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法華経の佛・菩薩・神・鬼神等Ⅰ

専門的な事はわかりません。法華経を読んでいて、いったいどれくらいの名前が出てきてどういう関係になっているのだろうかという素朴な疑問から、法華経に記されている佛・菩薩・神や鬼神等々の名前をランダムに拾い出してみました。

記事内容の多くは法華経の記載からとネット上のウィキペディアをはじめ仏教関係の記事から拾い抜きさしています。アイウエオ順に並べ替えてみました。詳しい事は専門家に任せてここには法華経を読むときに参考になる程度の内容で挙げています。s同一で呼び方が違う名もありますが、ちょうど200の名を拾いだすことが出来ました。

殆どの名は法華経序品第一に登場いたします。長文になりますが、数回に分けて一応全部掲げてみます。

ア~キ

アイツタ 阿逸多 (1

法華経従地湧出品15、彌勒菩薩の別称 地より顕れた菩薩群のことを疑問に思う聴聞衆に変わり 代表して釈尊に尋ねる。釈尊が彌勒尼呼びかけるときの名
如来壽量品16、釈迦牟尼仏が久遠常住不滅の佛であることを明かされる
分別功徳品17、釈尊より聴聞衆の代表として久遠なる佛の心理を聞くことにより多くの衆生が 救済されることを告げられる
随喜功徳品18、聴聞衆を代表して釈迦牟尼佛に法華経功徳を尋ねる

アシセン 阿私仙 (2

法華経提婆達多品12、王仙とも釈迦牟尼佛未だ出家以前に法を求めるに応じて顕れ法華経を 解き明かした仙人、過去世に於いて釋尊を悟りに導いた善知識、提婆達多の姿とされる。 阿私とは無比の意。

アジャセオウ 阿闍世  (3

法華経序品1、釈迦牟尼仏の霊鷲山説法の聴聞衆として登場
浄土三部経の『観無量寿経』マガダ国の頻婆娑羅(びんばしゃら、ビンビサーラ)とその妃韋提希の子、 釈迦仏に反逆し新教団を形成せんとしていた提婆達多(デーヴァダッタ)に唆され、その言を入れて ビンビサーラを幽閉し、弑する。

アシュク(ニョウライ 阿閦(如来)(4

法華経化城品7 大通智勝如来、出家前の十六御子の一人 東方にて作佛した一人目の名  国の名は歡喜國

アナバダツタリュウオウ 阿那婆達多龍王(5

法華経序品1、釈迦牟尼仏の霊鷲山説法の聴聞衆で仏法守護神である八大龍王の6番目に記される
龍王については難陀龍王参照

アナン 阿難(6

アーナンダ 阿難陀、釈迦の十大弟子の一人であり、釈迦の侍者として常に説法を
聴いていたことから多聞第一と称。禅宗では摩訶迦葉の跡を継いで仏法付法蔵の第3祖であるとする。 阿難陀は漢語意訳では歓喜・慶喜とも記される。
法華経序品1,釈迦牟尼仏の霊鷲山説法の聴聞衆大羅漢の20番目に登場
學無學人記品9、釈迦牟尼仏より授記をうけ未来世に於いて山海慧自在通王如来となる事を告げらる

アニャキョウジンニョ 阿若憍陳如(7

釈迦仏の弟子の一人釈迦の最初の弟子。釈迦が成道して最初に教えを説いた五比丘の一人であり またそのリーダー的人物 
法華経序品1、釈迦牟尼佛の霊鷲山における説法を聞かんとして集まった 数多の聴聞者の筆頭に記される サンスクリット:アジュニャータ・カウンディニヤ
五百弟子授記品8、釈迦牟尼佛より大弟子憍陳如は未来世に於いて作佛することを告げられる その名を普明如来という

アヌルダ( アルダ) 阿(少⁺兎)樓駄(8

梵名アニルッダ、釈迦十大弟子のひとり阿那律 (あなりつ) ・ 阿尼楼駄 (あにるだ) ・ 阿泥律 (あないりつ) とも漢訳無貧(ムトン)天眼第一と称さる
法華経序品1、釈迦牟尼佛の霊鷲山における説法聴聞衆大羅漢の一人 9番目に記される
五百弟子授記品8、他の五百の羅漢と共に未来世に於いて作佛し普明如来となることを 釈迦牟尼仏より授記

アバツマラ 阿跋摩羅(9

法華経陀羅尼品26に登場する人のいのちを短命にする悪鬼
インド神話に登場する小鬼、邪鬼、または阿修羅の類である。名の意味は「無知」。 アパスマーラはシヴァ神の一形態である舞踏神ナタラージャに踏みつぶされている 像が有名である。
一仏典では青面金剛に従う四護法善神の夜叉の一
四夜叉はそれぞれ毘陀羅(びだら)、阿跋摩羅(あばつまら)、犍陀羅(けんだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)

アミダ(ニョライ 阿彌陀(如来)(10

法華経化城品7 過去譚のなかに登場、大通智勝如来が出家する前の御子、十六人の一人 西方にて作佛した二人の御子の内、一人目の佛の名。 

アンリツギョウボサツ 安立行菩薩(11

法華経従地涌出品15、娑婆世界の地の虚空より突如として現れた菩薩群の四導師の一人、 第四番目に記される菩薩

イオンノウニョライ 威音王如来(12

法華経常不經菩薩品20、及往古昔の大成の国の佛として過去譚の中に登場 2万億の同名の 仏が順番に主宰し、衆生を教化してきた。そのうち最初の威音王仏が入滅した後の像法時代に、 増上慢の比丘の勢力が大きくなっていた。その時に不軽菩薩が現れたという。
正式名は威音王如来應供正徧知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊

イダイケ 韋提希(13

法華経序品1、 ヴァイデーヒー、釈迦牟尼仏の霊鷲山説法の聴聞衆として登場
古代インドのまだ釈迦が存命の頃のマガダ国の頻婆娑羅(びんばしゃら、ビンビサーラ)王の妃。 夫と共に仏教を信仰
浄土三部経の『観無量寿経』の主人公:ビンビサーラ王と韋提希夫人の間に阿闍世(アジャータシャトル) 王子が生まれるが、後に阿闍世王子のクーデターによって父王が幽閉されると、韋提希は深く王の身 の上を気遣い、自分の体を洗い清めて、小麦粉に酥蜜を混ぜたものを塗り、胸飾りの1つ1つにブドウの 汁を詰めて、密かに王の許に行き、それを食べさせたという。

イッサイシュジョウキケンニョライ 一切衆生喜見如来(14

法華経勧持品13、釈尊の母の妹憍曇彌が釈迦牟尼仏より授記を受け未来世に於いて成佛することを 告げられ佛の名を                   一切衆生喜見如来應供正徧知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊
女人成佛の手本とされる

イッサイシュジョウキケンボサ 一切衆生喜見菩薩(15

法華経藥王菩薩本事品23、藥王菩薩の前世 日月浄明徳如来の世界で法華経を聞き、佛及び 法華経の供養のため身を燃して千二百萬歳で命終するもその後、(同じく日月浄明徳如来の世) 浄徳王のもとに転生し、佛の涅槃に際し、再び供養のため自らの臂を燃すも、再び還復し、法華経の 功徳により後の世に藥王菩薩となる。

ウイ 有意(16

法華経序品1、過去譚の中に於いて日月燈明が出家する前の御子、八王子の一人父の出家により法師となる
御子の1番目に代表して記される、妙光菩薩の八百人の弟子のひとり

ウダイ 優陀夷(17

ウダーイ、ウダーイン、音写:鄔陀夷、烏陀夷 等他、訳:出現 等、釈迦仏の弟子の一人、 勧導第一の弟子と称される
五百弟子授記品8、他の五百の羅漢らと共に未来世に於いて作佛し普明如来となることを 釈迦牟尼仏より告げられる
普明如来應供正徧知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊

ウハツラリュウオウ 優鉢羅龍王(18

法華経序品1、釈迦牟尼仏の霊鷲山説法の聴聞衆で仏法守護神である 八大龍王の8番目に記される
龍王については難陀龍王参照

ウマロクキャ 烏魔勒伽(19

法華経陀羅尼品26 に 登場する人をいのちを短命にする悪鬼
一仏典では青面金剛に従う四護法善神の夜叉の一
烏摩勒伽(うまろきゃ)が持つ金の弓矢が破魔矢の発祥であるという伝承があり、烏摩勒伽ら 四夜叉を祀る日光の 輪王寺 では、それにちなんだ龍神破魔矢が販売されている
四夜叉はそれぞれ毘陀羅(びだら)、阿跋摩羅(あばつまら)、犍陀羅(けんだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)

ウルビラカヨウ 優樓頻螺迦葉(20

ウルヴェーラ・カッサパ 釈迦の弟子の一人。いわゆる三迦葉の長男
法華経序品1、釈迦牟尼佛の霊鷲山における説法聴聞衆大羅漢の一人 3番目に記される
五百弟子授記品8、他の五百の羅漢と共に未来世に於いて作佛し普明如来となると釈迦牟尼仏が授記

ウンジザイ(ニョライ 雲自在(如来)(21

法華経化城品7 大通智勝如来、出家する前の十六人の御子の一人 北方にて作佛したときの名

ウンジザイオウ(ニョライ 雲自在王(如来)(22

法華経化城品7 大通智勝如来、出家前の十六御子の一人 北方にて作佛した名 

ウンライオンシュクオウケチタダアカト 雲雷音宿王華智多陀阿伽度(23

法華経妙荘厳王本事品27、藥王・藥上菩薩の因縁過去譚 及往古世の時代、光明荘厳國の佛の名
雲雷音宿王華智多陀阿伽度阿羅訶三藐三佛陀

ウンライオンノウタダアカド 雲雷音王多陀阿伽度(24

法華経妙音菩薩品24、妙音菩薩の過去譚に於いて、過去、妙音菩薩が所属した現一切世間という 国に在す佛の名
雲雷音王多陀阿伽度阿羅訶三藐三佛陀

エイッサイセケンフイ(ニョライ 壊一切世間怖畏(如来)(25

法華経化城品7 大通智勝如来の出家前の御子、十六 のなか一人 東北方にて作佛したときの名 

エンブナダイコンコウニョライ 閻浮那提金光如来(26

法華経授記品6、釈尊より弟子摩訶迦旃延(大迦旃延)が授記を受け未来世に於いて作佛することを告げられ 佛となったときの名。正式には                閻浮那提金光如来應供正徧知明行足善逝世間解無上士調御丈夫 天人師佛世尊

オツサンガイボサツ 越三界菩薩(27

法華経序品1 釈迦牟尼佛の霊鷲山における説法聴聞衆菩薩群の14番目として名を連ねる 「三界を越えた」という名の菩薩

ガキ 餓鬼(28

法華経陀羅尼品26に登場する人のいのちを短命にする悪鬼
仏教の世界観である六道において餓鬼道(餓鬼の世界)に生まれた者。原語の プレータ はかつては死者の霊を指したが、仏教において輪廻転生の生存形態である六道に組み込まれた。
プレータpreta は鬼とも訳される。鬼は中国語で死者の霊・亡霊を意味している。 餓鬼は、三途・五趣(五道)・六趣(六道)の一つ。餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、 また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされる。
ただし、天部と同じように福楽を受ける種類もいるとされる。

ガクオンケンダツバオウ 樂音乾闥婆王(29

法華経序品1、釈迦牟尼仏の霊鷲山説法の聴聞衆の四乾闥婆王の2番目に登場する
乾闥婆王については樂乾闥婆王参照

ガクケンダツパオウ 樂乾闥婆王(30

法華経序品1、釈迦牟尼仏の霊鷲山説法の聴聞衆の四乾闥婆王の1番目に登場する
仏教の守護神。乾闥婆王はインド神話から仏教にはいってきた神で,八部衆のひとつ。帝釈天につかえ,香を たべて楽を奏する。胎児,小児を守護し,悪魔をはらう神とされる。奈良興福寺,京都三十三間堂に その像がある。

ガッコウボサツ 月光菩薩(31

法華経序品1 釈迦牟尼佛の霊鷲山における説法聴聞衆菩薩群の10番目として名を連ねる 日光菩薩と共に薬師如来の脇侍を務め、薬師三尊を構成。      『薬師経』に依れば、月光菩薩は、 月の光を象徴する菩薩であり、日光菩薩と共に、薬師如来の教説を守る役割を果たしている。

ガヤカヨウ 伽耶迦葉(32

ガヤー・カッサパ釈迦の弟子となった三迦葉(さんかしょう)の一人、三男もともとはバラモンで火の神 アグニを信仰する事火外道で、それぞれ数多くの弟子と信者がいた初期の仏教教団において重要な 役割を果たした。
法華経序品1、釈迦牟尼佛の霊鷲山における説法聴聞衆大羅漢の一人 4番目に記される。
五百弟子授記品8、他の五百の羅漢と共に未来世に於いて作佛し普明如来となると釈迦牟尼仏が授記。

カラケンダアシュラオウ 佉羅騫駄阿脩羅王(33

法華経序品1、釈迦牟尼仏の霊鷲山説法の聴聞衆の四人の阿脩羅王の2番目に記される。
阿脩羅王については婆稚阿脩羅王参照。

ガルダイ 迦留陀夷(34

釈迦の弟子の一人北伝の大乗仏教では、悪事を働いた六群比丘の一人であるラールダーイ( Lāludāyī)と同一視され混同されている事が多い。
五百弟子授記品8、他の五百の羅漢らと共に未来世に於いて作佛し普明如来となることを 釈迦牟尼仏より告げられる。
普明如来應供正徧知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊

カンジザイボサツ 観自在菩薩 (参)(35

観世音菩薩と同じ 日本では通称観音様として信仰が厚い
鳩摩羅什は法華経を漢語に訳するとき観世音と訳し玄奘は般若心経を訳するとき観自在と訳した。 観世音菩薩には慈悲の面が表に顕れ観自在菩薩は理性を表しているか(紀野一義-プレジデント特集)

カンゼオンボサツ 観世音菩薩(36

観世音菩薩または観自在菩薩ともいう。救世菩薩など多数の別名がある。一般的には「観音さま」とも呼ばれる。
妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五、別名「観音経」:観音について説かれた仏教経典は数多いが、 最古かつ最も有名-この略本と考えられている十句観音経や、十一面観音について説かれた十一面 観世音菩薩随願即得陀羅尼経がよく読誦される経典 『般若心経』の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっている。浄土教では 『観無量寿経』の説くところにより阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩と共に安置されることも多い。
観音菩薩は大慈大悲を本誓とする。中国では六朝時代から霊験記(『観世音応験記』)が遺され、 日本では飛鳥時代から造像例があり、現世利益と結びつけられて、時代・地域を問わず広く信仰さる
観音の在す住処・浄土は、ポータラカ(Potalaka、補陀落)といい、『華厳経』には、南インドの摩頼
矩吒国の補怛落迦であると説かれる。                   偽経『観世音菩薩往生浄土本縁経』によると、過去世において長邦(ちょうな)というバラモンの子・ 早離(そうり)であったとされる。彼には速離(そくり)という兄弟がおり、のちの勢至菩薩だという。
早離と速離は騙されて無人島に捨てられ、餓死したが、早離は餓死する寸前に「生まれ変わったら 自分たちのように苦しんでいる人たちを救いたい」と誓願を立てたため、観音菩薩になったという。
なお、父の長邦は未来に釈迦として生まれ変わった観音が世を救済するに、広く衆生の 機根(性格や仏の教えを聞ける器)に応じて、種々の形体を現じる。これを観音の普門示現という。
法華経序品1にて釈迦牟尼佛の霊鷲山説法聴衆として菩薩群の2番目として登場
観世音菩薩普門品第25(観音経)には、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて 「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、33の姿に変身すると説く。

キケンボサツ 喜見菩薩(37

法華経藥王本事品23 一切衆生喜見菩薩として登場 藥王菩薩の前世の姿
日月浄明徳如来(仏)の弟子だった。この仏より法華経を聴き、楽って苦行し、現一切色身三昧を得て、 歓喜して仏を供養し、ついに自ら香を飲み、身体に香油を塗り焼身した。諸仏は讃嘆し、その身は 1200歳まで燃えたという。命終して後、また同じ日月浄明徳如来の国に生じ、浄徳王の子に化生して 大王を教化した。
再びその仏を供養せんとしたところ、仏が今夜に般涅槃することを聞き、仏より法及び諸弟子、舎利など を附属せられた。仏入滅後、舎利を供養せんとして自らの臂を燃やし、7万2千歳に渡って供養したという。

キシボジン 鬼子母神(38

梵名ハーリーティーは、仏教を守護する天部の一尊。ハーリーティーを音写した訶梨帝母(かりていも) とも言う釋尊に帰依する前は夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ、 散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母であったが、 これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていた。そのため多くの
人間から恐れられていた。
法華経陀羅尼品第26法華経を信じるものを守護する 日蓮宗では守護する5番善神と称し特に 鬼子母神はその眷属十羅刹女と共に最強の守護神とされる

キツシャ 吉蔗(39

法華経陀羅尼品26に登場する人をいのちを短命にする悪鬼
起屍鬼(きしき)と言い、屍(しかばね)を起こして、怨みある人を殺させる。 
(夜叉吉蔗、人吉蔗の名でも登場)

キョウドンミ 憍曇彌(40

摩訶波闍提比丘尼の別称
法華経序品1・勧持品13に登場

以上第1回はここ迄❕❕

担当:野尻研究員

メーカーさんのホームページへ

ご縁頂いてるライオン商事㈱さん

昨年から、ペット用品メーカーライオン商事(株)さんの「獣医師開発の猫砂セット」の里親さんプレゼント企画に参加させていただき、多くの里親さんに喜んでいただいてます。今年も好評につきこの企画を継続すると云うことで、私どもも喜んで参加させていただいてます。

臭いをとる猫砂発売30周年記念

このたび、ライオンさんのヒット商品「においをとる猫砂」の発売が30周年を迎えると云うことで、簡単なお祝いメッセージを頂けませんかと言う依頼が来て、お役に立てるならと、早速、お祝いmailをへんそういたしました。

後日メーカーさんの公式ホームページに掲載していた抱けると云うことで、そのページのイメージが億って参りました。

関係の獣医さんや団体さんとともに、私どものメッセージも載せていただくことができました。

ライオン商事さんホームページ掲載

私どもNPO法人は北九州の地で、まず自分たちにできることからと、動物愛護活動に取り組んでいル小さな団体ですが、メーカーさんからのこのような企画に参加させていただけることは、多くの皆様に活動を知っていただけるきっかけ作りにもなることと嬉しく思います。

ライオン商事(株)さんのHP特設ページです。

一日一話 松下幸之助

四月の言葉

高砂の尾上の桜咲きにけり                           外山のかすみ立たずもあらなむ  権中納言匡房             

二日 人間はダイヤモンドの原石

私はお互い人間はダイヤモンドの原石の如きものだと考えている。ダイヤモンドの原石は磨くことに拠って光を放つ。しかも其れは磨き方如何カットの仕方如何で、様々に異なる燦然とした輝きを放つのである。同様に人間は誰もが夫々に光る様々な素晴らしい素質を持っている。だから人を育て活かすに中っても先ずそういう人間の本質と云うものを能く認識し其々の人が持っている優れた素質が活きる様な配慮をしていく。それが矢張り基本ではないか。もしそういう認識が無ければ幾ら良き人材があってもその人を活かすことは難しいと思う。

  • 今日は週刊誌の日
  • memo-素質の発見

五日 学ぶ心

人とは教わらず又学ばずして何一つとして考えられるものでは無い。幼児の時は親から、学校では先生から、就職すれば先輩からと云うように教わり学んで後初めて自分の考えが出るものである。学ぶと云う心掛けさえあれば宇宙の万物はみな先生となる。物言わぬ木石から秋の夜空に輝く星屑などの自然現象、また先輩の厳しい叱責、後輩の純粋なアドバイス一つとして師ならざるものはない。どんな事からもどんな人からも、謙虚に素直に学びたい。学ぶ心が旺盛な人程新しい考えを創り出し独創性を発揮する人であると云っても過言ではない。

  • 今日はデビューの日 
  • Memo-至誠・姿勢➡読書
  • 百朝集四七章ー三学:少くして学べば壮にして為すあり 壮にして学べば老いて衰えず 老いて学べば死して朽ちず

十四日 知識は道具知恵は人

知識と知恵如何にも同じもののように考えられる可もしれない。けれどもよく考えてみるとこの二つは別物ではないかと云う気がする。つまり知識というのはある物事について知っているという事であるが、知恵と云うのは何が正しいかを知ると云うか所謂是非を判断するものではないかと思う。言い換えれば仮に知識を道具に譬えるならば知恵は其れを使う人そのものだと云えよう。お互い知識を高めると同時に其れを活用する知恵をより一層磨き高めてゆきたい。そうして始めて真に快適な共同生活を営む道も開けてくるのではないかと思うのである。

  • 1912年タイタニック事故(14日氷山激突
  • ・15日沈没) 2016年(H28)熊本大地震
  • 今日はオレンジデー 
  • Memo―般若波羅蜜多:知恵ではなく智慧

二一日 しつける

日本人は頭もよく素質も決して劣っていない。だから何がいいか悪いかぐらいは百も承知して要る筈であるが、さてそれが行動になって表れたりすると忽ち電車に乗るのに列を乱したり公園や名所旧跡を汚したりしてしまう。やはりこれはお互いに躾が足りないからではないかと思う。幾ら頭で知っていてもそれが子供の時から躾られていないと何時まで経っても人間らしい振舞が自然に出てこない。つまり折角の知識も躾に拠って身に着いていないとその人の身だしなみも好くならず結局社会人として共に暮らす事が出来なくなってくるのである。

  • 1975年(S50)大分地震M6.4 
  • 今日は民放の日 関連項目=7/11・8/30
  • Memo-徳育の重要性を認識する

二五日 福祉は自ら作るもの

お互いの福祉を向上させていくことは好ましい事であり基本的には大いに推進されていい併し問題は誰が其れを生み出すかである。今日一つの風潮として国民は国が色々やってくれるだろうと思い、国は国民の税金を頼り足りなければ増税したらいいと云う安易な考えがある。其々が何とかなるだろうと考えている訳である。併し福祉を高めていくのに必要な資金は皆国民が営々として働き生み出した税金に外ならない。つまり福祉を行うのは形の上では国であっても国民なのである。そういう認識を深くし福祉の向上の爲にお互い何を為すべきかを考えることが極めて大事だと思う。

  • 今日は国際連合の日 
  • 2005年(H17)JR福智山線脱線事故
  • Memo‐問われるべきは国民よりも先ず施政者の姿勢

二七日 賢人ばかりでは

世の中は賢人が揃っておれば万事上手くいく                 と云うものでは決してありません。賢人は一人いればそれで十分なんです。更に準賢人が三人準準賢人が四人くらい。そんな具合に人が集まれば上々でしょう。賢人ばかりですと議論倒れで一向に仕事が捗らないと云ったようなことに為りがちです。一つの実例を挙げればある会社で三人の立派な人物がお互いに協力し合って居た筈なのにどうも上手くいかない。そこで一人を抜いてみた。すると残る二人の仲がピタッとあって非常に上手く行きぬかれた人物も他の分野で成功した。そこなことがよくあるものなのです。

  • 今日は哲学の日
  • 2010年(H22)凶悪犯罪の時効撤廃

さくらも各地満開に、コロナも少し落ち着いた状態。春は何となくウキウキする雰囲気があります。

一日一話に於いても、四月は新しい年度の出発点ということもあり、新社会人に向けた、或いは新社会人を迎える人達に対してのメッセージが多いようです。自らの体験、経験に基づいての処世哲学❕❕ 短い文章ではありますが、学ぶべき考え方の宝庫と言えるのではないでしょうか。

草の根活動(=^・^=)

里親さん活動&地域猫活動

今、全国的にというか世界的に放置動物或いは遺棄動物の根絶に向けていろんな取り組みがなされている。これも一つのSDGs運動の流れに即しているのかもしれない。

そのような活動で一番進んでいるのは、欧州ドイツのようだ。ドイツは殺処分0を実現し、公的犬猫のシェルターが完備されているように言われている。

日本の現状は、行政が地域猫活動に関して、積極的に携わって推進しているところもあれば、NPOや個人ボランティアの活動が中心で、行政はあまり深くタッチしてないというようなところもあるようです。

遺棄したり放棄したりするのは日本でも犯罪として刑罰対象になっています。また、そういう場合のマニュアルも整えられているようですが、現実はどうなのでしょうか?

日本では、一部の団体のように理論を大上段に振りかざし、これはこうだからとか❕❕こういうことはこうあらねばならない❕❕と口角泡を飛ばす様な保護活動よりも、自然と個人で、可愛いからとかほっておけないから面倒を見ているといったような活動もたくさん見受けられるように思います。

自然発生的な活動ですが、一番大切な事なのではないでしょうか?このような想いの人が増えれば増える程、動物にとっても、ヒトにとっても住み易い環境がはぐくまれていくものと思います。

ひと昔に比べると、ノラ犬・ノラ猫は劇的に減少してきているようです。国の指導ももちろんですが偏に、任意団体による地域猫活動や、里親活動、個人の方々の善意の活動など「草の根的」な運動が、その様な結果につながっているのではと考えます。

これからもそういう運動が益々広がることを願っています。

一日一話  松下幸之助

三月の言葉

人はいさ心も知らず古里の 花ぞ昔の香ににほひける    紀貫行

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一日 本当の勇気

私は一般的に本当の勇気と云うものは一つの正義に立脚しないことには、又良心に顧みて之が正しいと思わないことには湧いてこないと思うのです。だから勇気が足りないという事は何が正しいかという事の認識が非常に曖昧である処から出ている姿ではないかと云う感じがします。人々が其々に自問自答して何が正しいかという事を考える。そしてこの正しい差は絶対譲れない。この正しさは通さなければいけないという確固とした信念を持つならば、そこから出てくる勇気は例え気の弱い人であっても非常に力強いものとなる。そう云う様な感じを私は持っているのです。

  • 1930年(S5)谷口雅春生長の家設立
  • 今日は労働法施行の日
  • memoー正義感とは?

七日 大西郷の遺訓

西郷隆盛が次のような遺訓を残している。国に功労がある人には禄を与えよ。功労あるからと云って地位を与えてはならない。地位を与えるには自ずと地位を与えるに相応しい見識が無ければならない。功労があるからと云って見識の無いものに地位を与えるという事は国家崩壊の基となると。是は国の事であるが事業経営についても同じことが言える。あの人は会社に大きな功労がある。だから重役にしようとなりがちであるが、この点充分に注意しなければいけない。飽く迄も功労ある人には賞を以て報いその見識ある人に地位を与えることが大事だと思う。

  • 今日は消防記念日  Memo-PBFile12南洲手抄志録・遺訓 

十日 日本の伝統精神

私は日本の伝統精神は極めて優れたものだと思います。ではその伝統精神とは何か。その一つは和を以て貴しとする平和愛好の精神です。凡そ千四百年も前にこの和の精神が聖徳太子によって掲げられています。第二は衆知を以て事を決すと云うつまり民主主義です。古事記にも八百万の神々が相談をして事を決したとあります。日本は真の民主主義の本家本元だと云えるでしょう。第三は主座を保つ。古来日本人は常に主座を失わずに外来のものを朱か吸収し日本化して来ました。この和、衆知、主座と云う三つの柱を守っていくことは、今後においても大切ではないでしょうか。

  • 1945年東京台空襲 

Memo-安岡正篤「百朝集」59六然 随所ニ主ト為バ立処皆眞➡臨済義玄禅師

十一日 塩の辛さは舐めてみて

例えば水泳の先生が三年間講義をしたとします。それでその講義を受けた人がすぐ泳げるかと云いますと、必ずしも泳げないと思うのです。又塩の辛さと云うものでも、塩を舐めさせることをしないで、塩は辛いぞと云っても判らないでしょう。塩の辛さは舐めてみて初めてああこれが塩の辛さやなと判る分けです。処世のコツとでも申しますかお互いの人生に於いて大切な事柄を会得するということも、事を行ってそのやったことを仔細に考え検討してゆくところから始めて可能になるのではないかと私は思います。

  • 2011年(H23)東日本大震災M9・津波39m
  • 福島原発破壊
  • 今日はパンダ発見の日 Memoー実践行動

十九日 日本の資源は人

日本の資源は人そのものです。いま日本から人を五千万人も取ったら日本は参ってしまいます。人が多いのは資源が多い姿です。しかも普通の資源であったらじっとしていますが人間は働きます。一方で費やすというてんもありますけれど、やはりそれ以上のものを創り出すものを持っています。我々はこの人間が資源であるという事をはっきり認識することが大事だと思います。また人間と云う無限の資源を持っているのだと云うことをもっと教えなければいけないと思います。勿論日が多いと云うだけではダメでその質を善くすることが必要なのは言うまでもありません。

  • 今日はミュージックの日
  •  Memo―資源となるためには?

二四日 協調性を持つ

みなさんが其々の会社の社員である以上多数の同僚と相接して仕事をしなければならないということになりますから、人の立場を重んじない所謂協調性の少ない人は困ると思うのです。自分はこう思うがあの人はああ思うのだな、それも一つの考えだろうなと云うように人の言に耳を傾けると云う所に協調性が成り立つのです。勿論自己と云うものを卑屈にして協調せよと云うのではありません。けれども自己に捉われた主張は協調性を欠きます。この点どの様な立場にいようと考えなければならない非常に大事な問題ではないかと思います。

  • 2020年(R2)新型ウィルス感染多発状況の為東京オリンピック開催延期を決定
  • 今日は世界結核デー
  • Memo-至人は己無し・神人は功無し(荘子) 自己中心➡無私公正

三十日 引き下がる決断

やるべき時にやる引くべき時に引く。所謂この出処進退という事が人間として特に経営者として一番大事なことではないでしょうか。例えばある一つの仕事がもう一つ上手くいかず、やめた方がいいとなった場合そこにはやはり何らかの犠牲が伴います。世間からも色々な批判を受けるでしょう。又信用も失墜するかもわかりません。併し其れを惜しんではいてはいけない。惜しんでいると中々やめられない。やはりそういうものに捉われずやめるべきものはやめるんだと云う引き下がる決断をすることが経営者として大切だと思う。

  • 今日はマフィアの日
  • Memo‐経営者の要諦

松下幸之助翁の処世哲学は実践的であるという点である意味、陽明学の教義にも相通ずるところがあるように思う。陽明学の実践者西郷隆盛の遺訓の一部を引用するのもうなずける。

そろそろ整理したいこと

西郷隆盛遺訓

幾タビカ辛酸ヲ歴テ志ハ始メテ堅シ                    丈夫ハ玉ト砕クルトモ甎ノ全キヲ恥ズ                   一家ノ遺事人知ルヤ否ヤ                               児孫ノ為ニ美田ヲ買ハズ

若し此の言に違ひなば、西郷は言行反したるとて見限られよ

死土産           百朝集ー安岡正篤著

秦山翁、西村新五エ門へ学談の序に、貴殿よく合点してに死土産を拵える様に召さる可。ずいぶん博学多才にならる。神道も天文も詩文歌学もなる事也。扨、其れを人にふけり高ぶるもの多し。然れども其の分にては大切なる用に立たず。死ぬる時持て行かれず。死ぬる時は皆跡へ残りて、我は大いに苦をかいて死ぬる也申に依りて、土産を拵える様にすべき也、例えば貧窮にして人中へ出る事もならず。油も無くて夜分に書物一冊見ることも無き程の事にても、暗がりに黙然として居ても、少しも淋しうも無く心面白く居ると云ふ楽の無きは、如何程の物知りでも本の事にて無きと示されしと也。             (秦山語録)

安岡正篤解)是は安永四年九月、土佐の安岡道怐(ドウク)が美好屋甚兵衛というものから借写した谷秦山(タニシンザン)の語録である。谷秦山(丹三郎重遠)は土佐出身、野中兼山の遺風を慕い、山崎闇斎に学んで土佐に帰り、南学を中興し、卓然として国体を闡明(センメイ)し、その学識節行共に敬仰すべき哲人である。聊かの学問気節を以て却って我見を立て、自ら高しとして、漫(ミダリ)に人を罵り世を憤るものが多いが、それこそ自ら外道に堕せるものである。達人は常に寂然たる裡に悠々たる和気を含んでいる。秦山のこの語の如き実に肝に銘ずべき有道の言である。

終活という言葉があります。子供もいませんし財産とか、別にあるわけではないので、南洲翁がおっしゃったように、「美田を云々」など気にする必要もなく、そんな込み入った手続きをしておく必要もありません。その分、気楽といえば気楽です。が、あの世に持っていけないもののなかに、長年ため込んできた書籍雑誌類があります。興味のない人にはただのゴミでしかありません。

つまり多量のゴミをそのまま残していくということにもなりかねません。そこで、今、少しづつ整理しながら、傷んでどうしようもないものは処分し、ブックオフなどへ持ち込めるものは持ち込み・・・ ただ、わずかなお金に換えても仕方がないのでCD・レコード類はブックオフへ書籍雑誌類の状態がいいものは、近くにある市立図書館へ寄贈をと考えています。

ということで現在、車のトランクに詰め込める分詰め込んで、2回ほど図書館へ持ち込んでみました。図書館では、不必要なものは処分していいですかとの事、また、使える書籍は個人名を出して展示しても構いませんかとのことだったのですべてお任せでお願いしました。まだ、相当数の書籍類が残っているので、追々持ち込んでいこうと思っています。

処分しようと思うとやはり、名残惜しい本も多々あり、なかなか、すんなりとはいきません。が、「 暗がりに黙然として居ても、少しも淋しうも無く心面白く居ると云ふ楽 ・・・・」の心境に達せられるよう随時努力修練を重ねながら少しでも早く身一つの身軽な形にしていこうかと考えている次第です。

地域猫活動一例

どうぶつ基金さんによる集中的TNR活動の紹介です。今回は1月宮崎で行われた活動をご紹介します。

私たちは、全国から届く「待ったなし」の要望に応えるべく、徹底した感染防止対策の元、昨年4月から毎月福岡、宮崎、大阪の3拠点でTNR地域集中プロジェクトを続けています。

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TNR地域集中プロジェクト宮崎、1月のご報告

3名の獣医師が参加し、宮崎ねこの会のご協力のもと実施いたしました。

【1月13、14、18、19日】

獣医:山口(院長)、吉田、工藤

オス:132匹

メス:135匹

メス(妊娠):1匹

耳カットのみ:7匹

堕胎数:6

ボランティア数:1/13:9人、1/14:7人、1/18:11人、1/19:7人

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<行政枠で運ばれた猫>

日向市役所:65匹

日南市役所:20匹

宮崎市役所:80匹

計:165匹

<一般、団体枠で運ばれた猫>


計:110匹 

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1月は275頭のさくらねこが誕生しました!

【地元サポート団体「宮崎ねこの会」代表より】

今月も無事に終了できたことに感謝しています。

宮崎ではまだまだTNRを完了していない地域がたくさんあり、発行していただいたチケットはほぼ余すことなく使われます。 特に行政枠チケットではコロニーごとに、 一気にTNRを進められるという利点がありますので、 宮崎県内の全市町村が、どうぶつ基金さんへの行政登録をしてくださり、 外猫に関する相談を全て、TNRにつなげてくださることを切に願います。

2022年度も宮崎市でこのプロジェクトが実施されることになりましたので(感謝)宮崎県内全域での殺処分ゼロ目指して頑張ります!

【スタッフより】

今回のメス猫の妊娠率は1%でした。10月からは1~2%の推移です。
2月頃から妊娠率も増えてくることが予想されます。 妊娠している場合、堕胎を伴う不妊手術を行うため、手術時間も妊娠していない猫より倍以上かかるため、
猫への負担やも大きくなります。
そのため、今の時期に多くの手術ができることが望ましいのです。どうぶつ基金病院宮崎では今回2,500頭を超えるさくらねこが誕生し、3,000頭も間近です!

多くの手術を実施できるのもご賛同いただいている皆様のご支援あってこそです。 今後ともご支援のほどよろしくお願いいたします。

私どもNPO法人あおぞらも微力ながら、地域猫活動及び里親さん募集活動等を通じ、環境の保全、🐶(=^・^=)保護活動を続けています。

https://doubutu-aozora.jimdosite.com/

https://note.com/2019dobutu

https://www.facebook.com/%E5%8B%95%E7%89%A9%E6%84%9B%E8%AD%B7%E5%9B%A3%E4%BD%93-npo%E6%B3%95%E4%BA%BA%E3%81%82%E3%81%8A%E3%81%9E%E3%82%89-112127280224553/

保護活動における問題解決のために

大阪の地域猫保護活動団体「十三さくらねこの会」さんはノラ猫救済・及び地域環境保全のために、組織的且効果的な保護活動を続けている、全国でも有数の団体さん❕❕(=^・^=)

この団体さんが、活動の中から得たノウハウ、「保護活動におけるトラブル解決法等を「どうぶつ基金」さんのSNSへ投稿されていますので一部をご紹介します。

保護活動がスムーズに行われる一助になればと思います。

ノラ猫ではなく地域猫として保護していくことの必要性 お互いの意見・気持ちの食い違いを埋めていく作業がなければ、人も猫も幸せにはなれない

さっそくですが、自治会会議等、地域で決定権のある方々へTNRについてご説明する場合のポイントは主に以下となります。

1.猫問題の解決に必要なものは
  「対立」ではなく「協調」
  「排除」ではなく「共生」
  「共感」と「歩み寄り」

2.「健康な雌猫は生涯に100匹子猫を産み続けます」と具体的な数値で猫の爆発的な繁殖力をお伝えする

この僅か1匹の雌猫が100匹も子猫を産みます!(提供:十三さくらねこの会)

特に、猫の繁殖力について説明すると、ほとんどの人が目を見開いて驚かれます。 それでは、経験をふまえて整理した対応策をお伝えします。

第一段階:猫で困っていることや猫に対する感情を聞き出す

まずは、今抱えている問題点や猫に対する感情をすべて吐き出してもらいましょう。飼い主のいない、身寄りの無い猫たち。 「可愛い」「癒される」「可哀想」「猫アレルギーだから接触できない」「迷惑だ」「近付いて欲しくない」等々、彼らに対する人の感想は様々です。


町中に沢山いた猫達(提供:十三さくらねこの会)

存在にすら気が付かない無関心な人も多いでしょう。自治会の会議の席などで「飼い主のいない猫でお困りの事はありませんか?」と問うと、
・猫の糞尿が臭い
・タイヤで爪を研ぐ、車を傷付ける
・発情の鳴き声がうるさい
・子猫が産まれ、数がドンドン増える
と、生活環境が物的に悪化している事を主に訴えられます。

また、必ずと言って良いほど、「近所の人が餌やりをして困っている」と、ご近所トラブル勃発で人的環境も悪化しています。困惑の段階を超えて、猫の存在や餌やりをする人に対して、強いお怒りの感情を吐露なさる場合も多いです。
 

第二段階:「責任の追及」と「問題の解決」を分けて考えるよう提案

参加者のお気持ちをお聞きしたうえで「責任の追及」と「問題の解決」を分けて考えるようご提案します。

餌やりをしてる人や猫の存在を責めても怒っても、対立が深まるばかりで、何の向上も進化も救済も得られません。「対立」するのではなく「協調」し、皆で知恵を絞って「問題の解決」に注力するのが合理的です。

では、問題はどうすれば解決するのか?

答えは簡単です。
飼い主のいない猫がいなくなれば全て綺麗に解決です。 逆に、猫が増えると皆が困ります。その為には、具体的に何をどうすれば良いか?どこか別の場所へ連れて行く、ましてや殺傷するなどは論外です。

猫は「動物の愛護及び管理に関する法律」により愛護動物として定められているので、殺傷や遺棄は犯罪となります。行政も捕獲や引き取りはしません。

餌やり禁止もよく言われますが、餌やりをやめたところで、猫は簡単に餓死などしません。 ゴミを漁り、家屋内に侵入して食べ物を窃取します。餌がもらえないからと移動し、たとえそこからいなくなっても、問題をよそ様になすりつけているだけで、全く根本的な解決にはなりません。

そもそも、猫は餌やりをするから増えるのではなく、避妊手術をしないから増えるのです。

では、何もしないで放置していたら?
どんどん猫の数は増えて、糞尿はますます増え、問題は悪化の一途を辿ります。そうなってくると、「可愛い」と言ってる方々もそれどころではなくなります。 「可哀想」「迷惑」な猫が増えるばかりで、餌やりをする人に対する悪感情もますます激化し、人的・物的環境の悪化が更に深刻化するという悪循環に陥ります。
 

第三段階:具体的な問題解決策としてTNRをご提案

最優先事項は、とにかく繁殖を止めること。

マナーを守らない餌やりさんの責任を追及しても、餌やりをやめても、マナーを守った餌やりや糞尿の清掃を徹底しても、問題は解決しないことをしっかりとご説明したうえでTNRの有効性を説きます。現時点において、合法的・人道的かつ効率的に猫の個体数を減らす唯一の方法は、猫を捕獲して避妊手術(TNR)をする事だけです。 繁殖を止めるだけで、様々な問題の予防・解決に繋がります。                

しばらくは個体数が増えないだけで、ただちに猫の数が減るという目に見えた即効性はありません。しかし、数年という長期的な視点で見ると非常に効果が高いのです。そのうえで、マナーを守った給餌やトイレを設置する等をして、猫が短い生涯を全うするまで適正に管理する取り組みは、環境の美化に大いに寄与します。

!!重要ポイント!!

強調すべき点は、 「この取組は、猫好きの猫好きによる猫好きの為の活動では決してない」ということ。

TNRは、地域住民全体の利益に資する環境改善活動です。住民お一人おひとりが強い利害得失を有する地域の人的・物的環境をそこに住む当事者として整え、より住み良い街にする取り組みであり、猫に困っている方こそ大きなメリットを享受できる、極めて合理的な手段なのです。

さらに、教育的側面の利点もお伝えします。
小さく弱い、お腹を空かせて困っている生き物を排除するのではなく、手を差し伸べて共生の道を開く大人の背中を見せることは、未来を担う子供達へ公徳心・他者への優しさ・寛容さ・思いやり・共感・生命の尊厳といった美德を身を以って示す稀有な教育の機会ではないでしょうか?

最終段階:同意を取り付ける
繰り返し伝えなければいけないことは、猫が繁殖せずに数が減っていけば、諸々の問題は全て解決するということです。良い事だらけでデメリット0です。
この点を繰り返しお伝えし、「ここまでお話してTNRに反対の人はいらっしゃいますか?」という感じでお話したら、決定権のある方々は大概、TNRにご理解とご協力を示して下さいます。
☆☆☆
心得ておくべきことは、言うまでもなく「この人なら自治会として協力しても大丈夫だ」と信頼されるに足りる良識と常識を備えた人物であることを分かっていただくことです。

具体的には、
きちんとした言葉遣いと清潔感のある服装で敬意を表すること。
あまり猫猫猫と言わず、人間にとってメリットがあると強調すること。
猫や餌やりさんにご立腹の方のお立場やお気持ちにこそ寄り添い、理解と共感を示すこと。
そして「今、私に協力しないと、チャンス逃しちゃいますよ」とへりくだり過ぎないこと。 お相手に諾否の権限を勝手に差し出してしまう「許可して下さい」はNGワードです。

あくまでも求めるのは「ご理解とご協力」です。

 

如何でしょうか?                            一番の問題は避妊手術にはお金がかかつといこと。地域によっては北九州のように、獣医師会が補助金を出し一部負担してくれるところもあります。(申し込み抽選にはなりますが・・)

財団法人「どうぶつ基金」では毎月避妊手術の無料チケット配布(ホームページからも申し込み)が行われています。もちろんTNRに限ってのこと。協力病院も限られていますので、基金さんのHPで確認が必要です。

地域全体で動くのであれば、相談してどのような方法がいいか行政をも含め話し合うことも可能ではないでしょうか?

いずれにしても環境の保全と命を守る事の大切さを広める教育的意味合いの含め考えるいい機会になる事と思います。

Alainの幸福論

「年の初めは幸福論から・・」

フランスの哲学者アランのエッセイ集

93章の短い文章からなる「幸福論」ちょっと前までは、年末年始には書店の一角を占めていたともいわれていました。が、今はどうなのでしょうか? 近頃は書店を覗く機会もなくなったので、現状はわかりません。

私自身、「門松は冥土の旅の一里塚」という句の心境が実感としてわかるような年齢にもなりました。此のところ終活の一環として(笑い)溜まりに溜まった書籍雑誌類を整理している段階なので、新たに本を買い込むなどということは控えている状況です。新しい情報はインターネットやTV等マスメディアで収集できますし、腰を据えて読むような本などは、新刊ではなく今まで集めた書籍から選んでいけば事足ります。

そんな中の1冊にこの「幸福論」があります。NHKの「100分de名著」という番組のテキストと文庫本が手元にあります。

気に入った文句を抜き書きしたメモから、少し引用してみます。

20章 不機嫌

成功したから満足しているのではなく満足していたからこそ成功した       自分でも嫌いになっている嫌な人間に出会ったらまず、にこにこして見せなければならない。凡そ苛立ちというものは、自分の進む道に穴を掘るに至るものである。

冒頭の一文は、現在でもよく自己啓発セミナーなどでも、 いろんなバージョンに代えて、 引用される言葉ですね。例えば「成功したらから笑っているのではなく、笑っていたからこそ成功した」という具合です。この言葉は昔、係わっていた、ネットワークビジネスのセミナーなどでもよく耳にした覚えがあります。       

47章 アリストテレス

幸福になるには幸福になる仕方を学ばなければならない。          人からもらった幸福などと言うものは凡そ存在しない。

58章 憐憫について

人生を暗くする親切、陰鬱に他ならないという親切がある。人は一般にこれを憐憫と呼んでいるが、これは人間の災いの一つだ

63章 雨の中

あなたが微笑したところで雨に対して何と云うこともないが、人々に対しては大いに役立つ。単に微笑の真似をするだけでも人々の悲しみや悩みを少なくする。

83章 処世術

意の親切は礼儀では無い。計算ずくの諂いも礼儀では無い。        優雅さとは誰をも不安にさせず傷つけもしない、幸福な表現と動作である。そしてこの種の美点は幸福にとって大いに重要である。処世術は決してこれらの美点を等閑にしてはならない。

凡人之所以為人者礼儀也 礼儀之始 在於正容体 斉顔色 順辞令            凡そ人の人たる所以は礼儀なり 礼儀の始めは 容体を正し 顔色を斉え 辞令を順するに在り   礼記より

89章 幸福は美徳

金儲けの上手い人は、無一文になった時でもまだ、自分自身と云う財産を持っている。・・・・・                                  昔の賢者たちは幸福を求めた。隣人の幸福ではなく自分自身の幸福をである。 幸福それ自体が美徳である。

91章 幸福となる方法

第一の法則は現在のものにしろ、過去のモノにしろ、自分の不幸について絶対に他人に話さないこと。 悪い天気の時にはいい顔するものだ。

六然の教え→自處超然 處人藹然 有事斬然 無事澄然 得意澹然 失意泰然 安岡正篤著「百朝集」より

93章 誓うべし

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。

東洋において徹底的に楽観主義に徹した著書は「法華経」かもしれませんね・・どうやら、幸福に生きるためには幸福に生きようとする意思がなければ幸せには生きられないようです。

余談ですが・・・

私が興味を持っている西洋の歴史的人物の中に、第一次世界大戦に、それぞれの国から 参加した 3人の人物がいます。その戦争体験を通じ後の人生では、それぞれに大きくかけ離れた人生を歩むことになった、その人物は・・・

ヒトラー:アドルフ・ヒトラー→1889/4/20-1945/4/30 (オーストリア)  ブラウナウ生 1914年第一次世界大戦勃発ドイツ陸軍志願 伝令兵として従軍 1914年・1918年鉄十字章授与 終戦後 小さな団体だった国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に入党、そのスピーチ力と行動力で大組織に成長させ国家組織となる、結果第二次大戦を興すことに 1945年ピストル自殺            著書「わが闘争」 :憎悪と闘争                      参照:「第三帝国の興亡」ウィリア・ムシャイラー「アドルフヒトー」 アラン・バロック

ロレンス;トマス・エドワード・ロレンス(通称アラビアのロレンス)  →1888/8/16-1935/5/19 イギリス ウェールズ生オックスフォード大学卒考古学 1914年イギリス陸軍召集アラビア戦線アラブ軍(ゲリラ)を指揮対トルコ戦で戦果を挙げるも、戦後オートバイ事故により死亡 国葬                   著書「智慧の七柱」; 友愛と失望
参照「アラビアのロレンス」

アラン(ペンネーム);エミール=オーギュスト・シャルティエ      →1868/3/3-1951/6/5フランス生 哲学者・教育者・モラリスト       1914年フランス軍志願(41歳)砲兵として従軍 終戦後戦時体験を踏まえ哲学者教育者として活躍 83才没 著書「幸福論」他多数;楽観と希望                      (→第2次大戦アウシュヴィッツ-心理学者フランクル「夜と霧」)

一つの大きな出来事の中に巻き込まれてもその感ずるところは人それぞれ、また、どこに焦点を当てて考えるかによって、その体験が深ければ深いほど、後の人生にも大きな影響を与えることとなるようです。そして何よりも、楽観主義を説き、おそらく希望を棄てず楽観主義に徹したAlainが一番、幸せに長く生きたということも見逃してはならないことかもしれません。