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大神宮参宮

百朝集第91章

当宮参詣のふかき習いは、念珠をもとらず幣帛を

もささげずして、心に祈るところ内清浄といふ。

潮をかき、水を浴びて身の穢れなきを外清浄とい

へり。内外清浄なりぬれば、神の心と吾が心隔て

無し。既に神明と同じければ、何を望みてか祈祷

の心あるべきや。此れ真実の参宮なりと受け給は

りし程に、渇仰の涙止め難し。

           坂士佛「大神宮参詣記」

※坂士佛:室町初期の医家。博学多才。本文は一説に彼の父

十佛の作とも(渡会常彰)

解題)

大神宮は世俗の宗教のように御利益など祈請に行くところではない。

末世的に穢れ枉った自分を正直清浄に返して、天地の大生命との冥合

を祈る霊場である。神道史上最も貴重な大著といわれる「類聚神祇本源」

十五巻は渡会(村松)家行の著といわれる。これに新党の玄義を説いて、

「志すところは機前を以て法と為し、行ずる所は清浄を以て先と為す」

と説いている。神道は現代の言葉を仮て言えば、常に永遠の今に生きる。

今という永遠の時点に立つ。故に神代は今にあり今はまた神世に在る。

天地開闢、万物造化を元とし本とする。その元本を離れ、違背して天地

人間の純粋自立的統一体たることを無視し、己私を恣にするところに、

後世のあらゆる迷い、罪穢れを生じる。元来人は万物の霊長であるから

神物である。其の人の心というものは神明である。万事は一心より起こ

る。元に元し、本に本づき、本心に任じて正直清浄なれば、神人合一し

て自由自在である。もっと優しく云うと、村松家行の語に「神気を嘗む」

ー神道簡要ーと言うことが有るが、実によい。砂糖や人間を嘗めるだけ

ではではだめ、神気を嘗める。そして「初を以て常義と為す」(同前)何

でも天地開闢の心構えででゆく。私は日本人自身の思想信仰は究竟する

ところ、神道に帰すると信じている。只神道家の用語が現代人に甚だし

く合わないのは、神道の疎外され易い一原因だと思う。それは確かに、

神道家の反省し、解決せねばならぬ重要な課題である。しかし此れは非

常に微妙な問題で、元来神道は人間の最も自然な道である。人間の最も

自然なものは嬰児である。忌部正通は炯眼にも「辞を嬰児に仮り心を神

聖の求む」と云っている。               安岡正篤解

大正の終わりに東京帝国大学法学博士 筧克彦教授が皇室にて御進講

を行っています。その講義記録が「神ながらの道」という本にまとめ

られています。その中の一節です。

「伊邪那岐神様 伊邪那美の神様は宇宙の生命として人間総ての内、

否、萬物の内に活きていらせらるる神様でございますから、人間の

一挙一動は伊邪那岐、伊邪那美の神様の現れでございます。我々人

間は萬物とともに此の二柱の神様の天地創造事業を今日も未来も永

久に行うものであります。伊邪那岐神様、伊邪那美神様の申し伝え

は昔のことではございませぬ。今日のことであり、又未来永久いつ

も最新なる申し上ぐる譯でございます。

神ながらの道第一段第四章第一節「天地創造の言伝の性質」

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