タグ別アーカイブ: #処世哲学

一日一話 松下幸之助

三月の言葉

人はいさ心も知らず古里の
花ぞ昔の香ににほひける              紀貫行


*一日 本当の勇気

私は一般的に本当の勇気と云うものは一つの正義に立脚しないことには、又良心に顧みて之が正しいと思わないことには湧いてこないと思うのです。だから勇気が足りないという事は何が正しいかという事の認識が非常に曖昧である処から出ている姿ではないかと云う感じがします。人々が其々に自問自答して何が正しいかという事を考える。そしてこの正しい差は絶対譲れない。この正しさは通さなければいけないという確固とした信念を持つならば、そこから出てくる勇気は例え気の弱い人であっても非常に力強いものとなる。そう云う様な感じを私は持っているのです。

  • 1930年(S5)谷口雅春生長の家設立
  • 今日は労働法施行の日
  • memoー正義感

*七日 大西郷の遺訓(

西郷隆盛が次のような遺訓を残している。国に功労がある人には禄を与えよ。功労あるからと云って地位を与えてはならない。地位を与えるには自ずと地位を与えるに相応しい見識が無ければならない。功労があるからと云って見識の無いものに地位を与えるという事は国家崩壊の基となると。是は国の事であるが事業経営についても同じことが言える。あの人は会社に大きな功労がある。だから重役にしようとなりがちであるが、この点充分に注意しなければいけない。飽く迄も功労ある人には賞を以て報いその見識ある人に地位を与えることが大事だと思う。

  • 今日は消防記念日
  • Memo-PBFile12南洲手抄志録・遺訓 

*十日 日本の伝統精神

私は日本の伝統精神は極めて優れたものだと思います。ではその伝統精神とは何か。その一つは和を以て貴しとする平和愛好の精神です。凡そ千四百年も前にこの和の精神が聖徳太子によって掲げられています。第二は衆知を以て事を決すと云うつまり民主主義です。古事記にも八百万の神々が相談をして事を決したとあります。日本は真の民主主義の本家本元だと云えるでしょう。第三は主座を保つ。古来日本人は常に主座を失わずに外来のものを朱か吸収し日本化して来ました。この和、衆知、主座と云う三つの柱を守っていくことは、今後においても大切ではないでしょうか。

  • 1945年東京台空襲 陸軍記念日
  • Memo-安岡正篤「百朝集」59六然
  • 随所ニ主ト為バ立処皆眞➡臨済義玄禅師

*十一日 塩の辛さは舐めてみて

例えば水泳の先生が三年間講義をしたとします。それでその講義を受けた人がすぐ泳げるかと云いますと、必ずしも泳げないと思うのです。又塩の辛さと云うものでも、塩を舐めさせることをしないで、塩は辛いぞと云っても判らないでしょう。塩の辛さは舐めてみて初めてああこれが塩の辛さやなと判る分けです。処世のコツとでも申しますかお互いの人生に於いて大切な事柄を会得するということも、事を行ってそのやったことを仔細に考え検討してゆくところから始めて可能になるのではないかと私は思います。

  • 2011年(H23)東日本大震災M9・津波39m
  • 福島原発破壊
  • 今日はパンダ発見の日 
  • Memoー実践行動

*十四日 人間疎外は人間が生む

現代文明における科学技術の発達によって人間が軽視され忘れられているという事が問題になっています。そういった人間疎外を失くす為には常に人間の幸せという事が前提にされなくてはなりません。何故こう云う新しい機会を造るのか、それは人間の幸せの爲である。という事が何時も考えられそれに基づく配慮が為されるならばどんな機械が生み出されて使われても人間疎外は起こらないと思います。現実に人間疎外の様な観を呈しているのは、機械が人間を疎外しているのではなく人間自身が人間自身を大事にせず、人間疎外を生んでいるのではないでしょうか。

  • 1939年(S14)ナチスドイツチェコスロバキア併合
  • 1965年(S40)イリオモテヤマネコ発見
  • 今日はホワイトデー

*十七日 修養に場所を選ぶな

人は若い時の心がけ如何に拠り後に随分差の生じるものである。若し若い時代に自己実力の養成に励まず修養に努めなかったならば、必ず後年後悔をする時が来ると思う。然るに若い人の間では、この仕事は自分に合わないあの主任の下ではどうも働き甲斐がないと、不足を漏らす人がある。これは自己中心のものの考え方の弊害であろう。真に自己の適所を見出す迄には色々経験を積まなければならない。又性格意見の異なった指導者の下で自己を磨く事によってこそ、却ってよりよく修養が得られるものであることを深く知らなければならないと思う。

  • 今日は漫画週刊誌の日

*二十日 まず自分から

反省を求める者には反省を求める。又自分達に於いて反省すべき点があれば、大いに反省して協力体制をとってゆく。そう言うことを誰かが言い出し誰かがやらねばならないのに、誰もが非常な安易感に浸ってしまって成り行き任せ他人任せになってしまっている。それが日本の現状でしょう。是では物事は好転しません。今日一日が過ぎれば明日は明日の風の吹くだろうと云う様な、事なかれ主義は何時か行き詰ります。お互いに全体として考え直そうという行き方を誰かではなく、まず自分が生み出さなくてはならないことを深く自覚すべきと思うのです。

  • 1995年(H7)オウム真理教の地下鉄サリン事件 
  • 2005年(H17)福岡西方沖地震
  • 今日はミニチュアの日・動物愛護デー
  • Memo-自覚を持つ

*二二日 迷いと判断

私は極小の商売から今日迄の間例えば新しい仕事をすべきか否かを決める場合、全部ひとりで決断してきたかと云うと決してそうではありません。自分はやりたいと思うけどそれだけの力があるかどうか自分で判断がつかない時も実際ありました。そういう時には如何したかというと第三者にすっかり打ち明けて、今こう言うことで迷っているんだ君ならどう思うかと尋ねました。それは松下君あかんで・君の力やったらやれると色々言ってくれる。迷った時には私は得心の行く迄他人の意見を聞いてみるという事を遣り乍ら段々大きくなってきたのです。

  • 今日は放送記念日 
  • Memo― 報連相

*二四日 協調性を持つ

みなさんが其々の会社の社員である以上多数の同僚と相接して仕事をしなければならないということになりますから、人の立場を重んじない所謂協調性の少ない人は困ると思うのです。自分はこう思うがあの人はああ思うのだな、それも一つの考えだろうなと云うように人の言に耳を傾けると云う所に協調性が成り立つのです。勿論自己と云うものを卑屈にして協調せよと云うのではありません。けれども自己に捉われた主張は協調性を欠きます。この点どの様な立場にいようと考えなければならない非常に大事な問題ではないかと思います。

  • 2020年(R2)新型ウィルス感染多発状況の為東京オリンピック開催延期を決定
  • 今日は世界結核デー
  • Memo-至人は己無し・神人は功無し(荘子)
  • 自己中心➡無私公正

*二八日 身を捨てる度胸

人生と云うものには色々な問題があります。併しそれらの事も過ぎ去ってみるとあの時に迷わないでやって本当によかったなと云う様な場合が多いのです。そこが大事なところだと思います。ある場合には迷うこともあるでしょう。併し所詮迷ってもお互い自分の知恵裁量というものは本当は小さなものです。だからこれはもう仕方がない。此処迄のだからこれ以上進んで結果が上手くいかなくでもそれは運命だ。と度胸を決めてしまう。そうした場合には案外困難だと思っていたことがスムーズにいって、寧ろ非常に良い結果を生むという事にもなるのではないかと思うのです。

  • 1979年(S54)米スリーマイル島原子力発電所事故発生 
  • 今日はシルクロ―ドの日
  • Memoー去私・捨身

*三一日 道は無限にある

お互い人間と云うものは常に自ら新しいものを呼び起こしつつ為すべきことを成していくと云う態度を忘れてはならないと思います。

お互いが日々の生活、仕事の上に於いてそういう心構えを持ち続ける限り、一年前と今日の姿には自ずと其処に変化が生まれてくるでしょうし、又一年先五年先には更に新たな姿、仕事の進め方が生まれ個人にしろ事業にしろ其処に大きな進歩向上が見られるでしょう。大切なことはそう言うことを強く感じて熱意を持って事に当ると云う姿勢だと思います。そうすれば当に道は無限にあると云う感じがします。

  • 今日はオーケストラの日
  • Memo‐姿勢の在り方 融通無碍

20日の言葉などは、今の日本の現状を言い表している様な重みのある言葉だと思う。事なかれ主義・無関心・責任転嫁が生んだ現状はもう既に行き詰まりの社会環境の様相を呈している様にも感じられるが・・              打開できるのはやはり見識あるリーダーの出現だろう。

一日一話 松下幸之助

九月の言葉

秋の田のかりほの庵の苫をあらみ 我が衣手は露にぬれつつ     天智天皇

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: image.png

今朝九月草樹みづから目覚め居て    中村草田男

*二日 経営のコツを掴む

多くの会社の中には非常に上手くいっているところもあれば反対に行き詰る様な所もある。上手くいっている処は従業員が皆優秀で行き詰る処はその反対かと云えば決してそうではない。結局其処に経営があるかないか言い換えれば経営者が、経営のコツを掴んでいるか如何かに拠ってそうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に経営者一人が代わる事で倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。経営のない会社はいわば頭の無い人間の様なものである。経営者が経営のコツを掴んでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

  • 今日は宝くじの日 Memo―経営者の決断

*七日 徳性養う

人間が人間を動かす事は中々容易な事では無い。力で或は理論で動かす事も出来ない事は無い。然しそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは徳を持って所謂心服させると云う事だと思う。指導者に人から慕われる様な徳があって初めて指導者の持つ権力その他諸々の力も生きてくる。だから指導者は努めて自らの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも反対する者敵対する者を自らに同化せしめる様な徳性を養う為、常に相手の心情を汲み取り自分の心を磨き高める事を怠ってはならないと思う。

  • 1939年(S14)泉鏡花逝-泉鏡花忌
  • Memo―山本七平「人間集団における人望の研究」近視録 易➡元享利貞

*九日 師は無数に存在する

手近に親切な指導者先輩がいて自分を導いてくれる、そう云う人が会社にいる人は幸せだと思います。併し見方に拠れば指導者のいない処にこそ自らの発展と云うものが考えられると云う事も言えるのではないかと思います。蓄音機や白熱電灯等を発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。其れで自らあらゆる事物に関心を持ち其処に指導者を見出しました。汽車に乗れば石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出した訳です。自らを開拓する気持ちに為れば往く道は無限に開かれている師は無数に存在している。

  • 今日は重陽の節句

*十一日 個人主義と利己主義

今日個人主義と利己主義が混同されている嫌いがあります。本来の個人主義と云うのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が一人の個人が尊いと云う事は同時に他の個人も尊いと云う事になります。ですから個人主義は云わば他人主義にも通じる訳です。其れに対して利己主義と云うものは自分の利益を先ず主として考え他人の利益をあまり重んじない姿です。今日ともすれば個人主義が誤り伝えられて利己主義に変貌してしまっている感がありますが、この画然とした違いをお互いに常日頃から知っておく必要があると思うのです。

  • 2001年(H13)米同時多発テロ発生
  • 今日は公衆電話の日 

*十八日 豊かさに見合った厳しさ

暮らしが豊かになれば成程一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。つまり貧しい家庭なら生活そのものに由って鍛えられるから親に厳しさが無くても労りだけで十分子供は育つ。けれども豊かになった段階に於いては精神的に非常に厳しいものを与えなくてはいけない。その豊かさに相応しい厳しさが無ければ人間は其れだけ心身共に鈍ってくる譯である。然るに今の家庭にはそう云う厳しさが足りない。政治の上にも教育の上にも足りない。其れが中学や高校の生徒が色々と不祥事を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

  • 1931年(S6)満州事変勃発
  • 今日はカイワレ大根の日
  • Memo―道徳倫理修練

*二二日 平和の為の前提条件

平和が大切だと云う事は何千年も前から唱えられているにも拘らずその一方では戦争をしている。甚だ如きは平和の爲の闘争とか戦争と云ったことが、口にされ行われていると云うのが過去現在における人間の姿だと云えましょう。それではその様な状態を脱却し平和を実現する前提として何が必要かと云うと人間としての意識革命ではないかと思います。詰り真の平和と云うものをはっきり見極め心からそれを切望すると云う様な、一人一人の意識革命が一国の政治の上にも教育の上にも醸成されていくならば求めずして平和は生まれてくると思います。

  • 今日は孤児院の日 
  • Memo―国際的徳育

*二五日 信賞必罰

信賞必罰即ち罰すべき罪過ある者は必ず罰し賞すべき功ある者は必ず賞せよということ。是は人間が存在する限り程度の差はあっても絶対に必要な事であろう。此れが行われない国家社会は次第に人心が倦みやがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない会社集団家庭何処に於いても是は決して蔑ろにされてはいけない事だと思う。唯ここで大事な事は信賞必罰と云っても常に適時適切でなければならないと云う事である。是は微妙にして非常に難しい事で之が当を得なかったならば却ってことを誤ってしまう。

  • 今日は10円カレーに日
  •  Memo―韓非子

*三十日 感謝する心

今日の社会に於いては我々はどんなに力んでみた処でただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人々又人ばかりでなく、周囲に存する物や環境更には自分たちの祖先や神仏自然の恵みの下に暮らしてくる。そう云うものに対して素直に感謝する心を持つと云う事は人として謂わば当然の事であり決して忘れてはならない態度だと思う。若し其云う感謝の心を持たないと云う事に為るならばお互いの生活は極めて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ他人の立場も尊重して行動すると云う事も可能になってくる。

  • 今日はクルミの日

※ 論語による徳性

 民可使由之 不可使知之(泰伯篇)                   民は之を(之に)由らしむべし 之を知らしむべからず

これをどう解釈するか? で本当に論語を行動の指針にできているかどうかがわかるらしい。

安岡正篤師はその著書「論語・老子・禅」の中でこう説明しています。

これは誰知らぬ者の無い言葉であって実に誤用されておる。戦後の事ですがある会合に出たところ、相当な代議士が「もうー民は之を由らしむべし、知らしむべからずーのような封建的思想の時代は去った今やー民は大いに知らしむべし、由らしむべからずーという民主主義の時代になった」と言って得意げに演説しておった。私もちょっと茶目っ気をだして後で「こういうお話であったが、実にとんでもない事だ。あれは孔子の云った言葉だが、孔子ともあろう人が、今あなたが云った様な事を謂うでしょうか」と言ったら目を白黒させて「違いますか」と訊くので「大違いです」と言ってひとくさり説明してあげたことがある。    「民は之を知らしむべからず」を民衆に知らせてはいけないと解釈するから間違ってくるので、第一天下の為、人間を救う為に生涯を捧げた孔子がそういう事を謂う筈がない。                                     民衆というものは常に自分に都合のいい、その場その場の事ばかり求めておるので、本当の事だとか、十年・百年の計だとかいう様な事は判らない。従ってそれを理解させるのはなかなかできない事である。そこで、兎に角訳は判らぬがあの人のすることだから俺はついていくのだ。という風に民衆が尊敬し、信頼する様にせよと言う事で、由らしむべのベシは命令のベシであるが、知らしむべしのベシのほうは可能・不可能のベシである。従ってそれを知らしめよ、由良らしむなと解釈すれば、民は信頼尊敬させてはいけない、宣伝して誤魔化せば好いと言う事になってしまう。少し考えれば判る事だけれども、そういう浅はかな誤随分多い多い。人間というものは難しいものであります。云々

安岡正篤師が云っていることも、要は松下幸之助翁の云う「徳性を養う」(7日)ということの様ですね。今の政治家・指導者・経済界のトップはこういう言葉を知っているのでしょうか?