百朝集44章
興一利若除一害 生一事若滅一事
一利を興すは一害を除くに如かず
一事を生やすは一事を滅らすに如
かず
蒙古-耶律楚材
Facebook Home | doubutu-aozora あおぞらページ
http://crystal-house-kitakyusyu.com/wp-admin/post.php?post=3794&action=edit
解)
これは史上希有の大宰相ー遼の王族耶律楚材の名言である。
彼はチンギスカンが満州を攻めて遼の国を亡ぼした時、26
歳の青年であったが、カンに一見して惚れこまれ肝胆相照
らして爾来30余年複雑雑多な蒙古の国政運用した。此の事
自体非凡の大業であるが彼はその間終始、学問信仰に熱烈
深刻な努力を続け、禅に於いては曹洞宗門の法嗣に列して
いる。詩もまた境遇と舞台が破天荒であるだけ雄渾深沈で
尋常一様の詩人の到底及ぶものでは無い。遺著に「湛然居
士集」がある。斯う云う書が読めない等は人間の恥の様な
気がする。上掲の言葉はこの偉人の語にしては消極に感ぜ
られるかもしれない。然し実際政治にした程の人ならば、
流石は軍国非常の際に経験を積んだ名相の言だけ有る事を
深く味識するであろう。元来世間の事は雑草の様に油断を
すれば際限なく生えてゆくものである。事件が次から次へ
と増加してしてゆくと、その煩雑さに紛れて段々余裕も反
省もなくなってしまう。そして結局破滅に陥るものである。
絶えず問題を省みると共に省いて、手にも心にも余裕を有
する事が必要である。政治とは省治である。役所を「省」
と称する事は誠に深意がある。然るに役人政治家ともなれ
ば功名心に駆られ人気を博そうとするから、如何しても何
か目新しい事を行ってみたい。整理とか償却とか節約とか
いう様な事はどんと行り栄えがない。そこで「一利を興す」
方に傾いて「一害を除く」ことは中々行らない。其の中に
積弊が手の着けようもないほどになってしままう。これが
革命を誘発するのである。人は無事を祈りながら何と我か
ら多事にしていることであろう。
安岡正篤解
◎ 耶律楚材1190-1244:禅に深く帰依した史上希有の大宰相
遼の王族で滅亡後蒙古に支え国政に参加
国家に限らず企業・事業者でも個人でも社会活動・経
済活動に於いて今一番心掛けていかなければならない
事柄のようですね。
Facebook Home | doubutu-aozora あおぞらページ
http://crystal-house-kitakyusyu.com/wp-admin/post.php?post=3794&action=edit