快著「逆・日本史」

著書紹介第2弾

前回「影の現象學」のあとがき書評を紹介しましたが、今回は「逆・日本史」
考古学者 樋口清之教授の著作全4巻のあとがき書評紹介いたします。

[影の現象学」の書評では名著であると紹介していましたが、今回の「逆・日本史」は快著であると紹介されています。読んでいて痛快さを感じる事の出来る面白い通史と云う事になるのでしょう。「逆」というだけに、歴史を今の時代(昭和)から段々と遡って考古学の時代までを俯瞰するというもの。内容は、ご自分で実際に手にとって読んでいただければと思います。

【著者経歴】

1909年奈良県生まれ。国学院大学を卒業。現在(S60年代現)同大学名誉教授。日本考古学の創成二多大の貢献を残すが、特に登呂遺跡発掘は有名。 また、日本および日本人へのユニークな視点と独特の口調で、数多くのファンを持つ。「梅干しと日本刀」他著書多数。
(1909年 1月1日 – 1997年 2月21日

巻一末尾(書評)

読んで一気に巻末に至る快著   渡部昇一

「梅干しと日本刀」を詠んだ時の強烈な印象を、まだ覚えている人も多いと思う。ユニークな視点から、日本人の本質に迫る道を示してくれたからである。日本人は外から触発されて発明し、改良する天性を持っていることを最初に示されたのも、この本であった。

その樋口先生が、まず自分自身の事から書き始めるという「逆に読む日本史」を出された。面白くないはずがない。読んで一気に巻末に至ると云う事になる。

更に樋口史学の特色は、文献のみならず形而下的な、物質的な処にも、目配りが行届いている事である。例えば食い物の話である。源氏と平家の食い物が違っていたことと勝敗の関係などは、この前の戦争の体験者には身につまされる話である。而も決して唯物史観には堕していないのだ。

 

逆・日本史1(1~4)

庶民の時代・昭和→大正→明治 

樋口清之著 NONBook 昭和61年11月25日初版

松本清張 あとがきコメント

逆・日本史の試みに喝采

歴史事実の結果を集めて、説明する。一般の歴史に対して、もし今から年代を遡って、歴史事実の起こった必然性を追求する。いわば本当の『倒叙・日本史』が出現したらと、期待を持つのは、私一人ではないであろう。いや、本当の歴史とは、歴史事実の原因と必然性を、時間の流れを逆に追及すべきものだとも言えそうである。

しかし、教科書が中心になって、今日に至る歴史の動きを常識化してしまっている現代で、ひとりこんなことをやっても、異端者として批判されるだけだろう。

その困難の中で著者は、勇敢にその私案をここに纏めた。私は著者と相識る事何十年、心から著者の試案に拍手を送りたいし、その成功を祈ってやまない一人である。

逆・日本史2(1~4)

武士の時代・江戸→戦国→鎌倉 

樋口清之著 NONBook 昭和62年2月5日初版

会田雄次 あとがきコメント(京大名誉教授)

日本人の本質を説き明かす

学者の核歴史はつまらない、と云うのが世間の常識である。しかしながら、樋口先生が語る歴史は、例外なく面白く、そして為になる。

歴史は虚と実の間の薄い膜を縫う布のようなもので、其の織り方の上手・下手が布と模様の善し悪しを決める。樋口先生は名人との云うべき其の織り手なのだ。

本書は江戸時代から遡って鎌倉時代に至る「士の時代を」を取り扱ったものだが、素の武士政権の期間にも、此れほど優れた人物、面白い人物、巧みな技術等々が満ち溢れ、流れていたのかと驚くほど多くを教えられ、あらためて確認させていただいた。 日本人の本質が何かを知りたければ本書を読むべきである

逆・日本史3(1~4)

貴族の時代・平安→奈良→古代 

樋口清之著 NONBook 昭和62年3月31日初版

山本七平 あとがきコメント

巻を措くあたわず 興味津々の一冊

なせ現代があるのか、其れは明治時代があったから。では、なぜ明治時代があったのか。それは徳川時代があったから——。こういう形で歴史を逆行していくと、鎌倉幕府に突き当たる。

では、まぜ幕府が政治の中枢になったのかといえば、其れは四百年続いた平安時代があったからである。そしてそれを支えたのは、表の公地公民制と裏の私地私民制という奇妙な対背だが、其れを出現させたのは藤原氏と云う策謀家。だが実は、彼らは蘇我氏のやり方を踏襲している。では蘇我氏は?・・・・・と云う形で、本書は「なぜ」を解きつつ、日本民族の始原にまでさかのぼる。まことに興味津々、巻を措くあたわずとは、こういう本の事をいうのであろう。

逆・日本史4(1~4)

神話の時代・古墳→弥生→縄文 

樋口清之著 NONBook 昭和63年3月1日初版

堺屋太一 あとがきコメント

歴史に面白さを取り戻した快著

神話は歴史ではないー此のことは、戦後事の外強調されてきた。しかし、神話が生まれ伝えられてきたという事実は、まぎれもなく歴史である。このことを、戦後の歴史教育は忘れていたのではないだろうか。

人の世は、ものと心から成っている。人の世を語る歴史も亦、昔日のものと心を等しく語らなければならない。戦前の歴史観は、日本人の心ばかりを強調して空想化したが、戦後のそれは、物ばかりを重視して美と志を見失った嫌いがある。著者は、其の双方を語れる碩学だ。歴史に面白さを取り戻した。「逆・日本史」が歴史と神話を繋いで見事に完成した事を喜びたい。

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