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松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

「一日一話」は昨年の七月から月一回、ランダムにピックアップして投稿していましたので、重複する部分も出てくると思いますが、暗記する迄に読んだ方が身に付くという事もあります。此れから新たな気持ちで一年間、幸之助翁の言葉を選んでいきたいと思います。

尚、冒頭の言葉、今回は、松下幸之助「人生心得帖」から選びました

「人の心は理屈では割り切れない。微妙に動く人情の機微を知り、之に即した言動を心がけ、豊かな人間関係を築きたい。」―人生心得帖よりー

【八月の言葉】

*一日 身を持って範を示す

指導者と云うものは色々な形で自ら信じる処思う処を人々に絶えず訴えねばならない。同時に大切なのは其事を自分自身が身を以て実践し範を示す様に努めて行く事であろう。百日の説法屁一つと云う諺の有る様にどんなに良い事を説いても、その成す処が其れに反していたのでは十分な説得力は持ち得ない。勿論力及ばずして百%実行は出来ないと云う事も有ろう。と云うよりそれが人間としての常かも知れない。併し身を以て範を示すと云う気概の無い指導者には人々は決して心からは従わないものである。

*二日 人間は初めから人間である

人間は其の歴史に於いて様々な知識を養い道具を創り出し生活を向上させてきました。然し私は人間の本質そのものは初めから変わっていないと思います。人間は元々人間であって人間そのものとして向上してきたと思うのです。私は人間が猿から進歩したと云う様な考え方に対しては疑問を持っています。猿は矢張り最初から猿であり虎は最初から虎であり人間は最初から人間であると思うのです。人間は初めから人間として素質特性を与えられ自らの努力によって知識を深め道具を拵えて自らの生活を高めて来たそれが人間の歴史だと思うのです。

*三日 強固な精神力を

その昔日蓮上人は唯一人の聴衆の姿も見えないと云う時でも巷に立って我が信念を説いたと云います。何をほざくかと馬糞を投げられ石を投げられ散々な侮辱を蒙っても、彼はびくともせず日本の安泰の為に民衆の幸福の為に我が信念を傾けました。日蓮上人のそういう態度と比べてみると我々と同じ人間でありながら大変な相違があるなと云う感じがします。今我々に必要なのは日蓮上人のあの強固な精神力です。日蓮上人と迄は行かなくてもせめて自分の仕事に一つの使命感を感じこれに情熱を傾けて精進する積極的な自主独立の精神を養いたいものです。

*六日 自分を褒める心境

私は今二十代の夏の日の事を懐かしく思い出します。日のある内に一杯仕事をし晩に盥に湯を入れて行水をするのです。仕事を終えた後の行水は非常に爽やかで自分ながら今日一日良く働いたなぁという満足感を味わったものです。自分ながら今日はよくやったと云って自分を褒める自分を労ると云う心境、そう云う処に私はなんだか生甲斐と云うものを感じていたように思うのです。お互い毎日の仕事の中で自分で自分を褒めて挙げたいと云う心境になる日を一日でも多く持ちたいそういう日を積み重ねたいものだと思います。

*八日 素直に有難さを認める

今日皆さんがこの会社に入社する事が出来たのは一つには皆さんの努力に拠るものでしょう。然し決して自分一人の力でこうなったと自惚れてはなりません。会社にしましても世間からご贔屓を頂いているからこそ今日こうして成り立っているのです。ですから個人にしても会社にしても或は国の場合でもやはり謙虚にものを考えその物事の成り立っている背景也人々の恩恵というものを正しく認識しなければなりません。そして協力してくださる相手に対しては素直に喜びと感謝を表し自分達も是の相応した働きをして行く事が大切だと思います。

*十日 欲望は生命力の発現

欲の深い人はというと普通は善くない人の代名詞として使われている様陀。所謂欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件が余りにも多い為であろう。しかし人間の欲望と云うものは決して悪の根源ではなく人間の生命力の表れであると思う。例えて云えば船を動かす蒸気力の様なものであろう。だから是を悪としてその絶滅を計ろうとすると船を止めてしまうのと同じく人間の生命をも絶ってしまわねばならぬことに為る。つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく生其の物であり力だと言って良い。だからその欲望を如何に善に用いるかと云う事こそ大事だと思う。

*十一日 小便が赤くなる迄

商売は非常に難しく厳しい。謂わば真剣勝負だ。商売の事を彼是思い巡らして眠れない夜を幾晩も明かす。それ程心労を重ねなければならない。心労の余り等々小便に血が混じって赤くなる。其処迄苦しんで初めてどうすべき可と云う道が開けてくる。だから一人前の商人になる迄には二度や三度は小便が赤くなる経験をするものだ。是は私が小僧時代に御主人に聞かされた話ですが今にして思えば是は決して商人だけに当て填る事では無いと思います。何をするにしても是だけの苦しみを経ずして成功しようとするのは矢張り虫が良すぎるのではないでしょうか。

*十三日 投資をしているか

書物によると太閤秀吉と云う人は馬の世話をる係になった時、主人である織田信長が乗る馬を立派にする為に、自分の僅かな給料を割いて人参を買って食べさせてやったと云う事です。是は一つの誠意ある投資だと思うのです。そこで皆さんは投資をしているかと云う事です。その様に一旦貰った給料を会社へ又献金する必要はありませんが、然し自分夫の知恵で投資するか或は時間で投資するか、何らかの形で投資すると云う面が自分の成長の為にも必要だと思うのです。又其れ位の事を考えてこそ一人前の社員と云えるのではないでしょうか。

*十五日 平和の価値を見直す

最近平和と云うものが何か言わば空気や水の様に極当然に存在するものと云った感じが強くなってきたのではないだろうか。平和の貴重さ有難さが段々忘れられつつあるように感じられる。其れは危険な事だと思う。平和は天然現象ではない。人為と云うか人間の自覚と努力によって初めて実現され維持されるのである。だからこの際お互いにもう一度平和の価値と云うものを見直してみたい。そしてこの価値を知ったうえで国民として何を為すべきかを考え合いたい。差もないと折角続いたこの貴重な平和を遠からずして失う事にも成ってしまうのではないだろうか。

*十六日 道徳は実利に結びつく

社会全体の道徳意識が高まれば、先ずお互いの精神生活が豊かに成り少なくとも人に迷惑を舁けない様になります。それが更に進んで互いの立場を尊重し合う様に成れば人間関係も良くなり、日常活動が非常にスムーズに行く様になるでしょう。又自分の仕事に対しても誠心誠意之に当ると云う態度が養われれば、仕事も能率的に成り自然により多くのものが生み出される様になる。つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると云えるのではないでしょうか。そう考えるならば私達が道徳に従って全ての活動を行うと云う事は、社会人としての大切な義務だと云う事にも成ると思います。

*十九日 自由と秩序と繁栄

自由と云う姿は人間の本性に適った好もしい姿で自由の程度が高ければ髙い程生活の向上が生み出されると云えましょう。併し自由の半面には必ず秩序が無ければならない。秩序の無い自由は単なる放恣に過ぎず社会生活の真の向上は望めないでしょう。民主主義の下に在ってはこの自由と秩序が必ず求められしかも両者が日を追って高まっていく処に進歩発展と云うものがあるのだと思います。そしてこの自由と秩序と云う一見相反するような姿は実は各人の自主性に於いて統一されるもので、自主的な態度が自由を放恣から守り、無秩序を秩序に換える根本的な力になるのだと思います。

*二一日 カンを養う

カンと云うと一見非科学的なものの様に思われる。併し勘が働く事は極めて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断の出来るカンを養わなくてはいけない。其れではそうしたカンはどうしたら持つ事が出来るのか。是は矢張り経験を重ね修練を積む過程で養われていくものだと思う。昔の剣術の名人は相手の動きを勘で察知し切っ先三寸で身を躱したと云うが其れは其れこそ血の滲む様な修行を続けた結果であろう。その様に指導者としても経験を積む中で厳しい自己鍛錬に拠って真実を直感的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。

*二四日 我執

一人一人の人が其々に自分の考え自分の主張を持つと云う事は民主主義の下では究めて大事な事である。が同時に相手の言い分もよく聞いて是を是とし非を非としながら話し合いの裡に他と調和して事を進めて往くという事も、民主主義を成り立たせる不可欠の要件であると思う。若しも此の調和の精神が失われ其々の人が自分の主張のみに捉われたら其処には個人的我執だけが残って争いが起こり平和を乱すことに為る。今日の我が国の現状世界の情勢を見るとき、今少し話し合いと調和の精神が欲しいと思うのだが如何なものであろう。

*二五日 為すべき事を為す

治に居て乱を忘れずと云う事がある。太平の時でも乱に備えて物心共の準備を怠ってはならないと云う事で指導者として極めて大切な心構えである。とは言え人間と云うものは兎角周囲の情勢に流され易い。治にあれば治に溺れ乱に遇えば乱に巻き込まれて自分を見失って仕舞勝ちである。そう云う事無しに常に信念を持って主体的に生きる為にはやはり心静かに吾何を為すべきかを考えその為すべき事を只管成して行く事が大切である。指導者の要諦とは見方によってはこの為すべき事を為すと云う事に尽きるとも言えよう。

*二七日 職責の自覚

お互いに欠点と云うものは沢山あり何もかも満点と云う訳には往かない。だから自分の足りないところは他の人に補って貰わなければならないが、其の為には自分自身が自分の職責を強く自覚しその職責に対して懸命に打ち込むと云う姿勢が大切である。仕事に熱心であれば自ずから自覚が高まるし職責の自覚があれば人は亦常に熱心である。そうした自覚奏した熱意は多くの人の感応を呼び協力も得られ易くなる。そう云う事から自らの職責を自覚し全身全霊を打ち込むと云う心掛けだけはお互いに疎かにしたくないと思うのである。

*三一日 辛抱が感謝になる

我々が一生懸命に仕事をしても世間が其れを認めてくれなかったら非常に悲しい。そんな時その悲しさが不平となり出てくるのも一面無理のない事だと思う。然し認めてくれないのは世間が悪いという解釈もできるがまあ一寸辛抱しよう。今認めてくれなくてもいつか認めてくれるだろう。とじっと耐え忍びいい仕事を続けていくと云うのも一つの方法である。そして認めて貰ったら是は非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。より多く我々を認めてくれた社会に対して働かなくてはいけないと云う感謝の心になってくる。そういう心が無ければいけないと思う。

松下幸之助のことば

松下幸之助一日一話

仕事の知恵・人生の知恵

1999年4月15日初版発行PHP文庫

松下幸之助翁に関しては、改めて紹介する迄も無く、よくご存じのことと思います。よって経歴等は省いて幸之助氏の「一日一話」から言葉をセレクトして紹介いたします。その言葉は平易な言葉を選んで語られていますが、内容は奥深く、仕事・経営・生き方等々、人生の指標になる言葉ばかりです。尚、個人的に好きな言葉を勝手に選ばさせていただいてます。ご興味ある方は、読みづらい内容とかまた、高価な本とか云う事はありませんので、原本を読まれることをお勧めいたします。

  • 「運に対して一定の信念を持っていなければならない、それが自分に対する自信に繋がっていく。運は創るというか育てていくもの。運というものは人間にとって大変必要なものですよ。謂わば自己形成の大きな原料です。」―運を開く言葉よりー

【四月の言葉】

**一日 縁あって

袖振り合うも他生の縁―と云う古い諺があるが人と人との繋がりほど不思議なものはない。其の人がその会社に入らなかったならばその人とはこの世で永遠に知り合う事もなかっただろう。考えてみれば人々は大きな運命の中で縁の糸で操られているとも思える。こうしたことを思うと人と人との繋がりと云うものは、個人の意志や考えで簡単に切れるものではなくもっともっと次元の高いものに左右されている様である。であるとすればお互いにこの世の中における人間関係をも少し大事にしたいしもう少し有難いものと考えたい。

*二日 人間はダイヤモンドの原石

私はお互い人間はダイヤモンドの原石の如きものだと考えている。ダイヤモンドの原石は磨くことに拠って光を放つ。しかも其れは磨き方如何カットの仕方如何で、様々に異なる燦然とした輝きを放つのである。同様に人間は誰もが夫々に光る様々な素晴らしい素質を持っている。だから人を育て活かすに中っても先ずそういう人間の本質と云うものを能く認識し其々の人が持っている優れた素質が活きる様な配慮をしていく。それが矢張り基本ではないか。もしそういう認識が無ければ幾ら良き人材があってもその人を活かすことは難しいと思う。

*三日 まず人の養成を

最近ではサービスの大切さという事が盛んに言われ、どういう商売でもそれなりの制度なり体制と云うものを逐次充実させつつあると思います。其事は大いに結構であり必要なことでしょうが、その任に当たるサービス員の養成が十分でないと折角の体制も所謂画龍点睛を欠くという事になって魂の入らないものとなってしまう恐れがあります。本当にお客様に喜んで頂けるサービスをしていくには、やはり会社を代表して適切にものを言い適切に処置が出来ると云う人の養成訓練を第一に大切なことと考え、その労を惜しまないという事だと思います。

*五日 学ぶ心

人とは教わらず又学ばずして何一つとして考えられるものでは無い。幼児の時は親から、学校では先生から、就職すれば先輩からと云うように教わり学んで後初めて自分の考えが出るものである。学ぶと云う心掛けさえあれば宇宙の万物はみな先生となる。物言わぬ木石から秋の夜空に輝く星屑などの自然現象、また先輩の厳しい叱責、後輩の純粋なアドバイス一つとして師ならざるものはない。どんな事からもどんな人からも、謙虚に素直に学びたい。学ぶ心が旺盛な人程新しい考えを創り出し独創性を発揮する人であると云っても過言ではない。

*九日 国民の良識を高める

民主主義の国家として一番大事なものは矢張りその民主主義を支えてゆくに相応しい良識が国民に養われているという事でしょう。さもなければその社会は所謂勝手主義に陥って収拾のつかない混乱も起こりかねないと思います。ですから国民お互いが夫々に社会の在り方人間の在り方について高度な良識を養っていかなければなりません。国民の良識の高まりと云う裏付けがあって初めて民主主義は花を咲かせるのです。民主主義の国にもし良識と云う水をやらなかったならば立派な花は咲かず却って変な花醜い姿のものになってしまうでしょう。

*十一日 夢中の動き

此の観音様は鑿が作ってくれた自分は何も覚えていない。と云うのは版画家棟方志功さんの言葉である。私は偶々この棟方さんが観音様を彫っておられる姿をテレビで拝見し、その仕事に魂と云うか全てをつぎ込んでおられる姿に深く心を打たれた。一つ一つの身体の動きが意識したものでなく当に夢中の動きとでも云うかそんな印象を受けたのである。その姿から人間が体を動かしてする作業と云うものの大切さをつくづくと感じさせられた。機械化に懸命な今日だからこそ魂の入った作業と云うものの大切さをお互いに再認識する必要があるのではないだろうか。

*十二日 使命感を持つ

人間は時に迷ったり怖れたり心配したりと云う弱い心を一面に持っている。だから事を為すに当って、ただ何となくやると云うのではそういう弱い心が働いて力強い行動が生まれてきにくい。けれども其処に一つの使命を見出し使命感を持って事に当っていけばそうした弱い心の持ち主雖も非常に力強いものが生じてくる。だから指導者は常に事に当って何の為に此れをするのかと云う使命感を持たねばならない。そしてそれを自ら持つと共に人々に訴えていくことが大事である。そこ二千万人と雖も我往かんの力強い姿が生まれるのである。

*十三日 運命を生かす為に

サラリーマンの人々が其々の会社に入られた動機には色々あると思う。中には何となく入社したと云う人もあるかも知れない。併し一旦就職しその会社の一員となったならば、これは唯何となくでは済まされない。入社したことがいわば運命で有り縁で有るとしても今度はその上に立って自ら志を立て自主的にその運命を生かしていかなくてはならないと思う。其の為にはやはり例え会社から与えられた仕事であっても進んで創意工夫を凝らし自ら其処に興味を見出しゆき遂には夢見る程に仕事に惚れると云う心境になる事が大切だと思う。

*十四日 知識は道具知恵は人

知識と知恵如何にも同じもののように考えられる可もしれない。けれどもよく考えてみるとこの二つは別物ではないかと云う気がする。つまり知識というのはある物事について知っているという事であるが、知恵と云うのは何が正しいかを知ると云うか所謂是非を判断するものではないかと思う。言い換えれば仮に知識を道具に譬えるならば知恵は其れを使う人そのものだと云えよう。お互い知識を高めると同時に其れを活用する知恵をより一層磨き高めてゆきたい。そうして始めて真に快適な共同生活を営む道も開けてくるのではないかと思うのである。

*十七日 人を惹きつける魅力を持つ

指導者にとって極めて望ましい事は人を惹きつける魅力を持つという事だと思う。指導者にこの人の爲なら・・と感じさせるような魅力があれば期せずして人が集まりまたその下で懸命に働くという事にもなろう。もっともそうは云ってもそうした魅力的な人柄と云うものはある程度先天的な面もあって、誰もが身につける事は難しいかも知れない。併し人情の機微に通じるとか人を大事にするとか云ったことも努力次第で一つの魅力ともなろう。何れにしても指導者は惹きつける魅力の大切さを知りそう云うものを養い高めていくことが望ましいと思う。

*二十日 信頼すれば・・・

人を使うコツは色々あるだろうが先ず大事な事は人を信頼し思い切って仕事を任せる事である。信頼され任されればん瓶嚴は嬉しいしそれだけ責任も感じる。だから自分なりに色々工夫もし努力もしてその責任を全うしていこうとする。言ってみれば信頼されることによってその人の力がフルに発揮されてくる譯である。実際には100%人を信頼してする事は難しいもので其処に任せて果たして大丈夫かと云う不安も起こってこよう。併し例えその信頼を裏切られても本望だと云うぐらいの気持ちがあれば案外に人は信頼に背かないものである。

*二一日 しつける

日本人は頭もよく素質も決して劣っていない。だから何がいいか悪いかぐらいは百も承知して要る筈であるが、さてそれが行動になって表れたりすると忽ち電車に乗るのに列を乱したり公園や名所旧跡を汚したりしてしまう。やはりこれはお互いに躾が足りないからではないかと思う。幾ら頭で知っていてもそれが子供の時から躾られていないと何時まで経っても人間らしい振舞が自然に出てこない。つまり折角の知識も躾に拠って身に着いていないとその人の身だしなみも好くならず結局社会人として共に暮らす事が出来なくなってくるのである。

*二六日 知識を活用する訓練

松下政経塾には優秀な先生方の講師として来て貰う訳ですが普通の学校の様な授業はやらない。先ず学生が質問をして其れを先生に答えて貰う形式をとる。質問するものがなかったなら先生は何も言ってくれないと云うようにしたいんです。質問をする為には疑問を持たなければならない。疑問を持つに至る迄の勉強は自分で遣らなければ為らないと云う訳です。つまり知識を与えるのではなく持っている知識を活用する能力を育てていく訓練を重ねて自分の考えを堂々と主張できるような人間になってもらいたいという願いを持っているのです。

*二七日 賢人ばかりでは

世の中は賢人が揃っておれば万事上手くいく

と云うものでは決してありません。賢人は一人いればそれで十分なんです。更に準賢人が三人準準賢人が四人くらい。そんな具合に人が集まれば上々でしょう。賢人ばかりですと議論倒れで一向に仕事が捗らないと云ったようなことに為りがちです。一つの実例を挙げればある会社で三人の立派な人物がお互いに協力し合って居た筈なのにどうも上手くいかない。そこで一人を抜いてみた。すると残る二人の仲がピタッとあって非常に上手く行きぬかれた人物も他の分野で成功した。そこなことがよくあるものなのです。

*二八日 会社は道場

仕事と云うものは矢張り自分でそれに取り組んで体得していかなければならないものだと思う。併し自得していくには其の為の場所と云うか道場とでもいうものが必要であろう。処が幸いな事にその道場は既に与えられている。即ち自分の職場自分の会社である。後はその道場で進んで修行しよう仕事を自得して行こうと云う気に為るどうかという事である。しかも会社と云う道場で月謝を払うどころか逆に給料までくれるのだからこんな具合の好い話はない。この様な認識に立てば仕事に取り組む姿も謙虚にしかも力強いものに為る筈である。

*三十日 困難から力が生まれる

人間と云うものは恵まれた順境が続けばどうしても知らず識らずの裡に其れに馴れて安易に成り易い。昔から治にいて乱を忘れずという事が言われ其れを究めて大切な心構えであるけれどもそういう事が本当に100%出来る人は恐らくいない。やはりどんな立派なな人でも無事泰平な状態が続けば遂安易になる。安心感が生じ進歩が止まってしまう。それが困難に出会い逆境に陥ると其処で目覚める。気持ちを引き締めて事に当たる。其処から順調な時に出なかった様な知恵が湧き考えつかなかった事を考え着く。画期的な進歩革新も初めて生まれてくる。

中村天風のことば

中村天風一日一話

元気と勇気が湧いてくる哲人の教え366話

2005年8月22日初版発行PHP文庫 2006年12月1日第一版第18刷発行 HP研究所

因みに中村天風とは何者か!ご存じの方は多いと思いますがウィキペディアでは 日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた 。

また、学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。 と概略では紹介されています。

※ニューソートとは(ウィキペディアより)
19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、一種の異端的宗教・霊性運動の一つという事の様です。

短い言葉の中に人生の生き方・考え方が凝縮されている様にも感じます。全て実践できればいいですね~。

【五月の言葉】

*二日 社会の改善をする為に

常に善良な言葉人を勇気づける言葉人に喜びを与える言葉已を使っている人が、増えれば増える程この世の中って云うものはぐんぐん光を増してくるんだよ。そういう人が増えない限りはどんなに社会改善を行おうと国家改革を行ったって駄目だよ。社会だ国家だって結局人間の塊だもの、人間自体がだらけた腑抜けた始末に負えない弱音ばかり吐いていたら、社会は改善できないし立派な国家には出来ないんです。

*四日 つぶやきの自己暗示法

低級な欲望や劣等感情情念がヒョイと心の中に発動してきたなと思ったらねソリロキズムと云うのをやってもらいたい。日本語に訳すとつぶやきの自己暗示法と云いましょうか。何も口にブツブツ出さなくていいんですよ。観念で独り言を言えばいいんです。こんな事に腹が立つかこんな事悲しくない自分はそれ以上勝れた心の持ち主だと云う風に自分自身が一人でつぶやくのをソリロキズムと云うんです。此れが又バカに効き目があるんですよ。

*七日 自己を作るものは自己也

他力依存の態度では到底自己自身からの実現性が何としても発揮され得ない。自己を作るものは自己也という真理は真に侵すべくもない絶対的なものである。

*九日 笑いは人間の特権

平素人生に活きる時に努めて明るく朗らかに活き活きと勇ましく生きる努力を実行すべきである。と同時に此の意味に於いて私は大いに笑いと云う事を礼賛する。笑えば心持は何となく伸び伸びと朗らかに成る。この簡単な事実を案外多くの人は見逃している。人間は万物の霊長として重い大きな負担を負っている。笑いは其の疲れた心や体を程よく調和させる様に人間に与えられているものである。

*十三日 原因の無いものは無い

凡そ此の世のありとあらゆる事物の中に原因の無いものは絶対に一つとして有得ないのである。此の事が絶対真理であると云う事は自分の言動や仕事などの結果に、何か意に満たぬものがある時それを子細に検討すると必ずや力か勇気可若しくは信念が欠如していたが爲だという原因的事実がある。

*十六日 心身統一法は修行に非ず

心身統一法の目的は人間の生命に賦与された本然の力の完全発揮であるが、その方法を修行として行ったのでは第二義的となる。では第一義的とは何かと云うと其れは講習や書籍或は行修を通して教える各種の方法を日常行事として行う事である。即ち特別な機会に特別な気持ちで行う等と錯覚してはいけない。だから一人一人の日常生活の其れ自体が其の人にとっての心身統一法其の物でなければならない。

*二十日 調和ある処完成有

そも調和と云う事は厳粛なる宇宙本来の面目であり且つ復人生の実相であると同時に、生きとし生ける生物の生命の姿なのである。言い換えると調和と云う事は、万物存在の絶対に侵すべからざる尊厳なる自然性なのであると云う事を理解されていると信ずる。またこれは論より証拠で調和のある処のみ所謂真の完成と云うものがあって、反対に調和の無い処には絶対に完成と云うものはあり得ないのは一切の事物事象に明瞭に現れてくる。

*二一日 孤立と独立は異なる

抑々孤立と云う事と独立と云う事は全くその意味を異にしている。勿論独立と云う事は正しい自覚を持つ人間として最も尊い人生状態である。が然し孤立は天理に反する無価値のものである。である以上自分の事のみを考えて他の人々の事を考慮に入れない人生観や生存生活の方法と云うものは、自分では寧ろ気付かずともそれは取りも直さず孤立と殆ど五十歩百歩、些かの異なりもない状況なのである。

*二三日 深呼吸の進め

クンバハカ(精神反射の調整法)を応用しながら日に何千回でもいいから深呼吸する事を稽古しなさい。息は吸う時よりも出す時が肝心なのよ最初、肺臓の悪ガスを出す事が大事なんです。呼吸なんだから呼の方から先におし。斯う云う呼吸法をやっているといざと云う時にクンバハカがぱっと出来るばかりでなく、落ち着いた気分が求めずして自分の気持ちの中に出て来て、今迄の様に感情や感覚に矢鱈引きずり回されなくなるんです。

*二五日 人間は一個の小宇宙

人間の生命の中にはこの宇宙の中に存在する在りとあらゆる一切のものが悉く存在していると云う不思議な事実がある。此の宇宙は所謂物質によって形成されている。そしてその物質は大別して動物植物鉱物の三種に分かれる。然るに我々人類の生命の中には以上の一切の物質が各種の形態の下に悉く存在しているのである。哲学者が人間を一個の小宇宙也と形容しているのもその理由は此処にある。

*二六日 言葉は人生を左右する

万物の根源である気が人間の心の中に入って観念となりその観念が施行となる。そしてその思考が一方に於いて行動となり他方に於いて言葉となって表れる。是は人間の身が創造主から与えられた恩恵で在り他の動物にはない。言葉と云うものは思考が結集し其れを表現する為のものである。言葉には人生を善くも悪くもする力がある。だから言葉は人生を左右する力のある哲学で有科学であると云う事が云える。

*二九日 進歩の階段

人生は心の操縦を完全にする事が重要である。人間の心は常に発達しているので瞬間と雖も之を等閑に附してはならない。人類の心が今日に為る迄には実に長い時の経緯と数多い進歩の階段を踏んできている。そして今後も進歩の階段を昇っていく。従って心を完全に操縦するには、潜在意識を正しく理解しその運用を的確にして心が其の進歩の階段を的確に踏みしめて登れるように、側面から誘導する事が肝要である。

*三一日 自力で生きているのではない

どんな慌て者だって自分の力で生きているとは思わないでしょうな。若し自分の力で生きているなら時が来ても死ぬ筈は無いじゃないですか。何時までも自分の力で生きておられる筈ですし現在在るが儘の自分を保っていられる筈です。処が自分の力で生きていない証拠には今から後十年経ってごらんなさい。現在の自分とは同じではないですから。自力でなく他力で生かされているからこそ時の流れと共に変わるんです。