カテゴリー別アーカイブ: ねこすき

保護猫いろいろ(=^・^=)💖

250NPO法人あおぞら2024年8月12日 07:46

Blognoteより転記

20匹近くも保護猫が一緒に暮らしていると、其の性格も行動もいろいろ❣❢

見出し画像

家庭内ノラ「ふて♀」😿

画像

もうここに保護されて3、4年ほどになりますね~(=^・^=)
保護された当時は、何とか、抱っこする事も出来たのですが、元来猜疑心が強い子だったのでしょう。保護された時の状況が余り宜しくなかったようで、段々と人を避けるように・・・

今ではほとんど2Fから降りてこず姿を見せる事も、あまりありません。それでも、猫同士では、仲のいい子もいて、特にお気に入りの子は戸畑から姉弟で保護されてきたフレンドリーな弟😾「おと♂」(=^・^=)❣❢
たまに1Fへ来たときなどよく側に寄り添っている姿が見受けられます。

画像
なかなか撮ることできないので、少し前の写真ですが・・

気の合わない子もいるには居ますが、今迄そう大きなトラブルになった事はありません。ほどほどの距離を保って、其々の生き方貫いているのでしょうね(=^・^=)頭いいのかも❣❢

露出の少ない「ちょろ♂」🐱

画像

2Fをねぐらにしていると云えば、もう1匹「ちょろ」がいます。
2Fから降りてくると云う事が無いので、殆ど紹介する機会の無い子です😿
先日、珍しく1Fまで出張してきていました(=^・^=)

2Fに居る時は、ヒトを避けると云う様な処も無く、ベッドで一緒に寝たりもしています。そんな時は何処を触っても大丈夫❣❢
ただ、普段はどちらかと云うとビクビクした感じ❣❢体型に似合わず怖がりさんの様ですね~(=^・^=)
他の子達とは、トラブル起す事も無く、一定の距離を保って、何かトラブルが起きそうになると、急いで姿を隠して、巻き込まれるのを避けているようです。

画像

ちょっと困った処は、下の癖が悪い事😹
トイレの砂が気に入らないのでしょうか。いつもトイレを外して沮喪してます。
まあ、其れも個性とあきらめていますが・・・

この子達は勿論、里親さんへ行けると云う事はほぼ100%ナシ❣❢
長~いつきあいにはなると思いますが、此れも何かの縁なのでしょう。
出来る限り、しっかり面倒見させてもらいましょう(=^・^=)

画像

俳句の基礎memo下

「日本の歳時記」小学館より

このメモは小学館、週発刊の「日本の歳時記」という雑誌の中から、俳句について基礎的要素を25回にわたって俳人山田弘子氏が解説された内容をメモしたものです

本文に入る前に今日は重陽の節句❣❢ そこで俳句関連の記事に寄せて駄句を一句

今年七十五後の雛をばかざりけり 駄句(=^・^=)

では本題です❣❢

★俳句を楽しむ14 山田弘子

【俳句の調べ】

○舌頭に千転せよ

韻律の整った詩とは口調にのせてそのリズム感が心地よさをともなうこと

芭蕉:句調はずんば舌頭に千転せよ⇒去来抄(向井去来)

○やさしい言葉の印象

  • まさをなる空よりしだれざくらかな  富安風生
  • とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな  中村汀女

※平仮名表記の視覚的印象の効果

○リフレインとオノマトペの効果

リフレイン:繰り返し⇒リズミカルな調べ

  • 避暑の娘に馬よボートよピンポンよ  稲畑汀子
  • さみだれのあまだればかり浮御堂  阿波野青畝
  • しぐるるや駅に西口東口  安住敦
  • 東山回して鉾を回しけり  後藤比奈夫

オノマトペ:擬音・擬態語⇒視覚聴覚を刺激

  • チチポポと鼓打たうよ花月夜  松本たかし
  • ささささと火を掃く箒お水取  山田弘子
  • 破調の効果
  • 父がつけしわが名立子や月を仰ぐ  星野立子
  • 犬ふぐりどこにも咲くさみしいから 高田風人子

★俳句を楽しむ15 山田弘子

【俳句と風土】

俳句は自然の季節の変化の中で育まれてきた文藝

○季題・季語への戸惑い

歳時記に分類されている季題・季語と現実のギャップ⇒ずれの解消

○土地に息づく暮らし

  • 三月の島のをのこの甲羅干し  山田弘子

その土地の自然に目を向け土地の暮らしをその土地の心を詠むこと⇒俳句は其々の土地の風土と自然こそ大切にして詠む

  • 遠き家の氷柱落ちたる光かな  高浜年尾(北海道
  • 指さして消ぬべくありぬ蜃気楼  山崎ひさを(富山
  • 金魚田に色浮きたちて雨兆す  村田脩(奈良
  • 御柱はうごかぬ世々のしるしかな  有信(長野
  • 飴伸ばす如くにハブをしごきける  篠原鳳作(沖縄

其々の土地の風土いわば魂と一体となって詠まれた句

※歳時記の季題・季語その解説をしっかり熟読しそれらの本意本情を把握しておくことは勿論大切その上で其々と土地・吟行先の風土を知って向き合う

★俳句を楽しむ16 山田弘子

【実践・応用編】⇒伝えたいことを絞る

○まず戸外に出よう

手帖(句帖)・筆記用具・歳時記を用意

まずは戸外に出て自然と触れ合う

○焦点を絞り込む

注:見た儘を詠むということを鵜呑みにしてあれもこれも入れて単なる報告に終わってしまう⇒どこに焦点を絞るかが大事:眼前の景の中から一つに絞って素直に表現する練習

例)夏の日の句吟外出にて

夏日・夏帽子・ハンカチ・汗・蝉・夏草・夏の蝶・緑陰・涼し・夏雲等々

  • 夏蝶の黄が沈んでは浮かんでは
  • 蝉しぐれ浴びてひと息入れにけり
  • 緑陰のベンチの少し傾ぎゐる
  • 夕立を呼ぶ風らしや木々さわぐ

最初は目の前のことを5・7・5の形にしてみる

○欲張らないこと

あれもこれも17音におしこめると窮屈で余韻の無い句になってしまう⇒焦点がぼける

添削前

  • 仄あかき椿の蕾春を待つ

※下5春を待つで季題が2つになり散漫

添削後

  • 紅仄とのぞく椿の蕾かな

※椿そのものに焦点が絞られている

★俳句を楽しむ17 山田弘子

【実践・応用編2】⇒平明な表現余韻

○原点に戻る

陥り易い弊害-少し難しいそうな言葉を使いたくなる

失敗例)

  • 年立つと船全燈を奢りたる

添削例)

  • 船の灯のあかあかと年移りけり

山田弘子

芭蕉の言葉「三冊子」収録語⇒初心を忘れるな

  • 桐一葉日当たりながら落ちにけり  高浜虚子
  • あはれ子の夜寒の床の引けば寄る  中村汀女
  • 街の雨鶯餅がもう出たか  富安風生

俳句は難しい言葉を用いたり回りくどい表現をする必要はない

平明と云う事は平凡とは違う実は平明で余韻のある句が最も難しい

平明な句は日本語の持つ柔らかさ深さを大切にした句

★俳句を楽しむ18 山田弘子

【実践・応用編3】⇒具象幷抽象の句

具体的な容・景をそっくり詠む⇒具象

本質を捉える観念的表現の句⇒抽象

○具象の句

  • ままごとの飯もおさいも土筆かな  星野立子
  • 水仙の花のうしろの蕾かな  星野立子

対象を確実に把握した伸びやかな個性句

具象は何処に焦点を当てるかで完成度が違ってくる

  • 口開けて閉めて遠目の寒鴉
  • 十五分毎鳴る時計春暖炉

星野立子

写生を重ねるうちに何処をどう切り取るか自ずと会得できるようなる

○抽象の句

  • 春光を剪りとっていく庭師かな  藤野佳津子

春光を切り取る⇒抽象的表現がより具象的な景を想像させる

○抽象と具象を結ぶ

抽象的季語を活かす為には出来るだけ具体的なものを取り合わせる

抽象的季語⇒寒さ・暑さ・春愁・暮春・立夏等々

門々の下駄の泥より春立ちぬ

一茶

  • 下駄の泥という具象が立春の季節感を引き立たせる
  • 秋風やみなぬれひかる鹿の鼻  原石鼎
  • ぬれた鹿の鼻⇒映像的に描くことで秋風の肌感覚が伝ってくる

★俳句を楽しむ19 山田弘子(8/26)

【実践・応用編4】⇒心を物に託す

○季題に込める情感

描く対象に作者の思いや様々な情感を託ス

俳句は自然を詠いまた自然を通して生活を詠い人生を詠いまた自然に依って志を詠う文藝・・

俳句はそう突き詰めた切羽詰まったことを詠おうとしても詠えないそれは季題があるから⇒高浜虚子「俳句への道」

※切羽詰まったこととは結局詠う事ではなく述べることになる

詠うのが詩でありノベルのメッセージである

※季題があるとは喜怒哀楽の情感は季題を描くことによって滲み出てくるもの

○季題が生きている

季題・季語は長い歴史の中で其々の概念とイメージを育てて来た

  • 朝ざくら家族の数の卵割り  片山由美子
  • 家郷の夕餉始まりをらむ夕櫻  大串章

※朝ざくらの句=家族の表情平和無事を祈る緊張感が伝わる

夕櫻の句=望郷の思いが伝わる

作者の主観はストレートには表現されていないが季題の働きの確かさによりそこはかとなく心が伝わり余韻が広がる

○主観・客観は表裏一体

  • 電線のからみし足や震災忌  京極杞陽

T12(1923)9/1関東大震災を詠んだ句

電線にからみし足⇒リアルな客観写生の裏に作者の裏に拭ってもぬぐえぬ慟哭がある 客観写生を究めた奥に大いなる主情有

★俳句を楽しむ20 山田弘子(9/2)

【実践・応用編5】⇒口語俳句

○詠むと書く

俳句が詠うものであるとするなら口ずさむに相応しい言語表現が必要か

○口語俳句と口承性

嫁さんになれよだなんてカンチューハイ

二本で言ってしまっていいの

俵万智-サラダ記念日

日常に話している生の言葉自らの目線で表現する試み⇒ストレートな表現ができる

  • 春は曙そろそろ帰ってくれないか  櫂未知子
  • 着膨れてなんだかめんどりの気分  正木ゆう子

俳句は口承性の文藝⇒坪内稔典

✔ たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ  坪内稔典

○言葉の弾力を身につける

口語と文語何れもその特性を確りと学ぶ

詩に対する自らの言葉に弾力を」つけていくことが大切⇒柔らかな精神

口語俳句では対象となる素材が何であるかが大いに係ってくる

  • パンジーのあなたの好きな色はどれ  山田弘子

日常会話が其の儘句となる

★俳句を楽しむ21 山田弘子(9/9)

【実践・応用編6】⇒吟行

○多様化した吟行

※題詠:机に向かい過去の経験等を手繰りながら創る

※吟行:戸外へ出て自然の風物季節感に触れて創る

①近辺を散策 ②名所旧跡・行事を訪ねる ③宿泊旅行遠距離の旅吟

  • 白牡丹大きく咲きて風もなし  室積波那女①
  • 露草や飯噴くまでの門歩き  杉田久女①

○吟行の際の心遣い

準備:①場合⇒筆記用具・季寄せ

②場合⇒参考資料事前チェック

③場合⇒気候風土チェック・歴史風土等

予備知識が豊富で在る方が句に奥行き幅がでてくる

マナー:迷惑をかけない行動

  • ねむりても旅の花火の胸にひらく  大野林火

★俳句を楽しむ22 山田弘子(9/16)

【実践・応用編7】⇒旅に出る

○旅の持つ力

旅で生まれた作品には実に活き活きとした臨場感が漲る

漂泊の旅⇒西行・宗因・芭蕉等々

スランプ脱出に有効な手段

「月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也 舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老いをむかふるものも日々旅にして旅を栖とす⇒芭蕉・奥のほそ道冒頭

○仲間と旅ひとりで旅

  • 除夜の鐘僧の反り身を月光に  山田弘子-高野山僧房にて

○排枕

排枕⇒俳句に詠む名所旧跡-自分のオリジナル排枕を持つ:その地を繰り返し訪ねる

  • 花の谷湧くが如くに落花かな  稲岡長ヒサシ
  • 櫻もう来年が始まってゐる  稲畑廣太郎
  • 下千本には花人のもう来ない  黒川悦子

吉野山一泊吟行旅にて

原句

  • ほうたるの弧や線描き舞ひ遊ぶ

添削後

  • ほうたるの描きやまざる光の弧

★俳句を楽しむ24 山田弘子(9/30)

【実践・応用編9】⇒推敲と添削2

○一瞬の感動を捉える

原句

  • 今日こそは確と聞きゐしほととぎす
  • 聞きゐしの表現では心の弾みが伝わらない(今日こそは⇒時間的誤差有)

添削例

  • 今しかと声聞きとめし時鳥

原句

  • もちこたふバラのとつさに総くづれ
  • 言葉遣い(選び)が安易

添削例

  • 耐へてゐし薔薇一瞬にくづほれし
  • 壺の薔薇のよよと崩れし夜の卓

○時間の経過と命の動き

原句

  • 水入り外出の間に田植済む
  • 水入り」外出の間」という説明を省き景の変化を

添削例

  • 帰路はもう田植終へたる景ばかり

原句

  • 堰の水しぶき楽しと寄る蛍
  • 楽しの語は蛍の幻想性に不釣り合い

添削例

  • 縺れつつ蛍火増えて来る堰

★俳句を楽しむ23 山田弘子(9/23)

【実践・応用編8】⇒推敲と添削1

○推敲と云う事⇒必ず見直しの習慣

注意点

  • 5・7・5定型か リズム感はどうか
  • 切字が重なっていないか
  • 季題がぴったりはまっているか
  • 文法的に間違いはないか
  • 冗漫になっていないか⇒省略
  • 充分表現しているか
  • 仮名遣い・文字の誤字はないか

○原句を活かす添削

添削指導⇒ことばの順序を変える・てにをはを一字変える:句が生きてくる

  • 堰音の呼びし蛍の乱舞かな

※自らの句から一旦距離を置きそのうえで推敲してみる

★俳句を楽しむ25 山田弘子(10/7)

【実践・応用編10】⇒一句一章と二句一章

○一句一章の句

先師曰く発句は頭よりすらすらといひ下し来たるを上品とす

発句は汝が如く二つ三つ取集めたるものに非ず黄金を打ち延べたる如くなるべし

去来抄

⇒一物仕立て:17音で対象を一点に絞る

  • 流れゆく大根の葉の早さかな  高浜虚子
  • 虹の環を以て地上のものかこむ  山口誓子
  • たらちねの蚊帳の吊手の低きまま  中村汀女
  • 浮いているだけで大きな金魚かな  宇多喜代子
  • 一枚の音を加へし朴落葉   鷹羽狩行

○二句一章の句

発句は物を合すれば出来せり其の能く取合するを上手といひ悪しきを下手といふ

去来抄

⇒一句の中に別々のものを取り合わせる

  • 古池や蛙飛びもむ水のおと  松尾芭蕉
  • 朝顔や濁り初めたる市の空  杉田久女
  • 病葉や鋼のごとく光る海  飴山實
  • 吊忍母ある限り足袋干され  鈴木英子

※いずれも5音12音で描かれたふたつの対象が見事に共鳴し豊かな詩情を醸す

松下幸之助のことば9月

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「宇宙根源の力は萬物を存在せしめそれら.が生成発展する源泉となるものでその力は自然の理法として我々お互いの体内にも脈々として働き一木一草の中までも生き生きと溢れている。」―運を開く言葉より

【九月の言葉】

*一日 苦難も又善し

わが国では毎年台風や集中豪雨で大きな水害を受ける処が少なくない。然し此れ迄の例から見ると大雨が降って川が溢れ街が流されてもうだめかと云えば必ずしもそうではない。数年も経てば被害を受けなかった街よりも却って綺麗に成り繁栄していることが屡々ある。勿論災難や厄難は無いに越したことは無いが思わ牟時に思わぬ事が起こってくる。だから苦難が其れも佳と云う心づもりを常に持ち安易に流されず凡に堕さず人一倍の知恵を絞り人一倍の働きを積み重ねてゆく事が大切だと思う

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

*五日 優しい心

あの人は何処となく豊かな感じのいい人であると云う場合、其れはその人の心がその人の動作に滲み出ているからだと思います。殊に私は女性の尊さと云うものは、矢張り親切な心の顕れている処にこそ本当の尊さと云うものがあるのではと云う感じがします。唯強いばかりではいけません。賢いばかりでもいけません。賢い強いと云う事も勿論大切ですがそれ以上に大事な事は、心の優しさなのです。此れは総てのものを溶かすとでも云う程の力があるのではないでしょうか。その力を失ってはならないと思うのです。

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

*十三日 商売と誠意

誠意に溢れ真剣な想いに満ちた行動は必ず人々の心を捉えずにはおきません。誠意を持って熱心に仕事に取り組んでいる人は常にこうしてはどうだろうかとかこの次にはこんな方法でお客さんに話してみようと云う様に工夫を凝らし色々効果的な方法を考えます。又同じことを説明するにしてもその話し方に自然に熱が籠り気迫が溢れます。そうするとお客さんの方でもその熱心さに打たれどうせ買うならこの人からと云う事に為ってくるわけです。そう云う日々の仕事の態度と云うものが、やがては大きな差となって表れてくるのではないでしょうか。

*十六日 一人の責任

会社が発展するのも失敗するのも結局は総て社長一人の責任ではないだろうか。と云うのは若し社長が東へ行けと云えば、いや私は西へ行きますと云って反対の方向へ行く社員はまずいないからである。殆どの社員は社長が東へ行こうと云えば皆東へ行く。だから東へ行けと云って若し間違ったとしたらそれは社長一人の責任に他ならない訳である。同じ様に一つの部一つの課が発展するかしないかは総て部長一人課長一人の責任である。私は今迄如何なる場合でもそう考えて自問自答しながら事を進める様努めて来た。

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

*二一日 中小企業は社会の基盤

私は中小企業というものは日本経済の基盤であり根幹であると思う。其れが健在であってこそ大企業も持ち味を生かす事が出来るし経済全体の繁栄も可能となる。と共に中小企業は単に経済に於いてだけでなく謂わば社会生活の基盤にもなるものだと思う。詰り色々な適性を持った人が其々に色とりどりの花を咲かす。そう云った社会の姿がより望ましいのであり其処に人間生活の喜びと云うものがあるのではないだろうか。その意味に於いて沢山の中小企業が其々に所を得て盛んな活動をしていると云う様な社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。

*二三日 永遠に消えないもの

高野山には沢山の墓があります。その中で一段と目立つ立派な墓は概ね大名の墓だそうですが、その大名の墓も今日では無縁仏に為っているものもあると云う事です。昔は相当の一家眷属を養い而も明治に為って更に華族として財産を保護されると云う状態が長く続いたにも拘らずそう云う変化があったと云う事を考えてみますと人間の儚さと云うものを身に滲みて感じます。矢張り世の中と云うのは形ではない。幾ら地位が有り財産が有っても其れは何時迄も続くものでは無い。結局永遠に消えないものはその人の心であり思想でありこの世で果たした業績である。そう思うのです。

*二六日 真剣に取り組む

大相撲は相変わらずの人気である。私はその勝負が一瞬の間に決まると云う処が好きである。力士の人達は其の一瞬の勝負の為に毎日朝早くから夜遅くまで、文字通り血の滲む様な鍛錬をし稽古に励んでいる。そしてその成果を土俵の上で一瞬の間に出し尽そうと云う訳だ。我々も今自分の担当している仕事を本業としてこれに打ち込んでいるだろうか。大相撲の人気と云うものの裏には日や稽古に励む力士の姿がある事を思って我々も亦自分の人生自分の本業と云うものに対して日々真剣に取り組んでゆきたいものである。

*二八日 組織や地位に捉われない

今日企業界各企業の間に於ける競争と云うものは非常に激烈なものがある。此の激しい競争に於いて瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に何としても先ず直接の上司に云わねばならないんだとか矢張り組織を通じて処理しなければ叱られるだとか言っていたのでは競争に負けて仕舞うような事もあろう。事の順序としては勿論直接の上司の人に先ず云うべきではあるけれども、どうしても急を要する場合は組織や地位に捉われず即刻処理してゆくことが大切だと思う。何か事ある時には全員が打てば響く様な素早さで活動しなければいけない。

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってく る。

俳句の基礎memo 上

「日本の歳時記」小学館より

このメモは小学館、週発刊の「日本の歳時記」という雑誌の中から、俳句について基礎的要素を25回にわたって俳人山田弘子氏が解説された内容をメモしたものです。

俳句を楽しむ1 山田弘子

【俳句に出会う】

○自然の命と豊かな日本語

  • 雪の朝二の字二の字の下駄のあと         捨女
  • 雀の子そこのけそこのけ御馬が通る        一茶

名句ではあるが現代感覚からは、づれている→現代俳句は自分の言葉で自分の見たまま感じたままを綴る

俳句は自然の命を賛美し日本語の豊かさ深さを学ぶ文藝

○俳句は17音からなる定型詩

  • 主婦にある自由な時間秋灯火          弘子

最初の5音上五 次の7音中七 後の5音を下五又は座五ザゴとよぶ

○季節を表す言葉を入れる

基本は17音の中に季題(季語)を入る。季題とは長い歴史の中で醸成された日本の文化そのもの。

  • 折とりてはらりとおもきすすきかな      飯田蛇笏(秋)
  • 滝の上に水現れて落にけり          後藤夜半(夏)
  • 羽子板の重きが嬉し突かで立つ        長谷川かな女(新年)

○切字を用いる文藝

「や・かな・けり」等の切字を使う文藝

一句に余韻を産み強調する効果働き有、用いる場合は一句にひとつが基本

  • 菜の花や月は東に日は西に          蕪村(切字有り)
  • 詩の如くちらりと人の炉辺に泣く       京極紀陽(切字無し)

-歳時記1(4/8号)

俳句を楽しむ2 山田弘子

【俳句は挨拶】-自然と人事

○俳句における挨拶の心

俳句の対象

自然-山川草木自然現象

人事-人間に関わる事象

挨拶⇒気候の変化・自然の風物への挨拶も含まれる=存問

高浜虚子「虚子俳話」存問の項一節

お寒うございます・お暑うございます⇒日常の存問が即ち俳句

峻嶺を望み大沢を渡る⇒茲にも亦俳句

目見る処耳聞く処⇒俳句がある

心感ずる処神通ずる処⇒そこに俳句がある

○身辺の出来事に向き合う中で

  • 山国の蝶を荒しと思はずや

高浜虚子

S20年長野小諸疎開中 長男年尾が俳人田畑比古を伴い訪ねて来た時の一句 

  • 毛糸編む手を休めずに吾子を守る

稲畑汀子(S33)

  • 昼寝するつもりがケーキを焼くことに

稲畑汀子(S48)

子供に対する母親の存問の心から生まれた句⇒俳句は日常の生活の中で見つけることが出来る 身辺の事象を大事に向き合うことが大切

-歳時記2(4/15号)

★俳句を楽しむ3 山田弘子

【歳時記の読み方・使い方】

○歳時記とは

俳句を作るうえで用いる季題-季語及びそれに関する例句を季節別・月別に分類して集めたもの

現在の歳時記は新暦と旧暦が交差して記述されている

○季題-季語は生き物

一般的に季題-季語は季節別・月別に分けられ更にその中で時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物の各分野に纏められる

見出しと為る季題には類似の季題である傍題が添えられ解説例句が示される

現代は季題の時期の基準は東京となっているので地方に於いて多少の時期的ずれが生じることを理解したうえで自らが実感する季節風物を素直に詠めばよい

季題季語の解説で歴史的背景や行事がどのように定着したか等知ることが出来るので季題-季語の本意本情を把握することが出来る

季題-季語は日本の文化其の物とも云える

-歳時記3(4/22号)

★俳句を楽しむ4 山田弘子

【季題季語の活かし方】

○季題と季語

原点は室町時代連歌連句⇒発句美季節の題を織り込む

季題:公認された美の題目

季語:その美が公認されていない季節の様々な言葉の採取されたもの

          (山本健吉定義)

現代は明確には使い分けされていないが日本の誇るべき文化遺産である

○季題季語は俳句のいのち

季節感だけではなく様々な連想を誘い作品に広がりと安定感を齎す

高浜虚子-花鳥諷詠⇒総ての事象を季題季語に託して詠む

  • 一元的用い方
  • 遠山に日の当りたる枯野かな高浜虚子

枯野其のものが描かれている主観をくぐり出た客観写生の句

  • 二元的用い方
  • 人はみななにかにはげみ初桜深見けん二

人の営みとともに据えることで初桜の季題の本意が発揮されている

  • さみだれや大河を前に家二軒  蕪村
  • 鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨

季題季語が一句の中でどのように働いているかが大切・事柄が先行して季題季語が添え物なってしまってはならない

季語に択して作者の気持ちがにじみ出るような作品

-歳時記4(4/29)

★俳句を楽しむ5 山田弘子

【文語・口語の表現】

○文語の句・口語の句

五七五の定型には文語体の表現が便利 口語の句は定型を崩しやすい

鉄鉢の中へも霰 種田山頭火

咳をしても一人 尾崎放哉

文語体は俳句に格調を齎す

  • 咲き満ちてこぼるる花もなかりけり高浜虚子
  • 大寒の一戸もかくれなき故郷飯田蛇笏

○口語短歌の影響

  • この味がいいねと君が言ったから 7月6日はサラダ記念日
  • 俵万智サラダ記念日
  • 毎年よ彼岸の入に寒いのは正岡子規
  • 水枕ガバリと寒い海がある   西東三鬼

自由な世界は口語ならではのもの

  • じゃんけんで負けて蛍に生まれたの   池田澄子

まずは文語の基本的な働きを知り駆使できる力と鑑賞能力を備えることが先決

-歳時記5(5/13)

★俳句を楽しむ6 山田弘子

【表現-切字について】

代表的切字「や」「かな」「けり」

「や」

1.上五につく

  • 古池や蛙とび込む水の音   芭蕉
  • 秋風や模様のちがふ皿二つ   原石鼎

直観的感慨を掴み一句に空間を作り中七下五の具象化された表現へとつなぐ

2.中七につく

  • ひつぱれる糸まつすぐや甲虫   高野素十
  • 火を投げし如くに雲や朴の花  野見山朱鳥

下五之イメージヲを浮かび上がらせる効果

3.下五につく

  • 長き夜の苦しみを解き給ひしや  稲畑汀子

二人称の相手に語り掛ける叙法‐存問

「かな」

   朝顔の紺の彼方の月日かな  石田波郷

  • 白靴に日のとんでくる歩みかな  嶋田一歩

詠嘆の切字:説明を省略詠み手に想像させる力⇒耶・かなは強い切字の働きあり一句に両方は使わない

「けり」

芥子咲けばまぬがれ難く病みにけり  松本たかし

断定を表す切字:強い響きとキレ・大きな余韻を広げる効果

-歳時記6(5/20)

★俳句を楽しむ7 山田弘子

【表現-切れる句・切れない句】

○切字のない句の切れ

言葉・素材・表現を如何に省略するか⇒切字は句の広がりを出す効果また統一

性を齎す

○切字を用いずに切れのある句

  • だん着でふだんの心桃の花

細見綾子

  • 病人に一と間を貸しぬ花茗荷

星野立子

  • 一月の川一月の谷の中

飯田龍太

切字無しの句で其々に鮮やか切れ味あり

下五が体言(名詞・代名詞)で終わっており切字に変わって働いている

異常は何れも二段切れの句

  • 雪もよひそのまま降らず檻の鶴

草間時彦

三段切れの句⇒時間経過の表現に適す熟練が必要

○切れの見えない句

  • 今日何も彼もなにもかも春らしく

稲畑汀子

  • 鹿垣も夢前川をさかのぼる

加藤三七子

17音全体が一本の棒のように詠まれている⇒切れの目立たない句はリズムに緩急をつける言葉の流れが大切

★俳句を楽しむ8 山田弘子

【表現-比喩】

レトリック(修辞)の用い方

○意外性が大事-直喩AはBのようだ

別名:ごとし俳句

  • 水仙や古鏡の如く花をかかぐ

松本たかし

  • 葡萄食ふ一語一語の如くにて

中村草田男

松本句⇒水仙を象形と捉え古代の鏡を連想させた

中村句⇒葡萄食すが象形一語一語が言葉を噛締めるという連想

象形と連想の語が類似し過ぎは詩的飛躍に乏しくなる

蛍火や山のやうなる百姓家   富安風生

○直接的-隠喩 例えを用いない比喩

暗喩とも 単刀直入に述べる技法

飛躍し過ぎて人に伝わらない比喩にならないよう注意

  • 金剛の露一粒や石の上 川端茅舎
  • 空蝉の一太刀浴びし背中かな  野見山朱鳥

○活喩-ものに命を与える表現

人間以外のもの意志を持たないものを

恰も意志の在る如く喩える擬人法

常套的に用いると陳腐になる危険有

  • クリスマスカードの慕ひゐる祖国  後藤比奈夫
  • 花合歓の抱きこぼしたる港の灯  山田弘子

★俳句を楽しむ9 山田弘子

【助動詞のはたらき】

文語文法の基本をしっかり理解しておく

○助動詞の働き

品詞-単語には名詞・動詞・形容詞など一語で意味を持つものと付属語-助動詞・助詞・接続詞などそれ自体には意味を持たない

助動詞は名詞・形容詞・動詞の末尾について活用しいろんな意味を導く

例)花を摘まず⇒否定・摘みたり⇒完了

摘まむ⇒摘もうという意志を表す

  • 過去や官僚を表す助動詞

「し」「たり」「き」「けり」⇒過去の事実のほか現在における認識も顕わす

  • 雨を来し修二会の僧の素足かな  中岡毅雄
  • 来ることのうれしき燕きたりけり 石田郷子

「つ」「ぬ」「たり」⇒連動作の完了を顕

  • 今朝きつる鶯と見しに啼かで去る  蕪村
  • ひとまづにゑんどうやはらかく煮えぬ  桂信子
  • 餅焼く火さまざまの恩にそだちたり  中村草田男
  • 推量否定の助動詞

「む(ん)」⇒一人称・意志/二人称・勧誘

三人称・推量を顕す

  • 山の闇吸ひし辛夷の白ならむ  山田弘子

「ず」「まじ」「じ」⇒打消しの意

  • 愛されずして沖遠く泳ぐなり  藤田湘子
  • 春の泥誰かわからぬ幌俥  (ず⇒ぬ活用)喜下喜太郎
  • 間違いやすい助動詞

「かり」⇒動詞につく「けり」と形容詞につく「かり」が混同されがち

行にけり○(行く⇒動詞)

涼しけり✖(涼し⇒形容詞):涼しかり

★俳句を楽しむ10 山田弘子

【助動詞の力】てにをはの工夫

助詞を的確に使いこなす事は作句のポイント

○省略できる助詞⇒主語が用言へとつながる場合

  • 鶴羽をひろげ朝かげ放ちけり  山田弘子
  • 足袋白く踊りはじめし阿波踊  上崎暮潮
  • 万緑の宇陀郡ぬけて吉野郡  右城墓石
  • 野菊にも雨降りがちの但馬住  京極紀陽

○目的語を導く助詞の省略

  • 萩挿してくれなゐさやに律の墓  深見けん二
  • 梨食うてすつぱき芯にいたりけり  辻桃子

一字たりと疎かにせず最も的確な言葉で的確な省略をし空間を広げる推敲をする

○「の」と「は」の働き

  • 夕顔の一つの花に夫婦かな  富安風生
  • 文鎮の重たき仕事始めかな  永方裕子

俳句では主語の次の助詞が「が」に代わって「の」が用いられることが多い

  • かろき子は月にあづけむ肩車  石寒太

「を」ではなく「は」の使用によって親の情感がより強く伝わる

★俳句を楽しむ11 山田弘子

【省略は武器】

「言葉の省略」「景の省略」「思いの省略」

○言葉の省略

切字は言葉の省略の際たるもの

  • たんぽぽや長江濁るとこしなへ 山口青邨

「や」の切字の効果⇒広がる世界

  • 風光る誰彼となく水辺かな  中村汀女

「かな」によって読み手の想像が広がる

  • 夾竹桃赤白赤白ハイウェイ  千原草之

動詞の省略による効果⇒スピード感

○景及び感情の省略

  • 一枚の障子明りに伎芸天  稲畑汀子

情景の省略によりその場の雰囲気が強調

  • 秋冷にとり残されてゐたりけり  山田弘子

感情の省略により寂しさが強調される

★俳句を楽しむ12 山田弘子

【写生ということ①】無になる

○写生の大切さ

写生を最初に身につけおくかどうかは俳句の将来に大きくかかわる⇒正岡子規方法論

客観写生⇒高浜虚子:主観感情を直接詠むのではなくそれらを呼び起こした要因を客観的に詠む

○どうしたら写生が出来るか

戸外を歩くときは筆記用具・句帖携帯-目に映るものを書き留める(写生)

  • 春浅き川辺に馬を馴らしをり 山田弘子

まず自分を無にすることそうすると対象が自分の方に近づいてくる

★写生とは対象を言葉で表現する作業

  • 滝の上に水現れて落ちにけり  後藤夜半

客観写生の不朽の名作⇒ことば力

※見た儘を写生して俳句を作ることの繰り返しの中にその人の主観が滲み出てくるようになる

★俳句を楽しむ13 山田弘子

【写生ということ②】見るから観るへ

○写生と主観

高浜虚子:客観写生に務めているとその客観描写を通し主観が浸透して出てくる作者の主観は隠そうとしても隠すことが出来ないのであって客観描写の技倆が進むにつれて主観が頭を擡げてくる

-俳句への道

表面的にものを見るのではなく一歩進んでものをより深く観る

  • 甘草の芽のとびとびのひとならび 高野素十
  • づかづかと来て踊子にささやける  高野素十

※素十の目は接眼レンズのように対象物をクローズアップさせたり深く内面的なものに迫ったりする⇒個性的且つ主観的句になっている

○急がば回れ

先ず面倒でもものをしっかり観る客観写生の習練を繰り返す

(京都錦市場吟行12月)

  • 錦市場師走詰つてをりにけり  海輪久子
  • 着膨れて錦市場はなほ狭し  森岡喜恵子
  • 裸電球河豚の目に点りけり  大川隆夫

あっぱれ!!もも=^_^=


NPO法人あおぞら
2024年7月29日noteより 転写

https://note.com/2019dobutu


旧盆の時期となりました。 この時期を過ぎると秋の雰囲気も高まって来る時節です。道端に迷っている仔猫を保護して15年目となる「もも」が 今年、7月下旬に、彼岸へと旅立ちました。
「もも」を偲んでnoteから再録します。

大往生(=^..^=)ミャー

(想い出の写真を・・)

画像


「大往生」と言うには少し早かったかもしれません。
でも、威厳を保った最期は、見事としか言いようがありませんでした。
今日(7月29日日付の変わる午前0時ころに息を引き取りました。
傍目には苦しむ事も無く、静かに静かに息を引き取ったという感じす。
思い出は尽きませんが、今は、唯々、ゆっくりと休んでと願うばかり・・

画像

こちらの世界では気の合うもの、合わないものとはっきりと一線を画し、猫同士の間では性格の激しい、ボス猫ぶりを発揮していた「もも」ですが・・

画像


向こうの世界では、先に逝った仲間たちが、大勢で迎えてくれることと思います。
小さい時に、よくかわいがってくれていた小倉北区井堀からきていた保護猫
「ちび」も向こうの世界で、待ちかねているかもしれません😻

画像


また、彼岸の世界では、楽しく、賑やかに過ごしてくれることと、信じましょう。

        「夏盛りボス猫ももの大往生」=^_^=駄句

画像
闘病中「もも」❣❢

ひょっとしたら、7月中旬から姿を隠した、外猫の「くろ」も一足先に逝って待っていてくれてるのかもしれませんね~。

画像


それにしても、この夏は何時もに増して一段とキツイ!!

画像

199

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 雨が降れば傘をさす。其の平凡な事をごく普通にやる。私心に捉われれば天然自然の理―何が正しいかが見えなくなる。」―運を開く言葉より

【八月の言葉】

*二日 人間は初めから人間である

人間は其の歴史に於いて様々な知識を養い道具を創り出し生活を向上させてきました。然し私は人間の本質そのものは初めから変わっていないと思います。人間は元々人間であって人間そのものとして向上してきたと思うのです。私は人間が猿から進歩したと云う様な考え方に対しては疑問を持っています。猿は矢張り最初から猿であり虎は最初から虎であり人間は最初から人間であると思うのです。人間は初めから人間として素質特性を与えられ自らの努力によって知識を深め道具を拵えて自らの生活を高めて来たそれが人間の歴史だと思うのです。

*四日 もっと厳しく

昔の武士は朝早くから道場に出て血の滲む様な稽古に励んだと云う。そして師範や先輩達の木刀を身に浴び乍ら何くそと立ち向かう裡に自ずと腕も上達していった。又商人であれば丁稚奉公から勤め始め主人や番頭に横っ面の一つも張られ乍らお辞儀の仕方からものの言い方迄一つ一つ教えられつつ商人としてのものの見方考え方を養っていった訳である。勿論その様な修行の過程には好ましくない面もあったであろう。併し少なくともそうした厳しい修行が人を鍛えその真価を発展させる上に役立ったと思う。其れは今日にも適用する事であろう

八日 素直に有難さを認める

今日皆さんがこの会社に入社する事が出来たのは一つには皆さんの努力に拠るものでしょう。然し決して自分一人の力でこうなったと自惚れてはなりません。会社にしましても世間からご贔屓を頂いているからこそ今日こうして成り立っているのです。ですから個人にしても会社にしても或は国の場合でもやはり謙虚にものを考えその物事の成り立っている背景也人々の恩恵というものを正しく認識しなければなりません。そして協力してくださる相手に対しては素直に喜びと感謝を表し自分達も是の相応した働きをして行く事が大切だと思います。

*十日 欲望は生命力の発現

欲の深い人はというと普通は善くない人の代名詞として使われている様陀。所謂欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件が余りにも多い為であろう。しかし人間の欲望と云うものは決して悪の根源ではなく人間の生命力の表れであると思う。例えて云えば船を動かす蒸気力の様なものであろう。だから是を悪としてその絶滅を計ろうとすると船を止めてしまうのと同じく人間の生命をも絶ってしまわねばならぬことに為る。つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく生其の物であり力だと言って良い。だからその欲望を如何に善に用いるかと云う事こそ大事だと思う。

*十三日 投資をしているか

書物によると太閤秀吉と云う人は馬の世話をる係になった時、主人である織田信長が乗る馬を立派にする為に、自分の僅かな給料を割いて人参を買って食べさせてやったと云う事です。是は一つの誠意ある投資だと思うのです。そこで皆さんは投資をしているかと云う事です。その様に一旦貰った給料を会社へ又献金する必要はありませんが、然し自分夫の知恵で投資するか或は時間で投資するか、何らかの形で投資すると云う面が自分の成長の為にも必要だと思うのです。又其れ位の事を考えてこそ一人前の社員と云えるのではないでしょうか。

*十五日 平和の価値を見直す

最近平和と云うものが何か言わば空気や水の様に極当然に存在するものと云った感じが強くなってきたのではないだろうか。平和の貴重さ有難さが段々忘れられつつあるように感じられる。其れは危険な事だと思う。平和は天然現象ではない。人為と云うか人間の自覚と努力によって初めて実現され維持されるのである。だからこの際お互いにもう一度平和の価値と云うものを見直してみたい。そしてこの価値を知ったうえで国民として何を為すべきかを考え合いたい。差もないと折角続いたこの貴重な平和を遠からずして失う事にも成ってしまうのではないだろうか。

*十六日 道徳は実利に結びつく

社会全体の道徳意識が高まれば、先ずお互いの精神生活が豊かに成り少なくとも人に迷惑を舁けない様になります。それが更に進んで互いの立場を尊重し合う様に成れば人間関係も良くなり、日常活動が非常にスムーズに行く様になるでしょう。又自分の仕事に対しても誠心誠意之に当ると云う態度が養われれば、仕事も能率的に成り自然により多くのものが生み出される様になる。つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると云えるのではないでしょうか。そう考えるならば私達が道徳に従って全ての活動を行うと云う事は、社会人としての大切な義務だと云う事にも成ると思います。

*十九日 自由と秩序と繁栄

自由と云う姿は人間の本性に適った好もしい姿で自由の程度が高ければ髙い程生活の向上が生み出されると云えましょう。併し自由の半面には必ず秩序が無ければならない。秩序の無い自由は単なる放恣に過ぎず社会生活の真の向上は望めないでしょう。民主主義の下に在ってはこの自由と秩序が必ず求められしかも両者が火を追って高まっていく処に進歩発展と云うものがあるのだと思います。そしてこの自由と秩序と云う一見相反するような姿は実は各人の自主性に於いて統一されるもので、自主的な態度が自由を放恣から守り、無秩序を秩序に換える根本的な力になるのだと思います。

*二一日 カンを養う

カンと云うと一見非科学的なものの様に思われる。併し勘が働く事は極めて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断の出来るカンを養わなくてはいけない。其れではそうしたカンはどうしたら持つ事が出来るのか。是は矢張り経験を重ね修練を積む過程で養われていくものだと思う。昔の剣術の名人は相手の動きを勘で察知し切っ先三寸で身を躱したと云うが其れは其れこそ血の滲む様な修行を続けた結果であろう。その様に指導者としても経験を積む中で厳しい自己鍛錬に拠って真実を直感的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。

*二四日 我執

一人一人の人が其々に自分の考え自分の主張を持つと云う事は民主主義の下では究めて大事な事である。が同時に相手の言い分もよく聞いて是を是とし非を非としながら話し合いの裡に他と調和して事を進めて往くという事も、民主主義を成り立たせる不可欠の要件であると思う。若しも此の調和の精神が失われ其々の人が自分の主張のみに捉われたら其処には個人的我執だけが残って争いが起こり平和を乱すことに為る。今日の我が国の現状世界の情勢を見るとき、今少し話し合いと調和の精神が欲しいと思うのだが如何なものであろう。

*二五日 為すべき事を為す

治に居て乱を忘れずと云う事がある。太平の時でも乱に備えて物心共の準備を怠ってはならないと云う事で指導者として極めて大切な心構えである。とは言え人間と云うものは兎角周囲の情勢に流され易い。治にあれば治に溺れ乱に遇えば乱に巻き込まれて自分を見失って仕舞勝ちである。そう云う事無しに常に信念を持って主体的に生きる為にはやはり心静かに吾何を為すべきかを考えその為すべき事を只管成して行く事が大切である。指導者の要諦とは見方によってはこの為すべき事を為すと云う事に尽きるとも言えよう。

*二七日 職責の自覚

お互いに欠点と云うものは沢山あり何もかも満点と云う訳には往かない。だから自分の足りないところは他の人に補って貰わなければならないが、其の為には自分自身が自分の職責を強く自覚しその職責に対して懸命に打ち込むと云う姿勢が大切である。仕事に熱心であれば自ずから自覚が高まるし職責の自覚があれば人は亦常に熱心である。そうした自覚奏した熱意は多くの人の感応を呼び協力も得られ易くなる。そう云う事から自らの職責を自覚し全身全霊を打ち込むと云う心掛けだけはお互いに疎かにしたくないと思うのである。

*三一日 辛抱が感謝になる

我々が一生懸命に仕事をしても世間が其れを認めてくれなかったら非常に悲しい。そんな時その悲しさが不平となり出てくるのも一面無理のない事だと思う。然し認めてくれないのは世間が悪いという解釈もできるがまあ一寸辛抱しよう。今認めてくれなくてもいつか認めてくれるだろう。とじっと耐え忍びいい仕事を続けていくと云うのも一つの方法である。そして認めて貰ったら是は非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。より多く我々を認めてくれた社会に対して働かなくてはいけないと云う感謝の心になってくる。そういう心が無ければいけないと思う。

😹まだまだですね・・

NPO法人あおぞら2024年6月21日 分転記です

近頃、いろんな、地域での愛護活動の皆様の活動内容がSNSに発信されています。小さな命を守ろうという活動は、単に動物愛護というだけではなく、突き詰めていけば、教育問題にも、福祉問題にもつながる事と思っています。各地域の自治体での取り組みが、バラバラなのはおかしな話だなとも感じます。
こういう面では動物愛護取り組みの先進国から見ると、矢張り、日本はまだまだ遅れているなあという感じですね。

画像



紹介するのは、今、当に知事選で、マスコミにも注目されている東京都のお話です。
署名協力のmailが来ていました。
動物愛護に対しての意識の低さが覗える内容❣❢

自治体の愛護活動に関しての取り組みでは、北九州も大きな事は言えない感じがしますがそれでも、啓蒙活動の為のポスターぐらいは用意されていますよね~❣❢

mail内容一部紹介

画像

【6月末まで!】北区保健所に動物虐待防止のための効果的なポスター作成を求めます

私たちの地元である東京都北区・田端で悲劇が起きました。
地域猫のエサに強酸性洗剤サンポールが撒かれ、猫が大怪我する事件がおきたのです。2匹はエサを食べることができなくなってしまいました。※
犯人はこれみよがしに、使用したサンポールの容器を現場に置き去っていったといいます。
もちろん警察に通報されましたが、いまだ犯人の特定には至っていません。
事件を知った地域猫活動ボランティアは、「動物虐待は犯罪」というポスターを貼ってほしいと保健所に要請。
ところが、保健所はこの要望を「どんなポスターを作ろうが保健所の勝手だ」「予算がない」という理由で断りました。

田端に隣接する文京区や豊島区では何年も前から各自治体独自のポスターがあり、警察署・保健所への通報先も明記されているのにも関わらず、です。
北区保健所はこうした抑止力あるポスターを作成していません。

ポスターなんかで何か変わるの?とお思いの方もいるかもしれません。しかし、犯罪を未然に防ぐためには、すみやかな情報提供や通報が必要です。そのためには、保健所と警察署への連絡先が明記された効果的なポスターが必要不可欠なのです。

山田区長は政策で「ペットは家族と同じ。「動物愛護の北区」を目指して、終生飼育の啓発と環境整備、区内殺処分ゼロ、保護ねこ・保護いぬの里親制度を充実」とうたっています。保健所のずさんな対応をどう捉えているのでしゃうか。一刻も早い動物虐待防止への行動を求めます。

みなさまには署名活動・SNSでの拡散にご協力いただきたく存じます。
小さな命がないがしろにされているこの町を変えたいという、私たちの切なる望みをどうか一緒に届けてください。

1日でも早い請願のため、期日を2024年6月30日までとします。
※2024年5月15日現在、怪我を負った2匹は無事に保護され、ボランティアの自宅で安静に過ごしています。

ワンクリックで賛同!

画像

ポスター作るくらいそんなに費用掛かるものでもないでしょうに、矢張り意識の問題なんでしょうか😹

※ 署名募集は終了しています。悪しからず(=^・^=)

画像

235

ー飽く迄、個人としてのー

現在の政治家の皆様、素晴らしい頭の持ち主が揃っているのでしょうが、如何も一般庶民の目から見ると何となく、机上の空論的な施策が多いように感じます。飽く迄、個人の感想ですが・・・・
現 岸田首相も安岡正篤師の著作を勉強していますと堂々と述べていらっしゃいますが、一体何を学ばれたのでしょうか。と、首をかしげたくなるようなところも多々ある様に思います。飽く迄個人的な意見ですが・・・         

今回は、政治・公務を執り行うものにとって、忘れてはならない大切な事ではと思う文章を2,3、抜き書きしてみました。其れ位の事は心得ているという政治家の皆様も知識としてではなくもう一度、肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。飽く迄個人の意見ですが・・・

西郷隆盛遺訓より

一 廟堂に立ちて大政を爲すは天道を行ふものなれば、些とも私を挾みては濟まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈み、廣く賢人を選擧し、能く其職に任ふる人を擧げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆゑ眞に賢人と認る以上は、直に我が職を讓る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程國家に勳勞有る共、其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸祿を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるゝに付、然らば尚書(○書經)仲之誥(チュウキコウ)に「徳懋(サカ)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相配し、功と賞と相對するは此の義にて候ひしやと請問せしに、翁欣然として、其通りぞと申されき。

山本七平「人間集団における人望の研究」より

祥伝社1991.2.20初版  2015.6.20記

民を貴しとなし社稷は之に次ぎ君を軽しとなす この故に丘民(キュウミン-衆)に得られて天子となる 孟子-尽心章句下 

「天下の事を公にすと雖も若し私意を用いてこれを為さば便ちこれ私なり」      近思録 

人望の条件-九徳     書経より  

① 寛にして栗-カンニシテリツ‐寛大だがしまりがある

② 柔にして立‐ジュウニシテリツ‐柔和だが事が処理できる

③ 愿にして恭‐ゲンニシテキョウ‐慎みがあり丁寧

④ 乱にして敬‐ランニシテケイ‐事を治める能力があり敬虔

⑤ 擾にして毅‐ジョウニシテキ‐外柔内剛→易学 地天泰

⑥ 直にして温‐チョクニシテオン‐正直率直で温和

⑦ 簡にして廉‐カンニシテレン‐事に簡易だがしっかりしている

⑧ 剛にして塞‐ゴウニシテソク‐剛健にして裡は充実

⑨ 彊にして義‐キョウニシテギ‐剛勇だが義に正しい

百朝集―安岡正篤著 より

七二章 人心の正否

 郡夷競ひ来る。国家の大事とはいへども、深憂とするに足らず。深憂とすべきは人心の正しからざるなり。苟も人心だに正しければ、百死以て国を守る。其の間勝敗利鈍ありといへども、未だ遽(ニワ)かに国家を失ふに至らず。苟も人心先づ不正ならば、一戦を待たずして国家を挙げて夷に従ふに至るべし。然れば今日最も憂ふべきものは、人心の不正なるに非ずや。 吉田松陰「講孟余話」

本文は「孟子」滕文(トウブン)公章の「我亦正二人心息二邪説」云々の箇所を講ぜし所に在る。総じて策士俗人の目のつき易いところは形の上の事である。しかし真の志士先覚者は、其の精神如何をみる。機械兵制は末であり、人心が本である。本立たずして、どうして末の全きものがあろうか。根本たる人心が不正のままにいたならば、如何に法を厳にし、制度を整え、為政者が声を涸らして叱呼(シッコ)するも、効果の見るべきものはなかろう。おそるべく憂うべきは外敵ではない。ただ我等人々の心の正しからざるこそ深き憂であるのだ。されば松陰も「獄舎問答」中に「今の務むべきものは、民生を厚うし、民心を正しうし民をして生を養ひ死に喪して憾(ウラ)みなく、上を親しみ長に死して背くことなからしめんより先なるは無し。是を務めずして砲と云ひ艦と云ふ。砲艦未だ成らずして、疲弊之に随ひ、民心是に背く。策是れより失なるは無し」と云う所以である。再軍備論者もこれに注意せねばならぬ。

参考に昭和時代の首相の言葉から

次の言葉は、第64代・65代の首相を務めた田中角栄が大蔵大臣に就任した時の大蔵官僚への訓示の一説、此れだけの事を堂々と話せる大臣が果たして今の日本にいるのでしょうか。

「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室にきてほしい。何でも言ってくれ。上司の許可を得る必要はない。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。 」

一寸寂しさも‥(=^・^=)💖

NPO法人あおぞら2024年 noteより転記

近辺の状況は


ここ門司港、関門トンネル近くの町内では、外猫・街猫の姿が、最近めっきりと減って来た様にも感じます。
昨年、町内の方々が協力して、まとまったTNRを実施いたしましたが、矢張り、その影響もあるのでしょうか😿

事実、長年外猫達の面倒を見てこられていた近所の方も、ご飯は食べに来ない事は無いが、余り近辺をうろうろしている姿は見かけなくなった。
今の時期、仔猫がちょろちょろしていたが、その姿も、めっきり見えなくなったので、ちょっと淋しい気もすると、先日お話されていました。

TNRの成果が出ていると云う事になるのでしょうが、長年外猫達とかかわってきた方にとっては、何となく物足りない気になるのかもしれません。

成果が上がって嬉しい様な、反面淋しい様なちょっと複雑な気持ちかも。

ここに長年通ってくる、2匹の地域猫は、未だ、定時に訪れますが、前に比べると体弱って来ている様には見えます。
一昨年程前にふらっときて暫く居ついていた通称「チャップリン」も、何時の間にか姿を消してしまいました。

画像


今通ってくるこの子達も何れは姿を消す事になるのも致し方ありません。

何時どうなってもおかしくない感じですが、通ってくる間は、しっかり食べモノだけは不自由しない様、気を付けてあげる事にしましょう。

画像

外猫・街猫たち、多ければ多いで問題有ですが、少なく為ればなったで、其れもちょっと淋しい気もしますが・・😹
複雑な気持ちはありますが周りの環境や、面倒見る側の年齢等々考えると、現状では、TNRの実施も致し方なしと云う事になりますね~。

画像

と云う事で、今は有志の方々の御協力を得ながら、TNRを実施し、今いる子達の面倒をしっかり看ていくと云うのがベストと云うところでしょうか。

208

松下幸之助のことば

前回6月までの、哲人「中村天風の言葉」に変わり、今回から、経営の神様と謳われた松下幸之助翁の言葉を月1回、掲載いたします。

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばせていただいてますので、ご興味ある方は、難しいとかまた、高価な書物とか云う事は有りませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「一のものは一と見るようにしてきた」この物事の本質実相を見抜いた心こそ松下幸之助が終生大事にし、求め続けた「素直な心」              「運を開く言葉」より

松下幸之助一日一話    

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫 発行所 PHP総合研究所05年8月22日初版 発行PHP文庫  

【七月の言葉】

*一日 素直な心の初段

聞く処によると碁を習っている人は大体一万回ぐらい碁を打てば初段に為れると云う事です。素直な心の場合も其れと同じ様な事が言えるのではないかと思います。先ず素直な心になりたいと朝夕心に思い浮かべ、そうして絶えず日常の行いに捉われた態度がなかったかを反省する。そういう姿を一年二年と続けて一万回約三十年を経たならば、やがては素直の初段とも云うべき段階に到達する事も出来るのではないかと思うのです。素直の初段にもなったならば先ず一人前な心と云えるでしょう。だから大体に於いて過ち無き判断や行動が出来るようになってくると思います。

*五日 責任を生甲斐に

人は成長するに連れて段々その責任が重くなってきます。そして成人に達すると法律的にもはっきり少年の頃とは違った責任を問われます。又次第に高い地位に就くようになると其れだけ責任が重くなります。併し人は元々責任を問われる処に人としての価値があるのだと思います。責任を問われることが大きければ大きい程其れだけ価値が高いと云う事が言えましょう。ですから責任を問われる処に生甲斐も有ろうと云うものです。責任を背負いその事に生甲斐を覚えないとしたら年齢は20歳をどれだけ過ぎようと一人前の人ではありません。

*七日 信ずる事と理解する事

繁栄平和幸福をより早くより大きく生む爲には信ずる事と理解する事-この二つを全うしてゆかねばなりません。と云うのは信を誤らない為には理解を正しく働さなければなりません。

理解を捨てると迷信に陥り易く復理解だけで信ずる心が無ければ信念に弱さを生じてしまうからです。では信斗解を全うしてゆくにどうすればよいか。其れには先ず素直な心に為る事です。正しい理解も素直な心から生まれてきますし信ずる事も素直な心から高まってくると思います。心が素直であって信と解が共に高まればあらゆる場合に適切な働きが出来るようになると思います。

*十一日 礼儀作法は潤滑油

私は礼儀作法と云うものは決して堅苦しい物でも単なる形式でもないと思います。其れは云わば社会生活における潤滑油の様なものと云えるのではないでしょうか。職場では性格や年齢物の考え方等色々な面で異なる人々が相寄って仕事をしています。そのお互いの間を滑らかに動かす役割を果たすのが礼儀作法だと思うのです。ですから礼儀作法と云うものは当然心の籠ったものでなければなりませんが、心に思っているだけでは潤滑油とはなりません。やはり形に表し相手に伝わり易くし心と形の両面が相俟った適切な礼儀作法であってこそ初めて生きてくると思うのです。

*十三日 世論を超える

一般に指導者と云うものは世論と云うか多数の意見を大切にしなくてはいけない。世論に耳を傾けず自分一個の範dんで事を進めて行けば往々にして独断に陥り過ちを犯す事に為ってしまう。けれども其れは飽く迄平常の事である。非常の場合には其れだけでは処し切れない面も出てくる。そういう場合には指導者は世論を超えてより高い知恵を生み出さなくてはいけない。常は世論を大切にし世論を尊重しつつも非常の場合には敢えて其れに反してもより正しい事を行う。其れが出来ない指導者ではいけないと思う。

*十七日 自他相愛の精神

個人と個人との争い国と国との争いは、相手を傷つけ更には社会全体世界全体を混乱させる。そういう争いの大きな原因は自他相愛の精神と云うか、自分を愛するように他人を愛し自国を愛するように他国を愛する精神の欠如によるものであろう。そういう精神の大切さは昔から色々な教えに拠って説かれてい乍ら未だに争いが絶えないのは人々が此の事をの大切さを真に悟っておらずその精神に徹していないからだと思う。争いは自らをも傷つけると云う事を身を持って師利人類に平和を齎す為に力を合わせて行く事が肝要である。

*十八日 公事の為に人を使う

沢山の人が働いている企業の中には色々様々な職種がある。けれども其のどれをとっても一つとして私の仕事は無い。皆その企業が事業を通じて社会に貢献して行く為に必要なものである。その必要な仕事をやってもらうために人を雇い人を使っている訳である。形の上では使う立場使われる立場はあるけれども飽く迄私の為ではなく公の為に人を使うのである。だから単に私的な感情や利害で人を使ったり処遇する事は許されない。常に社会の公器としての企業の使命と云うものに照らして何が正しいかを考えつつ人を使う様に心掛けなくてはならない。

*二一日 世間は神の如きもの

事業が大きくなってくると仕事も段々と複雑になって其処に色々な問題が起こってくる。私はこの問題をどう考えどう解釈すべきかと日々の必要に迫られて、その解決策の根本を求めていくうちに世間は神の如きも、の自分のした事が当を得ていると世間は必ず是を受け入れてくれるに違いないとう考えに行きついた。正しい仕事をしていれば悩みは起こらない。悩みがあれば自分のやり方を変えればよい。世間の見方は正しい。だからこの正しい世間と共に懸命に仕事をしていこう、こう考えているのである。

*二三日 末座の人の声を聞く

皆さんが長と云う立場に立って会議をする場合、一番若輩とと云われるような人からも意見が出ると云う事が非常に大切だと思います。そして其の為には意見が出る様な空気と云うか雰囲気を創っているかどうかが先ず問題に成ります。だから末座に坐っている人でも遠慮なく発言できるような空気を創る事が長たる者の心得だと思うのです。そして末座に坐っている人から意見が出たなら葬って終う様な事をせず喜んでそれを聞く素直さが諒と云うものを持つ事が非常に大事だと思います。其れを持っていないとそのグループなり会社は上手くいかなくなってしまうでしょう。

*二六日 経営にも素直な心が(カ)

成功する経営者と失敗する経営者の間にある大きな違いは、私心に捉われず公の心でどの程度ものを見る事が出来るかと云う事にあると思います。私心つまり私的欲望によって経営を行う経営者は必ず失敗します。私的欲望に打ち勝つ経営者であってこそ事業に隆々たる繁栄発展を齎す事が出来ると思うのです。私の欲望に捉われず公の欲望を優先させると云う事は、言葉を替えれば素直な心に為ると云う事です。その様に私心に捉われず素直な心で物事を見る事が出来るように、自らを常に顧み戒める事が大切だと思います。

*二七日 人間の幸せの為の政治

私達が決して忘れてならない事は政治は結局お互い人間の幸せを高める為にあると云う事です。過去に於いては多くの人々が政治に拠って苦しめられお互いの血を血を洗うと云う事もありました。併しそうした好ましくない姿は政治の本来の姿ではない。政治は本来お互い人間の其々の活動をスムーズに進める事が出来るようにするものです。それらの調整調和を図り共同生活の向上を計って、一人一人の幸せを生み高める事こそをその使命としているのです。此の政治は本来人間の幸せの為にあると云う事を私達は先ず正しく認識し合う必要があると思います。

*三一日 自分自身への説得

説得と云うものは他人に対するものばかりとは限らない。自分自身に対して説得する事が必要な場合もある。自分の心を励まし勇気を奮い起こさねばならない場合もあろうし、又自分の心を抑えて辛抱しなければならない場合もあろう。そうした際には自分自身への説得が必要になってくる譯である。私が此れ迄自分自身への説得を色々してきた中で今でも大雪ではないかと思う事の一つは自分は運が強いと自分に言い聞かせる事である。本当は弱いかわからない。併し自分自身を説得して強いと信じさせるのである。そう云う事が私は非常に大事ではないかと思う。