小倉百人一首・下

前回に引き続き、田辺聖子さんの「小倉百人一首」より今回は、後半の51番の歌より収録しています。

百人一首の歌は太字、その下の歌は、その章に収録されている歌です。

かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを 藤原実方

(桜狩雨は降りきぬ同じくは濡るとも花の陰に宿らむ       藤原実方

明ぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな  藤原道信

(限りあればけふぬぎすてつ藤衣はてなきものは涙なりけり    藤原道信

(うれしきはいかばかりかは思ふらぬ憂きは身にしむ心地こそすれ 藤原道信

嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る 道綱の母

(げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり 藤原兼家

わすれじの行末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな   儀同三司母

滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ  藤原公任

(あせにけるいまだに懸かる滝つせの早くぞ人は見るべかりける  赤染衛門

(山桜さきそめしより久方の雲居に見ゆる滝の白糸        源俊頼

(小倉山嵐の風の寒ければもみじの錦着ぬ人ぞなき        藤原公任

あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな 和泉式部

(すてはてむと思ふさへこそ悲しけれ君に馴れにし我ぞと思へば   和泉式部

(黒髪の乱れも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞこひしき    和泉式部

(白露も夢もこの世もまぼろしもたとへていへば久しかりけり    和泉式部

(もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る  和泉式部

(暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月      和泉式部

めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲がくれにし夜半の月かな 紫式部

(鳴き弱るまがきの虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらむ     紫式部

有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする       大弐三位

やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな 赤染衛門

(あはれともいふ人はなしあぶりこの身は焼飯に胸ぞこがるる    赤染衛門

大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立       小式部内侍

(とどめおきて誰を哀れと思ふらむ子はまさりけり子はまさるらむ  和泉式部

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほいむるかな      伊勢大輔

夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ     清少納言

(逢坂は人越えやすき関なれば鶏鳴かぬにもあけてまつとか     藤原行成

今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな 左京大夫道雅

(さかき葉のゆふしでかげのそのかみに押し返しても似たる頃かな  道雅

(陸奥の緒絶えの橋やこれならむ踏みみ踏まずみ心惑わす      道雅

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにわらはれわたる瀬瀬の網代木   藤原定頼

(もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ浪のゆくへ知らずも   柿本人麿

恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそ惜しけれ  相模

(風にまひたる菅笠のなにかは路に落ちざらむ
わが名はいかで惜しむべき惜しむは君が名のみとよ       芥川龍之介

もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし   前大僧正行尊

(大峰行ふ聖こそあはれに尊きものはあれ
法華経誦する声はして確かの正体まだ見えず         詠み人知らず

春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ  周防内侍

(契りありて春の夜ふかき手枕をいかがかひなき夢になすべき  藤原忠家

心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな  三条院

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり      能因法師

(竜田川もみぢ葉ながる神奈備の三室の山にしぐれ降るらし   詠み人知らず

(神無月ねざめに聞けば山里のあらしの声は子の葉なりけり   能因法師

(都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白川の関       能因法師

(思ふ人ありとなけれどふるさとはしかすがにこそ恋しかりける 能因法師 

(かねてより思ひしことよ伏柴のこるばかりなる歌きせむとは  加賀

さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮れ 良選法師

(白菊のうつろひ行くぞあはれなるかくしつつこそ人も離れしか 良選法師

(ませの内なる白菊もうつろふみるこそあはれなり
我らがかよひてみし人もかくしつつこそ離れにしか       刑部卿敦兼

(渡辺や大江の岸にやどりして雲居にみゆる生駒山かな     良選法師

(ほととぎすなが鳴く里のあまたあればなほ疎まれぬ思ふものから 詠み人知

(宿ちかくしばしながなけほととぎす今日のあやめの根にもくらべむ 良選法師

夕去れば門田の稲葉おとづれて蘆のまろ屋に秋風ぞふく    源経信

(秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる   藤原敏行

音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ   紀伊

(人知れぬ思ひありその浦風に波の寄るこそいはまほしけれ   藤原俊定

高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ     大江匡房

(吹く風を勿来の関と思へども道も狭に散る山桜かな      源義家

(逢坂の関のこなたもまだ見ねばあづまのことも知られざりけり 大江匡房

憂かりける人をはつせの山おろしよはげしかれとは祈らぬものを 源俊頼

(鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波よる秋の夕暮れ        源俊頼

契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり    藤原基俊

(ただ頼めしめぢが原のさせも草われ世の中にあらぬかぎりは   清水観音

(昔見し人は夢路に入り果てて月とわれとになりにけるかな    藤原俊頼

わたの原漕ぎ出でてみればひさかたの雲居にまがふ沖つ白波   法性寺入道前

(御狩すと鳥立の原をあさりつつ交野の野辺に今日もくらしつ   藤原忠通

(さざなみや志賀の唐崎風冴えて比良の高嶺に霰降るなり     藤原忠通

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ   崇徳院

淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守      源兼昌

(旅人はたもと涼しくなりにける関吹き越ゆる須磨の浦風     在原行平

(友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝ざめの床もたのもし      源氏物語

(旅寝する夢路はたえぬ須磨の関通ふ千鳥の暁の声        藤原定家

(ぬばたまの夜のふけゆけば久木生ふる清き河原に千鳥しば鳴く  山辺赤人

秋風にたなびく雲の絶えまよりもれ出づる月のかげのさやけき 左京大夫顕輔

(むらむらに咲ける垣根の卯の花は木の間の月心地こそすれ   藤原顕輔

(さらぬだに寝ざめがちなる冬の夜をならの枯葉に霰ふるなり  藤原顕輔

(庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなく澄める月かな   源頼政

(風吹けば玉散る萩の下露にはかなく宿る野辺のつきかな    藤原忠通

長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ    堀川

(この世にて語らひ置かむ時鳥死出の山路のしるべともなれ   堀川

(ほととぎすなくなくこそは語らはめ死出の山路に君しかからば 西行

(いふかたもなくこそ物は悲しけれこは何事を語るなるらむ   堀川

ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣

(ほととぎす鳴きつる方にあきれたる後徳大寺の有明の顔    大田蜀山人

(古き都を来て見れば浅茅が原とぞ荒れにける
月の光は隈なくて秋風のみぞ身にはしむ【今様】       藤原實定

(いざさらば涙くらべむほととぎすわれも憂き世に音をのみぞなく 建礼門院

(いにしへは月にたとへし君なれどその光りなき深山辺の里  藤原實定

思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり   道因法師

(世の中は憂き身に添える影なれや思ひ捨つれど離れざりけり  源俊頼

(聞くだびに珍しければほととぎすいつも初音の心地1こそすれ 永縁法師

聞くだびに珍しければほととぎすいつも初音の心地1こそすれ 大夫俊成 

(夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里     藤原俊成

ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞいまは恋しき 藤原清輔

(をりをりに物思ふ事はありしかどこのたびばかり悲しきはなし   藤原清輔

夜もすがらもの思ふころは明やらで閨のひまさへつれなかりけり  俊恵法師

(冬の夜にいくたびばかりねざめして物思ふ宿ひま白むらむ     増基法師

(津の国のこやとも人を言うべきにひまこそなけれ芦の八重ぶき   和泉式部

(暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月     和泉式部

なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな    西行法師

(道の辺に清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ   西行法師

(津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり      西行法師

(吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづむね   西行法師

(庵にもる月の影こそさびしけれ山田は引板の道ばかりして    西行法師

(よしや君昔の玉のゆかとてもかからむ後は何かはせむ      西行法師

(願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ       西行法師

むらさめの露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋の夕ぐれ   寂連法師

 (さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ   寂漣法師

(心なき身のみあはれは知られけれ鴫立つ沢の秋の夕暮れ     西行法師

(見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ     藤原定家

難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき 皇嘉門院別

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする  式子内親王

(はかなしや枕さだめぬうたたねにほのかにかよふ夢の通ひ路   式子内親王

(我が恋は知る人もなしせく床の涙もらすな黄楊の小枕      式子内親王

(したしむは定家が撰りし歌の御代式子の内親王は古りし御姉   与謝野晶子

見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色はかはらず  殷富門院大輔

(松島や雄島の磯にあさりせし海士の袖こそかくはぬれしか    源重之

(なにかいとふよも長らへじさのみやは憂きにたへたる命なるべき 殷富門院

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかも寝む   後京極摂政前

(空はなほかすみもやらず風寒えて雪げにくもる春の夜の月    藤原良経

(さむしろに衣かたしき今宵もやわれを待つらむ宇治の橋姫   詠み人知らず

(吾が恋ふる妹は逢はずて玉の浦に衣かたしきひとりかも寝む  詠み人知らず

わが袖は潮干にみえぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし    二条院讃岐

(登るべき頼りもなければ木のもとに椎を拾ひて世を渡るかな   源頼政  

(うもれ木の花咲くこともなかりしにみのなるはてぞ悲しかりける 源頼政

(山たかみ峯のあらしに散る花の月にあまぎる明け方の空     二条院讃岐

(鳴く蝉の声も涼しき夕暮れに秋をかけたる杜のしたつゆ     二条院讃岐

(世にふるは苦しきものを真木の屋に安くも過ぐる初しぐれかな  二条院讃岐

(わすれじな難波の秋の夜半の月こと浦にすむ月はみるとも    丹後

(待つ宵にふけゆく鐘の声聞けば帰るあしたの鳥もものかは    大宮小侍従

世の中は常にもがもな渚こぐあまの小船の綱手かなしも     鎌倉右大臣

(もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原     源実朝

(箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ   源実朝

(大海の磯もとどろに寄する波われてくだけて裂けて散るかも   源実朝

み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり      参議雅経

(み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり    坂上是則

(長安一片ノ月 万戸衣ヲ打ツノ声
秋風吹イテ尽キズ 総テコレ玉関ノ情
何日カ胡慮ヲ平ラゲテ 良人遠征ヲ罷メン 【漢詩】       李白

(移りゆく雲に嵐の声すなり散るか正木の葛城の山        藤原雅経

(なれなれて見しは名残りの春ぞともなどしら川の花の下かげ   藤正雅経

おほけなく憂き世の民におほふかなわが立つ杣に墨染の袖    慈円

(阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわが立つ杣に冥加あらせたまへ   最澄

(みな人の一つの癖はあるぞとよ我には許せ敷島の道       慈円

(わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐなり     慈円

(有明の月のゆくへをながめてぞ野寺の鐘は聞くべかりける    慈円

花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり   入道前太政大臣

(山ざくら峯にも尾にも植ゑをかむみぬ世の春を人や忍ぶと    藤原公任

(風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせむ    浅野内匠頭

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ   藤原定家

(名寸隅の舟瀬ゆ見ゆる淡路島松帆の浦に朝凪に玉藻刈りつつ
夕凪に藻塩焼きつつ海木通女有りとは聞けど見にゆかむ
よしの無ければますらをの心はなしにたわやめの念ひたわみて
たもとほり吾はぞ恋ふる舟梶をなみ 【長歌】          笠金村

(春の夜の夢の浮橋とだえして峯に別るる横雲の空        藤原定家       

(大空は梅のにほひにかすみつつ曇りも果てぬ春の夜の月     藤原定家

(見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ     藤原定家

(我こそは新島守よおきの海のあらき波風心して吹け       後鳥羽院

風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける   従二位家隆

(契りあれば難波の里にやどりきて波の入り日を拝みつるかな   藤原家隆

人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は   後鳥羽院

(ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく     後鳥羽院

(見渡せば山もと霞むみ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ     後鳥羽院

(み吉野の高嶺の桜散りにけり嵐も白き春のあけぼの       後鳥羽院

(寂しさは深山の秋の朝曇り霧にしをるる槙のした露       後鳥羽院

(奥山のおどろが下も踏み分けて道ある世ぞと人に知らせむ    後鳥羽院

(人ごころうつりはてぬる花の色に昔ながらの山の名も憂し    後鳥羽院

(我こそは新島守よおきの海のあらき波風心して吹け       後鳥羽院

ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり   順徳院

絶大な勢力を誇り光り輝く時代の天皇家の親子の歌に始まり 武士の台頭により抵抗するも権勢をそがれて最終的には島流しと凋落を余儀なくされた天皇家の親子の歌で締めくくり・・・

矢張り小倉百人一首には強い政治的メッセージが隠かくされているのでしょうか。

     次の投稿は年明けです。一年間ありがとうございました(#^.^#)

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