どうぶつ基金の考え方と活動「さくら猫」

私たち「NPO法人あおぞら」はどうぶつ基金の活動を支持いたします。ここに、どうぶつ基金の基本的な考え方をご紹介いたします。

こんにちは、どうぶつ基金です。

いつもノラ猫に餌をやってくださっていて、ありがとうございます。みなさんがノラちゃんたちにごはんをやってくださるので、ネコが元気に暮らすことができ、周りの人たちも、ネコの可愛い姿を見ることができ、癒されたり、元気づけられたりしています。

でもなかには時間に余裕のない方もいて、ちょっとの時間でパッと餌を置いてきて後片づけをはしょっちゃう場合、ネコたちは「自分でお片づけ」ができないので、食べた後の容器がそのままになってしまいます。

特にネコが好きなカリカリは虫たちも大好物とあって(カリカリだけではなくネコが好きな食べ物のほとんどが虫たちの大好物。) ネコの次に虫たちがたかっていることもあります。こうなってしまうと、周りの人たちは、虫が寄ってくる恐怖から、ネコを可愛がる余裕がなくなってしまいます。

これは本当に残念なことです。よく「無責任なエサやりはやめよう」などと
書かれたポスターを見ますが、この「無責任」という言葉、 いつも「紋切り型で雑で嫌な表現だなあ」と思ってしまいます。


「自分が家のなかで飼っているのではないネコにエサをやること」
イコール「無責任」ではないのです。おなかをすかせたノラ猫がかわいそうだからとエサをやるのは、 ひとの優しさの現れです。

その優しい気持ちは、地域の人間関係や暮らしやすさを 豊かにする方向へも活かせるはずです。「エサやるなら不妊手術して。そこまでできないならエサやらないで。」 という人もいます。

エサをやるから、

・ノラ猫が集まってきて子ども産んでどんどん増えて街が汚くなる。

・不妊手術にお金がかかる。

・あるいは殺処分しなくちゃならなくなる。

だからエサやらないで。というわけです。そのため、どうぶつ基金はTNR活動を進めています。どうぶつ好きな人から寄付をいただき資金を集めて、地域行政とも連携し、「さくらみみは愛され猫のしるし」という合言葉で、不妊手術を進めています。
この不妊手術が終わって 耳にV字カットを入れた猫は「さくらねこ」と呼ばれます。迷惑、(お世話をする人は)無責任、と呼ばれるノラ猫が、
一代限りの愛され猫になるのです。

本来ネコはきれい好きな美しい動物です。 でも、もらった餌の食べ残しを片づけたり、寄ってくる虫を追い払ったり、とまではいきません。ですから、ネコの食べた後のお片づけもきれいにしてください。そしてできれば不妊手術をしてあげてください。
ぜひよろしくお願いいたします。

渋沢栄一100の訓言

渋澤健 著 日経新聞社

【夢七訓】

夢無キ者ハ理想ナシ 理想無キ者ハ信念ナシ 信念無キ者ハ計画ナシ

計画無キ者ハ実行ナシ 実行無キ者ハ成果ナシ 成果無き者ハ幸福ナシ

故ニ幸福ヲ求メル者ハ夢ナルベカラズ

欲がない人はダメ(4)

無欲は怠慢の基である      渋沢栄一訓言集 〈一言集〉

残酷な人になるな(5)

悲観的の人は残酷である       渋沢栄一訓言集 〈一言集〉

細かくこだわりすぎる心は元気をすり減らす(12)

あまりに堅苦しく物事に拘泥し 細事に没頭する時は自然に溌溂たる気力を銷磨し進取の勇気を挫くことになる(中略) 溌溂たる活動を為し初めて大事業を完成し得るものであるるから近来の傾向に就いては大いに警戒せねばらぬな         論語と算盤  〈成敗と運命〉

わがままを元気と誤解するな(22)

人と争って自分が間違っておっても強情を張り通す これが元気が良いと思ったら大間違いである        論語と算盤 〈人格と修養〉

※ 安岡正篤著「百朝集」の中にも「六錯」55章によな辞ようなことを戒めた言葉がありますね。

順境も逆境も自分が作りだすもの(30)

世人は 一も二もなく彼を順境の人思うであろうが 実は順境でも逆境でもなく その人自らの力でそういう境遇を作りだしたに過ぎない                     論語と算盤 〈成敗と運命〉

形だけの礼は礼をしないより悪い(62)  

人に対して敬礼を欠いてはならない されど唯形式だけの敬礼は往々相手の感情を害し却って礼せざるに劣るものである
渋沢栄一訓言集〈処事と接物〉

※ 空海が著した本に「三教指帰」というのがあります。解説の本もたくさん出ていますが梅原猛さんなどの本がわかりやすく面白くお勧めですね。それはさておき空海は、その中で、人の道を教えるのに、儒教・道教⁻老荘ー・仏教があって一番高度な教えが仏教だというようなことを言っています。儒教はどちらかというと人の道の基本の基本を教えているともいえるわけですね。だから、渋沢栄一翁も安岡正篤師も、儒教特に論語をしっかりと身に就ければ、社会生活において大方、失敗なく過ごすことができるといっているわけです。

一度真剣に論語読み直してみましょうか。

論語と算盤  

【格言五則】

言行君子之枢機 枢機之発 栄辱之主    易経繫辞上伝

言行は君子の枢機なり 枢機の発するや栄辱の首たり

言行は君子‐教養人・指導者‐にとって枢機‐石弓の引き金。要となるーのように重要。此の引き金を引く一瞬が栄誉か恥辱かを決めるもととなる

発言盈庭 誰敢執其咎       詩経小雅節南山小旻篇

言を発して庭に盈つ 誰か敢て其の咎を執らん

皆が意見を述べ立てて庭一杯に広がっているしかし誰もその責任をとろうとはしない

言不務多 而務審其所謂      大載礼記哀公問五義篇

言は多きに務めず 其の言う所を審らかにするに務む

言葉は多ければよいと云うものではない その趣旨を明らかにすることが大切

故声無小而不聞 行無隠不形    荀子勧学篇

故に声は小にしても聞えざる無く 行は隠してもあらわれざるはなし

優れた人の声‐意見‐は小さくても必ず聞え行いは隠していても必ず世に現れる 原文 声無細而不聞 行無隠而不明  説宛 とある誤写か?

志意修 則驕富貴 道義重 則軽王公    荀子修身篇

志意修まればすなわ富貴あなどり 道義重ければ則ち王公を軽しとす

志がきちんとしていれば富や地位など問題としない 人間としての在り方が‐徳・人格‐出来ていれば権力に媚びることもない

渋沢栄一著「論語とそろばん」の冒頭部分。近代日本の基礎を築いた人物として今、注目されている人の著作を読み返すのも、混沌の現代を原点に返つて考えるという意味からもいいことかもしれません。今度の新一万円札の肖像に決定、大河ドラマでも取り上げられている、歴史的人物の中で一番旬の人物かも知れません。

でも、なぜ今渋沢栄一なのでしょうか? どなたが光を当てたのでしょうか?光が当たるようにしたのはもしかしたら、日本を守っている神々かも知れませんね

渋沢栄一の著作関係では「論語講義」が有名ですね。文庫本も出版されていますし、一度じっくり読んでみてはいかがでしょう。

お手頃なのは 「渋沢栄一100の訓言 渋澤健 著 日経新聞社

棄て犬の句を見て

51NPO法人あおぞら2021/02/07 06:55

「野良犬となりても生きよ月に棄つ」

目次

  1. 雑誌の記事
  2. 祈り
  3. おもうこと・・
  4. おわりに

雑誌の記事

古い本を整理していた時、見つけた雑誌「太陽」―昭和59年9月号―に掲載されていた俳句です。
この号は俳句の特集号で多くは蕪村・一茶・山頭火の生涯と作句を特集していました。コラムとして短い文章ですが俳人加藤楸邨が俳句について語っている記事があり、その中に例として挙げてある句のひとつが上記の句です。
かつて楸邨が選者となって選んだ一般公募の句の一つだそうですが、この句を掲載した時の反響と楸邨自身のこの句に対する思いが綴られていました。

祈り

一節を引用しますと

「・・・ところが犬を棄てるとは何事か、動物愛護の精神を知らぬにもほどがあるという投書が殺到した。私はこの句を読んだ時、犬の子を棄てる事の善悪については決して人々の批難に反対する気はない。しかしここに一人の、どうしても棄てるほかなくなった人の切ない祈りを読みとった。すてたくはないがどうしようもなくなった。犬の子よ何とか生き抜いてくれ、たとえノラ犬となったとしても何とか生きて行ってくれという祈りの中に、犬の子から放す手は浩々たる月を浴びるのだ。月が明るければ明るいほど作者の気持ちはやり切れないのである。・・」


(この句はおそらく昭和40年後半から50年初期ころに読まれた句ではないでしょうか。現代の豊かな状況ではあまり考えられない心情の句だと思います。)

画像1

おもうこと・・

私たちは動物愛護のNPO団体です。どちらかというと批難の側に立つのかもしれません。しかし、豊かになった現代でもやはり身勝手にではなく、いろんな事情により棄てざるを得ない状況というものは存在するのではないでしょうか。私たちはただ批難するだけではなくその痛みというかその状況に共感し共有できる団体でもありたいと思います。


私たちは破棄された犬猫の里親を探すことによって少しでも幸せになれる犬猫が増えればと願っています。と同時に微力ですが破棄せざるを得なくなった悲しい状況が改善されていく環境作りを目指し、ともに豊かに共生できる社会を実現できればとも願っています。

おわりに

みなさまと共に明るい社会づくりができることを願っています。よろしくサポートお願いいたします。

メールアドレス

mefamily@khc.biglobe.ne.jp

 何事も結構

私は運命と云うものは不思議なものだと思います。人は皆夫々志を立てるのですが中々思い通りに行かないし実現しにくい。希望とは逆の道が自分にぴったり合って成功する場合もあるのです。だから私は余り一つの事をくよくよ気にしない方がいいのではないかと思います。世の中で自分が判っているのは一%程で後は暗中模索。始めから何もわからないと思えば気も楽でしょう。兎に角人間には様々な姿があっていいと思うのです。恵まれた生活も結構だし恵まれない暮らしも結構と云う気持ちが大切だと思います 。                                          松下幸之助「一日一話」6月6日

自分には何でも分かっていると思うより、わかっていない事の方が多いというところに軸足を置いていた方が、何かあっても痛手が少ないということになるのかも・・・ 

石原慎太郎著「法華経を生きる」のなかには

「人間の知恵でしかないインテリジェンスのもたらす不幸」という言葉があります。自分が認識しているものしか信じないということが、結局人間を不幸にしているということにもなるかもしれません。もっと大きな力を信じることも大切。自分の無知を知るということは形而上的なことだけではなく現実生活を生きていく上にも大切なことなのでしょうね。

南洲翁のことば

廟堂に立ちて大政を爲すは天道を行ふものなれば、些とも私を挾みては濟まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈み、廣く賢人を選擧し、能く其職に任ふる人を擧げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆゑ眞に賢人と認る以上は、直に我が職を讓る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程國家に勳勞有る共、其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸祿を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるゝに付、然らば尚書(○書經)仲之誥(チュウキコウ)に「徳懋(サカ)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相配し、功と賞と相對するは此の義にて候ひしやと請問せしに、翁欣然として、其通りぞと申されき。         西郷隆盛    遺訓

今まで安岡正篤師の百朝集を中心に倫理観や生き方・考え方の参考になるような言葉を選んでそれに感想など加えてきましたが、これからも基本的には変わりません。が、ちょっと幅を広げて、今話題の渋沢栄一翁の言葉や、松下幸之助、中村天風といった先人たちの言葉の中から、其の時節時節に応じて選らんでいきたいと思っています。

今回は、西郷隆盛の遺訓その第一節、よく引用される言葉を挙げました。現今の政治家の皆様、特にその中枢に入る方々は必須の書簡だと思いますが、今どきの政治家で知っているような人いるのかなと思うような、昨今の政治家の在り様に思えてなりません。早くこのような志高い人が現れることを願ってやみません。

三学

百朝集47章

少くして学べば壮にして為すあり 壮にして学べば老いて衰えず 老いて学べば朽ちず                       佐藤一斎「言志晩録」

安岡正篤解

若い者の怠けて勉学せぬものを見る程、不快なものはない。碌なものにならぬことは言うまでもないが、まあまあ余程の碌で無でなければそれ相応に勉強する志ぐらいはあるものである。壮年になると、もう学ばぬ者、学ぼうともせぬ者が随分多い。生活に遂われて忙殺されておる間に、だんだん志まで失ってしまうのである。そうすると案外老衰が早く来る。所謂若朽である。肉体だけは頑強でも精神が呆けてしまう。反対に能く学ぶ人は老来益々妙である。但し学も心性の学を肝腎とする。雑学では駄目である。古詩bにいう通り「少壮努力せずば、老大徒に傷悲せん」こと間違い無い。でなければ呆けたのである。これに反して、老来益々学道に精進する姿ほど、尊いものはない。細井平洲も敬重した川越在の郷長老奥貫友山の歌に「道を聞く夕に死すとも可なりとの言葉にすがる老の日暮らし」こうありたいものである。そして「老獪晴天に参す」るようなのは実に好いではないか。

松下幸之助「一日一話」3月17日項

修養に場所を選ぶな

人は若い時の心がけ如何に拠り後に随分差 の生じるものである。若し若い時代に自己実力の養成に励まず修養に努めなかったならば、必ず後年後悔をする時が来ると思う。然るに若い人の間では、この仕事は自分に合わないあの主任の下ではどうも働き甲斐がないと、不足を漏らす人がある。これは自己中心のものの考え方の弊害であろう。真に自己の適所を見出す迄には色々経験を積まなければならない。又性格意見の異なった指導者の下で自己を磨く事によってこそ、却ってよりよく修養が得られるものであることを深く知らなければならないと思う。

学ぶことは意思さえあれば、いつからでも、どこででも始められる。時間がないというのは、いいわけに過ぎないと安岡正篤師も松下幸之助翁も多分 いうことでしょう(*^_^*)

セミナー決定

譲渡団体様向けセミナーを開催します!(メーカーさんmail)

譲渡団体の皆様には「#獣医師開発猫トイレ&猫砂 プレゼント企画」にご協力いただきまして、誠にありがとうございます。

日頃の皆様への感謝と、よりたくさんの猫ちゃんに快適な暮らしを送ってもらいたい、という気持ちから、ライオン商事㈱の獣医師による、特別オンラインセミナーを開催いたします。

セミナー詳細
□タイトル:猫のしあわせ オーラルケア&トイレセミナー

対象者:「#獣医師開発猫トイレ&猫砂 プレゼント企画」協力譲渡団体様
及び譲渡団体様よりご案内を受けた里親様等

□費用:無料!
□時間:50 分
オーラルケアセミナー(25 分),トイレ環境に関するセミナー(15 分)質問タイム(10 分)
□場所:Zoom

ということで参加予定人数約10名で希望日を決めて申し込みましたところ、6月8日PM6:00よりということでご返事をいただきました。

「あおぞら」クローズのセミナー、参加者にはこちらからまたURLを送付することにしています。内容等はセミナー終了後、後日報告いたします。

動物愛護というNPOを立ち上げてはいますが、手探り状態で始めた私どもにとって、知識に関してはほぼ素人というに等しい感じ⁉ そういう点からもメーカーさんのご協力はありがく、今回の専門家によるセミナーは有意義なものと非常に楽しみにしています~(^_-)-☆

六錯&六知

百朝集第55章 六錯

奢を以て福有と為す。詐を以て智有と為す。貪を以て為す有と為す。怯を以て守有と為す。争を以て気有と為す。瞋以て威有と為す。 金襴生「格言聯壁」

世事は往々顛倒錯覚され易い。豪奢な生活必ずしも幸福ではない。が世人は奢即福と錯覚しがちである。深省すべき問題である。威張りたがる人間に限ってよく人を𠮟りつける。六錯実に世間の欲情を穿っている       安岡正篤解

百朝集第56章 六知

静坐し然る後平日の気浮けるを知る 黙を守りて然る後平日の言躁がしきを知る事を省いて然る後平日の心忙しきを知る 戸を閉ざして然る後平日の交濫りなるを知る 欲を寡なうして然る後平日の病多きを知る 情に近づきて然る後平日の念刻を知る                    金襴生「格言聯壁」

今の知識人は外物を知る事を知って、内心を知る事を知らない。技術者は外物を操作することを知って、自己を左右することを知らない。我々はこういう風に時々反省し、操作して、往々失い易い真実の自己と生活とを保全しなければ為らぬ。                           安岡正篤解

金欄生とは 中国清時代の篤行の長者で思想家。生没は不詳日本で云えば江戸時代中期位の人物と云うことでしょうか。金欄生の言葉も安岡正篤師のことばも現代当に、現在の日本の状況を見透かしているかのようなことば。でも、こういうことは今ではあまり、重要視されていないような世情になってしまっているようですね。ヒトの根本にかかわるところがお座成りにされているところに、現代の歪の原因があるのかもしれませんね。

メーカーの支援

今年のはじめ、突然ペット用品の大手メーカーさんよりメールが届き「猫砂セット」プレゼント企画に参加しませんかとのお誘いを受けた。内容はコロナ禍の中動物愛護NPOの活動支援の一環として団体から新しく保護ネコを譲渡した里親さんに「猫砂セット」(猫砂5kg×2+トイレ容器)をプレゼントしますとのこと。

早速申し込みただいま活用させていただいてます。里親さんたちも思わぬプレゼントに大喜び。こういう企画は大歓迎ですね。

今回は同じメーカさんよりリモートによる猫の健康管理のセミナー参加へのお誘いがありまました。専門家獣医師さんによる講習会で時間は50分ほどということで、さっそく希望者を募り申し込むことにしました。

今後リモートによる譲渡会また里親さんの相談会などを考えていたタイミングでの企画。大いに参考にさせていただきたいと思っています。