新潮社古典文学集成芭蕉句集解説(今栄蔵筆)より抜粋
新潮社古典文学集成「松尾芭蕉句集」の今栄蔵氏の解説を引用しながら、俳聖と呼ばれた松尾芭蕉の、作風の変化を年代を追って並べてみました。今回は5回目最終回です。
- 文脈は一部入れ替えた部分有、年代がなるべく時系列で追える様に本文にはない年号を記入するとともに本文にない見出しを付した。
【かるみの秀句例】―完成期―(本文752~922蕃収録)
元禄5年(1692年)~元禄7年(1694年) 芭蕉49歳―51歳
奥羽行脚発足依頼約二年半ぶりに江戸にもどるがそれ以後の芭蕉の俳諧生活は唯只管「かるみ」の唱導に明け暮れるふうであった。
鶯や餅に糞する縁の先 (754) ウグイスヤ モチニフンスル エンノサキ
炉開きや左官老い行く鬢の霜 (777) ロビラキヤ サカンオイユク ビンノシモ
塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店 (780) シオダイノ ハグキモサムシ ウオノミセ
鞍壺に小坊主乗るや大根引 (828) クラツボニ コボウズノルヤ ダイコヒキ
煤掃は己が棚つる大工かな (836) ススハキハ オノガタナツル ダイクカナ
梅が香にのつと日の出る山路哉(841) ウメガカニノ ツトヒノデル ヤマジカナ
六月や峰に雲置く嵐山 (874) ロクガツヤ ミネニクモオク アラシヤマ
夏の夜や崩れて明けし冷し物 (880) ナツノヨヤ クズレテアケシ ヒヤシモノ
名月に麓の霧や田の曇り (898) メイゲツニ フモトノキリヤ タノクモリ
名月の花かと見えて綿畠 (899) メイゲツノ ハナカトミエシ ワタバタケ
ぴいと啼く尻声悲し夜の鹿 (906) ピイトナク シリゴエカナシ ヨルノシカ
菊の香や奈良には古き佛達 (907) キクノカヤ ナラニハフルキ ホトケカナ
秋の夜を打ち崩したる咄かな (914) アキノヨヲ ウチクズシタル ハナシカナ
この道や行く人なしに秋の暮 (916) コノミチヤ イクヒトナシニ アキノクレ
この秋は何で年寄る雲に鳥 (918) コノアキハ ナンデトシヨル クモノトリ
秋深き隣は何をする人ぞ (921) アキフカキ トナリハナニヲ スルヒトゾ
中でも死のいよいよ近くなったころに詠んだ最後の4句には、芸術を人生とし、人間と人生の探求に後半生のすべてを捧げたともいえる人生詩人に深々とした人生詩を読みとることが出来る。
芭蕉没後間もない元禄八年(1695)六月、杉風から甲州谷村藩家老で芭蕉の熱心な門人だった高山麋塒タカヤマビジに伝達された文面(抄)
- 翁(芭蕉)近年申し候は「俳諧は和歌の道なれば、兎角直なるやうに致し候へ」
一、「段々句の姿重く、理にはまり、むつかしき句の道理いりほが(穿ち過ぎ)に罷りなり候へば、皆只今の句体打ち捨て、軽く安らかに不断の言葉ばかりにて致すべし。茲を持って直也」と申され候
一、「古来来歴致すべからず。一向己の作なし」と申し置き候
一、「古人も賀の歌その他作法の歌に面白きことなし、山賤ヤマガツ・田家デンカ・山家の景気(景色)ならでは哀れ深き歌なし。俳諧もその如し、賎シヅのうはさ(庶民に関する話題) 田家・山家の景気専らに仕るべし。景気、俳諧には多し。諸事の物に情有り、気を付けて致すべし.不断の所に昔より謂ひ残したる情け山々あり」と申し候
- 翁、「近年の俳諧(かるみの俳諧)、世人知らず、古きと見えし(かるみを不利と誤解す
- る)門人どもに(かるみの句の)見様申し聞かせ候。一遍見てはただかるく、埒も無く不断の言葉にて古きやうに見え申すべし。二遍見申しては、前句への付けや合点生き申すまじく候。三遍見候はば、句の姿(句柄)変りたるところ見え申すべし。四編見申し候はば、言葉古きやうにて句の新しきところ見え申すべし。五遍見候はば、句は軽くても意味深きところ見え申すべし」と申され候。
以上
※注 句の解釈・解説は新潮社古典文学集成「芭蕉句集」本文参照、( )内に順番号記載、または多くの解説書等を参考にしてください。ここでは割愛し、その時期時期に於ける句調の変化をみるべく特徴的句のみを挙げています。
今 栄蔵(こん えいぞう、1924年(大正13年)1月1日 -)
【芭蕉研究の第一人者】
日本の国文学者。中央大学名誉教授 青森県青森市生まれ。小樽高等商業学校卒、北海道大学文学部卒、京都大学旧制大学院修了。杉浦正一郎・野間光辰に師事。鹿児島大学助教授、大谷女子大学教授、中央大学文学部教授。1994年定年退官、名誉教授。専門は初期俳諧、芭蕉書簡、伝記研究。(NET情報)