安岡正篤著「百朝集」第78章
朝に純徳の士寡(スクナ)く、鄕に不貮(フジ)の老①乏し。風俗淫僻(インペキ)②、恥尚(チショウ)③所を失ふ。学者は老荘を以て宗となし而して六経を黜(シリゾ)く。談者④は虚薄(キョハク)⑤を以て辯となし而て名検(メイケン)⑥を賤しむ。身を行ふ者は方濁⑦を以て通と為し而て節信⑧を狭しとす。進んで仕ふる者は苟得(コウトク)⑨を以て貴しと為し而して居正(キョセイ)⑩を鄙(イヤシ)む。官に当る者は望空(ボウクウ)⑪以て高しとなし而して勤恪(キンカク)を笑ふ。
文選「晋紀総諭」
①夭寿不貮の意。長生しようがしまいがそんな打算はせずに終始誠を尽くす長老の意 ②みだりがましく、偏ったこと。 ③恥づべきことと尚(貴)ぶべきことが逆になっていること。 ④所謂評論家。 ⑤内容の空疏。 ⑥名分と規律。 ⑦出鱈目、やりっ放しで不徳義なこと。 ⑧節操信義。 ⑨何でも取れるものは取ること。 ⑩正義に居ること。 ⑪虚位を擁すること。則ちロボットとなること。
解) これは独り晋代の悪風に限ったわけではない。形こそ変れ、今日の日本も同じような時弊の堪え難いものがあるではないか。この「風を移し俗を易へる」にはどうすればよいであろうか。結局政治家に偉い人物を出すことと、教学をを改めることが一番早道であろう。 安岡正篤
老荘を宗となし云々の下りは、老荘思想は所謂形而上学に属し学問として深く思惟することが肝心。表面だけの言葉に踊らされるととんでもない詭弁を弄する輩になってしまうという警告でもあるようですね。六経とは「易経・書経・詩経・礼記・春秋・楽経」のこと、因みに 三玄「老子・荘子・周易」 四書「論語・中庸・大学・孟子」五経は六経から楽経を外した五書 武経七書「孫子・呉子・司馬法・蔚(糸+寮)子・六韜・三略・李衛公問対」合わせて中国東洋の根本思想書。昔の日本人にとっては必読書となっていたようですが・・・
安岡正篤師の解「今日の日本」とは昭和の時代のコメントなんですが、日本の現状は平成にも令和にも通用する 言葉ですね。要するに政治家の資質と教育の在り方が変わらなければ、世の中は善くなり様がないということのようですね❕❕
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