sugihara のすべての投稿

論語・老子・禅 Ⅲ

安岡正篤著

「儒と禅」より

現代文明の危機は自己の喪失にあり

・・それでは一体何故こう言うことを夏の暑い最中のやるのか、やって何の意義があるのかと言う事になりますが、兎に角志相通ずる人々が相集まって今日の世の中に忘れられ、等閑にされておる最も大切なもの、其れを回復しようという事で、其れは何かと云えば結局眞實の自己であります。言うまでも無く現代はあらゆる方面から見て、実に雑駁・混乱を極めております。この混乱・雑駁の中に居る我々はどうしても自分自身を失い勝ちである。人間は、真実の自己というものを以て初めて一切が存在するので、これを失っては其れこそ一切が無義二なってしまう。人類の意義ある歴史とか文化というものは、全て真実の自己の開発から出来上がったものでありますが、その大事な自己を、現代文明・現代生活は段々閑却喪失してしまっておるのでありまます。是は大きな悲劇的脅威であって、結局此の混乱・頽廃を極める今日の時代・人類を救う究極の問題は、無視され、喪失されつつあるとこの真実の自己を云うものを、今一度把握し、これを磨きだすこと由り外には何もないのであって、これは、今日世界のアラユル思想家・学者の一致した意見となっているのであります。

古来宗教・道徳・学問は何のために存在してきたか、養われて来たか。皆是真実の自己を撤見しこれを陶冶する為に他ならないので、今後の文明が若し救われる運命に有りとすれば、我々人類が若しその破滅を免れる運命に恵まれておるとすれば、此の偏し過ぎた歌学・技術の文明に、精神的・道徳的文明を相応させることである。という事は之は疑いのないところであります。

新に硎より発す

そこで少なくともそういうことを弁えて居る我々の同人は、出来るだけ機会を作って、許される限り世間の束縛や雑務を離れて、先ず静かな時を得て、そうして本当の自分を、回光遍照とでも申しましょうか、本当に自分というものを撤見するという事が大切なのであります。云々・・

我々はこのあまりにも枝葉末節に派生し過ぎてきておる近代文明・近代生活から脱却して、本当の意味に於いて自然というものを把握しようと思ったら、出来るだけ複雑なものを簡略化し、雑多なものを圧縮して表現することを学ばなければならない。又人間が出来てくれば自ずから雑駁でなくなって、純一になってくるものであります。言葉遣いでも、簡に子て要を得るようになってくる。尤も簡略し過ぎると、詩や偈にならなくなって来るけれども、兎に角普段忘れて居ったり、気付かなかったりしたものを発見したり、思い出したりして真実なものを回復してゆく。そうすると丁度旱魃の為に枯れて居った泉なり井戸なりに、其れこそ水が再び湧いてくる。所謂活きた水、活水であります。そうしてその活水の源泉に到達する。有源を発見することが出来る。そこにこの研修会の意義があるわけです。云々・・

我々はこの雑駁混乱を極めた日々に煩わされて、自分自身を喪失しているばかりではなく、我々自身も亦、更にその厄介なものの中に、自己を、真我を埋没させておるのであります。それは何かといえば雑学であります。雑学ばかりではない。もっと悪い曲學というものがある。俗學というものがある。現代は知識階級程斯う言う雑学・曲學・俗學に覆われている。                真実の自己というものは、斯う言うものを払い落としてしまって初めて発見することが出来るのであります。今日は全く自己というものが何処にあるか、分からなくなってしまっておるのであります。

百朝集―大自在―安岡正篤解

浅薄なしたがって深い人格の自主性自由力を持たない人間は、少しうまくいくと好い気になって直に行詰る。少し苦しくなると忽ち疲れ衰えてしまう。人物が出来るに随って自己をも環境をも自由に創造し支配する。宇宙もこの人を如何する事も出来ない。

この大自在等一寸聞けばなんだか大変な難事の様に思われるが、実は極平凡事なのである。

徳山の棒と言われる程、厳しく門下を鍛えた徳山宣鍳和尚。(伝教・弘法と略同時期の唐僧)の宗旨も、彼の語で言えば「心に無事、事に無心」というに帰する。その師龍潭祟信のまた師、天皇道悟の名高い偈がある。

「任性逍遥 随縁放曠 但尽凡心 無別勝解」 性ニ任セテ逍遥ス 縁ニ随ッテ放曠ス タダ凡心ヲ尽クスノミ 別ニ勝(聖)解ナシ

何事も縁、学問・求道にもやはり縁というものを持たなければならないのであります。徳山は斯う言う心を称して無心と言っております。

聞く処によれば、戦後の歴代総理は、指南役として安岡正篤師を迎えていたともいわれています。そのため、世に師の事は、黒幕とかフィクサーなどと揶揄されていたのも事実。しかし、時代が移り現在では、師のような形での指南役と呼べるような人物が政治家の周りには皆無なのではないでしょうか?

安岡正篤師の著書を読んでいるとおっしゃる政治家は多々居られるようですが、果たして、師の学問思想を本当に理解して所謂活学として生かされている人が何人いるのでしょう。国会・選挙等々政治の現場・永田町のドタバタ劇を見るたびにそのような人物は皆無だと感じざるを得ません。

現在の政界、国家国民の為というよりは己の保身の為、理念理想よりは票集めが先と云った政治家ならぬ政治家まがい、政治屋が横行しているようにしか思えません。何故、役所官庁に「省」の字を当てるのか、何故大臣に「相」の字を当てるのか。この本でも読んでお考え頂ければ少しは変わるかもしれません。   今後、本当の気骨ある政 治家が出てくることを日本の為にも切に願ってやみません。

(補足)茲で、当に現代社会の国際情勢を予見したかのような卓越の一文が此の「儒と禅」の中に在りますのでその部分引用してみます。コメントは差し控えます。皆様でお考えいただければ嬉しいですね。

新性を撤見し、真実の世界を開顕す

この間もライシャワー米大使と我々数人で、一晩飲みながら議論したのですが、要するに今日の東西両陣営の突き詰めた結論は、PowerPolitics(力の政治)が勝つかPublicExcellence(公徳を基調とするゆき方)が勝つかという事になるのでありまして、共産側はあくまでも力で押しまくろうとするし、自由陣営は力で対抗することをやめて、こちらの優秀さを彼らに見せてやろうという。然し是はなかなか難しい事であります。仏教でも勢力と道力の二つの力を立てておりますがしかし、勢力はどこまでも方便であって、本来は道力であります。道力はよく人を摂受する。今日云う所の寛容であります。マルクス・レーニン主義は勢力で行こうとするし、自由主義諸国は道力に徹しようとする。しかし摂受でゆくには、余程の道力がなければならぬので、自由主義諸国は果たして摂受と言えるような道力を持っているかどうか。道力はおろか勢力をも次第に失ってゆく危険があるのであります。気分の満足、観念の遊戯に堕して、理念を持ち乍ら現実には空しく亡んでゆくという事が、人類の長い歴史の常に示してくる處であります。云々(中略) 我等自由主義陣営もパブリック・エクセレンスを誇り乍ら、凶暴なパワー・ポリティックスの前に、空しく亡び去る危険決して少なしとしないのであります。善も亦、力でなければならない。是を痛論したのはニーチェであるが、彼はその思想と實人物の自分との矛盾から発狂してしまった。其れでは詰まらない。思想と人物を合一し、金剛不壊の人物を作り上げる、これが東洋の学問。修養の本義であります。

一日一話 松下幸之助

十月の言葉

このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに      管家

一日 法治国家は中進國

今日法治国家というのは大体先進国と云う事に為っていますが、私は法治国家は真お先進国とは言えないのではないかと云う気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は謂わば中進国であって真の先進国文明国とは法律が極めて少なく所謂法三章で治まっていく国と云う事では無いかと思うのです。とすれば真の先進国に成る為にはやはり国民の良識の涵養と云うものを大いに図っていかなければ成りません。其事に成功しない限りは先進国にはなれないのではなかと思うのです。

  • 2019年(R1)消費税10%に
  • 今日は印章の日 
  • memo-モラル・倫理観

*四日 心を磨く

人間の心と云うものは本当に自由なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても心の働きに由って如何様にでも考えられると思うのです。もう辛抱出来ない明日にでも自殺したいと云う場合でも考え方を変えるならば。一転して恰も広々とした大海を往くが如き悠々とした心境に転向する事さえできるのです。其れが人間の心の働きと云うものでしょう。ですから我々は是から仕事をするに当って先ず心を磨くと云うかものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに今迄得た知識を加えてやっていけば必ず大きな成果が生まれると思います。

  • 世界動物の日
  • Memo―フランクル著「夜と霧」➡希望

*十日 大事に立てば起つ程

困難期混乱期に際して大事な事は根本的な心の迷いを取り除いて確りと心を確立してゆく事です。志を堅く堅持してそして事に立ち向かう事が出来るなら、その時に応じて最善と考えられる具体的な方策は適切に出てくるものだと思います。その志を確固として持つ事無しに混乱期に直面すれば彼是と心が迷い事に為って事が失敗に終る場合が少なくないと思うのです。将に貧すれば鈍すです。大事に立てば起つ程如何生きるかについての確りした信念を持つ。そうして事に当ればある程度の処置を過たずして出来るものだと思います。

  • 1964年(S39)東京オリンピック開催

今日は旧体育の日 memo-六然の教え

*十六日 諸行無常の教え

その昔お釈迦さまは諸行無常と云う事を説かれました。この教えは一般には世は儚いものだと云う意味に解釈されているようですが、私は寧ろ諸行とは万物と考え諸行無常とは即ち万物流転であり生成発展と云う事であると解釈したら如何かと思うのです。言い換えますとお釈迦様は日に新たでなければならないぞと云う事を教えられたのだと云う事です。是は単に仏教だけの問題でなくお互いの日々の仕事を初め慧お互いの人生社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。

  • 今日はボスの日
  • Memo―石原慎太郎「法華経を生きる」
  • 松原泰道「発句教入門」➡諸行無常は現在進行形 紀野一義「法華経を読む」

*十八日 独断は失敗に繋がる

仕事でお互いが注意すべき事は会社の伝統方針を無視した自分一人の考えで行動しないと云う事です。人一人の知恵は如何に優れていても伝統も顧みず方針を等閑視して狭い自分の主観から生まれてくる判断で行動すれば却って会社をマイナスに導きます。私達は兎角ものの一面に捉われて自己の考え已を主張しているとその背後に流れる大きな力を見忘れてしまうものです。其処から大きな失敗が表れてきます。常に自己の背後にある流れ繋がりを見通す目、心を培いその中で自己を生かすよう訓練して行かなければなりません。

  • 今日は統計の日 
  • Memo―見えない力を感じるか➡don’tThink feel(燃えよドラゴン)

*二三日 原因は自分にある

人間と云うものは他人の欠点は目に付き易いものだ。往々にして何か問題が起こると其れは総て他人の所為で自分はに関係がないと考えがちである。実際に他人の所為であって自分は無関係なものもある。併し其れをそう判定するのは飽く迄も人間である。他人の所為ではあるけれども実は自分の所為でもある。と云う様に自分は全く関係がないとは言い切れない場合も少なくないのではなかろうか。少なくとも問題が起こった際には他人の所為だと考える前に、先ず自分の所為ではないかと云う事を一度考え直してみる事が非常に大切ではないかと思うのである。

  • 今日は電信電話記念日

Memo―自己観照・内観・洞察力

*二五日 人の話に耳を傾ける

日頃部下の云う事をよく聞く人の処では比較的人が育っている。其れに対して余り耳を傾けない人の下では人が育ち難い。そういう傾向が有る様に思われる。何故そうなるかと云うと矢張り部下の言葉に耳を傾ける事に拠って、部下が自主的にものを考えるようになり其の事がその人を成長させるのだと思う。けれども自分の云う事に上司が耳を傾けてくれないと云うのでは、唯惰性で仕事をすると云う事になって成長も止まってしまう。上司としてどんな場合でも大事なのは耳を傾けるという基本的な心構えを何時も持っていると云う事であろう。

  • 今日は民間航空記念日

指導者の基本的姿勢・要諦

*二七日 インテリの弱さ

今日能く耳にする言葉にインテリの弱さと云う事がある。是はインテリには生じっかな知識が在る為に其れに囚われて仕舞、其れは出来ないとか其れは如何考えても無理だと思い込んでしまって、中々実行に移さないという一面を言った言葉だと思う。実際嗚呼其れは今迄何度も遣ってみたんだが出来ないんだと、決め込んでいる事が我々の身の回りには意外に多いのではなかろうか。時には自分の考え復自分を捉えている常識や既存の知識から解放され、純粋な疑問純粋な思い付きと云うものを大切にしてみてはどうだろうか。

  • 読書の日
  • 未常識・空理空論

実業界はさておき、現代の政界・官僚を俯瞰すれば、其れなりの学歴を積んだ方々が沢山いるにもかかわらず、どうしてこんなに社会の実情に合わないことが霞が関・永田町でまかり通るのか不思議と云えば不思議な事。        結局、知識はあっても活きた知恵がない問うことになるのかな。安岡正篤師のいう「雑学」「俗學」「曲學」の類の知識ばかりという事かもしれませんね~❣❢

MEMO 神道

※注:下記の専門家或いは学者・作家等々の著作を参考に、メモったものをそのまま挙げてみました。キーワード的な記述になっているので全体の脈絡は有りません。( 敬称略)

吉野裕子 谷川健一 梅原猛 福永光司 田中卓 谷省吾 小松和夫 上山春平 河合隼雄 吉田敦彦 長部日出夫 宮田登 八田幸雄 安岡正篤 上田正昭 原田大六 永藤靖 鈴鹿千代乃 筧勝彦 柳田国男・折口信夫 津田左右吉 平田篤胤・本居宣長・上田秋成 

国学 民俗伝承伝説・道教の影響・まつり継承・御柱・岩代巨岩・巨木信仰・依代・山信仰龍・蛇・陰陽五行  

日本の神道を考えるには、日本人の思想の最も深い部分に関わるものである。宗教思想の時代的変遷を見ることは勿論歴史的時代思想的考察・民俗学的 神話学的考慮・政治力学的アプローチ等々総合的な考察が必要である

青森三内丸山縄文遺跡巨木祭祀跡 → 信州長野諏訪神社 御柱祭 → 出雲大社 神殿 → 伊勢神宮 心御柱 → 三輪山 巨岩依代   宗像沖ノ島 巨岩祭祀遺跡   石上神社 杉巨木

原神道  呪術呪詛 アニミズム 縄文期 ~ 弥生中期  4C後期

卑弥呼鬼道 シャ-マニズム  鬼道  原始道教の影響

(棟方志功 ルーツ 宗像三女神奉斎宗像海人族) 

※ 神道として体系化される以前の神々の原型 巫女の存在→比売神      →各地に祭神として比売神奉斎

※ 古事記における 別分三神アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの原型は宇宙神縄文~弥生中期期の神々の記憶を現わすか?

※古事記 仲哀記 大御琴(オオミコト神託を得る)               →(詔―みことのり原型;詔勅)

古神道 部族奉斎 アニミズム・シャーマニズム基礎 各部族(豪族)神

物部神道 忌部神道 布留(フル:振る)神道 呪術祈祷

道教(老荘思想・民間信仰)の影響

仏教伝来 塔・寺院・仏像・経典

宗教戦争 神道・仏教 

→ 神仏習合 民間信仰神山岳信仰神 

現神道 律令・中央集権統一  禊・祓い 誓約(ウケイ) 7C前期

中臣氏・藤原氏 中臣鎌足 六韜 

神々の系統化 神殿(神社)の整備 → 仏教伝来に因り神殿造営の必要性

※ 古事記 天皇家由来譚 謀略騙し討ち多し 藤原氏物部氏由来譚 戦略

※ 古事記は 戦略策略を最高の知恵と考える者によって編纂されている

※ 天照大御神 原型は縄文以降弥生期までの巫女(シャーマン)イメージ

  (持統天皇→文武天皇 元明・元正天皇→聖武天皇)

国家神道トハ3000年ノ神道(信仰)歴史ノ中ニアッテ僅カ数十年ノ特異ナ現象・儀礼神道

※ 時代は一人の思想家・創造者・リーダー・指導者・指揮官に因って造られるその下には、組織された集団・体制ができ、その下に無防備な大衆・民衆が従う

(蘇我馬子・聖徳太子 →  旧辞・帝記 645焼失?)

※ 稗田阿礼 二人か?(私見)

天武天皇 原古事記 

稗田阿礼 = 柿本人麻呂 壬申の乱 天武方  文才知識人        旧辞・帝辞を参考に原古事記の作成 神話部分の創作(各氏族伝承及民俗伝承)

その知識と美麗なる表現力により宮廷歌人として尊崇される → 氏姓制の精神的支柱としての存在

元明天皇 現古事記                                          天皇家及び藤原氏を中心とする官僚体制・律令制の思想的支柱

稗田阿礼 = 藤原不比等 壬申の乱 近江(天智)方 謹慎(田辺史へ) 帰化人の最新知識吸収 政治官僚体制の原案 朝廷中枢へ 弱体朝廷の不安を一掃

天皇制 藤原氏中心官僚体制・律令制の強化  

藤原不比等による 原古事記の神話改竄 官僚体制・律令・政治・祭祀組織化

※柿本人麻呂 藤原不比等 対立 → 政治的権力大の不比等により 人麻呂排斥(例えばヤマトタケルの物語の如く)遠地への排斥→絶望入水自殺

古事記序文 天武朝 稗田阿礼ハ柿本人麻呂 新体制下では抹殺すべき存在、本名を隠蔽 生まれ卑しきという意味の名     

元明朝 稗田阿礼ハ藤原不比等 原古事記編集者と同一人物と見せ且つ藤原氏中臣氏影響を隠蔽の為 両人とも朝廷(元明・元正帝)では誰を指すことかわかる

柿本人麻呂:氏姓制 ネノクニ (地霊)国津神
藤原不比等;律令制 タカマハラ (降臨)天津神

天武天皇 :  柿本人麻呂 > 藤原不比等

持統天皇 :  柿本人麻呂 = 藤原不比等

文武天皇 :  柿本人麻呂 < 藤原不比等

元明天皇 :  柿本人麻呂 < 藤原不比等

ハッキリとした罪を告発することは(被冤罪)人麻呂の個人的人望また、天皇家藤原氏の 政治的状況において危険(多くの氏族の反感反動へつながる)何らかの理由を設けて中央より遠地へ排除→例えば「風土記」作成の指導等

※イザナギ・イザナミ→誘う(イザナウ)の意 宇宙根源回帰を表す神?

  (宇宙空間&星の組成成分と人間の組成成分は基本的に同じ)

※ニニギノミコトが何故降臨したのか?

  老子;気を専らにして柔を到(キワ)め能く嬰児ならんか(第十章)

     老子に於いて嬰児は無の統一のこの上ない象徴→安岡

  (忌部正通;辞を嬰児に仮り心を神聖に求む→神代口訣)

  古事記作成時の政治的背景と黄老思想の影響による

  陽の作用は嬰児に於いて最も純粋無垢に発現される

日本語に探る古代信仰-フェティシズムから神道までーから

土橋寛 中公新書 1990年(H2)4/25初版

Memo

原始宗教に関する諸問題

呪術は人間が自然物や他者を直接的にコントロールすることによって願望を遂げようとする行為であり宗教は超自然的な存在としての神・仏の力に頼って間接的に願望を遂げようとする行為

フェティシズム(呪物崇拝)→18C中葉(仏)ド・ブロス(宗教民俗学)提唱

  A・コント(19C仏実証主義)→フェティシズムがあらゆる宗教の最初の段階

アミニズム(霊魂崇拝)→19C(英)E・B・タイラー(人類学)霊魂-遊離魂の観念提唱

※19C(英)R・H・コドリントン(民俗学):マナ→神秘的・呪的な力能と作用の存在提唱

 20C(英)R・R・マレット(タイラー弟子):総てのモノに「生命力が存在する」という信仰

の存在提唱→プレアニミズム・アニマチズム

日本古代の信仰

呪的・宗教的儀礼に用いられるものの崇拝はフェティシズム・アニマチズムに該当

自然物→樹木・鳥・蛾・雲・陽炎等々

人工物→木綿垂でユウシデ-和幣ニギテ・注連縄・ミアレ木・幡・勾玉・剣・鏡等々

  • 呪物崇拝の根底にある呪力-マナの信仰→言霊信仰

日本の古代信仰の最も中心的課題は霊魂の観念である遊離魂よりも霊力・呪力の観念が主体

【呪物崇拝と呪的宗教的儀礼】P75

賢木:儀礼の場に立てられる代表的なもの栄木=常緑樹→榊は日本製漢字

木綿ユウ:楮コウゾや麻の樹皮を水に晒し糸状に裂きヒラヒラと翻るようにしたもの

    →木綿垂で・和幣ニギテ-賢木に取り付け儀礼の場に立てる     

(神官はサカキの小枝に木綿を取り付け左右に振りヒラヒラト翻す江戸以降紙代用)

ミアレ木:木綿榊の大きなもの天の岩戸の前に立てられた天香久山の賢木と同じ

   →平安朝賀茂祭の祭場に立てられた

阿礼ノ幡アレノハタ:アレとはヒラヒラと翻る物を云う神事用語で六色の帛の幡       →正月17日宮廷の大射の場に立てられる賀茂祭では五色の阿礼幡

何れも神の依代ではなく呪物として儀礼で用いられる-フェティシズム対象物

領巾ヒレ:タマフリの呪物→物部氏鎮魂儀礼

  旧事本紀―物部氏祖神饒速日神が天降った時天神御祖に授けられた

  天璽瑞宝十種の呪物の一つ→羸都鏡オキツカガミ1・辺津鏡1・八握劔1                生玉1・死反玉1・足玉1・道反玉1・蛇比礼1・蜂比礼1・品物比礼1

以上纏まりのない内容だが、神道の起源と神道の聖典とされる古事記の成立プロセス更にはその時代の政治情勢の一考察。                    神道は儒教・道教・仏教等々の理論或いは形態を吸収しながら日本人の精神的支柱として確立されていったものと考える。                       また、機会を見てもう少しまとまりのある内容をupすることとします。今回はその雰囲気だけでも感じていただければ幸いです。

保護活動あれこれ(=^・^=)

DSC_0165

目次

  1. 仔猫保護の相談
  2. 充実した公的な施設が急務なのでは?
  3. 疥癬の仔猫は

仔猫保護の相談


先日、黒崎の北九州市民サポートセンターを介して、若松在住の方から保護仔猫の連絡が入りました。仔猫を保護したが疥癬がひどくどうしたらいいかとのご相談。

聞けば、サポートセンターよりはじめに紹介を受けた若松の有る愛護団体へ連絡を入れるが何度連絡しても応答なしだったとの事で、再度こちらへ連絡が来たというわけ。

保護団体の方々も、連絡を全部受け入れていたら動きが取れなくなるという様な事情もあるのか、結構、こちらに来る相談でもそういう方々のご相談が多い様にも感じます。

この方は、ハワイと北九州を常時行き来されていらっしゃるようで、ハワイでは動物愛護のボランティアもなさっているとの事、ハワイの愛護活動事情とこちらの活動事情の違いに、驚きと憤りを感じていらっしゃったようです。

画像
awaiian Humane Society(NET画像転記)

Hawaiian Humane Society(ハワイ動物愛護協会)ハワイアン ヒュメーン ソサエティー

ハワイの公的な動物愛護センターで、広々とした場所で、迷い犬猫・遺棄された犬猫等々が、整った施設の中でのんびりと暮らしているとの事。医療体制も充実していて外部からでも格安の値段で診て頂けるようです。勿論保護された犬猫たちの避妊去勢等も行われている様子。

充実した公的な施設が急務なのでは?


北九州市での任意団体や個人ボランティアの方々は日々、TNRや里親さん探しの活動に奮闘はされているのでしょうが、先程の電話の様に、関係のない所からのご相談に迄応じる程、余裕がないというのが実情なのでしょう。
やはりここは、ハワイや欧州のようなもっと行政が本腰を入れてトータル的な愛護活動の拠点を作る必要があるのではと思っています。
その旨は、北九州サポートセンターを通じて、市の方へ働きかけもお願いしています。

日本でもそれに近いような状況で行政が活動をしている地域もあるかもしれません。また、TNR活動については「どうぶつ基金」という財団法人の団体がダイナミックな活動を展開しています。が然し、こちらではいろんなクレームのご相談の情報が上がってくるという事を考えてみますと、まだまだそこまで充実した体制には至ってないのでしょう。

先ずは、任意団体をサポートできる、或いは個人のご相談にも気軽に応じていただけるような仕組み・窓口が出来れば保護活動ももっと一般の方々のご協力が頂けると思いますが如何なものでしょうか?

疥癬の仔猫は


本題の疥癬の仔猫の件は、残念ながら自費にはなりますが先ずは若松の近くの獣医さんへ行っていただくことをお伝えし、こちらでも、お世話になっている獣医さんへ連絡を取り対処法を後程お伝えするという事に致しました。

聞くところによると、疥癬などの場合は、強い薬を使うよりまず栄養をつけてあげた方が直りが早い、要は免疫力を上げてあげる事との獣医さんの意見もあるようです。

何はともあれ、保護活動に前向きな好い方とつながりが出来たことはうれしい事です。今後いろんな面でご協力できればと思っています。

画像

只今、待機中❕❕

「あおぞら」とご協力いただいているお仲間のところには、常時数十匹の、2,3ケ月の仔猫から1年以上の成猫までの(=^・・^=)ちゃんたちが、新しいご家族が現れるのを待っています。

ご希望の方、あってみたいと思われる方、いつでもご連絡をお待ちいたしています。

電話:090-7536-2412

Mail:mefamily@khc.biglobe.ne.jp   or  renren@kdt.biglobe.ne.jp

詳しい情報は 

https://www.pet-home.jp/member/user816951/

ペットのおうち(あおぞら)をチェック

活動ご支援よろしくお願いいたします。

棄てられた犬猫の保護や飼えなくなった犬猫の保護・災害時の緊急雛所として、滞りなく救済ができるよう常設施設の設営等目指しています。また維持費及び保護した犬猫の健康を守るためのワクチン投薬や医療費用去勢避妊の手術費用等々の資金が不足しています。

振り込み口座名:特定非営利活動法人あおぞら

ゆうちょ銀行-記号:17420 番号:95930371 トクヒ)アオゾラ

他金融からの振込: 店名)七四八  店番)748

普通預金 口座番号)9593037

https://www.youtube.com/watch?v=zQRV-I4hDQo   FM北九州2021/8/19収録 動画

一日一話 松下幸之助

九月の言葉

秋の田のかりほの庵の苫をあらみ 我が衣手は露にぬれつつ     天智天皇

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: image.png

今朝九月草樹みづから目覚め居て    中村草田男

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が、経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

  • 今日は宝くじの日 Memo―経営者の決断

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

  • 1939年(S14)泉鏡花逝-泉鏡花忌
  • Memo―山本七平「人間集団における人望の研究」近視録 易➡元享利貞

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

  • 今日は重陽の節句

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

  • 2001年(H13)米同時多発テロ発生
  • 今日は公衆電話の日 

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

  • 1931年(S6)満州事変勃発
  • 今日はカイワレ大根の日
  • Memo―道徳倫理修練

*二二日 平和の為の前提条件

平和が大切だと云う事は何千年も前から唱えられているにも拘らずその一方では戦争をしている。甚だ如きは平和の爲の闘争とか戦争と云ったことが、口にされ行われていると云うのが過去現在における人間の姿だと云えましょう。それではその様な状態を脱却し平和を実現する前提として何が必要かと云うと人間としての意識革命ではないかと思います。詰り真の平和と云うものをはっきり見極め心からそれを切望すると云う様な、一人一人の意識革命が一国の政治の上にも教育の上にも醸成されていくならば求めずして平和は生まれてくると思います。

  • 今日は孤児院の日 
  • Memo―国際的徳育

*二五日 信賞必罰

信賞必罰即ち罰すべき罪過ある者は必ず罰し賞すべき功ある者は必ず賞せよということ。是は人間が存在する限り程度の差はあっても絶対に必要な事であろう。此れが行われない国家社会は次第に人心が倦みやがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない会社集団家庭何処に於いても是は決して蔑ろにされてはいけない事だと思う。唯ここで大事な事は信賞必罰と云っても常に適時適切でなければならないと云う事である。是は微妙にして非常に難しい事で之が当を得なかったならば却ってことを誤ってしまう。

  • 今日は10円カレーに日
  •  Memo―韓非子

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってくる。

  • 今日はクルミの日

※ 論語による徳性

 民可使由之 不可使知之(泰伯篇)                   民は之を(之に)由らしむべし 之を知らしむべからず

これをどう解釈するか? で本当に論語を行動の指針にできているかどうかがわかるらしい。

安岡正篤師はその著書「論語・老子・禅」の中でこう説明しています。

これは誰知らぬ者の無い言葉であって実に誤用されておる。戦後の事ですがある会合に出たところ、相当な代議士が「もうー民は之を由らしむべし、知らしむべからずーのような封建的思想の時代は去った今やー民は大いに知らしむべし、由らしむべからずーという民主主義の時代になった」と言って得意げに演説しておった。私もちょっと茶目っ気をだして後で「こういうお話であったが、実にとんでもない事だ。あれは孔子の云った言葉だが、孔子ともあろう人が、今あなたが云った様な事を謂うでしょうか」と言ったら目を白黒させて「違いますか」と訊くので「大違いです」と言ってひとくさり説明してあげたことがある。    「民は之を知らしむべからず」を民衆に知らせてはいけないと解釈するから間違ってくるので、第一天下の為、人間を救う為に生涯を捧げた孔子がそういう事を謂う筈がない。                                     民衆というものは常に自分に都合のいい、その場その場の事ばかり求めておるので、本当の事だとか、十年・百年の計だとかいう様な事は判らない。従ってそれを理解させるのはなかなかできない事である。そこで、兎に角訳は判らぬがあの人のすることだから俺はついていくのだ。という風に民衆が尊敬し、信頼する様にせよと言う事で、由らしむべのベシは命令のベシであるが、知らしむべしのベシのほうは可能・不可能のベシである。従ってそれを知らしめよ、由良らしむなと解釈すれば、民は信頼尊敬させてはいけない、宣伝して誤魔化せば好いと言う事になってしまう。少し考えれば判る事だけれども、そういう浅はかな誤随分多い多い。人間というものは難しいものであります。云々

安岡正篤師が云っていることも、要は松下幸之助翁の云う「徳性を養う」(7日)ということの様ですね。今の政治家・指導者・経済界のトップはこういう言葉を知っているのでしょうか?

論語・老子・禅 Ⅱ

安岡正篤著

「老子と現代」より

問題は結局我々の直観力にに帰するので、やはり人間は精神を集中して全身全霊を何者かに打ち込まなければ、精神も磨かれないし、本当の力も発揮出来ない。従って世の中を救おうと思ったら古の名宰相の様に寝ても醒めても国家の事を考え、民族の事を考えて、其れに全身全霊を打ち込まなければ、本当の為政者たることは出来ないのであります。大衆を相手に駆けずり廻って演説をやっておる様なことでは、この世界の危機に当って本当の立派な政治はできない。その為には如何しても哲学や信念を持たなければならないのであります。

そういう意味で我々の人生、生活、現実というものに、真剣に取り組むと、我々の思想、感覚が非常に霊的になる。普段ぼんやりとしていて気の付かぬ事も容易に気が付く。超現実的な直覚、これが正しい意味に於ける形而上学というものであります。こういう叡智が老子には特に輝いているのであります。

(政治或いは政治家に関して補足するならば)

★ 山本七平著「人間集団における人望の研究」の中に朱子「近思録」からの引 用にてー天下の事を公にすと雖も若し私意を用いて是を為さば便ち之私也」という言葉がある。

★ 西郷隆盛「遺訓」にはー故に何程国家に勲勞有るとも、その職の任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸禄を以て賞し、これを愛し置くものぞと申さる云々

また、万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しく、驕奢を戒め、節倹を努め、職務に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思う様ならでは政令は行われ難し。云々とも

「之を生み之を畜い、生んで有せず、為して恃まず、長として宰せず。是を玄徳と謂う」

長になって、頭になってしかも支配しない。統して治せずで干渉しない。是を玄徳と謂う。儒教の明徳に対して老荘は常に玄徳と言う事を力説しております。

※ 徳 ☞ 萬物を包容し育成する力の意                           ※ 玄徳 ☞ 老子に云う所謂無に根差した無限の力                             ※ 明徳 ☞ 樹下に云う所謂玄徳が外に発揚した象 (安岡正篤解)

斯う云う様に、老子は常に現象よりも一歩本体に入って、従って作為や意識の世界より裳もう一つ奥の無意識の世界、actualな世界よりもpotentialな世界に入って、そこから造化の働きを見よう、或いはその働きに参じようとする。これが老荘の考え方、ゆき方であります。物を相対的即ち現象的に捉えて、其れを処理してゆこうというのではなくて、物の中へ飛び込んで、そして物と一つになって共に動いてゆく。例えば自分がこの書物を読む。理知を働かせて解釈し、批判するというのではなく、この書物と一つになる。書物が自分を読むようなものであります。

例えば政治にしてもそうで、支配者が人民と相対立場に立って、人民を観察し、統治してゆく。こういう相対的統治は老荘から云えば、決して至れるものではない。本当の老荘の政治は、人民そのものになって、人民をして自然に雲が行き、水が流れる様に導いてゆく。そこには何の矛盾も無ければ、抵抗もない。余計なPRとかゼスチャとか、況や謀略だとかいうものは、腐政出会って寧ろ有害であります。

【老子三宝の章】

「天下皆我が道大成も不肖に似たりと謂ふ。夫れ惟だ大なり、故に不肖に似たり、若し肖たらば、久しいかな、其の細なることや。我に三宝あり。持して而して之を保つ。一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢えて天下の先とならず。慈也、故に能く勇。倹なり、故に能く広し。敢えて天下の先と成らず、故に能く器の長と成る。今慈を舎てて且つ勇に、倹を舎てて且つ広く、後を舎てて且つ先んぜば、死せん。夫れ慈也、以て戦えば則ち勝、以て守れば則ち固し。天すら将に之を救はんとすれは、慈を以て之を衛ればなり。」

所謂、老子三宝の章といって有名な言葉であります。今日の様に、全く老子と反対に枝葉末節に走り、徒に唯物的・利己的になり。従って至る所矛盾・衝突・混乱をきたしてくると、肉体的にも精神的にも段々病的になる。善また妖となるで、元来善であり正である筈の文明・文化がそれこそ奇となり妖となる。今日の文明・文化は實に妖性を帯びております。斯う云う事を考えると我々は老子というものに無限の妙味を感ぜざるを得ないのであって、これを自分の私生活に適用すれば、此の唯物的・末梢的混濁の生活の中に本当に自己を回復することが出来るのであります。斯う云う風に絶えず現代というもの、我々の存在というものと結び付けて生きた思索をすれば、読書や学問というものは限りなく面白くまた尊いものであります。

昨今の政治家の皆様、多分、安岡正篤師の著作は勿論、論語や老荘も読まれている方々も多々いる事でしょう。が、しかし現状を見る限りに於いては、それが単なる知識としてしか集積されいないのではないのでしょうか?本当に活きる智慧となって所謂、師の云われる活学として生かされているのであれば、今回のような(2022.7.8)不幸な事件は起こっていなかったのではないかと思うのですが。                  つまりは論語読みの論語知らず活学ならぬ死学ということになるようですネ。

棄て犬の句を見て


「野良犬となりても生きよ月に棄つ」

目次

  1. 雑誌の記事
  2. 祈り
  3. おもうこと・・
  4. おわりに

(Blog―noteより https://note.com/2019dobutu )

雑誌の記事

古い本を整理していた時、見つけた雑誌「太陽」―昭和59年9月号―に掲載されていた俳句です。
この号は俳句の特集号で多くは蕪村・一茶・山頭火の生涯と作句を特集していました。コラムとして短い文章ですが俳人加藤楸邨が俳句について語っている記事があり、その中に例として挙げてある句のひとつが上記の句です。
かつて楸邨が選者となって選んだ一般公募の句の一つだそうですが、この句を掲載した時の反響と楸邨自身のこの句に対する思いが綴られていました。

祈り

一節を引用しますと

「・・・ところが犬を棄てるとは何事か、動物愛護の精神を知らぬにもほどがあるという投書が殺到した。私はこの句を読んだ時、犬の子を棄てる事の善悪については決して人々の批難に反対する気はない。しかしここに一人の、どうしても棄てるほかなくなった人の切ない祈りを読みとった。すてたくはないがどうしようもなくなった。犬の子よ何とか生き抜いてくれ、たとえノラ犬となったとしても何とか生きて行ってくれという祈りの中に、犬の子から放す手は浩々たる月を浴びるのだ。月が明るければ明るいほど作者の気持ちはやり切れないのである。・・」


(この句はおそらく昭和40年後半から50年初期ころに読まれた句ではないでしょうか。現代の豊かな状況ではあまり考えられない心情の句だと思います。)

画像1

おもうこと・・

私たちは動物愛護のNPO団体です。どちらかというと批難の側に立つのかもしれません。しかし、豊かになった現代でもやはり身勝手にではなく、いろんな事情により棄てざるを得ない状況というものは存在するのではないでしょうか。私たちはただ批難するだけではなくその痛みというかその状況に共感し共有できる団体でもありたいと思います。


私たちは破棄された犬猫の里親を探すことによって少しでも幸せになれる犬猫が増えればと願っています。と同時に微力ですが遺棄せざるを得なくなった悲しい状況が改善されていく環境作りを目指し、ともに豊かに共生できる社会を実現できればとも願っています。

おわりに

みなさまと共に明るい社会づくりができることを願っています。よろしくサポートお願いいたします。

「あおぞら」とご協力いただいているお仲間のところには、常時数十匹の、2,3ケ月の仔猫から1年以上の成猫までの(=^・・^=)ちゃんたちが、新しいご家族が現れるのを待っています。ご希望の方、あってみたいと思われる方、いつでもご連絡をお待ちいたしています。

(この記事は2019年10月にNPOを立ち上げた当初の気持ちをそのまま述べてたもので2020年にnote(Blog)を始めたときの最初の記事です。再録?)

電話:090-7536-2412
Mail:mefamily@khc.biglobe.ne.jp  or  renren@kdt.biglobe.ne.jp
詳しい情報は 
https://www.pet-home.jp/member/user816951/ 
ペットのおうち(あおぞら)をチェック

活動ご支援よろしくお願いいたします。棄てられた犬猫の保護や飼えなくなった犬猫の保護などが滞りなく常に行えるような常設施設の設営等目指しています。また維持費及び保護した犬猫の健康を守るためのワクチン投薬や医療費用去勢避妊の手術費用等々の資金が不足しています

振り込み口座名:特定非営利活動法人あおぞら
ゆうちょ銀行-記号:17420 番号:95930371 トクヒ)アオゾラ
他金融からの振込: 店名)七四八  店番)748
普通預金      口座番号)9593037

一日一話 松下幸之助

八月の言葉

天の原ふりさけみれば春日なる 
三笠の山に出でし月かも      安倍仲麻呂              

三日 強固な精神力を

その昔日蓮上人は唯一人の聴衆の姿も見えないと云う時でも巷に立って我が信念を説いたと云います。何をほざくかと馬糞を投げられ石を投げられ散々な侮辱を蒙っても、彼はびくともせず日本の安泰の為に民衆の幸福の為に我が信念を傾けました。日蓮上人のそういう態度と比べてみると我々と同じ人間でありながら大変な相違があるなと云う感じがします。今我々に必要なのは日蓮上人のあの強固な精神力です。日蓮上人と迄は行かなくてもせめて自分の仕事に一つの使命感を感じこれに情熱を傾けて精進する積極的な自主独立の精神を養いたいものです。

  • 今日は蜂蜜の日
  • Memo-松下幸之助は弘法大師・日蓮等偉大な宗教家の行動力実行力に注目➡信念

*十日 欲望は生命力の発現

欲の深い人はというと普通は善くない人の代名詞として使われている様陀。所謂欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件が余りにも多い為であろう。しかし人間の欲望と云うものは決して悪の根源ではなく人間の生命力の表れであると思う。例えて云えば船を動かす蒸気力の様なものであろう。だから是を悪としてその絶滅を計ろうとすると船を止めてしまうのと同じく人間の生命をも絶ってしまわねばならぬことに為る。つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく生其の物であり力だと言って良い。だからその欲望を如何に善に用いるかと云う事こそ大事だと思う。

  • 今日は道の日 
  • Memo―行動の原動力・コントロール要 

*十五日 平和の価値を見直す

最近平和と云うものが何か言わば空気や水の様に極当然に存在するものと云った感じが強くなってきたのではないだろうか。平和の貴重さ有難さが段々忘れられつつあるように感じられる。其れは危険な事だと思う。平和は天然現象ではない。人為と云うか人間の自覚と努力によって初めて実現され維持されるのである。だからこの際お互いにもう一度平和の価値と云うものを見直してみたい。そしてこの価値を知ったうえで国民として何を為すべきかを考え合いたい。差もないと折角続いたこの貴重な平和を遠からずして失う事にも成ってしまうのではないだろうか。

  • 今日は終戦記念日

*十六日 道徳は実利に結びつく

社会全体の道徳意識が高まれば、先ずお互いの精神生活が豊かに成り少なくとも人に迷惑を舁けない様になります。それが更に進んで互いの立場を尊重し合う様に成れば人間関係も良くなり、日常活動が非常にスムーズに行く様になるでしょう。又自分の仕事に対しても誠心誠意之に当ると云う態度が養われれば、仕事も能率的に成り自然により多くのものが生み出される様になる。つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると云えるのではないでしょうか。そう考えるならば私達が道徳に従って全ての活動を行うと云う事は、社会人としての大切な義務だと云う事にも成ると思います。

  • 今日は女子大生の日
  • 参考=渋沢栄一「論語講義」「論語と算盤」安岡正篤「百朝集」

*二一日 カンを養う

カンと云うと一見非科学的なものの様に思われる。併し勘が働く事は極めて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断の出来るカンを養わなくてはいけない。其れではそうしたカンはどうしたら持つ事が出来るのか。是は矢張り経験を重ね修練を積む過程で養われていくものだと思う。昔の剣術の名人は相手の動きを勘で察知し切っ先三寸で身を躱したと云うが其れは其れこそ血の滲む様な修行を続けた結果であろう。その様に指導者としても経験を積む中で厳しい自己鍛錬に拠って真実を直感的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。

  • 今日は献血記念日
  • Memo-安岡正篤「百朝集」87章。運時命数
  • 阿羅耶識―潜在意識の活性化

*二六日 矢面に立つ精神

人間が大事に際して其の難局の矢面に立つと云う事は人生としては怖ろしい事であり大変に勇気のいる事である。スリルがあるとか或はこれは面白いなと云う人も今日の青年の中には居るかもしれないが、本当に腹を割った処あまり愉快ではないと思う。併しこういう場合に敢然としてその矢面に立つ事も男子の本懐と喜んで事に当る事も大切である。そしてそういう人こそ大事に於いて狼狽えずものを決断する事が出来る人であり人多くして人無き社会に於いて本当の人物として立って行く事の出来る人であると云う想いがする。

  • 今日はマザーテレサの日
  • Memo^人物と云うは如何なる様な人か

*三一日 辛抱が感謝になる

我々が一生懸命に仕事をしても世間が其れを認めてくれなかったら非常に悲しい。そんな時その悲しさが不平となり出てくるのも一面無理のない事だと思う。然し認めてくれないのは世間が悪いという解釈もできるがまあ一寸辛抱しよう。今認めてくれなくてもいつか認めてくれるだろう。とじっと耐え忍びいい仕事を続けていくと云うのも一つの方法である。そして認めて貰ったら是は非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。より多く我々を認めてくれた社会に対して働かなくてはいけないと云う感謝の心になってくる。そういう心が無ければいけないと思う。

  • 今日は野菜の日 Memo―謙虚

26日の「矢面に立つ」は今、現在進行形で、日本のリーダー・政治家・官僚・各省庁責任者たちが尤も肝に銘じてもらいたいと思う言葉だが、残念なことには、事あるごとにその真反対な対応が目立つように感じる。                     日本全国、上へ倣えで下々迄如何言い逃れるかに汲々としているように感じるが・・・

論語・老子・禅 Ⅰ

安岡正篤著

はじめに

 縁尋機妙 多逢勝因

良い縁はさらに良い縁を尋ねて発展してく将に、その機(出会い)は妙なるものがある 之を縁尋機妙という                                 いい人と交わっていれば良い結果に恵まれる 此れを多逢勝因という              ヒトだけではなく出来るだけいい機会・いい場所・いい書物に出会うことを考えねばならない。とは安岡正篤師の言葉。

此の書物の題名を見たときに直観的に思ったのは、是はもしかしたら空海さんの「三教指帰」を意識されたのかなということ。関係ある無しは別にしてこれらの考え方は、日本古来から人を救う道として敷衍されてきた思想。

現実主義的思考実践法から形而上的思考実践へ                             人の心の中を垂直に深く深く掘り下げていく考え方で、それぞれの指針になる方法が、論語☞老子☞禅 なのかもしれませんネ。

この本の中から、好きなところをピックアップしてみたいと思っています。  まずは「論語」の冒頭部分から・・・

論語ー綸語・輪語・円珠経

さて、論語は此れ世人が余り知らないかと思いますが、別名を綸語と云い、また輪語、或いは円珠経とも言うております。何故綸語と云い、輪語・円珠経と言うのかと申しますと、これがまた大変深い意味があり、味わいがある。昔から論語の参考書と云えば、先ず第一に挙げられるのが六朝時代の大学者、皇侃オウガンの「論語義疏」でありますが、其れに依ると漢代に鄭玄ジョウゲンという学者がおって、世務を経綸することが出来る書物だと云ったことろから、綸語と云う語ができたとし、又其の説く処は、円転極まり無き事車輪の如しというので、輪語と云うのだと註釈しております。                       更に円珠経については鏡を引用して、鏡はいくら大きくても一面しか照らさないが、珠は一寸四方の小さいものでも、上下四方を照らす。諸家の学説は鏡の如きもので、一面を照らすが四方を照らすことはできない。            そこへ行くと論語は正に円なる珠と同じで、上下四方円通極まりなきものである。と云う所から円珠経と言うたのだと述べられております。

これは、論語の講義第一講の冒頭からの引用です。                要は論語は読み手次第、読み方次第で 仕事に関係なく 時代に関係なく、すべての人の折々に進むべき方向を示してくれる書物ということになるのでしょうか。あとは論語の内容を自身の事としてどう読み込むことが出来るかということでしょう。

では、第一講の最後の部分をご紹介します。

命と礼と言

不知命無以為君子也 不知禮無以立也 不知言無以知人也(堯 曰)             命を知るらずんば以て君子無きなり 礼を知らずんば以て立つ無きなり 言を知らずんば以て人を知る無きなり

・・・言は今日で言うと所謂思想・言論でありまして、其の思想・言論というものの本当の事がわからなければ、人を知ることが出来ない、人間の世界がわからないという事であります。先程も申しました様に、戦後は思想・言論、特にイデオロギーが長い間巾を効かせてきたのでありますが、漸くこの頃になってイデオロギーの終焉ということが言われる様になり、マルクス・レーニン主義であろうが、民主主義・自由主義であろうが、単なるイデオロギーだけでは人は救われない。本当の文明は栄えない。と言うことがはっきりと論述されるようになってきた。孟子は「吾れ言を知る」というておるが、今にして初めて成程そうなのだとしみじみ思う。                             孟子はその言を解して四つ挙げておる。                              詖辞 偏った言葉、概念的・論理的に自分の都合の好い様につける理屈。     淫辞 濫りがわしい言葉、淫は物事に執念深く耽溺すること。丁度中共理論の如 きもので、何でもかんでも理屈をつけて押し通そうとすること。       邪辞 よこしまな言葉、邪な心からつける理屈。                  遁辞 逃げ口上。

此の頃の過激派学生などは皆、邪辞・淫辞ばかり言うておる。大学教授や進歩的文化人と云った連中は専ら遁辞陀ります。今は詖淫邪遁の言が一斉に流行しておると言うて宜しい。こういう時こそ論語や孟子を読んで、しみじみ会得するというか、啓発されることが大事であります。                                        現代を最もよく把握し、最も正しい結論を得ようと思えば、論語でも充分であるというても決して過言ではありません。只、皆がそう読まないだけの事であります。論語を知らぬものは無い、又、読まぬ者はないけれども、だいたいは論語読みの論語知らずに終わっておる。是は決して他人を責めるのではない、お互いにそうだということです。                               そうして本当の事が良く判らぬ人間が集まって、てんやわんやと騒いでおる、と言うのが今日の時代であります。そこでこの時代、この人類は如何にすれば救われるかとなると、やはり学ばなければならない。正に論語に云う通り「学に如かざるなり」であります。終日物思えども何にもならん、お互いに大いに学ぼうではないか。之を講義の結論に致します。

この本が刊行されたのは、昭和58年の初版、其れ迄の師友會の講演内容から抜粋まとめたもの。                                     現代は昭和・平成は終わり令和の時代となっていますが、師の言葉の中に在るように「本当の事が良く判らぬ人間が集まって、てんやわんやと騒いでおる」という状況は、全くそのころと同じ否、寧ろ酷くなっているのではと感じます。当時は曲がりなりにも論語等を紐解く方々も多くいらっしゃたでしょうが、現代果たしてどれだけの人が論語等の書籍に触れているでしょうか。「論語読みの論語知らず」という言葉さえ死語となりつつあるのではないでしょうか。                        安岡正篤師は論現実社会社会の問題解決に最も有効な書だと紹介しています。 今一度真剣に教育のあり方をはじめすべての面の見直しが必要な時ではと思います。松下幸之助翁も「知識はいくら持っていても人間の心乃ち、良心が養われなければ、そういう悪い方面に心が働き知識はかえって仇を成す」と言っています。現代、教育の第一歩は徳育、知識はそのあとにということでしょうか。

明治次第の経済界の巨人渋沢栄一は多くの西欧の文化制度を採り入れながら近代経済国家の構築にまい進されたのですが、ご存じの様に其根本理念として根底に据えていたのは「論語」です。此の一事からも、論語は単なる道徳書ではない事がわかる筈、要は、どれだけ自分のこととして読み解くことができるかということなのでしょう。                             論語は決して古い思想の書物ではない。社会的歪の大きくなってきている現代こそ最も必要な本なのではないでしょうか。

最後にこの「論語・老子・禅」の論語の部分でも、アポロ11号の月着陸の言及しているところがありますが、松下幸之助翁もこの本と同じころに出版された、「続・PHP道をひらく」の中でアポロ11号の事に触れ人の心について語った記事がありましたので引用いたします。

人心の深淵

人類が月を歩いたのは、所謂科学の偉大な勝利だともいわれているけれど、その価額を駆使したのは人間で、人間あっての科学ということを考えれば、つまりこれは人間のそして人類の偉大な成果だということになる。どこの国の誰が成功しようとも、其れは長い歴史のなかの数知れぬ人間の願いと知恵と体験が積み重なった結果であって、其の事を思えば、お互いに人類の一員として肩をたたいて素直に喜びあい、人間としての誇りを改めて持ち直してもよいであろう。    そんな偉大な人間が、今もなお測り兼ね、開発しきれないでいるのが、わが心の動きである。人の心の深淵である。ともすれば、捉われた心でヒトを責め、他を罵り嫉みと恨みに自他ともに傷つく。吾れさえ好ければの思いで、如何して人心の開発が図られるであろう。                             月と共にわが心、人間の心にもアポロを打ち上げて、人心の深淵を究めつくし、、その開発を謀って自他ともに栄え合う真の人の世を生み出したい。人類の、そして一人ひとりの一番大事な課題であろう。

言うまでも無く、科学だけでは人の心は開発できるものではありません。極論すればアポロに変わるものが「論語」であると安岡正篤師は教えてくれてます。

次回もこの著書から紹介をしていきたいと思います。

仕事彼是❣❢

以下の文章は昔、MLMの仕事に携わっていた時のmemoからです。然しこれはMLMにかかわらずいろんな仕事に携わる時の心構えとしても使えるのではないかと思い、再録してみました。ある薬品会社が立ち上げたMLMの会社に関係した時のmemoから。

現在、MLMの仕事ほど評価を二分している仕事はない。

MLMは素晴らしい仕事という方々と、MLMはねずみ講みたいなもので関わらない方がいいという方々。一般的には、前世紀の遺物と思いますが、まだまだ後者のイメージが根強く残っています。それは何故なのか?よく言われるのがネットワークの仕事は被害者的立場の方々がでるから危険と一般的にと言われます。 しかし、それよりももっと大きな原因があると思っています。

私は、一番の原因はネットワークビジネスに関わっている人たちの姿勢ではないかと考えています。

社会人としては仕事・生活の上で法律を順守するのは当たり前!法律は社会生活を円滑にするための最低ラインの決めごとです。だからその最低のことも守れない人に対しては罰則が有るわけです。                   一般的な社会生活ではこの法律だけを守っていればよいかと言うとそうではありません。その上に常識としてのモラル・マナーというものが有ります。このモラルとかマナーとかを軽視するような態度・雰囲気の方々は社会性のない人たち・非常識な集団とみなされ敬遠されることになります。

今までのネットワークの仕事に関わっている方々のなかには、偶にそういうイメージで評価を受けている方々がいたのではないかと思います。だから、MLMはまともな仕事ではないと敬遠される結果になっているのではないでしょうか。

業界のイメージを決めるのは

松下幸之助翁は 業界全体のイメージアップを図ることは重要な課題、業界が社会的信用を得る為には必要不可欠なこととおっしゃっています。一部の方々のレベルの低さが全体的なレベルダウンを印象づけてしまう。

あたかも「リービッヒの桶」の如く、栄養が最低ラインでしか体に反映されないのと同じくMLMもやはり 低レベルの位置で全体を判断されるわけです。私は、この日本セーラの仕事を通じて、そのイメージを一新できるのではと期待しています。

よく、日本セーラーは地味な会社といわれていますが、私はここ3年ほどお付き合いをさせていただき、決して地味な会社だとは思いません。言葉は似ていますが、地道な会社なんだなぁと思っています。                派手なパフォーマンスは苦手でも、一つ一つのことをコツコツと積み上げていく技量は素晴らしいものです。今までのMLMの会社にはないスタイルを持っています。

願いは

MLMの仕事を ごく 普通の仕事にする。これが私どもの実現したい夢の一つですがセーラファミリーには其の実現の可能性があると感じています。     今回、東北関東地域に大きな被害をもたらした大地震大津波そして原発事故! その状況の中で世界から称賛されたのは、日本人の秩序を重んじる行動です。 数年前に「国家の品格」という本がベストセラーになりましたが、この大災害の中、まさに日本国の品格を世界に示したのは、政府の高官でも高級官僚でもなく被災にあったみなさん一般市民の方々、現場で救済復旧活動にあたる自衛官消防士警察官自治団体のみなさんの言動でした。

日本セーラがこれから大きく飛躍していくためには、このような品格ある一般の方々の協力・参加が必要不可欠なポイントになってきます。ということは声をかける側の立場の私たちには、その方々以上にまたその方々に違和感を感じさせないような品性が必要です。素晴らしい人たちまでは行かなくても非常に熱心で品格がある人たちだと認識していただけることが大事だと謂うことになります。

今、この時点でセーラファミリーとして関わっている私たちの責任は非常に重要なものと感じています。私たちの姿勢如何で、今後のMLMが本当に一般社会に受け入れられる仕事になるかどうかが決まると考えています。

ETCetc・・・

非常識と未常識 :言葉は似ていますが似て非なるものです。                  非常識は「常識に非ず」 一方 未常識は「未だ常識に非ず」之から常識になっていくということです。MLMの仕事・CFBは未常識の情報! 

しかし、一般社会では、非常識と未常識の区別があまり意識されていません。だからこそ其れを伝えていく私たちにはしっかりとした姿勢 常識人としての姿勢品格が必要となります。何となれば未常識の伝達者であって決して非常識な情報・非常識な集団の活動ではない事をこれから関わってくれる方々に理解して頂く、感じて頂く為にです。

当然、未常識を常識にしていくには大きなエネルギーが必要です。エネルギーの源は情熱と確固たる意志。それぞれの方がその点を常に意識していくことが大事だと思っています。少なくとも私どもはそういうグループ作りを目指しています。これからもそういう啓蒙は折に触れ続けていきたいと思っています。

明治時代近代教育の先駆者・福沢諭吉の言葉に、「一身独立して一国独立する」という言葉があります。

私自身と私の中でのチームのテーマは自信・自覚・自立がテーマ。此のセーラファミリーを通じこのテーマを実現していきたいと思っています。

<自信  自覚  自立>

〓自立は経済的な自立より精神的自立が先〓

自信 ⇒ 自力確信 = 自らの力をしっかりと認識する

自覚 ⇒ 自己覚醒 = 自らの内なるエネルギーを目覚めさせ活用する

自立 ⇒ 自主独立 = いかなる状況においても自ら主となり自らの力で立ちあがる

信は言葉を表し 義は行動を表す。信義ある人とは嘘をつかず、相手のことを思慮かることのできる人のこと。                       人が言うと書かいて信 即ち誠の言葉を発する人のことを信ある人と謂い、   我が羊を捧げる又は、王を支えると書いて義 即ち人の為に動くことのできる人のことを義ある人と謂う。

〓品位 品格 品性

【自らが関わる仕事を自ら落としめてしまわないよう常日頃の言動には心配りが大切】

MLMの仕事は日本国に於いてこれから必要な仕事の一つなのに一般的には印象が良くない寧ろ甚だレベルの低い仕事に見られている。それは20世紀的形態の仕組みで被害者的立場の方が出たというのも一因 。しかし最も大きな原因は関わる方々の品性ではないでしょうか! どう見ても普通の会社では受け入れられないだろうと思わせるような一部の方々の言動やライフスタイルがMLM業界全体を社会的に受け入れられないようにしている原因だと思います。

これから大きく社会に根付いていくためにはこの品性を保つことが非常に大切である。とともに いま この時期にセーラに関わった私たちの責務でもあると思います。

【辛い事でも楽しくやるからずぅ~っと続けることができる】

※それが工夫というもの※

<成功のためのスキル>

プレゼンテーシュン                            プランニング                                   プロデュース 

※ 3Pでピースマーク ※

〈成功するためのモチベーション〉

好きになる                                 諦めない                                      誰かのため

※ 確信と夢と志 ※

〓<リーダーの仕事>〓

目標設定  目的意識                             セッティング コーディネート                          リズム&タイミング

<3つの成功スキル>

テクニカルスキル                             ヒューマンスキル                            モチベーションスキル

<良識ある社会人としての感情コントロール>

◎感謝    ⇒   ×(不満)                                     ◎謙虚    ⇒     ×(驕慢)                                ◎ 恕       ⇒    × (恚)

[成功する方向感覚]

視ている方向                                    言ってる方向                                   思ってる方向

※ 同一ならば大成功 ※

▽頼りにすることが多いか 頼りにされる事が多いか

リーダーの資格は収入だけではない収入は寧ろあとから付いてくるもの                      リーダー的言動には根底に仲間を支え・やりぬくという信念があるもの     だから信頼となる。

 〓縁を結ぶとはコミュニケーション能力の結晶体〓

〓江戸時代同じような言葉を(縁を大事に)もっと具体的に家訓にした一族がいます時代劇でお馴染み柳生一族です〓

〓小才は縁逢って縁に気付かず                        〓中才は縁に気付いて縁を活かさず                                  〓大才は袖振り合う他生の縁もこれを活かす

縁を活かせる人はコミュニケーションの達人〓コミュニケーションはある意味人と人との間の取り方です〓剣の達人・情報収集の達人である柳生一族が人間関係にも間合いを大切にしたのは当然ですね〓

〓バワースポット〓

パワーアップ出来る場所のことデスネ〓そこは天地人のエネルギーが満ち満ちていてそこにいるだけで清浄な気を全身に浴び自分の気を充足〓知らない間に自分のパワーがアップ出来るワケデス〓多くは由緒ある神社〓仏閣とか雄大な大自然の懐〓とか人の活気溢れる場所〓とかですが〓身近で一番のパワースポットが有ります〓それは〓うつくし塾-愛用者の集い-のセミナー会場〓だということがお解り頂けますか〓〓但しそこは参加する皆さんでパワーを充満させていく必要が有ります〓〓〓 みんなでパワーアップし最強の〓パワースポット創りましょう〓

<組織は身体-情報は血液>

血液が流れなければその部位は壊死します。流れる血液が汚れていたら何れ気力衰え病気を惹き起こします。キレイな血液が全体に行き渡ればハツラツとした身体と精神を堅持でき益々元気な身体になっていきます。

<あるリーダーのスピーチ> 2011.4.3四国スペシャルラストスピーチ

ずーっとやり続けるから権利的収入になる!あれこれあれこれ変わっていたのでは、権利収入も何もあったもんじゃない。

-〓業界の信用を高める-松下幸之助〓



どんな商売・仕事もそうでしょうが 自分の店が発展・繁栄していくには そのお店の属している業界全体が常に健全で 世間の人々から信用されていることが非常に大事だと思います。
業界の中に不健全な店が多ければ-あの業界はダメだ 信用出来ない-ということになって その業界に属する個々の店も同じような評価を世間から受け 商売は成り立ちにくくなる。

だからお互い 自分の店の繁栄を図ることは元より大事ですが  それと同時に業界全体の信用を高めることを配慮することが極めて大事だと思います。

-MLMの業界に不足していた配慮ですネ~結果として未だに社会からは一般事業として認知されていないのではないでしょうか?
それは一部の所謂不健全な人たちが全体のイメージを不健全なものにしてしまっているからに他なりません。
お店という言葉をチーム又は個人に 業界を組織若しくはセーラファミリーに置き換えて読むと現状がハッキリしてきます仕事の成果をもっとあげるには社会が受け入れやすい地盤作り・環境作りも大切。


           〓注意・真剣な人が案外陥りやすい病気〓

※ 初動

× 感動病 : セミナー参加で スピーチや雰囲気に感動 自分も出来上がったつもりになる→ファイヤーボール現象                   しかし、一寸断られてダウン!すぐに醒めてしまう熱病みたいなもの!!

× スゴイ凄い病: 個別でよくある状態 「此の人は気付いたら凄い人だから…」

          ABCでBが陥りやすい病気!!                        紹介するCさんは凄い(と思っている場合が多い)                           人だから凄いトップのAさんに繋ぐ。しかし90%は決まらそれはBさん自身がCさんにどう思われているかが問題!

=信用(信頼)されているかどうか=

CさんはBさんを通してAさんを見ている。ABCで一番重要なのはAさんではなくBさんの姿勢と人間性

 ※中堅

× センチメンタル病: どういうわけか仕事に行き詰ったり、停滞している時に陥りやすい。うまくいかない現状を明らかに自分よりスキル・モチベーションが下の人に相談してしまう。お互い慰め合うことで満足。意識の方向性を変えてあげることで直ぐに改善。

× 思いこみ病 :重病 少し実績・収入が上がった時に陥りやすい何でも自分は出来ると勘違い自信過剰になり謙虚・感謝を忘れてしまう。最も危険な病気。

(アジテーター) (カリスマ性) (プロパカンダ性)

言葉の選び方

MSTセミナー・メンタルトレーニングセミナーいろんなセミナーでいろんな角度から幸せな人生を送るためにはどうしたらいいかと言うことを学び吸収しています

セミナーの中でも重要な一つのポイントに[言葉の使い方]があります       簡単なこと・直ぐやれることですが実践していますか?

「言葉を変えれば…」というものですが最後は運命まで変えてしまう!!!

発された言葉は他人に対して発されたものでも自分の潜在意識は自分自身のこととしてストレートにインプットしていきます(^o^)

その積み重ねが大きく運命-人生-まで影響してくると言うことですね!?      これは深層心理学的にも当てはまることです!深層心理学では心の一番奥底の意識を普遍的潜在意識といいます。この意識は他人とか自分自身とか自然とか宇宙とか良いこととか悪いこととかの区別を一切しません!!全て一つに繋がっている現象としてとらえています(^.^)                      全く関係ない人同士が同じような夢をみたりするのはそのためです。ですから発する言葉が自分以外の人に対してでも自分自身に発することと同じ効果をもつ訳です!!  だからより多くできるかぎり  肯定的・前向きな言葉を使った方が人生上手くいきます(^.^)またそういうように言葉を選んで使っていけば他の人が自分に対して発する言葉も全て肯定的 ・前向きな言葉に聞こえてきます \(^_^)/だから益々運気が上がって♪ツイて益々…になるわけです。

「言葉を変えれば…」のフレーズのそれぞれの「変えれば」を 「ダメ」 と言う言葉に置き換えて見てください〓

振り返って自分の人生が思うように運んでない ・ 人がいつも自分を批判的に見てると感じるようであれば多分今まで無意識に使っていた言葉の多くが暗いイメージ・否定的イメージ・後ろ向き的イメージ・批判的イメージの 言葉になっていたかもしれません!

逆に 「言葉を変えれば…」のフレーズのそれぞれの「変えれば」を 「良い」 と言う言葉に置き換えて見てください

 言葉が良くなれば心が良くなる

心が良くなれば行動が良くなる

行動が良くなれば習慣が良くなる

習慣が良くなれば人格が良くなる

人格が良くなれば運命が良くなる 

何事に対しても明るいイメージ・肯定的イメージ・前向きなイメージ・軽やかなイメージの言葉心掛けましょう!!

言葉使いがあかるく良くなれば、運命-人生-は確実に明るく良くなります!!   明るい言葉・肯定的言葉・前向きな言葉使い実践しましょう。そして仲間みんなでいい人生を楽しみましょう

MLMの仕事は素晴らしい〓

MLMは一獲千金を狙う一発仕事ではない                   毎日の仕事は地道な積み重ねが大切と考えていた方が道を間違えないですむ。地道な努力の積み重ねが途方もなく大きな成果を生む可能性のある仕事がMLM。積み重ねていけばそれなりの成果は誰にでもだせるハズ。一獲千金的話しは、確実にマルチまがいの話しMLMとは別物 それに関わることは信用を無くす元!でもMLMを知らない人には其の見分けがつかない。

熱意・素直・感謝・誠実・行動    松下幸之助

信義・礼儀・好奇心・向上心・共栄    渋沢栄一

この仕事に携わっていたころは全国彼方此方を訪れ、各地のセミナーに参加。いろんな方々との交流も有それはそれなりの、面白い時間を過ごさせていただきました。海外旅行も何度も招待され、楽しい日々を過ごすこともできました。

残念ながら、会社自体の方向性が違ってきたことと、、年齢的なこともあり途中リタイアいたしましたが、今ではいい思い出となっています。