 2

★   36上 ☞ 1

★ 妙  2下・4上 ☞ 2

 




小倉百人一首・下

前回に引き続き、田辺聖子さんの「小倉百人一首」より今回は、後半の51番の歌より収録しています。

百人一首の歌は太字、その下の歌は、その章に収録されている歌です。

かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを 藤原実方

(桜狩雨は降りきぬ同じくは濡るとも花の陰に宿らむ       藤原実方

明ぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな  藤原道信

(限りあればけふぬぎすてつ藤衣はてなきものは涙なりけり    藤原道信

(うれしきはいかばかりかは思ふらぬ憂きは身にしむ心地こそすれ 藤原道信

嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る 道綱の母

(げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり 藤原兼家

わすれじの行末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな   儀同三司母

滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ  藤原公任

(あせにけるいまだに懸かる滝つせの早くぞ人は見るべかりける  赤染衛門

(山桜さきそめしより久方の雲居に見ゆる滝の白糸        源俊頼

(小倉山嵐の風の寒ければもみじの錦着ぬ人ぞなき        藤原公任

あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな 和泉式部

(すてはてむと思ふさへこそ悲しけれ君に馴れにし我ぞと思へば   和泉式部

(黒髪の乱れも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞこひしき    和泉式部

(白露も夢もこの世もまぼろしもたとへていへば久しかりけり    和泉式部

(もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る  和泉式部

(暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月      和泉式部

めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲がくれにし夜半の月かな 紫式部

(鳴き弱るまがきの虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらむ     紫式部

有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする       大弐三位

やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな 赤染衛門

(あはれともいふ人はなしあぶりこの身は焼飯に胸ぞこがるる    赤染衛門

大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立       小式部内侍

(とどめおきて誰を哀れと思ふらむ子はまさりけり子はまさるらむ  和泉式部

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほいむるかな      伊勢大輔

夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ     清少納言

(逢坂は人越えやすき関なれば鶏鳴かぬにもあけてまつとか     藤原行成

今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな 左京大夫道雅

(さかき葉のゆふしでかげのそのかみに押し返しても似たる頃かな  道雅

(陸奥の緒絶えの橋やこれならむ踏みみ踏まずみ心惑わす      道雅

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにわらはれわたる瀬瀬の網代木   藤原定頼

(もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ浪のゆくへ知らずも   柿本人麿

恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそ惜しけれ  相模

(風にまひたる菅笠のなにかは路に落ちざらむ
わが名はいかで惜しむべき惜しむは君が名のみとよ       芥川龍之介

もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし   前大僧正行尊

(大峰行ふ聖こそあはれに尊きものはあれ
法華経誦する声はして確かの正体まだ見えず         詠み人知らず

春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ  周防内侍

(契りありて春の夜ふかき手枕をいかがかひなき夢になすべき  藤原忠家

心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな  三条院

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり      能因法師

(竜田川もみぢ葉ながる神奈備の三室の山にしぐれ降るらし   詠み人知らず

(神無月ねざめに聞けば山里のあらしの声は子の葉なりけり   能因法師

(都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白川の関       能因法師

(思ふ人ありとなけれどふるさとはしかすがにこそ恋しかりける 能因法師 

(かねてより思ひしことよ伏柴のこるばかりなる歌きせむとは  加賀

さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮れ 良選法師

(白菊のうつろひ行くぞあはれなるかくしつつこそ人も離れしか 良選法師

(ませの内なる白菊もうつろふみるこそあはれなり
我らがかよひてみし人もかくしつつこそ離れにしか       刑部卿敦兼

(渡辺や大江の岸にやどりして雲居にみゆる生駒山かな     良選法師

(ほととぎすなが鳴く里のあまたあればなほ疎まれぬ思ふものから 詠み人知

(宿ちかくしばしながなけほととぎす今日のあやめの根にもくらべむ 良選法師

夕去れば門田の稲葉おとづれて蘆のまろ屋に秋風ぞふく    源経信

(秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる   藤原敏行

音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ   紀伊

(人知れぬ思ひありその浦風に波の寄るこそいはまほしけれ   藤原俊定

高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ     大江匡房

(吹く風を勿来の関と思へども道も狭に散る山桜かな      源義家

(逢坂の関のこなたもまだ見ねばあづまのことも知られざりけり 大江匡房

憂かりける人をはつせの山おろしよはげしかれとは祈らぬものを 源俊頼

(鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波よる秋の夕暮れ        源俊頼

契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり    藤原基俊

(ただ頼めしめぢが原のさせも草われ世の中にあらぬかぎりは   清水観音

(昔見し人は夢路に入り果てて月とわれとになりにけるかな    藤原俊頼

わたの原漕ぎ出でてみればひさかたの雲居にまがふ沖つ白波   法性寺入道前

(御狩すと鳥立の原をあさりつつ交野の野辺に今日もくらしつ   藤原忠通

(さざなみや志賀の唐崎風冴えて比良の高嶺に霰降るなり     藤原忠通

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ   崇徳院

淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守      源兼昌

(旅人はたもと涼しくなりにける関吹き越ゆる須磨の浦風     在原行平

(友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝ざめの床もたのもし      源氏物語

(旅寝する夢路はたえぬ須磨の関通ふ千鳥の暁の声        藤原定家

(ぬばたまの夜のふけゆけば久木生ふる清き河原に千鳥しば鳴く  山辺赤人

秋風にたなびく雲の絶えまよりもれ出づる月のかげのさやけき 左京大夫顕輔

(むらむらに咲ける垣根の卯の花は木の間の月心地こそすれ   藤原顕輔

(さらぬだに寝ざめがちなる冬の夜をならの枯葉に霰ふるなり  藤原顕輔

(庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなく澄める月かな   源頼政

(風吹けば玉散る萩の下露にはかなく宿る野辺のつきかな    藤原忠通

長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ    堀川

(この世にて語らひ置かむ時鳥死出の山路のしるべともなれ   堀川

(ほととぎすなくなくこそは語らはめ死出の山路に君しかからば 西行

(いふかたもなくこそ物は悲しけれこは何事を語るなるらむ   堀川

ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣

(ほととぎす鳴きつる方にあきれたる後徳大寺の有明の顔    大田蜀山人

(古き都を来て見れば浅茅が原とぞ荒れにける
月の光は隈なくて秋風のみぞ身にはしむ【今様】       藤原實定

(いざさらば涙くらべむほととぎすわれも憂き世に音をのみぞなく 建礼門院

(いにしへは月にたとへし君なれどその光りなき深山辺の里  藤原實定

思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり   道因法師

(世の中は憂き身に添える影なれや思ひ捨つれど離れざりけり  源俊頼

(聞くだびに珍しければほととぎすいつも初音の心地1こそすれ 永縁法師

聞くだびに珍しければほととぎすいつも初音の心地1こそすれ 大夫俊成 

(夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里     藤原俊成

ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞいまは恋しき 藤原清輔

(をりをりに物思ふ事はありしかどこのたびばかり悲しきはなし   藤原清輔

夜もすがらもの思ふころは明やらで閨のひまさへつれなかりけり  俊恵法師

(冬の夜にいくたびばかりねざめして物思ふ宿ひま白むらむ     増基法師

(津の国のこやとも人を言うべきにひまこそなけれ芦の八重ぶき   和泉式部

(暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月     和泉式部

なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな    西行法師

(道の辺に清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ   西行法師

(津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり      西行法師

(吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづむね   西行法師

(庵にもる月の影こそさびしけれ山田は引板の道ばかりして    西行法師

(よしや君昔の玉のゆかとてもかからむ後は何かはせむ      西行法師

(願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ       西行法師

むらさめの露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋の夕ぐれ   寂連法師

 (さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ   寂漣法師

(心なき身のみあはれは知られけれ鴫立つ沢の秋の夕暮れ     西行法師

(見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ     藤原定家

難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき 皇嘉門院別

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする  式子内親王

(はかなしや枕さだめぬうたたねにほのかにかよふ夢の通ひ路   式子内親王

(我が恋は知る人もなしせく床の涙もらすな黄楊の小枕      式子内親王

(したしむは定家が撰りし歌の御代式子の内親王は古りし御姉   与謝野晶子

見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色はかはらず  殷富門院大輔

(松島や雄島の磯にあさりせし海士の袖こそかくはぬれしか    源重之

(なにかいとふよも長らへじさのみやは憂きにたへたる命なるべき 殷富門院

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかも寝む   後京極摂政前

(空はなほかすみもやらず風寒えて雪げにくもる春の夜の月    藤原良経

(さむしろに衣かたしき今宵もやわれを待つらむ宇治の橋姫   詠み人知らず

(吾が恋ふる妹は逢はずて玉の浦に衣かたしきひとりかも寝む  詠み人知らず

わが袖は潮干にみえぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし    二条院讃岐

(登るべき頼りもなければ木のもとに椎を拾ひて世を渡るかな   源頼政  

(うもれ木の花咲くこともなかりしにみのなるはてぞ悲しかりける 源頼政

(山たかみ峯のあらしに散る花の月にあまぎる明け方の空     二条院讃岐

(鳴く蝉の声も涼しき夕暮れに秋をかけたる杜のしたつゆ     二条院讃岐

(世にふるは苦しきものを真木の屋に安くも過ぐる初しぐれかな  二条院讃岐

(わすれじな難波の秋の夜半の月こと浦にすむ月はみるとも    丹後

(待つ宵にふけゆく鐘の声聞けば帰るあしたの鳥もものかは    大宮小侍従

世の中は常にもがもな渚こぐあまの小船の綱手かなしも     鎌倉右大臣

(もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原     源実朝

(箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ   源実朝

(大海の磯もとどろに寄する波われてくだけて裂けて散るかも   源実朝

み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり      参議雅経

(み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり    坂上是則

(長安一片ノ月 万戸衣ヲ打ツノ声
秋風吹イテ尽キズ 総テコレ玉関ノ情
何日カ胡慮ヲ平ラゲテ 良人遠征ヲ罷メン 【漢詩】       李白

(移りゆく雲に嵐の声すなり散るか正木の葛城の山        藤原雅経

(なれなれて見しは名残りの春ぞともなどしら川の花の下かげ   藤正雅経

おほけなく憂き世の民におほふかなわが立つ杣に墨染の袖    慈円

(阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわが立つ杣に冥加あらせたまへ   最澄

(みな人の一つの癖はあるぞとよ我には許せ敷島の道       慈円

(わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐなり     慈円

(有明の月のゆくへをながめてぞ野寺の鐘は聞くべかりける    慈円

花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり   入道前太政大臣

(山ざくら峯にも尾にも植ゑをかむみぬ世の春を人や忍ぶと    藤原公任

(風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせむ    浅野内匠頭

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ   藤原定家

(名寸隅の舟瀬ゆ見ゆる淡路島松帆の浦に朝凪に玉藻刈りつつ
夕凪に藻塩焼きつつ海木通女有りとは聞けど見にゆかむ
よしの無ければますらをの心はなしにたわやめの念ひたわみて
たもとほり吾はぞ恋ふる舟梶をなみ 【長歌】          笠金村

(春の夜の夢の浮橋とだえして峯に別るる横雲の空        藤原定家       

(大空は梅のにほひにかすみつつ曇りも果てぬ春の夜の月     藤原定家

(見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ     藤原定家

(我こそは新島守よおきの海のあらき波風心して吹け       後鳥羽院

風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける   従二位家隆

(契りあれば難波の里にやどりきて波の入り日を拝みつるかな   藤原家隆

人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は   後鳥羽院

(ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく     後鳥羽院

(見渡せば山もと霞むみ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ     後鳥羽院

(み吉野の高嶺の桜散りにけり嵐も白き春のあけぼの       後鳥羽院

(寂しさは深山の秋の朝曇り霧にしをるる槙のした露       後鳥羽院

(奥山のおどろが下も踏み分けて道ある世ぞと人に知らせむ    後鳥羽院

(人ごころうつりはてぬる花の色に昔ながらの山の名も憂し    後鳥羽院

(我こそは新島守よおきの海のあらき波風心して吹け       後鳥羽院

ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり   順徳院

絶大な勢力を誇り光り輝く時代の天皇家の親子の歌に始まり 武士の台頭により抵抗するも権勢をそがれて最終的には島流しと凋落を余儀なくされた天皇家の親子の歌で締めくくり・・・

矢張り小倉百人一首には強い政治的メッセージが隠かくされているのでしょうか。

     次の投稿は年明けです。一年間ありがとうございました(#^.^#)

小倉百人一首・上

お正月も段々と近づいて来ています。早いものですね。つい先日まではやれ猛暑日だ、猛暑の新記録だと暑さに辟易していたような感じですが・・

お正月と云えば「かるたとり」・・今はこの様な遊びをするご家族も少なくなってきてい小倉百人一首上るようですが、日本の伝統の一つ❣❢大事に残していきたいものです。

と云う事で、今回は、田辺聖子さんの「小倉百人一首上・下」に収録されている短歌・長歌を百人一首を中心に全部拾ってみました。

歌だけを拾い上げ、面白い軽妙なタッチの解説本文、歌人に関わるエピソードは省いています。興味ある方は原本をご覧いただければと思います。

ではでは・・・

秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ  天智天皇

(秋田かる仮庵を作りわが居れば衣手寒く露ぞおきける     詠み人知らず

(ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく     後鳥羽院

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山      持統天皇

(春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山       持統天皇

あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む 柿本人麻呂 

(思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を   詠み人知らず

(ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく船をしぞ思ふ    柿本人麻呂

(ほのぼのとまこと明石の神ならば我にも見せよ人丸の塚    詠み人知らず

田子の浦に打ち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人

(田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける 山辺赤人

(天地の分れし時ゆ神さびて高く貴き駿河なる富士の高嶺を
天の原ふりさけ見れば渡る日の影も隠らひてる月の光も見えず
白雲もい行きはばかり時じくぞ雪は降りける語り継ぎ言い継ぎ
ゆかむ富士の高嶺は 【長歌】                  山辺赤人

(日本の大和の国の鎮めともいます神かも宝ともなれる山かも   高橋虫麻呂

奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき     猿丸太夫

かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける   中納言家持

天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも     安倍仲麻呂

わが庵は都のたつみ鹿ぞすむ世をうぢ山とひとはいふなり    喜撰法師

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町

(うたたねに恋しき人をみてしより夢てふものは頼み初めてき   小野小町

(思いつつ寝ればや人のみえつらむ夢としりせばさめざらましを  小野小町

(今はとてわが身しぐれにふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり 小野小町

(人を思ふこころ木の葉にあらばこそ風のまにまに散りも乱れめ  小野貞樹

(あはれなりわが身の果てや浅緑つひには野辺のかすみと思へば  小野小町

これやこの行くも帰るも分かれては知るも知らぬも逢坂の関   蝉丸

(世の中はとてもかくても過ごしてむ宮もわら屋も果てしなければ 蝉丸

(逢坂の関の嵐のはげしきに盲ひてぞゐたる世を過ごすとて    蝉丸

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人のつり舟  参議篁

天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ    僧正遍照

(世をそむく苔の衣はただひとへかさねばうとしいざ二人寝む   僧正遍照

筑波嶺のみねより落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる   陽成院

陸奥のしのぶもぢずりたれゆゑに乱れそめにしわれならなくに 河原左大臣

(早苗とる手もとや昔しのぶずり               松尾芭蕉

(春日野の若むらさきのすりごろもしのぶの乱れかぎり知られず 読み人知らず

君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ   光孝天皇

たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰り来む 中納言行平

(わくらばに問う人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ侘ぶと答へよ 在原行平

(腰蓑の上からみつめる中納言                読み人知らず

ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは  在原業平

住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ    藤原敏行

難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世をすぐしてよとや 伊勢

わびぬれば今はたおなじ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ 元良親王

(ふもとさへあつくぞありける富士の山嶺の思ひのもゆる時には  元良親王

(初春の初子の今日の玉箒手に取るからにゆらぐ玉の緒    読み人知らず

(極楽の玉の台のはちす葉にわれを誘えゆらぐ玉の緒     京極御息所

今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな  文屋康秀

(雪ふれば木毎に花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし  紀友則

(秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる   藤原敏行

(わびぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ 小野小町

月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にあらねど  大江千里

(燕子楼中霜月ノ色秋来タッテ只一人ノ為ニ長シ        李白

(おほかたの秋来るからに我が身こそ悲しき物と思ひしみぬれ  大江千里

(照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜ぞめでたかりける   大江千里

(あやなくも年の緒長く独りしてあくがれわたる身とやなりけむ 大江千里

このたびは 幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに   菅原道真

(去年ノ今夜 清涼ニ侍ス 秋思ノ詩篇 独リ断腸
恩賜ノ御衣 今ココニアリ 捧ゲ持チテ毎日 余香ヲ拝ス    菅家

名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな 藤原定方 

(大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる    読み人知らず

小倉山峰の紅葉葉こころあらば今ひとたびの御幸待たなむ   貞信公

みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ  藤原兼輔

山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば   源宗于朝臣

心あてに折らばや折らむはつ霜の置きまどはせる白菊の花   凡河内躬恒

(月夜にはそれとも見えず梅の花香をたづねてぞしるべかりける 凡河内躬恒

(照る月を弓張としもいふことは山の端さしていればなりけり  凡河内躬恒

(白雲のこのかたにしもおりゐるは天つ風こそ吹きてきぬらし  凡河内躬恒

(ふたつ文字牛の角文字直ぐなもじゆがみ文字とぞ君はおぼゆる 延政門院  

有明のつれなくみえし別れより暁ばかり憂きものはなし    壬生忠岑

(風吹けば峰にわかるる白雲の絶えてつれなき君が心か     壬生忠岑

(春の日の雪間をわけておひいでくる草のはつかに見えし君かも 壬生忠岑

朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪     坂上是則

(み吉野の象山の際の木ぬれにはここだもさわぐ鳥の声かも   山辺赤人

(み吉野の山の白雪ふみ分けて入りにし人のおとづれもせぬ   壬生忠岑

(み吉野の山の白雪ふみ分けて入りにし人の跡ぞ悲しき     静御前

(しづやしづ賤のをだまき繰りかへし昔を今になすよしもがな  静御前

(み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり   坂上是則

山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり   春道列樹

(流れゆくわれは水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ 菅原道真

(あづさ弓春の山辺を越えくれば道もさりあへず花ぞ散りける  紀貫之

(昨日といひ今日とくらしてあすか川流れてはやき月日なりけり 春道列樹

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ      紀友則

たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに     藤原興風

(かくしつつ世をや尽くさむ高砂の尾の上にたてる松ならなくに 詠み人知らず

(われみても久しくなりぬ住之江の岸の姫松幾世経ぬらむ    詠み人知らず

(世の中に古りぬるものは津の国の長柄の橋とわれとなりけり  詠み人知らず

(今こそあれわれも昔はをとこ山さかゆく時もあり来しものを  詠み人知らず

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける    紀貫之

(夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ   清原深養父

(夏の夜の臥すかとすれば時鳥鳴くひと声にあくるしののめ   紀貫之

(冬ながら空より花の散り来るは雲のあなたは春にやあらむ   清原深養父

(その人ののちといはれぬ身なりせば今宵の歌をなづぞ詠ままし 清少納言

白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける   文屋朝康

(秋の野におく白露は玉なれやつらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ   文屋朝康

(蓮葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく    僧正遍照

(萩の露玉に貫かむととれば消ぬよし見む人は枝ながらみよ   詠み人知らず

(あさみどり糸よりかけて白露を玉にも貫ける春の柳か     僧正遍照

(置くと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露  源氏物語

(秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草場の土とのみ見む   源氏物語

忘らるる身をば思はず誓ひてし人のいのちの惜しくもあるかな 右近

(我を頼めて来ぬ男角二つ生いたる鬼となれさて人に疎まれよ
霜雪あられ降る水田の鳥となれさて足冷たかれ・・・ (梁塵秘抄) 詠み人知らず

浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき   参議源等

(戯奴(ワケ)がため吾手もすまに春の野に抜ける茅花ぞ食して肥えませ 紀女郎

(吾が君に戯奴は恋ふらし給ひたる茅花を喫めどいや痩せに痩す 大伴家持

忍ぶれど色にいでにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで  平兼盛

恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見

契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは    清原元輔

(君をおきてあだし心をわが待たば末の松山浪も越えなむ    詠み人知らず

(いかばかり思ふらむかと思ふらむ老いて別るる遠き道をば   清原元輔

(波こゆるころとも知らず末の松待つらむとのみ思ひけるかな  源氏物語

あひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざるけり   藤原敦忠

逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし 藤原朝忠

(君恋ふとかつは消えつつ経るものをかくても生ける身とやみるらむ 清原元真

(たぐへやるわがたましひをいかにして儚き空にもてはなるらむ  藤原朝忠

(ふりすてて今日はゆくとも鈴鹿川八十瀬の波に袖はぬれじや   源氏物語

あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな 謙徳公

由良の戸を渡る舟人かぢを絶え行方も知らぬ恋のみちかな    曾禰好忠

(日暮るれば下はをぐらき木のもとのもの恐ろしき夏の夕暮れ    曾禰好忠  

(うとまねど誰も汗こき夏なれば間ええ遠に寝とや心へだつる    曾禰好忠

八重むぐらしげれる宿のさびしきに人こそみえね秋は来にけり  恵慶法師

(塩竈にいつか来にけむ朝なぎに釣する舟はここによらなむ    在原業平

風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふころかな   源重之

(人の世は露なりけりとしりぬれば親子の道に心おかなむ     源重之

(さもこそは人におとれる我絵ならめおのが子にさへ後れとるかな 源重之

(旅人のわびしきことは草枕雪降る時の氷なりけり        源重之

(昔みし関守もみな老いにけり年のゆくをばえやはとどむる    源重之

(みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか    平兼盛

みかきもり衛士の焚く火の夜は燃え昼は消えつつものこそ思へ  大中臣能宣

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな    藤原義孝