安岡正篤「百朝集」第八十六項
に次のような言葉があります
少し長いですが解説とともに引用します
ー神鑒シンカンー
国の将に興らんとするや明神之に降る
其の徳を監る也
将に亡びんとするや神又之に降る
其の惡を観る也
故に神を得て以て興る有亦以て亡ぶ有
云々・・・
(春秋左氏伝)
世に神を見たとか神の声を聴いたとかいう一種の
神秘的体験を奇瑞として狂喜するものがある
それは必ずしも迷信とか精神病的現象として貶す
べきものではない
人間は物質的な世界に在りながら無限に拡がる
世界に遊ぶことはできる
然し其れは中々以てそう簡単なむしの好い沙汰
ではない
瑞祥だと思っておることが案外不祥であるかも知れない
不祥ということは内心に対する警告である
何事も自己の内心を通じて始めて真実の意義があるので
徒に外物を欲しがる限り真実の意義は判る者ではない
その迷妄が無暗に瑞祥や不祥を創り出すのである・・・
また石原慎太郎氏は
「私たちの正常な目覚めているときの意識という
ものはあくまで意識の特殊型にすぎないのであって
この意識の周りをグルリと取り巻き極めて薄い膜で
其れと隔てられそれとはまったく違った潜在的な
いろいろな形の意識があるのだ」
とある本で述べています(^_-)-☆
目に見えている現実世界だけが世界ではない
と云う事になるのでしょうか⁉
その見えない世界の力がいろんな現象に
大きく関わっているのかもしれません!(^^)!
人はその力をいただくことの出来る存在でもあります
その方法については松下幸之助さんがおっしゃっています
「素直であること」
では素直な心とはどういう心なのでしょうか?
簡単なようでなかなかむつかしい事のようですね‼
然し素直な心を目指して日々研鑽していくことが
見えざる力と融合していくためには大切なのでしょう。
現実的なことを言えばそうすることが成功への近道
となるのかも知れませんね(^_-)-☆
私はクリスタルハウスのワークショップを通じて
ある意味この素直な心と云う事を一緒に考えて
行こうと思っています(^_-)-☆