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中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 HP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【十二月の言葉】

*三日 自己陶冶の必要性

人々の持つ煩悶とか苦労と云うものを観察すると大部分は動物的の欲心が又は感情念が其の原因を為しているのが直判る。然るに一旦自己陶冶が正当に施されると本能心が整理される爲に、斯うした動物的欲心や感情念の発動が著しく減少し、従って在来感じた煩悶や苦労も亦目立って減少して来るのである。要するに自己陶冶が人生に必須なる諸因理由は、実に此の点に存すると云ってよい。

*五日 本来使命の遂行

人間は宇宙創造の原則に即応してこの世の中の進化と向上を現実化すると云う使命を持って生まれてきたのである。人間として生まれ甲斐のある人生を作るには、常に自分の生活目標を本来使命の遂行に置くと同時に自己の生命に実在する潜勢力の発現を現実化する事を怠ってはならない。そうしなければ決して人間として享受し得る人生の幸福と云うものを絶対に我ものにする事は出来ないのである。

*七日 同情の勘違い

気が付かない処か中には自分の思い方考え方の間違っている事に同情している奴があるだろう。斯う言う時に斯う云う考え方をしちゃいけないのかも知れないが俺は凡夫なんだ。おまけに人の身の上じゃない。此れが怒らずにいられるかと。然し真理と云うものは事情に同情して呉れず又弁護もして呉れない。思い方考え方が少しでも消極的であると、肉体生命の上に驚くべき良くない変化が現れてくる。

*十日 中途半端な理性の弊害

文化民族の一番いけない事は理性が生実か中途半端で発達しているから、時には肉体が自分だと思ったり時には心が自分だと思ったりして鳥籠の中のカナリアと同じで、あっちに飛んだりこっちに飛んだりして、両方からくる複雑な言いしれない煩悶や苦しみで一日一分と雖も安心した人生を活きられない哀れな人間が出来てしまう。

*十四日 菩薩の気持ち

お互い皆世の中は助け合い。だから仮初にも自分の気持ちの中にあの人が憎いとかあの人が気に入らないとか思っている人が居たら、其の人は悪魔ですぜ。人間の世界に憎む相手は居ない筈なんです。全てが自分と同じ人だと思って生きてゐる命に対して尊敬を払って例え向こうが如何出て来様とこっちは飽く迄も菩薩観音の気持ちで人生に活きなければ嘘ですよ。

*十八日 鋼鉄を鍛えるが如く

自己統治とは自己の人格を向上させる事で恰も鋼鉄を鍛えるのに等しい。鋼鉄は鍛えれば鍛える程その質を良好にする。人間も自己を統治すればする程その人格は向上する。自己統治を等閑視すると人間を向下せ〆る様な消極的の暗示や価値の無い誘惑に我々の精神が感応し易くなり、反対に自己の向上に必要な積極的の暗示や又は正しい自覚を促す真理に感応しなくなる。その結果人生苦已を多分に味わう事に為るのである。

*二十日 潜勢力の現実発現

人間に与えられた特権を確実に我がものにする為に巖として遂行しなければならない義務と責任とがある。其れは潜勢力の現実発現を期成する実際的手段と手法とに対する敬虔なる不断の実践、即ち是である。一身に潜勢力の手段と方法を実践躬行する事こそ其の眞諦なのである。

*二二日 人から好かれる人間に成る

閻魔様が塩を舐めた様な顔をして人生に生きるよりは、ちょっとやそっと人から阿呆と思われても好いからもう少しニコニコした顔に成りなさいねえ。人として此の世の中に生れて一番大切な事は、人に嫌われる人間になるんでなく好かれる人間に成る事だよ。如何だい貴方方苦虫を潰して変てこな顔してる奴の方が可愛いかい?其れとも何か無しニコニコしている奴の方が可愛いかどっちだ?

*二四日 適応作用の活用

適応作用と云う特殊な作用が人間の生命に自然から与えられている。此の適応作用を合理的に積極的に活用すれば生命の衰退速度を緩和防止する事が出来る。外界から来る各種の刺激に、抵抗する肉体の生命力を強くする事が出来る。併し適応作用は消極的習慣にも適応するので温室作りの花の様にならない為にも肉体生活を積極的に訓練する生活習慣に置くべきである。

*二七日 心に映像を描け

凡そ人間の心の中の思念と云うものが其れは凄い魔力の様な力を持っているものであると云う事を、最最真実に確信的に忘れない様にしなきゃいけないんだよ。絶え間なく映像化される想像と云う心の作用に良き刺激を与えてそしてそれをピンボケにしなければ、黙っていても信念の力は強固になってあらゆる全てを現実化する。詰り潜在意識の力を活用する特に効果のある方法は絶え間なく心に映像を描く事なんだ。

三十日 時来たらば着く

例えば此れからある処に行こうとする時に未だ着かない未だ着かないと云う気持ちで歩いている時と、悠々として時来たらば着くと云う気持ちでている時と、同じ歩いている場合でもその歩く事に対する人間の気持ちの中に天地の相異が在る有るだろう。だから理想は縦しんばその理想とする所に到着しなくても絶えずその理想へ意志すると云う気持ちを変えない事が人生を尊く生かす事なんだ。

*三一日 尊き人生の要諦とは

金殿玉楼の中に在って暖衣飽食尚且つ何らの感謝も感激も無く唯有るのは不平と不満だけと云う憐れな人生に比較して、真や人生の一切を感謝に振り替え感激に置き換えて活きられるならば截然として其処に在るものは高貴な価値の尊い人生ではないでしょうか!否斯うした心掛けの現実実行こそ生きる刹那刹那に何とも形容の出来ない微妙な感興自ずから心の中に生じ来たり、どんな時にも生活の情味と云うものが当然味わわれることに為る。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行     発行所 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【十一月の言葉】

*二日 言葉の暗示感化力

言葉と云うものは人間の世界だけに与えられた真に何とも言えない重宝なものであるが、只上顎と下顎がぶつかり放題思うが儘にしゃべっていると時としてその言葉が、自分の生命や他人の生命までも傷つける事がある。言葉は実在意識幷潜在意識を綺麗にしたり或は汚したりする両方面の働きを持っている。詰り言葉程怖ろしい暗示感化力を持つものは無いのであります。

*三日 年齢に惑わされない

知ってるかい?自分の人生を軽く見る人に限って自分の年齢と云うものを矢鱈と重大に考える。可笑しいんだよ。命を軽く考える奴に限ってからに年齢を重く考えて俺も幾つ幾つだからと思う。その幾つ幾つなら如何なんだ、一体!何遍も云っている通りどうせ人間生れた以上は一遍は死ぬんだ。然し死んでいない以上は生きているんだ。生きている居る以上は有意義に活きなきゃ駄目だよ。幾つに成ろうとも自己を向上せしめるっていう意欲を失ってはいけませんぜ。其れには自分を見捨てない事です。

*六日 心意識の新陳代謝

消極的な暗示には感応するが積極的暗示には感応しないと云うのが普通の人である。安定打坐法を行うと積極的暗示の感受性が強くなり、消極的暗示には今迄の様に簡単には感応しなくなる。この方法は乱れた心を平静にし心を虚にする事が出来、心意識の新陳代謝を行う事が出来る。即ち心は曇りと汚れを排除すれば本来の姿を現し、本来の姿が現れれば心は極めて強いものなのである。

*九日 悩みは消極思考の産物

悩みという真理現象は決して発作的に偶発するものではなく、必ずやその心の中に何かの取り越し苦労が又消極的の思考即ち憤怒恐怖悲観憎悪嫉妬復讐憂愁煩悶苦労等々と云う様な、消極的感情情念が心頭に発生する結果現象なのである。

*十三日 取り越し苦労の害

取り越し苦労を当然だと思う人は自分の墓穴を自分で掘っている愚かな人であります。事の如何を問わず、与信ば本当に心配する事を心配した場合でも心配しなくても良い事を心配した場合でも結果は同じなんです。即ち取り越し苦労をすればする程、其の心の消極的反映が即座に運命や健康の上にまざまざと悪い結果となって表れるからであります。百害有って一利無しと云うのが取り越し苦労なんであります。

*十四日 心身一如

清明な硫黄の潜勢力と云う人生の一切を依り能く解決してくれる偉大な力の発現は、人間を人間の命の有りの儘の姿である心身一如の状態を確保する爲心身を統一して生活せしめれば、期せずして当然発現して来るのが侵すべからざる真理である。其れでは心身の統一された人生生活様式とはどんな状態かと云うと、精神を精神生命の法則に肉体を肉体生命の法則に順応して生活する事である。

*十六日 真理に目覚める法

本来人間は此の世に生れ出た時から絶えず真理に接し真理の中で生きている。真理の中にいながら此の真理を中々自覚出来ないのは心の中に雑念妄念が有る為である。本当に心が清い状態であれば真理はすぐ発見できる。安定打坐と云う特殊な方法を行うと雑念妄念が立処に消え去っていく。そうすれば大した努力や難行苦行等をしなくても自然に心が真理と取り組んでいこうとするのである。

*十八日 潜在意識の重要性

我々の意識は実在意識と潜在意識の二つに分割されている。そして我々の心理作用の90%迄はこの潜在意識の作用で行われるのである。処が多くの人は精神活動の直接の衝に当っていると云う関係から、実在意識を潜在意識よりも重視して考える傾向がある。然し乍ら実在意識の精神活動も単独に行われる場合は、潜在意識の作用から内的誘導を受けて行われているのである。

*二二日 血液の洗濯を行うには

何故多量の空気を人間は必要とするのかと云うと、自分の血液を完全に浄化させる為に必要だからである。判り易く云えば血液の洗濯を肺臓が行う時の洗剤として必要なのである。如何に肺臓が強健であっても空気が無ければ完全に血液を浄化する事は不可能である。だから空気を合理的に自分の生命に活用するには、先ず第一にチャンスがある度に清浄な空気に親しむと云う心掛けを実行する事である。

*二六日 我とは何ぞや

人々は落ち着いて我とは何ぞやと云う事を考えない。その理由は我と云うものの本質を自覚していないからである。我とは何ぞやと云う事を正しく理解していないと人生観が正当に確立されない。人生観が確立されないと自己統御が完全に出来ない。其れが正しく理解された時初めて確固不抜の人生観が確立され、其の確立された人生観が内的誘導力となって自己を完全に統御し得るに至るのである。

*二八日 想像力の応用

本能心(肉体を生存させる種の動物的な心)の整理に著効ある方法として想像力の応用と云う事を推奨する。是は創造と云う観念現象の中に本能心を整理し得る暗示力が存在しているからである。判り易く云えば平素努めて積極的の事だけを想像する習慣を作るのである。言い換えると想像を決して消極的にしない様に心掛けねばならない。この目的を現実化するのに最も効果的なのは、人間の心の中に存在する高級な欲求心と云うものを適宣に応用する事である。

*二九日 善悪の判断基準

その時代の人間草子の都合や便宜で作為した所謂第二義的倫理道徳を標準としたのでは、物事の善悪を正当に判断する事は屡正鵠を失する事が往々にある。故に物事の善悪邪正を判断する最も合理的な考え方は、その事柄が現代の人間生活上絶対に必要の事か否かと云う事を基準として考察する事である。但しこの場合決して個人の生活を本位とせず飽く迄己の生活している社会全体を標準としなければならない。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 発行所 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。すこしでも実践できればいいですね~。

【十月の言葉】

*一日 本当の幸福

本当の幸福と言うのは人生が拠り能く生きられる状態に自分でする事なんです。自分でしないで他からしてくれる事を待ってる限り来やしないよ。自分の現在の生活に自分の心が先ず満足しなきゃいけないだよ。其れが生命を高くし程度を上にした考え方なんだ。詰り自分の生甲斐を感じる状態を最気高い処に於かなきゃいけないんだよ。旨いものでも食っていい着物でも着て・・斯う思う処に本当の生甲斐は無いんだけれどもねえ。

*二日 他人の憂鬱に影響されるな

おかしな奴が世の中に居るもので中には他人が憂鬱に成ったり悲観したり心配していると、同情の垣根を飛び越しちゃって相手を余計心配させたり悲観させたりしている奴がある。そして最飛び抜けた慌て者になると、人の言葉や行動迄自分の心を影響させちまって不愉快になったり不機嫌になったりし合う人が有る。其れが人生をドンドン値打ちの無いものにしてしまう原因だと云う事に気づかない。是は実に滑稽千万だよ。

*五日 真善美

如何なる人事世事に応接する際にも先ず必ず心の積極的態度を崩してはならない事と同時に、平素心して眞我の尊厳さを乱さぬ為に自己の思考内容【得に人生に対する】を信念的に高潔に把持する事に専念せねばならない。而してその要諦は唯偏へに常に真(誠)善(愛)美(和)を本意とする思考を持って、自己の精神生命の現実の姿とする事に努める事である。

*九日 人あっての自分

若しも些かたりとも報償を本意とすると云うが如き凡俗同様の卑しむべき心持が発生したならその時は、箱根山駕籠に乗る人担ぐ人其の復草鞋を作る人と云う古諺を思い出すが良い。さすればこの世の中に活きるのは、如何に偉くなっても自分一人で生きられるべき物でなく人有っての自分自分在っての人と云う事が即座に直感され、その直感が良心に感応すれば報償を超越した責務感となり更に当然の帰結でその責務感が真心となって発露する。

*十二日 記憶力を善くする法

有意注意力が習性化されてくると自然と注意が注がれる範囲が拡大されていって、一度に多数又は多方面に自分の注意を困難なく振り分けられるようになってくる。不必要な消極的観念が心の中を占拠して、有意注意力を攪乱する事が無くなってくる。その当然の帰結として連想力が正確に成り、所謂思想の整理が自然に巧妙に為される様になると同時に記憶力が頗る良くなるんです。何故なら心の前に於かれた事物の一切をその心に深刻に印象付けて、細大漏らさず心の記憶の倉庫内に入れちまうからだ。

*十五日 只漠然と生きていないか

現代子の文化の時代に活きている人々が生命は貴重だと云う事は考えているけれども、復人生は大事だと云う事は考えているけれども只其れは考えていると云うだけで、この貴重な生命や大事な人生をどう云う風に一体全体コントロールし如何云う風に我慢する事に因ってこの目的が達せられるかと云う大事な事が考えられていない。だから漫然と唯その日その日の出来心で人生を生きている人が多いんであります。

*十六日 悪魔の悪戯

心本来の姿は八面玲瓏磨ける鏡の如き清いものだ。その清い心に色々汚いものを思わせたり考えさせるのは其れは心本来が思っているんじゃない。悪魔が心の蔭で悪戯してるんだ。其れに気付いてその思い方考え方を打ち切りさえすれば、もう悪魔は其の儘姿をひそめる訳だ。怒らず恐れず悲しまずこそ正真正銘の心の世界なんだ。静かに自分自身考えなさい。何かで怒ってやしないか何か恐れていやしないか夫れとも何事かで悲しんでいやしないか。

*十八日 人生は死ぬまで闘病

人間は生まれた時から死ぬ迄絶え間なく病と闘っている。健康とはその戦いに打ち克っているときの状態である。自分がその生命に違和異常を感じると、其れを病と云っているが其れは生命が病的刺激と闘っている事を意識しただけの事である。意識しない前に既にこの戦いは開かれている。開かれていたのである。だから積極的な抵抗力を常に要請する必要があるのである。

*二三日 周章狼狽の愚

多く云う迄もなく人間と云うものは、如何なる場合にも其の人生に活きる際慌ててはいけないのである。と言うのは人生に生じる錯誤や過失と云うものはその原因が心が慌てた時に多いからである。慌てると云うのは亦の名を周章狼狽と云うが、之は心がその刹那放心状態に陥って行動と精神とが全然一致しない状態を言うのである。心がこうした状態に陥った時と云うものは、意識は概ね不完全意識になって要るのである。

*二五日 人間は本来幸福に活きられる

人間と云うものは老若男女の差別無くその生命の中に、健康も運命も自由に獲得し復開拓し得ると云う真に感謝に値する偉大な力が与えられている。人間はそう矢鱈と病や不運に悩まされたり虐げられねばならぬものでは無く、能くその一生を通じて健康は勿論運命も亦順調で、天命を終わる迄幸福に生き得られる様に本来的には作られているものなのである。

*二八日 調和は自ら進んで作る

何事を為すにも力と勇気と信念とを欠如してはいけないが、調和と云う事を無視せぬ様に心掛けないと往々軌道を外れる。此れを無視した言動は完全な成果を具顕し能わないからである。是は不完全の中に調和が絶対に在り得ないと言う宇宙真理があるが為で、調和を度外視した言動は現実構成の軌道から脱線可き必然性を生み出すか招来する。調和は相対事物の中に求めるべきで無く自ら進んで作為するべきものである。

*三十日 真我は不滅である

真我に内在する力はどんなものであるか。其れは絶対付可犯のものである。此れに対し肉体の有する力は相対的なものであり、火や水や大気などには適する事が出来ない。然し乍ら真我は全生命の本源的中枢で形象を有しない無形の一実在である。故に火にも水にも一切の何物にも決して犯されない絶対不可犯のものである。絶対的なものには絶対的の力があるのは当然の事である。

中村天風の言葉

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。     天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

七月の言葉

*三日 人生の不幸の原因

人生の不幸と云う様なものは他から降って湧いて来る様に自分の人生に飛び込んでくるもんじゃないんだ。何時もよく吟味してみると人生の不幸と云うものは、自分が知る知らざるを問わず自分自身が原因となっていると云う内的事情が発見されます。この内的事情を発見しないとその原因は他に在りと考えてしまい、その不幸に処する場合に自己の責任観念が無いから如何しても自分と云うものをその不幸の淵から救い上げる事が出来ないと云う酷い結果が来てしまう。

*五日 絶対的積極

心が其の対象也相手と云うモノに決して捉われない状態、此れが絶対的な気持ちと云うんだよ。何物にも捉われない心に雑念とか妄想とか或は感情的な色々の怖れとかそう言ったものが一切ない状態。決して張り合おうとか対抗しようとか打ち負かそうとか負けまいと云った様な、そういう気持ちでないもう一段高い処に在る気持ち境地此れが絶対的な積極何ですぜ。

*七日 意志力が弱る三つの原因

意志の力が弱まるには三つの大きな原因がある。第一に潜在意識の中に非常に消極的な観念要素が知らない間にうんと溜まっちゃう事。第二には平素の人生を生きる場合の精神生活態度が、是も気付かないとは言い乍ら何時も臆病で引っ込み思案的なものである事。第三番目は人間が生きていく刹那刹那に避けられない感情や感覚のショックや衝動が、神経系統の生活機能に手酷く悪い影響を与えていると云う事。

*八日 病は忘れる事で治る

肉体は活きる為の道具と考えてごらん。頭が痛かろうがケツが痛かろうが脈が速かろうが、其れは自分がそうなっているんじゃないと。自分の命を入れる入れ物に故障が出来ただけで、その故障は有難い哉自然に心が其れから離れさえすれば治る様に出来ているんだって事を有難く感謝しなきゃ駄目だぜ。消極的観念が無くなると肉体の持っている自然作用がその場所を基の健全な状態にする為に働く出す様に出来ているんだよ。病は忘れる事に拠って治る。

*十二日 真心の尊さ

ちょっと一杯の茶を出すのでも敗と返事をするような些細な行為でも、その時何の報償をも念頭に置かず即ちその人に気に入られ様とか或は好感を持たせ様とか云う様な気持ちでなく、其処に一点何の求むるもの無き純一無雑な心で其れが行われる時、その行為から形容できない温かいものを感じる。それは即ち真心と云うものの持つ尊さの感応である。

*十五日 因縁

この沢山の数多い人の中から知り合いになったと云う事は、到底人智では究明する事が出来ない因縁と云う不可思議な幽玄微妙な作用の致す処である。然るにこの因縁と云う不可思議な作用に因って結ばれて知り合う中となったものを、己の気に喰わぬとか或は心に合致しないとか彼には斯う云う欠点があるとか、又は組みし難き習癖があるとか等々の理由をつけて、批判排斥して折角結ばれた因縁を無にすると云うのは、天意を冒涜するものと云うべきである。

*十八日 悪習を断ち切る

凡そ不平不満を口にする程恥ずかしい事は無い。其れは自分の心を統御出来て居ない事を宣伝して要る様なものである。その実不平不満を口にするからこそ進歩向上があるのだと誤解している人がいるがこの様な人は人生の荒波に翻弄されている憐れな漂流者である。だから価値ある人生を送りたいと願うのなら、この悪い習慣を直様断ち切って荒波を乗り切る爲の積極心を作る努力を日々怠らない事である。

*二二日 不運はカルマの所為ならず

人間が時々病になったり不運命になるのを当然の事と思ったり、又は避ける事の出来ない止むを得ぬ業≪カルマ≫の様に考える考え方は断然訂正すべきである。特に健康難の如きは人間の寿命の絶える時以外は、そう滅多矢鱈と病に侵される筈がないのが絶対の真理である。

*二七日 心はパイプと同じだ

どんな事が在っても忘れてならないのは、心と云うものは万物を生み出す宇宙根元の有する無限の力を自分の中へ受け入れるパイプと同様であると云う事である。パイプに穴が開いていたら漏れてしまうだろ。だからソッポを向いていたら何にもならないよ。パイプで判らない人は光を通す窓だと思いなさい。或は電流を通ずるワイヤーだと思えばよい。

*三一日 宗教と天風哲学

多く云う迄も無く人生は何処まで行っても現実の世界なんだから其れを忘れちゃいけないんだよ。死んでから後が人生じゃないんだから。死んでから後の事迄考え様とするのは宗教なんだ。天風哲学は死んだ後の事なんか考えやしないもん。死んだ後と云うものは明日以後の事なんだもんね。現在只今生きているこの人生と云うもの考えていくと云う事が、私の主義であり主張で或るんだから。

一日一話 松下幸之助

二月の言葉

石走る垂水の上の早蕨の 
萌え出づる春になりにけるかも  志貴皇子


*一日 天は一物を与える(イ)

この世に百パーセントの不幸と云うものはない。五十パーセントの不幸はあるけれども半面其処に五十パーセントの幸せがある訳だ。人間は其れに気付かなければいけない。兎角人間の感情というものは上手くいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。是は人間の一つの弱い面だが其れをなるべく少なくして、いつの場合でも淡々とやる。信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。天は二物を与えずと云うが、逆になるほど天は二物は与えないがしかし一物は与えてくれるということが言えると思う。其の与えられた一つのものを大事にして育て上げることである。

  • 1268年(文永5-旧1/17)モンゴル帝国の使者来朝元寇のきっかけ
  • 1954年(S29)マリリンモンロー来日
  • 2003(H15)米スペースシャトルコロンビア号テキサス上空で空中分解 今日はTV放送記念日 Memo参-百朝集(安岡正篤著)六然

*六日 正しい国家意識(ラ)

昨今の国際情勢は一方で世界は一つと云いつつも、その一方で各国が過度の国家意識に立ち自国の利害を優先して仕舞う為、対立や紛争が一向に絶えない。それでは日本はどうかと云うと、反対に国家意識が極めて薄い為却って問題が起こっている様である。個人でも正しい自己認識、人生観を生み出し自主性を持って生きていってこそそこに初めて他の人々に対しても奢らず、諂わず仲良く付き合っていける譯である。国でも同じことである。国民が正しい国家意識を持ち、他の国々と交流していくことが大切であろう。過ぎたるもいけないが及ばざるもいけない。

  • 今日は海苔の日
  • 関連項目1/11・2/11memo‐正しい自己認識

*九日 一歩一歩の尊さ(タ)

仕事はいくらでもある。あれも作りたい是も拵えたい、こんなものがあれば便利だ、あんなものも出来るだろうと次から次へと考える。その爲には人が欲しい資金が欲しいと願うことには際限がないが、一歩一歩進むより他に到達する道があろうか。それは絶対にない。やはり一歩一歩の繋がり以外に道はない。坦々たる大道を一歩一歩歩んでゆけばそれでよい。策略も政略もいらない。一を二とし、二を三として一歩一歩進んでゆけば遂には彼岸に達するだろう。欲しいと願う人も一人増えまた一人増えて遂には万と数えられよう。一歩一歩の尊さをしみじみと味わわねばならぬ。

  • 今日は河豚(フク)の日
  • memo-大道を行く亀の如
  • 2009/2/9 MLMのFLJ経済相より行政処分(19日)

*十一日 国を愛する(ナ)

我が国は戦後相当立派な成長を遂げてきましたが、不思議に愛国心と云う言葉がお互いの口から出ません。時たま出てもあまり歓迎されない状態です。愛国心と云うものは国を愛する餘に他の国と戦いをすることに為ると云う人もあります。併し決してそうではないと思います。国を愛すれば愛する程、隣人と仲良くしていこう友好を結んでゆこうという事になるだろうと思うのです。お互いが自分を愛するように国を愛し、隣人を愛す。そうする事によって其処に自分の幸せも築かれていくと思うのです。疎の様な姿をお互いに盛り上げていくことが国民としての大きな使命ではないでしょうか。

  • 2020年(R2)野球人野村克也逝84歳
  • 今日は建国記念日 
  • Memo―愛国心 使命感

*十三日 一人の力が伸びずして(ヌ)

自分は一年にどれだけ伸びているか、技術の上に或は社会に対する物の考え方の上に、どれだけの成長があったか、その成長の度合いを測る機械があれば是は簡単に判ります。併し一人一人の活動能力と云うか知恵才覚と云うか、そういう総合の力が伸びているかどうかを図る機械はありません。けれども私は5%なり10%或は15%伸びたと自分で云えるようでないといけないと思います。やはり一人一人が自分の力でどれだけの事をしているかという事を反省してみることが大切です。一人一人の力が伸びずに社会全体の力が伸びると云う事はないと思うのです。

  • 1219年(健保7旧1/27)源実朝公暁に斬殺さる 
  • 2017年(H29)マレーシアクアラルンプール空港にて北朝鮮の第2代最高指導者金正日の長男金正男が、顔面に神経剤VX」を塗られ毒殺
  • 今日は銀行強盗の日
  • Memoー向上心➡個人の能力アップ

*十八日 日本式民主主義を(ラ)

民主主義の基本理念というものは真に好ましいものであり、これを取り入れ国家国民の調和ある発展繁栄を計っていくことは極めて重要なことだと云えます。けれどもそれは日本の伝統国民性と云うものに立って行わなくてはなりません。基本の理念は同じでも具体的な形態は其々の国民性に従って様々でなくてはなら・ない。謂わばアメリカにはアメリカ式民主主義フランスにはフランス式民主主義、日本には日本式民主主義がなくてはならないと思うのです。それを日本自らの伝統を忘れて、アメリカやフランスのようにやろうとしても、根無し草の民主主義に終わってしまうでしょう。

  • 今日は嫌煙運動の日
  • 基本・特異性・国民性➡パーソナリティ

  • *十八日 日本式民主主義を

民主主義の基本理念というものは真に好ましいものであり、これを取り入れ国家国民の調和ある発展繁栄を計っていくことは極めて重要なことだと云えます。けれどもそれは日本の伝統国民性と云うものに立って行わなくてはなりません。基本の理念は同じでも具体的な形態は其々の国民性に従って様々でなくてはなら・ない。謂わばアメリカにはアメリカ式民主主義フランスにはフランス式民主主義、日本には日本式民主主義がなくてはならないと思うのです。それを日本自らの伝統を忘れて、アメリカやフランスのようにやろうとしても、根無し草の民主主義に終わってしまうでしょう。

  • 今日は嫌煙運動の日
  • 基本・特異性・国民性➡パーソナリティ

*二三日 道徳は水と同じ

戦後の我が国では道徳教育というと何か偏った風に思われることが多いが、私は道徳教育はいわば水と同じではないかと思う。人間は活きる為にどうしても水が必要である。処がこの水に何か不純物が混じっていてそれを飲んだ人が病気になった。だからと云って水を飲むことを一切否定してしまったらどうなるか。大切なことは水そのものの価値効用を否定してしまうことではない。水の中の不純物を取り除くことである。嘗て道徳教育の中に誤った処があったからといって道徳教育そのものを否定してしまう事は其れこそ真実を知らぬことではないか。

  • 1960年(S35)近上天皇(令和)誕生日
  • 今日は五大力尊仁王会(醍醐寺)
  • 富士山の日

*二八日 感謝の心は幸福の安全弁

感謝の念という事は是は人間にとって非常に大切なものです。見方によれば総ての人間の幸福なり喜びの根源とも云えるでしょう。従って感謝の心の無い処からは決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は人間不幸になると思います。感謝の心が高まれば高まる程それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり幸福の安全弁とも言えるものが感謝の心とも言える訳です。疎の安全弁を失ってしまったら幸福の姿は瞬時のうちに壊れ去ってしまうと云ってもいいほど人間にとって歡ッ社の心は大切なものだと思うのです。

  • 今日はエッセイの日
  • Memo‐幸福の根源は感謝の心➡本質

*二九日 健康管理も仕事の内

会社生活をしていく上で何といっても大切なのは健康それも心身共の健康です。いかに優れた才能が有っても健康を損ねてしまっては充分な仕事も出来ず、その才能も生かされないまま終わってしまいます。出羽建工の為に必要なことは何かと云うと栄養であるとか、休養とか色々あるでしょう。しかし特に大切なのは心の持ち方です。命を懸けると云う程の熱意を以て仕事に打ち込んでいる人は少々忙しくてもそう疲れもせず病気もしない、ものです。お互い自分の健康管理も仕事の内という事を考え人夫々のやり方で心身ともの健康を大切にしたいものです。

  • 2012年(H24)東京スカイツリー完成
  • 今日はニンニクの日
  • Memo‐心の在り方・懸命ということ

感謝の心と素直な心は人間が幸福に生きていくうえで一番忘れてはならないことようですね                                     「幸せだから笑うのではない笑うから幸せなのだ Alain」

一日一話 松下幸之助

十月の言葉

このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに      管家

一日 法治国家は中進國

今日法治国家というのは大体先進国と云う事に為っていますが、私は法治国家は真お先進国とは言えないのではないかと云う気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は謂わば中進国であって真の先進国文明国とは法律が極めて少なく所謂法三章で治まっていく国と云う事では無いかと思うのです。とすれば真の先進国に成る為にはやはり国民の良識の涵養と云うものを大いに図っていかなければ成りません。其事に成功しない限りは先進国にはなれないのではなかと思うのです。

  • 2019年(R1)消費税10%に
  • 今日は印章の日 
  • memo-モラル・倫理観

*四日 心を磨く

人間の心と云うものは本当に自由なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても心の働きに由って如何様にでも考えられると思うのです。もう辛抱出来ない明日にでも自殺したいと云う場合でも考え方を変えるならば。一転して恰も広々とした大海を往くが如き悠々とした心境に転向する事さえできるのです。其れが人間の心の働きと云うものでしょう。ですから我々は是から仕事をするに当って先ず心を磨くと云うかものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに今迄得た知識を加えてやっていけば必ず大きな成果が生まれると思います。

  • 世界動物の日
  • Memo―フランクル著「夜と霧」➡希望

*十日 大事に立てば起つ程

困難期混乱期に際して大事な事は根本的な心の迷いを取り除いて確りと心を確立してゆく事です。志を堅く堅持してそして事に立ち向かう事が出来るなら、その時に応じて最善と考えられる具体的な方策は適切に出てくるものだと思います。その志を確固として持つ事無しに混乱期に直面すれば彼是と心が迷い事に為って事が失敗に終る場合が少なくないと思うのです。将に貧すれば鈍すです。大事に立てば起つ程如何生きるかについての確りした信念を持つ。そうして事に当ればある程度の処置を過たずして出来るものだと思います。

  • 1964年(S39)東京オリンピック開催

今日は旧体育の日 memo-六然の教え

*十六日 諸行無常の教え

その昔お釈迦さまは諸行無常と云う事を説かれました。この教えは一般には世は儚いものだと云う意味に解釈されているようですが、私は寧ろ諸行とは万物と考え諸行無常とは即ち万物流転であり生成発展と云う事であると解釈したら如何かと思うのです。言い換えますとお釈迦様は日に新たでなければならないぞと云う事を教えられたのだと云う事です。是は単に仏教だけの問題でなくお互いの日々の仕事を初め慧お互いの人生社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。

  • 今日はボスの日
  • Memo―石原慎太郎「法華経を生きる」
  • 松原泰道「発句教入門」➡諸行無常は現在進行形 紀野一義「法華経を読む」

*十八日 独断は失敗に繋がる

仕事でお互いが注意すべき事は会社の伝統方針を無視した自分一人の考えで行動しないと云う事です。人一人の知恵は如何に優れていても伝統も顧みず方針を等閑視して狭い自分の主観から生まれてくる判断で行動すれば却って会社をマイナスに導きます。私達は兎角ものの一面に捉われて自己の考え已を主張しているとその背後に流れる大きな力を見忘れてしまうものです。其処から大きな失敗が表れてきます。常に自己の背後にある流れ繋がりを見通す目、心を培いその中で自己を生かすよう訓練して行かなければなりません。

  • 今日は統計の日 
  • Memo―見えない力を感じるか➡don’tThink feel(燃えよドラゴン)

*二三日 原因は自分にある

人間と云うものは他人の欠点は目に付き易いものだ。往々にして何か問題が起こると其れは総て他人の所為で自分はに関係がないと考えがちである。実際に他人の所為であって自分は無関係なものもある。併し其れをそう判定するのは飽く迄も人間である。他人の所為ではあるけれども実は自分の所為でもある。と云う様に自分は全く関係がないとは言い切れない場合も少なくないのではなかろうか。少なくとも問題が起こった際には他人の所為だと考える前に、先ず自分の所為ではないかと云う事を一度考え直してみる事が非常に大切ではないかと思うのである。

  • 今日は電信電話記念日

Memo―自己観照・内観・洞察力

*二五日 人の話に耳を傾ける

日頃部下の云う事をよく聞く人の処では比較的人が育っている。其れに対して余り耳を傾けない人の下では人が育ち難い。そういう傾向が有る様に思われる。何故そうなるかと云うと矢張り部下の言葉に耳を傾ける事に拠って、部下が自主的にものを考えるようになり其の事がその人を成長させるのだと思う。けれども自分の云う事に上司が耳を傾けてくれないと云うのでは、唯惰性で仕事をすると云う事になって成長も止まってしまう。上司としてどんな場合でも大事なのは耳を傾けるという基本的な心構えを何時も持っていると云う事であろう。

  • 今日は民間航空記念日

指導者の基本的姿勢・要諦

*二七日 インテリの弱さ

今日能く耳にする言葉にインテリの弱さと云う事がある。是はインテリには生じっかな知識が在る為に其れに囚われて仕舞、其れは出来ないとか其れは如何考えても無理だと思い込んでしまって、中々実行に移さないという一面を言った言葉だと思う。実際嗚呼其れは今迄何度も遣ってみたんだが出来ないんだと、決め込んでいる事が我々の身の回りには意外に多いのではなかろうか。時には自分の考え復自分を捉えている常識や既存の知識から解放され、純粋な疑問純粋な思い付きと云うものを大切にしてみてはどうだろうか。

  • 読書の日
  • 未常識・空理空論

実業界はさておき、現代の政界・官僚を俯瞰すれば、其れなりの学歴を積んだ方々が沢山いるにもかかわらず、どうしてこんなに社会の実情に合わないことが霞が関・永田町でまかり通るのか不思議と云えば不思議な事。        結局、知識はあっても活きた知恵がない問うことになるのかな。安岡正篤師のいう「雑学」「俗學」「曲學」の類の知識ばかりという事かもしれませんね~❣❢

一日一話 松下幸之助

九月の言葉

秋の田のかりほの庵の苫をあらみ 我が衣手は露にぬれつつ     天智天皇

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今朝九月草樹みづから目覚め居て    中村草田男

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が、経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

  • 今日は宝くじの日 Memo―経営者の決断

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

  • 1939年(S14)泉鏡花逝-泉鏡花忌
  • Memo―山本七平「人間集団における人望の研究」近視録 易➡元享利貞

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

  • 今日は重陽の節句

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

  • 2001年(H13)米同時多発テロ発生
  • 今日は公衆電話の日 

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

  • 1931年(S6)満州事変勃発
  • 今日はカイワレ大根の日
  • Memo―道徳倫理修練

*二二日 平和の為の前提条件

平和が大切だと云う事は何千年も前から唱えられているにも拘らずその一方では戦争をしている。甚だ如きは平和の爲の闘争とか戦争と云ったことが、口にされ行われていると云うのが過去現在における人間の姿だと云えましょう。それではその様な状態を脱却し平和を実現する前提として何が必要かと云うと人間としての意識革命ではないかと思います。詰り真の平和と云うものをはっきり見極め心からそれを切望すると云う様な、一人一人の意識革命が一国の政治の上にも教育の上にも醸成されていくならば求めずして平和は生まれてくると思います。

  • 今日は孤児院の日 
  • Memo―国際的徳育

*二五日 信賞必罰

信賞必罰即ち罰すべき罪過ある者は必ず罰し賞すべき功ある者は必ず賞せよということ。是は人間が存在する限り程度の差はあっても絶対に必要な事であろう。此れが行われない国家社会は次第に人心が倦みやがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない会社集団家庭何処に於いても是は決して蔑ろにされてはいけない事だと思う。唯ここで大事な事は信賞必罰と云っても常に適時適切でなければならないと云う事である。是は微妙にして非常に難しい事で之が当を得なかったならば却ってことを誤ってしまう。

  • 今日は10円カレーに日
  •  Memo―韓非子

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってくる。

  • 今日はクルミの日

※ 論語による徳性

 民可使由之 不可使知之(泰伯篇)                   民は之を(之に)由らしむべし 之を知らしむべからず

これをどう解釈するか? で本当に論語を行動の指針にできているかどうかがわかるらしい。

安岡正篤師はその著書「論語・老子・禅」の中でこう説明しています。

これは誰知らぬ者の無い言葉であって実に誤用されておる。戦後の事ですがある会合に出たところ、相当な代議士が「もうー民は之を由らしむべし、知らしむべからずーのような封建的思想の時代は去った今やー民は大いに知らしむべし、由らしむべからずーという民主主義の時代になった」と言って得意げに演説しておった。私もちょっと茶目っ気をだして後で「こういうお話であったが、実にとんでもない事だ。あれは孔子の云った言葉だが、孔子ともあろう人が、今あなたが云った様な事を謂うでしょうか」と言ったら目を白黒させて「違いますか」と訊くので「大違いです」と言ってひとくさり説明してあげたことがある。    「民は之を知らしむべからず」を民衆に知らせてはいけないと解釈するから間違ってくるので、第一天下の為、人間を救う為に生涯を捧げた孔子がそういう事を謂う筈がない。                                     民衆というものは常に自分に都合のいい、その場その場の事ばかり求めておるので、本当の事だとか、十年・百年の計だとかいう様な事は判らない。従ってそれを理解させるのはなかなかできない事である。そこで、兎に角訳は判らぬがあの人のすることだから俺はついていくのだ。という風に民衆が尊敬し、信頼する様にせよと言う事で、由らしむべのベシは命令のベシであるが、知らしむべしのベシのほうは可能・不可能のベシである。従ってそれを知らしめよ、由良らしむなと解釈すれば、民は信頼尊敬させてはいけない、宣伝して誤魔化せば好いと言う事になってしまう。少し考えれば判る事だけれども、そういう浅はかな誤随分多い多い。人間というものは難しいものであります。云々

安岡正篤師が云っていることも、要は松下幸之助翁の云う「徳性を養う」(7日)ということの様ですね。今の政治家・指導者・経済界のトップはこういう言葉を知っているのでしょうか?

論語・老子・禅 Ⅱ

安岡正篤著

「老子と現代」より

問題は結局我々の直観力にに帰するので、やはり人間は精神を集中して全身全霊を何者かに打ち込まなければ、精神も磨かれないし、本当の力も発揮出来ない。従って世の中を救おうと思ったら古の名宰相の様に寝ても醒めても国家の事を考え、民族の事を考えて、其れに全身全霊を打ち込まなければ、本当の為政者たることは出来ないのであります。大衆を相手に駆けずり廻って演説をやっておる様なことでは、この世界の危機に当って本当の立派な政治はできない。その為には如何しても哲学や信念を持たなければならないのであります。

そういう意味で我々の人生、生活、現実というものに、真剣に取り組むと、我々の思想、感覚が非常に霊的になる。普段ぼんやりとしていて気の付かぬ事も容易に気が付く。超現実的な直覚、これが正しい意味に於ける形而上学というものであります。こういう叡智が老子には特に輝いているのであります。

(政治或いは政治家に関して補足するならば)

★ 山本七平著「人間集団における人望の研究」の中に朱子「近思録」からの引 用にてー天下の事を公にすと雖も若し私意を用いて是を為さば便ち之私也」という言葉がある。

★ 西郷隆盛「遺訓」にはー故に何程国家に勲勞有るとも、その職の任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸禄を以て賞し、これを愛し置くものぞと申さる云々

また、万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しく、驕奢を戒め、節倹を努め、職務に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思う様ならでは政令は行われ難し。云々とも

「之を生み之を畜い、生んで有せず、為して恃まず、長として宰せず。是を玄徳と謂う」

長になって、頭になってしかも支配しない。統して治せずで干渉しない。是を玄徳と謂う。儒教の明徳に対して老荘は常に玄徳と言う事を力説しております。

※ 徳 ☞ 萬物を包容し育成する力の意                           ※ 玄徳 ☞ 老子に云う所謂無に根差した無限の力                             ※ 明徳 ☞ 樹下に云う所謂玄徳が外に発揚した象 (安岡正篤解)

斯う云う様に、老子は常に現象よりも一歩本体に入って、従って作為や意識の世界より裳もう一つ奥の無意識の世界、actualな世界よりもpotentialな世界に入って、そこから造化の働きを見よう、或いはその働きに参じようとする。これが老荘の考え方、ゆき方であります。物を相対的即ち現象的に捉えて、其れを処理してゆこうというのではなくて、物の中へ飛び込んで、そして物と一つになって共に動いてゆく。例えば自分がこの書物を読む。理知を働かせて解釈し、批判するというのではなく、この書物と一つになる。書物が自分を読むようなものであります。

例えば政治にしてもそうで、支配者が人民と相対立場に立って、人民を観察し、統治してゆく。こういう相対的統治は老荘から云えば、決して至れるものではない。本当の老荘の政治は、人民そのものになって、人民をして自然に雲が行き、水が流れる様に導いてゆく。そこには何の矛盾も無ければ、抵抗もない。余計なPRとかゼスチャとか、況や謀略だとかいうものは、腐政出会って寧ろ有害であります。

【老子三宝の章】

「天下皆我が道大成も不肖に似たりと謂ふ。夫れ惟だ大なり、故に不肖に似たり、若し肖たらば、久しいかな、其の細なることや。我に三宝あり。持して而して之を保つ。一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢えて天下の先とならず。慈也、故に能く勇。倹なり、故に能く広し。敢えて天下の先と成らず、故に能く器の長と成る。今慈を舎てて且つ勇に、倹を舎てて且つ広く、後を舎てて且つ先んぜば、死せん。夫れ慈也、以て戦えば則ち勝、以て守れば則ち固し。天すら将に之を救はんとすれは、慈を以て之を衛ればなり。」

所謂、老子三宝の章といって有名な言葉であります。今日の様に、全く老子と反対に枝葉末節に走り、徒に唯物的・利己的になり。従って至る所矛盾・衝突・混乱をきたしてくると、肉体的にも精神的にも段々病的になる。善また妖となるで、元来善であり正である筈の文明・文化がそれこそ奇となり妖となる。今日の文明・文化は實に妖性を帯びております。斯う云う事を考えると我々は老子というものに無限の妙味を感ぜざるを得ないのであって、これを自分の私生活に適用すれば、此の唯物的・末梢的混濁の生活の中に本当に自己を回復することが出来るのであります。斯う云う風に絶えず現代というもの、我々の存在というものと結び付けて生きた思索をすれば、読書や学問というものは限りなく面白くまた尊いものであります。

昨今の政治家の皆様、多分、安岡正篤師の著作は勿論、論語や老荘も読まれている方々も多々いる事でしょう。が、しかし現状を見る限りに於いては、それが単なる知識としてしか集積されいないのではないのでしょうか?本当に活きる智慧となって所謂、師の云われる活学として生かされているのであれば、今回のような(2022.7.8)不幸な事件は起こっていなかったのではないかと思うのですが。                  つまりは論語読みの論語知らず活学ならぬ死学ということになるようですネ。

一日一話 松下幸之助

八月の言葉

天の原ふりさけみれば春日なる 
三笠の山に出でし月かも      安倍仲麻呂              

三日 強固な精神力を

その昔日蓮上人は唯一人の聴衆の姿も見えないと云う時でも巷に立って我が信念を説いたと云います。何をほざくかと馬糞を投げられ石を投げられ散々な侮辱を蒙っても、彼はびくともせず日本の安泰の為に民衆の幸福の為に我が信念を傾けました。日蓮上人のそういう態度と比べてみると我々と同じ人間でありながら大変な相違があるなと云う感じがします。今我々に必要なのは日蓮上人のあの強固な精神力です。日蓮上人と迄は行かなくてもせめて自分の仕事に一つの使命感を感じこれに情熱を傾けて精進する積極的な自主独立の精神を養いたいものです。

  • 今日は蜂蜜の日
  • Memo-松下幸之助は弘法大師・日蓮等偉大な宗教家の行動力実行力に注目➡信念

*十日 欲望は生命力の発現

欲の深い人はというと普通は善くない人の代名詞として使われている様陀。所謂欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件が余りにも多い為であろう。しかし人間の欲望と云うものは決して悪の根源ではなく人間の生命力の表れであると思う。例えて云えば船を動かす蒸気力の様なものであろう。だから是を悪としてその絶滅を計ろうとすると船を止めてしまうのと同じく人間の生命をも絶ってしまわねばならぬことに為る。つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく生其の物であり力だと言って良い。だからその欲望を如何に善に用いるかと云う事こそ大事だと思う。

  • 今日は道の日 
  • Memo―行動の原動力・コントロール要 

*十五日 平和の価値を見直す

最近平和と云うものが何か言わば空気や水の様に極当然に存在するものと云った感じが強くなってきたのではないだろうか。平和の貴重さ有難さが段々忘れられつつあるように感じられる。其れは危険な事だと思う。平和は天然現象ではない。人為と云うか人間の自覚と努力によって初めて実現され維持されるのである。だからこの際お互いにもう一度平和の価値と云うものを見直してみたい。そしてこの価値を知ったうえで国民として何を為すべきかを考え合いたい。差もないと折角続いたこの貴重な平和を遠からずして失う事にも成ってしまうのではないだろうか。

  • 今日は終戦記念日

*十六日 道徳は実利に結びつく

社会全体の道徳意識が高まれば、先ずお互いの精神生活が豊かに成り少なくとも人に迷惑を舁けない様になります。それが更に進んで互いの立場を尊重し合う様に成れば人間関係も良くなり、日常活動が非常にスムーズに行く様になるでしょう。又自分の仕事に対しても誠心誠意之に当ると云う態度が養われれば、仕事も能率的に成り自然により多くのものが生み出される様になる。つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると云えるのではないでしょうか。そう考えるならば私達が道徳に従って全ての活動を行うと云う事は、社会人としての大切な義務だと云う事にも成ると思います。

  • 今日は女子大生の日
  • 参考=渋沢栄一「論語講義」「論語と算盤」安岡正篤「百朝集」

*二一日 カンを養う

カンと云うと一見非科学的なものの様に思われる。併し勘が働く事は極めて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断の出来るカンを養わなくてはいけない。其れではそうしたカンはどうしたら持つ事が出来るのか。是は矢張り経験を重ね修練を積む過程で養われていくものだと思う。昔の剣術の名人は相手の動きを勘で察知し切っ先三寸で身を躱したと云うが其れは其れこそ血の滲む様な修行を続けた結果であろう。その様に指導者としても経験を積む中で厳しい自己鍛錬に拠って真実を直感的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。

  • 今日は献血記念日
  • Memo-安岡正篤「百朝集」87章。運時命数
  • 阿羅耶識―潜在意識の活性化

*二六日 矢面に立つ精神

人間が大事に際して其の難局の矢面に立つと云う事は人生としては怖ろしい事であり大変に勇気のいる事である。スリルがあるとか或はこれは面白いなと云う人も今日の青年の中には居るかもしれないが、本当に腹を割った処あまり愉快ではないと思う。併しこういう場合に敢然としてその矢面に立つ事も男子の本懐と喜んで事に当る事も大切である。そしてそういう人こそ大事に於いて狼狽えずものを決断する事が出来る人であり人多くして人無き社会に於いて本当の人物として立って行く事の出来る人であると云う想いがする。

  • 今日はマザーテレサの日
  • Memo^人物と云うは如何なる様な人か

*三一日 辛抱が感謝になる

我々が一生懸命に仕事をしても世間が其れを認めてくれなかったら非常に悲しい。そんな時その悲しさが不平となり出てくるのも一面無理のない事だと思う。然し認めてくれないのは世間が悪いという解釈もできるがまあ一寸辛抱しよう。今認めてくれなくてもいつか認めてくれるだろう。とじっと耐え忍びいい仕事を続けていくと云うのも一つの方法である。そして認めて貰ったら是は非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。より多く我々を認めてくれた社会に対して働かなくてはいけないと云う感謝の心になってくる。そういう心が無ければいけないと思う。

  • 今日は野菜の日 Memo―謙虚

26日の「矢面に立つ」は今、現在進行形で、日本のリーダー・政治家・官僚・各省庁責任者たちが尤も肝に銘じてもらいたいと思う言葉だが、残念なことには、事あるごとにその真反対な対応が目立つように感じる。                     日本全国、上へ倣えで下々迄如何言い逃れるかに汲々としているように感じるが・・・

論語と算盤

新一万円札の肖像

2024年度より、貨幣流通の顔となる「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一翁が終生、その人生の指針としていた「論語」。その内容、解題、意見等々いろいろと関連する本を出筆されています。

著書は

今は文庫本で手に入りやすくなっていますが、私の所にも「論語と算盤」「論語講義」「徳川慶喜」等々があります。亦、ご本人の著書ではありませんが「渋沢栄一の100の訓言」という本もあります。が現在は、「徳川慶喜」(東洋文庫本)は近くの図書館へ寄贈して手元にはありません。終活ではありませんが、他の本も追々、整理していく予定です。

さて、渋沢栄一翁の根本思想の根源となっている「論語」、それまでは道徳修身の書物とされていた感が強く平成・令和の時代では、一部の古典愛好家を除いては、特に顧みられることも少なくなっていたのではと思います。況して読まれるにしても、一般的には経済活動とは無縁のものというとらえ方をされている書物です。しかし、明治の時代にその考え方を一変させるとらえ方をしていたのが、渋沢栄一翁の所謂「論語と算盤」ではないでしょうか。

その中でも、次の一語が、経済人・渋沢翁の真意をもっとも端的に言い表している言葉だと思います。曰く

真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ 決して 永続するものではない

現実社会

現在の日本を顧みると、この言葉を地で行くような活動は何となく影を潜めて、どちらかといえば、もうけ至上主義的な風潮が蔓延していて目先の利益追求に奔走しているのではと思えない事もありません。ということは永続する富を持ち続ける会社は少ないということにもなるのでしょうか?

社会の混乱、経済・教育等の格差の拡大は其の表れの 一端 かもしれません。 新一万円札が発行される、2024年はどういう社会状況になっているのでしょうか? 昨年大河ドラマにも取り上げられた渋沢栄一翁の遺訓をしのんで、これらの著書が広く読まれればうれしい事ですね。

そしてできれば、北里 柴三郎博士・津田梅子 女史だけでなく渋沢栄一 翁の新一万円が徧くみんなのもとへ広がっていくような社会になってくれればいいですね・・・