或る人問う
人 患難に遇うこれ不幸なる事か
曰く
患難は亦これ事を経ざる人の良薬なり
心を明らかにし 性を練り 変に通じ
権に達する當に此の所に在って力を得る
人生最も不幸なる処は是偶々失言して
禍及ばず 偶々一失謀して事倖成し
偶々一恣行して小利を得ること也
後乃ち視て故常と為し 恬として意を
為さず 則ち行を敗り検を喪うこと
是より大なる患無し
「真の幸不幸」金蘭生(格言聯壁)
安岡正篤著―百朝集の中のことば
解説には 兎角世の中を甘く考え誤魔化
して渡る癖がつけばもうお終いである。
真剣になれないのが一番の不幸なこと
世には味をしめるということがある。
あー拙いことをしたなと心配しても
何のことも無かったり失敗したなと思
った計画が案外うまくいったり
出鱈目言ってちょっと儲かったり・・
確かにそんなことがある。
それに味をしめ世の中そんなものだ
と思うと大間違いである。
とあります。
検ということばは調べるとか締めくくる
という意味があるようですつまりは身の
始末をつけるというようなことでしょうか?
人生長く生きていますと解説に
あるようなことを経験することも
多々あります。その時にどう対処
するかその後の人生が決まってきて
いるのではないでしょうか?
簡単に読み過ごすのではなくしっかり
と心にとめておきたい言葉です。
仏教には一転読という言葉があるそう
です。意味は(仏典など)一度読んだら
ひっくりかえる様な腑に落ちる読み方
ができると他人を救うことが出来る人に
なれるというような意味らしいです。
個人的には多分元々は
「等覺一転名字妙覺」という言葉が
関係しているのではと思っています。
等覺一転名字妙覺とは仏教哲理の
深~い真理を顕す言葉の様ですね。
私ども凡人には理解できないこと
かもしれませんが要は心に引っか
かる様な言葉は確りと心に刻み行動
実践の規範にするということが大切な
ことだと思います。先ほどの金蘭生の言葉
安岡正篤先生の解説などしっかりと心に
刻んでおきたいものです。