松下幸之助さんはよく
20万円の給料ならばせめて40万
出来れば100万円程の働きをしな
いと会社への貢献/社会への貢献は
出来てないどころか会社に負担を
かけていることになる謂わば無駄飯
を食べているのと同じと云う様な
ことを折に触れておっしゃっています。
直接関係のない私たちにとっては
プラス思考・上昇志向でいつもニコ
ニコという感じがしていましたが
こと仕事に関しては大変シビアで
厳しい指導をされていたようですヨ。
たとえばある新製品開発の会議などでは
「言っている目標達成できなかったら君の
生首をここに差し出してくれるか?」など
という迫力ある発言もあったそうです❢❢
しかし 当然と云えば当然ですね!
給料分以上と云っても長く働けば
よいと謂うわけでもなく特に昨今は
働き方改革などと謂う事で効率よく
能率的に仕事を処理して時間に余裕
を持たせると云う事も大切な能力だ
ということになります。
近頃はあまり使われていないような
気がしますが気働きというものも給
料分以上の働きの一つに数える事が
出来るかもしれません。
或る意味挨拶と同様に組織の運営をスム
ーズにしていく潤滑油の様なものです
から会社の成績にあまり目だった貢献
とは映らないかもしれませんがお互い
のコミュニケーションにも役立ち牽い
ては全体の成績アップにつながってい
くのではないでしょうか?
気働きのある人とまたはない人と一緒に
仕事をするのでは結果的に雲泥の差が出
てくるともいえます。
会社においてまた一般社会においても
働き方と気働きとは言葉を替えると
法律と道徳と譬える事が出来るかも
しれません。
法律は破れば罰せられますつまり最低の
基本的ルール 道徳は守っても守らなく
ても罰せられると云う事はありません。
然し道徳を守れない人のまわりにいるのは
居心地が悪いと云う事は否めませんね!
と謂う事は知らぬ間に敬遠される存在と
なってしまうと云う事にもなりかねません。
気働きとは他人(仲間)を思う高度な精神性に
基づく行動の顕れなのではないでしょうか?
一朝一夕に出来る事ではありませんし
人から注意されたからといって出来る事
でもありません。
相手の事を思いやりながらその中で
矢張り自分で気づいていくことが一番!
という事でしょうか?
松下幸之助さんはこうもおっしゃっています⇒
「人間の生活は全ての事が自分一人ではできない・・・
貰うばかりで与えるものが無いというのでは役に
立たない此れはマイナスである。プラスとマイナス
がゼロ以上でなければ役に立つ人間とは言えない」
勿論与えるとは物質的なことだけではなく
精神面での事を含みより高い考え方を与える
事が出来る人此れが世の役に立つ人間の姿だ
と云う事になるようです。
これもやはり見方によれば気働きという事に
繋がると思います。
気働きの出来る人は知らぬ間に必要とされる
人間になっていくと謂う事でしょうね。