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松尾芭蕉句集からⅠ

新潮社古典文学集成芭蕉句集解説(今栄蔵筆)より抜粋1982年(S57)6/10初版

新潮社古典文学集成「松尾芭蕉句集」の今栄蔵氏の解説を引用しながら、俳聖と呼ばれた松尾芭蕉の、作風の変化を年代を追って並べてみました。

  • 文脈は一部入れ替えた部分有、年代がなるべく時系列で追える様に本文にはない年号を記入するとともに本文にない見出しを付しています。

はじめにー総括】 

芭蕉俳句詠吟期間☞寛文二年(1662)19歳―元禄七年(1694)51歳 約30年間

門人服部土芳著「三冊子」

「それ、俳諧といふことはじまりて、代々利口のみに戯れ先達つひに誠を知らず。中頃難波の梅翁(西山宗因)自由をふるひて世上に広と雖も、中分(中程度)以下に して、未だ詞をもってかしこき名なり。然るに亡師芭蕉翁、この道に出でて三十余年、俳諧初めて実を得たり。師の俳諧は名は昔の名にて、昔の俳諧に非ず。誠の俳 諧なり。・・・ わが師は誠無きもの(俳諧)に誠を備へ、永く世の先達となる。眞に代々久しく過ぎて、このとき俳諧に誠を得る事、天、當にこの人の腸(ハラワタ)を待てるや。師は如何なる人ぞ」

芭蕉俳諧を歴史的に端的に位置づけたものとして蓋し古今の名言。

  • 利口→弁舌巧みに、おどけしゃれを云う:室町期より俳諧は連句の余興として滑稽文学と認識されていた。
  • 俳諧の誠→風雅の誠:自然や人生の実相に深く迫ろうとする純粋至高の詩精神

【詠吟三十余年】宗房―桃青-芭蕉

寛文二年(1662)19歳 生地伊賀上野にて 

春や来し年や行きけん小晦日(1-12月29日立春―初句) 

 元禄七年(1694)51歳  

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る(922-十月四日病中吟)

清滝や波に散り込む青松葉  (875―十月九日死の三日前)

俳諧が江戸期を迎えて一大発展期に入ってからも何の疑いも無く踏襲される。具体的に言えば寛永(1624~1643)の初め頃から半世紀にわたって全国の俳調を支配した貞門風、延宝(1672~80)元年前後から約10年の全盛期を誇った宗因風所謂談林もその風潮には多少の曲折はあるものの、基本的には室町俳諧の延長という点で一貫した体質を持っていた。

【芭蕉句吟の流れ】

芭蕉も亦、はじめは此の大きな潮流に揉まれざるを得なかったのである。というよりも若き日の芭蕉は寧ろこの滑稽專一の文学に異常な情熱を燃やしこの道を選んだ。郷里の(伊賀上野)少年時代、寛文元年(1661・芭蕉18歳)前後から当時流行の貞門風を学び、情熱の赴く処、寛文12年(1673)29歳で俳諧宗匠を志して江戸に出てから延宝(1673-1680)の末迄は、貞門に変わって新たな流行勢力となった宗因風に心酔しつつ宗匠の地位を確立し、一派を築く等自ら積極的に滑稽の時流に掉差した。その間ほぼ20年、土芳も云う通り芭蕉の俳諧人生は三十余年に及ぶが其三分の二を占める年月を、芭蕉も亦「利口」の俳諧に費やしていたわけで、図式的に言えば「誠の俳諧」の創造に費やした時間は最後の十年間に過ぎなかったという事にもなる。

【芭蕉俳諧の精神的支柱】哲学・思想

中国古典「荘子」は宗因風の理論的裏付けとされた「寓言」を通して当時一般の俳人に広く親しまれ、和漢の古典の詩歌文章は本歌本説取りの材料として、これまた俳人必須の教養とされていたから、芭蕉だけが特殊な本を読んだと言う訳ではない。只、大多数の人々にとっては其れが本歌本説取りの為の単なる知識の対象でしかなかったのに対して、芭蕉がひとりその奥に流れる思想・精神の根源に魂の触手で直に触れることが出来た処に、天地霄壌ショウジョウの大きな違いがあった。そして、時代の平均的な享受の態度とは異質のこの対応の仕方にこそ、芭蕉の持って生まれた独特の個性の光があった。

→「百骸九竅ヒャクガイキュウキョウの中に物あり、仮に名付けて風羅坊といふ。眞に羅ウスモノの風に破れやすからんことをいふにやあらん」(笈の小文)―言うなればそれは肉体の底から己を衝き動かす、強烈にして而も鋭敏繊細な感受性であった。

  • 寓言→中国古代の哲学者荘周の著「荘子」の文章の特異さを示す言葉として古来より有

「荘子は寓言とて無き事をあるやうに書きたる道人」浮世物語―浅井了意

「荘子が寓言、俳諧の根本なり」宗因門 惟中の言葉

「富士の煙に茶釜を仕掛け、湖を手盥に見立て目の覚めたる作意」井原西鶴の言葉

【芭蕉俳諧完成への三段階

芭蕉が模索の数年を乗り越えて「誠の俳諧」に第一歩を踏み出すのは、貞享元年(1684)四十一歳の「野ざらし紀行」の旅からである。「誠の俳諧」としての純粋詩基本的性格はこの時定まった。然し其れは飽く迄第一歩に過ぎなかった。土芳は「(誠)を責むる者はその地(同じ場所)に足を据え難く、一歩自然に歩む理也」(三冊子)と言ったが是は取りも直さず芭蕉の精神に他ならなかった。「誠」は固定した形ではなく「責める」事によって無限に深化するという自覚―芭蕉はこの自覚の下に言葉の芸術としての俳諧の所在アラユル可能性を探ることに、残る十年間の人生のすべてを賭ける事に成る。

大局的観点から見れば、①超俗的な唯美主義へと飛翔する貞享期から、奥の細道の旅を経た後、唯美主義に纏わる弊を超克して現実なるものへの回帰を志す所謂「猿蓑」期に於ける初期「かるみ」への展開、更にこの風調を徹底深化させつつ世俗の卑近な庶民生活の哀歓の中に実人生の真理をを求め、是を日常の平淡な言葉の中に捉え尽くす事によって庶民詩としての俳諧を完成の域まで高めた、最晩年の「かるみ」の風へと、ほぼ三段階の発展を遂げる事に成る。

以下、俳諧の歴史的流れとそれに伴う芭蕉の句吟の変化を俯瞰

貞門風- 松永貞徳(京都)

※ 寛永(1624~1643)の初め頃から半世紀

「俳諧は俳言をもって賦する連歌」☞俳言:優美を理想とする伝統和歌や連歌では用いられない俗語や漢語のこと。

室町滑稽手法の内、非論理的・反常識の意外による笑い或いは卑猥・不道徳的なものによる笑いを否定:「貞徳老人の俳諧はやさしさを体とし、をかしきを用とす」(玉くしげ)

貞門風作調手本例-「毛吹草-重頼著」政保二年(1645年)発刊

 1)皆人の昼寝の種や秋の月 (心の發句) ミナヒトノ ヒルネノタネヤ アキノツキ

 2)川岸の洞は蛍の瓦灯かな (見立て)  カワギシノ ホラハホタルノ ガトウカナ

 3)雨露は木々のいろはの師匠か(言ひ立て) アマツユハ キギノイロハノ シショウカナ

 4)恙なく咲くや卯木の穴かし(秀句)   ツツガナク サクヤウツギノ アナカシコ

 5)いろいろに変ずる花はつばけかな(五音相通) イロイロニ ヘンズルハナハ ツバケカナ

 6)実も入らで竹にすがるやがきささげ (清濁ミモイラヌ タケニスガルヤ ガキササゲ

 7)猫足の膳で食はばや鼠茸  (対物)ネコアシノ ゼンデクハバヤ ネズミタケ

 8)蚊食ふばかり寝がたく見ゆる夜中かな (本歌の俤) カクウバカリ ナガタクミユル ヨナカカナ

 9)折らずんば空し宝の山桜 (世話)   オラズンバ ムナシタカラノ ヤマザクラ

10) ほととぎはまだ巣籠りか声もな(なぞ)  ホトトギハ マダスゴモリカ コエモナシ

これ等は同作法書に、俳諧発句の望ましい姿として掲げられているもので、( )内の語は重頼によって分類された表現手法の名目である。

「毛吹草」はほかにも多くの名目を示すが、基本的には上記手法と大同小異で、貞門の言語遊戯は一般的傾向として凡そ以上のようなものだったとみてよい。中でも見立てと、縁語・掛詞の機知による滑稽が主流をなした。又俳諧が単なるばさらごと(戯れ事)でない証として古典の知識をふまえた作品が推奨され、此れが俳諧を嗜む人の教養を向上させ、伝統の浅い俳諧の文学的地位を権威あるものに高める基にもなった。

【貞門風芭蕉句例】(本文1~53番収録)初期

 岩躑躅染むる涙やほととぎ朱  (11)  イワツツジ ソムルナミダヤ ホトトギシュ

  あち東風や面々さばき柳髪   (26)  アチコチヤ メンメンサバキ ヤナギガミ

  うかれける人や初瀬の山桜   (31)  ウカレケル ヒトヤハツセノ ヤマザクラ

  文ならぬいろはもかきて火中哉 (47)  フミナラヌ イロハモカキテ カチュウカナ

  見る影やまだ片なりも宵月夜  (53)  ミルカゲヤ マダカタナリモ ヨイツキヨ

つづく

中村天風の言葉

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。     天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

八月の言葉

*一日 人間の心の大きさ

真剣に気づかねばならない事は人間の心の大きさである。月を見て佇めば心は見つめられている月よりも更に大きいと云う事を考えられはしないか。星を見て考えている心の中は大きなものを見て考えているんだからそれだけ星以上に大きなものではないか。星を見てその星よりも洪大な様子を心は想像できると云う簡単な事を考えただけでも、如何に人の心が一切を凌いで広大であるかと云う事が判ってくる筈だ。

*五日 消極的な十の心

消極的と云うのは凡そ十ある。第一が怒る事。第二が悲しむ事第三が恐れる事第四が憎む事第五が嫉妬を焼く事・羨む事だね。第六が恨む事第七が悩む事懊悩する事。第八が苦労する事九番目が煩悶する事其れから十番目が迷う事。この中のどれかしらが貴方方の心にある時。それは心が消極的な方面に働いている時なんです。

*六日 感覚器官を正確に使う

我々の人生の周囲に存在する全ての事柄は取り入れ方が善けりゃ我々の心の力を非常に優れたものにするけども、反対に同じものでも取り入れ損なうと抗議の方面へと働き出すんですよ。外界の印象を取捨分別する事は言葉を換えて言えば感覚器官を正確に使用する事なんだ。そうして初めて本当に優れた勘の力が出てくるんです。

*十日 自制自助

健康建設の要諦は(A)肉体内部の生活力の積極化(B)肉体の対外抵抗力の積極化と云う二つの条件を完全に解決する事である。又真健康の建設と確立とは是を結論的に言えば、曰く自制自助の二字に尽きるのである。則ち此の自制と自助とが一切を積極的に現実化する根本なので、第一この二つのものが欠如していたならどんな有効な方法も手段も決して目的を達するまで永続せず暫間的に終わって仕舞う恐れが多々ある。

*十二日 信念が無ければ結実しない

勿論人生を幸福にするのは富も経験も、理智も計画もその他必要なものが多々あるに違いない。然し其の何れも信念が無ければ理想通りに完全に結実しないのである。處が世の人々の多くは幸福の獲得に金の力知識の力又経験の力や計画の密度にのみ重点を置いて、信念を刺して重大視しないのである。要するに世の中の進歩に比例して本当の成功者も亦健全な生命を持つ者も、数に於いて本当に少ない原因的理由はこれ等の点にあると云ってよいと思う。

*十四日 言霊

言葉は云ってしまった時にその音響は無くなっちゃって居る様だが波動は残っている。その波動が残っていると云う事を考えてみたならば仮初にも我口から人の幸福を呪ったり人の喜びを損なうような言葉は、冗談にも云うべきではないと云う事が判りはしないか?兎に角お互いの気持ちに勇気を付ける言葉喜びを分かち合う言葉、聞いていても何となく嬉しい言葉をお互いに言い合おうじゃないか。言葉はねぇ言霊と云うのが本当なのよ。言葉は魂からでてくる叫びなんだから。

*十七日 心の区別

心と云うものにどんな区別が存在しているかと云うと、心には其の性状と活動の状態から大別すると次の二つのものがある。即ち肉体生命に属する心と精神生命に属する心である。肉体生命に属する心の方は更にこれを細分するとその内容に物質心植物心本能心と云う三つのものが存在する。一方精神生命に属する心には理性心霊性心と云う二つのものがその内容を成している。

*二十日 霊性心

霊性心は我々人類の精神の身に特有された極めて優秀性を有する最高級のものである。普通人には容易に発言し得ないと云われる且彼の霊感とか霊智とかいうような特殊なものは、何れも此の心から発露するものなので、所謂神秘的な偉大な思索や崇高な思想と云う様なものは一切この心を本源として形成されるものなのである。が遺憾乍らこの心の働きや力に対しては余りにも知らなさ過ぎる位無理解な人が多い。

*二二日 同情が礼儀ではない

病気を心配している者或は運命に泣いている者恋に悩んでいる者がいると、其処に云って理由の無い相槌を打つ事に拠って何か人間としてのお互いの交わりに対する義務の様なものを感じる人がいる。然し其れは全く毒汁を浴びせかけている事と同じなんですよ。本人の運命に対して本当の真心から目を醒まさせてやる努力をする人こそ尊い存在なんです。

*二六日 心身統一法で増す力

心身統一法に依ってその内容量を増やす力第一が体力であります。第二が胆力第三が判断力。第四番目が断行力第五番目が精力。第六番目が能力。此の六ツの力が生命の中にその内容量を豊富にしていない限りは、どんな事をしても完全健康と完全運命を自分の人生のものとすることは出来ないのであります。例え懐に一文も無くとも之だけの六つの力が自分の生命の中に内容量豊かに成れば人生は是佐乍ら天馬空であります。

*三十日 本心良心に悖らない言動

本心良心に悖った言葉や行いと云うものは、其れ自体既に消極的なんです。積極的じゃないんであります。と云うのは本心良心に悖ると疾しい観念の為に心の力は常に委縮して終う。本心良心の発動した場合に於ける言葉や行いと云うものは一点の疾しい事が無いから、どんな場合でも恐れる事はないという意味です。ですから一言ものを言う時でもちょいとした手足を動かす場合でも、本心良心に悖らない様にしなければなりません。

*三一日 現実は現実でしか解決しない

生きている事は現実なんだ。どんな人間でも現在自分自身を死んでいるとは思いやしないだろ。生きている息をしている血が通っているものを言ってる恋をする、何じゃ感じゃ皆現実なんだ。現実は何処まで行っても現実の力以外のものでは解決できないんだよ。

ご縁を紡いで・・

Blognoteから転記します。

NPO法人あおぞら

目次

  1. 出来る事から
  2. 保護猫達は
  3. あらためてお知らせします

出来る事から


先日、こちらを訪ねてこられた個人保護活動家のFさん。お宅には15匹の保護猫達が同居中(=^・^=)
保護猫だけではなく、地域猫達の為にも孤軍奮闘❢❢ 
外猫達の為に尽力されているようです。
先日、ご紹介した、病院に預かって頂いている仔猫2匹も含め、里親さん探しの為の譲渡会も考えていらっしゃいます。
という事で、私共も出来る事からご協力をさせて頂きたいと思っています。 

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保護猫達は

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Fさんが保護している猫達の中には、発症はしていませんが、(=^・^=)エイズをかかえた「ぶっちゃん」と云う子もいます😺
人懐っこく大人しい子のようで、今は可愛がられながら幸せに暮らしているようですね。
私共のメンバーさんにも、結構、病気の子たちの面倒を見ている方々もいらっしゃいます。よく言われる様な他の子たちへの悪影響も無く、長年一緒に暮らしているようですよ。

いろんな偏見と誤解をへらしていくような活動も大きな保護の輪を広げる為には必要な事の様ですね。
このような子達も含め、今後、広くご紹介していくことで、ご理解のある優しい方々に新しいご縁が出来ればと願っています。

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でも、忘れてならない大事な事は、里親さんになるということは、可愛い可愛いだけではなく、そこに派生するいろんな問題を含めて、責任を持って解決していくという覚悟も必要と云う事です。ともすると表面的な事に流されがちになる事もあるようですが、其処はやはり、しっかりとした展望をもっていただければ猫達にとっても安心して暮らして行けることにつながる事と思います。
 

あらためてお知らせします


今迄も、里親さん探しのネットツール「ペットのおうち」等々も活用させて頂いていますが、Fさんの保護している猫達についても意向をお尋ねしながら順次ご紹介していく予定にしています。
只今、譲渡会も計画中、また面会等々スムーズに出来る様な体制を一緒に考えています。
準備が整いましたらまたお知らせいたします。

https://www.pet-home.jp/member/user816951/ 
ぺットのおうち(あおぞら)

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事態は段々深刻な方向へ(=^..^=)!!

NPO法人あおぞら

「あおぞら」のブログnoteから転用致します。 https://note.com/2019dobutu 

目次

  1. 御相談の連絡
  2. 高齢化の状況で大丈夫?
  3. ニュース見ました
  4. TNR活動

御相談の連絡


昨日、行政の方からご連絡いただきました。
「犬猫の保護をして欲しいと言う問い合わせが、多く寄せられるので、あおぞらさんを紹介してもいいですか」との御相談。
こちらの返答は、「名前を出して貰うのはかまいませんが、こちらで預かると云うことは、スペース・人材・財源等々を考慮して、現状手一杯の状況になっているので難しい。
そこで、相手の方には、事情をお聞きしながら、一番いい方法を考えていくよう、一緒に考えるという方法をとらせていただいてます。」
とお答えさせていたいただきました。
ついでに、現状の動物愛護に関してもう少し行政のあり方として、大局的な取り組みを考えていただくことはできないものなのか、ともお話しさせていただきました。

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高齢化の状況で大丈夫?

こちらには、毎日のように、保護以来の相談、子猫等の引き取り、高齢者の飼っている動物の引き取りの相談等々がひっきりなしという感じです。
私どもだけでなく多分、動物保護に取り組んでいる、多くの団体さんや、ボランティアの方々も同じような状況ではと思います。

相談の電話の中には、他に連絡をしたが、電話をとってもらえななかったと云うことも多々あります。
行政の手の届かない部分を補っていくという側面もNPOにあるのは承知していますが、現状の、おわりのないような状況では、ある程度受け入れ等々制限し、皆様のご協力を仰ぐしか方法はありません。

そう考えているのは私どもだけではないのではないでしょうか。
特に北九州のように高齢化の進んでいる所では、これからもっと深刻な状況が生まれてくるのではと危惧しています。

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ニュース見ました


たまたま、行政さんからの電話と前後して、ローカルニュースで動物愛護の報道をやっているのを目にしました。
お隣の佐賀県のNPO法人さんの取り組みを紹介したものです。
組織的に態勢の整った団体さんで、しっかりと保護活動に取り組んでいらっしゃる様子に感動ですが、そちらでもやはり、150匹を超える犬猫を引き受けていてこれ以上の受け入れは、無理というコメントもありました。
里親さん捜しもされていますが、到底追いつけるような状況でもなく、中でも高齢者さん宅の多頭崩壊状況の支援にも翻弄されている様子も・・。

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TNR活動

そのような状況を見るにつけやはり、きちっとした、公的な相談窓口の設置と啓蒙活動、同時に無料或いは格安の組織的な避妊・去勢活動支援が重要なことと思います。
全国的にそういう活動を組織として取り組んでいる地域もあるわけですから、導入していない行政地域も情報を共有しながら真摯にやり方を学んで頂ければありがたいですね。
すぐすぐに、問題が解決すると言うわけではありませんが、将来的なことを考えると、やはり手をつけていくべき必要があるのでは、と思います。

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動物愛護の抜本的な解決には、民間だけでなく矢張り行政との連携した取り組みが重要なのではと思います❣❢

古事記人名索引 memo Ⅷ(アイウエオ順)

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は 名前 読み方 巻 ページ 登場順の順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人が特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。

ワ行つづき

★ 若沼毛二俣王      ワカヌケフタマタノオホキミ    中   184   324      オウジンテンノウ・オキナガマワカナカツヒメ(クイマタナガヒコ次女)長子(若野毛)

★ 和邇吉師        ワニキシ        中   192   346      百済国照古王ノ命により応神朝来朝-論語・千文字一巻等献上→史首フミノオビト等の祖

★ 若日下部命       ワカクサカベノミコト     下   204   392     ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ハタビノワカイラツメ・ナガメヒメ同→ユウリャクテンノウ求婚

★ 丸邇臣口子        ワニノオミクチコ      下   211   398     山代木津川支配氏族→ニントクテンノウ使者口上伝 クチヒメ(イワヒメ侍女)親

★ 若桜部臣         ワカサクラベノオミ    下   224   409    膳臣一族より独立した新氏族→非時トキジク桜花献上による

★ 丸邇許碁登臣       ワニノコゴトノオミ    下   225   411      難波山代地ノ氏族 ツノノイラツメ(ハンゼイテンノウ妃)オトヒメ(妃)ノ親

★ 若日下部王        ワカクサカベノオオキミ   下   239   445      オオクサカノオオキミ妹-ユウリャクテンノウ大后

★ 若帯比売命        ワカタラシヒメノミコト    下   240   447      ユウリャクテンノウ・カラヒメ長女

★ 丸邇佐都紀臣       ワニノサツキガオミ    下   249   454      丸邇(現奈良天理市)ノ豪族-幻ノ氏族トサレル ヲドヒメ(ユウリャク妃)親

★ 丸邇日爪臣        ワニノヒツマノオミ     下   264   478      丸邇(現奈良天理市)ノ豪族 ヌカノワクゴノイラツメ(ニンケンテンノウ妃)親

★ 若比売          ワカヒメ       下   264   482     三尾君一族(祖イワツクワケオオキミ-スイニンテンノウ子)-ケイタイテンノウ妃

★ 若屋郎女         ワカヤノイラツメ     下   265   511     ケイコウテンノウ・アヘノハエヒメ長女

★ 和知都美命        ワチツミノミコト     中   125   55      シキツヒコ次男 淡道ノ御井宮ニ坐ス ハエイロネ・ハエイロドの親

★ 若日子建吉備津日子命   ワカヒコタケキビツヒコノミコト 中   127   82     ワカタケキビツ同 コウレイテンノウ・イロド次男→吉備下ツ道臣・笠臣ノ祖

★ 若建吉備津日子      ワカタケキビツヒコ     中   127   83      ワカヒコタケキビツヒコノミコト同 コウレイテンノウ・イロド次男 吉備下ツ道臣・笠臣ノ祖

★ 若倭根子日子大毘毘命   ワカヤマトネコオホビビノミコト 中   128   88      コウゲンテンノウ・ウツシコメ三男子→第九代開化天皇カイカ 春日伊耶河イザカワ宮-奈良本子守町率川イザガワ付近 63歳崩御 御陵:伊耶河坂ノ上(奈良市油坂町)

★ 若子宿禰         ワクゴノスクネ     中   130   110      タケノウチスクネ七男→江野間臣等の祖

★ 鸇比売          ワシヒメ       中   130   120     カツラギタルミスクネ娘-カイカテンノウ妃

ヲ行

★ 小㑨王          ヲマタノキミ      中   131   127      ヒコイマスオホキミ・エナツヒメ次男→当麻勾君タギマノマガリノ祖

★ 袁耶本王         ヲアザホノキミ     中   131   132     ヒコイマスオオキミ・サホノオホクラミトメ次男→葛野別・近ツ淡海蚊野別ノ祖

★ 遠祁都比売        ヲケツヒメ       中   131   144      意祁都比売オケツヒメ(ヒコイマスオオキミ母)妹-ヒコイマスオオキミ妻

★ 袁耶弁王         ヲザベノオホキミ    中   141    205        スイニンテンノウ・カグヤヒメ長子

★ 小碓命          ヲウスノミコト      中   154    228      ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ三男(太子)ヤマトヲグナ・ヤマトタケルノミコト同 ヤマトヒメ甥ケイコウテンノウの命を誤解し兄オホウスノミコトを殺害→東西反政権部族平定・帰途途中病に斃れる

★ 袁那弁郎女        ヲナベノイラツメ     中   184    322             ミヤヌシヤガワエヒメ妹(ヒフレノオオミ娘)-オウジンテンノウ妃

★ 小羽江王         ヲハエノオオキミ     中   184    330       オウジンテンノウ・ナガヒメ長子

★ 男浅津間若子宿禰命    ヲアサツマワクゴノスクネノミコト 下   204    387             ニントクテンノウ・イワノヒメ三男→第十九代允恭天皇インギョウ遠ツ飛鳥宮-奈良(大和)飛鳥に都した最初の天皇氏姓を正す甲午年正月15日78歳崩御御陵:河内恵賀長枝(大阪藤井市国府)

★ 長田大郎女        ヲサダノオホイラツメ    下   225    420       インギョウテンノウ・オオナカツヒメ長女同母弟アンコウテンノウ大后と同か?

★ 袁祁王          ヲケノミコ       下   239    442      イチノヘオシハノオオキミ次男ヲケノイハスワケノミコト同→ユウリャクテンノウを避け身を隠す 後の第二十三代顕宗天皇ケンソウ 近ツ飛鳥宮-大阪羽曳野市飛島在位8年 38歳崩御 御陵:片岡の石坏イワツキ岡ノ上(奈良北葛城郡香芝)

★ 袁杼比売         ヲドヒメ       下   249    455             ワニノサツキ娘-ユウリャクテンノウ妃

★ 袁祁之石巣別命      ヲケノイハスワケノミコト   下   259    465                       ヲケノミコ同イチノヘオシハノオオキミ次男→ユウリャクテンノウを避け身を隠す 第二十三代顕宗天皇ケンソウ  近ツ飛鳥宮-大阪羽曳野市飛島 在位8年 38歳崩御 御陵:片岡の石坏イワツキ岡ノ上(奈良北葛城郡香芝)

★ 意富祁王         ヲケノオホキミ      下    263   470                    ヲケ同イチノヘオシハノオオキミ長子→ユウリャクテンノウを避け身を隠す 後の第二十四代仁賢天皇ニンケン 石上広高宮-奈良天理市田辺 書記在位11年 御陵:埴生坂本(大阪藤井寺市青山)

★ 小長谷若雀命       ヲハツセノワカサザキノミコト  下    264   476       ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ長子-第二十五代武烈天皇ブレツ長谷ハツセ列木ナミキ宮-奈良桜井市出雲 在位8年御陵:片岡石坏岡(奈良北葛城郡香芝)

★ 袁本杼命         ヲホドノミコト      下    264   481             オウジンテンノウ5世孫ータシラカノイラツメ(ニンケンテンノウ皇女)婚第二十六代継体天皇ケイタイ 伊波礼玉穂宮-奈良桜井市池之内 丁未年527年4月9日43歳崩御 御陵:三島ノ藍(大阪茨木市太田茶臼山) 

★ 小石比売命        ヲイシヒメノミコト     下   267   519    センカ(センゲ)テンノウ・タチバナノナカツヒメ次女→キンメイテンノウ妃

★ 小兄比売         ヲエヒメ       下   268   548     ソガノイナメ妹・キタシヒメ姨―キンンメイテンノウ妃

★ 小貝王          ヲカヒノオホキミ     下   268   560     ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長子

★ 小治田王         ヲハリダノオホキミ    下   268   561    ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)次男

★ 小張王          ヲハリノオホキミ     下   269   564     ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)五男

★ 小熊子郎女        ヲグマコノイラツメ    下   269   568      イセエノオオカ娘-ビタツテンノウ妃 

以上

中村天風の言葉

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 PHP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。     天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

七月の言葉

*三日 人生の不幸の原因

人生の不幸と云う様なものは他から降って湧いて来る様に自分の人生に飛び込んでくるもんじゃないんだ。何時もよく吟味してみると人生の不幸と云うものは、自分が知る知らざるを問わず自分自身が原因となっていると云う内的事情が発見されます。この内的事情を発見しないとその原因は他に在りと考えてしまい、その不幸に処する場合に自己の責任観念が無いから如何しても自分と云うものをその不幸の淵から救い上げる事が出来ないと云う酷い結果が来てしまう。

*五日 絶対的積極

心が其の対象也相手と云うモノに決して捉われない状態、此れが絶対的な気持ちと云うんだよ。何物にも捉われない心に雑念とか妄想とか或は感情的な色々の怖れとかそう言ったものが一切ない状態。決して張り合おうとか対抗しようとか打ち負かそうとか負けまいと云った様な、そういう気持ちでないもう一段高い処に在る気持ち境地此れが絶対的な積極何ですぜ。

*七日 意志力が弱る三つの原因

意志の力が弱まるには三つの大きな原因がある。第一に潜在意識の中に非常に消極的な観念要素が知らない間にうんと溜まっちゃう事。第二には平素の人生を生きる場合の精神生活態度が、是も気付かないとは言い乍ら何時も臆病で引っ込み思案的なものである事。第三番目は人間が生きていく刹那刹那に避けられない感情や感覚のショックや衝動が、神経系統の生活機能に手酷く悪い影響を与えていると云う事。

*八日 病は忘れる事で治る

肉体は活きる為の道具と考えてごらん。頭が痛かろうがケツが痛かろうが脈が速かろうが、其れは自分がそうなっているんじゃないと。自分の命を入れる入れ物に故障が出来ただけで、その故障は有難い哉自然に心が其れから離れさえすれば治る様に出来ているんだって事を有難く感謝しなきゃ駄目だぜ。消極的観念が無くなると肉体の持っている自然作用がその場所を基の健全な状態にする為に働く出す様に出来ているんだよ。病は忘れる事に拠って治る。

*十二日 真心の尊さ

ちょっと一杯の茶を出すのでも敗と返事をするような些細な行為でも、その時何の報償をも念頭に置かず即ちその人に気に入られ様とか或は好感を持たせ様とか云う様な気持ちでなく、其処に一点何の求むるもの無き純一無雑な心で其れが行われる時、その行為から形容できない温かいものを感じる。それは即ち真心と云うものの持つ尊さの感応である。

*十五日 因縁

この沢山の数多い人の中から知り合いになったと云う事は、到底人智では究明する事が出来ない因縁と云う不可思議な幽玄微妙な作用の致す処である。然るにこの因縁と云う不可思議な作用に因って結ばれて知り合う中となったものを、己の気に喰わぬとか或は心に合致しないとか彼には斯う云う欠点があるとか、又は組みし難き習癖があるとか等々の理由をつけて、批判排斥して折角結ばれた因縁を無にすると云うのは、天意を冒涜するものと云うべきである。

*十八日 悪習を断ち切る

凡そ不平不満を口にする程恥ずかしい事は無い。其れは自分の心を統御出来て居ない事を宣伝して要る様なものである。その実不平不満を口にするからこそ進歩向上があるのだと誤解している人がいるがこの様な人は人生の荒波に翻弄されている憐れな漂流者である。だから価値ある人生を送りたいと願うのなら、この悪い習慣を直様断ち切って荒波を乗り切る爲の積極心を作る努力を日々怠らない事である。

*二二日 不運はカルマの所為ならず

人間が時々病になったり不運命になるのを当然の事と思ったり、又は避ける事の出来ない止むを得ぬ業≪カルマ≫の様に考える考え方は断然訂正すべきである。特に健康難の如きは人間の寿命の絶える時以外は、そう滅多矢鱈と病に侵される筈がないのが絶対の真理である。

*二七日 心はパイプと同じだ

どんな事が在っても忘れてならないのは、心と云うものは万物を生み出す宇宙根元の有する無限の力を自分の中へ受け入れるパイプと同様であると云う事である。パイプに穴が開いていたら漏れてしまうだろ。だからソッポを向いていたら何にもならないよ。パイプで判らない人は光を通す窓だと思いなさい。或は電流を通ずるワイヤーだと思えばよい。

*三一日 宗教と天風哲学

多く云う迄も無く人生は何処まで行っても現実の世界なんだから其れを忘れちゃいけないんだよ。死んでから後が人生じゃないんだから。死んでから後の事迄考え様とするのは宗教なんだ。天風哲学は死んだ後の事なんか考えやしないもん。死んだ後と云うものは明日以後の事なんだもんね。現在只今生きているこの人生と云うもの考えていくと云う事が、私の主義であり主張で或るんだから。

古事記人名索引 memo Ⅶ(アイウエオ順)6/14up

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は 名前 読み方 巻 ページ 登場順の順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人が特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。   人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。

マ行つづき

★ 円野比売         マトノヒメノミコト     中   152   223     タニハ(旦波―丹波)ミチノウシオオキミ娘ーホムチワケ育児係実家へ還

★ 真若王          マワカノオホキミ     中   155   248    ケイコウテンノウ・イナビノワカイラツメ長子

★ 目弱王          マヨワノオホキミ     下   234   435      オホクサカノオオキミ・ナガタノオオイラツメ長子→アンコウテンノウ刺殺す

★ 真若王          マワカノオホキミ     下   264   477      ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ次男

★ 麻組郎女         マクミノイラツメ     下   265   491      オキナガマテの娘-ケイタイテンノウ妃

★ 茨田郎女         マムタノムラジヲモチ    下   265   498      地方豪族首長か セキヒメ(ケイタイテンノウ妃)親

★ 茨田大郎女        マムタノオホイラツメ    下   265   500      ケイタイテンノウ・セキヒメ長女

★ 丸高王          マロコノオホキミ     下   265   507     ケイタイテンノウ・ヤマトヒメ長子

★ 麻呂子王         マロコノオホキミ     下   267   531     キンメイテンノウ・ニカゴノイラツメ長子

★ 麻呂古王         マロコノオホキミ     下   267   539      キンメイテンノウ・キタシヒメ三男

★ 麻怒王          マノノオホキミ      下   268   545     キンメイテンノウ・キタシヒメ八男

★ 麻呂古王         マロコノオホキミ     下   269   574     ビタツテンノウ・ヒロヒメミコト長子オサカノホコヒト同-第35代舒明天皇ジョメイ父

★ 茨田王          マムタノオホキミ     下   270   597     ヨウメイテンノウ・ハシヒトアナホベオホキミ四男

ミ行

★ 道臣命          ミチノオミノミコト    中   115   26    神武東征軍将軍 大伴連ノ祖

★ 三嶋湟咋         ミシマノミゾクイ    中   120   39      大阪地方豪族 茨木溝咋神社

★ 御真津日子訶恵志泥命   ミマツヒコカエシネノミコト  中   125   61          イトク・フトマワカヒメ長子→第五代孝昭天皇コウショウ 葛城掖上宮(奈良御所市池之内附近)崩御93歳 御陵:掖上博多山ノ上(御所市三室)

★ 御真木入日子印恵     ミマキイリヒコイニエ    中   130   114     カイカテンノウ・イカガシメ(コウゲンテンノウ妃・カイカテンノウ継母)長子 →第十代崇神天皇スジン・ハツクニシラシメシシミマキノスメラミコト 師木水垣宮-奈良桜井市金屋志貴御県坐シキノミアガタイマス神社附近 168歳崩御戊寅年12月 御陵:山ノ辺道ノ勾岡ノ上(天理市柳本付近)

★ 御真津比売        ミマツヒメ       中   130   115    カイカテンノウ・イカガシメ長女

★ 水穂之真若王      ミヅホノマワカノキミ- ミズホ    中   131   139      ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ次男→近ツ淡海安直ノ祖

★ 水穂五百依比売      ミヅホノイホヨリヒメーミズホ 中   131   142      ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ長女

★ 御井津比売        ミイツヒメ       中   131   143     ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ次女

★ 朝廷別王         ミカドワケノオホキミ    中   132   154      ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ長男→三川ノ穂別ノ祖

★ 御真津比売命       ミマツヒメノミコト     中   133   175     オオビコ(コウゲンテンノウミコ北陸指導将軍)娘-スジンテンノウ妃

★ 御鉏友耳建日子      ミスキトモミミタケヒコ    中   161   262     吉備臣等ノ祖ーヤマトタケル東国征伐の副将 オオキビタケヒメ(ヤマトタケル妃)ノ兄

★ 美夜受比売        ミヤズヒメ      中   162   263      尾張国造ノ祖・熱田神宮巫女か-ヤマトタケル妃

★ 御火焼ノ老人       ミヒタキノオキマ     中   165   265     夜警篝火を焚き守る老人-賤者 ヤマトタケルにより東ノ国ノ造

★ 三野郎女         ミノノイラツメ      中   184   316     オウジンテンノウ・オトヒメ四女

★ 宮主矢河枝比売      ミヤヌシヤガハエヒメ    中   184   318     ヒフレノオオミ娘丸邇氏族祭祀巫女-オウジンテンノウ妃

★ 三腹郎女         ミハラノイラツメ     中   203   379       ネトリノオオキミ(オウジンテンノウ・ナカツヒメ次男)妻 →庶妹

★ 御馬王          ミマノオホキミ      下   219   404     リチュウテンノウ・クロヒメ次男→ユウリャクテンオウにより殺害さる

★ 三重婇          ミヘノウネメ      下   250   456     伊勢三重の豪族よりユウリャクテンノウへ献上ノ子女巫女か

★ 三尾君加多夫       ミオノキミカタブ     下   265   504      三尾ミオ氏一族(祖イワツクワケオオキミ-スイニンテンノウ子)首長か

★ 耳王           ミミノオホキミ      下   265   508     ケイタイテンノウ・ヤマトヒメ次男

ム行

★ 室毘古王         ムロビコノミコ     中   131   135     ヒコイマスオオキミ・サホノオホクラミトメ三男→若狭ノ耳ノ別ノ祖

メ行

★ 女鳥王          メトリノオホキミ     中   184   321      オイジンテンノウ・ミヤヌシヤガワエヒメ次女→ハヤブサワケ悲恋 ニントクテンノウ求婚ハヤブサワケ共ニ謀反

★ 目子郎女         メノコノイラツメ     下   264   486     オオシミラジ妹-ケイタイテンノウ妃

モ行

★ 百師木伊呂弁       モモシキイロベ     中   202   370       オキナガマワカナカツヒメ妹 オトヒメマワカヒメ同 ワカノケフタマタノオオキミ(オウジンテンノウ・オキナガマワカナカツヒメ長子)妻

★ 物部大前宿禰※      モノノベノオオマエノスクネ  下   228   431      物部氏首長大臣→軽太子・穴穂命戦-軽太子を助けるも後に敗れて引き渡す (書紀:安康前)紀 オホマヘヲマヘスクネーオオマエオマエ同

★ 物部荒甲         モノノベノアラカヒ    下   266   515     物部氏大連―磐井イワイの乱鎮圧将軍

ヤ行

★ 安萬侶          ヤスマロ       序   17    1         正五位上勲五等古事記編纂奏上 太朝臣安萬侶

★ 夜麻登登母母曾毘売    ヤマトトモモソビメ    中   127   76        コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ長女・(大物主妻-紀:崇神紀)

★ 倭飛羽矢若屋比売     ヤマトトビハヤワカヤヒメ  中   127   80       コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ次女

★ 山下影日売        ヤマシタカゲヒメ    中   129   100      ウヅヒコ妹-ヒコフツオシノマコト妻 タケノウチノスクネ親

★ 山代荏名津比売      ヤマシロノエナツヒメ    中   131   124       山代豪族女カリハタトベ同 ヒコイマスオオキミ(カイカテンノウ・オケツヒメ長子)妻

★ 八瓜入日子王       ヤツリノイリヒコノミコ   中   131   141     ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ三男→三野國本巣国造・長幡部連ノ祖

★ 山代大箇木真若王    ヤマシロノオオツツキノマワカノキミ  中   131   145       ヒコイマスオオキミ・ヲケツヒメ長子

★ 八坂之入日子命     ヤサカノイリヒコノミコト    中   133   172        スジンテンノウ・オオアマヒメ次男 ヤサカノイリヒメ(ケイコウテンノウ妃)父

★ 倭日子命        ヤマトヒコノミコト     中   134   181      スジンテンノウ・ミマツヒメ三男-殉死制度始まる →スイニンテンノウ紀28年野見宿禰埴輪献策

★ 倭比売命        ヤマトヒメノミコト     中   141   196      スイニンテンノウ・ヒバスヒメ長女→伊勢神宮斎宮-2代目・倭建命ノ姨オバ ヤマトタケル東征の折草薙剣を賜う

★ 山代大国之淵      ヤマシロのオホクニノフチ    中   141   206     山代国豪族首長か カリバタトベ女

★ 山辺大タカ-(帝+鳥)  ヤマノベノオオタカ     中   149   218      スイニン朝ホムチワケ育児→白鳥捕役

★ 倭男具那命       ヤマトヲグナノミコト     中   154   229      ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ三男(太子)ヲウス同 ヤマトヒメ甥 →東西反政権部族平定   ヤマトタケルノミコト同

★ 倭根子命        ヤマトネコノミコト      中   154   230      ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ四男

★ 八坂之入日売      ヤサカノイリヒメ      中   154   232     ヤサカノイリヒコ(スジンテンノウ皇子)娘―ケイコウテンノウ妃

★ 倭建命         ヤマトタケルノミコト     中   155   250     ケイコウテンノウ・イナビオオイラツメ三男 ヲウス・ヤマトオグナ同

★ 山代之玖玖麻毛理比売  ヤマシロノククマモリヒメ    中   172   275      山代(京都南部)国豪族首長一族か ヤマトタケル妃

★ 妹)八田若郎女     ヤタノワキイラツメ      中   184   320     オウジンテンノウ・ミヤヌシヤガワエヒメ長女→ニントクテンノウ求婚-イワノヒメ(オウジンテンノウ后)嫉妬

★ 山部大楯連       ヤマベノオホタテノムラシ    下   216   400      ニントクテンノウ将軍-ハヤブサワケメ・トリノオオキミ討伐軍将→戦ノ後メトリの手首より勾玉盗む-イワノヒメにより死刑(人道非礼ニヨル)

★ 八瓜白日子王      ヤツリノシロヒコノオホキミ    下   225   425      インギョウテンノウ・オオナカツヒメ四男→ユウリャクテンノウにより殺害

★ 山代猪甘        ヤマシロノイカヒ      下   239   443    朝廷の豚を飼う仕人-オケノミコ・ヲケノミコの逃亡妨害-後年罰さる 

★ 山辺連小楯       ヤマベノムラジヲダテ    下   255   461     針間国宰官

★ 倭比売         ヤマトヒメ        下   265   505      ミオノキミカタブ妹-ケイタイテンノウ妃

★ 八田王         ヤタノオホキミ       下   267   524      キンメイテンノウ・イシヒメ(センゲテンオウ娘)長女

★ 山代王         ヤマシロノオホキミ      下   267   542    キンメイテンノウ・キタシヒメ六男

★ 山代王         ヤマシロノオホキミ      下   269   590     ヒコヒトヒツギノミコ・サクライノユミハリオホキミ長子

★ 倭ハ師木ノ鳥見ノ豊朝倉ノ曙立王 ヤマトハシキノトミノトヨアサクラノアケタツノオホキミ 中 150 602       アケタツノオホキミ同 地名を冠して其持てる呪力を賛美した

ユ行

★ 由碁理         ユゴリ        中   130   111      旦波タノハ(後ノ丹波・丹後)ノ大県主 娘タカノヒメ

★ 弓月君 ※       ユヅキノキミ       中   192   349      秦ノ造ノ祖 応神朝帰化人秦氏の統率者(百済)

★ 由良度美        ユラドミ        中   199   366      タジマヒタカ(タジマヒネ次男)ノ姪→タジマヒタカ妻

ヨ行

★ 余曾多本毘売      ヨソタホビメノミコト     中   126   64      オキツヨソ妹・コウショウテンノウ妃

★ 吉野国主        ヨシノノクニス       中   191   343    吉野郡吉野国栖クズ土着豪族-イワオシワク系譜:朝廷節会参上御贄献上

★ 吉野童女        ヨシノノヲトメ       下   245   452     ユウリャクテンノウ吉野行幸時求婚-仙境吉野川ノ巫女カ

ワ行

★ 若木入日子命      ワカキイリヒコノミコト     中   141   197    スイニンテンノウ・ヒバスヒメ四男

★ 若帯日子命成務天皇   ワカタラシヒコノミコト     中   154   233     ケイコウテンノウ・ヤサカノイリヒメ長子(太子)-第十三代成務天皇セイム 近ツ淡海志賀ノ高穴穂宮ー滋賀大津市坂本穴太町 95歳崩御 乙卯キノトノウ3月15日 御陵:沙紀多他那美(奈良市山陵町

★ 若木入日子王      ワカキノイリヒコノオホキミ    中   154   241       ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇子

★ 若建王         ワカタケルノオホキミ     中   172   268      ヤマトタケル・オトタチバナヒメ長子

★ 和0訶奴気王       ワカヌケノオホキミ      中   173   293     セイムテンノウ・オトタカライラツメ長子

★ 丸邇之比布礼能意富美  ワニノヒフレノオホミ     中   184   317     丸邇氏一族首長か難波山代地方 ミヤヌシヤガハエヒメ(オウジンテンノウ妃)ノ親

ワ行つづく

古事記人名索引 memo Ⅵ(アイウエオ順)

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は 名前 読み方 巻 ページ 登場順の順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人が特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。   人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。

ナ行つづき

★ 中日子王         ナカツヒコノオホキミ    中   203   380     ネトリノオオキミ・ミハラノイラツメ長子

★ 長目比売命        ナガメヒメ      下   204   391    ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ハタビノワカイラツメ・ワカクサカベノミコト同→ユウリャクテンノウ求婚

★ 長田大郎女        ナガタノオホイラツメ    下   234   434      元オホクサカノオオキミ妻-インギョウテンノウ皇女(アンコウテンノウ同母姉ヲサダノオホイラツメ)?或はリチュウテンノウ皇女 中帯姫ナカシヒメか→アンコウテンノウ皇后

★ 難波王          ナニハノオホキミ     下   259   579       ケンソウテンオウ妃イハキオホキミ娘

★ 長目比売         ナガメヒメ      下   265   503      ケイタイテンノウ・セキヒメ三女 ノノイラツメ同

★ 難波王          ナニハノオホキミ     下   269   579       ビタツテンノウ・オミナコイラツメ長子

★ 中津王          ナカツノオホキミ     下   269   584      ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ次男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

ニ行

★ 贄持之子         ニエモツノコ      中   113   21         神武東征援 阿陀の鵜養ウカイの祖(神名)

★ 邇芸速日之命       ニギハヤヒノミコト    中   119   32    登美毘古軍将軍後神武帰順 ニニギ以前高天原より飛来か 物部氏ノ祖 (神名)

★ 仁番           ニホ        中   192   351    百済ヨリ帰化人酒造技術者 ススコリ同 応神朝

ヌ行

★ 沼名木之入日売命     ヌナキノイリヒメニミコト   中   133   173                スジンテンノウ・オオアマヒメ長女

★ 沼羽田之入毘売      ヌバタノイリビメ    中   141   198       ヒバスヒメ(ヒコタタスミチノウシ娘)妹→スイニンテンノウ妃

★ 沼帯別命         ヌタラシワケノミコト    中   141   199     スイニンテンノウ・ヌバタノイリビメ長子

★ 沼代郎女         ヌノシロノイラツメ     中   154   238        ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇女

★ 沼木郎女         ヌナキノイラツメ     中   154   239        ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

★ 額田大中日子命      ヌカタノオホナカツヒコノミコト  中   183   305       オウジンテンノウ・タカギノイリヒメ長子

★ 奴理能美         ヌリノミ       下   210   396      箇木ツツキの韓人((現京都綴喜郡)百済帰化人統率者 奴理使主ヌリノミ同か 養蚕

★ 糠若子郎女        ヌカノワクゴノイラツメ   下   264   479      ワニノヒツマノオミ娘-ニンケンテンノウ妃

★ 沼倉太玉敷命       ヌナクラフトタマシキノミコト  下   267   525      キンメイテンノウ・イシヒメ長子→第三十代敏達天皇ビタツ他田ヲサダ宮-現奈良桜井市戒重       十四年在位甲辰キノエタツ584年4月6日崩御 御陵:川内ノ科長(大阪南河内郡太子町)

★ 糠子郎女         ヌカゴノイラツメ     下   267   529   ヒツマノオミ娘ーキンメイテンノウ妃

★ 糠代比売王        ヌカデヒメノオホキミ    下   269   571       ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母(庶妹)☞タカラオホキミ・タムラノオホキミ同

ネ行

★ 根鳥命          ネトリノミコト      中   184   312       オウジンテンノウ・ナカツヒメ次男 ミハラノイラツメ(庶妹)ノ夫 ナカツヒコ親

★ 根之臣          ネノオミ       下   232   433      坂本臣の祖-タケノウチスクネの子キノツヌノスクネ末裔

★ 泥杼王          ネドノオホキミ     下   268   547      キンメイテンノウ・キタシヒメ十男

ノ行

★ 怒能伊呂比売       ノノヒロヒメ      中   129   108      タケノウチスクネ次女

★ 野之郎女         ノノイラツメ      下   265   502      ケイタイテンノウ・セキヒメ三女 ナガヒメ同

ハ行

★ 蠅伊呂泥         ハエイロネ       中   125   56        ワチツミノミコト長女 オホヤマトクアレヒメ同

★ 蠅伊呂杼         ハエイロド      中   125   58      ワチツミノミコト次女 コウレイテン妃

★ 波邇夜須毘売       ハニヤスビメ      中   128   92      カワチノアオダマ娘-コウゲンテンノウ妃

★ 波多八代宿禰       ハタノヤシロノスクネ    中   129   102      タケノウチスクネの長子→波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君の祖

★ 針間之伊那毘能大郎女   ハリマノイナビノオホイラツメ  中   154   225      ワカタケキビツヒコ娘→ケイコウテンノウ妃

★ 速総別命         ハヤブサワケノミコト   中   184   327       オウジンテンノウ・イトイヒメ長子→メトリノオオキミ悲恋仁徳朝謀反

★ 幡日之若郎女       ハタヒノワカイラツメ    中   184   331      オウジンテンノウ・ナガヒメ長女

★ 春山之霞壮夫       ハルヤマノカスミヲトコ   中   200   369       春山の擬人化→妻問伝承(古伝承集約化か)→大国主八上比売神話類型・ウミサチヤマサチ神話類型(神名)

★ 波多毘能大郎子      ハタビノオホイラツコ   下   204   388     ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘⁻応神朝)長子 オホクサカ同 →アンコウテンノウニ殺サレル

★ 波多毘能若郎女      ハタビノワカイラツメ   下   204   390     ニントクテンノウ・カミナガヒメ(ヒムカウシモロ娘)長女 ナガメヒメ・ワカクサカベノミコト同→ユウリャクテンノウ求婚 

★ 間人穴太部王       ハシヒトノアナホベノオホキミ 下   268   551      キンメイテンノウ・オエヒメ(ソガノイナメ妹・キタシヒメ姨)長女ーヨウメイテンノウ皇后・ショウトクタイシ母

★ 長谷部若雀命       ハツセベノワカサザキノミコト 下   268   554    キンメイテンノウ・オエヒメ三男-第三十二代崇峻天皇スシュン 倉橋柴垣宮クラハシノシバガキノミヤ四年在位 壬子ニズノエネ-592年11月13日崩御 御陵:倉橋の岡(桜井市倉橋)

ヒ行

★ 稗田阿禮         ヒエダノアレ     序   22    7       舎人古事記編纂藤原不比等?

★ 比売多多良伊湏気余理比売 ヒメタタライスケヨリヒメ   中   120   42      セヤダタラヒメ・オオモノヌシの子ホトタタライススキヒメ同 ジンムテンノウ大后

★ 日子八井命        ヒコヤイノミコト     中   122   43      ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの長子→茨田連・手嶋連ノ祖

★ 孫            ヒコ        中   125   54         シキツヒコ長子 伊賀湏知スチ稲置・那婆理ノ稲置・三野ノ稲置ノ祖

★ 日子刺肩別命       ヒコサシカタワケノミコト   中   127   77      コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ長子→高志利波コシトナミ臣 豊国国前クニサキ臣・五百原イホハラ君・角鹿済ツニガノワタリ直ノ祖

★ 比古伊佐勢理毘古命    ヒコイサセリビコノミコト   中   127   78       コウレイテンノウ・オオヤマトクニアレヒメ次男→吉備上ツ道臣ニ祖 紀:崇神記四道将軍吉備地方 -吉備津神社祭神

★ 日子寤間命        ヒコサメマノミコト    中   127   81      コウレイテンノウ・ハエイロド(オホヤマトクニアレヒメ姉妹58)長子→針間牛鹿ウジカ臣ノ祖

★ 比古布都押之信命     ヒコフツオシノマコトノミコト  中   128   90       コウゲンテンノウ・イカガシコメ長子 ウマシウチノスクネの親

★ 比古伊那許士別命     ヒコイナコジワケノミコト    中   129   95     オホビコ次男→膳カシワデ臣ノ祖

★ 比古由牟須美王      ヒコユムスミノミノミコ    中   130   113      カイカテンノウ・タカノヒメ長子

★ 比古国意祁都       ヒコクニオケツ      中   130   116     丸邇臣ノ祖 オケツヒメ兄

★ 日子坐王         ヒコイマスオホキミ     中   131   118      カイカテンノウ・オケツヒメ長子-呪的霊能者の祖 崇神天皇四道将軍-丹波(旦波)国派遣

★ 比古意湏王        ホコオスノオホキミ     中   131   146       ヒコイマスオオキミ・ヲケツヒメ次男

★ 比婆湏比売命・兄比売   ヒバスヒメノミコトーエヒメ  中   132   151        ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ長女-スイニンテンノウ后ーホムチワケ育児係

★ 日子国夫玖命       ヒコクニブクノミコト    中   139   190       丸邇臣ノ祖ースジンテンノウ四道将軍オオビコ軍副将:謀反タケハニヤスオオキミ討伐

★ 冰羽州比売        ヒバスヒメ      中   141   19      ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ長女-スイニンテンノウ后  比婆湏比売命同ーホムチワケ育児係

★ 肥長比売         ヒナガヒメ      中   151   220      肥河ノ女神蛇神→ホムツワケ一夜妻 (神名)

★ 日向美波迦斯毘売     ヒムカノミハカシビメ    中   155   245     日向豪族一族-ケイコウテンノウ妃

★ 日子人大兄王       ヒコヒトオホエノオホキミ   中   155   249     ケイコウテンノウ・イナビノワカイラツメ次男

★ 日向之泉之長売      ヒムカノイズミノナガヒメ  中   184   328      日向豪族一族か?-オウジンテンノウ妃

★ 日向諸県之牛諸      ヒムカノモロガタノウシモロ  中   189   341      日向豪族首長諸県ノ君ーカミナガヒメ父

★ 比売陀君         ヒメダノキミ      下   224   410     スイニン朝ホムチワケ育児→白鳥捕役ノウナカミノオオキミ一族末裔

★ 引田部赤猪子       ヒキタベノアカイコ    下   243   450        引田(現桜井市白河)ノ部民ノ女-ユウリャクテンノウ求婚-忘却

★ 広国押建金日命      ヒロクニオシタケカナヒノミコト  下   264   487        ケイタイテンノウ・メノコノイラツメ長子→第二十七代安閑天皇アンカン勾金箸マガリノカネハシ宮(現奈良橿原市曲川)乙卯キノトノウ535年3月13日崩御 御陵:河内古市高屋-大阪羽曳野市古市

★ 比呂比売命        ヒロヒメノミコト     下   269   572     オキナガノマテ娘-ビタツテンノウ妃

フ行

★ 賦登麻和訶比売命     フトマワカヒメノミコト    中   125   59      シキノアガタヌシの祖  イヒヒヒメノミコト同 イトクテンノウ妃

★ 布多遅能伊理毘売     フタヂノイリビメ    中   141   214      スイニンテンノウ・オトカリハタトベ長女→倭建命妃

★ 布多遅比売        フタヂヒメ      中   172   270      オホタムワケ娘-ヤマトタケル妃

★ 藤原之琴節郎女      フヂハラノコトフシノイラツメ  中   202   376      ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)‣モモシキイロベ(オトヒメマワカ)三女→本居宣長説ーインギョウテンノウ皇女ソトオリノオホキミ

★ 布斗比売命        フトヒメノミコト     下   269   569      ビタツテンノウ・オグマコイラツメ長女

ヘ行

★ 平群都久宿禰       ヘグリノツクノスクネ    中   129   105       タケノウチスクネ四男→平群臣・佐和良臣・馬御樴ウマノミクヒ連等の祖

ホ行

★ 品陀           ホムダ       序   25    10   序に曰く第十五代天皇-応神天皇を指す

★ 富登多多良伊湏湏岐比売  ホトタタライススキヒメ    中   120   41   セヤダタラヒメ・オオモノヌシの子 ヒメタタライスケヨリヒメ同 ジンムテンノウ大后

★ 品牟都和気命       ホムツワケノミコト     中   141   191      スイニンテンノウ・サハヂヒメ(サホビメーサホビコ妹)長子サホビコ謀叛籠城の城にて生 真事とわず (唖) 本牟智ホムチ

★ 品陀和気命        ホムダワケノミコト    中   174   296     チュウアイテンノウ・ジングウコウゴウ次男→オホトモワケ同 第十五代応神天皇(胎中天皇)軽嶋明アルノシマアキラ宮-奈良橿原市大軽町畝傍山東南甲午9月9日131歳崩御 御陵:川内恵賀裳伏岡エガノモフシノオカ(大阪羽曳野市誉田コンダ)

★ 品陀真若王        ホムダノマワカノオオキミ   中   183   299       イホキノイリヒコ・シリツキトメの子 オウジンテンノウ3妃ノ親

★ 火穂王          ホノホノオホキミ     下   267   522       センカ(センゲテンノウ・ワクゴヒメ長子→志比陀シヒダ君ノ祖

★ 品夜和気命        ホムヤワケノミコト     中   174   294     チュウアイテンノウ・オキナガタラシヒメ長子

マ行

★ 真砥野比売命       マトノヒメノミコト     中   132   152       ミチノウシオオキミ・マスノイラツメ次女

マ行つづく

中村天風の言葉

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 PHP研究所

今回から、 中村天風(1876年7月30日 – 1968年12月1日)の著「一日一話」 から毎月その月の言葉を幾つか選びご紹介いたします。

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。     天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

六月の言葉

*一日 自運勢を難しく考えない

人生を余り難しく考えない方が良い。難しく考えると分からなくなる。真理は足元にある。高遠な學理の中に在るのではない。基より軽率な考え方ではいけないが、なまじ学問をした人は真理は遠く大海の底、深山幽谷の奥山に在るような思い違いをすることが多い。人間それ自体の生命存在を思案の中心に於いて考えれば大きな的外れをしないで済む筈である。人間の心の在り方が結局人生を支配する法則の根本である。

*六日 心大らかに

「人各各運命に活きる人世なれば心大らかに過ごさんものを」          之を自分で歌に作っているだけに自分で是を実行している。是は本の瞬間の自分の心の持ち方だ。瞬間消極的な事は心の中に入れないことだ。然し入れない様に頑張ると心の中で戦争しなきゃならないからふっといなしてしまえばいいんだよ。

*八日 不運から心を離す

病也運命から心が離れた時は病が在っても其の人は病人じゃない。運命が悪くても其の人は運命の悪い人じゃない。ようく寝ている人間は何も知らない。何も知らない人間に病があるか。目が覚めて嗚呼病があると思うんじゃないか。運命が良くってもいいか運命が悪い時の事を考えてりゃその人は運命が悪いのと同じだ。その位の事あ羅貯めて私から聞かなくたってもう判ってる筈だ。

*十五日 原因結果の法則

凡そ人生には人生を厳格に支配している一つの法則がある。其れは原因結果の法則である。そして人生と云うものは其の人が自覚するしかないかを問わず、この法則を応用する度合いに比例する。即ち蒔いた種の通り花が咲くと云う法則である。俗に言う善因善果悪因悪果の法則である。人間の運命の中に地獄を作り又極楽を創るのもこの法則があるからである。

*十八日 不幸は幸福を招く原動力

不幸に直面したら先ずその不幸に際しても尚且つ生命を失わずに現実に活きていられる事を感謝する事に心を振り向けるべきである。するとそうした心掛け其れ自体が幸福を招いてくる原動力となるのである。

*二二日 心身統一の効果

あらゆる力と云うものは気と云うモノから生まれる。人間が人間の生命の有りの儘の姿である心身一女如を現実にする爲、心身を統一した活き方を行えば当然生命存在の根源を為す処の気と云うモノの収受量が増大する。そして命の力の内容量も亦当然豊富となりそれが精神方面に表現すれば心の力となり、肉体方面に表現すれば体の力となる。人生建設の根源要素となる体力胆力判断力断行力精力能力の六つの力も之に応じて優秀化してくるのである。

二四日 先ず気分から若返る

年寄染みた物の言い様や動作を出来るだけしないように注意する事である。ものを言う時も溌溂とした気分で丹田の力で出来るだけ勢いのある音声を発する様にし、立ち居振舞いも活発にする事である。所謂若返り法や健康法の効果を挙げる事の根本には此れが必要である。要するに第一に必要な事は先ず気分から若返る事である。即ち精神を青年にする事である。此れが命の源泉である。

*二七日 見えなくてもある

科学的教育を受けた者は、感じないもの見えないものは無いものだと思っている。直に証拠はと聞きます。第一我々の生きている現在の大気の中には、酸素窒素その他の我々の生命性活動を力づけるに必要な要素が存在している、と云う事は誰にも見えやしない。其れでも見えなくたって在ると信じますよ。証拠はとは云いませんよ。人間の住む地球上には電波が縦横無尽に交錯していると云う事は形が見えなくても疑わないでしょう。

*三十日 人間の能力

人間の本来の面目は創造的なものである。それ故に人間が万物の霊長として一切の生物を遼河して優秀なる能力を生れ乍らに賦与されているのは是が在る爲である。しかも特に疎かに出来ない事は、其の賦与量は些かも差別の無い公平なものである。この一言を考慮されても自己の現在使用している能力に対する反省が厳格に行われて、その是正が確実に施されるなら一切の総ては悉く可能に転換され収握される事も亦必然自明の事と感得される。

古事記人名索引 memo Ⅴ(アイウエオ順)

※ 新潮社古典文学集成古事記S54年度版による

※ 表記は 名前 読み方 巻 ページ 登場順の順にて表示

※ ページ数は新潮社古典文学集成54年版古事記による

※ 人名は同一人物の別記・別名また神名と重複するものも全て列記している

※ 普通名詞は個人が特定できるものは表記している

※ 人名表記総数は602 ☞ 内訳 序 12 上 1 中 370 下 219 

全てを網羅したと思いますが、脱記があった場合はご容赦お願いします。   人物の注記は 集大成の注記をも参考に 、古事記内で分かる最低限の説明にとどめています。古事記理解及び日本古代史の基礎知識として活用していただければ幸いです。

ソ行つづき

★ 宗賀之倉王        ソガノクラノオホキミ    下   267   532      キンメイテンノウ・ニカゴノイラツメ次男

★ 宗賀之稲目宿禰大臣    ソガノイナメスクネノオホオミ  下   267   533      豪族宗賀(蘇我)氏一族首長 キタシヒメ(キンメイテンノウ妃)親 タケノウチスクネ子ソガイシカワスクネの裔-蘇我稲目

タ行

★ 高倉下          タカクラジ      中   111   20    熊野豪族 高天原ヨリ神武救護の刀を授かる

 多芸志美美命       タギシミミノミコト    中   119   37       アヒラヒメ・ジンムの子 後に庶子弟により殺害(当芸志美美命

★ 建沼河耳命        タケヌナカワミミノミコト   中   123   46      ヒメタタライスケヨリヒメ・ジンムの三男タケヌナカワ同 第二代綏靖天皇スイゼイ 葛城高岡宮(奈良御所ゴゼ市森脇)崩御45歳 御陵:衝田ツキタ岡(橿原市四条町田井坪)

★ 多芸志泥命        タギシヒコノミコト    中   125   62      イトク・フトマワカヒメ次男血沼別チヌノワケ/多遅麻之竹別/葦井稲置ノ祖

★ 建波邇夜須毘古命     タケハニヤスビコニモコト   中   128   93     コウゲンテンノウ・ハニヤスビメ長子→崇神記謀反企誅殺

★ 建沼河別命        タケヌナカワワケノミコト   中   129   94     オホビコ長子→阿部臣等ノ祖・崇神記:四道将軍‐東海地方

★ 高千那毘売        タカチナビメ      中   129   97     オホナビ妹-ヒコフツオシノマコト妻

★ 建内宿禰         タケウチノスクネ     中   129   101    ヒコフツオシノマコト・ヤマシタカゲヒメ長子→イワノヒメ(ニントクテンノウ后)ノ祖父 セイム~ニントク朝に仕える長寿家臣ジングウコウゴウ朝鮮出兵時霊媒者

★ 竹野比売         タカノヒメ       中   130   112   ユゴリ娘-カイカテンノウ妃

 建豊波豆羅和気王     タケトヨハヅラワケノミコ   中   130   121   カイカテンノウ・ワシヒメ長子→道守チモリ臣・忍海部オシヌミベ造・御名部ミナベ造 稲羽ノ忍海部・丹波ノ竹野別・依網ノ阿毘古等ノ祖

★ 建国勝戸売        タケクニカツトメ     中   131   129  春日豪蔟 サホノオホクラミトメ親 

★ 丹波比古多多須美知能宇斯王 タニハノヒコタタスミチノウシノミコ  中   131   138   ヒコイマスオオキミ・オキナガノミズヨリヒメ長子 娘エヒメ・オトヒメ→スイニンテンノウ朝サホビコ謀反記事     書紀崇神紀:丹波道四道将軍

★ 丹波遠津臣        タニハノトホツオミ     中   132   157    丹波豪族主 タカヒメ(カニメイカヅチ妻)親 

★ 高材比売         タカキヒメ       中   132   158    タニハノトホツオミ娘-カニメイカヅチオオキミ妻

★ 建甕槌命         タケミカヅチノミコト    中   135   187   イイカタシミノミコト子ーオオタタネコノ父-オオモノヌシ系

★ 多遅摩毛理        タジマモリ      中   153   224    三宅連ノ祖・アメノヒボコ系譜子孫→スイニン朝常世ノ国ヨリトキジクノ木ノ実(橘)を持ち帰る

★ 高木比売命        タカキヒメノミコト     中   155   243    ケイコウテンノウ・妾妻2- 皇女

★ 帯中日子命        タラシナカツヒコノミコト   中   171   267   ヤマトタケル・フタジノイリビメ(スイニンテンノウ娘)長子→第十四代仲哀天皇チュウアイ       穴戸豊浦アナトノトユラ宮-山口豊浦郡下関 筑紫訶志比宮-福岡香椎 (壬戌年6月11日)崩御-西暦362年比定?)52歳崩御天皇在位9年 御陵:河内恵我長野西エガノナガノノニシ陵(大阪藤井寺市)

★ 建貝児王         タケカヒコノオオキミ    中   172   274    ヤマトタケル・オオキビタケヒメ長子→讃岐綾君・伊勢別・登美別・麻佐首・宮首ミヤヂ別等の祖

★ 建忍山垂根        タケオシヤマタリネ     中   173   291   穂積臣の祖 オトタカライラツメ(セイムテンノウ妃)ノ親

★ 高木之入日売命      タカギノイリヒメノミコト   中   183   300    ホムダマワカ娘長女-オウジンテンノウ妃

★ 建伊那陀宿禰       タケイナダノスクネ    中   183   303   尾張連ノ祖 シリツキトメ(イホキノイリヒコノ妻)ノ親

★ 玉郎女          タマノイラツメ      中   184   334     オウジンテンノウ・カグロヒメ次女

★ 卓素           タクソ        中   192   347     百済国照古王献上 手人韓鍛テヒトカラカメチ-鍛冶技術者 応神朝

★ 多遅摩之㑨尾       タジマノマタヲ     中   199   356     但馬 (丹波) 国豪族首長か  サキツミ(アメノヒボコ妻)ノ親

★ 多遅摩母呂湏玖      タジマモロスク     中   199   358    アメノヒボコ・サキツミ長子

★ 多遅摩斐泥        タジマヒネ      中   199   359     タジマモトスク長子

★ 多遅摩比那良岐      タジマヒナラキ     中   199   360     タジマヒネ長子→タジマモリノ父

 多遅摩比多訶       タジマヒタカ      中   199   361    タジマヒラナキ次男(長子―タジマモリ)

★ 当摩之咩斐        タギマノメヒ      中   199   363     奈良葛城地帯氏族一族か-スガヒコ妻

 田井之中比売       タイノナカツヒメ     中   199   375    ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)次女-インギョウテンノウ皇后ノ妹

★ 蝮之水歯別命       タヂヒノミヅハワケノミコト  下   204   386    ニントクテンノウ・イワノヒメ三男→第十八代反正天皇ハンゼイ多治比柴垣宮-大阪羽曳野市郡戸コオズ丁丑年7月60歳崩御 御陵:毛受野モズノ(大阪堺市田出井町)

★ 財王           タカラノオホキミ     下   225   416    ハンゼイテンノウ・オトヒメ長男

★ 多訶弁郎女        タカベノイラツメ     下   225   417     ハンゼイテンノウ・オトヒメ次女

★ 橘大郎女         タチバナノオホイラツメ   下   225   427    インギョウテンノウ・オオナカツヒメ三女

★ 高木郎女         タカギノイラツメ     下   263   472     ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ長女

★ 財郎女          タカラノイラツメ     下   263   473      ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ次女

★ 手白髪郎女        タシラカノイラツメ     下   264   475      ニンケンテンノウ・カスガノオオイラツメ四女-ケイタイテンノウ大后

 建小広国押楯命      タケヲヒロクニオシタテノミコト  下   265   488       ケイタイテンノウ・メノコノイラツメ次子→第二十八代ノ宣化天皇センカ・センゲ 檜垌ヒノクマ廬入野イホイリノ宮-奈良高市郡明日香檜前ヒノクマ 在位4年 書記:73歳崩御 御陵:身狭桃花鳥ムサノツキ坂上(奈良橿原市鳥屋)

★ 橘中比売         タチバナノナカツヒメ    下   266   517      ニンケンテンノウ御子?ーセンカ(センゲ)テンノウ妃

★ 橘豊日命         タチバナノトヨヒノミコト   下   267   535     キンメイテンノウ・キタシヒメ長子→第三十一代用明天皇ヨウメイ池辺宮イケノベノミヤ三年在位     丁未ヒノトノヒツジ587年4月15日崩御 御陵:石寸イハレ掖上ワキガミ(桜井市倉橋)→後科長中陵シナガノナカノミササギへ

★ 橘本若子王       タチバナモトノワクゴノオホキミ  下   268   546     キンメイテンノウ・キタシヒメ九男

★ 竹田王          タケダノオホキミ     下   268   559      ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)長子

 多米王          タメノオホキミ      下   269   565       ビタツテンノウ・トヨミケカシキヤヒメ(後のスイコテンノウ)六男

★ 宝王           タカラノオホキミ     下   269   570       ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・タムラノオホキミ同

 田村王          タムラノオホキミ     下   269   583     ビタツテンノウ・オグマコイラツメ次女→ヒコヒトヒツギノミコ妃ジョメイテンノウ母 (庶妹)☞ヌカデヒメ・ヌカデヒメ同

 多良王          タラノオホキミ      下   269   585     ヒコヒトヒツギノミコ・タムラノオホキミ三男(長子ハ舒明天皇ジョメイ)

★ 多米王          タメノオホキミ      下   270   593       ヨウメイテンノウ・オホギタシヒメ長子

 当麻倉首比呂       タギマノクラノオビトヒロ  下   270   598    当麻地方豪族首長 イヒメノコ(ヨウメイテンノウ妃)親

 当麻王          タギマノオホキミ     下   270   600    ヨウメイテンノウ・イイメノコ長子

チ行

 千千速真若比売      チチハヤマワカヒメ     中   127   73     春日豪族 コウレイテンノウ妻

★ 千千速比売命       チチハヤヒメノミコト    中   127   74      コウレイテンノウ・チチハヤマワカヒメ長女

★ 近淡海御上祝       チカツアフミノミカミノハフリ  中   131   136    (滋賀県)御上神社神官

 千千都久和比売命     チチツウワヒメノミコト    中   134   179      スジンテンノウ・ミマツヒメ次女

 知奴王          チヌノオホキミ      下   269   588     ヒコヒトヒツギノミコ・オオマタオホキミ長女

ツ行

 土雲八十建        ツチグモヤソタケル    中   116   28     大和忍坂土着生尾蔟 神武敵対

★ 都怒郎女         ツノノイラツメ      下   225   412   ワニノコゴト娘→ハンゼイテンノウ妃

 都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   225   414     ハンゼイテンノウ・ツノノイラツメ侍女 

★ 都夫良意富美       ツブラオホミ      下   235   436     ケノウチスクネ曾孫豪族葛城氏皇室外戚 カツラギノツブラノオホオミ同 カラヒメ(ユウリャク妃)親-アンコウテンノウ刺殺のマヨワオオキミが逃込む :ユウリャクテンノウに攻めるによりマヨワオオキミと共に死す

★ 都夫良郎女        ツブラノイラツメ     下   265   512     ケイコウテンノウ・アヘノハエヒメ次女

★ 竺紫国石井        ツクシノクニオノイハイ    下   266   514      ケイタイ朝筑紫にて反乱

ト行(テ行ナシ)

★ 登美能那賀須泥毘古    トミノナガスネヒコ    中   110   19      長髄彦 登見毘古―大和登美豪族 神武東征阻む勢力

 登美毘古         トミビコ       中   117   29     大和豪族→長脛彦ナガスネヒコ トミノナガスネヒコ同 神武東征阻む勢力

★ 登美夜毘売  (田+比)   トミヤビメ      中   119   33     トミビコ妹ニ゙ハヤヒ妻(妹登美夜毘売

 常根津日子伊呂泥命    トコネツヒコイロネノミコト   中   125   51      アクトヒメ・アンネイ長子

★ 遠津年魚目目微比売    トホツアユメマグハシヒメ   中   133   167     アラカワトベ娘ースジンテンノウ妃

★ 豊木入日子命       トヨキイリヒコノミコト    中   133   168      スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長子→上毛野カミツケノ/下毛野君等ノ祖

 豊鉏入日売命       トヨスキイリヒメノミコト   中   133   169     スジンテンノウ・トオツアユメマグワシヒメ長女→伊勢神宮祭祀拝斎初代斎宮

 十市之入日売命      トヲチノイリヒメノミコト   中   133   174     スジンテンノウ・オオアマヒメ次女

★ 豊戸別王         トヨトワケノオホキミ    中   154   237     ケイコウテンノウ・妾妻1- 皇子

★ 豊国別王         トヨクニワケノオホキミ    中   155   246      ケイコウテンノウ・ミハカシビメ長子→日向国造ノ祖

★ 登富志郎女        トホシノイラツメ     中   184   336     オウジンテンノウ・カグロヒメ四女

★ 取売王          トリメノオホオキミ     中   203   377     ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ)・モモシキイロベ(オトヒメマワカ)四女

★ 鳥山           トリヤマ       下   211   397     ニントクテンノウ舎人

★ 豊御気炊屋比売命     トヨミケカシキヤヒメノミコト  下   267   538    キンメイテンノウ・キタシヒメ次女-ビタツテンノウ妃→第三十三代推古天皇スイコ 小治田宮三十七年在位 戊子ツチノエネー628年3月15日癸丑ミズノトノウシノヒ 崩御 御陵:大野ノ岡ノ上(奈良宇陀郡室生町大野・橿原市和田か)後ニ科長大陵(大阪南河内郡太子町)

ナ行

 七拳脛          ナナツカハギ      中   171   266     久米直ノ祖ーヤマトタケルノ東西国討伐軍従軍→膳夫

★ 難波根子建振熊      ナニハネコタケフルク    中   179   298    丸邇ワニ臣の祖-神功皇后-太子軍ノ将 反逆軍を斃す

★ 中日売命         ナカツヒメノミコト     中   183   301    ホムダマワカ娘次女-オウジンテンノウ妃

ナ行つづく