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松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「運に対して一定の信念を持っていなければならない、それが自分に対する自信に繋がっていく。運は創るというか育てていくもの。運というものは人間にとって大変必要なものですよ。謂わば自己形成の大きな原料です。」―運を開く言葉よりー

【四月の言葉】

**一日 縁あって

袖振り合うも他生の縁―と云う古い諺があるが人と人との繋がりほど不思議なものはない。其の人がその会社に入らなかったならばその人とはこの世で永遠に知り合う事もなかっただろう。考えてみれば人々は大きな運命の中で縁の糸で操られているとも思える。こうしたことを思うと人と人との繋がりと云うものは、個人の意志や考えで簡単に切れるものではなくもっともっと次元の高いものに左右されている様である。であるとすればお互いにこの世の中における人間関係をも少し大事にしたいしもう少し有難いものと考えたい。

*二日 人間はダイヤモンドの原石

私はお互い人間はダイヤモンドの原石の如きものだと考えている。ダイヤモンドの原石は磨くことに拠って光を放つ。しかも其れは磨き方如何カットの仕方如何で、様々に異なる燦然とした輝きを放つのである。同様に人間は誰もが夫々に光る様々な素晴らしい素質を持っている。だから人を育て活かすに中っても先ずそういう人間の本質と云うものを能く認識し其々の人が持っている優れた素質が活きる様な配慮をしていく。それが矢張り基本ではないか。もしそういう認識が無ければ幾ら良き人材があってもその人を活かすことは難しいと思う。

*三日 まず人の養成を

最近ではサービスの大切さという事が盛んに言われ、どういう商売でもそれなりの制度なり体制と云うものを逐次充実させつつあると思います。其事は大いに結構であり必要なことでしょうが、その任に当たるサービス員の養成が十分でないと折角の体制も所謂画龍点睛を欠くという事になって魂の入らないものとなってしまう恐れがあります。本当にお客様に喜んで頂けるサービスをしていくには、やはり会社を代表して適切にものを言い適切に処置が出来ると云う人の養成訓練を第一に大切なことと考え、その労を惜しまないという事だと思います。

*五日 学ぶ心

人とは教わらず又学ばずして何一つとして考えられるものでは無い。幼児の時は親から、学校では先生から、就職すれば先輩からと云うように教わり学んで後初めて自分の考えが出るものである。学ぶと云う心掛けさえあれば宇宙の万物はみな先生となる。物言わぬ木石から秋の夜空に輝く星屑などの自然現象、また先輩の厳しい叱責、後輩の純粋なアドバイス一つとして師ならざるものはない。どんな事からもどんな人からも、謙虚に素直に学びたい。学ぶ心が旺盛な人程新しい考えを創り出し独創性を発揮する人であると云っても過言ではない。

*九日 国民の良識を高める

民主主義の国家として一番大事なものは矢張りその民主主義を支えてゆくに相応しい良識が国民に養われているという事でしょう。さもなければその社会は所謂勝手主義に陥って収拾のつかない混乱も起こりかねないと思います。ですから国民お互いが夫々に社会の在り方人間の在り方について高度な良識を養っていかなければなりません。国民の良識の高まりと云う裏付けがあって初めて民主主義は花を咲かせるのです。民主主義の国にもし良識と云う水をやらなかったならば立派な花は咲かず却って変な花醜い姿のものになってしまうでしょう。

*十一日 夢中の動き

此の観音様は鑿が作ってくれた自分は何も覚えていない。と云うのは版画家棟方志功さんの言葉である。私は偶々この棟方さんが観音様を彫っておられる姿をテレビで拝見し、その仕事に魂と云うか全てをつぎ込んでおられる姿に深く心を打たれた。一つ一つの身体の動きが意識したものでなく当に夢中の動きとでも云うかそんな印象を受けたのである。その姿から人間が体を動かしてする作業と云うものの大切さをつくづくと感じさせられた。機械化に懸命な今日だからこそ魂の入った作業と云うものの大切さをお互いに再認識する必要があるのではないだろうか。

*十二日 使命感を持つ

人間は時に迷ったり怖れたり心配したりと云う弱い心を一面に持っている。だから事を為すに当って、ただ何となくやると云うのではそういう弱い心が働いて力強い行動が生まれてきにくい。けれども其処に一つの使命を見出し使命感を持って事に当っていけばそうした弱い心の持ち主雖も非常に力強いものが生じてくる。だから指導者は常に事に当って何の為に此れをするのかと云う使命感を持たねばならない。そしてそれを自ら持つと共に人々に訴えていくことが大事である。そこ二千万人と雖も我往かんの力強い姿が生まれるのである。

*十三日 運命を生かす為に

サラリーマンの人々が其々の会社に入られた動機には色々あると思う。中には何となく入社したと云う人もあるかも知れない。併し一旦就職しその会社の一員となったならば、これは唯何となくでは済まされない。入社したことがいわば運命で有り縁で有るとしても今度はその上に立って自ら志を立て自主的にその運命を生かしていかなくてはならないと思う。其の為にはやはり例え会社から与えられた仕事であっても進んで創意工夫を凝らし自ら其処に興味を見出しゆき遂には夢見る程に仕事に惚れると云う心境になる事が大切だと思う。

*十四日 知識は道具知恵は人

知識と知恵如何にも同じもののように考えられる可もしれない。けれどもよく考えてみるとこの二つは別物ではないかと云う気がする。つまり知識というのはある物事について知っているという事であるが、知恵と云うのは何が正しいかを知ると云うか所謂是非を判断するものではないかと思う。言い換えれば仮に知識を道具に譬えるならば知恵は其れを使う人そのものだと云えよう。お互い知識を高めると同時に其れを活用する知恵をより一層磨き高めてゆきたい。そうして始めて真に快適な共同生活を営む道も開けてくるのではないかと思うのである。

*十七日 人を惹きつける魅力を持つ

指導者にとって極めて望ましい事は人を惹きつける魅力を持つという事だと思う。指導者にこの人の爲なら・・と感じさせるような魅力があれば期せずして人が集まりまたその下で懸命に働くという事にもなろう。もっともそうは云ってもそうした魅力的な人柄と云うものはある程度先天的な面もあって、誰もが身につける事は難しいかも知れない。併し人情の機微に通じるとか人を大事にするとか云ったことも努力次第で一つの魅力ともなろう。何れにしても指導者は惹きつける魅力の大切さを知りそう云うものを養い高めていくことが望ましいと思う。

*二十日 信頼すれば・・・

人を使うコツは色々あるだろうが先ず大事な事は人を信頼し思い切って仕事を任せる事である。信頼され任されればん瓶嚴は嬉しいしそれだけ責任も感じる。だから自分なりに色々工夫もし努力もしてその責任を全うしていこうとする。言ってみれば信頼されることによってその人の力がフルに発揮されてくる譯である。実際には100%人を信頼してする事は難しいもので其処に任せて果たして大丈夫かと云う不安も起こってこよう。併し例えその信頼を裏切られても本望だと云うぐらいの気持ちがあれば案外に人は信頼に背かないものである。

*二一日 しつける

日本人は頭もよく素質も決して劣っていない。だから何がいいか悪いかぐらいは百も承知して要る筈であるが、さてそれが行動になって表れたりすると忽ち電車に乗るのに列を乱したり公園や名所旧跡を汚したりしてしまう。やはりこれはお互いに躾が足りないからではないかと思う。幾ら頭で知っていてもそれが子供の時から躾られていないと何時まで経っても人間らしい振舞が自然に出てこない。つまり折角の知識も躾に拠って身に着いていないとその人の身だしなみも好くならず結局社会人として共に暮らす事が出来なくなってくるのである。

*二六日 知識を活用する訓練

松下政経塾には優秀な先生方の講師として来て貰う訳ですが普通の学校の様な授業はやらない。先ず学生が質問をして其れを先生に答えて貰う形式をとる。質問するものがなかったなら先生は何も言ってくれないと云うようにしたいんです。質問をする為には疑問を持たなければならない。疑問を持つに至る迄の勉強は自分で遣らなければ為らないと云う訳です。つまり知識を与えるのではなく持っている知識を活用する能力を育てていく訓練を重ねて自分の考えを堂々と主張できるような人間になってもらいたいという願いを持っているのです。

*二七日 賢人ばかりでは

世の中は賢人が揃っておれば万事上手くいく

と云うものでは決してありません。賢人は一人いればそれで十分なんです。更に準賢人が三人準準賢人が四人くらい。そんな具合に人が集まれば上々でしょう。賢人ばかりですと議論倒れで一向に仕事が捗らないと云ったようなことに為りがちです。一つの実例を挙げればある会社で三人の立派な人物がお互いに協力し合って居た筈なのにどうも上手くいかない。そこで一人を抜いてみた。すると残る二人の仲がピタッとあって非常に上手く行きぬかれた人物も他の分野で成功した。そこなことがよくあるものなのです。

*二八日 会社は道場

仕事と云うものは矢張り自分でそれに取り組んで体得していかなければならないものだと思う。併し自得していくには其の為の場所と云うか道場とでもいうものが必要であろう。処が幸いな事にその道場は既に与えられている。即ち自分の職場自分の会社である。後はその道場で進んで修行しよう仕事を自得して行こうと云う気に為るどうかという事である。しかも会社と云う道場で月謝を払うどころか逆に給料までくれるのだからこんな具合の好い話はない。この様な認識に立てば仕事に取り組む姿も謙虚にしかも力強いものに為る筈である。

*三十日 困難から力が生まれる

人間と云うものは恵まれた順境が続けばどうしても知らず識らずの裡に其れに馴れて安易に成り易い。昔から治にいて乱を忘れずという事が言われ其れを究めて大切な心構えであるけれどもそういう事が本当に100%出来る人は恐らくいない。やはりどんな立派なな人でも無事泰平な状態が続けば遂安易になる。安心感が生じ進歩が止まってしまう。それが困難に出会い逆境に陥ると其処で目覚める。気持ちを引き締めて事に当たる。其処から順調な時に出なかった様な知恵が湧き考えつかなかった事を考え着く。画期的な進歩革新も初めて生まれてくる。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「宇宙根源の力は萬物を存在せしめそれらが生成発展する源泉となるものでその力は自然の理法として我々お互いの体内にも脈々として働き一木一草の中までも生き生きと溢れている。」―運を開く言葉よりー

【三月の言葉】

*一日 本当の勇気

私は一般的に本当の勇気と云うものは一つの正義に立脚しないことには、又良心に顧みて之が正しいと思わないことには湧いてこないと思うのです。だから勇気が足りないという事は何が正しいかという事の認識が非常に曖昧である処から出ている姿ではないかと云う感じがします。人々が其々に自問自答して何が正しいかという事を考える。そしてこの正しい差は絶対譲れない。この正しさは通さなければいけないという確固とした信念を持つならば、そこから出てくる勇気は例え気の弱い人であっても非常に力強いものとなる。そう云う様な感じを私は持っているのです。

*五日 庄屋と狩人と狐

昔の譬え話に庄屋と狩人と狐の話がある。狩人は庄屋の前では畏まっている。併し庄屋は狐に化かされる。狐には弱い。そして狐は鉄砲で撃たれるかもしれないから狩人は怖い。結局この中で誰が偉いとも何とも判らないと云う話である。私は今日でもこの話は生きていると思う。勝負に勝つ人が偉いのでも負ける人が偉くないのでも何でもない。教育する人が偉いのでもないし教育を要する人ができが悪いのでもない。其々やっぱり一つに生きる姿である。そう考えれば喜んで人に協力する事が出来るし又協力を受けて仕事が出来るのではないかと思うのである。

*六日 不安に挑む

何時の世でも我々にとって完全に安穏であるという状態はないと言って良い。お互い人間である以上程度の差こそあれ不安動揺なしには居られないと思う。それが人間本来の姿である。併しだからと云って唯不安動揺し其れに怯えて為す処無くウロウロしていると云うのでは其処から何も生まれてこない。そうではなく不安は感じるが併しその不安に敢然と闘いを挑みこれを打破していく。難しい仕事、困難な要求に直面して一面に不安を感じるが、反面却って心が躍る。そして色々の考えを生み出しこれを克服してゆく。そういう風で有りたいと思う。

*七日 大西郷の遺訓

西郷隆盛が次のような遺訓を残している。国に功労がある人には禄を与えよ。功労あるからと云って地位を与えてはならない。地位を与えるには自ずと地位を与えるに相応しい見識が無ければならない。功労があるからと云って見識の無いものに地位を与えるという事は国家崩壊の基となると。是は国の事であるが事業経営についても同じことが言える。あの人は会社に大きな功労がある。だから重役にしようとなりがちであるが、この点充分に注意しなければいけない。飽く迄も功労ある人には賞を以て報いその見識ある人に地位を与えることが大事だと思う。

*九日 三日の手伝い

三日の手伝いと云う言葉があります。喩え三日の手伝い仕事であってもその仕事に一生の仕事の様な心構えで真剣に立ち向かうならば、そこから必ず大きなものを得る事が出来る、という事です。そうしてこそあらゆる場合に直面しても動じない精神が身に着くという事でしょう。そう云うと本業に就いたら勿論一生懸命努力すると云う人がいるかもしれません。併し私の是迄の体験から言うと現在与えられた慰安の仕事に打ち込めないような心構えでは、どこの職場に変わっても決していい仕事は出来ない。是ははっきり申し上げる事が出来ると思うのです。

*十日 日本の伝統精神

私は日本の伝統精神は極めて優れたものだと思います。ではその伝統精神とは何か。その一つは和を以て貴しとする平和愛好の精神です。凡そ千四百年も前にこの和の精神が聖徳太子によって掲げられています。第二は衆知を以て事を決すと云うつまり民主主義です。古事記にも八百万の神々が相談をして事を決したとあります。日本は真の民主主義の本家本元だと云えるでしょう。第三は主座を保つ。古来日本人は常に主座を失わずに外来のものを朱か吸収し日本化して来ました。この和、衆知、主座と云う三つの柱を守っていくことは、今後においても大切ではないでしょうか。

*十一日 塩の辛さは舐めてみて

例えば水泳の先生が三年間講義をしたとします。それでその講義を受けた人がすぐ泳げるかと云いますと、必ずしも泳げないと思うのです。又塩の辛さと云うものでも、塩を舐めさせることをしないで、塩は辛いぞと云っても判らないでしょう。塩の辛さは舐めてみて初めてああこれが塩の辛さやなと判る分けです。処世のコツとでも申しますかお互いの人生に於いて大切な事柄を会得するということも、事を行ってそのやったことを仔細に考え検討してゆくところから始めて可能になるのではないかと私は思います。

*十四日 人間疎外は人間が生む

現代文明における科学技術の発達によって人間が軽視され忘れられているという事が問題になっています。そういった人間疎外を失くす為には常に人間の幸せという事が前提にされなくてはなりません。何故こう云う新しい機会を造るのか、それは人間の幸せの爲である。という事が何時も考えられそれに基づく配慮が為されるならばどんな機械が生み出されて使われても人間疎外は起こらないと思います。現実に人間疎外の様な観を呈しているのは、機械が人間を疎外しているのではなく人間自身が人間自身を大事にせず、人間疎外を生んでいるのではないでしょうか。

*十六日 60%の可能性があれば

ある仕事をある人にして貰う場合その人が適任かどうかという事が極めて重要ですが、実際にはそれは中々判りません。それではどうするかという事ですが、この人だったらまぁ60%ぐらいは行けそうだなと思ったらもう適任者として決めてしまうのです。八十点迄の人を求めるという事も不可能ではないでしょうが、しかしそれには非常に時間と手数が懸ります。だからこれならまあ六十点ぐらいはあるなと思ったらもう君大いにそれをやってくれと云うようにする訳です。すると大抵上手くいくのです。全部が全部ではありませんが中には百点満点という事もあります。

*十七日 修養に場所を選ぶな

人は若い時の心がけ如何に拠り後に随分差の生じるものである。若し若い時代に自己実力の養成に励まず修養に努めなかったならば、必ず後年後悔をする時が来ると思う。然るに若い人の間では、この仕事は自分に合わないあの主任の下ではどうも働き甲斐がないと、不足を漏らす人がある。これは自己中心のものの考え方の弊害であろう。真に自己の適所を見出す迄には色々経験を積まなければならない。又性格意見の異なった指導者の下で自己を磨く事によってこそ、却ってよりよく修養が得られるものであることを深く知らなければならないと思う。

*二十日 まず自分から

反省を求める者には反省を求める。又自分達に於いて反省すべき点があれば、大いに反省して協力体制をとってゆく。そう言うことを誰かが言い出し誰かがやらねばならないのに、誰もが非常な安易感に浸ってしまって成り行き任せ他人任せになってしまっている。それが日本の現状でしょう。是では物事は好転しません。今日一日が過ぎれば明日は明日の風の吹くだろうと云う様な、事なかれ主義は何時か行き詰ります。お互いに全体として考え直そうという行き方を誰かではなく、まず自分が生み出さなくてはならないことを深く自覚すべきと思うのです。

*二二日 迷いと判断

私は極小の商売から今日迄の間例えば新しい仕事をすべきか否かを決める場合、全部ひとりで決断してきたかと云うと決してそうではありません。自分はやりたいと思うけどそれだけの力があるかどうか自分で判断がつかない時も実際ありました。そういう時には如何したかというと第三者にすっかり打ち明けて、今こう言うことで迷っているんだ君ならどう思うかと尋ねました。それは松下君あかんで・君の力やったらやれると色々言ってくれる。迷った時には私は得心の行く迄他人の意見を聞いてみるという事を遣り乍ら段々大きくなってきたのです。

*二四日 協調性を持つ

みなさんが其々の会社の社員である以上多数の同僚と相接して仕事をしなければならないということになりますから、人の立場を重んじない所謂協調性の少ない人は困ると思うのです。自分はこう思うがあの人はああ思うのだな、それも一つの考えだろうなと云うように人の言に耳を傾けると云う所に協調性が成り立つのです。勿論自己と云うものを卑屈にして協調せよと云うのではありません。けれども自己に捉われた主張は協調性を欠きます。この点どの様な立場にいようと考えなければならない非常に大事な問題ではないかと思います。

*二六日 見えざる契約

今日何千万人と云う需要者の方々は生活を豊かにして行く為に物が欲しいと云う時、それが現実に手に入らなければ非常に不自由な想いをせざるを得ないでしょう。私達は予めそういうことを予期して万般の用意をしておかねばなりません。其れは云わば私達と大衆との見えざる契約だと思うのです。別に契約書がある訳ではありませんが私達はこの見えざる契約、声なき契約を善く自覚する必要があります。そしてその契約を遂行して行く為に常日頃から万全の用意をして置くことが、私達産業人に課せられた究めて大きな義務であり責任だと思うのです。

*二七日 百年の計を立てる

終戦後日本が大きな経済発展を遂げてきたという事は確かに事実ですが、それが果たして真の経済発展であるかどうかというと、色々疑問があります。少なくとも二十年なり三十年前に二十年後、三十年後の日本を斯ういう状態に持っていくんだと云う計画を立てて取り組んだのではなく、謂わば無我夢中で働き、はっと気がついたら経済大国になっていたと云うのが実情だと云う感じがします。しかしここへきて今後ともこういう状態ではいけない。本当に永遠に通じるような正しい哲理哲学の元に大きな理念を打ち立てそして百年、二百年の計画を立てる時期に来ていると思います。

*二八日 身を捨てる度胸

人生と云うものには色々な問題があります。併しそれらの事も過ぎ去ってみるとあの時に迷わないでやって本当によかったなと云う様な場合が多いのです。そこが大事なところだと思います。ある場合には迷うこともあるでしょう。併し所詮迷ってもお互い自分の知恵裁量というものは本当は小さなものです。だからこれはもう仕方がない。此処迄のだからこれ以上進んで結果が上手くいかなくでもそれは運命だ。と度胸を決めてしまう。そうした場合には案外困難だと思っていたことがスムーズにいって、寧ろ非常に良い結果を生むという事にもなるのではないかと思うのです。

*三一日 道は無限にある

お互い人間と云うものは常に自ら新しいものを呼び起こしつつ為すべきことを成していくと云う態度を忘れてはならないと思います。

お互いが日々の生活、仕事の上に於いてそういう心構えを持ち続ける限り、一年前と今日の姿には自ずと其処に変化が生まれてくるでしょうし、又一年先五年先には更に新たな姿、仕事の進め方が生まれ個人にしろ事業にしろ其処に大きな進歩向上が見られるでしょう。大切なことはそう言うことを強く感じて熱意を持って事に当ると云う姿勢だと思います。そうすれば当に道は無限にあると云う感じがします。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 HP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【六月の言葉】

*三日 思っただけじゃダメ

幾ら心の持ち方を積極的にする事が理想だと云っても、其の理想を妨げる様な所謂日常生活を克服する事が出来なければだめなんだ。其の為には克服出来る様にする方法を実践しないでただ克服したい信念の人間に成りたいと思っただけじゃ成れやしない。 考えてご覧お風呂の脇に立っていて沸いているお湯を見ているだけでもって身体が綺麗になるか綺麗に成らないか。お風呂に入って洗い清めなければだめだろう。其れと同じ事だ。

*五日 人間は力の結晶である

命の力を豊富に受け入れられる活き方とは如何なる場合にも心の態度を積極的に保つ事であって、どんな場合にも最高度に引き上げられた自己認証を揺るがせにしない事である。どんな場合にも人間と云うものの生命は一切の生命を凌いでいる力の結晶だと正しく思い込んでしまう事である。そして之を如何なる場合にも心に確りと堅持する事である。

*六日 心大らかに

人各各運命に活きる人世なれば心大らかに過ごさんものを

之を自分で歌に作っているだけに自分で是を実行している。是は本の瞬間の自分の心の持ち方だ。瞬間消極的な事は心の中に入れないことだ。然し入れない様に頑張ると心の中で戦争しなきゃならないからふっといなしてしまえばいいんだよ。

*八日 不運から心を離す

病也運命から心が離れた時は病が在っても其の人は病人じゃない。運命が悪くても其の人は運命の悪い人じゃない。ようく寝ている人間は何も知らない。何も知らない人間に病があるか。目が覚めて嗚呼病があると思うんじゃないか。運命が良くってもいいか運命が悪い時の事を考えてりゃその人は運命が悪いのと同じだ。その位の事あ羅貯めて私から聞かなくたってもう判ってる筈だ。

*十一日 傑出した人物

実際古今共に所謂傑出した人物と云うのは何れも皆有意注意力が完全な人々の事を言うんだ。何事に対しても周到にその観念が統合され従って精神も統一され、その結果全ての能力が同輩を凌ぐ為に嫌でも自然と傑出しちゃう。だから何時も何事でも自分の好む事を行う時と同様に気を込めておやりなさい。

*十二日 真理は厳しいもの

自然界の存在する人間への掟は真に厳しい。然も是は千古変わらず久遠のその昔から永遠の将来迄証と実存している。真理はお前はそういう場合だから特別に見よう。まあ兎に角今度は機嫌の良い時に教わった様におしよと云う事は云いやしません。真理は峻厳にして侵すべからず。間違った生き方に対する正しい心構えが万一にも用意されないと忽ち事実が貴方方に反省を促します。その反省を促す事実とは如何にと云えば病なり不運なりです。

*十五日 原因結果の法則

凡そ人生には人生を厳格に支配している一つの法則がある。其れは原因結果の法則である。そして人生と云うものは其の人が自覚するしかないかを問わず、この法則を応用する度合いに比例する。即ち蒔いた種の通り花が咲くと云う法則である。俗に言う善因善果悪因悪果の法則である。人間の運命の中に地獄を作り又極楽を創るのもこの法則があるからである。

*十八日 不幸は幸福を招く原動力

不幸に直面したら先ずその不幸に際しても尚且つ生命を失わずに現実に活きていられる事を感謝する事に心を振り向けるべきである。するとそうした心掛け其れ自体が幸福を招いてくる原動力となるのである。

*二一日 人間の大使命

人間は此の世に病む為に生れて来たのでもなければ又煩悶や苦労をする為に生れて来たのでもない。否もっと重大な使命を遂行する爲に生れて来たのである。其の大使命とは何かと云うと宇宙原則に即応して、此の世の中の進化と向上とを実現化する事に努力すると云う事である。即ち人間は斯う云う尊い大使命を遂行する爲に現象界に生れて来たものである。

*二二日 心身統一の効果

あらゆる力と云うものは気と云うモノから生まれる。人間が人間の生命の有りの儘の姿である心身一女如を現実にする爲、心身を統一した活き方を行えば当然生命存在の根源を為す処の気と云うモノの収受量が増大する。そして命の力の内容量も亦当然豊富となりそれが精神方面に表現すれば心の力となり、肉体方面に表現すれば体の力となる。人生建設の根源要素となる体力胆力判断力断行力精力能力の六つの力も之に応じて優秀化してくるのである。

*二三日 和について

和とは不可分の統合即ちYOGAの事である。人間の人間らしい活き方とは心身の統一即ち心と肉体が輪になった活き方である。是以外の活き方では本当の人間としての真の価値を発揮できない。生命の和が乱されれば肉体も精神も其の健康味を発揮する事が出来ない。特に精神の不健康は社会をも濁らす事となる。何故ならば人間としての道義性が著しく欠如してどんな場合にもその振舞いが自己本位に堕するからである。

*二六日 悩みと縁を切る為に

凡そ悩み程人生を暗くするバカげた真理現象は無い。処が大抵の人は悩みを持たない人間など居る筈が無いと云う誤った考えを持っている。是こそが取り越し苦労或は消極的な思考を常とする証拠であろうが、人間の心には其の統御が完全でありさえすれば即ち心理に合致して積極的でありさえすれば悩み等と言う真理現象は絶対に起らないのである。依ってその消息を確と認識すべきである。

*二七日 見えなくてもある

科学的教育を受けた者は、感じないもの見えないものは無いものだと思っている。直に証拠はと聞きます。第一我々の生きている現在の大気の中には、酸素窒素その他の我々の生命性活動を力づけるに必要な要素が存在している、と云う事は誰にも見えやしない。其れでも見えなくたって在ると信じますよ。証拠はとは云いませんよ。人間の住む地球上には電波が縦横無尽に交錯していると云う事は形が見えなくても疑わないでしょう。

*二九日 行とは何か

行なるものは決して特殊の方法や手段を特定に時間や場所で、特別に行う事ではなくその方法やその手段其の物が其の儘自己の生命を活かす方法になって要る事で、是を客観的に言えばその方法や手段でその人はその生命を生活せしめてその生命を確保していると、云う事になるのであります。

*三十日 人間の能力

人間の本来の面目は創造的なものである。それ故に人間が万物の霊長として一切の生物を遼河して優秀なる能力を生れ乍らに賦与されているのは是が在る爲である。しかも特に疎かに出来ない事は、其の賦与量は些かも差別の無い公平なものである。この一言を考慮されても自己の現在使用している能力に対する反省が厳格に行われて、その是正が確実に施されるなら一切の総ては悉く可能に転換され収握される事も亦必然自明の事と感得される。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 HP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【五月の言葉】

*二日 社会の改善をする為に

常に善良な言葉人を勇気づける言葉人に喜びを与える言葉已を使っている人が、増えれば増える程この世の中って云うものはぐんぐん光を増してくるんだよ。そういう人が増えない限りはどんなに社会改善を行おうと国家改革を行ったって駄目だよ。社会だ国家だって結局人間の塊だもの、人間自体がだらけた腑抜けた始末に負えない弱音ばかり吐いていたら、社会は改善できないし立派な国家には出来ないんです。

*四日 つぶやきの自己暗示法

低級な欲望や劣等感情情念がヒョイと心の中に発動してきたなと思ったらねソリロキズムと云うのをやってもらいたい。日本語に訳すとつぶやきの自己暗示法と云いましょうか。何も口にブツブツ出さなくていいんですよ。観念で独り言を言えばいいんです。こんな事に腹が立つかこんな事悲しくない自分はそれ以上勝れた心の持ち主だと云う風に自分自身が一人でつぶやくのをソリロキズムと云うんです。此れが又バカに効き目があるんですよ。

*七日 自己を作るものは自己也

他力依存の態度では到底自己自身からの実現性が何としても発揮され得ない。自己を作るものは自己也という真理は真に侵すべくもない絶対的なものである。

*九日 笑いは人間の特権

平素人生に活きる時に努めて明るく朗らかに活き活きと勇ましく生きる努力を実行すべきである。と同時に此の意味に於いて私は大いに笑いと云う事を礼賛する。笑えば心持は何となく伸び伸びと朗らかに成る。この簡単な事実を案外多くの人は見逃している。人間は万物の霊長として重い大きな負担を負っている。笑いは其の疲れた心や体を程よく調和させる様に人間に与えられているものである。

*十三日 原因の無いものは無い

凡そ此の世のありとあらゆる事物の中に原因の無いものは絶対に一つとして有得ないのである。此の事が絶対真理であると云う事は自分の言動や仕事などの結果に、何か意に満たぬものがある時それを子細に検討すると必ずや力か勇気可若しくは信念が欠如していたが爲だという原因的事実がある。

*十六日 心身統一法は修行に非ず

心身統一法の目的は人間の生命に賦与された本然の力の完全発揮であるが、その方法を修行として行ったのでは第二義的となる。では第一義的とは何かと云うと其れは講習や書籍或は行修を通して教える各種の方法を日常行事として行う事である。即ち特別な機会に特別な気持ちで行う等と錯覚してはいけない。だから一人一人の日常生活の其れ自体が其の人にとっての心身統一法其の物でなければならない。

*二十日 調和ある処完成有

そも調和と云う事は厳粛なる宇宙本来の面目であり且つ復人生の実相であると同時に、生きとし生ける生物の生命の姿なのである。言い換えると調和と云う事は、万物存在の絶対に侵すべからざる尊厳なる自然性なのであると云う事を理解されていると信ずる。またこれは論より証拠で調和のある処のみ所謂真の完成と云うものがあって、反対に調和の無い処には絶対に完成と云うものはあり得ないのは一切の事物事象に明瞭に現れてくる。

*二一日 孤立と独立は異なる

抑々孤立と云う事と独立と云う事は全くその意味を異にしている。勿論独立と云う事は正しい自覚を持つ人間として最も尊い人生状態である。が然し孤立は天理に反する無価値のものである。である以上自分の事のみを考えて他の人々の事を考慮に入れない人生観や生存生活の方法と云うものは、自分では寧ろ気付かずともそれは取りも直さず孤立と殆ど五十歩百歩、些かの異なりもない状況なのである。

*二三日 深呼吸の進め

クンバハカ(精神反射の調整法)を応用しながら日に何千回でもいいから深呼吸する事を稽古しなさい。息は吸う時よりも出す時が肝心なのよ最初、肺臓の悪ガスを出す事が大事なんです。呼吸なんだから呼の方から先におし。斯う云う呼吸法をやっているといざと云う時にクンバハカがぱっと出来るばかりでなく、落ち着いた気分が求めずして自分の気持ちの中に出て来て、今迄の様に感情や感覚に矢鱈引きずり回されなくなるんです。

*二五日 人間は一個の小宇宙

人間の生命の中にはこの宇宙の中に存在する在りとあらゆる一切のものが悉く存在していると云う不思議な事実がある。此の宇宙は所謂物質によって形成されている。そしてその物質は大別して動物植物鉱物の三種に分かれる。然るに我々人類の生命の中には以上の一切の物質が各種の形態の下に悉く存在しているのである。哲学者が人間を一個の小宇宙也と形容しているのもその理由は此処にある。

*二六日 言葉は人生を左右する

万物の根源である気が人間の心の中に入って観念となりその観念が施行となる。そしてその思考が一方に於いて行動となり他方に於いて言葉となって表れる。是は人間の身が創造主から与えられた恩恵で在り他の動物にはない。言葉と云うものは思考が結集し其れを表現する為のものである。言葉には人生を善くも悪くもする力がある。だから言葉は人生を左右する力のある哲学で有科学であると云う事が云える。

*二九日 進歩の階段

人生は心の操縦を完全にする事が重要である。人間の心は常に発達しているので瞬間と雖も之を等閑に附してはならない。人類の心が今日に為る迄には実に長い時の経緯と数多い進歩の階段を踏んできている。そして今後も進歩の階段を昇っていく。従って心を完全に操縦するには、潜在意識を正しく理解しその運用を的確にして心が其の進歩の階段を的確に踏みしめて登れるように、側面から誘導する事が肝要である。

*三一日 自力で生きているのではない

どんな慌て者だって自分の力で生きているとは思わないでしょうな。若し自分の力で生きているなら時が来ても死ぬ筈は無いじゃないですか。何時までも自分の力で生きておられる筈ですし現在在るが儘の自分を保っていられる筈です。処が自分の力で生きていない証拠には今から後十年経ってごらんなさい。現在の自分とは同じではないですから。自力でなく他力で生かされているからこそ時の流れと共に変わるんです。

中村天風のことば

中村天風一日一話

気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫2006年12月1日第一版第18刷発行 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【四月の言葉】

*一日 聖賢というものは

優れし人言い換えると蘂手の真理を知っている聖賢と云うものは、心が只単に積極的であるばかりでなく本当の心の強さの中に気高さを持っている人の事なんだ。心の中の気高い強さと云うのは結局要するに卑屈に痩せ我慢で強さを造ろうとするのでなくて淡々として少しも気張らずに強く成り得ていることを言う。だから優れし人には絶対に不運と云うものは来ない。

*二日 真の健康と食物

地上の動物はその食物の種類で凡そ次の三種に分類される。肉食動物・草食動物・果食動物である。元来動物は生きていく為に新陳代謝を行うが、その作用で大なり小なりの毒素は絶えず発生し血液やその他全身の組織の中に存在している。然るに動物を食すれば其の毒素は無条件に食した人の体内に入ることに為る。菜食は肉食よりも遥かに優れているがあらゆる点から見て理想的な食物は果物である。現実的には植物性を七割以上動物性を三割。以下としつつ極力果物を多く摂る様にすべきである。

*四日 積極的態度

何でもない時は矢でも鉄砲でももってこいと云う気に為るけども、健康上に故障が有ったり運命上に少しでも儘為らない事があると、そういう場合こそより一層心の態度が積極的で有らなきゃならないのにすぐ青菜に塩みたいになってしまう。こう云うのを積極的態度と云うんじゃないんですよ。どんな場合があっても積極的と云うのは心の尊さと強さと正しさと清らかさが失われていない状態を言うんです

*六日 外界印象の取捨選別

精神生命に外界の印象を受け入れる時には、その印象を受け入れて良いものか悪いものかを吟味しなければいけない。然しこの時の半分の半分も注意しないで受け入れてる人が多かない?それが結局貴方方を気の弱い神経過敏にしちゃった。神経過敏な人と云うのは五か十ぐらいの僅かな刺激ショックも其れを心に知覚せしめる時には百二百に誇張して感じさせてしまう。斯う云う人は精神生命に外界の印象を受け入れる時此れからは特別入念に吟味して取捨分(選)別を完全にしなきゃいけない。

*八日 人生と心の法則

我々の生命の中にある肉体は勿論精神生命も一切の広い意味における人生の事柄は、心の運用如何に拠って決定する事が出来るという真理を私は覚り得たのである。人間の心で行う思考は人生の一切を創る。この法則を巖として自覚して常にこの法則を乱さないように活きるならば人生は期せずして大きな調和の元に満たされる。そして無限の強さと生命の無限の自由と云うものは自然的に出てくる。

*十日 自分自身と云う存在

自分の心や肉体の存在を意識的に自覚したのは多分生後三年か餘年たってかれであろうと推定する。そこで自分で自分に聞いてみる。自分自身が心や肉体の存在を意識的に自覚しなかった当時自分と云うものが存在していなかったか如何か?言い換えれば自分夫の生命は存在していなかったかどうかである。私の生命は自分自身心や肉体の存在を意識的に自覚するかどうかに関係なく、既にその以前から立派に存在していたのである。

*十三日 理智に依存しない人生

理性や感情と云うものはその人の心身に享受した教養や又は経験から培養された理智を根源とすると云う忽諸に附す可からざる大きい事実関係がある。然し理智なるものは常に間斷無き発育的情勢を以て推移していると云う相対的なものである。然るに斯くの如く多分に変移性を持つものに人生生活を依存すると屡、其処に図らざる蹉跌が生ずるのは必然で煎じ詰めれば人生の悲劇も地獄も不平も不満もそうした無自覚を基点として発生するのである。

*十五日 無駄な精神消耗

神経系統と云うものは人間の命を活かす生活機能の中で一番大切なもの言い換えれば神経系統の生活機能のお蔭で我々の生命は斯うして生き永らえているのであるが、やたら気取ったりぶったりしている人は勿論自分では結果にそう云う良くない事実が生じてくる事に気付かないで、否気付かないと云うよりも無知であるが為に考えること無しにと云って好い程無頓着で矢鱈と価値の無い無駄な神経消耗を殊更に行っているのである。

*十八日 苦行より自覚

真理と云うものを知らなかった時代の私は、何か苦行をするとか或は特別苦心の研究と云う様な事をしない、完全に理解する事が出来ない様に思っていた。然しそうじゃない。現にインドに行って耐えられない難行苦行は余りしなかった。しないでも真理を掴めた。苦しい修業をしてからでないと自分は強くなれないと考えていると、強く生きられないのが自分の無自覚からきていると云う事に聞か付きません。

*二十日 悟れば幸来る

悟れば一瞬にして幸来る此の真理が心の中に輝くと健康も運命も共に求めずとも完全に成る様に出来ているのが人間なのである。其れは心と神経との関係を考えればすぐ実証される。そしてこの宇宙の生命エネルギーを自分の生命に受け入れるのも復そのエネルギーを全身に分配するのも神経系統が行っていて、その神経系統が直接または間接に心の支配を受けている爲であると分かれば、どんな人間でもこの厳粛な事実の上から自分の心の立派な論定が出来るに違いない。

*二二日 不平不満の悪影響

知る識らざるを問う事無く不平不満を口にすると云う心持をその心に持たせると、人間それ自身を不幸にする場合が多く招来されて、決してその心的態度から幸福と云うものは発生しないのである。と云うのは直接的には判断力断行力更に精神力と云うものがどんどん委縮減退し、間接的には体力や胆力果ては精力まで其の良くない影響が波及されて、結論的に言うと生命力の一切が劣弱になってしまうのである。

*二四日 内省検討と暗示分析

病難に際し又は運命難に直面した場合には平素充分心身統一法の理解に透徹していると思っても、そう云う場合修養未完成の人はその事柄に引きずられて知らず知らず心の平安を失いその結果独立自尊と云う尊厳な立場から他力依存と云う勝階級の極めて低劣な方面へと自己の心的態度を転移して、無益な焦燥と混迷を敢えて為すと云う愚行を行う恐れがない訳では無いから、そういう場合に更にさらに入念周到に内省検討と暗示分析とを実行して心境の浄化清純に努力されるよう心より付言する。

*二七日 運命について

運命には二種類ある。天命と宿命である。店名は絶対で宿命は相対的である。如何にも仕様の無い運命を天命と云い人間の力で打ち開く事の出来るものを宿命と云う。女が女に生れ男が男に生れたのは天命である。りどうする事も出来ない。処が今の人は打ち開く事の出来る宿命にぶつかった時でも其れを天命と云う。自分の努力が足らない事は棚に挙げて如何にも仕様 がないと云う。

*二九日 世の爲人の為

富や地位を造って自分の人生欲望だけを十二分に満たす事已を想像すると云う事は断然排斥すべき向下的想像だ。宜しく健康想像と同様に金を造って、人の世の爲に尽す仕事を仕様と斯うなりゃ本物だ。又そうしなかったらその人にどんなに金が出来てもその金はその人に本当に安定した幸福を感じさせないんだよ。モデルが完全であってこそ作品も完全だ。想像は詰る所人生形成のモデルなんだ。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 発行所 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【三月の言葉】

*二日 完全を願う意欲観念

人間には不完全を嫌い完全を喜ぶと云う気持ちがあるでしょう。壊れた時計と壊をれていないと時計と両方見せられて好きな方を持って行きなって言われたら、誰だって壊れていない時計を貰って行く筈です。だから自己の健康や運命も誰もが完全である事を願うんです。たまには患ってみたいとかニッチもさっちも行かない運命の中に陥って

*五日 自分の分を知る

自分の分を知らなきゃ卑しい希望や汚れた宿望を炎と燃やしても、ろくな仕事は出来ないし不渡りを食う結果が来るのだ。五貫目の力しかないのに十貫目のものを持ち上げるとどんな結果に成るか、と云う事を考える事だ。自己認証とと云う事は自分の分を知ると云う事これが本当の自己認証である。

*六日 吾在る処

古聖の教えにも吾在る処に常に光あらしめん・我往く処に又光明を点ぜんと云うのがあるが、誠と愛の心を持って万物の接する時、期せずして其れは光明となるのが必至である。是こそ真に最も近くして最も遠く最も新しくで最も古き乃ち久遠より永劫への昭(証)として一貫する不易の人生哲学と人生科学の真髄である。

*八日 刹那心機の転換

常に心掛けねばならない事は刹那心機の転換と云う事である。刹那心機の転換と云うのは言い換えれば如何なる事でも即座に心を積極的に切り替えることを言うので、禅の方では熱殺寒殺と云う言葉があるのも要するにこれと同義諦なのである。この言葉は即ち暑さに対しても寒さに対しても其れを思わぬ事、其れに心を懸り合わせぬ事さすれば寒暑何ものぞ否一切の人事世事皆是と相等しと云う、所謂心機転換の妙を説示した偈語なのである。

*十一日 真心を持った行為

人間の行為に真心の籠って為されるものとその否との場合はその結果の事実の如何に拘りなく、その行為の尊さと云うものに頗る格段の相違がある。例えば他人の危難を救うと云う様な場合報償を目当てにして人を救ったのと、断然報償等を念頭に置かずに救ったのとは、例え敢然として難を冒して救ったというその行為と事実とは同様であろうとも、その行為の尊さには全然大きな隔たりがある。

*十四日 真理は事情に同情しない

自分の仕事や又は為す事等が思い通り上手くいかないと、とてもがっかりしたりへこたれて憐れな程意気を消沈する人が有るが、何れにしても人生斯うした心構えでは幾ら学識が有ろうと金持ちであろうと更に社会的の地位を持っておろうと、真理と云うものは事情に同情しないのであるから只徒に不幸な状態に自分を心ならずも導入して、結局は往生の時を早めるだけのこと以外何も値打ちのある事は人生に招来されない。

*十六日 睡眠は精力復活の恵み

特に就寝前には心痛憤怒煩悶悲観と云う様な仮初にも心を暗くするが如き、消極的の思考は断然心に抱か〆ぬ様努めて習慣付けなければならない。要するに睡眠と云う自然の与えてくれた精力復活の恵まれた時に本当に親しむのには、落ち着いた楽々とのんびりした気分が最も肝要なのである。

*十八日 臨機応変

世の中を見てみるにその日々の生活を行う際「力」の使い方を考えない為、力を働かさずに力のみ入れると云う力の無駄遣いをしている傾向がある。県の極意は変機に処する以外には徒に力を入れぬ事である。此れが臨機応変の要訣である。人生生活を完成する命の力の使い方も亦これ以外にない

*二一日 大定心

大定心と云うのはどんな時どんな事にも些かも動揺せぬ心、言い換えると如何なる場合に怯じず怖れず急がず焦らず何時も淡々として極めて落ち着いている心である。此れをもっと適切な状態で云えば何事も無い時の心と同様の心の状態である。あの古い句で有名な「湯上りの気持ちを欲しや常日頃」というのが此の心持を最も真実に形容表現している。要するに何事も無い時の平静の心こそ大定之心也と云う事である。

*二四日 心や肉体が自己ではない

心や肉体が人間=自己に対してどんな関係にあるかについて説明しよう。心や肉体は人間そのもののように見えるが実はそうではなく、人間がこの世に活きるのに必要な色々な方便を行うための道具と云う関係である。哲学的に言えば心や肉体は人間の個体生命の生存と生活を確保存続させるに必要な不可分的生命付属物なのである。故に心や肉体は人=自己ではなく益してそれが人=自己の本体ではないのである。

*二七日 思考の客観的批判

兎に角お互いに真理に則って正しい向上への人生を建設し様と云う者は、自己の心の行う思考状態の客観的批判を刹那刹那実行する位の余裕を心にもたして活きるのが、本当に生活を味わい得る貴重な人生真理だと悟らなければならない。そしてその余裕を現実に心に創る事を常住の心掛けとすべきである。

*二九日 人間の死と云うもの

たった一つの宇宙の根本が産出したものが森羅万象である。従って一切の森羅万象と称するものは宇宙根本のエネルギーの分派によって創られている。形がつまり目の前にあると云うのは宇宙根本の力がまだ籠っているからである。その力が抜けてしまえば形を現象界から消して根源要素に還元しなければならない。人間死と云うのもそう云う事なのである。

*三一日 つまらない考え方

心の弱い卑怯な人に為ると何か自分には運命が向いていないだとか、世間がまだ本当に認めてくれないだとか、最呆れた奴に為ると整備が整っていないだとか誰々が手伝ってくれないとか、何か上手くいかない時に自分以外のものの所為にする人がいますがとんでもない了見違いですよ。やれ運命が詰まらないの人生が詰まらないのって人はその考え方が詰まらないんです。いいですか幸福も健康も成功も他にあるんじゃないんですぜ。貴方方自身の中にあるんだぜ。

中村天風の言葉 1月

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 発行所 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【一月の言葉】

*一日 生きる力

凡そ人間としてこの世に生まれ人間として人生に活きる為に第一に知らねばならぬ事は、人間のいのちに生まれながらにして与えられた生きる力に対する法則である。真自分の命の中に与えられた力の法則と云うものを正しく理解して人生に活きる人は、真に限りなき強さと歓喜と沈着と平和とを作ろうと思わなくても出来上がってくるようにできてくるのである。其れを一番先に我々は知らねばならない。

*二日 変転極まり無きが人生

事無き世界に生きている時の自分を幾ら明瞭に認識したからと云って、人生が事無き世界でもって一生を終わって仕舞うなら兎も角変転極まりなきが人生の常。何か事のあった時に慌てやしないか。思いがけない事件に出くわした時に狼狽えやしないか。冷静な考え方がめちゃめちゃになって仕舞わないかと云う様な自分の欠点や短所を有事の際にどうな風という事を深く掘り下げて考えなきゃ駄目なんだ。そうすると自然と自分と本当の姿と云うものが自分の心に映ってくる

*四日 人生を考えるという事

現代人の考え方は唯生活の当面の事だけを考えてそれで人生を考えているように思っている。もっとはっきり言えばこうやって生きている毎日その日の生命の生活の事だけを考えるのが、何か人生の先決問題のように考えている。喰うこと着る事儲ける事遊ぶこと、勿論それも必要な事だから考えるべきものではあるかもしれない。併しだからと云って其れだけを考えていれば人生すべてが解決すると思う考えはどうかと思わないか?

*六日 自然法則に従って生きる

人間は自然物の一つであるからこそ当然自然の法則に従って生きるべきである。自然界にはその種を問わず自然の法則に背反している者は絶対に存在しないのが事実である。それ故人間は真の健康を確立し無病で且長寿でその生涯を全うするには何を於いても自然法則に順促して生活する事が鉄則である。

*九日 自分で蒔いた種

総ての人生の出来事は偶然に生じたものじゃありません。アクシデント(事故)と云うものは自己が知る知らないを問わず必ず自分が蒔いた種に花が咲き実がなったんです。活きる心構えと云うものに正しい自覚がそして反省が常に油断なく行われていないで生きると全然自分が気の付かないような悪い種を健康的にも運命的な方面にも蒔いてしまうんです。

*十一日 欲を捨てることは出来ない

天風哲学は断固としてこう断言します。人間の欲望と云うものは絶対に捨てることは出来ないのであります。其れを捨てる事の出来るように説いてる釈迦もキリストもマホメットも多くの人々に私から言わせましたら偽りを言っているんだと遠慮なく言いたい。私は欲なんて棄てません。私と同様真理の中で生きる立派な人間をこの地上にできるだけ増やしたいと云う欲望で一生懸命この仕事をやっているんだもん。

*十四日 思考そのものが人生

厳格に考定すれば人生とは実は思考そのものなのである。否極言すれば人生即思考とも云えるのである。これをもっと釋言すれば思考の量と質の両者の総合現象が人生なのである。而してこの厳粛な事実を考慮すると仮に思考と生命との関係が大して問題にする程重大でないと仮定しても叙上の如く思考そのものが人生である以上は凡そ思考程人としてこの世に活きる場合これ以上重大なものはないと厳格に考えるべきだと云わねばならない。

*十七日 毎朝心から感謝する

先ず第一に毎朝寝覚めたら今日も亦生きていた事を心から感謝するという事を今日一日の生命への出発の第一歩とする事。大抵の人は毎朝目覚める事を何か当然の事であるかの様に考えている。処がいつ何時どんな事で自己の命が失われるかも知れない。又実際に於いて何時かは絶対に目覚めぬ永久の眠りに入ってしまう時が来る。と云う一大事を考えると毎朝目覚めた時自分の活きていることを直感して刹那限りない感謝を感じないではいられないと思う。

*二十日 呼吸法

呼吸法は単に肉体生命の生きる力に対してばかりでなく、更に進んで高級な精神生命機能の方面迄その効果を及ぼす事を目的として創造している。即ち呼吸作用は酸素を吸って二酸化炭素を出すと言う様な単一的な生理現象に対してだけでなくよりもっと重大な人間の根源的な方面に迄密接な関係がある。

*二十三日 求道とは実行である

幾ら素晴らしい教えであっても是を実行しなければ其れは絵に描いた餅に過ぎない。例えば積極心を身につけるに能って感謝の念が重要である事はよく知って要る筈だがいざとなると不平不満が先行して中々実行が伴わない。その点傑出した先達に見られる求道の精神は文字通り絶対不断であった。積極心を本当に絶対的にしたければその手始めに一切の不平不満を感謝に置き換える努力を怠らない事である。

*二十六日 心の思考が人生を創る

可能な限り消極的な気持ちで肉体を考えないようにすることが何よりも大切である。特に病の時は病を忘れる努力をすべきである。一言で言うならば人間の健康も運命も心一つの置き所。心が積極的方向に動くのと消極的方向に動くのとでは天地の相異がある。ヨガ哲学ではこれを心の思考が人生を創ると云う言葉で表現している。

*二十九日 初一念貫徹による成功

東洋の豊臣秀吉西洋のナポレオンは僅かな年月の間に立派な兵馬の権を手にして天下に君臨しております。又フランクリンやエジソンの如き偉大な発明や発見を敢えてした人々何れも心の態度が積極的でありました。ですからどんな艱難辛苦に遭遇して不僥不屈その強い心で何事にも脅かされずに能く此れを乗り越えてそして初一念を貫徹する強い心があの人達を成功させたのであります。

*三十日 自消極的言葉の厳禁

絶対に消極的な言葉は使わない事、否定的な言葉は口から出さない事、悲観的な言葉なんか断然もう自分の言葉の中にはないんだと考える位な厳格さを持っていなければだめなんです。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 HP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【十二月の言葉】

*三日 自己陶冶の必要性

人々の持つ煩悶とか苦労と云うものを観察すると大部分は動物的の欲心が又は感情念が其の原因を為しているのが直判る。然るに一旦自己陶冶が正当に施されると本能心が整理される爲に、斯うした動物的欲心や感情念の発動が著しく減少し、従って在来感じた煩悶や苦労も亦目立って減少して来るのである。要するに自己陶冶が人生に必須なる諸因理由は、実に此の点に存すると云ってよい。

*五日 本来使命の遂行

人間は宇宙創造の原則に即応してこの世の中の進化と向上を現実化すると云う使命を持って生まれてきたのである。人間として生まれ甲斐のある人生を作るには、常に自分の生活目標を本来使命の遂行に置くと同時に自己の生命に実在する潜勢力の発現を現実化する事を怠ってはならない。そうしなければ決して人間として享受し得る人生の幸福と云うものを絶対に我ものにする事は出来ないのである。

*七日 同情の勘違い

気が付かない処か中には自分の思い方考え方の間違っている事に同情している奴があるだろう。斯う言う時に斯う云う考え方をしちゃいけないのかも知れないが俺は凡夫なんだ。おまけに人の身の上じゃない。此れが怒らずにいられるかと。然し真理と云うものは事情に同情して呉れず又弁護もして呉れない。思い方考え方が少しでも消極的であると、肉体生命の上に驚くべき良くない変化が現れてくる。

*十日 中途半端な理性の弊害

文化民族の一番いけない事は理性が生実か中途半端で発達しているから、時には肉体が自分だと思ったり時には心が自分だと思ったりして鳥籠の中のカナリアと同じで、あっちに飛んだりこっちに飛んだりして、両方からくる複雑な言いしれない煩悶や苦しみで一日一分と雖も安心した人生を活きられない哀れな人間が出来てしまう。

*十四日 菩薩の気持ち

お互い皆世の中は助け合い。だから仮初にも自分の気持ちの中にあの人が憎いとかあの人が気に入らないとか思っている人が居たら、其の人は悪魔ですぜ。人間の世界に憎む相手は居ない筈なんです。全てが自分と同じ人だと思って生きてゐる命に対して尊敬を払って例え向こうが如何出て来様とこっちは飽く迄も菩薩観音の気持ちで人生に活きなければ嘘ですよ。

*十八日 鋼鉄を鍛えるが如く

自己統治とは自己の人格を向上させる事で恰も鋼鉄を鍛えるのに等しい。鋼鉄は鍛えれば鍛える程その質を良好にする。人間も自己を統治すればする程その人格は向上する。自己統治を等閑視すると人間を向下せ〆る様な消極的の暗示や価値の無い誘惑に我々の精神が感応し易くなり、反対に自己の向上に必要な積極的の暗示や又は正しい自覚を促す真理に感応しなくなる。その結果人生苦已を多分に味わう事に為るのである。

*二十日 潜勢力の現実発現

人間に与えられた特権を確実に我がものにする為に巖として遂行しなければならない義務と責任とがある。其れは潜勢力の現実発現を期成する実際的手段と手法とに対する敬虔なる不断の実践、即ち是である。一身に潜勢力の手段と方法を実践躬行する事こそ其の眞諦なのである。

*二二日 人から好かれる人間に成る

閻魔様が塩を舐めた様な顔をして人生に生きるよりは、ちょっとやそっと人から阿呆と思われても好いからもう少しニコニコした顔に成りなさいねえ。人として此の世の中に生れて一番大切な事は、人に嫌われる人間になるんでなく好かれる人間に成る事だよ。如何だい貴方方苦虫を潰して変てこな顔してる奴の方が可愛いかい?其れとも何か無しニコニコしている奴の方が可愛いかどっちだ?

*二四日 適応作用の活用

適応作用と云う特殊な作用が人間の生命に自然から与えられている。此の適応作用を合理的に積極的に活用すれば生命の衰退速度を緩和防止する事が出来る。外界から来る各種の刺激に、抵抗する肉体の生命力を強くする事が出来る。併し適応作用は消極的習慣にも適応するので温室作りの花の様にならない為にも肉体生活を積極的に訓練する生活習慣に置くべきである。

*二七日 心に映像を描け

凡そ人間の心の中の思念と云うものが其れは凄い魔力の様な力を持っているものであると云う事を、最最真実に確信的に忘れない様にしなきゃいけないんだよ。絶え間なく映像化される想像と云う心の作用に良き刺激を与えてそしてそれをピンボケにしなければ、黙っていても信念の力は強固になってあらゆる全てを現実化する。詰り潜在意識の力を活用する特に効果のある方法は絶え間なく心に映像を描く事なんだ。

三十日 時来たらば着く

例えば此れからある処に行こうとする時に未だ着かない未だ着かないと云う気持ちで歩いている時と、悠々として時来たらば着くと云う気持ちでている時と、同じ歩いている場合でもその歩く事に対する人間の気持ちの中に天地の相異が在る有るだろう。だから理想は縦しんばその理想とする所に到着しなくても絶えずその理想へ意志すると云う気持ちを変えない事が人生を尊く生かす事なんだ。

*三一日 尊き人生の要諦とは

金殿玉楼の中に在って暖衣飽食尚且つ何らの感謝も感激も無く唯有るのは不平と不満だけと云う憐れな人生に比較して、真や人生の一切を感謝に振り替え感激に置き換えて活きられるならば截然として其処に在るものは高貴な価値の尊い人生ではないでしょうか!否斯うした心掛けの現実実行こそ生きる刹那刹那に何とも形容の出来ない微妙な感興自ずから心の中に生じ来たり、どんな時にも生活の情味と云うものが当然味わわれることに為る。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行     発行所 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【十一月の言葉】

*二日 言葉の暗示感化力

言葉と云うものは人間の世界だけに与えられた真に何とも言えない重宝なものであるが、只上顎と下顎がぶつかり放題思うが儘にしゃべっていると時としてその言葉が、自分の生命や他人の生命までも傷つける事がある。言葉は実在意識幷潜在意識を綺麗にしたり或は汚したりする両方面の働きを持っている。詰り言葉程怖ろしい暗示感化力を持つものは無いのであります。

*三日 年齢に惑わされない

知ってるかい?自分の人生を軽く見る人に限って自分の年齢と云うものを矢鱈と重大に考える。可笑しいんだよ。命を軽く考える奴に限ってからに年齢を重く考えて俺も幾つ幾つだからと思う。その幾つ幾つなら如何なんだ、一体!何遍も云っている通りどうせ人間生れた以上は一遍は死ぬんだ。然し死んでいない以上は生きているんだ。生きている居る以上は有意義に活きなきゃ駄目だよ。幾つに成ろうとも自己を向上せしめるっていう意欲を失ってはいけませんぜ。其れには自分を見捨てない事です。

*六日 心意識の新陳代謝

消極的な暗示には感応するが積極的暗示には感応しないと云うのが普通の人である。安定打坐法を行うと積極的暗示の感受性が強くなり、消極的暗示には今迄の様に簡単には感応しなくなる。この方法は乱れた心を平静にし心を虚にする事が出来、心意識の新陳代謝を行う事が出来る。即ち心は曇りと汚れを排除すれば本来の姿を現し、本来の姿が現れれば心は極めて強いものなのである。

*九日 悩みは消極思考の産物

悩みという真理現象は決して発作的に偶発するものではなく、必ずやその心の中に何かの取り越し苦労が又消極的の思考即ち憤怒恐怖悲観憎悪嫉妬復讐憂愁煩悶苦労等々と云う様な、消極的感情情念が心頭に発生する結果現象なのである。

*十三日 取り越し苦労の害

取り越し苦労を当然だと思う人は自分の墓穴を自分で掘っている愚かな人であります。事の如何を問わず、与信ば本当に心配する事を心配した場合でも心配しなくても良い事を心配した場合でも結果は同じなんです。即ち取り越し苦労をすればする程、其の心の消極的反映が即座に運命や健康の上にまざまざと悪い結果となって表れるからであります。百害有って一利無しと云うのが取り越し苦労なんであります。

*十四日 心身一如

清明な硫黄の潜勢力と云う人生の一切を依り能く解決してくれる偉大な力の発現は、人間を人間の命の有りの儘の姿である心身一如の状態を確保する爲心身を統一して生活せしめれば、期せずして当然発現して来るのが侵すべからざる真理である。其れでは心身の統一された人生生活様式とはどんな状態かと云うと、精神を精神生命の法則に肉体を肉体生命の法則に順応して生活する事である。

*十六日 真理に目覚める法

本来人間は此の世に生れ出た時から絶えず真理に接し真理の中で生きている。真理の中にいながら此の真理を中々自覚出来ないのは心の中に雑念妄念が有る為である。本当に心が清い状態であれば真理はすぐ発見できる。安定打坐と云う特殊な方法を行うと雑念妄念が立処に消え去っていく。そうすれば大した努力や難行苦行等をしなくても自然に心が真理と取り組んでいこうとするのである。

*十八日 潜在意識の重要性

我々の意識は実在意識と潜在意識の二つに分割されている。そして我々の心理作用の90%迄はこの潜在意識の作用で行われるのである。処が多くの人は精神活動の直接の衝に当っていると云う関係から、実在意識を潜在意識よりも重視して考える傾向がある。然し乍ら実在意識の精神活動も単独に行われる場合は、潜在意識の作用から内的誘導を受けて行われているのである。

*二二日 血液の洗濯を行うには

何故多量の空気を人間は必要とするのかと云うと、自分の血液を完全に浄化させる為に必要だからである。判り易く云えば血液の洗濯を肺臓が行う時の洗剤として必要なのである。如何に肺臓が強健であっても空気が無ければ完全に血液を浄化する事は不可能である。だから空気を合理的に自分の生命に活用するには、先ず第一にチャンスがある度に清浄な空気に親しむと云う心掛けを実行する事である。

*二六日 我とは何ぞや

人々は落ち着いて我とは何ぞやと云う事を考えない。その理由は我と云うものの本質を自覚していないからである。我とは何ぞやと云う事を正しく理解していないと人生観が正当に確立されない。人生観が確立されないと自己統御が完全に出来ない。其れが正しく理解された時初めて確固不抜の人生観が確立され、其の確立された人生観が内的誘導力となって自己を完全に統御し得るに至るのである。

*二八日 想像力の応用

本能心(肉体を生存させる種の動物的な心)の整理に著効ある方法として想像力の応用と云う事を推奨する。是は創造と云う観念現象の中に本能心を整理し得る暗示力が存在しているからである。判り易く云えば平素努めて積極的の事だけを想像する習慣を作るのである。言い換えると想像を決して消極的にしない様に心掛けねばならない。この目的を現実化するのに最も効果的なのは、人間の心の中に存在する高級な欲求心と云うものを適宣に応用する事である。

*二九日 善悪の判断基準

その時代の人間草子の都合や便宜で作為した所謂第二義的倫理道徳を標準としたのでは、物事の善悪を正当に判断する事は屡正鵠を失する事が往々にある。故に物事の善悪邪正を判断する最も合理的な考え方は、その事柄が現代の人間生活上絶対に必要の事か否かと云う事を基準として考察する事である。但しこの場合決して個人の生活を本位とせず飽く迄己の生活している社会全体を標準としなければならない。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 発行所 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。すこしでも実践できればいいですね~。

【十月の言葉】

*一日 本当の幸福

本当の幸福と言うのは人生が拠り能く生きられる状態に自分でする事なんです。自分でしないで他からしてくれる事を待ってる限り来やしないよ。自分の現在の生活に自分の心が先ず満足しなきゃいけないだよ。其れが生命を高くし程度を上にした考え方なんだ。詰り自分の生甲斐を感じる状態を最気高い処に於かなきゃいけないんだよ。旨いものでも食っていい着物でも着て・・斯う思う処に本当の生甲斐は無いんだけれどもねえ。

*二日 他人の憂鬱に影響されるな

おかしな奴が世の中に居るもので中には他人が憂鬱に成ったり悲観したり心配していると、同情の垣根を飛び越しちゃって相手を余計心配させたり悲観させたりしている奴がある。そして最飛び抜けた慌て者になると、人の言葉や行動迄自分の心を影響させちまって不愉快になったり不機嫌になったりし合う人が有る。其れが人生をドンドン値打ちの無いものにしてしまう原因だと云う事に気づかない。是は実に滑稽千万だよ。

*五日 真善美

如何なる人事世事に応接する際にも先ず必ず心の積極的態度を崩してはならない事と同時に、平素心して眞我の尊厳さを乱さぬ為に自己の思考内容【得に人生に対する】を信念的に高潔に把持する事に専念せねばならない。而してその要諦は唯偏へに常に真(誠)善(愛)美(和)を本意とする思考を持って、自己の精神生命の現実の姿とする事に努める事である。

*九日 人あっての自分

若しも些かたりとも報償を本意とすると云うが如き凡俗同様の卑しむべき心持が発生したならその時は、箱根山駕籠に乗る人担ぐ人其の復草鞋を作る人と云う古諺を思い出すが良い。さすればこの世の中に活きるのは、如何に偉くなっても自分一人で生きられるべき物でなく人有っての自分自分在っての人と云う事が即座に直感され、その直感が良心に感応すれば報償を超越した責務感となり更に当然の帰結でその責務感が真心となって発露する。

*十二日 記憶力を善くする法

有意注意力が習性化されてくると自然と注意が注がれる範囲が拡大されていって、一度に多数又は多方面に自分の注意を困難なく振り分けられるようになってくる。不必要な消極的観念が心の中を占拠して、有意注意力を攪乱する事が無くなってくる。その当然の帰結として連想力が正確に成り、所謂思想の整理が自然に巧妙に為される様になると同時に記憶力が頗る良くなるんです。何故なら心の前に於かれた事物の一切をその心に深刻に印象付けて、細大漏らさず心の記憶の倉庫内に入れちまうからだ。

*十五日 只漠然と生きていないか

現代子の文化の時代に活きている人々が生命は貴重だと云う事は考えているけれども、復人生は大事だと云う事は考えているけれども只其れは考えていると云うだけで、この貴重な生命や大事な人生をどう云う風に一体全体コントロールし如何云う風に我慢する事に因ってこの目的が達せられるかと云う大事な事が考えられていない。だから漫然と唯その日その日の出来心で人生を生きている人が多いんであります。

*十六日 悪魔の悪戯

心本来の姿は八面玲瓏磨ける鏡の如き清いものだ。その清い心に色々汚いものを思わせたり考えさせるのは其れは心本来が思っているんじゃない。悪魔が心の蔭で悪戯してるんだ。其れに気付いてその思い方考え方を打ち切りさえすれば、もう悪魔は其の儘姿をひそめる訳だ。怒らず恐れず悲しまずこそ正真正銘の心の世界なんだ。静かに自分自身考えなさい。何かで怒ってやしないか何か恐れていやしないか夫れとも何事かで悲しんでいやしないか。

*十八日 人生は死ぬまで闘病

人間は生まれた時から死ぬ迄絶え間なく病と闘っている。健康とはその戦いに打ち克っているときの状態である。自分がその生命に違和異常を感じると、其れを病と云っているが其れは生命が病的刺激と闘っている事を意識しただけの事である。意識しない前に既にこの戦いは開かれている。開かれていたのである。だから積極的な抵抗力を常に要請する必要があるのである。

*二三日 周章狼狽の愚

多く云う迄もなく人間と云うものは、如何なる場合にも其の人生に活きる際慌ててはいけないのである。と言うのは人生に生じる錯誤や過失と云うものはその原因が心が慌てた時に多いからである。慌てると云うのは亦の名を周章狼狽と云うが、之は心がその刹那放心状態に陥って行動と精神とが全然一致しない状態を言うのである。心がこうした状態に陥った時と云うものは、意識は概ね不完全意識になって要るのである。

*二五日 人間は本来幸福に活きられる

人間と云うものは老若男女の差別無くその生命の中に、健康も運命も自由に獲得し復開拓し得ると云う真に感謝に値する偉大な力が与えられている。人間はそう矢鱈と病や不運に悩まされたり虐げられねばならぬものでは無く、能くその一生を通じて健康は勿論運命も亦順調で、天命を終わる迄幸福に生き得られる様に本来的には作られているものなのである。

*二八日 調和は自ら進んで作る

何事を為すにも力と勇気と信念とを欠如してはいけないが、調和と云う事を無視せぬ様に心掛けないと往々軌道を外れる。此れを無視した言動は完全な成果を具顕し能わないからである。是は不完全の中に調和が絶対に在り得ないと言う宇宙真理があるが為で、調和を度外視した言動は現実構成の軌道から脱線可き必然性を生み出すか招来する。調和は相対事物の中に求めるべきで無く自ら進んで作為するべきものである。

*三十日 真我は不滅である

真我に内在する力はどんなものであるか。其れは絶対付可犯のものである。此れに対し肉体の有する力は相対的なものであり、火や水や大気などには適する事が出来ない。然し乍ら真我は全生命の本源的中枢で形象を有しない無形の一実在である。故に火にも水にも一切の何物にも決して犯されない絶対不可犯のものである。絶対的なものには絶対的の力があるのは当然の事である。