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簡略 卦字の意

易の卦は上經30卦 下經34卦からなり、夫々に卦辞が付されている。例えば乾には「元亨利貞」という具合である。意味等は解説書を見てもらうとして、此処では卦に用いられている漢字にはどういう意味合いがあるのかという事を簡略に記している。という事でこれは、遊びの域を出るものではありませんが、入り口としては、活用できるかもしれません。

【上經】

  1. 乾 :天をあらわす 力にあふれた竜(男) 全て陽    ☞ 乾為天
  2. 坤 :地を表す   おとなしい牝馬(女) 全て陰    ☞ 坤為地
  3. 屯 :たむろの意  ものが伸び悩でいる状態       ☞ 水雷屯(難卦1)
  4. 蒙 :若すぎる意  見定めがたい状態          ☞ 山水蒙
  5. 需 ;待つ意  時を得るのを待つ・チャンスを待つ    ☞ 水天需
  6.  :訴える・争う意  和は求めがたい         ☞ 天水訟
  7. 師 :戦争の意  優秀な参謀              ☞ 地水師
  8. 比 :親しむ意  親和・親善              ☞ 水地比
  9. 小畜:蓄える意  少し蓄える・少し留める       ☞ 風天小畜
  10. 履 :踏むの意  虎雄を踏む危険            ☞ 天沢履
  11. 泰 :安らかの意  安泰・泰運・泰然の状態       ☞ 地天泰
  12. 否 :否む・塞ぐの意 否運・悲運・不運 開かない状態  ☞ 天地否
  13. 同人:志を同じくする意 友人仲間 同業・同意・同行  ☞ 天火同人
  14. 大有:大いに保つの意 時と場所を得て満足の状態    ☞ 火天大有
  15. 謙 :へりくだるの意 謙遜・謙譲・謙虚 分け与える   ☞ 地山謙
  16. 豫 :あらかじめの意 準備が整った状態         ☞ 雷地豫
  17. 随 :従うの意  時に従い・人に従い立場に従う     ☞ 沢雷随
  18. 蠱 :破れ破綻の意 内部混乱 臭いものに蓋状態     ☞ 山風蠱
  19. 臨 :臨機応変の意 機敏性 移り気 動きに適応     ☞ 地沢臨
  20. 観 :思索・反省するの意 観念的物質より精神に主力   ☞ 風地観
  21. 噬嘐:噛砕くの意 嚙み合わせ十分に咀嚼        ☞ 火雷噬嘐
  22. 賁 :装飾の意 夕日に照山・末期の美しさ        ☞ 山火賁
  23. 剥 :剥ぎ取る 削り取られるの意 剥落・剥離・追剥   ☞ 山地剥
  24. 復 :蘇る甦る返るの意 復帰・復元・往復・復原     ☞ 地雷復
  25. 无妄:妄す无しナスナシの意自然そのままの働き自然の理法☞ 天雷无妄
  26. 大畜:大いに蓄える 大いに留める止まる時期を稼ぐ   ☞ 山天大畜
  27. 頤 :上頤と下頤 おとがいの意 養う          ☞ 山雷頤
  28. 大過:責任過重の意 危険な状態            ☞ 沢風大過
  29. 坎 :転落流転・ 穴凹み放蕩情交 冷淡奸智敗北下層災害    ☞ 坎為水(難卦2)
  30. 離 :明・太陽の意 神最高上流聡明知能火事栄転離れる  ☞ 離為火

【下經】

  • 咸 :敏感に感じる意 感情感覚感傷感泣感謝       ☞ 沢山咸
  • 恒 :当たり前・いつも通りの意 恒産恒心恒常      ☞ 雷風恒
  • 遯 :逃れるの意 運気衰え状態 遯竄          ☞ 天山遯
  • 大壮:大きく盛んの意 壮麗壮挙壮図 大がかりの意   ☞ 雷天大壮
  • 晋 :進むの意 日の出の状態              ☞ 火地晋
  • 明夷:明るさを破るの意 暗い夜の状態         ☞ 地火明夷
  • 家人:家庭で迎える人の意 女性的           ☞ 風火家人
  • 睽 :背く・異なるの意 相反する組み合わせ状態     ☞ 火沢睽
  • 蹇 :足萎えの意 動きの取れない状態          ☞ 水山蹇(難卦3)
  • 解 :解き放たれる・分かつの意 解放解釈解散解決氷解  ☞ 雷水解
  • 損 :分け与えるの意 贈り物・喜捨           ☞ 山沢損
  • 益 :公益優先の意 精神面・物質面の豊かさ活力     ☞ 風雷益
  • 夬 :物事を一思いに片付ける 孤立 判決決議決断決定  ☞ 沢天夬
  • 姤 :偶然の出会いの意 会う見目よいの意        ☞ 天風姤
  • 萃 :集まる集めるの意 にぎわいのある状態       ☞ 沢地萃
  • 升 :地下に蒔かれた種の意 昇り進む状態        ☞ 地風升
  • 困 :苦しみの意 困る苦しむ悩む 困惑困難困厄困苦   ☞ 沢水困(難卦4)
  • 井 :井戸の意 日常生活欠くべからざるもの       ☞ 水風井
  • 革 :革まるの意 革命革新改革 古から新へ移る過程   ☞ 沢火革
  • 鼎 :かなえの意 三本足の鍋 安定感・充実感      ☞ 火風鼎
  • 震 :雷の音 驚かされる状態              ☞ 震為雷
  • 艮 :連なる山の状態不動の精神を表す          ☞ 艮為山
  • 漸 :行気進むの意 飛び立つ状態            ☞ 風山漸
  • 帰妹:美しい女性ハレムに入った女性を表す愛人     ☞ 雷沢帰妹
  • 豊 :ゆたか 豊満豊穣豊麗豊潤 最高点に達した状態   ☞ 雷火豊
  • 旅 :長い旅路を表す不安な状態             ☞ 火山旅
  • 巽 :軽やかに吹きわある風を表す運気も風に乗り上る   ☞ 巽為風
  • 兌 :喜びの意 喜悦 悦楽 口を表す          ☞ 兌為沢
  • 渙 :散らす・明らかの意 渙散渙発 外の向かって散   ☞ 風水渙
  • 節 :ふしの意 節度節操節制 着実な態度を表す     ☞ 水沢節
  • 中孚:まことの意 誠意を尽くしあう          ☞ 風沢中孚
  • 小過:少し過ぎる 過酷過剰過食            ☞ 雷山小過
  • 既済:全て陰陽整っている 全てが成る 現状維持に専念 ☞ 水火既済
  • 未済:未だ陰陽整ってない 夜が明けたばかりの状態   ☞ 火水未済

漢字のもつ意味をふまえて卦辞や爻辞を読んでいただくと亦、見える風景も変わってくるかもしれませんね。

ひらめき脳

これは、『ひらめき脳』茂木健一郎著 新潮新書、2006年  文庫本の内容を図式に表したものです。

茂木 健一郎(もぎ けんいちろう、1962年〈昭和37年〉10月20日 – )は、日本の脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。学位博士(理学)東京大学1992年平成4年))→ウィキペディアより

不確実性の事柄を、これは手に負えない、危なっかしい事だと棄ててしまえばそこから何も生まれる事は無い。                       果敢に積極的にかかわっていくことで、思わむ成果が生まれる事がある。世紀の大発見・大発明と言われるような研究の多くもこの様な状況から生み出されてきた事も多い様だ。                                   それは自分が意図していたものとは全く別物の素晴らしいことが偶然に生み出されるきっかけにもなるらしい。そのためには夜も日も集中して考え続けることも大切らしい。

論語・老子・禅 Ⅳ

安岡正篤著

おわりにあたり

3回に渉って安岡正篤著「論語・老子・禅」から気になる箇所をピックアップして掲載してきました。勿論個人的な見方での抽出なので、面白そうと感じた人または大したことないなと感じた人いろいろかと思いますが、其れは、紹介する人間の技量の問題であって、日本の将来をず~っと見据えてこられた安岡師の提言は未だ色あせることなく今でも重要な意義ある提言がつづられています。興味をお持ちの方はぜひ原書を読んでいただくことをお勧めいたします。         最後に著書の最後に引用されている箇所をそのまま抜き書きし、それが有志の一助になればと思います。

この政道から一番先に発するのが政略であるが、或いはこれを政見と言っても宜しいが、其の中で一番大事なものが教化であります。そこで司馬光の資治通鑑にある政治と強化に関する名論を読むことにします。

教化と国政  宋 司馬光

教化は国家の急務なり。而るに俗吏は之を慢る。風俗は天下の大事なり。而るに庸君は之を忽ユルガせにす。夫れ唯明智の君子のみ深く識り長く慮り、然る後その益の大にして功を収むる事の遠きを知る也。光武、漢の中頃衰へ、群雄糜沸するに遇ひ、布衣に奮起し前緒を紹恢し、四方を征伐し、日、給するに暇非ざるに乃ち能く経術を敦尚し儒雅を賓延し、学校を開広し禮樂を修明す。武力既に成り文徳裳亦洽し。継ぐに孝明・孝章を以てし、先志を遹追し雍に臨みて老を拝し経を横たへて道を問ひ、公卿大夫より群県吏に至迄、咸、経明かに、行修まるの人を選用し虎蕡の衛士も皆孝経も習い、匈奴の子弟も亦大学に遊ぶ。是を以て教、上に立ち 俗、下に成る。

其の忠厚清修の士は豈惟搢紳に取るのみならんや、亦、衆庶に慕はる。愚鄙汚穢の人は豈惟朝廷に朝廷に容れられざるのみらんや、亦、郷里に棄てらる。

三代既に亡びしより風化の美なる事、未だ東漢の盛なるが若き者非ざる也。孝和以降に及びて貴戚、権を擅にし壁倖事を用ひ、賞罰章なる無く、賄賂行し、賢愚渾殽し、是非顛倒す。乱れたりと謂ふべし。然れども猶緜々として亡ぶるに至らざるは、上には則ち公卿大夫に袁安・楊震・李喬・陳蕃・李膺の徒あり、面引廷争し公儀を用て以て其の危うきを扶け、下には則ち布衣の士に符融・敦泰・范滂・許邵の流あり、私論を立てて以て其の敗れを救ふ。是を以て、政治濁ると雖も而も風俗衰えず。斧鉞を触冒し、前に僵仆し、而して忠義奮発し継ぎて後に起こり踵に随って戮に就き死を視る事帰するが如きもの有るに至る。夫れ豈特に数子の賢なるのみならんや。

亦、光武・明・章の遺化なり。是の時に当り苟も明君有り、作ちて之を振はば則ち漢氏の祚、猶未だ量るべからざりしならん。不幸にして陵夷頽蔽の余を承け重ぬるに桓・雲の昏虐なるを以てし、姦回を保護する事骨肉に過ぎ、忠良を殄滅すること寇讐よりも甚だしく、多士の憤りを積み四海の怒を蓄ふ。是に於いて、何進・戎を召し、董卓・釁に乗じ、袁紹の徒従って難を構へ、遂に乗輿は播遷し、宗廟は丘墟となり、王室は蕩覆し、烝民は塗炭、大命は隕絶し、亦救ふべからざらしむ。然れども州群の兵を擁し地を専らにする者、互いに相呑噬すと雖も猶未だ嘗て漢を尊ぶを以て辞と為さずんばあらずや。魏武の彊伉にして、加ふるに天下に大功あり、其の君を無みするの心蓄ふること久きを以てすら乃ち身を没するに至る迄、敢えて漢を廃して自立せず、豈其の志の欲せざるならんや。猶名義を畏れて自ら抑えたればなり。是に由りて之を観れば、教化は安んぞ慢るべけんや。風俗は安んぞ忽せにすべけんや。         通鑑漢紀

誠に名論であります。此の頃の様に道徳も秩序も法律も何もかも無視して、大衆を動員して集団暴力によって野望を遂げようとする風俗は厳重に取締まらなければならない。風俗というものは如何に大事なものであるか、松川事件等の裁判を見れば良く判る。結局政道は教化、其処に最も神聖な意味がある。やはり教職は聖職であります。如何に経済が大問題であっても、其れを取り立ててすべきものではない。教育は神聖なり。教化は国家の大事なり。教化を振興しなければ何時の日か國は必ず亡び、民族は塗炭の苦しみに陥るでありましょう。

しからばいかにして其の教化を興すか。何よりも先ず上に立派な為政者が出て民間に立派な人物が輩出する事であります。彼のアメリカのウォルター・リップマンは民主主義の頽廃を救う為には、唯一つエリートをつくるより外には途がないと言っております。

そうしてエリートとは、中庸の語を引用して「天命を知る者也」と申しております。天命を知って道の修業をする。道を学ぶことに由って本当の指導者が養われるのであります。しかもそういう問題は別としても、その根本に於いて人間というものは、誠に人であればある程人生を生きるに従って、道を学ばざるを得なくなる。四十・五十にして聞く無きは、其れこそ孔子の云われる様に論ずるに足らぬ。是が本当の師道でもある分けであります。

  • 司馬 光(しば こう、1019年11月17日(天禧3年10月18日) – 1086年10月11日(元祐元年9月1日))                           中国北宋時代の儒学者、歴史家、政治家。君実。陝州夏県(現在の山西省運城市夏県)涑水郷の人。号は迂叟。諡は文正。温国公の爵位を贈られた。このため「司馬温公」・「司馬文正公」と呼ばれることも多い。また「涑水先生」とも呼ばれた。祖先は西晋の高祖宣帝・司馬懿の弟司馬孚だといわれている。歴史書『資治通鑑』の編者として著名。政治面では旧法派の領袖として王安石ら新法派と対立した。                                             

 百朝集72章 人心の正否 安岡正篤解

総じて策士俗人の目の付き易いところは形の上の事である。真の志士先覚者はその精神如何を観る。機械兵制は末であり、人心が本である。本立たずして、どうして末の全きものがあろうか。根本たる人心が不正のままにしたならば、如何に法を厳にし、制度を整え為政者が声を涸らして叱呼するも効果の観るべきものはなかろう。おそるべく憂うべきは外敵ではない。ただ我等人々の心の正からざるこそ深き憂であるのだ。されば松陰裳「獄舎問答」中に「今の務べきものは、民生を厚うし民心を正しうし、民をして生を養い死に喪して憾みなく、上を親しみ長に死して背むくことなからしめんより先なるは無し。是を努めずして砲と言い艦と謂う。砲艦未だ成らずして、疲弊之に随い、民心之に背く。策是より失成るは無し」という所以である。再軍備論者も之に注意せねばならぬ。

                                以上

一日一話 松下幸之助

十一月の言葉

東の野に炎の立つみえて                            かへり見すれば月傾きぬ        柿本人麻呂

三日 日本人としての自覚と誇り

国破れて山河在りと云う言葉が有ります。例え国が滅んでも自然の山河は変わらないと云う意味ですが、山河は亦我々の心の故郷と共言えましょう。歴史に幾変転はあっても人の故郷を想う心には変わりはありません。此の国の祖先が培ってきた伝統の精神、国民精神も又変わることなくお互い人間の基本的な心構えであると思います。我々は日本と云う尊い故郷を持っています。此れを自覚し誇りとして活動する其処にはじめてお互いに納得の行く動きが起こるのではないでしょうか。日本人としての自覚や誇りの無い処には日本の政治も経済もないと思うのです。

  • 文化の日 
  • Memo―恒常性・遵守事項

五日 大器晩成と云う事

能く世間ではあの人は大器晩成型だ等と云いますが、その場合どちらかと云えばあまり褒めた様には使わない事が多いようです。詰り今はまあまあだけれどもその内に何とか一人前になるだろうと云った調子です。併し私は此の大器晩成と云うのはもっと大事な意味を持っているのではないかと思うのです。真の大器晩成と云うものは人生は終生勉強であると云う考えを持って、菟と亀の昔話の様に一歩一歩急がず慌てず日々精進し進歩向上して行く姿ではないかと思います。其う云う姿を目指す事がお互いに大切だと思うのです。

  • 2011年(H23)津波防災の日制定
  • Memo-生涯学習百朝集三学

*八日 振子の如く

時計の振子は右に振れ左に振れる。そして休みなく時間が刻まれる。其れが原則であり時計が生きている証拠であると云って好い。世の中も亦人生も斯くの如し。右に揺れ左に揺れる。揺れてこそ世の中は生きているのである。然し此処で大事な事は右に揺れ左に揺れると云っても、その揺れ方が中庸を得なければならぬと云う事である。右に揺れ左に揺れるその振幅が適切適正であってこそ其処から繁栄が生み出されてくる。小さく振れてもいけないし大きく振れてもいけない。中庸を得た適切な触れ方揺れ方が大事なのである。

  • 今日はレントゲンの日 
  • Memo―中庸とは

十五日 自分の働きの価値は

皆さんは自分の働きの価値と云うものをどのように考えているでしょうか。仮に月給十万円の人であれば十万円の仕事をしたのでは、会社には何も残らない事に為ります。私は自分が十万円貰っていれば少なくとも三十万円、出来れば百万円位の仕事をしなくてはいけないと考えます。そうすれば会社に金が残ります。その金は会社だけでなく社会へ還元される訳です。会社から十万円貰って八万円の仕事をしていたら会社は二万円損ですから、そういう人ばかりだとその会社は潰れてしまいます。会社に働く者としてはそう云う事を絶えず頭に置いておく必要があると思います。

  • 1836年(天保6)坂本龍馬生 1867年(慶応5)坂本龍馬没 
  • 今日は七五三の日
  • Memo-社会還元意識

十六日 成功するまで続ける

何事に拠らず志を建て始めたら少々上手くいかないとか失敗したと云う様な事で、簡単に諦めてしまってはいけないと思う。一度や二度の失敗で挫けたり諦める様な心弱い事では本当に物事を為し遂げて往く事は出来ない。世の中は常に変化し流動しているものである。一度は失敗し志を得なくても其れにめげず辛抱強く地道な努力を重ねて行く内に周囲の情勢が有利に転換して新たな道が開けてくると云う事もあろう。世に云う失敗の多くは成功する迄に諦めてしまう処に原因が有る様に思われる。竿後の最後迄諦めてはいけないのである。

  • 今日は幼稚園記念日 
  • Memo-初志貫徹精神

*二十日 寛容の心で包含

世の中には好い人ばかりではない。相当良い人もいるが相当悪い人もいる訳です。ですからきれいな人、心の清らかな人そう言う人ばかりを世の中に望んでも実際には中々その通りにはなりません。十人居たら其の中に必ず尾ならざる者正ならざる者も入ってくる。そういう状態で活動を進めているのがこの広い世の中の姿ではないでしょうか。其処に寛容と云う事が必要になってきます。力弱き者力強き者があるならば両者が互いに包含し合って其処に総合した共同の力が生み出されてゆく。そう云う処に我々人間の生き方があるのではないかと私は思うのです。

  • 今日は毛皮の日 
  • memo―洞察力の必要

二二日 弁解より反省

仕事でも何でも物事が上手くいかない場合必ず其処に原因がある筈である。だから上手くいかなかった時にその原因を考える事は同じ失敗を重ねない為にも極めて大切である。そのことは誰もが承知しているのであるが、人間と云うものは往々にして上手くいかない原因を究明し反省するよりも、斯う云う状況だから上手くいかなかったのだ。あんな思いがけない事が起こって其れで失敗したのだと云う様に弁解し自分を納得させてしまう。原因は自分が招いた事であると云う思いに徹してこそ、失敗も経験も生かされてくるのではないだろうか。

  • 今日はいい夫婦の日
  • Memo-自己責任のとり方・原因究明の仕方

*二七日 人間としての成功

人には各各皆異なった天分特質と云うものが与えられています。言い換えれば万人万様皆異なった生き方をし、皆異なった仕事をする様に運命づけられているとも考えられると思うのです。私は成功と云うのは此の自分に与えられた天分を其の儘完全に生かし切る事ではないかと思います。それが人間として正しい生き方であり自分も満足すると同時に、働きの成果も高まって周囲の人々をも喜ばすことに為るのではないでしょうか。そういう意味からすればこれこそ人間としての成功と呼ぶべきではないかと考えるのです。

  • 2016年(H28)キューバ革命の指導者カストロ没90歳
  • 今日はノーベル制定記念日
  • Memo―宿命運命立命➡安岡正篤百朝集

三十日 精神大国を目指して

今日我が国は経済大国と云われる迄に成りましたが、人々の心の面精神面を高めると云う事に就いては、兎角等閑にされ勝ちだった様に思います。此れからは経済面の充実と合わせてお互い国民の道義道徳心良識を高め、明るく生き生きと日々の仕事に励みつつ自他共に活かし合う共同生活を造り上げていく。合わせて日本だけでなく海外の人々牽いては人類相互の為の、奉仕貢献が出来る豊かな精神に根差した国家国民の姿を築き上げていく。その様な精神大国道徳大国とでも呼べる方向を目指して進む事が、今日国内的にも海外的にも極めて寛容ではないかと思うのです。

  • 今日は鏡の日 
  • Memo-超法治国家

昭和の時代は先人の努力により経済大国と言われるまでに発展した日本ですが、どうやらその頃に、さだまさしさんの「風に立つライオン」では有りませんが方向をまちがえたようで、松下幸之助翁が云うように、精神面は等閑され、ますます令和の現在はその傾向が強くなっているように感じます。今、国家を上げて大きく舵を切り直さないと大きな奈落が待っているかもしれませんね。

ブログnoteの投稿より

地域猫から飼い猫へ

17パギソレ2022年9月15日 10:31

私も続けているブログnoteのなかから嬉しい記事を見つけました。

動物愛護のNPOを立上げ、里親さん活動やTNR活動に関する情報、保護猫達の情報を発信しているなか、素晴らしい取り組みをされている記事を見つけ、ご紹介することにしました。
こういう記事を読ませていただくことで、いろいろな方々が自主的に、保護活動を率先して実行されている事に励まされます。 こういう方々が増えてくれれば、ノラ猫問題も自然消滅していくのではと思っています。保護活動に興味をお持ちの方、参考にしていただければ嬉しいですね。

https://note.com/2019dobutu noteあおぞら投稿ページ

「パギソレ」さんの投稿記事

今年の猫活の成果として大きかったのは、住まいの自治会が、地域猫活動を行政と連携して推奨していく方向に持っていけたことです。
自治会としては行政から、不妊去勢手術の補助金が上乗せでもらえるので、悪い話では無いということで話もスムーズに進みました。

しかし、すべての住民に地域猫活動を周知し賛同されることは難しく、やはり説明しても嫌なものは嫌だと、排除する思考にしか持っていくことができない方もいます。なんとか良い関係に持っていけるよう、行政と自治会の後ろ盾を利用しながら、こちらもトラブルが起こらないよう給餌や排泄物の掃除など努力していくしかありません。
TNR後の猫の管理にも難しさを感じます。
病気になった子、弱っている為保護が必要な子をすべて個人で見るのは難しいのです。

昨年は、自ら外の生活を引退を決意したのか、急に人に懐くようになり、通りすがりの優しい方を飼い主さんにした子がいました。

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10歳くらいです。家の生活に慣れるのに数ヶ月かかりましたが、飼い主さんの努力で、今では一緒にお布団で寝られるようにまでなったそう。顔つきもすっかり家猫さんになりました。

一方、他地域なのですが、体調が悪くなってしまったにも関わらず、捕まえることができず、近隣の協力も得られず、そのまま行方がわからなくなった猫もいます。

先日記事にしましたが、事故なのか病気なのか、突然亡くなってしまった子もいます。

出会ったタイミングによって、保護される子もいれば、キャパオーバーで若猫でも慣れてない理由でリリースの運命になる子もいます。

こうも運命が変わるのは、運は、その猫が持っているもの、と解釈しなければやりきれません。

ただ、嬉しいことがひとつありました。

自治会が公に地域猫活動をバックアップしてくれるようになったので、行政お墨付きの腕章をつけ、お世話の方も給餌をコソコソする必要があまりなくなった事が良かったのか、
以前より、ご苦労様です、とか、ありがとう、と感謝されることが多くなったと肌で感じているそうです。(嫌がらせもありましたが、それより感謝される方が多かったとか)

そして、ここに居る猫を気に入ったのか、引越し先をペット可にしたので、できたらここの猫を飼いたいと声をかけてくださる方とも出会えたそうです!
しかも、仲良しの2匹で。
慎重に、話を進めていけたらと思っています。

TNR後、数年懸命に生きてきたミドルエイジの猫さん達に、安住の地と愛情を与えて下さる方に出会えると、優しい気持ちと感謝で一杯になります。

地域猫から飼い猫へ、と言うのが広がればいいのになぁと、思います。

幸い飼い主さんに行く前の預かりさん(猫飼育経験はあるけど飼えない、場所はあるよ、と言う方)が居るので、うまく行くよう頑張りたいです。

論語・老子・禅 Ⅲ

安岡正篤著

「儒と禅」より

現代文明の危機は自己の喪失にあり

・・それでは一体何故こう言うことを夏の暑い最中のやるのか、やって何の意義があるのかと言う事になりますが、兎に角志相通ずる人々が相集まって今日の世の中に忘れられ、等閑にされておる最も大切なもの、其れを回復しようという事で、其れは何かと云えば結局眞實の自己であります。言うまでも無く現代はあらゆる方面から見て、実に雑駁・混乱を極めております。この混乱・雑駁の中に居る我々はどうしても自分自身を失い勝ちである。人間は、真実の自己というものを以て初めて一切が存在するので、これを失っては其れこそ一切が無義二なってしまう。人類の意義ある歴史とか文化というものは、全て真実の自己の開発から出来上がったものでありますが、その大事な自己を、現代文明・現代生活は段々閑却喪失してしまっておるのでありまます。是は大きな悲劇的脅威であって、結局此の混乱・頽廃を極める今日の時代・人類を救う究極の問題は、無視され、喪失されつつあるとこの真実の自己を云うものを、今一度把握し、これを磨きだすこと由り外には何もないのであって、これは、今日世界のアラユル思想家・学者の一致した意見となっているのであります。

古来宗教・道徳・学問は何のために存在してきたか、養われて来たか。皆是真実の自己を撤見しこれを陶冶する為に他ならないので、今後の文明が若し救われる運命に有りとすれば、我々人類が若しその破滅を免れる運命に恵まれておるとすれば、此の偏し過ぎた歌学・技術の文明に、精神的・道徳的文明を相応させることである。という事は之は疑いのないところであります。

新に硎より発す

そこで少なくともそういうことを弁えて居る我々の同人は、出来るだけ機会を作って、許される限り世間の束縛や雑務を離れて、先ず静かな時を得て、そうして本当の自分を、回光遍照とでも申しましょうか、本当に自分というものを撤見するという事が大切なのであります。云々・・

我々はこのあまりにも枝葉末節に派生し過ぎてきておる近代文明・近代生活から脱却して、本当の意味に於いて自然というものを把握しようと思ったら、出来るだけ複雑なものを簡略化し、雑多なものを圧縮して表現することを学ばなければならない。又人間が出来てくれば自ずから雑駁でなくなって、純一になってくるものであります。言葉遣いでも、簡に子て要を得るようになってくる。尤も簡略し過ぎると、詩や偈にならなくなって来るけれども、兎に角普段忘れて居ったり、気付かなかったりしたものを発見したり、思い出したりして真実なものを回復してゆく。そうすると丁度旱魃の為に枯れて居った泉なり井戸なりに、其れこそ水が再び湧いてくる。所謂活きた水、活水であります。そうしてその活水の源泉に到達する。有源を発見することが出来る。そこにこの研修会の意義があるわけです。云々・・

我々はこの雑駁混乱を極めた日々に煩わされて、自分自身を喪失しているばかりではなく、我々自身も亦、更にその厄介なものの中に、自己を、真我を埋没させておるのであります。それは何かといえば雑学であります。雑学ばかりではない。もっと悪い曲學というものがある。俗學というものがある。現代は知識階級程斯う言う雑学・曲學・俗學に覆われている。                真実の自己というものは、斯う言うものを払い落としてしまって初めて発見することが出来るのであります。今日は全く自己というものが何処にあるか、分からなくなってしまっておるのであります。

百朝集―大自在―安岡正篤解

浅薄なしたがって深い人格の自主性自由力を持たない人間は、少しうまくいくと好い気になって直に行詰る。少し苦しくなると忽ち疲れ衰えてしまう。人物が出来るに随って自己をも環境をも自由に創造し支配する。宇宙もこの人を如何する事も出来ない。

この大自在等一寸聞けばなんだか大変な難事の様に思われるが、実は極平凡事なのである。

徳山の棒と言われる程、厳しく門下を鍛えた徳山宣鍳和尚。(伝教・弘法と略同時期の唐僧)の宗旨も、彼の語で言えば「心に無事、事に無心」というに帰する。その師龍潭祟信のまた師、天皇道悟の名高い偈がある。

「任性逍遥 随縁放曠 但尽凡心 無別勝解」 性ニ任セテ逍遥ス 縁ニ随ッテ放曠ス タダ凡心ヲ尽クスノミ 別ニ勝(聖)解ナシ

何事も縁、学問・求道にもやはり縁というものを持たなければならないのであります。徳山は斯う言う心を称して無心と言っております。

聞く処によれば、戦後の歴代総理は、指南役として安岡正篤師を迎えていたともいわれています。そのため、世に師の事は、黒幕とかフィクサーなどと揶揄されていたのも事実。しかし、時代が移り現在では、師のような形での指南役と呼べるような人物が政治家の周りには皆無なのではないでしょうか?

安岡正篤師の著書を読んでいるとおっしゃる政治家は多々居られるようですが、果たして、師の学問思想を本当に理解して所謂活学として生かされている人が何人いるのでしょう。国会・選挙等々政治の現場・永田町のドタバタ劇を見るたびにそのような人物は皆無だと感じざるを得ません。

現在の政界、国家国民の為というよりは己の保身の為、理念理想よりは票集めが先と云った政治家ならぬ政治家まがい、政治屋が横行しているようにしか思えません。何故、役所官庁に「省」の字を当てるのか、何故大臣に「相」の字を当てるのか。この本でも読んでお考え頂ければ少しは変わるかもしれません。   今後、本当の気骨ある政 治家が出てくることを日本の為にも切に願ってやみません。

(補足)茲で、当に現代社会の国際情勢を予見したかのような卓越の一文が此の「儒と禅」の中に在りますのでその部分引用してみます。コメントは差し控えます。皆様でお考えいただければ嬉しいですね。

新性を撤見し、真実の世界を開顕す

この間もライシャワー米大使と我々数人で、一晩飲みながら議論したのですが、要するに今日の東西両陣営の突き詰めた結論は、PowerPolitics(力の政治)が勝つかPublicExcellence(公徳を基調とするゆき方)が勝つかという事になるのでありまして、共産側はあくまでも力で押しまくろうとするし、自由陣営は力で対抗することをやめて、こちらの優秀さを彼らに見せてやろうという。然し是はなかなか難しい事であります。仏教でも勢力と道力の二つの力を立てておりますがしかし、勢力はどこまでも方便であって、本来は道力であります。道力はよく人を摂受する。今日云う所の寛容であります。マルクス・レーニン主義は勢力で行こうとするし、自由主義諸国は道力に徹しようとする。しかし摂受でゆくには、余程の道力がなければならぬので、自由主義諸国は果たして摂受と言えるような道力を持っているかどうか。道力はおろか勢力をも次第に失ってゆく危険があるのであります。気分の満足、観念の遊戯に堕して、理念を持ち乍ら現実には空しく亡んでゆくという事が、人類の長い歴史の常に示してくる處であります。云々(中略) 我等自由主義陣営もパブリック・エクセレンスを誇り乍ら、凶暴なパワー・ポリティックスの前に、空しく亡び去る危険決して少なしとしないのであります。善も亦、力でなければならない。是を痛論したのはニーチェであるが、彼はその思想と實人物の自分との矛盾から発狂してしまった。其れでは詰まらない。思想と人物を合一し、金剛不壊の人物を作り上げる、これが東洋の学問。修養の本義であります。

一日一話 松下幸之助

十月の言葉

このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに      管家

一日 法治国家は中進國

今日法治国家というのは大体先進国と云う事に為っていますが、私は法治国家は真お先進国とは言えないのではないかと云う気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は謂わば中進国であって真の先進国文明国とは法律が極めて少なく所謂法三章で治まっていく国と云う事では無いかと思うのです。とすれば真の先進国に成る為にはやはり国民の良識の涵養と云うものを大いに図っていかなければ成りません。其事に成功しない限りは先進国にはなれないのではなかと思うのです。

  • 2019年(R1)消費税10%に
  • 今日は印章の日 
  • memo-モラル・倫理観

*四日 心を磨く

人間の心と云うものは本当に自由なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても心の働きに由って如何様にでも考えられると思うのです。もう辛抱出来ない明日にでも自殺したいと云う場合でも考え方を変えるならば。一転して恰も広々とした大海を往くが如き悠々とした心境に転向する事さえできるのです。其れが人間の心の働きと云うものでしょう。ですから我々は是から仕事をするに当って先ず心を磨くと云うかものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに今迄得た知識を加えてやっていけば必ず大きな成果が生まれると思います。

  • 世界動物の日
  • Memo―フランクル著「夜と霧」➡希望

*十日 大事に立てば起つ程

困難期混乱期に際して大事な事は根本的な心の迷いを取り除いて確りと心を確立してゆく事です。志を堅く堅持してそして事に立ち向かう事が出来るなら、その時に応じて最善と考えられる具体的な方策は適切に出てくるものだと思います。その志を確固として持つ事無しに混乱期に直面すれば彼是と心が迷い事に為って事が失敗に終る場合が少なくないと思うのです。将に貧すれば鈍すです。大事に立てば起つ程如何生きるかについての確りした信念を持つ。そうして事に当ればある程度の処置を過たずして出来るものだと思います。

  • 1964年(S39)東京オリンピック開催

今日は旧体育の日 memo-六然の教え

*十六日 諸行無常の教え

その昔お釈迦さまは諸行無常と云う事を説かれました。この教えは一般には世は儚いものだと云う意味に解釈されているようですが、私は寧ろ諸行とは万物と考え諸行無常とは即ち万物流転であり生成発展と云う事であると解釈したら如何かと思うのです。言い換えますとお釈迦様は日に新たでなければならないぞと云う事を教えられたのだと云う事です。是は単に仏教だけの問題でなくお互いの日々の仕事を初め慧お互いの人生社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。

  • 今日はボスの日
  • Memo―石原慎太郎「法華経を生きる」
  • 松原泰道「発句教入門」➡諸行無常は現在進行形 紀野一義「法華経を読む」

*十八日 独断は失敗に繋がる

仕事でお互いが注意すべき事は会社の伝統方針を無視した自分一人の考えで行動しないと云う事です。人一人の知恵は如何に優れていても伝統も顧みず方針を等閑視して狭い自分の主観から生まれてくる判断で行動すれば却って会社をマイナスに導きます。私達は兎角ものの一面に捉われて自己の考え已を主張しているとその背後に流れる大きな力を見忘れてしまうものです。其処から大きな失敗が表れてきます。常に自己の背後にある流れ繋がりを見通す目、心を培いその中で自己を生かすよう訓練して行かなければなりません。

  • 今日は統計の日 
  • Memo―見えない力を感じるか➡don’tThink feel(燃えよドラゴン)

*二三日 原因は自分にある

人間と云うものは他人の欠点は目に付き易いものだ。往々にして何か問題が起こると其れは総て他人の所為で自分はに関係がないと考えがちである。実際に他人の所為であって自分は無関係なものもある。併し其れをそう判定するのは飽く迄も人間である。他人の所為ではあるけれども実は自分の所為でもある。と云う様に自分は全く関係がないとは言い切れない場合も少なくないのではなかろうか。少なくとも問題が起こった際には他人の所為だと考える前に、先ず自分の所為ではないかと云う事を一度考え直してみる事が非常に大切ではないかと思うのである。

  • 今日は電信電話記念日

Memo―自己観照・内観・洞察力

*二五日 人の話に耳を傾ける

日頃部下の云う事をよく聞く人の処では比較的人が育っている。其れに対して余り耳を傾けない人の下では人が育ち難い。そういう傾向が有る様に思われる。何故そうなるかと云うと矢張り部下の言葉に耳を傾ける事に拠って、部下が自主的にものを考えるようになり其の事がその人を成長させるのだと思う。けれども自分の云う事に上司が耳を傾けてくれないと云うのでは、唯惰性で仕事をすると云う事になって成長も止まってしまう。上司としてどんな場合でも大事なのは耳を傾けるという基本的な心構えを何時も持っていると云う事であろう。

  • 今日は民間航空記念日

指導者の基本的姿勢・要諦

*二七日 インテリの弱さ

今日能く耳にする言葉にインテリの弱さと云う事がある。是はインテリには生じっかな知識が在る為に其れに囚われて仕舞、其れは出来ないとか其れは如何考えても無理だと思い込んでしまって、中々実行に移さないという一面を言った言葉だと思う。実際嗚呼其れは今迄何度も遣ってみたんだが出来ないんだと、決め込んでいる事が我々の身の回りには意外に多いのではなかろうか。時には自分の考え復自分を捉えている常識や既存の知識から解放され、純粋な疑問純粋な思い付きと云うものを大切にしてみてはどうだろうか。

  • 読書の日
  • 未常識・空理空論

実業界はさておき、現代の政界・官僚を俯瞰すれば、其れなりの学歴を積んだ方々が沢山いるにもかかわらず、どうしてこんなに社会の実情に合わないことが霞が関・永田町でまかり通るのか不思議と云えば不思議な事。        結局、知識はあっても活きた知恵がない問うことになるのかな。安岡正篤師のいう「雑学」「俗學」「曲學」の類の知識ばかりという事かもしれませんね~❣❢

MEMO 神道

※注:下記の専門家或いは学者・作家等々の著作を参考に、メモったものをそのまま挙げてみました。キーワード的な記述になっているので全体の脈絡は有りません。( 敬称略)

吉野裕子 谷川健一 梅原猛 福永光司 田中卓 谷省吾 小松和夫 上山春平 河合隼雄 吉田敦彦 長部日出夫 宮田登 八田幸雄 安岡正篤 上田正昭 原田大六 永藤靖 鈴鹿千代乃 筧勝彦 柳田国男・折口信夫 津田左右吉 平田篤胤・本居宣長・上田秋成 

国学 民俗伝承伝説・道教の影響・まつり継承・御柱・岩代巨岩・巨木信仰・依代・山信仰龍・蛇・陰陽五行  

日本の神道を考えるには、日本人の思想の最も深い部分に関わるものである。宗教思想の時代的変遷を見ることは勿論歴史的時代思想的考察・民俗学的 神話学的考慮・政治力学的アプローチ等々総合的な考察が必要である

青森三内丸山縄文遺跡巨木祭祀跡 → 信州長野諏訪神社 御柱祭 → 出雲大社 神殿 → 伊勢神宮 心御柱 → 三輪山 巨岩依代   宗像沖ノ島 巨岩祭祀遺跡   石上神社 杉巨木

原神道  呪術呪詛 アニミズム 縄文期 ~ 弥生中期  4C後期

卑弥呼鬼道 シャ-マニズム  鬼道  原始道教の影響

(棟方志功 ルーツ 宗像三女神奉斎宗像海人族) 

※ 神道として体系化される以前の神々の原型 巫女の存在→比売神      →各地に祭神として比売神奉斎

※ 古事記における 別分三神アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの原型は宇宙神縄文~弥生中期期の神々の記憶を現わすか?

※古事記 仲哀記 大御琴(オオミコト神託を得る)               →(詔―みことのり原型;詔勅)

古神道 部族奉斎 アニミズム・シャーマニズム基礎 各部族(豪族)神

物部神道 忌部神道 布留(フル:振る)神道 呪術祈祷

道教(老荘思想・民間信仰)の影響

仏教伝来 塔・寺院・仏像・経典

宗教戦争 神道・仏教 

→ 神仏習合 民間信仰神山岳信仰神 

現神道 律令・中央集権統一  禊・祓い 誓約(ウケイ) 7C前期

中臣氏・藤原氏 中臣鎌足 六韜 

神々の系統化 神殿(神社)の整備 → 仏教伝来に因り神殿造営の必要性

※ 古事記 天皇家由来譚 謀略騙し討ち多し 藤原氏物部氏由来譚 戦略

※ 古事記は 戦略策略を最高の知恵と考える者によって編纂されている

※ 天照大御神 原型は縄文以降弥生期までの巫女(シャーマン)イメージ

  (持統天皇→文武天皇 元明・元正天皇→聖武天皇)

国家神道トハ3000年ノ神道(信仰)歴史ノ中ニアッテ僅カ数十年ノ特異ナ現象・儀礼神道

※ 時代は一人の思想家・創造者・リーダー・指導者・指揮官に因って造られるその下には、組織された集団・体制ができ、その下に無防備な大衆・民衆が従う

(蘇我馬子・聖徳太子 →  旧辞・帝記 645焼失?)

※ 稗田阿礼 二人か?(私見)

天武天皇 原古事記 

稗田阿礼 = 柿本人麻呂 壬申の乱 天武方  文才知識人        旧辞・帝辞を参考に原古事記の作成 神話部分の創作(各氏族伝承及民俗伝承)

その知識と美麗なる表現力により宮廷歌人として尊崇される → 氏姓制の精神的支柱としての存在

元明天皇 現古事記                                          天皇家及び藤原氏を中心とする官僚体制・律令制の思想的支柱

稗田阿礼 = 藤原不比等 壬申の乱 近江(天智)方 謹慎(田辺史へ) 帰化人の最新知識吸収 政治官僚体制の原案 朝廷中枢へ 弱体朝廷の不安を一掃

天皇制 藤原氏中心官僚体制・律令制の強化  

藤原不比等による 原古事記の神話改竄 官僚体制・律令・政治・祭祀組織化

※柿本人麻呂 藤原不比等 対立 → 政治的権力大の不比等により 人麻呂排斥(例えばヤマトタケルの物語の如く)遠地への排斥→絶望入水自殺

古事記序文 天武朝 稗田阿礼ハ柿本人麻呂 新体制下では抹殺すべき存在、本名を隠蔽 生まれ卑しきという意味の名     

元明朝 稗田阿礼ハ藤原不比等 原古事記編集者と同一人物と見せ且つ藤原氏中臣氏影響を隠蔽の為 両人とも朝廷(元明・元正帝)では誰を指すことかわかる

柿本人麻呂:氏姓制 ネノクニ (地霊)国津神
藤原不比等;律令制 タカマハラ (降臨)天津神

天武天皇 :  柿本人麻呂 > 藤原不比等

持統天皇 :  柿本人麻呂 = 藤原不比等

文武天皇 :  柿本人麻呂 < 藤原不比等

元明天皇 :  柿本人麻呂 < 藤原不比等

ハッキリとした罪を告発することは(被冤罪)人麻呂の個人的人望また、天皇家藤原氏の 政治的状況において危険(多くの氏族の反感反動へつながる)何らかの理由を設けて中央より遠地へ排除→例えば「風土記」作成の指導等

※イザナギ・イザナミ→誘う(イザナウ)の意 宇宙根源回帰を表す神?

  (宇宙空間&星の組成成分と人間の組成成分は基本的に同じ)

※ニニギノミコトが何故降臨したのか?

  老子;気を専らにして柔を到(キワ)め能く嬰児ならんか(第十章)

     老子に於いて嬰児は無の統一のこの上ない象徴→安岡

  (忌部正通;辞を嬰児に仮り心を神聖に求む→神代口訣)

  古事記作成時の政治的背景と黄老思想の影響による

  陽の作用は嬰児に於いて最も純粋無垢に発現される

日本語に探る古代信仰-フェティシズムから神道までーから

土橋寛 中公新書 1990年(H2)4/25初版

Memo

原始宗教に関する諸問題

呪術は人間が自然物や他者を直接的にコントロールすることによって願望を遂げようとする行為であり宗教は超自然的な存在としての神・仏の力に頼って間接的に願望を遂げようとする行為

フェティシズム(呪物崇拝)→18C中葉(仏)ド・ブロス(宗教民俗学)提唱

  A・コント(19C仏実証主義)→フェティシズムがあらゆる宗教の最初の段階

アミニズム(霊魂崇拝)→19C(英)E・B・タイラー(人類学)霊魂-遊離魂の観念提唱

※19C(英)R・H・コドリントン(民俗学):マナ→神秘的・呪的な力能と作用の存在提唱

 20C(英)R・R・マレット(タイラー弟子):総てのモノに「生命力が存在する」という信仰

の存在提唱→プレアニミズム・アニマチズム

日本古代の信仰

呪的・宗教的儀礼に用いられるものの崇拝はフェティシズム・アニマチズムに該当

自然物→樹木・鳥・蛾・雲・陽炎等々

人工物→木綿垂でユウシデ-和幣ニギテ・注連縄・ミアレ木・幡・勾玉・剣・鏡等々

  • 呪物崇拝の根底にある呪力-マナの信仰→言霊信仰

日本の古代信仰の最も中心的課題は霊魂の観念である遊離魂よりも霊力・呪力の観念が主体

【呪物崇拝と呪的宗教的儀礼】P75

賢木:儀礼の場に立てられる代表的なもの栄木=常緑樹→榊は日本製漢字

木綿ユウ:楮コウゾや麻の樹皮を水に晒し糸状に裂きヒラヒラと翻るようにしたもの

    →木綿垂で・和幣ニギテ-賢木に取り付け儀礼の場に立てる     

(神官はサカキの小枝に木綿を取り付け左右に振りヒラヒラト翻す江戸以降紙代用)

ミアレ木:木綿榊の大きなもの天の岩戸の前に立てられた天香久山の賢木と同じ

   →平安朝賀茂祭の祭場に立てられた

阿礼ノ幡アレノハタ:アレとはヒラヒラと翻る物を云う神事用語で六色の帛の幡       →正月17日宮廷の大射の場に立てられる賀茂祭では五色の阿礼幡

何れも神の依代ではなく呪物として儀礼で用いられる-フェティシズム対象物

領巾ヒレ:タマフリの呪物→物部氏鎮魂儀礼

  旧事本紀―物部氏祖神饒速日神が天降った時天神御祖に授けられた

  天璽瑞宝十種の呪物の一つ→羸都鏡オキツカガミ1・辺津鏡1・八握劔1                生玉1・死反玉1・足玉1・道反玉1・蛇比礼1・蜂比礼1・品物比礼1

以上纏まりのない内容だが、神道の起源と神道の聖典とされる古事記の成立プロセス更にはその時代の政治情勢の一考察。                    神道は儒教・道教・仏教等々の理論或いは形態を吸収しながら日本人の精神的支柱として確立されていったものと考える。                       また、機会を見てもう少しまとまりのある内容をupすることとします。今回はその雰囲気だけでも感じていただければ幸いです。

保護活動あれこれ(=^・^=)

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目次

  1. 仔猫保護の相談
  2. 充実した公的な施設が急務なのでは?
  3. 疥癬の仔猫は

仔猫保護の相談


先日、黒崎の北九州市民サポートセンターを介して、若松在住の方から保護仔猫の連絡が入りました。仔猫を保護したが疥癬がひどくどうしたらいいかとのご相談。

聞けば、サポートセンターよりはじめに紹介を受けた若松の有る愛護団体へ連絡を入れるが何度連絡しても応答なしだったとの事で、再度こちらへ連絡が来たというわけ。

保護団体の方々も、連絡を全部受け入れていたら動きが取れなくなるという様な事情もあるのか、結構、こちらに来る相談でもそういう方々のご相談が多い様にも感じます。

この方は、ハワイと北九州を常時行き来されていらっしゃるようで、ハワイでは動物愛護のボランティアもなさっているとの事、ハワイの愛護活動事情とこちらの活動事情の違いに、驚きと憤りを感じていらっしゃったようです。

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awaiian Humane Society(NET画像転記)

Hawaiian Humane Society(ハワイ動物愛護協会)ハワイアン ヒュメーン ソサエティー

ハワイの公的な動物愛護センターで、広々とした場所で、迷い犬猫・遺棄された犬猫等々が、整った施設の中でのんびりと暮らしているとの事。医療体制も充実していて外部からでも格安の値段で診て頂けるようです。勿論保護された犬猫たちの避妊去勢等も行われている様子。

充実した公的な施設が急務なのでは?


北九州市での任意団体や個人ボランティアの方々は日々、TNRや里親さん探しの活動に奮闘はされているのでしょうが、先程の電話の様に、関係のない所からのご相談に迄応じる程、余裕がないというのが実情なのでしょう。
やはりここは、ハワイや欧州のようなもっと行政が本腰を入れてトータル的な愛護活動の拠点を作る必要があるのではと思っています。
その旨は、北九州サポートセンターを通じて、市の方へ働きかけもお願いしています。

日本でもそれに近いような状況で行政が活動をしている地域もあるかもしれません。また、TNR活動については「どうぶつ基金」という財団法人の団体がダイナミックな活動を展開しています。が然し、こちらではいろんなクレームのご相談の情報が上がってくるという事を考えてみますと、まだまだそこまで充実した体制には至ってないのでしょう。

先ずは、任意団体をサポートできる、或いは個人のご相談にも気軽に応じていただけるような仕組み・窓口が出来れば保護活動ももっと一般の方々のご協力が頂けると思いますが如何なものでしょうか?

疥癬の仔猫は


本題の疥癬の仔猫の件は、残念ながら自費にはなりますが先ずは若松の近くの獣医さんへ行っていただくことをお伝えし、こちらでも、お世話になっている獣医さんへ連絡を取り対処法を後程お伝えするという事に致しました。

聞くところによると、疥癬などの場合は、強い薬を使うよりまず栄養をつけてあげた方が直りが早い、要は免疫力を上げてあげる事との獣医さんの意見もあるようです。

何はともあれ、保護活動に前向きな好い方とつながりが出来たことはうれしい事です。今後いろんな面でご協力できればと思っています。

画像

只今、待機中❕❕

「あおぞら」とご協力いただいているお仲間のところには、常時数十匹の、2,3ケ月の仔猫から1年以上の成猫までの(=^・・^=)ちゃんたちが、新しいご家族が現れるのを待っています。

ご希望の方、あってみたいと思われる方、いつでもご連絡をお待ちいたしています。

電話:090-7536-2412

Mail:mefamily@khc.biglobe.ne.jp   or  renren@kdt.biglobe.ne.jp

詳しい情報は 

https://www.pet-home.jp/member/user816951/

ペットのおうち(あおぞら)をチェック

活動ご支援よろしくお願いいたします。

棄てられた犬猫の保護や飼えなくなった犬猫の保護・災害時の緊急雛所として、滞りなく救済ができるよう常設施設の設営等目指しています。また維持費及び保護した犬猫の健康を守るためのワクチン投薬や医療費用去勢避妊の手術費用等々の資金が不足しています。

振り込み口座名:特定非営利活動法人あおぞら

ゆうちょ銀行-記号:17420 番号:95930371 トクヒ)アオゾラ

他金融からの振込: 店名)七四八  店番)748

普通預金 口座番号)9593037

https://www.youtube.com/watch?v=zQRV-I4hDQo   FM北九州2021/8/19収録 動画

一日一話 松下幸之助

九月の言葉

秋の田のかりほの庵の苫をあらみ 我が衣手は露にぬれつつ     天智天皇

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今朝九月草樹みづから目覚め居て    中村草田男

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が、経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

  • 今日は宝くじの日 Memo―経営者の決断

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

  • 1939年(S14)泉鏡花逝-泉鏡花忌
  • Memo―山本七平「人間集団における人望の研究」近視録 易➡元享利貞

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

  • 今日は重陽の節句

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

  • 2001年(H13)米同時多発テロ発生
  • 今日は公衆電話の日 

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

  • 1931年(S6)満州事変勃発
  • 今日はカイワレ大根の日
  • Memo―道徳倫理修練

*二二日 平和の為の前提条件

平和が大切だと云う事は何千年も前から唱えられているにも拘らずその一方では戦争をしている。甚だ如きは平和の爲の闘争とか戦争と云ったことが、口にされ行われていると云うのが過去現在における人間の姿だと云えましょう。それではその様な状態を脱却し平和を実現する前提として何が必要かと云うと人間としての意識革命ではないかと思います。詰り真の平和と云うものをはっきり見極め心からそれを切望すると云う様な、一人一人の意識革命が一国の政治の上にも教育の上にも醸成されていくならば求めずして平和は生まれてくると思います。

  • 今日は孤児院の日 
  • Memo―国際的徳育

*二五日 信賞必罰

信賞必罰即ち罰すべき罪過ある者は必ず罰し賞すべき功ある者は必ず賞せよということ。是は人間が存在する限り程度の差はあっても絶対に必要な事であろう。此れが行われない国家社会は次第に人心が倦みやがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない会社集団家庭何処に於いても是は決して蔑ろにされてはいけない事だと思う。唯ここで大事な事は信賞必罰と云っても常に適時適切でなければならないと云う事である。是は微妙にして非常に難しい事で之が当を得なかったならば却ってことを誤ってしまう。

  • 今日は10円カレーに日
  •  Memo―韓非子

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってくる。

  • 今日はクルミの日

※ 論語による徳性

 民可使由之 不可使知之(泰伯篇)                   民は之を(之に)由らしむべし 之を知らしむべからず

これをどう解釈するか? で本当に論語を行動の指針にできているかどうかがわかるらしい。

安岡正篤師はその著書「論語・老子・禅」の中でこう説明しています。

これは誰知らぬ者の無い言葉であって実に誤用されておる。戦後の事ですがある会合に出たところ、相当な代議士が「もうー民は之を由らしむべし、知らしむべからずーのような封建的思想の時代は去った今やー民は大いに知らしむべし、由らしむべからずーという民主主義の時代になった」と言って得意げに演説しておった。私もちょっと茶目っ気をだして後で「こういうお話であったが、実にとんでもない事だ。あれは孔子の云った言葉だが、孔子ともあろう人が、今あなたが云った様な事を謂うでしょうか」と言ったら目を白黒させて「違いますか」と訊くので「大違いです」と言ってひとくさり説明してあげたことがある。    「民は之を知らしむべからず」を民衆に知らせてはいけないと解釈するから間違ってくるので、第一天下の為、人間を救う為に生涯を捧げた孔子がそういう事を謂う筈がない。                                     民衆というものは常に自分に都合のいい、その場その場の事ばかり求めておるので、本当の事だとか、十年・百年の計だとかいう様な事は判らない。従ってそれを理解させるのはなかなかできない事である。そこで、兎に角訳は判らぬがあの人のすることだから俺はついていくのだ。という風に民衆が尊敬し、信頼する様にせよと言う事で、由らしむべのベシは命令のベシであるが、知らしむべしのベシのほうは可能・不可能のベシである。従ってそれを知らしめよ、由良らしむなと解釈すれば、民は信頼尊敬させてはいけない、宣伝して誤魔化せば好いと言う事になってしまう。少し考えれば判る事だけれども、そういう浅はかな誤随分多い多い。人間というものは難しいものであります。云々

安岡正篤師が云っていることも、要は松下幸之助翁の云う「徳性を養う」(7日)ということの様ですね。今の政治家・指導者・経済界のトップはこういう言葉を知っているのでしょうか?