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中村天風のことば

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。     天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。


※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

九月の言葉

二日 神仏と云うもの

私は神仏と云うものの存在を第二義的に人生を考えるものには必要かもしれないが、自分自身を真理に沿って正しく生かすものに対しては何ら顧みる必要のない存在だという大きな確信の基に生きております。私も先祖は敬いますよ。けれど私は科学文化の先端に常に自分の人生に対する理解を求めている者です。従って私の眼には見えもしない抽象的な何だか訳の判らない神何てものや仏と云うものを当てに生きておりません。

*三日 不運だと思えば不運に成る

貴方方の心の中の考え方や思い方が貴方達を現在在るが如き貴方方にしているのであります。だから俺は体が弱いと思ってりゃ体が弱い。俺は長生きできないと思ったら長生き出来ない。俺は一生不運だと思えば不運だ。自分の念願や宿願優しく云えば思う事や考える事が適う叶わないと云う事は其れが外にあるんじゃないよ。貴方達の命に与えられている心の思い様考え方と云うものの中に在るんだよ。

*九日 理性の限界

現代の人々は理性に事物を判断する力があると云う点を極端に尊重し過ぎる傾きがある。然し理性と云うものは心性意識の発達に伴って発達する理智から発生するものであるから、理性其の物にも昨日と今日との間に相当な進歩をすると云う実際的変化がある。従って我々が理性を無上のものとして尊重し過ぎる事は決して賢う事ではない。況して人生の万事を理性に全部依存せ〆ると云う態度は甚だしい誤りである。

*十一日 本当の欲望は楽しい

叶わない欲望を心に描くと苦しんだ。真理の上から論断すると悩んだり苦しんだりする欲望は欲望とは言えないと思う。本当の欲望と云うのは楽しい欲望の事なんだ。欲しがりゃ欲しがる程楽しいのが本当の欲望。だから須らく楽しめる欲望を炎と燃やしなさいと云いたいんであります。そうするとその欲望を燃やしゃ燃やす程何とも言えない人生が豊かなものに為るんだよ。此れが天風哲学の主張する燃やしなさい燃やしなさいと云う欲望なんだ。

*十三日 笑いは養生である

人間は神経の集積であるので神経系統を濫りに消極的に興奮させる事が、直接間接に生命に危険を与える事となるのは当然である。人間の個体の生命擁護の為に全神経系統の興奮を鎮める一手段として笑いを生体に仕組んである。事ある時も事なき時も終始笑顔で応接しよう。否事ある時一層笑顔を崩さぬ様に練習すべきである。特に体の弱い人は一入笑いに努力する事を養生の第一とする可である。

*十四日 他人の批判より自己省察

諺に人の振り見て我が振り直せと云うのが有るが、他人の言葉や行為を矢鱈批判する人と云う者は、人の振りに我が振りを正しく照合して是正仕様とは仕無いので、只悪し様に其れを批判するだけなのであるから、従ってその批判から少しの価値あるものも我心に感得しない。妄りに他人を批判する事を本位として些かも自己省察を施さないが爲、人生に何よりも大切な自己自身の統御と云う事に少し進歩も向上も顕現しないのである。

*十八日 我慢して食べる事は無い 

病弱者は出来得る限り嫌いなものは食せず、嗜好するものを食す様にするのが好いのである。是は一寸考えると頗る我儘な様であるが、多く云うまでも無く食物と云うものは肉体を修補形成する要素である。然るに唯滋養と言う名目に已捉われて無茶苦茶に嫌いなものでも我慢して食すと云う事は、何の事は無い身体自然の要求に無謀な圧迫と活力の減損だけを招致する事となり、それが些かも血となり肉とならない。

*二二日 囚われない心

神経系統の生活機能は心が積極的でないと完全には働かないんだよ。詰り心の態度が積極的ならば神経系統も積極的に成るが、心の態度が消極的ならば神経系統の生活機能も消極的に成っちゃう。非常に心が落ち着いて何の捉われも無い時には可成難しい事でも平気で遣っていけますよ。処が心に落ち着きがないと易しい事でも難しくなっちまうんだ。

*二三日 生命力の使用量

人々がその人生に活きる為に使っている力は実際の生命力の全体から言うと何%下に過ぎない。大抵の人は自分の生命の力の全部を使って活きているかの様に思っている。そして自分は是だけ努力しているのにも拘らず一向に好い運命も来ず健康も完全に成らない。健康や運命は人間の力では如何する事も出来ないものだと決めてしまい、人間の力を低く弱く評価することに為るのである。

*二九日 不要残留心

喩伽(ヨーガ)哲学の教義の中にも斯う云うのがある。人の心の中には檻の中に入れられた猛獣がいる。そしてその檻の手入れを怠ると屡その猛獣が檻を抜け出して来て心の花園を荒らし回ると。この言葉は要するに本能心意の中に人間を苦しめる様な然も断然人生に活きるのに必要としない心意が存在しているから、その真意の妄りさに発動せぬ様常に注意深くそれを自分から監督せざるべからずと云う事を戒めたものと云える。

*三十日 人生の根本理想の四条件

人生の根本理想は是を帰納的に言えば長さと強さと広さと深さ等四つの条件が現実に充たされている姿である。万一この四つの条件が一つでも欠けていたならば人生は凡そ無意義なものとなり追われる。

中村天風の言葉

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。     天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

七月の言葉

*三日 人生の不幸の原因

人生の不幸と云う様なものは他から降って湧いて来る様に自分の人生に飛び込んでくるもんじゃないんだ。何時もよく吟味してみると人生の不幸と云うものは、自分が知る知らざるを問わず自分自身が原因となっていると云う内的事情が発見されます。この内的事情を発見しないとその原因は他に在りと考えてしまい、その不幸に処する場合に自己の責任観念が無いから如何しても自分と云うものをその不幸の淵から救い上げる事が出来ないと云う酷い結果が来てしまう。

*五日 絶対的積極

心が其の対象也相手と云うモノに決して捉われない状態、此れが絶対的な気持ちと云うんだよ。何物にも捉われない心に雑念とか妄想とか或は感情的な色々の怖れとかそう言ったものが一切ない状態。決して張り合おうとか対抗しようとか打ち負かそうとか負けまいと云った様な、そういう気持ちでないもう一段高い処に在る気持ち境地此れが絶対的な積極何ですぜ。

*七日 意志力が弱る三つの原因

意志の力が弱まるには三つの大きな原因がある。第一に潜在意識の中に非常に消極的な観念要素が知らない間にうんと溜まっちゃう事。第二には平素の人生を生きる場合の精神生活態度が、是も気付かないとは言い乍ら何時も臆病で引っ込み思案的なものである事。第三番目は人間が生きていく刹那刹那に避けられない感情や感覚のショックや衝動が、神経系統の生活機能に手酷く悪い影響を与えていると云う事。

*八日 病は忘れる事で治る

肉体は活きる為の道具と考えてごらん。頭が痛かろうがケツが痛かろうが脈が速かろうが、其れは自分がそうなっているんじゃないと。自分の命を入れる入れ物に故障が出来ただけで、その故障は有難い哉自然に心が其れから離れさえすれば治る様に出来ているんだって事を有難く感謝しなきゃ駄目だぜ。消極的観念が無くなると肉体の持っている自然作用がその場所を基の健全な状態にする為に働く出す様に出来ているんだよ。病は忘れる事に拠って治る。

*十二日 真心の尊さ

ちょっと一杯の茶を出すのでも敗と返事をするような些細な行為でも、その時何の報償をも念頭に置かず即ちその人に気に入られ様とか或は好感を持たせ様とか云う様な気持ちでなく、其処に一点何の求むるもの無き純一無雑な心で其れが行われる時、その行為から形容できない温かいものを感じる。それは即ち真心と云うものの持つ尊さの感応である。

*十五日 因縁

この沢山の数多い人の中から知り合いになったと云う事は、到底人智では究明する事が出来ない因縁と云う不可思議な幽玄微妙な作用の致す処である。然るにこの因縁と云う不可思議な作用に因って結ばれて知り合う中となったものを、己の気に喰わぬとか或は心に合致しないとか彼には斯う云う欠点があるとか、又は組みし難き習癖があるとか等々の理由をつけて、批判排斥して折角結ばれた因縁を無にすると云うのは、天意を冒涜するものと云うべきである。

*十八日 悪習を断ち切る

凡そ不平不満を口にする程恥ずかしい事は無い。其れは自分の心を統御出来て居ない事を宣伝して要る様なものである。その実不平不満を口にするからこそ進歩向上があるのだと誤解している人がいるがこの様な人は人生の荒波に翻弄されている憐れな漂流者である。だから価値ある人生を送りたいと願うのなら、この悪い習慣を直様断ち切って荒波を乗り切る爲の積極心を作る努力を日々怠らない事である。

*二二日 不運はカルマの所為ならず

人間が時々病になったり不運命になるのを当然の事と思ったり、又は避ける事の出来ない止むを得ぬ業≪カルマ≫の様に考える考え方は断然訂正すべきである。特に健康難の如きは人間の寿命の絶える時以外は、そう滅多矢鱈と病に侵される筈がないのが絶対の真理である。

*二七日 心はパイプと同じだ

どんな事が在っても忘れてならないのは、心と云うものは万物を生み出す宇宙根元の有する無限の力を自分の中へ受け入れるパイプと同様であると云う事である。パイプに穴が開いていたら漏れてしまうだろ。だからソッポを向いていたら何にもならないよ。パイプで判らない人は光を通す窓だと思いなさい。或は電流を通ずるワイヤーだと思えばよい。

*三一日 宗教と天風哲学

多く云う迄も無く人生は何処まで行っても現実の世界なんだから其れを忘れちゃいけないんだよ。死んでから後が人生じゃないんだから。死んでから後の事迄考え様とするのは宗教なんだ。天風哲学は死んだ後の事なんか考えやしないもん。死んだ後と云うものは明日以後の事なんだもんね。現在只今生きているこの人生と云うもの考えていくと云う事が、私の主義であり主張で或るんだから。

中村天風の言葉

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 PHP研究所

今回から、 中村天風(1876年7月30日 – 1968年12月1日)の著「一日一話」 から毎月その月の言葉を幾つか選びご紹介いたします。

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。     天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

六月の言葉

*一日 自運勢を難しく考えない

人生を余り難しく考えない方が良い。難しく考えると分からなくなる。真理は足元にある。高遠な學理の中に在るのではない。基より軽率な考え方ではいけないが、なまじ学問をした人は真理は遠く大海の底、深山幽谷の奥山に在るような思い違いをすることが多い。人間それ自体の生命存在を思案の中心に於いて考えれば大きな的外れをしないで済む筈である。人間の心の在り方が結局人生を支配する法則の根本である。

*六日 心大らかに

「人各各運命に活きる人世なれば心大らかに過ごさんものを」          之を自分で歌に作っているだけに自分で是を実行している。是は本の瞬間の自分の心の持ち方だ。瞬間消極的な事は心の中に入れないことだ。然し入れない様に頑張ると心の中で戦争しなきゃならないからふっといなしてしまえばいいんだよ。

*八日 不運から心を離す

病也運命から心が離れた時は病が在っても其の人は病人じゃない。運命が悪くても其の人は運命の悪い人じゃない。ようく寝ている人間は何も知らない。何も知らない人間に病があるか。目が覚めて嗚呼病があると思うんじゃないか。運命が良くってもいいか運命が悪い時の事を考えてりゃその人は運命が悪いのと同じだ。その位の事あ羅貯めて私から聞かなくたってもう判ってる筈だ。

*十五日 原因結果の法則

凡そ人生には人生を厳格に支配している一つの法則がある。其れは原因結果の法則である。そして人生と云うものは其の人が自覚するしかないかを問わず、この法則を応用する度合いに比例する。即ち蒔いた種の通り花が咲くと云う法則である。俗に言う善因善果悪因悪果の法則である。人間の運命の中に地獄を作り又極楽を創るのもこの法則があるからである。

*十八日 不幸は幸福を招く原動力

不幸に直面したら先ずその不幸に際しても尚且つ生命を失わずに現実に活きていられる事を感謝する事に心を振り向けるべきである。するとそうした心掛け其れ自体が幸福を招いてくる原動力となるのである。

*二二日 心身統一の効果

あらゆる力と云うものは気と云うモノから生まれる。人間が人間の生命の有りの儘の姿である心身一女如を現実にする爲、心身を統一した活き方を行えば当然生命存在の根源を為す処の気と云うモノの収受量が増大する。そして命の力の内容量も亦当然豊富となりそれが精神方面に表現すれば心の力となり、肉体方面に表現すれば体の力となる。人生建設の根源要素となる体力胆力判断力断行力精力能力の六つの力も之に応じて優秀化してくるのである。

二四日 先ず気分から若返る

年寄染みた物の言い様や動作を出来るだけしないように注意する事である。ものを言う時も溌溂とした気分で丹田の力で出来るだけ勢いのある音声を発する様にし、立ち居振舞いも活発にする事である。所謂若返り法や健康法の効果を挙げる事の根本には此れが必要である。要するに第一に必要な事は先ず気分から若返る事である。即ち精神を青年にする事である。此れが命の源泉である。

*二七日 見えなくてもある

科学的教育を受けた者は、感じないもの見えないものは無いものだと思っている。直に証拠はと聞きます。第一我々の生きている現在の大気の中には、酸素窒素その他の我々の生命性活動を力づけるに必要な要素が存在している、と云う事は誰にも見えやしない。其れでも見えなくたって在ると信じますよ。証拠はとは云いませんよ。人間の住む地球上には電波が縦横無尽に交錯していると云う事は形が見えなくても疑わないでしょう。

*三十日 人間の能力

人間の本来の面目は創造的なものである。それ故に人間が万物の霊長として一切の生物を遼河して優秀なる能力を生れ乍らに賦与されているのは是が在る爲である。しかも特に疎かに出来ない事は、其の賦与量は些かも差別の無い公平なものである。この一言を考慮されても自己の現在使用している能力に対する反省が厳格に行われて、その是正が確実に施されるなら一切の総ては悉く可能に転換され収握される事も亦必然自明の事と感得される。

一日一話 松下幸之助

四月の言葉

高砂の尾上の桜咲きにけり
外山のかすみ立たずもあらなむ         権中納言匡房

二日 人間はダイヤモンドの原石

私はお互い人間はダイヤモンドの原石の如きものだと考えている。ダイヤモンドの原石は磨くことに拠って光を放つ。しかも其れは磨き方如何カットの仕方如何で、様々に異なる燦然とした輝きを放つのである。同様に人間は誰もが夫々に光る様々な素晴らしい素質を持っている。だか       ら人を育て活かすに中っても先ずそういう人間の本質と云うものを能く認識し其々の人が持っている優れた素質が活きる様な配慮をしていく。それが矢張り基本ではないか。もしそういう認   識が無ければ幾ら良き人材があってもその人を活かすことは難しいと思う。

  • 今日は週刊誌の日
  • memo-素質の発見

*八日 魂を入れた教育(事業は人なりと云われるように人材の育成という事は非常に大切だと思います。最近ではどこの会社でも商店でも従業員教育の制度や組織を設けたりして教育に力を入れているようですが、やはり何よりも大切なのはその教育に云わば魂を入れることだと思うのです。つまり経営者也店主の人格の反映と云うものが其処になくてはならないと云うことです其れは言い換えれば経営者なり店主が働きに於いて模範的であること熱心であるという事です。経営者店主にそうしたものがあれば自然に従業員にも反映して、従業員の模範的な働きが生まれ人が育ってくると思うのです。

  • 今日は花祭りの日(釈迦誕生)
  •  Memo-模範・率先垂範の心

*九日 国民の良識を高める

民主主義の国家として一番大事なものは矢張りその民主主義を支えてゆくに相応しい良識が国民に養われているという事でしょう。さもなければその社会は所謂勝手主義に陥って収拾のつかない混乱も起こりかねないと思います。ですから国民お互いが夫々に社会の在り方人間の在り方について高度な良識を養っていかなければなりません。国民の良識の高まりと云う裏付けがあって初めて民主主義は花を咲かせるのです。民主主義の国にもし良識と云う水をやらなかったならば立派な花は咲かず却って変な花醜い姿のものになってしまうでしょう。

  • 今日は大仏の日 
  • Memoー政治家の責任

*十四日 知識は道具知恵は人

知識と知恵如何にも同じもののように考えられる可もしれない。けれどもよく考えてみるとこの二つは別物ではないかと云う気がする。つまり知識というのはある物事について知っているという事であるが、知恵と云うのは何が正しいかを知ると云うか所謂是非を判断するものではないかと思う。言い換えれば仮に知識を道具に譬えるならば知恵は其れを使う人そのものだと云えよう。お互い知識を高めると同時に其れを活用する知恵をより一層磨き高めてゆきたい。そうして始めて真に快適な共同生活を営む道も開けてくるのではないかと思うのである。

  • 1912年タイタニック事故(14日氷山激突・15日沈没) 
  • 2016年(H28)熊本大地震
  • 今日はオレンジデー
  • Memo―般若波羅蜜多

*十七日 人を惹きつける魅力を持つ

指導者にとって極めて望ましい事は人を惹きつける魅力を持つという事だと思う。指導者にこの人の爲なら・・と感じさせるような魅力があれば期せずして人が集まりまたその下で懸命に働くという事にもなろう。もっともそうは云ってもそうした魅力的な人柄と云うものはある程度先天的な面もあって、誰もが身につける事は難しいかも知れない。併し人情の機微に通じるとか人を大事にするとか云ったことも努力次第で一つの魅力ともなろう。何れにしても指導者は惹きつける魅力の大切さを知りそう云うものを養い高めていくことが望ましいと思う。

  • 2016年(H28)熊本地震発生M7.3被害甚大
  • 今日は恐竜の日
  • Memo-人情に通じる

*二十日 信頼すれば・・・

人を使うコツは色々あるだろうが先ず大事な事は人を信頼し思い切って仕事を任せる事である。信頼され任されればん瓶嚴は嬉しいしそれだけ責任も感じる。だから自分なりに色々工夫もし努力もしてその責任を全うしていこうとする。言ってみれば信頼されることによってその人の力がフルに発揮されてくる譯である。実際には100%人を信頼してする事は難しいもので其処に任せて果たして大丈夫かと云う不安も起こってこよう。併し例えその信頼を裏切られても本望だと云うぐらいの気持ちがあれば案外に人は信頼に背かないものである。

  • 2017年(H29)福岡駅前白昼強盗3億8千万強奪事件  
  • 今日は郵政記念日
  • memo-信頼力

*二一日 しつける

日本人は頭もよく素質も決して劣っていない。だから何がいいか悪いかぐらいは百も承知して要る筈であるが、さてそれが行動になって表れたりすると忽ち電車に乗るのに列を乱したり公園や名所旧跡を汚したりしてしまう。やはりこれはお互いに躾が足りないからではないかと思う。幾ら頭で知っていてもそれが子供の時から躾られていないと何時まで経っても人間らしい振舞が自然に出てこない。つまり折角の知識も躾に拠って身に着いていないとその人の身だしなみも好くならず結局社会人として共に暮らす事が出来なくなってくるのである。

  • 1975年(S50)大分地震M6.4
  • 今日は民放の日 
  • Memo-徳育の重要性を認識する

*二三日 目標を与える

指導者にとって必要なことは目標を与える事である。指導者自身は特別な知識とか技能は持っていなくてもよい。其れは専門家を使えばいいのである。併し目標を与えるのは指導者の仕事である。其れは他の誰がやってくれるものでもない。勿論その目標自体適切なものでなければならないのは当然である。だからその爲には指導者はそう言う目標を生むような哲学見識と云うものを日頃から養わなくてはならない。自分の哲学なり体験に基づいてその時々に応じた適切な目標を次々と与える。指導者はそのことを的確にやれば後は寝ていてもいい程である。

  • 今日は著作権デー
  • Memo-2010年3/12NHKラジオ監督の仕事➡
  • (日本女子バレーチーム)目標設定・キャスティング・リズム・タイミング

*二六日 知識を活用する訓練

松下政経塾には優秀な先生方の講師として来て貰う訳ですが普通の学校の様な授業はやらない。先ず学生が質問をして其れを先生に答えて貰う形式をとる。質問するものがなかったなら先生は何も言ってくれないと云うようにしたいんです。質問をする為には疑問を持たなければならない。疑問を持つに至る迄の勉強は自分で遣らなければ為らないと云う訳です。つまり知識を与えるのではなく持っている知識を活用する能力を育てていく訓練を重ねて自分の考えを堂々と主張できるような人間になってもらいたいという願いを持っているのです。

  • 1896年(S61)ロシアチェルノブイリ原発事故
  • 今日は世界知的所有権の日
  • memo―質問力=理解力

*二七日 賢人ばかりでは

世の中は賢人が揃っておれば万事上手くいくと云うものでは決してありません。賢人は一人いればそれで十分なんです。更に準賢人が三人準準賢人が四人くらい。そんな具合に人が集まれば上々でしょう。賢人ばかりですと議論倒れで一向に仕事が捗らないと云ったようなことに為りがちです。一つの実例を挙げればある会社で三人の立派な人物がお互いに協力し合って居た筈なのにどうも上手くいかない。そこで一人を抜いてみた。すると残る二人の仲がピタッとあって非常に上手く行きぬかれた人物も他の分野で成功した。そこなことがよくあるものなのです。

  • 今日は哲学の日
  • 2010年(H22)凶悪犯罪の時効撤廃

*三一日 道は無限にある

お互い人間と云うものは常に自ら新しいものを呼び起こしつつ為すべきことを成していくと云う態度を忘れてはならないと思います。

お互いが日々の生活、仕事の上に於いてそういう心構えを持ち続ける限り、一年前と今日の姿には自ずと其処に変化が生まれてくるでしょうし、又一年先五年先には更に新たな姿、仕事の進め方が生まれ個人にしろ事業にしろ其処に大きな進歩向上が見られるでしょう。大切なことはそう言うことを強く感じて熱意を持って事に当ると云う姿勢だと思います。そうすれば当に道は無限にあると云う感じがします。

  • 今日はオーケストラの日
  • Memo‐姿勢の在り方 融通無碍

*三十日 困難から力が生まれる

人間と云うものは恵まれた順境が続けばどうしても知らず識らずの裡に其れに馴れて安易に成り易い。昔から治にいて乱を忘れずという事が言われ其れを究めて大切な心構えであるけれどもそういう事が本当に100%出来る人は恐らくいない。やはりどんな立派なな人でも無事泰平な状態が続けば遂安易になる。安心感が生じ進歩が止まってしまう。それが困難に出会い逆境に陥ると其処で目覚める。気持ちを引き締めて事に当たる。其処から順調な時に出なかった様な知恵が湧き考えつかなかった事を考え着く。画期的な進歩革新も初めて生まれてくる。

  • 今日は図書館記念日 
  • 2019年(H31)平成天皇退位
  • 百朝集39真の幸不幸➡逆境の捉え方

今月で丁度、[一日一話」は丸一年を経過致しました。引き続き松下幸之助翁のことばを、著書の中から選んでアップしてい行く予定にしています。

一日一話 松下幸之助

二月の言葉

石走る垂水の上の早蕨の 
萌え出づる春になりにけるかも  志貴皇子


*一日 天は一物を与える(イ)

この世に百パーセントの不幸と云うものはない。五十パーセントの不幸はあるけれども半面其処に五十パーセントの幸せがある訳だ。人間は其れに気付かなければいけない。兎角人間の感情というものは上手くいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。是は人間の一つの弱い面だが其れをなるべく少なくして、いつの場合でも淡々とやる。信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。天は二物を与えずと云うが、逆になるほど天は二物は与えないがしかし一物は与えてくれるということが言えると思う。其の与えられた一つのものを大事にして育て上げることである。

  • 1268年(文永5-旧1/17)モンゴル帝国の使者来朝元寇のきっかけ
  • 1954年(S29)マリリンモンロー来日
  • 2003(H15)米スペースシャトルコロンビア号テキサス上空で空中分解 今日はTV放送記念日 Memo参-百朝集(安岡正篤著)六然

*六日 正しい国家意識(ラ)

昨今の国際情勢は一方で世界は一つと云いつつも、その一方で各国が過度の国家意識に立ち自国の利害を優先して仕舞う為、対立や紛争が一向に絶えない。それでは日本はどうかと云うと、反対に国家意識が極めて薄い為却って問題が起こっている様である。個人でも正しい自己認識、人生観を生み出し自主性を持って生きていってこそそこに初めて他の人々に対しても奢らず、諂わず仲良く付き合っていける譯である。国でも同じことである。国民が正しい国家意識を持ち、他の国々と交流していくことが大切であろう。過ぎたるもいけないが及ばざるもいけない。

  • 今日は海苔の日
  • 関連項目1/11・2/11memo‐正しい自己認識

*九日 一歩一歩の尊さ(タ)

仕事はいくらでもある。あれも作りたい是も拵えたい、こんなものがあれば便利だ、あんなものも出来るだろうと次から次へと考える。その爲には人が欲しい資金が欲しいと願うことには際限がないが、一歩一歩進むより他に到達する道があろうか。それは絶対にない。やはり一歩一歩の繋がり以外に道はない。坦々たる大道を一歩一歩歩んでゆけばそれでよい。策略も政略もいらない。一を二とし、二を三として一歩一歩進んでゆけば遂には彼岸に達するだろう。欲しいと願う人も一人増えまた一人増えて遂には万と数えられよう。一歩一歩の尊さをしみじみと味わわねばならぬ。

  • 今日は河豚(フク)の日
  • memo-大道を行く亀の如
  • 2009/2/9 MLMのFLJ経済相より行政処分(19日)

*十一日 国を愛する(ナ)

我が国は戦後相当立派な成長を遂げてきましたが、不思議に愛国心と云う言葉がお互いの口から出ません。時たま出てもあまり歓迎されない状態です。愛国心と云うものは国を愛する餘に他の国と戦いをすることに為ると云う人もあります。併し決してそうではないと思います。国を愛すれば愛する程、隣人と仲良くしていこう友好を結んでゆこうという事になるだろうと思うのです。お互いが自分を愛するように国を愛し、隣人を愛す。そうする事によって其処に自分の幸せも築かれていくと思うのです。疎の様な姿をお互いに盛り上げていくことが国民としての大きな使命ではないでしょうか。

  • 2020年(R2)野球人野村克也逝84歳
  • 今日は建国記念日 
  • Memo―愛国心 使命感

*十三日 一人の力が伸びずして(ヌ)

自分は一年にどれだけ伸びているか、技術の上に或は社会に対する物の考え方の上に、どれだけの成長があったか、その成長の度合いを測る機械があれば是は簡単に判ります。併し一人一人の活動能力と云うか知恵才覚と云うか、そういう総合の力が伸びているかどうかを図る機械はありません。けれども私は5%なり10%或は15%伸びたと自分で云えるようでないといけないと思います。やはり一人一人が自分の力でどれだけの事をしているかという事を反省してみることが大切です。一人一人の力が伸びずに社会全体の力が伸びると云う事はないと思うのです。

  • 1219年(健保7旧1/27)源実朝公暁に斬殺さる 
  • 2017年(H29)マレーシアクアラルンプール空港にて北朝鮮の第2代最高指導者金正日の長男金正男が、顔面に神経剤VX」を塗られ毒殺
  • 今日は銀行強盗の日
  • Memoー向上心➡個人の能力アップ

*十八日 日本式民主主義を(ラ)

民主主義の基本理念というものは真に好ましいものであり、これを取り入れ国家国民の調和ある発展繁栄を計っていくことは極めて重要なことだと云えます。けれどもそれは日本の伝統国民性と云うものに立って行わなくてはなりません。基本の理念は同じでも具体的な形態は其々の国民性に従って様々でなくてはなら・ない。謂わばアメリカにはアメリカ式民主主義フランスにはフランス式民主主義、日本には日本式民主主義がなくてはならないと思うのです。それを日本自らの伝統を忘れて、アメリカやフランスのようにやろうとしても、根無し草の民主主義に終わってしまうでしょう。

  • 今日は嫌煙運動の日
  • 基本・特異性・国民性➡パーソナリティ

  • *十八日 日本式民主主義を

民主主義の基本理念というものは真に好ましいものであり、これを取り入れ国家国民の調和ある発展繁栄を計っていくことは極めて重要なことだと云えます。けれどもそれは日本の伝統国民性と云うものに立って行わなくてはなりません。基本の理念は同じでも具体的な形態は其々の国民性に従って様々でなくてはなら・ない。謂わばアメリカにはアメリカ式民主主義フランスにはフランス式民主主義、日本には日本式民主主義がなくてはならないと思うのです。それを日本自らの伝統を忘れて、アメリカやフランスのようにやろうとしても、根無し草の民主主義に終わってしまうでしょう。

  • 今日は嫌煙運動の日
  • 基本・特異性・国民性➡パーソナリティ

*二三日 道徳は水と同じ

戦後の我が国では道徳教育というと何か偏った風に思われることが多いが、私は道徳教育はいわば水と同じではないかと思う。人間は活きる為にどうしても水が必要である。処がこの水に何か不純物が混じっていてそれを飲んだ人が病気になった。だからと云って水を飲むことを一切否定してしまったらどうなるか。大切なことは水そのものの価値効用を否定してしまうことではない。水の中の不純物を取り除くことである。嘗て道徳教育の中に誤った処があったからといって道徳教育そのものを否定してしまう事は其れこそ真実を知らぬことではないか。

  • 1960年(S35)近上天皇(令和)誕生日
  • 今日は五大力尊仁王会(醍醐寺)
  • 富士山の日

*二八日 感謝の心は幸福の安全弁

感謝の念という事は是は人間にとって非常に大切なものです。見方によれば総ての人間の幸福なり喜びの根源とも云えるでしょう。従って感謝の心の無い処からは決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は人間不幸になると思います。感謝の心が高まれば高まる程それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり幸福の安全弁とも言えるものが感謝の心とも言える訳です。疎の安全弁を失ってしまったら幸福の姿は瞬時のうちに壊れ去ってしまうと云ってもいいほど人間にとって歡ッ社の心は大切なものだと思うのです。

  • 今日はエッセイの日
  • Memo‐幸福の根源は感謝の心➡本質

*二九日 健康管理も仕事の内

会社生活をしていく上で何といっても大切なのは健康それも心身共の健康です。いかに優れた才能が有っても健康を損ねてしまっては充分な仕事も出来ず、その才能も生かされないまま終わってしまいます。出羽建工の為に必要なことは何かと云うと栄養であるとか、休養とか色々あるでしょう。しかし特に大切なのは心の持ち方です。命を懸けると云う程の熱意を以て仕事に打ち込んでいる人は少々忙しくてもそう疲れもせず病気もしない、ものです。お互い自分の健康管理も仕事の内という事を考え人夫々のやり方で心身ともの健康を大切にしたいものです。

  • 2012年(H24)東京スカイツリー完成
  • 今日はニンニクの日
  • Memo‐心の在り方・懸命ということ

感謝の心と素直な心は人間が幸福に生きていくうえで一番忘れてはならないことようですね                                     「幸せだから笑うのではない笑うから幸せなのだ Alain」

一日一話 松下幸之助

十二月の言葉

山里は冬ぞ寂しさまさりける                        人目も草もかれぬと思へば    源宗宇朝臣

二日 忍ぶべきを忍ぶ

誠心誠意良いものを進めたけれども用いてくれないと云うので憤慨し、是は相手が暗愚だから仕様が無いと自棄になって結局打ち壊しになってしまうと云う事が儘有る様です。併しそう云う事では私は大した事は出来ないだろうと思います。用いてくれなければ時を待とう。是だけ説明して駄目だと云うのは是は時節が来ていないのだ―そう考えてじっと忍耐していく処から無言の裡に知らしめると云う様な強い大きな誠意が生まれてきます。そして其の内に相手が自ら悟る事にもなって其れが非常な成功に結び付く事にも成りましょう。

  • 今日は原子炉の日 
  • Memo-終戦詔書➡義を貫く至誠・安岡正篤

五日 恩を知る

恩を知ると云う事は人の心を豊かにする無形の富だと思います。猫に小判と云う事が有りますが折角の小判も猫にとっては全く価値の無いものに過ぎません。恩を知る事は謂わばその逆で鉄を貰って其れを金程に感じる。詰り鉄を金に換える程のものだと思うのです。ですから今度は金に相応しいものを返そうと考える。皆がそう考えれば世の中は物心共に非常に豊かなものに成っていくでしょう。最もこの恩とか恩返しと云う事は決して要求されたり強制されるものでなく、自由な姿でお互いの間に理解され浸透する事が望ましいと思います。

  • 今日はバーミューダートライアングルの日 

九日 世界に誇れる国民性

同じ日本人でも細かく見れば考え方や性格など実に色々な人がいる訳ですが、然し復一面には日本人には日本人としての共通の特性と云うか日本人の民族性国民性と云うものが矢張り有る様に思います。日本独特の気候や風土の中で長い間過ごしている内に、例えば日本人特有の繊細な情感と云うものが次第に養われてきたと云えるでしょう。日本人の国民性の中にも反省すべき点は少なくありませんが、特に勤勉さとか器用さとか恵まれた気候風土と長い歴史伝統によって養われてきた斯う云う特性には、世界にも大いに誇り得るものが有る様に思うのです。

  • 今日は障碍者の日
  • Memo―折角の日本人の特性も近年気候風土の変化と相俟って悪い方向へ流れている様➡トインビー歴史の研究「三代で感性は変化する」

十三日 命を懸ける

人多くして人無しと云う言葉を昔ある先輩から聞いたことがある。考えてみると会社経営に於いても普通の状態では間に合う人は大勢いる。処がさて大事に臨んで間に合う人はと云うと極めて少ないものである。では如何云う人が大事の時に役に立つのか。その道の知識とか経験が大きな比重を持つ事は当然だが只其れだけでは駄目の様に思う。その上に何が必要かと云うと生命を賭す気構えである。と云っても今日では本当に命を捨てると云う事は極めて少ないが、いざと云う時には命を懸けてという気構えを何時の場合でも持っている人が本当に大事に役立つ人だと思うのである。

  • 今日は双子の日 
  • Memo-安岡正篤「百朝集」➡六然の教え

十七日 昭和維新の志士として

今から百年程前に明治維新と云うものが在りそしてその後日本の姿が世界各国から認識され評価される様に迄なりました。然し今日に至って日本は復大きな転換期を迎えていると思います。亦日本ばかりでなく目を転じて世界を見てみると世界の情勢も必ずしも安定しているとは言えません。そう云う情勢を考える時、私は今は昭和維新の時であると考えねばならないのではないかと思います。明治維新は日本の開化であった昭和維新は世界の開化に努力する時期であると思うのです。そして我々日本人が昭和維新の志士を買って出なくてはならないのではないかと思うのです。

  • 今日は飛行機の日
  • Memo-平成維新の志士は如何に?

二一日 信用は得難く失い易い

我々が何か事を成してい場合信用と云うものは極めて大事である。謂わば無形の力無形の富と云う事が出来よう。けれども其れは一朝一夕で得られるものでは無い。長年に渡る誤りのない誠実な行いの積み重ねがあって初めて次第次第に養われていくものであろう。併しそうして得られた信用も失う時は早いものである。昔であれば少々の過ちが在っても過去に培われた信用に拠って直ちに信用の失墜とはならなかったかも知れない。然し一寸した失敗でも致命的に成りかねないのが、情報が一瞬にして世界の隅々まで届く今日と云う時代であ1/30る。

・ Memo―積善陰徳・過剰反応

*二二日 小事を大切に

普通大きな失敗は厳しく𠮟り小さな失敗は軽く注意する。併し考えてみると大きな失敗と云うものは対外本人も十分考え一生懸命やった上でするものである。だからそう言う場合には寧ろ君そんな事で心配したらあかんと一面励ましつつ、失敗の原因を共々研究し今後に活かして行く事が大事ではないかと思う。一方小さな失敗や過ちは概ね本人の不注意や気の緩みから起こり、本人も其れに気が付かない場合が多い。小事に捉われる餘大二を忘れてはならないが小事を大切にし小さな失敗に対して厳しく𠮟ると云う事も一面必要ではないか。

  • 今日は労働組合法制定記念日
  • Memo-𠮟り方のポイント

二六日 旨くて早くて親切

私が丁稚奉公をしていた頃楽しみの一つはうどんを食べる事だった。その当時は子供心にもあのお店のうどんは美味しいし素うどん一杯のお客でも大切にしてくれると感じある一軒の店ばかりに通ったものである。其のうどん屋は旨くて親切でそして早く作ってくれた。現代に於ける商売企業のコツも此のうどん屋さんのやっていたことと何一つ変わらない。立派な商品を早くお届けし親切丁寧に使用法を説明する―斯うした心掛けで商売をするならば私は必ずそのお店は成功すると思う。又そういうお店が成功しなかったら不思議である。

  • 今日はプロ野球誕生の日
  • Memo-サービスの本質

二九日 理想ある政治を

政治には理想が大事です。日本をこうするんだと云う一本筋が十たものが無ければいけない。そう云うものが今は見られません。その場を適当に納めてやっているそういう状態です。未だ日本が世界で二・三十番目と云う事であるなら追いつけ追い越せと云う事でも目標も出来てきますが、すでに世界一・二位を争う様になっている以上其処により高い目標理想を打ち出す必要があると思います。例え世界で一番と云う事になったとしても日本にはもっと大きな役割があるんだからと云う事で、より高い理想を持ち力強い政治を行って行く事が必要だと思うのです。

  • 今日は仕事納め
  • Memo―現代日本の政治安倍政権は如何

山本七平人望の研究―近思録➡天下の事を公にすと雖も若し私意を用いてこれを為さば便ちこれ私なり」

*三一日 総決算

十二月は総決算の月。この時に当り一年の歩みを振り返りお互いの心のけじめをつけたいものです。此の一年良かったことは善かった悪かったことは悪かったと、素直に自分で採点しなければなりません。そしてこの一年は決して自分一人の力で歩んだものではありません。自分で気付かない処で人々の協力を得又思わぬ処で迷惑を懸けている事もあると思うのです。そんな周囲の人々の協力に対しては有難く感謝し迷惑を懸けたことに対しては謙虚に謝罪したいと思います。そうした素直な自己反省こそ次の新しい年の時分の成長にプラスする何かを必ず与えてくれると思うのです。

  • 2017年(H29)北九州テーマパークスペースワーヅド閉館 
  • 今日は大みそか 年惜しむ
  • 高浜虚子➡去年今年貫く棒の如きもの

29日項目のMemoに山本七平の著作から文言を引用して安倍政権の事に触れているがこのメモは安倍政権下に書かれたものと云うことになる。これを投稿したときは岸田政権の時で、既にご存じのように安部元首相は選挙応援演説中に奈良で兇弾に斃れた後である。犯人の言によれば政治信条等に反対しての凶行ではなくいわば、私怨によるものということらしい。政治家は一点の曇りのなきよう、念には念を入れて身の潔癖を図るべき存在でなければならないのではと考えさせられた次第。

一日一話 松下幸之助

十一月の言葉

東の野に炎の立つみえて                            かへり見すれば月傾きぬ        柿本人麻呂

三日 日本人としての自覚と誇り

国破れて山河在りと云う言葉が有ります。例え国が滅んでも自然の山河は変わらないと云う意味ですが、山河は亦我々の心の故郷と共言えましょう。歴史に幾変転はあっても人の故郷を想う心には変わりはありません。此の国の祖先が培ってきた伝統の精神、国民精神も又変わることなくお互い人間の基本的な心構えであると思います。我々は日本と云う尊い故郷を持っています。此れを自覚し誇りとして活動する其処にはじめてお互いに納得の行く動きが起こるのではないでしょうか。日本人としての自覚や誇りの無い処には日本の政治も経済もないと思うのです。

  • 文化の日 
  • Memo―恒常性・遵守事項

五日 大器晩成と云う事

能く世間ではあの人は大器晩成型だ等と云いますが、その場合どちらかと云えばあまり褒めた様には使わない事が多いようです。詰り今はまあまあだけれどもその内に何とか一人前になるだろうと云った調子です。併し私は此の大器晩成と云うのはもっと大事な意味を持っているのではないかと思うのです。真の大器晩成と云うものは人生は終生勉強であると云う考えを持って、菟と亀の昔話の様に一歩一歩急がず慌てず日々精進し進歩向上して行く姿ではないかと思います。其う云う姿を目指す事がお互いに大切だと思うのです。

  • 2011年(H23)津波防災の日制定
  • Memo-生涯学習百朝集三学

*八日 振子の如く

時計の振子は右に振れ左に振れる。そして休みなく時間が刻まれる。其れが原則であり時計が生きている証拠であると云って好い。世の中も亦人生も斯くの如し。右に揺れ左に揺れる。揺れてこそ世の中は生きているのである。然し此処で大事な事は右に揺れ左に揺れると云っても、その揺れ方が中庸を得なければならぬと云う事である。右に揺れ左に揺れるその振幅が適切適正であってこそ其処から繁栄が生み出されてくる。小さく振れてもいけないし大きく振れてもいけない。中庸を得た適切な触れ方揺れ方が大事なのである。

  • 今日はレントゲンの日 
  • Memo―中庸とは

十五日 自分の働きの価値は

皆さんは自分の働きの価値と云うものをどのように考えているでしょうか。仮に月給十万円の人であれば十万円の仕事をしたのでは、会社には何も残らない事に為ります。私は自分が十万円貰っていれば少なくとも三十万円、出来れば百万円位の仕事をしなくてはいけないと考えます。そうすれば会社に金が残ります。その金は会社だけでなく社会へ還元される訳です。会社から十万円貰って八万円の仕事をしていたら会社は二万円損ですから、そういう人ばかりだとその会社は潰れてしまいます。会社に働く者としてはそう云う事を絶えず頭に置いておく必要があると思います。

  • 1836年(天保6)坂本龍馬生 1867年(慶応5)坂本龍馬没 
  • 今日は七五三の日
  • Memo-社会還元意識

十六日 成功するまで続ける

何事に拠らず志を建て始めたら少々上手くいかないとか失敗したと云う様な事で、簡単に諦めてしまってはいけないと思う。一度や二度の失敗で挫けたり諦める様な心弱い事では本当に物事を為し遂げて往く事は出来ない。世の中は常に変化し流動しているものである。一度は失敗し志を得なくても其れにめげず辛抱強く地道な努力を重ねて行く内に周囲の情勢が有利に転換して新たな道が開けてくると云う事もあろう。世に云う失敗の多くは成功する迄に諦めてしまう処に原因が有る様に思われる。竿後の最後迄諦めてはいけないのである。

  • 今日は幼稚園記念日 
  • Memo-初志貫徹精神

*二十日 寛容の心で包含

世の中には好い人ばかりではない。相当良い人もいるが相当悪い人もいる訳です。ですからきれいな人、心の清らかな人そう言う人ばかりを世の中に望んでも実際には中々その通りにはなりません。十人居たら其の中に必ず尾ならざる者正ならざる者も入ってくる。そういう状態で活動を進めているのがこの広い世の中の姿ではないでしょうか。其処に寛容と云う事が必要になってきます。力弱き者力強き者があるならば両者が互いに包含し合って其処に総合した共同の力が生み出されてゆく。そう云う処に我々人間の生き方があるのではないかと私は思うのです。

  • 今日は毛皮の日 
  • memo―洞察力の必要

二二日 弁解より反省

仕事でも何でも物事が上手くいかない場合必ず其処に原因がある筈である。だから上手くいかなかった時にその原因を考える事は同じ失敗を重ねない為にも極めて大切である。そのことは誰もが承知しているのであるが、人間と云うものは往々にして上手くいかない原因を究明し反省するよりも、斯う云う状況だから上手くいかなかったのだ。あんな思いがけない事が起こって其れで失敗したのだと云う様に弁解し自分を納得させてしまう。原因は自分が招いた事であると云う思いに徹してこそ、失敗も経験も生かされてくるのではないだろうか。

  • 今日はいい夫婦の日
  • Memo-自己責任のとり方・原因究明の仕方

*二七日 人間としての成功

人には各各皆異なった天分特質と云うものが与えられています。言い換えれば万人万様皆異なった生き方をし、皆異なった仕事をする様に運命づけられているとも考えられると思うのです。私は成功と云うのは此の自分に与えられた天分を其の儘完全に生かし切る事ではないかと思います。それが人間として正しい生き方であり自分も満足すると同時に、働きの成果も高まって周囲の人々をも喜ばすことに為るのではないでしょうか。そういう意味からすればこれこそ人間としての成功と呼ぶべきではないかと考えるのです。

  • 2016年(H28)キューバ革命の指導者カストロ没90歳
  • 今日はノーベル制定記念日
  • Memo―宿命運命立命➡安岡正篤百朝集

三十日 精神大国を目指して

今日我が国は経済大国と云われる迄に成りましたが、人々の心の面精神面を高めると云う事に就いては、兎角等閑にされ勝ちだった様に思います。此れからは経済面の充実と合わせてお互い国民の道義道徳心良識を高め、明るく生き生きと日々の仕事に励みつつ自他共に活かし合う共同生活を造り上げていく。合わせて日本だけでなく海外の人々牽いては人類相互の為の、奉仕貢献が出来る豊かな精神に根差した国家国民の姿を築き上げていく。その様な精神大国道徳大国とでも呼べる方向を目指して進む事が、今日国内的にも海外的にも極めて寛容ではないかと思うのです。

  • 今日は鏡の日 
  • Memo-超法治国家

昭和の時代は先人の努力により経済大国と言われるまでに発展した日本ですが、どうやらその頃に、さだまさしさんの「風に立つライオン」では有りませんが方向をまちがえたようで、松下幸之助翁が云うように、精神面は等閑され、ますます令和の現在はその傾向が強くなっているように感じます。今、国家を上げて大きく舵を切り直さないと大きな奈落が待っているかもしれませんね。

論語・老子・禅 Ⅲ

安岡正篤著

「儒と禅」より

現代文明の危機は自己の喪失にあり

・・それでは一体何故こう言うことを夏の暑い最中のやるのか、やって何の意義があるのかと言う事になりますが、兎に角志相通ずる人々が相集まって今日の世の中に忘れられ、等閑にされておる最も大切なもの、其れを回復しようという事で、其れは何かと云えば結局眞實の自己であります。言うまでも無く現代はあらゆる方面から見て、実に雑駁・混乱を極めております。この混乱・雑駁の中に居る我々はどうしても自分自身を失い勝ちである。人間は、真実の自己というものを以て初めて一切が存在するので、これを失っては其れこそ一切が無義二なってしまう。人類の意義ある歴史とか文化というものは、全て真実の自己の開発から出来上がったものでありますが、その大事な自己を、現代文明・現代生活は段々閑却喪失してしまっておるのでありまます。是は大きな悲劇的脅威であって、結局此の混乱・頽廃を極める今日の時代・人類を救う究極の問題は、無視され、喪失されつつあるとこの真実の自己を云うものを、今一度把握し、これを磨きだすこと由り外には何もないのであって、これは、今日世界のアラユル思想家・学者の一致した意見となっているのであります。

古来宗教・道徳・学問は何のために存在してきたか、養われて来たか。皆是真実の自己を撤見しこれを陶冶する為に他ならないので、今後の文明が若し救われる運命に有りとすれば、我々人類が若しその破滅を免れる運命に恵まれておるとすれば、此の偏し過ぎた歌学・技術の文明に、精神的・道徳的文明を相応させることである。という事は之は疑いのないところであります。

新に硎より発す

そこで少なくともそういうことを弁えて居る我々の同人は、出来るだけ機会を作って、許される限り世間の束縛や雑務を離れて、先ず静かな時を得て、そうして本当の自分を、回光遍照とでも申しましょうか、本当に自分というものを撤見するという事が大切なのであります。云々・・

我々はこのあまりにも枝葉末節に派生し過ぎてきておる近代文明・近代生活から脱却して、本当の意味に於いて自然というものを把握しようと思ったら、出来るだけ複雑なものを簡略化し、雑多なものを圧縮して表現することを学ばなければならない。又人間が出来てくれば自ずから雑駁でなくなって、純一になってくるものであります。言葉遣いでも、簡に子て要を得るようになってくる。尤も簡略し過ぎると、詩や偈にならなくなって来るけれども、兎に角普段忘れて居ったり、気付かなかったりしたものを発見したり、思い出したりして真実なものを回復してゆく。そうすると丁度旱魃の為に枯れて居った泉なり井戸なりに、其れこそ水が再び湧いてくる。所謂活きた水、活水であります。そうしてその活水の源泉に到達する。有源を発見することが出来る。そこにこの研修会の意義があるわけです。云々・・

我々はこの雑駁混乱を極めた日々に煩わされて、自分自身を喪失しているばかりではなく、我々自身も亦、更にその厄介なものの中に、自己を、真我を埋没させておるのであります。それは何かといえば雑学であります。雑学ばかりではない。もっと悪い曲學というものがある。俗學というものがある。現代は知識階級程斯う言う雑学・曲學・俗學に覆われている。                真実の自己というものは、斯う言うものを払い落としてしまって初めて発見することが出来るのであります。今日は全く自己というものが何処にあるか、分からなくなってしまっておるのであります。

百朝集―大自在―安岡正篤解

浅薄なしたがって深い人格の自主性自由力を持たない人間は、少しうまくいくと好い気になって直に行詰る。少し苦しくなると忽ち疲れ衰えてしまう。人物が出来るに随って自己をも環境をも自由に創造し支配する。宇宙もこの人を如何する事も出来ない。

この大自在等一寸聞けばなんだか大変な難事の様に思われるが、実は極平凡事なのである。

徳山の棒と言われる程、厳しく門下を鍛えた徳山宣鍳和尚。(伝教・弘法と略同時期の唐僧)の宗旨も、彼の語で言えば「心に無事、事に無心」というに帰する。その師龍潭祟信のまた師、天皇道悟の名高い偈がある。

「任性逍遥 随縁放曠 但尽凡心 無別勝解」 性ニ任セテ逍遥ス 縁ニ随ッテ放曠ス タダ凡心ヲ尽クスノミ 別ニ勝(聖)解ナシ

何事も縁、学問・求道にもやはり縁というものを持たなければならないのであります。徳山は斯う言う心を称して無心と言っております。

聞く処によれば、戦後の歴代総理は、指南役として安岡正篤師を迎えていたともいわれています。そのため、世に師の事は、黒幕とかフィクサーなどと揶揄されていたのも事実。しかし、時代が移り現在では、師のような形での指南役と呼べるような人物が政治家の周りには皆無なのではないでしょうか?

安岡正篤師の著書を読んでいるとおっしゃる政治家は多々居られるようですが、果たして、師の学問思想を本当に理解して所謂活学として生かされている人が何人いるのでしょう。国会・選挙等々政治の現場・永田町のドタバタ劇を見るたびにそのような人物は皆無だと感じざるを得ません。

現在の政界、国家国民の為というよりは己の保身の為、理念理想よりは票集めが先と云った政治家ならぬ政治家まがい、政治屋が横行しているようにしか思えません。何故、役所官庁に「省」の字を当てるのか、何故大臣に「相」の字を当てるのか。この本でも読んでお考え頂ければ少しは変わるかもしれません。   今後、本当の気骨ある政 治家が出てくることを日本の為にも切に願ってやみません。

(補足)茲で、当に現代社会の国際情勢を予見したかのような卓越の一文が此の「儒と禅」の中に在りますのでその部分引用してみます。コメントは差し控えます。皆様でお考えいただければ嬉しいですね。

新性を撤見し、真実の世界を開顕す

この間もライシャワー米大使と我々数人で、一晩飲みながら議論したのですが、要するに今日の東西両陣営の突き詰めた結論は、PowerPolitics(力の政治)が勝つかPublicExcellence(公徳を基調とするゆき方)が勝つかという事になるのでありまして、共産側はあくまでも力で押しまくろうとするし、自由陣営は力で対抗することをやめて、こちらの優秀さを彼らに見せてやろうという。然し是はなかなか難しい事であります。仏教でも勢力と道力の二つの力を立てておりますがしかし、勢力はどこまでも方便であって、本来は道力であります。道力はよく人を摂受する。今日云う所の寛容であります。マルクス・レーニン主義は勢力で行こうとするし、自由主義諸国は道力に徹しようとする。しかし摂受でゆくには、余程の道力がなければならぬので、自由主義諸国は果たして摂受と言えるような道力を持っているかどうか。道力はおろか勢力をも次第に失ってゆく危険があるのであります。気分の満足、観念の遊戯に堕して、理念を持ち乍ら現実には空しく亡んでゆくという事が、人類の長い歴史の常に示してくる處であります。云々(中略) 我等自由主義陣営もパブリック・エクセレンスを誇り乍ら、凶暴なパワー・ポリティックスの前に、空しく亡び去る危険決して少なしとしないのであります。善も亦、力でなければならない。是を痛論したのはニーチェであるが、彼はその思想と實人物の自分との矛盾から発狂してしまった。其れでは詰まらない。思想と人物を合一し、金剛不壊の人物を作り上げる、これが東洋の学問。修養の本義であります。

一日一話 松下幸之助

十月の言葉

このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに      管家

一日 法治国家は中進國

今日法治国家というのは大体先進国と云う事に為っていますが、私は法治国家は真お先進国とは言えないのではないかと云う気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は謂わば中進国であって真の先進国文明国とは法律が極めて少なく所謂法三章で治まっていく国と云う事では無いかと思うのです。とすれば真の先進国に成る為にはやはり国民の良識の涵養と云うものを大いに図っていかなければ成りません。其事に成功しない限りは先進国にはなれないのではなかと思うのです。

  • 2019年(R1)消費税10%に
  • 今日は印章の日 
  • memo-モラル・倫理観

*四日 心を磨く

人間の心と云うものは本当に自由なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても心の働きに由って如何様にでも考えられると思うのです。もう辛抱出来ない明日にでも自殺したいと云う場合でも考え方を変えるならば。一転して恰も広々とした大海を往くが如き悠々とした心境に転向する事さえできるのです。其れが人間の心の働きと云うものでしょう。ですから我々は是から仕事をするに当って先ず心を磨くと云うかものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに今迄得た知識を加えてやっていけば必ず大きな成果が生まれると思います。

  • 世界動物の日
  • Memo―フランクル著「夜と霧」➡希望

*十日 大事に立てば起つ程

困難期混乱期に際して大事な事は根本的な心の迷いを取り除いて確りと心を確立してゆく事です。志を堅く堅持してそして事に立ち向かう事が出来るなら、その時に応じて最善と考えられる具体的な方策は適切に出てくるものだと思います。その志を確固として持つ事無しに混乱期に直面すれば彼是と心が迷い事に為って事が失敗に終る場合が少なくないと思うのです。将に貧すれば鈍すです。大事に立てば起つ程如何生きるかについての確りした信念を持つ。そうして事に当ればある程度の処置を過たずして出来るものだと思います。

  • 1964年(S39)東京オリンピック開催

今日は旧体育の日 memo-六然の教え

*十六日 諸行無常の教え

その昔お釈迦さまは諸行無常と云う事を説かれました。この教えは一般には世は儚いものだと云う意味に解釈されているようですが、私は寧ろ諸行とは万物と考え諸行無常とは即ち万物流転であり生成発展と云う事であると解釈したら如何かと思うのです。言い換えますとお釈迦様は日に新たでなければならないぞと云う事を教えられたのだと云う事です。是は単に仏教だけの問題でなくお互いの日々の仕事を初め慧お互いの人生社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。

  • 今日はボスの日
  • Memo―石原慎太郎「法華経を生きる」
  • 松原泰道「発句教入門」➡諸行無常は現在進行形 紀野一義「法華経を読む」

*十八日 独断は失敗に繋がる

仕事でお互いが注意すべき事は会社の伝統方針を無視した自分一人の考えで行動しないと云う事です。人一人の知恵は如何に優れていても伝統も顧みず方針を等閑視して狭い自分の主観から生まれてくる判断で行動すれば却って会社をマイナスに導きます。私達は兎角ものの一面に捉われて自己の考え已を主張しているとその背後に流れる大きな力を見忘れてしまうものです。其処から大きな失敗が表れてきます。常に自己の背後にある流れ繋がりを見通す目、心を培いその中で自己を生かすよう訓練して行かなければなりません。

  • 今日は統計の日 
  • Memo―見えない力を感じるか➡don’tThink feel(燃えよドラゴン)

*二三日 原因は自分にある

人間と云うものは他人の欠点は目に付き易いものだ。往々にして何か問題が起こると其れは総て他人の所為で自分はに関係がないと考えがちである。実際に他人の所為であって自分は無関係なものもある。併し其れをそう判定するのは飽く迄も人間である。他人の所為ではあるけれども実は自分の所為でもある。と云う様に自分は全く関係がないとは言い切れない場合も少なくないのではなかろうか。少なくとも問題が起こった際には他人の所為だと考える前に、先ず自分の所為ではないかと云う事を一度考え直してみる事が非常に大切ではないかと思うのである。

  • 今日は電信電話記念日

Memo―自己観照・内観・洞察力

*二五日 人の話に耳を傾ける

日頃部下の云う事をよく聞く人の処では比較的人が育っている。其れに対して余り耳を傾けない人の下では人が育ち難い。そういう傾向が有る様に思われる。何故そうなるかと云うと矢張り部下の言葉に耳を傾ける事に拠って、部下が自主的にものを考えるようになり其の事がその人を成長させるのだと思う。けれども自分の云う事に上司が耳を傾けてくれないと云うのでは、唯惰性で仕事をすると云う事になって成長も止まってしまう。上司としてどんな場合でも大事なのは耳を傾けるという基本的な心構えを何時も持っていると云う事であろう。

  • 今日は民間航空記念日

指導者の基本的姿勢・要諦

*二七日 インテリの弱さ

今日能く耳にする言葉にインテリの弱さと云う事がある。是はインテリには生じっかな知識が在る為に其れに囚われて仕舞、其れは出来ないとか其れは如何考えても無理だと思い込んでしまって、中々実行に移さないという一面を言った言葉だと思う。実際嗚呼其れは今迄何度も遣ってみたんだが出来ないんだと、決め込んでいる事が我々の身の回りには意外に多いのではなかろうか。時には自分の考え復自分を捉えている常識や既存の知識から解放され、純粋な疑問純粋な思い付きと云うものを大切にしてみてはどうだろうか。

  • 読書の日
  • 未常識・空理空論

実業界はさておき、現代の政界・官僚を俯瞰すれば、其れなりの学歴を積んだ方々が沢山いるにもかかわらず、どうしてこんなに社会の実情に合わないことが霞が関・永田町でまかり通るのか不思議と云えば不思議な事。        結局、知識はあっても活きた知恵がない問うことになるのかな。安岡正篤師のいう「雑学」「俗學」「曲學」の類の知識ばかりという事かもしれませんね~❣❢

論語・老子・禅 Ⅱ

安岡正篤著

「老子と現代」より

問題は結局我々の直観力にに帰するので、やはり人間は精神を集中して全身全霊を何者かに打ち込まなければ、精神も磨かれないし、本当の力も発揮出来ない。従って世の中を救おうと思ったら古の名宰相の様に寝ても醒めても国家の事を考え、民族の事を考えて、其れに全身全霊を打ち込まなければ、本当の為政者たることは出来ないのであります。大衆を相手に駆けずり廻って演説をやっておる様なことでは、この世界の危機に当って本当の立派な政治はできない。その為には如何しても哲学や信念を持たなければならないのであります。

そういう意味で我々の人生、生活、現実というものに、真剣に取り組むと、我々の思想、感覚が非常に霊的になる。普段ぼんやりとしていて気の付かぬ事も容易に気が付く。超現実的な直覚、これが正しい意味に於ける形而上学というものであります。こういう叡智が老子には特に輝いているのであります。

(政治或いは政治家に関して補足するならば)

★ 山本七平著「人間集団における人望の研究」の中に朱子「近思録」からの引 用にてー天下の事を公にすと雖も若し私意を用いて是を為さば便ち之私也」という言葉がある。

★ 西郷隆盛「遺訓」にはー故に何程国家に勲勞有るとも、その職の任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸禄を以て賞し、これを愛し置くものぞと申さる云々

また、万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しく、驕奢を戒め、節倹を努め、職務に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思う様ならでは政令は行われ難し。云々とも

「之を生み之を畜い、生んで有せず、為して恃まず、長として宰せず。是を玄徳と謂う」

長になって、頭になってしかも支配しない。統して治せずで干渉しない。是を玄徳と謂う。儒教の明徳に対して老荘は常に玄徳と言う事を力説しております。

※ 徳 ☞ 萬物を包容し育成する力の意                           ※ 玄徳 ☞ 老子に云う所謂無に根差した無限の力                             ※ 明徳 ☞ 樹下に云う所謂玄徳が外に発揚した象 (安岡正篤解)

斯う云う様に、老子は常に現象よりも一歩本体に入って、従って作為や意識の世界より裳もう一つ奥の無意識の世界、actualな世界よりもpotentialな世界に入って、そこから造化の働きを見よう、或いはその働きに参じようとする。これが老荘の考え方、ゆき方であります。物を相対的即ち現象的に捉えて、其れを処理してゆこうというのではなくて、物の中へ飛び込んで、そして物と一つになって共に動いてゆく。例えば自分がこの書物を読む。理知を働かせて解釈し、批判するというのではなく、この書物と一つになる。書物が自分を読むようなものであります。

例えば政治にしてもそうで、支配者が人民と相対立場に立って、人民を観察し、統治してゆく。こういう相対的統治は老荘から云えば、決して至れるものではない。本当の老荘の政治は、人民そのものになって、人民をして自然に雲が行き、水が流れる様に導いてゆく。そこには何の矛盾も無ければ、抵抗もない。余計なPRとかゼスチャとか、況や謀略だとかいうものは、腐政出会って寧ろ有害であります。

【老子三宝の章】

「天下皆我が道大成も不肖に似たりと謂ふ。夫れ惟だ大なり、故に不肖に似たり、若し肖たらば、久しいかな、其の細なることや。我に三宝あり。持して而して之を保つ。一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢えて天下の先とならず。慈也、故に能く勇。倹なり、故に能く広し。敢えて天下の先と成らず、故に能く器の長と成る。今慈を舎てて且つ勇に、倹を舎てて且つ広く、後を舎てて且つ先んぜば、死せん。夫れ慈也、以て戦えば則ち勝、以て守れば則ち固し。天すら将に之を救はんとすれは、慈を以て之を衛ればなり。」

所謂、老子三宝の章といって有名な言葉であります。今日の様に、全く老子と反対に枝葉末節に走り、徒に唯物的・利己的になり。従って至る所矛盾・衝突・混乱をきたしてくると、肉体的にも精神的にも段々病的になる。善また妖となるで、元来善であり正である筈の文明・文化がそれこそ奇となり妖となる。今日の文明・文化は實に妖性を帯びております。斯う云う事を考えると我々は老子というものに無限の妙味を感ぜざるを得ないのであって、これを自分の私生活に適用すれば、此の唯物的・末梢的混濁の生活の中に本当に自己を回復することが出来るのであります。斯う云う風に絶えず現代というもの、我々の存在というものと結び付けて生きた思索をすれば、読書や学問というものは限りなく面白くまた尊いものであります。

昨今の政治家の皆様、多分、安岡正篤師の著作は勿論、論語や老荘も読まれている方々も多々いる事でしょう。が、しかし現状を見る限りに於いては、それが単なる知識としてしか集積されいないのではないのでしょうか?本当に活きる智慧となって所謂、師の云われる活学として生かされているのであれば、今回のような(2022.7.8)不幸な事件は起こっていなかったのではないかと思うのですが。                  つまりは論語読みの論語知らず活学ならぬ死学ということになるようですネ。