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名著「影の現象学」

遠藤周作のことば


河合隼雄 という深層心理学者を知ったのは、数十年前に或るTV番組で、京都大学での最後の講義が特集番組として組まれていたのを観た時が初めて。

其れから興味を覚え、河合先生の著作を色々と拾い読みを始めた。所謂ユング派の心理学ー深層心理学とも言われる分野の第一人者による著作品ですが、別にアカデミックな内容のものばかりでなく、エッセイ的に書かれたものや、対話集や、分野として判り難いと思われるところを、素人にも分かり易く解説して非常に面白い内容のものばかり。

当時、よく読んだ本と云えば、安岡正篤師の本、梅原猛先生の本とこの河合隼雄先生の本と云う事になります。

河合隼雄 先生はNET上など一般的に紹介されているのは

日本人として初めてユング研究所にてユング派分析家の資格を取得し、日本における分析心理学の普及・実践に貢献した。また、箱庭療法を日本へ初めて導入した。臨床心理学・分析心理学の立場から1988年に日本臨床心理士資格認定協会を設立し、臨床心理士の資格整備にも貢献した

等と云うもの。

ここでは、全くの門外漢である私が読んでも非常に面白いと思った「影の現象學」と云う作品。内容は皆さん興味を持たれたら読んでいただきそれぞれに感じて頂ければと思います。

ここで紹介するのは、本のあとがきです。

キリスト教の信者としても知られ信仰をテーマに沢山の文学作品を残されている遠藤周作氏が「自分はこの本によって救われた」「この本は紛れもなく名著である」と言い切っています。                        何故そうなのかと云う事を熱く綴られていますので、少し長いですが全文をご紹介します。

ご興味を覚えられた方は、この本と共に他の著作品も読んでいただければ嬉しいですね。

あとがき書評 推薦の言葉 遠藤周作

これは名著である。少なくとも私ははじめてこの本を読み終わったときに味わった何とも言えぬ充実感は今でも忘れられない。

私のように少年のころから古い型の基督教の教育を受けたものには人には言えぬ悩みがつきまとっていた。

その悩みは大まかに言うと自分は二重人格者ではないかということだった。  いや、二重人格者どころか三重人格者ではあるまいかという気持ちが絶えずつきまとっていたのである。当時のことながら私が受けた基督教教育では表と裏とを使い分ける若者をおぞましいものと看做していたし、当時の日本社会でも裏のある人間は陰険で男らしくない、卑怯な男子と考えられていたのである。

私は比較的にスナオでなかったから、戦争中の日本社会の教える道徳を馬鹿にしていた。しかし馬鹿にしていることを決して外に出してはならぬ時代だった。一方、教会で要求する「きよらかな魂」にはどう努力しても至りつけぬことに本気で絶望していた。

恐らくその頃の青年は誰でもそうだろうが、私は生活の為に仮面をかぶっていた。周りを悲しがらせぬため教会には熱心に通い、周りの者のイメージに合せたり時には自己錯覚までして神父になろうと考えたり、そのくせそういう皆から愛される自分が仮面を被っている偽善者だという痛烈な自己嫌悪を持ち続けていたものだった。

仮面がある以上本面がある筈である。外づらがある以上内面がある筈である。内づらとは世に言われるように家庭に於いてのみ見せる顔ではない。人は家庭でも妻や子に対して仮面を被るのが普通だから。ほんとうの内づらとは正宗白鳥が言った「どんな人にもそれを他人に知られるくらいなら死んだ方がマシだという顔がある」というその顔である。

それをユング学者の河合先生は影(シャドオ)と謂う言葉で表現されている。正直いうと影と謂う言葉は本身に較べて仮身という感じがするが、この本をお読みになると影の方が本身で、われわれの本身のほうが影かも知れぬとさえお思いになるだろう。

私は内づらと言ったが、内づらにも二種類ある。

他の人は誰も知らないが自分だけが知っている自分の顔。もうひとつ、他の人は勿論自分も気づかない自分のもう一つの顔。

私の友人に井上神父というカトリック司祭がいるが、彼が「世にも怖かった話」としてリヨン時代の出来事を話していた。

神学生の頃、彼はリヨンの老夫婦の経営する家に一夏下宿していた。その家の夫は病弱で妻はとても献身的だった。そして医者は妻に夫の為に食事療法の大切さを説き、病院が食べていい物と食べてはならぬものを教えているのだった。

だが井上神父が不思議に思ったのは毎夜食卓に出る愛情を込めて作られた料理は―医師から禁じられているものだったのである。井上神父は吃驚して病人の妻にそれを注意した。

妻はよくわかっていると泪ぐみ、その翌日も翌々日もやっぱり「食べてはならぬ食べ物」を夫の皿にのせた。そして夫が其の為にぐったりと疲れ、胃の苦しみを訴えると妻は泣いて悲しむのである。彼女は本当に夫を愛しているのだ。

この人間の複雑な心理。井上神父は終に怖くなって「その家を出て別の下宿に移った」という。

ああこれがリヨンの街だと私はその話を聞いたとき思った。リヨンの人たちはあまりに敬虔なオーソドックスな基督教信者が多い街である。だが私があの街に留学をしていた二年半、十一月から三月まで街はすっぽりと乳白色の霧に包まれる。そしてその霧の中をうろつく数多の影を見た。

あの影は単なる人影ではなくてユングのいう影だったのだ。私は今でも夢の中で私を追いかけてくるあの影をみる。影は―本書をお読みになった方はよくお分かりだろうが、私の分身なのである。もうひとつの私であり、私とそっくりの内づらをした男だったのだ。

勿論そんなことがリヨン時代の私に判る筈はなかった。しかし当時の日記を広げてみると (拙著「作家の日記」) そこには恰好のいい他人に読ませるようなタテマエの日記(例えば荷風の日記)ではなく、悪夢・影・小人・レジスタンスの虐殺場所やリヨン市の中でナチが拷問を行った地下室をそっと覗きに行ったことなどが多く書きつけてある。今にして思えばその古い建物の地下室をこわごわ覗き込んだのは、私は人間の心の奥底を、影の部分を見たかったからだと思う。

やがて小説家として書き始めたそんな私とりわけ心ひかれた作品は、フランソワ・モウリヤックの「テレーズ・デスケルウ」である。それはこの小説が恐らく最初に人間の無意識に手を突っ込んだ傑作だったからである。主人公の女性は善良な夫にある日、毒を飲ませるが、其の毒を飲ませた心の衝動を作者は一行も説明しない。そして当の女性もわからないのである。それは彼女の無意識から発した「何か」が行わせたものであり無意識はあまりに混沌としているから、小説家にとって分析できないのである。

この小説に惚れ込んだ頃、私は無意識とは暗黒のドロドロとした、そして罪の母胎のような領域と思っていた。それはひとつにはモウリヤックがフロイトを通して無意識を知ったこともあろうし、また私が学んだ西欧の基督教伝統では、理性的ならざるもの、意識的ならざるものは寧ろ排斥される傾向があった。必然的に無意識は何となくおぞましいもののように思われていた。(基督教に於ける神秘主義の扱いにはそういう傾向がある)

このことは私自身にも自分の心の奥にある影の部分を忌まわしい暗いものの集積として考えさせた。それが私に二重人格、三重人格と考えさせていたのだろう。

だからはじめてこの「影の現象学」を読み終わったとき、私は何とも言えぬ悦びを感じた。二重性、三重性は私一人ではなかったのだ。それは人間そのものの心の構成をなしていることを教えてくれたからである。

のみならずユングと河合氏とはフロイトと全く違って、無意識の中に創造的な力を強調している。無意識は我々人間に深い洞察力や将来を見通す眼を与えてくれ、そして多くの芸術家に力を貸してくれる協力者でもあることを述べている。

この本がきっかけとなって、私は人間を描くうえでいろいろな視野をひろげることができた。例えば、文化人類学の本にも興味を持ち始めたのも、日本で最も優れた深層心理学者の河合教授のもろもろの著作の御蔭であることはいうまでもない。

それまで非科学的、非客観的(?)奇怪な非合理的なものとして一笑にふされたり、単なる「偶然」としか考えられなかったものに、東洋思想や仏教の考えを改めて尊重してくれる起点もこの本の中に含まれている。大きく言うならば、私は「科学と宗教」の調和という、おそらく二十一世紀の思想の足音をこの本の中に聴くことも出来る。

そういういろいろな可能性をこの一冊の本が含んでいることを読者は知って欲しい。繰り返すがこの本は戦後の名著の一つなのだ。

※ 宗教=誤解の無いようにいっておくがこの「宗教」という意味は従来の限られた教団と信徒を持っている既成宗教をさすのではない。人間とその人間を超えた大きな命を重視する宗教の事である。正確に言うならば「宗教性」と言った方がいいかもしれない。

影の現象学 河合隼雄 講談社学術文庫 1987年12月10日初版より