TNR活動など動物愛護運動に尽力されている「どうぶつ基金」さんのSNSから全文をご紹介いたします.(=^・^=)
以下本文より☟
アルゼンチンの街を歩いていて、私は少し戸惑いました。
犬が、あまりにも自然に、大切にされているのです。

散歩中の犬たちは落ち着いて歩き、飼い主は当たり前のようにフンを片付ける。
特別に厳しい規則があるようにも見えませんし、誰かが監視している様子もありません。それでも、街に犬のフンはほとんど落ちていない。
これは「清潔な街」という話ではなく、命とどう向き合うかが、生活の所作にまで染み込んでいる社会なのだと感じました。

アルゼンチンは、オランウータンに「物ではない存在としての権利」を認めた国としても知られています。その象徴となったのが、ブエノスアイレス動物園で飼育されていたオランウータンのサンドラでした。
サンドラは1986年、旧東ドイツで、人の管理下にあるオランウータンとして生まれました。野生ではなく、生まれた瞬間から人間の都合の中で生きることを定められた命です。
その後、彼女はアルゼンチンに移され、動物園の檻の中で長い年月を過ごすことになります。餌は与えられていました。命の危険もありませんでした。それでも、彼女はほぼ単独で飼育され、狭く、刺激の乏しい空間で、自分では何も選べない時間を生きていました。

この状況に疑問を抱いた動物愛護団体と弁護士たちは、非常に異例の行動に出ます。
本来は人間が不当に拘束されたときに使われる人身保護請求(ハベアス・コーパス)を、 オランウータンであるサンドラに適用できるか、司法に問いかけたのです。争点は、「動物に人権を与えるかどうか」ではありませんでした。
問われたのは、もっと根源的な問いです。知性と感情をもつ存在を、完全に“物”として扱ってよいのか。
2014年、アルゼンチンの裁判所は判断します。サンドラは
「非人間的人格(non-human person)」であり、単なる所有物ではない。
これは、人間と同じ権利を与えるという意味ではありません。しかし同時に、
「どんな扱いをしてもよい存在ではない」という一線を、社会として引いた瞬間でした。
────────────────────
この裁判は、サンドラ一頭の問題で終わりませんでした。
彼女が暮らしていたブエノスアイレス動物園そのものが、社会全体から問い直されることになります。
19世紀に造られたこの動物園は、狭い檻、人工的な展示、動物の心理的福祉を十分に考慮しない構造を多く残していました。改修では限界がある。
展示するために命を囲うという仕組みそのものが、もはや現代の価値観に耐えられない。
2016年、ブエノスアイレス市は動物園の閉鎖を決断します。 これは過激な運動の結果ではありません。
社会の価値観が、施設のあり方を追い越してしまった
その結果でした。動物たちは展示の場から、より自然に近い環境をもつサンクチュアリ(保護区)へと移されていきました。
サンドラもまた、動物園ではない場所で、より自由度の高い環境へと移されました。
そして現在。アルゼンチンでは、多くの動物園や関連施設が、「見せる場所」から「守る場所」へとその役割を変えつつあります。
より自然に近い環境を提供すること。
傷ついた野生動物の保護やリハビリテーションに関わること。
生息地の保全や、教育・啓発活動に参加すること。
そうした取り組みを通して、動物福祉の向上を目指す動きが広がっています。
一方で、従来型の展示を中心とした動物園のあり方は、社会の価値観の変化とともに
見直しを迫られています。
閉鎖や再編を選択する施設も出てきました。それは「動物園が悪い」という単純な話ではなく、私たちが動物とどう関わるべきかを、社会全体が問い直し始めているということなのだと思います。
これらの動きは、アルゼンチンが国際的な動物愛護・動物権の潮流の中で、
動物と人間は、どのような関係を結ぶべきなのか。「見る存在」から「共に生きる存在」へ、どう向き合い直すのか。
その問いの只中にあることを示しています。
────────────────────
では、
動物園は本当に必要なのでしょうか。この問いに、簡単な答えはありません。動物園は長く、「教育の場」「学びの場」とされてきました。私たちは檻の中の命を見ることで、動物を知ったつもりになってきました。
けれど、見ることと、理解することは同じではありません。
餌が与えられ、命がつながっていれば幸せなのか。自由を奪われたままの人生を、 「守られている」と呼んでよいのか。サンドラの裁判が私たちに突きつけたのは、 知識ではなく、想像力でした。
どうぶつ基金が活動の中で大切にしているのは、単に「殺さないこと」ではありません。生き物が、生き物として自由で、幸せに近い状態で生きられているか。
TNRも、多頭飼育崩壊への対応も、すべては命が苦しみを再生産し続けないため、そしてその命が、少しでも穏やかに生きられる時間を守るための手段です。
生かすだけでは足りない。管理することが目的でもない。どう生きてもらうか
サンドラの物語と、どうぶつ基金の理念は、この一点で重なっています。
────────────────────

今、私たちは大きな転換点に立っています。見る学びから、守る学びへ。
命を眺める時代から、命の側に立って考える時代へ。
問いをやめた瞬間に、命は再び「展示物」になってしまう。
だからこそ、問い続けることが必要なのだと思います。
────────────────────
透明性に関する最終明示
最後に、どうぶつ基金の活動について、皆さまに明確にお伝えしておきたいことがあります。どうぶつ基金では、理事および役員は一切の報酬を受け取らず、すべて無報酬・ボランティアとして活動しています。また、理事が行う出張手術に伴う移動や、海外での動物福祉に関する視察・調査活動にかかる交通費・宿泊費等は、すべて理事個人の自己負担により実施しています。
皆さまからお預かりしている寄付金は、不妊手術や医療支援などの現場活動に加え、広報活動や理念を社会に広げるための取り組みにも使用されています。
一方で、理事個人の報酬や移動・滞在等の費用として、寄付金が使用されることは一切ありません。この方針は、組織運営と個人の経済的利益を切り離し、寄付がまっすぐ命のために使われることを守るための、どうぶつ基金の基本姿勢です。
────────────────────
生き物が、ただ生き延びるのではなく、生き物として生きられる社会へ。
どうぶつ基金は、これからもその問いを抱え続け、行動に変えていきます。