百朝集68章
うつはものは垢つかざるよう日々きよむべし。
他所の道具の批判せず持伝へしを手入れすべし。
釜の湯一ひさし汲まば一ひさし半をさすべし。
客に対するも茶をたつるも法にはなれずまた
なずますほどをうるを第一とすべし。
あしきと思ふ道具の良きところを見よきと
おもふうちにあしきところをみるべし。
松平定信「樂翁壁書」
解題
うつわものに限らぬ我と云う器物もこの通り。
安岡正篤解
お茶の道と云えば千利休の(四規)七則と云われる
ものが有ります。紹介しますと
【四 規 】
和 敬 清 寂
【七 則】
茶は服のよきように点て、
炭は湯に沸くように置き、
冬は暖に夏は涼しく、
花は野の花のように生け、
刻限は早めに、
降らずとも雨の用意、
相客に心せよ
裏千家淡交会のしおりの解説によりますと
七則はある人が利休居士に「茶の湯の極意を教えて欲しい」
と尋ねたのに答えたものだそうです。
ところが、その答えが当たり前のことすぎたので
「そんなことは誰でも知っています」
というと利休居士は
「この心に適う茶ができるのであれば、あなたの弟子になりましょう」
と言われたそうです。
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序でに「和敬靜寂」の其々の淡交会しおりの説明
を引用してみますと・・・
和
茶には「和」という根本理念が流れています。
それは、茶人たるものは腹を立てないとか、仲良く
するべきだとかいった表面的なことのみならず、
己の心の和、道具の取り合わせの和、席中相客
の和が合わさってこそ、心の乱れのない点前が
できるのです。かつて聖徳太子の十七条憲法の
冒頭において「和を以て貴しとなす」と唱えら
れています。また、人の心の和とは禅の悟りの
境地を表すものでしょう。この普遍なる価値を
有する和は、茶の修道においても、主客、師弟
のそれぞれの立場で真に求められるものです。
敬
人を敬い、自らを慎むこと。お互いが慎みあい、
敬い合うことがなければ、どんな茶事や茶会でも
自己満足で終わってしまいます。また、道具への
敬の念、弟子から師へだけでなく師から弟子への
敬の念、仕え合いながら自然に「敬」の心を育んで
いきたいものです。上へ諂うことなく、下には丁重
に接することで、敬し敬される関係が生まれるのです。
清
清らかであること。例えば、茶室に入る前には、必ず
手水鉢で手を洗い口を漱ぎますが、それは単に目に見え
る汚れを洗い流すばかりではなく、手水の水には心身を
清めるという意味が込められているのです。また、神社
へ参拝する前に手水を使うことからも、手水で清めるほ
どの神聖な場としての茶室という位置づけが示されてい
るといえます。日々の掃除を怠らず、身体を洗い清める
ということは、同時に内からも清めているのだという気
持ちを大切にしましょう。
寂
寂、すなわち静かでなにものにも乱されることがない不動心
を表しています。客は静かに心を落ち着けて席入りし、床の前
に進む。軸を拝見しそこに書かれた語によって心を静め、香を
かぎ花を愛で、釜の松風を聴く。そして感謝を込めてお茶をい
ただく。こうした茶の実践を積み重ねていくことによって自然
の中にとけ込み自然を見つめ、自分をも深く見つめることが
できます。まさに自然と同化することによって寂の心境に至る
のです。心に不動の精神を持っていれば、どんなことにもゆと
りを持ってやっていけるという心の大きさが生まれます。そう
したゆとりの中にこそ、茶の道が奥深く開けてゆくことでしょう。
と云うことに為るそうです。
常日頃を平穏に過ごしていく為の心掛け・心の在り方にも
通じるようですね。
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