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ー飽く迄、個人としてのー

現在の政治家の皆様、素晴らしい頭の持ち主が揃っているのでしょうが、如何も一般庶民の目から見ると何となく、机上の空論的な施策が多いように感じます。飽く迄、個人の感想ですが・・・・
現 岸田首相も安岡正篤師の著作を勉強していますと堂々と述べていらっしゃいますが、一体何を学ばれたのでしょうか。と、首をかしげたくなるようなところも多々ある様に思います。飽く迄個人的な意見ですが・・・         

今回は、政治・公務を執り行うものにとって、忘れてはならない大切な事ではと思う文章を2,3、抜き書きしてみました。其れ位の事は心得ているという政治家の皆様も知識としてではなくもう一度、肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。飽く迄個人の意見ですが・・・

西郷隆盛遺訓より

一 廟堂に立ちて大政を爲すは天道を行ふものなれば、些とも私を挾みては濟まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈み、廣く賢人を選擧し、能く其職に任ふる人を擧げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆゑ眞に賢人と認る以上は、直に我が職を讓る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程國家に勳勞有る共、其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸祿を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるゝに付、然らば尚書(○書經)仲之誥(チュウキコウ)に「徳懋(サカ)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相配し、功と賞と相對するは此の義にて候ひしやと請問せしに、翁欣然として、其通りぞと申されき。

山本七平「人間集団における人望の研究」より

祥伝社1991.2.20初版  2015.6.20記

民を貴しとなし社稷は之に次ぎ君を軽しとなす この故に丘民(キュウミン-衆)に得られて天子となる 孟子-尽心章句下 

「天下の事を公にすと雖も若し私意を用いてこれを為さば便ちこれ私なり」      近思録 

人望の条件-九徳     書経より  

① 寛にして栗-カンニシテリツ‐寛大だがしまりがある

② 柔にして立‐ジュウニシテリツ‐柔和だが事が処理できる

③ 愿にして恭‐ゲンニシテキョウ‐慎みがあり丁寧

④ 乱にして敬‐ランニシテケイ‐事を治める能力があり敬虔

⑤ 擾にして毅‐ジョウニシテキ‐外柔内剛→易学 地天泰

⑥ 直にして温‐チョクニシテオン‐正直率直で温和

⑦ 簡にして廉‐カンニシテレン‐事に簡易だがしっかりしている

⑧ 剛にして塞‐ゴウニシテソク‐剛健にして裡は充実

⑨ 彊にして義‐キョウニシテギ‐剛勇だが義に正しい

百朝集―安岡正篤著 より

七二章 人心の正否

 郡夷競ひ来る。国家の大事とはいへども、深憂とするに足らず。深憂とすべきは人心の正しからざるなり。苟も人心だに正しければ、百死以て国を守る。其の間勝敗利鈍ありといへども、未だ遽(ニワ)かに国家を失ふに至らず。苟も人心先づ不正ならば、一戦を待たずして国家を挙げて夷に従ふに至るべし。然れば今日最も憂ふべきものは、人心の不正なるに非ずや。 吉田松陰「講孟余話」

本文は「孟子」滕文(トウブン)公章の「我亦正二人心息二邪説」云々の箇所を講ぜし所に在る。総じて策士俗人の目のつき易いところは形の上の事である。しかし真の志士先覚者は、其の精神如何をみる。機械兵制は末であり、人心が本である。本立たずして、どうして末の全きものがあろうか。根本たる人心が不正のままにいたならば、如何に法を厳にし、制度を整え、為政者が声を涸らして叱呼(シッコ)するも、効果の見るべきものはなかろう。おそるべく憂うべきは外敵ではない。ただ我等人々の心の正しからざるこそ深き憂であるのだ。されば松陰も「獄舎問答」中に「今の務むべきものは、民生を厚うし、民心を正しうし民をして生を養ひ死に喪して憾(ウラ)みなく、上を親しみ長に死して背くことなからしめんより先なるは無し。是を務めずして砲と云ひ艦と云ふ。砲艦未だ成らずして、疲弊之に随ひ、民心是に背く。策是れより失なるは無し」と云う所以である。再軍備論者もこれに注意せねばならぬ。

参考に昭和時代の首相の言葉から

次の言葉は、第64代・65代の首相を務めた田中角栄が大蔵大臣に就任した時の大蔵官僚への訓示の一説、此れだけの事を堂々と話せる大臣が果たして今の日本にいるのでしょうか。

「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室にきてほしい。何でも言ってくれ。上司の許可を得る必要はない。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。 」

一日一話  松下幸之助

三月の言葉

人はいさ心も知らず古里の 花ぞ昔の香ににほひける    紀貫行

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一日 本当の勇気

私は一般的に本当の勇気と云うものは一つの正義に立脚しないことには、又良心に顧みて之が正しいと思わないことには湧いてこないと思うのです。だから勇気が足りないという事は何が正しいかという事の認識が非常に曖昧である処から出ている姿ではないかと云う感じがします。人々が其々に自問自答して何が正しいかという事を考える。そしてこの正しい差は絶対譲れない。この正しさは通さなければいけないという確固とした信念を持つならば、そこから出てくる勇気は例え気の弱い人であっても非常に力強いものとなる。そう云う様な感じを私は持っているのです。

  • 1930年(S5)谷口雅春生長の家設立
  • 今日は労働法施行の日
  • memoー正義感とは?

七日 大西郷の遺訓

西郷隆盛が次のような遺訓を残している。国に功労がある人には禄を与えよ。功労あるからと云って地位を与えてはならない。地位を与えるには自ずと地位を与えるに相応しい見識が無ければならない。功労があるからと云って見識の無いものに地位を与えるという事は国家崩壊の基となると。是は国の事であるが事業経営についても同じことが言える。あの人は会社に大きな功労がある。だから重役にしようとなりがちであるが、この点充分に注意しなければいけない。飽く迄も功労ある人には賞を以て報いその見識ある人に地位を与えることが大事だと思う。

  • 今日は消防記念日  Memo-PBFile12南洲手抄志録・遺訓 

十日 日本の伝統精神

私は日本の伝統精神は極めて優れたものだと思います。ではその伝統精神とは何か。その一つは和を以て貴しとする平和愛好の精神です。凡そ千四百年も前にこの和の精神が聖徳太子によって掲げられています。第二は衆知を以て事を決すと云うつまり民主主義です。古事記にも八百万の神々が相談をして事を決したとあります。日本は真の民主主義の本家本元だと云えるでしょう。第三は主座を保つ。古来日本人は常に主座を失わずに外来のものを朱か吸収し日本化して来ました。この和、衆知、主座と云う三つの柱を守っていくことは、今後においても大切ではないでしょうか。

  • 1945年東京台空襲 

Memo-安岡正篤「百朝集」59六然 随所ニ主ト為バ立処皆眞➡臨済義玄禅師

十一日 塩の辛さは舐めてみて

例えば水泳の先生が三年間講義をしたとします。それでその講義を受けた人がすぐ泳げるかと云いますと、必ずしも泳げないと思うのです。又塩の辛さと云うものでも、塩を舐めさせることをしないで、塩は辛いぞと云っても判らないでしょう。塩の辛さは舐めてみて初めてああこれが塩の辛さやなと判る分けです。処世のコツとでも申しますかお互いの人生に於いて大切な事柄を会得するということも、事を行ってそのやったことを仔細に考え検討してゆくところから始めて可能になるのではないかと私は思います。

  • 2011年(H23)東日本大震災M9・津波39m
  • 福島原発破壊
  • 今日はパンダ発見の日 Memoー実践行動

十九日 日本の資源は人

日本の資源は人そのものです。いま日本から人を五千万人も取ったら日本は参ってしまいます。人が多いのは資源が多い姿です。しかも普通の資源であったらじっとしていますが人間は働きます。一方で費やすというてんもありますけれど、やはりそれ以上のものを創り出すものを持っています。我々はこの人間が資源であるという事をはっきり認識することが大事だと思います。また人間と云う無限の資源を持っているのだと云うことをもっと教えなければいけないと思います。勿論日が多いと云うだけではダメでその質を善くすることが必要なのは言うまでもありません。

  • 今日はミュージックの日
  •  Memo―資源となるためには?

二四日 協調性を持つ

みなさんが其々の会社の社員である以上多数の同僚と相接して仕事をしなければならないということになりますから、人の立場を重んじない所謂協調性の少ない人は困ると思うのです。自分はこう思うがあの人はああ思うのだな、それも一つの考えだろうなと云うように人の言に耳を傾けると云う所に協調性が成り立つのです。勿論自己と云うものを卑屈にして協調せよと云うのではありません。けれども自己に捉われた主張は協調性を欠きます。この点どの様な立場にいようと考えなければならない非常に大事な問題ではないかと思います。

  • 2020年(R2)新型ウィルス感染多発状況の為東京オリンピック開催延期を決定
  • 今日は世界結核デー
  • Memo-至人は己無し・神人は功無し(荘子) 自己中心➡無私公正

三十日 引き下がる決断

やるべき時にやる引くべき時に引く。所謂この出処進退という事が人間として特に経営者として一番大事なことではないでしょうか。例えばある一つの仕事がもう一つ上手くいかず、やめた方がいいとなった場合そこにはやはり何らかの犠牲が伴います。世間からも色々な批判を受けるでしょう。又信用も失墜するかもわかりません。併し其れを惜しんではいてはいけない。惜しんでいると中々やめられない。やはりそういうものに捉われずやめるべきものはやめるんだと云う引き下がる決断をすることが経営者として大切だと思う。

  • 今日はマフィアの日
  • Memo‐経営者の要諦

松下幸之助翁の処世哲学は実践的であるという点である意味、陽明学の教義にも相通ずるところがあるように思う。陽明学の実践者西郷隆盛の遺訓の一部を引用するのもうなずける。