ファウストの嘆き

百朝集90章

はてさて俺は 嗟 哲学も法学も医学も無くもがなの神学も

一心不乱に勉強して底の底迄研究した。さうして此処に斯う

してゐる。憐れな愚かな俺だ。そのくせ何もしなかった昔よ

り少しも偉くなってをらぬ。そして俺などに何が判ろうかと

さう自分で知ってゐる。其れを思へばこの胸が張り裂けそう

だ。            ゲーテ「ファウスト」冒頭

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解 題

此処に知識人の変わらぬ悲哀がある。幾ら神学を勉強しても

信仰が深くなる訳はない。或は段々神から遠ざかるであろう。

或は段々神から遠ざかるであろう。いくら科学を研究しても

 安心立命が得られるわけではない。或は自己を喪失するこ

ともあろう。魂の感動に基づかねば真の生命を得る事は出

来ない。日本近代の哲学界に最も高名であった西田幾多郎

教授が晩年禅に入って、予が禅を学の為になすは誤なり

予が心の為世名の為になすべし見性迄は宗教や哲学の事

を考えずと云い

 世を離れ人を離れて我は唯己が心の奥底に住む

しみじみとこの人の世を厭ひけりけふこの頃の冬の日の事

運命の鉄の鎖に繋がれて打ちのめされて起つ術もなし

と詠じているのは知識人に対する好い教訓である。学問

文化が栄えて文明は人に衰退の影を長くし世界の人類は

滅亡の脅威に曝されている。政治は如何にすれば人を救

う事が出来るのであろうか。国際連盟も駄目であった。

国際連合もその前途を甚だ危ぶまれている。法律や機

構や政策だけではどうなるものでもない。結局人物で

ある。衆生病む故に我病むと云う様な人物の悩みを己

れ自身に抱いて世の救いを祈る熱烈深刻な魂を持った

政治家が輩出してそういう人々が各国の政権の座に就

いて互いに誠を尽して協議するようにならなければ世

界は治まらないであろう。例え全ての国家の代表が集

まって国家主権を破棄し単一の世界国家を創る事に成

功しても此の世界国家に拠って制定せられる法律命令

が如何にして実行されるであろうか。

タキツスが言った通りー道徳無き法律は何かーで

ある。

                安岡正篤解題

政治は如何にすれば人を救う事ができるであろうかという

安岡正篤師の問いはコロナ禍に喘ぐ令和の現代の政治家に

対し発せられた問いのようにも感じられる。そして衆生

病む故に我病むと云う様な人物の悩みを己自身に抱いて

世の救いを祈る熱烈深刻な魂を持った政治家の輩出と云う

言葉が現代日本の政治への答えの様にみえてなりません。

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ゲ^テ2

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