カテゴリー別アーカイブ: 変わりたい貴女へ

秘罪&人の是非

百朝集33章

人の善を聞いて而して之を掩覆し或は文致して

以てその心を誣ふ。人の悪を聞いて而して之を

播揚し或は枝葉して以てその罪を多くす。

是皆鬼神に得るもの也、吾が党之を戒む。

                 呂親吾「呻吟語」

百朝集34章

人の非を論ずる当にその心を原ぬべし

徒に其の迹に泥むべからず。人の善を

取る当に其の迹に拠るべし。必ずしも

深くその心を究めざれ。

         金蘭生「格言聯壁」

(解)

呂新吾も人情を論ずるとき只薄き処に求め人心を説く時

只悪しき辺より想う。此れは之私にして刻なる念頭なり。

長厚の道に非ざる也と云っている。現時の所謂行き過ぎ

の到る所酷いのは日本人が堕落している何よりの証拠で

ある。                                      安岡正篤解題

◎呂新吾:1536-1619年 中国明朝末期の

 儒家政治家その著書「呻吟語」は日本

 江戸時代の大塩平八郎等に多大な影響

◎金蘭生:生没不詳 中国清朝時代浙江

 省出の篤行の長者思想家 

要はどうやら素直な心と素直な目を持ちなさいと云う事

また人の心・行動を深く詮索するのはやめた方がいいと

云う事でしょうか。安岡正篤師は日本人の現代の在り方

を予言でもしてゐる様な心情を述べられてますね。

その点お互いに注意して行けばもっと住みよい社会に

なっていくのではないでしょうか。

そうそう蛇足で付け加えるならば 人を貶める様な

発言を繰り返す事は長い目で見れば結局自分自身を

貶めるだけのことと云う事に早く気付くべきですね。

 

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15.9.27御許山

八休

百朝集第61章

消し難きの味は食するを休めよ

得難きの物は蓄ふるを休めよ

酬ひ難きの恩は受けるを休めよ

久くしし難きの友は交春を休めよ

守り難きの財は積むを休めよ

雪ぎ難きの謗りは弁ずるを休めよ

釋き難きの怒は較ふを休めよ

再び得難きの時は失ふを休めよ

                         格言聯壁 金蘭生

解題)

これだけ休め得たならば我々は如何に自由を得る

事であろうか。政治上、経済上その他一切の社会

的自由の内面にまた根本に、こういう自由の追求

があってこそ初めて真の人格の世界が開けるので

ある。              安岡正篤解

 

走る事も大切ですが一寸立ち止まって振り返って

みるのも大事かもしれません。天下分け目の戦い

「関ケ原」で勝利した徳川家康は上杉征伐の名目

で軍を結集して関東へ進軍その隙をついて石田三

成は決起その報をきいて家康はしめたとばかリ打

倒三成を一気に潰そうと急遽踵を返し大阪へ向け

急いだ。

しかし途中家康は病を発症(輕い脳卒中かな?)

少し休まざるを得ない状態と陥ったのですがそ

こは家康、其れを天の配剤と逆に活用して軍の

指揮を高めて結束を強くする事に時間をあてた

ようですね。

結果いざ関が原で闘いが始まった時は数も配置も

劣勢だった東軍が逆に圧勝。天下統一の基礎固め

ができあがったと云う事のようですね。

やはり休養も必要大切な時間と云う事でしょうか。

 

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16-11黄葉2

六時心戒

百朝集57章

鬧時心を錬る 静時心を養ふ 坐時心を守る

行時心を験す 言時心を省す 動時心を制す

金蘭生「格言聯壁」

※鬧時:ドウジ騒がしい時

解 題

斯う云う人知れぬ自心の秘修等を近代人は全くやらなくなって

世間を相手に議論し運動するような、華やかしかし空虚な事ば

かり流行ってる。真の人物、事業の出ない所以である。さわが

しい時、ごたごた取り込んでおる時、それにめげぬ様に心を錬

る事だ。静かな時に心を養っておき、坐る時には心も動揺を静

めるように守り、行動する時は心を実験する好機である。もの

を言う時は内心を反省せねばならぬ。動揺する時には散乱し易

い心を能く制御すべきである。

                      安岡正篤解

何時も感じる事ですが、安岡正篤師の言葉は

昭和の初期から中期ごろのことばではあ有るのですが

令和の現代の世情を見透しているような内容

科学や技術の発達と同じ様に人間の心は進歩する

と云う事が出来難いのでしょうね

荘子の言葉には

有機械者 必有機事 有機事者 必有機心

(天地篇)

と云う言葉が 有ります読みは

機械あれば必ず機事あり  機事あれば必ず機心あり

要は便利になった人間碌な事は考えないという事らし

いです。要注意ですね。

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安岡正篤

 

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子を戒む

百朝集41章

爾容姿甚だ軽し 此れ一大弊病なり

以後宜しく時々留心すべし 行坐に

論なく重厚なるヘべし 早起・有恒

重厚の三者は皆爾最も之を務むる

を要す        (清)曾国潘

 曾国潘1811-1872:中国清朝末期の人、太平天国の乱

鎮圧に大功あり学問人格共に優れた哲人

 有恒☞何事があっても変わらぬ良心的操守があること

(解)

これは国潘が子の紀沢に与うる書簡中の語、簡なれども要を得て

吾人の日常生活に痛切な反省を与えるものがある。今後の日本青

少年子弟がこういう修行を積んで偉大な人物に成る事が一番望ま

しい。                    安岡正篤解

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(百朝集16章ーわが言貌)

士大夫三日書を讀まざれば則ち理義胸中に交わらず

便ち覺ゆ、面目憎むべく語言味なきを。

                 (宋)黄山谷

解)

黄山谷名は庭堅という蘇東坡と並び称せらる。日本では五山の

僧侶に「東坡山谷味噌醤油」と云われるほど愛重された。此の

語覚えず我が面構えが気になるではないか。どの面さげてとよ

く云う事であるが、面の皮は厚い鈍感なものと思いきや、体内

のあらゆる器官機能の尖端の過敏点で埋まっている事は皮膚科

学者も驚いておることである。其れより以上に精神状態の鋭敏

な表現の座でもある。将に一切顔に書いてあるのである。知ら

ぬが仏さりとも知らず皆平然とその顔下げて歩いているのであ

るが思えば恥ずかしい限りではないか。

米国リンカン大統領に彼の友人がある人物を推挙した。然るに

リンカン大統領は一向に其れを取り上げない。聊か癪に障った

その友人は、如何してあれだけの人物を取り上げないのかと詰

問すると彼は、あの男の顔が気に入らぬと云った。此れは又何

と云う失敬な言葉かと憤慨して、面構えなどで人物をとやかく

言うのは以ての外ではないかと詰め寄ると、大統領は、否人間

四十にもなれば己の顔に責任があると云った。人相は孔子も見

損じて後悔しておる程であるから軽々しくは出来ないが、此方

が虚心で経験を積んでおれば相当判るものである。其れよりも

自分の良心が一番よく自分の顔を判断する。

                安岡正篤解

 

洋の東西・今昔に拘りなく容姿は其の人を表す大事な看板と

云えるのでしょうか?造作の善し悪しではなく内面の充実の

反映を表す鏡なのでしょう。ということは年を重ねれば重ね

る程その人となりが顔に顕れると云う事に成るようです。

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六然・六中観

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百朝集59章

六然

自處超然 處人藹然 有事斬然

無事澄然 得意澹然 失意泰然

             明)崔後渠

「自分に対しては捉われないで 人に会う時は和やかに

事があればてきぱきと 事無きときは爽やかに 

得意の時はあっさりと 失意の時はゆったりと」

此れが出来たならばそれこそ真の自由人である。我々は兎角、

自処紛然 処人冷然 有事茫然 無事漫然 得意傲然 失意悄然

とでも言う様な事になって、此処に云う様に自分には一切捉われ

ず脱け切っており、人に対してはいつもなごやかに好意を持ち、

何か事が有れば活気に満ち、事が無ければ氷の様に澄んでおり、

得意の時はあっさりとして、失意の時もゆったりとしておると

云う事は余程の修練を要する。

「随所に主となれば立処皆真」こうならねばならぬ。

安岡正篤解

百朝集58章

六中観

死中活有 苦中樂有 忙中閑有

壺中天有 意中人有 腹中書有

          安岡正篤

私は平生窃かに此の観を為して如何なる場合も決して

絶望したり、仕事に負けたり屈託したり精神的空虚に

陥らない様心掛けている          安岡正篤

 

六然の言葉は今迄にも数回引用してきた言葉です。

この六然の言葉で印象に残っている場面が有ります。

其れは1998年参院選で敗れ引責辞任をした83代総理

橋本龍太郎自民党総裁の記者会見での言葉です。

記者の今どういう心境かとの質問に対し「失意泰然」

と返した言葉が今でも印象深く残っています。

近年は残念ながら国家の立場ある指導層の方々から

聞こえてくる言葉は延命いい訳の言葉ばかりのように

感じられます。

安岡正篤師が聞いたらどんな思いをするでしょうか?

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安岡正篤  

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六時心戒

百朝集57章

鬧時心を錬る。靜時心を養ふ。坐時心を守る。

行時心を験す。言時心を省す。動時心を制す。

           金蘭生「格言聯壁」

*鬧時☞ドウジ騒がしい時

解題

こういう人知れぬ自心の秘修などを近代人は全くやらなくなって

世間を相手に議論し運動するような華やか然しうつろな事ばかり

流行る。真の人物事業の出ない所以である。

騒がしい時ごたごた取り込んでおる時、其れにめげぬ様に心を錬る

ことだ。静かな時に心を養っておき、坐る時には心を動揺を静める

様に守り、行動する時は心を実験する好機である。ものを言う時

は内心を反省せねばならぬ。動揺する時には散乱し易い心を良く

制御すべきである。

                       安岡正篤解

ことあるごとに自分の心の在り方を内省してみる。

忙しい時代だからこそより一層大事な事と云えるのでしょうか。

何事も平常心が大事という事ですね。

コロナ禍の現代徒らに右往左往するのではなくじっくりと

自分を見直すいい機会かもしれませんね。

禅の言葉では

「安心 脱生死 大丈夫」

と云う言葉が有ります。私の大好きな言葉です。

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宗像大島

四看❢❣

百朝集51章

大事難事に担当を看る 逆境順境に襟度を看る

臨喜臨怒に涵養を看る 群行群止に識見を看る

              呂新吾ー伸吟語

解 題

スイス近世の賢者ヒルティも男も女も辛い事

苦しい事に際して尤もよく彼らを知る事が出来る。

一番わからないのは社交の場特に娯楽場や避暑地

などであるといっておる。文明都市の社交生活で

はその通りであるが斯う世界が乱れてくると本当

に人物が判るではないか。

                安岡正篤解

 

或る意味凡人が人を見るとき多くは第一印象で

判断してしまったり或は自分の好き嫌いで良い

悪いを決めてしまったりと云う事が多々あるの

ではないでしょうか?個人の付き合いではそれも

吉ですがある程度公けな環境においてはそれでは

ちょっとまずい時もあるでしょう。でも

なが~い歴史のなかでは人を観察するいろん

なノウハウが蓄積されてきている様です。

解題にもあるように此れは昭和に書かれたもの

なのですが令和の今を的確にとらえているよう

な見方ですね。

安岡正篤師の「易と人生哲学」と云う本の中

にも人物を判定する古来の方法が紹介されて

います。引用しますと

★ 人間観察法-八観  「呂氏春秋」

  1.  通ずれば其の礼する所を観る:何を礼拝尊重するかを観察
  2.  貴ければ其の進むる所を観る:地位が上って後何を(人物・趣味・書等)進めるかを観察
  3.  富めば其の養う所を観る:金が出来て何に使うかを観察
  4.  聴けば其の行う所を観る:他人の善言を聞いてどう対処するか観察
  5.  止れば其の好む所を観る:止たる(イタル)有る処まで達したら何を好むか観察
  6.  習えば其の謂う所を観る:習熟したらどういう事を言うか観察
  7.  窮すれば其の受けざる所を観る:窮した時に他からの援助で何を受けないかを観察
  8.  賤しければ其の為さざる所を観る:貧窮した境遇で何をしないか観察

と云う事になります。

現代社会でもまた自身を顧みる見方としても

大いに参考に出来る観察法だとは思いませんか?

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三樹のおしえ

百朝集第48章

一年の計は穀を植うるに如くは無し 

十年の計は樹を植うるに如くは無し

終身の計は人を植うるに如くは無し

           管子ー権修

解 題

太宰春台の「産語」‐神谷正男教授の精細な研究があるーは

今日の経済思想の失っている根本を説いた好書であるがその

中に衛国の君が蒲という処に出かけて、松の木の苗を植えて

いる老大に教えられた面白い話を引いておる。

「衛の君 蒲の野を観る。一老父の多く苗松を栽うる者有る

を見る。喘息して拮据す。衛君従って之に問ひて曰く,老父

罷めよ。汝 奚ぞ以て苗松を栽うることを為すか。對へて

曰く 将に以て棟梁と為さんとす。衛君曰く 老父の年幾

何か。曰く 八十有五。衛君笑うて曰く 此の松材と成る

べきも老父能く之を用いんか。老父栽うるを罷め仰いで衛

君を視て曰く 樹木は用を百年の後に待つ也。君以て必ず

其の世に於いて之を用いんと為す乎。嗚呼君の言何ぞ國を

有る者に似ざるの甚だしき。小人老耄して死に幾しと雖も

独り子孫の計を為さざらんやよ。衛君大いに慙じ謝して曰

く 寡人過てり。請ふ善言を師とせんと。因って之を労ふ

に酒食を持ってす。詩に云はく厥の孫謀を貽し以て翼子を

燕んずと。

善い後継者を用意しておくと云う事が何に拠らず一番

賢明な長久の計であるが近来はそう云う心掛けが著し

く薄れて、個人主義・利己主義・その場塞ぎになって

いるようである。自分が築き上げた存在と云うより

寄合所帯の集団組織が多くなった所為もあろうがそれ

は存在を最も不安定にし脆弱にする。斯う云う教訓も

事業家特に真剣に考慮し反省せねばならぬ問題である。

                    安岡正篤解

☆太宰春台➡1680-1747江戸中期の儒学者 荻生徂徠

の門下生で儒学経世家:著作「産語」「経済録」等

現代の日本にこの三樹の教えは活かされているのでしょうか?

全ての面に於いて甚だ疑問を感じる時もありますが・・・・

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USAニューメキシコ州ホワイトサンズ

七養

百朝集60章

時令に順うて以て元気を養ふ 思慮を少うして以て心機を養ふ

言語を省いて以て神気を養ふ 肉慾く寡うして以て腎気を養ふ

瞋怒を戒めて以て肝気を養ふ 滋味を薄うして以て胃気を養ふ

多く史を読みて以て胆気を養ふ    金蘭生「格言聯壁」

解題

春には春の秋には秋の生活様式がある。

同様に寒帯には寒帯の熱帯には熱帯の飲食起臥の法則がある。

夏は夏らしく冬は冬らしくと云う様に暮らして居れば生命力

は健康である。夏無闇に冷やしたり冬矢鱈に暖めたり、熱帯

の果物を取り寄せたり寒国の肉類を運んで来たりして時なら

ぬ異味をとんだ処で珍玩するなどは生命の理に反して元気を

傷める。神気は同時に心臓の気である。活力である。思慮を

少なくして安らかにすることが養心の秘訣である。必要もな

いのにペラペラ喋舌る様な事はその人間を最も浅薄にする。

默養と云う言葉がある通り神気を養うにはくだらぬお喋り

はせぬことだ。飲食女色は腎を弱め瞋怒は肝を傷め脂っこ

い様な食物は胃に悪い。古今の治乱興亡に通じることは胆

気を養った度胸を造る。一時一処の成敗得失くらいに顛倒

せぬからである。唐の杜牧は悲劇の英雄項羽を弔うて詠じ

た。-勝敗は期すべからず 羞を包み恥を忍ふ是男児

江東の子弟才俊多し 捲土重来せば未だ知るべからずー

                                                            安岡正篤

此の七養と云う教え現代でも必要な事

否寧ろ複雑怪奇な現代こそ自分を守り

律していく為に重要な修養の項目と云え

そうですね。健康を維持免疫力をアップ

しその上で精神を高めていくことが出来る

と云う事でしょうか。

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猫柳

三学

百朝集47章

少くして学べば壮にして為すあり佐藤一斎 (2)

壮にして学べば老いて衰えず

老いて学べば死して朽ちず

佐藤一斎「言志晩録」より

解題

若い者の怠けて勉学せぬものを見る程不快な

ものは無い。ろくな者に成らぬ事は言うまで

もないが、まあまあ余程のろくでなしでなけ

ればそれ相応に勉強する志位はあるものであ

る。壮年に成るともう学ばぬ者学ぼうとせぬ

者が随分多い。生活に追われて忙殺されてい

る間に段々志まで失ってしまうのである。

そうすると案外老衰が早く来る。所謂若朽で

ある。肉体だけは頑強でも精神が呆けてしま

う。反対に能く学ぶ人は老来益々妙である。

但し学も心性の学を肝腎とする。雑学では駄

目である。古詩に云う通り「少壮努力せずば

老大徒らに傷悲せん」こと間違いない。でな

ければ呆けたのである。此れに反して老來益

々、学道に精進する姿程尊いものは無い。

細井平洲も尊重した川越在の郷長老奥貫友山

の歌に「道を聞く夕に死すも可なりと云う言

葉に縋る老いの日暮らし」斯う有りたいもの

である。そして「老獪晴天に参す」ようなの

は実に好いではないか。

                                    安岡正篤―解

学ぶと云う事はいくつになっても必要な事。

彼の経営の神様と言われた松下幸之助さん

もこの世に存在する万物総てが師であると

云っています。その気に為れば全てが自分

に気付きを提供してくれる存在と云うわけ。

其の為には矢張り素直で謙虚な心である事

が大切と云う事に成るのでしょうか。

宮地嶽神社夕日