六然・六中観

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百朝集59章

六然

自處超然 處人藹然 有事斬然

無事澄然 得意澹然 失意泰然

             明)崔後渠

「自分に対しては捉われないで 人に会う時は和やかに

事があればてきぱきと 事無きときは爽やかに 

得意の時はあっさりと 失意の時はゆったりと」

此れが出来たならばそれこそ真の自由人である。我々は兎角、

自処紛然 処人冷然 有事茫然 無事漫然 得意傲然 失意悄然

とでも言う様な事になって、此処に云う様に自分には一切捉われ

ず脱け切っており、人に対してはいつもなごやかに好意を持ち、

何か事が有れば活気に満ち、事が無ければ氷の様に澄んでおり、

得意の時はあっさりとして、失意の時もゆったりとしておると

云う事は余程の修練を要する。

「随所に主となれば立処皆真」こうならねばならぬ。

安岡正篤解

百朝集58章

六中観

死中活有 苦中樂有 忙中閑有

壺中天有 意中人有 腹中書有

          安岡正篤

私は平生窃かに此の観を為して如何なる場合も決して

絶望したり、仕事に負けたり屈託したり精神的空虚に

陥らない様心掛けている          安岡正篤

 

六然の言葉は今迄にも数回引用してきた言葉です。

この六然の言葉で印象に残っている場面が有ります。

其れは1998年参院選で敗れ引責辞任をした83代総理

橋本龍太郎自民党総裁の記者会見での言葉です。

記者の今どういう心境かとの質問に対し「失意泰然」

と返した言葉が今でも印象深く残っています。

近年は残念ながら国家の立場ある指導層の方々から

聞こえてくる言葉は延命いい訳の言葉ばかりのように

感じられます。

安岡正篤師が聞いたらどんな思いをするでしょうか?

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安岡正篤  

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