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松尾芭蕉句集からⅢ

芭蕉句作の変遷

新潮社古典文学集成芭蕉句集解説(今栄蔵筆)より抜粋

新潮社古典文学集成「松尾芭蕉句集」の今栄蔵氏の解説を引用しながら、俳聖と呼ばれた松尾芭蕉の、作風の変化を年代を追って並べてみました。今回は3回目です。

  • 文脈は一部入れ替えた部分有、年代がなるべく時系列で追える様に本文にはない年号を記入するとともに本文にない見出しを付した。
  • 荘子哲学と禅の思想的影響

芭蕉に於ける荘子の影響は絶大であった。これからの芭蕉は世俗的な価値観の束縛をかなぐり捨て、一切の功利主義的なものと絶縁し隠者の境涯に徹し、一筋に純粋に、文学の真実を求める事だけに生涯を捧げる事に成るのである。

古典と古人の魂に直結し、更に是に現実体験の中から掴んだ実感・感受性が相乗されて精神価値への上昇志向が高まってくると、言葉や観念の知的遊戯、古典の詩句のもじり趣味等、最早無意味なものに帰するのも必然であろう。そんな中で芭蕉は時流に先んじて本歌本説取りからの脱皮を志し、まともな感受をストレートに表現する方法を探り始める。

芭蕉は延宝末年(1680)の人間的煩悶の中で己の弱さに悩み「学んで愚を悟らん」笈の小文)として佛頂禅師について参禅修学をして来た。芭蕉の文学のあるものに禅機が感じられるのは此処に由来するものであろう。

【哲学影響下の芭蕉句例】

  ばせを植ゑてまづ憎む荻の二葉哉 (141)   バセヲウエテ マヅニクムオギノ フタバカナ

 五月雨に鶴の足短くなれり    (143)   サミダレニ ツルノアシ ミジカクナレリ

 氷苦く偃鼠が喉をうるほせり   (150)   コオリニガク エンソガノドヲ ウルホセリ

  鶯を魂にねむるか嬌柳      (163)   ウグイスヲ タマニネムルカ タヲヤナギ

 霰聞くやこの身はもとの古柏   (170)   アラレキクヤ コノミハモトノ フルカシワ

 蝶よ蝶よ唐土の俳諧問はん    (173)   チョウヨチョウヨ モロコシノハイカイ トハン

実感の表出を妨げる寓言的非論理も次第に影を潜め知巧を洗い流した正常な文体の中で自己の感受を表出する道に到達する。

これ等の中には最早知巧の陰はない。沈静した文体の中に心が通っている。是がこの模索期の中で芭蕉の探り当てた新俳諧の最初の典型的な姿だった。

野ざらし紀行☞模索2:貞享期1684-1687(41歳~44歳)前半

貞享元年(1684)芭蕉ははじめての文学行脚に旅立つ。貞享元年8月~貞享2年4月

此の旅は延宝8年(1680)-37歳-以来深川の草庵にあって、人間的にも文学的にも真剣な思案を重ねた末に漸く目に見えて来た文学的新境地を、日々新たに繰り広げられる新鮮な経験の中で実践するに格好の場となった。

「千里に旅立ちて路粮を包まず。三更月下無何に入る、と言ひけん昔の人の杖にすがりて貞享甲子秋八月、江上の破屋を出づるほど、風の声そぞろ寒げなり」野ざらし紀行冒頭

☆ 千里に旅立ちて→荘子「逍遥遊篇」千里ニ適ユク者ハ三月糧を聚アツム

☆ 路粮ロカテを→中国禅僧詩集「江湖風月集」の詩句:路粮ヲツツマズ笑ヒテ復歌フ、三更月下無何ニ入ル 広聞和尚

☆ 無何→荘子「逍遥遊篇」無何有之郷:有無を超越し一切の執着を離れ切った人間精神の理想郷を表す

【芭蕉句例】本文190­~258蕃収録 後期1

  野ざらしを心に風のしむ身哉   (190)   ノザラシヲ ココロニカゼノ シムミカナ

猿を聞く人捨子に秋の風いかに  (194)   サルヲキク ヒトステゴノアキノ カゼイカニ

  道の辺の木槿は馬に喰はれけり  (195)   ミチノベノ モクゲハウマニ クハレケリ

晦日月なし千歳の杉を抱く嵐   (197)   ミソカツキナシ チトセノスギヲ ダクアラシ

手に取らば消えん涙熱き秋の霜  (201)   テニトラバ キエンナミダ アツキアキノシモ

  僧朝顔幾死に返る法の松     (203)   ソウアサガオ イクシニカヘル ノリノマツ  

砧打ちて我に聞かせよや坊が妻  (205)   キヌタウチテ ワレニキカセヨヤ ボウガツマ

秋風や藪も畠も不破の関     (210)   アキカゼヤ ヤブモハタケモ フワノセキ

  狂句木枯の身は竹斎に似たる哉  (223)   キョウクコガラシノ ミハチクサイニ ニタルカナ

  草枕犬も時雨るるか夜の声    (224)   クサマクラ イヌモシグルルカ ヨルノコエ

海暮れて鴨の声ほのかに白し   (227)   ウミクレテ カモノコエ ホノカニシロシ

  春なれや名も無き山の朝霞    (232)   ハルナレヤ ノモナキヤマノ アサガスミ

水取りや氷の僧の沓の音     (233)   ストリヤ コオリノソウノ クツノオト

世に匂へ梅花一枝のみそさざい  (235)   ヨニニホヘ バイカイッシノ ミソサザイ

山路来て何やらゆかし菫草    (239)   ヤマジキテ ナニヤラユカシ スミレグサ

いざともに穂麦喰はん草枕    (250)   イザトモニ ホムギクラハン クサマクラ

直門の許六が後年「道の辺」の句を持って「談林を見破り正風体を見届け」た最初の作として称揚している(歴代滑稽伝)

☆ 正風体とは宗因風の寓言的無心所着体と正反対の、和歌連歌的な温雅な文体を指す用語

野ざらしの旅中作のほとんどは既に正風体に帰している。

この様にして芭蕉は旅中の實作を通して寓言の宗因風とも晦渋な天和風ともほぼ完全決別し、正風体の中に新たな俳諧の方向性を見出すに至った。

貞享期(超俗唯美の句境)☞模索31684-1687(41歳~44歳)後半

野ざらしの旅を終へた後、貞享四年十月再び近畿の旅に赴くまでの約二年半、即ち貞享中期の芭蕉は、野ざらしの旅で得た句境に更に磨きをかけその芸術的深化を求めて思索と実践を繰り返す。

貞享三年(1686年)正月芭蕉江戸門下による百韻連句→「丙寅初懐紙」巻頭八句

日の春をさすがに鶴の歩み哉    其角    ヒノハルヲ サスガニツルノ アユミカナ

    砌に高き去年の桐の実     文鱗    ミギリノタカキ コゾノキリノミ

  雪村が柳見にゆく棹さして     枳風   セツソンガ ヤナギミニユク サオサシテ

    酒の幌に入相之月       コ斎    サケノトバリニ イリアイノツキ

  秋の山千束の弓の鳥売らん     芳重    アキノヤマ チソクノユミノ トリウラン

    炭竈こねて冬のこしらへ    杉風    スミガマコネテ フユノコシラヘ

  里々の麦ほのかなる群緑      仙化   サトサトノ ムギホノカナル ムラミドリ

    わが乗る駒に雨覆ひせよ    李下    ワガノルコマニ アマオホヒセヨ

茲では天和の生硬な漢詩文調や晦渋さは最早全く影を潜め、温雅な文体に託された、美的なるもの、超俗的な詩境へのひたすらな志向があるばかりである。そうした謂わば唯美主義的な風がこの頃の芭蕉と蕉門の芸境として定着していたのである。

ものを見る目の新しさ、自然や人生に内在する未開拓の新しい洞察と言った方向に焦点が集中されるに至っている。それは芭蕉俳諧が本格的な芸術の段階に入った事を明確に示すものである。→「新しみ

【芭蕉句例】本文259~319蕃収録 後期2

幾霜に心ばせをの松飾り      (261)   イクソモニ ココロバセヲノ マツカザリ

よく見れば薺花咲く垣根かな    (263)   ヨクミレバ ナズナハナサク カキネカナ

  古池や蛙飛びこむ水の音    (270)   フルイケヤ 蛙トビコム ミズノオト

鸛の巣に嵐の外の桜哉       (293)   コウノスニ アラシノホカノ サクラカナ

  花の雲鐘は上野か浅草か    (294)   ハナノクモ カネハウエノカ アサクサカ

      〈物皆自得〉

  花みな枯れてあはれをこぼす草の種 (276)  ハナミナカレテアハレヲコボス クサノタネ

花に遊ぶ虻な喰ひそ友雀      (291)   ハナニアソブ アブナクラヒソ トモスズメ

永き日も囀り足らぬひばり哉    (295)   ナガキヒモ サエズリタラヌ ヒバリカナ

原中やものにもつかず啼く雲雀   (296)  ハラナカヤ モノニモツカズ ナクヒバリ

ほととぎす鳴く鳴く飛ぶぞ忙はし  (298)   ホトトギス ナクナクトブゾ イソガハシ

起きあがる菊ほのかなり水のあと  (318)   オキアガル キクホノカナリ ミズノアト

痩せながらわりなき菊乃蕾哉    (319)   ヤセナガラ ワルナキキクノ ツボミカナ

  • 物皆自得とは荘子哲学の自然観を象徴する語で、万物は皆夫々の本然ノ天性に随い、その分に安んじて楽しんで生きているとの意。

その背景は天地の間に或る森羅万象の一切を宇宙の根源的な「道」―大自然の理法―の自ずからなる顕れと観、従って人間も美しい花も鳥も、醜い虫けらも路傍の雑草や石ころも、この「道」の前では一切が平等の価値を有し万物は其々に道即ち大自然の真理を内に宿しているとする荘子の哲学の最も根本的な哲理に支えられている。

つづき