天我を薄んずるに福を以てすれば
吾れ吾が徳を厚うして以て之を迓う。
天我を労するに形を以てすれば
吾れ吾が心を逸して(※)以て之を補う。
天我を厄するに遇(※)を以てすれば
吾れ吾が道を亨して以て之を通ず(※)
天我を苦しむるに境(※)を以てすれば
吾れ吾が神を楽しませて以て之を惕ぶ
菜根譚―洪応明
※注
※心を逸して⇒心を楽する意
※遇⇒運よく物事がうまくゆく意
※之を通ず⇒行き詰らないよう道を通じてゆく意
※境を以て⇒逆境を以ての意
(解題)
浅薄な従って深い人格の自主性自由力
を持たない人間は少しうまくゆくと
好い気になって直に行き詰る。 少し
苦しくなると忽ち疲れ衰えてしまう。
人物が出来るにしたがって自己をも
環境をも自由に創造し支配する。宇宙も
この人をどうする事も出来ない。
この大自在などちょっと聞けば何だか
大変な難事の様に思われるが実はごく
平凡なことなのである。
徳山の棒と云われる程厳しく門下を
鍛えた徳山宣鍳和尚-伝教・弘法とほぼ
同時代の中国唐僧ーの宗旨も彼の語で
云えば「心に無事 事に無心」と云う
に帰する。その師龍潭崇信のまた師
天皇道悟の名高い偈がある。
「性に任せて逍遥し縁に随って放曠す
但凡心をつくすのみ別に勝解無し」
(安岡正篤 百朝集42)
こういう境地になれれば何が
あっても慌てることなく冷静に
対処できるのでしょうが・・・・