百朝集第22章
英桀大事に当たっては固より禍福生死を忘る。
而して事適々成れば則ち亦或は禍福生死に惑ふ。
学問情熱の君子に至つては則ち一なる。
大塩中斎「洗心洞箚記」
解 題
英桀は非凡の気魄力量才幹を以て功業を争うものであるが、
多く気に任せて深く心を練ると云う事が無い。故に何か事
に当って己が全智全能を傾け、為に余念の無い時はよいが、
そういう問題が無くなって心に弛みの生じた時、或は事志
と違って混乱の生ずる様な事があると、自ら関する処が大
きいだけに惑いも大きい。君子は功名富貴を念とせず、学
問精熟を旨とする。其の学問とは何であるか、窮して困ま
ず、憂えて意衰えず、禍福終始を知って惑わぬ心術を養う
を本義とする。英雄は自ら君子たるか、必ず君子を師とす
るか、何れかでなければ為らぬ。君子は復大いに器量を養
って内に練熟する所自ら外に発し、英雄を服するだけの品
威を具えなければならぬ。粗謬の英桀と狭陋の君子とは大
道に害あるを免れぬ。織田信長や豊臣秀吉や、近くはムッ
ソリーニ、ヒットラーも最道を学んで、心を練れば歴史は
違っていたろう。我が近衛文麿、東條英機また然り。
代々総理も復此処に学ぶべきである。
安岡正篤解
安岡正篤師は世情緊迫してきた昭和13年から14年に
かけて欧州旅行を敢行帰国後「世界の旅」を著わし
出版した。其の中で当時日本国の方向性としては
躍進を続ける独逸ナチス依りの考え方だったのに
対しナチスのやり方は覇道的で破綻を期すと警告
を発し米英の在り方に共鳴を示していたと云う事
です。結果は歴史が証明する通り。
先見の明とでもいいますか時流に流されずきちっと物
事の根本を見据え本質を捉える見識がそなわっていた
と云う事なのでしょう。(安岡師にとっては当り前の
事ですね)
安岡師は百朝集の中で「よく数(因果関係)に通じて
現実の裏表を熟知すれば相当に予言は当るものである」
とも述べています。傾聴!傾聴!
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