カテゴリー別アーカイブ: 変わりたい貴女へ

六時心戒

百朝集57章

鬧時心を錬る。靜時心を養ふ。坐時心を守る。

行時心を験す。言時心を省す。動時心を制す。

           金蘭生「格言聯壁」

*鬧時☞ドウジ騒がしい時

解題

こういう人知れぬ自心の秘修などを近代人は全くやらなくなって

世間を相手に議論し運動するような華やか然しうつろな事ばかり

流行る。真の人物事業の出ない所以である。

騒がしい時ごたごた取り込んでおる時、其れにめげぬ様に心を錬る

ことだ。静かな時に心を養っておき、坐る時には心を動揺を静める

様に守り、行動する時は心を実験する好機である。ものを言う時

は内心を反省せねばならぬ。動揺する時には散乱し易い心を良く

制御すべきである。

                       安岡正篤解

ことあるごとに自分の心の在り方を内省してみる。

忙しい時代だからこそより一層大事な事と云えるのでしょうか。

何事も平常心が大事という事ですね。

コロナ禍の現代徒らに右往左往するのではなくじっくりと

自分を見直すいい機会かもしれませんね。

禅の言葉では

「安心 脱生死 大丈夫」

と云う言葉が有ります。私の大好きな言葉です。

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宗像大島

四看❢❣

百朝集51章

大事難事に担当を看る 逆境順境に襟度を看る

臨喜臨怒に涵養を看る 群行群止に識見を看る

              呂新吾ー伸吟語

解 題

スイス近世の賢者ヒルティも男も女も辛い事

苦しい事に際して尤もよく彼らを知る事が出来る。

一番わからないのは社交の場特に娯楽場や避暑地

などであるといっておる。文明都市の社交生活で

はその通りであるが斯う世界が乱れてくると本当

に人物が判るではないか。

                安岡正篤解

 

或る意味凡人が人を見るとき多くは第一印象で

判断してしまったり或は自分の好き嫌いで良い

悪いを決めてしまったりと云う事が多々あるの

ではないでしょうか?個人の付き合いではそれも

吉ですがある程度公けな環境においてはそれでは

ちょっとまずい時もあるでしょう。でも

なが~い歴史のなかでは人を観察するいろん

なノウハウが蓄積されてきている様です。

解題にもあるように此れは昭和に書かれたもの

なのですが令和の今を的確にとらえているよう

な見方ですね。

安岡正篤師の「易と人生哲学」と云う本の中

にも人物を判定する古来の方法が紹介されて

います。引用しますと

★ 人間観察法-八観  「呂氏春秋」

  1.  通ずれば其の礼する所を観る:何を礼拝尊重するかを観察
  2.  貴ければ其の進むる所を観る:地位が上って後何を(人物・趣味・書等)進めるかを観察
  3.  富めば其の養う所を観る:金が出来て何に使うかを観察
  4.  聴けば其の行う所を観る:他人の善言を聞いてどう対処するか観察
  5.  止れば其の好む所を観る:止たる(イタル)有る処まで達したら何を好むか観察
  6.  習えば其の謂う所を観る:習熟したらどういう事を言うか観察
  7.  窮すれば其の受けざる所を観る:窮した時に他からの援助で何を受けないかを観察
  8.  賤しければ其の為さざる所を観る:貧窮した境遇で何をしないか観察

と云う事になります。

現代社会でもまた自身を顧みる見方としても

大いに参考に出来る観察法だとは思いませんか?

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三樹のおしえ

百朝集第48章

一年の計は穀を植うるに如くは無し 

十年の計は樹を植うるに如くは無し

終身の計は人を植うるに如くは無し

           管子ー権修

解 題

太宰春台の「産語」‐神谷正男教授の精細な研究があるーは

今日の経済思想の失っている根本を説いた好書であるがその

中に衛国の君が蒲という処に出かけて、松の木の苗を植えて

いる老大に教えられた面白い話を引いておる。

「衛の君 蒲の野を観る。一老父の多く苗松を栽うる者有る

を見る。喘息して拮据す。衛君従って之に問ひて曰く,老父

罷めよ。汝 奚ぞ以て苗松を栽うることを為すか。對へて

曰く 将に以て棟梁と為さんとす。衛君曰く 老父の年幾

何か。曰く 八十有五。衛君笑うて曰く 此の松材と成る

べきも老父能く之を用いんか。老父栽うるを罷め仰いで衛

君を視て曰く 樹木は用を百年の後に待つ也。君以て必ず

其の世に於いて之を用いんと為す乎。嗚呼君の言何ぞ國を

有る者に似ざるの甚だしき。小人老耄して死に幾しと雖も

独り子孫の計を為さざらんやよ。衛君大いに慙じ謝して曰

く 寡人過てり。請ふ善言を師とせんと。因って之を労ふ

に酒食を持ってす。詩に云はく厥の孫謀を貽し以て翼子を

燕んずと。

善い後継者を用意しておくと云う事が何に拠らず一番

賢明な長久の計であるが近来はそう云う心掛けが著し

く薄れて、個人主義・利己主義・その場塞ぎになって

いるようである。自分が築き上げた存在と云うより

寄合所帯の集団組織が多くなった所為もあろうがそれ

は存在を最も不安定にし脆弱にする。斯う云う教訓も

事業家特に真剣に考慮し反省せねばならぬ問題である。

                    安岡正篤解

☆太宰春台➡1680-1747江戸中期の儒学者 荻生徂徠

の門下生で儒学経世家:著作「産語」「経済録」等

現代の日本にこの三樹の教えは活かされているのでしょうか?

全ての面に於いて甚だ疑問を感じる時もありますが・・・・

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USAニューメキシコ州ホワイトサンズ

七養

百朝集60章

時令に順うて以て元気を養ふ 思慮を少うして以て心機を養ふ

言語を省いて以て神気を養ふ 肉慾く寡うして以て腎気を養ふ

瞋怒を戒めて以て肝気を養ふ 滋味を薄うして以て胃気を養ふ

多く史を読みて以て胆気を養ふ    金蘭生「格言聯壁」

解題

春には春の秋には秋の生活様式がある。

同様に寒帯には寒帯の熱帯には熱帯の飲食起臥の法則がある。

夏は夏らしく冬は冬らしくと云う様に暮らして居れば生命力

は健康である。夏無闇に冷やしたり冬矢鱈に暖めたり、熱帯

の果物を取り寄せたり寒国の肉類を運んで来たりして時なら

ぬ異味をとんだ処で珍玩するなどは生命の理に反して元気を

傷める。神気は同時に心臓の気である。活力である。思慮を

少なくして安らかにすることが養心の秘訣である。必要もな

いのにペラペラ喋舌る様な事はその人間を最も浅薄にする。

默養と云う言葉がある通り神気を養うにはくだらぬお喋り

はせぬことだ。飲食女色は腎を弱め瞋怒は肝を傷め脂っこ

い様な食物は胃に悪い。古今の治乱興亡に通じることは胆

気を養った度胸を造る。一時一処の成敗得失くらいに顛倒

せぬからである。唐の杜牧は悲劇の英雄項羽を弔うて詠じ

た。-勝敗は期すべからず 羞を包み恥を忍ふ是男児

江東の子弟才俊多し 捲土重来せば未だ知るべからずー

                                                            安岡正篤

此の七養と云う教え現代でも必要な事

否寧ろ複雑怪奇な現代こそ自分を守り

律していく為に重要な修養の項目と云え

そうですね。健康を維持免疫力をアップ

しその上で精神を高めていくことが出来る

と云う事でしょうか。

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猫柳

三学

百朝集47章

少くして学べば壮にして為すあり佐藤一斎 (2)

壮にして学べば老いて衰えず

老いて学べば死して朽ちず

佐藤一斎「言志晩録」より

解題

若い者の怠けて勉学せぬものを見る程不快な

ものは無い。ろくな者に成らぬ事は言うまで

もないが、まあまあ余程のろくでなしでなけ

ればそれ相応に勉強する志位はあるものであ

る。壮年に成るともう学ばぬ者学ぼうとせぬ

者が随分多い。生活に追われて忙殺されてい

る間に段々志まで失ってしまうのである。

そうすると案外老衰が早く来る。所謂若朽で

ある。肉体だけは頑強でも精神が呆けてしま

う。反対に能く学ぶ人は老来益々妙である。

但し学も心性の学を肝腎とする。雑学では駄

目である。古詩に云う通り「少壮努力せずば

老大徒らに傷悲せん」こと間違いない。でな

ければ呆けたのである。此れに反して老來益

々、学道に精進する姿程尊いものは無い。

細井平洲も尊重した川越在の郷長老奥貫友山

の歌に「道を聞く夕に死すも可なりと云う言

葉に縋る老いの日暮らし」斯う有りたいもの

である。そして「老獪晴天に参す」ようなの

は実に好いではないか。

                                    安岡正篤―解

学ぶと云う事はいくつになっても必要な事。

彼の経営の神様と言われた松下幸之助さん

もこの世に存在する万物総てが師であると

云っています。その気に為れば全てが自分

に気付きを提供してくれる存在と云うわけ。

其の為には矢張り素直で謙虚な心である事

が大切と云う事に成るのでしょうか。

宮地嶽神社夕日

 

運・時・命・数

百朝集87章

治乱は運なり 之に乗るもの有り之を革むる者あり

窮達は時なり 之を行くもの有り之に遇ふ者あり

吉凶は命なり 之を作す者もの有り之に偶ふも.者あり

一來一往各各数を以て至る 豈徒らに云わんや

文中子「中説」より

文中子は少くして逝った中国隋の異色ある哲人で

門下から多くの国家的人材を出した点に於いて

どこか吉田松陰を偲ばせるものがある。

治乱とか窮達とか吉凶とかはどうにもならぬ

運命的事実で有る様に俗人程思い勝ちである。

豈徒らに云わんやーと云う其の徒言とは、そう

云う事を簡単に運命と決め込んで語る事である。

人間には機械化する傾向と想像する能力とがある。

理性が薄れ内省や努力を失う程人間は機械化して

個人の窮達も国家の治乱もすべて人事の吉凶は

決定的、他律的になってくる。

群衆の中に堕してしまったり紛糾する利害の中

に捉えられてしまうと段々そう云う風になる。

独自の隠れた容易に他から判らない内面生活は

之に反して独創性の源泉である。是こそ人格の

独立を堅持し精神の自由境遇の創造を可能なら

しめる。運とか時とか命とかは皆夫れ自体創造

の営みを言うのであるが其れに乗るとか遇うと

か偶うとか云う事はつまり偶然的、機械的な行為

自主性の無い行き当たりばったりの事を意味する。

革むとか行くとか作すとかは之に反して自主自由

の行動である。

治乱も窮達も吉凶も畢竟人次第で 或る者には

宿命同じ事が他の者には自由である。大きな国

家の難問題でも遠大な見識や優れた手腕のある

政治家あれば無事に解決するし平凡或は愚劣な

政治家が当たると破滅に陥れてしまう。

彼等は其れを運命の悲劇と云うであろう。併し

ながら達人は自業自得と顰蹙する。そう云う

因果の関係を数と云うのである。

よく数に通じて現実の裏表を熟知すれば相当に

予言は当るものである。

                                        解題-安岡正篤

此の章の言葉と解題は今迄に何度かアップしている

と思います。私の好きな言葉の一つです。

ちょっと長い文章ですが全文を引用いたしました。

終戦前後安岡正篤師の朝参に参加されていた若い

方々はこう云う言葉を心に刻みながら混乱の時代

を前向きに自らの運命世情の混乱を切り開いてき

たのでしょう。

そう云う方々の働きがその後の目覚ましい経済成長

の発展を生む礎となったのではないでしょうか。

1350年程前の文中子の言葉と昭和の安岡正篤師の

ことばどちらも令和の御代となった現在でも其の儘

適用できる至言ではないでしょうか。

日々の活動に活かしていければと思います。

下の図は文中子の言葉を私なりに図式化したものです

参考に為ればと思います。

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神鍳(シンカン)

86番

神有り莘(シン)に降る 恵王これを

内史の過に問うて曰く

「これ何の故ぞや」

答えて曰く

「国の将に興らんとするや明神之に降る

其の徳を観るなり。将に亡びんとするや

神また之に降る。その悪を観るなり。

故に神を得てもって興る有り亦以て

亡ぶ有り。虞・夏・商・周皆之有り」

春秋左氏伝荘公三十二年条

(解題)

世に神を観たとか神の声を聴いたとか云う

一種の神秘的体験を奇瑞として驚喜する者がある。

それは必ずしも迷信とか精神病的現象として貶す

べきものではない。人間は物質的な世界に有乍ら

無限に拡がっておる不可思議世界に遊ぶことは

出来る。しかしそれは中々以てそう簡単な虫の

好い沙汰ではない。瑞祥だと思っておることが

案外不詳であるかも知れない不詳ということは

内心に対する警告である。何事も自己の内心を

通じて始めて真実の意義があるので徒に外物を

欲しがる限り真実の意義は判るものではない。

その迷妄が無闇に瑞祥や不詳を創り出すのである。

安岡正篤

見えないものを感得する感性は非常に大切なもの

と私は思っています。中には勘違いのものも

あるでしょう。でもやはりそういう体験がない

とある意味人生は無味乾燥なものとなって

しまうのではないでしょうか?

感じる事が出来る出来ないは別として

見えないものが存在すると信じる力は

人生にとって活力の源となるのではと

思っています。

元東京都知事を務めた石原慎太郎は

その著書「法華経を生きる」のなかで

「睡眠の間も猶人間というものは自分では

意識しきれぬ力というか摂理と云おうか

 自らの意思に重ねての何かに動かされている」

また「あいつは見ることも出来ない神様を頻り

に信じていると嘲笑う人間は信仰を持つもたぬ

は別にしても人間についてつまり自分について

迂闊に知らずにいるとしか言いようがない」

と述べています。

見えない存在を信じる力は実質的にも精神的

にも豊かな人生を築いていく源泉となりうる

のではないでしょうか?

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これからの活動紹介

「特定非営利活動法人あおぞら」設立趣旨です。

近年、犬や猫などのペットを飼う人が増える一方で、

身勝手な都合による飼育放棄等により、多くの捨て

犬や捨て猫が生じています。その結果、野生化した

犬・猫が増え、地域の環境汚染にもつながっています。

私たちはこれらの尊い命を守り、社会との共生の

あり方を探るとともに、地域の生活環境を

守るため、長年にわたり野良犬や野良猫を

保護し、飼い主の高齢化により、手放さざる

を得なくなった犬・猫を引き取ってきました。

また、必要に応じて避妊・去勢手術を行い、

これら犬・猫の里親探しの活動を続けています。

しかし、成犬・成猫の譲渡は難しく、里親が

見つからなかった犬・猫は、活動に賛同いただい

ている個人宅で引き取ってもらい、それでも

引取り手がいない場合には、私たち自身で飼育を

している状況です。

こうした一連の活動を個人ボランティアとして

行うことは限界があります。今後は、里親が見19-11hogotya

つかるまでの飼育場所や里親探しの譲渡会を行う

ことができる場所を確保したいと考えていますが、

これらには契約行為が必要となります。

また、個人の有志の集まりでは、社会的な信用も

得られず、地域住民の方へ理解を深めていくこと

も難しいと考えています。

今まで以上に、多くの方に活動を理解していただき、

活動に参加してもらうため、公益を目的とした

特定非営利活動法人の設立を決意しました。

NPO(特定非営利活動法人)あおぞらのこれから

のおもな活動内容を定款に沿ってご紹介致します。

★特定非営利活動の種類

(1)  まちづくりの推進を図る活動

(2)  環境の保全を図る活動

(3)  地域安全活動

(4)  前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は

   活動に関する連絡、助言又は援助の活動

★この目的を達成するため具体的事業

(1) 特定非営利活動に係る事業

① 野良犬・野良猫及び保護を要する犬猫の保護事業

② 犬猫譲渡会・里親探しに関するイベントの企画・運営事業里親1-2

③ 野良犬・野良猫及び保護を要する犬猫に関する

  情報提供・啓発活動の事業

④ 里親探しのための犬猫とのふれあい常設施設の運営事業

動物愛護と環境のづくりのため行うべきことは

山積みですがまずは一つ一つできるところから

片付けていきたいと思っていいます。

まずは保護犬・猫のお世話できる里親さんを

探すこと。

交流会等々通じいろんな情報を共有すること。

愛護センターの負担を少しでも軽減できる

お手伝いをすること。 

去勢・避妊の必要な犬猫の処置を実施または援助

そして将来的には里親さんとの出会いの場所

行く先の無い犬・猫が安心して暮らせる常

の施設をつくる事です。

そして地域猫として共生できる環境を作ること等々です。

其の為には皆様のご理解ご支援が大切になってきます。

どうぞご協力よろしくお願い申し上げます。

このブログ又フェイスブック・ホームページ等々を通じいろんな

情報が発信できるよう同時進行で進めています。

ご支援お願いいたします。

棄てられた犬猫の保護や飼えなくなった犬猫の保護などが

滞りなく常に行えるような常設施設の設営等目指しています。

また保護した犬猫の健康を守るためのワクチン投薬や医療費用

去勢避妊の手術費用等々の資金が不足しています。

ご協力お願いいたします。

振り込み口座名:特定非営利活動法人あおぞら

ゆうちょ銀行-記号:17420 番号:95930371 トクヒ)アオゾラ

他金融からの振込: 店名)七四八  店番)748

普通預金 口座番号)9593037

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19.10.15hogo1

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大自在!

天我を薄んずるに福を以てすれば

吾れ吾が徳を厚うして以て之を迓う。

天我を労するに形を以てすれば

吾れ吾が心を逸して(※)以て之を補う。

天我を厄するに遇(※)を以てすれば

吾れ吾が道を亨して以て之を通ず(※)

天我を苦しむるに境(※)を以てすれば

吾れ吾が神を楽しませて以て之を惕ぶ

菜根譚―洪応明

※注

心を逸して⇒心を楽する意

遇⇒運よく物事がうまくゆく意

之を通ず⇒行き詰らないよう道を通じてゆく意

境を以て⇒逆境を以ての意

(解題)

浅薄な従って深い人格の自主性自由力

を持たない人間は少しうまくゆくと

好い気になって直に行き詰る。 少し

苦しくなると忽ち疲れ衰えてしまう。

人物が出来るにしたがって自己をも

環境をも自由に創造し支配する。宇宙も

この人をどうする事も出来ない。

この大自在などちょっと聞けば何だか

大変な難事の様に思われるが実はごく

平凡なことなのである。

徳山の棒と云われる程厳しく門下を

鍛えた徳山宣鍳和尚-伝教・弘法とほぼ

同時代の中国唐僧ーの宗旨も彼の語で

云えば「心に無事 事に無心」と云う

に帰する。その師龍潭崇信のまた師

天皇道悟の名高い偈がある。

性に任せて逍遥し縁に随って放曠す

但凡心をつくすのみ別に勝解無し」

(安岡正篤 百朝集42)

こういう境地になれれば何が

あっても慌てることなく冷静に

対処できるのでしょうが・・・・

宮地嶽神社夕日

習慣の大切さ(^^♪

これから百朝集(安岡正篤著)の中から

定期的に言葉を選んでご紹介していこ

うと思います。

今迄も少しづつ紹介していますので

重複することもあるかと思いますが

何度読んでも良いことばですので記

憶するほどに覚えていただければ

幸いです。

今回は「習慣」について

百朝集38番ースイスのモラリスト

文学者で哲学者のアミエルの日記

からの言葉です

「人生の行為に於いて習慣は主義以上の価値を

もっている。何となれば習慣は生きた主義で

あり肉体となり本能となった主義だからである

誰のでも主義を改造するのは何でもないことで

ある。それは書名を変える程の事に過ぎぬ。

新しい習慣を学ぶことが万事である。

其れは生活の核心に到達する所以である。

生活とは習慣の織物に外ならない。」

解題

イデオロギーは要するに看板である

看板の塗り替えは至極簡単。それよりも

真理を生活しなければならぬ。・・・・

(中略)

人間には四つの要素がある。

徳性と知能 技能及び習慣である。

徳性が本質で知能や技術はいくら

有用・有意義でも属性的なものである。

習慣は徳性と離すことのできないもの

で第二の天性とも云われる。

知も技もこれに結ばれねば本物には

成らない。

習慣を軽んずるのは人間の破滅で

ある。(安岡正篤)

如何でしょうか?

またPHP文庫から出版されている

「成功する女 しない女の習慣」

の著者ー佳川奈未さんは其の前書きで

人間は皆習慣の産物!

してきたことの結果を得るのです。

そしてその習慣の効能はものすごい

もので、あなた次第で人生を果てし

なく望みの高さまで飛躍させらるも

のです。と述べています。

習慣の積み重ねがその人の人生!

仇や疎かには出来ませんね。

人生を変えたければ

「悪癖は断つべし良き習慣は取り入れるべし」

ですね!

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