世に神を見たとか神の声を聴いたとか云う
一種の神秘的体験を奇瑞として狂喜するも
のがある。
其れは必ずしも迷信とか精神病的現象とし
て貶すべきものではない。
人間は物質的な世界に在りながら無限に
拡がっておる不可思議な世界に遊ぶこと
はできる。然し其れは中々以てそう簡単な
ムシに好い沙汰ではない。
瑞祥だと思っておることが案外不詳である
かも知れない。不詳だということは内心に
対する警告である。
何事も自己の内心を通じて始めて真実の
意義があるので徒らに外物を欲しがる限り
真実の意義は判る物ではない。その迷妄が
無暗に瑞祥や不詳を創り出すのである。
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この私を救わずして神も仏もあるものではない。
然しまた私が私たちが救われないのは神・仏の
力が足りぬからなどと云う事では決してない。
それは私たちに相手の発するメッセージを受信
するための何かが欠けているからかもしれない。
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そういう因果の関係を数と謂う
良く数に通じて現実の裏表を熟知すれば
相当に予言は当るものである。
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私たちの正常な目覚めているときの意識という
ものはあくまで意識の一特殊型に過ぎないので
あってこの意識の周りをグルッと取り巻き究め
て薄い膜でそれと隔てられそれとはまったく
違った潜在的ないろいろな形の意識があるのだ。
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要するに一歩飛んでみると云う事です。
それも今までの理性理屈による思考の延長として
前に飛ぶのではなく横に飛んでみることです。
今迄の心の軌跡を断ち切る形で思考の軌道を
ずらして変えて横に飛んでしまうということ❢
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ご紹介したこれらの言葉は安岡正篤師と
石原慎太郎氏の著書からの引用です。
引用した本は下記のとおり
安岡正篤著「百朝集」
石原慎太郎著「法華経を生きる」
ご興味のある方は秋の夜長読んでみる
のもいいかもしれません。
運命をいい方向へ向かわせるきっかけと
なるかもしれない言葉や判断に迷った
時の考え方の参考になる言葉又生き方
そのものを変えるような言葉がたくさん
詰まっている素晴らしい著書です❕❢❕
若し何かに悩んでいるようなことがあれば
これらの本に限らずいろんな本の中から
「一転読」-一度読んだらひっくり返った
と云う様な心に響く読み方が読んだ本の中で
一か所でもできればきっとそれは今後の皆様
の血肉となって目の前が開けてくるのでは
ないでしょうか?