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法華経の世界

(凡人が思う法華経の世界つづきですー法華経memo)

日蓮上人のことば☞二十八品は正しき事は僅か也誉むる言こそ多く候へ 此經一部二十八品六萬九千三百八十四字一々に皆妙の一字を備えて、三十二相八十種好の佛陀也     (読誦妙法蓮華経)

(以下解及各品大意:読誦妙法蓮華経―S60年4月11日初版発行 良時會発行より)

【迹門分大意】

法華一部二十八品を二分して前十四品を迹門、後十四品を本門と称す。

本門とは無始塵點劫の以前始めて宇宙の真相に触れ釈迦牟尼仏が大悟徹底されたという一大事実が法華経の根本中堅をなしており、これを述べた部分が十四品、本門分である。而してこの一大事実がまだ社會に顕れざるに先立って其の理論的半面を説明せるものを迹門分と云う。即ち方便品に説ける諸法実相=十如是という大哲案である・・

此の事実を根本とする依り其の顕現せるものを本門といい、その反面を画けるものを迹門と称するのである。

迹門それ自身においては実に宇宙の大疑問を見事解決した一大哲学書である。

【序品一】

日蓮上人曰く、「瑞相と申す事は内典外典に附て必ず有るべき事先に現ずるを云ふ事也,蜘蛛かかって喜事来り烏鵲鳴いて客人来ると申して、小事すら験(シルシ)先に現ず如何に況や大事をや。されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞也」と

全體佛は法を説く前に必ず神変不思議な瑞相を示現せらるるが常である。

① 結跏趺坐 ② 無量義處三昧 ③ 身心動ぜず ④ 天より曼殊沙華等を雨し ⑤ 普佛世界六種震動 ⑥ 如来眉間白毫相より光を放つ

【方便品二】

日蓮上人に依り尤も多く用いられた語、意義は「便宜なる方法」と譯すべきか。

佛知見に相手を引き入れんとする方法、この方法手段は終極の目的と一致するものとそうでないものがあり、此処に日蓮上人のいう方便とは後者の意味である

曰く「以方便力四十餘年未顕眞實(無量義経)正直捨方便但惜無上道(法華経方便品)」☞日蓮上人は法華経以前の経々は方便仮説であるとした

少智楽小法自不可信作佛☞少智小法を楽ネガい自ら作佛せんことを信ぜず

  • 三止三請五千退座:「是の如き増上慢の人は退くも亦佳し矣

 ★ 開三顕一:菩薩・声聞・縁覚の三種の法を説くは所謂応病与薬の手段で知識に応じての方便、眞實の一佛乗(目的―悟りの極致)「に誘わんがため

  • 開・示・悟・入:仏が顕れるは自分自身にある所の佛知見を開き、示して、悟らし
  • め、その道に入らしめるため

【譬喩品三】

譬喩は法華経の生命。開三顕一の正説に次いで火宅三車の譬説をあげる。

火宅(娑婆)より救う為与えると約束した羊車・鹿車・牛車(声聞・縁覚-辟支佛・菩薩)の三車に対し大白牛車(一佛乗-佛道)を賜う譬喩

諸苦所因貪欲為本若滅貪欲無所依止☞諸苦の所因は貪欲為コレ本なり若し貪欲滅すれば依止する所無し

※(辟支はpratyeka の略音写、buddha の音訳) 仏語。仏の教えによらないで、自分で真理を悟り、その悟りの内容を人に説くことをしない聖者。ひとり悟りをひらいてそれを楽しむ仏で、独覚と意訳する。また、十二因の理法を悟るところから、縁覚ともいう。

信解品四】

法華経は信ずれば解自ずから生ずる妙為る法。信解と題する亦法華修行のの次第を示す品

舎利弗既に成仏の証言を得、須菩提他弟子たちも歓喜合掌し、無量の珍法を得たるを譬喩を以て佛に謝す 長者窮子の譬喩

【藥草諭品五】

衆は佛となるべき種性を具え、佛はこれを生長せしめておるところから薬草・藥樹に喩える

人天界の諸王は小草の如、三明六通の羅漢は中草、当に作佛を得べき菩薩は大草のごとし亦、菩薩においては専心に佛道を修し常に慈悲を懐けるは小薬樹、神通自在にして無上法を説き無量百千の衆生を教化するは大薬樹である。三草二木相異なるは各自の機根同じからざるに依る

【授記品六】

授記とは記別を授けるの意、「汝未来世に於いて当に成佛すべし」という佛の証言

劫・國・名号の三種の具体的内容を述べる:劫は時間を指し佛の寿命及び法の流布の期間 國とは成佛する国の名 名号は成佛する佛の名

第1回授記:法説周(方便品によるー法を聞いて悟りを開く) 

第2回授記:譬説周(譬喩品によるー譬を聞いて法を解するに至る)

第3回授記:因縁説周(化城喩品による-因縁を以て漸く法に至ることが出来る)

名号:佛陀の十號☞十種の殊徳を具する:如来―真理の人格化したもの ①應具―一切の人々の供養に応じて能く施主の功徳となる ②正徧知―正しく徧く知る乃ち正しき悟り ③明行足-修行が全て具備している ④善逝―妙往で悟りを開き佛となる(人間は地獄に行けば悪往・悪逝)  ⑤世間解―世間のことを如何なる事でも解する事が出来る ⑥無上事-すべての社会において佛以上の士無き事 ⑦調御丈夫―一切を能く調え御する丈夫 ⑧天人師-天も人も皆師をする ⑨―覚ったもの ⑩世尊-世間に於いて最も尊貴なるもの 之意

【化城諭品七】

方便品の法説☞上智 譬喩品の譬説☞中位の弟子 化城品因縁説☞低級知識の開発

三千塵點劫以前、大通智證佛が出世され十六王子のために法華経を説かれたという事実談。それを了解し易からんと城閣化現の譬を述べる。

十二因縁の法:無明は行に縁たり 行は識に縁たり 識は名色に縁たり 名色は六入に縁たり 六入は觸に縁たり 觸は受に縁たり 受は愛に縁たり 愛は取に縁たり 取は有に縁たり 有は生に縁たり 生は老死憂悲苦悩に縁たり 無明滅すれば則ち行滅す 行滅すれば則ち識滅す 識滅すれば則ち名色滅す 名色滅すれば則ち六入滅す 六入滅すれば則ち觸滅す 觸滅すれば則ち受滅す 受滅すれば則ち愛滅す 愛滅すれば則ち取滅す 取滅すれば則ち有滅す 有滅すれば則ち生滅す 生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す

【五百弟子授記品八】

授記を得たる五百の弟子阿羅漢等が衣裏(エリ)の寶珠の譬を述べる☞佛よ我等は酔人の様なものであった三千墨點の以前賜った寶珠の在るをも知らず聲聞の小果の満足していたのであるが然し、今、實因縁を聞いて始めて佛という珠の在りしを悟ることが出来た

【學無學人記品九】

學とは有學にて未だ學すべき余地ありという人、無學は最早学ぶべきもの更に無しという極位の羅漢を指す。この品は因縁説に基づく授記の第二段目となる

方便品より當品に至る八品を迹門分の本論とする。その中でも方便品を正中の正と立つ、是開三顕一が迹門の生命であるが故である☞迹門本論は聲聞の小果に執するを破するを要とするから本論は聲聞で満たされ菩薩の名は現れない。

【法師品十】

此の品より安樂品迄を迹門分の結論(通論)―佛教ににては流通分と称すー

末代に如何に法華経を弘めんとするかというに佛は五種の方法があるべきを説かれる。

  • 授持 : 有難いと信じ身に體して行う
  • 讀  : 法華経を看て讀み奉る
  • 誦  : 經文を看ず暗んじて読む
  • 解説 : 義を解し他の為に説く
  • 書冩 : 經を書寫して文書傳導を為す

是を五種の法師と名づく。何故法師というかは法を他に教え弘める故にそう呼ぶ

經典は数多くあれどこの經が尤も勝れたるものである。此の經の中には如来の全身が籠って居るから、此の經を外にして妙来の生命はないのである。此の經を持つ人は尤も如来に近接せるものといわねばならない。

【見寶塔品十一】

末代の法華経弘通の方法を説きその普及を可能なら〆んとするのが流通分-通論の役目

法師品にその受持の功徳を説き及び説法者の価値を論じた、次に一層力有ら〆んとする為に、更なる證明を加えなくてはならない。茲に於いて多寶塔の出現、分身の来集が説かれる。

  • 三變土田:分身の佛を十方の世界より娑婆世界に迎えるために清浄瑠璃の地へ變ぜしめる事三度に及びすべての佛を一緒に集める一佛國土と為した☞三乗を一佛乗に會したことを具体的に現したこと
    • 虚空會☞霊山會:神通力により大衆を虚空に住せしめ説法を行った
    • 三箇之勅宣:如来滅後の法華経弘通を誰が担うか受法者に向け三度誓約を迫られた
    • 六難九易の説法:法華経弘通のむつかしさの譬

【提婆達多品十二】 

提婆達多及び龍女の成佛譚

  • 二箇の諫暁:畜種女人の向上得果を説く☞二者ともに末代法華経を弘むる場合、悪人と問わず女人と論ぜず何れも妙經力の前に同一の證を得べきことを諭されたことを称して二箇の諫暁という

佛の従弟、提婆達多は非常な学者であった為に却って佛に変わろうとする野心を抱き阿闍世太子を語ろうて、彼に父の頻婆沙羅王を弑せしめ、新王とならしめ、自らは佛を殺またんとして、僅かに佛足より血をい出したに過ぎなかった。此れが後仏教に於いて尤も重科とされる五逆罪の一つ出佛身血の大罪。此れが為に提婆達多は大地割れ現身に無間地獄へと堕ちたとある。その大悪人の過去因縁を明かし之に天王如来の記別を授ける。次いで八歳の龍女が變成男子となり成佛を南方に示す。

【勧持品十三】

最後の二十行偈:日蓮上人☞悪口罵詈等及び刀杖を加うる者、又我身命を愛せず但無上道を惜しむ或いは屡々擯出せられん等全く日蓮が為に佛が記し置かれた

この品に於いて注目すべきは二大比丘尼の授記が提婆達多品の龍女成佛の次に許された事

日蓮上人☞龍女成佛を評して「末代の女人の往生成佛の道を踏み開けたる也」といわれた

【安樂行品十四】

末法に於いて法華経を弘通の為の修業:身・口・意・誓願の四行を説く

安楽行とは此の四法を行事たならば身も意も安穏快楽、便り尊崇せらるるを以ての故

  • 身安楽行☞行處、親言處の別有

 行處とは心の行く處出常に心柔和に辱めを忍び真理を達観すること

 親言處☞第一親言處 常に坐禅を好み閑静なる處に親言して心を修養する

       第二親言處 天地宇宙の真相を観じ、此の眞實相に常に親言する

  • 口安楽行☞非難を口にするな、難問を受けたときは大乗の善法をもって之に答える
  • 意安楽行☞嫉み・諂い・誑く心無く佛に対し如く菩薩に対し恩師の想いを生ぜよ
  • 誓願安楽行☞總ての人を悉く皆救い助けんと誓願を立てよ
    • 以上智と學を主とした迹門分である

【本門分大意】

日蓮上人☞法華経ニ亦二經有、所謂迹門ト本門ト也 本迹ノ相違ハ水火天地ノ違目也

本門とは根本の法門の意にて生死の煩悩世界から寂静の極楽世界へ通ずべき唯一の通路ということ 娑婆世界廣と雖も生死の苦界を免れ出でんとすれば、佛教中法華経の一門より全く有る事無し 故に此の法華経を根本法門と名付け略して本門という

其の本を時間的に言えば久遠本時、空間的には本地の娑婆、人に約すれば本師釈迦尊、法についていえば本法妙經である 而して其の眞體は本佛妙法蓮華經尊である

此の妙法蓮華經尊が壽量品で教主釈迦牟尼佛に即して顕現 依って其の釈尊を本佛釈迦如来と申す 故に、本佛顕現して説き給うた本門の八品-自従地誦出品至屬累品-とそれ以外とは全く天地の相違生ずるのである

日蓮上人☞一切經ノ中ニ此壽量品マシマサバ天ニ日月ナク國ニ大王ナク山海ニ玉ナク人ニ魂魄無キガ如  されば法華經は生命は壽量品に依りて存する

【従地誦出品十五】

本門分の序・本・通の三論段

 ★序論☞従地誦出品始めより中段「當に精進して一心なる可 我此の事を説かんと欲す 乃至是の如きを今當に説く可 汝等一心に聴け」迄の五字偈四行

娑婆三千大千世界の地震裂し其の中より無数の大菩薩出現 中に上行菩薩・無邊行菩薩・安立行菩薩・安立行菩薩という四人の上首あり

 ★本論☞従地誦出品中段五字偈四行の後「爾時世尊是の偈を説き已りて彌勒菩薩に告給ふより、壽量品十六、分別功徳品十七の授記終了迄が本論

 ★通論☞分別品授記終了よりは後来の事に及ぶは末代の弘通である此れより嘱累品二十二(?)迄が通論となるか

【如来壽量品十六】

迹門分の中堅方便品は三止三請、本門の一大事本品壽量品は三誡三の上に重請重誡を加えられはじめて説かれる。

彼の彌陀の無量壽は實は無量壽ではない有量である。然し凡夫人の神心力及ばぬ程の過去を有して居るに依って之を無量壽と云うた。今佛釋尊は否らず、實に無始の古佛常住不滅の壽命を有して居る。彼は観經に於いて十劫正覺を説き、是は五百千萬億那由陀阿僧祇と明かす。彼の三部經に常住不滅の文義無く此經に文義朗然とある即ち、彼は有始有終の權佛、常住の粧ひを為せる無上の水月に過ぎず、此れは無始無終の實佛、常住不滅の天月である。

此の常住不滅は獨り釋尊の常住不滅ではなく霊魂の不滅とみることが出来る。

釋尊ト我等、苦樂明暗の差は有るが靈魂其ノ者の断然することなきは等しい。此れを以て當品を靈魂不滅論と見做すことが出来る。

【分別功徳品十七】

本論佛壽長遠を聞き大衆は眞理を直観するに至る。その巨益を佛は彌勒に十二部に分かち説く

本論部)迹門の授記は理論上之を許し本門は事実上之を證するという差がある。

通論部)四信五品☞佛の壽命長遠なるを聞いて親授する者の功徳

現在の四信:①一念信解 ②略解言趣 ③廣為他説 ④深信觀成

  • 布施・持戒・忍辱・精進・禅定の修行をする者よりも百千萬億倍以上の功徳がある
  • 若し進んで其の義趣を解せる者は如来の智慧を起こせる人
  • 廣く人の為に其の義を説く者は一切種智を生じる
  • 深心に信解する者は當に佛を見奉り娑婆世界の即寂光浄土なるを感知す

滅後の五品:①初随喜品 ②讀誦品 ③説法品 ④兼行六度品 ⑤正行六度品

  • 如来ノ滅後此ノ經ヲ聞キ毀訾セズシテ随喜ノ心ヲ起サン
  • 何ニ況ヤ之ヲ讀誦受持セン者
  • 若シ自ラ書キ若シハ人ヲシテ書カシム
  • 能ク是ノ經ヲ持チ兼ネテ布施等ヲ行ゼバ云々
  • 若シ人是ノ經ヲ讀誦シ受持シ他人ノ為ニ説キ云々

六度とは一般に六波羅蜜というので知られる:波羅蜜とは「到彼岸」の意 菩薩が生死の此岸より寂静の彼岸に到達せんとする方法

【随喜功徳品十八】

迹門分通論法師品に於いて五種法師を説き末代弘通の方法を示した 本門分、分別功徳品にて法華信仰の功徳を四信五品の階梯を仮りて説かれた。今更に一歩進めて詳細を説明せんとする☞一念信解の随喜の功徳を述べる

法華随喜の一行は根本的修行であり布施等の修業は枝末の細行であるを説く

【法師功徳品十九】

法華受持の功徳の詳説を随喜功徳品より始め當品に至る☞五種法師の名の下に功徳を説く

此の法華經を受持読誦解説書冩するものは眼耳鼻舌身意、皆清浄となるを詳しく説く

【常不經菩薩品二十】

前段にて法華受持の功徳を詳説六根清浄の果報を得ることを述べた。茲に其の先證を挙げ眞實なるを信じせしめる為に釋迦佛の過去譚を披露する

總て宗教の事は哲学と異なり、畢竟實際上に具体化するを以て目的をする者であるから事實ということに尤も重きを置くものである。

日蓮上人曰く:如何ニ人申ストモ即身成佛ノ人無クバ用ユベカラズ乃至大日經金剛頂經等ノ眞言經ニハ其人ナシ

如何に巧妙なる議論でも宗教に於いては先ず其の先證を示し後、其の經の力用を信ぜしむるが本當である 即ち、迹門分の觀持品二十行偈の法難の事実談及び本門分常不經菩薩品の釋尊経歴談にて法師功徳品の六根清浄の實果を示した

常不經とは釋迦牟尼、其時謗りしものは大會中の跋陀婆羅等のこと

【如來神力品二十一】

法華經末代弘通の任命☞如来十種の神力を顕す その後、従地誦出の上行菩薩に任を下す

  • 釋迦佛の廣き長き御舌が高く中天に懸かる
  • 一切の毛孔より無数の色光を放つ 
  • 一時に咳ばらいをされ
  • 指を鳴らされる
  • 此の二音聲徧く十方世界へ響き地皆六種に振動する
  • 十方の衆生皆佛の神力を以てこの有様を拝す
  • この時諸々の天人が虚空より高聲に釋迦牟尼佛が娑婆世界にて法華経を説く事を告ぐ
  • 人々は皆娑婆世界の向かって南無釋迦牟尼佛と唱える
  • 而して種々の珍寶を娑婆世界に捧げそれが聚まって寶の帳となる
  • 十方世界は一大佛國土と化し通達するに何の妨げも無いようになった

【嘱累品二十二】

嘱は授の義、累は受の義☞汝末代に於いて此の法を弘めよというが嘱、仰せに従い必ず布教致しますとお受けするのが累

神力品に於ける付属は上行菩薩に対し妙法蓮華經の屬累:塔中別付といわれる

屬累品に於いての付属は他の經々の總體の付属となる:總付属といわれる

  • 法華経の弘まる以前に他の經々は先駆を承り或いは其輔弼として任を果たす故に其の任命を總體に授けるので總付属といわれる

ここ迄が本門分通論可(❓)

【藥王菩薩本事品二十三】

此れより、所謂捃捨付属(クンジュフゾク)☞本門八品の大収終わりたりと雖も茲に個々物々の間に法華の功徳を賛じ其の妙用を示し末代修行に資する

藥王菩薩の過去談:本事とは菩薩の過去談の意、佛の過去談を本生というに対す

本文中の阿弥陀如来とは観無量壽經の彌十劫正覺の陀とは異なり、今は、五百塵點劫の久遠實成の釋迦如來の分身佛を指す

【妙音菩薩品二十四】 

此の品の主要成るは、如何に姿は卑しくとも佛菩薩を軽しめてはならぬ此の菩薩は三十四身に身を現ずる況や他の佛菩薩をやということ。さらに一歩進めて、末代法華弘通のものは如何程下劣なるも決して賤しんではならぬ。此れ即ち佛菩薩の變化の人であるから

【観世音菩薩普門品二十五】

妙音は三十四身東方の大士、観世音は三十三身西方彌陀の脇士。俱に他方來の菩薩。先に受けたる余深法中、示教利喜の妙文を東西相対して茲に其奉行をせんとするのである。

此の2菩薩共に妙法蓮華經の五字を頭に冠せるを以て知ることが出来るが、換言すれば妙法蓮華經の弘通の養護者たるを誓約するの一段と見ることができる。

観世音菩薩(法華經)=観自在菩薩(般若心経)

普門☞普門示現の意:如何なる所にても其身を顕し法を守り行者を救うという心の意

【陀羅尼品二十六】

陀羅尼とは總持と譯する語にて総べての義が漏らさず含まれているいう意味

印度語支那語に譯するに当たり到底多含多義の語を冩す適当の語無きを以て、また、秘密の義有、翻訳すればその効力を失するものと信ぜられ言語の音をそのまま寫したもの

神の約束語又は戦場に於いての合言葉のようなものともいわれ、」此の語を唱える者は諸仏諸神の守護を受けることが出来ると称されている。即ち呪言ともいわれる

日蓮宗に於いては五番の善神と呼ばれ尤も祈祷に大切な神と言われれている。就中、最後に顕れる鬼子母神及び其子と十羅刹女は法華の行者援護の総大将といわれている。

【妙荘厳王本事品二十七】 

前品は咒を以て法を守護する旨を明かし、今品では身を以て直接人間を守護する一例を示す。是は此れ妙音観音の三十三・四身の一班を顕すものと見ることが出来る。即ち即現婦女身、即現童男童女身の利益にて、悪王の為に后妃および王子と變現し佛教信者と為す一個の家庭訓ともいえる。

【普賢菩薩觀發品二十八】

觀發とは戀法の辞とあり法を戀い慕うて發起せしむるの意 

此の段は所謂再演法華なる一段

寶威徳上王佛の許より娑婆世界釋迦佛の説く法華經を聴聞せんと飛來した普賢菩薩の乞いに答え、法華經を滅後に於いて得るの4つの道を説いた

❶ 諸佛ニ護念セラル

❷ 諸々ノ徳本ヲ植エル

❸ 正定聚ニ入ル

❹ 一切衆生ヲ救ウ心ヲ發ス

此の四法は法華一部の廣説を約言したものである

普賢菩薩は法華弘通の行者を守護せんと守護陀羅尼を説く されば、末代法華經の義趣を得たるものあればそれは普賢菩薩の力に依ったといえる。この人は命終の時千佛來たりて手を授け悪道に至らしめぬ故に、必ず守護し此の法の弘布を断たしむる事無し


  • 五種法師法華経の所説によって分けられた五種類の法師。受持法師、読経法師、
  • 誦経法師、解説法師、書写法師をいう。ごしゅほうし。〔梁塵秘抄

〔法華経文句‐八・上〕☞「法華経」法師品に説く、修行者の五つのあり方。   受持・読経・誦経・解説・書写

  • 跋陀婆羅:跋陀婆羅菩薩はインドの言葉ではバドラパーラと呼ばれます。中国に入
  • り漢字に音訳され跋陀婆羅菩薩となりました。この跋陀婆羅菩薩は『首
  • 楞厳経』(しゅりょうごんきょう)に記されている菩薩で、十六人の菩薩
  • が風呂の供養を受けた際、跋陀婆羅菩薩をはじめ菩薩達が忽然として自
  • 己と水が一如であることを悟ったことが記されています。その因縁から
  • 浴室の守り本尊として、お祀りするようになりました。
  • 十大弟子:経典によって誰が十大弟子に入るかは異なるが、維摩経弟子品で
  • は出家順に]以下の通りである]
  1. 舎利弗(しゃりほつ)

パーリ語でサーリプッタ (Sāriputta、सारिपुत्त)。サンスクリット語でシャーリプトラ(Śāriputra)。舎利子とも書く。智慧第一。般若心経では仏の力を承けた観音菩薩の説法の相手として登場。また、阿弥陀経では仏の説法相手として登場するなど、多くの経典に登場する。

  • 摩訶目犍連(まかもっけんれん)

パーリ語でマハーモッガラーナ (Mahāmoggallāna、महामोग्गळान)。サンスクリット語でマハーマウドガリヤーヤナ (Mahāmaudgalyāyana)。 一般に目連(もくれん)と略称される。神通第一(じんずう・だいいち)。舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが、ともに仏弟子となった。中国仏教では目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が『盂蘭盆会』(うらぼんえ)の起源だとしている。

  • 摩訶迦葉(まかかしょう)

パーリ語でマハーカッサパ(Mahākassapa、महाकस्सप)、サンスクリット語でマハーカーシャパ(Mahākāśyapa)。大迦葉とも呼ばれる、頭陀(ずだ) 第一

釈迦の死後、その教団を統率し、第1結集では500 人の仲間とともに釈迦の教法を編集する座長を務めた。禅宗は付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の第2祖とする。

  • 須菩提(しゅぼだい)

パーリ語でもサンスクリット語でもスブーティ(Subhūti、सुभूति)。解空第一(げくう・だいいち)。金剛般若経等、を説く大乗経典にしばしば登場する[2]

  • 富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)

パーリ語でプンナ・マンターニープッタ(Puṇṇa Mantānīputta)、サンスクリット語でプールナ・マイトラーヤニープトラ(Pūrṇa Maitrāyanīputra、पूर्णमैत्रायनीपुत्र)。

略称として「富楼那」。他の弟子より説法が優れていた。説法第一

  • 摩訶迦旃延(まかかせんねん)

パーリ語でマハーカッチャーナ(Mahākaccāna、महाकच्चान)、サンスクリット語でマハーカートゥヤーヤナ(Mahākātyāyana)。論議第一。辺地では5人の師しかいなくても授戒する許可を仏から得た。

  • 阿那律(あなりつ)

パーリ語でアヌルッダ(Anuruddha)、サンスクリット語でアニルッダ(Aniruddha、अनिरुद्ध)。天眼第一(てんげん・だいいち)。釈迦の従弟。阿難とともに出家した。仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼をえた。

  • 優波離(うぱり)

パーリ語でも、サンスクリット語でもウパーリ(Upāli、उपालि)。持律第一

もと理髪師で、階級制度を否定する釈迦により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた。

  • 羅睺羅(らごら)

パーリ語でも、サンスクリット語でもラーフラ(Rāhula、राहुल)。羅雲とも書かれる。密行第一(みつぎょう・だいいち)。釈迦の長男。釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧) となる。そこから、日本では寺院の子弟のことを仏教用語で羅子(らご)と言う。

  1. 阿難陀(あなんだ)

パーリ語でも、サンスクリット語でもアーナンダ(Ānanda、आनन्द)。阿難とも書く。多聞第一(たもん・だいいち)。釈迦の従弟。nandaは歓喜(かんぎ)という意味がある。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の付き人をした。第一結集のときアーナンダの記憶に基づいて経が編纂された。120歳まで生きたという。無量寿経等に仏の説法相手として登場する。